ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)26

 

 (最新見直し2011.12.25日)

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 2011.12.25日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)26、産が屋葵桂の文】
 トヨタマ姫・葵の返歌、葵祭の起源
 うかや あおいかつらのあや      産が屋 葵桂の文
 みそむすす みそよゑみそや     三十六鈴 三十四枝三十八
 やよいもち わけいかつちの あまきみは     三月十五日 ワケイカツチの 天君は  
 もろとみめして みことのり         諸臣召して 詔   
 むかしにはりの みやたてて        「昔ニハリの 宮立てて  
 たみつのために はらみやま        田水のために 原見山    
 なりてみそよろ たみおたす      成りて三十万 民を治す  
 ついにしはかみ ほつまなる        遂に磯輪上(しはかみ) ホツマ成る
 あまつひつきお うけつきて        天つ日嗣ぎを 受け継ぎて  
 わけいかつちの かみとなる       ワケイカツチの 神となる   
 みそひよろとし をさむれは       三十一万年 治むれば    
 よはひもをいて あのひつき     齢も老いて 天の日嗣ぎ
 いまうつきねに ゆつらんと         今ウツキネに 譲らん」と 
 をしかいたれは みそふかみ        御使(をしか)至れば 三十二神
 したひおしめと みことのり  慕ひ惜しめど 詔
 さたまるうえは よろとしお         「定まる上は 万歳(よろとし)を  
 いはひてのちの みゆきこふ        祝ひて後の 御幸請ふ」
 しかふねとえは わにかいふ         志賀船問えば ワニが言ふ  
 おおかめならは つきこえん かもはひとつき      「大亀ならば 月越えん 鴨は一月 
 おおわには ささともふせは のたまはく             大ワニは ささ」と申せば 曰わく   
 ちちめすときは さはかなり       「父召す時は 騒かなり
 われはおおわに ひめはかも            我は大ワニ 姫は鴨  
 あとにおくれと おおわにお  後に遅れ」と 大ワニを 
 しかのうらより つなときて      志賀の浦より 綱解きて    
 はやちにきたの つにつきて      早ちに北の 津に着きて 
 いささわけより みつほまて        イササワケより 瑞穂まで
 みかえりあれは あまきみも とみもよろこふ            御帰りあれば 天君も 臣も喜ぶ 
 これのさき きさきはらみて つきのそむ               これの先 后孕みて 月望む  
 かれにあとより かもおして          故に「後より 鴨をして
 きたつにゆかん わかために         北津に行かん 我が為に  
 うふやおなして まちたまえ        産屋を成して 待ち給え」    
 かれまつはらに うふやふく     故松原に(気比の松原) 産屋葺く  
 むねあわぬまに かもつきて       棟合わぬ間に 鴨着きて
 はやいりまして みこおうむ         早や入りまして 御子を生む  
 かつてはいすも みゆもあく       カツテは椅子(イス)も 御湯も上ぐ 
 うかやのゆとは このはなの しろきかにさく 産が屋の湯とは 木(こ)の花の 白き香に咲く  
 こはうのめ またあまかつら         こはうのめ また天かつら 
 いまみこの かにつははけは ここもあり                今御子の かに唾吐けば ココモあり 
 すせりみやより みゆすすめ         スセリ宮より 御湯進め   
 まくりとともに かにおたす       海人草(まくり)と共に かにを治す  
 かれなからえて ソヨススノ      故永らえて そよ鈴の 
 よわひうかわの みやほめて      齢ウカワの 宮褒めて 
 しらひけかみと なおたまふ     白髭神と 名を賜ふ  
 かねてかつてか もうさくは       予ねてカツテが 申さくは 
 きはうふみやお なのそきそ         「キは産宮を な覗きそ  
 うつきもちより なそゐかは          四月十五日より 七十五日は
 ひことうかやの うふゆあく こるのりなり            日毎産が屋の 産湯上ぐ 遺る法なり」  
 ほたかみは ほそのをきるも はらののり    ホタカミは 臍の緒切るも 原の法
 ものぬしならす くわのゆみ             物主鳴らす 桑の弓 
 ははやひきめそ こやねかみ    ハハ矢蟇目ぞ コヤネ神 
 いみなかかえて かもひとと        いみ名考えて 鴨ヒトと
 ははよりなきさ たけうかや       母より渚 タケウガヤ  
 ふきあわせすの なおたまふ       フキアワセズの 名を賜ふ  
 ゆえはちくらに かもわれて        故はチクラに  鴨割れて
 ひめもたけすみ ほたかみも         姫もタケスミ ホタカミも 
 なきさにおちて おほるるお         渚に落ちて 溺るるを 
 たけきこころに およかせは        猛き心に 泳がせば 
 たつやみつちの ちからえて         竜やミツチの 力得て 
 つつかもなみの いそにつく          恙(つつが)も波の 磯に着く   
 つりふねよりそ みほさきの       釣船よりぞ 美保崎の
