ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)6

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 2011.12.25日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)6、日の神十二后の紋】
 日の神十二后の紋、アマテル神、中宮セオリツ姫と十二后。
 ひのかみ そふきさきのあや 
 日の神 十二后の文
 ふそひすす ももふそむゑた
 二十一鈴 百二十六枝
 としさなと やよいついたち 
 年サナト 弥生一日
 ひのやまと にいみやつくり  
 日のヤマト 新宮造り
 あめみこは ひたかみよりそ うつります
 天御子は 日高見よりぞ 遷(うつ)ります
 ふたかみみめお みことのり  
 二神みめを 詔
 かんみむすひの やそきねか もろとはかりて
 神御ムスビの 八十キネが 諸と議りて 
 くらきねか ますひめもちこ ねのすけと 
 クラキネが マス姫モチコ 北の典侍(すけ)と
 そのとめはやこ こますひめ ねのうちきさき    
 その妹姫(とめ)ハヤコ コマス姫 北の内后
 やそきねの おおみやみちこ きのすけに
 八十キネの 大宮ミチコ 東の典侍に
 たなはたこたゑ きのうちめ
 棚機(たなばた)コタヱ 東の内侍(うちめ)
 さくらうちかめ さくなたり
 桜内が姫 サクナタリ
 せおりつほのこ さのすけに  
 セオリツホノコ 南の典侍に 
 わかひめはなこ さのうちめ  
 若姫ハナコ 南の内侍 
 かなさきかめの はやあきつ
 カナサキが姫の ハヤアキツ
 あきこはしほの やもあひこ 
 アキコは潮の 八百会子(やもあいこ)
 つのすけうちは むなかたか おりはたおさこ
 西の典侍内は 宗像が オリハタオサコ
 おしもめは とよひめあやこ   
 乙侍(おしもめ)は 豊姫アヤコ
 かすやかめ いろのゑあさこ さのおしも    
 カスヤが姫 イロノヱアサコ 南の乙侍
 かたかあちこは ねのおしも
 カダがアチコは 北の乙侍
 つくははやまか そかひめは きのおしもそと  
 筑波ハヤマが ソガ姫は 東の乙侍ぞと
 つきによせ みこはあまひの くらゐのる
 月に因(よ)せ 御子は天日の 位乗る
 ひのやまのなも おおやまそ   
 日の山の名も  大山ぞ
 かれおおやまと ひたかみの やすくにのみや
 故大ヤマト 日高見の 靖国の宮 
 きつさねの つほねはかわり みやつかゑ   
 東西南北(きつさね)の 局は替り 宮仕え
 そのなかひとり すなおなる   
 その中一人 素直なる
 せおりつひめの みやひには
 セオリツ姫の 雅びには
 きみもきさはし ふみおりて
 君も階段(きざはし) 踏み下りて
 あまさかるひに むかつひめ
 天下がる霊に 向つ姫 
 つひにいれます うちみやに
 遂に入れます 内宮に
 かなやまひこか うりふひめ
 カナヤマ彦が ウリフ姫
 なかこおすけに そなゑしむ
 ナカコを典侍に 供えしむ
 これおこよみの うりふつき 
 これを暦の ウリフ月
 みなはたおりて みさほたつ   
 皆な機織りて 操立つ
 おとつきよみは ひにつきて  
 弟月読は 日に仕(つ)きて
 たみのまつりお たすけしむ  
 民の政りを 助けしむ 
 いよのふたなの をさまらて    
 伊予の二名の 治まらで
 つきよみやれは いふきあけ とのみやにたす
 月読遣れば 息吹上げ 外の宮に治す
 ちたるくに ますひとこくみ おこたれは
 千足(ちたる)国 マスヒトコクミ 怠れば 
 たまきねつけて ひたかみは やそきねにたす
 玉キネ仕(つ)けて 日高見は 八十キネに治す 
 たかきねお きみのたすけと 
 タカキネを 君の輔(たすけ)と
 たまきねは ゆきてさほこの 
