ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)25

 

 (最新見直し2011.12.25日)

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 2011.12.25日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)25、ヒコ尊 'ち'を得るの文】
 ヒコホホデミとトヨタマ姫
 ひこみこと ちおゑるのあや 彦命 チを得るの文
 みそふすす こもゑふそみほ うつきはつ 三十二鈴 九百枝二十三穂 四月初日 
 わけいかつちの あまきみは ワケイカツチの 天君は
 ふかきおもひの あるにより 深き思ひの あるにより
 おおしまおして あわうみの    大島をして 淡海の
 みつほのみやお つくらしむ    瑞穂の宮を 造らしむ
 なれはひおみて うつらんと 成れば日を見て 遷らんと
 さきにたらちを ひたるとき    先にタラチヲ ひたる時
 はこねのほらに いりますお   箱根の洞に 入りますを
 ははちちひめは ことありて    母チチ姫は 言ありて
 いせにいたりて をんかみに          伊勢に至りて 御神に  
 あさゆふつかえ まつらしむ         朝夕仕え 祀らしむ
 そよろとしへて いまかれに          十万年経て 今(かれ)に
 はこねにもふて ぬさささけ          箱根に詣で 幣(ぬさ)捧げ
 それよりいせに みゆきなる          それより伊勢に 御幸なる 
 をんかみおよひ ちちひめお         御神及び 千々姫を
 おかみてあわの みつほくに            拝みて淡(あわ)の 瑞穂国   
 みやうつしなる  宮遷し成る
 むめひとは はらにととまり まつりこと          ムメヒトは 原に留まり 政り事
 こやねあつかり ものぬしは             コヤネ与り 物主は 
 ともなすゆえに みそくいお 供なす故に ミゾクイを
 そえものぬしと はらのもり           添物主と 原の守
 にはりにいます すせりみや         ニハリに居ます スセリ宮  
 むかしのあとに いまつくる        昔の跡に 今造る
 うかわのみやに うつります          鵜川(うかわ)の宮に 遷ります
 ふたあれすその うつみやは おおつしのみや           二荒 (ふたあれ)裾の ウツ宮は 大津四ノ宮
 いまつくり これたまわりて うつります          今造り これ賜わりて 遷ります       
 ときにいみなの ゆえあれは        時に諱(いみ名)の 故あれば
 うかわおこえと ゆるされす         ウカワを請えど 許されず 
 つねにかりして たのしめは            常に狩りして 楽しめば     
 やまさちひこと またすせり  山幸彦と またスセリ  
 つりたのしめは さちひこと                          釣り楽しめば 幸彦と  
 きみはみつから みかりなす              君は自ら 御狩りなす
 にしなかくにの やまおもて          西中国の 山表(山陽)      
 いせきつつみに あらたなす       井堰堤に 新田成す
 にしにいたりて はけやまお         西に至りて 禿山を
 とえはあれおさ あきといふ           問えば村長(あれおさ) 安芸と言ふ
 きのあるなにて なきいかん       「木のある名にて なき如何」
 これおろちあり くにかみの    「これオロチあり 国神の   
 ひめおのむゆえ みなやけは         姫を呑む故 皆な焼けば
 にけてひかわに きられける          逃げて簸川(ひかわ)に 斬られける
 しかれとやまは かふろなり         然れど山は 禿(かぶろ)なり 
 いまにきこりの いとまあき           今にきこりの 暇飽き」  
 あまきみえみて なけくなと        天君笑みて  「嘆くな」と  
 あかつちかみに これをしゑ   アカツチ神に これ教え   
 ひきのたねお うゑさしむ   檜杉の種を 植えさしむ  
 ととせになりて みねこもる       十年に成りて 峰籠る  
 たみつもたえす くにゆたか           田水も絶えず 国豊か
 またやまかけも みめくりて  また山陰も 御巡りて   
 ところところに いせきなし       所々に 井堰成し  
 たかたひらきて かえります         高田拓きて 帰ります  
 ゆたかなるとし みよろへる          豊かなる年 三万経る
 ときにつくしの をさまらて               時に筑紫の 治まらで
 みこみくたりお こふゆえに きみきこしめし           御子御下りを 請ふ故に 君聞こし召し 
 しのみやお つくしをきみと みことのり          「シノ宮を 筑紫央君」と 詔  
 うつきねはらの みやにゆき           ウツキネハラの 宮に行き
 いとまおこえは むめひとも            暇を乞えば ムメヒトも 
 ともにのほりて みつほなる あまきみをかむ  共に上りて 瑞穂なる 天君拝む 
 ときにきみ つくしはかての たらさるか        時に君 「筑紫は糧の 足らざるか  
 てれはゆきみて たおまさん        てれば行き巡て 田を増さん
