この蛮行は何を物語るのか

 韓国の議会制民主主義の内実がどの程度のものか知らないが、こたびの愚挙は蛮行に値することは間違いなかろう。日本の国会法との違いの考察もしておきたいが、それは後ほど追ってしたいと思う。今現在緊急に云っておきたいことは、国際金融資本の意に染まぬ政権は、どんな方式によるかは別として大統領、首相の座を引き摺り下ろされるということが判明するということである。その逆に、日本の小泉のような川口のようなポチイエスマンはどんなに暗愚であれ、もとい暗愚であるからこそ重宝にされ政権延命が約束される、ということだ。このことがいやましにはっきりさせられたのが今回の盧大統領解任劇だろう。

 後は、韓国人民がどう迎え撃つのかだ。日本人民も然り。地下水脈は微妙に連動している。

 要するに、19世紀から20世紀にかけて世界中に西欧民主主義がローラーされ、その精髄である議会制民主主義が扶植されていったが、当該国でその根が育ちそれなりに機能し始めたとして、その手続きを経て選出された政権トップが気に入らないとどんなことしてでも首を据え代えられる、その範囲内の議会制民主主義つまりアメ帝奥の院に御せられた範囲内の統治術としての民主主義なぞ何の意味があろうか、という問題になる。

 れんだいこは、議会制民主主義制度を否定しようというのではない。「頭を抑えられた体制内化専門の議会制民主主義」の虚構性を批判しようとしている訳である。結論方向として、「頭を抑えられない民族自主、自律型の議会制民主主義の確立が可能なりや否や」を見極めんとしている訳である。どういう条件下なら可能なのだろうか。その為に我々は何を為さねばならぬのであろうか。

 2004.3.13日 れんだいこ拝


 




(私論.私見)