 玉キネは 行きて細矛の 
 くにおたす みやつのみやそ 
 国を治す 宮津の宮ぞ 
 つきすみは しまつひこより ななよすむ
 つきすみは 島津彦より 七代住む
 いまかなさきの ゑたかはね   
 今カナサキの 枝姓
 むなかたあつみ たすけしむ 
 宗像安曇 助けしむ
 みよもゆたかに をさまりて
 御代も豊かに 治まりて  
 やよろとしへて ふそふすす
 八万年経て 二十二鈴
 ゐもゐゑはつに みやつより
 五百五枝初(穂)に 宮津より
 はやきしとへは あまひかみ
 早雉飛べば 天日神
 いそきまなゐに みゆきなる  
 急ぎマナヰに 御幸なる
 ときにたまきね あひかたり  
 時に玉キネ 会ひ語り 
 むかしみちのく つくさねは  
 「昔道奥(みちのく) 尽くさねば 
 ここにまつとて さつけまし  
 ここに待つとて 授けまし
 もろかんたちも しかときけ
 諸神達も 確と聞け
 きみはいくよの みをやなり  
 「君は幾代の 御祖なり
 これとこたちの ことのりと    
 これトコタチの 言宣り」と
 ほらおとさして かくれます  
 洞を閉ざして 隠れます
 そのうゑにたつ あさひみや 
 その上に建つ 朝日宮
 きみねんころに まつりして    
 君懇ろに 祀りして
 のちかえまさん みてくるま   
 後帰えまさん 御出車(みてくるま)
 ととむるたみお あわれみて    
 留むる民を 憐みて
 みつからまつり きこしめす     
 自ら政り 聞し召す
 おもむきつける ききすにて
 趣告げる キギスにて
 むかつひめより ことのりし
 ムカツ姫より 言宣りし
 たかみにまつる とよけかみ 
 高見に祀る 豊受神
 もちこのすけと はやこうち   
 モチコの典侍と ハヤコ内侍(うち)
 あちことみたり はやゆきて 
 アチコと三人 早や行きて
 まなゐのはらの みやつかゑ
 マナヰの原の 宮仕え
 ことのりあれは かとてして  
 言宣りあれば 門出して
 みやつのみやに あるときに    
 宮津の宮に ある時に
 きみのみかりに ちたるくに    
 君のみかりに 千足国
 みちおさためて をさむのち  
 道を定めて 治む後 
 やそきねのおと かんさひお ますひととなし
 八十キネの弟 カンサヒを マスヒトとなし
 またおとこ つはものぬしと こくみそゑ
 また乙子 ツハモノ主と コクミ副え
 つほねととめて かえらんと 
 局留めて 帰らんと 
 こそよりむかふ そさのをと  
 去年より向かふ ソサノヲと
 あまのみちねと かとてなす 
 アマノミチネと 門出なす
 ねなとやよひの もちよりそ 
 ネナト三月の 十五日よりぞ
 うつきのもちに かえります     
 四月の十五日に 帰ります
 ひのはやひこに みことのり
 ヒノハヤ彦に 詔
 なんちくにゑお うつすへし   
 汝国絵を 写すべし
 やまとめくりて みなゑかく 
 ヤマト巡りて 皆な描く
 きみはみやこお うつさんと  
 君は都を 移さんと
 おもひかねして つくらしむ  
 オモヒカネして 造らしむ
 なりていさわに みやうつし
 成りて伊雑に 宮移し
 ここにゐませは むかつひめ 
 ここに居ませば 向津姫
 ふちおかあなの おしほゐに   
 フチオカあなの オシホヰに
 うふやのみみに あれませる    
 産野の耳に 生れませる 
 おしほみのみこ おしひとと 
 オシホミの御子 オシヒトと
 いみなおふれて かみありの   
 諱(いみ名)を触れて 神在りの
 もちゐたまえは たみうたふ  
 餅飯(もちゐ)賜えば 民歌ふ
 さきにもちこか うむみこは             
 先にモチコが 生む御子は
 ほひのみことの たなひとそ はやこかみつこ     
 ホヒの尊の タナヒトぞ ハヤコが三つ子
 ひはたけこ おきつしまひめ    
