万葉集巻4

 (最新見直し2011.8.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、万葉集巻4について確認しておく。「訓読万葉集 巻1 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―」、「万葉集メニュー」、「万葉集」その他を参照する。

 2011.8.28日 れんだいこ拝


【巻4】
 第4巻は、484-792まで。486-540、552-626、631-695、710-792に分かれる。第4巻は相聞(そうもん)だけで構成されている。大伴家持(おおとものやかもち)と女性たちとの贈答歌が多く載せられている。ここでは、486-792を採り上げる。万葉集読解35、万葉集読解36、万葉集読解37、万葉集読解38、万葉集読解39、万葉集読解40、万葉集読解41、万葉集読解42、万葉集読解43、万葉集読解44、万葉集読解45を参照する。

【巻4(484)。】
 
題詞  「難波天皇の妹、大和においでになる兄の天皇に贈った歌」。難波天皇といえば通常、第三十六代孝徳天皇を指す。第十六代仁徳天皇も難波に都したのでそう呼ばれることもある。女性が天皇に恋焦がれる様子は85~88番歌の磐姫(いわのひめ)の歌に表れている。85番歌の題詞には「難波の高津宮の天皇」という趣旨の記載があり、「高津宮の天皇」は仁徳天皇のことなので、この歌にいう難波天皇も仁徳天皇だという解釈である。が、85番歌の題詞には磐姫は皇后と記されており、かつ、単に難波天皇ではなく「高津宮の天皇」と記されている。歌の内容に共通するものがあるという理由で難波天皇を仁徳天皇としているが、難波天皇を孝徳天皇と考えるのが自然というものであろう。

 この歌から巻四が始まる。484~792番歌(309首)のすべてが相聞歌(そうもんか)に区分されている。相聞歌は男女の恋愛感情を歌に盛り込んだものである。
原文  一日社  人母待<吉>  長氣乎  如此<耳>待者  有不得勝
和訳  一日こそ 人も待ちよき 長き日を かくのみ待たば 有りかつましじ
現代文  「一日なら待たされてもよろしいけれど、随分長く待たされております。こんなに待たされて良いのでせうか」。
文意解説  「一日こそ人も待ちよき」は「一日なら待たされてもよろしいけれど」である。「有りかつましじ」は「あってよいのでしょうか」である。幾日も幾日も長く待ってじりじりしている女性の心情がよく表現されている。
歴史解説

【巻4(485)。】
 
題詞  「崗本天皇御製一首 并短歌 」(崗本(おかもとの)天皇御製の歌及び短歌)。
原文 神代従   生継来者    人多    國尓波満而   味村乃   去来者行跡   吾戀流   君尓之不有者   晝波  日乃久流留麻弖 夜者  夜之明流寸食   念乍    寐宿難尓登   阿可思通良久茂 長此夜乎
和訳 かむよより あれつぎくれば ひとさはに くににはみちて あぢむらの かよひはゆけど あがこふる きみにしあらねば ひるは ひのくるるまで よるは よのあくるきはみ おもひつつ いもねかてにと あかしつらくも ながきこのよを
現代文
文意解説
 長歌。
歴史解説

【巻4(486)。】
 
題詞  短歌は本歌と次歌の2首あり、次歌の左注には「崗本天皇は舒明、斉明の二帝が該当するが、いずれか不詳」という趣旨の記載がある。
原文  山羽尓  味村驂  去奈礼騰  吾者左夫思恵  君二四不<在>者
和訳  山の端に あぢ群騒き 行くなれど 我れは寂しゑ 君にしあらねば
現代文
文意解説  「あぢ群(むら)」は「あじ鴨の群れ」だという。長歌の中に「人さはに国には満ちてあぢ群の騒ぎは行けど」(国には多くの人が満ちて、あじ鴨の群れが泣き騒ぎながら飛んでいくけれども)とあるので、それを承けている。要するに「世に人々はいっぱいいるけれども」の意である。「私は寂しいあなたではないので」が結句である。
歴史解説

【巻4(487)。】
 
題詞
原文  淡海路乃  鳥篭之山有  不知哉川  氣乃己呂其侶波  戀乍裳将有
和訳  近江道の 鳥篭(とこ)の山なる 不知哉川 日のころごろは 恋ひつつもあらむ
現代文  「私はここ数日君が恋しくてならないが、君もまた私のことを思ってくれているのだろうか」。
文意解説  この歌は結句の「恋ひつつもあらむ」がポイントである。「鳥篭(とこ)の山」は滋賀県彦根市の正法寺山のこととされている。この歌の作者(天皇)と彼女との位置関係が気になる。天皇は舒明か斉明か決しがたいが、いずれも岡本宮に在位した天皇である。宮は後に都が置かれた平城京からかなり南下した土地(現明日香村)にあり、そこで彼女は待っていたことになる。鳥篭の山が彦根市の山だとすると、琵琶湖東岸から岡本宮まで相当の距離がある。徒歩以外に交通手段のない時代。おそらく数日を要する距離である。普通に読めば、鳥篭の山の麓を流れる不知哉川(いざやがわ)の側を通って近江道(あふみじ)を岡本宮に向かう途中ということになる。「日(け)のころごろ」は「数日」の意なので、結句につながり、「その間、ずっと君を恋いつつ行くだろう」という意味の歌となる。ところが、上三句は単に「不知」を導く序歌とも読める。となるとやや難解な歌となる。天皇は不知哉川になど出かけてはいなく、単に下二句を言いたかっただけの歌となる。下二句は「日のころごろは恋ひつつもあらむ」だが、「数日先のことは分からないがその間、私は君を恋いつつ暮らすだろうか」という意味の歌になる。「恋いつつ暮らすのは数日間のこと(?)」という奇異な疑問に誘われる。この疑問を回避するためには「恋ひつつもあらむ」の主語は女性側と共通と受け取るしかない。こう解すると相聞歌らしくなる。
歴史解説

【巻4(488)。】
 
題詞  額田王(ぬかたのおほきみ)の作歌。近江天皇を思ひて作る歌と解されている。額田王といえば、天智天皇の后であると同時に大海人皇子(天武天皇)の恋人でもあった、あまりにも有名な万葉歌人である。20番歌の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」は国民的人気歌として一般に知れ渡っている。近江天皇は天智天皇のこと。
原文  君待登  吾戀居者  我屋戸之  簾動之  秋風吹
和訳  君待つと 我が恋ひ居れば 我が宿の 簾(すだれ)動かし 秋の風吹く
現代文  「あなたをお待ちして恋しく思っております。我が家の簾を動かし外の気配を窺いましたら、心地良い秋の風が吹いて参りました。(あなたをお待ちするのに相応しい良い風をいただいてお待ちしております)」。
文意解説  額田王歌は秀歌が多いが、この歌も秀逸である。「君待つと我が恋ひ居れば」に続く下二句jの「簾(すだれ)動かし秋の風吹く」は心憎いばかりの感性であり表現だと思う。この表現、どこか清少納言や紫式部に見られる平安文学に通じている。あるいは古今和歌集の匂いがすると言ってもいい。つまり、額田王は清少納言や紫式部に先行する才女と評せねばなるまい。この歌は巻8の1606番歌と重複している。
歴史解説
 この時期、娘の十市皇女に葛野王も生まれ、 公私共に額田王が最も充実していた時期だったと思われる。しかし、天智天皇の死後、額田王と十市皇女母娘の運命は大きく変えられる。古代最大の内乱「壬申の乱」が起き、一旦は出家し、吉野に隠棲した大海人皇子が兵を率い、 挙兵。叔父と甥の間で、皇位継承の激しい戦いが行われる。 額田王と十市皇女はこの渦中に巻き込まれる。戦いは一ヶ月で終了、672年の七月二十三日、 大友皇子は山前で自害、二十五歳の悲劇的な最期を遂げた。この戦いの間の額田王と十市皇女の動向が伝えられている当時の史料はないが、乱終了後、飛鳥に戻ったと思われる。五年後、 額田王に再び悲劇的な報せが伝えられる。 娘十市皇女が宮中で急死する。以降の様子も伝えられていない。晩年になってから弓削皇子との歌のやり取りをしたらしく、おそらく、これが額田王の歌人としての最後の活動だったと思われる。

【巻4(489)。】
 
題詞  鏡王女(かがみのおほきみ)の歌。鏡王女は額田王の姉とも言われるがはっきりしない。前歌を受けて詠んだ歌である。
原文  風乎太尓  戀流波乏之  風小谷  将来登時待者  何香将嘆
和訳  風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ
現代文  「風を受けてさえ恋する気分になれるとは羨ましい。風を受けてさえ来る人を待つ気分になれる人も居られる。私も風を受けております。何を嘆くことがありませうや」。
文意解説  この歌、巻8の1607番歌と重複している。
歴史解説

【巻4(490)。】
 
題詞  この歌と次歌は共に吹芡刀自(ふふきのとじ)の歌。刀自は女性の敬称。女将(おかみ)という感じ。
原文  真野之浦乃  与騰乃継橋  情由毛  思哉妹之  伊目尓之所見
和訳  真野の浦の 淀の継橋 心ゆも 思へや妹が 夢にし見ゆる
現代文  「その橋のように切れ目なく思っているからか夢にも彼女が現れる」。
文意解説  「真野の浦」は神戸市長田区の海岸という。二句目は「そこの淀んだ所に架かる橋は切れ目がない」という意味で序歌。
歴史解説

【巻4(491)。】
 
題詞
原文  河上乃  伊都藻之花乃  何時々々  来益我背子  時自異目八方
和訳  川上の いつもの花の いつもいつも 来ませ我が背子 時じけめやも
現代文  「川上に咲くいつもの花の名のように、いつでもいらして下さい。時を選ばず。(何の遠慮がいりませう)」。
文意解説  前歌を受けての応答歌で上二句は「いつもの花の名のように」という序歌。「時じけめやも」は「時を選ばず」で、「いつでもいらして下さい」が歌意。作者は女性の刀自だが、一人で男性側の歌(前歌)と女性側の歌(本歌)を詠んでいる。。
歴史解説

【巻4(492)。】
 
題詞  492~495番歌の4首は田部忌寸櫟子(たべのいみきいちひ)が太宰府に赴任する際の歌。この歌は櫟子を見送った舎人吉年(とねりのえとし)の歌。
原文  衣手尓  取等騰己保里  哭兒尓毛  益有吾乎  置而如何将為
和訳  衣手に取り とどこほり 泣く児にも まされる我れを 置きていかにせむ
現代文  「着物の袖にとりすがって泣く子の思いにもまして、あなたを引き止めておきたい私を残したまま、あなたは何をされているのでせう。(私を置いて去ったまま、あなたはどういうおつもりなんでせう)」。
文意解説  「衣手に取りとどこほり」は「着物の袖にとりすがって」である。
歴史解説

【巻4(493)。】
 
題詞  吉年歌に対する櫟子の返歌。
原文  置而行者  妹将戀可聞  敷細乃  黒髪布而  長此夜乎
和訳  置きていなば 妹恋ひむかも 敷栲(しきたへ)の 黒髪敷きて 長きこの夜を
現代文  「あなたを残して出立するのは心残りです。今夜は、あなたの黒髪を敷かせて長い夜を過ごしませう」。
文意解説  「敷栲(しきたへ)の」は枕詞。この歌も両様にとれる。第二句の「妹恋ひむかも」。先ず「あなたは(私を)恋しく思うだろうな」という取り方。岩波大系本以下諸本は一様にこう解している。「黒髪を敷いて長いこの夜の間中」と解する。が、こんな歌を受け取った吉年はどう思うだろうか。「何よあなたの方はどうなの」と言いたくなってしまう。いや、第三者の私でも「あなたは恋しく思うだろうな、とは何さ」と言いたくなる。少なくとも遠い太宰府に出立する際に詠われるような内容の歌ではなくなってしまう。やはり、「妹恋ひむかも」の主語は作者自身であると解したい。
歴史解説

【巻4(494)。】
 
題詞
原文  吾妹兒乎  相令知  人乎許曽  戀之益者  恨三念
和訳  我妹子を 相知らしめし 人をこそ 恋のまされば 恨めしみ思へ
現代文  「置いてきた彼女に対する恋心が募り、いっそ彼女を知らなければよかった。彼女に引き合わせた人が恨めしく思える」。
文意解説  有名な百人一首歌、権中納言敦忠の「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」を想起させるような歌である。
歴史解説

【巻4(495)。】
 
題詞
原文  朝日影  尓保敝流山尓  照月乃  不厭君乎  山越尓置手
和訳  朝日影 にほへる山に 照る月の 飽かざる君を 山越しに置きて
現代文  「まだ照り輝いている君を山の向こうに置いてきてしまって、ああ」。
文意解説  「朝日影にほへる山に照る月の」は「朝日が射してきて明るくなってきた山。が、月はまだ残っていて明るく輝いている。その月のように」である。ここまでが序歌。
歴史解説

【巻4(496)。】
 
題詞  496~499番歌は柿本人麻呂の歌。
原文  三熊野之  浦乃濱木綿  百重成  心者雖念  直不相鴨
和訳  み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど 直に逢はぬかも
現代文
 「逢いたくて逢いたくてたまらないが、旅路にある身。直接逢えないのが無念」。
文意解説
 熊野は熊野古道で有名な紀伊半島南岸部。浜木綿(はまゆふ)は温暖な海浜によく見られる多年草。白い花をつけ、根元に幾重にも葉を茂らせる。「百重(ももえ)なす」はその葉の様子を指している。心の状態を比喩的に述べたもの。ただし、単なる比喩ではなく、熊野は飛鳥ないし大和から遠く離れた場所であり、熊野にいて詠った切実さがこめられている。
歴史解説
【巻4(497)。】
 
題詞
原文  古尓  有兼人毛  如吾歟  妹尓戀乍  宿不勝家牟
和訳  いにしへに ありけむ人も 我がごとか 妹に恋ひつつ 寐ねかてずけむ
現代文
文意解説  「いにしへにありけむ人も」は「昔から恋する人は」である。結句の「寐ねかてずけむ」は「(私のように)なかなか眠りにつくことができなかったのだろうか」である。
歴史解説

【巻4(498)。】
 
題詞
原文  今耳之  行事庭不有  古  人曽益而  哭左倍鳴四
和訳  今のみの わざにはあらず いにしへの 人ぞまさりて 音にさへ泣きし
現代文  「昔の人も私のように声に出して嗚咽したのだろうか」。
文意解説  「今のみのわざにはあらず」(現代の男のありようではなく)と一般化した言い方で詠いだしているが、むろん、作者の人麻呂自身の嗚咽である。
歴史解説

