万葉集巻5

 (最新見直し2011.8.25日)

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 2011.8.28日 れんだいこ拝


【巻5】
 第5巻は、793-906まで。793-852、853-906に分かれる。第5巻は雑歌(ぞうか)だけの巻です。大伴旅人(おおとものたびと)山上憶良(やまのうえのおくら)に関わる歌が多いですね。万葉集読解55 万葉集読解56、万葉集読解57、万葉集読解58、万葉集読解59、万葉集読解60、万葉集読解61、万葉集読解62、万葉集読解63、万葉集読解64を参照する。

【巻5(793)。】
 
題詞  大宰帥(太宰府長官すなわち大伴旅人)の歌。日付は神龜五(728)年六月二十三日となっている。
原文  余能奈可波  牟奈之伎母乃等  志流等伎子  伊与余麻須万須  加奈之可利家理
和訳  世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり
現代文
 「世の中は空しく悲しい」。
文意解説
 この793番歌から巻5の開始である。巻4の相聞歌から一転して雑歌となる。凶事が重なってそれを悲しんで詠った歌である。どのような凶事なのか具体的には記されていないので不明であるが、その最大の凶事は妻大伴郎女(おほとものいらつめ)の死去にあることは間違いない。そのまますんなり歌意が伝わってくる平明な歌である。
歴史解説

【巻5(794)。】
 
題詞  「日本挽歌一首 」。
原文 盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来 二鼠競走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖 偕老違於要期獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉 愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来猒離此穢土 本願託生彼浄刹
大王能   等保乃朝庭等  斯良農比 筑紫國尓    泣子那須  斯多比枳摩斯提 伊企陁尓母 伊摩陁夜周米受 年月母   伊摩他阿良祢婆 許〃呂由母 於母波奴阿比陁尓 宇知那毘枳 許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓 石木乎母  刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎 宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可 尓保鳥能  布多利那良毘為 加多良比斯 許〃呂曽牟企弖 伊弊社可利伊摩須
和訳 おほきみの とほのみかどと しらぬひ つくしのくにに なくこなす したひきまして いきだにも いまだやすめず としつきも いまだあらねば こころゆも おもはぬあひだに うちなびき こやしぬれ いはむすべ せむすべしらに いはきをも とひさけしらず いへならば かたちはあらむを うらめしき いものみことの あれをばも いかにせよとか にほどりの ふたりならびゐ かたらひし こころそむきて いへざかりいます
現代文  「」。
文意解説  長歌。妻を亡くした旅人が悲嘆にくれた様子が詠い込まれている。
歴史解説

【巻5(795)。】
 
題詞  794番歌を踏まえた歌である。
原文  伊弊尓由伎弖  伊可尓可阿我世武  摩久良豆久  都摩夜左夫斯久  於母保由倍斯母
和訳  家に行きて いかにか我がせむ 枕付く 妻屋寂しく 思ほゆべしも
現代文  「家に帰ってもどうしたらよかろう。妻のいない今寂しいばかりである」。
文意解説  「」。
歴史解説

【巻5(796)。】
 
題詞
原文  伴之伎与之  加久乃未可良尓  之多比己之  伊毛我己許呂乃  須別毛須別那左
和訳  はしきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の すべもすべなさ
現代文  「」。
文意解説
 「はしきよし」は全部で11例あり、長歌8例、短歌は本歌を含めて3例のみである。本歌のように冒頭に登場する例は4498番歌「はしきよし今日の主人は礒松の常にいまさね今も見るごと」である。「はしきよし」の「はしき」は「愛しき」であり、感嘆符ととってもいいが、もう少し幅を広げて「いとしい」とか「お慕わしい」と解した方がいいときもある。「かくのみからに」は470番歌に「かくのみにありけるものを妹も我れも千年のごとく頼みたりけり」とあるように、「こんな定めになるとも知らず」であり、「慕ひ来し妹が心の」は「ここ太宰府まで付いてきてくれた妻の心を思うと」であり、結句に続く。どうしようもない無念さを詠った歌である。
歴史解説

【巻5(797)。】
 
題詞
原文  久夜斯可母  可久斯良摩世婆  阿乎尓与斯  久奴知許等其等  美世摩斯母乃乎
和訳  悔しかも かく知らませば あをによし 国内ことごと 見せましものを
現代文  「ああ、こんなことになるんだったら故郷の大和をことごとく見せておくんだったのに」。
文意解説  第三句の「あをによし」は普通は奈良(平城京)を表す枕詞。が、奈良と表記しないで「国内(くぬち)」と表記している。これを「筑紫国内」と解することも可能である。が、それなら「しらぬひ」と表記するのが自然。そこで故郷の大和と解するのが自然だろうと思う。旅人の惻々たる心情が伝わってくる。
歴史解説

【巻5(798)。】
 
題詞
原文  伊毛何美斯  阿布知乃波那波  知利奴倍斯  和何那久那美多  伊摩陀飛那久尓
和訳  妹が見し 楝(おうち)の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに
現代文  「妻が愛した栴檀の花が散らんとしている。亡くなって間がなく涙がとまらないと云うのに」。
文意解説
 「楝(おうち)の花」は栴檀(センダン)のことという。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀である。「妹(いも)が見し」は「妻が見た」という意だが、各自色々に受け取って差し支えなかろう。たとえば「妻が愛した」ととってもいいし「妻と共に愛でた」ととってもよかろう。むろん、妻の象徴ととってもよかろう。いずれにしろ庭に植えられていた栴檀の花。頃は旧暦6月、現行暦なら7月、夏の真っ盛り。栴檀の花が散り始める季節である。
歴史解説

【巻5(799)。】
 
題詞
原文  大野山  紀利多知和多流  和何那宜久  於伎蘇乃可是尓  紀利多知和多流
和訳  大野山 霧立ちわたる 我が嘆く おきその風に 霧立ちわたる
現代文  「」。
文意解説  大野山は太宰府の背後の山で、そこに旅人の妻は埋葬されたという。「おきそ」は息吹のことという。「霧立ちわたる」が繰り返されており、霧に消えてゆく亡き妻への悲しみがよく表れている。
歴史解説

【巻5(800)。】
 
題詞  「令反或情歌一首 并序 」。「或有人 知敬父母忘於侍養 不顧妻子軽於脱屣 自稱倍俗先生 意氣雖揚青雲之上 身體猶在塵俗之中 未驗修行得道之聖 盖是亡命山澤之民 所以指示三綱更開五教 遺之以歌令反其或 歌曰 」。800番歌~805番歌まで短歌のほかに、長歌あり、序文あり、経文めいた文言ありとすんなりと分かりにくい。筑前國守(つくしのみちのくのくにのかみ)山上憶良(やまのうへのおくら)が旅人に奉った歌。日付は神龜五年(728年)七月廿一日。この時山上憶良は69歳だという。年齢を掲げたのはほかでもない。この中に彼の代表作とされる「銀も金も~」という有名歌が入っているからである。旅人の妻の死後百日ほど経て行われた追善供養用に詠われたものらしく、要は旅人に、いつまでもうじうじして子を放置していないで元気を出しなさいと励ます歌である。
原文 父母乎   美礼婆多布斗斯 妻子美礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母智騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周   許能提羅周 日月能斯多波  阿麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦
和訳 ちちははを みればたふとし めこみれば めぐしうつくし よのなかは かくぞことわり もちどりの かからはしもよ ゆくへしらねば うけぐつを ぬきつるごとく ふみぬきて ゆくちふひとは いはきより なりでしひとか ながなのらさね あめへゆかば ながまにまに つちならば おほきみいます このてらす ひつきのしたは あまくもの むかぶすきはみ たにぐくの さわたるきはみ きこしをす くにのまほらぞ かにかくに ほしきまにまに しかにはあらじか 05 0801 反歌
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻5(801)。】
 
題詞  短歌はこの歌から。
原文  比佐迦多能  阿麻遅波等保斯  奈保<々々>尓  伊弊尓可弊利提  奈利乎斯麻佐尓
和訳  ひさかたの 天道は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)を為(し)まさに
現代文  「すなおに家にお帰りになってお子さんの面倒をも含めた家事にいそしんで下さい」。
文意解説  「ひさかたの」は枕詞。「天道(あまぢ)は遠し」は天国への道だが、ここでは旅人が妻を追って旅立とうとする気配を歌に込めている。
歴史解説

【巻5(802)。】
 
題詞  「思子等歌一首 并序」。「釋迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 况乎世間蒼生誰不愛子乎 」。
原文 宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
和訳 うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしぬはゆ いづくより きたりしものぞ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻5(803)。】
 
題詞  本歌は山上憶良の歌といえば真っ先に思い浮かぶほど有名な代表作である。
原文  銀母金母玉母  奈尓世武尓  麻佐礼留多可良  古尓斯迦米夜母
和訳  銀も金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも
現代文  「」。
文意解説  上二句の訓みを示しておくと「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も」である。「子にしかめやも」の「子」は、本歌を詠んだ時の山上憶良の69歳であるからして山上憶良の子と解するよりも一般的な「子」として解するべきだろう。一種の説教歌であることが分かる。
歴史解説

【巻5(804)。】
 
題詞  「哀世間難住歌一首 并序」。「易集難排八大辛苦 難遂易盡百年賞樂 古人所歎今亦及之 所以因作一章之歌 以撥二毛之歎 其歌曰 」。
原文 世間能   周弊奈伎物能波 年月波   奈何流〃其等斯 等利都〃伎 意比久留母能波 毛〃久佐尓 勢米余利伎多流 遠等咩良何 遠等咩佐備周等 可羅多麻乎 多母等尓麻可志 或有此句云 之路多倍乃   袖布利可伴之  久礼奈為乃 阿可毛須蘇毘伎 余知古良等 手多豆佐波利提 阿蘇比家武 等伎能佐迦利乎 等〃尾迦祢 周具斯野利都礼 美奈乃和多 迦具漏伎可美尓 伊都乃麻可 斯毛乃布利家武 久礼奈為能 一云 尓能保奈須 意母提乃宇倍尓 伊豆久由可 斯和何伎多利斯 一云 都祢奈利之 恵麻比麻欲毘伎 散久伴奈能 宇都呂比尓家利 余乃奈可伴 可久乃未奈良之 麻周羅遠乃 遠刀古佐備周等 都流伎多智 許志尓刀利波枳 佐都由美乎 多尓伎利物知提 阿迦胡麻尓 志都久良宇知意伎 波比能利提 阿蘇比阿留伎斯 余乃奈迦野 都祢尓阿利家留 遠等咩良何 佐那周伊多斗乎 意斯比良伎 伊多度利与利提 麻多麻提乃 多麻提佐斯迦閇 佐祢斯欲能 伊久陁母阿羅祢婆 多都可豆恵 許志尓多何祢提 可由既婆 比等尓伊等波延 可久由既婆 比等尓邇久麻延 意余斯遠波 迦久能尾奈良志 多麻枳波流 伊能知遠志家騰 世武周弊母奈斯
和訳 よのなかの すべなきものは としつきは ながるるごとし とりつつき おひくるものは ももくさに せめよりきたる をとめらが をとめさびすと からたまを たもとにまかし       しろたへの   そでふりかはし くれなゐの あかもすそびき よちこらと てたづさはりて あそびけむ ときのさかりを とどみかね すぐしやりつれ みなのわた かぐろきかみに いつのまか しものふりけむ くれなゐの    にのほなす おもてのうへに いづくゆか しわがきたりし    つねなりし ゑまひまよびき さくはなの うつろひにけり よのなかは かくのみならし ますらをの をとこさびすと つるぎたち こしにとりはき さつゆみを たにぎりもちて あかごまに しつくらうちおき はひのりて あそびあるきし よのなかや つねにありける をとめらが さなすいたとを おしひらき いたどりよりて またまでの たまでさしかへ さねしよの いくだもあらねば たつかづゑ こしにたがねて かゆけば ひとにいとはえ かくゆけば ひとににくまえ およしをは かくのみならし たまきはる いのちをしけど せむすべもなし
現代文  「」。
文意解説
 長歌。
歴史解説

【巻5(805)。】
 
題詞  804番長歌を受けての歌。
原文  等伎波奈周  <迦>久斯母何母等  意母閇騰母  余能許等奈礼婆  等登尾可祢都母
和訳  常磐なす かくしもがもと 思へども 世の事なれば 留みかねつも
現代文  「不変でありたいと思っても時の流れは留めがたい。時の流れはとどめようがなく、娘盛りや男盛りがいつまでも続くと思っているといつの間にか老いさらばえてしまう」。
文意解説  「常磐(ときは)なす」は永遠に不変のように見える大きな岩のことである。
歴史解説

