富士谷御杖、萬葉集燈2 |
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(59)萬葉集燈卷之二 平安富士谷御杖著
本集一 其二
中大兄命 近江宮御宇天皇 三山歌一首
今の本、近江宮云々を本行とせるは非なり。後人の註せる也。三山は、香山、畝火、耳梨なり。或る説云う、これはこの三山をみましての御歌にあらず。仙覺註に、播磨の風土記に云う出雲の國の阿菩《アボノ》大神聞きて、大和の國|畝ノフコトヲノ火《ウネビ》、香山《カグヤマ》、耳梨《ミヽナシノ》三の山相闘(フコトヲ)1以2此(ノ)謌(ヲ)1諫(テ)v山(ヲ)上(リ)來之時(ニ)到(テ)2此處(ニ)1乃聞(テ)2闘止(ト)1覆(テ)2其(ノ)所v乘之船(ヲ)1而坐之故號2神集《カヅメノ》之覆形。とあるによりて、この故事を聞まして播磨にてよみ給へるならむ。今も神詰(カムヅメ)といふ所ありといへり。反歌の終の御歌を思ふに、これしかなるべし。されどこの説たゞ詞のうはべにめをかぎりたる説也。三山は假物也。くはしくは下をみるべし。
高山波《カグヤマハ》。雲根火雄男志等《ウネビヲヲシト》。耳梨與《ミヽナシト》。相諍伎《アヒアラソヒキ》。神代從《カミヨヨリ》。如此爾有良之《カクナルラシ》。古昔母《イニシヘモ》。然爾有許曾《シカニアレコソ》。虚蝉毛《ウツセミモ》。嬬乎相格良思吉《ツマヲアラソフラシキ》
(60)〔言〕高山波。これをかぐ山とよむ事、高は香の誤りとも思へど、高も音は加具《カク》とよむべければ暫今本によるべしといふ説あり。さまでの穿鑿にも及ぶべからず。上の舒明天皇の御製に、取よろふ天のかぐ山とよませたまへるが如く、加具山は大和國にての高山なれば、その心をえてかけるにこそ。これは雌山にて、畝火耳梨は雄山なり。かぐ山を女男といふは、山神の女男をいふなり。末につくば山をやがて神とよみたるを思ふべし。されど雄山ふたつが雌山ひとつをあらそふ事、實事にあるべき事ともおぼえぬ事也。必これ倒語にて、その山々のあたりに、住ける男女なるべし。あらはにいはれぬよしありて、山とせるなるべし。波もじ、をばの心にみよと代匠記にいへり。しかれども、をばのをを略したるにはあらず。をといふべきを、波《ハ》とはよませ給へる也。前々もいへるが如く、この波《ハ》の用ひ方を後世人はしらず成ぬるが故に、契沖だにかくいへり。この例、上世・中昔までは多し。これは歎ずる心に用ふるにて、者也《ハヤ》とよむ心也。者也《ハヤ》の也《ヤ》もじのなきなりと心えなば明らかなるべし。多かる物の中にて目だつを歎ずる詞なる也。さればこゝもかく山はやとまづはじめに歎き出たるにて、かの二雄をあらそはしむる香山を歎じたる也。歎ずる中に、おのづから此香山をばの心は、こもる也。これ上古、波《ハ》もじの用ひざまなり。允恭天皇の御紀に、冬十月新羅弔使等喪禮既(ニ)※[門/葵]《ヤムテ》而還(ル)之爰(ニ)新羅(ノ)人恒(ニ)愛(シテ)2京城(ノ)傍(ナル)耳成《ミヽナシ》山畝傍山(ヲ)1則到2琴引(ノ)坂(ニ)1顧(テ)之曰|宇泥※[口+羊]巴椰彌彌巴椰《ウネメハヤミミハヤ》是(レ)未v習2風俗《クニノ》之言語(ヲ)1故|訛《ヨコナマリテ》畝傍山(ヲ)謂(フ)2宇泥※[口+羊]《ウネメト》1耳成山(ヲ)謂2瀰瀰《ミミト》1耳、これにてらして思ふべし。○雲根火 うねびのをゝしき山と、といふをかくよみ給へる也、後世心(61)にては、をゝしうねびと、といふべき事に思ふべし。しかるを上古人、かくいふは、上にもいひし倒句の法によりて也。まづ畝火の名をいふべき法なる也。志《シ》とのみ志伎《シキ》といふ心によむ例、上古には多し。古事記上卷の歌に、登富登富斯《トホドホシ》。故志能久邇邇《コシノクニニ》云々、また、佐加志賣久波志賣《サカシメクハシメ》、この集中にも多し。雄男志《ヲヲシ》とは男らしき心也。されど、こゝは、すくよかに無骨なるやうの心に、よみ給へるなるべし。此畝火のみ、をゝしとおほせられし事、この反歌につひに、耳梨にあひしとあれば、もと耳梨は、いうにやさしかりし事しるし。此故に、畝火をのみをゝしとよみ給へるなるべし。○耳梨與 このふたつの與《ト》もじ、香山にむかふる也。もし畝火と耳梨がふたつあらそふにて、香山にあづからずは、與《ト》ふたつは必おくまじき也。○相諍伎 あらそふは倒語なり。香山にあはむあはじとする事を思はするなり。伎《キ》とはさきにありしことのさまをかたる脚結也。されどたゞ語るにはあらず。そのありつる事の、今とあたることをかたる詞なり。そこをたしかにいひて、今のあやぶみを定むるなり。さればこゝも今のよに人の嬬をあらそふ事、今の人のあさましきにもあらずと決し知らせむが爲なり。これ言靈をてらす所以なり。○神代從 神代といふは、大かた上古をひろくさし給へる也。即かの播磨風土記にある時をさす也。もと神代といふ名予にあげつらひあり。まことの神の代といふにはあらず。此事古事記燈にみるべし。如此爾有良之、古點「かゝるにあらし」とよめれど、又「かくなるらし」とよめるもしかるべし。いづれにてもありぬべし。かゝるとさし給へるは今の人の嬬あらそふ事をさし給へる也。今を神代へかへしてよませ(62)給へるにて、從とあるは、今の濫觴たるよしを述たまへる也。爾《ニ》もじよく思ふべし。ひとへに今人の嬬あらそふ本をたしかにしたまへる也。良之《ラシ》は、大かたたしかにはしられねど、大抵その事の察ししらるゝよしをいふ脚結也。○古昔母 古昔とは、いにし方といふにて今より以往をひろくさすなり。母《モ》もじは、今世によせむがため也。然爾有許曾を、しかなれこそとよめるは、奈禮《ナレ》の奈は、爾安《ニア》をつゞめたるまでにて、古點に同じ。しひてひきあはせて、六言によまむも事こめるやう也かし。【ひきあひとは反切の事也】然《シカ》とはそのやうにの心也。上の如此《カヽル》このやうにあるといふ也。上には「かく」といひ、こゝには「しか」といふは、上は今世の事をさすが故也。こゝは古昔の事をさすが故也としるべし。安禮許曾《アレコソ》は、安禮婆許曾婆《アレハコソハ》のをはぶけるにて、かくざまにいふ事、古言に多し。許曾《コソ》はまへに釋せるが如し。いにしへさる例もなくは、今人いかに辯なくとも、嬬もあらそはし。と今人つまあらそふをあさましき事におもふ人もあるべきをさとし給へる也。此|許曾《コソ》この一首の眼なり。○虚蝉毛 これは現身《ウツシミ》の羲也。音便にて志《シ》を勢《セ》にかよはせていひなりたる名なり。さればかく蝉の字をかりてかける也。冠詞に用ふるもこれに同じかく虚蝉とかゝれたるより後世はうつせみとだにいへば蝉退の事なりと心えなれるは誤也。これ現存の身といふ心なり。毛《モ》はいにしへによせむため也。上の古昔母の母《モ》もじと、來往なり。○嬬乎相格良思吉 乎《ヲ》もじはあらそふべからぬ嬬を、といふ也。許曾《コソ》を釋したるにあはせて思ふべし。嬬を人とあらそふ事、もとをとなしからぬわざなれば也。嬬とは夫よりも婦よりもいふ稱也。その例代匠記にくはし。相格は、古點あひうつ、(63)とよめれど、うつといふべき事にあらず。あらそふとよめるに從ふべし。此集卷二に相競《アラソフ》卷十に相爭《アラソフ》など、相の字にかゝはらずあらそふとよめり。又格の字をあらそふとよめるは、此集卷十六に有2二壯士1共(ニ)挑(テ)2此娘(ヲ)1而損(テ)v生(ヲ)格競《アラソフ》とある、これ也。良思吉《ラシキ》は、もと、良思《ラシ》はこの良思伎《ラシキ》の伎《キ》のはぶかりたる也。今里言にラシイといふこれ也。推古天皇の御紀の歌に、於朋枳彌能《オホキミノ》。兎伽破須羅志枳《ツカハスラシキ》、此集卷六に、語嗣《カタリツギ》。偲家良思吉《シヌビケラシキ》などみゆ。義はまへにいふが如し。つまあらそふ今人の心のうちを大抵察してよみ給へる也。
〔禮〕倒語の道をうしなひたる後世人のさがにて、たゞめにみゆるうへをのみたのむ世となりぬれば、此御歌端作に、めを奪はれ【上古は、表をたてむがために、わざと、端作はかける也。】何のよしにてあそばしつる御歌とも思ひ入るる人たえてなし。すべて、かくれたる所をもとむるはから人のするわざ也といふ説世にひろごりたるは、なにのふみにさる徴ありてか信ずらむ。いと心くるしき事なり。此御歌、表は、播磨におはしまして、かの阿菩大神のとまり給ひし處にて、三山のあらそひの事をおぼし出られ、神代以來さる例ある故に、今人も嬬をあらそふならし。しかれば、今人のさがなきにしもあらず。いにしへよりのならひにこそ。と今まで今人つまあらそふをさがなき事におぼしめせるに、その濫觴に御心つきて、かねての御疑をとかせ給ひし心に、あそばしゝ也。しかれども、さるはかなき事を、上古人は歌とよむならひにあらねば、今思ふに、比集中に額田(ノ)王思2近江(ノ)天皇(ヲ)1といふ歌あり。【中大兄命は、即近江天皇なり。】また此卷に、額田王の「茜指《アカネサス》。武良前野逝《ムラサキノユキ》云々」といふ歌、皇太子答御歌とて、(64)【天武天皇なり。】「紫草能爾保敝類妹乎《ムラサキノニホヘルイモヲ》云々」と贈答あり。これによるに、額田王は、天智天皇の御思ひ人にて、つひに天武天皇の夫人となり給ひし也。 天智天皇 天武天皇は、御はらからにて、この額田王をともによはひたまひし也。それをば、かの三山のあらそひにおぼしよせられしとぞおぼゆる。されば、かねて 天武天皇と、額田王をいどませ給ひて、御兄にさへましませば、いたく心くるしくおぼしめして、いかでおぼしたえむとおぼせども、あやにくに忘れがたくおぼしなやませ給ひける頃、播磨にてかの三山のあらそひをおぼし出られけるより、これをもて御詞づくりし給ひ、たゞ大かた世人のつまあらそふうへによみふせたまひし也。この御歌もと、額田王におくり給へるにて、 天武天皇との御あはひを、ふかくなげきつかはされしなるべし。されど、さすがに、天武天皇をおもひたえよともおぼせられがたくて、たゞ大よそにつけられたる御詞、いかに心くるしくおぼしけむ。と御心のうちおしはかられたてまつるかし。
反歌
高山與《カグヤマト》。耳梨山與《ミヽナシヤマト》。相之時《アヒシトキ》。立見爾來之《タチテミニコシ》。伊奈美國波良《イナミクニバラ》
〔言〕本句は女山なる香山、つひに耳梨山にあひし時といふ也。をゝしき畝火山の言はきかざりし也 言靈にひゞく所思ふべし。與《ト》もじふたつ、こゝは畝火山をかたはらにもちていふが故に、與《ト》ふ(65)たつおかせ給へる也。○立見爾來之 阿菩大神の出雲國をたちてといふ也。見爾來之とは、この印南より三山のあらそひのみゆるにはあらず。大和國にいたりてみむとて來たまひし也。それも猶觀むといふ心にはあらず。風土記の語のごとく、諫むとての心なるなり。諫めに來しといふべきをかくみにこしとよむ事、わが御國ぶり也。この印南までおはしましゝに、かの山の諍やみぬときこしめして、こゝにとまりたまひしといふべきをば、かくたゞ見爾來之とばかりよみ給へる、これ風土記にそのとまりたまひし事明らかなれば、ことにことわり給はずして、人の心にゆづり給ひし御詞づくり也。古語の簡古思ふべし。立《タチ》といふ事、もと無用の詞のごとくなれど、こゝにとまり給ひし事のひゞき也。わざ/\、出雲國をたち給ひしもたゞ諍をやめむ爲なるが故に、こゝにて安心したまひし心、此詞にしるし。○伊奈美國波良 播磨の印南は郡の名也。いにしへ、郡をも、郷をも、國といへる事つねなり。此集に、吉野國・泊瀬小國などよめり。國ばらは、まへの 舒明天皇の御製にあるに同じく、ひろく平らなるを云。大かた國はひろくたひらなるがよき國なれば、ほめて國原とはいふ也。この伊奈美の國、いかにありともことわり給はず。かくよみすてたまひしにて、御心のほど森々とその深きかぎりなき也。情の公私ふたつ存し、言靈のさきはひ、もはらこゝにある事也。是を歌の最上、詞づくりのいたりと心うべし。上古にはかゝる歌いと多し。その所々にいふべし。中昔よりは、たえてかくよむ事なくなりにき。いと後の世となりては、情をあらはすまじきが爲に、かくよむ事とは辨へず、たゞうはべばかり(66)にて、やすらに物事のうへをよむをよしとするは、此上古のかゝる歌のうはべをみての誤也。似たるが如くにして非也。たとはゞ、いける人と木偶のごとし。神典【古事記上卷】大量之件に、死活の論つまびらか也。まねびしるべし。
