後国國埼郡について投稿させて頂きます。
『豊後国風土記』の國埼郡の条に「郷は陸(六)所」と書かれています。陸所とは、武蔵、,來縄、國前、田染、阿岐、伊美の六郷のことです。式内社はありません。
郷の比定地の住所を示します。地点名ですのでその周辺とお考えください。
武蔵は、大分県国東市糸原。-椿八幡神社は、国東市武蔵町三井寺にある古社です。創建は天平神護元年(765年)と伝わっています。すなわち、称徳天皇の御世です。
來縄は、大分県豊後高田市来縄。-「縄(ナワ)」の付く地名は、海岸の近くにあることが多く、來縄も海岸地名だと考えます。また、猫丸山古墳などの古墳が多く点在し、栄えていたことが窺えます。
國前は、大分県国東市国東町安国寺。-安国寺集落遺跡は、弥生時代から古墳時代の貝塚・集落遺跡です。この遺跡は、この郷の歴史の古さを物語っています。まさに、國埼郡の中心地に相応しい郷です。
田染は、大分県豊後高田市田染真中。
阿岐は、大分県国東市安岐町塩屋。「阿岐(アキ)」は、古くはアギと読み、漁労関係の地名だと言われています。
伊美は、大分県国東市国見町伊美。-比売語曽社のある姫島は、この郷に属します。
『豊後国風土記』の國埼郡の条に伊美郷の地名由来譚が次のように書かれています。「因リて国見の村と白ふ。伊美郷と謂ふは、其の訛れるなり」とあります。私は、この地名の説明に納得できません。ここの地形を詳しく見た結果、「伊美」をイビと読んで、エビの転化だと考えます。「エビ」は、地形語で「階段状地形」を言います。
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