ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)4

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).3.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)4、日の神の瑞御名の紋」を説き分ける。「ウィキペディアのホツマツタヱ」、「ホツマツタエ 天の巻 4アヤ アマテル神の誕生と即位」、「」その他を参照する。

 2011.12.25日 


【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)4、日の神の瑞御名の紋】
 
 ひのかみの みつみなのあや
 日の神の 瑞(みず)御名の文
 (大山祗)
 もろかみの かみはかりなす たかまにて 
 諸神の 神議りなす 高マにて
 おおものぬしか ひのかみの  
 大物主が 日の神の
 ゐみなのあやお もろにとふ
 諱(いみ名)の綾を 諸に問ふ 
 おおやますみの こたえには 
 大山祗(オオヤマズミ)の 答えには
 みをやのしるす うたにあり
 「御祖の記す 歌にあり」
 もろかみこえは やますみか つつしみいわく
 諸神請えば 山祗が 謹み曰く
 (秀真(ほつま)の日高見国)
 むかしこの くにとこたちの やくたりこ
 「昔この 国常立の 八降り子
 きくさおつとの ほつまくに
 木草を苞(つと)の ホツマ国
 ひかしはるかに なみたかく 
 東遥かに 波高く
 たちのほるひの ひたかみや
 立ち昇る日の 日高見や」
 たかみむすひと くにすへて
 高御産霊(みむすび)と 国統て 
 とこよのはなお はらみやま かくやまとなす 
 常世の花を 原見山(蓬莱山) 香久山となす
 (豊受神の悩み)
 ゐもつきの まさかきもうゑ よようけて 
 五百継ぎの 真栄木も値え 世々承けて
 をさむゐつよの みむすひの
 治む五代(いつよ)の 御産霊(みむすび)の
 ゐみなたまきね もとあけお
 諱(ゐみな)玉キネ 元明けを
 うつすたかまに あめみをや
 映す高マに 天御祖(あめみおや)
 もともとあなみ みそふかみ
 元々天並 三十ニ神
 まつれはたみの とよけかみ 
 祀れぱ民の 豊受神 
 ひかしのきみと みちうけて 
 東の君と 道うけて
 おおなゑことも まさかきの
 大嘗事(おおなえごと)も 真榊の 
 むよろにつきて ウゑつきは
 六万に継ぎて 植え継ぎは
 ふそひのすすの としすてに
 二十一の鈴の 年既に
 もふそよろなち ゐもふそに   
 百二十万七千 五百二十に 
 かんかみれとも かんまこの 
 鑑みれども 神孫の
 ちゐもうしある そのなかに 
 千五百大人(うし)ある その中に
 あめのみちゑて ひとくさの
 天の道得て 人草の
 なけきおやわす かみあらす 
 嘆きを和す 神あらず 
 (豊受神の禊)
 あらねはみちも つきんかと
 あらねば道も 尽きんかと
 なけくとよけの はらみやま 
 嘆く豊受の 原見山
 のほりてみれと やしまなる 
 登りて見れど 八州(やしま)なる
 よろますたみも うくめきて
 万増す民も 蠢(うごめ)きて 
 みちならえぬも ことわりと 
 道習えぬも 理と
 やはりなけきて ひたかみの
 やはり嘆きて 日高見の
 みやにかえれは いさなみの
 宮に帰れば イサナミの 
 ちちにもふして よつきこも 
 父に申して 世嗣子も
 かなとおほせは うらなひて
 がなと覚せば 占ひて
 つきかつらきの いとりやま
 ツキ葛城(かつらぎ)の 斎鳥(いとり)山
 よつきやしろの いろしては
 世嗣社の 色垂(しで)は
 あめのみをやに いのらんと
 天御祖に 祈らんと 
 とよけみつから みそきして    
 豊受自ら 禊して
 やちくらちきり ぬきんつる
 八千座契り 抜きんづる
 (豊受神の祈りの霊験)
 いつちかみのり とほりてそ 
 厳霊(いづち)神法(のり) 通りてぞ 
 あめのみをやの まなこより 
 天御祖の 眼より 
 もるるひつきと あもとかみ
 漏るる日月と 天元(あもと)神
 みそふのかみの まもるゆえ 
 三十二の神の 守る故
 こたねなること おほゑます 
 子種成ること 覚えます
 (イサナギのアグリ請)
 このころきみは はらみやま のほりていわく 
 この頃君は 原見山 登りて曰く
 もろともに くにくにめくり たみおたし
 「諸共に 国々廻り 民を治し 
 ひめみこうめと つきこなく 
 姫御子生めど 嗣ぎ子なく  
