ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)5

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 2011.12.25日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)5、和歌の枕詞の文】
 
 わかのまくらことはのあや 
 和歌の枕詞の文
 もろかみの かみはかりして    
 諸神の 神議りして
 ものぬしか まくらことはの ゆゑおとふ    
 物主が 枕言葉の 謂を問ふ
 もろこたゑねは あちひこか    
 諸答えねば アチ彦が
 これはみそきの ふみにあり   
 これは 禊の文にあり
 もろこふときに おもひかね これときいわく     
 諸請ふ時に オモヒカネ これ説き曰く 
 ふたかみの おきつほにゐて くにうめと 
 二神の オキツボに居て 国生めど
 たみのことはの ふつくもり   
 民の言葉の 悉(ふつ)曇り
 これなおさんと かんかゑて  
 これ直さんと 考えて
 ゐねななみちの あわうたお     
 五音七七(五・七調)道の アワ歌を
 かみふそよこゑ いさなきと    
 上二十四声 イサナギと
 しもふそよこゑ いさなみと   
 下二十四声 イサナミと
 うたひつらねて をしゆれは   
 歌ひ連ねて 教ゆれば
 うたにねこゑの みちひらけ    
 歌に音声の 道開け
 たみのことはの ととのゑは    
 民の言葉の 調えば
 なかくにのなも あわくにや          
 中国の名も 阿波国や
 つくしにみゆき たちはなお
 筑紫に御幸 橘を
 うゑてとこよの みちなれは  
 植えて常世の 道なれば
 もろかみうけて たみおたす       
 諸神受けて 民を治す
 たまのをととむ みやのなも   
 魂の緒留む 宮の名も
 をとたちはなの あわきみや  
 オト橘の 阿波き宮
 みこあれませは もちきねと   
 御子生れませば モチキネと
 なつけていたる そあさくに  
 名付けて至る ソアサ国
 さくなきのこの いよつひこ  
 サクナギの子の 伊予津彦
 うたにことはお ならわせて  
 歌に言葉を 習わせて
 ふたなおもとむ あわつひこ              
 二名を求む 阿波津彦
 そさにきたりて みやつくり             
 ソサに来りて 宮造り
 しつかにゐます きしゐくに   
 静かに居ます キシヰ国
 たちはなうゑて とこよさと   
 橘植えて 常世里
 さきにすてたる ひるこひめ   
 先に捨てたる ヒルコ姫
 ふたたひめされ はなのもと   
 再び召され 花の下
 うたおをしゑて こおうめは    
 歌を教えて 子を生めば
 なもはなきねの ひとなりは   
 名もハナキネの 人態(なり)は
 いさちおたけひ しきまきや   
 騒(いさ)ちお猛び しき(頻)捲きや
 よのくまなせは ははのみに  
 世の隈成せば 母の身に
 すてところなき よのくまお   
 捨て所なき 世の隈を
 わかみにうけて もろたみの かけおつくなふ   
 我が身に受けて 諸民の 欠けを償ふ
 みくまのの みやまきやくお のそかんと   
 御熊野の 御山木焼くを 除かんと
 うむほのかみの かくつちに    
 生む火の神の カグツチに
 やかれてまさに おわるまに   
 焼かれてまさに 終る間に 
 うむつちのかみ はにやすと みつみつはめそ    
 生む土の神 ハニヤスと 水ミツハメぞ  
 かくつちと はにやすかうむ わかむすひ   
 カグツチと ハニヤスが生む 若ムスビ 
 くひはこくわに ほそはそろ  これうけみたま  
 首はこくわ(蚕桑)に ほぞ(臍)はソロ これウケミタマ
 いさなみは ありまにおさむ
 イサナミは 有馬に納む
