「カンヤマト・イワワレヒコの皇(すべらぎ天皇)は御祖天皇(みおやあまきみ)の四番目の御子として生まれました。母はタマヨリ姫。兄宮のヰツセ皇子は多賀の親王(おきみ)。御祖天皇は筑紫(九州)を治めた。十年筑紫を治めて臨終(ひたる)の時、遺言で天君の璽(に)をタケヒトに授け、洞に自らお入りになり「あひら」の神となられた。タケヒトは宮崎(宮崎神宮)でタネコ等と国を治め、平和で安定していた。
ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)29 |
(最新見直し2011.12.24日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)29、タケヒト (神武)大和討ちの紋」を説き分ける。原文は和歌体により記されている。「」、「29綾 目次」、「タケヒト・大和討ち 神武東征」その他を参照しつつ、れんだいこ訳として書き上げることにする。 2011.12.24日 れんだいこ拝 |
【ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)29、タケヒト (神武)大和討ちの紋】29-1~3 「たけひと」(後の神武天皇)は父の臨終で遺言を授かりに九州へ行く | |
タケヒト・大和討ち、神武東征 | |
たけひと やまとうちのあや | タケヒト 大和討ちの文 |
かんやまと いはわれひこの | 神ヤマト イハワレ彦の |
すへらきは みをやあまきみ | 天皇(すべらぎ)は 御祖天君 |
よつのみこ はははたまより | 四つの御子 母はタマヨリ |
あにみやの ゐつせはたかの をきみなり | 兄宮の ヰツセは多賀の 央君なり |
みをやあまきみ つくしたす | 御祖天君 筑紫治す |
そとせをさめて ひたるとき | 十年治めて 日足る時 |
あまきみのにお たけひとに | 天君の璽(に)を タケヒトに |
さつけあひらの かみとなる | 授けアヒラの 神となる |
きみみやさきに たねこらと | 君宮崎に タネコ等と |
まつりとるゆえ しつかなり | 政り執る故 静かなり |
かくやまのとみ なかすねか | 香久山の臣 ナガスネが |
ままにふるえは さはかしく | 儘に振えば 騒がしく |
はらのをきみは かてととむ | 原の央君は 糧止(とど)む |
かれになかすね ふねととむ | 故にナガスネ 船止む |
おおものぬしか うたんとす | 大物主が 討たんとす |
たかのをきみは おとろきて | 多賀の央君は 驚きて |
つくしにくたり ともにたす | 筑紫に下り 共に治す |
ものぬしひとり たみをさむ | 物主一人 民治む |
ときにたけひと あひらひめ | 時にタケヒト アヒラ姫 |
めとりうむみこ たきしみみ | 娶り生む御子 タギシミミ |
きみとしよそゐ ものかたり | 君歳四十五 物語り |
むかしのみをや たかむすひ | 「昔の上祖 高ムスビ |
ひたかみうみて もますよほ | 日高見生みて 四マス万穂(よほ) |
すきてあまひの ををんかみ | 過ぎて天日の 大御神 |
あめなるみちに たみおたす | 天なる道に 民を治す |
みこのおしひと ゆつりうく | 御子のオシヒト 譲り受く |
みまこきよひと またうけて | 御孫キヨヒト また受けて |
わけいかつちの あまきみと | 別雷(ワケイカツチ)の 天君と |
あめのいわくら おしひらき | 天の磐座(いわくら) 押し開き |
いつのちわきに をさまりて | 稜威の道別(ちわき) 治まりて |
みをやにつかふ みちあきて | 御祖に仕ふ 道開きて |
ひかりかさぬる としのかす | 光重ぬる 年の数 |
ももなそこよろ ふちよもも | 百七十九万 二千四百 |
なそほへるまて おちこちも | 七十穂経るまで 遠近(おちこち)も |
うるはふくにの きみありて あれもみたれす | 潤ふ国の 君ありて 村(あれ)も乱れず |
あめのみち よにはやるうた | 天の道 万に流行る歌 |
のりくたせ ほつまちひろむ あまもいわふね | 「乗り下せ ホツマ地平(ひろ)む 天も斎船」 |
しほつちの をきなすすめて | シホツチの 翁勧めて |
にきはやか いかんそゆきて むけさらん | 「ニギハヤが 如何ぞ行きて 平けざらん」 |
もろみこもけに いやちこと | 諸御子も「実に いやちこ」と |
さきにをしての こたえつら | 「先にヲシテの 答えつら |
きみすみやかに みゆきなせ | 君速やかに 御幸なせ」 |
あすすきみゑの かんなみか | 天鈴キミヱの 十月三日 |
あみこみつから もろひきて | 天御子自ら 諸率きて |
みふねのいたる はやすひと | 御船の至る 速吸門(はやすひと) |
よるあまおふね あひわけか | 寄る海人小船 アヒ別が |
とえはくにかみ うつひこそ | 問えば「国神 ウツヒコぞ |
わたのつりにて きくみふね | 海の釣にて 聞く御船 |
むかふはみふね みちひくか | 向かふは御船 導くか」 |
あひとこたえて みことのり | 「あひ」と答えて 詔 |
しいさほのすえ もたしめて | 椎竿(しいさほ)の末 持たしめて |
ふねにひきいれ なおたまふ | 船に引き入れ 名を賜ふ |
しいねつひこの ひくふねの | シイネツ彦の 率く船の |
うさにいたれは うさつひこ | 宇佐に至れば 宇佐津彦 |
ひとあかりやに みあえなす | ヒトアカリ屋に 御饗なす |
かしはてによる うさこひめ | 膳(かしはで)に寄る 宇佐子姫 |
