ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)14

 

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 2011.12.25日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)14、世嗣祈る宣言(とこと)の文】
 アマテル神、世嗣(よつぎ)得る祈願の詔のり
 よつきのるの とことのあや  世嗣祈る 宣言(とこと)の文
 あめつちも うちともすかに とほるとき  天地も 内外も清に 通る時 
 やもよろみちの みことひこ  八百万三千の 御子と彦
 みうちにはへり みちおきく  御内に侍り 道を聞く 
 もろよろたみも をしらすに むれきくときに 諸万民も 御白州(おしらす)に 群れ聞く時に
 くしまとは ひのしまおもる   クシマトは 日の州(しま)を守る
 いわまとは つきのしまもる  イワマトは 月の州守る 
 いくしまと たるしまよもの みかきもり イクシマと タルシマ四方の 御垣守り 
 いかすりうちの をにやらひ  イカスリ内の 鬼遣らひ
 かかんのんてん そろふとき カカンノンテン 揃ふ時
 ひたりはたにの さくらうち  左はタニの 桜内
 みよのさくらの ならしうた 御世の桜の 鳴らし歌
 みきはををやま かくつみの 右は大山 香久ツミの
 ときしくかくの いわひうた  研ぎ優(し)ぐ香久の 祝い歌 
 こことむすひか かかんなす  ココトムスビが カカンなす  
 かすかわかひこ みはしらお 春日若彦 御柱を
 よつきみくらに みてむすひ 世嗣御座に 御手結び 
 あめのみをやお まねきこふ 天の御祖を 招き請ふ
 ををものぬしか のんなして 大物主が ノンなして
 よろきみほひこ ゆふはなに  ヨロギミホ彦 木綿(ゆふ)花に
 やいろにきての かみすすむ   八色和幣(にきて)の 神進む
 ひとことぬしか てんなして  一言主が テンなして
 かたきやすひこ ぬさくして  葛城ヤス彦 幣串垂(ぬさくして)
 よそこのはなに このみなる 四十九の花に 木の実成る
 あくりおゑんと もろをかむ  アグリを得んと 諸拝む
 ときにあまてる ををんかみ 時に天照 大御神
 よつきのあやお をらんとす 世嗣の文を 織らんとす
 よろのよわひの みことひこ 万の齢の 御子と彦 
 ややちよたもつ たみもみな やや千代保つ 民も皆な
 くにとこたちの こすえなり  クニトコタチの 子末なり
 そのもとふつく あめみをや  その本悉く 天御祖
 あめつちひとも わかさるに  天地人も 分かざるに
 ういのひといき うこくとき 初の一息 動く時
 ひかしのほりて にしくたり 東昇りて 西降り
 うつほにめくり あわうひの 空洞(うつほ)に廻り 天地初発(うひ)の 
 めくれるなかの みはしらに さけてめをなる  廻れる中の 御柱に 裂けて陰陽(めを)成る
 をはきよく かろくめくりて あまとなり  陽は清く 軽く廻りて 天と成り 
 めはなかにこり くにとなる 陰は中に凝り 地(くに)と成る
 みつはにわかれ をのうつほ  水(はに、土)分かれ 陽の空(うつほ)
 かせうむかせも ほおうみて 風生む風も 火を生みて
 をはみつとなり めはふたつ 陽は三つとなり 陰は二つ
 をせのむなもと ひとまろめ 背のムナモト 日と丸ろめ 
 ゐものみなもと つきとこり 妹のミナモト 月と凝り 
 うつほかせほと みつはにの 空風火(うさほかぜほ)と 水埴の
 ゐつましわりて ひととなる 五つ交わりて 人と成る
 あめなかぬしの かみはこれ 雨中主の 神はこれ
 やもよろくにに よろこうみ みなくはりおく   八方(面)万国に 万子生み 皆な配り置く 
 ひとのはつ あめにかえりて あめみをや 人の初 天に還りて 天御神(あめのみおや)
 あめのかたちは いわをやま 天の形は 巌山
 ひつきもくにも はらこもり  日月も国も はら籠り
 とはやゑにきて もとあけの 外は八重和幣(にぎて) 元明の
 よそこのたねの なかみくら    四十九の種の 中御座 
 みをやつけたす けたすみに   御祖告げ治(た)す 方隅に
 やきみとほかみ ゑひためそ    八君トホ神 ヱヒタメぞ 
