富士谷御杖、萬葉集燈

 (最新見直し2011.8.25日)

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 2011.8.28日 れんだいこ拝


【柿本人麻呂】
富士谷御杖、萬葉集燈(萬葉集叢書第一輯、古今書院、1922年、1972.11臨川書店)
2007.2.3(土)入力開始
 
(1)萬葉集燈解説
 
 萬葉集燈の著者富士谷御杖は、徳川時代古學者中、特殊な立ち場を持つ學者であつて、系統を堂上歌學から引いた成章の遺子として、その特色ある古學を繼承し、更に精到な學殖によつて、一家の見を成した碩學である。眞淵宣長等古學大成の後にあつて、猶彼の存在の炳らかである所以は、これらの學者と分たるべき獨創の領分を多く有してゐるからであつて、その萬葉研究は、寧ろ、彼の究め得た神道觀を實證敷衍するを主とするに似てゐるけれども、それ以外に拓き得てゐる所が甚だ多いのである。
 燈の自序文は、御杖死歿の前一年(文政五年、五十五歳)に書いたものであるから、御杖の萬葉研究は燈に極まつてゐると見てよからう。從つて燈を見ることによつて、御杖の萬葉觀の究極を窺ふことが出來るといつてよいのである。御杖が萬葉研究者中の一異色である時、燈はその特色を明徴すべき唯一無二の記録といふべきである。
 燈の特徴とすべきものは、おのづから二つあるやうである。第一の特徴は、前に言うたごとく、燈の解釋は他の多くの解釋と異つて、殆ど御杖自身の人生觀ともいふべき神道上の信仰を以つて、凡ての歌を解かうと企ててゐる所にある。第二の特徴は、萬葉集に現れてゐる助辭の研究が非常に微細に透徹してゐるといふ所にある。
(2) 御杖は、我が國に言霊《ことだま》の幸《さきは》ひあることを信じてゐる。言靈の幸ひとは、神意の人を幸する道であつて、人の言が神意に通ずる時、はじめて幸が生ずるのである。御杖の説くところによれば、元來人の思ふ所爲す所は善にもあれ惡にもあれ、必その中を得て居らねば神意には適はない。夫れゆゑ、我が國には、古來善に善祓あり、惡に惡祓がある。祓ふところなければ善惡とも妖氣にあたる。惡言に憚るところある如く、善言にも憚るところがなければならぬ。憚るところなければ同じく妖氣にあたる。この罪を祓ふところ、憚るところに倒語の道が生れて來る。倒語《さかしまごと》は直語《ただごと》の反である。祓ふところなく憚るところなき言は直語であり、罪を祓ひ得たる言は倒語である。倒語とは所思を直叙せずして、隱約の間に思ふ所の現れるやうにあらしむる「告げざま」である。この直叙せずして隱約の間に籠つてゐる詞の心を知ろしめす神靈(八重言代主神をさす)を言靈といふのであつて、言靈の幸ひは、すべてこの倒語の道にのみあると信じてゐるのが御杖の幸福觀である。この言靈説を以つて萬葉集すべての歌に當て嵌めようとしたのが燈の解釋の目的であつて「古來註書多けれども、ただ詞のうへをのみとけり。これもと歌は詞のうへに作者の意はありと心え、おのがよむにも意を詞につくし、實情を述ぶなどいふめるは、なにのより所ぞや」と言うてゐるのは、洛中にあつて蘆庵、景樹、畿外にあつて宣長、東國にあつて眞淵等の歌學に對抗するの慨があるのであつて、神道觀言靈觀人生觀に對して信條を持つてゐる御杖としては、當然の言といふべきである。御杖の所謂倒語の説は、これを萬葉集の各の歌に當て嵌むるに至つて、理解必しも至れりといふべからざるも、當れるものは比譬心理以上に出(3)て、往々高き意味の象徴に合し、然らざるものは、上方風の偏りを帶びて、多く附會に堕ちる。これが燈の特徴の一であつて、かの高市連黒人の歌
  何所にか船はてすらむ安禮乃崎※[手偏+旁]ぎたみ行きし槻無小舟
を以つて、旅情郷思堪へがたき心より生れ出でたりとなせる如きは、倒語説の※[立心偏+豈]切に入つた一例とすべきであらう。
 燈の解釋は助辭に於て尤も精到である。これは父成章の脚結研究を繼承してゐるのであるから、自然に他の學者の追隨を容さざる所があるのであつて、予の燈より益を受けんとするは、この點を多しとするの感がある。例へば、「は」はすべて物の目立つを歎くの脚結なりといひ、この「は」の用ひざまだけでも後世人は知つて居らぬ。と歎いてゐるなどが夫れである。又例へば「かも」は、大かた、いかさまにおしあてても理のあてられぬ事ある時の歎也。されば上古は疑の加毛とひとつなりし也。と説いてゐる如き、若くは、又「けり」は、常に異る事ある時にいふ脚結なり。と説いてゐる如き、その一二片である。之れを父成章の、「は」は物を引わけてことわる心也。さる故に物を思ふ詞ともなれり。と説き、「かも」については、凡、かな、かもは全同心の詞なり。目にも心にもあまれることを、先、「か」と疑ひて、やがて「な」又は「も」とながむる詞なり云々。とやうに説き、「けり」は萬葉に來とかきたれど、まことは來有の心也。即ち「き」の立居なれど「き」とのみよめるに比ぶれば、例の「なり」もじ添ひて心ゆるべり。「き」は人に近く相向へるやうにいへり。「けり」は同じく(4)言ひ定めたる詞ながら、理にかかはれるかたが重くて、みづからいへる詞となれり云々。とやうに説いてゐるのに比べれば、到達する所におのづから差等のある一端を知るべきである。今人助辭の使用蕪雜麁大に流れてゐる時、燈五卷は斯樣な點に於て、繊細微妙な注意を呼び起すに足るのである。これが予の見た燈の特徴の二であつて、單にこれのみでも、今日の萬葉研究者に推奨すべきものであると思ふのである。加之、助辭解説の精到は、おのづから歌の解説の精緻となるのであつて、この點に於ても他の未だ及ばざる所に至り得てゐるものが多いやうである。
 正岡子規が、明治歌壇に初めて萬葉集復活を唱へて、古今集以下の勅選集を斥けた聲は、初め響くところが狹くて、後漸く天下に流布するに至つた。今日萬葉集の純文學としての價値批判及びそれを中心とする研究の盛なるは、その因一に子規にある。研究の盛なるが必しも萬葉集の心を得ると言ひ得ざるも、多岐多端の研究が萬葉集信奉者に裨益する所は、樣々の意味に於て常にあるのである。萬葉集の研究者は矢張徳川時代に多いのであつて、夫れらのうち、殊に研究上の權威となるべきものにして、未だ活字に組まれないものが可なり多い。中には著者の自筆原稿のまゝ今日まで保存されてゐるに止まるものさへあるといふ現状である。萬葉研究の聲盛なるに似て、未だ道を盡してゐないのである。それゆゑ、それら木版本、筆寫本、自筆稿本の類は、今日まで、極めて少數範圍に限られた人々の參照に資せらるゝに過ぎない有樣であつて、これむしろ、盛代の奇恠事とすべきほどのことである。現にこの燈の如きも、文政五年京都書肆出雲寺文治郎等によりて起版せられたに過ぎぬのであつ(5)て、今日何人も容易に手にすることの出來ぬものである。古今書院主人が今囘これを公刊することを聞いて、喜んで予の燈に對する所見、及び、萬葉研究の現状に對する所感を書き記して解説に代へるのである。
  大正十-年八月十日
              柿蔭山房に於て
                   島 木 赤 彦 誌 す
 
(7)     復刻萬葉集燈凡例
 
○本書復刻は、文政五年十一月京都書林出雲寺文治郎、吉田屋新兵衛、河南儀兵衛出版木版本五卷を底本とした。
○本文體裁すべて底本の樣式を存せしめるやうに努めた。送り假名、振り假名、假名の清濁等もすべて嚴密に底本に從つた。只學者の便を思うて、適宜句讀點を施した。
○原本中當然誤謬遺脱と思はれる個所は、補正し或は記號?を附した。「※[さんずい+奥]の方はごがし」を「※[さんずい+奥]の方はこがじ」と正し、「曰伊蘇志1」を「曰2伊蘇志1」と正し、「詞の條理古人の用ひざまやむ事法則ある事なり」とあるを「詞の條理古人の用ひざまやむ事(なき二字脱?)法則ある事なり」とせる類である。
○校合は、三校まで必ず底本と照合し、その後更に數校を經た。そのために五个月を費した。正確に近いと信ずる。
 
(1)珠手次。懸卷裳多布等伎。畝火橿原能宮從。久方廼。天乃遠斯※[氏/一]登。姶賜日。定給比志。倒語那毛。顯見青人草乃。安禮都具麻耳萬爾。語津藝乍。言靈之所祐。意富御國夫利波霜。大良可耳。廣羅蟹。打太良日而。底都石根爾凝附。於高夫原。加乎理徹里奴。阿羅玉乃年。安多良阿太良邇來經※[氏/一]。青丹吉。寧落之宮子。遠嬬孤不流世由。夜也屋耶耳。言智布言能伎八美。以夜左敝藝沙倍藝天。安豆奈比裳※[氏/一]遊九苗。以波久叡乃。可斯古人等。之保舟能。以那良毘伊傳天。以蘇備太祁※[田+比]喚鶏。莫囂圓隣乃。加曾計九。切木四哭能。多騰富紀。火之中水之底止以敝杼。澳津玉藻廼。名張奈伎乎。百傳。磐余池能。三許毛里耳裳古母利安弊奴八。朝日刺。天良沙不毛古路。麻藝羅波新家杼。眞登里須牟。卯名手之神乃。御言輿佐斯。阿也耳宇多陀奴志賀年。麻太多九萬多太君毛。和賀加可氣當類。等裳思備叙。許禮
  文政五年壬午正月
                 富士谷御杖識
 
