ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)15

 

 (最新見直し2011.12.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)15、食万事成り初めの文」を確認する。ウィキペディアのホツマツタヱ」、「」、「アマテル神(天照大御神)の詔のり健康食(スガカテ・清食)の勧めと万物創成の五化元素)」その他を参照する。  

 2011.12.25日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)15、食万事成り初めの文】
 稲荷信仰とキツネの由来(人糞リサイクル農法の草分け)
 みけよろつ なりそめのあや      食万事 成り初めの文
 あめつちも のとけきときに あまてらす   天地も 和(のど)けき時に 天照らす
 かみのみゆきの ふたみかた    神の御幸の 二見潟 
 みしほおあひて みそきなす  潮を浴びて 禊なす
 とものくすひか いふかさお     供のクスヒが 訝(いぶか)さを
 あめにもふさく ちちみかと    天に申さく 父帝
 やふさくるまの みゆきなす    八房車の 御幸なす
 かみもけかれの あるやらん  神も穢れの あるやらん 
 ときにあまてる みことのり        時に天照 詔
 なんちぬかたた もろもきけ          「汝ヌカタダ 諸も聞け 
 わかうまれねに あかもなく         我が生れ根に 垢もなく  
 あをうけうまれ ねはきよく        天陽受け生まれ 根は清く
 うくめくたみに めもけかれ          蠢く民に 目も穢れ
 あしきうたゑに みみけかれ           悪しき訴えに 耳穢れ  
 はなもちならぬ をしゑくさ   鼻持ちならぬ 教え種 
 をさめさとせる こころはの          納め諭せる 心葉の  
 むはしそそきて みおしらけ        六端濯ぎて 身を精(し)らげ  
 ひをねにかえる かんかたち        日陽根(ひをね)に返る 神形(かんかたち)
 けのししはめは しむけかれ              汚の肉食めば 血穢れ   
 よつなるししは かほすきて       四つなる獣は 汚禍過ぎて   
 ちちみけかれて みもかるる      縮み穢れて 身も枯るる  
 たとえはにこる みつかわく      例えば濁る 水乾く
 ししもにこれは かわきつく          肉も濁れば 皮きつく
 きよなおはめは ちもきよく        清菜を食めば 血も清く 
 うしほのことし よよたもつ        潮の如し 万齢保つ
 あめのうむたみ このことく         天の生む民 子の如く
 なかいきみんと くいものの よしあしわくる           長生き見んと 食物の 良し悪し分くる 
 なりそめお もろたみきけよ          生り初めを 諸民聞けよ    
 あめつちの ひらけるときの     天地の 開ける時の
 ひといきか めをとわかれて     一息が 陰陽と分れて
 をはあめに めはつちとなる     陽は天に 陰は地となる
 をのうつほ かせうみかせも ほとわかれ     陽の空 風生み風も 火と分かれ
 うをせのむねは ひのわなる          うをせの宗は 日輪なる  
 いめのみなもと つきとなる        いめの源 月となる
 つちははにみつ かつはには やまさととなる        地は埴に水 且つ埴は 山里となる  
 はにうつほ うけてははいし すかはたま   埴空 受けては石 清は珠     
 やまにうつほの とほりなる     山に空の 通り成る      
 あらかねのあわ すすなまり         粗金のアワ 錫鉛
 すかははきかね ししろかね            清はハ黄金 シ白金
 うひにあかかね はくろかね           泥(うひ)に赤金 ハ黒金    
 それはきはきに きりはしろ       それ萩は黄に 桐は白
 ひのきはきあか くりはくろ            檜は黄赤 栗は黒
 てるあらかねお たたらなし ふいこにねれよ             出る粗金を タタラ為し 吹子(ふいご)に錬れよ
 はにうくる うつほあまみつ     埴受くる 空(うつほ)雨水
 なるくさき うつほはたすく     成る草木 空は助く
 みつひやす ははけかれする     水冷やす 埴は穢れする
 はなもみも あめのままなり      花も実も 天の随なり 
 みつはくふ ふよはくわぬそ     三つは食ふ 二四は食わぬぞ
 いしたまの ふなるはつきす     石珠の 二なるは尽きず
 あらかねの みつはほねりて いろかわる   粗金の 水埴火錬りて 色変る
 くさきのむしの みつのこゑ かせにこゑあり           草木の虫の 三つの交 風に声あり 
 うつほはね はにむしもこれ     空跳ね 埴虫もこれ
 うつほかせ ほみつのよつか     空風 火水の四つが
 なるとりの ほかつはおよく     成る鳥の 火勝つは泳ぐ
 はにとみつ ほかせのよつか     埴と水 火風の四つが