 はなとほの ときにまつりて 
 花と穂の 時に祀りて 
 ここりひめ やからにつくる
 ココリ姫 やから(族)に告ぐる
 いさなきは おひゆきみまく   
 イサナギは 追ひ行き見まく
 ここりひめ きみこれなみそ なおきかす   
 ココリ姫 「君これな見そ」 なお聞かず
 かなしむゆえに きたるとて   
 愛しむ故に 来たるとて 
 ゆつのつけくし おとりはお   
 ゆづ(髻)のつけくし(黄楊櫛) おとり(辺)歯を 
 たひとしみれは うちたかる   
 灯とし見れば 蛆たか(集)る
 いなやしこめき きたなきと あしひきかえる     
 厭(いな)や醜女(しこめ)来 汚なきと 足退き帰る  
 そのよまた かみゆきみれは かなまこと   
 その夜また 神行き見れば かな真(まこと)
 いれすはちみす わかうらみ   
 容れず恥見す 我が恨み
 しこめやたりに おわしむる   
 醜女八人に 追わしむる
 つるきふりにけ えひなくる   
 剣振り逃げ エヒ投ぐる
 しこめとりはみ さらにおふ   
 醜女取り食み 更に追ふ
 たけくしなくる これもかみ      
 竹櫛投ぐる これも噛み
 またおひくれは もものきに    
 まだ追い来れば 桃の木に
 かくれてももの みおなくる   
 隠れて桃の 実を投ぐる
 てれはしりそく えひゆるく  
 てれば退く エヒ緩く 
 くしはつけよし もものなお おふかんつみや 
 櫛は黄楊(つげ)好し 桃の名を オフカンツミや  
 いさなみと よもつひらさか ことたちす       
 イサナミと 黄泉辺境(よもつひらさか) 言立す
 いさなみいわく うるわしや かくなささらは    
 イサナミ曰く 「麗しや かく為さざらば 
 ちかふへお ひひにくひらん       
 千頭(ちかふへ)を 日々に縊(くひ)らん」 
 いさなきも うるわしやわれ そのちゐも    
 イサナギも 「麗しや我 その千五百 
 うみてあやまち なきことお    
 生みて過ち なき事を」
 まもるよもつの ひらさかは  
 守る黄泉(よもつ)の 辺境(ひらさか)は 
 いきたゆるまの かきりいわ   
 生き絶ゆる間の 限り磐
 これちかえしの かみなりと   
 これ霊返しの 神なりと
 くやみてかえる もとつみや        
 悔みて帰る 本つ宮
 いなしこめきお そそかんと            
 穢(いな)醜女(しこめ)きを 濯(そそ)がんと
 おとなしかわに みそきして   
 オトナシ川に 禊して
 やそまかつひの  かみうみて まかりなおさん   
 八十曲(まが)つ霊(ひ)の 神生みて 曲り直さん 
 かんなおひ おおなおひかみ うみてみお   
 神直霊(かんなおひ) 大直霊神(おおなおひかみ) 生みて身を
 いさきよくして のちいたる   
 潔(いさぎよ)くして 後至る
 つくしあわきの みそきには
 筑紫阿波きの 禊には
 なかかわにうむ そこつつを   
 ナカ川に生む 底ツツヲ
 つきなかつつを うわつつを   
 次中ツツヲ 上ツツヲ
 これかなさきに まつらしむ   
 これ金サキに 祀らしむ
 またあつかわに そことなか   
 またアツ川に 底と中
 かみわたつみの みかみうむ   
 上ワタツミの 三神生む
 これむなかたに まつらしむ   
 これ宗像(むなかた)に 祀らしむ
 またしかうみに しまつひこ  
 また志賀海に 島津彦
 つきおきつひこ しかのかみ 
 次沖津彦 志賀の神
 これはあつみに まつらしむ      
 これは安曇(あづみ)に 祀らしむ
 のちあわみやに みことのり             
 後阿波宮に 詔
 みちひきのうた あわきみよ  
 導きの歌 阿波君よ 
 わかれおしくと つまおくる      
 別れ惜しくと 妻送る
 をうとはゆかす ゆけははち   
 夫は行かず 行けば恥
 しこめにおはす よしあしお        
