ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)9

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 2011.12.25日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)9、八雲討ち琴つくる文】
 ソサノオの八岐(やまた)の大蛇(おろち)退治と出雲建国の歌
 やくもうち ことつくるあや     
 八雲討ち 琴作る文
 あらかねの つちにおちたる さすらをの     
 粗かねの 土に堕ちたる 流浪男の 
 あめのおそれの みのかさも     
 雨の慮れの 蓑笠も
 ぬかてやすまん やともなく   
 脱がで休まん 宿もなく
 ちにさまよひて とかめやる   
 地にさ迷いて 咎めやる(疲れ果てる) 
 すりやわことに たとりきて    
 すりやわ事に 辿り来て 
 ついにねのくに さほこなる    
 遂に根の国 サホコなる 
 ゆけのそしもり つるめそか    
 弓削の裾守(そしもり) ツルメソが
 やとにつくむや しむのむし     
 家戸に噤(つぐ)むや 血脈(しむ)の虫
 さたのあれをさ あしなつち              
 佐太の村長(あれおさ) アシナツチ
 そをのてにつき やめうめと     
 添のテニツキ 八女生めど
 おひたちかぬる かなしさは   
 生い立ちかぬる 悲しさは
 ひかわのかみの やゑたには    
 斐川の上の 八重谷は
 つねにむらくも たちのほり 
 常に叢雲 立ち昇り
 そひらにしける まつかやの   
 背(そひら)に茂る 松榧(かや)の
 なかにやまたの おろちゐて    
 中に八岐(やまた)の オロチ居て  
 ははやかかちの ひとみけと        
 ハハやカガチの 人身供(ひとみけ)と 
 つつかせらるる ななむすめ   
 ツツガせらるる 七娘
 のこるひとりの いなたひめ これもはまんと      
 残る一人の 稲田姫 これも食まんと
 たらちねは てなてあしなて いたむとき
 タラチネは 手撫で足撫で 痛む時 
 そさのみことの かんとひに   
 ソサの命の 神問ひに
 あからさまにそ こたゑけり    
 あからさまにぞ 答えけり
 ひめおゑんやと いやといに     
 「姫を得んや」と いや問いに
 みなはたれそと うらとえは    
 「御名は誰ぞ」と 裏問えば 
 あめのおととと あらはれて    
 天の弟と 露われて
 ちきりおむすふ いなたひめ     
 契りを結ぶ 稲田姫 
 やめるほのほの くるしさお
 病める炎の 苦しさを 
 そてわきさきて かせいれは   
 袖脇裂きて 風入れば
 ほのほもさめて こころよく    
 炎も冷めて 快く 
 わらへのそての わきあけそ   
 童の袖の 脇明けぞ
 ひめはゆけやに かくしいれ             
 姫は弓削屋に 隠し入れ
 すさはやすみの ひめすかた   
 スサは優みの 姫姿
 ゆつのつけくし つらにさし    
 髻の黄楊櫛(つげくし) 面に挿し
 やまのさすきに やしほりの   
 山のさすきに 八搾りの
 さけおかもして まちたまふ    
 酒を醸して 待ち給ふ 
 やまたかしらの おろちきて    
 八岐(やまた)頭の オロチ来て 
 やふねのさけお のみゑいて 
 八槽の酒を 飲み酔いて
 ねむるおろちお つたにきる     
 眠るオロチを 寸(つた)に切る 
 ははかをさきに つるきあり  
 ハハが尾先に 剣あり
 ははむらくもの なにしあふ     
 ハハ叢雲の 名にし負ふ
 いなたひめして おおやひこ             
 稲田姫して オオヤヒコ
 うめはそさのを やすかわに    
 生めばソサノヲ ヤス川に 
 ゆきてちかひの をのこうむ   
 行きて誓ひの 男の子生む
 あかつといえは あねかめに    
 「吾勝つ」と言えば 姉が目に
 なおきたなしや そのこころ    
 「なお汚しや その心
 はちおもしらぬ よのみたれ
 恥をも知らぬ 世の乱れ 
 これみなそれの あやまちと    
 これ皆なそれの 誤ちと 
 おもえはむせふ はやかえれ   
 思えばむせぶ(むかつく) はや帰れ」 
 そさのをはちて ねにかえる   
 ソサノヲ恥ぢて 根に帰る
 のちおおやひめ つまつひめ    
 後オオヤ姫 ツマツ姫 
 ことやそうみて かくれすむ     
 コトヤソ生みて 隠れ住む
 たかまはむつの はたれかみ               
