ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)13

 

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 2011.12.25日 れんだいこ拝


【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)13、ワカヒコ 妹背鈴明の文】
 アメノコヤネ(天児屋根)、イセ(伊勢)スズカ(鈴鹿)の教えを説く
 わかひこ いせすすかのあや 若彦 伊勢鈴明の文
 たかのこふ つほわかみやの     多賀の首 壺若宮の
 あつきひの ゑらみうかかふ     暑き日の 選(えら)み伺ふ
 わかひこに みきたまわりて みことのり      若彦に 御酒賜りて 詔
 かみはいもせの みちひらく    「神は妹背の 道開く 
 われはかすかに これうけん     我は春日に これ受けん」 
 かすかはおなし ひたにます     春日はおなし(その場を設け)  左に坐す 
 みきはひたかみ うおきみと かるきみをきな    右は日高見 央(うお)君と カル君翁 
 つきかとり かんきみおよひ かしまきみ     次香取 上君及び 鹿島君 
 つくはしほかま もろもます      筑波塩竈 諸も坐す
 ときにみとひは さきにみつ              時に御問(みとい)は 「先に水
 あひせんつるお うほきみか     浴びせんつるを 央(うほ)君が 
 とめてまねなす これいかん     止めて真似なす これ如何ん」 
 かすかこたゑて      春日答えて 
 のこるのり むかしうひちに ひなかたけ     「遺る法 昔ウヒヂニ 雛が岳 
 ももにとつきて はつみかに さむかわあひる     モモに婚ぎて 初三日に 寒川浴びる 
 そさのをは ひかわにあひる これつよし     ソサノヲは 氷川に浴びる これ強し 
 きみはやさしく やわらかに    君は優しく 和らかに 
 ませはかかえて ととむものかな       坐せば考えて 止むものかな」
 いせおこふ かすかとくなり     伊勢を請ふ 春日説くなり
 いもをせは やもよろうちの わかちなく      いもをせは 八百万氏の 分ちなく  
 みなあめつちの のりそなふ     皆な天地の 法備ふ  
 きみはあまてる つきひなり    君は天照 月日なり  
 くにかみはその くにのてり たみもつきひそ       国神はその 国の照り 民も月日ぞ
 めにほあり ひすりひうちは つきのひそ      陰に火あり 火擦り火打ちは 月の火ぞ 
 をにみつありて もゆるほの     陽に水ありて 燃ゆる火の 
 なかのくらきは ほのみつよ     中の暗きは 火の水よ 
 めをとたかえと かみひとつ      女男違えど 神一つ  
 よをとはひなり よめはつき     良夫(よをと)は日なり 嫁は月 
 つきはもとより ひかりなし     月は本より 光なし 
 ひかけおうけて つきのかけ めをもこれなり    日影を受けて 月の影 女男(めを)もこれなり 
 ひのみちは なかふしのそと つきはうち      日の道は 中節の外 月は内 
 をはおもてわさ つとむへし     男は表業 務むべし 
 めはうちをさめ きぬつつり     女は内治め 衣綴り 
 いゑおをさむは あになれと     家を治むは 兄なれど
 やめるかをやに かなわぬは     病めるか親に 適わぬば 
 おとにつかせて あことなせ     弟に継がせて 嫡子(あこ)と成せ
 よおつくものは ゆつりうけ     代を継ぐ者は 譲り受け 
 はしえてとつき むつましく     橋得て婚ぎ 睦じく 
 こおうみそたて またゆつる    子を生み育て また譲る 
 めはよにすめる ところゑす     女は世に住める 所得ず 
 うましみやひの ゑいにおれ     うまし雅びの 熟(えい)に居れ 
 たゑのことはに もとむへし     妙の言葉に 求むべし 
 をせのたらちは うみのおや     背(をせ)の両親(たらち)は 生みの親 
 あけくれむへに うましもて をいにつかえよ     明け暮れむべに うましもて 老に仕えよ
 よをとには みさほおたてよ     良夫(よをと)には 操を立てよ
 ゐものみは をせのおなかに     妹の身は 背の央中に
 おることく なせはみさほそ     居る如く なせば操ぞ
 めはななし いゑにとつけは をせのなに      女は名なし 家に婚げば 背の名に 
 たかうちむろと かるきみも    誰が内室(うちむろ)と カル君も 
 みたれゆるせは たれうちそ     乱れ許せば 誰内ぞ
 みやにのほれは うちつみや     宮に上れば 内つ宮
 きみはめくみお くににのふ みやはおなかそ       君は恵みを 国に延ぶ 宮は央中ぞ 
