醍醐天皇の延喜の治

 更新日/2017(平成29).8.18日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2017(平成29).8.18日 れんだいこ拝


 

【】
 宇多天皇。藤原氏と距離を置く菅原道真を重用した。

 897年、宇多天皇の後に醍醐天皇が13歳で即位する。
 醍醐天皇の御代は897-930年。この時代に菅原道真と藤原時平が活躍した。899年、左大臣に藤原時平、右大臣が菅原道真と云う形で醍醐天皇の輔弼体制ができる。菅原道真は宇多上皇と親しくしていた。

 901年、「謀反を図った」として道真が大宰府に流される。902年、藤原時平が最初の荘園整理令を出す。一方で、確認できる最後の班田収受を行っている。また、律令の細部を補完する法律(格式)の中で一番詳しいとされる「延喜式」の作成を始めている。六国史の最後となる歴史書「三代実録」や「古今和歌集」も時平の時代に編集が始まっている。909年、時平が若くして亡くなる。その後、時平の弟の忠平が登用され、実権を掌握する。930年、醍醐天皇が清涼殿落雷にショックを受け退位。朱雀天皇が8歳で即位する。英明な天皇が、関白をおかず、親政を敷いていた。鎌倉幕府を倒して天皇親政を目指した後醍醐天皇は、醍醐天皇を理想として、自分の追号を「後醍醐」と自ら名づけている。

 次の朱雀天皇、村上天皇の御代946-967年。時平の弟・藤原忠平が摂政、天皇の成人後は関白となり、摂関政治の幕開けとなった。藤原忠平が権力を握っていた時代に、東の平将門、西の藤原純友が乱を起こした。939-941年。醍醐、村上天皇の時代のことを歴史上、「延喜、天暦の治」と呼ぶ。

 946年、朱雀天皇の弟の村上天皇が即位する。引き続き関白の職を続けた藤原忠平は3年後に死去する。村上天皇は、忠平の死後、関白を置かなかったので、後に「天皇親政の鏡」となる。しかし実態は、忠平の長男・実頼(さねより)が左大臣、次男の師輔(もろすけ)が右大臣として輔弼していた。後に、実頼家は小野宮流、師輔家は九条流として、朝廷の儀式や先例についての知識を受け継ぐ家元となる。

 師輔の娘・安子が村上天皇の即位前から嫁ぎ、3人の御子を生む。そのうちの二人が天皇になっている(冷泉(れいぜい)、円融)。これにより安子は中宮(皇后の別称)となる。実頼の娘も嫁ぐが子宝に恵まれなかった。師輔は醍醐天皇の娘(内親王)3を順番に妻にしている。
 960年、師輔逝去(享年53歳、忠平の次男)。
 967年、村上天皇逝去。冷泉(れいぜい)天皇が即位。実頼が関白太政大臣。これ以降、摂関が常置されるようになった。左大臣が源高明(たかあきら、醍醐天皇の皇子)、右大臣が藤原帥*(もろただ、忠平の三男)。
 969年、安和(あんな)の変。藤原帥*らが仕組んで源高明が謀反を企んだとして源高明、娘婿の為平親王が失脚させられる。源高明は、村上天皇と安子の次男の為平親王に娘を嫁がせていた。
 円融天皇が即位(11歳)。
 実頼逝去。師輔の長男・伊*(これただ)が摂政になる。伊*逝去し、その次男の兼通(かねみち)が関白になる。兼通と三男の兼家が仲が悪く、藤原頼忠(実頼の子)が関白になる。兼家の娘の超子が冷泉天皇に嫁ぎ、三条天皇。詮子は円融天皇と結ばれ、一条天皇になる皇子を生む。兼家の長兄・伊*は懐子を冷泉天皇に嫁がせ、花山天皇を生む。
 984年、円融天皇が花山天皇に譲位する。但し2年後、出家する。一条天皇(7歳)が即位。「寛和の変」。頼忠が関白辞任。兼家が摂政になる。後に関白になる。兼家は4年で病に倒れ、長男の道隆に関白を譲る。道隆は娘の定子を一条天皇に嫁がせる。5年で道隆が逝去。道隆の弟の道兼が就任。但し、すぐに逝去し「7日関白」と云われる。その結果、兼家の5弟の藤原道長に権力のお鉢が回ってくる。一条天皇を生んだ皇太后詮子は「国母専朝」と陰で批判されるようになる。後に初の女院として東三条院と名乗る。女院は太上天皇(院)に準じる存在。道長の昇進に詮子の一条天皇への口添えが大きく影響した。兼家の娘である詮子は弟の道長に目をかけていた。天皇家との縁戚関係を軸に権力が変遷している。
朱雀、村上天皇を産んだ藤原基経の娘・穏子はその後大きな発言力を持ち、兄弟である時平、忠平が実権を握る上で地から強いバックになった。

 995年、藤原兼家の5男の道長が一条天皇の「内覧」(関白と同じ職掌)になる。道長も、娘を次々と代々の天皇に嫁がせる。彰子は後一条、後朱雀天皇。嬉子は後冷泉の皇子を産む。

 1016年、後一条天皇が即位(9歳)。この時より後冷泉天皇が亡くなる1068年まで、三代、約半世紀にわたって道長の家系が外祖父の地位を占め続けることになる。

 1027年、道長逝去。
 1068年、藤原家を外戚としない後三条天皇が即位。








(私論.私見)