「藤原家」がねじまげた「ホツマツタエ」の真相!その「物的証拠」となるのが「阿波風土記」であるという。
「古事記」などに記された「神話時代」の「出来事」は全て「阿波風土記」に記載されているのでは?
「阿波風土記」には幕末から明治にかけて活躍した阿波出身の国学者「小杉榲邨(こすぎすぎむら)」が
関わっている。小杉氏は、「日本最古の歴史書」と言われる「ホツマツタエ」が「阿波の國」のルーツ(発祥
の地)と学び「阿波国徴古雑抄」を書き上げた。その「ホツマツタエ」を、時の権力者「藤原氏」が、都合の
良いように書き換えたのが「古事記」である。小杉氏の代表的な著書が「阿波国徴古雑抄」であり、この
書物は阿波関係の古書、古文を網羅している。「阿波の古文書」に詳しい人物であった。明治5年、小杉
氏が「阿波古風土記考証」を出版した時、「回収騒動」に発展している。しかも、当時「蜂須賀家」と「徳川
家」にあったはずの「阿波風土記」の原本さえも所在が不明になってしまっていると言う。回収騒動の理由
は不明であるが、「ホツマツタエ」での「天皇家のルーツ」に関わる記述があったため、明治政府が問題視
して回収に踏み切ったとも言われている。
「阿波風土記」の存在は妄想ではない。幕末の頃までは様々な文書に部分的に引用されているのだ。
今、この『阿波風土記』は、何処にあるのであろうか。噂では「宮内庁」で厳重に保管されていると言われ
ている。この「所在不明」となった「阿波風土記」が出てくれば、「藤原家」がねじまげた「ホツマツタエ」の真
相が明らかになるはずだ。
※一連の記事は、ネットから抜粋。
※これらの「古代阿波の国盗り物語」の記事は、尼崎の「友行神社」周辺を開祖した「先祖友行」の「文書
(もんじょ)」から代々受け継がれた口伝を元に記事にしております。
■四国・徳島邪馬台国研究学会
邪馬台国学術研究員・徳島ホツマツタゑ研究会主宰 友行安夫(記)
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