ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)2

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).3.3日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)2、天七代、床御酒の紋」を確認する。「ウィキペディアのホツマツタヱ」、「」その他を参照する。

 2011.12.25日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)2、天七代、床御酒の紋 】

【(れんだいこ訳)ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)2、天七代 床酒の文】
 「ホツマツタヱ、アのヒマキ(天の巻)2、天七代(あめななよ) 床酒(とこみき)の文」を説き分ける。ここでは天地開闢の神々と神酒の話をする。現在でも行なわれている新郎新婦が神前で交す三三九度のお神酒の始まりが説き明かされている。「ホツマツタヱ御機の二(ツ) 天七代床神酒のアヤ」、「ホツマツタエ 天の巻 2アヤ、ヒナ祭りと桃の花 男雛・女雛の実名(いみな)は?」その他を参照しつつ、れんだいこ訳として書き上げることにする。
 (天神初代クニトコタチのこと)
 「この時は 御子オシヒトの 婚ぎ前」、「タカギが酒の 綾(謂れ)請えば」、「神の教えは 古(いにしえ)の」、「天地(あめつち)泥(うひ)の 際(きわ)なきに」、「萌し分かるる アウの陰陽(めを)」、「陽(を)は天となり 日の輪成る」、「陰(め)は地(くに)となり 月と成る」、「神その中に 現(あ)れまして」、「クニトコタチの トコヨ国」、「八方(やも)八下りの 御子生みて」、「皆なその国を 治めしむ」、「これ国君の 始めなり」。
 天照大御神の御子オシホミミ、いみ名(本名)オシヒトの婚ぎ前のこと。ある時、タカギ(すずか姫の兄で仙台ひたかみの神、たかみむすび神)が、「結婚の儀の際の神前で新郎新婦が交す三三九度のお神酒(みき)には一体どんな謂れがあるのでしょうか」と「神酒の云われ」を尋ねた。オシヒトは次のように述べた。神が伝えてきた教えによると、この世の始まりの往古は天地泥海であった。長い時間が経って、ア(軽いもの)とウ(重いもの)の陰陽が渦を巻き始め、陽(お)の作用から天と日輪(太陽)が生まれた。陰(め)の作用から地と月が生まれた。神がその中に現れた。これをクニトコタチの神と申し上げる。クニトコタチの神が常世(とこよ)国を形づくった。これが最初の神であり国となる。世に云う天地創造である。クニトコタチの神は八人の御子を生み、各々を八方八下りに天下らせて、国々を治めさせた。この八人を「やもやくだり」(八面八降)の皇子と云う。これが国君の始めとなった。
 (天神二代クニサツチのこと)
 「世嗣の神は 国サツチ」、「サ霧の道を 受けざれば」、「サツチに治む 八御子神」、「各々御子を 五人(いたり)生む」。
 その後の世嗣の神をクニサツチと云う。「サ霧の道を受けざれば、サツチに治む 八御子神」(訳不詳)。八御子神は各々御子を五人生んだ。
 (天神三代トヨクンヌのこと)
 「八方の世嗣は 豊クンヌ」、「天より三つの 業(わざ)を分け」、「君臣民(きみとみたみ)の 三件(くだり)の」、「神は百二十(もふそ)の 御子ありて」、「天なる道は 女もあらず 三代(みつよ)治まる」。
 八方(やも、八面)の世嗣にして三代目の神を豊クンヌと云う。豊クンヌは天より三つの治める業を分け、君、臣、民の三層をそれぞれに役割分担させて治めた。豊クンヌ神には百二十(もふそ)の御子がいた。しかし、この段階の天なる道には夫婦の道が定まっておらず一人身で暮らされていた。三代まではこのようにして治まっていた。
 (天神四代ウヒチニのこと)