【巻4(499)。】
 
題詞
原文  百重二物  来及毳常  念鴨  公之使乃  雖見不飽有武
和訳  百重にも 来及かぬかもと 思へかも 君が使の 見れど飽かざらむ
現代文  「毎日毎日今か今かと妻からの使いじゃないかと待ちわびている。なので、幾度使いの姿を見かけてももしやと胸が高まる」。
文意解説  この歌は字義にこだわってあまり理屈っぽく解しない方がよかろう。「百重(ももえ)にも来及(きし)かぬかもと」に「もしや」の思いがよく表現されている。
歴史解説

【巻4(500)。】
 
題詞  碁檀越(ごのだにをち)が伊勢國に行った時、留まった妻が作った歌。
原文  神風之  伊勢乃濱荻  折伏  客宿也将為  荒濱邊尓
和訳  神風の 伊勢の浜荻(はまおぎ) 折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に
現代文  「伊勢に旅だったあの人は葦を折って旅寝をしているのだろうか。あの波風の荒い浜辺で」。
文意解説  「神風の」はすでに81番歌に出ているように枕詞。「浜荻(はまおぎ)」は伊勢の浜辺に生えている葦(あし)のこと。当時、旅といえば野宿だったことが分かる。
歴史解説

【巻4(501)。】
 
題詞  501~503番歌は柿本人麻呂の歌。
原文  未通女等之  袖振山乃  水垣之  久時従  憶寸吾者
和訳  娘子らが 袖布留山(そでふるやま)の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我れは
現代文  「乙女たちが袖を振ったという神宮は久しく以前から鎮座し給うている。私もずっとあなたのことを思っているのだよ」。
文意解説  作者が伝えたいのは下二句。なので上三句は序歌。袖布留山(そでふるやま)は奈良県天理市に鎮座する石上神宮(いそのかみじんぐう)。瑞垣(みづがき)は神宮の境界(垣)で常緑樹で作られている。
歴史解説

【巻4(502)。】
 
題詞
原文  夏野去  小<壮>鹿之角乃  束間毛 妹之心乎  忘而念哉
和訳  夏野行く 牡鹿の角の 束の間も 妹が心を 忘れて思へや
現代文
文意解説  前歌と同様、上三句は序歌である。夏の若い牡鹿は角が生えだして間がなく、短い(束の間)ということから来ている比喩に相違ない。「妹が心」は「妻の心」だが、むろん妻を思う作者の心でもある。「忘れて思へや」は「(束の間も)忘れることがあろうか」の意である。
歴史解説

【巻4(503)。】
 
題詞
原文  珠衣乃  狭藍左謂沈  家妹尓 物不語来而  思金津裳
和訳  玉衣の さゐさゐしづみ 家妹に 物言はず来にて 思ひかねつも
現代文  「あわただしさにまぎれて十分に声もかけずに出立してしまったが、それが心残りで心苦しい」。
文意解説  「玉衣(たまきぬ)の」は着物のことだが、第二句の「さゐさゐしづみ」は万葉歌に他に例がなく正確なことは分かりかねる。「さゐさゐ」は衣擦れの音だろうか?。それとも出立時のあわただしいざわめきだろうか?。「しづみ」とあるから、旅路についてしばらく(数日)してあわただしい思いが冷めてきた頃の歌とみてよかろう。いとしい人を置いて家を出た人の心情が詠われている。
歴史解説

【巻4(504)。】
 
題詞  柿本朝臣人麻呂妻歌一首。
原文  君家尓  吾住坂乃  家道乎毛  吾者不忘  命不死者
和訳  君が家に 我が住坂の 家道をも 我れは忘れじ 命死なずは
現代文  「あなたと住んだ家路は忘れはしません。命ある限りは」。
文意解説  郎女(いらつめ)だの妹(いも)だのではなく妻と明記している。妻は今日いう妻とは同概念ではないにしろ共に同一の家に居住していた女性と理解してよかろう。「君が家に我が住坂の」は、「住坂(すみさか)という地名に住む」の意をもたせた言い方で序歌。出だしの「君が家に」ついて、岩波大系本は、「ただし君の家にわが(女)住むというのは当時の習俗に反する。君は吾の誤り、吾は君の誤りではあるまいか」と記し、補注を設けて詳細に解説している。「君が家に」は「吾が家に」の誤りではないかというのである。が、そう解すると第二句の「我が住坂の」の意味の解が苦しくなる。自分の家に自分が住むのは当たり前。直接「我が住坂の家道(いへぢ)」でよく、第一句が完全に不要となってしまう。そればかりではない。妻が同居するのは当時でも一般的だったに相違ない。単なる女(をとめ)ではない。源氏物語の世界を想定してのことか知らないが、「ただし君の家にわが(女)住むというのは当時の習俗に反する」などとどうして断定できるのだろう。高級貴族が女の許へ通うということはありえてもそれが当時の習俗だったなどと言っていいのだろうか。否、柿本人麻呂ないしその前の時代はそうだったとは言わせない。すでにみたように大伴旅人は452番歌で「妹としてふたり作りし我が山斎は木高く茂くなりにけるかも」、453番歌で「我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽せつつ涙し流る」と詠っている。旅人と妻は同居生活を営んでいたことが分かる。大伴旅人は柿本人麻呂よりも上位の高級官人である。
歴史解説

【巻4(505)。】
 
題詞  本歌と次歌の二首は安倍女郎(あへのいらつめ)の歌。誰に宛てての歌か何も書かれていないので不明。
原文  今更  何乎可将念  打靡  情者君尓  縁尓之物乎
和訳  今さらに 何をか思はむ うち靡き 心は君に 寄りにしものを
現代文  「この私はあなた様にすっかりなびいていますのに」。
文意解説  「今さらに何をか思はむ」は「今さら何を思い悩むことがありましょう」だ。
歴史解説

【巻4(506)。】
 
題詞
原文  吾背子波  物莫念  事之有者  火尓毛水尓<母>  吾莫七國
和訳  我が背子は 物な思ひそ 事しあらば 火にも水にも 我れなけなくに
現代文
文意解説  結句は「私がいないわけではなにのに」で、つまり「私がついているではありませんか」である。前歌といいこの歌といい、作者安倍女郎とその恋人との間には何か障害があって、彼の方に悩みがあるらしいことが察せられる。
歴史解説

【巻4(507)。】
 
題詞
原文  敷細乃  枕従久々流  涙二曽  浮宿乎思家類  戀乃繁尓
和訳  敷栲(しきたへ)の 枕ゆくくる 涙にぞ 浮寝をしける 恋の繁きに
現代文  「一人でこうして寝ていると、枕から流れ落ちる涙に浸っております。あなた様の浮気の様子には呆れております」。
文意解説  駿河婇女(するがのうねめ)の歌。激しい恋心を詠った采女の文学的表現。結句の「恋の繁きに」に恋い焦がれる恋情の強さがよく出ている。
歴史解説

【巻4(508)。】
 
題詞  三方沙弥(みかたのさみ)の歌。三方沙弥には123~125番歌にかけて病床の妻との心痛に満ちた、仲むつまじいやりとりが詠われている。
原文  衣手乃  別今夜従  妹毛吾母  甚戀名  相因乎奈美
和訳  衣手の 別かる今夜ゆ 妹も我れも いたく恋ひむな 逢ふよしをなみ
現代文  「袖触れることがなくなった今夜から、妻も私も互いに強く恋い焦がれることになるだろうよ」。
文意解説  「衣手の別かる」は何であろう。「袖触れることがなくなった」。「死別」を表現しているのかも。結句の「逢ふよしをなみ」は「(死別し)逢うてだてがない」という意味になり心痛極まりない歌である。病床の妻があの世に旅立ったのだろうか。
歴史解説

【巻4(509)。】
 
題詞  丹比真人笠麻呂(たぢひのまひとかさまろ)が筑紫國に下って来た時に作った長、短歌。
原文
和訳
現代文
文意解説
 長歌。
歴史解説

【巻4(510)。】
 
題詞
原文  白<細>乃  袖解更而  還来武  月日乎數而  徃而来猿尾
和訳  白栲の 袖解き交へて 帰り来む 月日を数みて 行きて来ましを
現代文
文意解説  「白栲の袖解き交へて」は状況がはっきりしない表現である。「彼女と一夜を共にして」の意に相違ないから「帰り来む」は彼女と「別れてきた」ということになる。「月日を数(よ)みて」は「いつごろ会えるだろうか」の意。結句の「行きて来ましを」は「別れてきたけれど引き返して再会を約せばよかった」という意味になる。筑紫から遠い大和の彼女の元へ飛んで行きたい心情を詠んだとも取れる。
歴史解説

【巻4(511)。】
 
題詞  43番歌と全く同一の歌である。43番歌は柿本人麻呂の妻の歌と記されているが、この歌の題詞には當麻麻呂(たぎまのまろ)の妻の歌と記されている。
原文  吾背子者  何處将行  己津物  隠之山乎  今日歟超良<武>
和訳  我が背子は いづく行くらむ 沖つ藻の 名張の山を 今日か越ゆらむ
現代文
文意解説  「沖つ藻の」は枕詞とされるがこの一例のみで枕詞(?)といわねばならない。
歴史解説

【巻4(512)。】
 
題詞  草嬢の歌。
原文  秋田之 穂田乃苅婆加 香縁相者  彼所毛加人之  吾乎事将成
和訳  秋の田の 穂田の刈りばか か寄りあはば そこもか人の 我を言成さむ
現代文  「秋田穂を刈る場に穂の香りが加わる。そうしてそこで共に刈り取る作業を行うと、それだけで私は噂を立てられるでしょうか」。
文意解説
 嬢は「をとめ」、「いらつめ」などと読まれるが一定しない。草嬢を田舎娘の意に解する論者もいる。が、「草」字を取りあげて「田舎」の意に直結させるのは疑問である。人名なら一般的に「草嬢」は草氏の娘を指すからである。第一句「秋田之」を「秋の田の」と訓んでいるが「秋乃田之」とは書かれていない。たとえば3533番歌の第一句は「比登乃兒乃」と書かれている。第二句の「穂田の刈りばか」は「刈場か」という疑問詞?。さらに第三句「か寄りあはば」、5音句では珍しい字余りの上、「か寄り」の「か」は何?。岩波大系本は意味不明としている。さらに大きな疑問は「秋田の~あはば」の意味が不可解。そこで私の訓じ方だが、三句までの「秋田之 穂田乃苅婆加 香縁相者」を「秋田之穂 田乃苅婆加香 縁相者」と区切って訓じ、「秋田の穂刈り場に香立ち寄りあはば」と訓じてみたい。「秋田之穂」と続けた例は1567番歌にあって、「秋田之穂立」と記されている。作者は朝廷に勤める地方官の娘で、休暇をもらって実家に戻り稲刈りを手伝う際の歌と解することもできよう。
歴史解説

【巻4(513)。】
 
題詞  志貴皇子(しきのみこ、天智天皇の皇子)の歌。
原文  大原之  此市柴乃  何時鹿跡  吾念妹尓  今夜相有香裳
和訳  大原の このいつ柴の いつしかと 我が思ふ妹に 今夜逢へるかも
現代文
文意解説  「大原のこのいつ柴の」は「いつしか」を導く序歌。「いつ柴」は繁った柴の木のことだろう。結句の「今夜逢へるかも」を「今夜逢うことができた」と過去形に解する書もあるが、「いよいよ今宵逢うことになった」という作者のたかぶった表現と取ることはできないだろうか。
歴史解説

【巻4(514)。】
 
題詞  阿倍女郎(あべのいらつめ)の歌。
原文  吾背子之  盖世流衣之  針目不落  入尓家良之  我情副
和訳  我が背子が 着せる衣の 針目おちず 入りにけらしも 我が心さへ
現代文  「縫い目に私の心も閉じ込めました」。
文意解説  「着せる」は「お召しになる」で、「せる」は敬語。「針目おちず」は面白い表現。
歴史解説

【巻4(515)。】
 
題詞  中臣朝臣東人(なかとみのあそみあづまひと)が阿倍女郎に贈った歌。
原文  獨宿而  絶西紐緒  忌見跡  世武為便不知  哭耳之曽泣
和訳  ひとり寝て 絶えにし紐を ゆゆしみと 為むすべ知らに 音のみしぞ泣く
現代文  「ひとりでに紐が切れてしまっても(ほどけてしまっても)相手となる君がおりません。おいおいと声を出して泣いております」。
文意解説  「絶えにし紐を」は「切れてしまった着物の紐を」、「ゆゆしみと」は「縁起でもないと」である。また「為(せ)むすべ知らに」は「どうしていいか分からずに」である。「音(ね)のみしぞ泣く」は「声に出して泣く」である。ただ、この歌、着物の紐が切れたくらいであわてふためき、大声で泣くなど、どこか大袈裟である。それを歌にして当の女性に贈るのだから、これを読んだ相手の女性がどう反応するか予想しているわけである。ここで役に立つのが「ひとり寝て」である。紐を解くというのは男女交合を意味する。そこで、この歌は「貴女(あなた)が一緒に寝てくれず、独り寝をしていたら」と詠いだしていることになる。冷たい女に対する恨み節といっていい。かって共に住み、あるいは一度は共寝したことがある女性なのかも知れない。
歴史解説

【巻4(516)。】
 
題詞  前歌に対する阿倍女郎の返歌。
原文  吾以在  三相二搓流  絲用而  附手益物  今曽悔寸
和訳  我が持てる 三相に搓れる 糸もちて 付けてましもの 今ぞ悔しき
現代文  「この丈夫な糸であなたを結びつけておくんだったのに、今ごろなんでしょう」。
文意解説  「三相(みつあひ)に搓(よ)れる糸」は三本の糸を縒り合わせた丈夫な糸」ラブゲームのような見事な女性側の返歌の内容である。
歴史解説

【巻4(517)。】
 
題詞  大納言兼大将軍大伴卿(おほとものまへつきみ)の歌。大伴卿は大伴安麻呂のことで、いわば大伴旅人の父。
原文  神樹尓毛  手者觸云乎  打細丹  人妻跡云者  不觸物可聞
和訳  神木にも 手は触るといふを うつたへに 人妻といへば 触れぬものかも
現代文
文意解説  「神木(かみき)にも手は触るといふを」は、「触れれば罰せられるという神木(しんぼく)にさえ触れることがあるというのに」である。「うつたへに」は「決して」である。下二句は「ただ人妻といえば決して触れてはいけないのだろうか」である。
歴史解説