 一はたけこ 沖津島姫
 ふはたきこ ゑつのしまひめ    
 二はたきこ 江津の島姫
 みはたなこ いちきしまひめ    
 三はたなこ 市キ島姫
 しかるのち あきこかうめる     
 然る後 アキコが生める 
 たたきねは あまつひこねそ 
 タタキネは 天津彦根ぞ 
 しかるのち みちこかうめる   
 然る後 ミチコが生める
 はらきねは いきつひこねそ    
 ハラキネは イキ津彦根ぞ
 とよひめは ねのうちめにて    
 豊姫は 北の内侍にて
 ぬかたたの くまのくすひそ    
 ヌカタダの 熊野クスヒぞ
 みこすへて ゐをとみめなり    
 御子すべて 五男三女なり
 さのとのに たちはなうゑて かくのみや    
 南の殿に 橘植えて 橘の宮 
 きにさくらうゑ うおちみや   
 東に桜植え 大内宮 
 みつからまつり きこしめす    
 自ら政り 聞こし召す
 あまねくたみも ゆたかなり    
 遍く民も 豊かなり
 つきよみのつま いよつひめ              
 月読の妻 イヨツ姫
 うむもちたかは いふきぬし     
 生むモチタカは 息吹主
 さきにたらちを はなきねは              
 先にタラチヲ 花キネは 
 ねのくにさほこ しらすへし
 根の国細矛 領すべし 
 いまたひること みくまのの     
 いまだヒルコと 御熊野の
 とみかたすけて のちのきみ 
 臣が助けて 後の君
 なちのわかみこ ぬかたたよ                     
 那智の若御子 ヌカタタよ
 いさなみまつる くまのかみ    
 イサナミ祀る 熊野神
 しこめかしゐお からすかみ    
 醜女(しこめ)が魄(しゐ)を 枯らす神 
 まつれはくろき とりむれて からすとなつく   
 祀れば黒き 鳥群れて カラスと名付く
 いさなきは あつしれたまふ ここおもて    
 イサナギは 篤(あつ)しれ給ふ 心(ここ)を以て
 あわちのみやに かくれます    
 淡路の宮に 隠れます
 ことはおわれと いきおひは    
 言は終われど 勢ひは 
 あめにのほりて をおかゑす
 天に上りて 陽(を)を還す
 あひわかみやに ととまりて    
 天日分宮に 留まりて
 やみおたします たかのかみ      
 闇を治します 多賀の神
 やまとやすみや ひきうつし            
 ヤマト靖宮 引き移し
 あめやすかわの ひるこひめ    
 天野洲川の ヒルコ姫
 みこおしひとお ひたします   
 御子オシヒトを 養(ひた)します 
 ねとさほこくに かねをさむ     
 根と細矛(さほこ)国 兼ね治む
 したてるひめと あちひこと   
 下照姫と  アチ彦と
 いせおむすひて もろともに   
 伊勢を結びて  諸共に 
 ここにをさめて うむみこは   
 ここに治めて 生む御子は
 いむなしつひこ たちからをかな     
 諱シツ彦 タチカラヲかな

 日の神 十二后の文
 「二十一鈴 百二十六枝 」、「年サナト 弥生一日」、「日のヤマト 新宮造り」、「天御子は 日高見よりぞ 移ります」、「二神みめを 詔」。
 ウビチニ歴(天神四代目)から二十一鈴 百二十六枝、年はサナトの弥生一日、日のヤマトの新宮造りが成り、天御子(天照神)が日高見の国(現・仙台市、多賀城市付近)よりお帰りになり新宮にお移りになられた。両神(いさなぎ、いさなみ)のお喜びの詔が諸神に伝えられた。
 「神御ムスビの 八十キネが 諸と議りて」、「クラキネが マス姫モチコ 北の典侍(すけ)と」、「その妹姫(とめ)ハヤコ コマス姫 北の内后」、「八十キネの大宮ミチコ 東の典侍に」、「棚機(たなばた)コタヱ 東の内侍」、「サクラウチが姫 サクナタリ」、「セオリツホノコ 南の典侍に」、「若姫ハナコ 南の内侍(うちめ)」、「カナサキが姫の ハヤアキツ」、「アキコは潮の 八百会子(やもあいこ)」、「西の典侍内は 宗像が オリハタオサコ」、「乙侍(おしもめ)は 豊姫アヤコ」、「カスヤが姫 イロノヱアサコ 南の乙侍」、「カダがアチコは 北の乙侍」、「筑波ハヤマが ソガ姫は 東の乙侍ぞと」。