(3)      萬葉集燈おほむね
この集、古來註書多けれども、たゞ詞のうへをのみとけり。これもと、歌は詞のうへに作者の意はありと心え、おのがよむにも、意を詞につくし、實情を述ぶなどいふめるは、なにのより所ぞや。古書に詞のもちひざまををしへられたる事多きが中に、古事記中卷垂仁天皇の條に、本牟智和氣《ホムチワケノ》命の御うへを記せられたる所に、【智また都につくれり】是御子八拳髭《コノミコヤツカヒゲ》至(ルマデ)2于|心前《ムナサキニ》1眞事登波受《マコトトハズ》故《カレ》今聞(テ)2高往鵠之音《タカユククヽヒノコゑヲ》1始(テ)爲(シタマフ)2阿藝登比《アキトヒ》1【中略阿藝登比これを日本紀には、得言とかゝせ給へり】亦見2其鳥(ヲ)1者|物言《モノイフコト》如(クニシテ)v思(フガ)爾|而《シカシテ》勿《ナシ》2言事《モノイフコト》1【云々】とあり。眞事の事は假名にて、言也。この真言といふもの、わが御國言のいたりをいふ名なり【眞人・眞心などみなこれに同じ。先學者これらをいふは、たゞおしはかりにて信ずべからず。人をも、心をも、言をも、眞とたゝふる事、我御國ぶりの他域にことなる所以たるをや。】眞とは、この集に麻傳《マテ》といふ脚結を【予が家にててにをはをよぶ名なり。】左右手、また左右ともかけりこれをおもふに、眞はふたつをそなふるたゝへ言なり、とはあきらかなり。神典に、天地初發之時とある、これ、わが御國ぶりの眼目にて、よにあらゆる事物、天地をあやかりて、ふたつあらざるはなし。さればすべて、ふたつをそなふるは、即天地をそなふるにて、もしこれに私すれば、生々の道をたつわざとなり、よろづの事とほしろきいさををうる事なかるべし。これこのふたつの間は、神の御ちからを施し給ふ所なれば也。神力人力は、そのいさを同日の論にあらず。此事深き致あり。くはしくは、古事記燈にいへるをみるべし。このふたつ、歌のうへにていはゞ、よきとあしきの情これ也。よきにかたよる言も、あしきにかたよる言、ともに、罪あるがゆゑに、善祓・惡祓はをしへ給へるにて(4)或はよく、或はあしき、これをたゞよふと云。神典、これをつくりかたむべき事をむねとしたまへり。もと祓といふは、善祓・惡祓をこめていふなり。大祓祝詞に天津罪・國津罪をいふは、即このよしあしの罪をいふなり。あしきに罪ある事は、人みなしれり。よきに罪ある事は、神ならでわきまへがたき事なれば、神ぶみ(神典?)かへす/\このよき方の罪をあげつらひ給へり。されば、よしといふもくはしからぬ所あるをおもふべし。善祓・惡祓は、神代卷に、以2足(ノ)爪(ヲ)1爲(シ)2凶爪棄物《アシキラヒモノト》以2手(ノ)爪(ヲ)1爲(ス)2吉爪葉物《ヨシキラヒモノト》1とあるを本として、履中天皇の御紀に、車持君をかしありて、善解除惡解除をおほせたまひし事みえ、延暦太政官符に、善惡二祓ともみえたり。此二祓、心えずは、大かた、わが御國ぶりすべて心うべからず。善惡は人のむねとすべき事なるを、かねて、よにこゝろえたるにはたがへり。先學者の説くはしからねば、多年これにくるしみき。くはしくは、古事記燈にみるべし。さるは、人をしてよきわざすなといふが如くなれど、しからず。よに人よしとおもへる言わざを、今一きはみがきあげたるこれを高天原と名づく。これ、天津神のおまし所にて、人としては、いひ、おこなふ事かたき所なれば、この高天原、おのづから善祓なり。よにあしと思へる心を、今一きはきたなくなす、これを根之國といふ。これまた言わざにいづべからざる所なれば、これ、おのづから惡祓なり。よきも、あしきもかたよるをたゞよふと名づけられしは、よき・あしきの中を、言行とせよとの御をしへなり。これを葦原中國となづく。【この中を、言行とし給ふ。 帝の王とおはします御國なれば、やがてこの御國の名とはせられたる也。たゞ、うちまかせたる國號とおもふは、後世のひがめなり。】神典に、中をたふとばれし所々多し。神典のはじめに「天地初溌之時於高天原成神名天之御中主神《アメツチノハジメノトキタカマノハラニナリマセルカミミナハアメノミナカヌシノカミ》云々」禊祓之件に、中(5)瀬あり。すべて神典に、中をしめされたる事、あげてかぞへがたし。又 舒明天皇の御紀に、大臣(ノ)所遣《ツカハス》群卿(ハ)者如(ク)2嚴矛取中事《イカシボコノナカトルコトノ》1奏請《モノマヲス》人|等《タチ》也。また延喜式に、齋内親王を入れたてまつらるゝ時の詞に「御杖代止進給布御命乎大中臣茂桙中取持※[氏/一]《ミツエシロトタテマツリタマフミコトヲオホナカトミイカシボコナカトリモチテ》云々。また臺記大嘗會中臣(ノ)壽詞に、本末不v傾茂桙乃中執持※[氏/一]奉v仕留中臣《モトスヱカタムケズイカシボコノナカトリモチテツカヘマツルナカトミ》云々。よく中を執る人を、中臣とはたゝへ給ひしなり。もとこれ、姓にはあらざりしなり。こゝを言行とだにすれば、萬妖にあたる事なし。これ、大祓祝詞に、安國とたゝへられたる所以ぞかし。この中、儒のいはゆる、中庸の中にもあらず。佛のいはゆる三諦の中にもあらず。天地のふたつを具足せむがための中なり。おもひまどふべからず。されども、言といふ言、いへばかならずよきにか、あしきにかかたよりて、ふたつを具する事あたはざる物也。さらば、いかにせば、一言にふたつを具すべきといふに、たとはゞ、人のもちたる物ほしと思ふに、ひそかに取らば、偸盗のにくみまぬかれざるべく、しひて乞はゞ多欲のそしりまぬかれざるべきに、もしその人われにその物を與へば、偸盗多欲の罪を犯さずして、しかもわが所欲を達するが如く、すべてふたつを具せむ事、わが言もてはあたはず。たゞわが思ふすぢを、人よりおこし來るに、そなはるべき也。いにしへの みかど/\、天のしたをしろしめしゝ、大要すなはち、神典の御をしへの眼にて、我大御國に、中といふはこれなり。この故に、よきにもあれ、あしきにもあれ、思ふがごとくやがて言にいづるは、物いふ道にあらざるよしをさとして、前に引おける 垂仁天皇の條に、物言如《モノイフコトク》思(フガ)爾而(シテ)勿2言《モノイフ》事1とはかゝせ給へるにて、これ眞事登波受《マコトトハス》とある所以ぞかし。されば、たとひ至誠の實情を述ぶとも、なほ罪まぬかれざるべければ(6)かろ/\しく言を用ふべからず。此ゆゑに、歌よむべき心得は、その情、よきにもあれ、あしきにもあれ、おのれよりいひ出ずして、その情をば、人より察し來るべく詞をつくるを、肝要なりと心うべし。
よくもあれ、あしくもあれ、わが思ふ情を、やがて言にいづるを、言擧といふ。この集卷十三【「柿本人麻呂長歌下略】蜻島倭之國者神柄跡言擧不爲國雖然吾者事上爲《アキツシマヤマトノクニハカムガラトコトアゲセヌクニシカレドモワレハコトアゲス》云々」また同卷に「葦原水穂國者神在隨事擧不爲國雖然辭擧叙吾爲《アシハラノミヅホノクニハカムナガラコトアゲセヌクニシカレドモコトアゲゾワガスル》云々」など、なほあり。直言せずしておもふ事成るは、これ神の御ちからによれり。神柄神在隨などよめるこれ也。これをば、言靈といふ。此集卷五「【山上憶良。長歌上下略】皇神能伊都久志吉國言靈能佐吉播布國等《スメガミノイツクシキクニコトタマノサキハフクニト》云々」また卷十三「【柿本人麻呂が長歌の反歌】志貴島倭國者事靈之所佐國叙眞福在乞曾《シキシマノヤマトノクニハコトタマノタスクルクニゾマサキクアリコソ》【事は言の假名なり】」また續日本後記卷十九【「興福寺の僧がよめる長歌。上下略。】日本乃倭之國波言玉乃當國度曾《ヒノモトノヤマトノクニハコトダマノサキクニトゾ》云々」この言靈とさし奉る神は、言代主神にます也。【神典青紫垣之件に、この神乃言外の情をつかさどりたまふよし、くはしくみえたり。】出雲(ノ)國(ノ)造神賀詞【「上下略】車代主命能御魂乎宇奈提乃神奈備爾坐《コトシロヌシノミコトノミタマヲウナデノカミナビニマセ》云々」とあるによりて、この集卷十二に「不想乎想常云者眞島住卯名手乃杜之神見將知《オモハヌヲオモフトイハバマトリスムウナデノモリノカミシシラサム》」とよめり。この歌にても、此神の御魂はしるべし。すべて、所思のすぢを此神にまかせ奉りて、詞は人より端をおこすべからむやうにつくる時は、此伸その言外をさきはひたすけたまひて、かならず人の心をして、察し知らしめ給ふ。これをさきはふ國・たすくる國・まさき國とはよめる也。【言擧不爲も、言靈のさきはひたすくるも、いづれも、國にかけてよめる事、この大御國の御てぶりなる事、あきらか也。】もとわが御國、行よりも言を先とする事、行は言にしたがへばなり。神典青紫垣之件力競の先後にみるべし。されば神のたすけさきはひ給ふも、たゞ言のつけざまによる事也。もし詞(7)のつけざまあしくは、神もたすけさきはひ給はじとしるべし。いはまほしき事を、深く言につゝしめる心のうちのくるしさを、神もあはれとおぼすぞかし。いかでか、いはまほしきまゝをいひたらむをあはれとはおぼさむ。倒語するは、所詮はいはまほしき事をつゝしむなり。【神典をはじめ、いみきよまはるなどいふは、いはまほしき言を、つゝしむをいふぞかし。此事ふかき旨あり。古事記燈にみるべし。題詠は論の外也。】さきはふともいへるは、この所以ぞかし。たすく・さきはふといふ詞の義、もと罪あるべき言をさきはひ給はむやうなきをさとるべき也。【神典はもと、人の教なれども、直にはをしへずして、學者に端をおこさしむべきかきざまなる也。神武天皇よりの御卷々は、帝の御名・后の御名・御子たちの數また御名・ みかどの御よはひ、大宮處・御陵など、よくもあしくもなき事がらどもは、直言なり。よしあしにあづかる事がらは、みなこの書法也。日本紀をおきて、續日本紀よりは、たゞいづれも直言なり。此けぢめみわかむ心得は、その文常の理にあたらざる事どもは、みな直言にあらずと思ふべし。たとへば、八頭の烏尾ある人など、あるべくもあらぬたぐひの如し。】この詞づくりをば、倒語といふ。倒語とは、言のつけざまをいふ名也。言靈とは、詞の外に所思のいはずしてこもれる所をしろしめす神の靈を申す也としるべし。 神武天皇の御紀に「能以(テ)2諷歌倒語(ヲ)12蕩(ス)妖氣(ヲ)1倒語之用始(テ)起(ル)2乎茲(ニ)1とあるこれなり。この詞乃道 神武天皇の御世よりおこれりし事みつべし。諷の字、倒の字切なりともおぼえぬは、よくあたるべきもじのなさに、かの御子のはかりてあてさせ給ひしなるべし。かくいふ故は、もと諷は諷喩・諷諌などいひて、あらぬ事もてわが情を人にさとす。その義いとよく似たることのやうなれど、から國に此字をもちふるは、直言せぬをいふばかりにて、猶わがわざ也。前にいふがごとく、わが國ぶりは、人をはじめとすべき詞づかひなれば、このけぢめくはしくわかちしるべし。【神典に、道速振・荒振といへる、もはらそのこゝろこれををしへ給へる也。我より端をなすを、速とはいふ也。】これに二種あり。ひとつは比喩也。これはその假れる事物死物なり。今一くさはその假りたる物活物なり。この假る事物の死活にて、わが所思をさとさまほしき(8)心みえなると、うつたへにさとさむ心なきやうなるとの別はある也。直言すれば、その功は速なれど必妖あるべき事なれば、たゞ神にまかせ奉りて、さとさむの心をおもひ絶たるをいたりと心うべし。されば、事物の活たるをば、倒語の本意とはすべき也。たとはゞ旅人卿憤ふかゝりけれど、言擧しがたさにその憤を酒にて散じたまへりけるが故に、酒を讃る歌あるが如き、かく假りたる事物、實物なるを活たりとはいふなり。その假る物實物ならざるを死せりとはいふ也としるべし。伊勢物語に、ひじき藻を贈りたるは「ひじきものには袖をしつゝも」とよめる、歌の假り物を死物にせじが爲也。これらをおもひて、この理をさとるべし。【初學のほどはその物の死活にかゝはらず、よみならふべし。このふたくさ、死活のけぢめよむにやすきと、かたき、これ、尊き、いやしきしるしぞかし。】倒の字の義は、うれしきをかなしといひ、みじかきを長しといふ、これなり。これにも、又二くさあり。しか倒にいひてよろしき時もあり。また、しか、例ならずして、かたはらをいひてよろしき時もあり。
概するに、思ふすぢをいはずして、おもはぬすぢを、詞とするを倒とはいふ也。と心うべし。妹がかほのみまほしきを、妹が家も繼てみましを、とよませ給ひ、人のうへをいはむとて、わがうへをいひなど、古人倒語千變萬化なりといへども、おのづから法則あり。今註せるをみて、思ひしるべし。ひとへに、わが所思ながら、その端を人におこさしむべき詞づくりをいふ名也。と心うべし。諷歌・倒語とわかちてかゝせ給へれど、諷歌もなほ倒語なり。この故に、下文にはひとつに、倒語之用始起乎茲とはかゝせ給ひし也けり。おほかた、人の心の常として、われよりいふ事は、必こゝろよくはきかざるもの也。これさらに、人心のさがあしき故にあらず。【表には、諾したるが如きも、心内には信服ぜざる事、人心のつね也。神武天皇の御紀に、蜻蛉の臀※[口+古]をいへる、(9)これなり。理の正しき事は、人かならず感服すとおもふは、麁なり。それは、所詮屈服なるぞかし。なほみづから心よりおこしたるにくらぶれば、そのけぢめあり。よく思ひわくべし。神典、毛々那賀之件、人の服するに、三くさある事を、しめしたまへり。】我をはじめとすべからざる事、もと神道にそむくがゆゑ也。千里鏡といふもの、かなたの玉にうつるは倒影なり。その倒影、またこなたの玉に例影となりてうつる。これ即、直影なるをおもふべし。物のかげのものを隔つれば、倒影なる事常也。その外、めのまへ、自然の事に、倒なる事多し。これ、神道の現しき所以なり。そのしるしかぞへがたし。心をとゞめてしるべし。
人より端をおこさしめむがために假る事物、すなはち後世の題なり。此集に、詠花・詠鳥など題をおける、みな後よりかけるにて、よみ人の、それを題としてよめるにはあらず。【題は、後よりつけたるものなる事は、上古、倒語の道によらで、よまざりし歌どもなれば、明らかなる也。この事、予が隨筆にもくはしくいへり。】後世の題詠は、情といふばかりのものにあらず。たゞ花鳥風月を思ふ心なり。よきあしきのもどきもなきは、めでたきやうなれど、けづり花のごときものをや。そのはじめを思ふに、古今集の時、大かた、花鳥の使となりぬといきどほりて、四季の部をたてられたり。これ、後世題詠のおこれる源なり。歌と、言語は、その別ありといへども、大かた、詞は、わが情を人に傳ふべき具なれば、人に傳へでかなはぬばかりの情にあらでは、歌によむべき事にあらず。題詠のはかなき、歌となるべき情にはあらざる事也。【さしむかへる人には、言語をもちふ。遠きあはひの人には、歌を用ふ。されどさしむかひても、歌によむべき事がらもあるべし。そのけぢめ、みな情の輕重によるべき也。當藝志美々《タギシミミノ》命あしき御心ありて、その御はらからを殺さむとし給ふに、その御母后、そのよしをみそかに告しらせむとおぼして、よませたまひし御歌、古事記神武天皇の條にあり。あらはには告べからず。告ざれば殺されたまふべし。かゝる時こそ、歌の必用なれ。又その御卷に、(10)軍令をも大御歌もてせさせ給へり。はかもなき事がら、もと、歌によむべき事にあらず。古今集の序には、いたくいやしまれたれども、相聞は、人と人の情のうちあひ、しかもあらはなるまじき事がらなれば、なかなか歌の必用にこそ。すでに、古今集春部よみ人不知「うめの花たちよるばかりありしより人のとがむる香にぞしみける」といふ歌、兼輔集にいとしのびたるうつり香の、人しるばかりありければ、と端作あり。四季の部の中に、かゝるたぐひ多きをや。されば、まことに、四季の景物をよめる歌は論なし。戀・賀・哀傷・別・旅などの類、その詞づくりの直倒、みつべし。予、千とせあまりかくれたる倒語の道をいふが故に、よに、これを信ぜぬ人多し。これ年比のなげき也。まへに、紀の文の心得をいへるが如く、いへば妖氣にあたるばかりの事がらならでは、倒語も無用なりとしるべし。大かた、倒語の道、妖氣を掃蕩すべき御教なれば、かろ/\しき事にあらず。詞をもて妖をまねき、くるしきせにおつる人、よにすくなからず。この道をおこして、いかでふたゝび、よの人のまねく妖をまぬかれしめむ。とおもふも、なほわがさかしらなるべし。
大かた、詞の表には、作者の情はなき事、上古人の常也。神典、游能碁呂島之件は、詞はことの外なれど、交接の事也。先言之件、交接の事をいへるは、交接の事にあらず。これ古文・古歌をみるべき心得なり。されば、歌の表をときて、歌ときえたりとおもふは、いとをさなきわざなるべし。作者のその時代、またその身のありしかたち、又端書など思ひはかりて、言外の情を察す。これ、予が年比ならひたる所也。しかるに、ある人とへらく、もし端書もなく、作者もしられざる歌は、いかにして(11)その情は察する。大かた、言靈をいふ事、附會牽強なるべしといふ。げに、千とせあまりかくれたりしことなれば、しか思ふもことわりなる事なり。もと、所思を神にまかせ奉るは、いはでかなはぬ事の、しかもいへば妖あるべき事、言靈とはなるなれば、さだかにはかり知がたき倒語の、倒語たる所以なり。【されど、その歌、えつべき、當人は、必その言靈は、さだかにおもひいたるべきなり。】しかれども、端書・作者のありなしにかゝはらず、詞のつけざま・脚結の用ひざまに、その言靈は察せらるゝものなり。しかのみならず、大抵、古人倒語をもちふるに、すぢ/\あるものにて、附會にあらざる事、この集の註をみしり、又よくわが門に學びて後、附會ならざるしるしをうべし。すべて、詞もその用ひざま、後世直言にひがめる人の、もちふるには、いたくたがへり。くはしく學びしるべし。
古言は、すべて、倒語に用ひ、【脚結も、おなじ。】後世は、直言に用ふ。たとはゞ、齒の落たるを、舌いづといひ、ものいふを、ことゝふといふ類のごとし。脚結も、人に決せさせむと思ふ事は疑ひ、多きを思はせむとては、ひとつをいふ。すべて、歎息も、願も、まことに歎き、ねがふに用ふる事なし。されば、詞の表に、目を奪はれて、かなしとあるをかなしとみば、古文・古歌の本意は、終にみる事あたはざるべき也。されど、後世とても、伊勢物語・土佐日記のたぐひのごとく、いはでかなはず、しかもいふべからざる事にあへる時の所作は、なほ倒語の法にかなへり。されば、倒語の法にだに熟せば、後世の詞たりとも、法にそむくべきにはあらねど、上古は詞といふ詞、倒語のそなへなり。後世は、直言のための詞どもなれば、倒語の法には、古言のかた切なる也。されば、おのれ、ともすれば、古言を(12)用ふるが故に、よには、古體とも、又古言を好むともいはる。さらに/\、古言をこのむにはあらず、倒語の道のたふとさに、ひかるゝ也。ゆめ/\、此集になづみて、倒語の道のかしこさをもしらず、たゞうはべに、古言を用ひ、よに、萬葉體・古體などとなへらるな。と、わが門生にはつねにさとす也。この集をみむ心得、ひとへに、古人倒語にくはしかりし法則をみしり、すべての詞、倒語のうへにのみもちひたるやうを心えむ事を、むねとすべし。先學者、いづれも博識なれど、その目かぎれりといふべし。ある人とへらく、古言今の人に耳遠ければ譯《ヲサ》なくては通ぜず。しかるに、古言をしひて用ひむは、人の耳をおどろかさむとにや。時よにあはぬ詞を用ふるは、時をしらずとやいふべき。いかにおもひて、古言は用ふるぞといふ。答て曰、おのれ、古言を用ふるは、その耳遠からむ人に、しひてきかせむとの心にあらず。みづからもちひしらざれば、古人の言を用ひたる味はひしらるべからず。此故に、常に古言を用ふ。これ、ひとへに、倒語の道のたふとさなれば、人の耳とほからむは、さもあらばあれ。神の御心には、いかでかあはれとおぼさゞらむとてこそ、おのれ歌はよめ。そこの歌よまるゝは、人にほめられむの心なるべし。人にほめられむ爲に、歌はよめ。と誰かはをしへし。いとも/\、いやしき歌のよみごゝちや、とこたへき。後世に、ひがめる人は、古言とだにいへば、あだし國の言にしもあるが如くいみきらふは、いかなる心ぞや。 天皇の大御傳へます三くさの大御寶も、今の時代にはたふとくやはなき。時代につれて、詞などもうつりたるは、やう/\いやしくなれるにこそあれ。それをたゝふべき事かは。もちひざる人の耳とほくなせるにこそあれ。さらに、古言のとがにはあら(13)ざるをや。それも、今の世の人のひがみにもあらず。この京のはじめの人たちの用ひざりしゆゑに、今の人耳とほくなれる也けり。その證は、上古の詞なれど、この京にもちひならへるは、耳どほしとも、神さびたりとも、しらず/\、人つねに用ふ。たとはゞ、うつたへに・うたて・あぢきな、などの類これ也。脚結も十にひとつも、後世のはなし。又もとな〔三字傍点〕といふ詞は。耳違きに、こゝろもとな〔六字傍点〕は、ただ心といふ事を、上にくはへたる同詞なるに、今の世の人耳どほからず。こゝをもて推せば、詞の耳遠くなれるにはあらず。もちひずして久しく置ふるしたるがゆゑならずや。よく/\思ひかへすべし。しかのみならず、古言はすなほにして、不自由也と心えたり。これしらぬ也。よくみしり、その法則をふみて變化する時は、自在、後世の詞に百倍なり。わが門にいれる人ならで、その味はひをしらぬぞ、もどかしき。さすがに、世人、古言をいやしむかと思ふに、さにもあらず。いやしみはせねどもこれを用ひぬは、から人のいはゆる、敬而遠なるべしかし。されど、かく古言の味はひもしらずして、たふとぶは、これ又、たふとばざるに同日の論なるべし。今のよの人、倒語ともしらず/\用ひをる事あり。人の賀に、千とせ・萬よをよむは、その人まことに、千年・萬世を經むと思ふか。おそらくは、しか思ひてよむ人はあらじ。これ、千とせ・よろづよとよむは、百歳にだにあらせまほしき情を思はするわざならずや。よく/\かへりみて、そのひがみをとくべきなり。
中昔にたぐひなしといはるゝ、躬恒・貫之、なにをたふとびたるぞ。みな、上つ世、人麻呂.赤人をこそ、ひじりとはあふぎけめ。さてよみ得たる所、躬恒。貫之が歌、これなり。されば、志は、いか(14)にも/\高からむこそ、めでたかるべけれ。躬恒・貫之を上なしと思はゞ、躬恒・貫之には必劣るべきぞかし。おのれ、歌よまむ人はかくのごとし。歌よまぬ人とても、此集は必つら/\みつべきは、古人倒語を用ひたるあと、古歌・古文ならでは何にかはみむ。まへにもいふがごとく、倒語の妙用は妖氣を掃蕩する御教なれば、歌よむ人よまぬ人によらずこの集、上古の人の倒語のもちひざまを、よく/\みしるべき也。歌よまむ人は、くはしくこの詞づくりをまねびて、おのがよまむ歌は、ひとへに倒語の試とすべし。これ、予が門生にをしふる常なり。
歌のよみざま、詞のつけざまをしらむには、神典の教旨をわきまへざれば、いかに思ふとも、たゞ枝葉たるべし。されば、おのが門生、まづ神典をまねばしむるなり。されど、中には、志なき人、またきゝてもくはしからぬ人は、必そのわざ高からず。やごとなき事しるべし。今の世の心がまへにて、人麻呂・赤人によみ及ばむ事はかたし。予は、そのかみつよの御てぶりに人の心をなし、さて歌よまむに、人麻呂・赤人によみ劣らむやはとはおぼゆる也。これ、神典の御をしへをもとゝする所以なり。今は、千とせあまり、神道は巫祝の間におち、【神祇官は、太政官の上におかれたるに、さるはかなき事にはあらぬ事、思ふべし】國學は、ふることをさくるをわざとせり。神道の教旨、よにかくれたるは、もはら、倒語の道のうしなはれたるがゆゑなり。【くはしくは、古事記燈にいへり。神典すべて、倒語なるがゆゑなり。】よに、いまだ倒語の道のこれりし證は、この集卷五【山上憶良長歌下略】神代欲理云傳介良久虚見倭国者皇神能伊都久志吉國言靈能佐吉播布國等加多利繼伊比都賀比計理今世能人母許等期等目前爾見在知在《カミヨヨリイヒツテケラクソラミツヤマトノクニハスメガミノイツクシキクニコトダマノサキハフクニトカタリツギイヒツカヒケリイマノヨノヒトモコトゴトメノマヘニミタリシリタリ》云々。これなり。この道よにかくれたるは、續日本後紀卷十九に、興福寺の僧、(15)天皇の壽算を賀したてまつれる長歌をのせられて、その後文に、者夫倭歌|之《ノ》體比興(ヲ)爲 先(ト)感2動人情(ヲ)1最在v茲(ニ)矣季世陵遲(ノ)道已墜今至2僧中(ニ)1頗存2古語(ヲ)1可謂d禮失則求c之於野(ニ)u故(ニ)探(テ)而載v之(ヲ)。とみえたる、これなり。かくよにありしも、かくれたりしも、古書に明らかなるを、おのれ、此道をいふ事數十年、人これを信ぜぬは、國史・萬葉をも信ぜずとにや。大かた、おのれが私のごとく聞なす事、わが年比の歎なり。かねて、此書を註しおける事、百卷あまり。ことし、わが門生、世のために梓にものするついで、年比おもへる事、のこさずしるしぬ。わが御國ぶりかしこまむ人は、古事記の燈、この集の燈にことわれるふし/\、くはしくあぢはひて、千とせあまりかくれたる御國ぶりにしたがはねとぞ
 