 わにゑてここに つくことも             ワニ得てここに 着くことも 
 みたねおもえは なきさたけ    御種思えば 渚タケ
 ははのみこころ あらはるる         母の御心 顕わるる
 きみまつはらに すすみきて               君松原に 進み来て
 うふやのそけは はらはひに           産屋覗けば 腹這ひに 
 よそひなけれは とほそひく       装ひなければ 戸臍(ほぞ)引く
 おとにねさめて はつかしや         音に寝覚めて 「恥づかしや」 
 おとたけすみと みなつきの       弟タケスミと 六月の  
 みそきしてのち うふやてて         禊して後 産屋出て  
 をにふにいたり みこいたき        ヲニフに至り 御子抱き
 みめみてなてて はははいま はちかえるなり          眉目御手撫でて 「母は今 恥ぢ返るなり 
 まみゆおり もかなとすてて くちきかわ  ま見ゆ折 もがな」と捨てて 朽木川 
 のほりやまこえ ややみかに     上り山越え やや三日に 
 わけつちのねの みつはめの やしろにやすむ       ワケツチの北の ミツハメの 社に休む
 このよしお みつほにつけは おとろきて     この由を 瑞穂に告げば 驚きて  
 ほたかみおして ととめしむ         ホタカミをして 留めしむ 
 をにふのきちの ひたとへは  ヲニフの雉の ひた飛べば 
 あとおしたひて くちきたに        跡を慕ひて 朽木谷
 にしよりみなみ やまこえて           西より南 山越えて  
 みつはのみやに おひつきて       ミヅハの宮に 追ひ着きて 
 こえとかえなて たけすみに    請えど返えなで タケスミに 
 ふくめととめて はせかえり        含め留めて 馳せ帰り 
 かえことなせは きしとひて        返言なせば 雉飛びて
 つくるつくしの はてすみと         告ぐる筑紫の ハテスミと
 おとたまひめと わにのほり           オト玉姫と ワニ上り
 にしのみやより やましろに いたりてとえと        ゛  西の宮より(ワニ船で上京し淀川を遡る) 山城に 至りて問えど 
 ひめはいま おりてのほらす おとたまお        「姫は今 下りて上らず オト玉を 
 ささけとあれは もろともに        捧げ」とあれば 諸共に 
 のほりもふせは いもとめす            上り申せば 妹召す 
 あまつひつきお わかみやに      天地つ日嗣ぎを 若宮に 
 さつけたまいて おおゑきみ しのみやにます           授け給いて 太上君 シノ宮に坐す 
 みつほには にはりのためし ゆきすきの      瑞穂には ニハリの例し ユキスキの
 ををんまつりの おおなめゑ         大御祭の 大嘗会(おおなみえ) 
 みくさのうけお あにこたえ          三種の受けを 天に応え  
 あおひとくさお やすらかに        青人草を 安らかに  
 たもつやはたの はなかさり        保つ八幡の 花飾り
 あすよろたみに おかましむ               翌日万民に 拝ましむ
 しはしはめせと とよたまは みつやおいてす               しばしば召せど 豊玉は ミヅ社を出ず
 あくるとし おおゑすへらき     明くる年 太上スヘラギ
 わけつちの あおひかつらお そてにかけ        ワケツチの 葵桂を 袖に掛け  
 みやにいたれは ひめむかふ       宮に至れば 姫迎ふ
 ときにはおもち これいかん         時に葉を持ち 「これ如何ん」
 とよたまこたえ あおひはそ またこれいかん      豊玉答え 「葵葉ぞ」 また「これ 如何ん」
 かつらはそ いつれかくるや   「桂葉ぞ」 「何れ欠くるや」
 またかけす なんちよおすて みちかくや     「まだ欠けず」 「汝世を捨て 道欠くや」
 ひめはおそれて かかねとも      姫は畏れて 「欠かねども 
 なきさにおよく あさけりに はらはひのはち     渚に泳ぐ 嘲(あざけ)りに 腹這ひの恥
 かさぬみは あにのほらんや     重ぬ身は あに上らんや」
 これはちに にてはちならす     「これ恥に 似て恥ならず
 しかときけ こおうむのちは     確と聞け 子を生む後は
 ちなみたつ なそゐかにたす     因み絶つ 七十五日に治す」
 つつします さらたちたせす     「慎まず 添絶ち養(た)せず
 かつてかみ かねてもふすお     カツテ守 予ねて申すを
 のそくはち なんちにあらす     覗く恥 汝にあらず」
 たつのこは ちほうみにすみ たつたしる      「竜の子は 千年海に棲み 竜治知る 
 ちほやまにすみ たつふると    千年山に棲み 竜降ると
 ちほさとにすみ つくはなる     千年里に棲み 筑波なる
 みいきさとりて きみとなる          三生き悟りて 君となる」 
 なんちなきさに おちんとす      「汝渚に 落ちんとす  
 みたねおもえは たけこころ       御種思えば 猛心    
 なしておよきて なからうる これはいきしる        なして泳ぎて 永らふる これ地生き知る」  
 みやにたち ふりてあさけり     「宮に立ち 振りて嘲り
 まぬかるる これあいきしる     免るる これ天生き知る」
 いまひとつ あおひかつらの いせおゑは ひといきさとる      「今一つ 葵桂の 伊勢を和ば 人息悟る 
 みつしれは たつきみことく かみとなる     三つ知れば 竜君如く(竜が君となる如く) 神となる」 
 たつきみいかん         「竜君如何ん」   