【巻5(806)。】
 
題詞  本歌と次歌の二首は大伴旅人の歌。
原文  多都能馬母  伊麻勿愛弖之可  阿遠尓与志  奈良乃美夜古尓  由吉帝己牟丹米
和訳  龍の馬も 今も得てしか あをによし 奈良の都に 行(ゆ)きて来むため
現代文  「今すぐにでも竜の背にまたがり、あの故郷の奈良の都にすっとんでいきたい」。
文意解説  「龍の馬も今も得てしか」は「今すぐにでも竜の背にまたがり」。
歴史解説

【巻5(807)。】
 
題詞  作者名は記されておらず不詳。
原文  宇豆都仁波  安布余志勿奈子  奴婆多麻能  用流能伊昧仁越  都伎提美延許曽
和訳  うつつには 逢ふよしもなし ぬばたまの 夜の夢にを 継ぎて見えこそ
現代文  「現実にはお逢いする術はありませんが、せめて夢の中ででもお逢いしたいものです」。
文意解説  「うつつには」は「現実には」である。前歌といい、本歌といい、むしょうに奈良の誰かに逢いたがっている様子がうかがえる。
歴史解説

【巻5(808)。】
 
題詞  本歌と次歌は旅人に応えた歌。
原文  多都乃麻乎  阿礼波毛等米牟  阿遠尓与志  奈良乃美夜古邇  許牟比等乃多仁
和訳  龍の馬を 我れは求めむ あをによし 奈良の都に 来む人のたに
現代文  「奈良の都にすっ飛んで来るお方のために竜の馬がほしゅうございます」。
文意解説  末尾の「たに」は「ために」。
歴史解説

【巻5(809)。】
 
題詞
原文  多陀尓阿波須  阿良久毛於保久  志岐多閇乃  麻久良佐良受提  伊米尓之美延牟
和訳  直に逢はず あらくも多く 敷栲の 枕去らずて 夢にし見えむ
現代文  「直接お逢い出来ない日々が重なってしまいました。真っ白な床に置いた枕元を去らずにあなた様を夢に見ていましょう」。
文意解説  「直(ただ)に逢はず」は「直接お逢い出来ない日々」である。「あらくも多く」は「そうしたことが多く」である。「敷栲(しきたへ)の枕」は「真っ白な床に置いた枕」である。
歴史解説

【巻5(810)。】
 
題詞  大伴旅人が藤原房前(ふじはらのふさざき)に贈った歌。本歌には房前に宛てた書状が付いていて、贈歌に至る次第が述べられている。その内容は大略次のとおりである。書状の日付は天平元年(729年)十月七日。「お贈りします琴は対馬の高山から伐り出された木から作られたものです。その琴が乙女になって夢に現れて申しますには、「貧弱な音ですが徳の高いお方のお側に置かれとうございます」と・・・」。本歌は琴に成り代わって詠われているわけで、声は琴の音、枕は弾く人の膝の上を意味していることが分かる。
原文  伊可尓安良武  日能等伎尓可母  許恵之良武  比等能比射乃倍  和我麻久良可武
和訳  いかにあらむ 日の時にかも 声知らむ 人の膝の上 我が枕かむ
現代文  「どんな日の何時、私は弾いたことのない人の膝の上でつま弾かれることでしょう。大切な人の膝の上に置かれて大切にされる日がくることを願っています」。
文意解説
 
歴史解説

【巻5(811)。】
 
題詞  前歌に続いて本歌も琴に成り代わって詠われている歌である。
原文  許等々波奴  樹尓波安里等母  宇流波之吉  伎美我手奈礼能  許等尓之安流倍志
和訳  言とはぬ 木にはありとも うるはしき 君が手馴れの 琴にしあるべし
現代文  「私はもの言わぬ琴ですが、あなた様のような立派な方の愛用の琴になりたいと願っています」。
文意解説  「言(こと)とはぬ」はいうまでもなく「もの言わぬ」の意。「うるはしき」は「立派な」である。前歌ともども夢の中に現れた乙女の願いを具現化したもので、その歌を耳にして乙女(琴)が大変喜んだ、と大伴旅人は書状にしたためている。
歴史解説

【巻5(812)。】
 
題詞  琴を贈られた房前は旅人に丁重な返書を返し、本歌を旅人の元へ贈っている。返書の日付は天平元年(729年)十一月八日。
原文  許等騰波奴  紀尓茂安理等毛  和何世古我  多那礼之美巨騰  都地尓意加米移母
和訳  言とはぬ 木にもありとも 我が背子が 手馴れの御琴 地に置かめやも
現代文  「もの言わぬ琴でありましても貴下が大切にされていたお琴、誰が粗末にいたしましょうぞ」。
文意解説  「手馴(たな)れの御琴(みこと)」は「大切になさっていた琴」のこと。「地に置かめやも」は現代でも大切な子や孫の形容に使われる言い方で、「大切に大切にいたします」という意味の表現である。
歴史解説

【巻5(813)。】
 
題詞  「筑前國怡土郡深江村子負原 臨海丘上有二石 大者長一尺二寸六分 圍一尺八寸六分 重十八斤五兩 小者長一尺一寸 圍一尺八寸 重十六斤十兩 並皆堕圓状如鷄子 其美好者不可勝論 所謂俓尺璧是也 或云 此二石者肥前國彼杵郡平敷之石 當占而取之 去深江驛家二十許里 近在路頭 公私徃来 莫不下馬跪拜 古老相傳曰 徃者息長足日女命征討新羅國之時 用玆兩石挿著御袖之中以為鎮懐 實是御裳中矣 所以行人敬拜此石 乃作歌曰 」。詳細な前文が付されている。この前文や長歌は長たらしく、全容を紹介する必要はあるまい。
原文 可既麻久波 阿夜尓可斯故斯 多良志比咩 可尾能弥許等 可良久尓遠 武氣多比良宜弖 弥許〃呂遠 斯豆迷多麻布等 伊刀良斯弖 伊波比多麻比斯 麻多麻奈須 布多都能伊斯乎 世人尓   斯咩斯多麻比弖 余呂豆余尓 伊比都具可祢等 和多能曽許 意枳都布可延乃 宇奈可美乃 故布乃波良尓 美弖豆可良 意可志多麻比弖 可武奈何良 可武佐備伊麻須 久志美多麻 伊麻能遠都豆尓 多布刀伎呂可儛
和訳 かけまくは あやにかしこし たらしひめ かみのみこと からくにを むけたひらげて みこころを しづめたまふと いとらして いはひたまひし またまなす ふたつのいしを よのひとに しめしたまひて よろづよに いひつぐがねと わたのそこ おきつふかえの うなかみの こふのはらに みてづから おかしたまひて かむながら かむさびいます くしみたま いまのをつつに たふときろかむ 05 0814 阿米都知能 等母尓比佐斯久 伊比都夏等 許能久斯美多麻 志可志家良斯母
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻5(814)。】
 
題詞  本歌の作者は不明である。ただし巻五には冒頭部に目録が用意されていて、そこには山上憶良作とある。次歌から32首に渡ってえんえんと梅の歌が続く。本歌はこれ単独では何を歌にしているのかさっぱり分からない。前文の要約はこうである。「筑前國怡土郡深江村の海を望む子負原(こふのはら)の丘に重さ10キロほどの丸い石が二つある。この石はその昔、神功皇后が着物の中にi抱いた石と言い伝えられている石で、ここを通りかかる人々は手を合わせて拝む」。次に長歌。概略以下のとおり。 「二つの石は、神功皇后自らがここ子負原の丘にお置きになったもので、大変神々しく霊妙な石である」。
原文  阿米都知能  等母尓比佐斯久  伊比都夏等  許能久斯美多麻  志可志家良斯母
和訳  天地の ともに久しく 言ひ継げと この奇し御魂 敷かしけらしも
現代文  「末永く語り継がれるようにとの霊妙な霊石をここに置いておきませう」。
文意解説  「天地(あめつち)のともに久しく言ひ継げと」は「末永く語り継がれるようにと」という意味である。「この奇(くす)し御魂(みたま)」は「この霊妙な霊石」の意。「敷(し)かしけらしも」は「お置きになった」の意。この歌は「この二つの石は末永く語り継がれるようにと、神功皇后自らがここにお置きになったものである」という意味の歌ということが分かる。
歴史解説  神功皇后は記紀に記されている数々の人物中、突出した存在感を持つ有名人物である。名は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)(紀)。急死した十四代仲哀天皇の皇后である。69年という長期間政権の座にあった。当時は二倍年暦の時代と見ていいのでそれを勘案すれば35年間政権の座にあったことになる。神功皇后を有名たらしめている第一は、朝鮮半島に渡って新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)、百済(くだら)三国を征伐したという、いわゆる三韓征伐を行ったとされる点である。第二は、今日なお全国各地に大きく広がる八幡神社の祭神、応神天皇のご生母という点である。そして、第三は本歌に詠み込まれている石に関連した伝説である。神功皇后は朝鮮半島に渡る際、身重の身であったとされており、その身を冷やすために、お腹に石を巻いたとされている。

【巻5(815)。】
 
題詞  本歌~846番歌の32首は梅花歌と記されている。序文には大略次のように記されている。「天平二年(730年)正月十三日、一同太宰府師(長官)大伴旅人宅に集って宴会を催した。初春を迎えて、空気は澄み風はやわらかにそよぐ佳き日である。梅花はほころび蝶も舞い始め、山には雲がかかっている。この庭に集まって一同大いに初春を満喫し、梅花を愛でて歌作を楽しもうではないか」。序文の作者は大伴旅人と推定されている。32首の巻頭を飾るのが本歌で、作者は大貳紀卿(だいにのきのまへつきみ)。大貳は太宰府次官だが経歴未詳の人物である。
原文  武都紀多知  波流能吉多良婆  可久斯許曽  烏梅乎乎岐都々  多努之岐乎倍米
和訳  正月立ち 春の来らば かくしこそ 梅を招きつつ 楽しき終へめ
現代文  「春がやってきた。こうして梅花を愛でつつ楽しいひとときとしましょうぞ」。
文意解説
 結句「楽しき終へめ」の原文は「多努之岐乎倍米」。なので「楽しきを経め」とも訓める。意味に差異が生じるわけではなく、どちらの訓みが適切かは分からない。
歴史解説

【巻5(816)。】
 
題詞  作者は少貳小野大夫(せうにをののまへつきみ)。少貳は大貳の補佐官。
原文  烏梅能波奈  伊麻佐家留期等  知利須義受  和我覇能曽能尓  阿利己世奴加毛
和訳  梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず 我が家の園に ありこせぬかも
現代文  「げんに咲いているこの美しい梅の花がこのまま散らないでいてくれたらなあ」。
文意解説  「散り過ぎず」は「散っていかないで」。「我が家の園に」は「われら一同のこの庭園に」の意。「ありこせぬかも」は「であってくれたらいいのに」である。
歴史解説

【巻5(817)。】
 
題詞  作者は少貳粟田大夫(せうにあはたのまへつきみ)。大貳の補佐官。
原文  烏梅能波奈  佐吉多流僧能々  阿遠也疑波  可豆良尓須倍久  奈利尓家良受夜
和訳  梅の花 咲きたる園の 青柳は 蘰(かづら)にすべく なりにけらずや (少貳粟田大夫)
現代文  「梅もすばらしいし、青柳もすばらしい」。
文意解説  ここにいう青柳は枝垂れ柳のことで、それを巻いて蘰(かづら)(髪飾り)にしたいほど美しいこと。
歴史解説

【巻5(818)。】
 
題詞  作者は筑前守山上大夫(つくしのみちのくちのかみやまのうへのまへつきみ)。いわゆる山上憶良のこと。
原文  波流佐礼婆  麻豆佐久耶登能  烏梅能波奈  比等利美都々夜  波流比久良佐武
和訳  春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ
現代文  「春が来ると真っ先に庭に梅の花が咲きます。この豪勢な梅の庭を独り占めにしてよいものでせうか」。
文意解説  「春されば」は「春が来ると」。「やど」は464番歌に「妹が植ゑしやどのなでしこ」とあるように庭を指すことが多い。ここの「やど」は大伴旅人の庭と考えられる。第三句までは「春が来ると真っ先に庭に咲く梅の花」という意味である。問題は下二句。「独り見つつや春日暮らさむ」とは何のことであろう。ここは一同が集まって梅花を愛でている宴会の場。「独り見つつや」が唐突で違和感がある。そこで、つまり「独り見つつや春日暮らさむ」は反語表現であることが分かる。あるいは「独り占めして暮らしてみたいものよ」と解してもよい。要するに大伴旅人の庭の梅への賛歌であり、みんなで愛でる喜びを詠っている。
歴史解説