 かれむめひとお をきみとす         故ムメヒトを 央君とす 
 こやねものぬし もろともに     コヤネ物主 諸共に
 ここにととまり まつりきけ         ここに留まり 政り聞け」   
 うつきねすせり きたのつに ゆきてをさめよ         ウツキネスセリ 北の津に 「行きて治めよ    
 いささわけ あれはむつめよ       イササワケ あれば睦めよ」 
 あまきみは にしのみやより     天君は 西の宮より
 かめにのり つくしうましのうとにつき      亀に乗り 筑紫ウマシの 鵜戸(うど)に着き 
 つくしあまねく めくりかり   筑紫遍く 廻り狩り
 いせきつつみに あらたなす          井堰堤に 新田成す   
 のりさたむれは すみよしの まこほたかみや      法定むれば 住吉の 孫ホタカミや   
 しかのかみ つくしにこえは     志賀の神 筑紫に請えば
 そをのはて かこにこえとも     ソヲのハテ 鹿児(かご)に請えども
 ひめもすに つきすむまても みおつくし     ひめもすに 月澄む迄も 身を尽し      
 みとせにさしゑ ほほなりて       三年に指絵 ほぼ成りて
 つくりおこない をさめしむ      造り行い 治めしむ 
 のちにみつほに かえませは     後に瑞穂に 帰えませば
 むめひとをきみ しわかみの        ムメヒト央君 磯輪上(しわかみ)の
 ほつまのみやに かえりますかな          ホツマの宮に 帰りますかな
 ゑとのみや きたつにありて こころみに      兄弟の宮 北津に在りて 試みに 
 うみさちひこか さちかえん      海幸彦が 「幸(さち)換えん」 
 やまさちひこも うなつきて      山幸彦も 頷きて
 ゑはゆみやとり やまにかる            兄は弓矢取り 山に狩る 
 とはうみにいり つりおなす            弟は海に入り 釣をなす 
 ともにむなしく さちあらす     共に空しく 幸あらず
 ゑはゆみやかえ ちおもとむ         兄は弓矢返え 鉤(ち)を求む   
 とはちおとられ よしなくて       弟は鉤を取られ 由なくて 
 にいちもとめは ゑはうけす         新鉤求めば 兄は受けず
 もとちはたれは たちおちに        元鉤ハタれば 太刀を鉤に
 ひとみにもれと なおいかり         一箕(み)に盛れど なお怒り 
 さわなきもとの ちおはたる       多なき元の 鉤(ち)をハタる  
 はまにうなたれ うれふとき         浜に頂垂(うなだ)れ 憂ふ時 
 かりわなにおつ これおとく          雁罠に陥(お)つ これを解く
 しほつつのをち ゆえおとふ  シホツツの老翁 故を問ふ  
 ままにことふる をちいわく              まま(そのまま)に答ふる 老翁曰く   
 きみなうれひそ はからんと  「君な憂ひそ 図らん」と
 めなしかたあみ かもにいれ     目なし堅網 鴨に入れ   
 うたふたつけて きみものせ      歌札付けて 君も乗せ   
 ほあけともつな ときはなつ       帆上げ艫綱 解き放つ 
 つくしうましの はまにつく         筑紫ウマシの 浜に着く
 かもあみすてて ゆきいたる             鴨網棄てて 行き至る   
 そをはてかみの みつかきや ソヲハテ守の 瑞(みづ)垣や   
 うてなかかやく ひもくれて        高殿(うてな)輝く 日も暮れて 
 はゑはゆつりは しきもして いねもせてまつ        ハヱ葉ユツリ葉 敷き裳して 居寝もせで待つ   
 あまのとも あけてむれてる      海女の共 明けて群れ出る
 わかひめか まりにわかみつ くまんとす               若姫が 椀(まり)に若水 汲まんとす   
 つるへはぬれは かけうつる          つるべ撥ぬれば 影写る
 おとろきいりて たらにつく         驚き入りて 親に告ぐ 
 そらつかみかは まれひとと         「空つ神かは 貴人(まれびと)」と  
 ちちはみはもお のそみみて        父は御衣を 望み見て
 やゑのたたみお しきもうけ          八重の畳を 敷き設け
 ひきいれまして ゆえおとふ            率き入れ申して 故を問ふ  
 きみあるかたち のたまえは   君ある状(かたち) 曰(のたま)えば 
 はてかみしはし おもふとき うともりきたり         ハテ神しばし 思ふ時 ウド守来たり 
 かたあみの たかかもかある          「堅網の 誰が鴨かある」
 としのあさ うたえそむるお     年の朝 歌え添むるを
 とりみれは わかのうたあり     取り見れば 和歌の歌あり
 しほつつか めなしかたあみ はるへらや     「シホツツが 目なし堅網 張るべらや 
 みちひのたまは はてのかんかせ       満干の珠は ハテの神風」
 ときにはて もろあまめして これおとふ     時にハテ 諸海女召して これを問ふ
 ひきめはひかん あらこあみ         ヒキ女は「布かん 荒籠網」 
 くちめかつりも よしなしや       クチ女が「釣りも 由なしや」 
 あかめひとりは めなしあみ         アカ女一人は 「目なし網」
 ここにはてかみ もろあまお       ここにハテ神 諸海女を 