たねこかつまと ちちにとひ | タネ子が妻と 父に問ひ |
つくしのをしと あきのくに ちのみやにこす | 筑紫のヲシト 安芸の国 チノ宮に越す |
やよひには きひたかしまに | 三月には 吉備高嶋に |
なかくにの まつりをさめて みとせます | 中国の 政り治めて 三年坐す |
うちにととのひ みふねゆく | 内に調ひ 御船行く |
あすすゐそゐほ きさらきや | 天鈴五十五穂 二月や |
はやなみたつる みつみさき | 速浪立つる 瑞(みづ)岬 |
なもなみはやの みなとより | 名も浪速の 港より |
やまあとかわお さかのほり | ヤマアト川を 逆上り |
かうちくさかの あうゑもろ | 河内草下の アウヱモロ |
やかたにいくさ ととのひて | 館に軍 調ひて |
たつたのみちは ならひえす | 竜田の道は 慣らひ得ず |
いこまこゆれは なかすねか いくさおこして | 生駒越ゆれば ナガスネが 軍起して |
わかくにお うはわんやわと くさえさか | 「我が国を 奪わんやわ」と 孔舎衛(くさえ)坂 |
たたかひあわす ゐつせみこ | 戦ひ合わす ヰツセ御子 |
ひちおうたれて すすみゑす | 肱を撃たれて 進み得ず |
すへらきふれる はかりこと | 天皇触れる 議り事 |
われはひのまこ ひにむかふ | 「我は日の孫 日に向かふ |
あめにさかえは しりそきて | 天に逆えば 退きて |
かみおまつりて ひのままに | 神を祀りて 日の随に |
おそははあたも やふれんと | 襲わば仇も 破れん」と |
みなしかりとて やおえひく | 皆「然り」とて 八尾へ退く |
あたもせまらす みふねゆく | 仇も迫らず 御船行く |
ちぬのやまきて ゐつせかる | 茅渟(ちぬ)の山城で ヰツセ枯る |
きのかまやまに おくらしむ | 紀の竃山に 送らしむ |
なくさのとへか こはむゆえ | 名草のトベが 拒む故 |
つみしてさのえ くまのむら | 罪して佐野へ 熊野村 |
いわたてこえて おきおこく | 磐盾越えて 沖を漕ぐ |
つちかせふねお たたよはす | 旋(つぢ)風船を 漂わす |
いなゐいさちて | イナヰイ騒(さ)ちて |
あめのかみ ははわたかみや いかかせん | 「天の神 母海(わた)神や 如何がせん |
くかにたしなめ またうみと | 陸(くが)に窘(たしな)め また海」と |
いるさひもちの うみのかみ | 入るサヒモチの 海の神 |
みけいりもまた さかなみの | 御毛入(みけいり)もまた 逆波の |
うみおうらみて かみとなる | 海を恨みて 神となる |
すへらきみこも つつかなく | 天皇御子も 恙(つつが)なく |
ゆくあらさかに いそらなす | 行く荒坂に イソラなす |
にしきとこはみ をえはけは | ニシキド拒み 汚穢吐けば |
みなつかれふし ねふるとき | 皆疲れ臥し 眠る時 |
たかくらしたに ゆめのつけ | 高倉下に 夢の告げ |
たけみかつちに みことのり | タケミカツチに 詔 |
くにさやけれは なんちゆけ | 「国騒やければ 汝行け」 |
かみにこたえは | 神に答えは |
ゆかすとも くにむけつるき くたさんと | 「行かずとも 国平け剣 下さん」と |
かみもうめなり | 神も「宜(うめ)なり」 |
みかつちの ふつのみたまお | 「ミカツチの フツの霊魂を |
くらにおく これたてまつれ | 倉に置く これ奉れ」 |
あひあひと たかくらしたか | あひあひと 高倉下が |
ゆめさめて くらおひらけは | 夢覚めて 倉を開けば |
そこいたに たちたるつるき | 底板に 立ちたる剣 |
すすむれは きみのなかねの をゑさめて | 進むれば 君の長寝の 汚穢覚(さ)めて |
もろもさむれは いくさたち | 諸も覚むれば 軍立ち |
やまちけわしく すえたえて のにしちまひて | 山道険しく 末絶えて 野にしぢまひて |
すへらきの ゆめにあまてる かみのつけ | 天皇の 夢に天照 神の告げ |
やたのからすお みちひきと | 「八尺の烏を 導き」と |
さむれはやたの からすあり | 覚むれば八尺の 烏あり |
おおちかうかつ あすかみち いくさひきゆく | 老翁(おおぢ)が穿つ 飛鳥道 軍率き行く |
みちをみか みねこえうたの うかちむら | ミチヲミが 峰越え宇陀の ウカチ村 |
うかぬしめせは あにはこす | ウガヌシ召せば 兄は来ず |
おとはもうてて つけもふす | 弟は詣でて 告げ申す |
あにさからえと みあえして | 「兄逆らえど 御饗(みあえ)して |
はかるくるりお しろしめせ | 謀る転(くる)りを 知ろし召せ」 |
かれにみちをみ さかすれは | 故にミチヲミ 探すれば |
あたなすことお おたけひて | 仇なす言を お猛びて |
なんちかつくる やにおれと | 「汝が造る 屋に居れ」と |
つるきよゆみと せめられて | 剣よ弓と 攻められて |
いなむとこなき あめのつみ | 辞(いな)む処方(とこ)なき 天の罪 |
おのかくるりに まかるなり | 己が転りに 罷るなり |
おとはもてなす きみとみも | 弟は持て成す 君臣も |
よしのをのゑの ゐひかりも | 吉野峰の縁の ヰヒカリも |
いわわけかみも いてむかふ | イワワケ神も 出で迎ふ |
たかくらやまの ふもとには | 高倉山の 麓には |
ゑしきかいくさ いはわれの | 兄シギが軍 磐余の |
かなめによりて みちふさく | 要に寄りて 道塞ぐ |
すへらきいのる ゆめのつけ | 天皇祈る 夢の告げ |
かみおまつれよ かくやまの | 「神を祀れよ 香久山の |