 なるけもの かせみつよるお     成る獣 風水熟(よ)るを
 なもみこゑ きつねたぬきそ     名も三声 狐狸ぞ
 ほとはにの よるはふたこゑ     火と埴の 熟るは二声
 ゐのましそ よつなもこれそ     猪猿ぞ 四つ名もこれぞ
 つきのみつ くたせるつゆは かはのみつ     月の水 下せる露は 川の水 
 うつほうくれは くもとなり      空受くれば 雲と成り 
 ちあゆみのほる はにのいき ちあゆみ (沸き立ち)昇る 埴の息 
 のほるいかくり いゐのなり     昇る毬栗 飯の態 
 そやとめちつゑ くもなかは      十八トメチ突え 雲半ば 
 ふれはめつゑに あひもとめ あめとふるなり         経れば陰遂に 合ひ求め 雨と降るなり
 さむかせに ゆきとこほれと をにとける   寒風に 雪と凍れど 陽に融ける
 よるなみうけて なるうしほ        夜潤波受けて 成る潮   
 やくしほすかの うつわもの               焼塩清の 器物  
 はめはみのあか まぬかるる     食めば身の垢 免かるる  
 みつはにふくむ ほなるかゐ      水埴含む 火成る貝
 みつうくうつほ ほなるうお     水受く空  火成る魚
 しはうろこよし ほはくさし         しは鱗好し 火は臭し
 むかしなかくに うけもちの              昔中国 ウケモチの  
 かみかうけなお あにこゑは       守が食菜を 天に乞えば 
 ひようるたねお わにくたす         日夜潤種を 地に下す   
 ひうるにはゆる うるのそは       日潤に生ゆる 潤の繁は  
 うるたのそなゑ よるなみに        潤田の具え 夜潤波に
 はゆるなろなは はたのたね          生ゆる和菜は 畑の種
 くにとこたちの あめまつる みけはこのみか        クニトコタチの 天祭る 御供は木の実か
 くにさつち うむうけもちの     クニサツチ 生むウケモチの
 やよのまこ いまのかたなり     八代の孫 今のカダなり
 うけもちか はつきはつひに なるはつほ    ウケモチが 八月初日に 成る果穂
 とよくんぬしに たてまつる    トヨクン主に 奉る 
 かみはかしきの ゆふにきて         神は赤白黄の 斎和幣   
 あめなかぬしの かみまつる         天中主の 神祀る
 そろのほつみの みけもまた           ソロの果実の 御供も又  
 うすつきしらけ はつひには かゐとしるとそ          臼搗き精げ 初日には 粥と汁とぞ
 うひちには つきことまつる おもたるの   ウヒヂニは 月毎祀る オモタルの 
 すえにほほそと なるゆえに        末に穂細と なる故に    
 つきよみやりて うるそたね      ツキヨミ遣りて 潤繁種 
 ゑんといたれは まるやにて          得んと至れば 丸屋にて
 くににむかえは つきおけの          国に向えば 注ぎ桶の
 くちよりよねの いゐかしく          口より米の 飯炊ぐ
 そのにむかえは こゑかくる            園に向えば 肥掛くる
 てこにいれきて すすなしる          手篭に入れ来て スズ菜汁
 ももたくはえて みあえなす          百々たくわえて 御饗(みあえ)なす 
 つきよみいかり いやしきの        ツキヨミ怒り 卑しきの
 つははくけかれ かわんやと        唾吐く穢れ 交わんやと
 つるきおぬきて うちころし        剣を抜きて 打ち殺し     
 かえことなせは ををんかみ     返言(かえりごと)なせば 大御神   
 なんちさかなし あひみすと      「汝逆なし 合ひ見ず」と 
 まつりはなれて よるきます       政り離れて 夜来ます
 あめくまやれは すてにさり       アメクマ遣れば 既に去り  
 かたかうるその たねささく    カダが潤繁の 種捧ぐ  
 くまとかえれは をさかたに         クマト返れば 村長(をさ)が田に
 うゆるそのあき やつかほの         植ゆるその秋 八束(やつか)穂の 
 なれはくにとみ こころよく         成れば国富み 快く 
 またまゆふくみ いとぬきて           また繭含み 糸抜きて
 こかゐのみちも をしゆれは        蚕飼いの道も 教ゆれば
 かたのみことは よよのたみ まもりつかさそ          カダの命は 代々の民 守り司ぞ
 もろたみも よくきけつねの くいものは      諸民も 良く聞け常の 食物は 
 そろはさいわひ うろこいお     ソロは幸ひ 鱗魚 
 つきなりとりは ほかかちて ほとんとまかる      次なり鳥は 火が勝ちて 殆んど罷る  
 ともしひの かきたてあふら へることく      灯し火の 掻き立て油 減る如く 
 ほかちいのちの あふらへる    火勝ち命の 油減る   
 あやまりみての ししはめは        誤り三手の 獣食めば
 ししこりちちみ そらこえて         肉凝り縮み 空肥えて 
 みのあふらへり けもかれて やかてまかるそ        身の油減り 気も枯れて やがて罷るぞ
