ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)24

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).5.17日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)24、コヱ国ハラミ山の文」を確認する。「ウィキペディアのホツマツタヱ」、「」、「コノハナサクヤ姫(木花之開耶姫)桜の誓い」その他を参照する。  

 2011.12.25日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ2、ワのヒマキ(地の巻)24、コヱ国原見山の文】
 コノハナサクヤ姫(木花之開耶姫)桜の誓い
 こゑくに はらみやまのあや      コヱ国 ハラミ山の文
 そもそもに みまこににきね そもそもに 御孫ニニキネ
 にはりみや つくはにをさむ     ニハリ宮 筑波に治む
 としすてに みすすふちゐそ     年既に  三鈴二千五十
 つらつらと おもせはたみの ふゆるほと     つらつらと 思せば民の 
増ゆる程 
 たはまさぬゆえ かてたらす     田は増さぬ故 糧足らず 
 ひらはのおたは みつたえす    平場の生田は 水絶えず 
 たかたはあめの ふらぬとし 
 たねおほろほす       
高田は雨の 降らぬ年 
種を滅ぼす
 かわかみの みつおかけひに
 はこはせと    
川上の 水を懸樋に 運ばせど 
 これもくつれは いせきたて       これも朽つれば 井堰立て
 つつみきつきて やまみつお  堤築きて 山水を   
 とりてたかたお ひらかんと      取りて高田を 拓かんと 
 いつのかもふね いせにつけ     伊豆の鴨船 伊勢に着け 
 めくりこえとも ををんかみ 巡り請えども 大御神 
 ゆるさすここに かりすまゐ     許さずここに 仮住い 
 やまたのたかく みやかわの     山田の高く 宮川の 
 かみよりいせき つつみつき     上より井堰 堤築き
 ついにたかのお たとなせは    遂に高野を 田となせば
 ゐとせのうちに みつほなる     五年の内に 瑞穂成る   
 ほかにそやかの いせきなる  他に十八処の 井堰成る
 ときにあまてる みことのり        時に天照 詔
 やしまめくれと ふれたまふ 「八州巡れ」と 触れ給ふ
 ときふそこすす ゐものひゑ               時二十九鈴 五百の一枝 
 みそやきさらき ついたちと   三十八(穂) 二月 一日と
 むめのはなみの みあえして     梅の花見の 御饗(みあえ)して    
 ひよみのみやの かとてのり      日読みの宮の 門出宣り
 むかしひよみの おもいかね              昔日読みの オモイカネ  
 こよみつくりて ここにあり        暦作りて ここにあり
 のちむらくもに ゆつりおく         後ムラクモに 譲り置く   
 むらくもあめの をんともに              ムラクモ天の 御供に
 あすかにはへる たちからを      飛鳥に侍る タチカラヲ
 をやのあととて ここにあり   親の後とて ここにあり
 みかりのをとも こふゆえに         御狩りの御供 請ふ故に  
 むらくもめして みことのり         ムラクモ召して 詔
 なんちむらくも こよみなす           「汝ムラクモ 暦成す   
 かかみくもれは たまふなは
 あめふたゑなり         
鏡曇れば 賜ふ名は
アメフタヱなり」 
 ふたゑけふ みあえおなせは     ふたゑけふ 御饗をなせば
 かといてに みはたのとめの     門出に 御機の留の
 をんふみお みまこにたまひ     御文を 御孫に賜ひ
 みかかみお こやねにたまひ     御鏡を コヤネに賜ひ
 みつるきお こもりにたまひ     御剣を コモリに賜ひ
 のたまふは     曰(のたまう、宣給ふ)は     
 さきにみくさの たからもの 「先に三種の 宝物  
 みこおしひとに たまひしは        御子オシヒトに 賜ひしは 
 あにみまこゑて ふとたまと  兄孫得て 太玉と
 かくやまはねの をみとなる  香久山羽の 臣となる  
 こやねものぬし きよひとか
 はねのをみなり      
コヤネ物主 キヨヒトが
羽の臣なり
 きみとをみ こころひとつに     君と臣 心一つに
 かのとりの かたちはやたみ     右の鳥の 形は八民
 くひはきみ かかみはたはね     頭は君 鏡は左羽
 つるきかは もののへはあし     剣右羽 (剣臣)  物部は足
 かかみをみ すえほろふれは 鏡臣 末滅ぶれば
 たみはなれ ひつきふまれす 民離れ 日嗣ぎ踏まれず
 つるきをみ すえほろふれは     剣臣 末滅ぶれば
 ものへわれ よおうはわるる     物部破れ 世を奪わるる
 やたをみは そろはふはるの     八タ臣は 繁栄(そろは)ふ春の
 たみわさお かんかみるめそ     民業を 鑑みる目ぞ
 かきをみは よこまおからし     垣臣(かきをみ)は 汚曲(よこま)を枯らし
 もののへの ちからもるてそ     物部の 力守る手ぞ
 このゆえに みくさおわけて     この故に 三種を分けて 
 さつくいは なかくひとつに
 なるよしお     
授く意は 長く一つに
 和(な)る由を
 あやにしるして をてつから      文 (御機の文)に記して 御手づから 
 ふみおみまこに さつけます  文を御孫に 授けます 
 せおりつひめは みかかみお   セオリツ姫は 御鏡を 
 もちてかすかに さつけます 持ちて春日に 授けます 
 はやあきつめは みつるきお ハヤアキツ姫は 御剣を 
 もちてこもりに さつけます   持ちてコモリに 授けます
 みたひうやまひ みなうくるかな            三度敬ひ 皆受くるかな
 しかるのち みくさたからお
 ひつにいれ    
然る後 三種宝を
櫃に入れ   
 しるしはさかき さきかりは
 たちからをなり      
標は榊 先駆は
タチカラヲなり
 つきかつて おおものぬしと     次カツテ 大物主と
 みくさひつ やふさみくるま     三種櫃 八房御車
 つきこやね かこむまやその
 もののへら 
次コヤネ 駕籠馬八十の
 物部等
 いせよりたちて あすかみや          伊勢より発ちて 飛鳥宮 
 これよりみつの にしのみや          これより御津の 西宮   
 まつかんさきの おおゐほり          まず神崎の(播磨) 大井掘り
 まなゐにいたり ぬさおさめ          マナヰに至り 幣納め  
 こゑのねのくに あちはせか
 みねこしささく         
越の根の国 アチハセが
峰輿捧ぐ  
 これにめし しらやまみねお これに召し 白山峰を 
 みめくるに ななめにならす 御廻るに 斜めにならず
 このこしは たかつくれると
 のたまえは 
「この輿は 誰が造れる」と
 曰(のたま)えば
 ここりめいわく     ココリ姫曰(いわ)く
 まこかなす いとうけすてめ
 あかかたに     
「我子(あこ)が成す 妹ウケステメ
 アカガタに 
 くろそのつみと うむみこお  クロソノツミと 生む御子を 
 ころひつくにの きみとなす  ころひつ国の 君となす
 くろそのつめる きみのはは      クロソノツメル 君の母 
 けわしきみねの こすときに  険しき峰の 越す時に 
 みねこしつくり こおそたつ    峰輿造り 子を育つ 
 いまここにきて まみゑなす
 みまこよろこひ       
今ここに来て 見えなす
 御孫喜び
 くにはこし やまはみねこし     「国は越 山は峰輿」
 そのかえに みちみのももお
 たまわれは   
その返に 三千実の桃を
 賜われば   
 はなみのももは まれなりと
 くにつとになす           
「花見の桃は 稀なり」と
 国苞(つと)になす
 やよいもち みあえのむめに     三月十五日 御饗の梅に
 きみゑみて むめにみくさの     君笑みて 梅に三種の
 かといても むめにこしゑて     門出も 梅に輿得て
 このみあえ あめのしるしと
 おりかさし     
この御饗 天の標と
折り髪挿(かざ)し 
 いたるたかしま ささなみの      至る高島 さざ波の 
 さくらもよしと おりかさし     桜も好しと 折り髪挿し 
 くまのよろきの たにせんと    熊野ヨロギ野  田にせんと 
 おおたみしまか いかわなす オオタミシマが 井川成す 
 おとたまかわの しらすなに 音玉川の 白砂に 
 ひるねしておるちまたかみ      昼寝して居る チマタ神 
 みのたけそなた つらかかち  身の丈十七尺 面カガチ 
 はなたかさなき めはかかみ     鼻高さ七寸 目は鏡
 とものやそかみ おそるれは 供の八十神 恐るれば
 みまこうすめに みことのり  御孫ウスメに 詔
 なんちめかちに とふへしと 「汝粧(めか)ちに 問ふべし」と 
 うすめむねあけ もひほさけ
 あさわらいゆく      
ウスメ胸開け 下秘(もひ)ほ曝(さ)け
栄さ笑い行く