〔靈〕此御歌、「表は、阿菩大神の三山を諌めむとて、わざ/\出雲國を立ておはしゝが、爰にてその諍やみて香山つひに耳梨山にあひし事をきこしめしてとまらせ給ひし印南國はこゝぞ。とたゞそのむかしをおぼし出たるばかりのやうに御詞をつけられたる也。しかれども、もと此事は風土記に審らかなれば、こと吏にかくよみ給ふべしや。かゝるよ事歌によむならひにあらねば、今思ふにかの三山の諍も、つひに耳梨山にあひしかば、阿菩大神もこゝにとまり給ひし、今其國におはしましゝにつけて、つひに香山を得たりし耳梨山の、その時の心いかにうれしく快かりけむ。とうらやましくおぼす御心なるべし。その耳梨山をうらやましくおぼす御心を、額田王にはかり給へ。との御詞づくり也かし。長歌には、おぼし捨られぬ事を歎き、此反歌には、終に一方にあひぬるをうらやみ給ひしにて、ともに、額田王にひとしへならむ事を思はせむの御心也と心うべし。
渡津海乃《ワタツミノ》。豐旗雲爾《トヨハタグモニ》。伊理比佐之《イリヒサシ》。今夜之月夜《コヨヒノツクヨ》。清明己曾《アキラケクコソ》
〔言〕前にいへるが如く、此一首は印南にて同時の御歌なるべけれど、反歌とはみえず。されど、くはしく情をたづぬれば、猶額田王を忍びたまふにて、上とこと筋の御歌にあらず。下に稱せるをみ(67)て知るべし。○渡津海は、古事記上卷に、綿津見神とかゝれたる海神の御名なり。此神、海をしらせ給へば、やがて海の名としていふ也。こゝに海とかゝれたるは、見《ミ》の假名也。されば後世わたつうみとかくは非なり。○豐旗雲爾 文徳實録に、天安二年六月、有2白雲1竟(テ)v天(ヲ)自v艮至v坤(ニ)時人謂2之(ヲ)※[竹/旗]雲(ト)1とあれど、これにかぎらず、旗に似てなびく雲をつねにいふ也。豐は、ゆたかなるかたちをいふ也。豐秋津洲・豐御酒などの類也。ゆたかなりとはその物の盡ぬべきうれひなき内のさまの、外貌にあらはれたるさまを云なり。○伊里比沙之 これ、今入日のさすをみておほせられたるにはあらず。豐旗雲に入日さして、そよひの月あきらけくあらむことを、未然よりおほせられたる也。沙之《サシ》の之《シ》もじの義を思ひて、今いふ心をしるべし。入日よければ、明日必天氣よしと今もいふ也。その夜の事、いふも更也。○今夜乃月夜 たゞ月といふを月夜とよめるが、集中多く、すべてその物にさしつけぬ事わが御國言の常なり。一人のをとめをいふに、をとめらとよめるを思ふべし。○清明己曾 古點「すみあかくこそ」とあれど、すみあかくといふ詞をさなくて、古人のいふべき詞ともおぼえず。あきらけくこそとよめるあり。紀に、清白心をあきらけきこゝろとよめるによれる也。これに從ふべし。己曾《コソ》は、願の詞なり。上古にのみ用ひて、中昔よりはたえたる脚結也。社の字を、己曾に假るも、神社には思ふ事をいのりねがふ物なるが故にかりたるにも思ふべし。こよひの月明かにあれ。とねがひ給ふ也。入日の空のさまに、その夜の月の明かならん事を知る也。といふ説あり。諸説もしかり。前にいひし如く、もし入日のさす事(68)現在の事ならば、沙之《サシ》とはおほせらるまじき也。しからば、必伊理比沙須とぞあらまし。かの説は、己曾《コソ》は「あきらけくこそあらめ」といはむをはぶける也とみたるなるべし。これは、さもみるべけれど、上の沙之《サシ》といふ詞とのうちあひ、さる例にみるべからざる事、よく/\思ふべし。されば、はじめより終まで、すべて未然をおほせられたるにて、いり日さして、こよひの月あきらけき事、あらかじめしらまほしとの御心なる事明らか也。上下の詞、一氣律にみるべし。詞は大かたいさゝかも麁なるべからざる事かくのごとし。詞に麁にして私意をもてとく時は懸隔必あるべし。ことに、古言は詞の條理にくらくしてはとくべからざるもの也。思ふに、その日はくもりて、入日などもみえざりしかば、かくはよませ給へるなる事明らか也。
〔靈〕この御歌、表は、空くもりてこよひ月もくらげなれば、いかでこよひの月あきらけくあれ。との御心にて、何故にこよひの月あかゝらむをねがひ給ふともしられぬは、今夜月あかくば海上のけしきもみむとの御心にや。又こよひこゝより御舟にのらせ給ふべければ、こよひ月あかゝらむをねがひ給へるにや。此二説さだめがたきは、上古の詞づくりのかたよらざる妙ぞかし。されどこれ歌によみたまふべきばかりの情にもあらねば、思ふに、此御心は初の説の如くならば「額田王の戀しさ、客中ことになぐさめがたきに、かく曇りて雨などふらば、いとゞしのびかたからむ」の御歎にや。後の説の如くならば「京にかへらせ給はむ事遅くなりて、いよ/\戀しさ堪へかたからむ」の御心にや。いづれにもあれ。旅中のくるしさを、額田王に歎きつかはされしな(69)るべし。しかるを、たゞ今夜の月あかゝらむ事をのみ御詞とし給ひし、いかに御心たへがたくおはしけむ、とかしこしともかしこしかし。
右一首(ノ)歌今案(ズルニ)不v似2反歌(ニ)1也但舊本以(テ)2此(ノ)歌(ヲ)1載(ルガ)2於反歌1故(ニ)今猶載v此(ニ)亦紀(ニ)曰天豐財重日足姫(ノ)天皇先(ノ)四年乙己立(テ)爲2皇太子(ト)1
この不似反歌といふは、此御詞の表に、めをうばはれし也。くはしくまへに論らひおけり。元暦本には、立の字下爲の字なしとぞ。今の本立爲天皇爲皇太子とあるは、爲の字のみならず、爲天皇の三字衍なるべし。これは 天智天皇の御事をいふ也。
近江大津宮(ノ)御宇天皇(ノ)代 天命開別《アメミコトヒラカスワケノ》天皇
天皇詔2内大臣藤原(ノ)朝臣(ニ)1競2憐(シメタマフ)春山萬花之艶秋山千葉(ノ)之彩(ヲ)1時(ニ)額田(ノ)王以v歌(ヲ)判(ル)v之(ヲ)歌
この藤原朝臣は鎌足かなり。下の例にては、藤原卿とあるべき也。又次に、近江へうつり給ふ時の歌あれば、こゝは後岡本宮にての事なれば、内臣中臣連鎌足とあるべきをかくかけるは、後より崇めてなるべし。萬葉考別記【眞淵】にくはしく論らはれたり。此判の字後世歌合の判のごとく、諸人のきそひを判断せしめ給ひしにはあらざるべし。たゞ人々をして、春秋に心ひくかたをことわらしめ給ひしなるべし。是必故ある事なるべし。
(70)冬木盛《フユゴモリ》。春去來者《ハルサリクレバ》。不喧有之《ナカザリシ》。鳥毛來鳴奴《トリモキナキヌ》。不開有之《サカザリシ》。花毛佐家禮杼《ハナモサケレド》。山乎茂《ヤマヲシミ》。入而毛不取《イリテモトラズ》。草深《クサフカミ》。執手母不見《トリテモミズ》。秋山乃《アキヤマノ》。木葉乎見而者《コノハヲミテハ》。黄葉乎婆《モミヅヲハ》、取而曾思奴布《トリテゾシヌフ》。青乎婆《アヲキヲバ》。置而曾歎久《オキテゾナゲク》。曾許之恨之《ソコシウラメシ》。秋山吾者《アキヤマワレハ》
〔言〕冬木盛 今本盛を成に誤れり。集中|冬隱春去來者《フユゴモリハルサリクレバ》とかけるに例して、この誤をしるべし。冬は萬物蟄して春出れば、冠とする也○春去來者 古説みな、去といふにわびたる説ども也。これ、わが御國言の法にくらければ也。春となればその春時々刻々わが眼前を去りゆくが故なり。來るを去るといふは、事たがひたるやうにおぼゆるは後世心なり。人の思慮をまつ事、我國言のかしこき所也。神典をまねびてさとるべし。○不喧有之 冬はなかず、さかざりし、鳥なき、花さくに、冬よりまちし心ゆきて、春のふかく燐むべきよしを言也。佐家禮杼《サケレト》とは、例の「衣緯」にうつせるにて、花のさきての末をさす也。さけどといふにはたがへり。奴《ヌ》もじは冬よりの事をかけていふ也。前に釋したる心おもふべし。○山乎茂 古點しげみとよめれど、六言也。四言・六言にはよめど、六言・八言によむ事、ひきあひには法ある事、わが亡父成章はじめていへり。委しくは、予が隨筆にそのさだめを載たるをみるべし。しげきをしとのみいふ事、古くは多し。これは木の繁きを云。山に入て、花を折とらむとすれば、木繁くてとり得がたきを云。或説には、下の句の例にて、取は見の誤にて、これも不見かといへれど、入てもとらず、とりても見ずと次序し(71)たる詞なるべし。○草深 この草にむかへて、上は、木のうへなる事しるべし。執手母不見《トリテモミズ》を、たをりてもみずとよめる點あり。古點とりてもみえずとよめり。上の句の取といふより次第したるなれば、なほ古點しかるべし。ことに、かれは古言ともおぼえぬぞかし。みえずは、みずと六言によむべし。もしみえずならば、不所見ともかゝるべきに、所の字なきは、みずとよめとの事なるべし。みえずの心をみずとよむ事、古言のみやび也かし。からくして折とりたる花も、草深くてさだかに見ぬといふ也。以上まづ、春山の秋にもまさりて、さま/”\にあはれなるをいひ、さて山乎茂以下の四句は、春はさばかりあはれなれど、その春のあかぬ所をよませたまへる也。此以下は、秋山の事にうつる也。○秋山乃 而者といふ脚結、心をつくべし。これより外に、猶さま/”\の興ある車を、此|而者《テハ》にて思はせたる也。脚結の用ひざまの、力ある事おもふべし。春山の方には、此|而者《テハ》にむかへて、毛《モ》もじを置て他のくさはひを思はせられたり。○黄葉乎婆 もみぢをばとある古點用ふべからず。もみづとよむべし。下の青きといふにむかふればこゝも用の詞たるべき也。もみづは、もみいづにて、用の詞也。もみぢといふは、體の詞也。紅は、袋にいれてもみ出で、染れば也。取而曾思奴布《トリテゾシヌブ》とは、をりとりても猶あかずして、枝なるを忍ぶを云。そのあかぬがうらめしき也。曾《ゾ》もじ、めをとゞむべし。上の春山の四聯は、而毛《テモ》・手母《テモ》と、ふたつながら毛《モ》といひ、こゝはふたつながら曾《ゾy》とよみ給へる、心をこめさせ給へる脚結なる證なり。○青乎者 いまだもみぢぬを云。置而曾歎久《オキテゾナゲク》とは、枝におきて、をりもとらぬを云也。なげくとは、もと長息《ナガイキ》(72)をつゞむればなげき也。これを「宇緯」になして、現當にいふ詞なり。里言にトイキツクといふこれ也。これはもみぢする事の遲きをなげく也。以上、うらめしきふしをかぞへられたる也。○曾許之恨之 そことは、上の四句をさす也。恨之《ウラメシ》とは、遺恨・遺憾などの心にて、滿足になき也。宣長は恨は怜の誤にて、「そこしおもしろし」ならむといへるに、千蔭もしたがひて、うら枯るゝ秋は山に入やすければ、秋のもみぢに心をよすると也。と註せし、見すぐしかたき説なれば、今論らふ也。此説のおこれる所を思ふに、此御歌もと、秋山の方をあはれとさだめたまへる事しるきに、恨之などはおほせらるまじき事也。と心えられけるよりの説なる事疑なし。さばかり古を温《タヅネ》られける人々なれど、いまだ古言のもちひさまにおもひいたらざりけるゆゑの説ぞかし。大かた、古言の用ひざまは、後世の詞のつくりざまには、いたくたがへる物也。おもしろき事の多かる時その數をつくしてはいはれず。いへば中々なるべきが故に、その多かる中にてうらめしき分を擧れば、その餘は悉くおもしろき事明らかなれば、かくはよませ給へる也。すべていふよりはいはぬ方おもひやり無量なれば、おもしろき方のいはれぬのみならず、その方を言外とし給へる也。おもしろき方を言外とし、却てうらめしき方を詞とし給へるは、倒語の妙處、古人詞のつけざまにすぐれたる所以ぞかし。かゝる詞のつけざまは、詞を用ふる鑑にてこそあれ。こゝに心とまらずは、古歌・古文ともに解すべからず。もとより、よろづ御國ぶりにたかふべき等、よく/\おもふべし。古今集にも「みちのくはいづくはあれど鹽がまの浦こぐ舟のつなでかなしも」とよめるは(73)【これは、その世の歌にはあらじ。ふるき歌のすがたなり。】鹽がまの浦のけしき、いづこも/\おかしきに、その一二をいへば、かへりてその餘はおかしからざるが如く聞ゆべきが故に、中におかしくもあらぬ舟の網手をしもかなしといへるにて、【かなしは、愛のいたりをいふ詞なる事例ひくに及ばず。】それだにかなしくは、其餘の物いかにかなしき所なるらむ。と思はれむがための詞づくりにて、即こゝの同法也。詞を簡にして、いふにもいたくまさる法これならず、上古は多し。かへす/”\、古人詞づくりにおろかならざる事思ふべし。後世人は、詞の用ひざまをわきまへざれば、倒語をみてはめおどろかるゝぞかし。○秋山吾者 古點は、あきやまぞわれはとよめれど、八言なれば、あき山われはとよむべし。これは倒置の法にて、吾者秋山といふ心なるを、標實をはかりて倒置したまへる也。秋山をば、春山よりも吾々はあはれと思ふぞとの心なり。