 つきあいふへも をすしかみ    次アイフヘモ ヲスシ神
 すえはみそふの たみめひこ     末は三十二の タミメ彦 
 もとなかすえの みくらあり    元中末の 三座あり 
 そむよろやちの ものそひて     十六万八千の モノ添(副)ひて
 ひとうまるとき もとつかみ   人生まる時 元つ神 
 そのたえもりか たねくたし    そのタエ守が 種下し 
 ものとたましゐ ゆひやわす   モノと魂魄(たましゐ) 結ひ和す
 あなれくらわた しむねこゑ なりわみめかみ      天なれ臓腑(くらわた) 血脈(しむ)音声 なりわ見目髪」
 わかかみは ひつきのうるお くたすゆゑ       我が神は 日月の潤を 下す故
 よつきうまんと おもふとき    世嗣生まんと 思ふ時 
 めのあかそそき あさひのり       目の垢濯ぎ 朝日祈り
 めよりつきひの うるおゑて    目より月日の 潤を得て
 とつけはをせの うるなみか   婚げば御背の 潤波が 
 たましまかわの いもかちと    玉島川の 妹が霊と
 はらむしらほね ちちのなみ   はらむ白髄(ほね) 父の波
 ははのあかちと ちなみあひ    母の赤霊(あかち)と 因(ちな)み合ひ
 ひるはちのほり よはなみの     昼は霊昇り 夜は波の
 のほるひつきの ひとめくり    昇る日月の 一廻り
 あすふためくり みめくりと    翌日二回り 三廻りと
 つきにみそわの めくりまし   月に三十回の 廻り増し 
 ややむそよかに めくりみつ    やや六十四日に 廻り満つ
 すへてちやそに めくりとけ    総べて千八十に 廻り遂げ
 ややみとりこの なりそなふ    やや緑り子の 態(なり)備ふ
 ちなみのあかは おのころの              因みの赤は  オノコロの
 ゑなのかたちは かわくるま ほそのをとなる    胞衣(えな)の形は 河車 臍の緒となる 
 みはしらの ほとよくおもり めくりかけ 御柱の 程好く重り 廻りかけ
 ひにひとめくり おくれへり   日に一回り 遅れ経り
 やよゐはみそこ はなおそふ    三月は三十九 花を添ふ
 うつきみつれは みとりつす     四月満つれば  緑つす 
 さつきさのころ ひとめくり    五月サの頃(5月7日頃) 一廻り
 さつさはらをひ ゐわたなす     サツサ腹帯 五腑(いわた)成す
 なかくたとほる あめのほと   中菅通る 天の火と
 たらちねのほと めおまねき   母(たらちね)の火と 陰(め)を招き
 むつのちなみの つゆあふれ   睦の因みの 露溢れ  
 みなつきかわき ほそのをえ    六月乾き  臍の緒へ 
 ちしるとほれは みおひたす    血汁通れば 身を養(ひた)す
 ちしるにられて ゐついろの   血汁熟られて 五つ色の
 はにもてつくる もりのかみ    埴(はに)もて作る  守の神
 ふつきくらむら はつきわた  七月臓(くら)腎(むら) 八月腑(わた)
 なかつきはみめ しむそよへ    九月は眉目(みめ) 血脈十四経(そよへ)
 こゑのよそやち あわのかみ     声の四十八方 アワの神 
 すへこそむあや そなわりて   総九十六紋 備わりて
 そふにゑなぬき うまるなり    十二月(そふ)に胞衣脱ぎ 生まるなり
 たとえめあれと よつきなく               たとえ女あれど 世嗣なく
 ゑんとおもはは あくりしれ    得んと思はば アグリ知れ
 あさひのうるお みにうけて    朝日の潤を 身に受けて
 こみやにあれは よるなみと    子宮にあれば 寄る波と
 ともにめくれと をはさきに    共に廻れど 陽(を)は先に
 めおつつむゆえ せはめられ   陰を包む故 狭められ
 ついにほすゑの はせいてて みとりしちなる     遂に穂末の 生せ出でて 緑りシヂなる 
 をのはしめ これをのこうむ あくりなり     陽の始め これ男の子生む アクリなり 
 めのこはさきに つきやとり のちひおまねく  女の子は先に 月宿り 後日を招く  
 めははやく をはつつまれて しちならす          女は早く 男は包まれて シチ成らず
 たましまかとに いゑりなす    玉島角に イヱリなす