【巻4(518)。】
 
題詞  石川郎女(すなわち佐保の大伴家の大家也)の歌。石川郎女は大津皇子や草壁皇子と恋のやりとりをした女性として有名だが、題詞に「佐保の大伴家の大家也}とわざわざ断り書きがされている。つまり、石川郎女と言っただけでは誰のことか分からなかったことを示している。換言すれば、石川郎女は複数いたことがうかがわれる。それはさておき、ここは安麻呂の妻としての石川郎女。
原文  春日野之  山邊道乎  於曽理無  通之君我  不所見許呂香聞
和訳  春日野の 山辺の道を 恐りなく 通ひし君が 見えぬころかも
現代文  「その道をものともせずあなたは通っておいでだったのにこのごろお姿がみえないですね」。
文意解説  「春日野の山辺の道を恐りなく」とあるから春日野の神社の山辺の道は聖道ないし険しい危険道として恐れられていたようだ。前歌を意識しながら作られた歌なのだろうか。そうだとすると、「妻は絶対(触れてはならない)とおっしゃりながら姿をお見せになりませんね」という皮肉がこもっていることになる。
歴史解説

【巻4(519)。】
 
題詞  大伴女郎(おおとものいらつめ)の歌。(彼女は)今城王(いまきのおほきみ)の母なり。今城王は後に大原真人(まひと)を賜った氏(うぢ)なり。大伴女郎は大伴旅人の妻。前歌といいこの歌といい、大伴一族の歌には詳しい情報を登載している。大伴旅人や大伴家持等々万葉集には大伴一族の歌が多いことを勘案すると万葉集の成立は大伴一族の意志が強く働いていると感じざるを得ない。
原文  雨障  常為公者  久堅乃  昨夜雨尓  将懲鴨
和訳  雨障み 常する君は ひさかたの 昨夜の雨に 懲りにけむかも
現代文  「久しぶりにいらしゃった昨夜なのに折悪しく雨が降り、もう私のところへ来るのに懲りてしまわれたのでしょうか」。
文意解説  「雨障(あまつつ)み常(つね)する君は」は「いつも雨を口実になさるあなたは」の意である。ぽつんぽつんとしかやってこない夫に対する、こちらは女性の恨み節である。
歴史解説

【巻4(520)。】
 
題詞
原文  久堅乃  雨毛落粳  雨乍見  於君副而  此日令晩
和訳  ひさかたの 雨も降らぬか 雨障み 君にたぐひて この日暮らさむ
現代文  「雨を口実に今度は君に寄り添って(たぐひて)暮らしたいものを」。
文意解説  前歌に対し後の人が返した歌。後の人とは誰のことを指すのか不明である。「雨も降らぬか」は「雨よ降ってくれないか」である。「雨障(あまつつ)み」は前歌のお返し。
歴史解説

【巻4(521)。】
 
題詞  藤原宇合大夫(うまかひのまえつきみ)が京に復帰して上京するとき、常陸(茨城県)の娘子(をとめ)が贈った歌。
原文  庭立  麻手苅干  布暴  東女乎  忘賜名
和訳  庭に立ち 麻手刈り干し 布さらす 東女を 忘れたまふな
現代文
文意解説  宇合といえば後期難波宮の改造を成し遂げ喜びの歌(312番歌)を遺している人物である。が、この歌によって宇合は常陸国にも赴任していたことが知られる。この歌このままで分かると思うが、ただ一点第二句の「麻手(あさで)刈り干し」が分からない。各書とも(庭に立つ麻手)と解しているので「麻手」とは何かという問題が発生する。発句の「庭立」(原文)を本当に「庭に立つ」と訓じていいのだろうか。万葉集では植物が立っている状態は「生ふる」と表現している。「生ふる紫草」(395番歌)、「生ふる菅」(791番歌)、「生ふる白つつじ」(1905番歌)等々実に多くの実例がある。これに対し、「立つ」は、立つ波、立つ雲、立つ霧などと使われ、具体的な植物には使われていない。立つを後ろにした例でも、波立つ、雲立つ、霧立つ等だ。「真木立つ」という例があるがこれは麻が生えるなどという次元の言葉ではなく、うっそうとそそり立つ樹木の形容だ。このように、麻が生えている状態を表現するために「庭立」と表現する筈はない。「庭尓生」(庭に生ふ)とでも表記する筈なのである。結論。「庭立」は「庭に立ち」と訓ずるのが正しく、作者の女性が庭に立って麻を手で刈り取っている情景なのである。こういう奇妙な読解が生じた原因はおそらく佐々木本にあるのではなかろうか。「庭立」を「庭に立つ」と訓じており、各書がこれにならったのでこうなったのではないかと思う。そのことより、この歌で私が一番興味を引かれたのは作者は自身のことを東女(あづまをんな)と表現していることである。つまり彼女は東国常陸の国の女性なのである。その女性が万葉仮名を駆使して歌作しているのである。歌は当時でも貴族や高級官人の占有ではなく、かなり大きく広がっていたのではないかと思われる。
歴史解説

【巻4(522)。】
 
題詞  京職藤原大夫(ふじはらのまえつきみ)が大伴郎女に贈った歌三首。大夫は藤原麿(ふじはらのまろ)のことで、不比等(ふひと)の子。前歌に見える藤原宇合(うまかひ)ともども藤原四家(南家、北家、式家、京家)を形成する。麿は京家の祖。大伴郎女(おおとものいらつめ)は大伴旅人の妻として太宰府に同行した女性。が、528番歌の左注に「実は坂上郎女(さかのうえのいらつめ)のこと」とある。坂上郎女は大伴旅人の妹。妻の大伴郎女と同一人なのだろうか(?)。
原文  「女+感」嬬等之 珠篋有  玉櫛乃  神家武毛  妹尓阿波受有者
和訳  娘子らが 玉櫛笥なる 玉櫛の 神さびけむも 妹に逢はずあれば
現代文
文意解説
 上三句「娘子(をとめ)らが玉櫛笥(たまくしげ)なる玉櫛の」は「女性が櫛箱にしまう櫛のように」で、「神さびけむ」の序歌とされる。「神さび」は「古びた」の意と解され、それでいいのだが、私は「しまい置かれた櫛」すなわち「捨て置かれたままの櫛」と解したい。
歴史解説

【巻4(523)。】
 
題詞
原文  好渡  人者年母  有云乎  何時間曽毛  吾戀尓来
和訳  よく渡る 人は年にも ありといふを いつの間にぞも 我が恋ひにける
現代文  「私は寸時も(いつの間にぞも)待てず恋しさがつのります」。
文意解説  この歌3264番歌に類似していると言われる。両歌を併記すると次のとおりである。本歌「よく渡る人は年にもありといふをいつの間にぞも我が恋ひにける 」。類似歌「 年渡るまでにも人はありといふをいつの間にぞも我が恋ひにける」。ほぼ同一歌と断じていい。つまり、藤原麿がそっくりそのまま古歌を借用したとしてよかろう。3264番歌は「古事記には木梨軽皇子の歌とある」と注記している。そうだとすると、歌は大変な古歌ということになる。何しろ木梨軽皇子は十九代允恭天皇の皇子なのだから・・・。なお、木梨軽皇子はずっと後世,四十二代文武天皇として即位する軽皇子とは全く別人物。それはさておき、この古歌により本歌の歌意がはっきりする。「年渡る」というのであるから、「年をまたぐ」すなわち「一年に一度」といった意味になる。七夕の古事を下敷きにしていること明らかである。「よく渡る人は年にもありといふを」は「よく~というけれど」で、「よく一年一度の逢う瀬を待つというけれど」の意である。
歴史解説

【巻4(524)。】
 
題詞
原文  蒸被  奈胡也我下丹  雖臥 与妹不宿者  肌之寒霜
和訳  むし衾 柔やが下に 伏せれども 妹とし寝ねば 肌し寒しも
現代文  「暖かなフトンで寝ててもあなたがいないので肌寒い」。
文意解説  「むし衾(ふすま)」はカラムシの繊維で作られている寝具。「柔(なご)やが下に」は「やわらかく暖かいフトンの下に」である。
歴史解説

【巻4(525)。】
 
題詞  藤原麿に代わってこの歌から4首は大伴郎女の歌。麿の523番歌に応えた歌。
原文  狭穂河乃  小石踐渡  夜干玉之  黒馬之来夜者  年尓母有粳
和訳  佐保川の 小石踏み渡り ぬばたまの 黒馬来る夜は 年にもあらぬか
現代文  「佐保川の小石を踏みしめてあなたを乗せた黒馬がやって来る夜が年に一度もあるのでしょうか」。
文意解説  「ぬばたまの」は枕詞。
歴史解説

【巻4(526)。】
 
題詞  前歌と同じく523番歌に応えた歌。
原文  千鳥鳴  佐保乃河瀬之  小浪  止時毛無  吾戀者
和訳  千鳥鳴く 佐保の川瀬の さざれ波 やむ時もなし 我が恋ふらくは
現代文
文意解説  上三句「千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波」は途絶えることのない恋心の比喩。523番歌の「寸時も(いつの間にぞも)待てず」に「こちらこそやむ時もなし」と応えた歌である。
歴史解説

【巻4(527)。】
 
題詞
原文  将来云毛  不来時有乎  不来云乎  将来常者不待  不来云物乎
和訳  来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを
現代文  「ましていらっしゃらないとおっしゃるなら待てませんわ。そうおっしゃるのですもの」。
文意解説  言葉遊びに託した歌である。「来むと言ふも来ぬ時あるを」は「来るとおっしゃりながらいらっしゃらないことがあるのですもの」である。そして「来じと言ふを来むとは待たじ」。この応酬、一見丁々発止のバトルに見える。が、古歌を安易に借用する麿とは歌才に雲泥の差がある。この言葉遊びなど、並の才能で出来る歌ではない。
歴史解説

【巻4(528)。】
 
題詞  525~6番歌に引っかけた心憎い歌。
原文  千鳥鳴  佐保乃河門乃  瀬乎廣弥  打橋渡須  奈我来跡念者
和訳  千鳥鳴く 佐保の川門の 瀬を広み 打橋渡す 汝が来と思へば
現代文  「(黒馬でいらしゃると思って)広い渡し場には長い大きな板橋を渡しておきますね」。
文意解説  川門(かわと)は川を渡るのに好都合な場所。「川門の瀬を広み」は「その瀬が広いので」の意。打橋(うちはし)は板で作った橋。相手の歌と自分の歌とを関連づけて物語風に仕立てた歌才の確かさは額田王(ぬかたのおほきみ)に並ぶ才媛ぶりである。この歌には大略次のような注意書きが付されている。「右にいう郎女(いらつめ)は大伴安麻呂の娘で、初め穂積皇子(ほずみのみこ)に嫁ぎ、その皇子の死後、藤原麻呂が求婚。佐保川の坂上の里に住むところから坂上郎女(さかのうえのいらつめ)と呼ばれる」。この注によって旅人の妻の大伴郎女とは別人と知れる。大伴郎女は大伴氏の娘という意味に過ぎず複数存在も十分あり得る。
歴史解説

【巻4(529)。】
 
題詞  又、坂上郎女の歌。
原文  佐保河乃  涯之官能  少歴木莫苅焉  在乍毛  張之来者  立隠金
和訳  佐保川の 岸のつかさの 柴な刈りそね ありつつも 春し来たらば 立ち隠るがね
現代文  「岸の高みに生える柴は刈り取らないで下さいな。春が来て繁ったなら恋の隠れ家になりますもの」。
文意解説  本歌は短歌ではなく、五七七五七七の旋頭歌(せどうか)形式の歌。前4首の関連歌。「岸のつかさ」は川岸の高い所。柴は小雑木。
歴史解説

【巻4(530)。】
 
題詞  天皇、海上女王(うなかみのおほきみ)に賜う御歌。細注に「寧樂宮(ならのみや」に即位した天皇なり」とある。左注に、「今考えると、古歌を模した歌のようである」とある。四十五代聖武天皇。女王は天智天皇の孫娘。
原文  赤駒之  越馬柵乃  緘結師  妹情者  疑毛奈思
和訳  赤駒の 越ゆる馬柵の 標結ひし 妹が心は 疑ひもなし
現代文  「彼女の心に疑いなどあろう筈がない」。
文意解説  第三句原文「緘結師」を岩波大系本は「緘にシメの意義なく」としてここは「結びてし」と訓ずべきとしている。確かに緘は「ひも」、「結び目」といった意味で、標(シメ)とは言い難い。が、ここの第二句は「越ゆる馬柵(うませ)の」と「の」(原文「乃」)が付いていて、「緘」を受けるのが自然。それを無視して「結びてし」とするのはどうか。やはり旧訓どおり「標結ひし」とするのが適切。シメ(標)は結び目と考えれば緘である。「赤駒の越ゆる馬柵の標結ひし」までの上三句は「固く約束し合った」の意。3028番歌に「大海の底を深めて結びてし妹が心はうたがひもなし」とある。古歌とはこのことか。が、両歌の先後関係は容易に決定し難い。
歴史解説

【巻4(531)。】
 
題詞  前歌に応えた海上女王の歌。
原文  梓弓  爪引夜音之  遠音尓毛  君之御幸乎  聞之好毛
和訳  梓弓 爪引く夜音の 遠音にも 君が御幸を 聞かくしよしも
現代文
文意解説  「梓弓」(あづさゆみ)は枕詞。「梓弓爪引く夜音(よと)の遠音(とほと)にも」は「弓を爪引く弦のその遠音にも」という意味。が、実音なのか比喩表現なのかはっきりしない。「御幸(みゆき)を聞かくしよしも」は「行幸なさっているご様子をお聞きするのはうれしゅうございます」である。私は、海上女王が使者から御歌を受け取ったのは夜だったと解している。その使者から狩りの様子などを聞いての歌ではなかろうか。
歴史解説

【巻4(532)。】
 
題詞  この歌と次歌は大伴宿奈麻呂宿祢(おおとものすくなまろすくね)の歌。宿奈麻呂は安麻呂の子で、旅人の弟。
原文  打日指  宮尓行兒乎  真悲見  留者苦  聴去者為便無
和訳  うちひさす 宮に行く子を ま悲しみ 留むれば苦し 遣ればすべなし
現代文
文意解説  「うちひさす」は枕詞。「宮に行く子を」は「宮仕えに出る娘を」の意味。采女(うねめ)として出仕することになったのだろう。宿奈麻呂は中央の高級官人。地方豪族の娘が出仕する采女と同一視できないかもしれないが。もし采女なら『後宮職員令』(ごくうしきいんりょう)には、「三十歳以下、十三歳以上」とあるから若い娘である。歌の内容からすると初出仕に相違なく、まだ十代の娘かもしれない。親元から娘が離れるのは悲しい。さりとて晴れがましい出仕を止めるのは心苦しい。その心情を吐露したのが「留むれば苦し」である。他方、出仕することになれば、親元から離れ、逢う術もない。「遣(や)ればすべなし」である。宮仕えに出す親の本音と建て前が見事に表現された一首である。
歴史解説