〔靈〕この御歌、表にては、春山のかたもおかしくはあれど、秋山にはうらめしきふしこそあれ。よろづのあはれ秋山に深ければ、吾は秋山に心ひくぞとよませたまへる也。されど、春山・秋山いづれあはれなりといふばかりの事は、こと/”\しく歌もてことわるべき事がらならねば、これ必故あるべし。されば思ふに、もと 天皇人々をして、春山・秋山を競憐ましめ給ひしは、實は、額田王の 御みづからと、 天武天皇いづれにか心ひくぞと試みたまはまほしけれど、額田王一人におほせ給はゞ、御心みえなるべく、もとよりあらはにもこたへ給ふまじき事なるが故に、人々に競憐ましめたまひしなるべし。額田王もその御心は得たまひながら、表をたてゝ、歌をもてことわ(74)り給ひしなるべし。されば額田王も、御心のひく方あるべけれど、二帝いづれを春、いづれを秋と比してかくはよみ給へりけむ。 天皇も、此御歌をみそなはしゝ御こゝち、いかにおはしけむ。いとみやびやかにめでたき事也。かくさだかにしられぬぞ、倒語の妙用なる。上古人の詞ざま、心用ひ、おもひはかるべし。
井戸(ノ)王下2近江(ノ)國(ニ)1時作歌額田(ノ)王即和(スル)歌
今の本には、額田王下近江國井戸王即和歌とあり。先學者、此端作をあやしまざるものなし。今思ふに、奥の「綜麻形乃」の歌、わがせとあれば、それ額田王の和歌にて、この長歌・反歌は井戸王の歌にや。されば、御名を置かへたるにや。とてかくかけるなり。なほ考ふべし。井戸王は、額田王のうからなどにや有けむ。ある説に、井戸王といふ名も、氏もみえねば、大海人皇子云々とあるべしといへれど、大海人皇子を井戸王と誤るべくもおぼえず。諸王のうちの御子にて、物にもれたるもはかりがたし。大海人皇子は、 天智天皇の皇太子即、 天武天皇の御名なり。左註の類聚歌林に御覧御歌とあるに、天皇・皇太子の御歌なる事しるしとての説也。されど、類聚歌林もひたぶるにはたのみがたし。「下近江國」とは、天智天皇の遷都まし/\けるたびの事か。又遷都の後にもあるべし。和歌と此集にあるは、こたへ歌、又和せる歌をも云。これを大和歌と心えたるは、から歌にむかへてこそあれ。さもなきは、此集に和歌とあるを、麁にみてあやまり傳へたるなるべし。
(75)味酒《ウマサケ》。三輪山《ミワノヤマ》。青丹吉《アヲニヨシ》。奈良能山乃《ナラノヤマノ》。山際《ヤマノマニ》。伊隱萬代《イカクルマデ》。道隈《ミチノクマ》。伊積流萬代爾《イツモルマデニ》。委曲毛《ツバラニモ》。見管行武雄《ミツヽユカムヲ》。數々毛《シバシバモ》。見放武八萬雄《ミサケムヤマヲ》。情無《コヽロナク》。雲乃隠障倍之也《クモノカクサフベシヤ》
〔言〕味酒三輪とつゞくるは、みわは酒甕の事也。此集にも所々よめり、旨き酒をみわにたゝふる心につゞけたる也。されば「うまさけを」ともある也。古訓あぢさけとあれど、うまさけとよむべき事、冠辭考【眞淵】にくはしくみゆ。うまさけはよき酒を云。三輪の山をといふ心にみるべし○青丹吉 眞淵は八百土《ヤホニ》をならすとかけたるにて、與之《ヨシ》は脚結也といへり。久老は、乎《ヲ》はいにしへ歎ずる詞に多く用ふれば、阿乎《アヲ》は阿那《アナ》といふに同じく、邇《ニ》は、古事記の阿那邇夜志《アナニヤシ》の邇《ニ》に同じく、與之《ヨシ》を夜志《ヤシ》と同じといひき。飛鳥岡本宮より三輪へ二里ばかり、三輪より奈良へ四里餘ありて、その間たひらなれば、奈良坂こゆる程までは、三輪山はみゆるとぞ。○山際 古點はやまのはにとあり。しかるを、近頃山際とある所みな「やまのまに」とよめり。されど、際は字彙に邊也・畔也・極也とありて、間の義にはあらず。此義を思へば、猶やまのはにとよむべくや。山際の下、從の字脱せるか。山のまゆとよむべしといふ説あれど、從《ユ》かなへりともおぼえずかし。○伊隱萬代 伊《イ》は、上の中皇女命の御長歌にいへり。奈良山にかくれたりしも、今は陰となりたるさまをいふ也。萬代《マデ》は、何事にもあれ、限あるその限よりさきの限にいたれるをいふ脚結也。大かたの限にては、萬代《マデ》といふ詮はなき也としるべし。三輪山のかくるゝを限とたてゝその限を超て今程とほくなれるにいたれ(76)るをいふ也。代《デ》は、ダイの音をもて假れる也。〇道隈 隈とは、すべて物のかくれになれるを云。ここは道のまがりて、こなたよりはみえぬ所をいふ也。伊《イ》は前に同じ。道のまがりいくつもつもりてさきの隈は今の隈の陰になれるを云。萬代《マデ》、上におなじ。隈ひとつ、ふたつが程を限とたてゝ、いたくつもれるを萬代《マデ》とはいふ也。或説に積はさかの假名にて、いさかるまでに也といへる、此説みやびてはあれど、道の隈のさかるといふ事、理なし。隈といふ事をば、よくも心えずしての説なりかし。爾《ニ》もじ、上の伊隱萬代《イカクルマデ》をも、此|爾《ニ》もじにうけたる也。かばかりの處に來たる歎也。もはら、舊都を心にもちていふ也○委曲毛 つばらには、つまびらかにといふほどの心也。三輪山をつばらにといふ也。毛《モ》もじ「つばらにだにも」の心にて、言靈にひゞかせたる也。くはしくは、下に情をとくにてらしてしるべし。本意の事はかなはずとも、せめてといふ心に、毛もじはおかれたる也。上古には、かくさまに毛《モ》を用ひたる例多し。○數々毛 數々《シバシバ》は、たび/\の心也。毛《モ》の義上に同じ。つばらにみる事かなはずとも、せめての心也。これは上の二句を、今ひときは切にいふ也。上の見管行武雄《ミツヽユカムヲ》は、みる/\ゆかむと思ふにとの心也。見放武八萬雄《ミサケムヤマヲ》は、見さくとはさくは放にて、みる事の遠ぞくを云。みつゝゆくとは、またひときはとほくなれるかたちをいへるにて、是又おのづから次序せる詞づくり也。雄《ヲ》はふたつながら、里言にノニ・ジヤノニなどいふ心也。しか思ふに、それに應ぜぬ歎也。○情無 此句は、上の三輪乃山といふにつゞけるにてその間十句は中にはさみたる物也。されば、十句は未然をいふにて、實事にあらず。この雲の(77)かくすが現當也。雲ゆゑに、みつゝゆかむ事も、みさけむ事もかなふまじきをなげく心血。情無は雲が心せぬ也。これも倒置の法にて、雲の情無云々といふべきを、情無はこゝの標なれば也。隱障《カクサフ》は字のごとく、「さふ」はさへぎる心也。倍之也《ベシヤ》とは、しかかくし遮るべき事かやとの心にて、元來かくすべき事ならずといふべきをかくいひて、げに雲は情なし。かくすべき事ならずと、人の思はむをまつ詞也。也は也波《ヤハ》の也《ヤ》なり。後世反語といふは、わが御國言の道をわきまへざるひが心得なり。もはら人の心より決定をおこさせむがために、人に問ふさまに詞をつけたる物也。宣長は情無をこゝろなとよみたれど、さるは心なやといふ詞となるが故に、下の倍之也《ベシヤ》にうちあはぬを、いかでさはよまむ。此句、八言なるが故なるべし。これは五言、三言、七言とよめるなり。
〔靈〕此歌は明くれみなれつる三輪山を、奈良山にかくれ、道のくまつもるまでは、遠ながらも見つゝなぐさめにせむとおもふに、いまだ程なきより雲のかくしてみせねば、行末いよ/\みらるまじきをふかく歎きたる歌なり。されど、三輪山いかばかりの山にて、かばかり三輪山のみえぬをもなげかるべき。たとひさばかりの山にもあれ、さる情、歌によむばかりの事がらにあらず。されば、此三輪山をかくまでをしまれたるは、本情にはあらずして、本情をば、此山にそらし(らし?)たる詞づくり明らかならずやと思ふに、年頃みなれむつびし人を、たちわかるゝかなしさに、もはら舊都のはなれうき心をなげかれたる也。されど、此情をあらはにいふ時は、 天皇の都をうつし給ふを、私の心をもてうらみ奉るにあたるべきがかしこさに、たゞ三輪山のみえずな(78)るをなげく歌とよみなされたる也。かく、公をも傷らず、私をもすてぬこそ歌のかしこさなれ。たゞ、花をまち、月ををしむなどやうのはかなき事をよむ物とおもひなりぬる事、今の世人のひがみにしもあらず、千歳以來の人の、やう/\此道をもてあそぴものとせる也。これをばなげかで、何をか歎くべからむ。井戸王 はじめにいへるがごとく、額田王のちかきやからなどにや。下の和歌綜麻形乃の歌に、「めにつくわがせ」とよみ給ひしは思ひ人歟。いづれにもあれ、この井戸王、三輪山に比せられしは、額田王なるべし。詞のつけざま、かへす/”\心をとゞむべし。
反歌
三輪山乎《ミワヤマヲ》。然毛隱賀《シカモカクスカ》。雲谷裳《クモダニモ》。情有南武《コヽロアラナム》。可苦佐布倍思哉《カクサフベシヤ》
〔言〕三輪山乎、此乎もじ、この山にかぎりては、かくすまじき山なるをとの心なり。ふかく此山のみえぬをうらめる也。○然毛隱賀 然の義まへにいへり。毛《モ》といひ、加《カ》といへる心は、かくさむにも輕重あるべきに、たぐひなくつらきかくしやうかなと思ふ心也。かくすとも、をり/\は雲間もみゆべきに、さもなきが故也。賀《カ》は加毛《カモ》の加《カ》也。奈良以往は、加奈《ガナ》とはよまず、此京になりて、加奈《カナ》は詠、加毛《カモ》は疑となりける也。加毛《カモ》は、大かた、いかさまにおしあてゝも、理のあてられぬ事ある時の歎也。されば、上古は疑の加毛《カモ》とひとつなりし也。上古の歌は、すべて倒語なれば、倒語のうへの歎に加毛《カモ》を用ひて本情の歎に用ふる事なし。これ加毛《カモ》にかぎらず、大かたの脚結みなかくの(79)如し。後世の心ならひにて、古言の推しがたきは、かゝる用ひざまなれば也。こゝも、雲のかくしざまいかさまに思へども、その心なさのおもひえられぬを、加とはよみたる也。賀は濁音の字なれば、もし、これ加の誤にや。○雲谷裳 此|陀爾《ダニ》、里言にナリトモといふ心也。又|陀爾《ダニ》は、里言にデサヘと云ふ心にももちふる也。これは、願ふ事ある時に用ふる法なり。奈良山のさはり道のくまつもりなば、さやかにもみゆまじきを、雲なりともせめて心あれとの心也。此|陀爾《ダニ》、一首の眼なり。久しくにぎびし家をはなれて、近江にうつる、舊都のをしさのかぎりをつくされたりといふべし。もし雲心ありて、三輪山をかくさずとて、滿足にはあらざるべきを、かくねがはれたる言のほどをおもひて、此|陀爾《ダニ》の用ひざまの妙をしるべし。裳はもはら、此ねがひ本意にはあらねども。との心を思はせられたる也。長歌には、雲の心なきをうらみたるばかりなれば、その雲だに心あらむ事をねがふ心を、此反歌にはよまれたる也。雲のうへをかくかへす/”\切によまれたる事、ひとへに倒語の方をおもくする也。倒語の方をおもくする事、神のさきはひ、もはらこゝにある事ぞかし。○情有南武 南武は誂の詞也【よに誂をも願とす 亡父之をわかてり願は他にあづからず誂は他にむかひての別あれば也】今の本、武を畝とせり。一本武とあるに從ふべし。されどもし畝にしたがはゞ、宇年《ウネ》の宇《ウ》を、牟《ム》にかりたるなるべし。ん〔右・〕はもと、五十韻の外なれば、字なし、五十の音は宇《ウ》よりおこり、その宇《ウ》はん〔右・〕よりおこる事予が考、隨筆にいへり。此故に、牟《ム》、爾《ニ》、美《ミ》などをつねにん〔右・〕にかれり。しかるに、又|宇《ウ》を假りたるあり。宇治拾遺に、定頼中納言の聲を聞しりて、小式部|宇《ウ》といひてふしかへりたる事あり。(80)【これ又、隨筆に引おけり、】此|宇《ウ》は即ん〔右・〕にかりたる也。音といふ音、みな口をひらきての音也。ん〔右・〕はいまだ口をひらかぬほどにある音なれば、五十の音の本源にてん〔右・〕の音、口をひらけば、はじめて宇《ウ》の音生ず。ここをもて、字《ウ》をかれる也。牟《ム》は「宇緯」なれど、爾《ニ》・実《ミ》は「伊緯」なれば、つねに此三つをかれゝど、いはゞ、ん〔右・〕には、字をかるが中にも近きに、かへりて稀なるは、いかなる故にか。されば、こゝも畝ならむもはかりがたし。有南武《アラナム》は、わが心のほどを雲のおしはかり、あはれまざるを、人にあはれまれむがため也。○可苦佐布倍思哉は、長歌のと同じ。