はにのひらてに ひもろけと | 埴の平皿(ひらて)に ヒモロケ」と |
かみのをしえに なさんとす | 神の教えに 為さんとす |
おとうかしきて しきたける | 弟ウカシ来て 「磯城長(しきたける) |
かたきあかしも みなこはむ | 葛城(かたぎ)甘樫(あかし)も 皆拒む |
きみおおもえは かくやまの | 君を思えば 香久山の |
はにのひらての ひもろけに | 埴の平皿の ヒモロケに |
あめつちまつり のちうたん | 天地祀り 後討たん」 |
うかしかつけも ゆめあわせ | ウカシが告げも 夢合せ |
しいねつひこは みのとかさ | 「シイネツヒコは 蓑と笠 |
みおもつうかし をちうはの | 箕を持つウカシ 翁姥(おじうば)の |
たみのすかたて かくやまの | 民の姿で 香久山の |
みねのはにとり かえことは | 峰の埴採り 返言(かえごと)は |
みよのうらかた ゆめゆめと | 御世の占形(うらかた) ゆめゆめと |
つつしみとれと みことのり | 謹しみ採れ」と 詔 |
ちまたにあたの みちおれは | ちまたに仇(あだ)の 満ち居れば |
しいねつひこか いのりいふ | シイネツ彦が 祈り言ふ |
わかきみくにお さたむなら | 「我が君国を 定むなら |
みちもひらけん かならすと | 道も開けん 必ず」と |
たたちにゆけは あたもみて | 直ちに行けば 仇も見て |
さまおわらひて よけとふす | 様を笑ひて 避(よ)け通す |
かれにかくやま はにとりて | 故に香久山 埴採りて |
かえれはきみも よろこひて | 帰れば君も 喜びて |
いつへおつくり にふかわの | 斎瓮(いつへ)を作り 丹生(にふ)川の |
うたにうつせる あさひはら | 宇陀に遷せる 朝日原 |
あまてるとよけ ふまつりは みちおみそまた | 天照豊受 二祀りは ミチヲミぞまた |
かんみまこ あめまひかひこ あたねして | 神御孫(かんみまこ) 天マヒが曾孫(ひこ) アタネして |
わけつちやまの みをやかみ | 別雷山の 御祖神 |
みかまつらせて あたおうつ | 三日祀らせて 仇を討つ |
くにみかおかに いくさたて つくるみうたに | 国見が丘に 軍立て 作る御歌に |
かんかせの いせのうみなる いにしえの | 「神風の 伊勢の海なる 古代(いにしえ)の |
やえはいもとむ したたみの あこよよあこよ | 八方這い回む 下民の 天子(あこ)弥々(よよ)天子よ |
したたみの いはひもとめり うちてしやまん | 下民の い這ひ求めり 討ちて しやまん」 |
このうたお もろかうたえは あたかつく | この歌を 諸が歌えば 仇が告ぐ |
しはしかんかふ にきはやひ | 暫し考ふ ニギハヤヒ |
さすらをよすと おたけひて | 「流浪男(さすらを)寄す」と お猛びて |
またひことかも あめからと | また一言がも 「天から」と |
いくさおひけは みかたゑむ | 軍を退けば 味方笑む |
ねつきゆみはり しきひこお | 十一月弓張(七日) 磯城(シギ)彦を |
ききすにめせと あにはこす | 雉子に召せど 兄は来ず |
またやるやたの からすなき | また遣る八尺の カラス鳴き |
あまかみのみこ なんちめす いさわいさわそ | 「天神の御子 汝召す いざわいざわぞ」 |
ゑしききき | 兄磯城聞き |
いとうなすかみ をゑぬとき | 「いとうなす神 汚穢ぬ時 |
あたからすとて ゆみひけは | 仇枯らす」とて 弓引けば |
おとかやにゆき | 弟が屋に行き |
きみめすそ いさわいさわと からすなく | 「君召すぞ いさわ いさわ」と カラス鳴く |
おとしきおちて かたちかえ | 弟磯城怖ぢて 容(かたち)変え |
かみのいとうに われおそる ゑゑなんちとて | 「神のいとうに 我畏る 愛々(ゑゑ)汝」とて |
はもりあえ ままにいたりて | はもりあえ 随(まま)に到りて |
わかあには あたすともふす | 「我が兄は 仇す」と申す |
ときにきみ とえはみないふ | 時に君 問えば皆言ふ |
とにさとし をしえてもこぬ | 「弟に諭し 教えても来ぬ |
のちうつも よしとたかくら | 後討つも 好し」と高倉 |
おとしきと やりてしめせと うけかはす | 弟磯城と 遣りて示せど 肯(うけかは)ず |
みちをみかうつ おしさかと | ミチヲミが撃つ 忍坂(おしさか)と |
うつひこかうつ おんなさか | ウツ彦が撃つ 女坂 |
ゑしきのにける くろさかに | 兄磯城の逃げる 黒坂に |
はさみてうては たけるとも ふつくきれとも | 挟みて撃てば 長(たける)ども 悉(ふつ)く斬れども |
なかすねか たたかいつよく あたられす | ナガスネが 戦い強く 当たられず |
ときにたちまち ひさめふる | 時に忽ち 氷雨(ひさめ)降る |
こかねうのとり とひきたり ゆはすにとまる | 黄金(こがね)鵜の鳥 飛び来たり 弓弭(ゆはす)に止まる |
そのひかり てりかかやけは | その光 照り輝けば |
なかすねか たたかひやめて きみにいふ | ナガスネが 戦ひ止めて 君に言ふ |
むかしあまてる かみのみこ | 「昔天照 神の御子 |
いわふねにのり あまくたり | 斎船に乗り 天下り |
あすかにてらす にきはやひ | 飛鳥に照らす ニギハヤヒ |
いとみかしやお きさきとし | 妹御カシヤを 后とし |
うむみこのなも うましまち | 生む御子の名も ウマシマチ |
わかきみはこれ にきはやひ | 我が君はこれ ニギハヤヒ |