【巻4(533)。】
 
題詞
原文  難波方  塩干之名凝  飽左右二  人之見兒乎  吾四乏毛
和訳  難波潟 潮干のなごり 飽くまでに 人の見る子を 我れし羨しも
現代文  「潮が引いた後の光景は飽きるほど眺めていられるのに。そのように眺められる(共に生活している)娘のいる人が羨ましい」。
文意解説  前歌の娘出仕後の心情を吐露した歌。上三句の「難波潟潮干のなごり飽くまでに」は序歌。
歴史解説

【巻4(534)。】
 
題詞  「安貴王歌一首 并短歌」(安貴王(あきのおほきみ)の歌及び短歌)。
原文 遠嬬    此間不在者    玉桙之   道乎多遠見   思空    安莫國    嘆虚    不安物乎    水空徃   雲尓毛欲成  高飛   鳥尓毛欲成  明日去而  於妹言問    為吾    妹毛事無    為妹    吾毛事無久   今裳見如    副而毛欲得
和訳 とほづまの ここにしあらねば たまほこの みちをたどほみ おもふそら やすけなくに なげくそら くるしきものを みそらゆく くもにもがも たかとぶ とりにもがも あすゆきて いもにことどひ あがために いももことなく いもがため われもことなく いまもみるごと たぐひてもがも 04 0535 反歌
現代文
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻4(535)。】
 
題詞  左注が付いていて大略次の通りである。「安貴王は因幡(鳥取県東部)出身の八上采女(やかみのうねめ)を妻としたが、彼女は不敬罪に問われ出身地因幡に戻された」。
原文  敷細乃  手枕不纒  間置而  年曽經来  不相念者
和訳  敷栲の 手枕まかず 間置きて 年ぞ経にける 逢はなく思へば
現代文  「共寝できなくなってからもう一年が経つ。逢わなくなってからもうそんなにも」。
文意解説  「敷栲(しきたへ)の」は枕詞。「手枕まかず」は「共寝することなく」、「間置きて年ぞ経にける」は「月日が経って一年になってしまった」。結句「逢はなく思へば」が難解である。「妹と逢わないことをつくづく思うと」(岩波大系本)。「あの子に逢えないでいることを思うと・・・」(伊藤本)、「逢わないことを考えると」(中西本)等々と解されている。が、これでは「年ぞ経にける」までの意味とつながりが悪い。「逢わない」を事柄のように解してしまうと、それがなぜ「年ぞ経にける」に結びつくのかと言いたくなる。私は「思へば」は心情の吐露(詠嘆)だと思う。
歴史解説

【巻4(536)。】
 
題詞  門部王(かどへのおほきみ)の歌。左注に「門部王は出雲守に任ぜられた旨の記載がある。左注の趣旨は「出雲守在任中に出雲女性と結婚するもほどなくして別れる。その後、再度恋心を抱いた」というもの。
原文  飫宇能海之  塩干乃鹵之  片念尓  思哉将去  道之永手呼
和訳  意宇の海の 潮干の潟の 片思に 思ひや行かむ 道の長道を
現代文  「これからの長い人生をあなたを恋うる片思いのまま進んでいかねばならぬのでしょうか」。
文意解説
 意宇(おう)の海は松江市の東方にある中海。門部王の歌は371番歌にもある。同歌の題詞には「出雲守門部王が京(みやこ)をしのんで作った歌」とある。つまり出雲守に着任して間もない頃の歌と目される。今回の歌は着任後相当経ってからの歌。上二句「意宇の海の潮干の潟(かた)の」は「片思(かたもひ)」を導く序歌。
歴史解説

【巻4(537)。】
 
題詞  高田女王(たかたのおほきみ)から今城王(いまきのおほきみ)に贈った歌。537~542番歌の六首。高田女王は長屋王の孫娘とされる。また今城王は519番歌の題詞によれば坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の子。
原文  事清  甚毛莫言  一日太尓  君伊之哭者  痛寸敢物
現代文  言清く いともな言ひそ 一日だに 君いし無くは たへかたきかも
和訳
文意解説
 「言(こと)清くいともな言ひそ」は「聖人君主のようなそんなにお堅いことをおっしゃらないで」である。下三句は「あなたなしには一日とて耐えられませんわ」である。「君いし」の「い」や「し」は万葉歌にしばしば見られる強意語。
歴史解説

【巻4(538)。】
 
題詞
原文  他辞乎  繁言痛  不相有寸  心在如  莫思吾背<子>
和訳  人言を 繁み言痛み 逢はずありき 心あるごとな 思ひ我が背子
現代文  「人の口がうるさいのでお逢いしなかっただけです。決してふたごころがあるなどと思わないで下さいな、あなた」。
文意解説
 「繁み言痛(こちた)み」は「人の口がうるさくわずらわしいので」である。「心あるごと」は「ふたごころがあるなどと」。「な思ひ」は「な思ひそ」の「そ」が省略された形。むろん禁止文句。
歴史解説

【巻4(539)。】
 
題詞
原文  吾背子師  遂常云者  人事者  繁有登毛  出而相麻志<乎>
和訳  我が背子し 遂げむと言はば 人言は 繁くありとも 出でて逢はましを
現代文
文意解説  「繁(しげ)くありとも」は「口うるさかろうとも」である。「遂げむ」が難解である。交際宣言か性交渉か結婚か。常識的には「結婚しようと言って下されば」と解する。
歴史解説

【巻4(540)。】
 
題詞
原文  吾背子尓  復者不相香常  思墓  今朝別之  為便無有都流
和訳  我が背子に または逢はじかと 思へばか 今朝の別れの すべなかりつる
現代文  「思うからなのか、今朝の別れが切なくやりきれない」。
文意解説
 「我が背子にまたは逢はじかと」は「あの方にもう二度と逢うことはあるまいと」である。
歴史解説

【巻4(541)。】
 
題詞
原文  現世尓波  人事繁  来生尓毛  将相吾背子  今不有十方
和訳  この世には 人言繁し 来む世にも 逢はむ我が背子 今ならずとも
現代文  「口うるさいこの世では駄目でも来世にお逢いしましょう」。
文意解説  この歌も平明な歌。
歴史解説

【巻4(542)。】
 
題詞
原文  常不止  通之君我  使不来  今者不相跡  絶多比奴良思
和訳  常やまず 通ひし君が 使ひ来ず 今は逢はじと たゆたひぬらし
現代文  「その使いが来なくなったのは、今は逢うまいとためらっていらっしゃるのでしょうか」。
文意解説  「常やまず通ひし君が使ひ」は「絶え間なくやってきたあの方の使い」である。以上で高田女王の歌は終了である。これらから推察されるのは、彼女と今城王とは今でいう、いわゆる不倫の関係にあったらしいことである。前々歌の「来世にお逢いしましょう」にそれがよく表現されている。不倫の種は今も昔も尽きないようだ。
歴史解説

【巻4(543)。】
 
題詞
原文
和訳
現代文
文意解説
 長歌。内容は「あなたを追ってどこまでもついていきたいが、女の身。どうしていいか分からない」というもの。
歴史解説

【巻4(544)。】
 
題詞
原文  後居而  戀乍不有者 木 國乃  妹背乃山尓  有益物乎
和訳  後れ居て 恋ひつつあらずは 紀の国の 妹背の山に あらましものを
現代文  「紀伊の妹背の山になってずっとおそばにいたい」。
文意解説  この歌と次歌の二首は543番長歌の内容を知らないと分かりづらい。先ず題詞。この長短歌は、神龜元年(724年)に聖武天皇が紀伊國(和歌山県)に行幸された際、お伴した人の恋人に頼まれて笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が作った歌。「後れ居て」は「大和にいて」という意味だと分かる。
歴史解説

【巻4(545)。】
 
題詞
原文  吾背子之  跡履求  追去者  木乃關守伊  将留鴨
和訳  我が背子が 跡踏み求め 追ひ行かば 紀の関守い 留めてむかも
現代文  「あなたの歩いた後を追っていったら関所の番人にとめられてしまうのでしょうか。どこまでもついてゆきたいですのに」。
文意解説  
歴史解説

【巻4(546)。】
 
題詞  神亀二年(725年)春三月聖武天皇の三香原離宮(みかはらのとつみや)(京都府相楽郡)行幸の折、娘子(をとめ)を得て笠朝臣金村によって作られた長短歌。
原文
和訳
現代文
文意解説  長歌。
歴史解説

【巻4(547)。】
 
題詞  先に見た神龜元年の紀伊國行幸とは別の行幸。本歌と次歌がこの折の歌。「娘子を得て」とあるが何のことであろう。
原文  天雲之  外従見  吾妹兒尓  心毛身副  縁西鬼尾
和訳  天雲の 外に見しより 我妹子に 心も身さへ 寄りにしものを
現代文
文意解説  「天雲の外に見しより」は、「高い空や雲のように遠くから見ていた」の意味だが、その彼女に「身も心も引かれてしまった」という歌である。この歌だけでは「娘子を得て」がはっきりしない。
歴史解説

【巻4(548)。】
 
題詞
原文  今夜之  早開者  為便乎無三  秋百夜乎  願鶴鴨
和訳  今夜の 早く明けなば すべをなみ 秋の百夜を 願ひつるかも
現代文  
文意解説  「今夜(こよひ)の早く明けなば」は文字通り「今夜が早く明けてしまったら」である。「すべをなみ」は「することもない」だが、意味的には「味気ない」の意。この歌の時期は春三月(現在の4~5月)のことなので、「秋の百夜を願ひつるかも」は「秋の夜長のように夜がずっと続けばいいのに」という意味になる。ここまできても前述の「娘子を得て」がはっきりしない。そこで546番長歌を見る必要に迫られる。長歌には「この女性とは旅の行きずりに出会って一夜を共にした」という旨のことが盛り込まれている。どうも単なる一夜妻らしい。が、前歌では「我妹子(わぎもこ)」(わが妻ないし恋人)と呼び、本歌では「秋の百夜を願ひつるかも」と強烈に彼女に惹かれている。「単なる一夜妻」かそれとも「妻にしたい」と思った相手なのか。はっきりしないままである。戯れの歌か相聞歌か。
歴史解説

【巻4(549)。】
 
題詞  神亀五年(728年)太宰府次官石川足人朝臣(いしかはのたるひとあそみ)が選した歌。549~551番歌は作者未詳歌である。
原文  天地之  神毛助与  草枕  羈行君之  至家左右
和訳  天地の 神も助けよ 草枕 旅行く君が 家にいたるまで
現代文  「無事お帰りになるまで天地の神様もお助け下さい」。
文意解説
 四句目に「旅行く君が」とあるが、行く先は不明。551番歌に「大和道の」とあるので大和(都)に向かっての旅立ちと分かる。君は夫か恋人かはっきりしないが相聞歌なので恋人と解した方がいいかもしれない。
歴史解説

【巻4(550)。】
 
題詞
原文  大船之  念憑師  君之去者  吾者将戀名  直相左右二
和訳  大船の 思ひ頼みし 君が去なば 我れは恋ひむな 直に逢ふまでに
現代文  「心細いですわ、無事帰られてお顔を見るまでは」。
文意解説  「大船の思ひ頼みし」は「大船に乗った気分で頼りにしていた」の意。
歴史解説

【巻4(551)。】
 
題詞  左注に「右三首作者未詳」とある。
原文  山跡道之  嶋乃浦廻尓  縁浪  間無牟  吾戀巻者
和訳  大和道の 島の浦廻に 寄する波 間もなけむ 我が恋ひまくは
現代文
文意解説  「大和道(やまとぢ)の島の浦廻(うらみ)に寄する波」は、「間もなけむ」(絶え間なく)を導く比喩的序歌。が、単なる序歌ではなく、実際に向かう大和道を踏まえた意味のある序歌である。
歴史解説

【巻4(552)。】
 
題詞  大伴宿祢三依(おほとものすくねみより)の歌。
原文  吾君者  和氣乎波死常  念可毛  相夜不相<夜>  二走良武
和訳  我が君は わけをば死ねと 思へかも 逢ふ夜逢はぬ夜 二走るらむ
現代文
文意解説
 「わけ」は若輩者の意で、ここでは「この小僧め」である。逢う逢わぬは、召す召さないだが、とすると「二走るらむ」は「私めをぞんざいに扱っていらっしゃってて、死ねとでもお思いでしょうか」という歌になる。が、「逢ふ夜逢はぬ夜」と「夜」なので恋の歌と取るのがよさそうだ。
歴史解説

【巻4(553)。】
 
題詞  丹生女王(にふのおほきみ)が大宰帥大伴卿(おおとものまえつきみ=大伴旅人)に贈った歌二首。
原文  天雲乃  遠隔乃極  遠鷄跡裳  情志行者  戀流物可聞
和訳  天雲の そくへの極み 遠けども 心し行けば 恋ふるものかも
現代文  「このようにも恋しいのです」。
文意解説  「そくへ」は原文「遠隔」とあるように遠隔の地、太宰府。「心し行けば」は「心自体は通うのですもの」である。
歴史解説

【巻4(554)。】
 
題詞
原文  古人乃  令食有  吉備能酒  <病>者為便無  貫簀賜牟
和訳  古人の きこしめすとふ(「岩波大系本」等たまへしめたる) 吉備の酒 病めばすべなし 貫簀(ぬきす)賜らむ
現代文  「吉備の酒で酔っ払ってしまいましたわ。下に敷く簀の子をいただけないかしら」。
文意解説  「古人(ふるひと)の」を大伴旅人と解する見方が多いが文字通り古人は古人でよかろう。素直にそう読めば第二句の原文「令食有」は「きこしめしとふ」と訓ずることになる。つまり、「酔いしれる」という意味だ。第三句までは「古人も酔いしれたという(あの有名な)吉備の酒」となる。吉備は、律令以前の地域。岡山県(備前、美作、備中)と広島県の一部(備後)。「酒病めば」は「酒に酔いしれ」である。貫簀(ぬきす)はからだが火照ったときなどに敷く簀(す)の子。思うにまかせない女心の歌だと思われる。
歴史解説