〔靈〕此歌、表は、雲のたぐひなきつらさを、長歌にうらみたるを、その雲だにも心ありて、かばかりをしむ三輪山をみせよとの心なり。かく詞づくりはかはりたれども、長歌にいへるが如く、もと三輪山をしも、かばかりをしまるゝは、本意にはあらざる事しるし。されば、此言外の情も、長歌にくはしく釋せるに同じとしるべし。されど、これは今ひときは切にして、たへがたかりし心のうち、あはれかぎりなし。
右二首(ノ)歌山上(ノ)憶良(ノ)大夫(ガ)類聚歌林(ニ)曰遷2都(ヲ)近江(ノ)國(ニ)1時御2覧三輪山(ヲ)1御歌(ナリ)焉日本書紀(ニ)曰六年丙寅春三年辛酉(ノ)朔已卯遷2都(ヲ)于近江(ニ)1
山上の上に、檢の字脱たるなるべし。みなその例なり。此歌林によらば、天皇、皇太子のうちの御歌なるべし。
(81)綜麻形之《ミワヤマノ》。林始乃《シゲキガモトノ》。狹野榛能《サヌバリノ》。衣爾着成《キヌニツクナス》。目爾都久和我勢《メニツクワカセ》
〔言〕この歌は前にいへるが如く、額田王の和歌なるべし。綜麻形乃は、古點は上の二句「そまがたのはやしはじめの」とあり。心えがたき訓也。古事記に、三輪の大神、活《イク》(活玉?)依比賣《ヨリヒメ》にかよひ給ひし時、卷子《ヘソ》の綜紵《ウミヲ》を男の裔《スソ》につけたるを、引かへり給ひしあとに、紵《ヲ》の三勾《ミワゲ》殘りたりし事によりて、東麻呂「みわやまの」とよまれたる、しかるべし。その三勾のこれりし形を思ひて、綜麻形とかゝれたるにこそ。形の字はいさゝか心ゆかぬやうなれど、此ぬしの考いとめでたし。仙覺抄に、土佐國風土記に「神河(ヲ)訓2三輪川1 中略 皇女思v奇(ト)以2綜麻(ヲ)1貫v針(ニ)及(デ)壯士(ノ)之曉去(ルニ)也以v針(ヲ)貫(キ)v襴(ニ)及v旦(ニ)云々」とあり。○林始乃 しげきがもとのとよめり。繁樹がもとの心也。げに古點はやしはじめのとよめる、心ゆかず。おのれ思ひよれる事もなければ、これにしたがへり。爰に榛多かりければなるべし。おもふに、此句は、誤脱などもあるべくおぼし。○狹野榛能 狹は、つねに添へていふ詞にて、そふ所あるやごとなさをしめすなり。これは、勢《セ》にそふをしめす也。野榛《ヌバリ》は、野なる榛なり。榛は、里言にハンノ木といふ木也。眞淵、榛は假字にて、野萩也といひしは衣につくといふよりの説なるべし。されど、榛も、その皮もて衣にすれれば、猶|波里《ハリ》なるべし。此末の「引馬野爾《ヒクマノニ》。仁保布榛原《ニホフハリハラ》」などおもふべし。野にもかく榛はよめり。○衣爾着成 榛の色の衣につくを云。そのつく如くといふを、成とはいふ也。古事記上卷「久羅下那洲《クラゲナス》」をはじめとして、此集中にも、鏡成《カガミナス》・鶉成《ウヅラナス》など多くよめり。神代卷に「如五月蠅《サバヘナス》」とかゝせ給へり。げに、如(82)の義に同じ詞なれど、別あり。如《ゴト》は、やがてその物ともいふべきばかりのさまなるをいふ詞也。成《ナス》は、さもあらぬ物を、同等の物にいひなす心なり。古事記上巻に於《ニ》湯津爪櫛《ユツツマグシ》1取2成《トリナシ》其|童女《ヲトメヲ》1云々。また同卷に故令v取2其御手(ヲ)1者即取2成《トリナシ》立氷《タチビニ》1亦取2成《トリナス》劔刃《ツルギバニ》1云々。また欲v取(ント)2建御名方《タケミナカタノ》神之|手《ミテヲ》。乞歸《コヒカヘシ》而取者如《ゴト》2若葦《ワカアシノ》1※[手偏+益]批而投離《ツカミヒシギテナゲハナチキ》云々。など、その義その別をしるべし。神代卷はたゞ、その心をえてかゝせ給へるなるべし。古點は、都計奈之《ツケナシ》とあれど、下の詞に應ぜず。非なり。○目爾都久和我勢 榛の色のきぬにつくとひとしく、めにつくといふ也。わがせとは井戸王をさし給ふか。歌林によらは、皇太子などにや。大かたわがせとさすは、わが兄《セ》の如く思ふ情をもていふなれば、すべて男をさす稱なり。此句たゞ目につくとばかりいひて、その目につくを、いかにともいはぬ、これ上古人の詞づくりの常なり。
〔靈〕此御歌、上四句は、畢竟終の一句のためのよせ也。表は、三輪山のしげ木がもとに多かる野榛の色の、きぬにつくにひとしく、めにつくわがせや。とたゞせのめにつくを榛の色の衣につくにひとしかりけり。とその等類なるにはじめて心のつきたるさまによみふせ給へり。されど、しかばかりの心ならば、いかでか歌によむばかりの事がらならむ。されば、思ふに、額田王は舊都にとまりゐたまひて、今よりは井戸王にあひみ給はむ事も御心にまかせかたかるべければ、別のかなしさをふかく歎き給ひし也。めにつくは、別のかなしさのあまりなる事しるし、これ、上の歌どもをうけて、我も今の別たへがたし。との心をしめし給へる也。されど、これ又あらはにおほせられぬは(83)遷都をうらむになりぬべきをはゞかり給ひし也。その御心づかひ、御詞づくりのあは/\しきやうなるに、中々限なきあはれなりかし。
右一首(ノ)歌今案(ズルニ)不v似2和(セル)歌(ニ)1但舊本載2于此(ノ)次1故(ニ)以(テ)載(ス)焉
此左註、倒語の道のうしなはれたる世の論也。上古の贈答には、かやうなるが多し。言のうへは、皆本意ならぬが、常ぞかし。
天皇遊2獵蒲生《ガマフ》野1時額田(ノ)王(ノ)作歌
天皇は天智天皇也。滯生野は近江國蒲生郡なり。日本紀に、五月五日とあり。夏の獵は獣を獵るなり。卷十六に、藥獵《クスリガリ》とよめるこれ也。額田王は、御思ひ人なりければ、新都にめして此日も具したまひしなるべし。上の御歌を思へば、めしゝは遷都の後にこそ。
茜草指《アカネサス》。武良前野逝《ムラサキヌユキ》。標野行《シメヌユキ》。野守者不見哉《ノモリハミズヤ》。君之袖布流《キミガソデフル》
〔言〕茜草指は、あかきものゝ冠なり。されば日にも冠らする也。紫は、今の紫にあらず。いはゆる朱を奪ふ紫の事なり。此集中に紅顔の事を、紫によせたる歌多きに思ふべし。菫は、今里言にいふゲンゲ花の事なるべしと景樹がいふ、さなるべし。今すまひ草をすみれといへども、紫色いにしへつねいふ紫にあらず。なほすまひ草は、野にも多からぬ物なれば、かた/”\此説心ひかるる也。紫色を心えむがために因にいふ也。○武良前野は紫草生たる野なり。標野は遊獵のために(84)しめおかれたる野也。ともに地名にあらず。と古説なり。げに、蒲生野に獵し給ふなれば、しかなるべし。御答歌に、紫草能《ムラサキノ》。爾保敝流妹《ニホヘルイモ》とあそばしゝに照しても、地名ならざる事はしるし。このふたつの逝・行といふ字は、野守はみずやにつゞきたるにはあらず。君が袖ふるにつゞける也。下の二句は、倒置したまへる也。○野守者不見哉 これは、皇太子【天武天皇】の御思ひ人に比したる也。かくいふは、君之袖布流《キミガソデフル》とあれば也。たしかに別に御思ひ人ありとにはあるべからねどゝ額田王に此比御心淺き事ありけるが故に、別に必、御思ひ人あるが故なるべきになしていふ也。
御答歌に、人嬬《ヒトヅマ》とあるもこれに同じ心得なり。古人の詞づくりかくのごとし。猶下に、靈をとくをてらして思ふべし。者は、額田王、その餘の人は、みれども詮なき心を思はせたる也。不見哉《ミズヤ》の哉は疑にて、かゆきかくゆき袖ふり給ふを、御思ひ人のみたらむには必なぐさめまゐらすべきに、さもなきはみぬゆゑにや。又はみながらなぐさめまゐらせぬにや。と思ふ心をいふ也。見といふも、たゞ見るばかりの事をいふにあらず。見たらむには必みすぐすまじければ、そこをばいはで、見るとのみおほせられし也。古言のみやびおもふべし。○君之袖布流 君とは、皇太子をさす也。之《ガ》は、その物のはたらきの、ことなるをいふ脚結也。乃《ノ》はその處をさすにて、乃《ノ》の下の詞おもくなる也。されば、これを、もし乃といはゞ、袖ふる事のみおもくなるべし。こゝはもはら、皇太子をいとをしく思ふ心なれば、乃《ノ》とはいふまじき事、思ふべし。乃《ノ》之《ガ》の別くはしくはここにいひつくしがたし。袖ふるは、古説なにの辨もなく、たゞ袖をふる事とおもへり。されど、(85)何のよしもなくて袖ふるべきやうなし。されば思ふに、これは、身を悶ゆるかたちを形容する也。領巾《ヒレ》ふるといふも同じ。悶ゆるを袖ふる、領巾ふるといふ。これ、古言のみやびぞかし。これは、皇太子御思ひ人ありて、それが御心にまかせねば、欝悶したまひて、野をさまよひ給ふその御心のうちを、いとをしみたる心也。此二句、上にいへるが如く、倒置也。君が袖ふるは實なれば、必かく倒置すべき事也かし。
〔靈〕此御歌 表は、御思ひありて御袖ふりありかせ給ふさまなるを、野守はみずや。みたらばなぐさめ奉らむものを、とその御心のうちのくるしさを、いとをしみたてまつれるによみふせ給へる也。しかれども、御答歌の心を照らすに、これ本情にあらざる事明らか也。おもふに、此比皇太子つらくまし/\ければ、必別に御思ひ人あるが故なるべし。とふかくうらみたまへる也。大かた人をうらむは、直言すまじき事なるが故に、いとをしみたるに詞をつけさせ給へる、めでたしともよのつね也。しかも、あらはにいとをしなどもいはず、たゞ野守はみずやとばかりよませ給へる、かへす/”\いへるが如く、上古人の詞はかたよらず。かたよらぬは、詞のいたり也かし。
皇太子答|御《タマフ》歌
これは、天武天皇也。額田王は、のち、此 帝の夫人たりし事紀にみゆ。
紫草能《ムラサキノ》。爾保敞類妹乎《ニホヘルイモヲ》。爾苦久有者《ニククアラバ》。人嬬故爾吾戀目八方《ヒトヅマユヱニワレコヒメヤモ》
(86)〔言〕紫草能は、紅顔のにほへるにたとへておかせ給へる也。能《ノ》はよせの能《ノ》にて、ノゴトクニといふ心也。○爾保敝類とは、紅顔の光澤あるをいふ。いと後世には香の事とするは非なり。思ふに、香ににほふといふ詞あるより誤れるなるべし。それは、香にて、にほふといふ詞なるをや。此集には、多く艶の字をあてられたり、いづれも色のにほふ事也。後世ながら、月露などにほふとよめるに思ふべし。妹とは即額田王をそれとなくさし給へる也。乎《ヲ》は次の爾苦久有者《ニククアラバ》につゞくにはあらず。下の吾戀目八方《ワレコヒメヤモ》につゞけてみるべし。されば、三四の句は、中にはさみたる物也としるべし。人嬬なれば、戀ふまじき妹なるをの心也。○爾苦久有者とは、後世里言に、にくしといふにはすこしたがへり。里言は、小ヅラニクイなどいふほどの心也。源氏物語に、【箒木卷】中將にくむ又にくゝなりて云々、これらの類多し。〇人嬬故爾 もと人嬬とは、人のつまを云。されど、まことの人のつまをいふにはあらず。女のわれにつらきをうらみむ爲に、必外に男あるべしとしていふ名なり。古註みな、これをまことの人のつまと思へり。しからばあるまじき邪淫なるをや。此額田王は、前にいへるが如く、 天智天皇の御思ひ人なれば、さる御心にておはせられたるにもあるべけれど、しかみる時は、 天皇にやがてさしあたりて、上古の詞つきにあらねば、猶大かたにつらきをうらみたる詞とみるべし。まことに、さにもあらぬを人づまといひて女のつらきをうらむ詞とする、上古の詞のみやび思ふべし。故爾《ユヱニ》とは、亡父脚結抄に、ノクセニと譯せり。もと、故といふ詞は、事の故をとく詞なるを、古人かくさまに用ひたるは、人づまなるが故に戀ふ(87)べき理はなき事なるを、猶こふる心に用ふるにて、故爾の下に、詞をはぶきたる物也。かばかりの多言を、故《ユヱ》といふ詞にて思はせむがための脚結也。これを心えて、ノクセニとは譯したる也。かうやうの詞づかひ古は多し。禰婆《ネバ》といふ脚結を、奴爾《ヌニ》といふ心に用ひたるも、禰婆《ネバ》は、奴爾《ヌニ》の心にあらず。これと同じ法なり。【此事予が隨筆にくはしくいへり】○吾戀目八方《ワレコヒメヤモ》吾は、われとよむべし。古點みなわがとよめれど、もと、われ、わがの別は、たれ・た、これ・こ、それ・そ、かれ・か、ひる・ひ、よる・よなどの別と同じく、たれ・これ・それなどいふ時は、むかふる物にわくる也。た・こ・そなどいふ時は、その物ひとつの上にいふなり。されば、これは衆人にむかへて、吾とおほせられたるなれば、われとよむべし。わが宿・わが身などいふ時、われ宿われ身などはいたはぬに辨ふべし。戀目八方は、こひむ事かや。といふ心にて、その落着をば額田王の御心にゆづり給へる也。也毛《ヤモ》・加毛《カモ》【後世は也波・加波とのみよむなり】ともに、此例也。前にいへるがごとく、後世半(反)語といふは、わが御國言のやうを辨へぬ説也。落着を人の心にゆづりて、我よりことわらぬは、わが御國言の道ぞかし。されば、額田王の御心に、げに人づまとしりながら、こひ給ふべき事にあらずよ。とおぼししらむやうに、御詞をつけさせ給へる也。目《メ》は牟《ム》のかよへるにて、「江緯」にかよはす義、上にいへるにおなじ。
