【(れんだいこ訳)一姫三男生む殿の文】 |
「ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)3、一姫三男生む殿の紋」を説き分ける。ここでは。「ホツマツタヱ御機の三 一姫三男生む殿のアヤ」、「ホツマツタエ 天の巻 3アヤ、イサナギ・イサナミの御子誕生」その他を参照しつつ、れんだいこ訳として書き上げることにする。 |
一姫三男生む 殿の文 |
(みとの交わい) |
「諸神の 高マに政り 議る後」、「ツハモノ主が 二神の 一姫三男生む」、「殿五つ 問えばカナサキ 答ふるに」、「昔二神 筑波にて 身周(めぐ)り問えば」、「女神には 生り成り足らぬ 陰没(めもと)あり」、「男神のなりて 余るもの」、「合わせて御子を 生まんとて」、「みと(凹凸)の交はひ 為して子を」、「孕みて生める 名はヒルコ」。 |
諸神が高マでの儀式を済ませ寛いでいたある時、参議の一人のツワモノヌシ(兵主)が次のように問いかけた。「両神(フタカミ)が一人の姫と三人の御子をお産みになられた宮殿は五つあると聞きますが、どういう事なのでしょうか」。重臣のカナサキが答えて次のように語った。「その昔、二神は筑波にて新婚生活を始めた。お互いに身体の違いを較べ合ったところ、女神には生り成り足らぬ陰没(めもと)があり、男神には成りて余る逸物(男根)があった。これを合せて御子を生もうとして、凹凸の交はい(ミトノマグバイ)をしたところ、女神が子を孕(はら)み、生まれて来た子の名をヒルコと云う。 |
(二柱の生長) |
「然れど父は 鈴四十穂 母は三十一穂」、「天の節 宿れば当たる 父のヲエ」、「男の子は母の 隈(くま)となる」、「三年慈(いつ)くに 足らざれど」、「斎奇(いわくす)船に 乗せ捨つる」、「翁拾たと 西殿に」、「養(ひた)せば後に 二柱」。 |
しかれども、この時の父いさなぎの齢は四十歳、母いさなみは三十一歳。共に天の節の陽陰の節が宿る厄年だった。天の節が宿る年に生まれる子供は父に汚穢(おえ)が宿り、男の子ならば母が隈(くま、災い)を受けることになると聞く。何か悪い事が起こるのではないかと、両神はこの言い伝えが心配になり、愛情を注いで育てた期間は三年にも満たないけれど、捨て子は育つという言い伝えに従って、斎奇舟(いわくす舟、楠の木をくりぬいて作られた舟)に乗せて捨て子した。かねて相談を受けていたこの爺(カナサキ自身)が待ち構えて拾い、西殿(現兵庫県西ノ宮)で養った。 |
(二柱の最初の交わり) |
「うきはしに得る オノコロの」、「八紘(やひろ)の殿に 立つ柱」、「廻り生まんと 言挙げに」、「女は左より 男は右に」、「分れ廻りて 会ふ時に」、「女は「あなにえや 愛男子(えおとこ)」と」、「男は「わな嬉し 愛乙女(えおとめ)」と」、「歌ひ孕めど 月満てず」、「胞衣(えな)破れ生む ヒヨルコの 泡と流るる」、「これもまだ 子の数ならず」、「葦船に 流す淡路や」。 |
後に二柱は、うきはし(天地を結んだ橋)より降りてオノコロ島に出向き、「八尋(ひろ)の殿」に立つ御柱を互いに巡って子を生もうとされた。女神は左より男神は右に分れて柱を巡り、出会った時の言挙げ(声掛け)は、女神は「あなにえや愛男子」(なんと素敵な美男子さん)、男神は「わな嬉し愛乙女」(あぁうれしい何と可愛い娘よ)と歌い、凹凸の交わりをし、女神が子を孕んだ。但し、月満てず、胞衣破れ生むヒヨルコの泡と流れた。これも未だ子の数ならず。ヒヨルコは子の数には入れられず、両神は泣く泣く葦舟に乗せて流し淡路と消えた。 |
(フトマニ伺い) |
「ある形 天に告ぐれば」、「フトマニを 味わえ曰く」、「五・四の歌 言を結ばず」、「言挙げも 女は先き立てず」、「婚ぎとは 雌のニワナ振り」、「尾搖れ鳴く 雄鳥鳴き去る」、「またある日 雄鳥装ふ」、「雌が知りて 合ひ交われば」、「天よりぞ 鳥に告げしむ 婚ぎ(鳥告ぎ)法」。 |
この経緯を天に告げ、どうすれば良いのか伺ったところ、フトマニで占って次のような指図が為された。曰く、「柱回りで出会った際に歌った五・四の歌(五四調で綴った九音の歌)は、事(九十、こと)を結ばない十音目がない不吉のリズムであり、且つ言挙げも、女神の方から先に声を掛けたのが良くない。凹凸の交わりの仕方も浅い。婚(とつ)ぎとは 雌のニワナフリ(セキレイ)の尾が搖れ鳴くように、雄鳥が鳴き去る仕種に学ぶが良い」。ある日、両神の御前で、雄鳥が誘うような仕草を装うと雌が知りて応じ相(あい)交わった。それは天の指図で、鳥に告げさせた婚ぎ法であった。この謂れにより、鳥告ぎが嫁(とつ)ぐになった。 |
(二柱の伺い後の交わり) |
「さらに帰りて 二神は 新たに廻り」、「男は左 女は右回り」、「会ひ歌ふ 天のアワ(陽陰)歌」、「あなにゑや 美(うま)し乙女に 会いぬ時」、「女神応えて わなにやし」、「美し男に 会ひきとぞ」。 |