 これめのはしめ めのこうむ     これ女の始め 女の子生む 
 をのこほしくは あくりなせ     男の子欲しくば アグリなせ
 わかみおそゑて ゑさしめん    我が身を添えて 得さしめん
 あまてるくには わかみたま ありとしるへし    天照国は 我が御魂 ありと知るべし
 われむかし ひのわにありて てらせとも     我れ昔 日の輪にありて 照らせども
 ひとみおうけす みちひかす    人身を受けず 導かず
 ふたかみために たらちねと  二神ために  父母(たらちね)と 
 なりてまねけは ひとのみと     なりて招けば 人の身と  
 なりてはらめと なかゐして     成りて孕めど 長居して
 こそむつきまて くるしむる     九十六月まで 苦しむる  
 ややうまるれと みひたしに      やや生るれど 身養(ひた)しに
 ひとひもやすき こころなし          一日も安き 心なし 
 わかみはきみと なるとても      我が身は君と なるとても    
 をやのめくみお かえさんと     親の恵みを 返さんと  
 ふしてをもえは こおさつく       伏して思えば 子を授く    
 みちはめくみお かえすなり      道は恵みを 返すなり 
 そのみなもとは とよけかみ        その源は 豊受神 
 かつらきやまに みそきして         葛城山に 禊して       
 さわるよこかお のそかんと やちたひいのる      障る汚曲(よこか)を 除かんと 八千度祈る 
 にまぬけて あまかみひるお  わけくたし         熟(に)ま抜けて 天神日霊を 分け降し   
 わかこころうる みちなるは        我が心得る (我が霊魂を世に現す) 道成るば
 あさひのみやに かみまつり         朝日の宮に 神祀り   
 あめのみをやに こたふなり              天御神に 応ふなり
 よつきのはたお をらんとて             世嗣の機を 織らんとて 
 ひなくるかすの よつきこお       杼(ひ)投ぐる数の 世嗣子を
 さつくるいせの あくりには         授くる伊勢の アグリには  
 あさひおうけて あたたまる       朝日を受けて  暖まる     
 ときにとつけは こおはらみ    時に婚げば 子を孕み
 いきすこえみめ そなえうむ           息す声眉目 備え生む 
 よつきもかもに みことなり 世嗣もがもに 詔
 わかこころ まねけとほかみ ゑひための 「我が心 招けトホカミ  ヱヒタメの
 くにはみちのふ うつはもの         国は道展ぶ 器物  
 まねかはうえに あらはれて          招かば上に 現れて  
 はたれやふれは さはりなし         ハタレ破れば 障りなし   
 みのすかなれは かみこころ        身の清成れば 神心   
 めくみてはなに みおうるそ         恵みて木に 実を得るぞ    
 いせのをしゑの あめにこたゑて         伊勢の教えの 天に応えて」          
 のとはこれ もろにもふせと  ををすとき   祝詞(のと)はこれ 諸に申せ」と 仰す時
 かすかわかひこ たちいてて            春日若彦 立ち出でて 
 おかみつつしみ あるこころ       拝み謹み ある心 
 もふせるうたに あまいのる         申せる歌に  天祈る
 このてかしはゆ おとおすく       この手拍ゆ 音を清ぐ 
 やとるおなかの みことなる          宿る御中の 命(みこと)成る
 このこはますく たらちねの            この子は真直ぐ 父母の  
 なゑのよつきの みことなりけり           嘗(なえ)の世嗣の 命(みこと)なりけり
 かくみたひ うたひますれは    かく三度 歌ひますれば 
 みほひこも たちうやまひて      ミホ彦も 立ち敬ひて     
 おもふこと もふせるうたに   思ふこと 申せる歌に  
 こおこふる いもをせのかに こもりくの          子を請ふる 妹背の交に 隠りくの 
 こもりそたてん たらちねのかみ         子守り育てん 両親(たらちね)の神
