角栄の日本列島改造論書き起こし

 更新日/2017(平成29).5.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、角栄の日本列島改造論を書き起こしサイトアップすることにする。誰もやらないのなら、いつものようにれんだいこがやる。誰か手分けしてくれたら助かる。日本列島改造論に注目するのは、日本改造の事業計画だけではなく、そこに深い歴史観、社会観の哲理思想を認めるからである。東大卒のエリート官僚が束になっても勝てなかった大人の知恵が垣間見えるからである。

 2012.1.13日 れんだいこ拝


【角栄版マニュフェストの政治史的秀逸さ】
 1972.6.20日、角栄が首相になる1ヶ月前の通産大臣の時、「日本列島改造論」(日刊工業新聞社)を発表した。この本は国民の間に大きな反響を呼び、政治家の著書としては異例の80万部を超すベストセラーになった(出版科学研究所調べでは発行部数91万部、年間4位)。序文には次のように述べられている。
 「私はことし3月、永年勤続議員として衆議院から表彰を受けた。私はこれを機会に『国土開発・都市問題』と一緒に歩いてきた25年間の道のりを振り返ると共に、新しい視野と角度と立場から日本列島改造の処方箋を書き上げ、世に問うことにした」。
 「日本列島の改造こそは今後の内政の一番重要な課題である。私は産業と文化と自然が融和した地域社会を全国土に押し広め、全ての地域の人々が自分たちの郷里に誇りを持って生活できる日本社会の実現に全力を傾けたい」

 つまり、角栄は総裁・首相のイスを争うにあたり、それまでの議員生活を振り返って、「首相になって何をやるのか」という政治姿勢をマニュフェスト化し、事前に総国民に対して明示したことになる。この手法は角栄の政治家としての能力の高さと見識を示して余りある。しかし、この功績は、その後の首相資格者に継承されたとは云い難い。せいぜい茶番的な真似事が為されたきりである。「日本列島改造論」はこうした歴史的栄誉を持っている。れんだいこはそのように評価している。

 これを思えば、小泉流「ワンフレーズ・ポリティックス」手法は能力の欠如を示してあまりあると云えよう。れんだいこはそのように批評している。付言すれば、「日本列島の改造こそは今後の内政の一番重要な課題である」と述べているように内治主義を指針させているのも秀逸なところであろう。中曽根ー小泉派の声高な国際責任論に基づくシオニズム拝跪型政治と対極を為していることに気づかされる。

 2004.6.25日、2005.5.25日再編集 れんだいこ拝

「日本列島改造論」の形成過程

 ちなみに、「日本列島改造論」は向こう受けを狙って唐突に出したものではない。1966年に幹事長を辞任した翌年の1967年に就任した自民党都市政策委員長時代に、日本の産業・経済構造を研究し、1968・5月に「都市政策大綱」としてその成果を発表していた。

 東京一極集中からいかにしてバランスの良い総合的国土活用ができるかの視点で、6万語に及んで、産業の適正配置と分散、高速道路網の整備、地方単位の快適生活環境都市づくり等を提言していた。その原型は、昭和20年代に始まった角栄の議員立法活動のその中に胚胎していた。「都市政策大綱」は、この成果の上に結実した綱領的文書であり、これが青写真となって「日本列島改造論」が上宰されたという経過を見せている。

 「都市政策大綱」の産出経過は次の通りである。角栄は、1966.12月の内閣改造人事で幹事長を辞め、久しぶりに無役となっていた。1967年の正月の松の内が明けた頃、坂田道太(前衆議院議長)と原田憲(元運輸大臣)がやって来て、早坂秘書と懇談した。坂田が次のように述べている。

 「角さんは無役になった。しかし、遊ばせておくのはもったいない。使おうじゃないか。君らはよく知らんだろうが、角さんは若いときから国土政策に汗を流して来た。大変なオリジナリティの持ち主である。テキパキと仕事をやる。知恵も力もある。都市問題、過密と過疎が厄介なことになってきた。ここらで一つ、角さんの大調査会を作って、何かバンとしたものをやらせようじゃないか」。

