万葉集巻6

 (最新見直し2013.02.18日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、万葉集巻6について確認しておく。「訓読万葉集 巻1 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―」、「万葉集メニュー」、「万葉集」その他を参照する。

 2011.8.28日 れんだいこ拝


【巻6】
 第6巻は、907-1060まで。907-979、981-1060に分かれる。巻6は前巻に続いて全歌が「雑歌」として掲載されている。本巻には旋頭歌と呼ばれている五七七、五七七の韻律からなる歌が一首だけ含まれている。1018番歌の歌である。この旋頭歌は巻4にも一首(529番歌)登載されている。笠金村、山部赤人(やまべのあかひと)などが代表的な歌人で、吉野などへの行幸の時の歌が多いのが特徴となっている。万葉集読解65、万葉集読解66、万葉集読解67、を参照する。

【巻6(907)。】
 
題詞
 笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の作歌。「養老七年癸亥夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首 并短歌」。(「養老七年(723年)五月に第四十四代元正天皇が吉野の離宮に行幸された際、笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が作った歌及び短歌」)。
原文 瀧上之   御舟乃山尓    水枝指   四時尓生有   刀我乃樹能 弥継嗣尓    萬代    如是二二知三  三芳野之  蜻蛉乃宮者   神柄香   貴将有     國柄鹿   見欲将有    山川乎   清〃      諾之神代従   定家良思母
和訳 たぎのうへの みふねのやまに みづえさし しじにおひたる とがのきの いやつぎつぎに よろづよに かくししらさむ みよしのの あきづのみやは かむからか たふとくあらむ くにからか みがほしからむ やまかはを きよみさやけみ うべしかむよゆ さだめけらしも 06 0908 反歌二首
現代文  「」。
文意解説
 長歌。
歴史解説

【巻6(908)。】
 
題詞  短歌(反歌)は本歌と次歌の二首。
原文  毎年  如是裳見<壮>鹿  三吉野乃  清河内之  多藝津白浪
和訳  年のはに かくも見てしか み吉野の 清き河内の たぎつ白波
現代文  「新年を迎えるたびに、このみ吉野を流れる清流ののたぎつ白波を見たいものだ」。
文意解説  「年のは」は833番歌にもあったように、「年の変わり目」。当時の正月(旧暦)。結句を「たぎつ白波」で止めているところに、激しくたぎりたつ白波の美しさ、すさまじさ、がよく表現されている。
歴史解説

【巻6(909)。】
 
題詞
原文  山高三 白木綿花  落多藝追  瀧之河内者  雖見不飽香聞
和訳  山高み 白木綿花に おちたぎつ 瀧の河内は 見れど飽かぬかも
現代文  「ほとばしる真っ白な滝はいつまで見てても見飽きない」。
文意解説  第二句の「白木綿花(しらゆふはな)に」には、岩波大系本の注に「楮(こうぞ)の繊維で作った白い木綿(ゆう)の造花のように」とある。要は真っ白な布である。「山高み」とあるから崖の高見から激しく落下していく滝壷を見ている光景だろうか。前歌と同工の一首である。
歴史解説

【巻6(910)。】
 
題詞  前二歌には異伝があって以下の三首が登載されている。
原文  神柄加  見欲賀藍  三吉野乃  瀧<乃>河内者  雖見不飽鴨
和訳  神からか 見が欲しからむ み吉野の 滝の河内は 見れど飽かぬかも
現代文  「つい吸い込まれるようにのぞき込み、いつまで見てても見飽きない」。
文意解説  「神からか」は原文に「神柄加」とあるので分かるように、「神がかっている」すなわち「神々しいからであろうか」という意味である。逆言すると「落ち下る滝は神々しく」である。
歴史解説

【巻6(911)。】
 
題詞
原文  三芳野之  秋津乃川之  万世尓  断事無  又還将見
和訳  み吉野の 秋津の川の 万代に 絶ゆることなく またかへり見む
現代文  「み吉野の秋津の川の万代(よろずよ)には秋津の川の流れはずっとずっと続いていくことだろうが」。
文意解説  「絶ゆることなく」はむろん「万代に続く川の流れ」のことだが、「毎年絶えることなくやってきて見てみたい」という意味も込められているかも知れない。「毎年見たい」と詠われている908番歌と同趣旨の歌である。
歴史解説

【巻6(912)。】
 
題詞
原文  泊瀬女  造木綿花  三吉野  瀧乃水沫  開来受屋
和訳  泊瀬女の 造る木綿花 み吉野の 滝の水沫に 咲きにけらずや
現代文  「彼女たちが織るというあの真っ白な木綿花がいま、滝の水沫になって咲いているではないか」。
文意解説  泊瀬女(はつせめ)は奈良県桜井市を流れる泊瀬川で木綿花(ゆふはな)を織っていた女性たちのことで、当時有名だったのだろう。
歴史解説

【巻6(913)。】
 
題詞
原文
和訳
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(914)。】
 
題詞  作者は車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ)。
原文  瀧上乃  三船之山者  雖<畏>  思忘  時毛日毛無
和訳  滝の上の 三船の山は 畏けど 思ひ忘るる 時も日もなし
現代文  「流れ下る滝の上の三船山は荘厳で厳粛な気分に襲われるが、家に残っている妻のことを片時も忘れることが出来ない」。
文意解説  川のほとりに切り立つ三船山。
歴史解説

【巻6(915)。】
 
題詞
原文  千鳥鳴  三吉野川之  <川音>  止時梨二  所思<公>
和訳  千鳥泣く み吉野川の 川音の やむ時なしに 思ほゆる君
現代文  「千鳥がなく吉野川の川音はやむ時がないが、同じようにあのお方への思いはやむときがありません」。
文意解説  本歌と次歌は「或本に曰く」とされる、いわば異伝歌。前歌の異伝歌だとすると、疑問。結句が「思ほゆる君」となっているからである。通常「君」は女性から男性に向かって使われたからである。千年を女性と考えれば不審はない。が、一般に朝臣は男性の臣下なので女性とは解しづらい。元正天皇の吉野行幸に女官が混じっていたと考えても少しも不自然ではない。なので本歌はすなおに女官の歌と解したらいかがだろう。
歴史解説