 ちまたかみ さめてかくする
 なにゆえや     
チマタ神 覚めて「かくする
何故や」 
 いわくみまこの みゆきさき
 かくおるはたそ    
曰く「御孫の 御幸先
かく居るは誰ぞ」
 こたえいふ    答え言ふ 
 かみのみまこの みゆきなす 「神の御孫の 御幸なす 
 うかわかりやに みあえして   ウカワ仮屋に 御饗して 
 あひまつなかた さるたひこ 合ひ待つ長留 猿田彦」 
 うすめまたとふ     ウスメまた問ふ
 いつれから ゆくやこたえて
 われゆかん     
「何れから 行くや」答えて
「我行かん」 
 またとふなんち しるやきみ
 いきますとこお    
また問ふ「汝 知るや君
行きます所を」
 こたえいふ    答え言ふ 
 きみはつくしの たかちほそ   「君は筑紫の 高千穂ぞ 
 われはいせのさ なかたかわ 我は伊勢の南(さ) 長田川
 なんちわかなお あらわさは
 われもいたさん       
汝我が名を 顕さば
我もいたさん」
 かえことす みまこよろこひ     返言す 御孫喜び
 うのはなも またかさしゆく     卯の花も また髪挿し行く
 さるたして たけのいわくら
 おしはなち     
猿田して 岳(たけ)の岩塊
押し放ち 
 いつのちわきの よろいさき     稜威のチワキの ヨロイ崎 
 たけやかかみの みおのつち     岳や鏡の 三尾の土
 つむみかみやま いせきつく     積む三上山 井堰築(つ)く
 さるたおほめて みおのかみ 猿田を褒めて 三尾の神
 このむうすめお たまわりて     好むウスメを 賜りて 
 そのなあらはす さるへらと    その名顕す 猿部らと 
 かくらおのこの きみのもとなり         神楽おのこの 君の元なり  
 みことのり  
 みおのちわきも たはここに
 これかかみなり
「三尾のチワキも 田はここに
これ鏡なり」(田に水を張った様子)
 かりみやお みつほとなつく     仮宮を 水圃(瑞穂)と名付く
 たかにゆき ぬさおささけて
 みのにゆき     
多賀に行き 幣を捧げて
 美濃に行き 
 あまくにたまの よろこひも     天国玉の 喜びも
 むかしかすかに うるりゑて 昔春日に 瓜(うる)り得て
 うむたかひこね ささけもの 生むタカヒコネ 捧げ物
 おのおのまくわ ひとかこと 各々マクワ 一籠と 
 やそよろこひて くもちわけ  八十喜びて 雲路分け  
 しなのすわより みちひけは  信濃諏訪より 導けば   
 はらみやまから よもおみて  原見山から 四方を見て
 すそのはひろし みつおうみ
 すそのたにせん    
「裾野は広し 水を生み
 裾野田にせん」
 たちからを やもにほらしむ     タチカラヲ 八方に掘らしむ
 うみのなも きはやまなかと 湖の名も 東(き)は山中と
 きねはあす 東北(きね)は明見(あす)
 ねはかはくちと 北(ね)は河口と 
 ねつもとす      北西(ねつ)本栖(もとす)
 つはにしのうみ 西(つ)は西の湖 
 つさきよみ 西南(つさ)精進(きよみ) 
 さはしひれうみ 南(さ)は四尾連(しびれ)湖
 きさはすと 東南(きさ)は須戸(すど)
 にはりのたみか むれきたり                ニハリの民が 群れ来り
 うみほりつちお みねにあけ               湖掘り土を 峰に上げ
 やふさはかりと あにこたえ
 なかのわもかな        
「八房はかり」と 天に答え(告げ)
「中の土もがな」
 うつろゐか あわうみさらえ     ウツロヰが(空の神)  アワ海渫(さら)え
 みおのわと ひとにないきて     三尾の土と 人担い来て
 あさのまに なかみねなせは     朝の間に 中峰成せば
 かみのなも ゐつあさまみね     神の名も 稜威間峰
 やまたかく みつうみふかく
 ならひなし    
山高く 湖深く
並びなし  
 みねにふるゆき いけみつの        峰に降る雪 池水の  
 すえこちさとの たとなりて  末九千里の 田と成りて
 およふみよたに はたとしに          及ぶ三万反に 二十年に
 さらえなせとて さかおりの        渫(さら)えなせとて サカオリの
 みやにいります あつかりの        宮に入ります 預りの   
 おおやますみか みあえなす         オオヤマスミが 御饗なす
 みかしはささく あしつひめ           御膳捧ぐ アシツ姫  
 ひとよめされて ちきりこむ         一夜召されて 契り交む
 かえるにはりに ゆきすきの               帰るニハリに ユキスキの
 みやにいのりの おおなめゑ          宮に祈りの 大嘗会
 みくさのうけお あにこたえ            三種の受けを 天に答え  
 みやにをさむる そのかさり
 かくやはたあり         
宮に納むる その飾り
橘八幡あり  
 そのあすか おおんたからに
 おかましむ          
その翌日 大御宝に
拝ましむ  
 こやねかしまに としこゆる              コヤネ鹿島に 年越ゆる 
 ものぬしひとり  ひたかみの
 いせきなしなし    
物主一人  日高見の
井堰成し成し
 ひすみまて ををちよろこひ     日隅詣(ま)で 祖父喜び
 そのちちか やまとのかみと
 なりてのち   
「その父が ヤマトの神と
成りて後(世を去って後)
 まこにあいたく としよると
 てつからみあえ        
孫に会いたく 年寄ると
手づから御饗
 もの主も よろこひいわく     物主も 喜び曰く
 わかきみの やまおやふさの
 ゐゆきなす     
「我が君の 山を八房の
居雪成す」
 おおちおとろき われたとひ             祖父(おおち)驚き 「我たとひ
 あらたなすとも これしらす    新田成すとも これ知らず    
 きみはまことの てらすかみ     君は真の 照らす神
 よよのみをやそ まめなせと          代々の上祖ぞ 忠なせ」と
 くにさかいまて おくりてそ
 なこりあるなり           
国境まで 送りてぞ
名残あるなり
 ものぬしは うみへおにしに
 めくりつつ    
物主は 海辺を西に
巡りつつ   
 さしゑにあらた おこさしむ    指絵に新田 興さしむ  
 さとにわたりて あらたなす  佐渡に渡りて 新田成す   
 こしにもとりて いせきなすかな        越に戻りて 井堰成すかな
 ときにきみ おほすことあり     時に君 思すことあり
 こやねして にはりにととめ     コヤネして ニハリに留め
 かつてして うみへおのほる     カツテして 海辺を上る
 みゆきふれ おおやますみは     御幸触れ オオヤマスミは
 ゐつさきの かりやにむかえ
 みあえなす    
伊豆崎の 仮屋に迎え
御饗なす
 かしはなすとき あしつひめ 膳(かしは)なす時 アシツ姫
 いめはらめりと もうすゆえ       「妹孕めり」と 申す故    
 いせにつけんと よそひなす          「伊勢に告げん」と 装ひなす
 ときにそのはは あねつれて   時にその母 姉連れて  
 かりやにいたり まみゑこふ         仮屋に至り ま見え請ふ 
 めせはもうさく         召せば申さく 
 いもとさえ わかいつくしの
 あねありと  
「妹さえ 我が慈しの
姉あり」と
 ことはかされは ふたこころ   言葉飾れば 二心
 あねいわなかお めせはその  姉イワナガを 召せばその  
 かたちするとく みめあしく       容(かたち)鋭く 見目悪しく  
 かれにきもけし みやひかえ           故に肝消し 雅び変え
 やはりあしつと のたまえは      やはりアシツと 曰(のたま)えば
 ちちおとろきて つましかる           父驚きて 妻叱る     
 かくあらんとて いたさぬお     「かく有らんとて 出さぬを   
 いそきかえれと おひやれは       急ぎ帰れ」と 追い遣れば   
 ははあねうらみ しもめして           母姉恨み 下侍して 
 いもとおとさん あたまくら        妹陥さん 他(あた)枕
 ついにいつわり しろこやて               遂に偽り シロコ宿で 
 きみにきこゆる うたかひに         君に聞ゆる 疑いに 
 たひやおよはに たちいてて
 いせにかえます            
旅屋を夜半に 立ち出でて
伊勢に帰えます  
 ひめひとり ねさめてゆけは            姫一人 寝覚めて行けば
 まつさかに せきとめられて           松阪に 塞き止められて 
 しろこやに かえりちかつて         シロコ宿に 帰り誓つて  
 ねたまれの わかはちすすけ
 このさくら          
妬まれの 我が恥濯げ
この桜」
 むかしひををち さくらうし          昔曽祖父 サクラ大人(うし)
 このはなささく ををんかみ        この花捧ぐ 大御神
 おうちにうえて いせのみち              大内に植えて 伊勢の道 
 なるはなるるお はかります        なる離るるを 計ります