 たのしなきとて いけみつに 
 楽しなき」とて 池水に
 たのめおあらひ ひるにのり 
 左の目を洗ひ 日霊(ひる)に祈(の)り
 かのめおあらひ つきにのり
 右の目を洗ひ 月に祈り
 いしこりとめか ますかかみ いつくりすすむ
 石コリトメが 真澄(ます)鏡 鋳造り進む  
 いさなきは あめおしらする うつのこお 
 イサナギは 天を治らする うつの子を 
 うまんおもひの ますかかみ 
 生まん思ひの マス鏡
 まてにひるつき なつらえて
 両手に日霊(ひる)月 擬(なづ)らえて
 かみなりいてん ことおこひ
 神生(な)り出でん 事を請ひ
 くひめくるまに あくりこふ    
 頭(くひ)回(めぐ)る間に  アグリ請ふ  
 (イサナギ、イサナミの御交合その1)
 かくひおつみて みたまいる
 かく日を積みて 霊魂(みたま)入る
 かとはちりけの あやところ
 門はチリケ(身柱)の 綾所
 おこなひちかに なるころは
 行ひ千日に なる頃は
 しらはきそみて さくらいろ 
 白脛染みて 桜色
 あるひをかみか をゑとえは  
 ある日男神が ヲエ(汚穢)問えば
 ひめのこたえは つきのをえ
 姫の答えは 月の汚穢
 なかれととまり みかののち  
 流れ止まり 三日の後
 みのきよけれは ひまちすと  
 身の清ければ 日待ちすと
 をかみもゑみて もろともに
 男神も笑(え)みて 諸共に
 おかむひのわの とひくたり
 拝む日輪の 飛び下り
 ふたかみのまえ おちととむ
 二神の前 落ち留む
 おもわすいたく ゆめここち   
 思わず抱く 夢心地
 さめてうるほひ こころよく 
 覚めて潤ひ 快く
 (イサナギ、イサナミの御交合その2)
 みやにかえれは やますみか ささみきすすむ
 宮に帰れば 山祇が 笹酒勧む
 かれをかみ とこみきしるや
 故男神  「床酒知るや」  
 めのこたえ ことさかのをか みちきけは
 女の答え 「コトサカノヲが 道聞けば
 とこみきはまつ めかのみて のちをにすすむ
 床酒は先ず 女が飲みて 後男に勧む
 とこいりの めはことあけす  
 床入の 女は言挙げず  
 をのよそい めかしりとつく
 男のよそい 女が知り婚ぐ  
 したつゆお すえはたかひに うちとけて 
 舌露を 吸えば互いに 打ち融けて
 たましまかわの うちみやに 
 玉島川の 内宮に
 やとるこたねの とつきのり
 宿る子種の 婚ぎ法
 こおととのふる とこみきは
 子を調ふる 床酒は
 くにうむみちの をしゑそと
 国生む道の 教えぞと
 (天照神の誕生)
 かくましわりて はらめとも 
 かく交わりて 孕めども
 とつきにうます としつきお
 十月に生まず 年月を 
 ふれともやはり  やめるかと
 経れどもやはり 病めるかと
 こころいためて こそむつき
 心傷めて 九十六月
 ややそなわりて あれませる 
 やや備わりて 生(あ)れませる 
 あまてるかみそ
 天照神ぞ
 ふそひすす ももふそゐゑた としきしゑ
 二十一鈴 百二十五枝 年キシヱ
 はつひほのほの いつるとき  
 初日ほのぼの 出づる時  
 ともにあれます みかたちの 
 共に生れます 御形の
 まとかのたまこ いふかしや 
 円の玉籠 訝かしや 
 (天照神誕生の寿ぎ)
 うをやをきなの やますみか ことほきうたふ  
 大老翁の 山祇が 寿(ことほ)ぎ歌ふ
 むへなるや ゆきのよろし もみよつきも
 「むべなるや 幸の喜も 御世嗣も
 よよのさいわひ ひらけりと
 弥々の幸 開けり」と 
 おほよすからに ことふくも 
 オオヨスガラ(栄よ優ら)に 寿くも
 みたひにおよふ ゆきよろし 
 三度に及ぶ 幸(ゆき)喜(よろ)し
 ひとのとわしの こたゑにも
 人の問わしの 答えにも
 とよけのかみの をしゑあり 
 豊受の神の 教えあり
 さわるいそらの みそきにて
 障るイソラの 禊にて
 ゑなのかこみは おのころの
 胞衣の囲みは オノコロの
 たまことならは ゆきよろし
 玉籠と成らば 幸喜(ゆきよろし)
 ひらけとて いちゐのはなの さくもちて
 開けとて 一位の花の 笏(さく)持ちて
 いまこそひらく あまのとや
 今こそ開く 天の戸や
 いつるわかひの かかやきて
 出づる若日の 輝きて  
 しらやまひめは うふゆなす
 白山姫は 産湯なす
 あかひこくわに ひくいとお
 アカ彦桑に 引く糸を  
 なつめかおりて うふきぬの  
 ナツメが織りて 生絹(うぶきぬ)の 
 みはたてまつる
 御衣(みはた)テ奉る
 (天照神の瞳開け)
 たらちめの つかれにちしる ほそけれは 