 高マは六つの ハタレ神
 はちのことくに みたるれは    
 蜂の如くに 乱るれば
 かみはかりして はたれうつ    
 神議りして ハタレ討つ
 きみはみそきの さくなたり    
 君は禊の サクナタリ
 はたれゐとふの たねおゑて    
 ハタレ厭ふの 種を得て 
 みよをさまれと みなもとは
 御代治まれど 源は 
 ねのますひとに よるなれは    
 根のマス人に 因るなれば 
 いふきとぬしに うたしむる    
 イフキト主に 討たしむる
 うなつきむかふ やそつつき     
 頷き向ふ 八十続き
 さほこのみやの あさひかみ    
 サホコの宮の アサヒ神
 をかみていたる いつもちの     
 拝みて至る 出雲地の 
 みちにたたすむ したたみや   
 道にたたずむ 下民や
 かさみのつるき なけすてて              
 笠簑剣 投げ捨てて
 なにのりこちの おおまなこ     
 何宣言(のりこち)の 大眼(おおまなこ) 
 なんたはたきの おちくたる      
 涙は滝の 落ち下る 
 ときのすかたや やとせふり 
 時の姿や 八年ぶり 
 おもいおもえは はたれとは    
 「思い思えば ハタレとは 
 おこるこころの われからと    
 驕る心の 我から」と 
 ややしるいまの そさのをか くやみのなんた         
 やや知る今の ソサノヲが 悔みの涙
 おちおいの しむのあやまち    
 叔父甥の  シム(親族)の誤ち
 つくのえと なけきうたふや   
 償のえと 嘆き歌ふや
 あもにふる あかみのかさゆ しむのみき   
 「天地に殖る 吾が実の瘡(かさ)ゆ シムの幹
 みちひはさまて あらふるおそれ     
 三千日挟まで 粗ぶる恐れ」
 かくみたひ きもにこたえて    
 かく三度 肝に応えて
 なさけより さすかにぬるる いふきかみ    
 情けより さすがに温るる 息吹神
 しむのつくはえ ともなんた     
 血(しむ)の蹲(つくば)え 共涙 
 こまよりおりて そさのをの 
 駒より降りて ソサノヲの
 ておひきおこす しむのより      
 手を引き起す 血の寄り
 あいゑることは のちのまめ    
 「天癒える殊は 後の忠
 いさおしなせは はれやらん     
 いさおし成せば 払れ遣らん 
 われおたすけて ひとみちに     
 我を助けて 一途に 
 ますひとうたは まめなりと うちつれやとる
 マス人討たば 忠なりと 打ち連れ宿る 
 さたのみや のりおさためて     
 佐太の宮 法を定めて
 はたれねも しらひとこくみ    
 ハタレ根も シラ人コクミ
 おろちらも うちをさめたる    
 オロチらも 討ち治めたる
 おもむきお あめにつくれは    
 趣を 天に告ぐれば
 たかまには ゆつうちならし    
 高マには 弓打ち鳴らし
 うすめみの かなてるおみて    
 ウスメ身の 奏でるを見て
 ををんかみ くわもてつくる むゆつこと  
 大御神 桑以て作る 六弦琴
 たまふわかひめ むつにひく    
 賜ふ和歌姫 睦(むつ)に弾く
 かたきかなて めかはひれ   
 カダキ奏で メカハヒレ
 そのことのねは いさなきの   
 その琴の音は イサナギの
 かきのかたうつ いとすすき   
 垣の葛打つ 糸薄 
 これおみすちの ことのねそ   
 これを三筋の 琴の音ぞ
 かたちははなと くすのはお かたかきとうつ      
 形は放と 葛の葉を かたかきと打つ
 ゐすことは ゐくらにひひく    
 五筋琴は 五方に響く
 ねおわけて わのあはうたお をしゆれは     
 音を分けて ワのアワ歌を 教ゆれば 
 ことのねとほる いすきうち   
 言の根徹る イスキ打ち 
 むすちのことは ゑひねふる   
 六筋の琴は 酔ひ眠る
 おろちにむつの ゆつかけて    
 オロチに六つの 弦掛けて
 やくもうちとそ なつくなり    
 八雲打とぞ 名付くなり
 かたふきかなて めかはひれ
 葛蕗(かたふき)奏で  茗荷飯領巾(めかわひれ) 
 これもてたての なにしあふ    
 これも手立の 名にし負ふ  
 やまたあかたお もちたかに              
 ヤマタ県を モチタカに
 たまえはあわの いふきかみ     
 賜えば阿波の 息吹神
 もろかみはかり そさのをか              
 諸神議り ソサノヲが
 こころおよする しむのうた 
 心を寄する 血の歌 
 みのちりひれは かはきえて   
 実の塵放れば 汚消えて