【巻5(819)。】
 
題詞  作者は豊後守大伴大夫(とよのみちのしりのかみおほとものまへつきみ)。旅人の従兄弟の三依(みより)のことである。
原文  余能奈可波  古飛斯宜志恵夜  加久之阿良婆  烏梅能波奈尓母  奈良麻之勿能怨
和訳  世の中は 恋繁しゑや かくしあらば 梅の花にも ならましものを
現代文  「各々方もしきりに花を愛でておられますな。私めも梅の花になりとうございます」。
文意解説  「恋繁しゑや」は人間の女性に対する恋のことではない。各々がため息をついて愛でている梅の花を指している。冒頭に「世の中は」とあるが人々がいっせいに梅花に注目する様子を擬人的に表現したとみていい。「ゑや」は「おう」とか「ああ」といった類の感嘆詞。したがって、あたかも人間の女性に対する恋情かのごとく解している各書の解は疑問なしとしない。
歴史解説

【巻5(820)。】
 
題詞  作者は[筑後守葛井大夫(つくしのみちのしりのかみふぢゐのまへつきみ)。
原文  烏梅能波奈  伊麻佐可利奈理  意母布度知  加射之尓斯弖奈  伊麻佐可利奈理
和訳  梅の花 今盛りなり 思ふどち かざしにしてな 今盛りなり 
現代文  「梅の花今ぞ真っ盛り、気に入った小枝をかざしにしようぞ」。
文意解説  「思ふどち」は「気に入った梅の小枝」のこと。「かざしにしてな」は「髪飾りにしようぞ」である。「今盛りなり」の繰り返しによって咲き誇る梅花の様子が強調されている。
歴史解説

【巻5(821)。】
 
題詞  作者は笠沙弥(かさのさみ)。出家した沙弥満誓(さみまんせい)のこと。336番歌、351番歌、391番歌等いくつかの作例がある。
原文  阿乎夜奈義  烏梅等能波奈乎  遠理可射之  能弥弖能々知波  知利奴得母與斯]
和訳  青柳 梅との花を 折りかざし 飲みての後は 散りぬともよし 
現代文  「青柳と梅の花とを折って髪に差し、酒を飲んだ後ならば散ってもよしとしなくっちゃあ。それまでは散らないでほしい」。
文意解説
 「青柳梅との花を」は本来「青柳と梅の花とを」となるところ。岩波大系本は「文法的には破格の表現」としている。むろん意味に差があるわけではない。読解には817番歌が参考になる。
歴史解説

【巻5(822)。】
 
題詞  作者は主人(あるじ)、すなわち大伴旅人である。
原文  和何則能尓  宇米能波奈知流 比佐可多能  阿米欲里由吉能  那何列久流加母
和訳  我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも 
現代文
文意解説  結句の「流れ来るかも」は「流れて来るのだろうか」という意味で、この結句によって実際に雪が降っているのではなく、散ってくる梅花のことを指していることが分かる。白梅を雪に見立てた美しい光景である。
歴史解説

【巻5(823)。】
 
題詞  作者は大監伴氏百代(だいげんばんじのももよ)。大監は訴訟を司る官。
原文  烏梅能波奈  知良久波伊豆久  志可須我尓  許能紀能夜麻尓  由企波布理都々
和訳  梅の花 散らくはいづく しかすがに この城の山に 雪は降りつつ
現代文  「白梅が散っているか否かは分かりませんが、それ、そこの大野山には雪が降っておりますね」。
文意解説  「この城の山」は799番歌にも詠われている大野山のことで、太宰府の背後の山。「梅の花散らくはいづく」は「梅の花はどこで散っているのでしょう」である。「しかすがに」は「それはそれとして」。前歌は白梅を雪に、そして本歌は雪を白梅に見立てて詠んでいる。両歌あいまって白梅と白雪の美しいハーモニーが奏でられている。
歴史解説

【巻5(824)。】
 
題詞  作者は小監阿氏奥嶋(せうげんあじのおきしま)。小監は大監の補佐役。
原文  烏梅乃波奈  知良麻久怨之美  和我曽乃々  多氣乃波也之尓  于具比須奈久母
和訳  梅の花 散らまく惜しみ 我が園の 竹の林に 鴬(うぐいす)鳴くも 
現代文  「梅が散るのを惜しんで私の園の竹林のウグイスまで鳴いています」。
文意解説  「梅の花散らまく惜しみ」は「梅の花が散っていくのを惜しんで」である。
歴史解説

【巻5(825)。】
 
題詞  作者は小監土氏百村(せうげんとじのももむら)。小監は大監の補佐役。
原文  烏梅能波奈  佐岐多流曽能々  阿遠夜疑遠  加豆良尓志都々  阿素i久良佐奈
和訳  梅の花 咲きたる園の 青柳を 蘰にしつつ 遊び暮らさな 
現代文  「青柳を髪飾りにして、終日のんびりと梅の花を愛でていたいものです」。
文意解説  青柳は817番歌の項にも記したように枝垂れ柳のことで、それを巻いて蘰(かづら)(髪飾り)にする。
歴史解説

【巻5(826)。】
 
題詞  作者は大典史氏大原(だいてんしじのおほはら)。大典は文書担当官。
原文  有知奈i久  波流能也奈宜等  和我夜度能  烏梅能波奈等遠  伊可尓可和可武
和訳  うち靡く 春の柳と 我がやどの 梅の花とを いかにか分かむ
現代文  「青柳も梅の花も風情があって、甲乙つけがたい」。
文意解説  「我がやど」はもう注釈するまでもなく、「我らが庭」。つまり目前に見ている旅人の家の庭」のこと。
歴史解説

【巻5(827)。】
 
題詞  作者は小典山氏若麻呂(せうてんさんじのわかまろ)。小典は大典の補佐役。
原文  波流佐礼婆  許奴礼我久利弖  宇具比須曽  奈岐弖伊奴奈流  烏梅我志豆延尓
和訳  春されば 木末隠りて 鴬ぞ 鳴きて去ぬなる 梅が下枝に 
現代文  「春が来て梢に隠れていたウグイスが鳴いて下枝(しずえ)に飛び移った」。
文意解説
 
歴史解説

【巻5(828)。】
 
題詞  作者は大判事丹氏麻呂(だいはんじたんじのまろ)。大判事は司法官。
原文  比等期等尓  乎理加射之都々  阿蘇倍等母  伊夜米豆良之岐  烏梅能波奈加母
和訳  人ごとに 折りかざしつつ 遊べども いやめづらしき 梅の花かも
現代文  「人それぞれに小枝を折ってかざして楽しんでいるが、梅の花は本当にいい」。
文意解説  第四句目の「めづらしき」は「愛づらしき」で、「愛すべき」という意味。
歴史解説

【巻5(829)。】
 
題詞  作者は藥師張氏福子(くすしちやうじのふくじ)。藥師は現代の医師。
原文  烏梅能波奈  佐企弖知理奈波  佐久良<婆那>  都伎弖佐久倍久  奈利尓弖阿良受也
和訳  梅の花 咲きて散りなば 桜花 継ぎて咲くべく なりにてあらずや
現代文  「梅の花が散っても引き続いて桜花が咲き誇るでしょうね」。
文意解説
 「散りなば」は「散っても」。
歴史解説

【巻5(830)。】
 
題詞  作者は筑前介佐氏子首(つくしのみちのくちのすけさじのこおびと)。筑前国次官。長官(筑前守)は山上憶良。
原文  萬世尓  得之波岐布得母  烏梅能波奈  多由流己等奈久  佐吉和多留倍子
和訳  万代に 年は来経とも 梅の花 絶ゆることなく 咲きわたるべし
現代文  「この園の梅の花は繰り返し咲き続けるだろう」。
文意解説  「万代(よろづよ)に年は来経(きふ)とも」は「永遠に年(季節)は繰り返されるだろうとも」の意である。
歴史解説

【巻5(831)。】
 
題詞  作者は壹岐守板氏安麻呂(いきのかみはんじのやすまろ)。
原文  波流奈例婆  宇倍母佐枳多流  烏梅能波奈  岐美乎於母布得  用伊母祢奈久尓
和訳  春なれば うべも咲きたる 梅の花 君を思ふと 夜寐も寝なくに
現代文  「(壱岐ではまだ咲いていないので)咲き誇る梅を想像して夜も寝られないほどでした」。
文意解説  「うべ」は「もっとも、当然」の意。なので「春なればうべも咲きたる梅の花」は「春が来て梅の花が咲き誇るのはごもっとも」という意になる。下一句目の「君を思ふと」の「君」はむろん咲き誇る梅の花のこと。
歴史解説

【巻5(832)。】
 
題詞  作者は神司荒氏稲布(かみづかさこうしのいなしき)。神司は神事官。
原文  烏梅能波奈  乎利弖加射世留  母呂比得波  家布能阿比太波  多努斯久阿流倍斯
和訳  梅の花 折りてかざせる 諸人は 今日の間は 楽しくあるべし 
現代文  「きょう一日は何もかも忘れて楽しもうではありませんか」。
文意解説  「梅の花折りてかざせる諸人(もろびと)は」は「梅の小枝を折ってかざしてはしゃぐわれら一同」である。太宰府管轄下の官人たちが長官大伴旅人の園に一同に会し、はしゃぎまわる姿が目に見えるようである。
歴史解説

【巻5(833)。】
 
題詞  作者は大令史野氏宿奈麻呂(だいりゃうしやしのすくなまろ)。大令史は判事書記。
原文  得志能波尓  波流能伎多良婆  可久斯己曽  烏梅乎加射之弖  多<努>志久能麻米
和訳  年のはに 春の来らば かくしこそ 梅をかざして 楽しく飲まめ
現代文  「春が来たのですからこうして梅をかざして大いに飲もうではありませんか」。
文意解説  「年のは」は「年の変わり目」。当時の正月(旧暦)。
歴史解説

【巻5(834)。】
 
題詞  作者は小令史田氏肥人(せうりゃうしでんじのこまひと)。大令史補佐役。
原文  烏梅能波奈  伊麻佐加利奈利  毛々等利能  己恵能古保志枳  波流岐多流良斯
和訳  梅の花 今盛りなり 百鳥の 声の恋しき 春来るらし
現代文  「様々な鳥のさえずりが聞こえる。ああ春が来たんだなあ」。
文意解説  「今盛りなり」は820番歌にも繰り返し使われていて、春がやってきた喜びを爆発させている。「梅の花今盛りなり」に春の喜びがあふれている。
歴史解説

【巻5(835)。】
 
題詞  作者は藥師高氏義通(くすしかうじのよしみち)。藥師は現代の医師。
原文  波流佐良婆  阿波武等母比之  烏梅能波奈  家布能阿素i尓  阿比美都流可母
和訳  春さらば 逢はむと思ひし 梅の花 今日の遊びに 相見つるかも
現代文  「春になったら見られると思っていた梅の花、きょうこうして一同ともども見られてうれしい」。
文意解説
 「春さらば」は「春になったら」の意。
歴史解説

【巻5(836)。】
 
題詞  作者は陰陽師礒氏法麻呂(おんやうしぎしののりまろ)。陰陽師は占い師。
原文  烏梅能波奈  多乎利加射志弖  阿蘇倍等母  阿岐太良奴比波  家布尓志阿利家利
和訳  梅の花 手折りかざして 遊べども 飽き足らぬ日は 今日にしありけり 
現代文  「梅をかざしていくらはしゃいでもはしゃぎきれない日とは、きょうこの日のことなんですよね」。
文意解説
 「遊べども」は「はしゃいでも」である。
歴史解説

【巻5(837)。】
 
題詞  作者は笇師志氏大道(さんしししのおほみち)。笇師は計算担当。
原文  波流能努尓  奈久夜汙隅比須  奈都氣牟得  和何弊能曽能尓  汙米何波奈佐久
和訳  春の野に 鳴くや鴬 なつけむと 我が家の園に 梅が花咲く (笇師志氏大道)
現代文  「我らが園はウグイスが寄ってくるほど梅がまっさかり」。
文意解説  第三句の「なつけむと」は字面からは岩波大系本や伊藤本のように「なつける」とか「手なずける」のような意味にとれる。が、ウグイスは自然に寄ってくるのであるから、中西本のように「よび寄せようと」と解するのが適切かつ自然。梅を「汙米」と表記しているが、大部分は「烏梅」と表記しているので珍しい例である。
歴史解説