 ふつきなか すすしろくえよ     二月半 スズシロ食えよ
 ふてししは くえはいきても  くさりくさ   二手獣は 食えば生きても 腐り臭
 かみとなかたゑ いみこやに          神と中絶え 忌籠屋に 
 みとせすすしろ しらひけも         三年スズシロ  シラヒゲも
 はしかみはみて あかそそけ        ハジカミ食みて 垢濯げ
 ややひととなる すわのかみ          やや人となる 諏訪の神 
 しなのはさむく とりししに         信濃は寒く 鳥獣に
 さむさしのくと こふゆえに           寒さ凌ぐと 請ふ故に
 なおあらためて あいものの うおはよそあり            なお改めて 間物の 魚は四十あり  
 これもみか すすなにけせよ      これも三日 スズ菜に消せよ
 みつとりお くえはふそひか すすなゑよ    水鳥を 食えば二十一日 スズ菜得よ
 よのとりけもの いましめと あまねくふれし         万の鳥獣 戒めと 普く布れし
 あやまらは たとえいのちは おしまねと  誤らば たとえ命は 惜しまねど
 ちけかれゆえに たまのをも    血穢れ故に 魂の緒も
 みたれてもとに かえらねは    乱れて 元に 還らねば
 たましゐまよひ くるしみて         魂魄(たきしい)迷ひ 苦しみて  
 けもののたねお あいもとむ         獣の種を 合い求む」(寄せ合わす)
 とりもけものも つきひなし           鳥も獣も 月日なし  
 そろはつきひの うるなみそ ゆえにこたふる          ソロは月日の 潤波ぞ 故に堪ふる」
 ひとはもと なかここころは ひつきなり     人は元 ナカゴ心は 日継ぎなり
 すくにまかれは あひこたえ   直ぐに罷れば 合ひ応え
 あめのみやゐに かえさんと            天の宮居に 還さんと   
 けものになるお ととむなり       獣になるを 止むなり   
 わかつねのみけ ちよみくさ      我が常の食  千代見草 
 よのにかなより ももにかし         余の苦菜より 百々苦し 
 にかなのみけに なからえて         苦菜の食に 永らえて 
 たみゆたかにと くにをさむ         民豊かにと 国治む  
 われみるすすき ちゑよたひ         我見る鈴木  千枝四度
 わかみもことし ふそよよろ        我が身も今年 二十四万(歳)  
 いまたさかりの かきつはた        未だ盛りの 杜若
 のちももよろお ふるもしる             後百万(年)を 経るも知る
 くすひよくきけ  ここりひめ             クスヒよく聞け ココリ姫
 かたれることは とこたちの          語れる事は トコタチの  
 やもおめくりて にしのくに       八方を廻りて 西の国
 くろそのつみて かにあたる      クロソノツミテ カに当る 
 なもあかかたの とよくんぬ        名も赤県の トヨクンヌ
 よよをさむれと としおへて     代々治むれど 年を経て 
 みちつきぬるお うけすてめ         道尽きぬるを ウケステメ
 ねのくににきて たまきねに        根の国に来て タマキネに
 よくつかふれは みにこたえ          よく仕ふれば 実に応え  
 ここりのいもと むすはせて       ココリの妹と 結ばせて 
 やまのみちのく さつけます         和(やま)の道奥 授けます
 よろこひかえる うけすてめ   喜び帰る ウケステメ  
 ころひんきみと ちなみあい    コロヒン君と 因み合い 
 くろそのつもる  みこうみて     クロソノツモル 御子生みて
 にしのははかみ またきたり        西の母上 また来たり
 ころやまもとは おろかにて        コロ山下は 愚かにて 
 ししあちたしみ はやかれし         肉味嗜み 早枯し 
 ももやふももそ たまゆらに          百や二百ぞ たまゆらに  
 ちよろあれとも ひひのしし       千万あれども 弥々の肉   
 しなきみいてて ちよみくさ  たつぬとなけく    シナ君出でて 千齢見草 尋ぬと嘆く
 わかみみも けかるるあかお     我が耳も '穢るる垢を
 みそきせし なからふみちお よろこへは    禊せし 永らふ道'を 喜べば
 かれおなけきて みちさつく          枯を嘆きて 道授く  
 おもえいのちは みのたから ことわさもせな 思え命は 実の宝 殊業もせな   
 よろきみも ひとりいのちの かわりなし     万君も ひとり命の 代りなし
 ときこぬかれは くるしみて         時来ぬ枯は 苦しみて
 たまのをみたれ あにあえす          魂の緒乱れ 天に和えず  
 よあひたもちて あにあかる      齢保ちて 天に上がる   
 ときはたのしみ まかるなり      時は楽しみ 罷るなり
 これここなしの ときまちて         これ菊の 時全ちて 
 かるるにほひも ひとのみも   枯るる匂いも 人の身も 