あまてるかみの かんたから とくさおさつく | 天照神の 神宝 十種を授く |
あにほかに かみのみまこと いつはりて | あに他に 神の御孫と 偽りて |
くにうははんや これいかん | 国奪はんや これ如何ん」 |
ときにすへらき こたえいふ | 時に天皇 応え言ふ |
なんちかきみも まことなら しるしあらんそ | 「汝が君も 真なら 璽(しるし)あらんぞ」 |
なかすねか きみのゆきより | ナガスネが 君の靫(ゆき)より |
ははやてお あめにしめせは かんをして | 羽々矢璽(やて)を 天に示せば 神璽(ヲシテ) |
またすへらきも かちゆきの | また天皇も 歩靫(かちゆき)の |
いたすははやの かんをして | 出す羽々矢の 神璽 |
なかすねひこに しめさしむ | ナガスネヒコに 示さしむ |
すすまぬいくさ まもりいる | 進まぬ戦 守り入る |
ねんころおしる にきはやひ | 懇(ねんごろ)を知る ニギハヤヒ |
わかなかすねか うまれつき | 「我がナガスネが 生れ付き |
あめつちわかぬ かたくなお | 天地分かぬ 頑(かたくな)を |
きりてもろひき まつろえは | 斬りて諸率き 服(まつろ)えば |
きみはもとより くにてるの | 君は本より 国照の |
まめおうつしみ いはわれの | 忠を映し見 磐余(いはわれ)の |
こやにへおねり としこえて こせのほふりや | 仮屋(こや)に方(へ)を練り 年越えて 巨勢のホフリや |
そふとへと ゐのほふりらも つちくもの | 層富(そふ)トベと 吉野ホフリ等も 土蜘蛛の |
あみはるものお みなころす | 網張る者を 皆殺す |
たかおはりへか せひひくて | 高尾張侍(はりへ)が 背低くて |
あしなかくもの おおちから | 足長蜘蛛の 大力 |
いわきおふりて よせつけす | 穢気(いわき)を放(ふ)りて 寄せ付けず |
たかのみやもる うものぬし | 多賀の宮守る ウモノ主 |
くしみかたまに みことのり | クシミカ玉に 詔 |
ものぬしかかえ くすあみお | 物主考え 葛網を |
ゆひかふらせて ややころす | 結ひ被らせて やや殺す |
すへをさまれは つくしより | 総べ治まれば 筑紫より |
のほるたねこと ものぬしに | 上るタネ子と 物主に |
みやこうつさん くにみよと | 「都遷さん 国見よ」と |
みことおうけて めくりみる | 御言を受けて 巡り見る |
かしはらよしと もふすとき | 「橿原好し」と 申す時 |
きみもをもひは おなしくと | 君も思ひは 同じくと |
あめとみおして みやつくり | アメトミをして 宮造り |
きさきたてんと もろにとふ | 「后立てん」と 諸に問ふ |
うさつかもふす ことしろか | ウサツが申す 「事代が |
たまくしとうむ ひめたたら | タマクシと生む 姫タタラ |
ゐそすすひめは くにのいろ | ヰソスズ姫は 国の色 |
あわみやにます これよけん | 阿波宮 (琴平宮) に坐す これ好けん」 |
すへらきゑみて きさきとす | 天皇笑みて 后とす |
ことしろぬしお ゑみすかみ | 事代主を ヱミス神 |
まこのくしねお あかたぬし | 孫のクシネを 県主 |
やしろつくらせ めのふそか | 社造らせ メ(十月)の二十日 |
まつるおおみは かんなみそ | 祀る大三輪 神南備ぞ |
かんよりになも かんやまと | 神よりに名も 神ヤマト |
いはわれひこの あまきみと | イハワレ彦の 天君と |
あまねくふれて としさなと | あまねく触れて 年サナト |
かしはらみやの はつとしと | 橿原宮の 初年と |
みよかんたけの おおいなるかな | 見よカンタケ (神武)の 大いなるかな |
【ホツマツタヱ3、ヤのヒマキ(人の巻)29、タケヒト (神武)大和討ちの紋】 |
タケヒト 大和討ちの文 |
「カンヤマト イハワレヒコの」、「皇は 御祖天君」、「四つの御子 母はタマヨリ」、「兄宮の ヰツセは多賀の 央君なり」、「御祖天君 筑紫治す」、「十年治めて ひたる時」、「天君の璽を タケヒトに」、「授けアヒラの 神となる」、「君宮崎に タネコ等と」、「政り執る故 静かなり」。 |
「カンヤマト・イワワレヒコの皇(すべらぎ天皇)は御祖天皇(みおやあまきみ)の四番目の御子として生まれました。母はタマヨリ姫。兄宮のヰツセ皇子は多賀の親王(おきみ)。御祖天皇は筑紫(九州)を治めた。十年筑紫を治めて臨終(ひたる)の時、遺言で天君の璽(に)をタケヒトに授け、洞に自らお入りになり「あひら」の神となられた。タケヒトは宮崎(宮崎神宮)でタネコ等と国を治め、平和で安定していた。
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「カグヤマの臣(ニギハヤヒ) ナガスネが」、「儘に奮えば 騒がしく」、「ハラの央君は 糧止む」、「故にナガスネ 船止む」、「大物主が 討たんとす」、「多賀の央君は 驚きて」、「筑紫に下り 共に治す」、「物主一人 民治む」。 |
香久山の臣と名乗るナガスネ彦が、掟を乱す勝手な振る舞いをするようになり、世の中が不穏な空気に包まれて騒がしくなってきた。原の央君(おきみ、親王)は、年貢の初穂を停止治めなかった。それを知ったナガスネは舟の通航を止めた。ナガスネの敵対行為を知った大物主が、ナガスネを討とうとした。多賀親王(いつせ皇子)は、この武力騒動に驚いて筑紫に下って、弟タケヒトの所へ行き、そこで共に政治を執られた。そのため、大物主(くしみかた)一人が民を治めることになった。