【巻5(838)。】
 
題詞  作者は大隅目榎氏鉢麻呂おほすみもくかしのはちまろ)。大隅目は大隅国(鹿児島県)の主典(さかん)。古代地方官制では各国に国司が敷かれ、官職には守(かみ、長官)、介(すけ、次官)、掾(じょう、判官)、目(さかん、主典)の四等官が置かれるのが一般だった。
原文  烏梅能波奈  知利麻我比多流  乎加肥尓波  宇具比須奈久母  波流加多麻氣弖
和訳  梅の花 散り乱ひたる 岡びには 鴬鳴くも 春かたまけて 
現代文
文意解説  本歌は用語の意味さえ把握すれば歌意は簡明。「散り乱(まが)ひたる」は「散り乱れる」、「岡び」は「岡辺」。「春かたまけて」は「春がやってきて」の意である。散り乱れる梅の花とウグイス。絵のような光景だ。
歴史解説

【巻5(839)。】
 
題詞  作者は筑前目田氏真上(つくしのみちのくちのもくでんじのまかみ)。目は838番歌出。
原文  波流能努尓  紀理多知和多利  布流由岐得  比得能美流麻提  烏梅能波奈知流
和訳  春の野に 霧立ちわたり 降る雪と 人の見るまで 梅の花散る 
現代文  「春の野に霧が立ちこめてきて、真っ白な雪が降り注いできたかとみまちがうほど白梅が降り注いでいる」。
文意解説  「降る雪と人の見るまで」は「降っている雪と見間違うほどに」という意味である。前歌といい本歌といい、詩情豊かな見事な詠いっぷりである。
歴史解説

【巻5(840)。】
 
題詞  作者は壹岐目村氏彼方(いきのもくそんじのをちかた)。
原文  流波(波流か?)楊那宜  可豆良尓乎利志  烏梅能波奈  多礼可有可倍志  佐加豆岐能倍尓
和訳  春柳 かづらに折りし 梅の花 誰れか浮かべし 酒坏(さかまき)の上に 
現代文  「」。
文意解説  春柳は、817番歌に「梅の花咲きたる園の青柳は蘰にすべくなりにけらずや」と詠われているように、青柳。すなわち、枝垂れ柳のことで、それを巻いて蘰(かづら)(髪飾り)にしたいほど美しいとされている。その青柳と梅の小枝、「どなたかが浮かべたのだろうか酒杯に」という歌。小枝が浮かぶくらいだから酒杯は大型杯(朱塗りか)だったに相違ない。
歴史解説

【巻5(841)。】
 
題詞  作者は對馬目高氏老(つしまのもくかうじおゆ)。
原文  于遇比須能  於登企久奈倍尓  烏梅能波奈  和企弊能曽能尓  佐伎弖知流美由
和訳  鴬の 音聞くなへに 梅の花 我家の園に 咲きて散る見ゆ
現代文  「このわれらが園にウグイスの声がし、梅が散っている」。
文意解説
 「聞くなへに」は「聞くにつれて」だが、「ウグイスの声がしているが同時に」と解すると分かりやすい。
歴史解説

【巻5(842)。】
 
題詞  作者は薩摩目高氏海人(さつまのもくかうじのあま)。
原文  和我夜度能  烏梅能之豆延尓  阿蘇i都々  宇具比須奈久毛  知良麻久乎之美
和訳  我がやどの 梅の下枝に 遊びつつ 鴬鳴くも 散らまく惜しみ 
現代文  「われらが園の梅の下枝にウグイスが鳴き交わしている。まるで散りゆく梅を惜しむかのように」。
文意解説  擬人化表現の歌である。
歴史解説

【巻5(843)。】
 
題詞  作者は土師氏御道(はにしのみみち)。土器作り一族の長か?
原文  宇梅能波奈  乎理加射之都々  毛呂比登能  阿蘇夫遠美礼婆  弥夜古之叙毛布
和訳  梅の花 折りかざしつつ  諸人の 遊ぶを見れば 都しぞ思ふ 
現代文  「梅の花をかざしてはしゃぐ人々の様子を見ていると奈良の都がしのばれる」。
文意解説
歴史解説

【巻5(844)。】
 
題詞  作者は小野氏國堅(をのうぢのくにかた)。官職不記載。この時無位か?。
原文  伊母我陛邇  由岐可母不流登  弥流麻提尓  許々陀母麻我不  烏梅能波奈可毛
和訳  妹が家に 雪かも降ると 見るまでに ここだも乱ふ 梅の花かも 
現代文  「恋人の家に雪が降っているようにしきりに散り敷く梅の花」。
文意解説  「ここだも乱(まが)ふ」は「しきりに散り敷く」の意。梅花を愛でる歌がまだ若干残っていて残念だが、ここでいったん了とせざるを得ない。
歴史解説

【巻5(845)。】
 
題詞  作者は筑前拯門氏石足(つくしのみちのくちのじょうもんじのいそたり)。筑前国の三等官。筑前守は山上憶良。
原文  宇具比須能  麻知迦弖尓勢斯  宇米我波奈  知良須阿利許曽  意母布故我多米
和訳  鴬の 待ちかてにせし 梅が花 散らずありこそ 思ふ子がため 
現代文
文意解説
 「鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ」までは、「ウグイスも待ちかねていた梅の花よ散らないでくれ」というのが歌意で、諸家一致。問題は結句の「思ふ子がため」。岩波大系本は「私の思っている子のために」、伊藤本は「そなたを思う子、鶯のために」としている。また中西本は「恋い慕う子らのために」としている。どこからこんな解釈が出てくるのだろう、不可解である。ここは大伴旅人の梅園で一同に会して皆々が梅花を楽しんでいる場での歌。そして前歌までその様子が詠われている。ここにいう「子」とは子供だの恋人だのではなく「われら一同」を親しみを込めてあらわした「子」と解するべきである。江戸侍風にいえば「各々方」のことである。すでに私たちはこの例を63番歌「いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ」で見ている。「一門の人々」という意味で「子ども」が使用されている。本歌の結句「思ふ子がため」は「今愛でているわれらがために」という意味である。
歴史解説

【巻5(846)。】
 
題詞  作者は小野氏淡理(をのうぢのたもり)。この人物も844番歌の作者小野氏國堅と同様官職不記載。両者は同一人物という説もあるようだが、不明。すでに見たように、815番歌の題詞及び序によれば815番歌から本歌までの32首が大伴旅人邸内で行われた宴会で披露された梅花を愛でる歌となっている。
原文  可須美多都  那我岐波流卑乎  可謝勢例杼  伊野那都可子岐  烏梅能波那可毛
和訳  霞立つ 長き春日を かざせれど いやなつかしき 梅の花かも 
現代文  「めいめい梅の小枝をかざして遊んでいるけれど、いやあ梅花は飽きないですね」。
文意解説  「霞立つ長き春日を」は「霞んでいる春の長い一日を」である。最後を飾るに相応しい梅花への賛歌となっている。
歴史解説

【巻5(847)。】
 
題詞  梅花を愛でる歌は前歌で終了の筈である。が、実際には員外2首、追加4首の6首が置かれている。すなわち実質的には847~852番歌の6首を加えた38首が梅花を愛でる歌ということになる。員外2首とは本歌と次歌のことだが、現実には「故郷を思う歌」とあって梅花とは直接関連がない。なぜ2首が員外とされ、ここに置かれているか不明。が、梅園で一同そろって春正月の宴会を催している最中、それに誘発されて故郷奈良が恋しくなった故の作歌だとすれば、作者は大伴旅人ということになる。が、他方、主人の歌、すなわち旅人の歌として822番歌が掲載されている。
原文  和我佐可理  伊多久々多知奴  久毛尓得夫  久須利波武等母  麻多遠知米也母
和訳  我が盛り いたくくたちぬ 雲に飛ぶ 薬食むとも またをちめやも
現代文  「私はひどく年老いてしまった。不老長寿と言われる薬を飲んだところで若返ることはあるまいに」。
文意解説  「いたくくたちぬ」は「ひどくくたちぬ」だが、この「くたちぬ」、980番歌や1008番歌に「夜はくたちつつ」とあるように、「夜が更ける」つまり「長年月たった」という意味である。「雲に飛ぶ薬」は神仙思想で「不老長寿の薬」と考えられていた薬のようである。結句の「またをちめやも」の「をちめ」は「若返る」という意味である。
歴史解説

【巻5(848)。】
 
題詞
原文  久毛尓得夫  久須利波牟用波  美也古弥婆  伊夜之吉阿何微  麻多越知奴倍之
和訳  雲に飛ぶ 薬食むよは 都見ば いやしき我が身 またをちぬべし
現代文  「薬などより一目奈良を見られたら若返るだろうに」。
文意解説  第二句の「薬食(は)むよは」は「(不老長寿の)薬を飲むよりは」の意である。都はいうまでもなく奈良の都。ひどく年老いたことを嘆く前歌といい、一目でいいから奈良を見たいと望むこの歌といい、繊細な人の激しい望郷の念が詠われており、作者はやはり旅人とみてよさそうだ。
歴史解説

【巻5(849)。】
 
題詞  849~852番歌の4首は後に追加されたと記されている梅歌。作者は記されていない。あるいは作者が不明だったので、ここに追加されたものか。
原文  能許利多留  由棄仁末自例留  宇梅能半奈  半也久奈知利曽  由吉波氣奴等勿
和訳  残りたる 雪に交れる 梅の花 早くな散りそ 雪は消ぬとも
現代文  「残雪に混じって梅花も咲いているが、どうか散らないでおくれ、雪は消えても」。
文意解説  第三句「早くな散りそ」は古文の授業で早々と習うおなじみの禁止の係り結び。「どうか散らないでおくれ」である。結句の「雪は消ぬとも」は「雪は消えても」である。
歴史解説

【巻5(850)。】
 
題詞
原文  由吉能伊呂遠  有<婆>比弖佐家流  有米能波奈  伊麻<左>加利奈利  弥牟必登母我聞
和訳  雪の色を 奪ひて咲ける 梅の花 今盛りなり 見む人もがも
現代文  「白雪さえしのいで白く咲き誇る白梅は今真っ盛り、愛で来る人々を待って」。
文意解説  第二句「奪ひて咲ける」は新鮮な驚きを与える表現である。結句の「もがも」は、これまで22番歌、419番歌等に出てきているように「であったなら」という願望用語。一番近い例では,805番歌「常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも」。「岩のように不変でありたい」という願望を表現している。したがって、結句の「見む人もがも」は、「見よう(愛でよう)という人がいてくれたなら」の意。すなわち「もっともっと多くの人に見られるのを待っている」という意味になる。梅花への賛歌である。
歴史解説

【巻5(851)。】
 
題詞
原文  和我夜度尓  左加里尓散家留  宇梅能波奈  知流倍久奈里奴  美牟必登聞我母
和訳  我がやどに 盛りに咲ける 梅の花 散るべくなりぬ 見む人もがも
現代文  「」。
文意解説  本歌の結句は前歌と同じく「見む人もがも」だが、その歌趣はガラリと一変する。なぜなら、本歌の出だしに「我がやどに」とあるからである。「私の庭に」となり、純個人的な歌となる。そう解すると「盛んに咲いているこの梅の花はやがて散っていく。この私と一緒に見てくれる人がいればいいのに」という独り暮らし老人のわびしい歌になりかねない。これでは、旅人邸で繰り広げられた数々の梅花賛歌群にそぐわない。純個人歌なら、わざわざ「後に追加した4首」などとしてここに記載する必要がない。この歌もやはり前32首の梅花賛歌群と同様、梅花賛歌群中の一首と考えるのが自然ではなかろうか。「我がやどに」は前32首の梅花賛歌群にもたびたび出てきたように、純個人宅の庭のことではない。「我がやど」すなわち「我らが梅園」のことであって、太宰府長官大伴旅人の邸宅の庭を指していると考えなければならない。旅人邸は公邸ないし半ば公邸だったのではなかろうか。それはそれとして、「我がやどに」を「我らが梅園に」と取ると霧が晴れたようにすっきりする。結句の「見む人もがも」も前歌と全く同様「もっともっと多くの人に見られるのを待っている」という意味に解すればよく、やはり旅人邸の梅花への賛歌であると分かる。
歴史解説

