ロッキード事件の概要3(角栄逮捕ー保釈) |
更新日/2021(平成31→5.1栄和元/栄和3).2.8日
これより以前は、【ロッキード事件の概要2(田中逮捕時前後のドキュメント)】
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「ロッキード事件の概要3(角栄逮捕ー保釈)」をものしておく。 2003.9.16日再編集 れんだいこ拝 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
角栄が、ロッキード事件のホンホシとして逮捕された。しかし、つい一年ほど前に日本国の首相を務め、抗弁すればしようのあった金脈追求に潔く辞職していた角栄を逮捕するには、事前の事情聴取があるべきであろう。検察はそれさえせぬまま逮捕に踏み切った。臭いと思うのはれんだいこだけだろうか。 2006.1.5日 れんだいこ拝 |
【1976(昭和51)年】 |
【最高裁判所裁判官会議で、米側証人の刑事免責保証を決議】 |
7.24日、最高裁判所裁判官会議で、米側証人の刑事免責保証を決議する。 |
【田中角栄逮捕のクーデター手法】 |
布施検事総長は、徹底した隠密作戦を敷き、角栄逮捕の意向を三木首相、稲葉法相だけに伝え、特捜部を電撃的に目白邸へ向わせた。土田国保警視総監には何の連絡も為されていなかった。 その時、青梅署で剣道の稽古をしていた土田警視総監は知らせを聞き、思わず竹刀を床に叩きつけ、「俺はのけ者か」と激怒したと伝えられている。椎名悦三郎も静岡御殿場の山荘に居り、「こちらはつんぼ桟敷」と唇を振るわせたと伝えられている。 つまり、「別件による元首相の身柄拘束」に当って、政界や警察のトップに内密で事が行われたことになる。これは検察ファッショであり、一種のクーデター的手法であろう。 |
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土田警視総監はかって1971.12月に小包爆弾テロを受け、夫人が即死させられている。このたびも検察にコケにされている姿が見える。いろんな意味でこの人は興味深い人物のように見える。 2005.1.11日 れんだいこ拝 |
【角栄逮捕される】 | ||||||||||||||||
1976(昭和51).7・27日、田中角栄前首相は外為法(外国為替・外国貿易管理法)違反容疑で逮捕された。この時続いて榎本秘書官も逮捕されている。概要は、「田中逮捕時前後のドキュメント」に記した。
秦野章・氏は、「何が権力か」の中で次のように記している。
俵孝太郎氏の「田中角栄ーもう一つの視点」は、「田中裁判の問題点(1)元内閣法制局長官・林修三氏に聞く」(1984.9月号正論)の中で次のような遣り取りをしている。
一国の元首相を別件逮捕するのも異例なら、「外国為替管理法違反」という「死に法」で逮捕するのも異例であろう。つまり異例ずくめということになる。 産経新聞論説委員を経て政治評論家になっていた今井久夫は著書「角栄上等兵とヒトラー伍長」(コンパニオン出版、1982.1.1日初版)の中で次のようにコメントしている。
新野哲也氏は、「だれが角栄を殺したのか」168Pの中で次のように批判している。
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【新聞各社が号外配布、夕刊が1面トップに同じ見出しの「田中前首相を逮捕」】 |
新聞各社が号外を配布、夕刊が1面トップに同じ見出し「田中前首相を逮捕」で記事を載せる。(これにつき、2017.4.29日号週間現代が新聞各社の紙面を掲載し実証している) |
【角栄取調べの様子】 |
角栄は、小菅の東京拘置所1号舎3階の3畳ほどの独居房に収監された。直前まで総理大臣を務めた男が拘置所に収監されるのは前代未聞の椿事だった。取調べに当たったのは石黒検事らであった。田中の取調べは午前9時から10時の間に始まり、昼食と夕食を挟んで、夜は午後9時頃まで連日続けられた。田中は、収監中も以降も一貫して被疑事実を全面否認していくことになる。20日間続いた。 |
【反角栄派の酒宴】 |
当夜、料亭「金竜」で、三木派の河本通産大臣、井出官房長官、中曽根派の中曽根幹事長、桜内義雄、稲葉法務大臣などが出席して酒宴を開いた。 |
【角栄、離党届けと派閥の脱会届けを提出】 |
田中良紹氏の「今明かされる田中角栄の真実―裏支配」には次のように記されている。概要「7時35分から9時半まで高瀬検事正が、角栄を取り調べている。逮捕状を執行された後、角栄は『紙をくれ』と要求し、離党届けと派閥の脱会届けを書き、『中曽根に渡してくれ』と頼んでいる」。 |