 あかめにそえて めなしあみ          アカ女に添えて 目無し網 
 よもひれとれは おおたいか        四方ひれ取れば 大鯛が
 くちおかみさき まえによる            クチを噛み裂き 前に寄る  
 あかめはくちに もとちゑて        アカ女はクチに 元鉤得て
 たいおいけすに まつへしと         鯛を生簣に 「待つべし」と 
 つくれははては さきにしる       告ぐればハテは 先に知る 
 ゆめにたいきて われうおの  夢に鯛来て 「我魚の
 よしなきために くちささく           由なき為に クチ捧ぐ  
 われはみけにと みことのり  我は御食に」と 詔 
 たいはうおきみ みけのもの  「鯛は魚君 御食の物
 しるしはうろこ みつにやま         印は鱗 三つに山   
 うつしてかえす みつやまの       移して換す(鱗を山に置き換える) 三つ山の
 たいはこれなり くちはいむ         鯛はこれなり クチは忌む」  
 あかめおほめて よとひめと アカ女を褒めて ヨド姫と 
 きみはちおゑて よろこひに                   君は鉤を得て 喜びに 
 しかのかみして かえさしむ      志賀の神して 返さしむ   
 わににのりゆき しのみやて  ワニに乗り行き シノ宮で   
 やまくいまねき もろともに           ヤマクイ招き 諸共に   
 うかわにゆけは みやあいて      ウカワに行けば 宮会いて   
 とえはやまくい これむかし   問えばヤマクイ 「これ昔 
 きみかちおかり とられしお          君が鉤を借り 取られしを
 いまとりかえし とみやから          今取り返し 弟宮から
 しかのかみして かえさしむ       志賀の神して 返さしむ」 
 しかはちおもち たてまつる        志賀は鉤を持ち 奉る
 みやうかかひて わかちそと            宮窺ひて 「我が鉤ぞ」と
 いいつつたつお そてひかえ      言いつつ立つを 袖控え
 まちちといえは みやいかり           「待ちち」と言えば 宮怒り
 みちなくわれお なせのろふ         「道なく我を なぜ呪ふ 
 ゑにはおとから のほるはす         兄には弟から 上るはず」 
 こたえていなや くちいとお        答えて「否や 朽ち糸を
 かえてかすはす しれはさち             換えて貸すはず 知れば幸
 しらねはおとえ こまはひに       知らねば弟へ 駒這ひに
 わひことあれと いえはなお         詫び言あれ」と 言えば尚 
 いかりてふねお こきいたす        怒りて船を 漕ぎ出す
 たまおなくれは うみかわく         珠を投ぐれば 海乾く
 しかおひゆきて ふねにのる          志賀追ひ行きて 船に乗る    
 みやとひにくる やまくいも      宮飛び逃ぐる ヤマクイも 
 はせゆきみやの ておひけは         馳せ行き宮の 手を引けば
 しかまたなくる たまのみつ          志賀また投ぐる 珠の水
 あふれてすてに しつむとき           溢れて既に 沈む時 
 なんちたすけよ われなかく     「汝助けよ 我永く
 おとのこまして かてうけん           弟の駒して 糧受けん」
 ここにゆるして むかひふね        ここに許して 迎ひ船
 みやにかえりて むつみてそさる          宮に帰りて 睦みてぞ去る
 はてつみは きみにもふさく     ハテツミは 君に申さく
 わかことて とよつみひこと とよたまめ     「我が子」とて 豊ツミ彦と 豊玉姫 
 たけつみひこと おとたまめ        タケツミ彦と オト玉姫 
 つれいてきみお おかましむ       連れ率て君を 拝ましむ 
 きみはつくしの かみあつめ         君は筑紫の 神集め
 われつまいれん もろいかん         「我妻入れん 諸如何ん」
 ときにほたかみ もふさくは        時にホタカミ 申さくは
 さきにこふとき きみのなも つくしのをきみ             「先に請ふ時 君の名も 筑紫の央君  
 これここの あまつかみなり おまかせに        これここの 天つ神なり お任せに 
 むかしははきみ あまきみに      昔母君 天君に 
 ひとよちきりて のちにめす     一夜契りて 後に召す    
 きみまつはかる なおよしと      君まず諮る 尚良し」と  
 かこしまみやに うつります       鹿児島宮に 遷ります   
 とよたまひめお みきさきに       豊玉姫を 御后に  
 すけうちしもめ ふたりつつ        スケ内下侍 二人ずつ 
 むつほねもなり ととのえは         六局も成り 調えば 
 そのあすみかに とよつみか たまかさそろえ             その翌三日に トヨツミが 玉笠揃え 
 たままりも むたりにもたせ みつささく                  玉椀(まりも) 六人に持たせ 水捧ぐ
 こえおそろえて ももひなき           声を揃えて 「桃ヒナギ  
 まくはいのちの みかのひの       交はい後の 三日の日の
 かわみつあひて うひちにの           川水浴びて ウヒヂニの 
 かみからしもゑ はなむこにみつ       上から下へ 花婿に水
 まいらせふ まいらせふ       参らせふ 参らせふ」
