れんだいこのホツマ伝えの共同研究提言

 (最新見直し2011.10.16日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「れんだいこのホツマ伝えの共同研究提言」を発表しておく。

 2011.10.16日 れんだいこ拝


 れんだいこのカンテラ時評№1004  れんだいこ投稿日:2011年10月16日
 【「ホツマ伝え」共同研究の勧め】

 れんだいこが「ホツマ伝え」研究に手を染めてかれこれ1カ月を越す。同書の重要性がますます分かりかけてきた。にも拘わらず、その研究となると遅々として進まない。凝り性のれんだいこが集中して取り組んでも、やりたいこと全体の1割にも至らない。他のことができなくなるので、この辺りで一服させることにする。

 研究が進まないのは全篇40綾(文)と云う内容の膨大性のせいだけではない。この程度の分量であれば、れんだいこは既に「共産主義者の宣言」その他で為したように、さして難しくはない。「ホツマ伝え」訳文案出の困難性の真因は、前篇40章(文)の文の確定がままならぬところににある。

 元々がホツマ文字と云う世にも珍しい宇宙の交互作用を象った図象文字で記されており、和歌体文が二列に配置された形式で延々と続いている。この二歌を一行毎に組み替えるところから始めたところ、ネット上にアップされているものは一括文であるので、これを一から解(ほぐ)さねばならない。これには相当の労力が掛かり難儀している。

 それから後に次のような作業が待ち受けている。現代日本語訳を作りだす為には、その前作業として、まずホツマ文字原文を確認せねばならない。その為には、ホツマ文字の一字毎をコピー可能な状態で使えるようにならないと編集替えできない。

 既に発表されているのかも知れないが、その利用に際して煩瑣な手続きが必要なようである。これではいけない。せっかくの労でホツマ文字を記号化したのであれば無料サイトアップし、誰でも利用できるようにして普及させるのが本望ではなかろうか。先人の労が却って報われるのではなかろうか。箱にしまい込むようなことでは勿体なかろう。いずれ誰かが取り組み、ジョブズ的精神で公開するようになることを思えば、先行者がオープンにするのが合理的ではなかろうか。一刻も早くこれを簡便に誰でも利用できる状態にしてくれることを願う。

 次に、これの万葉仮名訳文に目を通さねばならない。次に、これのひらがな文、カタカナ文に目を通さねばならない。次にこれを日本古文に書き直さねばならない。その際には精密な審査が必要と思う。目下の翻訳はかなり悪訳な箇所が見られる。不明なところはカタカナ表記にしておき、今後の解明に待つべきではなかろうか。

 この際、れんだいこは、ホツマ伝え原文の元々は縦書きの巻物であったと思うので、現在公開されているような二文形式に捉われず、文意毎の文節に区切り替えすることにした。この方が、「ホツマ伝え」和歌文の鼓動が生き生きと伝わると確信するからである。これにより非常に読み易くなった。

 次にこれを現代日本文に書き直さねばならない。最後に注釈付きの解読書に焼き直すと云う作業が必要となる。現在、ネット上から学びとれるのは、それぞれこの行程の一部でしかない。上記の行程を比較対照的に積み重ねておらず、為に凡そ学問的域に入っていない。厳密さに欠けており、いわゆる私製入門編の類に留まっている。尤も、これあればこそ、れんだいこの意欲が増したのであるから感謝を申し上げるのが先ではあるが。

 そこで、れんだいこは提言したい。上記の行程をみんなが手分けして詰める作業がいる。これを著作権フリーでサイトアップするのが良い。本来であれば、れんだいこがまず1綾(文)のひな型を示し、共同者の手を借りて他の綾(文)でもそのようにして貰いたい。当然、そうして生み出されたものは共同成果物であり、人民大衆的に無償無通知転載可で利用されるべきものである。

 原文をこのように確定させてから翻訳過程に入ることになる。訳を生みだす過程で、パソコン上に先行者の労作を転載し、原文と読み比べながら手直ししていくのが生産的である。れんだいこ訳ができれば、先行者の訳文をも併載し、比較対照できれようにしておけば有益だろうと思う。ところが、先行者の研究物には決まって著作権規制の文言が入っており、為に転載が面倒くさいことになっている。

 「ホツマ伝え」は手前の創文でもないのだから、その研究に徒に著作権規制を持ち込むのはいかがだろうかと思う。仮に魏志倭人伝を私製解読し、これに著作権を被せているのと同じで愚昧ではなかろうか。新解釈に著作権を被せるなどもってのほかである。もっと堂々と公開し、みんなで総力挙げての解読が望まれているのではなかろうか。