【巻6(916)。】
 
題詞
原文  茜刺  日不並二  吾戀  吉野之河乃  霧丹立乍
和訳  あかねさす 日並べなくに 我が恋は 吉野の川の 霧に立ちつつ
現代文  「立ち上る霧を見ていると恋しさが募ってくる」。
文意解説  「あかねさす」は否が応でも額田王の高名な「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」(20番歌)を思い起こさせる。枕詞ないし「輝かしい」という意味。「日並(ひなら)べなくに」は多くの日数がたったわけでもないのに」という意味である。「吉野の川の霧に立ちつつ」は実景でありながら非常にロマンチックな言い回しとなっている。
歴史解説

【巻6(917)。】
 
題詞  「神龜元年甲子冬十月五日幸于紀伊國時山部宿祢赤人作歌一首 并短歌」(「神龜元年(724年)十月紀伊國に行幸の折、山部赤人が作った歌」)。この行幸は第四十五代聖武天皇の行幸だと知れる。短歌は本歌と次歌の二首。
原文 安見知之  和期大王之   常宮等   仕奉流     左日鹿野由 背匕尓所見   奥嶋    清波瀲尓    風吹者   白浪左和伎   潮干者   玉藻苅管    神代従   然曽尊吉    玉津嶋夜麻
和訳 やすみしし わごおほきみの とこみやと つかへまつれる さひかのゆ そがひにみゆる おきつしま きよきなぎさに かぜふけば しらなみさわき しほふれば たまもかりつつ かむよより しかぞたふとき たまつしまやま
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(918)。】
 
題詞
原文  奥嶋  荒礒之玉藻  潮干満  伊隠去者  所念武香聞
和訳  沖つ島の 玉藻 潮干満ち い隠りゆかば 思ほえむかも
現代文  「潮が満ちてきて隠された藻はどうなってしまうのだろうか」。
文意解説  「沖つ島(玉津島)」は和歌浦に浮かんでいたとされる島の一つ。和歌浦は和歌山市南部の海岸。紀三井寺駅の西方に当たる。当時は沖つ島のほかに現在陸地になっている鏡山、船頭山等々海中の島々として浮かんでいた、という。島の荒礒に美しい藻が生えている。そしてその藻に潮が満ちてくる様子を作者は眺めている。
歴史解説

【巻6(919)。】
 
題詞  左注に「作歌年月が不記載だが、玉津島に随行の際の歌なのでここに登載した」とある。
原文  若浦尓  塩満来者  滷乎無美  葦邊乎指天  多頭鳴渡
和訳  若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る
現代文  「鶴たちが葦辺(あしべ)に向かって鳴きながら飛んでいく」という歌である。
文意解説  「潟をなみ」は潮が満ちてきて干潟が覆われてなくなることを詠じている。
歴史解説

【巻6(920)。】
 
題詞  「神龜二年乙丑夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首 并短歌 」。
原文 足引之   御山毛清   落多藝都   芳野河之    河瀬乃   浄乎見者    上邊者   千鳥數鳴    下邊者   河津都麻喚   百礒城乃  大宮人毛    越乞尓   思自仁思有者  毎見    文丹乏     玉葛    絶事無     萬代尓   如是霜願跡   天地之   神乎曽禱    恐有等毛
和訳 あしひきの みやまもさやに おちたぎつ よしののかはの かはのせの きよきをみれば かみへには ちどりしばなく しもへには かはづつまよぶ ももしきの おほみやひとも をちこちに しじにしあれば みるごとに あやにともしみ たまかづら たゆることなく よろづよに かくしもがもと あめつちの かみをぞいのる かしこけれども
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(921)。】
 
題詞  「神龜二年(725年)五月吉野離宮に行幸の折、笠金村が作った歌」。この行幸は第四十五代聖武天皇の行幸だと知れる。ただし、題詞にいうこの行幸の記事は『続日本紀』に見えない。逆に本歌によって行幸があったことが知られる。短歌は本歌と次歌の二首。
原文  萬代  見友将飽八  三芳野乃  多藝都河内乃  大宮所
和訳  万代に 見とも飽かめや み吉野の たぎつ河内の 大宮所
現代文  「その激流はいつまで見続けていても飽きることがない」。
文意解説  「万代(よろずよ)に見とも飽かめや」の「見とも」は「見続けいても」の省略形か?。離宮から、滝壺に落下してくる滝の様子がよく見られたようである。
歴史解説

【巻6(922)。】
 
題詞
原文  人皆乃 壽毛吾母  三<吉>野乃  多吉能床磐乃  常有沼鴨
和訳  皆人の 命も我れも み吉野の 滝の常磐の 常ならぬかも
現代文  「その岩のように私たちの命も不変であってくれたらなあ」。
文意解説
 「皆人の命も我れも」の「皆」は離宮にやってきている人々のことをさしているのだろう。「ここにいる皆様方も私の命も」である。常磐(ときは)は滝や激流にさらされてもびくともしない岩。
歴史解説

【巻6(923)。】
 
題詞  「山部宿祢赤人作歌二首 并短歌」。
原文 八隅知之  和期大王乃   高知為   芳野宮者    立名附   青垣隠     河次乃   清河内曽    春部者  花咲乎遠里   秋去者   霧立渡     其山之   弥益〃尓    此河之   絶事無     百石木能  大宮人者    常将通
和訳 やすみしし わごおほきみの たかしらす よしののみやは たたなづく あをかきごもり かはなみの きよきかふちぞ はるへは はなさきををり あきされば きりたちわたる そのやまの いやますますに このかはの たゆることなく ももしきの おほみやひとは つねにかよはむ 06 0924 反歌二首
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(924)。】
 