 タラチ女の 疲れに乳汁 細ければ
 ほいゐのかみの みちつひめ
 ホイヰの神の ミチツ姫
 ちちたてまつり ひたすれと   
 乳奉り 養(ひた)すれど
 ひとみおとちて つきひなく(や) 
 瞳を閉ぢて 月日なく(や) 
 たまのいわとお ややはつあきの もちのひに    
 玉の岩戸を やや初秋の 望の日に
 ひらくひとみの よろこひに 
 開く瞳の 喜びに
 つかれもきゆる みめくみや
 疲れも消ゆる 御恵みや
 あめにたなひく しらくもの
 天にたなびく 白雲の
 かかるやみねの ふるあられ  
 架かる八峰の 降る霰(あられ)
 ひすみにこたま このみつお
 弥州(ひすみ)に反響(こだま)  この瑞(みつ)を
 ぬのもてつくる やとよはた 
 布もて作る 八豊幡 
 やすみにたてて きみとなる 
 八隅に立てて 君となる
 くらゐのやまの いちゐさく
 位の山の 一位笏
 よになからゑて さくもつは 
 世に長らえて 笏持つは 
 かみのほすゑそ
 神の穂末ぞ
 (ウヒルキ(大日霊貴)のいみ名)
 おはひめか こゑねのくにに
 叔母姫が 越根の国に
 みはおりて たてまつるとき  
 御衣織りて 奉る時
 なくみこの こゑききとれは あなうれし
 泣く御子の 声聞き取れば 「あな嬉し」
 これよりもろか なおこひて
 これより諸が 名を請ひて 
 おはよりとえは うひるきと
 叔母より問えば ウヒルキ(大日霊貴)と
 みつからこたふ みこのこゑ
 自ら答ふ 御子の声
 きききるときは おさななの
 聞き切る時は 幼な名の
 うはおおいなり ひはひのわ 
 ウは大いなり ヒは日の輪  
 るはひのちたま きはきねそ 
 ルは日の霊魂 キは熟(きね)ぞ  
 かれうひるきの みことなり
 故ウヒルキの 命(みこと)なり 
 きねはめをとの をのきみそ
 キネは女男の 男の君ぞ
 ふたかみおはお たたゑます
 二神叔母を 称えます
 きくきりひめも あなかしこかな
 菊桐姫も あな畏(かしこ)かな
 (天照御子の生育)
 あかたまの わかひるのるは あおきたま
 明玉の 若日の霊は(明けの太陽) 青き魂
 くれひのみたま ぬはたまなりき  
 暮日の霊魂 ぬばたまなりき
 ひさかたの ひかりあれます ういなめゑ
 久方の 光生れます 初嘗会(ういなめゑ)
 あゆきわすきに つけまつり 
 天(あ)ユキ地(わ)スキに 告げ祀り
 みこひたさんと ふたかみの
 御子養さんと 二神の
 みこころつくす あまのはら
 御心尽す 天の原
 そむほゐますも ひとひとそ
 十六年居ますも 一日(ひとひ)とぞ
 おほすはめくみ あつきなり
 思すは恵み 篤きなり
 (天照御子の玉キネ預け)
 むかしたまきね ちかいして
 昔玉キネ 誓いして
 かつらきやまの やちみそき 
 葛城山の 八千禊
 すみていとりの てくるまお
 済みて斎鳥(いとり)の 出車を
 つくりかつらの むかひとて
 造り桂の 迎ひとて
 はらみにつたふ あるかたち
 原見に伝ふ ある形 (経緯) 
 ふたかみゆめの ここちにて  
 二神夢の 心地にて
 あひみたまえは とよけにて  
 会ひ見給えば 豊受にて
 あめみこひたす ものかたり
 天御子養す 物語り  
 めすてくるまお ひたかみゑ 
 召す出車を 日高見へ 
 みゆきのきみは やふさこし
 御幸の君は 八房輿
 おちつもはへる けたこしも
 御乳つ母(も)侍る 方輿(けたこし)も
 みなけたつほの やまてみや
 皆ケタツボの ヤマテ宮
 みこのひかりの てりとほり 
 御子の光の 照り通り
 やもにこかねの はなさけは 
 八方に黄金の 花咲けば
 ひのわかみやの わかひとと
 日の分宮の 若人と
 とよけゐみなお たてまつる 
 豊受諱を 奉る
 (天照御子の学問)
 ふたかみおそれ わかみやに 
 二神畏れ 若宮に
 むへそたてしと あめにあけ
 むべ育てじと 天に上げ
 おきつのみやに かえります 
 沖津の宮に 帰ります
 あめみこまなふ あめのみち
 天御子学ぶ 天の道
 ひとりはんへる ふりまろは
 一人侍んべる フリマロは
 むよやそきねの よつきこそ
 六代ヤソキネの 世嗣子ぞ
 たかみむすひの ゐつよきみ
 高御ムスビの 五代君 
 ひことにのほる あまつみや 
 日毎に上る 天つ宮
 わかひとふかく みちおほす  
 若人深く 道を欲す
 (天照御子の質問)
 あるひのとひに まことなお ゐみなとたたゑ
 ある日の問に 真(まこと)名を 諱と称え
 あねにみつ われはよつなり これいかん 
 姉に三つ 我は四つなり これ如何ん  
 たまきねいわく ゐみなには