 たまふをしては ひかはかみ   
 賜ふヲシテは ヒ川神
 はたれねおうつ いさおしや    
 ハタレ根を討つ 功や
 そこにもとゐお ひらくへし    
 「そこに基を 開くべし」 
 やゑかきはたも たまはれは    
 八重垣旗も 賜はれば
 ふたたひのほる あめはれて    
 再び上る 天晴れて
 うやまいもふす くしひより    
 敬い詣す クシヒより
 すかはにきつく みやのなも   
 清地(すかわ)に築く 宮の名も 
 くしいなたなり さほこくに  
 貴日方なり 細矛国 
 かえていつもの くにはこれ   
 代えて出雲の 国はこれ
 あめのみちもて たみやすく              
 天の道以て 民安ぐ 
 みやならぬまに いなたひめ はらめはうたに   
 宮成らぬ間に 稲田姫 孕めば歌に
 やくもたつ いつもやゑかき  
 「八雲立つ 出雲八重垣
 つまこめに やゑかきつくる そのやゑかきわ     
 妻籠めに 八重垣造る その八重垣わ」
 このうたお あねにささけて やくもうち   
 この歌を 姉に捧げて 八雲打ち
 ことのかなてお さつかりて   
 琴の奏でを 授りて
 うたにあわせる いなたひめ    
 歌に合せる 稲田姫
 ついにくしたえ あらはれて 
 遂に奇し妙 現れて
 やゑかきうちの ことうたそ   
 八重垣内の 琴歌ぞ 
 うむこのいみな くしきねは     
 生む子のいみ名 クシキネは
 ことにやさしく をさむれは   
 殊に優しく 治むれば 
 なかれおくめる もろかなも    
 流れを汲める 諸が名も 
 やしましのみの おほなむち    
 ヤシマシノミの オホナムチ 
 つきはおおとし くらむすひ
 次はオオトシ クラムスヒ
 つきはかつらき ひことぬし    
 次はカツラキ ヒコトヌシ
 つきはすせりめ ゐをみめそ   
 次はスセリ姫 五男三女ぞ 
 きみくしきねお ものぬしに   
 君クシキネを 物主に  
 たけこおつまと なしてうむ   
 タケコを妻と なして生む  
 あにはくしひこ めはたかこ   
 兄はクシヒコ 女はタカコ
 おとはすてしの たかひこね               
 弟はステシノ タカヒコネ
 くしきねあわの さささきに              
 クシキネアワの ササザキに 
 かかみのふねに のりくるお     
 鏡の船に 乗り来るを 
 とえとこたえす くゑひこか   
 問えど答えず クヱヒコが 
 かんみむすひの ちゐもこの    
 神御ムスビの 千五百子の 
 をしゑのゆひお もれおつる    
 教えの結ひを 漏れ落つる
 すくなひこなは これといふ    
 スクナヒコナは これと言ふ
 くしきねあつく めくむのち    
 クシキネ篤く 恵む後
 ともにつとめて うつしくに    
 共に努めて 現(うつ)し国 
 やめるおいやし とりけもの    
 病めるを癒し 鳥獣
 ほおむしはらひ ふゆおなす   
 穢虫祓ひ 映ゆをなす 
 すくなひこなは あわしまの    
 スクナヒコナは 央州(あわしま)の
 かたかきならひ ひなまつり    
 カダカキ習い 雛祭
 をしゑていたる かたのうら あわしまかみそ     
 教えて至る 加太の浦 淡島神ぞ
 おほなむち ひとりめくりて    
 オホナムチ 一人廻りて
 たみのかて けししゆるせは    
 民の糧 獣肉(けしし)許せば
 こゑつのり みなはやかれす    
 肥え募り 皆な早枯れす
 そはほむし くしきねはせて これおとふ    
 稲穢虫 クシキネ馳せて これを問ふ
 したてるひめの をしえくさ   
 シタテル姫の 教え草 
 ならいかえりて をしくさに   
 習い帰りて 押草に
 あふけはほをの むしさりて  
 扇げば穢の 虫去りて
 やはりわかやき みのるゆえ   
 やはり若やぎ 実る故
 むすめたかこお たてまつる    
 娘タカコを 奉る
 あまくにたまの おくらひめ 
 アマクニタマの オクラ姫 
 これもささけて つかえしむ    
 これも捧げて 仕えしむ
 したてるひめは ふたあおめ    
 下照姫は 二青侍
 めしてたのしむ やくもうち      
 召して楽しむ 八雲打ち
 おほなむちには くしひこお               
 オホナムチには クシヒコを
 おおものぬしの かわりとて   
 大物主の 代りとて
 ことしろぬしと つかゑしめ  
 事代主と 仕えしめ
 おのはいつもに をしゆるに   
 己は出雲に 教ゆるに 
 ひふみむもやそ ふたわらの   
 一二三六百八十 二俵の