【靈】此御歌、表は皇太子他に思ひ人あるが故に、御心うすきやうに、額田王のうらみ給ふをうけ給ひて、さらに/\さる薄き心はもたず。もとそこは、人づまなるを知ながら、かくわりなくこふるを、わが心の薄からぬ證とし給へ、とわが御心の淺からぬをことわり給へる御心なれど、われは(88)薄き心なし。と直におほせらるれば、人うくまじき常なるが故に、表にはさることわりもし給はず。たゞその證となるべき種ばかりをよみふせ給ひし、上古の詞のつけざま、よく/\味はひしるべし。
紀(ニ)曰天皇七年丁卯夏五月五日縱2獵於蒲生《ガマフ》野(ニ)1于v時大皇弟諸王内臣及群臣皆悉(ク)從(フ)焉
明日香清御原《アスカキヨミバラノ》宮(ニ)御宇天皇代 天渟中原瀛眞人《アメヌナハラオキマヒトノ》天皇
これは 天武天皇なり。
十市《トヲチノ》皇女參2赴(タマフ)於伊勢(ノ)神宮(ニ)1時見(テ)2波多横山巌《ハタノヨコヤマノヤマノイハホヲ》1吹黄刀自《フキノトジガ》作歌
此皇女は 天武天皇の皇女にて、額田王のうませ給ひし也。此左註に、紀をひかれしが如く、十市《トヲチノ》皇女と、阿閇《アベノ》皇女伊勢に詣たまひし時の事也。吹黄刀自《フキノトジ》、此集卷四にもみゆ。續日本紀天平七年に、富《フ》紀朝臣といふ姓みゆ。その族にこそ。此時御供にまゐれる人なるべし。波多横山は《ハタノヨコヤマ》、神名帳に、伊勢(ノ)國|壹志《イチシノ》郡|波多《ハタノ》神社あり。和名抄に、同郡|八太《ハタノ》郷あり。こゝ也。刀自《トジ》は、源氏物語に、人の室を家刀自《イヘトジ》といへり。さるたぐひの女をいふ稱か。
河上乃《カハノヘノ》。湯津磐村二《ユツイハムラニ》。草武左受《クサムサズ》。常丹毛冀名《ツネニモガモナ》。常處女※[者/火]手《トコヲトメニテ》
〔言〕河上 古點はかはかみとよめれど、かみといふ、詮なし。かはのへとよむべし。うへとよめる此集に多し。いづれもそのあたりといふ事也。○湯津磐村は、神代卷に五百箇磐村《イホツイハムラ》とみえ、祝詞に(89)は、湯津磐村《ユツイハムラ》とかゝれたれば、それによりて伊保《イホ》をつゞめかよはして、由《ユ》とはいふ也。と眞淵・宣長長などもいひ、その一派の學者こと/”\くこれに從へり。伊保をつゞむれば與《ヨ》なるを、由《ユ》にかよはしたりとの心なるべし。音便には、さま/”\かよふ事も少からねど、あまりに自在なるは牽強におつべし。されど予おもふに、神典に湯津爪櫛《ユツツマグシ》・湯津香木《ユツカツラ》などあるをも、皆櫛の齒の多く、枝多かる故也。と釋せられたれば、同典に五百津之美須麻流《イホツノミスマル》・五百眞賢木《イホツマサカキ》などもあり。湯津《ユツ》・五百津《イホツ》も同し詞ならば、所々かく書かへらるべくもおぼえず。必異なる詞なるべし。由《ユ》は、伊牟《イム》をつゞめたるにて、由麻波流《ユハマル》【齋する事也。】といふ是也。物の上に、伊美何《イミナニ》と名づけたるは、いはゆる忌服屋《イミハタヤ》・齋※[金+且]《イミスキ》・齋斧《イミヲノ》などいと多かり。これがたぐひに、物の上に由《ユ》といふ事をそへていへるなるべし。此|伊牟《イム》も由《ユ》も、ともに齋《イミ》きよまはるにて、いみ清まはるは、何事もつゝしみて言に出ぬをいふ也。委しくは古事記燈神典にいふをみるべし。神典もと皆表物にて實物にあらねど、そのことわりをもいはぬ磐村《イハムラ》・爪櫛《ツマグシ》・香木《カツラ》なりとのさとし也。無形をさとして、天沼矛《アメノヌホコ》。天浮橋《アメノウキハシ》・天香具山《アメノカグヤマ》・天安河《アメノヤスノカハ》などいふをてらして思ふべし。こゝはたゞいひならへるをもてよめるなるべし。津《ツ》は時津風・澳津白浪などの津《ツ》の例にて、その方につきたる事をさとす也。年ふれば物みなおとろへ古ぶるならひなるに、此石むらの草むさぬを、みとがめられしなるべし。磐村《イハムラ》の、磐のむらがれるを云。○草武左受 草生せずといふ也。後世は、苔のみむすとよめり。すべて物の自生するをいふ也。むすこ。むすめなどいふこれに同じ。神典【古事記上卷】に高御座巣日神神産巣日神あり。此産巣即(90)自生の義也。もとは蒸すより出たる詞なるべし。地氣蒸す時は、草・苔など自生するぞかし。自生する物の外はいはぬに思ふべし。此石村のふるぴざるさまをいふ也。以上、今此|波多《ハタ》の横山にてまのあたりみたるさまをいふ也。○常丹毛冀名 かのいはほの如く、つねにあれかしといふ也。毛冀《モガモ》は、後世は毛賀奈《モガナ》なり。冀といふ字は 此脚結こひねがふ義なれば、かくれたる也。下に奈《ナ》もじを添たるは、すべて奈《ナ》は、わが情をば人に諾《ウベ》なはせむとする義也。物語ぶみにそこをしも重く人におもはせむとする所には、奈牟《ナム》といふ詞を、必おけるをもて思ふべし。里言に、人に物がたりする中に、何ナといふも是なり、これは此、常ならむ事をねがふに、靈はこもれば也。そのよしは、下にいふべし。賀毛《ガモ》と、裳賀《モガ》毛 別ある事をしるべし。賀毛《ガモ》は、ねがふ心いづれも同じ。裳《モ》もじそひたるがたがふ也。何事にもあれ、むねとねがふ事ありて、それはねがふとも及ばじ。せめて此事なりともとねがふ。これ裳賀毛《モガモ》の心得也。これば、こゝも、むねと願ふ所は言外にありて、そこをおもはせむがために、裳賀毛《モガモ》とはよむ也。實は、そのむねと思ふ事をねがふをかくいふ。これ古言のみやびなり。此故に、かく常ならむ事をねがふは、本情にはあらざる事をおもふべし。○常處女煮手 をとめは、此集に未通女ともかき、紀には少女とかけり。年若き女を云。上の常丹毛賀名《ツネニモガモナ》の上に、此句あるべき心ながら、例の標實をはかりて、かくは倒置せられたる也。常《トコ》はとこ宮處などいふが如く、少女ながらにとこしなへなるを云。もと常なるといふにも、老ながらも死なずば常なりともいふべし。此故に、常處女煮手《トコヲトメニテ》としもよまれたる也。かくよめるに(91)よりて思ふに、刀自《トジ》といふは、やゝ年たけたる女をいふなるべし。
〔靈〕此歌表は、この川のべなる波多(ノ)横山のいはむらの、草もむさで常なるをみて、いかで、我もとこ處女にて、此いは村の如く常にあらまほし。とわが身の年たけかたちおとろへゆくがなげかしさに、此石村をうらやみたる也。されどうらやましとも直にいはぬは、例の古人のみやび也。しかるに、此事たゞうらやみ思へるにてもやみぬべきを、かく歌とよまれしを思ふに、この刀自男ありて、その男、刀自をふるしてつらきをうらみつかはせる歌なるべし。上に、裳賀毛《モガモ》は常ならむをねがへるは、本情にあらずといへるは、此故也、かく表をおもくつゝしまれしは、皇女たちの供奉のたびなれば也。そのこゝちのくるしさ、此詞づくりいかなる神かあはれみたまはざらむ。此歌ぬしを、端作に吹黄(ノ)刀自としも擧られたるは、此歌の情にてらせよとてのわざなるべし。或説に、これは十市皇女の御上を、とこをとめにてとねがひたる心也といへり。これ端作と、處女とに目をうばゝれたる也。十市皇女云々をかけるは、私の旅ならぬをさとしたる也。又此皇女、今をとめにますをば、をとめといはぬは、古人のならひ也。とこをとめといふには、理なきにしもあらねど、さる事を、古人歌によむ物にあらず。後世倒語の道をうしなひてのちの人の、古言をみる常なり。此説うけがたし。此歌、必旅中よりその男に贈れるなるべし。
吹黄(ノ)刀自未詳也但紀(ニ)曰天皇四年乙亥(ノ)春二月乙亥朔(ノ)丁亥十市(ノ)皇女阿閇(ノ)皇女參2赴於伊勢(ノ)神宮(ニ)1
(92)麻續《ヲミノ》王(ヲ)流2於伊勢國|伊良虞《イラゴノ》島(ニ)1之時人哀傷(シテ)作歌
左注の如く、此王は因幡に配せられたり。伊勢とせるはいかなる事にか。うつたへに誤ともいひがたきは、歌に射等籠《イラゴ》をよめり。三河國より志摩の答志の崎へむかひてさし出たるを、いらごが崎といふよし、土人いへり。又古今著聞集に、伊豫國にいらごといふ所あり。いづれも、紀にたがへるは心えがたし。もし、後に因幡よりうつされけるにや。
打麻乎《ウチソヲ》。麻續王《ヲミノオホキミ》。白水郎有哉《アマナレヤ》。射等籠荷四間乃《イラゴガシマノ》。珠藻苅《タマモカリ》麻《マ・ヲ》須《ス》
〔言〕打麻乎は、麻うむといふ事の冠也、古點うつあさをとあれど、うつといふつもじ、「宇緯」なる事快からず。うちそをとよめるに從ふべし。冠詞にかうやうの乎もじ多きもの也。これは、を以て〔三字傍点〕といふ心也。人名の上に冠をおく事「鳥かよふ羽田《ハダ》のなにも」「天ざかる向津媛《ムカツヒメ》」など、古くあり。その人の事をたゝふるにかへたる物也。○麻續王 左注にあるがごとく、罪ありて流され給ひし人なり。○白水郎 奈禮也《ナレヤ》は爾安禮也《ニアレヤ》をつゞめたるにて、禮也《レヤ》は禮婆也《レバヤ》の婆《バ》をはぶける也。也《ヤ》は疑也。下の苅《カリ》麻《マ・ヲ》須《ス》の下に良牟《ラム》をはぶけるなり。もとよりあまなるべきやうはなき事なるを、かくいふは倒語なり。下に情をとくをみるべし。あまにはあらずとかねて思ひしが、まことはあまにやとの心也。○伊良虞荷四間乃 この乃《ノ》は都《ミヤコ》にむかへていふ也。乃《ノ》もじ、たゞ、そこのとさす心なれど、麁暴におくべき脚結にあらず。むかふる所必ありておくべき也。この乃(ノ)もじ、いとあはれ也。○玉藻苅麻須 玉藻は、その實しろくまろくて、玉の如くなればなりとぞ。苅麻須《カリマス》はかりい(93)ますの心也。和歌の結句にてみれば、こゝも麻は乎の假名にて、乎須《ヲス》とよむべくや。
〔靈〕此歌、表は、麻績王は、かねては、さるやことなき人とこそ思ひつれ。今このいらごが島の玉藻をかりますをみれば、やごとなき人にてはなくて海人にや。と今までの聞えといたくたがへるをおぼつかなくおもふ心によみふせたる也。されど、さるはかなき事をば、古人歌によむならひにあらねば、これひとへに、麻續王をあはれびたる歌也、都にては、いとみやびてのみおはしけむを、いかにくるしくおぼすらむ、と深くいとをしめる心言外にあまりてみゆ。端作に哀傷作歌とありて、歌にはいさゝかさる詞づくりもなきを、後世いかで直言をたのむらむ。もし直にいたくいたはらば、罪ある人をいたはらむ事、公への憚あるが故に、かく詞をつけたる也.直言を主とする心よりいはゞ、此|白水郎哉《アマナレヤ》はなめしき詞也。答の命乎惜美《イノチヲヲシミ》は、めゝしき詞ならずや。互に詞のうちに情あれば、倒語の上はつねにかくの如し。直言をたふとぶ後世の眠をさますべきなり。
麻續(ノ)王聞v之感傷(シテ)和(スル)歌
空蝉之《ウツセミノ》。命乎惜美《イノチヲヲシミ》。浪爾所濕《ナミニヌレ》。伊良虞能島之《イラゴノシマノ》。玉藻苅食《タマモカリヲス》
〔言〕空蝉之は、命の冠なり。義は上にいへり。情ははゞかりて、此冠にかへたる也。下を照らして心うべし。○命乎惜美は、命のをしさにの心也。惜の字、今情に誤れり。美も亦今の本誤れり。一(94)本によりて改む。これは、此島にて、心にもあらず玉藻をかり、食もならはぬを食をる所謂をいふなり。されど、命をしといふは倒語なり。この情は下にとくをみるべし。○浪爾所濕は、玉藻かるに袖すそなどのぬるゝを云。袖などのぬるゝは、いとわびしけれど、ひたすら命のをしさにかゝるわびしきめをもしのびをるぞとの心也。一本には、所濕をひちとよめり。されど、所の字ぬれのれ〔傍点〕もじにあてゝかゝれたるなれば、ぬれとよまむ方まさるべし。もと、ぬれ〔二字傍点〕とひち〔二字傍点〕は、義たがひたる詞なれど、歌にはたゞ、佗しきわざするよしのさとしなれば、いづれにもあるべし。その別は、奥にくはしくいふべし。○伊良虞能島之 藻はもと食料とすべき物にはあらざるべけれど、配所のわびしきさまを、苅食とはおほせられしなるべし。をすは食することの古言なり。命乎惜《イノチヲヲシミ》、これに應ず。
