改憲阻止の戦略戦術考

 (最新見直し2006.9.23日)

【改憲阻止の戦略戦術考その1、理論活動の活性を】
 小泉−安倍政権下で改憲の動きが急ピッチで進んでいる。官邸主導の改憲そのものが明らかに憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」違反であるが、いわゆるタカ派系政権は意に介さない法治主義放置族であることが判明する。かような形での改憲は無効との裁判が提訴されても致し方なかろう。

 しかし、そういう対応は、現に進行しつつある改憲運動の容認にも繋がるので、れんだいこは推奨しない。もっと直接的に鋭角的に改憲阻止に乗り出すべきではなかろうか。その為には国会内外の共同戦線の形成が必要となる。他方、改憲派は改憲派なりの共同戦線を組むであろうから五分の形勢になろう。この時の肝心なことは何であろうか。れんだいこは、理論闘争が決め手になると考える。

 こう考えたとき、改憲派の理論攻勢に比して護憲派のそれが余りにも弱い気がしてならない。護憲派の理論が防御的に陥っている気がしてならない。護憲派の護憲運動は、故意か偶然か改憲派のそれに比べて劣勢である気がしてならない。せっかく憲法記念日があるというのに、うまく生かしていない気がしてならない。本来、この日は護憲派の一大集会が挙行されねばならない。ところが、原水禁運動同様に社共の分裂集会の様相をしていたり、合同集会したとしてもおざなりのセレモニーに堕している気配がある。こういうことでは何事も首尾よく進展しないだろうと危惧する。

 我々は、こういう状況にあるとき一刻も早く護憲派の護憲理論を創造せねばならない。戦後憲法の意義を確定させ、護憲の意義を確認し、どう護憲するのか戦略戦術を協議せねばならない。仮に認識の違いがあろうとも、それを相互に明らかにさせ、違いをも包摂する必要がある。そういう高次の運動を組織した時運動が爆発的威力を持つことが知られている。幅広運動を組織する為に理論の差を突き詰めず、つまり理論活動を軽視し数合わせだけを目指すべしとする低次の運動はまやかしである。そういう運動が成果を挙げた例は無い。

 かの60問安保闘争を見よ。指摘されていないが、革共同とブントの草創期であり、あの時ほど理論活動が旺盛であったことはない。その理論活動と実践が結びつき、特に第一次ブントの急進主義運動が情況をこじ開け、その水路に人民大衆がなだれ込むことにより政府当局者に大打撃を与えた。結果的に、タカ派の盟主的地位にあった岸政権は退陣を余儀なくされた。代わって政権を取ったのは吉田の系譜を引くハト派の池田であった。このハト派政権が池田−佐藤−田中−大平−鈴木と続き、1980年まで20年にわたって政権主流派として采配する事になった。してみれば、60年安保闘争の歴史的意義は、単に左派運動の昂揚のみならず、タカ派からハト派への政権交代を生み出したことにあったとも見なすことができる。

 今、我々が改憲阻止運動に乗り出すとすれば、60年安保闘争の経験から学ぶことが賢明ではなかろうか。あらゆる指標が足りないが、できることからするとすればまずは理論活動の旺盛さではなかろうか。改憲派は、月刊誌だけでも文芸春秋、正論、諸君、サピオその他その他で広報している。対して、護憲派の理論誌は何ゆえか高踏ぶった数誌があるだけのように思われる。護憲派のそれは太刀打ちできているだろうか。こういうところを疎かにして護憲運動するのは負け戦に導かれること疑いない。れんだいこは、スタンスだけの反対運動に食傷し過ぎている。スタンスだけの反対運動では政治責任を果たしていないと考えている。真に改憲運動を粉砕する為の可能な限りの能力を発揮せねばならないと考える。
 
 2002.10.31日、2007.5.2日再編集 れんだいこ拝

【改憲阻止の戦略戦術考その2、軍略を持て】
 「改憲阻止の戦略戦術考その1」で理論活動を盛んにせよと述べたが、その2として軍略を持つ必要性を指摘したい。思えば、日本左派運動は伝統的に軍略家を輩出していない。戦略戦術を詠うことはあるが、それも一般論に於いてであり、その先へ向かうものではない。それだけ、正義を陳述することに意味を見出し、本気で革命をやるなどとは考えなかったということであろう。要するにスタンス左派であり続けようとしてきたということになる。

 革命を事業で考えれば、上記のような有り方はおかしいことに気づく。事業計画書は、事業を完遂する為のものであり、様々にチェックされ、達成度が審査されねばならない。これに失敗すると、指導部は更迭される。これが事業の法理である。ところが、左派運動の場合、事業計画書は作っただけのものであり、いわば掛け声倒れに終わることが常態化しており、誰にも怪しまれない。おかしなことであろう。

 しかし、れんだいこは、日本左派運動の場合たまさかそれで良かったのだと思っている。なぜなら、日本左派運動は先天的に現代世界を牛耳る国際金融資本即ち「シオン長老の議定書」を古典マニュフェストとして世界支配戦略を打ち出し着々と押し進めている現代パリサイ派の動向に無関心であるからである。連中の危険性を思えば、現代パリサイ派に手玉に取られている日本左派運動レベルの見識で、下手に革命なぞ起こしてくれんでよかった。混乱は彼らの最も期待するところであるからである。れんだいこはそう思う。

 しかし、ならば、革命反対という訳にはいかない。現代パリサイ派の支配を見据えてこれと闘う在地型社会主義運動の創出という課題が依然として魅力的に残っている。驚くことに、日本左派運動は戦前も戦後も一貫してこの課題に取り組んでいない。戦前はコミンテルン運動に拝跪しており、戦後は徳球−伊藤律系党中央時代を除き現代パリサイ派に利用され抜いている。してみれば、日本左派運動は真の革命に一度も着手した事が無いという風にも言える。

 これまでは、諸外国の生活諸条件に比べて元々が豊かな瑞穂の国であり自然風土に恵まれてきたお陰で、革命が必要でなかった。しかし、これからは違う。現代パリサイ派がその日本の物的人的豊かさに注目して初めて本格的に日本占領に乗り出そうとしている。他愛なくやられてしまうのか撃退するのか、英知が問われていると思う。この罠から抜け出すには、在地保守権力の国粋派には対応能力が無いので彼らの裏支援を勝ち取りながら在地型社会主義で結束していく以外に無い、と考えている。その為に何をなすべきか、戦略戦術と軍略を持て、軍略家を輩出せしめよ、ということになる。

 2007.5.23日 れんだいこ拝





(私論.私見)