 あかたもり さともるひこも     県守 里守る彦も
 それたけの むろもあらかも おなかなり     それ丈の 室(むろ)も殿(あらか)も 央中なり
 たみはたはたお をさむれは やはをせのみそ      民は田畑を 治むれば 屋は背の身ぞ 
 ひはあめに つきはつちもる       日は天に 月は地(つち)守る  
 よめのみは よをとひとりに むかふひそ     嫁の身は 良夫一人に 向ふ日ぞ 
 よろくにつとも うむうまぬ     万(よろ)国苞(つと)も 生む生まぬ 
 あれはめをとも くにつとそ     あれば夫婦(めをと)も 国苞(くにつと)ぞ 
 うますはよその めおめとれ      生まずば他所(よそ)の 女を娶れ
 をせのおなかに ゐもありと     御背の央中に 妹あり と 
 はらあしことは なかるへし     腹悪し言葉 なかるべし 
 はらやめぬまに たえにさとせよ      腹病めぬ間に 妙に察せよ
 おきつひこ はらあしことに つまあれて     オキツ彦 腹悪し言に 妻荒れて  
 みさほたたぬと ちきりさる      操立たぬと 契り去る  
 ちちうほとしか ゐせみやに     父ウホトシが 伊勢宮に 
 なけけはみうち もろめして     嘆けば宮内 諸召して  
 まふつのかかみ うつさるる           マフツの鏡 映さるる 
 をせはけかるる にすてかま  御背は汚るる ニステ竈   
 めはかくさるる つくまなへ     女は隠さるる ツクマ鍋  
 わかかんはせも あえみえす      我が顔映も 敢え見えず 
 はちはつかしく あめにこふ    恥(はち)恥づかしく 天に請う
 をせゆるさねは いやはちて まからんときに     御背許さねば 弥(いや)恥ぢて 罷らん時に   
 くらむすひ ととめてしかる    クラムスビ 留めて叱る    
 わかこのみ にすてのつらお みかかせと        我が子の身 ニステの面を 磨かせと
 をやのをしえに おきつひこ               親の教えに オキツ彦
 ふたたひとつき むつましく    再び婚ぎ 睦じく  
 ゐもせのみちお まもりつつ     妹背の道を 守りつつ
 もろくにめくり よおをふる    諸国巡り 世を終(をふ)る  
 はしめおわりの つつまやか    始め終りの 慎(つつ)まやか
 みちをしゆれは ををんかみ     道教ゆれば 大御神 
 ほめてたまはる かまとかみ     褒めて賜はる 竈守
 てなへおさくる きたなきも     手鍋をさくる 汚きも  
 みかけはひかる かみとなる      磨けば光る 神となる 
 くにもりたみの さとしにも      国守民の 諭しにも 
 つくまなさせる いせのみち      つくま為させる 伊勢の道 
 こすゑおもふに いましめの     来末(こすゑ)思ふに 戒めの 
 なけれはみたる はたれまの     なければ乱る ハタレマの 
 たからあつめて すゑきゆる これすすくらそ 宝集めて 末消ゆる これ鈴暗ぞ    
 いきのうち ほしおはなるる これはすすかそ   生きの内 欲を離るる これは鈴明ぞ
 ちちひめは たれよりいてて わかひこに      千千姫は 垂より出でて 若彦に 
 いまきくすすか わかゐみな     「今聞く鈴鹿 我が諱
 きみたまわれと わけしらす またときたまえ      君賜われど 訳知らず また説き給え」   
 こたえとく    応え説く 
 すすはまさかき ほすゑのひ       「鈴は真榊 穂末伸び  
 としにきなかの むよろほき    年和(に)ぎ永(なが)の 六万寿(ほ)ぎ 
 ほしゐおされは すすかなり     欲気(ほしゐ)を去れば 鈴明なり 
 たからほしきは すゑきゆる        宝欲しきは 末消ゆる」
 ときにかるきみ すすみいふ              時にカル君 進み言ふ
 なんそとかむや わかたから ひとたたゆるそ       「何ぞ咎むや 我が宝 人称ゆるぞ」  
 このこたゑ この応え
 ひとのさいわひ わかまよひ まかりくるしむ         「人の幸 我が迷ひ 曲り苦しむ」 
 またいわく たのしくおらは     また曰く 「楽しく居らば?」
 かすかまた    春日また  
 ういおしれるや  あめにうけ あめにかえるそ     「結を知れるや 天に生け 天地に還るぞ」
 かすかまた きみにてもほし     春日また 「君にても欲し
 たみはなお すすかのふみお みさるかや      民は尚 鈴明の文を 見ざるかや」 
 をきなうなつき くしひこか  翁頷き 「クシ彦が 
 いさめのすすか いまとけり くるしみはなに       諌めの鈴明 今解けり 苦しみは何」   
 かすかとく   春日説く
 むかしとよけの みことのり      「昔豊受の 詔