題詞  長歌ともども山部赤人の歌。短歌二首。
原文  三吉野乃  象山際乃  木末尓波  幾許毛散和口  鳥之聲可聞
和訳  み吉野の 象山の際の 木末には ここだも騒く 鳥の声かも
現代文  「」。
文意解説  象山(きさやま))は宮滝の前にそびえる山。際(ま)は谷間。木末(こぬれ)は梢。 「ここだも騒く鳥の声かも」は「こんなにも繁く聞こえるのだなあ、鳥の鳴く声が」である。象山の谷間で鳴く鳥の音の騒々しさを詠っている。
歴史解説

【巻6(925)。】
 
題詞
原文  烏玉之  夜之深去者  久木生留  清河原尓  知鳥數鳴
和訳  ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く
現代文  「夜が更けてゆくにつれ、川原に千鳥がしきりに鳴きたてる」。
文意解説  「ぬばたまの」は夜にかかる、よく知れ渡っている枕詞。久木(ひさぎ)はキササゲないしアカメガシワの木と言われる。ここの千鳥は特定の鳥ではなく「数多くの鳥たち」というほどの意味だと思われる。
歴史解説

【巻6(926)。】
 
題詞
原文 安見知之  和期大王波   見吉野乃  飽津之小野笶  野上者    跡見居置而   御山者   射目立渡    朝獵尓   十六履起之   夕狩尓   十里蹋立   馬並而   御獵曽立為   春之茂野尓
和訳 やすみしし わごおほきみは みよしのの あきづのをのの ののうへには とみすゑおきて みやまには いめたてわたし あさがりに ししふみおこし ゆふがりに とりふみたて うまなめて みかりぞたたす はるのしげのに
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(927)。】
 
題詞  ここの長短歌は作者不記載で不明。左注がついていて、「前歌との先後関係が不明なため便宜上ここに登載する」とある。
原文  足引之  山毛野毛  御<猟>人  得物矢手<挟>  散動而有所見
和訳  あしひきの 山にも野にも 御狩人 さつ矢手挾み 騒きてあり見ゆ
現代文  「山中にも野原にも狩りを楽しむ人たちが弓矢を手挟んで走り回っている」。
文意解説  「あしひきの」は山にかかる枕詞。「さつ矢」は狩り用の矢。
歴史解説

【巻6(928)。】
題詞  「冬十月幸于難波宮時笠朝臣金村作歌一首 并短歌」。
原文 忍照   難波乃國者   葦垣乃   古郷跡     人皆之   念息而     都礼母無  有之間尓    續麻成   長柄之宮尓   真木柱   太高敷而    食國乎   治賜者     奥鳥    味経乃原尓   物部乃   八十伴雄者   廬為而   都成有     旅者安礼十方
和訳 おしてる なにはのくには あしかきの ふりにしさとと ひとみなの おもひやすみて つれもなく ありしあひだに うみをなす ながらのみやに まきばしら ふとたかしきて をすくにを をさめたまへば おきつとり あぢふのはらに もののふの やそとものをは いほりして みやこなしたり たびにはあれども 06 0929 反歌二首
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(929)。】
題詞  920~922番長短歌にかかる笠金村の歌は題詞に「神龜二年(725年)五月吉野離宮に行幸の折、笠金村が作った歌」とあった。今回は「冬十月難波宮に行幸の折」との記載がある。つまり、同じく第四十五代聖武天皇の行幸だが、こちらは奈良県の吉野ではなく、大阪市大阪城の南方台地に造営された難波宮というわけである。時はむろん神龜二年(725年)。長歌と短歌二首。本歌と次歌。
原文  荒野等丹  里者雖有  大王之  敷座時者  京師跡成宿
和訳  荒野らに 里はあれども 大君の 敷きます時は 都となりぬ
現代文  「」。
文意解説  歌い出しの「荒野らに里はあれども」は「(難波宮)は確かに荒野であるけれど」という意味である。そして後半「大君がいらっしゃる時は都の体をなす」で、それが本歌の歌意。
歴史解説

【巻6(930)。】
題詞
原文  海末通女  棚無小舟  榜出良之  客乃屋取尓  梶音所聞
和訳  海人娘女 棚なし小舟 漕ぎ出らし 旅の宿りに 楫の音聞こゆ
現代文  「」。
文意解説  「棚なし小舟」は272番歌に出てきたように、島などの海岸近くをこぎ回る小さな舟。「行幸一同と浜辺で宿(野宿)をとっていると、海人娘女(あまをとめ)たちがさかんに小舟を漕ぎ出しているらしい。「ここまで楫(ろ)の音が聞こえてくる」という歌。旅情をそそる詩情豊かな歌である。
歴史解説

【巻6(931)。】
題詞  「車持朝臣千年作歌一首 并短歌」。
原文 鯨魚取   濱邊乎清三   打靡    生玉藻尓    朝名寸二  千重浪縁   夕菜寸二  五百重波因   邊津浪之  益敷布尓    月二異二  日日雖見    今耳二   秋足目八方   四良名美乃 五十開廻有   住吉能濱
和訳 いさなとり はまへをきよみ うちなびき おふるたまもに あさなぎに ちへなみよる ゆふなぎに いほへなみよる へつなみの いやしくしくに つきにけに ひにひにみとも いまのみに あきだらめやも しらなみの いさきめぐれる すみのえのはま 06 0932 反歌一首
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(932)。】
題詞
原文  白浪之  千重来縁流  住吉能  岸乃黄土粉  二寶比天由香名
和訳  白波の 千重に来寄する 住吉の 岸の黄土に にほひて行かな
現代文  「」。
文意解説  913~914番の長短歌と同様、ここの長短歌も作者は車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ)。先の場合は吉野に随行したときの歌だが、今回は大阪の住吉の浜。原文に「岸乃黄土粉」とあるように、住吉の岸は非常に美しい埴生(粘土)に彩られていたようである。「にほひて行かな」は「衣を黄土粉で染めていきたいものだ」という意味である。岸に次々と押し寄せてくる白波と黄土に彩られた浜辺との対比がよほど印象的だったようである。
歴史解説