 ひもろけかそえ たねふくろ   
 ヒモロケ数え 種袋 
 つちはつちかふ をんたから   
 槌は培ふ 御宝
 うゑたすかても くらにみつ   
 飢え治す糧も 倉に満つ
 あめかせひてり みのらねと  
 雨風日照り 実らねど 
 あたたらくはり うゑさせす  
 アタタラ配り 飢えさせず
 のちにわかひめ ひたるとき   
 後に和歌姫 ひたる時 
 やくもゐすすき かたかきお    
 八雲ヰススキ  カダカキを
 ゆつることのね たかひめお たかてるとなし   
 譲る琴の音 タカ姫を タカテルとなし 
 わかうたの くもくしふみは おくらひめ   
 ワカ歌の クモクシ文は オクラ姫 
 さつけてなおも したてると 
 授けて名をも 下照と
 なしてわかくに たまつしま   
 なして若国 玉津島
 としのりかみと たたゑます      
 トシノリ神と 称えます
 いつもやゑかき おほなむち             
 出雲八重垣 オホナムチ
 やゑかきうちて たのしむる   
 八重垣内で 楽しむる 
 ももやそひたり こにみつるかな   
 百八十一人 子に満つるかな

【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)9、ヤクモ撃ち琴つくる文】
 八雲討ち 琴作る文
 「粗かねの 地に堕ちたる 流離男の」、「雨の慮れの 蓑笠も」、「脱がで休まん 宿もなく」、「地にさ迷いて 咎め破る(疲れ果てる)」、「すりやわ事に 辿り来て」、 「遂に根の国 サホコなる」、「弓削の裾守(そしもり) ツルメソが」、「家戸に噤(つぐ)むや 血(しむ)の虫」。
 粗暴な性格が災いして宮中を追放されて下民(シタタミ)となり流離男となったソサノオは、蓑笠(みのかさ)姿に身をやつしていた。ゆっくりと身体を休める宿もなく、地にさ迷いて疲れ果てていた。物乞いしながら渡り歩くうちに遂にネ(北)の国サホコ(山陰)のユゲ(弓削)のソシ守(現・松江市、許曽志神社・こそし)のツルメソなる遠縁の者の家に転がり込み、身内の虫(厄介者)として身を隠していた。
 「サタの粗長(あれおさ) アシナツチ」、「添のテニツキ 八女生めど」、「生い立ちかぬる 悲しさは」、「斐川の上の 八重谷は」、「常に叢雲 立ち昇り」、 「背(そひら)に茂る 松榧(かや)の」、「中にヤマタの オロチ居て」、「ハハやカガチの 人身供(ひとみけ)と」、「ツツガせらるる 七娘」、「残る一人の 稲田姫 これも食まんと」、 「タラチネは 手撫で足撫で 痛む時」。
 この地方を治めていたサダ(現・島根県、佐多神社)のアレオサ(荘老)のアシナヅチ(脚摩乳)とソオ(現・鹿児島県曽於郡)出身のテニツキ(紀・手摩乳)夫婦の間には八人の娘がいたが、七人の姫達は成長を待たずして皆ヤマタノオロチの餌食となってしまい、両親は毎日悲しみに暮れていた。ヒカワ(現・島根県、斐伊川)の上流のヤエ谷(八重谷)には、常に叢雲(むらくも)が立ち上ぼり、深い山の尾根に繁る松や榧(かや)の林の中に八岐の大蛇が潜んでいた。ハハ(大蛇)やカガチ(錦蛇)の人身御供(ひとみごくう)としてすでに七姫までが犠牲になり、たった一人残った稲田姫(現・島根県、稲田神社)もオロチは食おうと虎視眈々と狙っていた。父母は稲田姫の不憫な運命を思うと姫の手を撫で足を撫でてはひたすら嘆いていた。
 「ソサの命の 神問ひに」、「明らさまにぞ 答えけり」、「姫を得んやと 斎(いや)問いに」、「御名は誰ぞと 裏問えば」、「天の弟と 露われて」、「契りを結ぶ 稲田姫」、「病める炎の 苦しさを」、「袖脇裂きて 風入れば」、「炎も冷めて 快く」、「童の袖の 脇明けぞ」、「姫は弓削屋に 隠し入れ」、「スサは優みの 姫姿」、「髻の黄楊櫛(つげくし) 面に挿し」、「山の狭隙に 八搾りの」、「酒を醸して 待ち給ふ」。
 この痛ましい話を聞き知ったソサノオは、情熱の赴(おもむ)くままに出掛けて事情を聞くと、アシナヅチとテナヅチは胸の痛みを一気に語って聞かせた。ソサノオは姫を救おうと決心し「姫と結婚させてくれ」と願い出た。突然の申し出に驚いた両親は、「貴方様は誰でしょうか」と聞き返した。「私は天照神の弟ソサノオです」と身分を明かして、稲田姫と契りを結んだ。この時、稲田姫は高熱に苦しみ病んでいた。この病状を見たソサノオは姫の着物の脇縫(わきぬい)を裂いて風通しを良くすると、姫の熱も序々に下がって快方に向った。これが、少女や子供の着物の袖の脇開け(身八口・みやつくち)の起源となった。ソサノオは稲田姫を弓削屋に隠し入れ、己(おのれ)は姫の衣装を身にまとって姫姿に変装し、髪には浄(きよ)めた黄揚櫛(つげぐし)を挿(さ)し、ヒカワ(斐伊川)の上流の八重谷へと乗り込み、山の開けた桟敷(さじき)に八搾(やしぼり)の酒を醸(かも)してオロチの出現を待った。