 すかかてはみて よろほゑて     清糧(すがかて)食みて  万穂得て 
 かるるにほいも ここなしそ    枯るる匂いも 菊(ここなし)ぞ 
 おもむろすくに かんかたち           骸直ぐに 神形    
 かししはくさく をもみたれ       汚肉は臭く 緒も乱れ  
 とくはあらひみ うるとなも        解くは散斎 潤留菜も
 ここなひつきの みたねゆえ         菊日月の 霊種ゆえ  
 くえはめのたま あきらかに        食えば目の玉 明らかに
 あひもとむなり あめのみち          合ひ求むなり 天の道     
 なすひとかみに あひもとむ      為す人神に 合ひ求む 
 ゆえにここなし めつむこれかな             故に菊(ここなし) 愛つむこれかな」

【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)15、食万事成り初めの文】
 食万事 成り初めの文
 「天地も 和(のど)けき時に 天照」、「神の御幸の 二見潟」、「潮を浴びて 禊なす」、「供のクスヒが 訝(いぶか)さを 天に申さく」、「父帝 八房車の 御幸なす」、「神も穢れの あるやらん」。
 天も地ものどかに移ろい世は全て事もなく静かに晴れた一日、天照神は御子のクスヒ(クマノクスヒ)を伴って二見潟(現在の二見の浦)の海岸に御幸され、潮(うしお)を浴びて禊した。この時、お伴のクスヒはふと素朴な疑問を覚えて、父に尋ねた。「父帝は、いつもヤフサクルマ(八房御輿、八角形の神のみこし)に乗られて御幸する日本一尊い神様なのにどうして禊(みそぎ)をなさるのですか。神様でもやはり穢れるのでしょうか」。
 「時に天照 詔」、「汝ヌカタダ 諸も聞け」、「我が生れ根に 垢もなく」、「天陽受け生まれ 根は清く」、「蠢く民に 目も穢れ」、「悪しき訴えに 耳穢れ」、「放持ちならぬ 教え種」、「納め諭せる 心端の」、 「六端濯ぎて 身を精(し)らげ」。
 この時、天照神曰く、「汝、ヌカタダよ(クスヒの真名・いみな)、皆も良く聞きなさい。私は生まれながらにして心身ともに無垢(むく)な玉子の姿でこの世に遣わされた。出生の時に一片の垢(あか)もなく、天神から尊いタマノオ(魂緒)を下された命なので、ココロネ(心根)は常に清く穢れを知りませんでした。しかし悲しいかな、蠢(うごめ)く民(たみ)を見るにつけ目も穢れ、悪賢い陳情に耳も穢れ、偉そうで鼻持ちならぬ教え草を度々聞くにつけ、その愚かさを戒(いまし)め諭そうと心を痛めるうちにいつしか心身ともに疲れはて穢れてしまいました。私は今、寄せては返す荒波に身を委(ゆだ)ね、ムハシ(六根、目・耳・鼻・口・身・心)の垢を濯(そそ)いで心身ともに清らになり、今やっとヒオネ(太陽の根本)に帰り再び神の姿を取り戻しました」。
 「日陽根(ひをね)に返る 神形」、「汚の肉 食めば 血穢れ」、「四つなる獣は 汚禍過ぎて」、「縮み穢れて 身も枯るる」、「例えば濁る 水乾く」、「肉も濁れば 乾き尽く」、「清菜を食めば 血も清く」、「潮の如し 万齢保つ」、「天の生む民 子の如く」、「長生き見んと 食物の 良し悪し分くる」。
 君は再び力強く話し始めた。「それでは日陽根(ひをね)に基づく神形(かんかたち)の話しをしましょう。肉を食べると血が汚れます。四足の獣を食べると特に汚禍が過ぎ、筋肉が固く凝(こ)り縮み早死にします。例えれば、濁水が乾くと後に汚泥(おでい)がこわばり付く様に、獣肉も食べると動物の汚れた血が全身にへばりつき己の血も汚れて健康を害します。常日頃、新鮮な野菜をたくさん食べなさい。血を清くします。ここ二見の浦の御潮(みしお)の様に力強い生命の如く長寿を保つことができます。私は常々、この国を幾世に渡り担(にな)ってきた臣も民をも分け隔てなく我が子の様に慈しみ、皆がいつまでも豊かで健康に長生きするよう祈ってきました。その為にも、健康で天寿を全うする為に食物の良し悪しを見分ける知識を持たなくてはなりません。
 「生り初めを 諸民聞けよ」、「天地の 開ける時の」、「一息が 陰陽と分れて」、「陽は天に 陰は地となる」、「陽の空 風生み風も 日と分かれ」、「背の宗は 日輪なる」、「妹の鄙元 月となる」、 「地は埴・水 且つ埴は 山里となる」、「埴空 受けて穢は石 清は珠」。
 常に天地創造の生り初めに思いを致すのがユ良い。諸民よ、よく聞きなさい。太古の天地開闢(てんちかいびゃく)の初め、アメミオヤ(天御祖)神はまだ天も地も人も分かれる前の渾沌(こんとん)としたアワウビ(エネルギー、カオス)の中に初(うい)の一息(ひといき)を吹き込みました。やがて宇宙は静かに丸く動いてメ(陰)とオ(陽)に別れ、オ(陽)は軽く昇ってアメ(天)となり、メ(陰)は重く中が凝(こ)ってツチ(地球)となりました。オ(陽)の気をウツホ(空)と名付け、やがてウツホ(空)が動いてカゼ(風)を生み、カゼ(風)も変化してホ(日、火)と別れ、ウツホ(空)、カゼ(風)、ホ(火)はオ(陽)の三化元素となり物の形を現して後に元のアメ(天)に登りました。さらにウオセ(太陽勢)のムネ(宗、中心の意)はヒノワ(日輪)となり、イメ(大陰)のミナモト(源、水の元の意)はツキ(月)となりました。一方ツチ(地球)はハニ(土)とミズ(水)に分離して二化元素となり、かつハニは自ずと山里となり、ミズ(水)は海や湖を造りました。ハニ(土)は又、土中のウツホ(空気)と混成し、清く美しい部分が結晶して玉(宝石)となりました。山岳地帯の清い土もウツホ(空気)が良く浸透してアラガネ(鉱石)となり、土は化けてただの石となりました。