 このときに みそふあかたの     この時に 三十二県の
 かみうたい よろとたのしむ     神歌い 万(大いに)と 楽しむ
 しかるのち さきのみゆきの いせきみな  然る後 先の御幸の 井堰皆   
 みこころそえて にいたなす        御心添えて 新田成す
 つくしみそふの みめくりて かこしまにます            筑紫三十二の 見巡りて 鹿児島に坐す 
 としとしに みのりもふえて くにゆたか          年々に 実りも増えて 国豊か  
 ことしうえつけ てれとよし         今年植付け 照れど好し  
 うさのあかたに はやらせて        宇佐の県に 流行らせて 
 さつきのもちの はるいわひ       五月の十五日の 春祝ひ  
 もちゐはゑしき うけかみに         餅飯ハヱ 敷き ウケ神に
 いはふほなかと ゆつりはの          祝ふ穂長と ユツリ葉の 
 ほつまあそひの みつほうた        ホツマ遊びの 瑞穂歌  
 たのしにきはふ とよのくに        楽し賑わふ 豊の国 
 みそふのあかた みなはやる          三十二の県 皆流行る
 かとまつはゑは ゆつりはも          門松ハヱ葉 ユツリ葉も
 はるしきかさる もとおりや               春敷き飾る 本在や
 とよにきはひて むよろとし                豊賑ひて 六万年 
 へてもあそくに またこえす       経ても阿蘇国 まだ肥えず
 かれみやつくり うつります          故宮造り 遷ります
 はおかんかえて かそみねの        地を考えて 数峰の 
 かそうおいれて たおこやし          数魚入れて 田を肥やし
 かけろふのひの こえくにの          陽炎の火の 肥国(こえくに)の 
 たけいわたつは くつおあけ       タケイワタツは 沓を上げ  
 あそひめゆなに たてまつる        阿蘇姫ゆなに 奉る  
 きみめしあけて うちきさき          君召し上げて 内后   
 ここにもむよろ としおへて         ここにも六万 年を経て 
 しかのかみたは またみてす         志賀の神田は まだ満てず 
 つくしのみやに うつります        筑紫の宮に 遷ります
 はおかんかえて あふらかす              地を考えて 油粕  
 いれてかすやの はにみつる     入れて粕屋(かすや)の 地に満つる
 そのほかみその まねくゆえ             その他三十の 招く故 
 めくりかんかえ つくしみや        巡り考え 筑紫宮  
 ゆたかにこえて たみやすく         豊かに肥えて 民安ぐ
 ここにもむよろ としおへて          ここにも六万 年を経て
 みすすのあいた しはらくも        三鈴の間 しばらくも
 やすまてたみお たすゆえに         休まで民を 治す故に 
 きさきつほねも みこうます         后局も 御子生まず
 かれこれおほし みやすてて         かれこれ思し 宮捨てて
 うとにいたれは はてかみの           ウドに至れば ハテ神の
 まねくかこしま ゆきまさす          招く鹿児島 行きまさず
 きさきはちちに これおつく        后は父に これを告ぐ
 はてかみうとに もふさくは            ハテ神ウドに 申さくは 
 きみたのさすや しからすそ      「君楽さずや 然らずぞ  
 つほねはあれと こおうます         局はあれど 子を生まず
 かれにすておき たたひとり          故に捨て置き ただ一人   
 つれてしはらく ここにあり       連れてしばらく ここにあり
 つくしのたみお おもふはかりそ           筑紫の民を 思ふばかりぞ

 ヒコ尊 チを得るの文
 「三十二鈴 九百枝二十三穂 四月初日」、「ワケイカツチの 天君は」、「深き思ひの あるにより」、「オオシマをして 央海の」、「瑞穂の宮を 造らしむ」、 「成れば日を見て 移らんと」、「先にタラチヲ ひたる時」、「箱根の洞に 入りますを」、「母チチ姫は 言ありて」、「伊勢に到りて 御神に」、「朝夕仕え 奉らしむ」、「十万年経て 去罷(いまか)れに」、「箱根に詣で 幣(ぬさ)捧げ」、「それより伊勢に 御幸なる」、「御神及び チチ姫を」、「拝みて央(アワ)の 瑞穂国 宮移し成る」、「ムメヒトは ハラに留まり 政り事」。
 (アマテル神の御孫ニニキネ(天孫ニニギ)は、筑波にニハリの宮を開いて最初の都とした。後にハラミ山(現・富士山)の麓にハラアサマ宮を建てて都を移し、コノハナサクヤ姫共々ホツマ国(東海・関東地方)を平和に治めていた。二人の間には三つ子が授かり、今では子供達も立派な青年に成長した。長男のホノアカリ・ムメヒト(梅仁)はハラ宮に居て民を治め、次男のホノススミ・サクラギは筑波のニハリの宮で政りを執り、三男のヒコホホデミ・ウツキネはフタアレ山(二荒山)の裾野に宇都宮を造って民を治めていた)そんなある日のことです。

 三十二鈴 九百枝二十三穂 四月初日、ワケイカツチの天君は、長い間熟慮を重ねた末、三番目の都をアワウミ(淡海)に移すことに決定した。オオシマに命じてミズホノ宮(瑞穂)を造営することにした。ミズホノ宮が完成すると君は先ず、太占(フトマニ)で占い吉日を選んで遷都を決行した。この時、その昔、タラチヲが成人した時、箱根の洞に入って修行を積み、その後母チチ姫の勧めにより伊勢に至って天照神に朝夕仕えた故事に倣い、真っ先に父オシホミミの霊地である箱根に詣でて弊(ヌサ)を奉げた後に、伊勢に御幸し、天照神とチチ姫を拝んだ後に瑞穂宮に入られた。ムメヒトはハラ宮(ハラアサマ宮)に留まり政事(マツリゴト)を執られた。