【巻5(852)。】
 
題詞
原文  烏梅能波奈  伊米尓加多良久  美也備多流  波奈等阿例母布  左氣尓于可倍許曽 (一云 伊多豆良尓 阿例乎知良須奈 左氣尓于可倍許曽
和訳  梅の花 夢に語らく みやびたる 花と我れ思ふ 酒に浮かべこそ (一云 いたづらに我れを散らすな酒に浮べこそ)
現代文  「」。
文意解説  末尾の「浮かべこそ」の「こそ」は岩波大系本に「動詞連用形につくコソは希求の意を表す」とある。「こそ」の使用例は数多くあり、「強調、断定」などに使用されていることが多い。岩波大系本にしたがえば、本歌の場合は「希求」で、「浮かべてほしい」という意味になる。「動詞連用形につくコソは希求の意を表す」などという言語学的説明では確認のしようがない筆者には「ほんとかいな」という疑問が湧くだけで、不親切注としか思えないが、それはそれとして、そう断定しているのであるから「希求」なのだろう。結句までの「梅の花夢に語らくみやびたる花と我れ思ふ」は「夢の中で梅の花が申すには「私は風流な花だと思います」」という意味の歌である。で、これを結句につなげれば、「なので酒に浮かべてほしい」という意味になる。が、どこかぼやけている。用例の多い「こそ」の意にとって「酒に浮かべてこそ」と解していけないのだろうか。なお、異伝は「みやびたる花と我れ思ふ」の部分が、「いたづらに我れを散らすな」(いたずらに散るがままになさいますな)となっている。本伝も異伝も「酒に浮かべて風流を楽しもうではありませんか」が歌意で、両歌に大差があるわけではない。以上で実質38首に及ぶ梅花を愛でる歌は完了である。太宰府長官に任官した旅人が都落ちしたと感じて、風流ごとに明け暮れる様子がここにもよく現れている。太宰府に任官したときの宴会の際詠われた328~351番歌の24首に見られる、お坊っちゃん然とした高級官吏の姿がここにもある。
歴史解説

【巻5(853)。】
 
題詞  この歌には「松浦川に遊んだ際の歌」と題して詳細な序文が付いている。その概要は次のとおりである。「私が松浦川(佐賀県松浦郡内を流れる玉島川のこと)の川辺に遊んだ際、魚を捕る、とても美しく気品のある乙女たちを見掛けた。いずれの家の娘かと尋ねたところ「しがない漁夫の娘にございます」と返答するばかりだった。私は娘たちに歌を贈った」 。ここにいう私(余)は誰なのか不明だが、旅人説でいいと思う。
原文  阿佐<里><須流>  阿末能古等母等  比得波伊倍騰  美流尓之良延奴  有麻必等能古等
和訳  あさりする 海人の子どもと 人は言へど 見るに知らえぬ 貴人(あまひと)の子と
現代文  「魚を捕る漁夫の娘とあなたがたはおっしゃるが、ひとめで貴人の娘と分かりました」。
文意解説
 第四句「見るに知らえぬ」は「一目で分かりました」である。
歴史解説

【巻5(854)。】
 
題詞  娘が前歌に応えた歌。
原文  多麻之末能  許能可波加美尓  伊返波阿礼騰  吉美乎夜佐之美  阿良波佐受阿利吉
和訳  玉島の この川上に 家はあれど 君をやさしみ あらはさずありき
現代文  「実は家は川上にございますが恐縮して申し上げませんでした」。
文意解説  第四句「君をやさしみ」は「佐々木本」の訓だが、岩波大系本等では「君を恥しみ」と「恥」の字を当てている。「やさし」には岩波大系本が詳細な補注を設けて解説している。要するに「恥じ入る」という意味であり、ために「恥」の字を当てたようだ。
歴史解説

【巻5(855)。】
 
題詞  前歌に対し、さらに乙女に贈った3首。855~857番歌。
原文  麻都良河波  可波能世比可利  阿由都流等  多々勢流伊毛<何>  毛能須蘇奴例奴
和訳  松浦川 川の瀬光り 鮎釣ると 立たせる妹が 裳の裾濡れぬ
現代文  「」。
文意解説  松浦川の川瀬が光っている。「鮎釣ると」とあるから澄み切った美しい谷川だ。そこに立って糸を垂れている美しく気品のある乙女たち。その裳裾が濡れている。美しい光景である。その一瞬の光景を捉えた秀歌である。並の歌才ではない。
歴史解説

【巻5(856)。】
 
題詞  前歌に関連して詠われている歌。
原文  麻都良奈流  多麻之麻河波尓  阿由都流等  多々世流古良何  伊弊遅斯良受毛
和訳  松浦なる 玉島川に 鮎釣ると 立たせる子らが 家道知らずも
現代文  「鮎釣りをしているあなたたちの家はどう行ったらいいのでしょう」。
文意解説
歴史解説

【巻5(857)。】
 
題詞
原文  等富都比等  末都良能加波尓  和可由都流  伊毛我多毛等乎  和礼許曽末加米
和訳  遠つ人 松浦の川に 若鮎釣る 妹が手本を 我れこそ卷かめ
現代文  「遠くにいる人を待つという松浦川、その松浦川で若鮎を釣る娘さんよ、あなたと共寝したいことよ」。
文意解説  「遠つ人」は「遠くにいる人」で、松浦の松はむろん「待つ」の意に掛けている。
歴史解説

【巻5(858)。】
 
題詞  前3首に娘たちが応えた3首、858~860番歌。
原文  和可由都流  麻都良能可波能  可波奈美能  奈美邇之母波婆  和礼故飛米夜母
和訳  若鮎釣る 松浦の川の 川なみの 並にし思はば 我れ恋ひめやも
現代文  「並の気持であったならこんなにも恋しく思うでしょうか」。
文意解説  「若鮎釣る松浦の川の川なみの」までは「波」を「並」で受けるための序歌。ただし、以下は反語表現だと分からないと意味がぼけてしまう。
歴史解説

【巻5(859)。】
 
題詞
原文  波流佐礼婆  和伎覇能佐刀能  加波度尓波  阿由故佐婆斯留  吉美麻知我弖尓
和訳  春されば 我家の里の 川門には 鮎子さ走る 君待ちがてに
現代文  「春が来てわが里の川瀬ではあなた様を待ちかねて鮎の子がぴちぴちと跳ね回っています」。
文意解説  「春されば」の「されば」は万葉歌に使用例の多い用語。「来れば」である。
歴史解説

【巻5(860)。】
 
題詞
原文  麻都良我波  奈々勢能與騰波  与等武等毛  和礼波与騰麻受  吉美遠志麻多武
和訳  松浦川 七瀬の淀は 淀むとも 我れは淀まず 君をし待たむ
現代文  「松浦川の多くの瀬の水の流れがとどこおりましても、私の心は淀まずあなたさまのおいでを一心にお待ちしています」。
文意解説  「松浦川七瀬の淀は淀むとも」は「松浦川の多くの瀬では水の流れがとどこおりますが」という意味である。後半は「川瀬のように逡巡することなくあなたさまのおいでを一心にお待ちしています」である。
歴史解説

【巻5(861)。】
 
題詞  ここからの3首(861~863番歌)は「後人たちが娘たちに贈った歌」という太宰府長官大伴旅人のコメントが入っている。
原文  麻都良河波  <可>波能世波夜美  久礼奈為能  母能須蘇奴例弖  阿由可都流良<武>
和訳  松浦川 川の瀬早み 紅の 裳の裾濡れて 鮎か釣るらむ
現代文  「」。
文意解説
 855番歌と同様の光景を歌にしたものだが、裳裾の色が鮮やかな紅であったことがこの歌から分かり、遡って855番歌の鮮やかさが強調される役割を担っている。こちらも美しい光景を捉えているものの歌の焦点が「鮎か釣るらむ」になっているため、清流、鮎、裳裾という一体の光景が生かし切れていない恨みが残る。855番歌を秀歌と考えるゆえんである。
歴史解説

【巻5(862)。】
 
題詞
原文  比等未奈能  美良武麻都良能  多麻志末乎  美受弖夜和礼波  故飛都々遠良武
和訳  人皆の 見らむ松浦の 玉島を 見ずてや我れは 恋ひつつ居らむ
現代文  「人々が見てきたというあの評判の玉島川を見ないで、私はあなたまのお越しをじっとお待ちしておりませう」。
文意解説  前半の「人皆の見らむ松浦の玉島を見ずてや」は「人々が見てきたというあの評判の玉島川を見ないで」という意味であり、後半の「我れは恋ひつつ居らむ」は「私はじっとお待ちしております」となる。「私は恋慕っていることだろうか」(「岩波大系本」解)などと解すれば歌趣が不明確になる。
歴史解説

【巻5(863)。】
 
題詞
原文  麻都良河波  多麻斯麻能有良尓  和可由都流  伊毛良遠美良牟  比等能等母斯佐
和訳  松浦川 玉島の浦に 若鮎釣る 妹らを見らむ 人の羨しさ
現代文  「」。
文意解説  本歌は解説不要の歌で、玉島の浦で若鮎を釣っていた美しい娘たちを見てきた人を羨ましがっている歌である。
歴史解説

【巻5(864)。】
 
題詞  奈良の都に居住している吉田連宣(よろし)から太宰府にいる大伴旅人に宛てた書簡と共に贈られてきた4首。864~867番歌。宣は百済(くだら)から渡来した医師らしいが、なぜその医師から旅人に書簡が寄せられたのか書簡に記されている。それによると、同医師は天平二年四月六日付けの書簡とともに815~863番歌の49首を旅人から贈られたとのこと。その旅人への礼に書簡をしたためたとある。この書簡の内容は丁重にして荘重な美文で占められている。中国の故事や有名人物を引き合いに出し、旅人をこの上もないほど高く持ち上げている。要は礼状なのでここでその内容を紹介する要を認めない。ただ、少々興味を引く点がある。ひとつは書簡のやりとりの期間。旅人邸で梅花を愛でる宴が開かれたのは正月十三日。そしてそこで詠われた歌等を納めて旅人が書簡を送ったのが四月六日。ざっと三ヶ月である。それが宣の手に届いて書簡をしたためたのが七月十日。つまり、太宰府から奈良まで三ヶ月弱かかったらしいことである。ふたつには思い思いに詠われた49首もの歌作が旅人自身の手中に集められていたらしいことである。歌には作者の名や状況も記されているので、単に集められただけではなく、きちんと整理され、編集されたことがうかがえる。以上、二点は万葉集の編者や成立過程を探るうえで大きな手がかりを与えてくれていると思う。
原文  於久礼為天  那我古飛世殊波  弥曽能不乃  于梅能波奈尓<忘>  奈良麻之母能乎
和訳  後れ居て 長恋せずは 御園生の 梅の花にも ならましものを
現代文  「後れ居て長恋せずは」は「宴に参加も出来ず取り残されて遠くを思っていないで」。
文意解説  「御園生(みそのふ)の梅の花」以下は「御園に咲き誇る梅の花になってしまいたい」という歌である。
歴史解説

【巻5(865)。】
 
題詞  旅人様(君)を待っているという松浦の娘子らの歌を読んで贈る歌。
原文  伎弥乎麻都  々々良乃于良能  越等賣良波  等己与能久尓能  阿麻越等賣可<忘>
和訳  君を待つ 松浦の浦の 娘子らは 常世の国の 海人娘子かも
現代文  「旅人が見掛けた松浦の娘子らは神仙郷の子たちかも」。
文意解説  この歌のキーワードは「常世(とこよ)の国」。この国は海の彼方の理想郷、不老不死の国、死者の国等様々にイメージされていたが、ここでは不老不死とされる神仙思想の国をさしている。
歴史解説

【巻5(866)。】
 
題詞  「旅人への思いが尽きぬため重ねて贈ります」とある2首。
原文  波漏々々尓  於忘方由流可母  志良久毛能  <知>弊仁邊多天留  都久紫能君仁波
和訳  はろはろに 思ほゆるかも 白雲の 千重に隔てる 筑紫の国は
現代文  「白雲が幾重にも重なったさらにその先にある遠い遠い国筑紫を遙か遠くから思いやっています」。
文意解説  「」。
歴史解説

【巻5(867)。】
 
題詞
原文  枳美可由伎  氣那<我>久奈理奴  奈良遅那留  志満乃己太知母  可牟佐飛仁家理
和訳  君が行き 日長くなりぬ 奈良道なる 島の木立も 神さびにけり
現代文  「奈良にあるあなたさまの邸宅の木立は荒れております」。
文意解説  「君が行き日(け)長くなりぬ」は「あなたさまが太宰府に行かれてから随分経ちました」という意味である。「島の木立も」を各書とも「山斎の木立も」と表記して山斎に「しま」と仮名をふっている。原文は「志満乃」ではっきり「島の」とある。そして「島」は170番歌「嶋の宮まがりの池の放ち鳥人目に恋ひて池に潜かず」のように「邸宅の庭」の意に使われており、わざわざ「山斎」表記をする必要はない。
歴史解説