 われみよおしる はつのよは くにとこたちそ     我三世を知る 初の世は クニトコタチぞ
 あめにゆき みるもとあけの もりさため      天に往(ゆ)き 見る元明の 守定め  
 ふたよむすひの もよろほき    二世ムスビの 百万寿(ほぎ) 
 ゆきてたまのを なすおきく     行きて魂の緒 和すを聞く
 いまたまきねも やよろとし     今タマキネも 八万歳 
 ほしにむさほる こころなく     欲(ほし)に貪る 心なく  
 ゆききのみちも おほゑしる     行き来の道も 覚え知る 
 めをおむすひて ひとこころ     陰陽(女男)を結びて 人心 
 よにかえるとき すくなれは またよくうまれ          世に還る時 直ぐなれば また良く生まれ 
 よこほしは あゑかえらぬそ     汚欲(よこほし)は 敢え還らぬぞ
 またとわく ひはをにかえり     また問わく 「火は陽に還り
 みつはめに ひとはひとみに かえらんか     水は陰に 人は火と水に 還らんか」 
 いわくはくさや おのこくさ     曰く「葉草や オノコ草  
 ゐねあわならす あやかりて     稲栗成らず あやかりて 
 ひともうまるる みちわする    人も生まるる 道忘る  
 たとえはたしむ からしむし     例えば嗜む 枯らし虫 
 うおとりけもの あいもとむ     魚鳥獣 合い求む」
 てれはたからは なんのため                「てれば宝は 何の為」
 ほめはうまきに ふけるゆえ     「褒め衣美味(うま)きに 耽る故  
 まれにうまるも まつしくて     稀に生まるも 貧しくて 
 やつことなりて みおしのき ひとたのします    奴となりて 身を凌ぎ 人楽しまず」
 かのほしお うらやむひとか かむゆえに      「被の欲(ほし)を 羨む人が 交む故に 
 たまのをみたれ つちかせの     魂の緒乱れ 辻風の  
 ちまたにしゐの くるしみか     岐(ちまた)に魄(しい)の 苦しみが 
 けものとなるそ かみうたす     獣となるぞ 神討たす」
 たとえはゆめの おそわれの     例えば夢の 魘(おそ)われの 
 しのひかたくて わきまえす    忍び難くて 弁(わきま)えず 
 まかるのつみも おそわれそ     罷るの罪も 魘(おそ)われぞ 
 ひとおまとわす わかほしも     他人を惑わす 我が欲も 
 ひとはうたねと たまのをに     人は討たねど 魂の緒に 
 おほゑせめられ なかきゆめ     覚え責められ 長き夢 
 あめのまつりお たておけよ     天の祀りを 立ておけよ
 かはねのみやに かんくらお 屍(かばね)の宮に 神座を 
 もふせはをとけ ひとなるそ  設せば緒解け 人なるぞ  
 まつりなけれは あまめくみ もれておつるそ         祀りなければ 天恵み 漏れて落つるぞ
 こおもてよ もしつまうます たねたえは     子を持てよ もし妻生まず 種絶えば  
 めかけめおきて たねなせよ     妾女置きて 種なせよ
 めかけとなれる めのつとめ つまおうやまえ         妾となれる 女の務め 妻を敬え   
 めかけめは ほしになそらふ ほしひかり     妾女は 星に擬(なぞら)ふ 星光 
 つきにおよはす うつくしも みやにないれそ     月に及ばず 美しも 宮にな入れそ
 あまのはら つきならふれは くにみたる 天の原 月並ぶれば 国乱る
 つまとめかけと やにいれは いゑおみたるそ  妻と妾と 屋に入れば 家を乱るぞ
 つきはよる つまなうとみそ うちをさむ 月は夜 妻な疎みそ 内治む
 めかけのことは なまつりそ  妾の言葉 な奉りそ
 こおうむもりは うまぬとき  子を生む守は 生まぬ時
 すつるむらほし のりみたる 棄つる群星 法乱る 
 いんしあまかみ ほしとなる これはのりなす 古(いん)し天神 星となる これは法なす
 めのすかた よくてあるるも 女の姿 良くて荒るるも 
 みにくきに よきみやひあり  醜きに 良き雅びあり
 よそおひに なふみまよひそ 装ひに な踏み迷ひそ
 いせのみち あまのうきはし よくわたす  伊勢の道 天の浮き橋 よく渡す 
 かみのをしゑの いもをせの  神の教えの 妹背の 
 みちのおおむね とほるこれなり  道の大旨 通るこれなり
 つくはうし ほしおさるには 筑波大人(うし) 「欲(ほし)を去るには
 みなすてて たのしみまつや 皆な捨てて  楽しみ待つや」
 かすかまろ  春日マロ 
 しからすとめて たらさらは 「然らず止めて 足らざらば
 うえはほとこし うけんかや 飢えば施し 受けんかや 
 いわくきたなし ほとこしお  曰く 「穢(きたな)し 施しを
 うけはほゐとそ きかさらや  受けば乞食(ほいと)ぞ 聞かざるや 
 なおからされは ひとならす  直からざれば 人ならず 