 玉キネ曰く 諱には
 たらによつきに なとのりと あわせよつなり 
 父母に世嗣に 名とノりと 合せ四つなり
 あまつきみ ひよりとまてお つくすゆゑ
 天つ君 一(ヒ)より十(ト)までを 尽す故
 ひとにのります きねとひこ うしものりなり 
 ヒトに乗ります キネとヒコ ウシも乗りなり
 めはのらす ふたをやふたつ をにうけて    
 女は乗らず 二親二つ 男に受けて 
 こおうむゆえに なにこひめ またこなにひめ     
 子を生む故に 何子姫 また子何姫
 なにおとも おなにともつく
 何おとも  お何とも付く
 めのなみつ をのなのりよつ
 女の名三つ  男の名乗り四つ
 たたゑなは いくらもつけよ
 称え名は 幾らも付けよ
 ゐみなとは しむにとほれは まことなるかな   
 諱とは 血脈(しむ)に通れば 真なるかな

【(れんだいこ訳)日の神の瑞御名の文】
 日の神の 瑞(みづ)御名の文
 (大山祗)
 「諸神の 神議りなす」、「高マにて 大物主が」、「日の神の いみ名(諱)の綾(謂れ由来)を 諸に問ふ」、「大山祗(オオヤマスミ)の 答えには」、「御祖の記す 歌にあり」、「諸神請えば 山祗が 謹み曰く」。
 諸々の守(重臣)が集まってイサワの宮の高天(原)で神議りが行われた際、大物主クシ彦が、日の神として崇められている大御神の生い立ちと、ワカヒトという斎名(ヰミナ)の由来について問うた。この問に対して、大山祗が、御祖の記す歌にその事が書かれていますと答えた。諸守が「是非ともそれをお聞かせ下さい」と請うたので、謹(つつ)しみかしこまってその長歌に解説を加えながら次のように語り始めた。
 (秀真(ほつま)の日高見国)
 「昔この 国常立の 八降り子」、「木草を苞(つと)の 秀真(ほつま)国」、「東遥かに 波高く」、「立ち昇る日の 日高見や」、「高御ムスヒと 国統て」、「常世の花を 原見山(蓬莱山) 香久山となす」。
 「昔、この国を最初に開いた天神初代にあたる国常立(クニトコタチ)には八人の御子クニサツチが生まれ、その御子が事績を継いで、八方に天降る)して、それぞれの国を治めた。 そのうちの一人が、木や草をお土産に持って「ほつま(秀真)国」に天降り、東遥かに波高く立ち昇る日の日高見国を治めた。クニサツチは、既にこの地方を治めていた「高皇産霊(タカミムスビ)」と共にこの国を統治しました。常世の花(建国のシンボルである橘、たちばなの花)を「はらみ(蓬莱参)山」(現富士山)に植えて、天の香久山と称えた。クニトコタチ以来、暦の木として代々の天神が植え継いで来たマサカキも多くを数え、世も移り変わったが、代々のタカミムスビは常に天神を後見して国政を補佐し、主に祭祀を執り行う役割を担っていた。
 (豊受神)
 「五百継ぎの 真栄木も値え 世々承けて」、「治む五代(いつよ)の 御産霊(みむすび)の」、「諱(いみ名)玉キネ 元明けを」、「映す高マに 天御祖(あめみおや)」、「元々天並 三十ニ神」、「祀れぱ民の 豊受神」、「東の君と 道うけて」、「大嘗事(おおなえごと)も 真榊の」、「六万に継ぎて 植え継ぎは」、「二十一の鈴の 年既に」、「百二十万七千 五百二十に」、「鑑みれども 神孫の」、「千五百大人(うし)ある その中に」、「天の道得て 人草の」、「嘆きを和す 神あらず」、「あらねば道も 尽きんかと」。
 ヤマトの国は、クニトコタチ以来、暦の木として代々の天神が五百継ぎの真栄木も値え、世々承けて治めて参った。五代目の御産霊の諱(いみ名)玉気根(タマキネ)が天御祖神信仰を国家宗教儀式として確立し、元明を映す高天(原)に居られる天御祖(あめみをや)、元基天並(もともとあなみ)の三十ニ神を祀りました。民の豊受神は、東の君と慕われて、「くにとこたち」の定めた天成道(あめなるみち)を受け継いで、大嘗(おおなゑ)事(大嘗祭)を司りました。真榊(真栄木)の六万に継ぎて、植え継ぎは21の鈴の年既に百二十万七千五百二十年を経ました。クニトコタチ以来の天神の血筋を引く神孫は千五百も数え上げる事ができたが、その多々ある中で天の道を得て万民を導き、人々を生の苦しみから少しでも救済するほどの徳を持った人物は見当たらなかった。
 (豊受神の禊)
 「あらねば道も 尽きんかと」、「嘆く豊受の 原見山」、「登りて見れど 八州(やしま)なる」、「万増す民も 蠢(うごめ)きて」、「道習えぬも 理と」、「やはり嘆きて 日高見の」、「宮に帰れば イサナミの」、「父に申して 世嗣子も」、「がなと覚せば 占ひて」、「ツキ葛城(かつらぎ)の 斎鳥(いとり)山」、「世嗣社の 色垂(しで)は」、「天御祖に 祈らんと」、「豊受自ら 禊して」、「八千座契り 抜きんづる」。