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「時にタケヒト アヒラ姫」、「娶り生む御子 タギシミミ君 歳四十五」、「物語り」、「昔の御祖 タカムスビ」、「日高見生みて 一千万年」、「過ぎて天日の 大御神」、「陽陰なる道に 民を治す」、「御子のオシヒト 譲り受く」、「御孫キヨヒト また受けて」、「ワケイカツチの 天君と」、「天の岩塊 押し開き」、「逸のチワキに 治まりて」、「御祖に継がふ 道開きて」、「光重ぬる 年の数」、「百七十九万 二千四百」、「七十年経るまで (アマテルの誕生からウガヤの死まで) 遠近も」、「潤ふ国の 君ありて あれも乱れず」。 |
一方、九州ではタケヒトがアヒラ姫(最初のお妃)を娶り、そこで生まれた皇子がタギシミミ。その時、君タケヒトの年は四十五才。物語。昔、御祖のタカムスビ(たかみむすびの神)が日高見の国を創ってより一千万年過ぎて、天日の御大神(天照大神)が生まれ、天なる道に基づき民を治めた。御子のオシヒト(オシホミミ)が道を譲り受けた。御孫のキヨヒトが更に引き継ぎ、ワケイカツチの天君と天の岩塊を押し開き、逸のチワキに治まりて、御祖に継がる道を開いた。光重ぬる年の数は百七十九万二千四百七十年経るまで、遠近も潤ふ国の君ありて天の御心に沿った道が貫かれ乱れなかった。
|
「天の道 万に流行る歌」、「乗り下せ ホツマ方平む 天下斎船」、「シホツチの 翁勧めて」、「ニギハヤか 如何ぞ行きて 平けざらん」、「諸御子も実に いやちこと」、「先にヲシテの 答えつら」、「君速やかに 御幸なせ」。 |
この時、世間に天の道の歌が流行った。「乗り下せ ホツマ地平(ひろ)む 天磐船(あまのいわふね)」。シホツチの翁がタケヒトに東征を勧め曰く、「ニギハヤヒと臣(とみ)ナガスネの勝手な振る舞いで中国が乱れて国が危ない。タケヒト汝行きて断固戦い、平定せよ」。居並ぶ諸神(もろかみ)も異口同音に「その通り。先にヲシテの 答えつら。君よ、一日も早く我らを率いて御幸に発たれよ」。 |
「天鈴キミヱの 十月三日」、「天御子自ら 諸率きて」、「御船の至る 速吸門 寄る海人小船」、「アヒワケが 問えば国守 ウツヒコぞ」、「海の釣にて 聞く御船」、 「向かふは御船 導くか」、「あひ」と答えて 詔」、「椎竿の末 持たしめて」、「船に引き入れ 名を賜ふ」、「シイネツヒコの 率く船の」、「宇佐に至れば ウサツヒコ」、 「ヒトアガリ屋に 御饗なす」、「膳に寄る ウサコ姫」、「タネコが妻と 父に問ひ 筑紫のヲシト」、「安芸の国 チノ宮に<年を>越す」、「三月には 吉備高嶋に」、「中国の 政り治めて 三年坐す」。 |
天鈴キミヱの十月三日十月(かんな)三日、天御子タケヒトは自ら指揮を執り、諸を率いて軍船に乗り東征の旅に発った。船が速吸門(はやすいと)にさしかかると、一漁船が近付き、何やら大声をかけて来た。アヒワケが何者か問うと、国神のウツヒコと云う。「海の釣に出掛けておりましたら、天御子の御幸聞きお迎えに上がりました。どうか私共も一緒に君の御軍にお供させてください」。「水先案内をしてくれるか」と問うと、「あい」と答えたので、タケヒトが詔して曰く、「椎竿の末を持って船に入ったので椎根津彦(しいねずひこ)と名乗れ」と名前を賜わった。椎根津彦の水先案内で行く船は宇佐に着いた。宇佐では宇佐津彦が、ヒトアガリ仮室(や)で一行の歓迎の饗を開いた。その時、君の膳(かしわで)に御仕えしたのがウサコ姫だった。君の側近のアメタネコがウサコ姫を気に入り、父ウサツヒコの許しを受けて妻とした。筑紫のヲシトとなった。その後、船出して安芸(あき)の国のチノ宮に越し、その年四月(やよい)には吉備国の高嶋に行幸され、中国を治めて三年過ごした。 |
「内に調ひ 御船行く」、「天鈴五十五年 二月や」、「速浪立つる 御津崎」、「名も浪速の 港より」、「ヤマアト川(大和川)を 逆上り」、 「河内草下の アウヱモロ」、「館に軍 調ひて」、「龍田の道は 慣らひ得ず 生駒越ゆれば」、「ナガスネが 軍起して」、「我が国を 奪わんやわと」、 「孔舎衛(くさえ)坂 戦ひ合わす」、「ヰツセ御子 肱を撃たれて 進み得ず」。 |
万端準備が整い、軍船を連ねて出航したのが天鈴五十五年二月(きさらぎ)、流れが急になり速浪(はやなみ)の渦巻く御津崎(みつみさき)に至ると、君は、上陸地の港を浪速(なみはや)と名付けた。浪速の港からヤマト川を河内の草香邑(くさか)まで逆上り、県主(あがたぬし)のアウエモロの館に着いた。いよいよ軍(いくさ)の準備が整ったが龍田の道は難所が続き不慣れだった。生駒山を越え、大和盆地に進軍したところ、迎え討つナガスネ軍の反撃はすさまじく、ナガスネが、「我が国を奪えるものか」と戦いを挑み、クサエ坂合戦となった。この時、イツセ皇子は流れ矢に肘を射られるなど大苦戦余儀なくされ、それ以上進むことができなかった。 |
「皇告れる 議り事」、「我は日の孫 日に向かふ」、「天に逆えば 退きて」、「神を祀りて 日の随に」、「襲わば仇も 破れんと」、「皆然りとて 八尾へ退く」、「仇も迫らず 御船行く」。 |
皇は戦略的変更を余儀なくされ撤退を全軍に触れた。「我は日の神の子孫(まご)であるのに、日に向かって弓を引いて闘った。天(あめ)の御心に逆らっているので一旦退いて神祀りして、今度は日の御影に従って戦いに挑むことにする。そうすれば必ず敵(あだ)は破れ、我らが勝利は間違いなかろう」。この詔を受けて諸神も皆、「然り、もっともだ」として兵を引き八尾まで退却することにした。敵の追撃もなく、御船で向かった。 |