 「山に空の 通り成る」、「粗金のアワ 錫鉛」、「清はハ黄金 シ白金」、「泥に赤金 ハ黒金」、「それ榛(はき)は黄に 桐は白」、「檜は黄赤 栗は黒 」、「出る粗金を タタラ為し 吹子に錬れよ」。
 鉱石の中でもウツホ(空気)が勝る物は錫(すず)や鉛(なまり)に結晶し、清いハニ(土)の勝る部分はキガネ(黄金)を生み、ミズ(清水)の勝る物はシシロガネ(銀)と成り、ウビニ(泥土煮)はアカガネ(銅)に変わり、バ(濁泥)はクロカネ(鉄)になりました。その鉱物の色どりはさまざまで、丁度、ハギ(現・山吹)の花は黄で黄金色、キリ(桐)は白で銀色、ヒノキ(桧)は黄赤で銅色、クリ(栗)は黒く鉄の色の如しです。さあ、今こそ山から大量のアラガネ(鉱石)を掘り起こせ、タタラ(踏鞴、古代和鉄製錬)炉を大いに築きフイゴ(送風具)で強風を送れ、五色花咲くタタラ(精錬)なすのだ。
 「埴受くる 空(うつほ)雨水」、「成る草木 空は助く」、「水冷やす 埴は穢れする」、「花も実も 天の随なり」、「三つは食ふ 二四は食わぬぞ」、「石珠の  二なるは尽きず」、「粗金の 水埴火錬りて 色変る」。
 ウツホ(空)から恵みのミズ(雨水)を受けて大地(土)の植物は生い繁り大切な食物(三化)を育てて人々を助けます。その中には有益な薬草もあります。時にウツホ(空)の気は長寿の助けとなりますが、ミズ(水)は身体を冷やし健康を害することもあり、バ(汚染土)の土地は水も悪く血の循環を害して早死する民もあります。この様に正に花も果(身)もみな天の御心のままに移ろい係わって循環します。又、ミツ(三化)の植物や魚類には食べるべき物が多くありますが、フヨ(二化四化)の鉱物や動物は食べません。宝石の場合、フ(二化)は結晶した姿で多く産出しますが、他の鉱石は精練して有用な金属となります。ミズ(水)を含む草木を餌(えさ)に群れ住むミツナ(三化名)の虫は本来鳴きませんが、カゼ(風)の気を含んで美しく鳴く虫となりこれは空を飛ぶ虫も地中の虫も同様です。 ウツホ(空)とカゼ(風)、ホ(火)、ミズ(水)の四気が化成して生じたのが鳥類(四化)で、その中でもウツホ(空)が勝っている鳥は良く空を飛び、カゼ(風)の勝る鳥は美声で囀(さえず)り、ホ(火)の勝る鳥は良く水に泳ぎ、特にミズ(水)に勝る鳥の羽は柔らかで上等な羽二重(はぶたえ)の原料となります。
 「草木の虫の 三つの交 風に声あり」、「空跳ね 埴虫もこれ」、「空風 火水の四つが」、「成る鳥の 火勝つは泳ぐ」、「埴と水 火風の四つが」、「成る獣 風水熟(よ)るを」、「名も三声 狐狸ぞ」、 「火と埴の 熟るは二声」、「猪猿ぞ 四つ名もこれぞ」。
 ハニ(土)とミズ(水)、ホ(火)、カゼ(風)の四気が化けて生じたのが畜獣(四化)で、その中でもカゼ(風)、ミズ(水)に片寄る獣をミコエ(三声・音)でよび、キツネ、タヌキ、ウサギ、ネスミ等と言います。又、ホ(火)とハニ(土)に片寄る獣はフタコエ(二声・音)で表し、イノ(猪)、マシ(猿)、ムマ(馬)、ウシ(牛)、シカ(鹿)、エヌ(犬)、クマ(熊)です。ヨツナ(四声名)の獣も同様で、カワウソ、ムササビ、カモシカ等がいます。
 「月の水 下せる露は」、「川の水 空受くれば」、「雲と成り ちあゆみ (沸き立ち)昇る」、「埴の息 昇る毬栗」、「飯の態 十八トメチ突え」、「雲半ば 経れば陰遂に」、「合ひ求め 雨と降るなり」、「寒風に 雪と凍れど 陽に融ける」、「夜潤波受けて 成る潮」、「焼塩清の 器物」、「食めば身の垢 免かるる」、「水埴含む 火成る貝」、「水受く空  火成る魚」、「しは鱗好し 火は臭し」。
 月の滴(しずく)が降って露となり草木を潤し、集まって川の流れとなります。後に川の水(液体)はウツホ(空気)に接して蒸発し空高く昇って雲(気体)となります。その雲の姿は正に千歩の天に駆け昇る大地の息吹を思わせ、ある雲の形は天を被(おお)う毬栗(いがくり)が弾(はじ)けた様で、又ある雲はてんこ盛りのめし(御飯)の形のもあります。天に浮かぶ雲までの距離はなんと十八トメジの彼方です。(一例、地球の直径12,756km ÷ 古代地球直径114トメジ ≒ 1トメジの距離約112km. 18トメジ × 112km =雲までの高さ2,016km ミカサフミ・タカマナルアヤ129頁・松本善之助監修) 空から雲が半ば重く垂れ下ってくると、地上の草木の芽が雲に向って呼びかけ求め合って雨になり地上に降り注いで川となり元の水(液体)の姿に戻ります。冬になると雨水も寒風に吹かれて雪となり氷(個体)りつく様になりますが、再び春の暖かいオ(陽)の気を受けると溶けて水に戻り流れます。

 ヨルナミ(夜月霊)を受けて化成した大海原(水)のうしお(潮)を焼いて造る御塩(みしお)は、特に浄化力に勝れて「祓い清めの塩」として重要なうつわ物(神饌)の第一です。人は塩を毎日食べ、塩を撒(ま)いて悪霊(あくりょう)を防ぎ、塩を盛って家の門口を守るのも、皆ヨルナミ(夜月霊)の霊力により身の垢(あか)を免れるからです。水中(ミズ)で土(ハニ)を多く含み火(ホ)に勝るのは貝類(三化)で、水(ミズ)に空(ウツホ)を受けて泳ぐ火(ホ)成る物は魚類(三化)です。特に鱗(うろこ)有る魚は食べて旨(うま)く身を清める栄養源ですが、ホ(火)の勝る鱗(うろこ)なき魚は臭くて食べられず勧(すす)めません。