 かくみたひ うたひますれは  かく三度 歌ひますれば
 やすひこも たちうやまひて おもふこと        ヤス彦も 立ち敬ひて 思ふこと  
 もふせるうたに やすやすと 申せる歌に 安々と  
 さくらのははの みとりこお        桜の母の 嬰児(みどりご)を   
 かつてにかけて いてやうません         勝手に掛けて 出でや生ません
 かくみたひ うたひますれは みことのり  かく三度 歌ひますれば 詔
 なんちわかひこ ひとふるに         「汝若彦 一奮に  
 あまのこやねと なにしあゑ        アマノコヤネと 名にし負え
 たまふをしては かすかかみ        賜ふヲシテは 春日神
 またみほひこか みそむこお           またミホ彦が 三十六子を
 ひたすこころは みにこたえ        養す心は 実に応え
 たまふをしては こもりかみ         賜ふヲシテは コモリ神
 またやすひこは やすやすと          またヤス彦は 安々と  
 とりあくことお わさとなせ        取り上ぐ事を 業となせ  
 たまふをしては かつてかみ        賜ふヲシテは カツテ神 
 またもろかみに みことのり       また諸神に 詔
 つきこいのらは わかうたと           「嗣子祈らば 我が歌と  
 こやねとこもり かつてみな      コヤネとコモリ カツテ皆  
 あめにこたふる をしゑなり        天に応ふる 教えなり   
 たみかならすも これなわすれそ      民必らずも これな忘れそ」
 このときに やもよろかみも もろたみも   この時に 八百万神も 諸民も  
 をしゑおききて やちたひに         教えを聞きて 八千度に  
 こたねうること さたまると       子種得る言 定まると
 ちたひうやまふ のとことそこれ          千度敬まふ 宣言(のこと)ぞこれ 

 世嗣祈る 宣言(とこと)の文
 「天地も 内外も清に 通る時」、「八百万三千の 御子と彦」、「御内に侍り 道を聞く」、「諸万民も 御領州に 群れ聞く時に」、「クシマトは 日の州を守る」、「イワマトは 月の州守る」、「イクシマと タルシマ四方の 御垣守り」、「イカスリ内の 鬼遣らひ」、「カカンノンテン 揃ふ時」、「左はタニの 桜ウチ」、「御世の桜の 鳴らし歌」、「右はヲヲヤマ カグツミの」、「研ぎ優(し)ぐ橘の 祝い歌」。
 天地も内外も清らかに治まり、法(のり)は国中にあまねく行き渡って平和が続いていた。こんなある日の事、八百万神(やおよろずのかみ)を守護する三千人の御子と彦達は、伊勢に詣でて御内に侍り、天照神から天成る道の法(のり)を聞いた。何百万の群衆もお白州(しらす)に押し寄せ群れ聞いていた。この時、クシマド(櫛石窓 櫛石窓神社、多紀郡篠山町、兵庫県)は宮の日の門(ひのしま)を警護し、イワマド(豊石窓 同上)は月の門(つきのしま)を守りました。イクシマ(生島 生島足島神社、上田市、長野県)とタルシマ(足島 同上)は四方の瑞垣を守護した。又、宮地のイカスリ(敷地、座摩(イカスリ)神社、東区渡辺町、大阪市)をオニヤライ(鬼打豆)の儀式で邪鬼を追い払い聖域とした。やがてカカンノンデン(篝火、祝詞、太鼓等)の準備ができた頃合を見て、両翼の大臣はそれぞれ太平の歌と祝歌を朗朗と歌い上げて奉納した。左の(大臣)は、谷の桜内で「御世の桜のならし歌(太平歌)」、右(大臣)は オオヤマカグズミ(大山橘祗)の「トキシクカグ(常世敷橘)の祝歌」。
 「ココトムスビが カカンなす」、「春日若彦 御柱を」、「世継神座に 御手結び」、「天の御祖を 招き交ふ」、「大物主が ノンなして」、「ヨロギミホヒコ 木綿(ゆふ)花に」、「八色和幣(にきて)の 神進む」、「一言主が テンなして」、「葛城ヤス彦 幣串垂(ぬさくして)」、「四十九の花に 木の実成る」、「アグリを得んと 諸拝む」。