 たつはひれ みつしるゆえに うろこきみ        「竜は卑(ひ)れ 三つ知る故に 鱗君
 かんつみおにお みつしれは ひとはかみなり             かんつみおにを 三つ知れば 人は神なり」  
 ひめははち おちいりいわす     姫は恥ぢ 怖ぢ入り言わず
 みほつひめ みゆきおくりて ここにあり      ミホツ姫 御幸送りて ここにあり
 とえはよろこひ こたえとう      問えば喜び(気を留める)  答え留う 
 みほつうなつき     ミホツ頷き
 おおゑきみ こころないため たまひそよ   「太上(おおえ)君 心な傷め 給ひそよ
 きみとひめとは ひとつきと むつましなさん          君と姫とは 日と月と 睦まじ為さん」 
 もふすとき ををきみゑみて     申す時 太君笑みて
 たけすみに とよたまたせと     タケスミに 「豊玉養せ」と
 かわあいの くにたまわりて     川間(河合)の 国(地)賜わりて
 たにおいて むろつにかめの むかいまつ      谷を出で 室津に亀の 迎い待つ
 かといておくり みゆきなす       門出送り 御幸なす
 きみえををきみ のこしこと          君へ太君 遺言(のこしこと) 
 あにひつきてる ひとくさも かにはひやすそ         「天に日月照る 人草も カには冷やすぞ  
 わのきみも かにたみかるそ     地の君も カに民枯るぞ
 まつりこと こやねものぬし ともにたせ       政り事 コヤネ物主 共に治せ
 みやうちのたは みほひめと       宮内の治は ミホ姫」と
 かめにのりゆく かこしまや          亀に乗り行く 鹿児島や
 そをたかちほの ひにいなむ        ソヲ高千穂の 日に辞(いな)む   
 あさはあさまの ひにむかふ      朝は朝間の 日に向ふ
 ひむかふくにと ほつまくに          日向ふ国と ホツマ国
 ひめはあさまに いなむつき          姫は朝間に 辞(いな)む(隠れる)月 
 たかちねにいり かみとなる           高千峰に入り 神となる
 あさまのかみや こやすかみ      朝間の神や 子安神  
 かねてあうひの いつのかみ        兼ねて合う日の 稜威の守 
 たかちほのねの かみとなる         高千穂の峰の 神となる
 なるかみわけて つちいかす           鳴神別けて 土活かす
 わけいかつちの すへらかみ           ワケイカツチの 皇神
 きみにつくれは もにいりて        君に告ぐれば 喪に入りて 
 いせにつけます ををんかみ        伊勢に告げます 大御神 
 かみことのりは あわのかす          神言宣は 「アワの数   
 へてもおぬきて まつりきく       経て喪を脱ぎて 政り聞く
 としめくるひは もにひとひ           年廻る日は 喪に一日
 そのみはしらに まつるへし           その御柱に 祀るべし」   
 うけゑてのちの みゆきなる      承け得て後の 御幸なる  
 あまてらすかみ よろこひて          天照神 喜びて 
 みをやにつかふ あまきみと をしてたまわる    御祖に仕ふ 天君と ヲシテ賜わる   
 とよたまは わけつちやまに もはよそや         豊玉は ワケツチ山に 喪は四十八  
 としのまつりも みあえなす        年の祀りも 御あえなす
 あまきみひめお たつぬれは          天君姫を 訪ぬれば
 こやねこたえて ためしあり          コヤネ応えて 「例しあり」
 みほつにとえは うたなせと         ミホツに問えば 「歌なせ」と 
 かれうたよみて みほつめか       故歌詠みて ミホツ姫が   
 まこいそよりお つかわせは      孫イソヨリを 遣わせば  
 ひめむかゆるお いそよりは           姫 (トヨタマ姫)迎ゆるを イソヨリは
 たちてよむうた      立ちて詠む歌
 おきつとり かもつくしまに    「沖つ鳥 鴨着く島に
 わかいねし いもはわすらし よのことことも    我が寝ねし 妹は忘らじ 夜の事々も」
 みうたうけ みほつはいかん     御歌受け 「ミホツは如何ん」
 いそよりか みほつのうたに     イソヨリが ミホツの歌に
 いみといひ けかれおたつる    「斎と忌 穢れを立つる」
 ひのもとの かみのこころお しるひとそかみ      「日の本の 神の心を 知る人ぞ神」
 ときにひめ かえしはあおひ きみかつら      時に姫 返しは葵 君桂
 かみにつつみて みひきくさ           紙に包みて 水引草  
 ふはこにおさめ たてまつる         文箱に収め 奉る     
 きみみつからに ゆひおとき そのうたよめは        君自らに 結ひを解き その歌詠めば  
 おきつとり かもおをさむる きみならて         「沖つ鳥 鴨を治むる 君ならで 
 よのことことお ゑやはふせかん           世の事々を えやは防がん」
 このうたお みたひになんた     この歌を 三度に涙
 おちかかる ひさのあおひは     落ち掛かる 膝の葵葉
 もにしみて むかひのこしに     裳に染みて 迎ひの輿に
 とよたまの あゐみやいりと よろこひて      豊玉の あい宮入と 喜びて 
 あやにうつさせ おるにしき      紋に写させ 織る錦 
 こあおひのみは ここちりと      小葵の御衣 菊散(ここちり)と 
 やまはといろの みつのあや  ヤマハト彩(いろ)の 三つの紋 
 かみのよそひの みはもなるかな                 神の装ひの 御衣裳(みはも)なるかな