 「八岐(やまた)頭の オロチ来て」、「八槽の酒を 飲み酔いて」、「眠るオロチを 寸(つた)に切る」、「ハハが尾先に 剣あり」、「ハハ叢雲の 名にし負ふ」。
 身を潜めることしばし、突然四方は黒い叢雲(むらくも)に覆(おお)われたかと思う間もなく雷鳴とともに現われた八岐頭(やまたかしら)の大蛇(おろち)は、前もって据え置いた八槽(ヤフネ)の酒を飲み干すとすぐに酔って眠った。ソサノオはこの時とばかり八束(やつか)の剣を振りかざし、眠る大蛇(オロチ)をずたずたに斬り裂くと、その尾先に一振りの剣が表われた。これが後世までも名高い羽羽叢雲剣(ははむらくものつるぎ)である。
 「稲田姫して オオヤヒコ」、「生めばソサノヲ ヤスカワに」、「行きて誓ひの 男の子生む」、「吾勝つと言えば 姉が目に」、「なお汚しや その心」、「恥をも知らぬ 世の乱れ」、「これ皆それの 誤ちと」、「思えばむせぶ(むかつく) はや帰れ」、「ソサノヲ恥ぢて 根に帰る」、「後オオヤ姫 ツマツ姫」、「コトヤソ生みて 隠れ住む」。
 八岐大蛇を退治して後、ソサノオは稲田姫との間に一男オオヤヒコ(旧・大屋彦)を儲けた。大蛇退治と男子出生の吉事に自信をつけたソサノオは、この誉れを姉に伝えたい一心からヤス川辺に住む姉シタテル姫(ワカ姫)のところに馳せ参じて、「我は誓いの男子(おのこ)生みました。先のウケヒは私の勝ちです」と云った。これを聞いたシタテル姫(ワカ姫)曰く「私の疑いはまだ晴れません。ソサノオの心は汚く、思い上がりが強過ぎて恥を知らぬ。世の乱れは元はと言えば全ておぬしの犯した罪ではないか。思い出すだに胸糞(むなくそ)が悪い。さっさと帰れ」。ソサノオは姉の怒りが解けぬのを恥入りネ(北)の国に帰った。後に稲田姫は二人の間にオオヤ姫(旧・大屋姫)を生み、三番目にツマツ姫(紀・柧津姫)、そしてコトヤソ(旧・事八十)を生んでひっそりと暮らしていた。
 「タカマは六つの ハタレ神」、「 蜂の如くに 乱るれば」、「神議りしてハタレ討つ」、「君は禊の サクナタリ」、「ハタレ厭ふの 種を得て」、 「御代治まれど 源は」、「根のマスヒトに 因るなれば」、「イフキトヌシに 討たしむる」。
 思えばソサノオ追放から此の方、国中で蜂起した六種族のハタレ頭(カミ・魔王)共が、アマテル王朝打倒を叫んで仲間を集め暴徒と化し、雪崩(なだれ)を打つように宮中目指して四方から押し寄せて来た。この国難に対して再三宮中では神議(カミバカリ)が開かれ、ハタレ打倒の決議により禊司(みそぎつかさ)のカナサキ(住吉神)を初めタケミカヅチ(建御雷、鹿島神宮祭神)、フツヌシ(経津主、香取神宮祭神)、カダマロ(荷田麿、稲荷神社摂社荷田神社祭神)、イブキヌシ(気吹戸主、岐阜県、伊富岐神社祭神)、クマノクスヒ(熊野牟須美、熊野本宮大社)、タチカラオ(手力雄、岐阜県、手力雄神社祭神)等の勇将の働きでハタレ頭(カミ)も皆取り縛り、動乱を鎮圧した。この戦いでアマテル神は瀧の落ち降る清流の瀬で静かに禊(みそぎ)をして、ハタレの嫌う呪いの種を感得し、この種を武器として諸将に与えて苦しい八年間の戦乱を戦勝に導いた。とはいえ、今度の八年近くに及ぶ騒乱の元凶は全て根の国の益人(ますひと・代官)等による陰謀が根源にあり、益人は未だに成敗されずにサホコ(山陰)の国に潜伏して蠢(うごめ)いていた。ここで君は新たにイブキドヌシを益人(マスヒト)倒伐軍の大将に任命した。
 「頷き向ふ 八十続き」、「サホコの宮の アサヒ神 」、「拝みて至る 出雲地の」、「道にたたずむ 下民や」、「笠簑剣 投げ捨てて」、「何宣言(のりこち)の 大眼(おおまなこ) 」、「涙は滝の 落ち下る」、「時の姿や 八年ぶり 」、「思い思えば ハタレとは」、「驕る心の 我からと」、「やや知る今の ソサノヲが 悔みの涙」、「叔父甥の  シム(親族)の誤ち」、「償のえと 嘆き歌ふや」、「天地に殖る 吾が実の瘡(かさ)ゆ シムの幹」、「三千日挟まで 粗ぶる恐れ」。