「茅渟の山城で ヰツセ枯る」、「紀の竃山に 葬らしむ」、「名草のトベが 拒む故 潰して狭野へ」、「熊野村(邑) 磐盾越えて 沖を漕ぐ」、「旋風船を 漂わす」、「イナヰイ騒ちて 天の神」、「母海神や 如何がせん」、「陸に窘(たしな)め また海と」、「去るサヒモチの 海の神」、「ミケイリもまた 逆波の」、 「海を恨みて 神となる」。 |
停山城(ちぬのやまき)の港の山城で、イツセの皇子(みこ)が亡くなった。紀伊国(きいくに)の竃山の地に埋葬した。の名草村(なぐさむら)の戸部(とべ)が抵抗したので成敗した後、熊野村、磐盾越えて船を進めた。良き上陸地を探していたところ、暴風雨の襲来を受け船が流され木の葉の如く翻弄された。船団は闇にのみ込まれ、あわや海の藻屑となる寸前となった。この時、イナイイが突然泣き騒ぎ、「天の神よ母海神(ははわだかみ)よ、どうして助けて下さらないのか。陸(くが)で苦しい戦いを強いられて、また海の災いを受けるとは」と叫んで、海に入水し海の神となった。ミケイリもまた逆浪を恨んで後追い入水し神になった。 |
「皇(すべらぎ)御子も 恙なく」、「行く荒坂に イソラなす」、「ニシキド拒み 汚穢吐けば」、「皆疲れ臥し 眠る時」、「タカクラシタに 夢の告げ」、 「タケミカツチに 詔」、「国騒やければ 汝行け」、「神に答えは 「行かずとも」、「国平け剣 下さん」と」、「神も「宜(うめ)なり」」、 「ミカツチの フツの霊魂を」、「倉に置く これ奉れ」、「あひあひと タカクラシタが」、「夢覚めて 倉を開けば」、「底板に 立ちたる剣」。 |
これにより、皇(すべらぎ)と御子の二人とも無事にこの難局を乗り越えて、次に荒坂津(あらさかつ)に向かった。この地にはイソラの魔術を使うニシキドが居り、毒気を吐きかけてきた。これにより皇軍は疲れ伏し深い眠りに誘われた。この頃、高倉下(たかくらした)に夢の告げがあった。天照神がタケミカズチに詔りして、「葦原中国が大分乱れて騒がしいので、汝行って治めよ」。タケミカズチが神に答えて曰く、「私が行かずとも、平定剣(くにむけのつるぎ)を下し降ろせばよい」。天照神も「もっともなことだ」とお答えになった。タケミカズチは、先祖伝来のフツノミタマの剣を高倉下の倉に降し置き、「これをタケヒト君に奉れ」と命じた。「あいあい」と答えた高倉下の夢が覚めた。奇妙な夢に驚いた高倉下が半信半疑ながら倉を開いてみると、底板に突き立った剣があった。 |
「進むれば 君の長寝の 汚穢冷めて」、「諸も覚むれば 軍立ち」、「山道険しく 末絶えて 野にしぢまひて」、「皇の 夢に天照 神の告げ」、「八尺の烏を 導きと」、「覚むれば八尺の 烏あり」。 |
早速タケヒト君の元に詣でて剣を奉ると、君の長眠りの術が解け、諸神も皆目覚め、再び軍(いくさ)立ちした。とはいえ、飛鳥への山路は険しくて、時として分け入った道の末が絶えて消えてしまい、野にさまよってしまった。この時、皇の夢に天照神のお告げで、「八尺の烏(ヤタノカラス)が道案内してくれる」とあった。目が覚めてみると、丁度目の前にヤタノカラスと言う翁が尋ねて来ていた。 |
「老翁が穿つ あすか道 軍率き行く」、「ミチヲミが 峰越えウタの ウカチ村」、「ウガヌシ召せば 兄は来ず」、「弟は詣でて 告げ申す」、「兄逆らえど 見合えして」、 「謀る転(くる)りを 知ろし召せ」、「故にミチヲミ 探すれば」、「仇なす言を お猛びて」、「汝が造る 屋に居れと」、「剣よ弓と 攻められて」、「辞(や)む処方(とこ)なき 天の罪」、「己が転りに 罷るなり」、「弟は持て成す 君臣も」、「吉野峰の縁の ヰヒカリも」、「イワワケ神も 出で迎ふ」。 |
翁は、飛鳥の嶺嶺を越えて道なき道を切り開いて軍を引導した。先陣を行く軍師ミチオミは、嶺嶺をいくつも越えて、やっとウダのウガチ村に辿り着いた。早速ウダの県主のウガ主を呼びにやったところ、兄は現われずに弟が参上して告げ申すには、「兄は陰謀を企んでいます。君の饗(みあえ)を開いて誘いだして恐ろしい仕掛けで殺す計画です。くれぐれもご用心下さい」。それを聞いたミチオミは、兄ウガ主を見つけ出し問いつめたところ、ミチオミに対し、抗戦的な言葉を大声で浴びせた。皇軍が、「おまえの造った家に入れ」と、剣や弓で追い立てて攻め続けると、天罰てきめん自らの仕組んだ罠に嵌まり遂に死んだ。弟ウガシは精一杯のもてなしをし、君を初め臣(とみ)や兵(つわもの)どもにも振る舞いをして歓迎した。ウガシが皇軍に従ったのを知った吉野尾上(よしのおのえ)のイヒカリも、又イワワケの国神もタケヒトに帰順して出で迎え従った。 |
「高倉山の 麓には」、「兄シギが軍 磐余の」、「要に寄りて 道塞ぐ」、「皇祈る 夢の告げ 」、「神を祀れよ 香久山の」、「埴の平皿に ヒモロケと」、「神の教えに 為さんとす」、 「弟ウカシ来て 磯城長(しきたける)」、「葛城(かたぎ)甘樫(あかし)も 皆拒む」、「君を思えば 香久山の」、「埴の平皿(ひらて)の ヒモロケに」、「天地祀り 後討たん」、「ウカシが告げも 夢合せ」、「シイネツヒコは 蓑と笠」、「箕を持つウカシ 翁姥(おじうば)の」、 「民の姿で 香久山の」、「峰の埴採り 返言は」、「弥(みよ)の占形 努々(ゆめゆめ)と」、「謹しみ採れと 詔」。 |