【巻4(555)。】
 
題詞  大宰帥大伴卿(だざいそちおおとものまえつきみ)が大貳丹比縣守卿(だいにたぢひのあがたもりのまえつきみ)が民部卿として京に戻ることになったので、贈った歌。大宰帥大伴卿といえば大伴旅人のこと。岩波大系本は丹比縣守卿が民部卿になったのは天平元年(729年)2月のことと考えられるとの注記を行っている。とすると、大伴旅人自身も翌年(天平二年)京に戻されるので、太宰府の長官(師)と次官(大貳)が相次いで召還されたことを示している。
原文  為君  醸之待酒  安野尓  獨哉将飲  友無二思手
和訳  君がため 醸(か)みし待酒(まちざけ) 安の野に ひとりや飲まむ 友なしにして
現代文
文意解説
 初句の「君がため」の君はむろん丹比縣守卿。「醸(か)みし待酒(まちざけ)」は「君と飲み交わそうと思って醸造してとっておいた酒」のことである。「安(やす)の野」は岩波大系本の注に福岡県朝倉郡夜須村とある。惜別の情を詠った歌である。
歴史解説

【巻4(556)。】
 
題詞  長屋王(ながやのおおきみ)の娘、賀茂女王(かものおほきみ)が大伴宿祢三依(おおとものすくねみより)に贈った歌。三依は旅人の従兄(いとこ)に当たる。
原文  筑紫船  未毛不来者  豫  荒振公乎  見之悲左
和訳  筑紫船 いまだも来ねば あらかじめ 荒ぶる君を 見るが悲しさ
現代文  「筑紫から船でお帰りになるという君を待ちわびています。長の船旅で荒れ果てた君を目にするのは悲しいですが・・・」。
文意解説  キーワードは「筑紫船」と「荒ぶる君」である。岩波大系本と伊藤本は筑紫船を「君を乗せていく船」、つまりこれから三依が乗って筑紫に向かう船と解している。「荒ぶる君」は「うとましく私を扱う君、すなわちよそよそしくする君」と解している。これに対し、中西本は筑紫船を「君が乗った船」と解し、「荒ぶる君」は岩波大系本等と同様「よそよそしい君」と解している。どう解するにせよ、いずれも賀茂女王が京(みやこ)にいて詠ったという点では一致している。さて、賀茂女王が京にいて詠った歌ならば、いずれの解釈も不審である。夫婦でもない男女が(否たとえ夫婦だとしてもだが)「よそよそしくする君」などという歌を作って当の相手に贈るものだろうか。男が女を訪ねるのが一般だったのであるから、うとましければ男がやってくる筈もない。女の前でわざわざよそよそしく振る舞う筈がないではないか。しかも当時としては月世界のように遠かったに相違ない筑紫へと去ろうという、そのときをとらえてわざわざ「よそよそしくする君」などと詠うだろうか。あり得ない、そう、私には「あり得ない」としか思われない。特に何ヶ月ぶりかにやってくる(帰ってくる)相手にわざわざ「よそよそしくする君」などと恨みがましい歌を作って贈る?。絶対にあり得ないではないか。「筑紫船いまだも来ねば」は中西本のように「君の乗った船がやって来るのを待つ」意としか私にも受け取れない。待っているからこそ、「いまだも来ねば」の一句が生きてくる。それを筑紫から君を迎えにやってくる船などと解したら、歌が空振りになってしまう。いよいよ君が船に乗り込む時がやってきてから歌作されてしかるべき歌ではなかろうか。というわけで、私は筑紫から帰ってくる三依を案じながら待つ女心の歌に相違ないと考えている。ただし、「荒ぶる君」は「よそよそしい君」などではなく、文字通り「荒ぶる君」すなわち「荒れ果てた(やつれた)君」である。私の全体の読解はこうである。
歴史解説

【巻4(557)。】
 
題詞  土師宿祢水道(はにしのすくねみみち)が筑紫から海路で上京する際作った歌二首。
原文  大船乎  榜乃進尓  磐尓觸  覆者覆  妹尓因而者)
和訳  大船を 漕ぎの進みに 岩に触れ 覆らば覆れ 妹によりては
現代文
文意解説  「大船を漕ぎの進みに」は「大船を漕ぎ進めるあまり」である。岩に接触し、「覆(かえ)らば覆(かえ)れ」に、「たとえ死んでも」という勢い込んだ気持がよく出ている。「妹によりては」は原文に「因而者」とあるように「それが原因なら」で、すなわち「あなたに逢いたい一心で急ぐのが原因なら」である。一刻も早く彼女に会いたいという気持がよく出ている。
歴史解説

【巻4(558)。】
 
題詞
原文  千磐破  神之社尓  我<挂>師  幣者将賜  妹尓不相國
和訳  ちはやぶる 神の社に 我が懸けし 幣は賜らむ 妹に逢はなくに
現代文  「航海に先立って神社に安全祈願をしたのに、彼女に逢えるかどうかわからない。これではお供え物を返してもらいたい」。
文意解説  「ちはやぶる」は枕詞、幣(ぬさ)は神への供え物。この歌単独では歌意が取りづらい。が、前歌と併せて読むとはっきりする。すなわち、前歌に「(大船が)岩に触れ覆らば覆れ」とあるように大変な嵐の中を航海している様子がうかがわれる。これを踏まえて本歌を読めば、こんな荒れ航海では「妹に逢はなくに」(彼女に逢えるかどうかわからぬではないか)と詠っているのである。相手が神なので「返せ」とは言えないので、「賜(たまわ)らむ」と表現しているのである。
歴史解説

【巻4(559)。】
 
題詞  大宰大監(だざいのだいげん)大伴宿祢百代(おおとものすくねももよ)の戀の歌四首。本歌~562番歌までの歌。大宰大監は三等官。
原文  事毛無  生来之物乎  老奈美尓  如是戀<乎>毛  吾者遇流香聞
和訳  事もなく 生き来しものを 老いなみに かかる恋にも 我れは逢へるかも
現代文  「これまで何事もなく生きてきたのに、老いを迎えて恋愛沙汰に出会うとは」。
文意解説  「老いなみに」は「老いに列して」で、つまり「老いを迎えて」である。
歴史解説

【巻4(560)。】
 
題詞
原文  孤悲死牟  後者何為牟  生日之  為社  妹乎欲見為礼)
和訳  恋ひ死なむ 後は何せむ 生ける日の ためこそ 妹を見まく欲りすれ
現代文  「生きている今、その今だからこそあなたに逢いたい」。
文意解説  上二句の「恋ひ死なむ後は何せむ」は「恋い焦がれて死んでしまったらどうしようもない」だが、ちょっと分からないのは「生ける日のためこそ」の部分。「生きている日のためにこそ」という意味だろうか。もしそうなら女性側からみたら「あんた何言ってるのよ」となる。
歴史解説

【巻4(561)。】
 
題詞
原文  不念乎  思常云者  大野有  三笠社之  神思知三
和訳  思はぬを 思ふと言はば 大野なる 御笠の杜の 神し知らさむ
現代文  「本当に恋い焦がれていることは神様もお見通しでいらっしゃる」。
文意解説  {思はぬを思ふと言はば}は倒置表現。「恋い焦がれているのに思ってもいないというのは」である。「御笠の杜(もり)の神し知らさむ」の「知らさむ」は敬語で「お見通しでいらっしゃる」である。
歴史解説

【巻4(562)。】
 
題詞
原文  無暇  人之眉根乎  徒  令掻乍  不相妹可聞
和訳  暇なく 人の眉根を いたづらに 掻かしめつつも 逢はぬ妹かも
現代文  「しきりに思わせぶりな素振りを見せながらも、なかなか逢ってくれませんね」。
文意解説  「暇(いとま)なく人の眉根(まゆね)を」の人はむろん作者自身のこと。相手にその気がありそうな時に眉根を掻きたくなるという。
歴史解説

【巻4(563)。】
 
題詞  この歌と次歌は大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌。
原文  黒髪二  白髪交  至耆  如是有戀庭  未相尓
和訳  黒髪に 白髪交り 老ゆるまで かかる恋には いまだ逢はなくに
現代文  「白髪交じりになるまで老いたこの日までこのような恋に出会ったことはありませんわ」。
文意解説  百代の「老いなみにかかる恋にも」(559番歌)に引っかけて詠われた歌。
歴史解説

【巻4(564)。】
 
題詞  作者はその山菅に自分を喩えている坂上郎女といえば大伴旅人の父の娘だが、大伴坂上郎女というのであるから、旅人の妻をさしているのだろうか。とすれば旅人の配下である百代とのやりとり一連の歌、宴会場での戯れ歌か?。
原文  山菅<之>  實不成事乎  吾尓所依  言礼師君者  与孰可宿良牟
和訳  山菅の 実ならぬことを 我れに寄せ 言はれし君は 誰れとか寝らむ
現代文  「山菅のように実らぬ恋であることくらいご存知のくせに・・・。その私に言寄せておっしゃるなんて。本当はどなたと寝ていらっしゃるのでしょうね」。
文意解説  山に生える菅は実がならないという。
歴史解説

【巻4(565)。】
 
題詞  556番歌の作者賀茂女王(かものおほきみ)の歌。
原文  大伴乃  見津跡者不云  赤根指  照有月夜尓  直相在登聞
和訳  大伴の 見つとは言はじ あかねさし 照れる月夜に 直に逢へりとも
現代文
文意解説  岩波大系本も伊藤本も「大伴の」を枕詞としているが疑問である。すでに63番歌「いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ」で言及したように、御津は大伴氏の本拠があったとされる大阪湾の東浜一帯を指す地名。御津は「みつ」なので、見つにかけての枕詞と解する。???である。事実「大伴の~」の例は15例に及ぶが本歌のように枕詞的に使われている例はない。それもその筈、賀茂女王の相手は556番歌でうかがわれるように大伴三依(おおとものみより)。なので本歌の「大伴の見つとは言はじ」は単にもじって言っているだけの話なのである。「あえて大伴様とお会いしたとは申しません」と言っておいて、「誰知らぬ者もいないほどこうこうと照れる月下に堂々とお会いしてますけど」と詠い込んだ、倒置表現の見本のような歌である。
歴史解説

【巻4(566)。】
 
題詞  大宰大監大伴宿祢百代等が驛使(はゆまづかひ)に贈った歌二首。百代は前節に見た559~562番歌の作者。本歌が百代の歌。次歌は百代の部下山口忌寸若麻呂(やまぐちのいみきわかまろ)の歌。驛使は太宰府から奈良の都まで、馬で4,5日で駆け抜けたという急使。急使が往復するに至った次第は次歌の左注に詳細に述べられている。その要約を述べると、「太宰府の長官大伴旅人の脚にでき物が出来、重症化したので、急使が都に送られた。報告を受けた都は、大事に備えて大伴一族の稻公(いなきみ)と胡麻呂(こまろ)を派遣した。が、数十日もすると旅人の症状が軽快したので稻公らは帰京の途についた」。その稻公らを送っていった百代が詠ったのが本歌である。
原文  草枕  羈行君乎  愛見  副而曽来四  鹿乃濱邊乎
和訳  草枕 旅行く君を 愛しみ 副ひてぞ来し 志賀の浜辺を
現代文
文意解説
 本歌の結句に「志賀の浜辺を」とある。278番歌のところで私は「たんに「志賀」といえば、琵琶湖大津の近辺を指している例がほとんど」と記した。その例外が278番歌で「志賀の海女」となっているから、福岡県の志賀島を指していると解されていることを紹介した。もう一つの例外がこの566番歌で、太宰府の高官である百代が稻公らを送ってきた場面なので、278番歌以上に志賀島を指していること明らかである。「愛(うるは)しみ」は「別れがたく」であり、「副(たぐ)ひてぞ来し」は同行してきてしまいました」の意である。「愛しみ」は外交辞令で、太宰府から志賀島まで50キロ前後、徒歩で二日は要したであろう長旅を丁重に同行したことを示している。
歴史解説

【巻4(567)。】
 
題詞  山口忌寸若麻呂の歌。
原文  周防在  磐國山乎  将超日者  手向好為与  荒其<道>
和訳  周防なる 磐国山を 越えむ日は 手向けよくせよ 荒しその道
現代文
文意解説  志賀島から船に乗り、海岸沿いに下関に達し、瀬戸内海に入る。「周防なる磐国山」はもう広島に近い岩国市(山口県)と目される。もしも下関から岩国まで陸路で行くとすると大変な行路、現実的ではない。海路が自然と考えると、「手向けよくせよ」は「神によくよくお祈りして航海の安全を祈願してください」という意味になる。「荒しその道」だから岩国あたりは座礁や時化、渦潮に悩まされることが多かったのだろうか。稻公らに対し旅の無事を願う歌である。
歴史解説

【巻4(568)。】
 
題詞  本歌~571番歌までの四首は、題詞によって太宰府長官大伴旅人が大納言に任ぜられて都に向かうにあたり開かれた送別の宴で詠われたものと分かる。この歌は筑前掾門部連石足(ちくぜんのじょうかどべのむらじいそたり)の歌。筑前国(福岡県西部)国司。
原文  三埼廻之 荒礒尓縁 五百重浪 立毛居毛 我念流吉美
和訳  み崎廻(みさきみ)の 荒磯に寄する 五百重波 立ちても居ても 我が思へる君
現代文
文意解説  「み崎廻(みさきみ)の荒磯に寄する五百重波(いほえなみ)」は実景ではなく、「岬周辺の磯に押し寄せる波のように」という比喩で、「いつもいつも心にかけております」という心情を詠った歌。
歴史解説

【巻4(569)。】
 
題詞  本歌と次歌の二首は麻田連陽春(あさだのむらじやす)の歌。
原文  辛人之  衣染云  紫之  情尓染而  所念鴨
和訳  韓人(からひと)の 衣染(し)むとふ 紫の 心に染みて 思ほゆるかも
現代文
文意解説  「韓人(からひと)の衣(ころも)染(し)むとふ紫の」は「韓国の人が着るという、むらさき草で鮮やかに染め上げた布のように」という意味の序歌。が、単なる序歌ではなく、紫の礼服は三位以上の高官が着る服。大納言になって上京する大伴旅人のことを指している。これ以上ない「よいしょ」の歌である。正七位の身の陽春からすれば旅人は雲上人。
歴史解説

【巻4(570)。】
 
題詞
原文  山跡邊  君之立日乃  近付者  野立鹿毛  動而曽鳴
和訳  大和へと 君が発つ日の 近づけば 野に立つ鹿も 響(とよ)めてぞ鳴く
現代文
文意解説  大和へとお発ちになる日が近づいて「鹿も響(とよ)めてぞ鳴く」(鹿でさえ大声を張り上げて泣いてます)という、これまた前歌と同じくこれ以上ない「よいしょ」の歌である。
歴史解説