【巻6(933)。】
題詞  「山部宿祢赤人作歌一首 并短歌」
原文 天地之   遠我如     日月之  長我如     臨照   難波乃宮尓   和期大王   國所知良之   御食都國  日之御調等  淡路乃  野嶋之海子乃  海底    奥津伊久利二  鰒珠    左盤尓潜出   船並而   仕奉之     貴見礼者
和訳 あめつちの とほきがごとく ひつきの ながきがごとく おしてる なにはのみやに わごおほきみ くにしらすらし みけつくに ひのみつきと あはぢの のしまのあまの わたのそこ おきついくりに あはびたま さはにかづきで ふねなめて つかへまつるし たふとしみれば
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(934)。】
題詞
原文  朝名寸二  梶音所聞  三食津國  野嶋乃海子乃  船二四有良信
和訳  朝なぎに 梶の音聞こゆ 御食つ国 野島の海人の 舟にしあるらし
現代文  「静かな朝の海(朝なぎ)にふねを漕ぐ梶の音が聞こえる。野島の海人が操る舟であろうか」。
文意解説  山部赤人の長短歌。淡路島の野島での歌。御食つ国(みけつくに)とは朝廷に水産物等を貢献していた国で、淡路国もその一つだったとされている。930番歌同様、旅情をそそる詩情豊かな歌である。
歴史解説

【巻6(935)。】
題詞  「三年丙寅秋九月十五日幸於播磨國印南野時笠朝臣金村作歌一首 并短歌 」。
原文 名寸隅乃  船瀬従所見   淡路嶋   松帆乃浦尓   朝名藝尓  玉藻苅管    暮菜寸二  藻塩焼乍    海未通女  有跡者雖聞   見尓将去  餘四能無者   大夫之   情者梨荷    手弱女乃  念多和美手   俳佪    吾者衣戀流   船梶雄名三
和訳 なきすみの ふなせゆみゆる あはぢしま まつほのうらに あさなぎに たまもかりつつ ゆふなぎに もしほやきつつ あまをとめ ありとはきけど みにゆかむ よしのなければ ますらをの こころはなしに たわやめの おもひたわみて たもとほり あれはぞこふる ふねかぢをなみ
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(936)。】
題詞
原文  玉藻苅  海未通女等  見尓将去  船梶毛欲得  浪高友
和訳  玉藻刈る 海人娘子ども 見に行かむ 舟梶もがも 波高くとも
現代文  「舟を操るには波が高いが、沖で玉藻を刈り取っている海人娘子(あまをとめ)たちを是非見に行きたいものだ」。
文意解説  神亀三年(726年)聖武天皇が播磨國印南野(はりまのくにいなみの)(兵庫県明石付近)に行幸された際、笠朝臣金村が詠んだ長歌と短歌二首。「舟梶もがも波高くとも」は「波が高くとも舟を操る梶があればなあ」の意。
歴史解説

【巻6(937)。】
題詞
原文  徃廻  雖見将飽八  名寸隅乃  船瀬之濱尓  四寸流思良名美
和訳  行き廻り 見とも飽かめや 名寸隅の 舟瀬の浜に しきる白波
現代文  「名寸隅の船着き場に押し寄せる白波はいつまで見ていても見飽きることがないほど美しい」。
文意解説  「行き廻(めぐ)り」は「行きつ戻りつして」という意味で、いつまでも美しい明石の浜を眺めている様子を表している。名寸隅(なきすみ)は明石の浜の西端近辺のことであるという。当時の明石の浜はさぞかし美しかったことであろう。
歴史解説

【巻6(938)。】
題詞  「山部宿祢赤人作歌一首 并短歌 」。
原文 八隅知之  吾大王乃    神随    高所知流   稲見野能  大海乃原笶    荒妙    藤井乃浦尓   鮪釣等   海人船散動   塩焼等   人曽左波尓有   浦乎吉美  宇倍毛釣者為  濱乎吉美  諾毛塩焼    蟻徃来   御覧母知師   清白濱
和訳 やすみしし わごおほきみの かむながら たかしらせる いなみのの おほうみのはらの あらたへの ふぢゐのうらに しびつると あまぶねさわく しほやくと ひとぞさはにある うらをよみ うべもつりはす はまをよみ うべもしほやく ありがよひ めさくもしるし きよきしらはま
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(939)。】
題詞
原文  奥浪  邊波安美  射去為登  藤江乃浦尓  船曽動流
和訳  沖つ波 辺波静けみ 漁りすと 藤江の浦に 舟ぞ騒ける
現代文  「藤江の浦には多くの船が出て忙しげにしている」。
文意解説  山部赤人の長歌と短歌三首(939~941番歌)。「沖つ波辺波(へなみ)静けみ」は「沖も海岸近くも波静かで」という意味だが、要するに漁をするには絶好の状態ということである。
歴史解説

【巻6(940)。】
題詞
原文  不欲見野乃  淺茅押靡  左宿夜之  氣長<在>者  家之小篠生
和訳  印南野の 浅茅押しなべ さ寝る夜の 日長くしあれば 家し偲はゆ
現代文  「野宿が幾日も続くので家が恋しくなる」。
文意解説  「印南野の浅茅(あさぢ)押しなべ」であるが、当時の旅寝は野宿が一般的。その理解があれば浜辺に生えている丈の低い茅(かや)を押し倒して寝る光景が容易に脳裏に浮かんでくるはずである。「日(け)長くしあれば」は「幾日も重なり」である。
歴史解説