 鬼霊に追わす 善し悪しを
 しれはあしひく よもつさか     
 知れば足退く 黄泉(よもつ)坂
 ことたちさくる うつわあり      
 言立ち栄くる 器あり
 みそきにたみの ととのいて              
 禊に民の 調いて
 いやまととほる あしひきの    
 イヤマト徹る 葦引きの
 ちゐものおたの みつほなる          
 千五百(ちゐも)の生田の 瑞穂なる
 まとのをしゑに かかんして            
 マトの教えに かかんして
 のんあわくには てんやまと      
 のん阿波国は 天ヤマト
 ひきてあかるき あしはらの             
 引きて(率きて)明るき 葦原の
 うたもさとれよ まとみちの
 歌も悟れよ マト道の
 とほらぬまえの あしひきの   
 通らぬ前の 葦引きの 
 まくらことはは うたのたね  
 枕言葉は 歌の種 
 あしひきはやま ほのほのは  
 あしひきはやま ほのぼのは
 あけぬはたまは よるのたね   
 あけぬばたまは よるの種 
 しまつとりのう おきつとり  
 島つ鳥の鵜(う) 沖つ鳥
 かもとふねなり このあちお  
 鴨と船なり この味を
 ぬはたまのよの うたまくら     
 ぬばたまの夜の 歌枕 
 さめてあかるき まえことは   
 覚めて明るき 前言葉
 こころおあかす うたのみち    
 心を明かす 歌の道
 みそきのみちは みおあかす   
 禊の道は 身を明かす
 やまとのみちの おおいなるかな       
 ヤマトの道の 大いなるかな

【(れんだいこ訳)ワカの枕詞の文】
 ワカの枕詞の文
 
 「諸神の 神議りして」、「物主が 枕言葉の 謂を問ふ」、「諸答えねば アチ彦が」、「これは 禊の文にあり」、「諸請ふ時に オモヒカネ これ説き曰く」、「二神の オキツボに居て 国生めど」、「民の言葉の 悉(ふつ)曇り」、「これ直さんと 考えて」、「五音七七道の アワ歌を」、「上二十四声 イサナギと」、「下二十四声 イサナミと」、「歌ひ連ねて 教ゆれば」、「歌に音声の 道開け」
 ある日、宮中に諸神が集い神議(かみばかり)が行われた。この時、物主が枕言葉の謂れを問うたところ誰も答えることができなかった。天照神の姉ワカ姫の夫アチヒコ(思兼命)が口を開いて云った。 「これは禊の文にあり」。諸神が「私達に是非聞かせて下さい」と請うた。オモイカネが、皆なの願いに応えて慎み深く一礼すると静かに物語を始めた。「イサナギとイサナミの両神(ふたがみ)が、今の淡海(アワウミ)の瀛壷宮(オキツボ)に居られて国造りされていた時の事。この宮で多くの国を生み治めたが、各地の言語が違うことを気にかけ言葉の乱れを正すことにした。そこで、アから始まりワで終わる四十八音を五・七調の和歌「アワ(陽陰)歌」を考案し、上(かみ)の二十四声をイサナギが歌い、下(しも)の二十四声をイサナミが歌い連ねてカダガキ(ビワの原型)を打って弾き歌い、アワ歌を教えて廻った。「アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ ヘネメオコホノ モトロソヨ ヲテレセヱツル スユンチリ シヰタラサヤワ」。アワ歌を歌うことにより言葉道が開けた。
 「民の言葉の 調えば」、「中国の名も 阿波国や」、筑紫(つくし)に御幸 橘を」、「植えてトコヨの 道成れば」、「諸神受けて 民を治す」。
 民の言葉が整ったことにより、中(なか)国の名はアワ国と呼称が定まった。両神(ふたかみ)は筑紫(つくし)に御幸されて橘を植え、クニトコタチの理想郷トコヨの道を広めた。諸神がこれを受け入れ、民を治めた。
 「魂の緒留む 宮の名も」、「オト橘の 阿波き宮」、「御子生れませば モチキネと」、「名付けて至る ソアサ国」、「サクナギの子の 伊予津彦」、「歌に言葉を 習わせて」、「二名を求む 阿波津彦」。「ソサに来りて 宮造り」、「静かに居ます キシヰ国」、「橘植えて トコヨ里」。