    文政五年壬午正月     御 杖 識
 
(16)萬葉集卷之一
    雜  歌
泊潮朝倉宮御宇天皇代
 天皇御製歌
高市崗本宮御宇天皇代
 天皇登香具山望國之時御製歌○天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌並短歌○幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌並東歌
明日香川原宮御宇天皇代
 額田王歌 未詳
後崗本宮御宇天皇代
 額田王歌○幸紀伊温泉之時額田王作歌○中皇命往于紀伊温泉之時御歌三首○中大兄三山御歌一首並短歌二昔
近江國大津宮御宇天皇代
 天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌○額田王下近江國時作歌井戸王和歌○天皇遊獵蒲生野時額田王作歌 皇太子答御歌
(17)明日香清御原宮御宇天皇代
 十市皇女參赴於伊勢大神宮時見波多横山巌吹黄刀自作歌○麻績王流於伊勢國伊良虞島之時人哀痛作歌 麻績王聞之感傷和歌○天皇御製歌 或本歌 天皇幸吉野宮時御製歌
藤原宮御宇天皇代
 天皇御製歌○過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌一首並短歌○高市連古人感傷近江舊堵作歌或書高市黒人○幸紀伊國時川島皇子御作歌 阿閇皇女越勢能山時御作歌○幸吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌二首並短歌二首○幸伊勢國之時留京柿本朝臣人麻呂作歌三首 當麻眞人麻呂妻作歌 石上大臣從駕作歌○輕皇子宿安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌一首並短歌四首○藤原宮之役民作歌○從明日香宮遷居藤原宮之後志貴皇子御歌○藤原宮御井歌一首並短歌○大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸紀伊國時歌二首 或本歌〇二年壬寅太上天皇幸參河國時歌長忌寸奥麻呂一首 高市連黒人一首 譽謝女王作歌 長皇子御歌 舍人娘子從駕作歌〇三野連【名闕】入唐時春日藏首老作歌○山上臣憶良在大唐憶本郷作歌○慶雲三年丙午幸難波宮時歌二首 志貴皇子御歌 長皇子御歌○大行天皇幸難波宮時歌四首 置始東人作歌 高安大島身入部王作歌 清江娘子進長皇子歌○太上天皇幸難波宮時歌三首○忍坂部乙麻呂作歌 式部卿藤原宇合 長皇子御歌○大行天皇幸吉野宮時歌 或云天皇御製歌 長屋王歌 和銅元年戊申天皇御製歌 御名部皇女奉和御歌〇三年庚戌春二月從藤原宮遷宇寧樂宮時御輿停長屋原※[しんにょう+向]望故郷御作歌 一書歌○五年壬子夏四月遣長田王伊勢齋宮時山邊御井作歌三首
(18) 寧樂宮
 長皇子與志貴皇子宴於佐紀宮歌 長皇子御歌
 
 
 
(19)萬葉集燈卷之一
             平安 富土谷御杖著
 本集一 其一
    雜  歌
泊瀬朝倉《ハツセアサクラノ》宮(ニ)御宇《アメノシタシラス》天皇(ノ)代 大泊瀬稚武《オホバツセワカタケノ》天皇
 天皇御製歌 雄略天皇也。先學者、この集の端作をしひて、御國よみによめど、もと、からぶみざまにかゝれたるなれば、それもなか/\なるべし。すべて、古註にてあるべき事どもは、ゆづりていはず。
 
籠毛與《カタマモヨ》。美籠母乳《ミガタマモチ》。布久思毛與《フグシモヨ》。美夫君志持《ミフグシモチ》。此岳爾《コノヲカニ》。菜採須兒《ナツマスコ》。家告閇《イヘノラヘ》。名告沙根《ナノラサネ》。虚見津《ソラミツ》。山跡乃國者《ヤマトノクニハ》。押奈戸手《オシナベテ》。吾許曾居《ワレコソヲレ》。師吉名倍手《シキナベテ》。吾己曾座《ワレコソヲレ》。我許曾者《ワレコソハ》。脊齒告目《セトシノラメ》、家乎毛名雄毛《イヘヲモナヲモ》
 