 さくらいあらは わかはらみ           桜意あらば 我が孕み
 あたたねならは はなしほめ           他(あだ)種ならば 花萎(しぼ)め 
 まさたねならは うむときに
 さけとちかひて         
真(まさ)種ならば 生む時に
咲けと誓ひて   
 ここにうゑ さとにかえます              ここに植え 里に帰ます 
 そふみちて みなつきはつひ
 みつこうむ   
十二満ちて 六月初日
三つ子生む
 そのゑなのあや むめさくら          その胞衣の紋 梅桜 
 うはなとかわり あやしめは    卯花と変り 怪しめば 
 きみにつくれと かえなくて  君に告ぐれど 返事(かえ)なくて 
 ひめはすそのに うつむろし         姫は裾野に 埋(うつ)室し  
 めくりにしはの かきなして         周りに柴の 垣成して  
 ははこちかひて なかにあり             母子誓ひて 中にあり
 あたたねならは ほろひんと
 ひおつけやけは       
「他種ならば 滅びん」と
火を着け焼けば  
 あつかりて はひいてんとす           熱がりて 這ひ出でんとす  
 みねのたつ みつはきかけて           峰の竜 水吐きかけて    
 ひとりつつ みちひきみこお
 はひいたす          
一人づつ 導き御子を
這ひ出す
 もろとおとろき ひおけして          諸人驚き 火を消して
 ひめひきいたし みこしもて          姫引き出し 御輿以て    
 みやにおくりて いせにつく         宮に送りて 伊勢に告ぐ  
 しろこのさくら うまれひに               シロコの桜 生れ日に 
 さきてたえねは あめみまこ  咲きて絶えねば 天御孫 
 かもふねはやく とはさせて           鴨船早く 疾ばさせて 
 おきつにつけは きちとひて
 さかおりにつく        
オキツに着けば 雉飛びて
サカオリに告ぐ   
 ひめうらみ ふすまかふりて
 こたえなし    
姫恨み 衾(ふすま)被(かぶ)りて応えなし
 かえことすれは きみしはし            返言すれば 君しばし
 おもひてわかの うたみそめ           思ひて和歌の 歌見染め
 おきひこおして さおしかと
 ひめいたたきて       
沖彦をして 直御使人
 姫頂きて
 おきつもは へにはよれとも
 さねとこも     
「沖つ藻は 辺には寄れども 添(さね)床も
 あたわぬかもよ はまつちとりよ    能(あた)わぬ鴨よ 浜つ千鳥よ」
 このうたに うらみのなんた
 とけおちて
この歌に 恨みの涙(なんだ)
解け落ちて
 きもにこたえの かちはたし           肝に応えの 徒歩(かち)裸足(はだし)
 すそのはしりて おきつはま       裾野走りて 沖ツ浜 
 きみよろこひて こしならへ          君喜びて 輿並べ
 ゆくおおみやは やますみの 行く大宮は ヤマスミの
 みちむかえして みところに      道迎えして 御所に 
 すわかみあえは すはしりて          諏訪神会えば す走りて  
 さかおりみやに いりまして            サカオリ宮に 入りまして
 もろかみきけよ われさきに            「諸神聞けよ 我先に  
 はなおかさして かけとほる        花を髪挿して 駈け通る
 これゑなのあや いみななす           これ胞衣の紋 諱(いみ名)なす  
 はつにてるなは ほのあかり
 いみなむめひと          
初に出る名は ホノアカリ
諱ムメヒト 
 つきのこは なもほのすすみ
 さくらきそ         
次の子は 名もホノススミ
サクラギぞ
 すえはなもひこ ほおてみの
 いみなうつきね         
末は名も彦 ホオテミの
諱ウツキネ 
 またひめは こおうむひより
 はなたえす                     
また姫は 子を生む日より
花絶えず 
 ゆえにこのはな さくやひめ          故にコノハナ サクヤ姫」
 みやつくりして おわします 宮造りして 御座します
 なつめのかみか うふきなす        ナツメの守が 産着なす  
 ははのちおもて ひたします
 こやすのかみそ       
母の乳を以て 養します
子安の神ぞ
 ひとなりに さくらきかにの くさなせは     人成りに 桜木汚泥の 腐なせば
 すせりくさにて かにはきて          スセリ草にて 汚泥(かに)掃きて  
 くさかれいゆる なもすせり       腐枯れ癒ゆる 名もスセリ 
 かれしらひけの すせりもて
 たみよみかえる         
故白髭の スセリ以て
民蘇る 
 まもりとて はたきてうくる
 みやゐこれかな        
守りとて 開きて受くる
宮居これかな
 そののちに きみこのやまに     その後に 君この山に 
 のほりみて なかこやすめり        登り見て ナカゴ安めり
 やつみねに ゐゆきたえねは     八つ峰に 居雪絶えねば
 よよのなも とよゐゆきやま     代々の名も 豊居雪山
 このしろの たつのたつたの
 かみのこと
このしろの 竜の竜田の
 神の子と
 このしろいけの みやことり           このしろの 都鳥
 らはななくれは たはむれる          ラ花投ぐれば 戯れる   
 とりたすきとて はにゐます        鳥たすきとて 衣に埋ます
 こもりゑになす ちよみくさ           コモリ絵に成す 千代見草  
 みはもにしみて さまうつす      御衣裳(みはも)に染みて 様写す   
 ままにまつりお きこしめす        随(まま)に政りを 聞し召す
 このあきみつほ ちからなす          この秋瑞穂 力 なす 
 かれやまはとの みはとなす           故山はとの 御衣となす
 あやにはおとめ おるにしき         紋に葉を留め 織る錦 
 おおなめまつる みははこれ           大嘗祀る 御衣はこれ
 はおなおはめは ちよおうる
 わかなもおなし              
ハオ菜を食めば 千代を得る
若菜も同じ  
 にかけれと はおなはももの
 ましにかく        
苦けれど ハオ菜は百々の
増し苦く
 ちよおのふれと たみくわす          千代を延ぶれど 民食わず
 ねはひとのなり ははよめな
 はなやゑかおよ        
根は人の態(なり) 葉は嫁菜
花八重顔よ
 らははくは もくさかふろは
 ちおまして     
ラ葉は桑  もぐさかぶろ葉
血を増して
 をいもわかやく わかむすひ      老いも若やぐ ワカムスビ
 このこおくわに いとなせは      この蚕を桑に 糸なせば 
 ここりひめゑて みはささく
 こゑねのくにそ        
ココリ姫得て 御衣捧ぐ
コエ根の国ぞ
 ものぬしは きたよりめくり     物主は 北より巡り
 こゑにきて かのゑおすすむ     越に来て 彼の絵を進む
 ここりひめ あやにおりなす    ココリ姫 紋に織りなす
 とりたすき あめにささけて     鳥たすき 天に捧げて
 またにしの ははかみやけと
 よにのこる      
また西の 母が土産と
世に残る
 たかにいたれは つえかつま
 あさひめむかふ             
多賀に至れば ツエが妻
アサ姫迎ふ
 ものぬしは くわよきおみて     物主は 桑好きを見て  
 あさひめに こかひきぬおる     アサ姫に 蚕飼ひ絹織る
 たちぬひの みちをしゆれは     裁縫(たちぬ)いの 道教ゆれば
 をこたまの かみおまつりて     ヲコ魂の 神を祀りて
 ゐくらたし みはさしつくり     五座治し 御衣差し作り
 たちぬひの みちをしゆれは
 やもとほり    
裁縫の 道教ゆれば
八方通り
 こゑくにのかみ をこのさと
 こかひゑるなり    
コエ国の神 ヲコの里
蚕飼ひ得るなり
 あめみまこ またやまめくり     天御孫 また山巡り
 ねにひゑて はらいたむとき     峰に冷えて 腹痛む時
 こもりその みくさすすめて
 これおたす    
コモリその ミ草進めて
これを治す
 みとはましわる ひとみくさ         実と葉交わる 人身草    
 ねはこねうすき くきひとり        根はこねうすき 茎一垂(り)  
 よゑゐはひとみ こしろはな         四枝五葉人身 小白花 
 あきみはあつき あまにかく          秋実は小豆(あづき) 甘苦く
 よこしうるほひ むねおたす           脾臓(よこし)潤ひ 胸を治す
 ももくさあれと はらみのみ
 ことまさるゆえ       
百草あれど 原見の三
殊優る故
 みくさほめ はらみやまなり     三草褒め 原見山なり
 ふたかみの くになかはしら
 おきのつほ    
二神の 国中柱
オキの壺
 あまてるかみの ひたかみの      天照神の 日高見の 
 かたたけみやの なかはしら     カタタケ宮の 中柱  
 けたつほのふみ ゐつかみの ケタ壺の文 稜威神の  
 はらみはつほは よもやもの
 なかはしらなり       