【巻6(941)。】
題詞
原文  明方  潮干乃道乎  従明日者  下咲異六  家近附者
和訳  明石潟 潮干の道を 明日よりは 下笑ましけむ 家近づけば
現代文  「明日からは家路に就くこととなり、家が近づくのでひとりでに明るい気持ちになる」。
文意解説  第四句の「下笑(したゑ)ましけむ」は面白い表現である、「下」つまり「心の中」である。第二句に「潮干(しほひ)の道」とあるが、道路が整備されていない当時、一行は潮が引くのを待って海岸沿いを進んだものと見える。
歴史解説

【巻6(942)。】
題詞  「過辛荷嶋時山部宿祢赤人作歌一首 并短歌 」(「辛荷島を通過する際、山部赤人が詠んだ長短歌」。短歌は943~945番の三首)。
原文 味澤相   妹目不數見而  敷細乃   枕毛不巻    櫻皮纒   作流舟二    真梶貫   吾榜来者    淡路乃  野嶋毛過   伊奈美嬬  辛荷乃嶋之   嶋際従   吾宅乎見者   青山乃   曽許十方不見  白雲毛   千重尓成来沼  許伎多武流 浦乃盡     徃隠    嶋乃埼〃    隈毛不置   憶曽吾来     客乃氣長弥
和訳 あぢさはふ いもがめかれて しきたへの まくらもまかず かにはまき つくれるふねに まかぢぬき わがこぎくれば あはぢの のしまもすぎ いなみつま からにのしまの しまのまゆ わぎへをみれば あをやまの そこともみえず しらくもも ちへになりきぬ こぎたむる うらのことごと ゆきかくる しまのさきざき くまもおかず おもひぞあがくる たびのけながみ
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(943)。】
題詞
原文  玉藻苅  辛荷乃嶋尓  嶋廻為流  水烏二四毛有哉  家不念有六
和訳  玉藻刈る 唐荷の島に 島廻する 鵜にしもあれや 家思はずあらむ
現代文  「島には鵜の鳥が飛び回っているが、鵜ではない故故郷(大和)が恋しくてならない」。
文意解説  辛荷島(からにしま)は現在たつの市の海上沖合に浮かぶ「地ノ唐荷島」ないし「沖ノ唐荷島」だと思料されるが、たつの市は明石海峡よりも西も西、赤穂市に近い場所である。古代は明石海峡から赤穂市近辺に至る広大な海岸線を明石と呼んでいたのだろうか。「玉藻刈る唐荷の島に」とあるから唐荷島では玉藻(海草類)を刈り取る島として有名だったのかも・・・。
歴史解説

【巻6(944)。】
題詞
原文  嶋隠  吾榜来者  乏毳  倭邊上  真熊野之船
和訳  島隠り 我が漕ぎ来れば 羨しかも 大和へ上る 真熊野の船
現代文  「」。
文意解説  結句の「真熊野の船」だが、真性熊野船のこと。熊野で作られた船は高級船とされていて羨ましがられていた。したがって「島隠り我が漕ぎ来れば」と詠われている船は立派な船ではない。同じように大和へ向かっていく真性熊野船を見かけて羨ましがっている歌である。
歴史解説

【巻6(945)。】
題詞
原文  風吹者  浪可将立跡  伺候尓  都太乃細江尓  浦隠居
和訳  風吹けば 波か立たむと さもらひに 都太の細江に 浦隠り居り
現代文  「風が吹いてきて荒れそうな気配だから細江の浦に待避しました」。
文意解説  「都太(つだ)の細江」は姫路市飾麿区の地名でそこの河口付近。都太は津田で津田村があったという。つまり唐荷島からかなり東へすなわち大和に向かって進んだ所に当たる。「さもらひに」は原文に当たると分かるが「伺候に」で、「控えて様子をうかがう」という意味である。
歴史解説

【巻6(946)。】
題詞  「過敏馬浦時山部宿祢赤人作歌一首 并短歌」(「敏馬の浦を通過する際、山部赤人が詠んだ長短歌」)。敏馬(みぬめ)の浦は神戸港の東方にあった浦だという。
原文 御食向   淡路乃嶋二   直向    三犬女乃浦能  奥部庭   深海松採   浦廻庭   名告藻苅   深見流乃  見巻欲跡    莫告藻之  己名惜三    間使裳   不遣而吾者   生友奈重二
和訳 みけむかふ あはぢのしまに ただむかふ みぬめのうらの おきへには ふかみるとる うらみには なのりそかる ふかみるの みまくほしけど なのりその おのがなをしみ まづかひも やらずてわれは いけりともなし
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(947)。】
題詞  左注に、「右は作歌年月不詳だけれども歌の内容からしてここに登載するのが妥当である」という旨の記載がしてある。
原文  為間乃海人之 塩焼衣乃  奈礼名者香  一日母君乎  忘而将念
和訳  須磨の海女の 塩焼き衣の 慣れなばか 一日も君を 忘れて思はむ
現代文
文意解説  「須磨の海女」はいうまでもなく神戸の浜で塩焼きに従事する女性たち。その作業着が慣れる(しなれる)とは、「長くつきあって慣れ親しんでしまえば」の意である。そうなれば「一日くらい君を忘れていられるだろうか」という激しい慕情の歌である。ここで、「君」は通常男性を差すので、伊藤本や中西本は、この歌は女の立場から歌われていると解している。が、本歌の場合は問題である。題詞に作者は山部赤人と明記されている。加えて、長歌の内容自体が「使いをやる」という部分がある点を見ても明らかに女を思う男の歌である。男が敬愛する女性を君と呼ぶ例は皆無ではなく、本歌はそのまま素直に「旅の途上にある山部赤人が大和にいる女性を思っての歌」と解すべきだろう。
歴史解説