 豊受は道も尽きんかと悩み嘆いてハラミ山に登りて試案を凝らした。「八州なる万増す民も蠢きて道習えぬも理」と嘆きつつ日高見の宮に帰った。イサナミが父の豊受に心情を訴えた。「何とかにて世嗣ぎ子が欲しいのですが、授かりません」。豊受も同じことを考えていたのでフトマニで占ったところ、ツキ葛城の斎鳥(いとり)山に世継ぎ社(やしろ)を建てて色幣(いろしで)を奉げ、天御祖神(アメノミヲヤ)に祈るが良いと託宣された。豊受の神は自ら禊して、途方もない企ての八千回の禊を契った。
 (豊受神の祈りの霊験)
 「厳霊(いづち)神法(のり) 通りてぞ」、「天御祖の 眼より」、「漏るる日月と 天元(あもと)神」、「三十二の神の 守る故」、「子種成ること 覚えます」。
 厳そかな祈りが聞き届けられたかのように、天御祖神(アメノミヲヤ)の眼より漏るる日月と天元(あもと)神、三十二の神の守護を得て、子種成る感覚を覚えた。
 (イサナギのアグリ請)
 「この頃君は ハラミ山 登りて曰く」、「諸共に 国々廻り 民を治し」、「姫御子生めど 嗣ぎ子なく」、「楽しなきとて 池水に」、「左の目を洗ひ 日霊(ひる)に祈(の)り」、「右の目を洗ひ 月に祈り」、「石コリトメが 真澄(ます)鏡 鋳造り進む」、「イサナギは 天を治らする うつの子を」、「生まん思ひの 真澄鏡」、「両手に日霊(ひる)月 擬(なづ)らえて」、「神生(な)り出でん 事を請ひ」、「頭(くひ)回(めぐ)る間に アグリ請ふ」。
 この頃、君はハラミ山(富士山)に登りてこう語られた。曰く、 「二人で一緒に国々を巡って民を平和に豊かに治めてきたが、姫御子は生まれたものの世継ぎになる男の子に恵まれない。先のことを考えると気が重く楽しくありません」。君は「はらみ山」の山頂にある子代池(このしろ池)の水で左の目を洗ひ、日の出を待って日の神に日霊(ひる)に祈った。右の目を洗ひ夜を待ち月に祈った。両神の擁立者の中でも鋳造技術では随一のイシコリトメがマス鏡(真澄鏡)を鋳造り奉った。イサナギは、天地を領(治)める「うつ」(尊い)の子を生もうと願い、マス鏡を両手に持って日・月になぞらえて(神に見立てて)、神の感応と降臨を請い願った。富士山の首巡り(お鉢巡り、道巡り)の行をして、「あぐり」(天恵・天霊降)を請い願った。
 (イサナギ、イサナミの御交合その1)
 「かく日を積みて 霊魂(みたま)入る」、「門はチリケ(身柱)の 綾所」、「行ひ千日に なる頃は」、「白脛染みて 桜色」、「ある日男神が ヲエ(汚穢)問えば」、「姫の答えは 月の汚穢」、「流れ止まり 三日の後」、「身の清ければ 日待ちすと」、「男神も笑(え)みて 諸共に」、「拝む日輪の 飛び下り」、「二神の前 落ち留む」、「思わず抱く 夢心地」、「覚めて潤ひ 快く」。
 このように、日を積み重ねて行を重ねるうちに、御霊が降って身の「ちりけ」(身柱、頸椎の下端)の綾(合)所に日の霊気が入った。行が千日になる頃には白脛が血の気を帯びて桜色に染まった。ある日、イサナギがイサナミに生理の汚穢の様子を問うた。姫の答えは、 「月の汚穢は流れ止まって三日も経てば身も清くなります。その日を待っております」。男神もニッコリと微笑み、イザナミとともに朝日を拝んだ。良き日を選んで交わらんとすると、日輪の光が辺り一面を覆い二神の前に落ち留まった。二神は我を忘れて抱き合い夢心地になり、覚めて潤い快く安らぎと至福の思いで満たされた。
 (イサナギ、イサナミの御交合その2)
 「宮に帰れば ヤマスミが 笹酒勧む」、「故夫神  床酒知るや 」、「妻の答え コトサカノヲが 道聞けば」、「床酒は先ず 妻が飲みて 後夫に進む」、「床入の 妻は言挙げず」、「夫のよそい 妻が知り婚ぐ」、「舌露を 吸えば互いに 打ち融けて」、「玉島川の 内宮に」、「宿る子種の 婚ぎ法」、「子を調ふる 床酒は」、「国生む道の 教えぞと」。
 二神が富士山麓の宮に帰ると、ヤマスミが察知して神酒を用意して待ち構え、酒が勧められた。夫神が妻神に「床神酒の作法を知っているのか」と聞くと、妻神の答えは「コトサカノヲから教えを受けたところによると、床酒は先ず妻が飲みて、その後に夫に勧めるのが作法です。床入りに当たっては妻が言挙げしてはならず、夫が誘い、妻が受け入れて初めて婚ぎ(とつぎ)が成立します」。こうしてイサナギとイザナミは互いの舌をからませて舌露を吸い合ううちに打ち融けて夢中で交わった。こうしてイザナミの御腹(玉島川の内宮)に子種が宿った。これが良い御子を授かる婚ぎ法(トツギノリ)です。床神酒の儀式は子を授かると同時に国生む道の教えでもあります」。
 (天照神の誕生)