原見ハ壺は 四方八方の
中柱なり   
 ををんかみ はらのをきみと
 なおたまふ        
大御神 原の央君と
名を賜ふ
 にはりのたみか ことしたふ      ニハリの民が 子と慕ふ
 ふりもわかれて もとたみと            風習(ふり)も分かれて 元民と   
 みつきはわかれ しわかみの     水際別れ 磯輪(しは)上の 
 みはしらのまま なることく         御柱の随(まま) なる如く 
 まつりほつまに ととのひて         祀りホツマに 調ひて 
 ふよろやちへて みそすすの             二万八千経て 三十鈴の 
 こよみなすころ くにのなも      暦なす頃 国の名も
 しはかみほつま あまねくに
 うつりたのしむ       
磯輪上ホツマ 遍(あまね)くに
写り楽しむ
 よよゆたか やよろとしへて 世々豊か 八万年経て
 ひたかみの きみよりめせは     日高見の 君より召せば
 もろともに みやにのほれは     諸共に 宮に上れば
 ちちみかと みこふたかたに
 みことのり     
父帝 御子二方に
 われよはひおい ひたるゆえ  「我齢老い 日足る故
 いまよりあにも なはやまと         今より兄も 名はヤマト 
 あすかをきみと はらをきみ        飛鳥央君と 原央君 
 ともにむつみて ゑとかみの           共に睦みて 兄弟(えと)神の  
 そのひそのたみ もることく      その日その民 守る如く 
 ゑとしかときけ         兄弟確かと聞け
 くにたみお わかものにせな     「国民を 我がものにせな
 きみはその たみのきみなり     君はその 民の君なり
 たははこね ふたゑめくみそ     民は箱根 二枝恵みぞ
 かにめてる きみはかもなし
 ふたもなし    
カに愛でる 君はカもなし
ふたもなし
 かみのかかみの あまてらす     神の鏡の 天照 
 ひつきのきみと まもるはこねそ        日嗣ぎの君と 守る箱根ぞ」
 ついにほる ゐつをはしりの
 ほらあなに     
終(つい)に掘る 伊豆ヲハシリの
洞穴に 
 みつからいりて はこねかみ      自ら入りて 箱根神 
 まつりてのちに はらをきみ      祀りて後に 原央君 
 のこしことより 遺言より
 ふたたみの あらそいあれは     二民の 争いあれば
 とみやりて やわしさはきて    臣遣りて 和(やわ)し裁きて
 なにことも おたみおたてて     何事も オ民を立てて
 にいたみの かけははらより
 つくなわす     
新民の 欠けは原より
償わす   
 かれによのうち むつましき         故に世の内 睦じき   
 ゑとおなつけて はらからと
 いふもとおりそ        
兄弟を名付けて ハラカラと
言ふも通りぞ
 はらをきみ ゐつさきみやに
 はこねかみ     
原央君 伊豆サキ宮に
箱根神  
 みとせまつりて おきつほの       三年祀りて オキ壺の
 みねよりなかめ みことのり      峰より眺め 詔
 なんちやまくひ やまうしろ            「汝ヤマクヒ 山背(うしろ) 
 のおほりつちお ここにあけ        野を堀り土を ここに上げ
 おおひのやまお うつすへし         大日の山を 遷(うつ)すべし」
 ひとゑたにたり ひゑのやま        一枝に足り ヒヱの山 
 そのいけみつか たのそろに        その池水が 田のソロに 
 のりてみのれは みそろいけ          乗りて実れば ミソロ池 
 ままありいけの にしいわや      まま在り池の 西岩屋
 みはむゐしなお ゐつわけて  実食む五品を 稜威別けて 
 なかすゐしかわ せきいれて            流す五枝川 堰き入れて
 あれわおいけて なるかみお
 わけてしつむる     
荒れ地を活けて 鳴神を
別けて鎮むる  
 かくつちと みつはめおうむ     カグツチと ミヅハメを生む
 あおいはと かつらにいせの
 みことのり    
葵葉と 桂に伊勢の
 あめはふりてり まつたきは        「天は降り照り 全きは  
 いかつちわけて かみおうむ         雷別けて 神を生む
 これとこたちの さらのゐつ          これトコタチの 更の稜威   
 わけいかつちの あまきみと
 をしてたまわる     
別雷の 天君」と
ヲシテ賜わる  
 ひろさわお おおたにほらせ
 くにとなす    
広沢を オオタに掘らせ
国となす
 あまねくとふる ほつまふり     普く通る ホツマ振り
 たのしみうたふ つかるには        楽しみ歌ふ 津軽には 
 ぬまほりあけて たみつうむ        沼掘り上げて 田水生む
 あそへのおかの ゐゆきやま          アソベの丘の 居雪山 
 なよさとうみて かつしまや          七万里生みて 数洲や  
 かつみねやまと しまあいに        数峰山と 島合いに 
 かつうおなれは このうおお          数魚なれば この魚を  
 あらたにいれて わおこやす        新田に入れて 地を肥やす
 あまのこやねも かすかくに            アマノコヤネも 春日国   
 とふひのおかに やまとかわ       トフヒの丘に ヤマト川 
 ほりてつくれる みかさやま         掘りて造れる 三笠山
 ゐよのいふきは あめやまに 伊予のイフキは 天山に  
 うつしたおなす あすかきみ        遷し田を成す 飛鳥君 
 かくやまうつし みやのなも         香久山遷し 宮の名も
 はせかわほりて あすかかわ
 ふちおたとなす         
ハセ川掘りて 飛鳥川
縁を田と成す 
 すかたひめ きみにもふさく     スガタ姫 君に申さく
 これわろし むかしくしひこ     「これ悪ろし 昔クシ彦
 いさめしお あさけるけかれ
 みそきなす     
諌めしを 嘲る穢れ
禊なす 
 これおすつれは またけかれ      これを棄つれば また穢れ 
 なにかみありと いさむれは      何神あり」と 諌むれば 
 かくやまをきみ これきかす      香久山央君 これ聞かず
 おうなのまつり いつこある          「女の政り 何処ある
 なんちはこのた こはおえす         汝はこの田 子は生えず 
 つまにならぬと けふさりて 妻にならぬ」と 交去りて 
 とよまとがめの はつせひめ      トヨマドが女の ハツセ姫 
 つまとめさるる あすかかは      妻と召さるる 飛鳥川 
 おおやますみは これうつし  オオヤマスミは これ遷し   
 さかむのおのに あらたなし       相模の小野に 新田成し
 かくのきうえて まうらかみ        橘の木植えて マウラ神 
 よよたちはなの きみとなる          代々橘の 君となる
 きみさかおりの つくるなも
 はらあさまみや            
君サカオリの 付くる名も
原朝間宮 
 よそおひは こかねおかさり
 たまうてな    
装ひは 黄金を飾り
玉高殿(うてな)   
 うるしいろとり かけはしの        漆彩(いろど)り 懸橋の 
 すへれはゆうの たひつけて          滑れば木綿(ゆう)の 足袋付けて
 かけはししたふ たひすかた         懸橋慕ふ 旅姿    
 なおゆたかにて そよろとし        なお豊かにて 十万年    
 みつほのほれは たみやすく       瑞穂上れば 民安ぐ  
 にわにすむつる ちよみくさ         庭に棲む鶴 千代見草 
 そそきねおはむ いけのかめ         濯ぎ根を食む 池の亀
 はおはむよろの うらかたは            葉を食む万の 占形は  
 あふとはなると かめうらは          合ふと離ると 亀占は 
 みつわくわかぬ みこころお        ' 水湧く湧かぬ 御心を  '
 つくすみまこの ほつまなるかな 尽す御孫の ホツマなるかな

 コヱ国 ハラミ山の文
 「そもそもに 御孫ニニキネ」、「ニハリ宮 筑波に治む」、「年既に  三鈴二千五十」、「つらつらと 思せば民の 増ゆる程」、「田は増さぬ故 糧足らず」、「平場の生田は 水絶えず」、「高田は雨の 降らぬ年 種を滅ぼす」、「川上の 水を懸樋に 運ばせど」、「これも朽つれば 井堰立て 堤築きて」、「山水を 取りて高田を 拓かんと」。
 その昔の大昔、ニニギノ尊(ニニキネ)が、ニハリノ宮で筑波の政を執っていた。年既に 三鈴二千五十年、永く平和が続いたとはいえ、つらつらと思いいたせば、民の増加の割には、水不足から田の開発も思うにまかせず、食糧が不足がちになっていた。平地の田は水豊かであったが、高田は雨の降らぬ年に日照りになり種を滅ぼしていた。川上の水を懸樋にして運ばせたが、これも腐ってしまいうまく行かなかった。井堰を立て堤を築いて、山水を取って高田へ運び拓かんと思い立った。
 「伊豆の鴨船 伊勢に着け」、「巡り請えども 大御神」、「許さずここに 仮住い」、「山田のタカク(高倉山) 宮川の」、「上より井堰 堤築き」、「遂に高野を 田となせば」、「五年の内に 瑞穂成る」、「他に十八処の 井堰成る 」、「時に天照 詔」、「八州巡れと 告れ給ふ」。