 ココトムスビ(別名ツワモノヌシ)が篝火(かがりび)を明明と焚き上げ、息子の春日ワカヒコ(春日若彦 天児屋根)が御柱(みはしら)を立て、世嗣(継)神座で御手を結び、天の御祖(天御祖神)の降臨を招き請うた。大物主が祝詞を上げて、息子のヨロギミホヒコ(大物主三代目子守神)は木綿(ゆう、楮コウゾの繊維、布又は紙の原料)花に八色に染めたヤイロニギテ(八色和幣、ぬさ)を捧げ、天上のヨソヤ(四十八)神を勧請(かんじょう)した。一言主(スサノオ・素戔鳴の第七子、カツラギ・ヒコトヌシ)がデン(太鼓等鳴物)を打ち、息子の葛城ヤスヒコが幣串垂(ぬさくしで)を奉納した。諸神達は四十九神の花に木の果が成りますようにと天恵を願って皆ひたむきに拝んだ。
 「時に天照 大御神」、「世嗣の文を 織らんとす」、「万の齢の 命彦」、「やや千代保つ 民も皆」、「クニトコタチの 子末なり」、「その本悉く 天御祖」、「天地人も 分かざるに」、「初の一息 動く時」、「東昇りて 西降り」、「空洞(うつほ)に回り 天地初発の」、「回れる中の 御柱に 裂けて陰陽(めを)成る」、「陽は清く 軽く廻りて 天と成り」、「陰は中に凝り 地(くに)と成る」、「水土分かれ 陽の空(うつほ)」、「風生む風も 火を生みて」、「陽は三つとなり 陰は二つ」、「背のムナモト 日と丸ろめ」、「妹のミナモト 月と凝り」、「空風火と 水埴(はに)の」、「五つ交わりて 人と成る」、「天御中主の 神はこれ」。
 この時、天照神は、世嗣(よつぎ)の紀(ふみ)を編(あむ、編集)まんと欲して詔のりした。「何万年の寿命ある御子と彦(臣)達、又何千年生きる万民も皆大元の祖先は同じクニトコタチ(国常立)の子孫である。その元をさらにさかのぼれば大宇宙神のアメミオヤ(天御祖神)が分け降ろした子の種である。天も地も人もまだ分かれる以前、渾沌としたアワウビ(カオス・エネルギー)の中にアメミオヤが最初の一息を吹き込むと、天空は静かに動き出し東から昇り西に降(くだ)り空洞(うつほ、丸く)回りだした。天地初発(アワウビ)の中心から天の御柱が立ち昇り、二本に裂けてメ(女、陰)とヲ(男、陽)に分かれた。ヲ(陽、男)は清く軽く回って天となり、メ(陰、女)は中心が重く濁って大地となった。メの気は水と土(はに))に別れ、ヲ(男)の気のウツホ(空)は風を生み、火を生んだ。ヲは空、風、火の三つ、メは二つとなった。オセ(陽背・男)のムナモト(宗元)を日と丸めて太陽とし、イモ(陰妹・女)のミナモト(源)は凝り固まって月となった。このウツホ(空)、カゼ(風)、ホ(火)、ミヅ(水)、ハニ(土)の五元素が混じり合ってこの時初めて人体が生まれた。天御中主とはこの神のことを云う。
 「八方(面)万地に 万子生み 皆配り置く」、「人の初 天に還りて 天御神」、「天の形は 巌山」、「日月も地も 張ら籠り 外は八重幣」、「元明の 四十九の種の 中御座」、「御祖継げ足す 方隅に」、「八君トホカミ ヱヒタメぞ」。
  天御中主八方の万国を巡ってヨロコを生み方々に配り置いたので、その子孫がそれぞれの国の最初の先祖となった。大任を果たした後にアメナカヌシは再び天に帰られたので、天に坐す(まします)私達の先祖の親の意を込めてアメミオヤ神(天御祖神)と称えた。この天体の形は巌山(いわおやま)に似ていて、日も月も地球も高い天空に腹籠り、天体の彼方のトコシナエ(永久)には八色のヤエニギテ(八重和幣)が八方に立っている。天上界にはモトアケ(元元明)と称するヨソコ(四十九)の創造神の種ともいえる中神座(みくら)がある。ここにアメノミオヤが坐まして、その外側にミオヤ神を継ぎ足す様に八方の隅には最初にトホカミヱヒタメのアモト八神(天元神)が座している。
 「次アイフヘモ ヲスシ神」、「末は三十二の[身添ふ] タミメヒコ」、「元中末の 三座あり」、「十六万八千の モノ添(副)ひて」、「人生まる時 元つ神」、「そのタエ守が 種下し」、「モノと魂魄 結ひ和す」、「天なれ臓腑(くらわた) 血脈(しむ)音声 なりわ眉見目(みめ)髪」。
 その次の方隅(けたすみ)には、アイフヘモオスシ八神のアナレ(天並)神が座している。最後の方隅(けたすみ)には、各座にタミメ(印相)の三十二(ミソフ)神を配しタミメ彦と呼ぶ。この様に、フトマニ四十九本座図は、中心のナカミクラ(中御座)を別格として、モト、ナカ、スエ(元、中、末)の三座から構成され、この他に四十九神に従属して仕えるモノ(鬼)の総数は十六万八千にも及ぶ。 人が生を受け生まれ出る時、モトツ神(元本四十九神)を助けるタエモリ(当守役)の意志により人の種が降ろされます。この種を使ってモノ(鬼)等を動員しタマ(魂、霊)を創造して後、タマ(霊)とシイ(魄、肉体)をタマノオ(魂の緒)で結(ゆ)い和(やわ)して人命を授けます。アナレ(天並)神はタエモリ(当守役)の造ったクラワタ(臓腑)とシム(血脈)及びネコエ(音声)を司り守護します。又、タミメの神はタエモリの意向を受けて人相と容貌を造り日夜守ります。