しかしまだ高倉山の麓には兄シギ軍が磐余(イワワレ)の要衝地に陣取って、皇軍(すめらいくさ)の行く手の路を塞いでいた。皇が神に祈りを捧げたその夜、夢の告げに、「香久山の土を採って平盆(ひらで)を造り、神饌(ひもろぎ)を捧げて、天神地祗を祀れ」とあった。神の教え通りにしようとしていたところへ、弟ウガシが来て告げるには、「未だに磯城(しぎ)の八十タケル(やそたける)、葛城(かだき)、甘樫(あかし)等が抵抗しています。君の戦いを勝利さすには先ず香久山の土で平盆を造って、神饌を捧げて天神地祗を祀って後に敵を討てばよろしいかと考えます」。ウガシの告げが正に夢合わせとなった。「シイネズ彦が蓑笠姿の老人に変装し、ウガヌシは箕(み)を持つ老婆の姿に身をやつして、二人とも民の姿で香久山の峰の土を採って参れ。もし問われたらば、御代の栄を願っての占いのためですと返答すればよい。汝らの幸運を祈る。夢ゆめ怠りなく慎みて採ってまいれ」との詔があった。 |
「ちまたに仇(あだ)の 満ち居れば」、「シイネツヒコが 祈り言ふ」、「我が君国を 定むなら」、「道も開けん 必ず」と」、「直ちに行けば 仇も見て」、「様を笑ひて 避(よ)け通す」、「故に香久山 埴採りて」、「返れば君も 喜びて」、「斎瓮(いつへ)を作り 丹生(にふ)川の」、「ウタに写せる 朝日原」、 「天照トヨケ 二祀りは ミチヲミぞまた」、「神御孫(かんみまこ) 天マヒが曾孫(ひこ)」、「アタネして 別雷山の 御祖神」、「三日祀らせて 仇を討つ」。 |
二人は香久山目指して出発した。道という道には敵が大勢たむろしていた。シイネズヒコは、一心に神に祈って申しあげた。「我が君が、この国を平定すべき御方なら道が開けるでしょう。必ず」。誓って進み行くと、敵は落ちぶれ老夫婦の姿を見て冷やかし笑い、咎めだてることもなく避けて通してくれた。こうして、幸運にも香久山の土(はに)を採って帰ると、君も大層お悦びになられて、早速この土で斎瓮(いつへ)を造って神祀りをされた。宇田の丹生(にふ)川の近くに、丹後の国に祀られている朝日原の社を移して、天照神とトヨケの二神を祀り、ミチオミが祭主(まつりぬし)を務めた。神御孫(かんみまこ)と天マヒが曾孫(ひこ)、「アタネして別雷山(わけいかずちやま)」を三日間祀って後に、敵(あだ)を討伐した。 |
「国見が丘に 軍立て 作る御歌に」、「神風の 伊勢の海なる 往にし代の」、「八方這い回む 下民の天子(あこ) 弥々(よよ)天子よ」、「下民の い這ひ回(もと)めり 討ちて しやまん」、「この歌を 諸が歌えば 仇が告ぐ」、「暫し考ふ ニギハヤヒ」、「流離男寄す」と お猛びて」、「また一言交も 「天から」と」、「軍を退けば 味方笑む」。 |
君は、敵状視察に適したウダ県(あがた)の最高峰の国見丘(くにみがおか)に本陣を設営して、四方を望んで御歌を作られた。「神風の伊勢の海なる昔(いにしえ)の 八重這い求む (したたみ)の 我子(あこ)よよ我子よ 下民の い這い求め 討ちてしやまん」(神風の伊勢の海には、昔(いにしえ)から海に住んでいる「したたみ」という貝が、四方八方、餌を求めて這いまわっているかのように。我が子(我が兵士)よ、「よ」(良い、強い)我が子(我が兵士)よ、「しただみ」(下民、罪人、盗賊、浮浪者)が這いまわって悪さをしているのを徹底的に探し出して討ち取ろうではないか)。御歌を、皆が一斉に歌ったところ、敵の者がニギハヤヒにこの歌を告げた。ニギハヤヒはしばし考えた末に、「流離男寄す」と大声で叫び、又言うには「天から」と言うや、軍を引いて退却した。味方の兵達は笑った。 |
「十一月七日 シギヒコを」、「雉子に召せど 兄は来ず」、「また遣る八尺の カラス鳴き」、「天神の御子 汝召す いさわいさわぞ」、「兄シギ聞き いとうなす神 汚穢ぬ時」、「仇枯らすとて 弓引けば 」、「弟が屋に行き 君召すぞ」、「いさわ いさわと カラス鳴く」、「弟シギ怖ぢて 容(かたち)変え」、「神のいとうに 我畏る」、「愛々汝」とて 煽(はも)り上(あ)え」、「随(まま)に到りて 我が兄は 仇すと申す」。 |
十一月(ねずき)七日弓張りの日、天君は先に高倉山の麓に陣取って道を阻んでいるシギヒコに、再度使いを出し、神軍に服(まつ)ろうよう告げさせたが、兄シギは来なかった。今度はヤタノカラスを使者として飛ばせて説得にあたらせた。「天神の御子が汝を召しておられるのだ。さあさあ早く決断されよ」。これを聞き、兄シギが怒りだして言い放つには、「ウトウをなす神(善意を現わす神)何ぞと。ちゃんちゃら可笑しいわ。吐き気がする。そこにカラスが啼きおって、一矢(いっし)を報いてやる」と述べ弓を引いた。ヤタノカラスは今度は弟の家に行き、「君が召しているのだ。さあ早く、さあ早く」とせかすと、弟シギは怖じけづき、変心して言うには、「神の善意には、心から畏れ多く思っています。おっしゃる通りに従います」と述べ、葉盛の饗(みあい)を随員達に振る舞った後、随行して君の御前に詣でて、「我が兄は君に敵対しています」と申し述べた。 |
「時に君 問えば皆言ふ」、「とに諭し 教えても来ぬ」、「後討つも 好しとタカクラ」、「弟シギと 遣りて示せど 肯はず」、「ミチヲミが撃つ オシサカと」、「ウツヒコが撃つ オンナサカ」、「兄シキの逃げる クロサカに」、「挟みて撃てば 長(たける)ども 悉(ふつ)く斬れども」、「ナガスネが 戦い強く あたられず (果たせず)」。 |
その時君が、諸神に戦略を問うと皆異口同音に、「説いて諭して教えてもなお抵抗して来ない時には後討つもやむなし」と一決し、タカクラシタと弟シギとを使者に立て説得に行かせた。が、兄シギは取り合おうともせず聞き入れなかった。事ここに至っては、戦あるのみ。ミチオミは忍坂(おしざか)で敵を討ち、ウツヒコは女坂で敵と戦い、兄シギが逃げ行く黒坂の要所を一気に挟み討った。ところが、ナガスネ軍の戦は強く、一進一退の戦にもつれこみ決着がつかないままの状態が続いた。 |