 産が屋 葵桂の文
 「三十六鈴 三十四枝三十八」、「三月十五日 ワケイカツチの 天君は」、「諸臣召して 詔」、「昔ニハリの 宮立てて」、「田水のために ハラミ山」、「成りて三十万 民を治す」、「遂に地上(しはかみ) ホツマ成る 」、「天つ日月を 受け継ぎて」、「ワケイカツチの 神となる」、「三十一万年 治むれば」、「齢も老いて 天の日月」、「今ウツキネに 譲らんと」、「御使(をしか)至れば 三十二守(筑紫三十二の県主)」、「慕ひ惜しめど 詔」、「定まる上は 万歳(よろとし)を」、「祝ひて後の 御幸請ふ」。
 三月十五日のことです。ワケイカズチの天君(父君)は詔を発します。
 「私は、ツクバニハリの宮の建設を手始めに、水田開発のため豊かな水を求めてハラ山に移り、ついにシワカミのホツマの国を完成させました。しかし年老いたので、天の日嗣(あめのひつぎ)を今、ウツキネに譲ろうと思います」

 このオシカの伝言を九州にいて受けたホホデミは、九州32県の神の慕い惜しむ情をひしひしと感じながらも、32県の諸神を迎えて万才(よろとし)を祝って後、父ミカドのニニキネの座すミズホの宮へ上洛することに決定します。
 シガの神が船司(ふねつかさ)に、君の旅の日程を相談しますと、ワニ船の司が答えるには、
 「大カメ船で一ヵ月以上、カモ船ならば約一ヵ月、大ワニ船ならすぐ着きます」
 ホホデミ申して、
 「父が召集する時はいつも急を要します。我は先ず大ワニ船で先に北の津に向かうから、トヨタマ姫は揺れの少ないカモ船で後からゆっくり来るが良い」
 と、博多湾(志賀の浦)から帆を上げ疾風(はやて)の如く進み、北の津(ツルガ港)に着くとすぐイササワケ宮からミズホの宮にご帰還なられました。天君も郡臣も待ちに待った誉高きホホデミのお帰りを大層喜び迎えました。

 実は先に、二人だけの愛ある生活を大切にされたウド宮での月日が実り、めでたく姫は子供を孕みもうすぐ臨月を向かえようとしていたのです。姫は、君の船出に際して、
 「私は、君のお言葉に従い、何があってもこの子を守って君の後からカモ船で参りますから、どうか私のために産屋を先に建ててお待ちください」
 と申し上げました。
 北の津に着いたホホデミは供の者達に命じ早速産屋造りに取り掛かりました。が、どうでしょう。一ヵ月遅れでゆっくりと来るはずのカモ船が早々に着いてしまいます。まだ棟木の組立も終わらぬまま、屋根も葺いてない造りかけの産屋に、姫は転がり込むと無事皇子を産み落とされたのです。予てこの日もあらんかと、お産の準備のために、重臣等は揃って北の津に控えております。

 宮中の家事一切を司る勝手(かって)神は、姫の産後の体調を考え、姫のために椅子を用意され、皇子(みこ)のための産湯を捧げます。
 この時の湯を、うがやの湯と言い、ウツ木(ぎ)を煎じた汁に白いウノハナを浮かせたもので、それはとても良い香りを漂わせて、玉のような皇子のお肌に優しい産湯でございました。
 ホホデミの兄上であるスセリの宮(ホノススミ・サクラギ)も、産湯を捧げます。まくり(海人草)を混ぜた湯で薬効があり、カニクサ(カニツバ・カニババ)も治まりました。
 皇子は生後初めて出す古い唾や便も排出され順調にお育ちです。ホタカミがへその緒を切る時の流儀は、ニニキネのお妃コノハナサクヤ姫が身の潔白を表わそうと自殺を図ったウツムロの跡に生え出たとされる、焼け跡の残るまだら竹を使います。又、大物主(子守神)は悪魔拔いの儀式を行い桑の弓を鳴らし羽羽矢をつけて放ちました。

 アメノコヤネは皇子の実名(いみな)を考えられ、カモヒトという名前を捧げました。トヨタマ姫がカモ船で、この北の津に来られ、めでたく出産されたことを記念して名付けたものです。