 よにありなから そのわさに 世に在りながら その業に
 うめるたからお たたこひて 産める宝を ただ乞ひて
 くらふいぬこそ あのつみよ  食らふ狗(いぬ、犬)こそ 天の潰よ」
 またとふたから さることは また問ふ「宝 離ることは」
 かすかまたとく  春日また説く
 ほしさるは すてすあつめす わさおしれ 「欲離るは 棄てず集めず 技を知れ  
 たからあつめて くらにみつ 宝集めて 蔵に満つ 
 ちりやあくたの ことくなり 塵や芥の 如くなり 
 こころすなおの ひとあらは     心素直の 人あらば
 わかこのことく とりたてて 我が子の如く 取り立てて
 みなたすときは ほしもなし   満(み)な養(た)す時は 欲もなし
 ちりとあつめて よにせまり 塵と集めて 余に迫り 
 うらやむものか かむゆえに 羨む者が 交む故に
 たまのをみたれ みやなくて 魂の緒乱れ 宮なくて 
 すゑまもらぬお たまかえし  末守らぬを 魂返し
 なせはをとけて みやにいる   なせば緒解けて 宮に入る
 なさねはなかく くるしむそ なさねば長く 苦しむぞ」
 ときにしほかま こなきとて  時に塩竈 子なきとて
 とえはかすかの をしゑには 問えば春日の 教えには
 あゆきわすきの まつりぬし   天ユキ地スキの 祀り主
 たのみてそれの たまかえし  頼みてそれの 魂返し
 なさはくるしむ たまのをも なさば苦しむ 魂の緒も
 とけてむねかみ みなもとえ  解けてムネ神 源へ
 たましゐわけて かみとなる    魂魄(たましい)分けて 神となる
 たふときひとの ことうまる 尊き人の 子と生まる
 なれとゆきすき たまゆらそ なれどユキスキ たまゆらぞ
 すゑおをもひて むつましく   末を思ひて 睦まじく 
 わさおつとむる いせのみちかな 業を務むる 伊勢の道かな
 このみちお まなふところは     この道を 学ぶ所は
 かんかせの いせのくになり 神風の 伊勢の国なり
 ちちひめも のちにはいせの をんかみに 千千姫も 後には伊勢の 御神に 
 つかゑすすかの みちおゑて  仕え鈴明の 道を得て
 いせとあわちの なかのほら  伊勢と淡路の 中の洞(鈴鹿峠) 
 すすかのかみと はこねかみ 鈴明の神と 箱根神 
 むかふいもをせ ほしおさる  向ふ妹背 欲を離る
 すすかのをしゑ ををいなるかな 鈴明の教え 大いなるかな

【ホツマツタヱ1、アのヒマキ(天の巻)13、ワカヒコ 妹背鈴明の文】
 ワカヒコ 伊勢鈴明の文
 「タカの首 壺若宮の」、「暑き日の 選(え)らみ伺ふ」、「若彦に 御酒賜りて 詔」、「神は妹背の 道開く」、「我は春日に これ受けん」。
 日高見国(陸奥)のタカの首(こう、現・多賀城市の国府)、壺若宮に坐すオシホミミ(天照神の日嗣皇子)とタクハタチチ姫(タカミムスビ七代目タカギの妹)の御成婚の儀が無事終わった。ワカヒコ(アメノコヤネの真名イミナ)はオシホミミの即位の礼と前後して行われた結婚式に天照神のオシカ(勅使)として重要な役割を担った後も、秋に都に帰る日までタカの首に滞在していた。その後の夏のある暑い一日、ワカヒコは天子オシホミミの元に暑中御見舞いに昇った。君は大層喜んで迎え入れると、早々に御神酒(おみき)の用意を命じて天盃(てんぱい)を交わし久しぶりにくつろいだ一時を過ごされた。この時、君は日頃から博識で名高いワカヒコに詔して、「天照神は妹背の道を開いたと聞くが、我は春日(ワカヒコ)にこの教えを受けたいと思う」と尋ねた。
 「春日はおなし 左に坐す」、「右は日高見 央君と カル君翁」、「次香取 上君及び 鹿島君」、「筑波塩竈 諸も坐す」、「時に御問(みとい)は 先に水」、「浴びせんつるを 央(うほ)君が」、「止めて真似なす これ如何ん」、「春日答えて」、「遺る法 昔ウヒヂニ 雛が岳」、「モモに婚ぎて 初三日に 寒川浴びる」、「ソサノヲは 氷川に浴びる これ強し」、「君は優しく 和らかに」、「坐せば考えて 止むものかな」。
 この時、春日威儀を正して君の左に座っていた。右上座には日高見の央(うほ)君(タカギ)とカルキミ翁(ツガル公)が座り、続いて香取の上君(かんかみ、フツヌシ)と鹿島君(タケミカヅチキミ)、筑波君、塩竈君の順にその他諸司(もろつかさ)が座っていた。君の最初のご質問は、「先日、つるべ(井戸釣瓶)の水を浴びようとした時、央君(タカギ)が私の手を止めて、水浴の真似事だけさせたのは何故だろうか」。春日はこれに答えて次のように述べた。「これは古くから伝えられた祖法によります。昔、天神四代目のウビチニは越国(越前)の雛が岳(ヒナルノダケ)の神宮で弥生三日の宵に桃の花の下でめでたくスビチニと結婚されました。これより雛祭りが伝えられております。三三九度(さんさんくど)のしきたりもこの時より生まれました。両神は情熱のおもむくまま交わり、ようやく三日目朝に部屋を出て寒川(さむかわ)で水浴びしました。又、ソサノヲ(素戔鳴)はヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治して後、出雲の氷川(ひかわ)で水を浴びて禊(みそぎ)しました。各々生まれつき強健だったからできたのです。それに引き替え君(オシホミミ)は天性のご麗質でお優しい性格であられますので、考えた末にお身体に障(さわ)りがないようにと止めたのでせう」。