〔靈〕此一首、表は、上のあはれめる人の心をうけて、かく浪にぬれつゝ、玉藻をかりて、ならはぬ食をする事、いとわびしくかなしければ、かゝるくるしきめみむより、死たらむこと中々まさらめとは思へど、さすがに命の捨がたさに也。とその海人にやとおぼめけるをことわりたるによみふせられし也。されば、古注皆、この表に縛せられて、しかのみ釋したれど、いふべき事こそあらめ、命ををしみなど、あまりにいやしく、かつかのあはれみたる人に答へられたる心ともおぼえず、後世は詞の表より、外を思ふ事なき事となれるより、和歌なりとも思はず、ひたすら表をのみたのめるは、いかなるをさなさぞや。これは、人のあはれむをうけて、命ををしみとは、も(95)はら歸洛の期もあらむかと、それをのみまつ也との心にて、かのあはれみをたよりに、此のちは日をおくらむ。と深くよろこびを述られし也。されど、もと罪ありて流されし身なれば、歸洛をまつなどいはむは、公におそりあるが故に、命のをしさにそらして、いとめゝしく詞をつけられし心のうちいかにくるしかりけむ。といとも/\あはれ也。かく歸洛をまつ情をさとして、あはれみをあつく謝せられたるを思ふに、上乃歌ぬしは都人にて、都よりみそかに贈りたるに答へたるなるべし。
右案(スルニ)2日本紀(ヲ)1曰天皇四年乙亥(ノ)夏四月戊戌(ノ)朔乙卯三品|麻續《ヲミノ》王有(テ)v罪流(ス)2于因幡(ニ)1一子(ヲ)流(ス)2伊豆島(ニ)1一子(ヲ)流2血鹿《チカノ》島(ニ)1也是(ヲ)云(フハ)v配(スト)2伊勢(ノ)國伊良虞《イラゴノ》島(ニ)1者若疑(ラクハ)後人縁2歌(ノ)辭(ニ)1而誤(リ)記(セルカ)乎
この日本紀差異あり。四月甲戌朔辛卯三位云々とあり。
天皇御製(ノ)歌
三芳野之《ミヨシヌノ》。耳我嶺爾《ミヽガネニ》。時無曾《トキナクゾ》。雪者落家留《ユキハフリケル》。間無曾《ヒマナクゾ》。雨者零計類《アメハフリケル》。其雪乃《ソノユキノ》。時無如《トキナキガゴト》。其雨乃《ソノアメノ》。間無如《ヒマナキガゴト》。隈毛不落《クマモオチズ》。思乍叙來《オモヒツヽゾク》。其山道乎《ソノヤマミチヲ》
或本(ノ)歌
三芳野之《ミヨシヌノ》。耳我山爾《ミヽガノヤマニ》。時自久曾《トキシクゾ》。雪者落等言《ユキハフルトイフ》。無間曾《ヒマナクゾ》。雨者落等言《アメハフルトイフ》。其雪《ソノユキノ》。不時(96)如《トキジキガゴト》。其雨《ソノアメノ》。無間如《ヒマナキガゴト》。隈毛不墮《クマモオチズ》。思乍叙來《オモヒツツゾク》。其山道乎《ソノヤマミチヲ》
右句々相換(ル)因(テ)此(ニ)重(テ)載(ス)焉
〔言〕三芳野の三《ミ》乃義、まへに釋せり○耳我嶺 眞淵云、卷十三に此歌と同じ詞なる歌あるに、御金高とあれど、金は缶の誤也。こゝに耳我とかけるにあはせてしらる。後世金のみ嶽といふは、吉野山中にも勝れたる嶺にて、即此御歌の詞どもによくかなへり。しかればいにしへもうるはしく御美我禰《ミミガネ》といひ、常には美我嶺《ミガネ》とのみいひけむ。そのみがねをみ金と心えたる後世心より、金嶽とはよこなまれる也。と萬葉考にみゆ。○時無曾 或本の時自久曾《トキジクゾ》同じ。間無曾《ヒマナクゾ》もいひかへたまへるまでにて、ともに同じ。時自久《トキジク》は紀に非時とかけり。雪雨の時なくふるは高山のつね也。曾《ゾ》もじは、ふたつながら、よそには雨雪もかばかりひまなく、時なくふる事はなきをむかへて、曾《ゾ》とはおかせ給へる也。されば、ける〔二字傍点〕ともおかせ給へる也。計留《ケル》は、常に異なる事ある時にいふ脚結也。これらの義、くはしくは奥にいふべし。或本の等言《トイフ》は、人のしかいふよし也。此大御歌、其山道乎《ソノヤマミチヲ》とありて、芳野にての御歌とみゆれば、等言《トイフ》はかなひがたし。以上六句はよせにて、かく長々しきよせを置たまひしは、長々とおほせらるべき事あるに、かへ給へる也。上古人いと長きよせ多きは、皆長々しくいふべき事のはゞかりあるにかへたる也。されば、こゝも下に靈をとけるをみて、此よせの心を得べし。○其雪乃 この四句は、上のよせを御思にかけ給へる也。或本の不時如は、「ときじきがごと」とよむべし。古點「ときじくがごと」とよめれど、上の時自久曾《トキジクゾ》は(97)久《ク》たるべきなり。こゝは「以緯」へかよはせずては語を成さず。これ「宇緯」「以緯」の常なり。經緯をまねびて此心をうべし。紀に「非時香菓」を、ときじくのかぐのみとよめる、乃《ノ》もじに繼がば、これも、ときじきのとよむべき理也。此紀に泥みて、古來此分別をしらぬ也けり。○隈毛不落 隈は道の隈なり。上にくはしくいへり。歌の句に、其山道乎《ソノヤマミチヲ》とあるが故に、おのづから道の隈とはしるければ也。大かた道の隈をいふは、道程の長きさとしなり。これはおはします道、多く隈ありて長けれど、ゆく/\しばしも忘れ給はぬさま也。○思乍叙來 古點、來をくるとよめれど、二言あまり、かつ、乎《ヲ》もじに照る所、る〔傍点〕もじなかるべき語勢なれば、久《ク》とよむべし。此思ひ何事ともおほせられねば、はかりしるべからず。道の隈もおちず忘れがたく、おぼしゝは何ならむ。なににもあれ、あらはなるまじき事がらなるべし。古人はかく、そのよしもいはぬ詞のつけざま多し。よく/\思ふべし。此おしはかりは此下にいふべし。乍《ツヽ》はすべて、思はぬすぢにのみつくかたも也。しばしなどは、忘れもすべきにとの御心よりおかせ給ひし脚結なり。叙《ゾ》は、そのしばしも忘れ給はぬを歎かせたまへる也。來《ク》とは、今世人の心にては、行《ユク》といふべき所のごとし。しかれども、此御歌あそばしゝは、いづかたかしらねど、その折までかく、思ひつゝおはしゝよしなれば、來《ク》とはよませ給ひし也。かなたよりいふと、こなたよりいふのけぢめにて、古人は行《ユク》とも、來《ク》ともいへる事、その例ひくにいとまあらず。來《ク》と來留《クル》の別は、すべて留《ル》もじそひたる詞は、その事を下におくる義也。されば、現當の事は來《ク》といふべき也。此故に久《ク》とよむべしとはおぼゆる(98)也。○其山道乎 其《ソノ》とは、前に三芳野之耳我峯爾《ミヨシヌノミヽカノミネニ》とよみませるをさしたまへる也。乎《ヲ》もじは、もはら、山路のさかしければ、そのくるしさに他念はあるまじき心をさとし給へる也。此句もと隈毛不落《クマモヲチズ》の上にあるべきを、下に置給へる也。例の標實の法也。しかるに、上古に乎《ヲ》もじを用ひたるに、をはりに置はなちたる例あり。いはゆる神典なる「曾能夜弊賀岐袁《ソノヤヘガキヲ》」の類也)倒置の法とみても、さてありぬべし。これかみつ世の御歌なれば、かの例にもみるぺし。もとしかはすべからぬものを、しかする心なる事、乎《ヲ》もじの本義なれば、用ひはなちもする也かし。此和歌、この乎《ヲ》もじ眼目なり。かゝる山路をくるにだに、くまも落ず、物思ひます御心のわりなさをさとしたまひしなり。
〔靈〕この御歌、表は、このさかしき山路のくまもおちずおぼしつゞけらるゝ事のわりなきを、御みづから歎ますによみふせ給ひし也。しかれども、さる御歎ばかりならば、ことさらに御歌とよませ給ふばかりの事ともおぼえねば、必定言外に御心あるべし。前にいひしが如く、たゞ思乍とのみあそばしゝは、うちみには戀の御歌なるべくみゆ。大友皇子の事によりて、わざと芳野に入らせたまひしなれば、その御歎の中なるにはゞかり給ひて、かくよませ給ひしにや。さらば、清御原にます額田王におくりたまへる御歌にやあらむ。又思ふに、もとこれ芳野にての御歌なれば、即御思は大友皇子の事にて、深く世中の事御心にかゝるをよませたまひしにやあらむ。もと此芳野に入らせたまひしには、深き御たばかりありての事なりければ、はゞかり給ひて、戀の御歌かと(99)もみゆるやうに、かくあそばしゝにや。しから誰にかあらむ。その御たばかりの御心しりにつかはされし大御歌なるべし。此御思ひ、何のすぢともおほせられずて、たゞ思乍《オモヒツヽ》とのみあそばしゝが故に、たしかにははかり奉りがたければ、かく二案をしるしおく也。かへす/”\いへるが如く、かくはかりがたきは詞づくりの至妙ぞかし。
○此或本の歌もおなじ心なり。
天皇幸2于吉野宮(ニ)1時御製(ノ)歌
同じ 天皇の、同じ吉野の幸の時の大御歌なるを、かく端作をかゝれむやうなし。されば、前の御歌とは、必別ある故なるべし。思ふに、前のは吉野にのがれ入ましゝ時の御歌なるべし。
淑人乃《ヨキヒトノ》。良跡吉見而《ヨシトヨクミテ》。好常言師《ヨシトイヒシ》。芳野吉見與《ヨシヌヨクミヨ》。良人四來三《ヨキヒトヨクミツ》
〔言〕叔人とは、誰とはなけれど、いにしへありしうま人をさし給へる也。應神天皇の御記に、吉野宮をはじめて造らせ給ふ事みゆ。いと勝地なるが故に、よゝにこゝをめで給ひし所なれば、先帝たちのうちをさし給へるにもあるべし。○良跡吉見而 跡《ト》は、こゝをよき所とての心也。【亡父、脚結抄に、いつゝのと〔傍点〕といへるこれ也】吉見而は、まのあたり熟みて也。○好常言師は、よく見て後、まことによき所ぞとさだめいひしを云。○芳野吉見與 この芳野即、上の三句を冠りたるにて、よき人のよき所ぞとて(100)よくみて、げに/\よき所也と定めいひし吉野を。とつゞける也。吉見與《ヨクミヨ》とは、昔のよき人の如く、つら/\みよといふ也。○良人四來三 古點は、よき人よきみとよめり。しからば、從駕の人のうちに、さし給ふ人ありて、君とはおほせられしなるべし。されど、僻案抄に、此結句をよくみ〔三字傍点〕とよめるを、みを快からずとてか、御風といふ人、よくみつとよめる。しからば、上の淑人乃良跡吉見而《ヨキヒトノヨシトヨクミテ》を、今一たびかへしたる也。これいとめでたし。「良人よ君」といふ事、上古の人、かく人にさしつけていふべしともおぼえぬがうへに、上よりの詞にて、その人をよき人とおぼすが故に、吉見與《ヨクミヨ》とおほせられし事はしるきをや.よき人は君なればとの心は、おのづからこもるべき也。大かたひとたびいひてあかねば、二たびかへしていふ事、古人の常にて、まことは、その事を人にむねと思はせむの詞づくりなり。されば、昔もよき人のよくみたりし所ぞ。とくりかへしおほせられし、その人をよき人とおぼしめす御心を、むねと思はせむがため也。御詞づくり、めでたしともめでたし。今世、かくかへしていふを古體也と思へる人あり。更にすがたの事にあらず。古人詞づくりの一手段ぞかし。
〔靈〕此大御歌、表は、この吉野は、よき人のよしとてよくみて、げによしといひし所なれば、よくみよ。かへす/”\も、よき人のよくみたりし所ぞ、と從駕の人のうちに、よき人とおぼす人ありて、おほせられしにて、御みづからはよき人にあらねば、此吉野をよくみて、げにもよしといはむは人がましければ、よくみてよしともえいはず、と御謙遜に人にゆづり給へる也。謙遜をあら(101)はにいふは、めでたきわざとこそ今人は思へ。所詮は、さかしらにおつれば、わが御國ぶりかくつゝしむとほしろさを思ふべし。されど、大かたの人だにあるを、帝にもましますを.吉野を勝地なりとめでたまはむは、何ばかりの事にもあらぬを、よき人めかむを、はゞかり給ひし御心ばせ、まことにかしこしなどもよのつね也。此かしこさを思ひて、世の淺ましき心がまへ詞づくりをはづべし。
紀(ニ)曰八年己卯(ノ)五月庚辰(ノ)朔甲申幸2于吉野(ノ)宮1
藤原(ノ)宮(ニ)御宇天皇(ノ)代 高天原廣野姫《タカマノハラヒロヌヒメノ》天皇
天皇御製(ノ)歌 持統天皇なり
春過而《ハルスギテ》。夏來良之《ナツキタルラシ》。白妙能《シロタヘノ》。衣乾有《コロモホシタリ》。天之香具山《アメノカクヤマ》