 母トヨタマ姫は、少々長くはありますが、ナギサ・タケ・ウガヤフキアワセズという立派な御名を皇子のためささげました。この名こそは、御自身がお腹の子を守ろうとの一心から勇気を出し泳ぎ抜いた思いを込めた尊い御名なのです。姫がカモ船に乗っている時のこと、運悪く岩にぶつかり難破してしまいます。姫は同船していたタケズミやホタカミと一緒に海に放り出されて、あわや溺れかかった時のことです。波間で苦しみもがく姫の心に突如として、「そうだ。私はお腹の子を守り抜くためには、何としても生きて助かろう。私は君のために無事この子を産まなければならない」
 という熱い思いと勇気が沸き起こり、それはもう無我夢中で泳ぎ回ってやっと釣船に助けられ、荒波打ち寄せる磯にたどり着くことができました。休む間もなく美穂崎(みほざき)から、今度は大ワニ船を調達して無事ここに着くことができたのです。それは母が子を思う愛情と、君への責任を果たそうという、固い固い決意と情熱を込めた立派な名前なのです。
 「シガ船問えば ワニが言ふ」、「大カメならば 月越えん カモは一月」、「大ワニは 少々(ささ)」と申せば 宣給わく」、「父召す時は 騒かなり」、「我は大ワニ 姫(トヨタマ姫)はカモ 後に遅れ」と」、「大ワニを シガの浦より 綱解きて」、「早ちに[疾風]北の 都に着きて」、「イササワケより ミツホまで」、「御帰りあれば 天君も 臣も喜ぶ」、「これの先 后孕みて 月望む」。
 「故に「後より カモをして」、「キタツに行かん 我が為に」、「産屋を成して 待ち給え」、「故松原に(気比の松原) 産屋葺く」、「棟合わぬ間に カモ着きて 」、「早や入りまして 御子を生む」、「カツテは椅子も 御湯も上ぐ」、「産が屋の湯とは 木の花の」、「白きかに咲く こはうのめ」、「また天児等 今御子の」、「かに唾吐けば ココモあり」、「スセリ宮より 御湯進め」、「海人草(まくり)と共に かにを治す」、「故永らえて そよすすの」、「十四鈴の 齢ウカワの 宮褒めて」、 「白髭守と 名を賜ふ」。
 「故はチクラに  カモ破れて」、「姫もタケスミ ホタカミも」、「渚に落ちて 溺るるを」、「猛き心に 泳がせば」、「竜やミツチの 力得て」、「恙(つつが)も波の 磯に着く」、「釣船よりぞ ミホサキの 」、「ワニ得てここに 着くことも」、「御種思えば ナギサタケ」、「母の実心 顕わるる」。
 「君松原に 進み来て」、「産屋覗けば 腹這ひに」、「装ひなければ 戸臍(ほぞ)引く」、「音に寝覚めて 恥づかしや」、「弟タケスミと 六月の」、「禊して後 産屋出て」、「ヲニフに至り 御子抱き」、「御面御手撫でて 母は今 恥ぢ返るなり」、「見ゆ折 もがな」と棄てて 朽木川」、「上り山越え やや三日に」、 「ワケツチの北の ミツハメの 社に休む」、「この由を ミヅホに告げば 驚きて」、「ホタカミをして 留めしむ」。
 予がね勝手神が君に申し上げていたことがありました。それは、「君よ、今日から75日間は、男は決して産屋を覗いてはなりません。皇子に毎日うがやの産湯をつかわせ、姫は産後の身体を休めるのです。これは昔からの重要な慣わしです」と、ご忠告申し上げていた。にも拘わらず、君が松原に向かい産屋を覗くと、姫は一糸まとわぬお姿で、しとねの上で腹ばいになっていた。君は、うっかり覗き見してしまったとたんに、勝手神の忠告にハッと気付き、しまったと思い、そっと戸を閉めると徐々に足を速めて遠ざかった。その物音に目覚めた姫は、君にあられもない姿を見せてしまった恥ずかしさで、心は千々に乱れて、もう二度と君に合わす顔はないと思い悩んだ末に、弟のタケズミと共、六月(みなつき)の禊ぎを済ませ身を清めると、産屋をそっと二人で抜け出し遠敷(おにふ)の仮宮に移った。御子をしっかりと抱きかかえ、愛らしいお顔や、可愛らしい小さな手を、優しくいつまでもなぜておられます。そして、思いつめたように語りかけた。「今、お母さんは大変な恥じをさらしてしまい、二度と君に会うことはなりません。愛しいお前と一緒に過ごすのも今日限り。私は国に帰ります。いつの日か再び会える日のくることを願ってます。達者で良い子に育っておくれ」。涙ながらに言い含めると、我が子を供の乳母や女官にくれぐれも頼み、うしろ髪を引かれる思いで、朽木川を目指し旅立った。たとい我が子と言えども君の宝、これから乗り越えていく険しい山や谷、自らの人生を予期して思い悩んだ末の我が子との離別であった。トヨタマ姫と弟のタケズミは朽木川の上流へと山を登り谷をたどり、歩くこと三日目にして山背(やましろ)に出、ワケツチ山(キブネ山)の北にあるミズハメのお社に着き、やっと体を休めた。この事情をミヅホに告げると、驚いてホタカミをして留めしめた。
 「ヲニフの雉の ひた飛べば」、「跡を慕ひて 朽木谷」、「西より南 山越えて 」、「ミヅハの宮に 追ひ着きて」、「請えど返えなで タケスミに」、「含め留めて 馳せ帰り」。
 事態を早速ニニキネとホホデミの座すミズホの宮に伝えます。二人は大層驚いて、国の一大事となったものの、姫を宮に帰らせる名案も出ず、ホタカミを使わせて弟のタケズミにその場を動かぬよう頼むのがやっとでした。