【巻6(948)。】
題詞  「四年丁卯春正月勅諸王諸臣子等散禁於授刀寮時作歌一首 并短歌 」。ここの長短歌が作られた経緯は題詞と左注に詳細に記されている。概略だけで用は足りると思うので、概要を紹介しておこう。神亀四年(727年)正月に聖武天皇は皇子たちや高官を集めて鞠遊びに興じられた。が、急に雷雨に見舞われ、宮に入られたが、お付きの者たちが誰もいなかった。その罰として天皇はこの者たちに外出禁止を申し渡された。その際、作られた歌だというのである。作者不詳。要するにお付きの者の一人が作った歌という次第である。
原文 真葛延   春日之山者   打靡    春去徃跡    山上丹   霞田名引    高圓尓   鸎鳴沼     物部乃   八十友能壮者  折木四哭之 来継比日    如此續   常丹有脊者   友名目而  遊物尾      馬名目而  徃益里乎    待難丹   吾為春乎    决巻毛   綾尓恐     言巻毛   湯〃敷有跡    豫     兼而知者    千鳥鳴   其佐保川丹   石二生    菅根取而    之努布草  解除而益乎   徃水丹   潔而益乎    天皇之   御命恐     百礒城之  大宮人之    玉桙之   道毛不出    戀比日
和訳 まくずはふ かすがのやまは うちなびく はるさりゆくと やまのへに かすみたなびく たかまとに うぐひすなきぬ もののふの やそとものをは かりがねの きつぐこのころ かくつぎて つねにありせば ともなめて あそばましものを うまなめて ゆかましさとを まちがてに わがするはるを かけまくも あやにかしこし いはまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねてしりせば ちどりなく そのさほがはに いはにおふる すがのねとりて しのふくさ はらへてましを ゆくみづに みそぎてましを おほきみの みことかしこみ ももしきの おほみやひとの たまほこの みちにもいでず こふるこのころ
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻6(949)。】
 
題詞
原文  梅柳  過良久惜  佐保乃内尓  遊事乎  宮動々尓
和訳  梅柳 過ぐらく惜しみ 佐保の内に 遊びしことを 宮もとどろに
現代文  「梅柳を楽しもうと席をはずしたばっかりに宮廷じゅうが大騒ぎになってしまった」。
文意解説
 「梅柳(うめやなぎ)過ぐらく惜しみ」は「今を盛りに春を謳歌する梅や柳を」という意味である。「佐保の内に遊びしことを」は「梅柳をひとめ楽しもうと外出したばっかりに」である。佐保の内は佐保川一帯。「宮もとどろに」は「宮廷じゅうが大騒ぎ」ということ。やや恨み節のこもった歌である。
歴史解説

【巻6(950)。】
 
題詞  作者不記載。「神亀五年(728年)聖武天皇難波宮に行幸の際、作歌された四首」。
原文  大王之  界賜跡  山守居  守云山尓  不入者不止
和訳  大君の 境ひたまふと 山守据ゑ 守るといふ山に 入らずはやまじ
現代文  「」。
文意解説  この四首は男女の求愛を託して詠われた歌とされる。なるほどだが、例え方にきわどい点があり、今少し検討を要する。つまり、本歌を天皇が愛している女性の寓意とすれば、それをわざわざ記録にとどめるだろうかという疑問が湧く。私にはかなり大胆できわどい行為に思われる。そこで、ここは文字通りの解釈にとどめておきたい。「天皇が山守を置いて管理されている山であっても入らずにはいられない」と・・・。すなわち、「その山は入らずにはいられないほどすばらしい山である」という歌である。
歴史解説

【巻6(951)。】
 
題詞
原文  見渡者  近物可良  石隠  加我欲布珠乎  不取不巳
和訳  見わたせば 近きものから 岩隠り かがよふ玉を 取らずはやまじ
現代文  「浜辺に立って見渡してみると、近くにあって岩陰に光り輝いている玉がある。その玉を手中にしないでおくものか」。
文意解説  「かがよふ玉を」の「かがよふ」。岩波大系本は補注まで設けて詳細に解説している。「かがよふ」は本歌のほかにもう一例万葉集にある。万葉集ではないが他の文献に見える例をも並べながら結論として「(かがよふは)ちらちらと光ってゆれている意」としている。万葉集には確かにもう一例あって、2642番歌に「燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ」とある。が、この歌例のように岩波大系本が挙げているのは「燈火の影」に揺れる例。「ちらちらと光ってゆれている」のは当たり前である。本歌の場合は「見わたせば」で知れるように真昼の浜辺。「かがやいている玉」と解するのが自然。それより「近きものから」が問題。岩波大系本始め伊藤本、中西本ともみな「近くにあるものの」と解している。「遠くにあるものの」なら分かるが「近くにあるものの」と解しては意味不明瞭である。「遠くにあっても光っているから」なら分かるが、近くで光っていれば目に入るのは当たり前。ここは「近くにあって」という意味に相違ないと私は思う。こう解さないと玉を女性に例えた歌と解する場合もぴったりの意味にならない。
歴史解説