【巻4(571)。】
 
題詞  防人佑大伴四綱(さきもりのすけおほとものよつな)の歌。
原文  月夜吉  河音清之  率此間  行毛不去毛  遊而将歸
和訳  月夜よし 川の音清し いざここに 行くも行かぬも 遊びて行かむ
現代文
文意解説  「行くも行かぬも」は「上京する人も太宰府に残る人も」で、「今宵は思いっきり遊んでお別れしようではありませんか」という歌である。以上の四首からだけでも様々な事柄が想起される。送別の宴には大納言を囲んで下役、国司、防人等様々な人々が集まってきていること。陽春や四綱まで同席しているので、当然百代以下の幹部連、さらには筑前国司ばかりでなく、たとえば筑後国(福岡県南部)、豊前国(福岡県東部、大分県北部)、豊後国(大分県大部分(宇佐市・中津市除く))等の国司も呼ばれていたに相違ない。こうした席で下位の官人からも歌が披露されている。大伴旅人の時代には歌が幅広く多くの人々に根付いていたことがうかがわれる。
歴史解説

【巻4(572)。】
 
題詞  大伴旅人が上京の後、太宰府に残った沙弥満誓(さみまんぜい)が旅人に贈った歌二首。本歌と次歌が満誓の歌。
原文  真十鏡  見不飽君尓  所贈哉  旦夕尓  左備乍将居
和訳  まそ鏡 見飽かぬ君に 後れてや 朝夕に さびつつ居らむ
現代文
文意解説  「まそ鏡」は枕詞(?)。「見飽かぬ君」は「いつも楽しかった君」である。「後れてや」はむろん「後に残されて」である。「朝夕(あしたゆふべ)にさびつつ居らむ」の「さびつつ」は「錆び付きつつ」、すなわち「楽しくない」である。これも旅人に対する愛情溢れる歌である。
歴史解説

【巻4(573)。】
 
題詞
原文  野干玉之  黒髪變  白髪手裳  痛戀庭  相時有来
和訳  ぬばたまの 黒髪変り 白けても 痛き恋には 逢ふ時ありけり
現代文  「年をとっても恋することの辛さに出会うこともあるのですね」。
文意解説  「ぬばたまの」は枕詞。この歌は個々の用語にこだわるより、歌意の全容を把握した方が理解しやすい。恋愛感情に見立てての旅人への思慕である。
歴史解説

【巻4(574)。】
 
題詞  満誓の歌に応えた旅人の二首。
原文  此間在而  筑紫也何處  白雲乃  棚引山之  方西有良思
和訳  ここにありて 筑紫やいづち 白雲の たなびく山の 方にしあるらし
現代文  「ここ大和から筑紫はどちらの方向にあたるのだろう。白雲のたなびくあの山の方角だろうか」。
文意解説  旅人歌には珍しく、素直で素朴な詠いぶりである。それだけにかえって筑紫を懐かしがる心情がよく出ている。
歴史解説

【巻4(575)。】
 
題詞
原文  草香江之  入江二求食  蘆鶴乃  痛多豆多頭思  友無二指天
和訳  草香江の 入江にあさる 葦鶴の あなたづたづし 友なしにして
現代文
文意解説  草香江(くさかえ)は難波にも博多湾にも同名の地名があるという。「あさる葦鶴の」の「あさる」は原文に「求食」とあるように「餌を求めて」である。「芦辺にぽつんと一羽の鶴が餌をあさっているように」までが比喩的序歌。また、「あなたづたづし」は「ああ、心細い」の意。結句の「友なしにして」は「(君のような)友がいないので」である。
歴史解説

【巻4(576)。】
 
題詞  満誓と同じく旅人上京後、筑後守葛井連大成(ちくごのかみふぢゐのむらじおほなり)が悲しんで作った歌。
原文  従今者  城山道者  不樂牟  吾将通常  念之物乎
和訳  今よりは 城山の道は 寂しけむ 我が通はむと 思ひしものを
現代文  「旅人長官にお会いするために通おうと思っていましたのに、寂しくあじけない道になるでしょう」。
文意解説  「城山(きやま)の道」は筑後国から太宰府に至る道。
歴史解説

【巻4(577)。】
 
題詞  大納言大伴卿(おおとものまえつきみ=旅人)、新袍(しんぽう)を攝津大夫高安王(せっつのかみたかやすのおほきみ)に贈った時の歌。
原文  吾衣  人莫著曽  網引為  難波壮士乃  手尓者雖觸
和訳  我が衣 人にな着せそ 網引する 難波壮士の 手には触るとも
現代文  「他人に着せてはいけませんよ。あなた自身が袖を通すこと以外に」。
文意解説  「新袍」は束帯等の礼服を新調したものだという。新袍を贈るのは親密な関係の相手の場合だという。「我が衣人にな着せそ」は「お贈りするこの新袍、人には着せていけませんよ」と明快。が、これに続く「網引(あびき)する難波壮士(なにはをとこ)の手には触るとも」は何の意味であろう。以下、岩波大系本等の読解を紹介してみる。「たとい網引する難波壮士の手に触れることはあっても」(岩波大系本)。「網を引く難波男の手に触れるのは仕方がないとしても」(伊藤本)。「たとえ難波の網引男が手をふれるようなことがあっても」(中西本)。以上、ほぼ同解といっていい。「新袍」は束帯等の礼服を新調した大切な服。上二句の「我が衣 人にな着せそ」には「あなた様だからお贈りする大切な礼服だから」という気持から出ている言葉である。岩波大系本以下の読解では全く意味をなさない。ではどういう意味なのか。私は「網引する難波壮士」は高安王自身を指した表現と解する。つまり、攝津大夫としてすっかり難波に定着し、あたかも土地の難波男として人々に信頼を得ている、そういう高安王を親しみをこめて「網引する難波壮士」と呼びかけた歌である。
歴史解説

【巻4(578)。】
 
題詞  大伴宿祢三依(おおとものすくねみより)が別れを悲しんで作った歌一首。
原文  天地与 久住波牟等 念而有師  家之庭羽裳
和訳  天地とともに 久しく住まはむと 思ひてありし 家の庭はも
現代文
文意解説  この歌がどこの家を離れる歌なのか不明。挽歌と取る論者もいるが無理。万葉集第四巻はすべて相聞歌であって挽歌の区分はない。加えて挽歌の場合は死者の名が記されているのが通例なので、二重の意味で挽歌とするのは無理。ここで思い起こされるのが賀茂女王(かものおほきみ)が三依に贈った556番歌「筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ」である。この歌は京にいて筑紫から帰ってくる三依を待っている歌である。この解が正しいとすると、時期は不明だが、三依も太宰府に赴任していた時期があったことを示している。「天地(あめつち)と」という古風な言い回しからすると旅人よりかなり前の時期に赴任していたかも知れない。いずれにしても、住家を引き払って京に戻るときの歌と解されるのである。
歴史解説

【巻4(579)。】
 
題詞  余明軍(よのみやうぐん)が大伴家持(おほとものやかもち)に贈った歌二首。明軍には細注が付いていて、旅人の資人とある。..資人は舎人のことで、旅人の付け人。つまり主君旅人のお坊ちゃんである家持に贈った歌ということになる。
原文  奉見而  未時太尓  不更者  如年月  所念君
和訳  見奉りて いまだ時だに 更らねば 年月のごと 思ほゆる君
現代文  「お世話するようになってからまだ年替わりもしていませんのに長年月お仕えしているように思えます」。
文意解説  「見奉(みまつ)りて」は「お仕えして」の意。
歴史解説

【巻4(580)。】
 
題詞
原文  足引乃  山尓生有  菅根乃  懃見巻  欲君可聞
和訳  あしひきの 山に生ひたる 菅の根の ねもころ見まく 欲しき君かも
現代文
文意解説  「あしひきの」は枕詞。山菅(やますげ)の根は細かい根が土に絡まって固まっているという。「ねもころ」は「その細かい根のように、こまごまとした点に至るまで」という意味に相違ない。「見まく欲しき」はいうまでもなく「お仕えもうしあげたい」である。
歴史解説

【巻4(581)。】
 
題詞  家持(やかもち)の歌に応えて坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)が贈った歌四首。大嬢は坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の長女で、家持に嫁ぐ女性である。581~584番歌までが彼女の歌。
原文  生而有者  見巻毛不知  何如毛  将死与妹常  夢所見鶴
和訳  生きてあらば 見まくも知らず 何しかも 死なむよ妹と 夢に見えつる
現代文  「生きていればお逢いするかも知れないのにどうして、「死のうよ、きみ」などとおっしゃるあなたが夢に出てくるのでしょう」。
文意解説  この歌だけで歌意を取ろうとすると、ちょっと難解。文字通りに解すればこうなる。いきなり「生きていれば」と言われても不可解。答えは次歌で考えることにしよう。
歴史解説

【巻4(582)。】
 
題詞
原文  大夫毛  如此戀家流乎  幼婦之  戀情尓  比有目八方
和訳  ますらをも かく恋ひけるを たわやめの 恋ふる心に たぐひあらめやも
現代文
文意解説  「ますらをもかく恋ひけるを」は「立派な男の方もこんなにも恋に苦しまれるのですね」である。まして「弱々しい女の身の私が抱く恋ごころですもの」と続き、結句に至る。結句の「たぐひあらめやも」は「これ以上切ないものがありましょうか」である。この歌によって相手の家持が恋に苦しみ、激しい恋心を寄せる歌を贈ってきたに相違ないことが分かる。それに対し、「それにも負けないくらい激しく恋い焦がれています」という歌である。そこで、前歌だが、家持から届いた歌が「お逢い出来ないので、死んでしまいたいほど苦しんでいます」という類の歌だったことがうかがわれる。つまり前歌の「生きてあらば」はその家持歌を受けての歌と推察される。
歴史解説

【巻4(583)。】
 
題詞
原文  月草之  徙安久  念可母  我念人之  事毛告不来
和訳  月草の うつろひやすく 思へかも 我が思ふ人の 言も告げ来ぬ
現代文  「何の便りもくださらないのは私を移り気な女とお思いになっているからでしょうか」。
文意解説  月草はツユクサ。藍色の花をつけるが、それで染めると美しい藍染めになる。が、水で洗うと落ちやすいので「変わりやすい」という意味に使われる。「思へかも」は「思っていらっしゃるのでしょうか」である。
歴史解説

【巻4(584)。】
 
題詞
原文  春日山  朝立雲之  不居日無  見巻之欲寸  君毛有鴨
和訳  春日山 朝立つ雲の 居ぬ日なく 見まくの欲しき 君にもあるかも
現代文  「おそばにいてその雲のようにいつも見ていたいわが君です」。
文意解説  春日山は奈良の春日大社が鎮座する山。そこから2キロほど西北にあたる佐保山の近辺に大嬢は住んでいたと考えられている。佐保山から春日山は目の前だ。「毎朝、春日山には雲がかかっていていつも見ている」というのが上三句の意味。以上が大嬢の歌である。
歴史解説

【巻4(585)。】
 
題詞  大嬢の母、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌。
原文  出而将去  時之波将有乎  故  妻戀為乍  立而可去哉
和訳  出でていなむ 時しはあらむを ことさらに 妻恋しつつ立ちていぬべしや
現代文
文意解説  前歌までの経緯と第四句「妻恋しつつ」から、この歌の客は家持(やかもち)に相違ない。「妻恋し」までは「あわててお帰りにならなくてもいいじゃありませんか」という意味である。「妻恋しつつ」がキーワード。作者が大嬢の母であることを考えるとこの歌は、家持が「お嬢さんをください」と乞いにやってきた場面に相違ない。「妻恋」は「妻が恋しい」という意味ではなく、「お嬢さんを妻にしたい」という意味に相違ない。そう解すると、「そう言いながら、もうお帰りになるんですか」という結句が生きてくる。家持の方によんどころない用事があったのだろうか。それとも、大伴坂上郎女からなかなか色よい返事がもらえなかったので出直すつもりだったのか、歌だけでは分からない。
歴史解説

【巻4(586)。】
 
題詞  大伴宿祢稻公(おおとものすくねいなきみ)が田村大嬢(たむらのおほいらつめ)に贈った歌。左注には「右一首姉坂上郎女作」とある。稻公のために姉が代作したようだ。
原文  不相見者  不戀有益乎  妹乎見而  本名如此耳  戀者奈何将為
和訳  相見ずは 恋ひずあらましを 妹を見て もとなかくのみ 恋ひばいかにせむ
現代文  「しきりに恋焦がれていますが、弟をどうしていいか心配になります」。
文意解説  「相見ずは恋ひずあらましを」は「逢わなければ恋することもなかったでしょうに」である。「もとな」は「しきりに}。以下文字通り解釈すれば「あなたに逢ってから、しきりに恋焦がれていますが、どうしたらいいのでしょう」という歌になる。姉の坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が弟を心配して弟のために求愛、つまり援護射撃を行っている歌とも取れる。
歴史解説

【巻4(587)。】
 
題詞  この歌から24首、すなわち587~610番歌はすべて笠女郎(かさのいらつめ)が家持(やかもち)に贈った歌である。他に395~397番歌、1451番歌及び1616番歌の5首、併せて29首が彼女の歌として掲載されている。いずれも家持に宛てた歌。これに対し家持から彼女に宛てた歌は611番歌及び612番歌の2首が掲載されているのみである。
原文  吾形見  々管之努波世  荒珠  年之緒長  吾毛将思
和訳  我が形見 見つつ偲はせ あらたまの 年の緒長く 我れも偲はむ
現代文  「私が差し上げた品を私だと思って忘れないで下さいませ。私も長らくずっとあなた様をしのんでいきます」。
文意解説
 「我が形見」は、彼女が家持に何か品を手渡したとみえる。大切なのは、この句によって二人が遠くに離ればなれになって何年も経っているらしいと知れる点である。「あらたまの」は枕詞。「年の緒長く」は「一年をとおして長らく」である。
歴史解説

【巻4(588)。】
 
題詞
原文  白鳥能  飛羽山 松之待乍曽  吾戀度  此月比乎
和訳  白鳥の 飛羽山(とばやま) 松の待ちつつぞ 我が恋ひわたる この月ごろを
現代文  「白い鳥が飛羽山の松にとまって待っているように。ここ何ヶ月も思い続けています」。
文意解説  「白鳥(しらとり)の」は枕詞(?)。「白鳥の飛羽山松(とばやままつ)の」は「待ち」にかかる序歌とされる。下二句の「我が恋ひわたるこの月ごろを」は「ここ何ヶ月も思い続けています」である。
歴史解説