 「昔中国 ウケモチの」、「神が食菜を 天に乞えば」、「日夜潤種を 地に下す」、「日潤に生ゆる 潤の繁は」、「潤田の具え 夜潤波に」、「生ゆる和菜は 畑の種」、「クニトコタチの 天祀る 御供は木の実か」、「クニサツチ 生むウケモチの」、「八代の孫 今のカダなり」、「ウケモチが 八月初日に 成る果穂」、「トヨクン主に 奉る」、「神は赤白黄の 斎和幣」、「天中主の 神祀る」、「ソロの果実の 御供も又」、「臼搗き精げ 初日には 粥と汁とぞ」。
 天照神はなおも語り諭し教え続けました。天と地と人の幽玄な五化元素の係わりと、神が与え下す尊い人命を守る食物の話しに増々力が入っていった。その昔、葦原中国(あしはらなかくに、近畿・中国地方)を治めていたウケモチが天御中主に民の為に良い食糧の種を授け給えと祈ったところ、その願いが天に届き太陽と月の精霊をいっぱいに含んだヒヨウル種が天から頭上に落ちてきた。ウケモチが早速恵みの種を播いたところ、太陽(ヒウル)の気を受けて水辺に生え出た穀物が水田の稲(ウルタのゾ苗)となり、月の霊気(ヨルナミ)を含んで生え育った食物は畑の作物となった。この時ウケモチが最初に播いた種が、八月一日(ハツキハツヒ)に実もたわわな稲穂と成って収穫の秋を迎え、刈り取った初穂を先ず三代目天神トヨクンヌシ(豊斟渟)に奉って収穫を共に祝った。君は赤、白、黄色の木綿和幣(ゆふにぎて)をアメナカフシ(天中節)の神に捧げて感謝の祭りをし、早速精(しら)げた米(よね)を炊(かし)いだ神饌を供えた。(この故事により旧暦八月朔日に友人、知人間で贈答をして祝う習慣が生まれハッサクの祝いとして江戸時代まで伝えられてきた)。後に、臼と杵でついて作った餅と汁とを一月元旦に神にお供えするようになり、特に敬虔な四代目天神のウビチニは毎月一日に御食を神に奉げてお仕えした。
 「ウヒヂニは 月毎祭る オモタルの」、「末に穂細と なる故に」、「ツキヨミ遣りて 潤繁種」、「得んと至れば 丸屋にて」、「凝泥に向えば 注ぎ桶の」、「口より米の 飯炊ぐ」、「園に向えば 肥掛くる」、「手篭に入れ来て スズ菜汁」、「百々たくわえて 御饗(みあえ)なす」。
 ところがどうしたわけか六代目天神のオモタル・カシコネ(面足・惶根)の時代になると、徐々に稲の実のりが落ちてきて不作の年が続くようになった。民の暮しを大層心配された天照神は、かねてから良い種を育てていると評判の高いウケモチの国に行き、強い種(ウルゾタネ)を分けてもらおうとお考えになり弟のツキヨミ(月読)を勅使として派遣した。実はウケモチの神一族は、天から稲の種を最初に授かって以来営々と品種改良に努めてきた。特に肥料として人糞をかけると実のりが良いことをいち早く知り、風水害や害虫にも強く実り多い品種を育ててきた。出掛けると、丸屋(便所)で用を足した糞尿を注ぎ桶し、その口より米の飯を炊いでいた。田畑に向かうと、肥を掛けていた。このようにして育てた作物を手篭に入れ来てスズ菜汁にして、それらの品数を色々揃えて御饗(みあえ)した。
 「ツキヨミ怒り 卑しきの」、「唾吐く穢れ 交わんやと」、「剣を抜きて 打ち殺し」、「返言(かえりごと)なせば 大御神」、「汝逆なし 合ひ見ずと」、「政り離れて 蹌踉きます」、「アメクマ遣れば 既に去り」、「カダが潤繁の 種捧ぐ」、「クマト返れば 長が田に」、「植ゆるその秋 八束(やつか)穂の」、「成れば国富み 快く」、「また繭ふくみ (茹でる) 糸和きて」、「繭醸の道も 教ゆれば」、「カダの命は 代々の民 守り司ぞ」。
 ツキヨミは怒り、「無礼者!こんなつばはきかける穢れたものが食えるか!」と言うや食事を蹴散らして立ち上がると剣を抜いてウケモチを打ち殺した。ツキヨミは急ぎ宮中にとって返してこの無礼者の一部始終を天照神に報告した。黙って聞いていた天照神は驚きかつ困惑し弟をキッと見据えると、「なんじは、善悪の見境もない非情なやつだ。取り返しのつかない罪を犯してくれた。もう二度と顔を見たくない。下れ」と、いつになく強い口調で叱りつけた。このことがあって天照神は一時期朝政(あさまつりごと)を離れて夜になって宮に昇る様になった。天照神は、先の弟ツキヨミの犯した不祥事を詫びるために新たにアメクマド(天能人)を勅使に立て再度ウケモチの国に派遣した。着いてみるとウケモチはすでに死亡しており、ウケモチの子のカダ(カダマロ、荷田麿)が失礼のないよう宮中の風習に習って丁重にお迎えした。すっかり打ち解けた両人は再会を誓い合い、特に天照神へのみやげには注意深く選別した強い種籾(たねもみ)を奉げた。アメクマドが種を持ち帰ると早速天照神は詔を発して全国の村長(むらおさ)を集めその種を各々に配って国に持ち帰らせそれぞれ水田に播かせた所、その秋には八握穂(ヤツカボ・八握りもある大きな稲穂)が重くたれ下がり国中大豊作となった。国は再び富み、民の暮しも豊かになり平和がよみがえった。又、カダは一度煮た繭を口に含んで湿らせながら絹糸を引き出して紡ぐ技術を初めて考案し、民にこの製糸法を教え広めて蚕飼(こかい)の技術を普及させた。これまで諸民は麻と木綿の衣服だけ着ていたので、新たに美しい絹織物を得たことで民の生活に楽しみが増し、カダは正に民の田守り司(たもりつかさ)と後々までもあがめられた。