 カンミムスビ」(豊受神の子)のヤソキネが諸神と相談して天照神のお妃選びをした。イザナギの弟のクラキネの娘マス姫モチコを北(ね)の局のスケ妃に決めた。次に、マス姫モチコの妹のハヤココマス姫を北の局の内妃にした。次に、ヤソキネの娘のオオミヤミチコを東(き)の局のスケ妃に、その妹のタナハタコタヱを東(き)の局の内妃(うちめ)にした。次に、サクラウチの娘のサクナタリセオリツ姫をホノコを南(さ)の局のスケ妃に、その妹のワカ姫ハナコを南(さ)の局の内妃(うちめ)にした。次に、カナサキ(住吉の神)の娘のハヤアキツ姫アキコは潮の八百会子(やもあいこ)にした。西(つ)の局のスケ妃には、ムナカタの娘のオリハタオサコ姫を、乙侍(おしもめ)はトヨ姫アヤコにした。次に、カスヤの娘のイロノヱアサコ姫を南(さ)の局の乙侍(おしもめ)」に、カダのアチコを北(ね)の局の乙侍にした。次に、ツクバハヤマの娘のソガ姫を東(き)の局の乙侍ぞと、月に因(よ)せて任命した。
 「月に因(よ)せ 御子は天日の 位乗る」、「日の山の名も  大山ぞ」、「故大ヤマト 日高見の 靖国の宮」、「東西南北(きつさね)の 局は替り 宮仕え」、「その中一人 素直なる」、「セオリツ姫の 雅びには」、「君も (高御座の)階段(きざはし) 踏み下りて」、「天下がる霊に 向つ姫」、「遂に入れます 内宮に」、「カナヤマ彦が ウリフ姫」、「ナカコを典侍に 供えしむ」、「これを暦の ウリフ月」、「皆機織りて 操立つ」
 これで十二人揃い、それぞれのお妃を一年十二カ月の月に見立てて配置し、御子は天日(太陽・中央)の位につイた。日の山の名前も大山と名付けた。こうして、大ヤマト日高見のヤスクニの宮に住まわれた。東西南北(きつさね)の方向にお妃の局をそれぞれ配置して、日(太陽・天照神)の回りを12カ月の月に見立てて、月替わりでお仕えするようにした。その十二人のお妃の中のお一人にひときわ性格が素直なセオリツ姫雅びさに、君(天照神)はたびたび階段(きさはし)を降りて姫の下に通われた。セオリツ姫は天下がる霊に向つ姫となり、遂に内宮に入られた。中宮にセオリツ姫が入られたことにより南の局が空いた為、カナヤマヒコの娘のウリフ姫ナカコを後任のスケに起用し。これを暦のウリフ月、十二人のお妃は全て機(はた)を織り、操を立てられた。
 「弟月読は 日に仕(つ)きて」、「民の政りを 助けしむ」、「伊予の二名の 治まらで」、「月読遣れば 息吹上げ 外の宮に治す」。
 天照神の弟の月読は、兄の天照神を補佐して民の祭りを手助けした。伊予の二名の国が治まらず、月読を派遣させた。月読は、勢い込んで外の宮で政治を執った。
 「千足(ちたる)国 マスヒトコクミ 怠れば」、「玉キネ告げて 日高見は 八十キネに治す」、「タカキネを 君の輔と」、「玉キネは 行きて細矛(さほこ)の」、「国を治す 宮津の宮ぞ」。
 チタル国(山陰、山口県石見銀山の方と思われる)では、マスヒト(益人、代官、役人)のコクミが政務を怠っていた。玉キネ(とよけ、五代たかみむすび)が告げて曰く「日高見国はヤソキネ(かんみむすび、六代たかみむすび)に治めさせる。タカキネを補佐にする」。玉キネは自ら出向いてサホコ(山陰)の国を治めた。宮津の宮で政務をとられた。
 「ツキスミは 島津彦より 七代統(す)む」、「今カナサキの 枝姓」、「宗像安曇 助けしむ」、「御代も豊かに 治まりて」。
 ツキスミには、島津彦の代より七代に亘って住まわれた。現在では、カナサキの枝姓(血筋、氏族)のムナカタアツミを助けられた。こうして天照神の御代は豊かに治められた。