【巻5(868)。】
 
題詞  山上憶良が大伴旅人に贈った三首(868~870番歌)。ここに至って、前節で見た853番歌以下の歌が太宰府長官旅人の一行が松浦川(佐賀県松浦郡内を流れる玉島川)を遊行した時の歌群だったことが分かる。この一行には憶良は同行していなかったらしい。前節で見たように、旅人は、奈良の都に居住している吉田連宣(よろし)に松浦遊行時の歌群を含め多数の歌を送っている。が、同時に筑前守憶良にもその際の歌を送っている。現在と異なって手紙を添えて一首一首丁寧に墨書しなければならない。そういう手間暇をかけながら旅人は複数の人々に歌群を送ったのだろうか? 
原文  麻都良我多  佐欲比賣能故何  比列布利斯  夜麻能名乃美夜  伎々都々遠良武
和訳  松浦県 佐用姫の子が 領巾(ひれ)振りし 山の名のみや 聞きつつ居らむ
現代文  「」。
文意解説
 領巾(ひれ)は当時の女性が首や肩にかけて用いたという、長い布。次に佐用姫(さよひめ)伝説。871番歌の前文にその次第が述べられているが、その概略は、夫の大伴佐提比古(おほとものさぢひこ)が朝命により朝鮮半島の任那(みまな)に渡ることになった。その別れを悲しんで山の上に登り、領巾を振ったという伝説である。次に足姫命(たらしひめのみこと)伝説。足姫命とは神功皇后のことであるが、その皇后が鮎釣りをされた際、乗った石があるという伝説。皇后は朝鮮半島に渡って新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)、百済(くだら)三国を征伐したという、いわゆる三韓征伐を行ったことで有名な人物である。上三句は「佐用姫が領巾を振ったというあの有名な山」という意味である。下二句の「山の名のみや聞きつつ居らむ」は「その故事を耳にしているだけですか」、つまり「私も視察にお加え下さればよかったのに」という歌である。
歴史解説

【巻5(869)。】
 
題詞
原文  多良志比賣  可尾能美許等能  奈都良須等  美多々志世利斯  伊志遠多礼美吉
和訳  足姫 神の命の 魚釣らすと み立たしせりし 石を誰れ見き [一云 鮎釣ると]
現代文  「その石をごらんになったのはどなたでございましょう」で、やはり「私も視察にお加え下さればよかったのに」。
文意解説  三句目の「魚釣らすと」が異伝では「 鮎釣ると」となっているが、歌意は同じ。第四句までの歌意は「神功皇后が鮎を釣ろうとお立ちになった石」であるが、問題は結句の「石を誰れ見き」。これを字義通り「その石を誰が見たのだろう」と解したのでは全体の歌意がぶちこわしである。これも前歌同様、実見した旅人をうらやむ歌。
歴史解説

【巻5(870)。】
 
題詞
原文  毛々可斯母  由加奴麻都良遅  家布由伎弖  阿須波吉奈武遠  奈尓可佐夜礼留
和訳  百日しも 行かぬ松浦道 今日行きて 明日は来なむを 何か障れる
現代文  「今日行けば明日にでも帰ってこられる近場なのになぜお声がけ下さらなかったのでしょう」。
文意解説  「百日(ももか)しも行かぬ松浦道(まつらぢ)」は「筑前(福岡県西部)から松浦まで百日もかかるというわけじゃなく」である。以上、3首が3首とも旅人に向かって同行できなかったことを不満たらしく訴える形になっている。が、その実、上司旅人の松浦遊行を羨ましがって見せているのである。
歴史解説

【巻5(871)。】
 
題詞  作者は不記載。
原文  得保都必等  麻通良佐用比米  都麻胡非尓  比例布利之用利  於返流夜麻能奈)
和訳  遠つ人 松浦佐用姫 夫恋ひに 領巾振りしより 負へる山の名
現代文  「」。
文意解説  「遠つ人松浦佐用姫」は「松」を「待つ」にかけた言い方。「遠く朝鮮半島に渡った人」つまり夫の大伴佐提比古のこと。「領巾降りの嶺」という山名の由来をそのまま歌にした歌。
歴史解説

【巻5(872)。】
 
題詞  また、別の人が応じた歌。本歌も前歌同様、山名の由来関連歌。
原文  夜麻能奈等  伊賓都夏等可母  佐用比賣何  許能野麻能閇仁  必例遠布利家<牟>)
和訳  山の名と 言ひ継げとかも 佐用姫が この山の上に 領巾を振りけむ
現代文  「」。
文意解説
 
歴史解説

【巻5(873)。】
 
題詞  さらに別の人が応じた歌。
原文  余呂豆余尓  可多利都夏等之  許能多氣仁  比例布利家良之  麻通羅佐用嬪面
和訳  万世に 語り継げとし この丘に 領巾振りけらし 松浦佐用姫
現代文  「この丘は後々までも語り継げよとばかり佐用姫が領巾を振った丘」。
文意解説  「」。
歴史解説

【巻5(874)。】
 
題詞  さらにまた別の人が応じた歌二首。
原文  宇奈波良能  意吉由久布祢遠  可弊礼等加  比礼布良斯家武  麻都良佐欲比賣
和訳  海原の 沖行く船を 帰れとか 領巾振らしけむ 松浦佐用姫
現代文  「海原を遠ざかって行く船に向かって佐用姫は引き返してよと領巾を振ったことだろう」。
文意解説  本歌は山名由来ではなく、情景推察歌。
歴史解説

【巻5(875)。】
 
題詞
原文  由久布祢遠  布利等騰尾加祢  伊加婆加利  故保斯<苦>阿利家武  麻都良佐欲比賣
和訳  行く船を 振り留みかね いかばかり 恋しくありけむ 松浦佐用姫
現代文  「領巾を振ったところで留まる筈のない船。佐用姫はどんなに切なかったことだろう」。
文意解説  本歌も前歌同様、情景推察歌。以上、868番歌からここまで松浦の佐用姫伝説をモチーフにした歌。これだけの歌が収録されているところを見ると、佐用姫伝説は当時よほど有名だったに相違ない。
歴史解説

【巻5(876)。】
 
題詞  奈良に帰還することになった旅人の送別の宴で詠われた四首(876~879番歌)。作者不記載。
原文  阿麻等夫夜  等利尓母賀母夜  美夜故<麻>提  意久利摩遠志弖  等比可弊流母能
和訳  天飛ぶや 鳥にもがもや 都まで 送りまをして 飛び帰るもの
現代文  「私が空飛ぶ鳥であったなら、都までお送りして飛んで帰ってくるものを」
文意解説  「天飛ぶや鳥にもがもや」は文字通り「空飛ぶ鳥であったなら」である。後半は「都までお送りして飛んで帰ってくるものを」という歌である。
歴史解説

【巻5(877)。】
 
題詞
原文  比等母祢能  宇良夫禮遠留尓  多都多夜麻  美麻知可豆加婆  和周良志奈牟迦
和訳  ひともねの うらぶれ居るに 龍田山 御馬近づかば 忘らしなむか
現代文  「旅人長官は龍田山にさしかかる頃には私たちのことをお忘れになってしまわれるのでしょうか」。
文意解説  本歌のキーワードは龍田山。龍田山は奈良県生駒郡の山の一つ。つまり奈良の都の目前にさしかかったことを意味している。「ひともね」は「ひとみな」のことで、方言という説がある。が、官人の歌で方言が使われるのは極めて異例。未詳と見るしかない。上二句は「一同皆々ががっかりしているのに」が通常だが、あるいは「人胸の」と解して「うち沈んでいるのに」と解することもあり得るかも・・・。
歴史解説

【巻5(878)。】
 
題詞
原文  伊比都々母  能知許曽斯良米  等乃斯久母  佐夫志計米夜母  吉美伊麻佐受斯弖
和訳  言ひつつも 後こそ知らめ とのしくも 寂しけめやも 君いまさずして
現代文  「寂しゅうございますと今は口先で申していますが、長官が去られてからが本当にすっかり寂しくなることでしょう」。
文意解説  第三句の「とのしくも」に、岩波大系本はこれに補注を施して詳細に解を試みている。結果、「との」は「たな」のことで「すっかり」とか「全く」の意ではないかとしている。が、「~しくも」は「くすしくも」(245番歌)や「悲しくもあるか」(459番歌)等の例から分かるように「~」は形容詞の語幹がくる。不詳とせざるを得ない。が、ここでは岩波大系本の解に従うことにする。
歴史解説

【巻5(879)。】
 
題詞
原文  余呂豆余尓  伊麻志多麻比提  阿米能志多  麻乎志多麻波祢  美加<度>佐良受弖
和訳  万世に いましたまひて 天の下 奏したまはね 朝廷(みかど)去らずて
現代文  「ずっと朝廷におられて政治にお関わり下さい」。
文意解説
 「万世(よろづよ)にいましたまひて」は「末永くご健勝でいらっしゃって」である。「奏(まを)したまはね」は「政治をお取りなさいませ」である。以上、四首が四首とも旅人によいしょした即興歌の匂いがする。
歴史解説

【巻5(880)。】
 
題詞  本歌からの三首(880~882番歌)は882番歌の添え書きによって筑前守山上憶良が旅人に贈った歌と知れる。
原文  阿麻社迦留  比奈尓伊都等世  周麻比都々  美夜故能提夫利  和周良延尓家利
和訳  天離る 鄙に五年 住まひつつ 都のてぶり 忘らえにけり
現代文  「遠い田舎にやってきて五年にもなり、都の風俗もすっかり忘れてしまいました」。
文意解説  「都のてぶり」は「都の風俗」。
歴史解説

【巻5(881)。】
 
題詞
原文  加久能<未>夜  伊吉豆伎遠良牟  阿良多麻能  吉倍由久等志乃  可伎利斯良受提
和訳  かくのみや 息づき居らむ あらたまの 来経行く年の 限り知らずて
現代文  「こうしてため息をつき続けるのでしょうか。年が改まり去っていくいつ果てるとも知らぬまま」。
文意解説  「かくのみや息づき居らむ」は「こうしてため息をつき続けるのでしょうか」である。深い嘆きの歌である。
歴史解説

【巻5(882)。】
 
題詞
原文  阿我農斯能  美多麻々々比弖  波流佐良婆  奈良能美夜故尓  n佐宜多麻波祢
和訳  我が主の 御霊賜ひて 春さらば 奈良の都に 召上げたまはね
現代文  「春になったら私を都にお召上げ下さいませ」。
文意解説  「我が主(ぬし)の御霊(みたま)賜ひて」は「旅人様の思し召しを得て」である。
歴史解説

【巻5(883)。】
 
題詞  本歌は三嶋王(みしまのおほきみ)が後日、松浦の佐用姫(さよひめ)伝説に応えて作った歌である。三嶋王は舎人親王(とねりしんのう)の子、すなわち天武天皇の孫にあたる人物。 さきに(第61及び62節)みたように、太宰府長官大伴旅人の一行は松浦川(佐賀県松浦郡内を流れる玉島川)を遊行し、佐用姫伝説に絡むいくつかの歌を残している。佐用姫伝説とは、姫の夫であった大伴佐提比古(おほとものさぢひこ)が朝命により朝鮮半島の任那(みまな)に渡っていく際、別れを悲しんで山の上に登り、領巾(ひれ)を振ったという伝説のこと。旅人はこの時の模様を歌とともに吉田連宣(よろし)や山上憶良に手紙に認めて送り届けている。さらに、三嶋王にも届けたのだろうか。
原文  於登尓吉岐  目尓波伊麻太見受  佐容比賣我  必礼布理伎等敷  吉民萬通良楊満
和訳
 音に聞き 目にはいまだ見ず 佐用姫が 領巾振りきとふ 君松浦山
現代文  「」。
文意解説
 「音に聞き」は「噂には聞いているが」という意味である。したがって第二句の「目にはいまだ見ず」は「まだ実際に訪れたことはないけれど」という意味になる。よく分からないのは結句の「君松浦山」。「君を待つ」を「君を松」にかけているのは分かるのだが、ここにいう「君」とは誰のことだろう。意味的には姫の夫、大伴佐提比古を差しているが、表現が転倒している。「君待ちて領巾振りしとふ浦山」とでも歌われていれば分かりやすいのだが・・・。
歴史解説

【巻5(884)。】
 
題詞  「大伴君熊凝(おほとものきみくまごり)の歌二首」。細注に「大典麻田陽春(あさだのやす)作」とある。どうも君熊凝に成り代わって陽春が作歌したらしい。
原文  國遠伎  路乃長手遠  意保々斯久  計布夜須疑南  己等騰比母奈久
和訳  国遠き 道の長手を おほほしく 今日や過ぎなむ 言どひもなく
現代文  「故郷から遠く離れた旅の途上で、両親に別れを告げることもなく死ぬのは恨めしい(おほほしく)」。
文意解説  この歌の結句「言どひもなく」は誰に対して言葉をかける(別れを告げる)意味なのか分かりづらい。その状況については886番長歌の前に山上憶良の序文が掲載されている。大略次のように述べている。「君熊凝は肥後国益城郡(熊本県)の人でまだ18歳の若者。力士を引率して京にのぼる使い人の従者として京をめざす途上病気になり、安芸国佐伯郡(広島県)で没した。死に臨んで若者は、自分は死んでも致し方ないが故郷の両親に話すことも出来ずこのまま死ぬのは恨めしい、と述べた」。つまり、結句の「言どひもなく」は「両親に別れを告げることもなく」という意味であることが分かる。「過ぎなむ」は「死ぬのだろうか」という意味である。
歴史解説