 「コヤネ与り 物主は 供なす故に」、「ミゾクイを 副物主と ハラの守」、「ニハリに居ます スセリ宮」、「昔の跡に 今造る」、「鵜川(うかわ)の宮に 移ります」、「二荒 (ふたあれ)裾の ウツ宮は 大津四ノ宮」、「今造り これ賜わりて 移ります」。
 そういう訳で、アメノコヤネ(現・春日大社ご祭神)が鏡の臣として政治を与ることになり、ミシマミゾクイ(三島神社祭神オオヤマズミの子)は副物主(ソエモノヌシ)として、両人でハラ宮を補佐することになった。ニハリ宮に坐すスセリ宮は、昔ニニキネが全国巡狩の折に淡海の湖西で猿田彦から御饗(ミアエ)を受けた鵜川(うかわ)の仮宮の跡にウカワの宮(現・白髭神社)を建てて移った。二荒 (ふたあれ)山裾のウツ宮(ウツキネ)は、大津四ノ宮を新造して賜わり移った。
 「時にいみ名の 故あれば」、「鵜川を請えど 許されず」、「常に狩りして 楽しめば 山幸彦と」、「またスセリ 釣り楽しめば 幸彦と」、「(ニニキネ)君は自ら 恵(みか)りなす」。
 この時、ウツキネは、昔父のニニキネが鵜川でウノ花をかざして旅した思い出に因んで命名した自分の名と同じ鵜川の宮を望んだが、この時は許されなかった。この頃のウツキネ(ヒコホホデミ)はいつも山で狩をして楽しんでいたので、通称山幸彦と呼ばれた。次男のスセリ(ホノススミ)は常に湖で魚釣を楽しんでいたので海幸彦と呼ばれた。ニニキネ君は自ら「恵(みか)り」なしていた。
 「西中国の 山表(山陽)」、「井堰堤に 新田成す」、「西に到りて 禿山を」、「問えば粗長 アキ(安芸)と言ふ」、「木の有る名にて 無き如何」、 「これオロチあり 国神の」、「姫を呑む故 皆焼けば」、「逃げて簸川(ひかわ)に 斬られける」、「然れど山は 禿(かぶろ)なり」、「今にきこりの 暇飽き」。
 君は瑞穂の宮に移り落ち着く間もなく、自ら山表(やまおもて、山陽)に出向き、行く先々で農業指導をして堰(いせき)を造り、堤で水を引いて次々と新田を開いた。西の中国地方に行った時の事、禿(はげ)山が多いのに気付いた君は、村長(むらおさ)を呼んで土地の名を聞いたところ、「安芸(あき)と呼んでいます」と答えた。天君は、「アキというのは木がある名前なのに、何故木がないのじゃ」とお尋ねになった。「これには深い訳がございます。昔は、山々に木が繁って水も多く水田も実り豊かでしたが、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)がこの山に住み着いて、国神(クニカミ)の姫を奪い呑みので皆で山を焼いたところ、オロチ(大蛇)は出雲の簸川(ひかわ)に逃げ去り、ソサノオ(素戔鳴)に斬り殺されることになりました。お陰でここらの山はカブロ(蕪)の様につるっぱげになってしまいました。未だに木こり達は暇飽き(いとまあき)でアキアキしています。これが安芸(あき)の謂れです」。
 「天君笑みて 嘆くなと」、「赤土神に これ教え」、「檜杉の種を 植えさしむ」、「十年に成りて 峰籠る」、「田水も絶えず 国豊か」、「また山陰(やまかげ)も 御巡りて」、「所々に 井堰成し」、「高田拓きて 帰ります」、「豊かなる年 三万経る」。
 この話を聞いた君は吹き出して、微笑みながら云われた。「嘆くことはない。我が計らん」。伴の赤土神に指図して檜と杉の種を蒔き、苗木を山に植林させた。十年も経った頃には、峯も緑が濃く繁って田水も絶えることがなく、豊かな国になった。又、山陰(やまかげ)地方も巡って、所々に必要な堰(いせき)を築き高地にも水を引いて新田を次々と開いてお帰りになられた。これにより豊年が三万年経た。
 「時に筑紫の 治まらで」、「御子御下りを 請ふ故に 君聞こし召し」、「シノ宮を 筑紫央君と 詔」、「ウツキネハラの 宮(ハラアサマ宮)に行き」、 「暇を乞えば ムメヒトも」、「共に上りて 瑞穂なる 天君拝む」、「時に君 筑紫は糧の  足らざるか」、「てれば行き巡て 田を増さん」、「故ムメヒトを 央君とす」、 「コヤネ物主 諸共に」、「ここに留まり 政り聞け」、「ウツキネスセリ キタノツに 行きて治めよ 」、「イササワケ あれば睦めよ」。
 時に、筑紫(九州)から伝令が伝え来て、「筑紫で内乱が発生してどうにも治まりません。大至急皇子(みこ)の御狩(みかり)をお願いします」。君はこの急報を聞いて早速、シノ宮(ヒコホホデミ)を筑紫央君(おきみ、親王)に任命して下降させることにした。ウツキネは命を受けると先ずハラ宮(ハラアサマ宮)に行き、ムメヒトに暇乞いをした。これを聞いたムメヒトも一緒に瑞穂宮に上って天君(アマキミ)に拝謁した。君は、前後して馳せ参じたスセリと三人を前に筑紫の状況を判断して話した。「今度の筑紫の内乱は食糧不足が原因だろう。誰を遣(や)っても事は簡単に収まるまい。長い年月になるので今回は我自ら御幸(みゆき)し、じっくりと国状を視察して新田開発を指導し、民の糧を増やして国を安定させようと思う」。三人は以外な君のお言葉に戸惑いを隠せず、黙って次の言葉を待った。「今回は我が後任にムメヒトを親王とする。コヤネとモノヌシ(大物主、事代主)は、諸共ににここ瑞穂宮に留まって政を助けよ。又ウツキネとスセリはキタノツ(現・敦賀)に行き、根の国(北陸)を治めよ。汝等二人いさかいがあると聞くが、仲良く睦めよ」。