 「我が神は 日月の潤を 下す故」、「世嗣生まんと 思ふ時」、「目の垢濯ぎ 朝日祈り」、「目より月日の 潤を得て」、「婚げば背の 潤波が」、「玉島川の 妹が霊と」、「はらむ白髄(ほね) 父の波」、「母の赤霊(あかち)と 因(ちな)み合ひ」、「昼は霊昇り 夜は波の」、「昇る日月の 一回り」、「翌日二回り 三回りと」、「月に三十回の 回り増し」、「やや六十四日に 回り満つ」、「総べて千八十に 回り遂げ」、「やや緑子(みどり子)の 態(なり)備ふ」、「因みの赤は オノコロの」、「胞衣(えな)の形は 河車 臍の緒となる」、「御柱の 程好く重り 廻りかけ」、「日に一回り 遅れ経り」。
 我が神は、日と月のウル(精霊)を天から降ろして世嗣生まんと思ふ時、先ず目の垢(あか)を濯いでから朝日を拝み、目から直接日月のウルを得て後に男女が交わるを良しと教えております。心身を清くしてから交われば、オセ(陽背・男)のウルナミ(精液)が流れてイモ(陰妹・女)のタマシマガワ(卵管)を通り、イモ(女)のチ(卵子)と交わりシラホネ(骨格)が出来上って孕(はら)むことになります。父の白いナミ(精子)と母の赤いアカチ(卵子)とが因み合い受精すると、子宮内では赤白両輪の回転が静かに始まり、それは丁度日と月の運動にも似ています。昼は赤きチ(卵子)が左に昇りて、白きナミが右に降(くだ)り、夜は白が上で赤が下の順に初日は1回転を終えます。翌日は2回転、三日目は3回転と毎日一回転ずつ回転が早まり、一月目には一日に30回転まで増し、六十四日目にやっと極限を迎え1080回転で固定します。この頃になるとやっと緑子(みどりこ、胎児)の姿が備わり初めます。 因(ちなみ、性交)後のアカ(垢、受精卵)はオノコロ(イサナギ、イサナミが天の浮橋の上から矛で海中を探って引き上げた時落ちた潮が凝った物)に似ています。又、えな(胞衣、胎児を包んだ膜と胎盤)の形はカワグルマ(河車・水車)の様で、その心柱は臍(へそ)の緒ともなる天御柱にたとえられ、程よい重さが回転機能を助けています。六十四日目以降は日に一回りし、次第に遅くなります。
 「三月は三十九 端を備ふ」、「四月満つれば  満り達す」、「五月サの頃 一回り」、「サツサ腹帯 五腑(いわた)成す」、「中菅通る 天のほと」、「母(たらちね)のほと 陰(め)を招き」、「睦の因みの 露溢れ」、「六月乾き  臍の緒へ」、「血汁通れば 身を養す」、「血汁熟られて 五つ色の」、 「埴(はに)もて付くる  守の神」、「七月臓(くら)(むな)腎 八月腑(わた)」、「九月はみ目 シム十四経(そよへ)」、「声の四十八方 アワの神」、「総九十六経緯 備わりて」、「十二月(そふ)に胞衣(えな)脱ぎ 生まるなり」。
 やよい(三月)には39回転となり、ひな祭りに因んで花を飾ります。うつき(四月)の満四ヶ月の頃は、本格的に新緑を迎えて胎児も順調に育ち、さつきさの頃(五月上旬)には再び元の1回転に戻り、妊婦はサツサ腹帯(岩田帯、常陸帯)を巻いて身を浄め胎児の保護に努めます。この節になると、中管(天心柱、へその緒)を通る天の火(ホ)と、たらちね(足乳根)の父母の愛の火(ホ)の三陽(男・オ)の心意気が三陰(女・メ)を引き付けて招きます。六つ(睦)のちなみ(因み・性交)の露(羊水)が溢れ出して水のない、みなつき(六月、水無月)を迎えます。六ヶ月目(水無月)からは、直接臍の緒を通じてチシル(浮汁、養分)が胎児に供給され初めて幼体を育てます。この浮汁は体内で煮られて熱を生み五色の埴(はに、土)に変わり、この埴をもってモリノ神(当守役)は、フヅキ(ふみづき、文月、七月)に至ればクラムラ(五臓命門)を造り上げ、ハヅキ(葉月、八月)にはムワタ(六腑)を造ります。ナガヅキ(長月、九月)の表は、顔形三十二相を造り上げ、裏は声の四十八音を定めてアワ四十八神とし、ここで統べてコソムアヤ(九十六紋)が備わり、十二月目に胞衣(えな)を脱いで子が誕生します。