 諸神は、君の偉大な御霊(たま)の緒(お)を留める宮の名をオト橘のの阿波キ宮(緒止橘之阿波岐宮)と名付けた。この宮で生まれた三番目の御子の名をモチギネ(月夜見命)と名付けた。その後君はソアサ国(四国)へと行幸し、この地を治めていたサクナギの子のイヨツヒコ(伊予津彦)にアワ歌を伝授した。イヨツヒコはアワ歌を教え広めた。イサナギとイサナミの両神(ふたがみ)を慕う阿波津彦はソサに来て二命を祀る宮を造った。これによりアワ、イヨの両国を治めた。イサナギはアワツヒコソサ(南紀伊)の渚に来(キ)たりて宮を造り、静(シず)かに居(イ)たので、この地をキシイ国(紀州)と名付けた。ここでも橘の花を植えて理想郷のトコヨ里(常世)を造った。
 「先に捨てたる ヒルコ姫」、「再び召され 花の下」、「歌を教えて 子を生めば」、「名もハナキネの 人態(なり)は」、「騒(いさ)ちお猛び しし(頻)捲きや」、「世の隈成せば 母の身に」、「捨て所なき 世の隈を」、「我が身に受けて 諸民の 欠けを償ふ」。
 先に身のオエ(汚れ)を流すために捨てられた天照神の姉ヒルコ姫が再び両親(イサナギ・イサナミ)の元に召されて、今はこの宮の花の下で暮らしていた。イサナミがヒルコ姫に和歌の手解(てほど)きをしている時、第四子をお生みになり、その子の名をハナキネ(花杵・素戔鳴)と名付けた。ハナキネが長ずるに及び見せた性情は、騒々しく荒々しく、ある時はしし(頻)捲きをする等、世にクマ(災い)を為していた。母イサナミは、息子ハナキネの扱いに苦しみぬいた末に心の内を明かした。「為す術(すべ)もなく途方に暮れ、唯、私にできるのは、世間に大変御迷惑をかけた悪事を全て我が身に受けて責任をとり、諸民の損害を償うのみです」。
 「御熊野の 御山木焼くを 除かんと」、「生む火の神の カグツチに」、「焼かれてまさに 終る間に」、「生む土の神 ハニヤスと 水ミツハメぞ」、「カグツチと ハニヤスが生む 若御ムスビ」、「頭はこくわ(蚕桑)に ほぞ(臍)はソロ これウケミタマ」。
 ハナキネが熊野三山に火を放ち山林火災を起こした。母イサナミが山火事を消火しようとして火の神のカグツチ(迦具土)を生んだ。ところが、火にまかれて焼死してしまった。 この死の間際に生んだ神の名は土の神のハニヤス(埴安姫)と水神のミズハメ(網象女)。このカグツチとハニヤスが結ばれて生まれ出た神の名をワカムスビ(稚産霊)と云う。この神の首(頭)からは蚕(かいこ)と桑が生え出て、濟(へそ)からは稲が生え出てきた。後に人々はこの養蚕と稲をつかさどる神を崇めてウケミタマ(宇迦御魂神・稲荷神)として祀った。
 「イサナミは 有馬に納む」、「花と穂の 時に祀りて」、「ココリ姫 やから(族)に告ぐる」。
 イサナミの亡骸(なきがら)は、アリマ(有馬)に納められた。花と穂で季節に応じて祀るよう、ココリ姫がやから(族、土地の者)に告げた。
 「イサナギは 追ひ行き見まく」、「ココリ姫 君これな見そ なお聞かず」、「愛しむ故に 来たるとて」、「ゆづ(髻)のつけくし(黄楊櫛) おとり(辺)歯を」、「灯とし見れば 蛆たか(集)る」、「厭(いな)や醜女(しこめ)来 汚なきと 足退き帰る」、「その夜また 神行き見れば かな真(まこと)」、「入れず恥見す 我が恨み」、「醜女八人に 追わしむる」。
 イサナギが、イサナミの後を追って亡骸を見に行きたいと申し出たところ、ココリ姫は念を押すようにイサナギに強い口調で告げた。「君、これな見そ」(君よ、死体を絶対見てはなりません)。イサナギは聞かず、「我が最愛の妻を突然なくし、悲しみにいたたまれずこうしてやって来たのだ。誰が何と言おうともう一度妻に会わずにはいられないのだ」としてイサナミの亡骸を見にやって来た。イサナギは、頭に差していた黄楊(つげ)の櫛(くし)の雄鳥歯(おとりば)に火を付けダビ(手火)にして明りを近づけて見ると、腐乱した死体に蛆(うじ)がたかり所かまわず這い回っていた。醜女(しこめ)が来たが、あまりの汚さにゾッとして不気味な洞から足を引き返し逃げ帰った。その夜また、妻への恋しさに耐え兼ねて姿を見に行ったところ心底驚いた。イサナミが現われて恨めし気に言い放った。「入ってはならないと云っていたのにやって来た、私の恥の姿を見られてしまった。我が恨みである」。かく述べて、醜女八入(しこめヤタリ)にイサナギを捕らえるよう言い渡した。