 〔言〕籠は、菜を摘入れむ爲にもてる也。古點、許《コ》とよめるは非也。加多麻とよむべし。古事記上卷|旡間勝間《マナシガツマ》。又古く、加多麻ともみゆ。後世、加多美といへり。許《コ》は、大きなるをいふ名なるべし。(20)神代卷に、大目麁籠《オホマアラコ》あり。布久思は、菜をほりとる具なるべし。和名抄(ニ)云、※[金+纔の旁]唐韻(ニ)云、※[金+纔の旁]音讒。一音※[斬/足]。漢語抄(ニ)云、加奈布久之《カナフグシ》。犂鐵。又士具也とあるは、かねにてつくれる也。されどこと更に、この名あるは、竹木などにてつくれるもある故なるべし。越の海人のかづきにもつを、今も布具世《フグセ》といふとぞ。このもてるは、竹木などしてつくれるにもやありけむ。○毛與。古事記上卷長歌 【上下略】阿波母與賣邇斯阿禮婆《アハモヨメニシアレバ》。顯宗紀の御歌に【上略】奴底喩羅倶慕與《ヌテユラグモヨ》。於岐毎倶羅之慕《オキメクラシモ》。 又|於岐毎慕與《オキメモヨ》。阿甫彌能於岐毎《アフミノオキメ》【下略】などあるに同じ。毛《モ》は、ふたつともに、此女の容儀を主としておかせ給へるにて、この二物もて容儀のすぐれたるを思はしめ給へる也。かくはかなき物をあげ給ひしは、それだにめでたくは、容儀はいかばかりならむ、と思はせむ御詞づくりよく味はふべし。毛《モ》もじふたつあるは、此二物にかぎらぬを思はせ給ふなり。二物ばかりなるを、後世|毛《モ》ふたつおくは麁也。與《ヨ》は、「也經」の也の反なれば、【經とは、經緯の經なり。五十韻をば、亡父つねに、經緯といはせたり。】この集卷二に 我者毛也安見兒得有《ワレハモヤヤスミコエタリ》。とよめるは、詠のやなり。此反にて心つかざりし事をなげく詞也。かゝる物さへめでたからむとはおぼさゞりし御心をしめしたまへる也。ひとへに容儀をほめ給ふなれど、あらはにほめ給へば、却て反を來たすが故ぞかし。○美はたゝへ言也。眞《マ》のかよへる也。わが御國、大かた、ふたつを具する事を貴ぶが故也。この集中、麻傳《マテ》といふ脚結を、【脚結とは、よにいふてにをはなり。亡父がいはせたる名也】左右手《マデ》・左右《マデ》などかけるに思ふべし。ふたつとは、天地の二性を云。くはしくは、古事記燈神典にいへれば略す。以上四句、毛與《モヨ》といふ脚結に、もはらこの女の容儀のたぐひなき事をし(21)めしたまへる也。直言せば、たとひいかばかりいふとも限あるべし。倒語の妙思ふべきなり。古點、この與を下につけて與美とよめるは非也。よきを與美といふ例なし。】○比岳爾 家と名のしられぬ事をしめしたまへるなり。○菜採須兒 この須《ス》を下につけて、古點|須兒《スコ》とよみ、須《ス》は志津《シツ》の約にて、賤女なりといふは誤也。此集卷十七【「長歌上下略】乎登賣良我春菜都麻須等《ヲトメラカワカナツマスト》云々」かく假名書もしたれば、「つますこ」とよむべし。この外此集巻七に「小田刈爲子《ヲダカラスコ》」卷十に「伊渡爲兒《イワタラスコ》」また同卷に「山田守酢兒《ヤマダモラスコ》」などの例なり。この須《ス》をば、佐《サ》とも、志《シ》とも、勢《セ》ともかよはせていへり。古事記上巻に、佐加志賣遠阿理登岐加志※[氏/一]久波志賣遠阿理登伎許志※[氏/一]佐用婆比爾阿理多多斯用婆比邇阿理加用婆勢《サカシメヲアリトキカシテクハシメヲアリトキコシテサヨバヒニアリタタシヨバヒニアリカヨハセ》云々【長歌上。下略】又同卷に阿夜邇那古斐岐許志《アヤニナコヒキコシ》云々同上。また同卷に、毛々那賀邇伊遠斯那世登與美岐多※[氏/一]麻都良世《モモナガニイヲシナセトヨミキタテマツラセ》【同上。上略】また即この長歌のうちに 名告沙根《ナノラサネ》。又この卷のうちに、小松下乃草乎刈核《コマツガシタノカヤヲカラサネ》。などの類いと多し。これは、里言にサセラルといふ詞の本にて、菜をつませらるゝ兒といふ心也。人のするわざを、あがめていふ詞也。後世里言に、サセラルといふは、高貴の人ならねばいはねど、さばかりあがむるにこそあらね、天子より賤女をさしておほせらるべき詞かは、と思ふ人もあるべけれど、上古の人は、貴賤にかゝはらず、人をあがむる事、わが御國ぶりにてふかき理ある串、くはしくは古事記燈神典にいふをみるべし。兒とは、多くは女をさす稱なり。男をもさしていふ事、集中に少からず。「去來子等《イザコドモ》」の類これ也。大かた、子は愛せらるゝ物の極なれば、子を思ふ情のごとく、おもふ心をさとしてさす稱なる也。をぢをばなど稱するも、父母のはらからの如く思ふ心よりい(22)ふなり。これに準じてしるべし。されば、男とても、愛してはいふべけれど、女はことに愛せらるゝ情ふかき物なれば、女をさしたるがいと多き也。縵兒櫻兒などやうに、やがて女の名ともせり。後世、伊勢のこ・中將のこなどいふもこれ也。今もこの遺風あり。これを、御の義といふは非なり。○家告閇 印本、吉閑とある、吉は告、閑は閇の誤にて、乃良敝《ノラヘ》なるべし。能良敝《ノラヘ》は能禮を延たる也といふ説、麁なり。のぶるも、つゞむるも、よしもなくてすべきにあらずかし。良布《ラフ》といふ詞をつけたる詞多し。いはゆる、加敝良布《カヘラフ》・安氣津良布《アゲツラフ》などいふ類これなり。その事の、ひとたびならぬさまを形容する也。されば、これはくはしくいひきかせよとの心なり。此下、名には、のらさねとよみたまひ、家には、かくのらへとあそばしゝは、家は、處も家もまぎらはしければなるべし。「のる」とは、告る事を古くいふ詞也。○名告沙根の沙《サ》は、上にいへるが如し。根《ネ》は、亡父が脚結抄にいはゆる「去倫」の禰にて、いねといふ詞のいをはぶける也。【これらは装《ヨソヒ》の脚結となれる也。くはしく、抄に辯じおけり。】これは「名ををしむな」との心を、根《ネ》とはあそばしゝ也。この家と名を告よとおほせられたる、此大御歌の眼目なり。家と、名をきかせ給ひて、なにゝかせさせ給はむ。心をとゞむべし。後世のいやしき詞づくりにくらべてこの御詞づくりをおもひ奉るべき也。○虚見津 古事記【仁徳天皇の御製】蘇良美津夜麻登能久邇爾《ソラミツヤマトノクニニ》云々。これによりて、四言によむべし。この卷に【人麻呂】天爾滿倭乎置而《ソラニミツヤマトヲオキテ》云々。眞淵は、四言にのみ上つ世はよめるを、人麻呂にいたりて邇《ニ》もじを加へたりといへり。神武天皇の御紀に、至d饒速日(ノ)命乘2天(ノ)磐船(ニ)1而翔c行大虚(ヲ)u也睨(ヂ)2是(ノ)郷(ヲ)1而降之故(ニ)因(テ)目(ケテ)之曰2(23)虚見日本《ソラミツヤマトノ》國(ト)1とあるより冠辭とせる也。紀、また此集にも、やまとゝいふは、今の大和の國也。日本とかきたるも、猶やまとゝよみて、大和の國の事也。日本と書そめしは、いつの頃よりにか。此集にも、一二首ひのもとゝよみたる歌あり。藤原の都のころよりやいひけむ。と同人の説なり。さらば、この 帝の御時、いまだ日本をやまとゝいはねば、これも大和の國の事也。大和をしろしめすといふにて、やがて、日本をしろしめす心になる也。と古説なり。げにしかなれど、しか釋するは、倒語をころすなり。たゞ、大和一國をしろしめすやうにあそばしゝ也。せばきをひろく、廣きをせばくいふは、倒語の法ぞかし。者《ハ》もじは、すべて目にたつ事あるにつけでの歎なり。たゞ、物の分別をたつる詞と心うるは、經緯の「阿緯」の義かくる也。この御教は、我より、わが御名を告させ給はむはいかめしけれど、かくさむとおぼせどもかくされねばなり。此下すべて、この心をえてみるべし。これを御自負のやうにみるは、いとをさなし。たとひ賤女たりとも、勝佐備は【これは自負の事なり。】神典のいさめらるゝ所なるを、いかでかをかしたまはむ。後世のいやしきならひにみまじき也。○押奈戸手 おしは、多かるものにおしわたす挿頭也。【これは、上におく詞の名也。亡父。挿頭・装・脚結と詞をみつにわけて三具といへり。】奈戸は並へ也。これは大和國のうち、郡郷におしわたす心也。手《テ》もじは、くはしく、此下なる藤原宮役民が長歌にいふべし。○吾許曾居 次句の師を、此句につけてをらしとよみ來れゝど、らしの義かなはず。師もじは、次の句の上につけて、しきなべてとよみ、居はをれとよむべし。許曾《コソ》は、多かる事物の中にて、ひとつをとりわけてみする詞にて、そのとりわ(24)くるは、かへりて、そのとり殘せる多物を思はせむがための脚結也。されば、わが御身ひとつをとりわけ給ふは、他の人の此の國にすまぬを羨みおぼす心也。これひとへに、御名のかくしあへ給はぬ故をしめしたまふなり。すべて、多物をしめさむには、その中の一くさをとりわくるにしかず。許曾《コソ》の妙用おもふべし。おほかた、脚結は詞をたすくる用のみならず、多言なるべきを、少言にすべきを專用とす。これ脚結の本然なる也。○師吉名倍手 この吉の字、告につくれるは誤なるべし。師吉《シキ》は、太敷坐などいふが如く、知といふ心なり。高知を高敷といふにてもしるべし。名倍手は、上に同じ。この座をば、宣長はませとよみき。これは、神典にさる例あればなるべし。須佐之男命御みづから、吾御心須賀須賀斯《ワガミココロスガスガシ》。とおほせられ、また八千戈(ノ)神の、御みづから夜知富許能迦微能美許登波《ヤチボコノカミノミコトハ》云々。とよませ給ひしによれば、さる事ともおぼゆれど、もと、神典は神の御心をはかり奉りて、後よりかき、後よりよみたるものなるを、宣長は實録とみたるよりの説なり。御みづから、いかでさはのり給はむ。しかるべからざる事は、古事記燈をみてさとるべし。これは、 帝の御うへなるが故に、家持卿の、心えてしかゝれたるにて、なほ「をれ」とよむべき也。この下、軍王の歌に獨座吾衣手爾《ヒトリヲルワガコロモデニ》。とあるにも思ふべし。句意、畢竟上の二句に同じ。古人かくかさねていふ事多し。これたゞ、詞のみやびにあらず。からぶみの四六體などの如く心えて、先學者これらを詞のあやと思へり。わが御國倒語をこそたふとべ、詞のあやをねがふ事なし。あやのごとくみゆる、いづれもよしある事ぞかし。こゝもいかさまにおぼせど御名をか(25)くし給はむよしなき事を、かへす/\ねもごろに思はせむとの御詞づくりなり。○吾許曾者 今の本、曾《ゾ》を脱せり。一本|曾《ゾ》もじあり。これは、上のふたつの吾をうけて、さる吾こそは、との心也。家をも、名をもつゝまれぬ吾こそはの心にみるべし。許曾《コソ》を三つおかせ給へる、上のふたつは、同じ心也。これは、又そのふたつをうけて、おかせたまへる也。○脊齒告目 古點「せなにはつげめ」とあれど、後世にこそ「せな」とはいへ、古くは「なせ」とのみあり。又「には」の脚結も、上にかなはず。齒は齢と同じければ、「とし」といふ脚結の假名にて、「せとしのらめ」と六言によむべし。これは、眞淵がよめる也。諸説のうち、この説より外に、ことにおもひよれる事もなければ、今これにしたがへり。古の女、脊とすべき人にあらでは、家をも名をもあらはさぬよしは、集中多くみゆれば、我をこそ夫と思ひてのらめ。との心也といふ説あり。これ、この家と名は、猶女の家名としての釋なり。しかも心うべけれど、しか心うれば、上の四句は、御自負となるべし。上に釋しおけるが如く、許曾《コソ》の義、御みづからひとりをとりわけ給へるは、他の人をうらやみ給ふ御心しるきによれば、此脊としのらめは、脊がましくていとをこがましけれど、我よりまづ、家をも名をものらめとおほせられたるにて、此終の「家をも名をも」は、御みづからのうへなるべくおぼし。 帝にして、家とおほせられむは、あるまじき事の如く心うる人もあるべけれど、御みづから、たゝへ名はいかゞおほせられむ。家とおほせられむ事、何かはふさはしからざらむ。しかのみならず、女の家名をきこしめさぬ程は、我も御名は告じとおぼせど、此國におはします事、人(26)もしりてかくし給はむよしのなきが故に、夫めきていとをこがましけれど、やむ事をえず、吾よりこそは、家をも名をもさきに告めと思ふぞ。とあそばしし也。はじめに、女に家名をのれとよませ給ひ、さて我より家名をのらめとおほせられしは、ひとへに、女の家名を促し給ふ也。さきに御名を告たまはむに、いかでか、女の名をつゝみあへまし。上古の詞づくり思ふべし。されば「やまとの國は」「われこそをれ云々」の四句も、所詮は、女の家名を促かさむがための御詞づくりとしるべし。
〔靈〕この御製、野に出まして、菜つむ女をみそなはして、御志を告させ給ひし大御歌也。しかるをたゞ家と名をのれとのみよみふせ給ひ、御みづからの御名のかくしがたき故をもて、促したまひし御詞のつけざま、めでたしといはむもかしこし。もし、これを詞のうへばかりとみば、女の家名をきかせ給ひて、何にかはせさせ給はむ。これ、家所をきこしめさば、めしにつかはし給はむとの御詞づくりならずや。かばかりの賤女めさるべきにたはやすかるべき事なるを、猶かく、倒語の大御歌をたびまして、此 帝いとたけくおはしけむにも事たがひて、いよ/\かしこし。大かた人の心を先とする事、わが御國ぶりなれば、上古にはかゝる事さへ有りけり。上古の風のかしこさをも、後のよのいふかひなさをも、この大御歌にておもひしるべし。
 
高市崗本宮《タケチヲカモトノミヤ》御宇天皇代 息長足日廣額天皇
(27) 天皇登2香具山1望國之時御製歎
   これは舒明天皇なり。
 
山常庭《ヤマトニハ》。村山有等《ムラヤマアリト》。耽與呂布《トリヨロフ》。天乃香具山《アメノカクヤマ》。騰立《ノボリタチ》。國見乎爲者《クニミヲスレバ》。國原波《クニバラハ》。煙立籠《ケフリタチコメ》。海原波《ウナバラハ》。加萬目立多都《カマメタチタツ》。可怜國曾《ウマシクニゾ》。蜻島《アキツシマ》。八間跡能國者《ヤマトノクニハ》。
 