 イブキドヌシはこの重責を誇り高く承諾すると、八十騎馬共のスメラミイクサ(神軍)を引き連れて、先ずサホコ(山陰)の宮を目指して進んだ。トヨケを祭るアサヒ宮で一同戦勝祈願を済ませ、尚も進むといよいよ出雲路に入った。と、道端に佇(たたず)む下民(シタタミ)風情の益荒男(ますらお)が突然イブキドヌシの馬前に飛び出して笠、蓑、剣を投げ捨てて平伏し、どこか拝む様な面持ちで何やら告げんと独り言をつぶやき、その大眼(おおまなこ)からは瀧の様な涙が落ち降っていた。この時の痛ましい姿こそ、八年ぶりに再会した惨めな姿の伯父(おじ)ソサノオその人だった。つらい隠遁の日々に思い思えばハタレ(魔王)とは、全て驕(おご)った己の心が招いたもの、諸悪の根源は己にあったと悟った今、ソサノオの反省の涙はとどめなく流れ落ちた。伯父(おじ)ソサノオは、甥(おい)イブキドヌシに土下座して、この哀れな血縁(シム)の罪人(つみびと)に再起の機会を与え給えと嘆き歌った。「天下(アモ)に降る  我が蓑笠ゆ  血縁(シム)の身木(ミキ・男子) 三千日間(ミチビワサマ)で  荒ぶる  恐れ」(宮中から粗野な下界に落ち、下民となりさまよう哀れな蓑笠姿の我が身、これも皆我が悪い心根が犯した罪でございます。三千日もの長き間、国を内乱に落とし入れました事、天照神に心からお詫び申し上げます)
 「かく三度 肝に応えて」、「情けより さすがに温るる」、「息吹神 血(しむ)の蹲(つくば)え」、「共涙 駒より降りて」、「ソサノヲの 手を引き起す」、「血の寄り 天癒える殊は」、「後の忠 功(いさおし)成せば 払れ遣らん」、「我を助けて 一途に マスヒト討たば」、「忠なりと 打ち連れ宿る」、「佐太の宮 法を定めて」、「ハタレ根も シラヒトコクミ」、「オロチらも 討ち治めたる」。
 ソサノオがこの血と涙の歌を三度(みたび)歌い終わる頃、イブキドヌシは歌の真情に触れて胸を詰まらせると、人の情けにより共に涙して頬を濡らした。伯父の土下座姿を見かねたイブキドヌシは、駒より降りてソサノオの手を取り引き起こしながら言った。「天照神のお許しを得るために、これから忠義を尽くして、勲功(イサオシ)を立てればきっと君の御心も晴れるに違いない。さあ我を助けて下さい。一緒に力を合わせ益人供を討伐して手柄をたてましょう」。今はお互い昔の肉親同士に返って親しく語り合った後、全員うち連れ立ってサダの宮に向い宿をとった。サダの宮では早速戦略会議を開いて敵情を聞き戦法を定めた。この後、ソサノオを迎えて力を得たスメラミイクサ(神軍)は、ハタレの根拠地を初めシラウドコクミ(祝詞・大祓詞、白人胡久美)の益人等、大蛇(オロチ)の残党共も、一網打尽に打ち滅ぼして堂々の凱旋を果たした。
 「趣を 天に告ぐれば」、「高マには 弓打ち鳴らし」、「ウスメ身の  奏でるを見て」、「大御神 桑以て作る 六弦琴」、「賜ふ和歌姫 むつに弾く」、 「カダキ奏で メカハヒレ」、「その琴の音は イサナギの 」、「垣の葛打つ 糸薄」、「これを三筋の 琴の音ぞ」、「形は放と 葛の葉を かたかきと打つ」、 「五筋琴は 五方に響く」、「音を分けて ワのアワ歌を 教ゆれば」、「言の根徹る イスキ打ち」、「六筋の琴は 酔ひ眠る」、「オロチに六つの 弦掛けて」、「八雲打とぞ 名付くなり」、「葛蕗(かたふき)奏で  茗荷飯領巾(めかわひれ) 」、「これも手立の 名にし負ふ」。
 この時の戦況が天照神に報告されると宮中の全員が戦勝の喜びに沸き立ち、上や下への喜びに沸いた。この時巫女のウズメ(天鈿女・あまのうずめ)が弓弦(ゆみづる)を打ち鳴らして音に合わせて舞い歌うのを見ていた天照神は、桑の木で造った六弦琴(ムユズゴト)をワカ姫(天照神の姉)に賜わり、ワカ姫はこの琴を睦(むつ・音色良く)弾き分けて、カダキ奏でメカハヒレの音を楽しんだ。この六弦の琴の音は、あたかもイサナギの垣の葛打つ糸薄の音の如くであった。三筋の琴の音は、「形は放と 葛の葉を かたかきと打つ」。五弦琴(イスコト)は、弾くと五方に響いて音を分け、琴の音に合わせてワ(地)のアワ(天地)歌を教えたところ、皆覚えが良くなり歌が広まったので、イサナギの垣打つ糸薄(いとすすき)に因んで五弦琴(イスコト)と名付けた。六弦琴は、酒に酔い眠ったオロチに六つの弦掛けた故事に倣い八雲打と名付けた。葛蕗(かたふき)奏で  「茗荷飯領巾(めかわひれ) これも手立の 名にし負ふ」。
 「ヤマタ県を モチタカに」、「賜えばアワの 息吹神」、「諸神議り ソサノヲが」、「心を寄する 血の歌」、「身の塵放れば 汚消えて」、 「賜ふヲシテは ヒカハ神」、「ハタレ根を討つ 功や」、「そこに基を 開くべし」、「八重垣旗も 賜はれば」、「再び上る 天晴れて 敬い詣す」、 「貴日より 清地(すかわ)に築く」、「宮の名も  貴日方なり」、「サホコ国 代えて出雲の 国はこれ」、「天の道以て 民安ぐ」。