 ニニキネは、伊豆の鴨船を伊勢に着け、天照神直訴した。が、天照神はこの新しい提案をお許しにならなかった。やむなく伊勢に仮住まいして、お許しが出るのを待つことになった。とはいえ、いつも民の暮らしが豊かにと願う若きニニキネにとって新田開発への思いは断ちがたく、ならば先ず実行あるのみと高地の山田原(ヤマダガハラ・現伊勢市)の宮川の上流に井堰を築き、堤を造って水を引き、ついに高地を水田とすることに成功した。五年も経たぬうちに瑞穂も豊かに実り、他にも十八ケ所もの井堰を次々と完成させた。これを悦んだ天照神は、早速ニニキネに詔をし、「八洲(やしま)めぐれ」と命じた。
 「時二十九鈴 五百の一枝」、「三十八(穂)二月 一日と」、「梅の花見の 御饗して」、「日算(ひよみ)の宮の 門出宣」、「昔日読みの オモイカネ」、「暦作りて ここにあり」、「後ムラクモに 譲り置く」、「ムラクモ天の 御供に」、「飛鳥に侍る タチカラヲ」、「親の後とて ここにあり」。
 時は時二十九鈴五百の一枝の三十八(穂)二月一日、梅の花見をかねて日算宮(ひよみの宮、暦を司る所)での門出の宣。天照神曰く、「昔、昔日算のオモイカネが暦を作った。後にムラクモに後継させ、ムラクモは、天の御共としてアスカに侍る タチカラヲを用命した。これが代々後継され今日に至っている」。
 「恵りの御供 請ふ故に」、「ムラクモ召して 詔」、「汝ムラクモ 暦成す」、「鏡曇れば 賜ふ名は アメフタヱなり」、「会饗(ふたゑけふ) 祝(みあえ)をなせば」、「門出に 御機の留の」、「御文を 御孫に賜ひ」、「御鏡を コヤネに賜ひ」、「御剣を コモリに賜ひ」、「宣給ふは 先に三種の 宝物」、「御子オシヒトに 賜ひしは」、「兄孫得て 太玉と」、「香久山羽の 臣となる」、「コヤネ物主 キヨヒトが 羽の臣なり」。
 君は、「恵りの御供 請ふ故に」ムラクモを召して詔した。曰く「汝ムラクモは代々暦を作って来た。「鏡曇れば 賜ふ名は アメフタヱなり」。「会饗(ふたゑけふ) 祝(みあえ)をなせば」、「門出に 御機の留の」、「御文を 御孫に賜ひ」、御鏡(みかがみ)はコヤネ(天児屋根)に授けて左大臣とし、御剣(みつるぎ)をコモリ(大物主三代目)に授け右大臣と定め、ここに正式にニニキネを自分の三代目皇位継承者として三種神宝(ミクサノカンタカラ)を譲った。
 「君と臣 心一つに」、「右の鳥の 形は八民」、「頭は君 鏡は左羽」、「剣右羽 (剣臣)  物部は足」、「鏡臣 末 (潰え)滅ぶれば」、「民離れ 日踏まれず (恵みの日月も世に留まらず)」、「剣臣 末滅ぶれば」、「物部破れ 世を奪わるる」、「ヤタ臣は 繁栄(そろは)ふ春の」、「民業を 鑑みる目ぞ」、「垣臣(=剣臣)は 汚曲(よこま)を枯らし」、「物部の 力守る手ぞ」。
 「この故に 三種を分けて」、「授く意は 長く一つに」、「和(な)る由を 文 (御機の文)に記して」、「御手づから 文を御孫に 授けます」、「セオリツ姫は 御鏡を」、「持ちて春日に 授けます」、「ハヤアキツ姫は 御剣を」、「持ちてコモリに 授けます」、「三度敬ひ 皆受くるかな」、「然る後 三種宝を 櫃に入れ」、「標は榊 先駆は タチカラヲなり 」、「次カツテ 大物主と」、「三種櫃 八房御車」、「次コヤネ 駕籠・馬・八十の 物部等」。
 ニニキネは三種神宝を櫃(ひつ)に入れ、印として榊を立てて供の者にかつがせ、先鋒はタチカラオ(手力雄)が勤め、次、カッテ(勝手神)、コモリの順に騎馬を供が引き、続いて三種神宝の櫃(ひつ)、次にヤフサミクルマ(八英之御輿)に乗ったニニキネが進み、次にコヤネの馬が行き、その後ろを駕や馬を引く八十余人の物部等が続いた。
 「伊勢より発ちて 飛鳥宮」、「これよりミツの 西宮」、「まず神崎の(播磨) 大井掘り」、「マナヰに至り 幣納め」、「越の根の国 アチハセが 峰輿捧ぐ」、「これに召し 白山峰を」、「御廻るに 斜めにならず」、「この輿は 誰が造れると 宣給えば」、「ココリ姫曰く」、「我子(あこ)が成す 妹ウケステメ アカガタに」、「クロソノツミと 生む御子を」、「暮日つ国の 君となす」、「クロソノツメル 君の母」、「険しき峰の 越す時に」、「峰輿造り 子を育つ」、「今ここに来て 見えなす 御孫喜び」、「国は越 山は峰輿」、「その返に 三千実の桃を 賜われば」、「花見の桃は 稀なり」と 国苞(つと)になす」。
 イセより発って先ず、兄クシタマ・ホノアカリの座す飛鳥宮に行き、言祝(ことほぎ)をすませると、ミツの西の宮に出て、手始めに神崎に大堰(おおいせき)を掘り新田を開いて後、北上して丹後半島のマナイ(真奈井原)に至りトヨケ神(伊勢外宮祭神)を祭る朝日宮に詣で、幣(ぬさ)を納めた。越の根の国(北陸)に入り、アチハゼの館に宿った折りに、アチハゼが峰輿(みねこし・山岳地帯でも斜めにならず乗れる御輿)を献上し、早速これに召して、白山峯を巡り見た。ニニキネは、輿(こし)が廻るのに斜めにならなかったことから大層気に入り、「この輿は誰が造ったのか」とお尋ねになられた。その時、ココリ姫(菊桐姫・現白山姫神社祭神)がお答えになるには、「我子(あこ)が造りました。義理の妹ウケステメです。妹は、アカガタ(赤懸神洲・中国)で、クロソノツミ王の妻となり、山岳地帯の厳しい国で、子を生み無事に養育してコロビツ国王(崑崙王)を立派に即位させました。この王の名前をクロソノツメル君といい、その君の母(西王母)が、山険しく登り難き峰々を越すために、峰輿(みねこし)を発明し子育てに利用しました。今ここに来朝し、ニニキネ君に拝謁をいたします」。これを聞いた御孫は大変喜び、この奇遇を祝って、「今日からこの国の名をコシ(越)の国としよう」、「山の名は峰輿(みねこし・白山)とする」と、のたまい、ウケステメには峰輿のお返しに三千実の桃(三千寿)を賜い、母は、「花も果も楽しめる桃はめずらしい」と、国の土産にした。
 「三月十五日 御饗の梅に」、「君笑みて 梅に三種の」、「門出も 梅に輿得て」、「この御饗 天の標と 折り髪挿し」、「至る高島 細波の」、「桜も好しと 折り髪挿し」、「熊野ヨロギ野」、「田にせんと オオタミシマが 井川成す」。
 三月十五日、アチハゼの館で御饗(みあえ)の庭に梅の花が薫り美しく咲くのを見て、君が微笑んで曰く、「梅の花見の宴(うたげ)に門出して早一ヵ月半を過ぎた今、又梅の花見と峰輿(みねこし)を得た。これも天の御心にちがいない」。梅の花を頭上に折りかざして出発し、琵琶湖の西を巡り高島郡のササナミという所まで来ると、もうそこには桜の花がちらほらと咲き出していた。「桜の花もまた美しい」と、今度は桜花を手折りかざしながら南下し、クマノとヨロギ地区に新田を開こうとヨロギの館に至った。コモリ(大物主)の子のオオタ(現・太田神社)とミノシマ(現・箕島神社)に農業指導をして、堤を築き水路を整備させ、クマノ田とヨロギノ田を開拓した。
 「オトタマ川の 沿す野に」、「昼寝して居る チマタ神」、「身の丈十七尺 面カガチ」、「鼻高さ七寸 目は鏡」、「供の八十神 恐るれば」、 「御孫ウスメに 詔」、「汝粧(めか)ちに 問ふべしと」、「ウスメ胸開け 下秘(もひ)ほ曝(さ)け 栄さ笑い行く」、「チマタ神 覚めてかく為る 何故や」、「曰く御孫の 御幸先 かく居るは誰ぞ」、「答え言ふ 神の御孫の 御幸なす」、「ウカワ仮屋に 御饗して」、「合ひ待つ長留 猿田彦」、「ウスメまた問ふ」、「何れから 行くや答えて 我行かん」、「また問ふ汝 知るや君 行きます所を」、「答え言ふ 君は筑紫の 高千穂ぞ」、「我は伊勢の南(さ) ナカタガワ」、「汝我が名を 顕さば 我も出ださん」(名を君が世に顕さん)」、「返言す 御孫喜び」、「卯の花も また髪挿し行く」。
 一行は再び旅を続けて南行し、オトタマガワの里にさしかかると、道の分かれ目の白砂に大男が大の字に寝そべって、大胆にも高いびきをかいて行く手を阻んでいた。身の丈なんと十七尺、毛深い顔は真っ赤で、かがち(ほうずき)の様で、巨大な鼻は七寸近くもあり、目は鏡の様にランランとして眼光鋭く、この者こそチマタ神(岐の神)ならんと察した御孫は、供の八十神に向かって、「誰か、何者か尋ねよ」と、命じてはみたものの、皆、その形相(ぎょうそう)に恐れをなして近づく者がいなかった。御孫は、かたわらに侍るウズメ(天鈿女)に、「汝の美貌で問うてみよ」と、命じた。ウズメは胸をはだけて豊かな乳を露わにし、裳紐(もひも)をへその下まで押し下げて、素っ頓狂に笑いながら、この者に近づいた。チマタ神は、目を覚まし、あられもなく乳をさらけ出して半ば裸同然の姿で腰をくねらせて近づいてくるウズメを目の当たりにして、「いったいこれは何の真似だ」と聞いた。ウズメ曰く、「この道は御孫の御幸先であるぞよ。行く手を塞ぐおまえこそ誰ぞ」と。答えて曰く、「天照神の御孫が御幸(みゆき)と聞いて、ウカワ(鵜川)に仮宮を建てて御饗(みあえ)の用意をし、ここ道の分かれ目で、おいでをお待ちしておりました。私はここタカシマのナガタで生まれた猿田彦と申す者です」。ウズメ又問うて曰く「どちらの道を行くのが良いのか」。猿田彦答えて「私が案内しませう、お任せください」。ウズメ又問うて曰く「お前は、君の行く道を知っているのか」。猿田彦答えて「君は筑紫の高千穂に参るのでせう。私は伊勢の南(さ)のナカタガワの神です。汝が我が名を引き立てるなら、私も君を世にだしませう」。この話を君に告げると、御孫は大変悦んで、猿田彦の用意した御饗(みあえ)を快く受け、猿田彦を新たに供神として加え、ウカワに咲き満つるウノ花(卯の花)を頭上に折りかざして再び旅を続けた。