 「伊勢を請ふ 春日説くなり」、「妹背は 八百万氏の 分ちなく」、「皆天地の 法備ふ」、「キミは天照 月日なり」、「国神はその 国の照り 民も月日ぞ」。
 次に君は伊勢の道について問いかけた。春日が次のように説いた。「妹背(いもおせ)の道は、八百万国民(やおよろたみ)の貴賎の別なく、皆天地の法則に従い平等に備わっています。中心に坐す君は中宮と共に天下を隈無く照らす日月です。国神は各々の国を照らす役割をしており、民は各家庭を照らす月日と云えます」。
 「陰に火あり 火擦り火打ちは 月の火ぞ」、「陽に水ありて 燃ゆる火の」、「中の暗きは 火の水よ」、「女男違えど 神一つ」、「良夫(よをと)は日なり 嫁(よめ)は月」、「月は本より 光なし」、「日影を受けて 月の影」、「女男(めを)もこれなり」、「日の道は 中節の外 月は内」、「男は表業 務むべし」、「女は内治め 衣綴り」。
 又、メ(陰)の中にもヲ(陽)が存在しています。例えば桧木(ひのき)を擦り合わせて起こす火切りや、石と金属を打ち合わせて出す火打ちは月(陰)の火です。何故ならば木も石も金属も水と土(メ・陰)の一部だからです。(ここで先ず天体を構成する五元素からお話ししましょう。遠い昔、天地開闢(かいびゃく)の時、渾沌(こんとん)としたアワウビ(カオス)の中にアメミヲヤ神が最初の一息を吹き込むと、やがてメ(陰)とヲ(陽)に分かれて宇宙が回り出し、ヲ(陽)は軽く昇って天体となり、メ(陰)は重く凝り固まって地球となりました。後にヲ(陽)のウツホ(空)はカゼ(風)を生み、カゼはホ(火)と別れて、このムネ(宗)の三元素は天に昇って日輪(太陽)となりました。メ(陰)のミズ(水)とハニ(土)の二元素のミナモト(源)は、地球と月になりました。ヲ(陽)の中にもメ(陰)のミズが有り、例えば燃える火の中心の青い部分は火中の水と言えます) 世の男と女は身体上の相違があっても男女を守護する神はただ一つです。寄男(よをと、夫)は日で、寄女(よめ、嫁)は月です。月は本来光を自ら発することなく、日の光を受けて輝きます。夫婦の関係も同じで夫が働き妻は内助の働きをします。太陽の運行はナカフシ(中節)の外を巡り、月は内を巡っている如くです。男女の務めも然りで、男は外で働き女は家内の仕事に勤めるのが理に適っているのです。
 「家を治むは 兄なれど」、「病めるか親に 適わぬば」、「弟に継がせて 嫡子(あこ)と成せ」、「代を継ぐ者は 譲り受け」、「橋得て婚ぎ 睦じく」、「子を生み育て また譲る」、「女は世に住める 所得ず」、「うまし雅びの 熟(えい)に居れ」。
 家督を継ぐのは本来長男ですが、兄が病弱だったりして相応しからざる時には弟に継がせて嫡子とします。世継ぎの者は家を譲り受け、正式に仲人を立てて結婚し夫婦睦まじく暮らして子を生み育て、又子孫に家督を譲ります。女性は他家に嫁げば実家を離れ、嫁ぎ先の人となります。これが上手く行かないと住める所がなくなります。故に「うましみやびの 熟(えい)に居れ」。
 「妙の言葉に 求むべし」、「背(をせ)の両親(たらち)は 生みの親」、「明け暮れむべに うまし以て 老に仕えよ」、「良夫には 操を立てよ」、「妹の身は 背の央中に」、「居る如く なせば操ぞ」、「女は名なし 家に婚げば 背の名に」。
 「誰が内室と カル君も」、「乱れ許せば 誰内ぞ」、「宮に上れば 内つ宮」、「君は恵みを 国に延ぶ 宮は央中ぞ」、「県守 里守る彦も」、「それ丈の 室も殿も 央中なり」、「民は田畑を 治むれば 屋は背の身ぞ」、「日は天に 月は地守る」、「嫁の身は 良夫一人に 向ふ日ぞ」、「万(よろ)国苞(つと)も 生む生まぬ」、「あれば女男も 国苞(くにつと)ぞ」、「生まずば他所の 女を娶れ」、「御背の央中に 妹ありと」、「腹悪し言葉 なかるべし」、「腹病めぬ間に 妙に察せよ」。
 「誰が内室と カル君も」、「乱れ許せば 誰内ぞ」。君は全国に恵みを延べる尊い位で、重要な政事をとるアラカ(宮殿)は央中(おなか、腹)である。県守(あがたもり)を初め、里を守る彦司もそれぞれ身分に応じて室や殿を建てるが、これもその国々の央中である。民が田畑を耕して初穂(税)を納めるムロヤ(室屋)は夫の身体である。日は天を月は地を守る。嫁は夫一人を仰ぎ迎える大地の日である。諸国それぞれの食物には物産を生むのもあれば生まないのもあるように、男女の仲も不幸にして子に恵まれない夫婦がある。もし夫婦に子ども生まれない場合には、夫は他の女性を娶り妻とせよ。この場合夫は妹として遇するが良い。腹悪し言葉は云わぬが良い。病気にならないうちに賢く察せよ」。