 「返言なせば 雉飛びて」、「告ぐるツクシの ハテスミと」、「オトタマ姫と ワニ上り」、「西の宮より(ワニ船で上京し淀川を遡る) 山城に 至りて問えど」、「「姫は今 下りて上らず」、「オトタマを 捧げとあれば 諸共に」、「上り申せば 妹召す」。
 遠敷(おにふ)の宮からもトヨタマ姫の動向を刻一刻と雉子(おぎす)を飛ばし連絡してくるのですが解決策が見つかりません。残された最後の切り札としては、筑紫におられるトヨタマ姫の父親のハデスミと妹のオトタマ姫の説得です。連絡を受けた二人がワニ船で西宮に到着すると、早速、山背(京都)に出向き、姫に戻るよう話し合いをしますが、姫は、「いったん宮中を去ったからには、二度と上がることはありません」との固い決意の言葉が返ってくるのみです。「私を忘れて妹のオトタマ姫を宮に捧げて下さい」との伝言を二人はミズホの宮に上がってお伝えすると、トヨタマ姫のお言葉が入れられ妹をお召しになることになった。
 「天地つ日月を 若宮に」、「授け給いて 太上君 シノ宮に坐す」、「ミヅホには ニハリの例し ユキスキの」、「大御祭の 大嘗会」、「三種の受けを 天に応え」、「青人草を 安らかに」、「保つ八幡の 華飾り」、「翌日万民に 拝ましむ」。
 実は、ニニキネは期するところあり、姫の帰りを待たずに皇位をヒコホホデミに授けます。ミズホ宮では即位の礼が盛大に行われ、ニハリの宮の例に倣いユキの宮、スキの宮でオオナメエの祭を行い、国民の平和と繁栄を願う八幡がたなびき、三種の神器が飾られ、あくる日君は、一般参賀で国民の前にお立ちになられ、人々の拝謁をお受けになられた。
 「しばしば召せど トヨタマは ミヅ社を出ず」、「明くる年 太上スヘラギ」、「ワケツチの 葵桂を 袖に掛け」、「宮に至れば 姫迎ふ」、「時に葉を持ち これ如何ん」、「トヨタマ答え 葵葉ぞ またこれ如何ん」、「桂葉ぞ 何れ欠くるや」、「まだ欠けず 汝世を棄て 道欠くや」、「姫は畏れて 欠かねども」、「渚に泳ぐ 嘲りに 腹這ひの恥」、「重ぬ身は あに上らんや」。
 その後もしばしば君からの労いのお言葉が、勅使を通じ姫の元に届けられますが、トヨタマ姫はミズ社(やしろ)を出ようとしなかった。今は皇位をヒコホホデミに譲り太上天皇(オオエキミ)となられ肩の荷をおろしたニニキネは、あくる年になると気軽にワケズチ山に向かわれ、山で二葉アオイとカツラの葉を採って袖に掛けミズハの宮にお着きになられた。トヨタマ姫は丁重にお出迎えした。時に、ニニキネは姫に向かって葉を持ってご質問になられた。「これは何の葉ですか」。姫曰く、「桂葉です」。「どちらも双葉、夫婦も二人どちらが欠けても良いのですか」。「いいえ、まだ欠けたわけではありません」。「しかし、貴女は世を捨てて、人の道を欠いているでしょう」。このお言葉に、姫はハッと我が身の我がままに気付き、年老いた太上天皇(オオエキミ)を煩わせている自分が恥ずかしく怖れ多く感じ始めていた。「欠くつもりはありません。唯、女だてらに命惜しさに渚を泳ぎ、助けられ、又、はしたなくも裸で腹ばいになっているところを、君に見られてしまい、どうして宮に上がることなどできましょう」。
 「これ恥に 似て恥ならず」、「確と聞け 子を生む後は」、「因み絶つ 七十五日に治す」、「謹しまず 添絶ち徹せず」、「カツテ神 予ねて申すを」、「覗く恥 汝にあらず」。
 「これは恥じでも何でもないのじゃ、ようく聞きなされ。子を産んだ後75日間夫婦の関係を慎まねば母体は完全に元の健康体には戻らないのだ。勝手神が申すのは貴女に向かってではない。覗いた君が悪いのだ。では、この話をしてあげよう」。
 「竜の子は 千年海に棲み 竜治知る」、「千年山に棲み 立振ると 」、「千年里に棲み 付く離る」、「三生き悟りて 君となる」、「汝渚に 落ちんとす」、 「御種思えば 猛心」、「なして泳ぎて 永らふる これ地生き知る」、「宮に立ち 振りて嘲り」、「免るる これ天生き知る」、「いま一つ 葵桂の」、 「伊勢を和ば 人生き悟る」、「三つ知れば 竜君如く(竜が君となる如く) 神となる」、「竜君如何ん 竜は卑(ひ)れ」、「三つ知る故に 鱗君」、「上つ身存を 三つ知れば 人は神なり」、「姫は恥ぢ 怖ぢ入り言わず」。
 昔から、竜(たつ)の子は千年海に住み、海の心を知り、千年山に住み山の心を悟り、千年里に住みツクバ(ツク・ハナス)の術を得、この三息(みいき)を知って始めて竜君(たつきみ)となるという。「姫も渚に溺れて、君のことを思えばこそ猛き心で泳ぎ助かり、これが一つ。宮に戻れば久方ぶりのお姿を皆喜んで迎え、嘲り(あざちり)も免れるので、二つ。そしてもう一つ、夫婦和解し伊勢(いせ)の道を得れば、人の心を悟ることになり、この三つを知れば竜君の如く人も神となることができるのじゃ」。「どうじゃな、竜君は偉いと思わんかね」。姫は、年老いた大上君(オオエキミ)にこうまで心配させてしまった自分を、心から恥じ言葉もなかった。