初めからやり直すことにして二神は、男神は左、女神は右回りに廻った。二人が出会った時、次のように歌い合った。男神の陽陰歌は「あなにゑや 美し乙女に会いぬ時」(何とうれしいことか、美しい乙女に会えた)。女神応えて「わなにやし 美し男に会ひきとぞ」(あぁうれしい、美男子に会えました)。 |
(解説) 三つの間違いが直されたことになる。一つは、女神が左、男神が右回りしたのを、男神は左、女神は右廻りにしたこと。二つ目は、.女神が男神より先に歌ったのを止めて、男神が先に歌ったこと。三つ目は、.掛け合い言葉が五音・四音の歌だったのを五音・七音の歌に代えたこと) |
(国生み) |
「和(やわ)してアワを 胞衣として」、「ヤマト秋津洲 淡路島」、「伊予阿波二名 隠岐三子」、「筑紫吉備の児 佐渡大島」、「生みて海川 山の幸」、「木祖ククノチ 茅の姫」、「野槌も生りて アワ歌に」、「治むハラミの 宮に居て」。 |
両神は、アワの歌を導きにして赤子をつつむ胞衣(えな)のように優しく取り囲んで国生みした。大和秋津州(本州)、淡路島、伊予と阿波二名(四国)、隠岐の三子(隠岐諸島)、筑紫(九州)、吉備の児島(瀬戸内の島々)、佐渡、大島。その足跡は日本全国に及んだ。更に海、川、山の幸を生んだ。木の祖(おや)、ククノチ(草)の神、茅(かや)の姫、野の祖(おや)の野の霊(ち)神たちも現われた。陽陰(あわ)歌の教え通りに農工産業が大いに振興し、両神はハラミの宮に居て政治を司ることになった。 |
(日の神の誕生) |
「既に八州の 国生みて」、「如何んぞ君を 生まんとて 日の神を生む」、「その御名を 大日霊貴(うほひるき)とぞ 称えます」、「国麗しく 照り通る」、「貴日霊(くしひる)の子は 留(とど)めずと」、「天に送りて 天のキと」、「御柱の道 奉る」。 |
既に八州の地を生んでいたので、両神が次に為すべきことは、人民を守ってこの国の平和を恒久的に維持する優れた日嗣の君を生むことであった。この願いが通じて日の神を生み、御名をオオヒルキ(大日霊貴)と名付け称えた。大日霊貴は国の希望となり麗しく、その神威が隅々まで照り通った。イサナギ、イサナミは、神威と威光がただごとでないのを知り、奇しき日(霊)の宿る「くしひる」の子を此処に留めておくわけにいかないとして天に送り、君に相応しい天神の儀式と天地を結ぶ御柱の道を教えることになった。 |
(月読の神の誕生) |
「故(かれ)にハラミを 大日山」、「豊受考えて ワカヒトと いみ名を捧ぐ」、「二神は 筑紫に行きて 生む御子を」、「月読の神 日に継げと 天に上げます」、「これの先 オエ隈に捨つ ヒルコ姫」、「今慈(いつく)しに 足り至り」、「天の愛妹(いろと)と ワカヒルメ
(分日霊妹)」。 |
そういう事情から、ハラミ山(富士山)を大日山と呼び代えることになった。豊受の神は考えてワカヒトと斎名(いみ名)を捧げた。この後、二神は、ツクシ(筑紫、九州の総称)に行き御子を生んだ。その時に生まれた皇子をツキヨミの神と申します。ツキヨミの神を日の道を補佐させる為に天の宮中に上げた。これにより太陽と月の輝きが生まれました。これの先、「おえくま」(穢れや禍、けがれ、わざわい)を祓うために捨てられたヒルコ姫は今、充分に慈(いつく)しく成長され、天の神の妹として名前もワカヒルメ
(分日霊妹)となった。 |
(ソサノヲの誕生) |
「ソサ国に生む ソサノヲは」、「常にお猛び 鳴き騒ち 国民挫(くじ)く」。 |
ソサ国(紀伊半島和歌山)で生まれたソサノヲは、常に雄猛び、鳴きわめき、国の民を困らせていた。 |
(イサナミのこと) |
「イサナミは 世の隈なすも 我がヲエと」、「民のヲエ隈 身に受けて」、「守らんための 隈の宮」、「かく御心を 尽し生む 一姫三男神」、「生みて世の 君臣の道 調(と)の教え」、「逆り惇(もと)らば 綻ろばす」、「この二柱 生む殿は」、「天のハラミと 筑波山」、「淡路ツキスミ 熊野なりけり」。 |
イサナミは、ソサノヲの乱暴狼藉を自分の汚穢(不徳)と受け止め、国の民の苦労迷惑を身に受けて、民を守るために「くまの宮」(熊野宮)を建てた。イサナミは、ここにお住まいになって、ソサノヲの悪行の償いに努める生活をなされた。この様にそれぞれ御心を尽くした。イサナギ、イサナミは、一人の姫と三人の御子を産んだ。この時代に、君(きみ)と臣(み)の道と、「との教え」を生み広めた。これに逆らう時には敢然と矛をもって打ち破った。両神は日本の国の基(もとい)を築き上げられた。この二柱の神が御子たちをお産みになった宮殿は、ワカヒト、ウヒルギを産まれた天のハラミ(富士山)の宮、ヒルコ姫ワカヒルメを産まれた筑波山のイサ宮、ヒヨルコを早産された淡路の宮、モチキネ・ツキヨミをお産みになったツキスミ(九州)の宮、そしてハナキネ・ソサノヲが産まれた熊野の宮と、合わせて五つの殿である。 |