 「かく交わりて 孕めども 十月に生まず」、「年月を 経れどもやはり 病めるかと」、「心傷めて 九十六月」、「やや備わりて 生(あ)れませる 天照神ぞ」、「二十一鈴 百二十五枝 年キシヱ」、「初日ほのぼの 出づる時 共に生れます」、「御形の 円の玉籠 訝かしや」。
 こうして両神の交わりにより懐妊したが、十ヶ月の予定日になっても産まれず、どんどん年月が過ぎて行き、病気ではないかと本人も周囲の者達も心配をしていた。九十六ケ月を経過してようやく陣痛が始まり、お生まれになったのが天照神である。天照神は、二十一鈴目の百二十五枝年キシヱの年の元日の初日がほのぼの出づると共にお生まれになられた。その御形は日輪と同じ玉籠だったのです。何と不思議なことであったことか。
 (天照神誕生の寿ぎ)
 「大老翁の ヤマスミが 寿(ことほ)ぎ歌ふ」、「むべなるや 幸の喜も 御世嗣も」、「弥々の幸 開けりと」、「オオヨスガラ(栄よ優ら)に 寿くも」、「三度に及ぶ 幸(ゆき)喜(よろ)し」、「人の問わしの 答えにも」、「豊受の神の 教えあり」、「障るイソラの 禊にて」、「胞衣の囲みは オノコロの」、「玉籠と成らば 幸喜(ゆきよろし) 」、「開らけとて 一位の花の 笏(さく)持ちて」、「今こそ開く 天の戸や」、「出づる若日の 輝きて」、「白山姫は 産湯成す」、「アカ彦桑に 引く糸を」、「ナツメが織りて 生絹(うぶきぬ)の 御衣(みはた)奉る」。
 二神に仕える大老翁のオオヤマスミが寿ぎ歌った。「むべなるや(おめでたく、でかしたことよ)。御世嗣賜り、弥々の幸開けり」。このめでたさを祝って、お祝いの寿ぎが三度に及び、喜びあった。御世嗣が卵の形でお生まれになったことについて重臣達が問いがあり、ヤマスミは次のように答えた。「豊受の神の教えでは、卵の形でお生まれになった胎児にはイソラの禊で障りを除くが良い。胞衣の囲みはオノコロの玉籠であり幸先がよいことです。今や御子を卵からお出ししなければなりません。天の岩戸を開くような扉開けをせねばなりません」。こう述べて、一位の木の笏以ちて切開したところ、天の戸が開いて日輪が顔を覗かせたかのように、御子が出づる若日の輝きて現れ出た。白山姫が産湯を使わせ、アカ彦が養蚕してできた絹糸をナツメが織り上げて産着布やおくるみとして奉った。
 (天照神の瞳開け)
 「タラチ女の 疲れに乳汁 細ければ」、「ホイヰの神の ミチツ姫」、「乳奉り 養(ひた)すれど」、「瞳を閉ぢて 月日無や」、「玉の岩戸を やや初秋の 望の日に」、「開く瞳の 喜びに」、「疲れも消ゆる 御恵みや」、「天にたなびく 白雲の」、「架かる八峰の 降る霰(あられ)」、「弥州(ひすみ)に反響(こだま)  この瑞(みつ)を」、「布もて作る 八豊幡」、「八隅に立てて 君となる」、「位の山の 一位笏」、「世に長らえて 笏持つは 神の穂末ぞ」。
 母親のイサナミは産後の疲れがひどく乳の出が細かったので、宝飯(ホイヰ)の守の妻ミツチ姫(満乳津姫)が乳母となり乳を奉った。こうして手分けしてかいがいしく御子の養育に当たったが、天照神の御子は瞳を閉じたまま半年余りを経過し、初秋の望の日(七月半ば)になってようやく瞳を開かれた。ニッコリと笑った顔を覗き込んで、諸神が手を叩いて喜び、心配も疲れも瞬時に消え去った。この御子の誕生に瑞祥が現れた。天に懸かる白雲がたなびいて、ハラミ山の八つ峰に霰(あられ)が降った。この瑞祥に因み布で作った八豊(やとみ)幡を宮の八隅に立て、御子は幼いながら君として即位された。天照神を玉籠からお出しする時に用いた位の山の一位笏は、これを記念してその後も携えるようになった。そういう訳で、笏持ち神は後の世においても大御神所縁の末裔と云う事になります。
 (ウヒルキ(大日霊貴)のいみ名)
 「叔母姫が 越根の国に」、「御衣織りて 奉る時」、「泣く御子の 声聞き取れば あな嬉し」、「これより諸が 名を請ひて」、「叔母より問えば ウヒルキ(大日霊貴)と」、「自ら答ふ 御子の声」、「聞き切る時は 幼な名の」、「ウは大いなり ヒは日の輪」、「ルは日の霊魂 キは熟(きね)ぞ」、「故ウヒルキの みこと(命)なり」、「キネは女男の 男の君ぞ」、「二神叔母を 称えます」、「キクキリ姫も あな畏(かしこ)かな」。