 「天君は 西の宮より」、「カメに乗り 筑紫ウマシの ウド(鵜戸)に着き」、「筑紫遍く 廻りかり」、「井堰堤に 新田成す」、「法定むれば 住吉(すみよし)の 孫ホタカミや」、「シガの神 筑紫に請えば」、「ソヲのハテ 鹿児(かご)に請えども」、「ひめもすに 月澄む迄も 実を尽し」、「三年に指絵 ほぼ成りて」、「造り行い 治めしむ」、 「後に瑞穂に 帰えませば」、「ムメヒト央君 シワカミの」、「ホツマの宮に 帰りますかな」。
 君は西の宮)からカメ船に乗り供奉神(グブシン)を伴ない船出し、筑紫国のウマシのウド(鵜戸)の仮宮に着いた。早々に筑紫三十二県(ミソフアガタ)の巡狩に出発した。民情を視察しながら必要とあらば川の上流に堰を築いて、新川を堤で導き用水路を巡らして新田開発を進めた。先ず食糧の増産を計り民の生活を豊かにして後に法(ノリ)を定めて国を安定させた。住吉(すみよし)の孫のホタカミやシガの国神達が、君を筑紫の宮に招待して骨休みを進言した。又、ソオの国神のハデも鹿児の宮(現・鹿児島神宮)に君の来訪を乞うたが、君は丁重に辞退して来る日も来る日も月が高々と頭上に澄み渡るまで身を尽くして国造りに没頭した。三年目には全三十二県の土地実測図もほぼ完成して、筑紫経営を成功させた。こうして後に瑞穂の宮にお帰りになられた。ムメヒト央君(親王)は父ニニキネの帰京後、再びシワカミのホツマノ国のハラ宮にお帰りになられた。
 「兄弟の宮 キタツに在りて」、「試みに 海幸彦が 鉤換えん」、「山幸彦も 頷きて」、「兄は弓矢取り 山に狩る」、「弟は海に入り 釣をなす」、「共に空しく サチ(実・質) 有らず」、「兄は弓矢返え 鉤(ち)を求む」、「弟は鉤を取られ 由なくて」、「新鉤求めば 兄は受けず」、「元鉤徴れば 太刀を鉤に」、「一箕に盛れど なお怒り」、「多なき元の 鉤(ち)を徴(はた)る」、「浜に頂垂れ 憂ふ時」、「雁罠に陥つ これを解く」。
 キタノツで共に国を治めていた兄弟のスセリとヒコホホデミはある時に、兄の海幸彦が弟の山幸彦に提案した。「今日は試しに、お互い釣と狩りの道具をとりかえっこしようじゃないか」。弟も頷き、兄は弓矢をとって山に狩りに出かけ、弟は海に行き釣をした。しかしその日は共に獲物は取れず、むなしく宮に帰って来た。兄は弓矢を弟に返して釣針を返すように迫ったところ、弟は針を魚に取られてしまったので返せなかった。新針を返そうとしたが兄は受け取らなかった。元鉤に値するものをと苦しまぎれに自分の命の次に大切な太刀をつぶして一蓑(ひとみ)に盛って返したが、兄は依然として怒ったままで、「多くは要らん。元の針を返せ」と云い張った。ホホデミは一人悩んでなすすべもなく海辺をうなだれてトボトボと歩いていた。その時、松林の方から聞える罠に落ちた鳥の羽音に気付いて近づくと、必死であがく罪なき一羽の雁(カリ)の様子が丁度今の自分の境遇と同じように思えて、そっと罠を解いて逃がしてやった。
 「シホツツの老翁 故を問ふ まま(そのまま)に答ふる」、「老翁曰く 君な憂ひそ 図らんと」、「目なし堅網 カモに入れ」、「歌札付けて 君も乗せ」、「帆上げ艫綱 解き放つ」、「筑紫ウマシの 浜に着く」、「カモ網棄てて 行き至る」、「ソヲハテ神の 瑞垣や」、「高殿輝く 日も暮れて」、「ハヱ葉ユツリ葉 繁き茂して 寝もせで待つ」。
 この様子を遠くから見ていたシオヅツの翁(オジ)は、ホホデミの様子を心配し事情を尋ねた。一部始終を聞いた翁曰く、「君よ心配なさるな、私に任せなさい」と言うや、メナシカタアミ(目無し潟網)をカモ船に投げ入れて歌札(ウタフダ)付けて、君を船に乗せると、帆を上げ艫綱(ともづな)を解き放った。船は筑紫ウマシのウドノ浜に着いた。君はカモ船と網を置き去りにしたまま陸路を急ぎ、ソオハデ神の坐す瑞垣(みずがき)に着いた。朱玉のウテナ(高殿)は燦然と輝いていた。やがて日が落ち、とっぷりと夜の帳(とばり)につつまれて、しじまが闇を覆っていた。君はハエバ(ウラジロ)とユズリハ(譲葉)を集めて敷き座ると、まんじりともせず夜明けを待つことにした。
 「海女の共 明けて群れ出る」、「若姫が 椀に若水 汲まんとす」、「つるべ撥ぬれば(上げる) 影写る」、「驚き入りて 親に告ぐ」、「空つ神かは 貴人(まれびと)と」、「父は御衣を 望み見て」、「八重の畳を 敷き設け」、「率き入れ申して 故を問ふ」、「君ある形 宣給えば」、「ハテ神しばし 思ふ時 ウド神来たり」、「堅網の 誰がカモか有る」、「年の朝 歌合添むるを」、「取り見れば ワカの歌あり」」、「シホツツが 目なし堅網 張るべらや」、「満干の珠は ハテの神風」。
 朝が明けると、海女の乙女達が井戸にやって来た。一人の若姫が手に持ったマリ(椀)につるべをはねて若水を注いだところ、水面に高貴な若者の影が写っていた。驚いた乙女達は屋敷にかけ戻り父に知らせた。「若き貴人(まれびと)がユズリハの木の元に居られます」。ハデズミがやって来て、君の姿と御衣を見て認め、早速八重の畳を敷いて君を迎え入れ、突然の来訪の事情を尋ねた。君が事の一部始終を話し終えると、ハデ神がしばし考え込んでいる間に、ウド神が網を持って来て告げた。「カモ船の中に潟網(かたあみ)が残されていましたので、お届けしました」。ハデズミが網を見ると年の朝にふさわしい歌札が添えられていた。これを取り見れば和歌の歌が書かれていた。「シオヅツが 目無し潟網 張るべらや 満干(みちひ)の珠(たま)は  ハデの神風」。