 「オキツ彦 腹悪し言に 妻荒れて」、「操立たぬと 契り離る」、「父ウホトシが 伊勢宮に」、「嘆けば御内 諸召して」、「マフツの鏡 映さるる」、「御背は汚るる ニステ竈」、「女は隠さるる ツクマ鍋」、「我が顔映も 敢え見えず」、「甚(はち)恥づかしく あめに悔ふ」、「御背許さねば 弥(いや)恥ぢて 罷らん時に」、「クラムスビ 留めて叱る」、「我が子の実 ニステの面を 磨かせと」、「親の教えに オキツ彦」、「再び婚ぎ 睦じく」、「妹背の道を 守りつつ」、「諸国巡り 世を映(を)ふる」。
 昔、オキツヒコ(奥津彦、素戔鳴の子オオトシ・クラムスビの子供)の腹立ち言葉に妻が激怒して、夫婦の操が成り立たないとして離縁した。二人の喧嘩別れを心配したオキツヒコの父オオトシ・クラムスビは、両人を連れてイセ内宮に赴(おもむ)き天照神に悩みを打ち明けた。中宮ムカツ姫(別名セオリツ姫)は、オキツヒコとオキツ姫を帳れ内に呼び入れると宮中全員の目の前で、両人をマフツの鏡(真悉、真実を写す)の前に立たせて二人の顔を写させた。すると、夫は穢れるニステガマ(煮捨釜)、妻は隠さるるツクマナベ(筑摩鍋)のような醜い顔に写り、恥ずかしくてまともに見られぬ有様であった。オキツ姫は心から我が身を恥じて天照神に詫び復縁を願い出たが、この時夫は頑として許さなかった。妻は増々恥じて自殺しようとしていたまさにその時、父オオトシ・クラムスビはオキツ姫の手を止めて、息子オキツヒコを大声で叱り飛ばした。「我が子よ、煮捨ての面(つら)を磨け」。この一言に我に返ったオキツヒコは、親の教えに従って再婚し直して夫婦睦まじくイモセの道(伊勢道)を守りつつ幸せに暮らした。その後、諸国を巡行してイモオセの道を教え導き余生を過ごした。
 「始め終りの 慎まやか」、「道教ゆれば 大御神」、「褒めて賜はる 竈守」、「手鍋をさくる 汚きも」、「磨けば光る 神となる」、「国守民の 諭しにも」、「付離(つくま)為させる 伊勢の道」。
 初めと終わりの慎(つつま)やかな生き方の道を教えた天照神は、オキツヒコとオキツ姫にカマドカミ(竈神)の神名を賜った。例えれば、手鍋を下げて暮らすうちに付いた汚れも磨けば光る神となる。この教訓は国守や民の生き方を正しく導くために大いに役立つ伊勢の道です。
 「来末(こすゑ)思ふに 戒めの」、「なければ乱る ハタレマの」、「宝集めて 末消ゆる これ鈴暗ぞ」、「生きの内 欲を離るる これは鈴明ぞ」。
 子孫を思えばこそ、夫妻に驕る心の戒めが必要で、もしなければ生活を乱して、仮にハタレ(邪鬼)魔のように財宝を集めても末路は消滅する運命となる。これを鈴暗(スズクラ)と云う。人が我欲を離れて過ごせる様になれば、これを鈴明(スズカ)と云う。
 「千千姫は 垂より出でて 若彦に」、「今聞く鈴明 我が諱」、「君賜われど 訳知らず」、「また説き給え 応え説く」、「鈴は真榊 穂末伸び」、「年に寸半の 六万穂木」、「欲気(ほしゐ)を去れば 鈴明なり」、「宝欲しきは 末消ゆる」。
 タクハタチチ姫は講議が一段落したのを見計らって帳(たれ)より外に出てワカヒコに尋ねた。「今聞いたスズカの教えは、私のイミナ(真名)のスズカ姫と同じでございます。この美しい名前は、昔、天照神から賜ったと聞いておりますが、本当の意味を知らずに今日まで知りませんでした。どうかその訳をもう一度教えて下さい」。ワカヒコは答えて再び説き始めた。「スズ(鈴木)とは古代から植え継がれてきたマサカキ(天真榊)の事で、この木の成長は一年にキナカ(半寸・約1.5cm)ずつ穂が伸び続け、丁度六万年目にサクスズ(折鈴、枯れる)となる神木でこよみ(暦)の元となる聖なる木です。又、人の心も欲望を捨て去り清く正しく美しく生きれば鈴明となる。貪欲に財宝を求め続けると結果的に子孫が滅びてしまいます」。
 「時にカル君 進み言ふ」、「何ぞ咎むや 我が宝」、「人称ゆるぞ この答え」、「他人の幸 我が迷ひ 曲り苦しむ」、「また曰く 楽しく居らば?」、「春日また  結を知れるや」、「天に生け 天地に還るぞ」。
 この時、話の終わりが待ち切れぬ様子でカルキミ(公)が進み出て言った。「なんで私の財宝が咎められなければならないのか。人は皆誉めてますよ」。これを聞いたカスガは次のように答えた。「人と云うのは、他人の幸を見て自分も望むようになり、その為に苦労するものだ」。又曰く、「財宝よりも日々を楽しく過ごす方が良いのではなかろうか」。春日はまた次のようにも諭した。「結を知っているか(生命の根元をご存知ないのですか)。生命は天に生かされ、天地に還るもの。何事もほどほどが肝要と云うものぞ」。
 「春日また 君にても欲し」、「民は尚 鈴明の文を 見ざるかや」、「翁頷き クシ彦が」、「諌めの鈴明か 今解けり」、「苦しみは何 春日説く」、「昔豊受の 詔」、「我三世を知る 初の世は クニトコタチぞ」、「天に逝き 周る元明の 神定め」、「二世ムスビの 百万寿」、「逝きて魂の緒 和すを聞く」、「今タマキネも 八万歳」、「欲に貪る 心なく」、「行き来の道も 覚え知る」、「陰陽を結びて 人心」、「世に還る時 直ぐなれば また良く生まれ」、「汚欲(よこほし)は 敢え還らぬぞ」。