 「ミホツ姫 御幸送りて ここにあり」、「留えば喜び(気を留める)  応え留う」、「ミホツ頷き」、「「太上君 心な傷め 給ひそよ」、「君と姫とは 日と月と 睦まじ為さん」、「申す時 太君笑みて」、「タケスミに トヨタマ養せと」、「川間(河合)の 国(地)賜わりて 谷を出で」、「ムロツ(室津)にカメの 迎い待つ」、「門出送り 御幸なす」。
 ニニキネは御幸に同行してきた美穂津(ミホツ)姫に向かって、同意を求めるかの如く「貴女はどう思うかな」と問いかけられた。ミホツ姫は大きくうなずくと、「大上君(オオエキミ)、どうかご心配なきよう。元々ホホデミの君と、トヨタマ姫は太陽と月のような切っても切れない関係です。いずれ睦まじくなられますよ」と答えられた。この一言を聞いて大変安心された君は、大きく微笑むとタケズミに向かって、トヨタマ姫をくれぐれも守ってやりなさいとおっしゃり、タケズミに河合(かわい)の国を賜わって後、谷を出て室津(ムロツ)に下り、出迎えたカメ船にお乗りになられた。
 「君へ太君 遺言(のこしこと)」、「天に日月照る 人草も 暗には冷やすぞ」、「地の君も 暗に民枯るぞ 」、「政り事 コヤネ物主 共に治せ」、「宮内の治は ミホ姫」と」、 「カメに乗り行く 鹿児島や」。
 ニニキネの門出を送るために御幸されてこられたホホデミに大上君は遺言(のこしこと)をされた。「天に日と月が照るように、人の世も明るく照らさなければなりません。闇は人の心を冷まします。又、国政も闇は人心が離れ国を滅ぼす元です。政事はコヤネと大物主(おおものぬし)と共に協力して務めよ。宮中の治めはミホツ姫に任せよ」。と言い残すと、カモ船で鹿児島に出航した。
 「ソヲ高千穂の 日に辞む」、「朝はアサマの 日に向ふ」、「日向ふ国と ホツマ国」、「姫はアサマに 辞(いな)む(隠れる)月」、 「タカチネに入り 神となる」、「アサマの神や コヤス神」、「兼ねて合う日の 逸の守」、「高千穂の峰の 神となる」。
 その後間もなく大上君は、高千穂峰で神となられた。
 「鳴神別けて 土活かす 」、「ワケイカツチの 皇神」、「君に告ぐれば 喪に入りて」、「伊勢に告げます 大御神」、「神言宣は 「アワの数」、「経て喪を脱ぎて 政り聞く 」、「年回る日は 喪に一日」、「その身柱に 祀るべし」、「承け得て後の 御幸成る」。
 「天照神 喜びて」、「御祖に継がふ 天君と ヲシテ賜わる」、「豊玉は ワケツチ山に 喪罷四十八」、「年の祀りも 敬えなす」、「天君姫を 訪ぬれば」、「コヤネ応えて 例しあり」、「ミホツに問えば 歌なせと」、「故歌詠みて ミホツ姫が」、「孫イソヨリを 遣わせば」、「姫 (トヨタマ姫)迎ゆるを イソヨリは」、「直ちて詠む歌」、「沖つ鳥 カモ着く島に」、「我が寝ねし 妹は忘らじ 夜の事々も」。
 四十九日の喪が明け、天君は姫のことを再びコヤネにお尋ねになられた。姫はワケズチ山で48日の喪をつとめた。「君よ。良い先例があります。歌を作って送るのはいかがでしょうか」と答えた。早速君は、歌を詠んでミホツ姫の孫のイソヨリ姫を遣わせ歌を届けさせた。トヨタマ姫は大喜びでお迎えに出ると、イソヨリ姫はきちんと姫の前に直立不動のまま、君から姫への歌を詠みあげた。「沖つ鳥  鴨着く島に  わが寝(いね)し 妹(いも)は 忘らじ 夜のことごとも」。
 「御歌承け 「ミホツは如何ん」、「イソヨリが ミホツの歌に」、「斎と忌 穢れを立つる」、「日の本の 上の心を 知る人ぞ神」、「時に姫 返しは葵 君桂」、 「紙に包みて 水引草」、「文箱に収め 奉る」。
 歌を静かにお聞きになったトヨタマ姫は、「ミホツ姫は何とおっしゃっていますか」と尋ねられた。イソヨリ姫は今度はミホツ姫の歌を詠んだ。「斎(いみ)といい  けがれを断つる  日の本の 神の心を 知る人ぞ 神」。この時、姫は、「返しは葵 君桂。紙に包みて水引草、文箱に収め 奉る」。
 「君自らに 結ひを解き その歌詠めば」、「沖つ鳥 上下を治むる 君ならで」、「世の事々を えやは防がん」、「この歌を 三度に涙」、「落ち掛かる 膝の葵葉」、「裳に染みて 迎ひの輿に」、「豊玉の あい宮入と」、「喜びて 紋に写させ」、「織る錦 小葵の御衣」、「菊散(ここちり)と ヤマハト彩(いろ)の 三つの紋」、「神の装ひの 御衣裳(みはも)なるかな」。
 姫はこの二つの歌を受け、皆が自分を許してくれたことを悟り、葵を女性である自分にたとえ、君を桂にたとえ、一緒に丁寧に紙に包んで、水引草で結び文箱に納めで奉りました。
 君は自ら結びを解いて、トヨタマ姫からの返歌をお詠みになられた。「沖つ鳥  上下(かも)を治むる  君ならで 世の事ごとを 吉家は防がん」。この歌を三度詠まれた君は涙を押さえることができず、膝に落ちかかる滴は葵葉をぬらし裳(も)に染まった。間もなく、お迎えの御輿に乗って、トヨタマ姫はついに宮入りされ、この時はもうミズホの宮あげての大歓迎ぶりで、上から下まで万歳、万歳の声が沸き立った。この感動的な出来事を後世までも末永く伝えおくために、葵葉を図案化して織った錦が小葵の御衣(みは)となり、菊散(ココチリ)と山葉留彩(ヤマハトイロ)、この三つの綾錦となった。後々までも宮中の装いの御衣裳(みはも)として伝えられている。