〔言〕山常庭とは、他の國にむかへたる也。山常は假名にて、大和一國の事也。○村山有等 これを「あれど』とよみ來れゝど、等《ト》もじ清音なれば、「ありと」とよむべし。ありとは、ありとての心なり。濁音に清音を用ひたる例もあれど、清《スミ》ては心えがたき歌こそあれとて、かくはいふなり。村は群なり。群山あれば、望をさふる物なれば也。○取與呂布 とりは手に取持ちもしたらむやうなる形容の挿頭也。與呂布は、具足の義にて、何も具足したる香具山なればとの心なり。山の中にも、いと高き香來山といふべきを、高きばかりにいはずして、取與呂布とはおほせられたる也。この取よろふといふ中に、高き事を思はせたる也。高き事ここの專用なるに、かくいふ上古の詞づかひおもふべし。○國見乎爲者 神武天皇の御紀に、※[口+兼]間《ホヽマノ》丘にて國見したまひしを濫觴とす。これは高き處より見て、國のさまを察し給ひしなり。たゞ眺望のためにあらざる事、かの御紀の文にしるし。○國原波 はらとは、字彙に遇玄(ノ)切。音元。本也。説文(ニ)高平(ヲ)曰v原(ト)。人(ノ)所v登也。李巡(ガ)曰、土地寛博(ニシテ)而平正(ナルヲ)名(ケテ)之曰v原(ト)。即今|所謂《イハユル》曠野也。とみゆ。たひらかにひろき所をいふ名(28)也。波《ハ》もじは、まへにもいひしごとく、おのづからさる分別あるを歎ずる義也。後世、脚結のもちひざま麁になれるは、これにかぎらぬ事ながら、つね多く用ふる脚結は、ことに思はず麁になれる事甚しければ、おどろかしおく也。○煙立籠 これは人家のかまどにたつる煙なり。かの後世 仁徳天皇の御製とあやまれる「たかどのにのぼりてみれば云々」の歌、【日本紀竟宴に、この 帝を得て時平のおとどのよませたまへる也、】「たみのかまど云々」は、これらをまねばれたるなるべし。○海原波 こゝより海みえずなど古説あれど、なにはのかたなどはみゆるなるべし。○加萬目立多都 和名抄(ニ)云、唐韻云。鴎。和名加毛米とあり。上つ世には、かまめとも、かもめともいひけらし。此集卷三「【長歌上下略】奥邊波鴨妻喚《オキベハカモメヨバヒ》」ともよめり。【これは、鴨(ノ)君足人が歌也。高市皇子薨じたまひて後よめるなるべければ、時代思ふべし。】土佐日記に、今し、かもめむれゐてあそぶ所あり云々。契沖、海上舟の往來しげくて、にぎはふさま也といひし、隨ふべし。舟のゆきゝしげきに驚て、鴎のたつさま也。たちたつは、たちにたつの心にて、たえずたつをいふ。里のにぎはひを、煙に詞をつけ、海のにぎはひを、鴎に詞をつけさせ給へるめでたさ、よく/\思ふべし。○可怜國曾 今の本、怜※[立心偏+可]とあり。顛倒にや。この※[立心偏+可]の字は、字書にみえず。怜は、字彙に離星切。音陵。了慧也。俗作v憐。愛之憐非也とあり。神代卷に、可怜小汀とあるによれば、※[立心偏+可]は可の誤にて、うましとよむべし。古點おもしろきとよみたる、さる事なれど、おもしろしとは、古語拾遺に衆(ノ)面皆白と註したるはうけがたし。物を賞して目をはなたねば、わが面輪のかくれなく人にしるきをいふ義也。わが面のしるきにて、物にめをはなたぬを形容したる詞也。しろきは、しる(29)きの心なり。紀に、灼然をいちじろしとよみ、又此集に、川とほしろしとよめり。遠ながらしるくみゆる心也。【紀に、大の字をとほしろしと訓じたるも、大なるものは、遠ながらしるければ也。】又「うまし」は神代卷に可美葦牙彦舅神。なほ所々みゆ。古事記上卷味御路などもみえて、もと食味の旨きより形容する詞也。されば、そのあはれと思ふ所はひとしけれど、その義うましの方切なるをおもふべし。曾《ゾ》は、里言にジヤゾといふ心にて、大かた、此大和國をば、是までかばかりよき國ともおぼさゞりしを、今この國のうまきに御心を循へ給ふ心なり。この曾《ゾ》もじ、此大御歌の眼なり。靈にてらして、後世ぞもじを用ふるをさなさを思ひしるべし。深く、此國のよさをよろこび給ひし也。○蜻島 この名かの 神武天皇の御紀國見したまひし時よりおこれり。因(テ)登2腋上※[口+兼]間丘《ワキガミノホホマノヲカニ》1而廻2望國(ノ)状(ヲ)1曰※[女+研の旁]哉乎《アナニエヤ》國(ヲ)之|獲《エキ》矣雖2内木綿之眞※[しんにょう+乍]《ウツユフノマサキ》國(ト)1猶如2蜻蛉之臀※[口+占]《アキツノトナメセルガ》1焉由(テ)v是(ニ)始(テ)有2秋津洲之號《アキツシマノナ》1也。この語、後世國の形とみあやまれり。雖・猶などのもじは、いかにみてならん。をさなし。これ、深き理あり。此御歌に用なければはぶきぬ。此二句はもと、可怜國曾の上にあるべき句なれど、かく倒置し給へるは、標實をはかりて也。標たるべき事は、まづいふならひ也。姓をさき、諱を後にいふが如し。【姓は數世にわたり、諱はその世の主一人なり。これ先後の所以すなはち標實の心也。てらして思ふべし。】詞の所置、此標實をはかりておかざれば、語をなさゞる也。者もじは、此國のうまき事 他國の類にあらぬ事を、歎じ給へるなり。
〔靈〕この御製はもと、國見は 神武天皇の御紀國見し給ひし所に巡幸とあれど、國見は御國ぶり也。巡狩はからぶり也。もはら、安民の事に御心を勞し給ふより國見し給ふに、里のみならず、海上(30)までもにぎはへるを御覧じて、ふかくよろこばせ給へる大御歌なれど、しか直におほせられては御徳をかゞやかし給ふになりぬべきがゆゑに、此國もとより人力をからずして、安く豐なる國也とはじめてしろしめして、これまで御うつくしみあまねからざらむか。といたづらに御思を費し給ひし事よ。と悔おぼしめす心にあそばしゝ也。御詞のつけざま、後世の人の思ひもよるまじき事、かしこしともよのつねなるかな。たゞ、國の本然にゆづりたまへども、實は、此 帝の御うつくしみ深きにかくにぎはふを、いさゝかも慢じたまふふしなきこの御詞ざま、ありがたきまでおぼゆる大御歌なりかし。
 
天皇遊2獵内野(ニ)1之時|中《ナカノ》皇女(ノ)命使(シテ)2間人連老《ハシウドノムラジオユヲ》1獻歌
 
 内野は、大和國宇智(ノ)郡也。中皇女命は 舒明天皇の皇女なり。のちに、孝徳天皇の后となり給ひ、間人《ハシウドノ》皇后と申し奉れり。されば、今の本、皇の下、女の字を脱せる事疑なし。此老は、 孝徳天皇の御紀に、中臣間人(ノ)連老とみゆ。此皇女の御乳母方とぞ。此御歌は、御獵に出たゝせ給ふ時老をして、後宮より奉られしなるべし。
 
八隅知之《ヤスミシシ》。我大王乃《ワカオホキミノ》。朝庭《アシタニハ》。取撫賜《トリナデタマヒ》。夕庭《ユフベニハ》。伊縁立之《イヨセタテシ》。御執乃《ミトラシノ》。梓弓之《アヅサノユミノ》。奈加弭乃《ナガハズノ》。音爲奈利《オトスナリ》。朝獵爾《アサカリニ》、今立須良思《イマタヽスラシ》。暮獵爾《ユフカリニ》。今他田渚良之《イマタタスラシ》。御執《ミトラシノ》。梓能弓之《アヅサノユミノ》。(31)奈加弭乃《ナガハズノ》。音爲奈里《オトスナリ》。
〔言〕八隅知之 此冠辭 仁徳天皇の御紀にはじめて見えて、紀中にも、此集中にも多し。眞淵は八隅といふ事からめきたりとて、此集卷一よりはじめて、かた/”\に安見知之《ヤスミシシ》とかきたるを正しとして、天下を安見し給ふ心かといへり。卷二に、内大臣藤原卿娶2采女|安見兒《ヤスミコヲ》1時|我者毛也安見兒得有《ワレハモヤヤスミコエタリ》云々。とあるに例せられたり。此説いとみやびては聞ゆれど、天下とも國ともいはずして、安見しゝといはむ事、いかならむ。猶古語のごとく、八隅をしろしめす心にや。八卦をはじめ、から人八を貴ぶが故に、からめきたるやうなれば、すでに、八雲・八重などは、「いや」の義とすれど「いや」はいやふたならび、いやます/\になど用の詞にこそ冠れ。體にかぶるべき詞にあらぬをや。されば、神典に八の字を用ひられたる、いづれも猶、八の數にて、頭胸腹陰左右の手足と一身を八處にかぞへられたるを本とし、一天下をも八島とす。くはしくは、古事記燈にみるべし。ひたぶるにからざまともいひがたし。こゝをもて思へば、猶八隅をしろしめす心にこそ。「しゝ」の上のしもじは、知の義也。下のしもじは、去倫のしにあらず。【よにいふ、過去のしの事也。】上にいへる須佐世《スサセ》などのかよひにて、知らせらるゝといふ心也。【以緯はすべて、用を體にする義也。されば、これもしろしめすになりて、おはしますといふほどの心也。】○朝庭 ふたつの爾波は、わざと朝夕のうへばかりにいひて終日終夜のさまを思はせられたる也。朝にけになどよむ皆終日を思はする也。取撫は御弓をふかく愛し給ふさまを云也。伊縁立之 これ又、大切に直し置給ふさま也。古點は、「いよせたてゝし」とよめれど、てもじあるにも及ばぬ所なれば、六言によ(32)むべし。よせたつといふ詞、大切にする義はなけれど、御手をはなさせ給ふまゝに撫おかせ給ふにむかへて、此義を思ふべし。伊はいきづきならし・いはひもとほり・いかくるゝまで・いたゝせりけむなど、つねに多く冠らせたる詞也。【先學者、發語といふは、例の麁也。隨筆にくはしくいへり。】又人の名の下に、伊をつけていふ事、此集中に、志斐伊《シヒイ》とよみ、續日本紀宣命に、道鏡|伊《イ》とあり。これは、道鏡伊は、人の陰へおしやる心也。志斐伊は、人の陰へみづからかくるゝ心にて、とがむる心と、謙遜の心とはなる也。詞の上につくるも此義にて、二事ある物を、一事を陰にしてみせむが爲也。伊をつけざれば二事ならびてみゆべければ也。よせたて給ひし御わざの、今御獵にもたせ給ふ陰になりてあるをしめし給へる也。○御執乃 御手にもたせらるゝ御弓なるをいふ也。御劔を御はかしといひ御衣をみけしといふに同じ。「し」はまへにいへる「せらるゝ」の心也。延喜式に、御弓は梓なるよしみえたり。○奈加弭乃 加は利の誤にて、鳴弭の心かといふ説あれど、なり弭といふべくもおぼえず。弦のあたりて鳴るはうら弭にて、うら弭は下弭より長ければ、もし長弭といふにやあらむ。音爲奈利とは、御かりに出給はむとて、御弦打し給ふが、後宮へきこゆる也。奈利《ナリ》は、すべて耳にたち、目にたつ事をいふ脚結にて、その耳目にたつは、それにつけてふかく心にあたる事あるをしめす也。この脚結に、言靈はむねとこめたまへり。おぼしめす情をばおほせられずして、たゞ弭音のいたく御耳にたつよしを、奈利《ナリ》をもて思はせ給ひし也。○朝獵爾 たたすらしは、立出させ給ふらしきとの心也。四句ただいひかへられたる句のやうなれどしからず。朝がりに今たゝす(33)らしは、無子細。夕がりに今たゝすらしとは、夕獵をもしたまはむとて、今より出たち給ふらしとの心也。なにのゆゑもなきやうにみゆれど、朝がりばかりにてかへり給はむだに待どほなるに、もし夕獵をさへおぼしてならば、いかに還御のまち遠にわびしからむ。とおぼす御心也。良之は集中に良之伎とよめる、此きもじのはぶかりたるにて、さだかにしかりとは知られねど、十に五六も、さならむとおぼゆるをいふ脚結也。○御執 この三句は、かさねさせ給へる也。古人かくかさねていふは、必そこが一首の主意ある所也。一たびいひていひあかねば、今一たびいふ也。さらに姿にあづかる事にあらず。かくかさぬるは、その句意に、人のめをしてとゞめしめむがための句法也としるべし。されば一首の御心もはらこゝにあるなり。
〔靈〕この御歌、表は、たゞ御弓の弭音にて、御かりに出たゝせ給ふ事をおぼす御心によみふせ給へれど、たゞ、さばかりよしもなき事を、わざと老して奉られむやうなし。されば、その所以をたづぬるに、朝暮寵せられ給ふは、われも御弓もひとしきに、御弓は、けふも御手をはなれずしてゆくがうらやましき心に御詞をつけられたるにて、父 帝にしばしもはなれ居たまはむ事わびしけれど、女の御身なれば、御かりの御供もせられ給はず、朝がりばかりだに、還御の待久しからむに、夕がりまでをかけておはしまさば、いかにけふをくらさむ。ともはら〔三字傍点〕父 帝をしたひたまふ御心より、いかではやくかへらせ給へ。と申し給ひし也。されど、はやくかへらせたまへとはおほせらるべき事にあらざるがゆゑに、たゞ御弭音の耳だつよしによみなし給へる、まことにめでた(34)しとも、あはれともいはゞなか/\なるべし。大かた、父母をしたふは子の常なれば、直言すともいかゞあらむと思ふは凡情也。子としてあはれなる事なれど、直にいへば、必御心に入るまじきが故に、かく思はぬ方に詞をつけて、あはれと察したまはむ事をまつ。これわが御國ぶり也。この御歌、御詞のつけざまことに、及がたき境なり。學者よく/\此妙處をしるべし。
 
     反   歌
 かへし歌は、長歌にあかねば、さらにかへしてよむ也。されば、長歌の心をふたゝびもよみ、又長歌にのこれる事をもよむさま/\なり。
 
玉刻春《タマキハル》。内乃大野爾《ウチノオホヌニ》。馬數而《ウマナベテ》。朝布麻須等六《アサフマスラム》。其草深野《ソノクサフカヌ》
 
〔言〕玉刻春は、玉は魂なり。きはるは、きはまるにて、人うまるゝよりながらふる涯《カギリ》をかけて、内の冠とす。後人命の今終る極《キハミ》をいふと心うるは非なり。此集卷五に、靈尅内限者平氣久《タマキハルウチノカギリハタヒラケク》云々。といふ歌の憶良朝臣が自序に、瞻浮洲人壽百二十歳。謹案此數非必不v得v過(ルコト)v此(ニ)云々。とはるかに百二十歳を生涯とするを思ふべし。こといみせぬかみつ世ながら、さるいまはしき事ならば、人名のうへにも冠らせたまはじ。と眞淵はいへり。【玉きはるうちのあそこれ也。その外いのち・いく世・世などつゞけたり。】○内乃大野爾 この爾《ニ》もじを思ふに、岡本宮よりは程ある所なるべし。近き所ならばとおぼす御心しるし。○馬數而 從者と御馬をならべたまひて也。數は心えてかゝれたる也。鳥しゝをふみおこすに、馬多けれ(35)ば、鳥しゝも多かるべきをおぼす也。○朝布麻須等六 此集卷六に、朝獵爾十六履起之夕狩爾十里※[足+(日/羽)]立馬並而御獵曾立爲《アサガリニシシフミオコシユフガリニトリフミタテウマナベテミカリゾタタス》【長歌上下略】。鳥しゝなどの、草にかくれふせるをふみおこし、ふみたつるを云。夕かりまでもおはすらむ事は、今はかりがたければ、朝ふますらむとはおほせられし也。鳥しゝなど多からば、必夕※[獣偏+葛]までもおはさむかとおぼす御心こもれり。長歌にてらしてみるべし。須《ス》はせらるゝの心なり。等六《ラム》は、これを中の「らむ」と云。うちあひなくて、詞の中におくなり。その事たしかならぬ時にいふ也。○其草深野 其とは、人のしれるものを、そのまゝにさす詞也。されば、上なる内野即その野をさす也とのさとし也。草深野は、古點くさふけ野とよめれど、「衣緯」へかよはす義こゝにかなはねば、草ふかぬとよむべし。草深く生たる野といふ也。集中に、草深ゆりあり。これも同じ。此四の御句にてありぬべきに、この一句を添られたるは、草深き野は鳥しゝなどもいと多くかくれたるべければ、けふの御かり御獲物おほくて、御興盡ざるべしとおぼす御心より添たまへる也。さらでもけふ御かたはらをはなれゐたまふがわびしきに。御興盡ざらば、いかに還御も遲からむ。夕かりまでも必おはすべし。とその待どほさを侘たまへるなり。
〔靈〕長歌には、御供もせられ給はで、けふ一日御かたはらにも侍りたまはぬわびしさをよませ給ひ、此反歌には、還御遲からむ事を申したまへる也。されど、とくかへらせ給はむ事をそゝのかしたまへるは同じ心也。しかるに、御みづからこそさやうにはおぼせ、帝は御かりの興もふかくおはしまさむに、とくかへらせたまへなど、あらはにはいふべからねば 草ふかくて鳥しゝなど多く(36)御興いかにますらむ。とたゞ御かりばのさまをおぼしやりたるばかりのやうにも、又草ふかくて御輿盡ざるべきをうらみたまへるやうにも、よみふせ給へる御心のうち、おしはかられてあはれ限なし。これはひとへに、御詞のつけざまの妙なりかし。すべて上古の人の詞の、ことにめでたきは、かくいづれともいひかためられずして、さま/”\にみゆる、これ詞を用ふるいたりなる也。
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幸《イデマシ》2讃岐《サヌきノ》國|安益《アヤノ》郡(ニ)1時軍王見(テ)v山(ヲ)作歌
 