【巻5(885)。】
 
題詞
原文  朝露乃  既夜須伎 我身比等國尓  須疑加弖奴可母  意夜能目遠保利
和訳  朝露の 消やすき 我が身他国に 過ぎかてぬかも 親の目を欲(ほ)り
現代文  「はかないわが命だけれども他国では死ぬにも死にきれない。両親の前で死にたい」。
文意解説  「朝露の消(け)やすき我が身」は「朝露のように消えやすい我が命だけれども」である。
歴史解説

【巻5(886)。】
 
題詞  「敬和為熊凝述其志歌六首 并序 筑前國守山上憶良」。「大伴君熊凝者 肥後國益城郡人也 年十八歳 以天平三年六月十七日 為相撲使ム國司官位姓名従人 参向京都 為天不幸 在路獲疾 即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也 臨終之時 長歎息曰 傳聞 假合之身易滅 泡沫之命難駐 所以千聖已去 百賢不留 况乎凡愚微者何能逃避 但我老親並在菴室 待我過日 自有傷心之恨 望我違時 必致喪明之泣 哀哉我父 痛哉我母 不患一身向死之途 唯悲二親在生之苦 今日長別 何世得覲 乃作歌六首而死 其歌曰 」。山上憶良の序文がついている。その大要は前記のとおりだが、加えて「若者は長歌を含めて6歌を残して死んだ」という意味のことが記されている。したがって、891番歌までは君熊凝の歌ということになる。
原文 宇知比佐受 宮弊能保留等  多羅知斯夜 波〃何手波奈例 常斯良奴  國乃意久迦袁  百重山   越弖須疑由伎  伊都斯可母 京師乎美武等  意母比都〃 迦多良比遠礼騰 意乃何身志 伊多波斯計礼婆 玉桙乃   道乃久麻尾尓  久佐太袁利 志婆刀利志伎提 等許自母能 宇知許伊布志提 意母比都〃 奈宜伎布勢良久 國尓阿良婆  父刀利美麻之  家尓阿良婆  母刀利美麻志  世間波   迦久乃尾奈良志 伊奴時母能 道尓布斯弖夜  伊能知周疑南  一云 和何余須疑奈牟
和訳 うちひさず みやへのぼると たらちしや ははがてはなれ つねしらぬ くにのおくかを ももへやま こえてすぎゆき いつしかも みやこをみむと おもひつつ かたらひをれど おのがみし いたはしければ たまほこの みちのくまみに くさだをり しばとりしきて とこじもの うちこいふして おもひつつ なげきふせらく くににあらば ちちとりみまし いへにあらば ははとりみまし よのなかは かくのみならし いぬじもの みちにふしてや いのちすぎなむ    わがよすぎなむ 05 0887 多良知子能 波〃何目美受提 意保〃斯久 伊豆知武伎提可 阿我和可留良武
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻5(887)。】
 
題詞
原文  多良知子能  波々何目美受提  意保々斯久  伊豆知武伎提可  阿我和可留良武
和訳  たらちしの 母が目見ずて おほほしく いづち向きてか 我が別るらむ
現代文  「母にも会えないで死ぬのは恨めしい。かつ、母のいる故郷はどちらの方向だろう」。
文意解説  初句「たらちしの」を伊藤本は「母」の枕詞としているが、やや不審。母の枕詞とされる「たらちねの」は全万葉集歌中23例もあるが、すべて「た・ら・ち・ね・の」の5音、かつ、すべて母にかかっている。母の枕詞ならなぜ「たらちねの」となっていないのだろう。「たらちしの」は本歌一例のみ。「たらちし」の例は長歌に2例だけあるが、直前の886番長歌は「たらちしや」であり、もう一例の3791番長歌は「たらちし」の4音のみである。安易に枕詞とするのはいかがなものであろう。故郷から遠く離れた旅の途上で死ぬ自分。作者の無念さがにじみ出ている。
歴史解説

【巻5(888)。】
 
題詞
原文  都祢斯良農  道乃長手袁  久礼々々等 伊可尓可由迦牟  可利弖波奈斯尓 [一云 可例比波奈之尓]
和訳  常知らぬ 道の長手を くれくれと いかにか行かむ 糧はなしに [一云 干飯はなしに]
現代文  「」。
文意解説  「常知らぬ道の長手(ながて)を」を通常は「冥土への道」と解されている。ただ「常知らぬ道」という表現が気になる。「冥土への道」は死後の世界の話なので「普段知りようがない道なのは当たり前。結句の「糧(かて)はなしに」という表現も気になる。なので、ここは「父母のいる故郷への道」と解することも可能かと思う。今日まで従者として京を目指して安芸国までつきしたがってきたに過ぎない作者。「故郷への道」はまさに「常知らぬ道」であり、干飯等の食料も必要だ。死期を目前にしてなお父母に会いたいという切ない気持ちが表出された歌だと思うがいかがだろう。「くれくれと」は「西も東も分からぬ暗い道をとぼとぼと」である。
歴史解説

【巻5(889)。】
 
題詞
原文  家尓阿利弖  波々何刀利美婆  奈具佐牟流  許々呂波阿良麻志  斯奈婆斯農等母 [一云 能知波志奴等母]
和訳  家にありて 母がとり見ば 慰むる 心はあらまし 死なば死ぬとも [一云 後は死ぬとも]
現代文  「母に看取られながら死んでいくのならどんなにか安らかだろうに」。
文意解説  「家にありて母がとり見ば」は「故郷の家にいて母が看病してくれているなら」という意味である。
歴史解説

【5(890)。】
 
題詞
原文  出弖由伎斯  日乎可俗閇都々  家布々々等  阿袁麻多周良武  知々波々良波母 [一云 波々我迦奈斯佐]
和訳  出でて行きし 日を数へつつ 今日今日と 我を待たすらむ 父母らはも [一云 母が悲しさ]
現代文  「京に向かった私の帰りを今か今かと指折り数えて待っておられる父母のことを思うと心が痛んでならない」。
文意解説  簡明な歌である。
歴史解説

【巻5(891)。】
 
題詞
原文  一世尓波  二遍美延農  知々波々袁 意伎弖 夜奈何久  阿我和加礼南 [一云 相別南]
和訳  一世には ふたたび見えぬ 父母を置きて や長く 我が別れなむ [一云 相別れなむ]
現代文  「再び顔を合わせることのかなわぬ父母をこの世に残して私はあの世に行かねばならないのだろうか、ああ無念なことよ」。
文意解説  「一世(ひとよ)には」は「行かねばならぬあの世」に対する世、すなわち「この世」のこと。以上で、若干18歳の若者大伴君熊凝(おほとものきみくまごり)が死を目前にして歌ったという歌の終了である。故郷や父母のことを気に病む君熊凝の切々たる心情が読むものをゆさぶる歌群である。山上憶良の代作ではないかとの推測がされている。京に上る際、相撲使いの従者を仰せつかった若者が、相撲使いとともに筑紫国長官山上憶良に挨拶に訪れた。後日、憶良は、その若者を看取った相撲使いらから安芸国で死去した顛末を聞かされた。その際、死に臨んだ若者が、故郷や父母を思う心情を切々と語ったことを聞かされた。憶良は若者を大変不憫に思い、代作を試み、序文もしたためたのではないかと。
歴史解説

【巻5(892)。】
 
題詞  「貧窮問答歌一首 并短歌 」。
原文 風雜    雨布流欲乃  雨雜    雪布流欲波  為部母奈久 寒之安礼婆   堅塩乎   取都豆之呂比  糟湯酒   宇知須〃呂比弖 之叵夫可比 鼻毘之毘之尓  志可登阿良農 比宜可伎撫而  安礼乎於伎弖 人者安良自等  富己呂倍騰 寒之安礼婆   麻被    引可賀布利  布可多衣   安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎   和礼欲利母 貧人乃     父母波   飢寒良牟   妻子等波  乞〃泣良牟    此時者   伊可尓之都〃可 汝代者和多流  天地者   比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流  日月波  安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴  人皆可   吾耳也之可流  和久良婆尓 比等〃波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎   綿毛奈伎  布可多衣乃   美留乃其等 和〃氣佐我礼流 可〃布能尾 肩尓打懸    布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓  直土尓   藁解敷而    父母波   枕乃可多尓   妻子等母波 足乃方尓   圍居而   憂吟      可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊    事毛和須礼提  奴延鳥乃  能杼与比居尓  伊等乃伎提 短物乎     端伎流等  云之如     楚取    五十戸良我許恵波 寝屋度麻俤 来立呼比奴   可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道
和訳 かぜまじり あめふるよの あめまじり ゆきふるよは すべもなく さむくしあれば かたしほを とりつづしろひ かすゆざけ うちすすろひて しはぶかひ はなびしびしに しかとあらぬ ひげかきなでて あれをおきて ひとはあらじと ほころへど さむくしあれば あさぶすま ひきかがふり ぬのかたきぬ ありのことごと きそへども さむきよすらを われよりも まづしきひとの ちちははは うゑこゆらむ めこどもは こふこふなくらむ このときは いかにしつつか ながよはわたる あめつちは ひろしといへど あがためは さくやなりぬる ひつきは あかしといへど あがためは てりやたまはぬ ひとみなか あのみやしかる わくらばに ひととはあるを ひとなみに あれもなれるを わたもなき ぬのかたきぬの みるのごと わわけさがれる かかふのみ かたにうちかけ ふせいほの まげいほのうちに ひたつちに わらときしきて ちちははは まくらのかたに めこどもは あとのかたに かくみゐて うれへさまよひ かまどには ほけふきたてず こしきには くものすかきて いひかしく こともわすれて ぬえとりの のどよひをるに いとのきて みじかきものを はしきると いへるがごとく しもととる さとをさがこゑは ねやどまで きたちよばひぬ かくばかり すべなきものか よのなかのみち
現代文  「」。
文意解説
 長歌。
歴史解説

【巻5(893)。】
 
題詞  392番長歌は世に有名な貧窮問答歌(漢詩文)であり、以下(前節886~891番歌も山上憶良の代作だと考えると)886番歌序文以降本巻(第5巻)終末906番歌に至るすべてが山上憶良の歌文である。ここは短歌を扱っているので、短歌中心に見ていくが、長歌は長文の漢詩文であり、その内容は迫力に富んでいる。私の寸感を述べれば、886番以降の長文の漢詩文は、山上憶良が当時第一級の知識人だったことをうかがわせる。国内の事情はいうに及ばず、中国の故事や漢籍に長けていたことを伺わせる。孔子はもとより孔子の門人の言葉まで引用していることからもうかがい知れる。私の疑問は漢詩文の内容ではなく、なぜ万葉集に山上憶良の作が886~905番歌にわたって長々と掲載されているのかという一点である。山上憶良は貧窮問答歌で「貧窮にあえぎ苦しみながらそれでもなぜ生きねばならないのか」といった意味のことを歌っている。本歌はその長歌を踏まえた一首である。
原文  世間乎  宇之等夜佐之等  於母倍杼母  飛立可祢都  鳥尓之安良祢婆
和訳  世の中を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
現代文  「」。
文意解説  第二句に「憂しとやさしと」とあるが、「やさし」は全万葉集歌中もう一例854番歌に使われている。その際に岩波大系本の詳細な補注に言及し、「要するに「恥じ入る」という意味であり、ために「恥」の字を当てたようだ」と私は記した。本歌の場合もそれで意は通じるが、一歩踏み込んで「窮屈」と解しておきたい。後は読解不要だろう。「生きることがどんなに辛く窮屈であっても飛び立って逃げ出すわけにはいかない。鳥ではないのだから」という歌である。
歴史解説