 「八万年経て 二十二鈴」、「五百五枝初(穂)に 宮津より」、「早雉飛べば 天日神」、「急ぎマナヰに 御幸なる」、「時に玉キネ 会ひ語り」、「昔道奥(みちのく) 尽くさねば」、「ここに待つとて 授けまし」、「諸神達も 確と聞け」、「君は幾代の 御祖なり」、「これトコタチの 言宣」と」。
 八万年経て、二十二すずの五百五枝の年の初日(元旦)、宮津(現、丹後一宮籠神社)より早雉による至急の伝達が来た。伝達を受け取った天照神は急いでマナヰ(丹後)に御幸した。再開を果たした天照神と玉キネ(とよけ、五代たかみむすび)が相語り合い、「昔修得した天成道(あめなるみち)の奥儀を今こそ尽くすべし。ここに全てのものを授けよう。諸神たちも今から言うことをしっかり聞け。君(天照神)は幾代の祖親神である。これこそが、ク二トコタチの詔である」。
 「洞を閉ざして 隠れます」、「その上に建つ 朝日宮」、「君懇ろに 祀りして」、「後帰えまさん 御出車」、「留むる民を 憐みて」、「自ら政り 聞し召す」、「趣告げる キギスにて」、「ムカツ姫より 言宣し」、「高見に祀る 豊受神」。
 玉キネは、遺言を残して洞に入り閉ざされてお隠(幽)れになられた。玉キネが亡くなられた洞の上に朝日宮を建てて、君(天照神)は手厚く祀った。喪も明けた後、宮に帰ろうとして御出車(みてぐるま)に乗ると、に民がしがみついて此処に留まって下さいと懇願した。天照神はその気持ちを汲んで、この地の政治(まつり)をとることにした。天照神が朝日宮(宮津)に留まることになった事情は、特使によって中宮のムカツ姫の下へ伝えられた。ムカツ姫が天照神に代わって詔をし、高見に豊受神が祀られることになった。
 「モチコの典侍と ハヤコ内侍」、「アチコと三人 早や行きて」、「マナヰの原の 宮仕え」、「言宣あれば 門出して」、「宮津の宮に ある時に」、「君のみかりに 千足国」、「道を定めて 治む後」、「八十キネの弟 カンサヒを マスヒトとなし」、「また乙子 ツハモノ主と コクミ副え」。
 「モチコのスケ妃とハヤコ内妃と、おしもめのアチコの三人が一番にはマナヰの原の朝日宮に行って宮仕えせよ」との詔が伝えられ出発した。宮津の宮に滞在されているとき、君はチタル国(山陰)へ御狩に出かけられた。その時に、道(法、年貢の取り決めなど)を定めて治めた。ヤソキネ(六代たかみむすび、かんみむすび)の弟のカンサヒを益人(代官、役人)に任命し、更に、乙子(弟)のツハモノヌシと地元のコクミを添えて三人で政事を執らせた。
 「局留めて 帰らんと 去年より向かふ」、「局留めて 帰らんと 去年より向かふ」、「ソサノヲと アマノミチネと 門出なす」、「ネナト三月の 十五日よりぞ」、「四月の十五日に 帰ります」。
 局(つぼね、女官たち)はそのまま、そこに残して、帰ることにした。昨年より思い立ち、君は、ソサノヲとアマノミチネをお伴にして出発した。ネナト三月の十五日に帰路につき四月十五日に戻った。
 「ヒノハヤ彦に 詔」、「汝国絵を 写すべし」、「ヤマト巡りて 皆描く」。
 君はヒノハヤヒコ詔を出し、「汝、国の絵(日本全国の各地の景色)を写すべし」。ヒノハヤヒコはヤマト(日本)中をくまなく巡り、日本全国の絵を描いた。
 「君は都を 移さんと」、「オモヒカネして 造らしむ」、「成りて伊雑に 宮移し」、「ここに居ませば 向津姫」、「藤岡穴の オシホヰに」、「産野の耳に 生れませる」、「オシホミの御子 オシヒトと」、「諱を触れて 神在りの」、「餅飯賜えば 民歌ふ」。
 君(天照神)は、この絵を見て都を移そうと計画され、オモヒカネに新しい宮を造成するよう命じた。新しい宮が伊雑(いさわ、現伊雑宮、三重県志摩郡礒部町)に完成し、遷都した。この伊雑宮にお住まいになっていた時、向津姫(天照神の中宮)が藤岡穴にあるオシホヰ(忍穂井)にある産屋で出産された。これにちなんでオシホミの御子と名付けられた。いみ名をオシヒトと云う。(天照神の三番目の御子で後の世嗣ぎ皇子になる) お触れを出し、神の御心のこもった餅飯(もちい)を民に振る舞い、民はお祝いの歌を歌った。