「時に忽ち 氷雨(ひさめ)降る」、「黄金鵜の鳥 飛び来たり 弓弭(ゆはす)に留まる」、「その光 照り輝けば」、「ナガスネが 戦ひ止めて 君に言ふ」、「昔天照 神の御子」、 「斎船に乗り 天下り 飛鳥に照らす」、「ニギハヤヒ 妹ミカシヤを 后とし」、「生む御子の名も ウマシマチ」、「我が君はこれ ニギハヤヒ」、「天照神の 神宝 十種を授く 」、 「あに他に 神の御孫と 偽りて」、「国奪はんや これ如何ん」、「時に皇 応え言ふ」、「汝が君も 真なら 璽(しるし)あらんぞ」、「ナガスネが 君の靫(ゆき)より」、「羽々矢璽(やて)を 天に示せば 神璽(かんをして)」、「また皇も 歩靫(かちゆき)の」、「出す羽々矢の 神璽」、「ナガスネヒコに 示さしむ」。 |
その時、たちまちのうちに天が曇ったかとおもうと氷雨が降りだし、どこからともなく金色(こがね)の鵜の鳥が飛び来て、天皇(あまきみ)が手にする弓の弭(ゆはず)に止まった。その光は四方に照り輝いて、敵味方双方の兵達を驚かせた。ナガスネは戦い止めて、君に対し大声で訴えるには、「昔、天照神の天孫が天盤船(あめいわふね)に乗って日高見の国からここ飛鳥に天下り後に天照国照(あまてるくにてる)はニギハヤヒ君となって、照り輝く政(まつりごと)を治めて皇統を守り、我が妹のミカシヤ姫を妃とし、生まれた御子の名は、ウマシマチである。我が仕える君はニギハヤヒ君だけである」。「天照神が御神宝の十種宝(とくさたから)を授けた正統な君であるぞ。それを神の皇孫(みまご)と偽って国を奪いにきたのだろう。返答せい」。その時、スメラギはこう答えられた。「汝が君が真実(まこと)と言うなら、天君(あまきみ)の証拠となる神璽(おしで)があるはずだ」。ナガスネがニギハヤヒの靫(ゆき)から取り出した羽羽矢璽(ははやて)を高高と揚げて天に示したのが神璽(かんをして)である。又皇も歩靫(かちゆき)の中から取り出したのが羽羽矢の璽(おしで)で、ナガスネヒコに見せ示した。 |
「進まぬ戦 守り入る」、「懇を知る ニギハヤヒ」、「我がナガスネが 生れ付き」、「天地分かぬ 頑(かたくな)を」、「斬りて諸率き 服えば」、「君は本より 国照 (ニギハヤヒ)の」、「忠を映し見 磐余(いはわれ)の」、「仮屋(こや)に方(へ)を練り 年越えて」、「巨勢のホフリや 層富(そふ)トベと 吉野ホフリ等も」、「土蜘蛛の 網張る者を 皆殺す」、 「高尾張侍(はりへ)が 背低くて」、「足長蜘蛛の 大力」、「穢気(いわき)を放(ふ)りて 寄せ付けず」、「多賀の宮守る ウモノヌシ」、「クシミカタマに 詔」、「物主考え 葛網を」、「結ひ被らせて やや殺す」。 |
双方とも守りを固めて休戦状態が長く続いた。ニギハヤヒは次第に天君(あまきみ)の威光を感じるようになり、親しみを覚えてお互いねんごろな気持ちになった。それに引き替え、ナガスネヒコは生来の頑固者で、天地の分別を教え説いても聞く耳をもたず、不幸で厄介なことになってしまった。ニギハヤヒは遂に決心してナガスネを切り殺し、兵を率いて皇の御前に降伏した。君は、国照宮の人柄と忠義心を誉め称え、磐余(いはわれ)の仮宮で親交を温め合った。年を越えて、なお網を張って抵抗する巨勢のホフリや層富(そふ)トベや吉野ホフリ等の土蜘蛛等を虱潰しに殺した。タカオハリベは背の低く足長の蜘蛛にして大力(おおちから)で、穢気(いわき)を放(ふ)りて 寄せ付けなかった。 この膠着状態を見て、多賀の宮を守るウモノヌシが、クシミカタマに詔した。物主が考えて、葛網(くずあみ)を編んで被せてからめ取り、やっとのことで退治することができた。 |
「総べ治まれば 筑紫より」、「上るタネコと 物主に」、「都移さん 国見よと 」、「御言を受けて 巡り回る」、「橿原好しと 申す時」、「君も思ひは 同じくと」、「アメトミをして 宮造り」。 |
全ての戦いも終わり一段落したところで、九州から上京したタネコと、タガから呼び出された大物主クシミカタマに対し、天君(あまきみ)より詔があった。「都を移したいので、国を見て廻れ」。詔を受けて二人は国中を巡り見た結果、「橿原(カシハラ)が最適地と存じます」と申し上げると、君も同じ考えであったと打ち明けられて、アメトミに命じて橿原宮(かしはらみや)を造らせた。 |
「后立てん」と 諸に問ふ」、「ウサツが申す 「事代が」、「タマクシと生む 姫タタラ」、「ヰソスズ姫は 国の色」、「阿波宮 (琴平宮) に坐す これ好けん」、 「皇笑みて 后とす」。 |
又、 「后を定めようと思うが、良き姫を奨めよ」と、諸神に問いかけられると、ウサツヒコが申し上げるには、「事代主(ことしろぬし)がタマクシ姫と結婚して産んだ姫のタタラ・イソスズ姫は、国一番の美女でございます。現在神の坐すアワ宮にお住まいになっています。この方が相応しいと思います」。それを聞いた天皇(すめらぎ)は笑みてイソズス姫を后とされた。 |
「事代主を ヱミス神」、「孫のクシネを 県主」、「社造らせ 十月の二十日」、「祀る大三輪 神南備ぞ」、「神拠りに名も カンヤマト」 「イハワレヒコの 天君と あまねく告れて」、「年サナト 橿原宮の 初年と」、「弥カンタケ (神武)の 大いなるかな」。 |
姫の亡き父・事代主にはエミス神の名を贈られ、孫のアタツクシネを高市の県主(あがたぬし)に取り立てて社を造営させた。そこで十月二十日、神祀りを盛大に執り行った。大三輪は昔より神南備であった。この神祀りにちなんで、君の名前の初めに神の字を付けて、神ヤマトイワワレヒコの天君と命名して全国に触れてしらしめた。サナト(辛酉しんゆう)の年、天君は橿原宮に即位されて、この年が橿原宮元年となった。これが御代神武(みよかんたけ)の大いなる始まりとなった。 |
(私論.私見)