 天照神は論功の人事により、モチタカ(イブキドヌシの真名・イミナ)を、この度のシラウドコクミとその一味を打ち治めた凱旋将軍に任じ、世に有名なヤマタ大蛇(オロチ)と同名のヤマタ県(あがた、現・三重県大山田村と伊賀地方)を褒美に賜った。と同時にアワ(淡洲、現・滋賀県)のイブキ神(現・三重県大山田村、阿波神社)の神名をも授与した。この時、一堂に参集した諸神達は、ソサノオの歌った真心を寄せる「血涙(シム)の歌」について話し合った。この反省の歌により、ソサノオの犯した過ちは祓い浄められて罪が完全に消えた事が認められ、天照神はソサノオにヒカワ(斐伊川)の上流のヤエダニ(八重谷)でハタレ根を打ち取った功(いさおし)を称えてヒカワ(氷川)神の神名を賜った。そして尚も「そこに本居を開くべし」と詔して八重垣幡(ヤエガキハタ・皇室親衛隊長)も授与した。ソサノオは天下晴れて八重垣臣(ヤエガキトミ)に復活出来た喜びを感謝し敬い申し上げようと天照神の坐す宮中に昇殿した。このたび天照神の御稜威(みいず)により諸悪のけがれを取り除いた清浄(スガ)の地に宮を賜わり新築することになった。その宮の名(号)を、妻の稲田姫に感謝の意を込めてクシイナダ宮(奇稲田宮、くしいなだ、現・島根県出雲大社、旧・杵築大社、きつきのたいしゃ)と名付けた。この時初めてサホコ(細矛)国を改めて、出雲国(いずものくに)の建国を世に広く触れ知らしめた。ソサノオは出雲国を天の御心に添う天成りの道を持って治めたので、民の暮らしも豊かに平和が蘇った。
 「宮成らぬ間に 稲田姫 孕めば歌に」、「八雲立つ 出雲八重垣」、「妻籠めに 八重垣造る その八重垣わ」、「この歌を 姉に捧げて 八雲打ち」、「琴の奏でを 授りて」、「歌に合せる 稲田姫」、「遂に奇し妙 現れて」、「八重垣内の 琴歌ぞ」。
 宮の建築中の間、イナダ姫が新たに身籠(みごも)り、このおめでたを知ったソサノオは歌を詠んだ。「八雲立つ  出雲八重垣  妻籠(つまご)めに 八重垣造る  その八重垣を」(八色の瑞雲が立ち昇る美しき新生の出雲国、かくも尊き皇御国(すめみくに)を八重垣の臣の私が守るのだ。今新しい子を孕む妻イナダ姫を新築なったクシイナダ宮に大切に籠(こ)めて八重垣で囲み優しく守ってあげよう。その八重垣を守る我は)

 ソサノオは、この建国の喜びを歌った出雲八重垣の和歌を親愛なる姉ワカ姫に捧げると、姉は天照神から授かった八雲打琴(ヤグモウチ)で作曲した琴曲(そうきょく)を稲田姫に伝授した。稲田姫は終日(ひねもす)この八重垣打ちの琴歌に合わせて曲を奏でて楽しんでいた。
 「生む子のいみ名 クシキネは」、「殊に優しく 治むれば」、「流れを汲める 諸が名も」、「ヤシマシノミの オホナムチ」、「次はオオトシ クラムスヒ」、 「次はカツラキ ヒコトヌシ」、「次はスセリ姫 五男三女ぞ」。
 稲田姫は出雲建国以来初の御子クシキネ(奇杵、通称大国主)を出産した。このいみ名クシキネの意味は、奇しき(霊妙)琴の音と共に生まれたことにより名付けられた。クシキネは殊(こと・琴の音の様)に優しく国民を治めたので、人柄を慕って教えを乞いに集まる諸人達は、皆名付けてヤシマシノミ(八洲一の紳士)のオオナムチ(大己貴)と称えた。次に生(あ)れます御子の名は、オオトシ・クラムスビ(大歳倉魂)。次はカツラギ・ヒコトヌシ(葛城一言主)。最後に生(あ)れます姫の名はスセリ姫で、ソサノオは稲田姫との間に五男三女の子宝に恵まれた。
 「君クシキネを 物主に」、「タケコを妻と なして生む」、「兄はクシヒコ 女はタカコ」、「弟はステシノ タカヒコネ」。
 天照神は後に、弟ソサノオがヤエガキトミ(八重垣臣)に復活した後の初の一子クシキネを大物主に取り立てて我が慈しの娘(現・宗像三女神)の長女タケコ(別名沖津島姫、現・滋賀県、竹生島神社、祭神都久夫須麻姫)を妻として結ばせた。クシキネ(通称大物主)とタケコとの間に生れます御子達は、長男の名はクシヒコ(奇彦・別名事代主、通称エビス神)、次に生れます姫の名はタカコ(高子・別名高姫、高照姫)、弟はステシノ・タカヒコネ(現・奈良県、高鴨神社、祭神阿治須岐高彦根命、別名捨篠社とも言う)の二男一女の子に恵まれた。クシキネ(別称オオナムチ)は、生まれながらにして優しい性格の持ち主で、人々の信望も厚く、国土経営にも優れた手腕を発揮した。雨の多い冷害の年も、台風による被害にも、日照り続きの乾ばつにも人々を飢えから守る為の倉には、備蓄米が満ち満ちて国は平和を謳歌していた。
 「クシキネアワの ササザキに」、「鏡の船に 乗り来るを」、「問えど答えず クヱヒコが」、「カンミムスビの 千五百子の」、「教えの結ひを 漏れ落つる」、「スクナヒコナは これと言ふ」、「クシキネ篤く 恵む後」、「共に努めて 現(うつ)し国」、「病めるを癒し 鳥獣 」、「穢虫祓ひ 映ゆをなす」。