 「真榊(まさかき)の 植え継ぎ五百(いも)に 満つる頃」、「世嗣の男神 ウヒチニの」、「スヒチを入るる 幸(さいわい)の」、「その本在(もとおり)は 越国の」、「ヒナルの岳の 神(かん)宮に」、「木の実を持ちて 現(あ)れませば 庭に植えおく」。
 真榊(まさかき)の植え継ぎが五百(いも)に満つる頃、四代目の天神になる男神ウヒチニが世嗣した。ウビチニは、スビチを后として宮に入れた。その本在を越国のヒナルノ岳(日野山、越前富士)の上宮に置いた。スビチは木の実を持ちて現われ、二人の将来を誓い合って庭に植えた。
 (ウヒチニの御子ヒナキ、ヒナミの成人)
 「三年(みとせ)後 弥生(三月)の三日に 花も実も」、「百(もも)成る故に 桃の花」、「二神の名も 桃ヒナキ 桃ヒナミなり」、「ヒナはまだ ヒト成る前よ」、「君はその 木の実に因りて」、「男神はキ 女神はミ とぞ 名付きます」。
 三年後の弥生(三月)の三日、多くの花が咲き実を結んだ。花も実も百(もも)成る故に桃の木と名付けられた。二神の名も桃にちなんで桃ヒナキ、桃ヒナミと名付けられた。ヒナとは、「ひよこ」の「ひよ」と通じており大人になる前の子供の段階と云う意味である。人はヒナからヒトになる。ヒナが成長して一人前の大人になることをヒトと云う。男神にキ、女神にミと名付け区別するようになった。ちなみに「ひこ」(彦)は高位の人、「きみ」(君)は皇家の方を指す。
 (酒と盃)
 「人成る後に 弥生三日」、「酒(みき)造り初(そ)め 奉る」、「桃下(と)に酌める 酒に月 映り勧むる」。
 二人が立派に成人し人となった後の弥生三日、この日に酒造りを初めた。これが酒造りの始まりとなる。神酒(みき)ができあがり、二人(両神)に奉りました。酒ができると儀式の作法が定まり、桃の花の満開の下(宵祭り)で酒を酌み交わす儀が執り行われた。その時、酒を注いだ器には月が逆さまに映っていた。これにより器を「逆月」(さかづき、盃)と云うようになった。
 (キ、ミの神酒の交わり)
 「女神まず 飲みて勧むる」、「後(のち)男神 飲みて交わる 床の酒」。
 女神が先に飲み、その後、男神に勧め、男神が飲み干(ほ)す。お二人がお酒を飲んだところで、仲睦まじく床入りし交わられた。これにより床入りする前に飲むお酒を「床の神酒」(とこのみき)と云う。酒を注ぐのを「酌(しゃく)」と云い、床入り前に酒酌み交わす儀を「晩酌」と云う。
 (キ、ミの川浴び禊)
 「身暑ければや 翌(あす)ミ朝」、「寒川浴びる 袖浸(ひ)ぢて」、「大小(うす)の中心(にこころ) 全(また)きとて」、「名もウヒチニ(ぴったり完璧) と スヒチ神」、「これも泥(うひ)濡る 古事や」。
 新婚初夜のお二人の愛の交わりは身も心も熱いものとなった。新婚初夜を過ごした二人の身体は火照り、翌朝、寒川で身を清めた。袖を浸したのがきっかけで抱き合ったまま一体になった。お二人に新たにウヒチニの神、スヒチ神と云う神名が付けられた。「これも泥(うひ)濡る 古事や」(訳不詳)。
 (キ、ミの結婚)
 「大き少なき 大小(うす)の名も」、「この雛形の 男は冠 大袖袴」、「女は小袖 上(うわ)被衣(かつき)なり」、「この時に 皆な妻入れて 八十(やそ)続き」、「諸民も皆 な妻定む」。
 「大き少なき 大小(うす)の名も」(訳不詳)。二人が「ひながた」(雛型)となり、夫婦(めおと)になられた慶事(よろこびごと)を記念して、男は冠を付け大袖袴をはき、女は小袖に上被衣(うはかつき)を着ることになった。(これが雛祭りの始まりである。二人が示した理想的な男女関係は、後に「妹背(イモヲセ)の道」とか「伊勢の道」と呼ばれ、縄文日本の国家原理である「天(アメ)なる道」の中心的な理想として根付いていくことになる) この時より、皇家の他の人たちも妻を入れるようになり、八十神(臣)もこれに続き、諸民に至るまで妻を定めるようになった。
 (天なる道の年数え)