 「剣振り逃げ エヒ(葡萄)投ぐる」、「醜女取り食み 更に追ふ」、「竹櫛投ぐる これも噛み」、「まだ追い来れば 桃の木に」、「隠れて桃の 実を投ぐる」、「てれば退く エヒ(葡萄)緩く」、「櫛は黄楊(つげ)好し 桃の名を オフカンツミや」。
 イサナギは恐ろしい醜女の追跡に剣を振りながら命からがら逃げ出した。途中でエビ(ぶどう)を摘んで投げつけると醜女等は我先に競って食らいついたので、一旦ほっとしたのも束の間、更に追いついて来た。今度は竹櫛(たけぐし)を投げるとこれも又噛み食らい、また追って来るので、近くの桃の木に身を隠して、桃の果を投げつけた。すると不思議なことに醜女等は全員退散して恐ろしい逃走は終わった。この時、君いわく、「鬼から逃れるには、エビ(ぶどう)を投げれば一時避けられ、黄楊(つげ)櫛は鬼を払うに竹櫛より勝れているようだ。桃こそは見事に鬼を退散させて悪夢から救ってくれた。その功によりオオカンズミ(大神津果)の神名を賜おう」。
 「イサナミと 黄泉辺境(よもつひらさか) 言立す」、「イサナミ曰く 麗しや」、「かく為さざらば 千頭(ちかふへ)を 日々に縊(くひ)らん」、「イサナギも 麗しや我」、「その千五百 生みて誤ち 無き事を」、「守る黄泉(よもつ)の 辺境(ひらさか)は」、「生き絶ゆる間の 限り磐」、「これ霊返しの 神なりと」、「悔みて帰る 本つ宮」。
 イサナミが現われ、黄泉辺境(よもつひらさか)で、言い争った。イサナミ曰く「麗しや。こうなった以上、あなたの族(やから)千人の頭(こうべ・首)を日々絞め殺してみせます」。イサナギも答えて曰く、「麗しや我、それなら我は毎日千五百人を新たに生んで国を再生し、二度と過ちを犯さぬ事を誓ってみせよう」。こうして、黄泉辺境(よもつひらさか)が生死の境を仕切る磐となった。イサナギはこの岩座(いわくら)を「これ霊返しの神なり」と名付けてた。悔みつつ本宮に帰った。
 「穢(いな)醜女(しこめ)きを 濯(そそ)がんと」、「オトナシ川に 禊して」、「ヤソマカツヒの 神生みて 曲り直さん」、「神直霊(かんなおひ) 大直霊神(おおなおひかみ) 生みて身を」、「潔(いさぎよ)くして 後至る」。
 イサナギは、汚ない醜女(しこめ)の汚れを濯(そそ)ごうとして音無川(オトナシガワ)で禊(みそぎ)をして新たな神々を次々と創造した。まずヤソマカツヒ(八十真光津日)の神を生んで、心を素直にしようとした。カンナオヒ(神直日神)、続いてオオナカヒ(大直日神)神を生み心身を清潔(いさぎ)にした。
 「筑紫阿波きの 禊には」、「ナカ川に生む 底ツツヲ」、「次中ツツヲ 上ツツヲ」、「これカナサキに 祀らしむ」、「またアツ川に 底と中」、「上ワタツミの 三神生む」、「これ宗像(むなかた)に 祀らしむ」、「また志賀海に 島津彦」、「次沖津彦 志賀の神」、「これは安曇(あづみ)に 祀らしむ」。
 この後、イサナギは筑紫(ツクシ、九州)に御幸し、ナカ川で禊した時、底ヅツオ(底筒男)、次に中ヅツオ(中筒男)、上ヅツオ(上筒男)の三神を生み、この神をカナサキ(金折命・住吉神)に祀らせた。又、アツ川で、底と中、上のワタツミ三神を生み、ムナカタ(宗像)に祀らせた。又、シガ海ではシマツヒコ(島津彦)、次オキツヒコ(沖津彦)、シガノ神(志賀彦)の三神を生み、これはアズミ(安曇命)に祀らせた。
 「後阿波宮に 詔」、「導きの歌 阿波君よ」、「別れ惜しくと 妻送る」、「夫は行かず 行けば恥」、「鬼霊に追わす 善し悪しを」、「知れば足退く 黄泉(よもつ)坂」、「言立ち栄くる 器あり」。