 「諸民も 良く聞け常の」、「食物は ソロは幸ひ 鱗魚」、「次なり鳥は 火が勝ちて 殆んど罷る」、「灯し火の 掻き立て油 減る如く」、「火勝ち命の 油減る」、「誤り三手の 獣食めば」、「肉凝り縮み 空肥えて」、「身の油減り 気も枯れて やがて罷るぞ」、「二月半 スズシロ食えよ」、「二手獣は 食えば生きても 腐り臭」、「神と中絶え 忌籠屋に」、「三年スズシロ  シラヒゲも」、「ハジカミ食みて 垢濯げ」。
 モロタミ(諸民)もしかと聞きなさい。日常の食物で最も優れ物はゾロ(米・ぞろぞろ、ぞろ目、ぞろっと等、揃うの語源)が一番です。二番目に良いのが鱗(うろこ)の有る魚です。次は鳥ですが鳥はホ(火)が勝ち過ぎており、たくさん食べたほとんどの人は遅かれ早かれ病となり死んでゆきます。。この事を譬(たと)えれば、灯火(ともしび)の火をもっと明るくしようとむやみやたらに灯心を掻き立てて、末は我が身の油を早く使い切って命を縮めるのと同じことです。注意しなさい。最も恐るべきは誤ってミテ(三字・璽)の獣を食べる事です。食べたとたん己の血肉が凝(こ)って縮み、身の油を減らしながら空肥(からぶとり)して気が枯れて早死にします。二ヶ月半の間、スズシロ(大根の別称)を大量に食べるのが良いです。フテ(二字・璽)の獣を食べた者は、たとえ生きたとてその臭さは腐る屍(しかばね)同然、生き腐れの毛枯れ(けがれ、汚れの語源)になります。三年間、スズシロ(大根)を大量に食べさせて体毒を消し、薬にシラヒゲ(白髭、芹・せり)とハジカミ(しょうが又は山椒・さんしょう)を食べて徹底して身の不浄な垢(あか)を濯(そそ)げるのが良い。
 「やや人となる 諏訪の神」、「信濃は寒く 鳥獣に」、「寒さ凌ぐと 乞ふ故に」、「なお改めて 間物の 魚は四十あり」、「これも三日 スズ菜に消せよ」、「水鳥を 食えば二十一日 スズ菜得よ」、「万の鳥獣 戒めと 普く布れし」。
 次第に人に戻ってきている諏訪の神(建御名方、たけみなかた、長野)が願い出るには、信濃は大層寒く魚も多く取れません。民はやむなく魚の代わりに鳥獣の肉を食べて寒さを凌(しの)いでいます。どうか食べ物の乏しい冬場だけでも肉食をお許し下さい」。「ならぬ。邪食はならぬ。今ここでシシ(四足、獣)を許せば、民は皆汚れて病になり国の平和が乱れる。肉の代わりのアイモノに四十種も魚があるではないか。魚を食べよ。これとて食後三日の間はスズナ(菘・蕪 かぶ)を食べ良く身の毒を消すのだ。もし誤って水鳥を食べた者は二十一日間スズナを食べ身の汚れを祓えよ。今この場で世の鳥獣食を固く戒(いまし)め禁止する。すぐに掟(おきて)を厳しく改め、天下あまねく法(のり)を触れよ」。
 「誤らば たとえ命は 惜しまねど」、「血穢れ故に 魂の緒も」、「乱れて 元に 還らねば」、「魂魄(たきしい)迷ひ 苦しみて」、「獣の種を 合い求む」(寄せ合わす)」、「鳥も獣も 月日なし」、「ソロは月日の 潤波ぞ 故に堪ふる」。
 たとえ間違いで鳥獣を食べ、命が惜しくもない)とうそぶいたとて、その者の血は確実に獣の血に汚染され、タマノオ(魂緒、人の魂(タマ)と魄(シイ肉体)を結ぶ命の緒)が乱れたままで天上サゴクシロ(精奇城)の元宮(死者の霊が帰る大元宮)に帰れないてので、魂魄(たましい)は巷(ちまた)に迷い、浮かぶ瀬もなく彷徨(さまよ)ったあげくの果てに安易な獣の霊と求め合い、ついに人間界を離れて獣の世界へ消えて来世は獣に生れるぞ。鳥や獣は四化元素で生じただけで一化元素が足りず、ヒウル(日精)もツキナミ(月霊)もなく「潤波ぞ 故に堪ふる。
 「人は元 ナカゴ心は 日継ぎなり」、「直ぐに罷れば 合ひ応え」、「天の宮居に 還さんと」、「天の宮居に 還さんと」、「獣になるを 止むなり」、「我が常の食  千代見草」、「余の苦菜より 百々苦し」、 「苦菜の食に 永らえて」、「民豊かにと 国治む 」、「我見る鈴木  千枝四度 」、「我が身も今年 二十四万(歳)」、「未だ盛りの 杜若」、「後百万(年)を 経るも知る」。
 人は獣と違って空、風、火、水、土、の五化元素が化成して生じた故に、特別に日月の精霊を受けてナカゴ・ココロバ(心意)を有して生れます。これゆえ、一生を素直に生き、己の本分を良く守って努力し、人の模範となり死を迎えた人は、特に天神の神意に良く適(かな)い、神はこの者が獣の世界に迷い込まぬ様に天の元宮に帰るまで見守り導いてくれます。

 我が日常の御食(ミケ)には、誰も食べようとしない特別のチヨミ草(千代見草、不老長寿の仙薬)があります。この菜は世人の言う苦菜(にがな)より百倍も苦い食物です。私はこの千代見草の食事のお陰で他の人より百倍も長生きして、今日まで民が健康で豊かにあれと祈りつつ国を治めて参りました。私は既にチエ(千枝)のスズキ(鈴木、天真榊・アメノマサカキ・六万年目に千枝(チエ)となり枯れる古代暦)が四度枯れて変わるのを見届けて来ました。我が身も今年二十四万歳になるが、今だ盛りの杜若(かきつばた)の様に壮健で美しく生きています。後の世の百万年後も私は長生きして国民の行く末を見守るでしょう。