【巻5(894)。】
 
題詞  「好去好来歌一首反歌二首 」。
原文 神代欲理  云傳久良久   虚見通  倭國者     皇神能   伊都久志吉國  言霊能   佐吉播布國等  加多利継  伊比都賀比計理 今世能   人母許等期等  目前尓   見在知在    人佐播尓  満弖播阿礼等母  高光    日御朝庭  神奈我良  愛能盛尓    天下    奏多麻比志   家子等   撰多麻比天   勅旨    反云 大命    戴持弖     唐能    遠境尓     都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能  邊尓母奥尓母  神豆麻利  宇志播吉伊麻須 諸能    大御神等    船舳尓 反云 布奈能閇尓 道引麻遠志   天地能   大御神等    倭    大國霊     久堅能   阿麻能見虚喩  阿麻賀氣利 見渡多麻比   事畢    還日者     又更    大御神等    船舳尓   御手打掛弖   墨縄遠   播倍多留期等久 阿遅可遠志 智可能岫欲利  大伴    御津濱備尓   多太泊尓  美船播将泊   都〃美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢
和訳 かむよより いひつてくらく そらみつ やまとのくには すめかみの いつくしきくに ことだまの さきはふくにと かたりつぎ いひつがひけり いまのよの ひともことごと めのまへに みたりしりたり ひとさはに みちてはあれども たかひかる ひのみかど かむながら めでのさかりに あめのした まをしたまひし いへのこと えらひたまひて おほみこと    おほみこと いただきもちて もろこしの とほきさかひに つかはされ まかりいませ うなはらの へにもおきにも かむづまり うしはきいます もろもろの おほみかみたち ふなのへに  ふなのへに みちびきまをし あめつちの おほみかみたち やまとの おほくにみたま ひさかたの あまのみそらゆ あまがけり みわたしたまひ ことをはり かへらむひには またさらに おほみかみたち ふなのへに みてうちかけて すみなはを はへたるごとく あぢかをし ちかのさきより おほともの みつのはまびに ただはてに みふねははてむ つつみなく さきくいまして はやかへりませ
現代文  「」。
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻5(895)。】
 
題詞  丹比真人広成(たぢひのまひとひろなり)は天平5年(733年)4月に遣唐使として大陸にわたるが、その直前の3月に山上憶良宅に寄った際、憶良が長歌とともに贈った歌。
原文  大伴  御津松原  可吉掃弖  和礼立待  速歸坐勢
和訳  大伴の 御津の松原 かき掃きて 我れ立ち待たむ 早帰りませ
現代文  「その浜を掃き清めてお帰りをお待ちします」。
文意解説  「大伴の御津の松原」は63番歌で言及したように、大伴氏の本拠があったとされる大阪湾の浜。63番歌から明らかなように、憶良自身も唐からはるばるこの松原に帰朝している。
歴史解説

【巻5(896)。】
 
題詞
原文  難波津尓  美船泊農等  吉許延許婆  紐解佐氣弖  多知婆志利勢武
和訳  難波津に 御船泊てぬ と聞こえ来ば 紐解き放けて 立ち走りせむ
現代文  「難波津に帰朝の船が到着したと聞いたならば着物の紐も結ばないまま走り出てお迎えにあがりましょうぞ」。
文意解説  広成の帰朝を心待ちにする歌だ。
歴史解説

【巻5(897)。】
 
題詞  「老身重病経年辛苦及思兒等歌七首 長一首 短六首 」。「沈痾自哀文」(「病に沈んで自らを悲しむ文」)。
原文 霊剋    内限者 謂瞻浮州人壽一百二十年也 平氣久   安久母阿良牟遠  事母無   裳無母阿良牟遠  世間能   宇計久都良計久 伊等能伎提 痛伎瘡尓波   鹹塩遠   潅知布何其等久   益〃母   重馬荷尓    表荷打等   伊布許等能其等 老尓弖阿留  我身上尓    病遠等   加弖阿礼婆   晝波母  歎加比久良志  夜波母  息豆伎阿可志  年長久   夜美志渡礼婆  月累    憂吟比     許等〃〃波 斯奈〃等思騰   五月蝿奈周 佐和久兒等遠  宇都弖〃波 死波不知   見乍阿礼婆  心波母延農   可尓可久尓 思和豆良比   祢能尾志奈可由
和訳 たまきはる うちのかぎりは          たひらけく やすくもあらむを こともなく もなくもあらむを よのなかの うけくつらけく いとのきて いたききずには からしほを そそくちふがごとく ますますも おもきうまにに うはにうつと いふことのごと おいにてある あがみのうへに やまひをと くはへてあれば ひるはも なげかひくらし よるはも いきづきあかし としながく やみしわたれば つきかさね うれへさまよひ ことことは しななとおもへど さばへなす さわくこどもを うつてては しにはしらず みつつあれば こころはもえぬ かにかくに おもひわづらひ ねのみしなかゆ 05 0898 反歌
現代文  「」。
文意解説  長歌。病に苦しみ嘆く心情が切々と長文で綴られている。
歴史解説

【巻5(898)。】
 
題詞  897~903番歌に至る長短歌の題詞が記載されている。「老身重病経年辛苦及思兒等歌七首」がその題詞だが、要するに「長年病に苦しめられているが、子を思う等の歌7首」ということである。ここにいう子は一族郎党、すなわち身内の人々という意味に相違ない。
原文  奈具佐牟留  心波奈之尓  雲隠  鳴徃鳥乃  祢能尾志奈可由
和訳  慰むる 心はなしに 雲隠り 鳴き行く鳥の 音のみし泣かゆ
現代文  「雲に見え隠れしながら飛んでいく鳥のように泣けてきて仕方がない」。
文意解説  「慰むる心はなしに」は(病に苦しめられ続けているので)「慰めようもなく」ということである。
歴史解説

【巻5(899)。】
 
題詞
原文  周弊母奈久  苦志久阿礼婆  出波之利  伊奈々等思騰  許良尓佐夜利奴
和訳  すべもなく 苦しくあれば 出で走り 去ななと思へど 子らに障りぬ
現代文  「身内の人々に迷惑をかけたくないので死ぬに死ねない」。
文意解説  「あまりにも苦しく辛いのでいっそ死んでしまおうかと思うが」までが結句までの歌意。問題は結句。「子らに障(さや)りぬ」がその結句だが、単純に「子供ら」と解すると意味がぼやける。
歴史解説

【巻5(900)。】
 
題詞  「長年病に苦しめられているが、子を思う等の歌7首」。
原文  富人能  家能子等能  伎留身奈美  久多志須都良牟  絁綿良波母
和訳  富人の 家の子どもの 着る身なみ 腐(くた)し捨つらむ 絁(つむ)ぎ綿らはも
現代文  「金持ちの子らは着ることもなく捨ててしまうのかねえ、絁(つむ)ぎや綿の着物を」。
文意解説  山上憶良は筑紫国長官まで務めた高級官僚である。官僚自体が富裕層であった筈の古代のこと。その彼が「富人(とみひと)」というのは誰を念頭に置いて詠っているのだろう。
歴史解説

【巻5(901)。】
 
題詞
原文  麁妙能 布衣遠陀尓 伎世難尓 可久夜歎敢 世牟周弊遠奈美
和訳  荒栲の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべをなみ
現代文  「」。
文意解説
 前歌の絁ぎや綿は高級品。「荒栲(あらたへ)の布衣(ぬのい)は粗末な着物」。その粗末な着物さへ着せてやれないという歌である。
歴史解説

【巻5(902)。】
 
題詞
原文  水沫奈須 微命母  栲縄能  千尋尓母何等  慕久良志都
和訳  水沫なす もろき命も 栲縄の 千尋にもがと 願ひ暮らしつ
現代文  「長い長い命であってほしいと願いながら暮らしてきた」。
文意解説  「水沫(みなわ)なすもろき命も」は「水沫のように取るに足りない命だけれども」である。「栲縄(たくなは)の千尋(ちひろ)」は、直訳すれば「楮(コウゾ)製の縄1500メートルほどの」となるが、要するに「長い長い」ということ。
歴史解説

【巻5(903)。】
 
題詞  注が付されていて、「この歌は去る神龜二年(725年)に作られたものだが、類歌なのでここに登載した」とある。前歌までの歌は天平5年6月(733年)作と明記されているので本歌はその8年前の歌ということになる。
原文  倭文手纒  數母不在  身尓波在等  千年尓母何等  意母保由留加母
和訳  しつたまき 数にもあらぬ 身にはあれど 千年にもがと 思ほゆるかも
現代文  「私の命など取るに足りない命だけれども、千年も生きていたいと思う」。
文意解説  「しつたまき」は672番歌にあったように現代風にいえば安物の腕輪。要するに前歌と同工異曲の歌。
歴史解説

【巻5(904)。】
 
題詞  「戀男子名古日歌三首」(男の子古日(ふるひ)を恋うる歌3首)。「長一首 短二首」。
原文 世人之   貴慕      七種之   寳毛我波    何為    和我中能  産礼出有    白玉之   吾子古日者   明星之   開朝者     敷多倍乃  登許能邊佐良受 立礼杼毛  居礼杼毛 登母尓戯礼   夕星乃   由布弊尓奈礼婆 伊射祢余登 手乎多豆佐波里 父母毛   表者奈佐我利  三枝之   中尓乎祢牟登  愛久    志我可多良倍婆 何時可毛  比等〃奈理伊弖天 安志家口毛 与家久母見武登 大船乃   於毛比多能無尓 於毛波奴尓 横風乃     尓布敷可尓 覆来礼婆    世武須便乃 多杼伎乎之良尓 志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡   弖尓登利毛知弖 天神    阿布藝許比乃美 地祇    布之弖額拜   可加良受毛 可賀利毛 神乃末尓麻尓等  立阿射里  我例乞能米登  須臾毛   余家久波奈之尓 漸〃    可多知都久保里 朝〃    伊布許登夜美 霊剋    伊乃知多延奴礼 立乎杼利  足須里佐家婢  伏仰    武祢宇知奈氣吉 手尓持流  安我古登婆之都 世間之道
和訳 よのひとの たふとびねがふ ななくさの たからもわれは なにせむに わがなかの うまれいでたる しらたまの あがこふるひは あかほしの あくるあしたは しきたへの とこのべさらず たてれども をれども ともにたはぶれ ゆふつつの ゆふべになれば いざねよと てをたづさはり ちちははも うへはなさがり さきくさの なかにをねむと うつくしく しがかたらへば いつしかも ひととなりいでて あしけくも よけくもみむと おほぶねの おもひたのむに おもはぬに よこしまかぜの にふふかに おほひきぬれば せむすべの たどきをしらに しろたへの たすきをかけ まそかがみ てにとりもちて あまつかみ あふぎこひのみ くにつかみ ふしてぬかつき かからずも かかりも かみのまにまにと たちあざり あれこひのめど しましくも よけくはなしに やくやくに かたちつくほり あさなさな いふことやみ たまきはる いのちたえぬれ たちをどり あしすりさけび ふしあふぎ むねうちなげき てにもてる あがことばしつ よのなかのみち 05 0905 反歌
現代文  「」。
文意解説  長歌。この長歌は大変重要な歌である。というのも山上憶良は我が子を詠うことで有名になっているが、この長歌はその事実を否定する内容を含んでいる。本長歌で、「古日は長年願って授かった我が子である。はしゃぎまわりまつわりついて離れないかけがえのない子だった。が、にわかに病魔に襲われ亡くしてしまった」という意味の内容が詠われている。この長歌は憶良自身が病魔にさいなまれ死期直前の作である。ここにいう古日が本当に憶良の実子か否か怪しいが、実子としてもまつわりついて離れない幼子の時に亡くしていることが分かる。このことは山上憶良の歌に出てくる「子」を「我が子」と解してはならないことを示している。904番長歌を重要視するゆえんである。
歴史解説

【巻5(905)。】
 
題詞
原文  和可家礼婆  道行之良士  末比波世武  之多敝乃使  於比弖登保良世
和訳  若ければ 道行き知らじ 賄(まひ)はせむ 黄泉の使 負ひて通らせ
現代文  「我が子はまだ年端もいかぬ幼子ですから行き先も分かりません。黄泉の国からのお使い様、どうか背中におぶってやってお連れください。お礼は致します」。
文意解説  「若ければ道行き知らじ」は「まだ年端もいかぬ幼子ですから行き先も分かりません」という意味である。行く先は黄泉(よみ)の国。賄(まかなひ)はお礼の贈り物。
歴史解説

【巻5(906)。】
 
題詞  左注に「作者未詳だが作風や内容からして山上憶良作と思われるのでここに登載した」とある。
原文  布施於吉弖  吾波許比能武  阿射無加受  多太尓率去弖  阿麻治思良之米
和訳  布施置きて 我れは祈ひ祷む あざむかず 直に率行きて 天道(あまじ)知らしめ
現代文  「寄り道などなさらないで、まっすぐ天への道にお導きください」。
文意解説
 「布施(ふせ)置きて我れは祈(こ)ひ祷(の)む」は「お布施を捧げてお願い申し上げます」ということである。「直(ただ)に」は「まっすぐに」である。以上で巻5の終了である。
歴史解説





(私論.私見)