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角栄は、この時なぜ中曽根に頼んでいるのだろう。田中派の後継者・二階堂ないしその辺りに届けるよう依頼するのが普通だろうに。恐らく、角栄は、本件に中曽根が深くかかわっていることを承知しており、「何とかせぃ」とのメッセージを託したのでは無かろうか。ロッキード事件の闇の構図はますにここにあるように思われる。 人面畜生の中曽根は、角栄の「何とかせぃメッセージ」を聞くふりをしながら権力掌握の足掛かりに徹底利用し、正真正銘の裏切りを続けて行くことになる。その限りで角栄は翻弄される。 2005.1.11日 れんだいこ拝 |
【榎本秘書攻略の異常さ】 |
榎本も否認していたが、卑劣なトリックにより追い込まれ、金銭授受を認めさせられたことが判明している。トリックとは、逮捕されてまもなくの取調べの時に、「検事から『田中5億円受領を認める』と一面トップに書かれたサンケイ新聞を見せられ、オヤジが認めているのに私が認めないのも変だという気分にさせられ、その後の取調べで検事の誘導に従って段ポール箱の授受を認めた」、「先生が、党の為に、ありもしない事実をやむを得ずひっかぶられたのかと思い、悩んだ末に、私も先生に口裏を合わせた」、「オヤジがしゃべったから、仕方が無くはゃべった」と、この時の事情を法廷で陳述している。 |
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検察側のリークがあったにせよ、不偏不党を生命とするマスコミの信義において信じられないほど有り得てならない虚報である。つまり、こうして発行されたマスコミの虚報を元にして自白を迫っていくという異常な取り調べが為されたことが見据えられねばならない。これが、ロッキード事件の胡散臭さ第17弾である。 2005.1.11日 れんだいこ拝 |
【政府高官の名が次々挙がる】 |
翌7.28日付け朝日新聞朝刊には、「汚職の疑惑」との見出しでトップ記事が載せられ、中曽根康弘、二階堂進、佐藤孝行、橋本登美三郎の4名の名前が挙げられていた。 |
【角栄運転手に対する変調取り調べと変死】 |
この間関係者のお抱え運転手の取り調べが為され、運行行動日報・ノート・手帳との照合が為されている。清水運転手(榎本付き)、松岡運転手(丸紅付き)は、帰りたい一心で検事の尋問誘導に「そうです、そうです」と迎合したことを後に明らかにしている。 |
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猪瀬直樹は、「死者達のロッキード事件」で、笠原運転手の変死に対して田中側からの謀殺疑惑有りとして縷々論証している。れんだいこは、「猪瀬直樹の『死者達のロッキード事件』批判」でこれを考察した。この一書で、猪瀬なる者が事象を反対に描く才筆を売ろうとする実にくだらない立花に次ぐ御用評論家であることが分かる。後に、小泉政権の下で道路公団民営化の諮問委員会委員に名を連ね、2004年世間に何かと話題をまいたが、胡散臭さは特上級だろう。 2005.1.11日 れんだいこ拝 |
【鬼頭史郎謀略電話事件発生】 |
8.4日、京都地方裁判所判事補の鬼頭史郎が、布施健検事総長を騙って三木首相に対し架電し、三木首相は気づかずロッキード事件捜査に関する打ち合わせを続け、この時の会話の録音テープを報道関係者に公開するという珍妙な謀略事件が発生した。事件のその後につき、10.22日の項で検証する。 |
【コーチャンの嘱託尋問調書が東京地検に渡る】 |
8.7日、コーチャンの嘱託尋問調書が東京地検に渡る。 |
【東京地検、榎本を外為法違反で起訴】 |
8.9日、東京地検は東京地裁に対し、榎本を外為法違反で起訴している。これは伊藤調書によって立件された。伊藤調書では、田中の受託収賄罪の核心部分の一つになる榎本と伊藤間の五億円のワイロの受け渡し場面がまことしやかに記述されていた。1973.8.10から74.3.1日にかけ計4回、英国大使館(東京都千代田区一番町一番地の)裏側の道路などで、現金の入ったダンボール箱を丸紅の車のトランクから、田中家の車のトランクに移し替え、目白の田中邸に搬入したとされ、生々しいダンボール箱の受け渡しが明るみにされていた。 |
【檜山調書に疑惑有り】 |