 「猿田して 健(たけ)の岩塊 押し放ち 」、「逸のチワキの ヨロイサキ」、「ダケ(岳山)や鏡の 三尾のつち」、「積む三上山 井堰築く」、「猿田を褒めて 三尾の神」、「好むウスメを 賜りて」、「その名顕す 猿部等と」、「神楽おのこの 君の元なり」、「詔 三尾のチワキも」、「田はここに これ鏡なり」(田に水を張った様子)」、 「仮宮を 水圃(瑞穂)と名付く」。
 この両人の劇的な出会いの後、猿田彦はウズメに恋して、めでたくウズメは猿田彦の妻となり、又両人は、サルベラの君(猿部之君)と神名も賜わって、神楽男子(かぐらおのこ)の祖となった。
 「多賀に行き 幣を捧げて」、「美濃に行き 天国玉の 喜びも」、「昔春日に 瓜合て」、「生むタカヒコネ 捧げ物」、「各々マクワ 一籠と」、「八十喜びて 雲路分け」、「信濃諏訪より 導けば」、「ハラミ山から 四方を見て」、「裾野は広し 水を埋み 裾野田にせん」、「タチカラヲ 八方に掘らしむ」、「湖の名も 東は山中と 東北(きね)はアス(明見湖)」、「北は河口と 北西(ねつ)本栖(もとす)」、「西(つ)は西の湖(うみ)」、「西南(つさ)精進(きよみ)」、「南(さ)は四尾連(しびれ)湖 東南(きさ)は須戸(すど)」。
 一行は、イサナギが生前、政(まつり)を執られた多賀に詣で、幣(ぬさ)を奉げた後、アメクニタマ(天国玉・金山彦の子)の館がある美濃に寄った。この時の天国玉翁の喜びようは大変なもので、翁の言うには、「私はある不幸な出来事があって、家を嗣ぐ我が子アメワカヒコを失い、途方に暮れていたところ、幸いに春日の神から子宝に恵まれるというウリの種を得て植えたおかげで、今ここに我が娘オグラ姫の夫として高貴なタカヒコネ(アチスキタカヒコネ・大国主の子)をめでたく迎えることができた。これはもう我が子が新しく生まれたような喜びです。ニニキネの旅の前途を祝って八十人の供の者達一人一人に、一籠(ひとかご)ずつマクワウリを用意しましたので、私とこの喜びを分かち合っていただきたいのです。どうぞ皆様の咽をうるおして下さい」と言いつつ、良く熟れた甘いマクワを川で冷やして配った。おもわぬごちそうに、八十余神は皆喜び感謝しつつ、スワの神(現・諏訪神社祭神)の道案内で山路を進み雲路(くもじ)に分け入って、信濃諏訪に至り、甲斐に行き、ハラミノ山(逢莢山・現富士山)に登頂した。眼下に広がる広大な裾野を見たニニキネは、一年中山に残雪のある水の豊かなこの地に田を開こうと決意して、湖を造り、裾野を田にせんとして、タチカラヲをして八方に掘らしめた。こうしてできた湖が八湖であり、東に山中湖、東北にアス湖、北は川口湖、北西に本栖(もとす)湖、西に西の湖、西南に精進(きよみ)湖、南は四尾連(しびれ)湖、東南は須戸(すど)湖と命名された。
 「ニハリの民が 群れ来り」、「湖掘り土を 峰に上げ」、「八房はかりと 天に答え(告げ)」、「中の土もがな」、「ウツロヰが(空の神)  アワ海渫え」、「三尾の土と 人担い来て」、「朝の間に 中峰成せば」、「上の名も ヰツアサマ峰 」、「山高く 湖深く 並び無し」、「峰に降る雪 池水の」、「末九千里の 田と成りて」、「及ぶ三万反に 二十年に」、「渫(さら)えなせとて サカオリの 宮に入ります」、「預りの 大山祇(オオヤマズミ)が 御饗なす」、「御膳捧ぐ アシツ姫 」、「一夜召されて 契り交む」、「帰るニハリに ユキスキの」、「宮に祈りの 大嘗会 」、「三種の受けを 天に答え」、「宮に納むる その飾り 橘・八幡あり」、「その翌日 大御宝に 拝ましむ」。
 ニハリの民が群れ来り、湖掘り、土を峰に上げ、「八房の湖ができました」と天に報告した。「中の土もがな ウツロヰが(空の神)  アワ海渫え」、三尾の土と人担い来て、朝の間に中峰成せば、上の名もヰツアサマ峰。君は、この広々とした美しい景色を称えて詔し、「峰に降る雪は、やがて八つの湖に貯えられ、やがてその支流は九千里もの広野原に開いた新田を潤すし、三万人もの民を養うことになろう。さあ、今から二十年計画でこの土地を開拓しよう」と、諸神に伝えて下山し、その頃ホツマ国(ハラミ山を中心にした東海・関東地方)の政庁を兼ねていたサカオリ宮(現・浅間神社)に入られた。宮では、国守護(くにしゅご)の大山祇(オオヤマズミ)が歓迎の御饗を開いた。この宴席で、ニニキネのおそばに侍って御膳(みかしわ)を捧げたのが、オオヤマズミの末娘のアシツ姫だった。ニニキネは、その夜姫を召されて愛のちぎりを結ばれた。翌朝早く筑波に発ったニニキネは、早速ニハリの宮にユキスキ(悠紀主基)の宮を建てて、天神地祗をお祀りし、一世一代の大嘗祭(だいじょうさい)を執り行った。天照神から三種の神器を譲り受けたことを天にご報告するとともに、国民の平和と繁栄永かれと祈られた。その宮前の飾り付けには、花のかぐわしい橘の木と、八色に染められた八幡(やはた)が立てられた。翌日の即位式には国民の前にお立ちになり、押し寄せる民から歓呼の声で迎えられて、ヨロトシ、ヨロトシ(万歳、万歳)の声はいつまでも天地に響いた。「大御宝に 拝ましむ」。
 「コヤネ鹿島に 年越ゆる」、「物主一人  日高見の 井堰成し成し」、「日隅詣(ま)で 祖父喜び」、「その父が ヤマトの神と 成りて後(世を去って後)」、「孫に会いたく 年寄ると 手づから御饗」、「物主も 喜び曰く」、「我が君の 山を八房の 居雪成す」、「祖父驚き 我たとひ」、「新田成すとも これ知らず」、「君は真の 照らす神」、「代々の上祖ぞ(=幾代の上祖) 忠なせと」、「国境まで 送りてぞ 名残あるなり」、「物主は 海辺を西に 巡りつつ」、「指絵に新田 興さしむ」、「佐渡に渡りて 新田成す」、「越に戻りて 井堰成すかな」。
 「時に君 思すことあり」、「コヤネして ニハリに留め」、「カツテして 海辺を上る 御幸告れ」、「オオヤマスミは 伊豆崎の」、「仮屋に迎え 御饗なす」、「膳なす時 アシツ姫」、「妹孕めりと 申す故」、「伊勢に告げんと 装ひなす」、「時にその母 姉連れて」、「仮屋に至り 見え請ふ」、「召せば申さく 妹さえ」、「我が慈しの 姉ありと」、「言葉飾れば 二心」、「姉イワナガを 召せばその」、「容鋭く 見目悪しく 」、「故に肝消し 雅び変え」、「やはりアシツと 宣給えば」、「父驚きて 妻叱る」、「かく有らんとて 出さぬを」、「急ぎ帰れと 追い遣れば」、「母姉恨み 下侍して」、「妹陥さん 他(あた)枕 」、「遂に偽り シロコ宿で」、「君に聞ゆる 疑いに」、「旅屋を夜半に 立ち出でて 伊勢に帰えます」、「姫一人 寝覚めて行けば 」、「松阪に 塞き止められて」、「シロコ宿に 帰り誓つて」、「妬まれの 我が恥濯げ この桜」。
 時に君は、アシツ姫への恋心を日に日につのらせていた。左大臣のアメノコヤネをニハリの宮に留め、カツテに命じて、東海道をイセに上ると御幸のお触れをだした。今度も、オオヤマズミは伊豆崎の仮宮にニニキネをお迎えして御饗をした。再びアシツ姫が君に御膳(みかしわ)を捧げるおりに、顔を赤らめ恥ずかしげに、「妹(いめ)、孕(はら)めり」と打ち明けた。これを聞いて喜んだニニキネは、一緒に伊勢に座す天照神に報告に発とうと話され旅支度を整えていた。その時、前触れもなくアシツの母が姉を連れて訪れ、君に是非にもお目通り下さいと願い出てきた。「実は妹のアシツより美しい姉を連れてまいりましたのでお召し下さい」。巧みな言葉で誘われた君は二心(ふたごころ)を起こし、姉のイワナガ姫をお召しになったが、姿かたちが痩せぎすで顔も醜く、肝を潰して奥に引っ込んでしまわれた。

 君は、以前にも増してアシツへの思いが募り、「やはりアシツ」とのたまえば、これを聞き知った父オオヤマズミは驚いて、母を厳しく叱責し、「こうなることは最初からわかっていたから、あえて姉を君の前に出さなかったものを余計なことをしてくれた。早くミシマに帰れ」と追いやった。この父の仕打ちに逆恨みした母と姉は、下女(しもめ・女官)をして、「アシツが浮気してできた他の男の種です」と君に告げさせた。シロコ(白子)の宿まで来た時、この卑劣なささやきがついに君の耳に入り、たった一夜のちぎりで子供ができてしまったことの疑いが生じて、旅宿に姫を置き去りにして、夜半のうちに供を引き連れ伊勢に帰った。朝目覚めて、一人取り残されたのを知って途方に暮れた姫は身重の体を引きずって君の後を追って松坂に辿り着いたが、ここから先へは関止められて通してもらえなかった。泣く泣くとぼとぼとシロコの宿まで戻り、いわれなき罪に落とし込まれたことを悟った時、自分の運命に正面から立ち向かおうとする強い心がよみがえり、一本の桜に誓いをたてた。
 「昔曽祖父 サクラウシ」、「この木捧ぐ 大御神」、「大内に植えて 伊勢の道」、「和(な)る離るるを 計ります」、「桜意有らば 我が孕み」、「他種ならば 木(はな)萎(しぼ)め 」、「真種ならば 生む時に 咲けと誓ひて」、「ここに植え 里に帰ます」、「十二満ちて 六月初日 三つ子生む」、「その胞衣の紋 梅桜 卯花と替り」、「怪しめば 君に告ぐれど 返なくて」、「姫は裾野に 埋(うつ)室し」、「周りに柴の 垣成して」、「母子誓ひて 中にあり」、「他種ならば 滅びんと 火を着け焼けば」、「熱がりて 這ひ出でんとす」、「峰の竜 水吐きかけて」、「一人づつ 導き御子を 這ひ出す」、「諸人驚き 火を消して」、「姫引き出し 御輿以て」、「宮に送りてサカオリ宮) 伊勢に告ぐ」。