(私論.私見)

 ヒコホホデミ(山幸彦)が、兄から返却を迫られている釣針を見つけられずに途方にくれ、気比(けひ)の浜をさまよっていました。
 偶然にも、罠に掛かった雁を見つけ、今の自分の身の上を写し見る思いがして助け放ってあげました。
 その始終を見ていたシオツツの翁が、
 「君よ心配なさるな。私に名案があります。お任せ下さい」と言い、一艘の帆掛け舟と魚を獲る網を用意して、謎めいた歌札を結び、ツクシのハデの神の宮殿へと船出させました。
 やがてウドの浜(ウマシにある)に着いたホホデミは、大歓迎を受けハデの神に迎え入れられます。ハデの神の尽力により無事、釣針も見つけられ、兄に返すことができました。

 一段落しましたヒコホホデミは、ツクシの諸神を集めると、
 「私は結婚しようと思うが、皆の意見を聞きたい」と申されます。
 ホタカミが申すには、
 「あなた様は既に、父ニニキネからツクシの治君(おきみ)という名を賜わっている九州を治めるべき立派な天君です。昔あなたの母上は天君と一夜を共にしたことにより、色々あって後に結婚されましたが、君はこのように事前に皆に相談されたのは大変良いことだと思います」
 早速神議(かみばかり)が開かれ、ハデズミの娘のトヨタマ姫がお妃に選ばれます。後に鹿児島宮に戻り婚礼の儀が盛大に執り行われました。
 スケ、ウチメ、オシモモ2人ずつ6人の局も整った3日目の朝、トヨタマ姫の兄のトヨズミが、6人の局に揃いの玉笠をかぶらせ、川の水を入れた木の椀をそれぞれに持たせます。3日目にやっと現われた君に向かって、一斉にはやし立て歌いながら水を振りかけ祝います。

モモヒナギ  馬具合(まぐばい)のちの  三日の日の
川水浴びて  ウビチニの  上(かみ)から下(しも)へ
花婿に水  参らせう  参らせう

 ツクシの三十二県(あがた)の神々も、ご一緒に歌い万歳(よろとし)を祝い皆と楽しみました。

 その後、先帝(さきみかど)ニニキネが九州一円を巡守した時に築いた井堰や堤が活かされ、新田が開かれているのを、筑紫32県全部を一々見回って改善を加えてその成果を確認し終えて、鹿児島宮にご滞在になっておられます。
 年毎に稔りも増え、国々も大変豊かになりました。が、阿蘇国だけは未だ肥えず地がやせていました。
 君は、阿蘇に宮を造り移り住み土地改良に努めます。地質を考え魚粉を肥料として鋤き込み地味を養い、遂に良田を作り上げました。
 又、長年努力したにもかかわらず志賀の神田は今もって収穫量が少ないので、本格的に土地改良に取り組むため再び宮を筑紫の宮に移し腰をすえます。やはり地質を考え、今度は油糟を大量に使用することにし、お陰でカスヤの土地は豊かに肥え大収穫を上げるまでになります。
 その他30県より土地改良の要請が相次ぎ、君は一つ一つ見回り細かい指示を出し、米の収穫量は飛躍的に向上し民の生活も安定し平和な環境も整いました。
 君は国民の生活向上、農業開発に心血をそそがれ休む暇もなくお尽くしになられました。

 唯、何とも残念なことには、お妃様のトヨタマ姫も、他の局達も御子に恵まれません。悩み抜いた君は、今まで信じて進めてきた自らの生き方、考え方を修正します。
 突然、筑紫の宮に局達を残したまま、トヨタマ姫唯一人を連れ、九州に最初に上陸した思い出の鵜戸(うと)に舞い戻り、自分と姫との二人だけの静かで、誰にも邪魔されない愛を育む生活に入られたのです。
 鹿児島のハデ神は心配され、是非に鹿児島宮に来て休むようにと親切なお招きをされましたが、トヨタマ姫から丁重にお断りされると、遂に、君の真意を悟ったハデ神は鵜戸の君におっしゃるには、
 「君に必要なのは、ゆっくりくつろいで楽しむことだけです」
とのお言葉が返ってきます。

 人々の為に、根つめ働きずめたために、さすがの君も心の余裕を失い精神的なストレスから本来あるべき夫婦生活にも影響をきたしていました。このまま世嗣子に恵まれなければ、国政に乱れを生じ、結果的に民を苦しめることになりかねないとの、君の国民への深いお考えから、この度の二人だけの生活を望まれたのでした。