343 遺伝子研究.治療

 (最新見直し2006.5.3日)

 近年の科学の発展によって、生物の生命が細胞核の中にあるDNA(デオキシリボ酸)と呼ばれる遺伝子によって世代伝授されていることが判明することとなった。ウィルスなどではRNA(リボ核酸)の場合もある。

 1953年、ジェームスD.ワトソンとフランシス・クリック博士との共同研究で、遺伝子DNAの二重らせん構造モデル「ワトソン・クリック理論」を発表、遺伝物質の複製の仕組を解明し、生物学の歴史を変えた。この業績により1962年にノーベル医学・生理学賞を受賞している。

 今日では、電子顕微鏡によってDNAが二本の鎖からなる長いはしごの横棒のような「二重らせん」構造になっていることも明らかにされている。こうして、地球上の全ての生き物がDNAを基にして生きているということが分かってきた。

 近代進化学の父チャールズ・ダーウィンは、進化を「変更を伴う継承」と表現していたが、この言の正しさがDNA研究によって裏付けられた格好になった。DNAは親から子へと連続性を伝授するが、その過程で突然変異的変化を道を残している。まさに、進化とは「変更を伴う継承」と表現することができる。

 このことが、従来の哲学.思想.宗教に対する新しいメッセージを投げかけつつある。生命の発生は約40億年前に遡ることになる。逆から云えば、40億年を経過して今日の生命体に辿りついているということになる。いわば「生命誌」(命の歴史絵巻)となっている。ゲノム(固体のDNAの全体)の解明と関連分析は、今最も注視されている分野である。この研究はこれからますます活発になることが予想され、21世紀は生命科学の時代とも云われている。

 二本の鎖の間のDNAは、糖・リン酸・塩基からなる核酸が繋がった構造をしている。塩基とは、アデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T)という4種類の塩基物質の鎖状の並び方で構成されている。この「塩基配列」が遺伝子情報の姿かたちとなっており、この四種類の塩基の組み合わせが生物の遺伝子の設計図になっている。「塩基配列」の変化は、例えばAATAGCという6個の塩基からなる配列で、3番目のTがCに変わると、AACAGCになる。

 
A、G、C、Tの四種類の中の塩基で一セットをなし、この一セットをコドン(codon/遺伝暗号の単位で、メッセンジャーRNAを構成する4種の塩基のうち3個ずつ配列して一単位となったもの。1個のコドンが1個のアミノ酸に翻訳され、蛋白質が合成される。塩基の配列には4の3乗、すなわち64通りの順列がある。うち61個のコドンが20種類のアミノ酸を指定し、残り3個が読み取りの終止を指示する)という。

 コドンには64通りの組み合わせがあり、その64種類のコドンがあっても、アミノ酸は20種類しかないので、一つのアミノ酸に対して、二つのコドンが対応する事がある。同じアミノ酸に対応する複数のコドンを「同義的コドン」と言うが、これはT・A・TとかT・A・Cというチロシン(tyrosine/蛋白質を構成するアミノ酸の一。酵素による酸化を受け、フマル酸・メラニンなどを生じる)に対応する同義的コドンである。

 
一方、停止信号が三種類ある事により、遺伝子はA(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)の鎖(くさり)を一つずつ移動(シフト)させて、三通りの意味を解読する事が出来る。これを考えると、「遺伝子は24の信号が構成する蛋白質遺伝子構成であった事が分かる。この根源には、生物進化の巨大な秘密が隠されている。

 DNAの塩基の並び方(塩基配列)でアミノ酸の並び方が決まり、このアミノ酸が決められた通りに結び付けられて、固有のたんぱく質となる。遺伝子の情報は正確にコピーが繰り返され、分裂した細胞や子孫に伝えられていく。

 遺伝子DNAは、細胞核の染色体に存在する。人間は46本の染色体を持っている。それら全部を合わせると、凡そ30億個の塩基からなる「ヒトゲノム」二セットに対応する。二セットになるのは、人間が精子と卵それぞれからDNAを受け継ぐ「2倍性生物」だからである。

 人間に最も系統的に近いのはチンパンジーとボノボである。ヒトとチンパンジーはDNAレベルでは1%強しか異なっていない。恐らく、この違いは突然変異で生み出されたのであろうが、ゲノムの中のDNA変化が、体の形や脳の機能をも変化させたものと思われる。推定し得ることは、凡そ600万年ほど前の両者共通の先祖のゲノムから、二つの系統が生じ、それぞれが異なった道を歩き始め、片方はヒトに、もう一つはチンパンジーとボノボになっていったのではなかろうか。