 ある日、クシキネが農業指導のために大国の郷(さと、現・豊郷、滋賀県愛知川町付近)を巡視していた折り、ササ崎(現・滋賀県蒲生郡、佐々貴神社)付近の湖の彼方から鏡を舳先(へさき)に付けた舟が近づいてくるのに出合った。クシキネが供の者に、「あれは何者か」と聞いたが誰も答えられなかった。その時、クエヒコ(現・奈良県大神神社、摂社久延彦神社)が進み出て申し上げるには、「あの神はカンミムスビの千五百人もある御子の中で教えの指をもれ落ちたスクナヒコナでございます」と答えた。この話しを聞いて何故か感動を覚えたクシキネは思うところあって、スクナヒコナを丁重に迎えもてなしした後、共に力を合わせて一緒に諸国を巡り国民の糧となる水田開発に努め、養蚕や裁ち縫いの技術を女性達に教え広めて国土経営に尽くした。又、病める者のためには薬草を栽培して、時には人間にとどまらず鳥や獣の病気も治す愛情を注いだ。ある時は、稲子(いなご)の大量発生の報を聞くとどんな遠方にも一緒に馬で駆けつけて、オシ草(玄人)という薬草を桧扇(ヒオウギ、アヤメ科の多年草、別名カラスオウギ)の葉で扇いで虫祓いをし民の糧を守った。  

 この頃オオナムチ(通称大国様)は、立派に成長した息子クシヒコ(通称エビス様)を己の重職の大物主(おおものぬし)の代役に立てて、事代主(ことしろぬし)として宮中に仕えさせました。自らはゆかりの故地出雲に戻って再び農業指導と国土経営に専念していました。いつも温かく迎えてくれる人々の頭上には、国の誇りとしてクシイナダ宮の千木(ちぎ)がそそり立っていました。お国入りから数年もすると、オオナムチの良き指導と民の協力により早くも豊作を迎えました。その石高はざっと12万3千6百80人の供奉神達にそれぞれ米二俵づつを飯料(はんりょう)として配っても余りがあり、多くの米倉には備蓄の籾米(もみごめ)が満ち満ちていました。

 オオナムチは肩に籾を入れた種袋を背負って国々を巡回しては飢えに苦しむ民が無いようにと天の援助米(アタタラ)を配って農業指導をして歩きました。又、手には新田開発の土木工事に欠かせない槌(つち)を携えて現場に赴き、井堰(いせき)を造り、堤(つつみ)を築き、懸樋(かけひ)を引いて皆と一緒に泥まみれになって働きました。 こんなところから槌(つち)は土(つち)を培(つちか)い育てるお宝(御田から出来る米の意)の象徴となりました。(この様に、一見順風満帆の二人の国造りにも、満れば欠けるのたとえがあるように、暗い人生を暗示するかのような、むら雲がおおい始める。ついにオオナムチは国(出雲)が豊かになり過ぎたが故に、又その温厚な人柄と人望高きが故に、いわれなき諸悪の根源として宮中から攻撃され国を追われて最北の地の津軽に追放された)
 「スクナヒコナは 央州(あわしま)の」、「カダカキ習い 雛祭」、「教えて至る 加太の浦 淡島神ぞ」。
 この事件があってからのスクナヒコナは一人オオナムチを離れて、アワ国(現・滋賀県)に伝わるカダガキ(葛垣琴)を一心に習得すると、あまりにも献身的に、あまりにも国に思いを託した自分の生き方をさらりと捨て、心の苦しみを背負ったまま諸国流浪の行脚に身をやつした。津々浦々を巡り歩いてカダガキで弾き語る物語は、いつも決まって人の心が美しく優しく輝いた天神四代のヒナ祭りの物語だった。人々が忘れ去っていたヒナ祭りの物語を全国に教え広めて(淡島願人、アワシマガンニンの起源)やがて年老いるとついに和歌の国のカダの浦に一人至り、ウビチニ・スビチニの微笑む雛の国へと神上がった。(今日でも、スクナヒコナの人柄に心を寄せてアワシマ神(アワの国に出現した神)をご当地の淡島神社(現・和歌山市加太、祭神少彦名神)に祀っている。毎年弥生の三日になると、全国各地から持ち寄った雛人形を社前に奉納し、雛流しの神事を盛大に祝ってスクナヒコナを偲んでいる)
 「オホナムチ 一人廻りて」、「民の糧 獣肉(けしし)許せば」、「肥え募り 皆早枯れす」、「稲穢虫 クシキネ馳せて これを問ふ」、「シタテル姫の 教え草」、「習い帰りて 押草に」、「扇げば穢の 虫去りて」、「やはり若やぎ 実る故」、「娘タカコを 奉る」、「アマクニタマの オクラ姫」、「これも捧げて 仕えしむ」、「シタテル姫は 二青侍」、「召して楽しむ 八雲打」。
 「オホナムチには クシヒコを」、「大物主の 代りとて」、「事代主と 仕えしめ」、「己は出雲に 教ゆるに」、「一二三六百八十 二俵の」、「ヒモロケ数え 種袋」、「槌は培ふ 御宝」、「飢え治す糧も 倉に満つ」、「雨風日照り 実らねど」、「アタタラ配り 飢えさせず」。
 「後に和歌姫 ひたる時」、「八雲ヰススキ  カダカキを」、「譲る琴の音 タカ姫を タカテルとなし」、「ワカ歌の クモクシ文は オクラ姫」、「授けて名をも シタテルと」、「なしてワカ国 玉津島」、「トシノリ神と 称えます」、「出雲八重垣 オホナムチ」、「八重垣内で 楽しむる」、「百八十一人 子に満つるかな」。





(私論.私見)