 春日は続けて云った。「例えば民の規範となるべき君の位の者が、財に物を言わせて欲望や快楽に走れば、質素な民の心はなおさら満たせぬ欲望が強く渦巻くはず、スズカの御紀(おんふみ)を見てないのですか」。カスガの説得に翁は大きくうなずくと、「我が息子クシヒコ(事代主、通称エビス様)が、私を諌(いさ、誤りを忠告する)めて言ったスズカの教えの真の意味が今やっと解けました。それはそうとして苦しみはいったい何ですか」。カスガは説いた。「昔、トヨケ(豊受の神、伊勢外宮祭神)の詔にこうあります。『我は三世を知っている。最初の世はクニトコタチ(国常立)であった。天に逝ったが、天祖神たる周る元明の49神(元元明49神)のそれぞれの役割を定めました。二世はタカミムスビ(高産霊)で、百万歳の長寿を得て天上に逝き、魂(たま)の緒を結んで人の魂魄(たましい・魂は霊、魄は肉体)を和す方法を聞き知りました。三世はタマキネ(豊受神)で、既に八万歳を経ており、無我の境地にてホシ(欲)を貪(むさぼ)る心は微塵もなく、天上とこの世を結ぶ行き来の道(天地往来の道)も覚え知つております。メオ(陰陽、女男)を結んで人の心を養っております。この世で素直に生を全うすれば次の世でより良い生を与えられます。逆に邪欲を持つ者は再びこの世に帰られませぬ」。
 「また問わく 火は陽に還り」、「水は陰に 人はひとみに 還らんか」、「曰く葉草や オノコ草」、「稲栗成らず 肖(あやか)りて」、「人も生まるる 道忘る」、「例えば嗜む 枯らし虫」、「魚鳥獣 合い求む」、「てれば宝は 何の為」、「褒衣美味きに 耽る故」、「稀に生まるも 貧しくて」、「奴となりて 身を凌ぎ 人楽しまず」、「右の欲を 羨む人が」、「交む故に 魂の緒乱れ」、「辻風の 岐(ちまた)に魄(しい)の」、「苦しみが 獣となるぞ 神討たす」。
 翁はまたもや身を乗り出して年若きカスガに問うた。「もう一つ教えてください。例え欲があっても、日は元のヲ(陽)に還り、水はメ(陰)に帰るように、人の命もこの世に帰ってくるのではありませんか」。春日答えて曰く、「例えばハグサ(雑草)や稲を害するオノコグサ(たのひえ)は決して稲や粟には成り得ません。人も同じで、道を忘れるようなことでは、例えれば、草木を蝕(むしば)む枯らし虫(毛虫、芋虫の類)は魚鳥獣が競って啄(つい)ばむ好物です」。「であればタカラ(財)は何のためにあるのですか」。春日答えて、「この世でおしゃれ(美装)や美食に耽ってばかりいると、めでたくこの世に生まれてきたとしても、心は貧しく、最後には奴(やっこ、下僕、奴隷)となって身を落し、人生を楽しむことができません。そういう欲を羨む人が互いに交わり競争する故に魂の緒が乱れ、辻風の如く岐(ちまた、巷)で魄(しい)の苦しみに襲われさまよい続け、末は獣となるのです。こういうことでは神は後押ししてくれません」。
 「例えば夢の 魘われの」、「忍び難くて 弁(わきま)えず」、「罷るの詰も 圧われぞ」、「他人を惑わす 我が欲も」、「他人は打たねど 魂の緒に」、「覚え責められ 長き夢」、「天地の祀りを 立て上けよ」、「屍の宮に 神座を」、「設せば緒解け 人なるぞ」、「祀りなければ 天恵み 漏れて落つるぞ」。
 一呼吸置いて春日は語り始めた。「例えば悪夢にうなされて、突然襲う恐怖に耐え切れず死に追いやられるのも、つまりは捉われです。人を惑わす利己欲も、直接人を打ち殺すわけでなくても、魂の緒に覚え刻まれて己の良心が責を受け、長く辛い夢となって表れるのです。人は常に天地の祀りを立てあげるべきです。各々の姓(かばね)の先祖霊を祀る宮に神座(かぐら、神楽)を設ければ、魂の緒が解けて人の霊に帰ることができるとしたものです。神祀りを怠れるようでは、天の恵みが漏れ落ちてしまいます。
 「子を持てよ もし妻生まず 種絶えば」、「妾女置きて 種なせよ」、「妾となれる 女の務め 妻を敬え」、「妾女は 星に擬ふ」、「星光 月に及ばず」、「美しも 宮にな入れそ」、「天の原 月並ぶれば 国乱る」、「妻と妾と 屋に入れば 家を乱るぞ」、「月は夜 妻な疎みそ」、「内治む 妾の言葉 な奉りそ」、「子を生む守は 生まぬ時」、「棄つる群星 法乱る」。
 「子供を持ちなさい。もし妻に子が生まれない時は、妾(めかけ)を置いて子種を残しなさい。妾となる人の大切な勤めは、常に本妻を尊び出過ぎず慎ましく生きることです。妾女(めかけめ)は丁度夜空に輝く星になぞれえる事ができます。星は美しい光を発するといえども、所詮月の位の妻の明るさには及びません。妾が美人であろうとも決して宮内(家)に入れてはなりません。 天の原(あまのはら、大空)に月並ぶれば国が乱れます。妻と妾と同じ屋根の下に住めば当然いさかいが絶えず家が乱れます。月光は夜照り輝くもの、妾を愛するといえども妻との夜の営みを疎(うと)んじてはなりません。又、家の事に口出しする妾の言葉を聞き入れてはなりません。何故なら妾の役割は子を生む事が目的です。たとえ妻に子が生まれなくても簡単に捨て去ると後々まで悩まされます。