舒明天皇の御紀に、十一年十二月、伊豫の湯宮に幸して、明年四月還ましゝ事あり。その春、ついでに讃岐におはしゝなるべし。軍王とは、供奉の軍をつかさどる人なるべし。姓名しられず。
 
霞立《カスミタツ》。長春日乃《ナガキハルビノ》。晩家流《クレニケル》。和豆肝之良受《ワツキモシラズ》。村肝乃《ムラギモノ》。心乎痛《コヽロヲイタミ》。奴要子鳥《ヌエコドリ》。卜歎居者《ウラナゲヲレバ》。珠手次《タマダスキ》。懸乃宜久《カケノヨロシク》。遠神《トホツカミ》。吾大王乃《ワガオホキミノ》。行幸能《イデマシノ》。山越風乃《ヤマコスカゼノ》。獨座《ヒトリヲル》。吾衣手爾《ワガコロモデニ》。朝夕爾。《アサヨヒニ》。還比奴禮婆《カヘラヒヌレバ》。丈夫登《マスラヲト》。念有我母《オモヘルワレモ》。草枕《クサマクラ》。客之有者《タビニシアレバ》。思遣《オモヒヤル》。鶴寸乎白土《タヅキヲシラニ》。綱能浦之《ツヌノウラノ》。海處女等之《ヲトメラガ》。燒鹽乃《ヤクシホノ》。念曾所燒《オモヒゾヤクル》。吾下情《ワガシヅゴヽロ》。
 
〔言〕 霞立は、春日のさまを云。これは、冠詞にはあらねど、かゝるたぐひ多し。かはづなく井手、千どりなく佐保などこの類也。されど、心得は冠詞に同じく、必いふべき事あるにかへたる物也。と心うべき也。かふるは、人の心にさはれば也。こゝは、行幸をうらむ樣になれば也。之、冠詞の心得なり。(37)これは、かくかすめる春の長日は、心もうきたつならひなるに、との心にかへたるなり。○長春日乃 日のうちだに長きに、夜へさへかけて物思ふを云。これ、晩家流和豆肝之良受といへる心也。和豆支はわきづきなり。たづきは、つきといふにたをそへたるなり。此詞も似たれど、これは分別の事なるべし。○村肝乃 心のむら肝、古語區々なれど、心よからず。今按、群がりの「がり」をつゞむればぎとなれば、群がり物といふにや。心とつゞけたるは、こゝだといふ心につゞきたるにて、群がり物多きとの心なるべし。肝むかふ心とつゞけるもあれば、猶その類にやともおぼゆれど、それはことにや心うべき。乎《ヲ》は美《ミ》のうちあひにて、美《ミ》は牟《ム》のかよひたる也。牟は「がる」といふ心なる事、かなしむ、あはれむなどに思ふべし。されば、美《ミ》は「以緯」の音なれば、がりの心にて、心を痛がりの心なり。この故に、美《ミ》は乎《ヲ》をうちあはせたるが多き也。亡父成章、乎《ヲ》を賀《ガ》とし、美《ミ》をサニに譯したるは、この義を心えてあてたる也。「わがせしがごとうるはしみせよ」と伊勢物語によめる美《ミ》をも思ふべし。痛しとは、里言にヒドイ・キツイなどいふ義にて、心の堪がたき也。これ即郷思ゆゑの事なれど、何の故ともいはぬ古言のさま思ふべし。○奴要子鳥 和名抄(ニ)云、唐韻(ニ)云、※[空+鳥]音空。漢語抄(ニ)云、沼江、恠鳥也とみゆ。※[空+鳥]がなくねは、恨みなくが如くなればつゞけたりと眞淵はいへり。この集卷十七に「宇良奈氣之都追《ウラナゲシツツ》」とよめれば、こゝの卜歎も「うらなげをれば」とよむべし。しのびになげくをたとへていふ也。これ、供奉なれば也。はゞかりたるさまをいふ也。うらは、すべてうらがなし、うらごひしなど、いづれもそのわざを表にいでぬ事をいへり。(38)〇珠手次 懸の冠なり。懸のよろしくとは、双方をかけていふによろしきなり。宜しとは、里言にチョウドヨイといふ心にて、後世よき事をいふはたがへり。源氏物語に「よろしきことにだに、かゝるわかれのかなしからぬはなきを、ましてあはれにいふかひなし」とあるは、常人のうへにだにといふを、倒語にかける也。あまり種姓たかきは、なか/\まじらひもせばき物なれば也。宜久の久《ク》は、支《キ》とあるべきやうにおぼゆれど、よろしくましますわが大君といふ心に、久《ク》とはいふ也。字緯の義をあきらめなば、久《ク》といふべき理は思ひしらるべし。さて、村肝乃・奴要子鳥・珠手次のみつを置たる心は、村肝乃・奴要子鳥のふたつは、供奉といひ、軍王なれば、めゝしからじと郷思をあらはにも歎かれぬよしを思はせむとて、かへたる也。珠手次は、 天皇の御徳をつばらにたたへまほしけれど、諂がましければ、かへたる也。○遠神 この遠は、人倫に遠きをあがめいふといふ説はうけがたし。遠つおやなどいふ心にて、 みかどの遠つ御祖神たちをいふ也。その神たちの妙用と、今の 帝の妙用をかくるによろしくますをいふ也。されば、この行幸の供奉も勞をわすれてつかふまつるよしを思はせむがため也。これ、此郷思はいさゝかもおこるまじき所以をしめす也。かゝる心なくては、無益の語なるを思ふべし。○吾大王乃 これまた、山越風乃云々といひて、事たりぬべきを、かくこと/”\しくいへるは、私の旅ならば、郷思にたへずは、やがても歸るべきに、さはせられぬ所以をおもはせたる也。山越風は、古訓やまごしの風とよめれど、もじの數もあまり、かつ、山こす風ともいふべければ、しかよむべし。山越としもいふは、ことに(39)身に寒きをさとす也。供奉數月に及びて、郷思しきりなるを、此山越風のこれまでのつゝしみをやぶらすべきが恨めしきやうによめる也。されど、郷思のすぢをもうらめしともいはで、たゞ山かぜの衣手にかへらふとばかりよめる、妙也。古人の詞のつけざま、これにてもおもふべし。これを思へば、春もいまだ初春なりけるにや、二月も猶寒き年多ければ、二月にや。この乃もじ心をつくべし。此山風しも、わがつゝしみを破らするやうに置たる脚結也。しかれども、情はこの山風のわざにはあらで、月比旅にあるより、郷思しのびがたきを、山風のわざのやうになしたる「の」もじにて、これ、此一首の手段の本也。○獨座 妹とふたり寢ば、かゝる餘寒の風も寒からじと思ふよりいへるなれど、たゞひとりをるとのみいひて、妹などもいはぬ、いとめでたし。○朝夕爾 これをあさよひに、とのみ眞淵一派はよめど、それは假名書の例もあるによりたるながら、あさよひは、日の始・夜の始をもて終日終夜の事をいふべき時こそあれ。一日の始終をいはゞあさゆふともいふべき也。あさゆふといふは、一日の始終をつくして、夜をおもはする也としるべし。○還比奴禮婆 らふは、るの約といふ説は詞に麁也。「る」は「る」也。「らふ」は「らふ」也。上の乃良倍の良倍に同じ詞なれど、これは、花散相《ハナチラフ》・天霧相《アマギラフ》などいふにおなじく、かへりあふをつゞめたる也。頻に吹かへるさま也。ひとたび吹かへるだに堪がたきに、との心をもちていふ也。今は家にかへらまほしくおもひをるに、風の吹かへらへば、かけのよろしくとはいへる也、といふ説理なし。これを歸るによせたりとみるは、後世心なり。ことにかけのよろしくといふを、こゝにかけ(40)てみたるは、いかなる誤ぞや。すべて、古歌・古文を、後世のいやしき詞づくりのならひにみまじき也。先學者の註、をり/\此弊みゆ。奴《ヌ》もじは、一たび二たびふく程は堪てもゐし事を思はせむがため也。○丈夫登 めゝしき事を思はせたる也。われとわがうへを引揚て、さてつよくおとす爲也。これにかぎらず、集中多き詞也。古人詞のつけやうの精しき事おもふべし。これを、抑揚の法といふ。この人軍王なれば、いよ/\めでたし。おもへるとは、後をかけて丈夫と思ひしを云也。今そのたがふが故也。おもひしとよむには、いたくたがへり。よく思ふべし。これ、「衣緯」へかよはす義也。母《モ》は丈夫と思はぬ人に我をもてよせていふ也。されば、丈夫とおもはぬ人ならば、さもあるべきにといふべきを、母《モ》にてはぶけるなり。○草枕 たびには枕なければ、草をむすびて枕とすれば旅の冠とする也。これは、旅は物わびしく、不自由の事ども多かるよしを、此冠にかへたるなり。之《シ》もじは、この一すぢをたてゝおもく思はせむがため也。よにこれを助字といふ、例の麁なり。この之《シ》もじあるすぢは、一首のむねとなるすぢなるをや。○思遣 後世は想像の事にいへど、古はたゞ遣悶の心にのみいへり。此郷思をはるけやる心也。これまた思ひやるとのみいひて、郷思をあらはにいはぬ、哀なり。○鶴寸乎白土 たづきの「た」は、添へたるにて、つきもしらぬといふ也。「た」はたより。たやすくなどの「た」なり。いづれのすぢにつかば、思ひやられむともしられぬを云。鶴《タヅ》は、たづの假名也。寸は一寸・二寸をひとき・ふたきといへば也。今馬のたけをいふにのみ此名のこれり。白土は里言にシラヌノデといふ心也。中昔よりはいはぬ詞となれり。上古の詞はすなほ(41)にて後世は詞もひらけたりと思ふは、くはしくしらぬ也。かゝる詞の、後世絶たるは、いと不自由の事也。かくいはでかなはぬ所多きものなるをや。爾《ニ》は奴《ヌ》のかよへる也。されど、やがて奴《ヌ》の義とする説は麁なり。「伊緯」にかよはせたるは、ヌノデといふ心にせむがため也。土《ニ》はつちの古名也。乎《ヲ》もじの義は思ひはるけむたづきはしらるべきに、そのたづきだにしられぬをいふ。すべて、乎《ヲ》は、必しかあるべき事をしかするをいふ脚結也。○綱能浦之 古訓「あみのうら」とよめるは誤なり。つのゝ浦なり。綱はつなゝるを「の」にかよはせたる也。神祇式に讃岐國|綱丁《ツノヽヨホロ》。和名抄(ニ)云、同國|鵜足(ノ)郡津野(ノ)郷あり。これ也。古訓は網の字にあやまれるなるべし。こゝは、よせなれど、即その國の所の名を用ひたる也。燒鹽乃の乃《ノ》もじは、ノ如クといふ心なり。よせも猶冠詞の長きにて心得は同じ。かくよめるは郷思しきりなれど歸る事もかなはず、供奉といひ、軍王なれば、ほにいでゝだに歎かれぬくるしさをいふべきに、はゞかりてかへたる也。○念曾所燒 おもひのやくるといふにはあらず。思ひやくるといふ間に、曾《ゾ》もじのくはゝりたる也。下に、吾下情とあるに思ふべし。わが下情のおもひやくる也。思ひやくるとは、おもひいられて、こがるゝが如きを云。古今集に「むねはしり火に心やけをり」などよめるに同じ。曾《ゾ》もじ、此一首の眼なり。供奉といひ、丈夫といひ、かく思ひやくる事、いとも/\すぢなき事よとの心をいふ也。そふまじきすぢにそふ歎也。よに治定の詞などいふは麁也。○吾下情 しづえ・しづ鞍などの例にて、しづ心とよむべし。したの心ともいへば、古點の如く、した心ともいふべくはあれど、後世(42)も「おもひわづらふしづ心かな」ともよめるをや。しづ心を、後世、鎮心の義として、しづ心なきなどよむは中昔よりの事也。こゝは、うはべはしひてますらをづくりてをるをおもはするなり。
〔靈〕この歌もはら、客中數月に及びて郷思たへがたきをよめるなり。しかるに、行幸の供奉をいとふにおちむ事をおそりて、ただ山風のさむさにそゝのかされたるやうに詞をつけ、もとわが心から思ひやくるを、おもひかけぬ郷思のせらるゝやうによみふせたる、哀也。家の戀しさをあくまでいはまほしけれど、直にいへば、供奉の身にそむくが故に、山風さむきより、わがつゝしみをやぶれるを歎きたる歌としたる、その心のうちのくるしさおしはからるかし。されば、いふべからずとしりて、いはでやまるゝばかりの情は歌になるべき物にあらずとしるべき也。大かた歌はすべて人にむかはずしてよむものにあらざる事、もと言語にひとしければ也。【この事、大むねにくはしくいへり。】この故に、此歌もひとり言にはあらで、家人に贈れるなるべし。
 
     反   歌
山越乃《ヤマゴシノ》。風乎時自見《カゼヲトキシミ》。寢夜不落《ヌルヨオチズ》。家在妹乎《イヘナルイモヲ》。懸而小竹櫃《カケテシヌビツ》
 
〔言〕山越の風、長歌に同じ。かく乎《ヲ》・見《ミ》とよめるは、長歌にいへるが如く、山かぜの所爲になさむがため也。○寢夜不落とは、連夜なり。一夜だに間もあるべきにとの心なり。○家在妹乎 この乎《ヲ》(43)もじの心は、たま/\はしのぶとも、連夜しのぶべき事ならざる妹をとの心なり。懸而とは、すべてかくまじき理なる物を、かくるをいふ也。上のかけのよろしくもこの義也。供奉を大切に思ふ心、一途たるべきわが心に、妹をかくるが故にいふ也。こゝろにかけ、詞にかくるをいふ也。こゝは心にかくる也。しぬぶとは慕ふ也。堪忍をもしぬぶと云。しぬぶといふ詞の本は、堪忍の事にて、こひしきをも堪忍べばなり。堪忍ぶをもて、したふをおもはする詞也。わが御國言にはかうやうなるが多し。津《ツ》もじは、つくまじき所へつくをいふ脚結なり。されば、供奉をこそ片時もわするまじけれ。家なる妹を連夜しぬぶべき事かは。とみづから歎きたる心也。乎《ヲ》といひ懸而といふに應ずるをおもふべし。
〔靈〕この反歌は、長歌には、朝夕とありて夜の事なければ也。されども、歌は猶長歌に同じく、月頃の郷思を山風におほせ、妹をしぬぶをさるまじき車に、みづからもどきたるによみふせたる事、津《ツ》もじにしるべし。古註みなたゞ、ぬる夜おちず妹をしぬぶといふ心とのみ思ひしは脚結にくらきがゆゑなり。長歌・この反歌、言々句々、行幸の供奉を一途に大切におもへる詞づくり也。めをとゞめてみるべし。されば、供奉の心のうすくなるがなげかしき事をひたぶるによみふせたる物也。しか、はゞかる事つよきが故に、心ぐるしさます/\つよき也けり。これ、歌の本然、言靈のさきはひ給ふ所以ぞかし。家人この歌をみば、いかばりうれしとも、あはれともおもひけむかし。
 