 越根の国の叔母姫(白山姫)が、天照神の誕生を祝ってご自分で織り上げた御衣を奉った。元気に泣く御子の声聞き取り、「あな嬉し」と喜んだ。これより諸臣が名を請い、伯母姫がお聞きしたところ、御子が「ウヒルキ」と自ら答えた。諸臣はただの泣き声としか聞こえない御子の声を、しっかりと聞き切った伯母姫は、次のように説明された。「幼名のウ は“大い”なり。ヒは“日輪”。ルは“日の霊魂”。キは“熟す”の意味で立派に成人することを祈念している。合わせて大日霊貴の命なり。 キネは女男の男の君ぞ」。こうして御子の幼名はウヒルギと名付けられた。二神が叔母を称えてキクキリ姫と名を贈った。「きくきり姫」という名前の「きく」は、霧がかかってはっきり見えないときのように、言葉がはっきり聞き取れない言葉を聞き取って名付けたという意味になる。キクキリ姫も「あな畏かな」と称えた。
 (天照神の生育)
 「明玉の 若日の霊は(明けの太陽) 青き魂」、「暮日の霊魂 ぬばたまなりき」、「久方の 光生れます 初嘗会(ういなめゑ)」、「天(あ)ユキ地(わ)スキに 仕(つ)け祀り」、「御子養さんと 二神の」、「御心尽す 天の原」、「十六年居ますも 一日(ひとひ)とぞ」、「思すは恵み 篤きなり」。
 天照御子は、昇り行く若々しい太陽の御恵みを受け青い霊魂を、沈み行く太陽の御恵みを受けヌバタマのような霊魂を磨きつつ生育されました。世嗣ぎ子の誕生をアユキ・ワスキに報告する初嘗祭(ウヒナメヱ)が厳粛に執り行われ、「あゆき」(天ゆきの宮、悠紀殿)と「わすき」(主基殿、すきでん)にそれぞれ祭壇を設け祀った。こうして、御子の無事の成長を祈り、立派に養おうとの二神の御心が尽くされた。天照御子は「天の原」に十六年間お住まいになり、一日たりとも疎かでない恵み篤き日々をお過ごしになられた。
 (天照御子の玉キネ預け)
 「昔玉キネ 誓いして」、「葛城山の 八千禊」、「済みて斎鳥(いとり)の 出車を」、「造り桂の 迎ひとて」、「原見に伝ふ ある形 (経緯)」、「二神夢の 心地にて」、「会ひ見給えば 豊受にて」、「天御子養す 物語り」、「召す出車を 日高見へ」、「御幸の君は 八房輿」、「御乳つ母(も)侍る 方輿も」、「皆ケタツボの ヤマテ宮」、「御子の光の 照り通り」、「八方に黄金の 放さけば」、「日の分宮の 若人と」、「豊受諱(いみな)を 奉る」。
 昔、玉キネは、世嗣子の誕生を願って天御祖神に誓いを立て、カツラギ山で八千回の禊をされた。禊を済ませた玉キネはイトリの輦(てぐるま)を造ってカツラの迎えとして、はらみ宮に参上された。そして天御祖神の御霊を受けるための理を諭した。両神は夢を見ているような心地で承った。豊受の天御子教育の物語を聞き、両神は、世嗣子教育の為に玉キネに預けることを決意した。善は急げと早速玉キネの同意を取り、出車を召して日高見へ向かった。既に即位して君となっていた御子は八房の輿に乗り、身の回りの世話をする近習も侍り、トホコを治めたケタコシも加えて豊受が待つケタツボ(宮城県多賀城市付近)のヤマテ宮に到着した。御子の神々しさが光り輝き、辺り一面も黄金の花が咲いたような景観に包まれた。豊受は、御子に「日の若宮のわかひと」(通称「わかひと」)と斎名(いみな)を奉った。
 (天照御子の学問)
 「二神畏れ 若宮に」、「むべ育てじと 天に上げ」、「オキツの宮に 帰ります」、「天御子学ぶ 天の道」、「一人侍んべる フリマロは」、「六代ヤソキネの 世嗣子ぞ」、「高御ムスビの 五代君」、「日毎に上る 天つ宮」、「若人深く 道を欲す」。
 両神は、我が子ながら畏敬の念を禁じ得ず、これ以上教育することはできぬことを悟り、天照御子に最高最上の教育を与えようとして後事を玉キネに委ね、オキツの宮(滋賀県大津市付近)に帰って行った。天御子ワカヒトはこうしてタマキネの元で天の道(アメノミチ、陽陰の道)を学んだ。ご学友としてフリマロが唯一人付き添った。フリマロはタカミムスビの六代目ヤソキネの世継子で、豊受の孫に当たる。五代目の君豊受は毎日天つ宮に昇り、ワカヒトの勉学を導いた。ワカヒトは天道の奥義を極めたいと心底から望み勉学に励んだ。
 (天照御子の質問)
 「ある日の問に 真(まこと)名を 諱と称え」、「姉に三つ 我は四つなり これ如何ん」、「玉キネ曰く 諱には」、「父母に世嗣に 名とノりと 合せ四つなり」、「天つ君 一(ヒ)より十(ト)までを 尽す故」、「ヒトに乗ります キネとヒコ ウシも乗りなり」、「女は乗らず 二親二つ 男に受けて」、「子を生む故に 何子姫 また子何姫」、「何をとも お何とも付く」、「女の名三つ  男の名乗り四つ」、「称え名は 幾らも付けよ」、「諱とは 血脈(しむ)に通れば 真なるかな」。
