発句「人事乎 繁美許知痛美 己世尓」は「言を 繁み言痛(こちた)み おのが世に」と訓む。「人事乎」は「人事(ひとごと)を」と訓む。前にも述べたことだが、古く「こと」は「言(こと)」をも「事(こと)」をも表わした。これは一語に両義があるということではなく、「事」は「言」に表われたとき初めて知覚されるという古代人的発想に基づくものである。ここの「人事」は「人言」で「他人の言うことば。世人のことば。また、世間のうわさ」の意で用いられている。「乎」はヲ。「繁美許知痛美」は「繁(しげ)みこち痛(た)み」と訓む。「繁」は「繁(しげ)」。「しげし」は「あまり多くてわずらわしい」の意。「美」はミ。「許知」はコチ。「許知痛」で以て、「こち痛(た)」を表わす。「こちたし」は114番歌に既出。「こと(言・事)いた(痛)し」の変化した語で、「人の言葉、うわさなどが多くて、うるさい」ことをいう。「己世尓」は「己(おの)が世(よ)に」と訓む。「己」は自称の代名詞「おの」。同じ自称「おのれ」は単独で用いるが、「おの」は、助詞のガを伴うか、あるいは直接体言に冠して用いる。ここもガを補読して「己(おの)が」と訓む。「世」は、生涯・時代・世の中などを表わす語。竹の節と節との間をいう「よ(節)」と同語源で、時間的・空間的に限られた区間の意を持つ。ここは生涯、一生の意で使ったもので、自分の生まれてから今までを省みて「己(おの)が世(よ)」と言ったもの。「尓」はニ。
結句「未渡 朝川渡」は「いまだ渡らぬ 朝川渡る」と訓む。「未渡」は「未(いま)だ渡(わた)らぬ」と訓む。「未」は「いまだ…ず」と否定を表わす再読文字。「未渡」は「未(いま)だ渡(わた)らぬ」と訓む。「未(いま)だ」は、名詞「今」にダ二の語根と同じダが付いたもので、あとに否定の語を伴って、現在でもなお事柄が実現していない意を表わす。「渡」は「渡(わた)ら」。「わたる」は「船や馬などに乗って、また、泳いだり浅瀬を歩いたり、橋を使ったりして、海や川の一方の岸から他方の岸へ行く」ことをいう。「未」の再読は、打消しの助動詞「ず」の連体形で「ぬ」。「朝川渡」は「朝(あさ)川(かは)渡(わた)る」と訓む。36番歌「旦(あさ)川(かは)渡(わた)る」と同句であるが、36番歌は「船を並べて朝に川を渡る」情景を詠ったものであり、本歌とは情況を異にしている。この句について、阿蘇瑞枝『萬葉集前歌講義』は次のように述べている。
アサは、昼を中心とした時間帯「アサ・ヒル・ユフ」の最初の部分で。夜の時間帯「ユフベ・ヨヒ・ヨナカ・アカツキ・アシタ」の最終部分のアシタと時間的には重なるが、アシタには、「夜が明けて」という気持が常についている点で、アサと相違するという(『岩波古語辞典』)。必要あって従者を連れて人々と共に朝の川を渡ったことがないわけではないと思うが、ここは男のもとから一目を避けつつ、とはいえ避けようのない明るい朝の光に身をさらしつつ川を渡って帰って来るほかなかった皇女の辛い思いのうかがわれる表現。 |
この見解は、澤瀉「萬葉集注釋」が「ここは特に人目にたたぬ夜明けと見るべきであらう」として「人目を忍ぶためにまだ夜の明けきらぬ頃に川を渡られる事があつたと見るべき」とするのとは大きく違うものと言えよう。どちらとも決め難いところであるが、何れにしても、作者の体験をそのまま歌にされたものである事には違いない。