右検2日本書紀(ヲ)1無v幸2於讃岐(ノ)國(ニ)1亦軍王(モ)未v詳也但山上(ノ)憶良(ノ)大夫(ノ)類聚歌林(ニ)曰天皇十一年巳亥(ノ)冬十二(44)月己巳(ノ)朔壬午幸2伊豫(ノ)温湯(ノ)宮(ニ)1云々一書(ニ)云、【伊與(ノ)風土記也】是(ノ)時宮(ノ)前(ニ)在2二樹木1此(ノ)之二樹(ニ)斑鳩《イカルガ》此米《シメ》二鳥大(ニ)集時(ニ)勅(シテ)多(ク)掛(テ)2稻穂(ヲ)14而養(シム)v之(ヲ)乃歌云々。若疑(ラクハ)此(ノ)便(ニ)幸(セルカ)之歟
 これ家持卿の考とも思へど、仙覺が考なるべし。
 
明日香(ノ)川原(ノ)宮御宇天皇代 天豐財重日足姫天皇
 
 齋明天皇也。この 天皇、ふたゝび即位まして、飛鳥|坂蓋《イタブキノ》宮にましき。その年其宮燒しかば、飛鳥の川原宮へ俄にうつり給ひ、明年冬、また岡本に宮造りてうつりましぬ。されば、川原宮にはしばらくまし/\ける也。
 
額田(ノ)王(ノ)歌 未v詳
 
 未詳二字は後人の所爲なるべし。これは、傳を評にせずといふにや。天智天皇も幸し給ひ、天武天皇の夫人と成給ひし人也。
 
金野乃《アキノヌノ》。美幸苅葺《ミクサカリフキ》。屋杼禮里之《ヤドレリシ》。兎道乃宮子能《ウヂノミヤコノ》、借五百礒所念《カリイホシオモホユ》
 
〔言〕美草は何とは定がたし。秋野におふるめでたき草也。貞觀儀式に、以2美草1※[食+芳]v之とあるによりて、一種の草の名ならむとて、宣長、「をばな」とよみしは一概なり。これも、美草の字の心もてかける事明らかなり。されど、元暦本には、をばなとよめるよしいへり。さもあれ、これもたのむべきにあらず。刈葺は草をかりて屋にふく也。○屋杼禮里之 兎道に旅やどりしたまひし事(45)を云。禮里之の「禮」は、「衣緯」の義必要なれば也。諸註やどりしといふ心にみたるは例の麁なり。これは、そのやどりての未に心ある事をしめす爲なり。くはしくは靈をとけるにしるべし。中昔に、心しれらむ人にみせばやとよめるも、心しりてのうへの人といふ也。しるらむといふ時は、今心をしらむ人といふ義となる。その別おもふべし。古人、詞の精微なる事かくのごとし。○兎道乃宮子能 これは、山城國の兎道なり。大和國より近江に行幸し給ひし時の路次なれば、こゝに一夜とまらせ給ひしなるべし。たゞ一夜にても、 天皇の大まし/\し處は、都といふべし。此時の行宮、必ずしも秋の野乃美草をふかれしにもあらざるべけれど、その事そぎたりし風情の、わすられぬを表としてよませ給ひしなるべし。〇借五百磯所念 五百は廬の假名也。磯《シ》は、脚結也。この磯《シ》もじの義まへにいへり。先註者かうやうの脚結をくはしくたづねざるが故に、古人の、かく心しておかれたるも、徒に見すぐす事となりぬるはあさましき事也。ことに、此歌などは、此句九言なれば、もとより無益のやすめ字ならば、いかでかあながちにおかるべき。これは、此かり廬をば一首のむねとするすぢなる事をさとさむがため也。古今集春下「春雨のふるは涙かさくら花ちるををしまぬ人しなければ」といふ歌、世中に花のちるををしまぬ人とてはなき事を、一首のむねとするよしをば、志《シ》もじに思はせたる也。もと春雨を涙かといふ事、理もなき事なれど、ちるををしまぬ人、よになきすぢたしかなる時は、理なきも理ありてみゆれば也。かく此かり廬をしもむねとし給ふは、情こゝにあるがゆゑなり。【この情は、下にみるべし。】所念は、おもはる(46)といふ也。古言には、留《ル》を由《ユ》といひ、禮《レ》を衣《エ》といへり。これ忘れがたき心なり。
〔靈〕この御歌、うはべは、たゞ、その行宮の美草かりふき事そぎたりしさまの、所がらなか/\やうかはりておかしかりしかば、忘られがたきよしによみふせ給へる也。やごとなき御方には、かく事そぎたる事は御心につくならひとはいへども、大旨にいへるが如く、たゞ此行宮のわすられがたきまでの事ならば、御歌によみ出させ給ふべきばかりの御歎ともおぼえぬ事也。此女王、もと 天智天皇 天武天皇の御思ひ人なれば、もし此行幸の時、この 二帝のうち、御從駕せさせ給ひ、ともに御やどりまして、此夜あひそめましゝ事をおもひ給へるにや。そのをりの忘られぬよしをよみて、人はわするゝやを試みたまひしか。又は、つれなかりしをうらみ給へるなるべし。行幸の御供にて、さるたわれ事あるまじき事なれば、はゞかりて倒語したまひしにこそ。又は、餘人にや。さだかにしられぬは倒語の所以ぞかし。禮里之《レリシ》の禮《レ》もじ、かり庵しの志《シ》もじ、この情にてらして思ふべし。御詞のつげざま、めでたしともよのつねなりや。
 
右檢2山上(ノ)憶良(ノ)大夫(ガ)類聚歌林(ヲ)1曰一書(ニ)戊申(ノ)年幸2比良《ヒラノ》宮(ニ)1大御歌但紀(ニ)曰五年春正月巳卯(ノ)朔辛巳天皇至2紀(ノ)温湯(ヨリ)1三月戊寅(ノ)朔天皇幸(テ)2吉野(ノ)宮(ニ)1而|肆宴《トヨノアカリキコmシメス》焉庚辰天皇幸2近江(ノ)之平(ノ)浦(ニ)1
 
天皇御製とあるは、まことにや。秋の野の云々とよませ給ふをおもへば、紀に三月とあるは誤りて、かの川原(ノ)宮の二年の秋に幸しつらむとおぼゆ。紀は誤すくなからねば、此集信ずべきよし、萬葉考別記【眞淵】にみゆ。
 
(47)後(ノ)崗本(ノ)宮御宇天皇代
 
     額田(ノ)王(ノ)歌
熟田津爾《ニギタヅニ》。船乘世武登《フナノリセムト》。月待者《ツキマテバ》。潮毛可奈比沼《シホモカナヒヌ》。今者許藝乞菜《イマハコギイデナ》
 
〔言〕熟田津は、伊與國なり。日本紀に、七年正月、外蕃の亂をしづめたまはむために、筑紫に幸して、此湯(ノ)宮にとまり給ひし事あり。筑紫におはします時の事也。この左註の類聚歌林にも、庚戌御船泊2于伊與熟田津(ノ)行宮(ニ)1云々とあり。○船乘世武登 御舟にのり給はむとての心也。登は、亡父、脚結抄に「いつゝのと」といへり。【と思ふ、といふ、とみる、とするの心を、登とばかりよむなり。】このと思ひての義也。〇月待者 海路くらくては、たづきなければ、月いでゝとて、御舟とゞめさせ給ふ間を云。これまことは、潮まちし給ひしなるべきを、月を主として、潮はかへりてかたはらのやうにいふ。これ、古人倒語のつねなり。實は潮待し給ひしならむ。と思はせむの詞づくりぞかし。○潮毛可奈比沼 月いづる時は、潮みつる物なれば也。この毛《モ》もじ、わざと潮をかたはらとし給へる也。上にいへる心思ふべし。かなふとは、御舟漕むにかなふを云。しかもいはで、だゞかなふとばかりあるは上の句々のうちに、明らかなれば也。古人詞に力ある事をみつべし。【詞の力のなきといふは、いはでもしるこ事までをいふを云。よく/\おもふべし。】沼《ヌ》もじは、潮のいまださしこぬ間より、かけておかせ給へる也。里言にトウ/\カウナツ〔右○〕タといふ心也。此下に、情をとけるをてらして思ひあはすべし。これ、次の今者といふ詞の出(48)る所以なり。○今者 この詞 まち/\てその時をまち得たるにもいひ、或はねがはしからぬ時いたりて、やむ事をえぬにもいふ。こゝはふたしへに見ゆ。かくふたしへにみゆるが、詞のいたり也。こゝの意は下に情をとくを見てしるべし。○許藝乞菜 古訓、これをこぎこなとよめれど、こゝろえがたし。或説に、乞は弖の誤にて、※[氏/一]奈《テナ》ならむ。※[氏/一]奈《テナ》は、※[氏/一]牟《テム》なりといへり。おのれも、この次下の歌に、手名とかゝれたれば、乞は手の誤かと思へり。又思ふに、乞は、以傳《イデ》といふ挿頭につねに用ひられたる字なれば、出《イデ》の假名にやとおぼゆ。此|菜《ナ》は、古言|牟《ム》を菜《ナ》といふといふ説例の麁也。上古に牟なくはこそあらめ、牟《ム》・菜《ナ》ともにあれば、必異なる事明らかなるをや、牟菜《ムナ》の牟《ム》をはぶきたるにて、こゝは漕出牟菜《コギイデムナ》の心なり。菜《ナ》は詠の「な」にて、わが所思を人によく聞とゞめさせむとすれど難き歎也。そのかたきをなげくは、即人によくきゝとゞめさせむがため也。後世、忘れじな、又、かはらじなとよむ奈《ナ》に同じ。されば、牟《ム》とよむ心を、人によく聞とゞめさせむの心也。みづから用ひこゝろめば、牟《ム》とばかりよむべき歌、奈《ナ》とよむべき歌おのづからある事しらるべき也。後世、奈《ナ》はよめど、此用ひかたは絶たり。
〔靈〕うはべは、海路くらければ、月まちてとおぼしけるに、月のみならず潮もみちて、御舟漕出むによろしき時となりぬれば、今は漕出む。と月いで潮かなへるをよろこび給へる心をよみふせたまへり。しかるに、さやうのはかなき事を、古人は歌によむものにはあらず。つら/\思ふに、もと外蕃の亂のために筑紫におはす路なれば、つねの行幸のやうに、一所に時をうつしたまはむ(49)事あるまじき事也、されば、片時もはやくかの亂をしづめて、その國人を安からしめまほしけれど、潮干たればやむことをえず、時をまち給ひし、その程いたく御心いられ給ひし事を思はせてよみ給ひしなるべし。ふかくかの亂をなげきおぼしめすかたじけなき御心なれど、あらはなれば天皇に對し奉りてもなめげに、中々さかしらに聞ゆべければ、かく詞をつけ給へる也。外蕃のために、わが御國の兵を役せむ事を、國のため歎かしくおぼすかたじけなさを、人より思はせむの倒語なり。後に夫人とならせ給ひしも、うべなるかな。【この左註の如く、御製ならば仔細なし。されど、たとひ、 天皇とてもあらはなれば、猶さかしら也。左註の文によれば、御製と信じがたし。この故にかくはいふなり。】されど、たゞ、なに事もなき御詞づくり、まことに妙處を得たまへり。今者といふ詞の義、こゝはまちえ給へる也。その外、爾《ニ》・登《ト》・者《ハ》・毛《モ》・沼《ヌ》・者《ハ》・菜《ナ》のなゝつの脚結、うはべはたゞ、待よろこびたまへるさま、何の故ともみえずして、情はもはら亂をなげき給ふ言靈にてりたる妙よく/\思ふべし。左註によらば、又言靈かはるべし。その事下にいふべし。
 
右検2山(ノ)上憶良(ノ)大夫(ノ)類聚歌林(ヲ)1曰飛鳥岡本(ノ)宮御宇天皇元年已丑九年丁酉十二月己巳(ノ)朔壬午天呈大后幸2于伊豫(ノ)湯(ノ)宮(ニ)1後(ノ)岡本(ノ)馭宇天皇七年辛酉(ノ)春正月丁酉(ノ)朔壬寅御船西征始(テ)就2于海路(ニ)1庚戌御船泊于伊豫(ノ)熟田津(ノ)石湯(ノ)行宮(ニ)1天皇御2覧(テ)昔日猶存之物(ヲ)1當時忽起2感愛(ノ)之情(ヲ)1所以(ニ)因(テ)製2歌詠(ヲ)1爲之哀傷(シタマフ)也即此(ノ)歌(ハ)者天皇(ノ)御製(ナリ)焉額田(ノ)王(ノ)歌(ハ)者別(ニ)有2四首
 
此左註の事、眞淵が萬葉考別記に、 舒明天皇の御紀に、九年此幸なしとてさま/”\論らへり。岡本天皇とあるも時代たがひ、かつ天皇御覧以下の文は、歌の意を心得ぬものゝかけるにて、誤(50)れり。別有四首といふも、何の書ともいぶかしなどいひて、大方類聚歌林は憶良の名をかりたる僞書とおぼえて、うけがたき事多しなどいへり。【以上、眞淵が説なり。】今、倒語の法ならびに、脚結の古例を
もて推すに、もと此行幸は、 舒明天皇の御紀を考ふるに、百済の福信が援兵を乞ひ奉りければ百済の爲に、新羅を伐むとおぼしめしての幸なり。予は此心を得て、釋したる也。されば、天皇御覧以下の文心えがたくはあれど、ひたぶるに誤也とも定めがたきは、その時、かゝる事ありけむもはかりがたし。もし、此説によらば、言靈又かはるべし。これに從ひていはゞ、昔日猶存之物とは、紀にもなければ、誤の如くなれど、即位以前こゝにおはしましゝ事なしとも定がたければ、その時御覧じける物の存せるをみそなはして、存せざる物をかなしみてよませ給ひし歟。しからば、こゝを漕出たまはむ事ををしくおぼしめすに、御詞をつけさせ給へる也。かくみれば、今者の詞は、かの援兵のためにおはすなれば、潮もかなへるに、御舟もとゞめがたければ、やむ事なき方となる也。これを御製とし、此王の歌別有四首といふ事いぶかしくはあれど、うつたへにもいひ難くこそ。
 