 「古し天神 星となる これは法成す」、「女の姿 良くて粗るるも」、「醜きに 良き雅びあり」、「装ひに な踏み迷ひそ」、「伊勢の道 天の浮き橋 よく渡す」、「神の教えの 妹背の 道の大旨 通るこれなり」。
 「太古の昔、天神は役割を終えると天に昇って星となりました。これは法則に従って点在する夜空の星であり女達の姿にも例えられます。又、女性は容姿が美しくても、性格が悪くて悩まされる事もあるし、たとえ不美人でも品のよい雅な女もいます。女性の容姿に惑わされてはなりません。伊勢の道は天の浮橋(うきはし、仲人)が良く渡します。神の教えの妹背の道を大枠で守れば何事もうまく行くものと心得なさい」。
 「筑波大人(うし) 欲を離るには」、「皆捨てて  楽しみ待つや」、「春日マロ 然らず貯めて 足らざらば」、「飢えば施し 受けんかや」、「曰く穢し 施しを」、「受けば乞食(ほいと)ぞ 聞かざるや」、「直からざれば 人ならず」、「世に在りながら その業に」、「産める宝を ただ乞ひて」、「食らふ狗こそ 大の潰よ」。
 ツクバウシ(筑波大人)が質問した。「欲から離れるには、何もかも捨ててひたすら死後の楽しみを待つのですか」。カスガマロは答えて、「しからず。例えば蓄財に向かってもなお足らずキリがない。逆に餓えれば施しを受けざるを得ない」。曰く「努力もしないでひたすら施しを受けるようなことでは単なる欲人(ほいと、乞食)でしかない。聞いていませんか。素直でない者は人とはいえません。この世に生を受けたからには自分の持つ能力を最大生かして農工商の業(わざ)に専念し生産することが本当の宝なのです。唯、人にへつらいこびて物乞いして食らう犬になるのは大いなる穀潰しです」。
 「また問ふ宝 離ることは」、「春日また説く 欲離るは」、「棄てず集めず 技を知れ」、「宝集めて 蔵に満つ」、「塵や芥の 如くなり」、「心素直の 人あらば」、「我が子の如く 取り立てて」、「皆養(た)す時は 欲もなし」、「塵と集めて 世に迫り」、「羨む者が 交む故に」、「魂の緒乱れ 宮なくて」、「末守らぬを 魂返し」、「なせば緒解けて 宮に入る」、「なさねば長く 苦しむぞ」。
 又、問う。「それではいったいタカラ(財)から逃れるにはどうしたら良いのですか」。春日は再び説いた。「欲望を離れるには、財を捨てず集めずの術(技)を心得なければなりません。唯単に財を集めて倉を満たして置くだけでは塵や芥(あく)も同前です。例えば貧しくて心素直な若者が居たら、我が子の如く面倒を見て取り立ててやりなさい。この様に公平な気持ちでおれるのは無欲だからです。財宝を塵と集めて偉そうに世にのさばると、この財を羨み憎む者が交わるようになる故に、魂の緒が乱れます。死して後に帰る宮(処)もなく、子孫も絶えて滅びることになります。ことここに至らぬ前に魂返しをすれば緒も解けて、本宮に帰ることができるのです。そうしない限り長く苦しむことになりますぞ」。
 「時に塩竃 子なきとて」、「問えば春日の 教えには」、「天ユキ地スキの 祀り主」、「頼みてそれの 魂返し」、「なさば苦しむ 魂の緒も」、「解けてムネ神 源へ」、「魂魄(たましい)分けて 神となる」、「尊き人の 子と生まる」、「なれどユキスキ たまゆらぞ」、「末を思ひて 睦まじく」、「業を務むる 伊勢の道かな」。
 時にシホガマウシ(大人)が曰く、「我は子なしです。これはどういうことになるのですか」。春日の教えには、「アユキとワスキの大嘗祭(だいじょうさい)の時、祀り主に特別に頼んで魂翻(たまがえ)しをして貰うのが良い。これをすることにより、苦しむ魂の緒が解けて胸神が本来の源に帰ることができ、魂と魄が住み分けして神となることができます。こうして後に、尊き貴人の子として生まれ替ることができるのです。しかれども、この幸運(ユキスキ)は偏に『たまゆら』(奇遇と幸運)によります。つまるところ、子孫の繁栄を思うなら夫婦共に睦まじく仕事に精出して勤めることが一番大事で、これが真にイセ(伊勢)の道です」。
 「この道を 学ぶ所は」、「神風の 伊勢の国なり」、「千千姫も 後には伊勢の 御神に」、「仕え鈴明の 道を得て」、「伊勢と淡路の 中の洞(鈴鹿峠)」、「鈴明の神と 箱根神」、「向ふ妹背 欲を離る」、「鈴明の教え 大いなるかな」。
 この道を本格的に習う所は、天照神の坐す神風(カンカゼ)の伊勢の国です。タクハタチチ姫も後に伊勢の御神(大照大御神)に仕えて鈴明(すずか)の道を会得して伊勢(イセ)と淡海(アワチ)の中間の鈴鹿峠の洞窟(どうくつ)に納まり神上がりました。鈴明の神と箱根の神は互いに向かい合う妹背であり、欲を離れ清く正しく美しく生きることを今に伝えております。鈴明の教えは偉大です。





(私論.私見)