 「時にハテ 諸海女召して これを問ふ」、「ヒキ女は布かん 粗籠網」、「クチ女が釣りも 由無しや」、「アカ女一人は 目無し網」、「ここにハテ守 諸海女を アカ女に添えて」、「目無し網 四方張れ取れば」、「大鯛が クチを噛み裂き 前に寄る」、「アカ女はクチに 元鉤得て」、「鯛を生簣に 待つべしと」、「告ぐればハテは 先に知る」、「夢に鯛来て 我魚の」、「由無き為に クチ捧ぐ 我は御食にと」、「詔 鯛は魚君 御食の物」、「印は鱗 三つに山」、「移して換す(鱗を山に置き換える) 三つ山の」、「鯛はこれなり クチは忌む」、「アカ女を褒めて ヨド姫と」。
 この歌を読んだハデ神は、すぐに大勢の海女を集めて釣針を探す方法を皆に相談した。するとヒキ女が申すには、「大目の粗籠網(あらこあみ)を曳きましょう」ろ。クチ女が曰く、「釣をして探すのが一番です」。アカ女一人だけが、「目無し潟網(めなしかたあみ)を張りましょう」と答えた。ここでハデ神は、諸海女(もろあま)にアカ女を助けて目無し網を四方に張るように命じた。やがて、大鯛がグチ(イシモチの俗称)をくわえてアカ女の前に寄って来た。見ればグチの口に釣針が掛かったままにあり、アカ女はグチから針を抜いてタイに言いつけた。「生簀(いけす)で待ってなさい」。ハデ神のところに急ぎ針を献上した。実はハデ神は前夜の内に、夢でこのことをすでに知っていた。夢の中に大鯛が現われて曰く、「我は、何の因果か分かりませんが、グチを捕えて釣針を返しに来ました。我もどうか君の御食(みけ)にしてください」。君は話を聞いて鯛の心意気をたいそう愛(め)でて詔された。「鯛は魚王(うおきみ)である。神饌(しんせん)の常の御食(つねのみけ)と定めよ。又鯛の家紋を三つに山の三鱗(みつうろこ)とせよ」。この時皆は、鯛の紋を三つ山に絵描き写してから鯛を愛でて海に返してやった。しかしグチは、この時から神の御食(みけ)には良くない魚となった。君はアカ女の功を誉めたたえて、ヨド姫(淀姫)の名を賜った。
 「君は鉤を得て 喜びに」、「シガの神して 返さしむ」、「ワニに乗り行き シノ宮で ヤマクイ招き」、「諸共に ウカワに行けば 宮会いて」、「問えばヤマクイ これ昔」、「君が鉤を借り 取られしを」、「今取り返し 弟宮から」、「シガの神して 返さしむ」、「シガは鉤を持ち 奉る」、 「宮窺ひて 我が鉤ぞと」、「言いつつ立つを 袖控え」、「待ちちと言えば 宮怒り」、「道なく我を なぜ呪ふ」、「兄には弟から 上るはず」、「応えて否や 朽ち糸を」、「換えて貸すはず 知れば幸」、「知らねば弟へ 駒這ひに」、「詫び言あれと 言えば尚」、「怒りて船を 漕ぎ出す」。
 君は念願の釣針を手に入れて喜び、一刻も早く兄に針を返そうとして、シガの神をしてスセリ宮に遣わした。シガノ神はワニ船に乗ってシノ宮に行き、この地の神ヤマクイ(日吉神社祭神)を招き、事と次第を打ち合わせてから一緒にウカワ宮に参上した。スセリ宮はヤマクイに心良く面会して、「今日は又何ごとですか」と問うた。ヤマクイは、「実はここにある物は、宮もご存じと思いますが、昔君の釣針を弟ホホデミが借りて魚に取られて返せなかった針です。今やっと取り返して遠い宮からはるばるとシガの神を遣いにお返しに参りました」。シガの神は、両手で釣針をうやうやしく掲げて奉った。宮は針を窺い見て、「我が針である。間違いない」と言ってそのまま立ち去ろうとしたので、シガノ神は君の袖を軽く押さえて思わず、「ちょっとお待ちください」と制すれば、宮は急に血相を変えて怒り出して曰く、「道理もわきまえずに、我をなぜ呪う。兄に対して弟自ら上京して返すべきではないか、礼儀知らずめ」。シガの神答えて曰く、「それは違うでせう。海幸彦といわれるほどの者なら当然朽ちた釣糸を新しく替えて弟に貸すはず。この道理を知ればこそ海幸彦。この当たり前のことを弁えなかった非礼を弟に駒這い(コマバイ)になってお詫びするのが筋と云うもの」と言えば、宮は益々怒りだして湖へと船を漕ぎ出した。
 「珠を投ぐれば 海乾く」、「シガ追ひ行きて 船に乗る」、「宮飛び逃ぐる ヤマクイも」、「馳せ行き宮の 手を引けば」、「シガまた投ぐる 珠の水」、「溢れて既に 沈む時」、「汝助けよ 我長く」、「弟の駒して 糧受けん」、「ここに許して 迎ひ船」、「宮に帰りて 睦みてぞ去る」。
 そこでシガの神が、ハデ神から預かった干(ひ)の玉を懐から取り出して水中に投げ込むと、たちまち水が減り湖が干上がった。シガの神はスセリ宮を追いかけて行き船に飛び乗ると、宮は船を飛び出し逃げ出した。ヤマクイも走って宮に追い着き、宮の手を引けば、シガの神が今度は満ちの玉を投げると玉の水が溢れ水が増して、ついに宮が溺れかかり、正にあわやというその時、「汝助けよ、我長く弟の駒(こま)して糧(かて)受けん」と心から詫びて叫んだ。ここで宮を許して迎え船を出して助け入れ、皆一緒にウカワ宮に戻って仲直りして、それぞれ国に帰って行った。
 「ハテツミは 君に申さく」、「我が子」とて トヨツミヒコと トヨタマ姫」、「タケツミヒコと オトタマ姫」、「連れ率て君を 拝ましむ」、「君は筑紫の(三十二県の) 神集め」、 「我妻入れん 諸如何ん」、「時にホタカミ 申さくは」、「先に請ふ時 君の名も ツクシの央君」、「これここの 天つ神なり お任せに」、「昔母君 天君に」、「一夜契りて 後に召す」、「君まず諮る 尚好しと」、「鹿児島宮に 移ります」。