 ある日のこと、ワカヒトはタマキネに質問をした。「真名(まことな)を称えて斎名(ヰミナ)とも言いますが、姉の斎名がヒルコで三音なのに、私の斎名がワカヒトと四音なのは何か理由があってのことなのでしょうか」。この質問に豊受は次のように答えた。「諱には親(タラ)との繫がり、世嗣ぎの別、名前そのものと、本人が歴史に残した役割の法(ノリ)から成ります。この四つを考え合わせて諱が付けられます。天つ君ともなると、一(ヒ)から十(ト)までを尽くす使命を担っているのでヒトと付けられます。同様にキネ、ヒコ、ウシなども法を表しております。女性の場合は法を考えません。両親との繫がりを踏まえて相応しい名前を付け、結婚して子を生む故に姫の名を付けます。何コとかコ何を付けるのです。そういう訳で、女性の諱は三つ、男性の諱は四つになります。諱の付け方にはこのような決まりがあるのですが、称え名はいくら付けても構いません。諱とは、その人に相応しい名前であればある値打ちを増します。そういう意味では諱は正しく付けねばなりません」。

 【れんだいこ解説)】
 アマテル神の誕生と即位
 
「ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)1、東西(きつ)の名と穂(ほ)虫去る紋」はホツマ伝えの巻頭に相応しい幾つもの最重要なことを伝えている。最初に、和歌の道は日本文化の粋とも云うべきもので、和歌姫の神によって究められたことを知らせている。その和歌姫の生い立ちから、育てられ方、成人後の活躍の様子が記されている。この下りで、日本に於ける子育ての風習、儀式を知ることができる。日本が昔から子供を大事にしており、嬰児の頃より格別の愛情を注いでいることが分かる。次いで、和歌は、天地自然の理を踏まえた「アワの48音」からなる日本言語を自由自在に五七調で詠うものであり、歌であると同時に思想であり感情表現であり諸々の御教えになっていることを明らかにしている。ホツマ伝えは、このことを最初に説いており、この両者が究めて重要なものであることを知らせている。

 続いて、東南西北央の方位方角の由来を伝えている。後段の和歌の道の下りによると、日本がこの時既に正確な暦を持っており、しかも太陽暦であったことが分かる。その太陽暦を芯として太陰暦を重ねていたことが分かる。これが日本の暦法であり、古くより確立されていたことが分かる。その他、「ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)1、東西(きつ)の名と穂(ほ)虫去る紋」の諸説明の内容は、まさに縄文日本の思想の根本であり、その中心に和歌の道があったことを伝えている。

記紀の原典となった奇書『秀真伝』
 「【ムー的古代日本神話】超古代史「秀真伝<ホツマツタエ>」と男神・天照大神の謎
 ここに掲げた物語は、とある古文献に記された、天照大神の誕生の場面の要約だ。つまり、富士山で輝かしい朝日の霊気を受けたことで母神イザナミがみごもり、そしてめでたく生まれたのが、天照大神だったというのである。しかも、その天照大神は別名を「若仁尊」という男神だったとなっている。
神代文字で書かれた『秀真伝』本文に、漢訳が付された『秀真政伝紀』より、天照大神出現の箇所。天照は「アマテル」と訓まれ、「男子」であると明記されている(江戸時代中期/近江聖人中江藤樹記念館蔵)。ここでいぶかる読者もいることだろう。『古事記』や『日本書紀』には、天照大神の誕生については、「黄泉国から逃げ出してきたイザナギが川で禊をして左目を洗うと、天照大神が成り出でた」と簡単に描写されているにすぎない。したがって、この、富士山を舞台としてきわめて豊かに叙述された天照大神誕生譚たんは、記紀を換骨奪胎して富士信仰に篤い人間によって後世に創作されたものだろう――。そう考えたとしても無理もない。いや、むしろ当然のことといえるだろう。だが、真実は逆で、この誕生譚こそが記紀のオリジンとなった可能性があるのだ。なぜなら、この誕生譚を記した古文献というのが、一説に記紀の原典になったともいわれている、『秀真伝(ほつまつたえ)』だからだ。ここで、『秀真伝』では「天照」が、じつはアマテラスではなくアマテルと訓まれることになっていることにも注目しておいていただきたい。終章で論じるが、この訓み、加えてこの大神が男神として描写されていることは、『秀真伝』が記紀にさかのぼる古伝承を収めたものであることの、有力な証拠となりうるからだ。『秀真伝』には、天照譚以外にも、記紀神話と大きく食い違う伝承が延々と綴られている。しかもその原文は、漢字ではなく、日本で太古の昔から用いられていたとされる神代文字で書かれているのだ。そんな『秀真伝』とは、いったいだれによって書かれ、どんな内容をもち、そしてまたどうやって密かに伝承されてきたのか。そして、「男神アマテル」の伝承が意味することとは――。(ムー2018年7月号 総力特集「秀真伝<ホツマツタエ>と男神・天照大神の謎」より抜粋)

  






(私論.私見)