【巻4(589)。】
 
題詞
原文  衣手乎  打廻乃里尓  有吾乎 不知曽 人者待跡不来家留
和訳  衣手を 打廻(うちみ)の里にある 我れを知らにぞ 人は待てど来ずける
現代文  「そこに私が住んでいることをご存知なかったのか、待っても待っても来て下さいませんでしたね」。
文意解説  「衣手(ころもで)を」は枕詞(?)。「打廻(うちみ)の里」はどこのことか不明。
歴史解説

【巻4(590)。】
 
題詞
原文  荒玉  年之經去者  今師波登  勤与吾背子  吾名告為莫
和訳  あらたまの 年の経ぬれば 今しはと ゆめよ我が背子 我が名告(し)らすな
現代文  「年月が流れ、今となってはと気軽に私の名を口になさらないで下さい」。
文意解説  「あらたまの」は枕詞。「今しはと」は「今ならと」で、「し」は時々使われる強めのし。「ゆめよ」は「ゆめゆめ~なよ」の「ゆめ」。
歴史解説

【巻4(591)。】
 
題詞  前歌に関連した歌。
原文  吾念乎  人尓令知哉  玉匣  開阿氣津跡  夢西所見
和訳  我が思ひを 人に知れるや 玉くしげ 開きあけつと 夢にし見ゆる
現代文  「その蓋が開けられてしまった夢を見ました。まさかあなたが開けたのではないでしょうね」。
文意解説  第二句の「令知哉」は諸家「知るれか」としている。原文「令知」は使役の令。素直に原文に従って「知れるや」すなわち「知られた」という訓じ方にすべきである。玉くしげは化粧箱で93番歌にも出ている。恋心の詰まった大切な秘密の箱である。
歴史解説

【巻4(592)。】
 
題詞
原文  闇夜尓  鳴奈流鶴之  外耳  聞乍可将有  相跡羽奈之尓
和訳  闇の夜に 鳴くなる鶴の 外のみに 聞きつつかあらむ 逢ふとはなしに
現代文  「鳴き声だけで姿の見えぬ闇夜の鶴のように、まるでよそ事の世界のこととして月日が過ぎていきます。お逢いすることもなく」。
文意解説  「外(よそ)のみに」は「よそ事として」の意から「外のみに」と訓じられていると思われる。が、原文は「外耳」。なのでここは「よそみみに」と訓ずべきではなかろうか。どこから「のみ」という読み方が出てくるのだろう。細かいことだが一言。「逢ふとはなしに」は「逢うこともなく」である。切ない歌である。
歴史解説

【巻4(593)。】
 
題詞
原文  君尓戀  痛毛為便無見  楢山之  小松之下尓  立嘆鴨
和訳  君に恋ひ いたもすべなみ なら山の 小松が下に 立ち嘆くかも
現代文
文意解説  「いたもすべなみ」は「何ともしようがなく」である。なら山(原文・楢山)は奈良山と訓じられているが、そう訓じていいのか判然としない。これも切ない歌である。
歴史解説

【巻4(594)。】
 
題詞
原文  吾屋戸之  暮陰草乃  白露之  消蟹本名  所念鴨
和訳  我がやどの 夕蔭草の 白露の 消ぬがにもとな 思ほゆるかも
現代文
文意解説  「我がやどの」は「わが家の庭の」、「夕蔭草(ゆふかげくさ)」は「夕日に映える草」の意だという。草の葉の上の白露のように、消えかかるはかない恋心を表現している。
歴史解説

【巻4(595)。】
 
題詞
原文  吾命之  将全<牟>限  忘目八  弥日異者  念益十方
和訳  我が命の 全けむ限り 忘れめや いや日に異には 思ひ増すとも
現代文  「命ある限り忘れることが出来ましょうか。いや日増しに思いは募ります」。
文意解説  「全(また)けむ限り」は「(命)ある限り」である。「日に異(け)には」は「日ごとに増す」である。激しい恋情を詠んだ歌である。
歴史解説

【巻4(596)。】
 
題詞
原文  八百日徃  濱之沙毛  吾戀二  豈不益歟  奥嶋守
和訳  八百日行く 浜の真砂も 我が恋に あにまさらじか 沖つ島守
現代文  「その浜の真砂の膨大さは計り知れないが、その大きさも私の恋の大きさに勝てるでしょうか、沖にいる島守さんよ」。
文意解説  八百日もかかるというのであるからよほど長々と続く浜辺なのだろう。むろん比喩に過ぎないが、その比喩も相手の家持に通じなければ比喩にならない。笠女郎も家持も共に知っていたに相違ない「長い長い浜辺」なのである。「八百日行く浜の真砂も」という歌い方は実景を下敷きにして詠まれたように感じられてならない。
歴史解説

【巻4(597)。】
 
題詞
原文  宇都蝉之  人目乎繁見  石走  間近<君>尓  戀度可聞
和訳  うつせみの 人目を繁み 石橋の 間近き君に 恋ひわたるかも
現代文  「世間の人目がうるさいので、庭の石橋のように間近に住んでいますのに逢うことも出来ず、ひたすら恋続けています」。
文意解説  「うつせみの人目を繁み」は「世間の人目がうるさいので」である。
歴史解説

【巻4(598)。】
 
題詞
原文  戀尓毛曽  人者死為  水<無>瀬河  下従吾痩  月日異
和訳  恋にもぞ 人は死にする 水無瀬川 下ゆ我れ痩す 月に日に異に
現代文  「月ごと日ごとにやせ細るばかりです」。
文意解説  「恋にもぞ」は「恋の苦しみ」と「苦しみ」を補って読むとわかりやすい。「水無瀬川(みなせがわ)」は川底に水のない、いわゆる見えない川、つまり「人知れず」の意味。
歴史解説

【巻4(599)。】
 
題詞
原文  朝霧之  欝相見之  人故尓  命可死  戀渡鴨
和訳  朝霧の おほに相見し 人故に 命死ぬべく 恋ひわたるかも
現代文  「一度きりしか、それもおぼろげにしか逢っていない人なのだが、それだけに(かえっていっそう)思いがつのります」。
文意解説  「おほに」、これは長歌の例だが、217番歌に「おほに見し」とある。「おぼろおぼろに」の意味である。
歴史解説

【巻4(600)。】
 
題詞
原文  伊勢海之  礒毛動尓  因流波  恐人尓  戀渡鴨
和訳  伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波 畏き人に 恋ひわたるかも
現代文
文意解説  上三句「伊勢の海の磯にとどろく波」は比喩的序歌。「畏(かしこ)き」は「恐れ多い」の意味である。笠女郎は家持とは相当身分差のある家の子女であったのだろうか。
歴史解説

【巻4(601)。】
 
題詞
原文  従情毛  吾者不念寸  山河毛  隔莫國  如是戀常羽
和訳  心ゆも 我は思はざりき 山川も 隔たらなくに かく恋ひむとは
現代文  「いつでもお逢い出来ると思っていましたのに、結局お逢い出来ず、こんなに恋に苦しむとは心底思ってもみませんでした」。
文意解説  597番歌に「石橋の間近き君に」とあるように、彼女は家持家の近くに住んでいた。なので、「山川も隔たらなくに」は「間が山や川で隔てられているわけではないのに」の意味である。が、これは同時に反語表現になっていて、「まるで山川で隔てられているように」の思いもこめられている。
歴史解説

【巻4(602)。】
 
題詞
原文  暮去者  物念益  見之人乃  言問為形  面景尓而
和訳  夕されば 物思ひまさる 見し人の 言とふ姿 面影にして
現代文  「話しかけて下さったそのお姿が思い出されて」。
文意解説
 「夕されば物思ひまさる」は「夕方になると物思いがつのります」である。
歴史解説

【巻4(603)。】
 
題詞
原文  念西  死為物尓  有麻世波 千 遍曽吾者  死變益
和訳  思ふにし 死にするものに あらませば 千たびぞ我れは 死にかへらまし
現代文  「人が恋焦がれて死ぬというのでしたら、私は千度でも死んでまた恋焦がれるでしょう」。
文意解説  一読してこのままで分かる平易な激しい歌である。「思ふにし}は「恋焦がれて」である。
歴史解説

【巻4(604)。】
 
題詞
原文  劔大刀  身尓取副常  夢見津  何如之恠曽毛  君尓相為
和訳  剣大刀 身に取り添ふと 夢に見つ 何の怪ぞも 君に逢はむため
現代文  「私は死をも覚悟して逢いたく思っています」。
文意解説
 四句目の「何如之恠曽毛」の訓じ方が一定ではない。「何のしるしぞも」(佐々木本)、「何のしるしそも」(岩波大系本)、「何の兆(さが)ぞも」(伊藤本)、「如何なる怪(け)そも」(中西本)となっている。原文の「恠」は「怪」の俗字。なので中西本の訓じ方が当を得ていると言える。が、歌意は要するに見た夢の予兆を指しているのであるから、「しるし」や「兆」でもよかろう。訓じ方の問題より大切なのは上二句の「剣大刀(つるぎたち)身に取り添ふと」の意図である。笠女郎の歌はすべて家持に贈った歌である。さらに、家持には坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)という大伴本家につながる妻がでんと控えている。それを笠女郎が知らぬ筈はない。こうした事情を念頭におけば、「剣大刀を身に帯びた夢を見た」などと当の家持に突きつけたのは普通ではない。色々な解釈があるだろうが、この歌が、「恋煩いで千度死ぬことがあってもそのたびに生き返ってきます」という激しい前歌の後に続く歌であることを考えると、「剣大刀」は家持に対する激しい執念を示したものと考えてよかろう。
歴史解説

【巻4(605)。】
 
題詞
原文  天地之  神理 無者社  吾念君尓  不相死為目
和訳  天地の 神し理なくはこそ 我が思ふ君に 逢はず死にせめ
現代文  「ああ。神様、結局私はあの方に逢えずじまいに終わるのでしょうか」。
文意解説  「天地(あめつち)の神し理(ことわり)なくはこそ」は大袈裟に聞こえるが、何のことはない、「ああ、神様」という意味である。「死にせめ」は「死ぬことになるのでしょうか」である。
歴史解説

【巻4(606)。】
 
題詞
原文  吾毛念  人毛莫忘  多奈和丹  浦吹風之  止時無有
和訳  我れも思ふ 人もな忘れ おほなわに 浦吹く風の やむ時もなし
現代文  「浜辺にいつも吹いている風のように忘れないで下さいな」。
文意解説  「我れも思ふ」は「私はあなたを決して忘れることはありません」である。だから「人もな忘れ」(あなた様も私のことを忘れないで下さい)と続けている。おほなわに(多奈和丹)は諸家未詳としている。これが地名だとすると、越中富山の富山湾のどこかである可能性が高い。
歴史解説

【巻4(607)。】
 
題詞
原文  皆人乎  宿与殿金者  打礼杼  君乎之念者  寐不勝鴨
和訳  皆人を 寝よとの鐘は 打つなれど 君をし思へば 寐ねかてぬかも
現代文  「人々が寝静まる刻を知らせる鐘の音が聞こえるけれど、あなたのことを思うとなかなか寝付かれません」。
文意解説  次歌に「大寺の」という句があるので、本歌の「鐘」は寺の鐘と考えてよかろう。
歴史解説

【巻4(608)。】
 
題詞
原文  不相念  人乎思者  大寺之  餓鬼之後尓  額衝如
和訳  相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後方に 額つくごとし
現代文
文意解説  「相思はぬ人を思ふは」は「思ってもくれない人のことを思い続けるのは」である。餓鬼は餓鬼像。餓鬼は仏教用語で、広辞苑に「悪業の報いとして餓鬼道に落ちた亡者」とある。「そんな像などにひれ伏して拝んでも何にもならない」という裏意味が込められている。
歴史解説

【巻4(609)。】
 
題詞
原文  従情毛  我者不念寸  又更  吾故郷尓  将還来者
和訳  心ゆも 我は思はざりき またさらに 我が故郷に 帰り来むとは
現代文  「結局、故郷に帰ってくることになるとはゆめゆめおもいませんでした」。
文意解説  この歌は笠女郎を考える上で重要なヒントを与える大切な歌の一首である。「心ゆも」は「ゆめゆめ」の意である。
歴史解説

【巻4(610)。】
 
題詞  左注に「右二首は相別れて後に贈られてきた歌」とある。つまり故郷に帰ってからの歌である。
原文  近有者  雖不見在乎  弥遠  君之伊座者 有不勝<自>
和訳  近くあれば 見ねどもあるを いや遠く 君がいまさば有りかつましじ
現代文  「近くにいればお逢い出来なくとも耐えられるが、(故郷に帰ってきて)さらに遠くなってしまったのでは耐えられそうにありません」。
文意解説 結句の「有りかつましじ」は第9節の94番歌にも記したが、「~なんてできましょうか」である。本歌の場合は「あるを」に対する言葉なので「耐えるなんてできましょうか」である。 以上で、587番歌から続く笠女郎の24首全歌の読解の終了である。
歴史解説

【巻4(611)。】
 
題詞  本歌及び次歌の二首は笠女郎に応えた家持(やかもち)の歌。24首に対する応歌ではなく、帰郷後贈ってきた二首に対する応歌である。その前の22首に対しては無視してきたに相違ない。妻の坂上大嬢が控えている身、無視せざるを得なかったのだろう。
原文  今更  妹尓将相八跡  念可聞  幾許吾胸  欝悒将有
和訳  今さらに 妹に逢はめやと 思へかも ここだ我が胸 いぶせくあるらむ
現代文
文意解説  「今さらに妹に逢はめやと思へかも」は「今となってはもう逢うこともないと思うせいか」である。結句の「いぶせくあるらむ」(「気が晴れないのでしょうか」)に家持の「彼女に悪かった」という思いがにじみ出ている。彼女を傷つけまいとするこういう複雑な心情を歌にするのは困難であろうに、その思いがよく出ている秀逸な歌である。
歴史解説

【巻4(612)。】
 
題詞
原文  中々者  黙毛有益<乎>  何為跡香 相 見始兼  不遂尓
和訳  なかなかに 黙もあらましを 何すとか 相見そめけむ 遂げざらまくに
現代文
文意解説  「なかなかに」は「かえって」、「黙(もだ)もあらましを」は「声をかけなければよかったものを」である。微妙なのは「相見そめけむ」である。文字通りなら「知り合いになった」だが、その程度が不明である。現代流ならお茶を飲んだだけかも知れない。それとも、ただたんに「美しい方ですね」と声をかけただけなのか、あるいは共寝まで行ったのか、はっきりしない。どう受け取るにしろ、笠女郎の歌や無視し続けた家持の行為を勘案すると逢ったのはこの時一回だけだったようである。この歌の結句「遂げざらまくに」(どうせ実らぬ恋なのに)にも、前歌と同様、家持の「彼女に悪かった」という思いがにじみ出ている。
歴史解説