 「先にモチコが 生む御子は」、「ホヒの命の タナヒトぞ」、「ハヤコが三つ子」、「一はタケコ 沖津島姫」、「二はタキコ 江津の島姫」、「三はタナコ 市キ島姫」、「然る後 アキコが生める」、「タタキネは アマツ彦根ぞ」、「然る後 ミチコが生める」、「ハラキネは イキツ彦根ぞ」、「豊姫は 北の内侍にて」、「ヌカタダの 熊野クスヒぞ」、「御子すべて 五男三女なり」。
 先にモチコ(ますひめもちこ、くらきねの娘、天照神のすけ妃)が生んだ御子はホヒの命のタナヒト。(天照神の最初の御子) 天照神の二番目の御子はモチコの妹のハヤコ生んだ三つ子である。一人目は実名タケコのオキツシマ姫、二人目は実名タキコのヱツノシマ姫、三人目は実名タナコのイチキシマ姫である。(後にこの三姉妹は、故あって、禊ぎのため日本全国を行脚され、宗像三姉妹とか善知鳥三女神と呼ばれることになる) その後、アキコ姫(はやあきつ姫あきこ、すけ妃、かなさきの娘)が生んだ御子はタタキネでアマツヒコネ。更にその後、ミチコ姫(やそきねの娘、おおみや姫みちこ)が生んだ御子はハラキネでイキツヒコネ。トヨ姫は北(ね)の内侍であり、が生んだ御子はヌカタダでクマノクスヒ。以上、天照神の御子は全てで五人の男の子と三人の女の子である。
 「南の殿に 橘植えて 橘の宮」、「東に桜植え 大内宮」、「自ら政り 聞こし召す」、「遍く民も 豊かなり」。
 天照神は、南(さ)の殿に橘の木を植えて橘(香久)の宮とした。東(き)の殿には桜の木を植えて大内宮とした。自ら政治をとり、民の声をお聞きになられたので、民の生活も豊かになった。
 「月読の妻 伊予津姫」、「生むモチタカは 息吹主」、「先にタラチヲ 花キネは」、「根の国細矛 領すべし」、「いまだヒルコと 御熊野の」、「臣が助けて 後の君」、「那智の若御子 ヌカタタよ」。
 天照神の弟の月読の妻はイヨツ姫と云い、生んだ御子はモチタカで息吹主(いふきぬし)と云う。先に、生みの親(垂乳男、ここではイザナギ)の御子のハナキネが根の国のサホコを治めるべしであるとして派遣されていた。姉のヒルコ姫は依然として熊野の宮におり、臣が助けて後の君となられたのは那智の若御子のヌカタタである。
 「イサナミ祀る 隈の神」、「醜女(しこめ)が魄(しゐ)を 枯らす神」、「祀れば黒き 鳥群れて カラスと名付く」。
 イサナミは熊野の神として祀られた。醜女がイサナミの魄(しゐ)に取りつき腐敗させている間、その祀りの期間、黒い鳥が群れて来たのでカラス(烏、枯らす)と名付けた。
 「イサナギは 篤(あつ)しれ給ふ ここを以て」、「淡路の宮に 隠れます」、「言は終われど 勢ひは」、「天に上りて 陽(を)を還す」、「天日分宮に 留まりて」、「闇を治します 多賀の神」。
 イサナギは「あつしれ」(病気が重く力弱まり衰えること)になり、これにより淡路の宮で亡くなった。葬儀が終ると、イサナギの御霊は天に昇り、陽(を)の神に還った。分霊は天日分宮に留まり、闇を治めている。これが多賀の神である。
 「ヤマト靖宮 引き移し」、「天野洲川(やすかわ)の ヒルコ姫」、「御子オシヒトを 養(ひた)します」、「根と細矛国 兼ね治む」、「下照姫と アチ彦と」、「伊勢を結びて  諸共に」、「ここに治めて 生む御子は」、「諱シツ彦 タチカラヲかな」。
 ヤマトヤス宮(富士山の麓の「やすくにの宮」)を天ヤスカワ滋賀県の野洲川に移した。ヒルコ姫(天照神の姉)は中宮「むかつ姫」の生んだ御子オシヒトを養育した。(後の世継ぎ御子おしほみみになる) 根とサホコの国を兼ね治めた。シタテル姫とアチヒコが夫婦になり伊勢を結び、諸神とこの地(北陸と山陰)を治めた。お生みになった御子の実名はシツ彦でタチカラヲと云う。





(私論.私見)