 一方ハデズミは、ある日自分の二男二女をホホデミの御前に引き連れて伺った。「我はスミヨシ神(住吉)の孫にして、姓はカモ(鴨)名をハデヅミと申します。又ここに居ります我が二男二女は、長男の名はトヨズミヒコ(豊祇彦)、次女はトヨタマメ(豊玉姫)、三男タケズミヒコ(建祇彦)と四女オトタマメ(乙玉姫)でございます。どうか今後共お見知りおきいただきとうございます」と正式に挨拶をされた。君はこの後、筑紫三十二県の国神を一堂に召集すると、諸神に問いかけた。「我は今、妻を迎えようと考えるが汝等の意見はいかがかな」。この時、ホタカミが申し上げるには、「君はもう前に、父君のニニキネからツクシ親王(おきみ)の名を賜わっておられます。すでに筑紫の天君です。どうか君の御意のままにしてください。昔、母君のコノハナサクヤ姫を天君ニニキネは、御巡幸の途次、一夜の契りを結んで、後に正式に后とされましたが、君は事前に我等にお計り下さり、大変ありがたい良い事と感激しております」。
 「豊玉姫を 御后に」、「スケ・内・下侍 二人ずつ」、「六局も成り 調えば」、「その翌三日に トヨツミが 玉笠揃え」、「玉椀(まりも) 六人に持たせ 水捧ぐ」、 「声を揃えて 「モモヒナギ」、「交はい後の 三日の日の」、「川水浴びて ウヒヂニの 」、「上から下へ 花婿に水」、「参らせふ 参らせふ」」、「この時に 三十二県の」、「神歌い 万(大いに)と 楽しむ」。
 この場で君は、トヨタマ姫を御后(みきさき)に定め、スケ、ウチメ、シモメ、の三階級の局を二人ずつ選んで六人が揃った。 婚礼の準備も全て整い、式場をカゴシマ宮に移して結婚の儀式が金、銀の花を添えて盛大に開かれた。この座でツクシ三十二県の神々も皆、祝い歌を謡い楽しみ、やがて万歳万歳(ヨロトシ、ヨロトシ)の声が感動の渦となって国中に広がっていきました。 婚儀三日目の朝の事です。トヨタマ姫の兄トヨズミヒコが六人の局達に、皆揃いの玉笠をかぶらせ、手にはそれぞれタママリモ(玉椀)を持たせて新婚の二人が室から出てくるのを、今か今かと声をひそめて待っていた。戸が空くと、突然皆一斉に声を揃えて歌い、マリモの水を二人に降りそそいだ。
 「然る後 先の御幸の 井堰皆」、「実心添えて 新田成す」、「筑紫三十二の 回恵りて 鹿児島に坐す」、「年々に 実りも増えて 国豊か」、「今年植付け 照れど好し」、「宇佐の県に 流行らせて」、「五月の十五日の 張祝」、「餅飯・ハヱ飾き ウケ神に」、「斎ふ穂長と ユツリ葉の」、「ほつま遊びの 瑞穂歌」、「楽し賑わふ トヨ(豊の国)の国」、「三十二の県 皆流行る」、「門松ハヱ葉 ユツリ葉も」、「春設き飾る 本在や」。
 この後、君は鹿児島宮にトヨタマ姫とお住まいになり、筑紫三十二県を巡り見ては新田開発に努め国土の改善を進めた。このお陰で今では実りも増して国も豊かになり平和が続いた。今年は日照りが強かったものの、川水を堰止め、溜池をたくさん掘らせたことで、干ばつもなく例年通り早苗(さなえ)の植え付けもうまく済んだ。喜んだウサノ県主のウサツヒコは国中に命じて植え付けの苗月(サツキ)の十五(モチ)日に、花の正月と称して春祝いのお祭をしてウケモチノ神(稲荷神)に豊作祈願の儀式を定めた。神前に大きな供え餅を捧げて、昔ホホデミが敷いて元旦の朝を待った故事にならい、餅の下にハエハ(裏白)を敷いて穂長の稲穂にたとえ、又ユズリハも飾ってアズマ歌を謡い、上(神)から下(民)まで祭を楽しみ国中賑い豊かになったので、この国の名を豊(トヨ)の国と名付けた。次第に三十二県にもこの祭が流行して、後に正月元旦の儀式となった。幸を待ち神を待つ門松を立て、ハエハとユズリハをお供え餅に敷いて飾る風習を国中で祝うようになった経緯である。
 「トヨ賑ひて 六万年」、「経ても阿蘇国 まだ肥えず」、「故宮造り 移ります」、「地を考えて 数峰の」、「数魚入れて 田を肥やし」、「陽炎の火の コエ(肥国)国の」、「タケイワタツは 沓を上げ」、「アソ姫斎餞に 奉る」、「君召し上げて 内后」、「ここにも六万 年を経て」、「シガの守方は まだ満てず」、「筑紫の宮に 移ります」。
 豊の国は賑わい六万年経ったが、阿蘇国は依然として豊かにならなかった。故に、宮を造り移り済んだ。「地を考えて 数峰の」、「数魚入れて 田を肥やし」、「陽炎の火の コエ(肥国)国の」、「タケイワタツは 沓を上げ」、「アソ姫斎餞に 奉る」、「君召し上げて 内后」、「ここにも六万 年を経て」、「シガの守方は まだ満てず」、「筑紫の宮に 移ります」。
 「地を考えて 油粕」、「入れてカスヤ(粕屋)の 埴満つる」、「その他三十の 招く故」、「恵り考え 筑紫(尽くし)宮」、「豊かに肥えて 民安ぐ」、「ここにも六万 年を経て」、「三鈴の間 しばらくも」、「休まで民を 治す故に」、「后局も 御子生まず」、「かれこれ思し 宮棄てて」、「ウドに至れば ハテ守の」、「招く鹿児島 行きまさず」。
 君はトヨタマ姫と一緒になられてから後も、ツクシの民の為に身を粉にして働き続け、一時も休む日とてなく、民を助けて身を尽くした。しかし残念にも后にも局にもまだ子供ができなかった。君はこの事を心配して一時期すべての政(まつり)を離れて、辛い運命を明るい未来に変えた最初の第一歩のウドの仮宮に戻って、たった一人トヨタマ姫だけを伴って籠る決心をした。
 「后は父に これを告ぐ」、「ハテ神ウドに 申さくは」、「君楽さずや 然らずぞ」、「局はあれど 子を生まず」、「故に棄て置き ただ一人」、「連れてしばらく ここにあり」、「筑紫の民を 思ふばかりぞ」。
 ハデ神からの、「カゴシマ宮に来てゆっくりお過ごしください。お待ちしています」との誘いにも、妻トヨタマ姫を通じて丁重に断わった。すると、ハデ神からウド御滞在の君に思い遣りの文が届けられた。「君は民のために働きすぎて、自分が楽しく遊ぶことを忘れてしまわれている。どうかごゆっくり寛ぎトヨタマと気ままにお過ごし下さい」。局が数々いるのに誰も子を産まないので、いっそのこと捨て於いて、お気に入りの姫をただ一人連れて、暫くとどまった。君の御心は、唯々筑紫の民の行く末を思んばかるばかりです。





(私論.私見)