 「天なる道の 具わりて」、「類(たぐい)成るより 年数え」、「五百(いも)継ぎ天の 真榊や」。
 これで天なる道が完成した。結婚制度が法律として備わり、一夫一婦制(たぐい)が始まった。遡って年を数えると、ちょうど五百本目にあたる天の真榊(まさかき、すずきのき)を新しく植える年であった。
 (天神五代ツノクイ、イククイのこと)
 「五代の神は 大殿内(おおとのち) 大門前(おおとまえ)なり」、「ツノクイは 大殿に居て イククイを」、「門前に会ひ見 妻となす」、「故(かれ)男は殿ぞ 女は前と」。
 五代の神は大殿内、大門前の二神である。ツノクイは大殿に居て、イククイを門前に会ひ見て妻とした。男神は戸(廊下)の奥に座って、女神は戸の手前でお見合いされたので、男は戸の前が訛(なま)って殿、女は戸の前が訛(なま)って御前と云うようになった。
 (天神六代オモタル、カシコネのこと)
 「八百続き詣で 六代の嗣(つぎ)」、「オモタルの神 カシコネと」、「八方を廻りて 民を治(た)す」、「近江(おうみ)安曇(あずみ)の 中柱」、「東はヤマト 日高見も」、「西は月隅 葦原も」、「南阿波・ソサ 北は根の」、「ヤマト細矛 チタルまで」、「及べど百万年(もほよ) 嗣(つぎ)子なく」、「道衰ひて ワイタメ(弁別)な」。
 二人の御代は八百年続き、人々が詣でるようになった。六代目を世嗣したのはオモタルの神で、妻のカシコネと共に全国津々浦々八方(やも)を廻り、民を治めた。近江のアツミ(滋賀の安曇川)を中柱(本拠地)として、東はヤマトから日高見と言われる東北地方全域まで、西は月隅(つきすみ)と呼ばれる九州南部から葦原と呼ばれる山陽地方まで、南はアワと呼ばれる四国東部からソサと呼ばれる紀伊半島まで、北は根(ネ)のシラヤマト(白山の麓)からホソホコ(近畿地方の日本海側)、チタル(山陰地方)まで治めた。この御代は百万年(もよほ)続いたが、不運にも良き後継ぎに恵まれず、道も衰えて次第に筋道がわからなくなってしまった。
 (オノコロのこと)
 「時に天より 二神に」、「ツボは葦原 千五百秋」、「汝(いまし)用いて 領(しら)せとて 経(と)と矛(ほこ)賜ふ」、「二神は うきはしの上に 探り得る」、「鉾の雫の オノコロに」、「宮殿(みやとの)造り 大ヤマト」。
 そんな状況になっていた時、天より二神に、「ツボは葦原 千五百秋」(訳不詳)、「汝(いまし)用いて 領(しら)せ」とて、経(法)と矛(警察権)を賜われた。二神は、浮き橋(橋渡し、仲人を意味する)に登り、その上から授かった矛で下界を探り、したたり落ちた滴で「オノコロ」島を生み、そこに宮殿をつくった。これを大ヤマトと云う。
 (大ヤマトの国造り)
 「万物(よろもの)生みて 人草の」、「食(みけ)も繭(こ)飼いも 道なして」、「ワイタメ(弁別)定む 功(いさおし)や」。
 大ヤマトでは万物が生みだされ、人々の食料も、養蚕、衣服の作り方を定まり、教えが広まった。様々な物事の決まりが定められ、功績(いさおし)が称えられた。
 (天神七代トコヨのこと)
 「天の神代の 七代目を」、「継ぐ糸口は トコヨ神」、「木の実東に 植えて生む」。
 天(中央政権)の守世の七代目を継ぐ糸口はトコヨ神で、木の実を東の国に植えて育てた。
 (御中主のこと)
 「ハコクニの神 日高見の」、「高マに祀る 御中主(ミナカ主)」。
 その地で生まれた子供の名前をハコク二の神と云う。ハコク二の神は日高見の高マに御中主(ミナカヌシ)を祀った。
 (タカミムスビのこと)
 「橘植えて 生む御子の」、「タカミムスビを 諸(おもろ)称(たた)ゆ  東のトコタチや」、「その御子は 天鏡神 筑紫治す」。
 日高見の高マに橘(たちばな)の木を植え、そこで生まれた皇子の名前を「高御ムスビ」と云い、諸人(もろびと)が皇子の誕生を心から喜び称えた。この御方が東のトコタチになった。その御子は天鏡神と云われ、筑紫を治めた。