〔言〕春過而 この集に、卷の十|寒過暖來良思《フユスギテハルキタルラシ》とよめるに同じ。しかるに、此詞後世直言をたのむめには、なでうことゝも思はず見すぐす詞なれど、春過ば夏は來べき事なれば、上世の人のかかる稚語いふべきにあらず。いはではえあるまじき事をすらいはぬが、上古のつねなるをや。されば思ふに春は過ても夏の來べき物ともおぼさゞりしおろかさをしめし給ひし詞なり。古人詞づくりの手段の至妙おもひしるべし。されば此詞は、いつまでも春なるやうにおぼしめしける心也。來《キタル》のたる〔二字傍点〕は、脚結也。漢籍をよむに、來の字をきたるとよむは誤也。たるはてある、とある〔六字傍点〕をつ(102)づめたる詞也。このふたつにかなはざるは非也と心うべし。この來《キ》たるは、てある〔三字傍点〕のつづまれる也。良之《ラシ》は、上にくはしくいへり。夏來てある事の、十に七八しるき心也。○白妙能 衣の冠なり。たへは、布の古名なり。布の名とするはもと栲《タヘ》をもておれる故也。いにしへは布をのみ衣としたれば、衣の冠としたる也。くはしくは眞淵が冠辭考にみゆ。○衣乾有 たり〔二字傍点〕はてあり〔三字傍点〕のつゞまれる也。夏來れば、去年より櫃などにいれ置て、かび臭きをほす也。くはしくは代匠記にみえたり。夏來てある事の、十に七八しるき證を擧たまへる也。上の春來良之《ハルキタルラシ》を、春きにけらしとよみ、此句を衣ほすてふ、と京極黄門はなほしたまへり。御心もありての事なるべし。されど思ふに、二の句|爾對《ニケ》をつけてよまむはいかゞあらむ。たる〔二字傍点〕も、つけてよむにはあれども、それにはこと也。又の四の句ほすてふにしたがはゞ、【てふは、もと、後世の誤也。そのゆゑに、止以布《トイフ》をつゞめたるなれば、止以《トイ》の反は、知《チ》也。されば、此集にはみなたゞ知布《チフ》とのみかけり。又|以《イ》をはぶきて、止有《トフ》ともあり。ち〔傍点〕をて〔傍点〕に誤傳へたるにや。】人のしかいふを、きこしめしたる心となる也。黄門の御心には、帝の御みづからみそなはしたるにては、かろ/”\しとおぼしての事にもあるべけれど、たとひ人のいふをきこしめしたるにもあれ、御みづからみそなはしたるによませ給はでは、夏來たるらしの證たしかならずみゆべければ、てふ〔二字傍点〕はしかるべからず。かみつ世には、後世の如く物深くのみはおはしまさで、人近くおはしまし、かつ、この藤原宮より香具山の麓の人家はみゆる所なれば、なか/\なるべしかし。○天之香具山 かぐ山わたりの人家をおほせられたる也。古言の簡約思ふべし。是ひとへに言外を貴ぶが故也。
(103)〔靈〕此大御歌、表は、猶春なりとおぼしめし、この香具山わたり衣ほしたるを御覧じて、夏來てあり。と時のうつれるを驚き歎じ給ひしなり。されば、上二句にのみ御心はあるにて、下はたゞ、夏來たるしるしとなる物を擧給へる也。かゝる類の歌、古くは多くあれば、たゞこれ、時のうつる感なりなど後世はいへり。されど、時のうつる感などは、心にこめてもやみぬべき事なれば古人時のうつるをおどろきし歌は、必その時のうつるにつけて、情あるが故なる事疑なし。さればこれ、何のゆゑとはさだかならねど、「春は」と人のたのめ奉れる事ありしか。又春のうちにと人に御ことよさし給ひし事のありけるが、それが期を過たりければ、その人をそゝのかし、その期おくれたるをうらませ給ふ御心なるべし。されど、直におほせらるれば、私におつべきが故に時のうつれるにのみ御詞をつけさせ給へる也。さだかに御心の知がたきは、倒語の所以。詞の至妙なる事かへす/”\いへるが如し。上古人の詞のつけざま、たふとしともたふとし。後世ながら、基俊ぬしの「あはれことしの秋もいぬめり」とよまれし、かみつよのなごりにこそ。
過2近江(ノ)荒都(ヲ)1時(ニ)柿(ノ)本(ノ)朝臣人麻呂(ノ)作歌
古本、柿本朝臣人麻呂の七字過の字の上にありとぞ。いづれにもあるべけれど、上にあらむもしかるべし。天智天皇六年、飛鳥岡本宮より近江大津宮にうつりまし、十年十二月崩御。明年五月大海人、大友二皇子の御いどみつひにたひらぎて、大海人皇子、飛鳥清御原宮に天下しろしめし(104)ければ、大津宮は、荒都と成けるなり。人麻呂は岡本宮の頃うまれ、和銅のはじめ、奈良へ遷都のまへにうせたりし人なり。
玉手次《タマダスキ》。畝火之山乃《ウネビノヤマノ》。橿原乃《カシハラノ》。日知之御世從《ヒジリノミヨユ》。【或云|自宮《ミヤユ》】阿禮座師《アレマシシ》。神之盡《カミノコト/”\》。樛木乃《ツガノキノ》。彌繼嗣爾《イヤツギツギニ》。天下《アメノシタ》。所知之乎《シロシメシシヲ》。【或云|食來《メシケリ》】天爾滿《ソラニミツ》。倭乎置而《ヤマトヲオキテ》。青丹吉《アヲニヨシ》。平山乎越《ナラヤマヲコエ》。【或曰|虚見倭乎置《ソラミツヤマトヲオキ》。青丹吉平山越而《アヲニヨシナラヤマコエテ》】何方《イカサマニ》。御念食可《オモホシメセカ》。【或云|所念計米可《オモホシケメカ》】天離《アマザカル》。夷者雖有《ヒナニハアレド》。石走《イハバシノ》。淡海國乃《フミノクニノ》。樂浪乃《サヽナミノ》。大津宮爾《オホツノミヤニ》。天下《アメノシタ》。所知食兼《シロシメシケム》。天皇《スメロギノ》。神之御言能《カミノミコトノ》。大宮者《オホミヤハ》。此間等雖聞《コヽトキケドモ》。大殿者《オホトノハ》。此間等雖云《コヽトイヘドモ》。春草之《ワカクサノ》。茂生有《シゲクオヒタル》。霞立《カスミタツ》。春日之霧流《ハルビノキレル》。【或云|霞立《カスミタツ》。春日香霧流《ハルビカキレル》。夏草香《ナツクサカ》。繁成奴留《シゲクナリヌル》】百磯城之《モヽシキノ》。大宮處《オホミヤドコロ》。見者悲毛《ミレバカナシモ》【或云、見者左夫思母《ミレバサブシモ》】
〔言〕玉手次、まへにいへり○畝火之山乃 この橿原宮は神武天皇の大宮也。○日知とは、からもじの聖といふ字をあてられたれば、聖の字の義也。とよに心えたれど、しからず。聖は人の極なり。これは、神にます神人の別雲泥なるをや。日とは、天照大御神の御事也。此神の御心をしろしめして、その御心に隨ひ給ふを、日知とはたゝへ奉れる也。奥に、日之御子と多くよめるをおもふべし。此神の御たま、くはしく古事記燈にみるべし。これ 神式天皇をさし奉れるなり。從《ユ》はよりといふに同じ。神武天皇以來といふ心也。もと、從《ユ》は余里《ヨリ》の余《ヨ》のかよへる也。されば(105)余《ヨ》ともよめり。されども餘里《ヨリ》と從《ユ》は別あり。その別とは「宇緯」「以緯」の別なり。くはしくは經緯をまねびてしるべし。御代/\の倭の皇居、この 帝よりおこれるよしをしめしたる也。或云の自宮 いづれにもあるべし。阿禮座師 阿禮《アレ》は生るゝ心なり。されどうまるゝは、母に所《ルヽ》v生《ウマ》義也。阿禮《アレ》は現《アラハ》るゝ義にて、母を主とし、子を主とするの別あり。○神之盡 今本書とあれば、心えがたし。一本に盡とあるにしたがひて、こと/”\とよむべし。こと/”\は、こと/”\く也。神とは、御世々々の 帝を申す。紀に惟神《カムナガラ》、此集にも神在隨《カムナガラ》などいへるが如く、神の御心のまにまにおはしますが故に、やがて神とは申す也。御世々々悉く倭にのみ天のしたしろしめしゝをの心なり。この之もじにて、句とする心にみば、下につづく語意明らかなるべし。○樛木乃 つぎつぎの冠に置たる也。樛は止賀《トガ》といふ木なるを、止《ト》を津《ツ》にかよはせて、いにしへは津賀《ツガ》ともいひしなるべし。彌《イヤ》は、里言にイヤがウヘニといふ心也。繼嗣《ツギツギ》には。御世々々御位をつがせ給ひしを云。こゝに倭爾而といふ事あるべき事なるに、上の從《ユ》、下の倭乎置而《ヤマトヲオキチ》にしるければ、はぶかれたる也。詞の有力おもふべし。天下《アメノシタ》を、後世|安米賀之多《アメガシタ》とよめど、賀《ガ》の義かなはず。乃《ノ》とよむべし。乃《ノ》・賀《ガ》の別上にいへり。或云の食來《メシケリ》もさる事なれど、下の何方《イカサマニ》云々へうつる語勢|之乎《シヲ》の方、しかるべし。乎《ヲ》は、里言にノニといふ心なり。○天爾滿 やまとの冠なる事上にくはしくいへり。倭乎置而《ヤマトヲオキテ》とは、おきては、此卷の末に「飛鳥明日香能里乎置而伊奈婆《トブトリノアスカノサトヲオキテイナバ》」とあるに同じく、とゞめおく心也。ともにゆかぬ形容也。古言のみやび思ふべし。後世古今集に「秋を置て時こそ有けれ」 (106)などよめる類は、除てといふほどの心也。この用ひざまとはたがへり。されと、もとはひとつの義也。○青丹吉 是も前にいへり。平《ナラ》はならす義よりかける也。近江への路なれば也。乎《ヲ》もじ、以上三つともに、おもひもよらぬわざあそばしゝ心をさとすなり。或云には、而《テ》もじ、乎《ヲ》もじの置所上下せり。いづれにてもあるべき事のやうなれど、くはしく思へば、倭乎置《ヤマトヲオキ》の方には、而《テ》もじあるべく、乎《ヲ》もじは此句にもあるべき事、乎《ヲ》もじ、而《テ》もじの義におきて切なり。かくいふ故は平山《ナラヤマ》を越たまふまでには、くさ/”\の御わざあるべき事なれば也。而《テ》もじの心得、後世はしかありてかくあるなどいふ繋《ツナギ》辭とおもへれど、その間に、くさ/”\のわざ含蓄する事、而《テ》もじの專用なれば也。而《テ》もじの事、くはしくは、此末の藤原(ノ)宮(ノ)役民の歌にいふべし。○何方 凡慮のはかりがたきよし也。里言にドノヤウニといふ也。御念食可《オモホシメセカ》は、おぼしめせばかの婆《バ》をはぶける也。可《カ》は疑にて、下の所知食兼《シロシメシケム》のうちあひ也。○天離 遠き所は、天もこゝとひとつの天にあらざるやうなれば也。から國にも各天といふがごとし、ひなの冠なり。ひなとは、都にむかへていふにて近江國をさす也。離《サカル》は、はなるゝを云。されどはなるゝとは別あり。そこをはなるゝと、双方へ引わかるゝとのたがひ也。裂の義をもおもふべし。○石走 古訓は、石はしるとよめど、しかるべからず。石橋の假名なるべし。里言に飛越とて、石を川中に置ならべて、その上をわたるを云。その石必|間《アハヒ》あれば、あは海とはいひかけたる也。淡海の冠なり。あふみは、あはうみをつゞめたる名也。○樂浪乃 さゝ浪は、志賀わたりの地名なる事くはしく代匠記にみえたり。後世(107)漣※[さんずい+猗]のことゝするは誤也。この集に、さゝら浪とよめる、それ也。樂をさゝとよむめるは、神樂の採物に、篠あるが故也。と古説なれど、神樂の採物くさ/”\なるに、篠をしもとり出てうちまかせていはむ事おぼつかなし。此末に、神樂浪《サヽナミ》・神樂聲浪《ササナミ》などかゝれたる、聲といふ字篠にあらざるしるし也。されば思ふに、 神功皇后の御紀の御歌に摩菟利虚辭彌企層《マツリコシミキゾ》。阿佐孺塢齋佐《アサズヲセサ》佐【長歌上略】また許能彌企能《コノミキノ》。阿椰珥《アヤニ》。干多娜濃芝沙作《ウタダヌシ》【同上】とある、この佐佐《ササ》にて、里言にサア/\といふ是なり。促《ウナガ》す詞にて、かの御紀の御歌、皇太子に御酒《ミキ》をすゝめ給ふ御歌【次のは皇太子の御答歌を武内宿禰が代りてよめるなり】なるをおもふべし。もと神樂は、神典石屋戸の件濫觴なり。その石屋戸の前のわざをぎは、もはら天照大御神石屋戸を出まさむ事を促がし奉るわざにて、天宇受賣命御手草《アメノウズメノミコトミタグサ》に小竹葉《ササバ》をとり給ひしも【これ採物に篠ある本也。】佐々《ササ》の表事なり。されば佐々《ササ》といふ詞、神樂の本意なるが故にかくかられたるなるべし。かの古説、採物の篠によりたる、うつたへに非也ともいひがたけれど、本末のけぢめあれば今辯じおく也。大津は今の大津なり。爾《ニ》もじよくおもふべし。此宮にて天下しろしめすべき事とは、思ひもかけぬ事なるをいふ也。大かたその場處にはあるべからぬ處の場處となる事をさとす用也としるべし。○天下 兼《ケム》は、上の可《カ》もじのうちあひ也。兼《ケム》はすべて、きしかたの事をはかる詞也。止の或云に所念計米可《オモホシケメカ》とあるも、猶その可《カ》、この兼《ケム》にうちあふ也。此句にて一段落とみるべし。兼《ケム》は上の可《カ》にうちあへるなれば、下につゞける句にあらぬ事しるく、又この句、次の句意もつゞかざるを思ふべし。下はあまり御心のあやしさに、その大宮み(108)むと大津に來し心を思はせたる也。これ上下の詞のうちあはぬ間にて、おのづからしるければそこは詞とせぬ事、上古の人の詞づくりのつねなり。○天皇 天智天皇をさし奉れり。 天皇をやがて神と申す事、 孝徳天皇の御紀に、惟神《カムナガラ》を自注し給ひて、謂d隨(テ)2神道(ニ)1亦自(ラモ)有(ルヲ)c神道u也とある心なり。御言《ミコト》は命《ミコト》と同。命は即御言の義なり。大かた、神は御身おはしまさねば、その妙用は人の言をかり給ふ也。