 「クスヒよく聞け ココリ姫 」、「語れる事は トコタチの」、「八方を廻りて 西の国」、「クロソノツミテ カに当る」、「名も赤県の トヨクンヌ」、「代々治むれど 年を経て」、「道尽きぬるを ウケステメ」、「根の国に来て タマキネに」、「よく仕ふれば 実に応え」、「ココリの妹と 結ばせて」、「和(やま)の道奥 授けます」、「喜び帰る ウケステメ」、「コロヒン君と 因み合い」、「クロソノツモル 御子生みて」、「西の母上 また来たり」。

 クスヒ良く聞きなさい。ココリ姫(菊理姫)が語るところによると、遠い昔、クニトコタチ(国常立、天神一代目)は地球の八方の地を巡り廻って西方の地に至り、クロソノツミ国(玄圃積国、崑崙山にあるという仙人のいる地)を建国した。元々この地方全体を力(夏)と通称していたところから、赤県(アカガタの神州)と呼ばれた。クニトコタチの三代目に当たるトヨクンヌ(豊斟渟、天神三代)が代々その国を治めてきた。ところが長い年月を経るうちに神代の天成るの道の教えが風化し尽きて、地理的環境から風俗習慣はもとより食物や言葉まですっかり変わってしまった。トヨクンヌの血筋を引いた子孫のウケステメ(西王母の真名・中国に古く信仰された女仙)は天成るの道の衰えを深く案じて、遥かに遠い崑崙山(こんろんさん)の麓(ふもと)からはるばる根の国に来て、タマキネ(伊勢外宮祭神 豊受神の真名)に仕えて修行した。君(豊受の神)は、ココリ姫(菊理姫)の妹と一緒に和(やま)の道の奥義を授けた。喜んで帰国したウケステメは、後に彼の地でコロヒン君(崑崙王、こんろん)と結婚してクロソノツモル(玄圃積)御子を生んだ。後に西の母上(西王母)と呼ばれるようになり、再度やって来た。

 「コロ山下は 愚かにて」、「肉味嗜み 早枯し 百や二百ぞ」、「たまゆらに 千万あれども 弥々の肉」、「シナ君出でて 千齢見草 尋ぬと嘆く」、「我が耳も '穢るる垢を 禊せし」、「永らふ道を 喜べば」、「枯を嘆きて 道授く」。君曰く、「この哀れむべき話を聞くに及び、我が汚れし耳垢を払うべく禊(みそぎ)することにした。天成るの道が長く続く事が我が最良の喜びであり、この道が枯れる事は嘆かわしい。それでは天成るの道を授けよう。
 西王母は、君(豊受の神)に再会を果たすと、思いの丈(たけ)をぶちまけるかの様に、救い難き国情を涙ながらに訴えた。「コロヤマ(崑崙山)国の民は愚かにも、肉味を好んで食べ、為に早死にし百歳か長くて二百歳位で亡(な)くなっています。稀(まれ)には、たまに幸運に恵まれ千歳、万歳の者もいるにはいますが、幾ら肉食を禁じても止まりません。シナ(支那)君が現れ、聞くところによるとシナ君も又チヨミ草(千代見草、不老長寿の仙薬)を尋ね探し求めていますが未だ入手できず嘆いています。どうか私の国の民に健康と長寿のオクノリ(奥法)をお授け下さい」。
 「思え命は 実の宝 殊業もせな」、「万君も ひとり命の 代わりなし」、「時来ぬ枯は 苦しみて」、「魂の緒乱れ 天に和えず」、「齢保ちて 天に上がる」、「時は楽しみ 罷るなり」、「これ菊の 時全ちて 枯るる匂も」、「人の身も 清糧食みて」、「万穂得て 枯るる匂も 菊ぞ」、「骸直ぐに 神形」。
 「思え。万君揃えども、一人の命に代わることはできない。寿命の天命を待たずに早死にすれば苦しみ、そのタマノオ(魂の緒)が乱れ苦しんで天の理に適わない。天寿を全うしてこそ楽しいのであり、これに反して亡くなるのは良くないことです。ココナシ(菊)の花が冬を静かに待って自然に枯れ行く日まで香わしく匂い続ける様に、人の身も清い食糧を食べることで万年の寿命を得るのであり、枯れた時の匂いもココナシ(菊)のそれになる。骸(亡骸)がそのままカンカタチ(神体)となる。
 「よくよく思えよ。命と云うものは、身の宝である。これを諺にするとよい。萬世の君も、命はたった一つで取り替えることはできない。寿命をまっとうしないで、神上がるときを待たずして死ねば、魂の緒は乱れ苦しみ天界の宮居に復帰することはあたわない。寿命を保ち天に還るときは、楽しみながら身罷ることができるであろう。菊のように美しく清らかな心身となって身罷るのが一番よい。清らかな御食を食し万歳の長寿を得れば、身罷るとき匂いも菊の匂いになるというものである。遺骸はすぐに神々しい神の形となる。
 「汚肉は臭く 緒も乱れ」、「解くは散斎 潤留菜も」、「菊日月の 霊種ゆえ」、「食えば目の玉 明らかに」、「合ひ求むなり 天の道」、「為す人神に 合ひ求む」、「故に菊 愛つむこれかな」」。
 これに反し汚肉(ガシシ)を食べた者は腐る屍の如く臭く魂の緒も乱れる。これを分解するには、アライミ(潔斎、けっさい)をして心身を清め、ウル(米、うるち)ナ(菊菜)を食べれば良い。霊種ゆえに、食べれば眼の球が清く明らかとなる。このようにして助け合う様に互いに求めるのが天成るの道であり、この道を為す人と神が感応して互いに求めあうことになる。この故に、ココナシ(菊)の花を常々愛(め)で尊ぶ由縁がここにある。
 穢れた肉を食べていれば死んだとき匂いも臭く、魂の緒も乱れて苦しんでしまう。それを解くには祓いと日の霊気がよい。菊は日月の霊気を両方兼ね備えた植物であるので、食べれば目が明らかとなり、天御祖神の瞳と感応して、天界に帰幽することができるのである。天の道に従い清らかな食物を食む人は神が相求める。それゆえ、古来から菊を愛でる風習があるのです」。





(私論.私見)