【巻6(952)。】
 
題詞
原文  韓衣 服楢乃里之  嶋待尓  玉乎師付牟  好人欲得食
和訳  韓衣 着奈良の里の 嶋松に 玉をし付けむ よき人もがも(従来訓)
 韓衣 福良の里の 嶋松に 玉をし付けむ よき人もがも(筆者見解)
現代文  「韓衣のように美しい福良の浜辺に生えている島の松。その美しい松に付けて飾るにふさわしい玉のように美しい人がいてくれたらなあ」。
文意解説  難解視されている歌である。初句の「韓衣(からころも)」。岩波大系本は「着るにかかる枕詞」としている。「からころも」は全万葉集歌中本歌のほかに4例ある。全例掲げると次のとおりである。A:「韓衣龍田の山は」(2194番歌) B:「韓衣裾のあはずて」(2619番歌) C:「韓衣君にうち着せ」(2682番歌)  D:「韓衣裾のうち交へ」(3482番歌)。着るにかかっている例は一例もない。わずかに「君にうち着せ」とあるCが一見着るにかかっているように見える。が、これは枕詞ではなく、「韓衣(中国服)を着せる」という行為を示していること一読しただけで明白。決して枕詞ではない。本歌読解のヒントはAの「韓衣龍田の山は」にある。「きらびやかな美しい韓衣のような龍田の山は」という意味に相違ない。次に「着奈良の里」だが、原文に「服楢乃里」とある。これは淡路島の南あわじ市にある福良港に相違ない。行幸先の難波から福良まで船で近い。私には「服楢」は「福良」としか読めない。どう読んだら「着奈良」などと読めるのか伺いたいくらいである。以上、「韓衣」を枕詞と解し、「服楢」を「着奈良」などと読んだのではちんぷんかんぷんとなるは必定である。「韓衣福良の里の嶋松に」まではすんなりと歌意がとれよう。
歴史解説

【巻6(953)。】
 
題詞  左注ニ「笠朝臣金村歌集にあるが車持朝臣千年の歌とも言われている」とある。金村にしろ千年にしろ作者は男性であるのは明白である。
原文  竿鹿之  鳴奈流山乎  越将去  日谷八君  當不相将有
和訳  さを鹿の 鳴くなる山を 越え行かむ 日だにや君が はた逢はざらむ
現代文  「大和を出て、牡鹿が鳴いているこの山を越えようとしている日なのに、それでもあなたは逢ってくれませんか」。
文意解説
歴史解説

【巻6(954)。】
 
題詞  膳王(かしはでのおほきみ)の作歌。左注に「作者不詳だが歌の内容から考えてここに登載する」とある。
原文  朝波  海邊尓安左里為  暮去者  倭部越  鴈四乏母
和訳  朝には 海辺にあさりし 夕されば 大和へ越ゆる 雁し羨しも
現代文  「日中は魚を漁り、夕方には大和へ超えていくそんな雁たちがうらやましい」。
文意解説  「朝(あした)には」は第三句の「夕されば」と対で使用されているので、「日中は」と解してよかろう。「あさりし」は「魚を漁ること」。
歴史解説

【巻6(955)。】
 
題詞  大宰小貳石川朝臣足人(だざいのせうにいしかはのあそみたるひと)の作歌。大宰小貳は太宰府次官。
原文  刺竹之  大宮人乃  家跡住  佐保能山乎者  思哉毛君
和訳  さす竹の 大宮人の 家と住む 佐保の山をば 思ふやも君
現代文  「長官どの、故郷の佐保山を思っておいででしょうか」。
文意解説  「さす竹の」を岩波大系本や伊藤本は「大宮」にかかる枕詞としている。が、別に「ももしきの」という著名な枕詞が20例もあり、すべて例外なく「大宮」にかかっている。加えて「さす竹の」は8例あるが、その半分の4例しか「大宮」にかかっていない。「ももしきの」との相違の説明もなくたんに「大宮」にかかる枕詞と言われてもとまどうばかりである。不詳なら不詳とすればいいわけで、枕詞(?)とせざるを得ない。本歌に対し、大伴旅人(太宰府長官)が次歌で応えているので、結句の「思ふやも君」の君は旅人のことである。「長官どの」というニュアンスである。第三句の「家と住む」は耳慣れない表現である。原文の「家跡住」をどう訓じたらよいかわからないが「家と住む」では奇妙である。一応「家里の」としておきたい。
歴史解説

【巻6(956)。】
 
題詞  前歌に大伴旅人が応えた歌。
原文  八隅知之  吾大王乃  御食國者  日本毛此間毛  同登曽念
和訳  やすみしし 我が大君の 食す国は 大和もここも 同じとぞ思ふ
現代文  「」。
文意解説  「やすみしし我が大君の食(を)す国は」は「大君がお治めになる国は」という意味。後半は「大和もここ筑紫も同じと思っている」ということである。
歴史解説

【巻6(957)。】
 
題詞  太宰府長官大伴旅人の作歌。「神亀5年(728年)冬十一月、大宰府の官人たちが香椎廟(かしひのみや)を参拝しての帰途、香椎浦(かしひのうら)に馬を駐めて各々が作った歌一首づつ」。957~959番歌がこの時の歌と思われる。香椎宮は福岡市東区、香椎の地に鎮座する廟で、仲哀天皇と神功皇后を祭っている。
原文  去来兒等  香椎乃滷尓  白妙之  袖左倍所沾而  朝菜採手六
和訳  いざ子ども 香椎の潟に 白栲の 袖さへ濡れて 朝菜摘みてむ
現代文  「さあ一同、ここ香椎の潟で真っ白な袖さえぬれるのもかまわず、藻を摘み取ろうではないか」。
文意解説  「いざ子ども」はすでに63番歌や280番歌に出てきたように、身内や部下を親しみをこめて呼ぶ言い方。ここでは「一同」ほどの意味。「香椎の潟」はむろん香椎浦。朝菜は藻のことだが、朝摘むので朝菜といった。
歴史解説

【巻6(958)。】
 
題詞  大貳小野老朝臣(をののおゆのあそみ)の作歌。大貳(だいに)は次官。
原文  時風  應吹成奴  香椎滷  潮干汭尓  玉藻苅而名
和訳  時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈りてな
現代文  「満潮時の風が吹く時刻が近づいてきた。潮が引いている内に玉藻を刈り終えてしまおう」。
文意解説  「時つ風」は、「時ならぬ風」と現代でも使われるが、一定の時間に吹く風。ここでは満潮時の風と考えられている。
歴史解説