【これ、私にいふにあらず。神典の心なり。くはしくは、古事記燈にみるべし。】されど、からるべき人の言ならではかり給はず。御世々々の 天皇の御言は即神の御言なればかくは申す也。これを本義として、あがめていふ稱となれり。神代卷に、至尊(ヲ)》曰v尊(ト)、自餘(ヲ)曰v命(ト)と注せられしはうけがたし。古事記には、皆命の字を用ひられたるを正しとすべし。○大宮者 此《コ》間とは、大津をさせる也 大殿者の上にも、天皇神之御言能《スメロギノカミノミコトノ》といふべきを、上にゆづりてはぶける也。宮殿は畢竟いひかへたる也。かく同じさまなる事を、二句いひかへてよめる事古人多し。後世人は、これをたゞ詞のあやなりと思ひ、から人のかく四六文などの如く心えたれど、さらに/\しからず。事を懇にいはむとする時のわざ也。同じ詞をかへすも同じ心得也。こゝも此宮なき事はあらじ。とねもごろにもとむる心を思はせたるにて、これ皆古人詞づくりの一手段ぞかし。雖聞《キケドモ》・雖云《イヘドモ》、いひかへたるのみにあらず。別あり。雖聞は、大和にて、はるかに大津也ときゝたれどもといふ也。雖云《イヘドモ》は、大津に來て、その人のこゝなりといひをしふれどもといふなり。これは、聞たがへ、いひたがへはあるまじきに、聞たがへ、いひたがへかとおぼめける心也。○春草之 この之《ノ》もじ、ふた(109)つ下の大宮處をむねとたてゝおかれたる也。これ之もじの心得なる事前にいへるが如し。春草之茂生有大宮處《ハルクサノシゲクオヒタルオホミヤドコロ》・春日之霧流大宮處《ハルビノキレルオホミヤドゴロ》とつゞく心也。【春草は、はるくさともわかくさともよむべし。】下ひとつに、上ふたつをかくよする例多し。【上ひとつにて、下ふたつなるも、亦多し。】或説に、生有をおひたりとよむべしとあれど、之《ノ》もじにうちあはず。又二句とも、之《ノ》もじある句法にあらず。うけがたし。春草之《ハルクサノ》云云は、大宮の草のたかきにかくれてみえぬさまになしていへる也。霞立《カスミタツ》云々は、春日のかすみて、大宮のみえぬさまになしていへる也。大宮のみえぬ事はいさゝかもいはず、たゞかくのどかにいふ。古人の詞づくりの至妙よく/\味はふべし。之《ノ》もじふたつわざとかろ/”\とみゆるやうの手段、いふばかりなし。大かたまことは、大宮のあるがみえぬよしになして、詞をつけられたる、げに此ぬしのしるしはみゆかし。或云に、二句ともに香《カ》もじあるは、理はさるべき事のやうなれど、此本行の方まさる事雲泥也。香《カ》とよまむは、心を用ひばまねびもせらるべし。これは誰かはまねばむ。この易難をもて雲泥をしるべし。霧流《キレル》とは、さへぎる也。これ即かすむ事也。古くは秋に霞ともよめり。霞の義もと物を掠めてみせぬ故にて、きるも同じ心也。春を霞、秋を霧といふは後世也。○百磯城之、大宮の冠也。大宮は、百《モヽ》の石木をもてつくれば也と冠辭考にいへり。以上おかれたる冠辭あまた也。まへに冠辭を用ふる心得くはしくいへるが如く、これもひとつ/\いふべき事あるにかへられたる也。下に靈をとくを、以上の冠辭どもに照らしてみるべし。冠辭をかくあまたおかでかなはぬ所以あれば也。後世人古くかくあまた冠辭を用ふるをみて、よき事と心えて、なにのゆゑ(110)もなくて、歌文どもに冠辭多くおく。いとをさなきわざ也かし。○見者悲毛 後世、かなし〔三字傍点〕はただ、恋の義にのみ心うれど、此集に「かなし妹」、源氏物語に、「かなしくしたまふ御むすめ」古今集に「つなでかなしも」などの類皆ふかくそれを哀憐する心也。悲の字の義に用ひざるにもあらず。哀憐の極は悲しければ也。さればこゝもふかく心にかゝるよしをば、かなしとよまれたる也。毛《モ》はすべて、ナレドモ、ケレドモなどいふ心にみれば明らか也。亡父はサテモと譯せり。よく、此義心うれば、サテモの心となるが故なり。されば、こゝもみればかなしけれども、いかにともせむすべなき心也。ふかく心こもる脚結なれば、上古にはよみつめに、いと多かり。或云に左夫思母《サブシモ》とある、左夫思《サブシ》は後世さびしといふ詞の本にて、義は大にことなり。此集に、不樂とかけり。氣の落いり、氣のうかぬ心なり。
〔靈〕此歌、表は 神武天皇以來、御世/\大和國にのみ天下しろしめしたれば、たゞその古きあとにしたがはせ給ふべきを、いかやうにおぼしめしたればか、ひななる近江國に遷都したまひけむ凡慮のはかり知がたさに、その大宮みむとおもへど、聞あやまりか。いひあやまりか。此大宮のみえぬは、春草しげく霞きりわたる故ならむ。いともく/\くちをしき事や。と此大宮のみえぬをかなしみたるによみふせられし也。されど、さるくちをしさばかりの事、歌によむべき理なく、大かた、神武天皇以來の事をいひ、その大宮のみえぬ事をなげかれたるさまを思ふに、初國このかた皇居し給ひし地をかへさせ給ひ、しかも、その大宮の今あともなくなれるは、ひとへに此(111)帝の御心がろくおはしゝゆゑなるべし。もし、御世/\の御あとに隨ひ給ひて、倭におはしまさば、かく荒廢する事もあらじか。とくちをしく思ふ心あきらか也。されど、此 帝をあはめたてまつるにおつべきが故に、かく遷都し給ひし御心、凡慮のはかりがたきに、その大宮のみえぬくちをしさを詞とせられたる、めでたしともよの常なり。終に毛もじをおかれたるは、この情を思ひ入らせむがため也。古人の脚結の用ひざま、これにてもよく/\味はひしるべし。
樂浪之《サヽナミノ》。思賀乃辛崎《シガノカラサキ》。雖幸有《サキクアレド》。大宮人之《オホミヤビトノ》。船麻知兼津《フネマチカネツ》
〔言〕樂浪之 長歌にくはしくいへり。○思賀乃辛崎 此から崎はさきくあれどもといふ也。さきくとは、無v恙・無v事・平安 などの事をすべていふなり。すべて幸ある事を云。せばき事をもひろく詞をつくる事、わが國の御てぶり也。その御世に、宮人の舟遊つねにせし所なればいふなるべし。畢竟こゝはから崎はその御代のまゝにてあるをいふ也と心うべし。○大宮人之 これは、大津の宮の宮人を云。船は宮人の舟あそびする舟を云。麻知兼津《マチカネツ》とは、までども/\待久しきを云。里言にマチカネルといふは、人をまてどこねば、待かねて他出するなどいふ時にいへども、これは待久しくてまちあへぬにいたるべき勢なるをいふなり。津《ツ》は、上の軍王の反歌にくはしくいへり。宮人の舟つねによする所なれば、今もまつによりこずして、心の外にまちかぬる方につくをなげきたる脚結也。これまた、大宮の今も存してあるかたちになしてよまれたる、(112)長歌にいへるに同じ。さなくては、まちかねるといふ詞活ざる也。なき物をあるにしてよむ事、古人詞づくりの一手段なり。たとへば、死者を活たる人としてよめる類の如し。かくいふにてこそあはれは深けれ。この妙理をわきまへずして、古註ども、倒語を殺せる事多きを思ふべし。しかのみならず、此歌、大かた、この麻知兼津《マチカネツ》を人麻呂ぬしのみづから待かねられたるやうにおもへり。しからず。思賀乃辛崎《シガノカラサキ》をたてゝよめる歌なれば、末まで辛崎を主とたてゝみるべき法なり。されば、これは人麻呂ぬしのまちかねられたるにはあらで、思賀《ガか》のから崎、かく、ありし世のまゝにさきくはあれども、大宮人の舟をまつらむに、心の外にまちかねたるさま、いかにから崎の心さぶ/\しからむ。とから崎をあはれみたる心をよまれたる也。非情を有情になしてよむ事古人倒語の一手段なり。奥にその所々にいふをみるべし。雖といふ字、から崎はさきくあれども、大宮人の舟をわれまちかねつといふ心にみる時は、雖の落居、語を成さす。前にいふがごとく、末までから崎がうへになす時は、雖のおちゐいとめでたきをもておもふべし。かゝるよみざま、後世倒語の道かくれてのちは、歌のやうにも思はぬ事となりにたり。くちをしき事どもなり。
〔靈〕此歌、表は、おのれはさきくはあれど、大宮人の舟まちかねたる、いかにさぶ/\しかるらむと辛崎が心をあはれみたるに詞をつけられたる也。されど、から崎もと有情の物にあらぬがうへに、それが心をあはれむなど、歌としもよむべき情にあらず。必別に情あるべき事ならずや。(113)されば思ふに、これ非情の物をもて、有情のうへをおもはする法にて、もはら人麻呂ぬしの、此大宮の荒廢をかなしまれたる也。しかるに、あらはにかなしむ時は、猶、この 天皇をあはめ奉るにもあたり、又おのがさかしらにも落て、かなしむ情かへりてさかしらぐさのやうになるべきが故に、かくから崎のうへに詞をつけられたる也。此大宮の荒廢をかなしむ情をだに、かく詞にあらはさぬ上古の人のつゝしみの深さ、詞づくりの至妙おもふべし。
左散難彌乃《ササナミノ》。 志賀能《シガノ》【一云|比良乃《ヒラノ》大和太《オホワタ》。典杼六友《ヨトムトモ》。昔人二《ムカシノヒトニ》。亦母相目八方《マタモアハメヤモ》【一云|將會跡母戸八《アハムトモヘヤ》】
〔言〕志我能大和太とは神代紀に、曲浦をわたのうらとよめるによりて、和太は入江の水の淀をいふと古註にみえたり。此説非なり。もと淀まぬ水にむかひてこそ、よどむといふ詮もあれ、もとより淀なるをよどむとはいふべき事にあらぬをや。かの曲は、七わたにまがれる玉などいふに同じからべし。一云、比良乃《ヒラノ》 無子細。しかるに、今思ふに、和太《ワタ》は、海を和太といふに同じく、渡の義なるべし。されば、大和太《オホワタ》は、大渡なるべし。大和田といふ所、三代格にもみえ、又淀に【山城】大渡などもいふぞかし。曲浦も、もとおのづからわたるに宜しきよりの名にもやあるらむ。いづれにもあれ。この大和太《オホワタ》の水はよどむ世なく、勢多のかたへ流るゝが故に、たとひ此水のよどむ世はありともと、もとよりあるまじき事を設ていふなり。古人この種多し。「すゑのまつ山浪も越なむ」などよめる類也。○昔人二 まことは、大津の宮の時の人をさしたるなれど、かく昔の人と(114)せまらずいふ事、古人詞のみやび也。○亦母相目八方 母は、前にいひし如く本意別にあるにそふる義也。こゝもあはれぬに決したる事を本とたてゝ、亦もし逢はむ事あるまじきにもあらず、と思ふ心なり。八《ヤ》は亦もしあはれむかとうたがひて、さて向後たとひ大和太《オホワタ》はよどみてもあふ事はえあるまじき事なり。と人に決せしめむの心也。後世の也波《ヤハ》なり。心得まへにいへり。一云の將會跡母戸八《アハムトモヘヤ》この八《ヤ》も、猶|八波《ヤハ》の也《ヤ》にて、母戸《モヘ》は於毛戸《オモヘ》の反切のまゝをかけるにて、これは「忘れて思へや」などよむたぐひにて、戸《ヘ》は、不《フ》を「衣緯」にかよはせたる也。これもまた、あはむとは思ふまじき事也。と人に決せしめむがため也。一首の意に妨なければ、いづれにもあるべし。この下句すべて、上句を蒙らせて解すべし。かくいふ故は、昔の人にまたあふべき事もと理なき事なれば、上句を蒙らせずしてときては、稚語なるをおもふべし。上古の人稚語を用ふる事なき事、前にかへす/\いへり。大和太《オホワタ》もしよどむ世あらば、昔の人にもあはるまじきにもあらじや、とさるまじき事をふたつむかへて、もしよどまばあはれむか。とその反を設出たる也。表の手段ながら上手の詞づくり、妙處を得たる事よく味はひしるべし。
〔靈〕此一首、表は、むかしの人にあはるまじき事いふも更なれども、此|大和太《オホワタ》のよどむ世もあらばあはれむやと人の決定を待たる也。されど、もとあるまじき事どもを設出たる事を、ことさらに歌とよむべき事ともおぼえず。さればおもふに、此|大和太《オホワタ》のよどむ世とてはあるまじければ、昔の人にあはむ事もまたあるべくもなき事をば、かくこと/”\しくよまれたるは、ひとへに、此大宮(115)の荒廢をかなしめる情なる事、方《モ》もじにもしるし。されども、直言すまじきは、上の歌にいへるに同じきが故に、つゝしみて、かく詞をつけられたる也。この荒都をかなしめる心いさゝかも詞にいでず。たゞおほらかに、昔の人にあはむ、あはじのあげつらひのうへにのみ、ひとへなる詞づくり、まことは、上のから崎の歌を、今一たびなげかれたる心なる事、言外にあふれてみゆ。すべて、詞のつけざま、凡を出たる事よく/\おもひしるべし。
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