 「たとえ女あれど 世嗣なく」、「得んと思はば アグリ知れ」、「朝日の潤を 身に受けて」、「子宮に在れば 寄る波と」、「共に回れど 陽(を)は先に」、「陰を包む故 狭められ」、「遂に穂末の 生せ出でて 満(みと)りシヂ成る」、「陽の始め これ男の子生む アクリなり」、「女の子は先に 月宿り 後日を招く」、「陰は早く 陽は包まれて シチ成らず」、 「玉島角に  イヱリなす」、「これ陰の始め 女の子生む」、「男の子欲しくば アグリなせ」、「我が身を添えて 得さしめん」、「天照国は 我が霊魂 在りと知るべし」。
又ある人に女の子が有ったとしても、世嗣の男子がない時に、何とか得たいと思うならアグリ(天恵)を知ることです。先ず身を清潔にし、朝日のウル(日精霊、ヒウル)を全身に受け、その霊気が子宮内に達すればやがてヨルナミ(月精霊)を呼び招いて一体となり回転を初めます。オ(陽・男)は先に早く回るので、オ(陽)がメ(陰)を包み込む際に狭まり、遂にオ(陽)の勢いが勝ってホズエ(突起物、男根)が馳せ出(い)でて、これが緑児(みどりこ)のシジ(花茎、陰茎)となる男子の初めで、つまり男子を得るアグリ(天恵)の法である。女子は先に月の霊気(ヨルイキ)が宿って、後にヒル(日霊)を招き入れるので、メ(陰)は早く回りオ(陽)は後に、陰が陽を包み込んでしまいシジ(陰茎)にはならず、タマシマガワ(卵管)の入口にイエリ(女の衿、女陰)を造る。これがメ(女)の初めとなり女子が生まれることになる。真に男子が欲しければ、アグリを得る教えを実行して天に世嗣を祈りなさい。我が身を添えて得さしめん。天下を照らすこのアマテル国の諸神諸民は、真に我が御霊(みたま)により祈願成就することを知るでせう。
 「我れ昔 日輪に在りて 照らせども」、「人身を受けず 導かず」、「二神ために  父母(たらちね)と なりて招けば」、「人の身と 成りて孕めど 長居して」、「九十六月まで 苦しむる」、 「やや生るれど 御養(ひた)しに」、「一日も安き  心無し」、「我が身は君と なるとても」、「親の恵みを  返さんと」、「伏して思えば 子を授く」、「道は恵みを 返すなり」。
 我昔、日輪(ひのわ)に在りて国土を照らせども、人体が備わっていなかったので民を教え導き治める事がかなわなかった。この為両神(ふたかみ、イサナギ・イサナミ)は、我が足乳根(たらちね、父母)となってこの世に招いてくれたゆえ人の身を得て孕め(妊娠)ども、なんと母の胎内に長居し過ぎて、コソム(九十六)月まで父母の心身を悩ませてしまった。そしてやっと生まれたものの、我が教育の為に長年に渡り一日たりといえども父母を安心させる事はなかった。今、我が身は君(天皇)となったといえ、親の恵みに感謝して恩返ししたいと伏して思えば、つまる所子種を得る道を教え広め良く守ることこそが親孝行であり、又我に生を授けてこの世に使わされた天(あま)なる四十九(ヨソコ)神えの恩に報いることにもなる」。
 「その源は 豊受神」、「葛城山に 禊して」、「障る汚曲(よこか)を 除かんと 八千度祈る 」、「熟(に)ま貫けて 天神日霊を 分け降し」、「我が心得る 道成るば」、「朝日の宮に 神祀り」、「天御神に  応ふなり」。
 我が命のその源は豊受神(伊勢外宮祭神)である。豊受神は、葛城山で禊して、汚曲(よこか)の障(さわ)りを除くため八千回祈った。突然太陽のニマ(赤心)が抜きん出て、天神がヒル(日霊)を分け下し、心を自在に操ることができるようになった。その修行ができたので、朝日の宮に神を祀り、天御神(アメミヲヤ)の願いに答えた。
 「世嗣の機を 織らんとて」、「杼(ひ)投ぐる数の 世嗣子を」、「授くる妹背の アグリには」、「朝日を受けて  暖まる」、「時に婚げば 子を孕み」、「息す声見目 備え生む」、「世嗣もがもに 詔」、「我が心 招けトホカミ  ヱヒタメの」、「国は道展ぶ 器物」、「招かば諾に 現れて」、「ハタレ破れば 障りなし」、「身の清成れば 神心」、「恵みて木に  実を得るぞ」、「伊勢の教えの 天に応えて」。
 。豊受神は、世嗣の機(はた)を織ろうとして、梭(ひ・織機の緯糸を通す道具)を次々と投げる様に多数の世嗣子を授かった。妹背のアグリを得るには、朝日を受けて温まった時に男女交われば必ずや子を孕み、息す(呼吸)、声、みめ(容貌)と皆備わって子は無事生れ安産となる。「世嗣もがもに詔」。真に世嗣子を願う者は、我が心を常に招きなさい。このトホカミヱヒタメ八神を大事にする国は道を伸べ弘む神器となる。トホカミヱヒタメ八神を招けば効果がすぐに現われる。神明は悪魔を破るので障りがなくなる。身を潔斎(けっさい)して祈れば神意が下ってアグリ(天恵)を得、花は果(男子)を得る。伊勢の教えが通じて天が応えるからである。