 先行者の解読文をみんなで一時共有し、なるほどと思う新訳が生まれればこれを共有し、という具合で解読を進めていくのが生産的ではなかろうか。下手な著作権論に被れるとこれができず為に学問の進歩が止まる。このことをきつく指摘しておきたい。そもそも我々の僅か数十年の生の営みに著作権規制を持ち込み、互いの利用を牽制するなどというのは精神の貧困の極みであろう。

 そういう手続きを得て、「ホツマ伝えのれんだいこ訳」を市井に提供したいのだが、今はまだその段階ではない。この道中を公開すれば、著作権強権派の批判を浴びる。れんだいこはかって酷い目にあわされ懲りており、連中と関わること自体が嫌なので控えざるを得ない。しかしそれは、れんだいこ一人の作業になることを意味しており、非常に生産性が悪くなる。早く徒な著作権規制のない日が訪れることを願う。

 付言しておけば、れんだいこは印税収入を否定しているのではない。それは著作者の糧であるから認められるべきである。問題は、ネット上の著作物はネットに晒した瞬間から、所定のルールとマナーさえ守れば利用されるのを当たり前と云う風に分別せねばならないと思うのに、リンク掛けにも事前通知承諾が必要とする者がいるぐらいだから推して知るべしだろう。

 れんだいこの著作「検証学生運動上下巻」は、資料的なものはネットに満載し、いつでも読めるようにしている。その為に売行きが落ちているのかどうかは分からないが、もし落ちているのなら値打ちがない故と思っている。刊行本では、ネット文を絞り込み、相対的に著者見解の比重を高め、且つ読み易くなるよう工夫した。ブックは手軽に持ち運びできるので、どこででも読める。アンダーラインも自在にできるメリットがある。そういう訳で、ネット本と書籍本は共存できると思う。今後はこう云う風に上手に使い分けられるべきではなかろうか。

 さて、「ホツマ伝え」が何故に重要なのか。それは、「ホツマ伝え」の原本は、古事記、日本書紀のいわゆる記紀前に著されている最古の日本史書と思われることにある。且つ記紀が大和王朝の正史的位置づけを狙いとして、いわば御用的に編纂されているのに比して、大和王朝に滅ぼされた側の、いわば縄文日本王朝時代の日本国家、日本精神、日本習俗を伝えていると思われることにある。

 その「ホツマ伝え」も大和王朝の権威に迎合して折衷させているくだりもあり、「ホツマ伝え」が下敷きにした文書こそ真正の上古代日本の歴史書であると思われる。しかし、これはもう存在しない。「ホツマ伝え」は、その上古代日本の歴史書と記紀文書との間に立つ歴史的文書と云う位置付けになるのではなかろうか。

 れんだいこは既に、新邪馬台国論の扉を開けている。それによると、邪馬台国の聖地は畿内大和の三輪山であり、大和王朝創建派の外航族の渡来により滅ぼされた。実際には出雲の国譲り同様に両者の激闘の決着がつかず、最終的に和睦する形で大和王朝が創建された。

 記紀神話が、外航渡来族の大和王朝創建の正義性を説き、その御代の神聖化を多く語るのに比して、「ホツマ伝え」は、外航渡来族によって滅ぼされた側の、かって先行的に存在していた出雲―三輪王朝の御代を偲び語っている。ここに「ホツマ伝え」の画期的価値が認められるのではなかろうか。「ホツマ伝え」は古史古伝の範疇に入れられているが、その中でも白眉の一級文書なのではなかろうか。

 「ホツマ伝え」は日本の原ふるさとを偲ぶいわばバイブルである。「ホツマ伝え」はこれに値する人類共有財産にするべき世界的名著であると確信する。内容については別サイトに譲るが、紀元前後時代の古文書が日本に遺されていることを誇りに思い、且つその内容の高度性を共認したいと思う。

 れんだいこの「ホツマ伝え」研究は、現在のTPP騒動を前に始められている。恐らくそれは、日本の農政が民営化により滅ぼされる危機感を前にして、護るべき日本の根拠の旅になっているのではないかと思っている。これを読み易くして、現代政治家にツメの垢を煎じるようにして読ましてやりたいが、ハンドラ―ズの仰せのままに蠢く輩には通じないだろう。してみれば、これに抗する側に提供したい。精神のエートスとして味わうべきだろう。

 参考までに、れんだいこサイトを記す。なかなか進まない、今後はぼちぼち書き直していくことにする。

 「ホツマツタヱ考」
 (rekishi/jyokodaico/hotumatutaeco/top.html

 2011.10.16日 れんだいこ拝








(私論.私見)