【巻4()。】
 
 さて、以上で笠女郎の24首、それに応えた家持の二首の読解をすべて終えた。笠女郎の歌はこの24首のほかに5首登載されている。すべて家持に宛てて贈った歌である。その5首。
395番歌 託馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出でにけり
(まだ共寝もしていないのに人に知られてしまいました、という歌)
396番歌 陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを
(遠い遠い陸奥にいてさえ面影に見るというのに、こんな近くにいるのに、という歌)
397番歌 奥山の岩本菅を根深めて結びし心忘れかねつも
(固く契り合ったあなたを忘れられようか、という歌)
1451番歌 水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも思ほゆるかも
(春霞のようにあなたの気持ちがおぼつかなく思えます、という歌)
1616番歌 朝ごとに我が見る宿のなでしこの花にも君はありこせぬかも
(毎朝眺める庭のナデシコのようにいつも逢えるあなたであればなあ、という歌)

 以上、笠女郎の歌はしめて29首となる。これを解析する。彼女は朝廷に仕える采女であろうか。どの歌からも采女らしい雰囲気は一切伝わってこない。采女の場合は、「吉備津の采女}(217番長歌)、駿河婇女(507番歌)、八上采女(515番歌)という表記のされ方がされている。そうでなくとも、作品中に「安見児得たり」(95番歌)、「大津の子が」(219番歌)、「宮に行く子を」(532番歌)とあるように「児」だの「子」だのと表記されている。どうも采女の一人ではなかったようだ。では彼女は都(平城京)ないしその周辺に居住していたのだろうか。ところが彼女の歌には都を想起させるようなものは全くといっていいほど出てこない。「八百日行く浜の真砂も我が恋にあにまさらじか沖つ島守」(596番歌)とあるように浜辺だの沖つ島だのが出てくる。「伊勢の海」だの「寄する波」だの(共に600番歌)、「浦吹く風の」(606番歌)だの、さらに家持の勤める平城京から「いや遠く」などと表現していることなど、彼女の故郷は少しも都らしくない。唯一「なら山の小松が下に」(593番歌)が、奈良山を連想させるが、原文は楢山で、奈良の奈良山とは確定的ではない。が、彼女は「故郷に帰り来むとは」(609番歌)と詠っている。全体の流れからは彼女が家持に出会ったのは海が近い故郷の地であり、後、家持を追って一時的に大和に移り住み、あきらめて故郷に戻ったという構図が見えてくる。近くといっても「山川を隔てているわけではない」(601番歌)とあるように、すぐ近くだったか否かは分からない。では、肝心の家持だが、都を離れたことがあるかといえばある。父の旅人に伴って太宰府に行ったとき。家持6~12歳。次は越中守として赴任したとき。28~33歳。最後は因幡守として赴任したとき。40歳。最後は赴任期間も短く、実質的には笠女郎に出会ったのは越中守在任中と考えてよかろう。最後に家持が彼女に声をかけたのは(逢ったのは)様々な彼女の歌から一度だけだったと考えていいと思う。その時二人は共寝までいったかどうかだが、先掲した395番歌の「いまだ着ずして色に出でにけり」がヒントになる。「共寝していない」と彼女自ら詠っているので、そう考えてよかろう。「声をかけなければよかった」という家持歌(612番歌)はどうも声をかけただけのようだ。が、それにしては笠女郎の家持に対する執着はすさまじい。

【巻4(613)。】
 
題詞  613~617番歌までの五首は山口女王(やまぐちのおほきみ)が家持に贈った歌である。山口女王については笠女郎と同様どんな系統の女性か未詳である。
原文  物念跡  人尓不<所>見常  奈麻強<尓>  常念弊利  在曽金津流
和訳  もの思ふと 人に見えじと なまじひに 常に思へり ありぞかねつる 
現代文  「胸に思いを秘めながら、気づかれまいと装っても、ありぞかねつる(出来ようはずもない)」。
文意解説
 「なまじひに」は「なまじ無理して」である。「常に思へり」は「人に気づかれないように普段どおりに装っている」である。
歴史解説

【巻4(614)。】
 
題詞
原文  不相念  人乎也本名  白細之  袖漬左右二  哭耳四泣裳
和訳  相思はぬ 人をやもとな 白栲の 袖漬つまでに 音のみし泣くも
現代文  「片思いと分かってはいますが、むしょうにあの方が恋しくて袖がぬれるまで泣いています」。
文意解説  「相思はぬ人をや」は「片思いの人なのに」である。「もとな」は「むしょうに」、「白栲(しろたへ)の」は枕詞。「袖漬(ひ)つまでに」は「袖がぬれるまで」。
歴史解説

【巻4(615)。】
 
題詞
原文  吾背子者  不相念跡裳  敷細乃  君之枕者  夢<所>見乞
和訳  我が背子は 相思はずとも 敷栲の 君が枕は 夢に見えこそ
現代文  「あなたは私のことを思って下さいませんが、せめて共寝する枕くらいは夢に出てきてほしい」。
文意解説  「我が背子は」はむろん「あなたは」である。「敷栲(しきたへ)の」は枕詞。「夢に見えこそ」は「夢に出てきてほしい」である。
歴史解説

【巻4(616)。】
 
題詞
原文  劔大刀  名惜雲  吾者無  君尓不相而  年之經去礼者
和訳  剣太刀 名の惜しけくも 我れはなし 君に逢はずて 年の経ぬれば
現代文
文意解説  「剣太刀(つるぎたち)」は岩波大系本や伊藤本は枕詞としているが、すべての剣太刀を枕詞とするわけにいかない。この剣太刀の例に枕詞の謎を解く一端が潜んでいそうである。「名の惜しけくも我れはなし」は「もう今となっては噂にのぼっても気にならない」というほどの意味。下二句の「君に逢はずて年の経ぬれば」は、恋が実らぬまま長年月が過ぎてしまった女の哀れを誘うような文句である。
歴史解説

【巻4(617)。】
 
題詞
原文  従蘆邊  満来塩乃  弥益荷  念歟君之  忘金鶴
和訳  葦辺より 満ち来る潮の いや増しに 思へか君が 忘れかねつる
現代文  「葦の生えた岸辺に潮がじわじわと満ちて来るように、あなたへの思いが増してきて忘れられません」。
文意解説  平易な歌である。
歴史解説

【巻4(618)。】
 
題詞  大神女郎(おほみわのいらつめ)が家持に贈った歌一首。
原文  狭夜中尓  友喚千鳥  物念跡  和備居時二  鳴乍本名
和訳  さ夜中に 友呼ぶ千鳥 物思ふと わびをる時に 鳴きつつもとな
現代文  「一人っきりで寂しい思いをしている夜に、しきりに千鳥が鳴き交わす」。 
文意解説  614番歌にもあるように、「もとな」は「むしょうに」の意。「友呼ぶ千鳥」の「友」は仲間のことだが、ここでは恋しい相手、すなわち家持のことである。
歴史解説

【巻4(619)。】
 
題詞  「大伴坂上郎女怨恨歌一首 并短歌 」(大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の怨恨歌)。
原文 押照   難波乃菅之   根毛許呂尓 君之聞四手   年深    長四云者    真十鏡   磨師情乎    縦手師   其日之極    浪之共   靡珠藻乃    云々    意者不持    大船乃   憑有時丹    千磐破   神哉将離    空蝉乃   人歟禁良武   通為    君毛不来座   玉梓之   使母不所見   成奴礼婆  痛毛為便無三  夜干玉乃  夜者須我良尓  赤羅引   日母至闇    雖嘆    知師乎無三  雖念    田付乎白二   幼婦常   言雲知久    手小童之  哭耳泣管    俳佪    君之使乎    待八兼手六
和訳 おしてる なにはのすげの ねもころに きみがきこして としふかく ながくしいへば まそかがみ とぎしこころを ゆるしてし そのひのきはみ なみのむた なびくたまもの かにかくに こころはもたず おほぶねの たのめるときに ちはやぶる かみかさくらむ うつせみの ひとかさふらむ かよはしし きみもきまさず たまづさの つかひもみえず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの よるはすがらに あからひく ひもくるるまで なげけども しるしをなみ おもへども たづきをしらに たわやめと いはくもしるく たわらはの ねのみなきつつ たもとほり きみがつかひを まちやかねてむ 04 0620 反歌
現代文  「末永くとおっしゃってあんなにしげしげと通っていらしたあなたがとんと来なくなり、毎日嘆き悲しんで暮らしています」。
文意解説  長歌。坂上郎女は家持の妻大嬢(おほいらつめ)の母であり、父大伴旅人の義理の妹、つまり家持の叔母にも当たる。かつ、旅人の妻である。つまり家持の母は大伴郎女と表記されている。大伴坂上郎女と大伴郎女、こんな表記ではまぎらわしくて私など混乱してしまう。この歌は長歌の内容と密接に絡んでいる。
歴史解説

【巻4(620)。】
 
題詞
原文  従元  長謂管  不令恃者  如是念二  相益物歟
和訳  初めより 長く言ひつつ 頼めずは かかる思ひに 逢はましものか
現代文  「そもそも末永くなどとおっしゃらなければ頼りにすることもなかったのに。毎日嘆き悲しんで暮らすことにならなかったのに」
文意解説  「初めより長く言ひつつ」が末永くで、「そもそも末永くなどとおっしゃらなければ」の意。「頼めずは」は「頼りにすることもなかったのに」である。下二句の「かかる思ひに逢はましものか」は「毎日嘆き悲しんで暮らすことにならなかったのに」と長歌に述べられた思いを詠い込んでいる。厄介なことに、43節587番歌から今節618番歌に至る女性(笠女郎、山口女王及び大神女郎)の歌はすべて家持に宛てた歌と明記されているのに、本歌には宛先が記されていない。流れからすると、この歌も家持宛ということになる。彼女が家持に宛てて詠った歌の中に、585番歌「出でていなむ時しはあらむをことさらに妻恋しつつ立ちていぬべしや」のような歌がある。私はこの歌、単純に、家持が娘の大嬢をもらい受けに行った時の歌かと解釈したが、どうも家持は彼女の男だったとした方がぴったりに思われる。
歴史解説

【巻4(621)。】
 
題詞  西海道節度使判官佐伯宿祢東人(さへきのすくねあづまひと)の妻が夫に贈った歌。西海道(さいかいどう)は律令制下の九州各国。節度使判官は軍事を司る官職。大和から九州に任じられた夫に宛てた歌。
原文  無間  戀尓可有牟  草枕  客有公之  夢尓之所見
和訳  間なく 恋ふれにかあらむ 草枕 旅なる君が 夢にし見ゆる
現代文  「いつもあなたのことを思っているからでしょうか。遠く離れているあなたを夢に見ます」。
文意解説  「間(あひだ)なく恋ふれにかあらむ」は「いつもあなたのことを思っているからでしょうか」である。「草枕」は枕詞。
歴史解説

【巻4(622)。】
 
題詞  伯宿祢東人が妻に応えた歌。
原文  草枕  客尓久  成宿者  汝乎社念莫 戀吾妹
和訳  草枕 旅に久しく なりぬれば 汝をこそ思へな 恋ひそ我妹
現代文  「任地に就いて長くなったせいかしきりにお前のことが思われてならない。心配しないでおくれ、いとしい妻よ」。
文意解説
歴史解説

【巻4(623)。】
 
題詞  池邊王(いけへのおほきみ)が宴席で詠った歌。池邊王は三十九代弘文天皇の孫。
原文  松之葉尓  月者由移去  黄葉乃 過哉 君之 不相夜多焉
和訳  松の葉に 月は移りぬ 黄葉の過ぐれや 君が逢はぬ夜ぞ多き
現代文  「大分夜も更けてきたが、君の姿が見えない。最近見なくなったな」。
文意解説  「月が動いて松の葉にかかってきた」とは「大分時が経ったなあ」の意味である。「黄葉(もみぢば)の」は枕詞。相手が男か女か二様にとれる。「過ぐれや」を「死んだのか」と解する向きもあるが、そう取る場合は「おいおい死んじゃったのかよお」とおどけていることになる。
歴史解説

【巻4(624)。】
 
題詞  天皇、酒人女王(さかひとのおほきみ)をお思いになって詠われた御製歌。細注に、「女王は穂積皇子の孫女也」とある。天皇は四十五代聖武天皇。
原文  道相而  咲之柄尓  零雪乃  消者消香二  戀云君妹
和訳  道に逢ひて 笑まししからに 降る雪の 消なば消ぬがに 恋ふといふ我妹
現代文  「雪が消え入りそうな様子で、お慕いしています、と応えてくれたね。いとしいそなたよ」。
文意解説  「道に逢ひて笑まししからに」の「笑まししからに」はむろん作者の天皇が「ほほえみかけたら」の意味である。
歴史解説

【巻4(625)。】
 
題詞  高安王(たかやすのおほきみ)鮒を包んで娘子(をとめ)に贈る歌。この題詞にも細注が付いていて「高安王は後に大原真人の姓氏を賜る」とある。天武天皇の孫。
原文  奥弊徃邊去 伊麻夜為妹  吾漁有  藻臥束鮒
和訳  沖辺行き辺を行き 今や妹がため 我が漁れる 藻臥し束鮒
現代文  「沖の方へ出たり岸に戻ったりして、妹の為にとってきた。ほらみてごらん、藻草の中から私が捕まえてきた小鮒だよ」。
文意解説  「沖辺行き辺を行き」は船ではなく、徒歩で、「沖の方へ出たり岸に戻ったりして」という意味である。結句の中の「束鮒(つかふな)」は一握りほどの鮒、すなわち10センチほどの小さな鮒。「我が漁(すなど)れる藻臥(もふ)し束鮒」は、「ほらみてごらん、藻草の中から私が捕まえてきた小鮒だよ」という意味になる。
歴史解説

【巻4(626)。】
 
題詞  八代女王(やしろのおほきみ)が聖武天皇に獻った歌。
原文  君尓因 言 之繁乎  古郷之  明日香乃河尓  潔身為尓去 [一尾云龍田超 三津之濱邊尓 潔身四二由久])
和訳  君により 言の繁きを 故郷の 明日香の川に みそぎしに行く [一尾云龍田越え御津の浜辺にみそぎしに行く]
現代文  「あなた様のことで噂が激しいので故郷の明日香の川に清めに参ります」。
文意解説  異伝の「龍田越え御津の浜辺にみそぎしに行く」とは大きく異なる。異伝にある「三津の浜」は大伴氏の根拠の難波の浜、または住吉の浜を指すと考えられているからである。いったい彼女の故郷はどこなのであろう。
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(私論.私見)