【巻6(959)。】
 
題詞  豊前守(とよのみちのくちのかみ)宇努首男人(うののおびとをひと)の作歌。豊前国府は、太宰府の東方、山地を隔てた遠方にあり、道程五、六十キロではきかない。香椎宮のある香椎までは太宰府からさらに北方四十キロほどはある。豊前守なら太宰府に通う必要はないし、そもそも香椎潟など通過しない。となると、この頃宇努首男人は豊前守ではなかったことになる。勤務公所が太宰府であったか否かさえ不明である。彼は、養老4年(720年)からすでに豊前守である。大伴旅人と同行した神亀5年(728年)より8年も前である。通い慣れたというのならそれ以前の筈。いったいどういうことなのか不思議な題詞なのである。
原文  徃還  常尓我見之  香椎滷  従明日後尓波  見縁母奈思
和訳  行き帰り 常に我が見し 香椎潟 明日ゆ後には 見むよしもなし
現代文  「行きも帰りも通い慣れた香椎潟、明日からはその浦をみる機会もなくなってしまうのか」。
文意解説  「行き帰り常に我が見し香椎潟」とある。これが問題だが、後回しにして後半に移ろう。「明日ゆ後には」の「ゆ」はこれまでにも出てきたように起点を示す「ゆ」。「明日より」の意である。「見むよしもなし」は「もう見ることもなくなる」である香椎潟を前面に打ち出しているが「行き帰り常に」と詠われているように、今日まで通った勤務公所に対する惜別の情が詠われている。
歴史解説

【巻6(960)。】
 
題詞  大伴旅人の作歌。「大伴旅人が遙か彼方の吉野離宮を偲んで作った歌」。
原文  隼人乃  湍門乃磐母  年魚走  芳野之瀧<尓>  尚不及家里
和訳  隼人の 瀬戸の巌も 鮎走る 吉野の瀧に なほしかずけり
現代文  「その美しい瀬戸も鮎が走る吉野の滝の美しさには及ばない」。
文意解説  「隼人(はやひと)の瀬戸」は248番歌に「隼人の薩摩の瀬戸を雲居なす遠くも我れは今日見つるかも」と詠われている。この瀬戸は薩摩国(鹿児島県)南方の瀬戸水道のことを指しているのだが、岩にはじける白波の美しさで有名だったようだ。
歴史解説

【巻6(961)。】
 
題詞  大伴旅人の作歌。「次田温泉に宿り鶴の鳴き声を聞いて作った歌」。太宰府市の南に隣接する筑紫野市にある温泉だという。
原文  湯原尓  鳴蘆多頭者  如吾  妹尓戀哉  時不定鳴
和訳  湯の原に 鳴く葦鶴は 我がごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く
現代文  「湯の野の葦にいる鶴たちはひっきりなしに鳴いているが、私のように妻が恋しくて鳴いているのだろうか」。
文意解説  「時わかず鳴く」は「ひっきりなしに鳴いている」である。
歴史解説

【巻3(486)。】
 
題詞
原文
歴史解説

【巻3(485)。】
 
題詞
原文

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 


【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 


【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 


【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 


【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 


【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 


【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 


【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 


【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 


【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 



【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 

【巻3(485)。】
 

【巻3(486)。】
 



 雑歌(くさぐさのうた)

 泊瀬(はつせ)の朝倉の宮に天(あめ)の下しろしめしし天皇(すめらみこと)の代(みよ)


【巻1(1)。雄略天皇】
 
 天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)
原文

 篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居  師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母

和訳  籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち 
 この丘に 菜摘(つ)ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね 
 そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて 
 (あれ)こそ居(お)れ しきなべて (あ)こそ座(ま)せ 
 われこそは 告(の)らめ 家をも名をも
現代文  籠(かご)よ 美しい籠を持ち 箆(ヘラ)よ 美しい箆を手に持ち この丘で菜を摘む乙女よ 君はどこの家の娘なの? 名はなんと言うの? この、そらみつ大和の国は、すべて僕が治めているんだよ 僕こそ名乗ろう 家柄も名も
解説  万葉集の巻頭を飾るの御製歌。この歌は長歌になっている。長歌とは、5、7、5、7、5、7…と適当な長さで続けていき、最後を7、7で締める歌のことを云う。








巻1(20)。額田王(ぬかだのおおきみ)】


巻1(21)。額田王(ぬかだのおおきみ)】
 

 

巻1(24)。
 

巻1(25)。
 

巻1(26)。
 

巻1(27)。 

 


巻1(28)。


巻1(29)。


巻1(30)。
 

巻1(31)。


巻1(32)。


巻1(33)。
 

巻1(34)。


巻1(35)。
 

巻1(36)。
 

巻1(37)。


巻1(38)。


巻1(39)。


巻1(40)。 
 

巻1(41)。 
 

巻1(42)。  
 

巻1(43)。 
 

巻1(44)。
 

巻1(45)。
 

巻1(46)。
 

巻1(47)。
 

巻1(48)。
 

巻1(49)。
 

巻1(50)。


巻1(51)。
 

巻1(52)。
 

 巻1(53)。



巻1(54)。
 

巻1(55)。


巻1(56)。
 

巻1(57)。


巻1(58)。


巻1(59)。


巻1(60)。
 

巻1(61)。
 

巻1(62)。
 

巻1(63)。


巻1(64)。
 

巻1(65)。


巻1(66)。


巻1(67)。
 右の一首は、。

巻1(68)。
 

巻1(69)。
 

巻1(70)。
 

巻1(71)。
 

巻1(72)。
 

巻1(73)。
 

巻1(74)。
 

巻1(75)。
 


巻1(76)。
 

巻1(77)。


巻1(78)。
 

巻1(79)。
 

巻1(80)。


巻1(81)。


巻1(82)。
 

巻1(83)。
 

巻1(84)。






(私論.私見)