 この時、元共同通信の政治部記者で、1960年頃より角栄の政策ブレーン秘書となっていた麓(ふもと)邦明氏を呼んでいた。翌日、角栄に相談したところ、当人も大乗り気になった。こうして、1967.3.16日、自民党都市政策調査会が発足し、東京平河町の全共連ビルで第1回総会が開催された。基本問題分科会(会長・高橋衛、会長代理・倉成正)、大都市問題分科会(会長・吉武恵市、副会長・岡崎英域)、地域問題分科会(会長・原健三郎、副会長・奥野誠亮)、財政金融問題分科会(会長・植木庚子郎、副会長・足立篤郎)の4分科会と競う委員会を設けた。

 会長・田中角栄、副会長・坂田道太、原田憲。小川半次、渡海元三郎、丹羽喬四郎、浜野清吾、赤間文三、岸田幸雄、安井謙ら衆参両院の実務者が副会長。衆議員53(79)名、参議員35名、計87(114)名の国会議員メンバーが揃った。派閥を越え、福田派や三木派の中堅幹部クラスまで押しかけていた。他に、自民党政務調査会スタッフとして各官庁から選りすぐりの官僚が結集した自民党初の大調査会となった。判明するメンバーは次の通りである。

氏名  当時のポスト 
 概要履歴
小長啓一  事務秘書官
 前・通産事務官)
下河辺淳  経済企画庁総合開発局課長
 下河辺氏は大正12年生まれの東大工学部卒、戦災復興院から建設省に移り、課長補佐の時の昭和24年に建設委員会・地方総合開発小委員会委員長の角栄と初顔合わせしている。その後の接触で、「この人は東大法学部的な発想領域を超えている。しゃべりながら知恵が湧いてくるようだ」と感心したとの伝があり、角栄心酔派の一人であった。
武村正義  自治省大臣官房企画室勤務課長
 当時31歳。ヨーロッパの都市政策を論じた「南農北工論」が田中の目にとまり、「都市政策大綱」のまとめ役に指名され、プロジェクトチームの仲間入りとなった。「南農北工論」とは、「欧州は南農北工型である。日本は逆に、南工北農型だから、放っておくと北と南の所得格差が開いてしまう。政策的対処が必要である」とする論調であった。

 こうして目ぼしき官僚の協力も得た。自民党都市政策調査会は角栄の陣頭指揮で、麓秘書が議論の取りまとめ役となり、以降1年2ヶ月の間に70回(総会25回、正副会長会議9回、分科会18回、起草委員会18回)の会議を積み重ねて行った。

 初めての会合の席での角栄の挨拶が残されている。全文は早坂著「政治家田中角栄」に譲ることとして、次のような指摘が為されている。

 概要「我が国の都市問題は今や政治の避けて通れぬところであり、一瞬も放置できない段階に達している。均衡のとれた国土総合開発をまずつくり、過密と過疎問題の同時解決を図る。(従来式の後追い行政ではなく)都市改造、地方開発に当たって、今必要なのは目先のソロバン勘定ではなく、先行投資の考えに立脚した、大きく新しい経済計算である。古い投資効率の概念を捨てて、新しい先行投資の概念を政策の基本に据える」。
 「(そうした政策を推進する為に)国の財政力だけでなく、民間のエネルギーを積極的に活用することである。この都市改造と地方開発のための十分な社会資本は、政府の財政力をはるかに超えている。政府、地方自治体、企業、私人がそれぞれの力を結集して、はじめて実現できる国民的な大事業である。そのためには、民間の資金が進んでこの大事業に参加できるような措置を講ずるべきである」。

 通産省のスタッフ何人かを前にして熱弁を振るった様子が、小長啓一氏(当時通産事務官)によって次のように回顧されている。

 「『自分は代議士に当選以来、国土問題に対しては特別の情熱を注いできた。議員立法もいくつかやったし、この問題に関して自分はどの政治家にも負けない経験と識見を持っているつもりだ。政治生活二十数年、この段階で一度過去を振り返りながら未来を展望するものを何か創りたい』。それから暫くの間、私たちは3時間ぐらいのレクチャーを田中さんから直に4、5回受けることになった。それを私たちが整理し、多少肉付けをしてまとめたのが『日本列島改造案』であった。自らの経験と識見をとうとうと語られるそり語り口は、常人をひきつけて止まない魅力と説得力があったし、一方近づき難い威厳も感じた」。

 1年2ヶ月の間に70回積み重ねられた会議では、関係官庁(建設省・自治省・通産省・経済企画庁・運輸省・農林省・文部省・厚生省・大蔵省・労働省・警察庁・消防庁・各種公団)、自治体(東京都・全国知事会・市長会等々の代表者)からの現状と見通し及び政策について細大漏らさずの報告を受け、各界有識者(土木学会会長・観光会社社長・交通問題評論家・公衆衛生学専門家・その他大学教授・新聞社論説委員他)からの提言へと広げ、広く意見を集約させている。