 昔、ひいおじいさんの名をサクラウチといい、天照神の左大臣だった頃、伊勢の道(伊勢は妹背の略、男女の相性)を占う桜を大内宮に植えて、今では左近の桜として、右近の橘とともに政に欠かせないまでになっていた。「桜よ、さくら、心あらば、私に降りかかった妬まれの恥じをそそいでおくれ。もしお腹の子が仇種(あだだね)ならば花よしぼんでしまえ。正種(まさだね)ならば子が生まれる時に花よ咲け。絶えることなく咲け」と、三度(みたび)誓い、桜に思いを込めてここに植え、里のミシマ(三島)に帰った。12ケ月の日が満ちて六月一日、無事三つ子を出産した。不思議なことに、その胞衣(えな)に美しい文様が浮かび上がり、最初梅、次に桜、最後に卯の花が写し出された。瑞祥(ずいしょう)ではないかと、早速伊勢に居る君に伝えたが返事はなかった。姫は、自分の疑いが晴れていないのを改めて知らされて、失意の底へと落ち込み苦しみの果てに、我と我が子の無実を明かそうと自殺を決意した。

 ハラミ山(富士山)の裾野に無戸室(うつむろ・出入り口の無い立穴式住居)を造り、まわりを柴垣で囲み、母と三人の子は最後の誓いを立てて中に入った。「本当に仇種(あだだね)ならば、一緒に死のう」。火を付け焼けば、子供達は熱さにもがいて這い出ようとした。これを知ったハラミ山のコノシロイケ(子代池)の竜が助けに現われ、水を吹きかけ雨を降らせて、御子を一人一人導き這い出させた。諸人は驚いて大勢駆けつけ、火を消してアシツ姫を引きい出し、子供達と姫を御輿に乗せてサカオリ宮に送り届け、伊勢に一部始終を告げた。
 「シロコの桜 生れ日に」、「咲きて絶えねば 天御孫」、「カモ船早く 疾ばさせて」、「オキツに着けば 雉飛びて サカオリに告ぐ」、「姫恨み 衾(ふすま)被りて 応えなし」、「返言すれば 君しばし」、「思ひて和歌の 歌見染め」、「オキヒコをして 直御使人 姫頂きて」、「沖つ鳥は 辺には寄れども 添(さね)床も」、「適わぬ鴨よ 放(は)まつ千鳥よ」。
 実はこの頃ニニキネは、シロコの桜が姫が子を生んだ日から咲き続けて絶えないのを知って、はやる心で、カモ船を飛ばしてオキツ浜(興津浜)に着くと、早キジ(伝令)をサカオリ宮に飛ばし、姫に会いに来た旨を伝えた。が、今だ閉じたままの姫の心は、素直に君に会う力も無く、かたくなに衾(ふすま・ふとん)をかぶったまま身動き一つしなかった。キジは飛び返って、君に姫の様子を報告すると、君はしばし思案した末に、和歌を短冊にしたためて、今度はオキヒコを正式の勅使として、この歌を姫に届けさせた。「沖つ藻(も)は  辺(へ)には寄れども  清寝床(さねどこ)も あたわぬかもよ  浜つ千鳥よ」。
 「この歌に 恨みの斜 解け落ちて」、「肝に応えの 徒歩裸足」、「裾野走りて オキツ浜」、「君喜びて 輿並べ」、「行く大宮は(サカオリ宮) ヤマスミの 道迎えして」、「御所に 諏訪神会えば すばしりて」、「サカオリ宮に 入りまして」、「諸守聞けよ 我先に」、「花を髪挿して 駈け通る」、「これ胞衣の紋 斎名成す」、「初に出る名は ホノアカリ 斎名ムメヒト」、「次の子は 名もホノススミ サクラギぞ」、「末は名もヒコ ホオテミの 斎名ウツキネ」、「また姫は 子を生む日より 花絶えず」、「故にコノハナ サクヤ姫」。
 オキヒコから歌を押し戴いた姫は、この歌を読んで、今までの恨みの涙も一度に解け落ち、君への思いが胸に込み上げて、素直でいじらしかった昔の心に返った今、君に会いたさの一心から、裸足のまま裾野を走りに走ってオキツ浜に待つ君のふところに飛び込んだ。君も、心から姫との再会を喜んで、二人は御輿を仲良く並べてサカオリ大宮に向かった。宮に着くと、ヤマスミが迎え、「御所に 諏訪神会えば すばしりて サカオリ宮に 入りまして」、君は諸神、諸民を前にこう宣言された。「私は先に天照神の詔を受けて八洲巡りした折に、越国では梅の花を頭上にかざして旅をし、タカシマのササナミでは桜を手折りかざし、ウカワでは卯の花をめでかざして歩いたものだが、この時の美しい思いが姫の胞衣(えな)に写し出されたに違いない。早速、今からこの三人の子供達に名を付ける。最初に炎の中から這い出した子はホノアカリ(火明尊)、真名(いみな)をムメヒト(梅仁)。次の子の名をホノススミ(火進尊)、真名(いみな)をサクラギ(桜杵)。末に這いだした子は正に火の子、ヒコ・ホホデミ(彦炎出見尊)、真名(いみな)をウツキネ(卯杵)。又、姫には子供を生んだ日から桜花が断(た)えず咲いているので、今よりコノハナサクヤ姫(木花之開耶姫)という名を贈ろう」。
 「宮造りして 御座します」、「ナツメの神が 産着成す」、「母の乳を以て 養します 子安の神ぞ」、「人成りに サクラギ汚泥の 腐成せば」、「スセリ草にて 汚泥(かに)掃きて 」、「腐枯れ癒ゆる 名もスセリ」、「故白髭の スセリ以て 民蘇る」、「守りとて 開きて受くる 宮居これかな」。
 ニニキネは、昔アマテル神が御降誕になられたサカオリ宮の旧跡に新たに宮を建てて、母子共々移り済んだ。ナツメノ神(保育神)が三人の御子に産着(うぶぎ)を織って献上した。姫は三人の子供達を、乳母の力を借りずに自分の乳だけで立派に育て上げたので、後に子安の神と呼ばれるようになった。「人成りにサクラギ汚泥の腐成せば、スセリ草にて汚泥(かに)掃きて、 腐枯れ癒ゆる 名もスセリ。故白髭のスセリ以て民蘇る。守りとて「開きて受くる宮居これかな」。

 この度の喜びの報を聞いて、シナノの国から四科(よしな)の県主(あがたぬし)が土産を携えて参上し、それぞれ言祝(ことほぎ)を終えた後、「アマテル神の先例もあることですから、どうか私達に御子達の胞衣(えな)を祭らせて下さい」と、四人が同時に願いでた。君は一瞬考えた末にニッコリと笑って何事もなかったように、よしな(四科県主)に計った。「ハニシナ主(埴科)はアマテル神の胞衣(えな)を納めてあるエナガタケを祭れ。ハエシナ主(波閇科)及びサラシナ(更級)とツマシナ(妻科)は、この三胞衣(みえな)を持ち帰り各々その山の尾に納めて守るべし」との詔があった。この物語が「よしなに計らう」の語源となった。
 「その後に 君熟山に」、「登り見て ナカゴ安めり」、「八峰に 居雪絶えねば 」、「代々の名も 豊居雪山」、「熟精の 竜のタツタの 神の形」、「高聳池の ミヤコ鳥」、「ラハ菜投ぐれば 束むれる」、「鳥たすきとて 衣に埋ます」。
 「その後に 君熟山に」、「登り見て ナカゴ安めり」、「八峰に 居雪絶えねば 」、「代々の名も 豊居雪山」、「熟精の 竜のタツタの 神の形」、 「高聳池の ミヤコ鳥」、「ラハ菜投ぐれば 束むれる」、「鳥たすきとて 衣に埋ます」。
 「コモリ絵に成す 千齢見草」、「御衣に染みて(君の御衣に染めて) 様写す」、「随に政りを 聞し召す」、「この秋瑞穂 力なす」、「故熟果留の 御衣となす」、「紋に果を留め 織る錦」、「大嘗祭る 御衣はこれ」。
 「コモリ絵に成す 千齢見草」、「御衣に染みて(君の御衣に染めて) 様写す」、「随に政りを 聞し召す」、「この秋瑞穂 力なす」、「故熟果留の 御衣となす」、「紋に果を留め 織る錦」、「大嘗祭る 御衣はこれ」。
 「ハオ菜を食めば 千齢を得る 」、「若菜も同じ 苦けれど」、「ハオ菜は百々の 増し苦く」、「千齢を延ぶれど 民食わず」、「根は人の態 葉は嫁菜 花八重顔よ」、「ラハ・ハク葉  もぐさ・かぶろ葉」、「血を増して 老いも若やぐ」、「ワカムスビ 籠子(蚕)を桑に 糸生せば 」、「ココリ姫得て 御衣捧ぐ 蚕得根[越根]の国ぞ」。
 「ハオ菜を食めば 千齢を得る 」、「若菜も同じ 苦けれど」、「ハオ菜は百々の 増し苦く」、「千齢を延ぶれど 民食わず」、「根は人の態 葉は嫁菜 花八重顔よ」、「ラハ・ハク葉  もぐさ・かぶろ葉」、「血を増して 老いも若やぐ」、「ワカムスビ 籠子(蚕)を桑に 糸生せば 」、「ココリ姫得て 御衣捧ぐ 蚕得根[越根]の国ぞ」。
 「物主は 北より巡り」、「越に来て 右の絵を進む」、「ココリ姫 紋に織り和す」、「鳥たすき 天に捧げて」、「また西の 母が土産と 世に残る」、「多賀に至れば ツエが妻 アサ姫迎ふ」、「物主は 桑好きを見て」、「アサ姫に 繭醸ひ[蚕 飼ひ] 衣織る」、「経緯の 道教ゆれば 」、「ヲコタマの 神を祀りて」、「五座治し 衣差し作り」、「<民に>経緯の 道教ゆれば」、「八方徹り 蚕得国の神」、「ヲコの里 繭醸得るなり」。
 「物主は 北より巡り」、「越に来て 右の絵を進む」、「ココリ姫 紋に織り和す」、「鳥たすき 天に捧げて」、「また西の 母が土産と 世に残る」、「多賀に至れば ツエが妻 アサ姫迎ふ」、「物主は 桑好きを見て」、「アサ姫に 繭醸ひ[蚕 飼ひ] 衣織る」、「経緯の 道教ゆれば 」、「ヲコタマの 神を祀りて」、「五座治し 衣差し作り」、「<民に>経緯の 道教ゆれば」、「八方徹り 蚕得国の神」、「ヲコの里 繭醸得るなり」。
 「天御孫 また山巡り」、「峰に冷えて 腹痛む時 」、「コモリ直の 身草進めて これを治す」、「実と葉交わる 人身草」、「根箱根空木 茎一垂」、「四枝五葉人身 小白花」、「秋実は小豆 甘苦く」、「脾臓潤ひ 胸を治す」、「百草あれど ハラミの三 殊優る故(ハオ菜・ラハ菜・ミ草の三草)」、「三草褒め ハラミ山なり」。