 (天ヨロヅ神のこと)
 「ウヒチニ儲(もう)く この御子は」、「天万づ神 ソアサ治し」、「アワサク生めば アワナギは」、「根の白ヤマト チタルまで」、「法(のり)も通れば 生む御子の」、「いみ名タカヒト 神ロキや」。
 天神四代目のウヒチ二とスヒチ二の間にできた皇子は天万づ神と云い、ソアサ(南紀、阿波 四国地方)を治めた。この天万づ神は、アワナギとサクナギの二人の子供を生んだ。アワナギは根の白ヤマト国からチタル(山陰)までを法を以って治めた。アワナギの生む御子のいみ名をタカヒト神ロキと云う。
 (タマキネ、イサコのこと)
 「タカミムスビの 五代神」、「いみ名タマキネ 豊受の」、「姫のイサコと 浮き橋を」、「ハヤタマノヲが 渡しても」、「融けぬ趣き 融き結ぶ コトサカの臣(を)ぞ」。
 高御ムスビの五代目の神の諱(いみな)をタマキネと云う。この神を豊受神(後に伊勢外宮の御祭神となる)のイサコ姫と結婚させようとしてハヤタマノヲが仲人に尽力したが、うまくいかなかった。結局、コトサカノヲが橋渡しを果たし、二人を結びつけることができた。
 (イサナギと イサナミのこと)
 「ケタツボの 西南(つさ)の筑波の 伊雑(イサ)宮に」、「頷(うなず)きあみて イサナギと イサナミとなる」。
 二人はケタツボ(仙台多賀城付近)から西の方向の筑波山の伊雑宮(筑波神社)に睦まじく一緒に住まわれ、伊雑宮に因んでイサナギと、イサナミと名付けられた。この二人が七代目になる。
 (床酒のこと)
 「二神の 交わる時に 床酒や」、「床は経矛(とほこ)に 子を求む サ酒はトコヨ」、「山陰(ヰノクチ)の スクナミ神の 竹株に」、「雀が籾を 入るを見て」、「御酒(みき)造り初め 勧めけり」、「桃ヒナギより ササナミと」、「名を賜ふより 名もサ酒(笹笥)」。
 二神は床入りして愛の交わりの前に床神酒(とこみき)を召された。神聖な場所である床に経矛(とほこ)を置いて子づくりに励まれた。これ故に、酒は床のヨ(調え)ものになる。酒は山陰のスクナミ神の竹株に雀が籾を入れるのを見たのがヒントとなり、酒造りが始まった。桃ヒナミが桃ヒナギに酌をし勧めたことにより、桃ヒナギが桃ヒナミにササナミの称名を賜われた。御酒(みき)の名も酒(ササケ、笹笥、捧げ)と呼ばれるようになった。  
 (酒を称える)
 「その神今に ササケ山」、「九の酌度は 弥生三日」、「杯(さかづき)生める 神の名も」、「雛(ひな)が岳とぞ 称(たた)ゆなりける」。
 その神は今に ササケ山に祀られている。三三九度の儀式(しきたり)の酌度は三月三日、盃は逆さに写った月から名付けられた。名も「ひなが岳」(雛が岳、日野山)とぞ名付けて称えられている。

 【れんだいこ解説)】
 「ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)2は、「天七代(あめななよ) 床酒(とこみき)の文」と題して「1、東西(きつ)の名と穂(ほ)虫去る紋」に続いて天神史とその御代につくられた伝統について説き明かしている。冒頭で天神初代クニトコタチに触れ、「これ国君の始めなり」としている。次に天神二代クニサツチ、天神三代トヨクンヌ、天神四代ウヒチニに言及している。次にウヒチニの御子ヒナキ、ヒナミに触れ、成人後の成婚、その際の神酒の交わりの理、婚礼の儀の理を説き明かしている。この頃より天なる道が確立されたとしている。次に天神五代ツノクイ、イククイ、天神六代オモタル、カシコネの御代に触れている。次にオノコロ宮殿(みやとの)、大ヤマトの国造りに触れている。次に天神七代トコヨ、御中主(ミナカヌシ)、高御ムスビ、天ヨロヅ神、高御ムスビの五代神タマキネ、イサコに触れた後、イサナギと イサナミに言及している。この二神の床酒について触れ、酒の由来が語られている。和歌に続いて酒が述べられており、共に日本文化の伝統であることが知らされる。






(私論.私見)