 ヒトのDNAも同じで、4種類の暗号文字で書かれていることが判明しており、その仕組みがコンピューターのデータベースに置き換えられ解読されつつある。人間のDNAは約31億個の塩基対からなる。

 2000.6月、日米欧6カ国の生命科学者からなる「国際ヒトゲノム計画」が共同で解読をほぼ完了したことを発表した。人間を人間足らしめている全遺伝子情報(ヒトゲノム)の解読がほぼ終わりつつあるということである。遺伝子の数は、約3万2000個と推定されている。今後はその意味を見つけ、これを利用して何ができるのかに向かうことになる。

 今後は、遺伝子の研究から精密な分子機械としての生命活動の仕組みが解明され、それによって機械の故障として現れる病気の予防や診断、治療が飛躍的に進むことになるであろう。他方、遺伝情報の保護や、その漏洩による差別などの問題も懸念されている。もう一つ、人間を人間たらしめている素性が明らかにされ、最新版の人間の哲学的理解がもたらされることになるであろう。

 長い間生物学の謎となっていた遺伝の仕組みに明快な解答を与えたのは、アメリカの生物学者ジェームズ.ワトソン博士とイギリスの物理学者のフランシス.クリック博士である。1953年、遺伝子(DNA)の構造を解明した二人の論文が、イギリスの科学誌「ネイチャー」に掲載されると世界中に衝撃が走った。この時ワトソン弱冠25才。単純な4種類の塩基が手をつないで作るDNAの二重らせん構造は、誰が見ても理論にかなった単純で美しい構造をしていた。

 量子力学(物質を構成する原子や素粒子と、その構造や原理を解き明かす物理学)の幕開けからほぼ50年、DNA構造の発見は、生命現象を遺伝子や分子レベルから解き明かす生命科学を切り開いた。

(国立遺伝額研究所教授・斎藤成也「にんげん進化考」2002.4..7日付け日経新聞よりのれんだいこ式理解による加筆要約)。



 ある生命科学者の指摘。人間といえどもDNA(デオキシリボ核酸)機械と考えることに基本的に問題は無い。例えば、受精によって誕生した受精卵が、どのように発生していくか、そのアミノ酸合成からたんぱく質合成、そして組織、器官への発展まで、厳密な因果的関係に拠らない場面は全く無いと言いきれる。その意味で、受精卵は、その後の発生と発展の厳密なプログラムを宿している存在である。人間一人一人をかけがえの無い存在として捉えるのであれば、受精卵こそ、そのかけがえの無い「個」の出発点でなくてなんであろう。

 この考え方は、現代科学、特に生命科学が立ち向かっている新しい境地を明示しているように思われる。

 この観点に、村上氏は次のように持論を添える。そのかけがえのない個の出発点である受精卵の生成のメカニズムにおいて、卵の方は、あまり選択の余地なく決まっているとしても、どの精子が辿りついて、着床するのか、それはまさしく偶然としかいえないのではなかろうか。

 何億という精子の中に畳み込まれたDNAの塩基配列は、それぞれが微妙に異なっている。それは卵の場合も同様である。人間のゲノムには30億対程度の塩基が並んでいると言われている。それを全部読み取ろうというのがヒト・ゲノム読解計画で、ほぼ解読されつつある。その結果、わかってきた事は、個人の遺伝的特性とじ結びつくDNA連鎖の差異の中で、特に一つの塩基対だけが違っているために差異が生じている場合を「一塩基多型」と云う。「スニップス」(Single Nucleotide Polymorphisms)の訳であるが、30億の中でただ一つの塩基対が、遺伝的な特性を生み出すことがあるという訳である。

 受精に与る卵と精子の塩基配列の組み合わせの全てを計算するにはどんな高性能コンピューターをもってしても不可能だと言われている。それほど膨大な数の組み合わせの中の、二つとないただ一つが、受精と言う偶然によって実現する。こうして受精卵のかけがえの無さは、人間学的な考慮以前に、生命科学からも保証されつつある。生命科学は、取替えの効かない(かけがえのない)個に光を当て始めた。現代科学の最前線は、生命体の、あるいは人間の根本的な生存の拠り所である個に焦点を合わせつつある。人生哲学で云われてきた「かけがえの無い自分」という概念が、科学の中で意味を裏付けられつつある。 

 (2001.9.11毎日新聞村上陽一郎「新世紀の思考」、「融解する人間」意訳、国際基督教大学・科学史、科学哲学)





(私論.私見)


利己的な遺伝子