 イサナギは再びアワ宮(淡海)に帰ると間もなくトヨケ(豊受神)からイサナギに詔があった。導きの歌「アワ君よ 別れ惜しくと 妻葬送(オク)る。夫(オウト・追人)は行かず 行けば(妻)恥。醜女(しこめ)に追わす善し悪しを 知れば足引(あしひ)く 黄泉坂(ヨモツサカ)。言立ち栄くる器あり」。
 「禊に民の 調いて」、「イヤマト徹る 葦引きの」、「千五百(ちゐも)の生田の 瑞穂なる」、「マトの教えに かかんして」、「のん阿波国は 天ヤマト」、「引きて(率きて)明るき 葦原の」、「歌も悟れよ マト道の」、「通らぬ前の 葦引きの」、「枕言葉は 歌の種」。
 禊の効で民の暮しも整い国の平和が蘇った。大八洲(オオヤシマ)の隅々にまで言葉が通じ合うようになり、クニトコタチ以来の人の道の真(まこと)を伝える瓊(ト)の教えも益々行き渡った。葦引(あしび)きの千五百(チイオ)反の小田の瑞穂も秋の実りを迎えた。ヤマト(大日本)の言源にもなったヤマト(弥真瓊・イヤますます・マことの・ト)の教えがカカン(かがり火)して、ノン(祝詞・のりと)をアワ国に奉げ、デン(神鈴・拍手)を打って、ヤマトの国の豊穰(ほうじょう)と案寧(あんねい)を祈った。葦を引き抜いて水田となし豊かな実りを得て明るい葦原の国となった。歌の道とは、まだ世の中が乱れてお互い言葉もまちまちで通ぜず、真瓊道(マトミチ)が行き渡っていない暗い時代のイサナギ・イサナミの国生みの苦労が「足引きの」枕言葉として後世まで記憶され歌の種として伝えられた。
 「あしひきはやま ほのぼのは」、「あけぬばたまは よるの種」、「島つ鳥の鵜(う) 沖つ鳥 鴨と船なり」、「この味を ぬばたまの夜の 歌枕」、「覚めて明るき 前言葉」、「心を明かす 歌の道」、「禊の道は 身を明かす」、「ヤマトの道の 大いなるかな」。
 足引きの葉山は峰にかかり、仄仄(ほのぼの)としている。明けの「射干玉(ぬばたま)」は闇にかかり真黒(まっくろ)の種である。島つ鳥の鵜(う)と沖つ鳥は鴨(かも)と船のようなもの。この絶妙の味を説くのが射干玉(ぬばたま)の様な歌枕であり、「覚めて明るき 前言葉」となる。「心を解くのが和歌(うた)の道、禊(みそぎ)の道は身を潔(あか)す。両道合わせるのがヤマトの道であり、なんと偉大なることであろうか」。

 【れんだいこ解説)】
 和歌の枕言葉の紋、イサナギ・イサナミと和歌の枕言葉
 
「ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)1、東西(きつ)の名と穂(ほ)虫去る紋」はホツマ伝えの巻頭に相応しい幾つもの最重要なことを伝えている。最初に、和歌の道は日本文化の粋とも云うべきもので、和歌姫の神によって究められたことを知らせている。その和歌姫の生い立ちから、育てられ方、成人後の活躍の様子が記されている。この下りで、日本に於ける子育ての風習、儀式を知ることができる。日本が昔から子供を大事にしており、嬰児の頃より格別の愛情を注いでいることが分かる。次いで、和歌は、天地自然の理を踏まえた「アワの48音」からなる日本言語を自由自在に五七調で詠うものであり、歌であると同時に思想であり感情表現であり諸々の御教えになっていることを明らかにしている。ホツマ伝えは、このことを最初に説いており、この両者が究めて重要なものであることを知らせている。

 続いて、東南西北央の方位方角の由来を伝えている。後段の和歌の道の下りによると、日本がこの時既に正確な暦を持っており、しかも太陽暦であったことが分かる。その太陽暦を芯として太陰暦を重ねていたことが分かる。これが日本の暦法であり、古くより確立されていたことが分かる。その他、「ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)1、東西(きつ)の名と穂(ほ)虫去る紋」の諸説明の内容は、まさに縄文日本の思想の根本であり、その中心に和歌の道があったことを伝えている。






(私論.私見)