8.10日、桧山の供述検事調書が作成されている。桧山調書では、8.23日の目白邸訪問の際、田中に縷縷尽力を要請し(全日空が大型機を輸入するにあたっては、ダグラス社のDC10ではなく、ロッキード社のL1011という機種を選定するように働きかけて欲しい)、見返りとして5億円を贈ることを約束する桧山に対し、田中が「よしゃ、よしゃ」と快諾した旨が記載されていた。この陳述は桧山逮捕後29日のものではあるが、請託と約束があったと明記されており、これが検事側からする唯一の証拠能力を持つ調書となった。 |
【角栄、外為法違反と受託収賄罪で起訴される】 |
8・16日、検察は、田中を外為法違反と受託収賄罪で起訴した。この時点より、田中は、「総理大臣より一転して刑事被告人」の立場に追いやられることになった。「5億円は全日空のトライスター機導入に絡む賄賂である」として受託収賄罪が適用された。 既に述べたが、伊藤・檜山の供述は、担当検事の誘導ストーリーに従って作文された感が強い。仮にそうだったとした場合、当時の検察の意図が詮索されねばならない、この闇は深い。「アメリカが田中を失脚させるための追放劇だった」にせよ、それに呼応した検察当局の責任も付きまとっている。桧山調書と伊藤調書に見られる曖昧さ、検察の誘導作文性が、ロッキード事件の胡散臭さ第20弾である。 |
【起訴に至るまでの検察の奇怪な独走ぶり】 | |
「田中事件の本質とロッキード事件の真相」は次のように語っている。
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【週刊サンケイ臨時増刊号が「ロッキード事件及び田中元首相逮捕を廻る特集」を出す】 |
週刊サンケイ臨時増刊号8.23号が出され、ロッキード事件及び田中元首相逮捕を廻る特集を出版した。政治評論家の俵孝太郎氏が、「ロッキード捜査・その不透明な部分」と題して5ページの小論を寄稿し、ロッキード事件の喧騒に警鐘を鳴らしている。嘱託尋問調書、不起訴宣明と最高裁保証、外為法による別件逮捕、世論操作の危険まで問題点を指摘し、「極言すれば目的の為に手段を選ばぬやり口が横行しなかったか」と批判した。 |
【角栄、保釈される】 | ||||||
8.17日、検察によって起訴された翌日の8.18日夕刻、角栄が保釈され東京拘置所を出所した。逮捕以来21日ぶりであったが、2億円の保釈金を積まされたことになる。保釈金2億円は、贈収賄事件のそれとしては史上最高金額であった。 |
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太田龍・氏の「ユダヤ世界帝国の日本侵攻戦略」は次のように記している。
辻和子の「熱情」は、この時の角栄の肉声を次のように伝えている。
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【「橋龍」と小沢考の生きざま考】 |
角栄がロッキード事件で逮捕された時、田中派内の多くの同志が日和見を決め込む中で、「橋龍」一人が、「それでも俺はオヤジが好きなんだ」との胸中を公言させた。角栄糾弾の嵐が見舞う形勢利有らずの中での勇気ある角栄擁護弁であった。この時、「橋龍」は男を挙げた。「橋龍」は、角栄釈放時の出迎えの際にも、「辺りはばからず涙をポロポロと流していた」と伝えられている。ここでも、男を挙げた。「橋龍」はその後、紆余曲折しながらも首相になる。その後の「橋龍」が、「男になった」かの時の矜持(きょうじ)を持ち合わせていれば「更に男になった」筈であるが、その頃から「俺は元々本籍佐藤派で田中派ではない」と御身保全に向かい始めた。この瞬間から男を下げ始めた。以降の「橋龍」の解説は無意味であるので割愛する。 ところで、果敢に角栄を護った男がもう一人いる。ロッキード公判を欠かさず通い詰めた男−小沢である。小沢は、「橋龍」の常在主流派癖に比して、党を割り、イバラの道へ向い敢えて損な道を択んだ。火中の栗を拾い、大ヤケドしながら今日まで辿り着いている。国際ユダ邪が日本を呑み込み、使い捨てにせんと策謀を廻らしている渦中にあって見識を示し続けている。小ネズミ的嬌態政治から決別するのは、角栄政治の薫陶を正面から受け止めているこの男を通して以外にない。 「橋龍」と小沢。政治に翻弄され、歩んだ道はそれぞれのものとなったが、戦後保守主流派を形成したハト派政治の何たるかを知っているだけに、今の政治にはがゆさを覚えている点では共通しているであろう。「橋龍」の死は、袂を分かった者であるとはいえ、小沢にとって損失であろう。しかし、今は懐旧する暇は要らない。屍を踏み越えて政権奪取に向かえ。日本人民大衆の大包囲網で勝負に向う以外になかろう。思いつくまま。 |
【角栄保釈直後の動き】 |
これより以降は、【ロッキード事件の概要3(角栄保釈後)】
(私論.私見)