 「宣はこれ 諸に申せと 仰す時」、「春日若彦 立ち出でて」、「拝み謹み 有る心」、「申せる歌に 天祈る」、「この手拍ゆ 音を清ぐ」、「宿る央中の 命(みこと)成る」、「この子は真直ぐ 父母の」、「嘗(なえ)の世嗣の 命(みこと)なりけり 」、「かく三度 歌ひますれば」、「ミホ彦も 立ち敬ひて 思ふこと」、「申せる歌に 子を乞ふる」、「妹背の交に 隠りくの」、「子守り育てん タラチネの神」、「かく三度 歌ひますれば ヤス彦も」、「立ち敬ひて 思ふこと」、「申せる歌に 安々と」、「桜の母の 満り子を」、「勝手に掛けて いでや生ません」。
 「子種を祈り得る我が祝詞言(のりとこと)はこれである。諸民にも広く伝えよ」。この時、カスガワカヒコ(春日大社祭神 天児屋根)は立ち出でて、天照神の坐す高御座(たかみくら)に向って三礼拝を深々とした後に、慎み深く自分の感動を歌に託して唄い上げた。「カスガワカヒコの世嗣祈(の)る歌」。「天神(アマ)祈る この手拍手(かしわ)ゆ 音を直(す)ぐ。宿(胎児)るお腹(なか) 御子(男子)となる。この子は真直(ますぐ)足乳根(たらちね)の苗(なえ)の世嗣の皇子(みこ)となりけり」(天に祈る我が拍手の音は、凛(りん)と直すぐに響いて天神に感応し、やがて母のお腹に宿る胎児は御子(男子)と生まれる。この子は素直に育ち、父母の恩に答えて世嗣の苗として立派な皇子になるだろう)ろ。かく三度、歌い申せば、ミホヒコ(大物主三代目ヨロギマロ 子守神)も立ち出でアマテル神に三度拝礼して敬い、己の胸の思いを歌にして申し上げた。「ミホヒコの世嗣祈(の)る歌」。「子を乞うる 妹背(イモオセ)中に籠(こもり)く(子)の子守り育てん 足乳根(たらちね)の神」(子を求める男女の仲(お腹の語源)に籠る子を、私は父母の神になって守り育てよう)。ミホヒコが三度唄い上げると、ヤスヒコ(葛城麿 ヒトコトヌシの子、勝手神)も立ち上がり三度敬って後、自分の思いのたけを唄い上げた。「安々と 桜の馬場の 緑子(みどり子)を かつ(且つ)手に掛けて出でや生ません」(順調に育った桜の花咲く馬場の緑子(胎児)を私の手で安全に出産させて上げましょう)。
 「かく三度 歌ひますれば 詔」、「汝若彦 一奮に」、「アマノコヤネと 名にし負え」、「賜ふヲシテは 春日神」、「またミホ彦が 三十六子を」、「養す心は 実に応え」、「賜ふヲシテは コモリ神」、「またヤス彦は 安々と」、「取り上ぐ事を 業となせ」、「賜ふヲシテは カツテ神」。
 この様に三度ヤスヒコが唄い終ると、天照神の詔があった。「汝ワカヒコ(春日麿)よ、未来永久にアマノコヤネ(天児屋根、天から授かる子を守る屋根となれ)と名にしあえ(名として負い持つ、名乗る)」。この時に賜った神璽(オシデ)は春日神です。「又、ミホヒコは三十六人もの子宝に恵まれ、全員を大切に養育するその心に感服した」とのたまい賜った神璽(おしで)は子守神です。「又、ヤスヒコは、安々と取り上げ事(出産)を業(わざ)となせ」とのたまい、この時賜った神璽(おしで)は勝手神です。
 「また諸神に 詔」、「嗣子祈らば 我が歌と 」、「コヤネとコモリ カツテ皆」、「天に応ふる 教えなり」、「民必らずも これな忘れそ」、「この時に 八百万神も 諸民も」、「教えを聞きて 八千度に」、「子種得る言 定まると」、「千度敬まふ 宣言ぞ これ」。
 又、諸神に向って詔のりがありました。「真に継子を祈願する者は、我が歌と共にコヤネとコモリ、カツテの三歌はいずれも天神に威応する尊い教えなり。万民は子々孫々までも、良くこの歌を教え伝えゆめゆめ忘れることの無き様、日行とすべきなり」。この詔のりを最後に、教えに聞き入っていた諸神と諸民は感動と感謝の念にこの場を去り難く、子種得る歌をいつまでも唄い続けていました。やがて篝火に火が灯る頃、「子種得る事定まりぬ」と言いつつ、百、千回に及ぶ礼拝の後、皆それぞれ夕闇の彼方へと去っていきました。以上が、「世嗣得る祝詞言」(ノトコト)であります。





(私論.私見)