     幸2于紀(ノ)温泉(ニ)1之時額田(ノ)王(ノ)作歌
 
この行幸は、 齊明天皇の御紀四年十月なり。
 
莫囂圓隣之。大相七見爪謁氣。吾瀬子之《ワカセコガ》。射立爲兼《イタヽセリケム》。五可新何本《イツカシガモト》
 
(51)此上の二句は、此集中の難義なり。古点「ゆふづきのあふぎてとひし」とあり。此もじどもを、いかで、かくよみけむともしられず。大かた、一首の上もときがたし。東麻呂は「きのくにの山こえてゆけわがせこがいたゝせりけむいつがしがもと」とよみき。三四五の句はしかるべし。一二の訓はなほ心よからざるがうへに、下にも應せず。又あづまなる春海は「山みつゝゆけ」とよめり。これも下にうちあはず。いづれも/\、心よからねば、しばらく後考をまつべし。此集もと、戯れてかゝれたるもじも多く、しかのみならず、誤もすくなからねば、かうやうの歌これにかぎらず多し。しひたる考をして、人をあやまらむよりは、のぞきおくにしかざるべし。たとひかうやうの歌、此集中二十首・三十首のぞきおきたりとも、倒語をまねぶには、事たりたる事なるべし。世に、萬葉集をみる事、たゞこのうはべをのみ見しるに過ず。大旨にいへるが如く、もと萬葉集をみむは、上古の人の詞のつけ所、ならびに、詞の用ひざまをしるを要とすべければ、たゞ四五卷を會得すとも、伶※[人偏+利]の人は、歌道の本意はさとらるべし。まして、二三十首をのぞくをや。猶さるべき考もいでこば、今かきくはへてむ。
 
     中(ノ)皇女(ノ)命往2于紀伊(ノ)温泉(ニ)1之時(ノ)御歌
君之齒母《キミガヨモ》。吾代毛所知武《ワガヨモシラム》、磐代乃《イハシロノ》。岡之草根乎《ヲカノクサネヲ》。去來結手名《イザムスビテナ》
 
〔言〕君之齒母 齒・代ふたつながら よはひ也。君とは、供奉の人をさし給へる也。後世は、臣を(52)さして君といふ事いふまじき事のやうにいへど、古はかくの如し。もと此稱、君公などの字をあてたれど、わが御國にていふは、神典に、【古事記上巻】伊邪那岐《イザナギ》(ノ)神・伊邪那美《イザナミ》(ノ)神はじめ奉り、沫那藝《アハナギ》・沫那美《アハナミ》、頬那藝《ツラナギ》・頬那美《ツラナミ》(ノ)神あり。祝詞に、神漏岐《カムロギ》・神漏美《カムロミ》とあるなど、皆父母の如き徳をたゝへていふ也。【から國にて、豈弟君子民之父母といふにはことなり。くはしくは、古事記燈にみるべし。】母《モ》ふたつおくは、主たる物を思はする例なる事、上にいへるが如し。さればこれも、磐は無窮をしれるを主とたてて、此二物をよせたる也。○所知武 印本この武・哉とありて、しれやとよめれど、下のうちあひしかるべからねば、哉は武のあやまりとみて、しらむとよめる、これに從ふべし。されば、君がよもわがよもしらむ磐とつゞけて心うべし。しらむは、此後君が齢をも、わが齢をもしりて、磐のおのれとともにときはにあらせむとの心なり。○磐代乃 いはしろの岡は、紀伊國日高(ノ)郡なり。之《ノ》もじは、異處にことなる所以をさとす也。此磐代といふ名によりて、いとめでたき處なるをえらび給へる也。○草根乎 草根とは、たゞ草の事也。月夜とよめるは、たゞ月の事なるに同じ。後世心にては、あやしく聞なさるべけれど、倒語はわが御國言の大事にして、こゝをいはむには、かしこをいふが常なればぞかし。後世にても、たゞ草を草葉ともいふが如し。乎《ヲ》は、皆人はこゝにむすばむともおもひをらぬ草をとの心なり。もと此御歌、こゝにやどり給はむ事を、皆人にすゝめ給ふ御歌なれば、かく乎《ヲ》もじをおかせたまへる也。くはしくは、下に情をとけるにてらしてしるべし。○去來はさそふ詞なり。結とは、草をむすびて枕とするを云。むすぶとばかりいひて、草枕の事とする、これ古(53)言のみやび也。これをいはしろの名によりて、その岡の草をむすぴて、齢を契る也といふ説あり。これは、有馬皇子の此磐代にて松をむすばせ給ひしに思ひよせたりとおぼゆ。後世人は、たゞ詞のうへばかりをたのみて、倒語をしらぬ麁暴ぞかし。松を結ぶにことなる事は、この次の御歌、これと連續の歌にて、借廬作良須云々とあれば、これも旅やどりの事をよませ給へるなる事必せり。されば、これ草枕の事に疑なし。手名《テナ》は、※[氏/一]牟奈《テムナ》の義なる事、まへにいへるがごとし。大かた、※[氏/一]《テ》もじに繼たる脚結は、※[氏/一]《テ》もじの下におくべき詞をはぶく例也。歌によりて、そのはぶく詞はさま/
\なるべし。これは、むすびて寢むなのはぶかりたる也。いかで皆人を同意させむとて名《ナ》はおかれたるなり。かく必はぶくは、もと、※[氏/一]《テ》もじの義に、そのはぶくべき用はもたる物なれば也。※[氏/一]《テ》もじの義くはしくは、下の藤原宮役民の長歌のうちにいふべし。
〔靈〕この御歌、表は、君がよはひもわが齢もしらむ磐代の岡なれば、此岡の草をいざむすびて寢むと御供の人々とともに、もはら長壽を欲し給ふ心に、御詞をつけられたる也。しかれども、かゝるはかなき心歌となるべきにあらねば、今思ふに、けふの路程に、御供の人々いたく勞れたるらむといとをしみ給ひて、こよひはこゝにやどりて、人々の勞をやすめしめむとの御心なるべくおぼゆ。しかれども、それをあらはにおほせらるればさかしらなれば、その天津罪をおそり給ひて、長壽を欲するによみふせたまへる也。こゝにしもやどらむとおほせられたるに、いまだやどり給ふべき時刻にあらざりけるもしるし。かく、御供の人々をあはれみたまふ言靈なるべくおぼゆる(54)は此次の御歌「かり廬つくらすかやなくは」とあるは、つかれたるうへに、かやをもとむるに勞せむ事をいたはりたまひて、よませ給ひしなるべけれは、それにてらしてかくはいふ也としるべし。まへに、 父帝をしたはせ給ひし御歌のめでたきも、此御歌どもの人々をあはれみおぼしめすも國母となり給ふべきしるしにこそ。といとかしこくもかたじけなくもあるかな。御供の人々いかばかりなみだもさしぐまれけむとおしはからる。
 
吾勢子波《ワガセコハ》。借廬作良須《カリホツクラス》。草無者《カヤナクハ》。小松下乃《コマツガシタノ》。草乎刈核《カヤヲカラサネ》
 
〔言〕吾勢子波 わがせこは男をしたしみてさす稱なる事、まへの 雄略天皇の御製にいへるがごとし。これは、御供の男がたをさし給へるなり。波《ハ》は、すべてものゝ目だつをなげく脚結也。後世ならば、こゝはよとよむべき所なり。かうやうの所に、波《ハ》を用ひられたる歌多し。目だつ物にするにて、即その物を的とする心となる也。この例、中昔にもみゆ。目だつとは、御供の男方の、ことに其勞目だつなり。前にいふがごとく、此御歌は、上と連續の歌なり。○借廬作良須草無者 借廬は、旅やどり也。まへに、兎道乃宮子能借五百《ウヂノミヤコノカリイホ》とありしに同じ。作良須《ツクラス》、須《ス》は、前にいふが如く、作らせらるゝといふほどの心なり。草は可也《カヤ》とよむべし。屋にふく名也。神典に【古事記上巻】「以2鵜《ウノ》羽(ヲ)1爲(テ)2葺草《カヤト》1造2産殿(ヲ)1」とあるに思ふべし。今かやと名したる草あり。屋にふくによろしければ、いひなりつるなるべし。上古は、いづれともなくふける事、集中にみゆ。無者とは、草もとむと(55)て、こゝかしこたづねありきて、もしもとめかねたらばとの心也。されどこれは倒語にて、たづねぬさきに勞せぬやうにとて、おほせられしなり。しかれども、我より始をおこす事は、神典ふかくいさめられたる事なれば、まづたづねてありかねたらばとは、おほせられたる也。上古人の詞づくり、かくのごとし。ことにこの皇女、御詞づくりにいたく長じ給へりとおぼし。○小松下乃 この下の草をとゝもおほせられしは、上の磐代の名によせて、長壽を欲し給ひしに同じく、小松はおひさきこもれる物なれば、此下なるかやをふかば、あやかりもせむとて、これををしへ給へる也。されど、上に草無者とあれば、さる心にはあらぬやうなれど、上に釋せるが如く、始より此小松が下のかやをかれとをしへまほしきを、我より端を起さじとて、草無者とはよませ給ひし也。かへす/”\、御詞づくりの至妙思ふべし。乎《ヲ》は、をのこどもの心もつかざるべきにあたりておかせ給へる也。苅核は、さ〔傍点〕は、上に名告沙根とありし沙《サ》に同じく、からせられねの心なり。根もそれに同じく、事をへよとの心也。これもはら、これにてもとめやめよとの御心なるなり。
〔靈〕此御歌表は、借廬にふくべき草を、もしもとめかねなば、小松が下にみゆる草をかれ。しからば、小松にあやかりて、ともにおひさきも久しからむと、これ又長壽をねがふうへにのみして、詞をつけさせ給へるなり。かく表をばわざとはかなき事のやうにつくらせ給ひしは、情はまへの御歌に連續して、けふの行程のつかれのうへに、又借廬にふくべきかやもとむるに勞をまして、とくもえやすむまじきをあはれみ給ひて、しばしもとくやすませむとの御心をかくはよませたま(56)ひし也。かばかりのかたじけなさを、いさゝかもさかしだち給はぬ御詞づくりのたぐひなき事をよく/\みしりて、後世のいやしき詞づくりをかへりみるべし。
 
吾欲之《ワガホリシ》。野島波見世追《ヌジマハミセツ》。底深伎《ソコフカキ》。阿胡根能浦乃《アコネノウラノ》。珠曾不拾《タマゾヒロハヌ》 或頭(ニ)云|吾欲子島羽見遠《ワガホリシコジマハミシヲ》
 
〔言〕この御歌は、上二者と連續せるにはあらずみゆ。此ついでに此わたりにもおはしてよませ給へるなれば、ひとつにつらねられけるにこそ。吾欲之とは、かねてみまくほりし給ひしといふ也。ほる〔二字傍点〕とは、里言にホツスルといふ詞なり。之《シ》もじは、その思ふすぢの、かねてたちてあるかたちをさとす脚結也。○野島波 これは、淡路なり。波《ハ》は、こゝの他處にすぐれたるを云。見世追 これ、しひごとはいかにもいはるべけれど、此詞こゝろよからず。或頭云とある方穩なるべし。しひていはゞ、わが見たまふを、人のみするに御詞をつけたまひしは、例のわが御國ぶりにや。人に行あふを、中昔にも、伊勢物語に「すぎやうざあひたり」、古今集に「女のおほくあへりければ」などあるをおもふべし。されど、追《ツ》もじの羲かなへりともおぼえねば、もし、世《セ》は思志《シシ》などの誤にて、追《ツ》は遠《ヲ》の誤にや。しからば、猶或頭のごとくなるべし。かねてほりし給ひし野島はみたまひしをといふにて、こゝをだに見たまはゞ、おぼしのこす事はあるまじきにとの心也。或頭云云々の子島は備前なり。○底深伎 深をきよきとよむ説あり。清の字の誤とみてにや。又深の(57)字の心をえてよみたるにや。心えがたし。これは、しかはよむべからず。珠のひろがたきは、もと底深きゆゑなるをや。○阿胡根能浦 いづこともしられねど、この野島又は子島のわたりにこそ。○珠曾不拾 珠は眞珠をも、又石にまじれる玉をもいへり。曾《ゾ》は珠ひろはざる一すぢのみ不足なるよしを、思はせむがため也。かねてほりし給ひし野島はみたまひしかば、滿足なるべき事なるに、猶この浦の底深くて、珠のひろはれぬが心ゆかぬよ。とあく事しらぬ御心を、みづからなげき給ひし也。曾《ゾ》もじの心もはらこゝにあり。されど、さるふくつけさをなげきたまふ事、いさゝかもあらはにはよみ給はずして、たゞ曾《ゾ》に思はせられたる御詞づくりよく味ふべし。
〔靈〕表は、かねてほりし野島をみたれば滿足たるべきに、阿胡根の浦の珠ひろはれぬ事、更に不足なる御心のつきたるを歎きましゝ心也。かく表には貪《フクツケ》きさまを歎く一すぢによみなし給へれども、さる心歌となるべき物にあらねば、思ふに、此情は、われこそかねての望を達しぬれ。都にとまりて、こゝをもみぬ人たちに、【これは、父帝をおぼしけるにや。したしき人たちをおぼしけるにや。はかりがたし。】この浦の珠をだにとおもふに、底深くてひろはれねばなにの※[果/衣]もなくてあへなかるべき事をおぼすにて、おのれのみ心をやりて、人のうへをおもはぬになりぬべきを歎き給へる也。これ、人になさけなからむ事を歎きたまふなれば、いとめでたき事がらなるを、言つゝしみは無益の事のやうなれど、あらはにおほせらるれば、なか/\巧言ときこゆべきが故に、わが貪《フクツケ》さをなげくに詞をつけたまへる也。しかれども、そのふくつけきをなげき給ふをもあらはにはあらで、たゞ、波《ハ》もじと、曾《ゾ》もじに思はせら(58)れたる、いとめでたし。詞はすべてかく、公私にかたよらざるを、いたりとする事、かへす/”\まへにあげつらひおけるを、この御歌づくりどもに信ずべし。
 
右※[手偏+嶮の旁]2山上(ノ)憶良(ノ)大夫(ノ)類聚歌林(ヲ)1曰天皇御製歌云々
 
この左註にしたがはゞ、磐代の歌・吾勢子波の兩首ともに、御供の人々の勞をあはれみたまひし大御歌なりとみるべし。御製とすればいよ/\かたじけなき事なり。
 
萬葉集燈卷之一



  
 
 







(私論.私見)