 「天御孫 また山巡り」、「峰に冷えて 腹痛む時 」、「コモリ直の 身草進めて これを治す」、「実と葉交わる 人身草」、「根箱根空木 茎一垂」、「四枝五葉人身 小白花」、「秋実は小豆 甘苦く」、「脾臓潤ひ 胸を治す」、「百草あれど ハラミの三 殊優る故(ハオ菜・ラハ菜・ミ草の三草)」、「三草褒め ハラミ山なり」。
 「二神の 国中柱 オキの壺」、「天照神の日高見の」、「カタタケ宮の 中柱」、「ケタ壺の碑 逸神の」、「ハラミハツホは 四方八方の 中柱なり 」、「大御神 ハラの央君と 名を賜ふ」、「ニハリの民が 子と慕ふ」、「振りも分かれて 元民と」、「水際別れ 地上の」、「御柱の随 成る如く」、 「政りほつまに 調ひて」、「二万八千経て 三十鈴の」、「暦なす頃 国の名も」、「地上ホツマ 遍くに 写り楽しむ(伝播し)(栄える)」。
 「二神の 国中柱 オキの壺」、「天照神の日高見の」、「カタタケ宮の 中柱」、「ケタ壺の碑 逸神の」、「ハラミハツホは 四方八方の 中柱なり 」、「大御神 ハラの央君と 名を賜ふ」、「ニハリの民が 子と慕ふ」、「振りも分かれて 元民と」、「水際別れ 地上の」、「御柱の随 成る如く」、 「政りほつまに 調ひて」、「二万八千経て 三十鈴の」、「暦なす頃 国の名も」、「地上ホツマ 遍くに 写り楽しむ(伝播し)(栄える)」。
 「弥々豊か 八万年経て」、「日高見の 君より召せば」、「諸共に 宮に上れば」、「父帝 御子二方に 詔」、「我齢老い ひたる 故」、「今より兄も 名はヤマト」、「アスカ央君と ハラ央君」、「共に睦みて ヱト神の」、「その日その民 守る如く」、「兄弟確かと聞け」、「国民を 我がものにせな(民は君のものにあらず)」、「君はその 民の君なり (民の為にこそ君が在る)」、「民は箱根 二重恵みぞ」、「此に愛でる 君は明も為し 蓋も為し」、「神の鏡の 天照」、「日月の君と 守る箱根ぞ」。
 「弥々豊か 八万年経て」、「日高見の 君より召せば」、「諸共に 宮に上れば」、「父帝 御子二方に 詔」、「我齢老い ひたる 故」、「今より兄も 名はヤマト」、「アスカ央君と ハラ央君」、「共に睦みて ヱト神の」、「その日その民 守る如く」、「兄弟確かと聞け」、「国民を 我がものにせな(民は君のものにあらず)」、「君はその 民の君なり (民の為にこそ君が在る)」、「民は箱根 二重恵みぞ」、「此に愛でる 君は明も為し 蓋も為し」、「神の鏡の 天照」、「日月の君と 守る箱根ぞ」。
 「終に掘る ヰツヲハシリの」、「洞穴に 自ら入りて  箱根神」、「祀りて後に ハラ央君 遺言より」、「二民の 争いあれば」、「臣遣りて 和し裁きて 何事も」、「老民を立てて 新民の」、「欠けはハラより 償わす」、「故に万の内 睦じき」、「兄弟を名付けて ハラカラと 言ふも通りぞ」。
 「終に掘る ヰツヲハシリの」、「洞穴に 自ら入りて  箱根神」、「祀りて後に ハラ央君 遺言より」、「二民の 争いあれば」、「臣遣りて 和し裁きて 何事も」、「老民を立てて 新民の」、「欠けはハラより 償わす」、「故に万の内 睦じき」、「兄弟を名付けて ハラカラと 言ふも通りぞ」。
 「ハラ央君 ヰヅサキ宮に 箱根神」、「三年祭りて オキツボの 詔」、「汝ヤマクヒ 山後」、「野を堀り土を ここに上げ」、「大日の山を 写すべし」、「一枝に足り ヒヱの山」、「その池水が 田のソロに」、「乗りて実れば ミソロ池」、「儘在り池の 西場や」、「実食む五品を 厳別けて」、「流す五枝川 堰き入れて」、「粗地を活けて 鳴神を 別けて静むる 」、「カグツチと ミヅハメを生む」。
 「ハラ央君 ヰヅサキ宮に 箱根神」、「三年祭りて オキツボの 詔」、「汝ヤマクヒ 山後」、「野を堀り土を ここに上げ」、「大日の山を 写すべし」、「一枝に足り ヒヱの山」、「その池水が 田のソロに」、「乗りて実れば ミソロ池」、「儘在り池の 西場や」、「実食む五品を 厳別けて」、「流す五枝川 堰き入れて」、「粗地を活けて 鳴神を 別けて静むる 」、「カグツチと ミヅハメを生む」。
 「葵葉と 桂に伊勢の 詔」、「天は振り照り 全きは」、「雷別けて 神を生む」、「これトコタチの 更の稜威」、「別雷の 天君」と ヲシテ賜わる」、「ヒロサワ(広沢池)を オオタに掘らせ 国となす」、「普く徹る ホツマ振り」、「楽しみ歌ふ 津軽には」、「沼掘り上げて [空けて] 田水埋む」、「アソベの丘の 居雪山」、「七万里潤みて 数洲や」、「数峰山と 洲間に」、「数魚現れば この魚を」、「粗田に入れて 地を肥やす」。
 「葵葉と 桂に伊勢の 詔」、「天は振り照り 全きは」、「雷別けて 神を生む」、「これトコタチの 更の稜威」、「別雷の 天君」と ヲシテ賜わる」、「ヒロサワ(広沢池)を オオタに掘らせ 国となす」、「普く徹る ホツマ振り」、「楽しみ歌ふ 津軽には」、「沼掘り上げて [空けて] 田水埋む」、「アソベの丘の 居雪山」、「七万里潤みて 数洲や」、「数峰山と 洲間に」、「数魚現れば この魚を」、「粗田に入れて 地を肥やす」。
 「アマノコヤネも 春日国」、「トフヒの丘に ヤマト川」、「掘りて造れる 三笠山」、「伊予のイフキは アメ山に」、「写し田を成す 飛鳥君」、「香久山写し (真似て) 宮の名も」、「ハセ川掘りて 飛鳥川 縁を田と成す」。
 「アマノコヤネも 春日国」、「トフヒの丘に ヤマト川」、「掘りて造れる 三笠山」、「伊予のイフキは アメ山に」、「写し田を成す 飛鳥君」、「香久山写し (真似て) 宮の名も」、「ハセ川掘りて 飛鳥川 縁を田と成す」。
 「スガタ姫 君に申さく これ悪ろし」、「昔クシヒコ 諌めしを」、「嘲る穢れ 禊なす」、「これを棄つれば また穢れ」、「何神あり」と 諌むれば」、 「カグヤマ央君 これ聞かず」、「女の政り 何処ある」、「汝はこの田 子は生えず」、「妻にならぬと 交去りて トヨマドが女の」、「トヨマドが女の ハツセ姫 妻と召さるる」。 
 「スガタ姫 君に申さく これ悪ろし」、「昔クシヒコ 諌めしを」、「嘲る穢れ 禊なす」、「これを棄つれば また穢れ」、「何神あり」と 諌むれば」、 「カグヤマ央君 これ聞かず」、「女の政り 何処ある」、「汝はこの田 子は生えず」、「妻にならぬと 交去りて トヨマドが女の」、「トヨマドが女の ハツセ姫 妻と召さるる」。 
 「飛鳥川 オオヤマスミは これ写し」、「相模の小野に 新田成し」、「橘の木植えて マウラ神」、「代々橘の 君 となる」、「君サカオリの 付くる名も ハラアサマ宮」、「装ひは 黄金を飾り 玉高殿」、「漆彩り 懸橋の」、「滑れば木綿の 足袋付けて」、「懸橋慕ふ 旅姿」、「なお豊かにて 十万年」、「瑞穂上れば 民安ぐ」。
 「飛鳥川 オオヤマスミは これ写し」、「相模の小野に 新田成し」、「橘の木植えて マウラ神」、「代々橘の 君 となる」、「君サカオリの 付くる名も ハラアサマ宮」、「装ひは 黄金を飾り 玉高殿」、「漆彩り 懸橋の」、「滑れば木綿の 足袋付けて」、「懸橋慕ふ 旅姿」、「なお豊かにて 十万年」、「瑞穂上れば 民安ぐ」。
 「庭に棲む鶴 千齢見草」、「濯ぎ根を食む 池の亀」、「葉を食む万の 占形は」、「合ふと離る'と 亀占は」、「水湧く湧かぬ 実心を」、「尽す御孫の ホツマ成るかな」。
 「庭に棲む鶴 千齢見草」、「濯ぎ根を食む 池の亀」、「葉を食む万の 占形は」、「合ふと離る'と 亀占は」、「水湧く湧かぬ 実心を」、「尽す御孫の ホツマ成るかな」。
 ニニキネは秀でた真(まこと)の政(まつり)で国を治めたので、ホツマ国と称えられて、民は豊かに富み栄え、平和の時代が長く続きました。すでに高齢に達した君は、故あって恋する妻のコノハナサクヤ姫とも遠く離れたここツクシ(九州)のタカチホ宮に滞在しています。ツクシはニニキネが青春をかけて新田開発に情熱をそそいだ土地で、日夜、月澄(つきす)むまでも身を尽くして働いた思い出深い国です。このニニキネの働き振りから、ツクシの国名も生まれました。

 この二度目のツクシへの旅は、人生最期の、自らに約した完結への旅でもありました。君は毎日、朝の間(早朝)に、愛する妻のホツマの国に昇る日にお祈りをして、日向かう国(ヒウガ)と呼ばれるようになりました。又、姫は朝間(あさま)、朝間に君の御滞在になられるツクシの国のタカチホに沈む月に向かって祈り、今は共に老い、別れ別れに離れようとも、太陽の君と、月の姫の心はいつも一つに結ばれていました。

 コノハナサクヤ姫は日垂(ひた)る時を迎えて、ツクシに沈む月に「サヨウナラ」を伝え、ついにハラミの峰で神上がり、又ニニキネも姫を追ってタカチホ峰に入り神上がられました。最後はご一緒に美しい夫婦(めおと)の神となられました。たとえこの世で離ればなれになろうとも、いつの日にか生まれかわって巡り会えるのを信じつつ。。。

 後にコノハナサクヤ姫は、アサマの神(浅間神)・又子安神と称えられて富士浅間宮に祭られ、ニニキネはワケイカズチの神(別雷神)として、賀茂神社に祭られイズの神(尊厳な神の威光)と称えられました。

 幾星霜を経て後、オシロワケ天皇(人皇十一代景行)のツクシ巡狩のみぎり、コノハナサクヤ姫とニニキネの美しい生涯に思いを馳せた君は、日向国(ひうがのくに)を「妻(つま)の国」と名付けて、二神への愛の手向け(たむけ)としました。今この物語の名残をとどめる都万神社(つま・木花之開耶姫祭神)が、西都(さいと)市の妻町に歴史の証として鎮まっています。





(私論.私見)