 その後テーマ別に四つの分科会を設け、更に議論を掘り下げていった。各分科会でも、関係各省庁、自治体、民間学識経験者を招き、きめの細かい意見聴取、討議に入った。この経過は、それ以前も以降においてもこれだけ精力的に活動した例が無い凡そ模範的事例となっている。

 こうして漸く起草委員会(高橋衛委員長)を設置し、1968.2月より体系的な取りまとめの作業に入った。この都市政策大綱づくりに党経費だけでは賄いきれず、田中は数百万円のほけっとマネーを投じており、これが事務費や会議費の潤滑油となった。この時角栄は、「田中テーゼ」を貫徹させるために麓と早坂秘書を最終的な責任者とした。二人は小型トラック一台分の資料を東京平河町の田中事務所に持ち込み、63回も草稿を書き直し、眼底出血と血尿に見舞われながら悪戦苦闘している。

 早坂氏の「政治家田中角栄」は次のように述べている。

 「都市政策大綱」は角栄が書き上げたものではない。しかし、角栄を抜きにしては策定されなかった。
 「政治家・田中角栄の見識、情熱と日頃の行政事務にうっぷんを溜めていた若い官僚のエネルギーの爆発、田中を真の政治指導者たらしめんとしたスタッフの合作であったと云えよう。田中は自分の政治的信念を若い官僚や事務所のスタッフにぶつけて、彼等の情熱を燃え上がらせ、その能力を最大限に発揮させて、政策を作り上げる天才であった」。

 1968(昭和43).5.22日、調査会は、総会25回、正副会長会議9回、分科会18回、起草委員会18回を経て総会を開き、「都市政策大綱」(中間報告)を決定した。5.24日、自民党の党政務調査会審議会で、5.27日、同総務会で了承した。

 「都市政策大綱」に対する反響は大きく、大綱が発表された翌日、5.28日付けの朝刊で一斉に報道され、概ね好評であった。5.28日付け朝刊朝日新聞は、次のようにコメントしている。

 「わが国では、これまで政府も政党も、総合的、体系的政策に欠け、その施策は個々バラバラの対症療法として、ほころびをつくろうものばかりであった。それを二十年後の都市化の姿を展望し、問題解決の方向、手法を、単なる理論でなくて、政策ベースに乗せたという意味で、この大綱は高く評価されて良いだろう」。

 東京工大教授で都市計画専攻の石原舜介(しゅんすけ)氏は、次のように評価した。

 「自民党が『都市政策大綱』を発表したことは、今まで政党としては見られない快挙であり、双手を挙げて賛意を表したい」。

 政権党の発表文書がこのような取り扱いを受けたこと自体異例であった。


【「日本列島改造論の骨子」について】
 1971(昭和46).1月、角栄は、日刊工業新聞の新年企画に応じて、「都市政策大綱」を口述した。これが「日本列島改造論」の下敷きとなり、この時既に田中の元を離れていた麓に代わり、通産相秘書官の小長啓一が通産省のブレーンを使って纏めに当たった。これが「日本列島改造論」となる。

 小長氏は次のように証言している。
 「あの時のあの言葉は、今もはっきり覚えている。1971年の暮れ。私は、通商産業省(現経済産業省)の旧庁舎の3階にあった大臣室にいた。公式の日程を終えた夕暮れ時。いつものように田中さんと雑談し始めたら、ふいに話を向けられた。『俺もまぁ、工業の再配置問題とか、通産省から見た国土開発を勉強した。これで政策の‘全体系’が頭に入った。ちょうど代議士25周年、節目ということで考えをまとめてみるか』 思えば、これが列島改造論が生まれた瞬間だった。さっそく、私をはじめ通産省の役人と、日刊工業新聞の記者の6、7人が執筆スタッフに選ばれ、動き始めた。通産省からは若い連中が選ばれた。後に作家として『堺屋太一』と名乗る池口小太郎さんもいた。田中さんの私たちへのレクチャーが始まった。みんなで大臣室の大テーブルを取り囲んだ。3、4回、合計20時間になった。構想は田中さんの頭の中にあるから、資料なしで朗々としゃべる。私たちは、ほとんど質問せずに聞いた。『東京へ、東京へ、という人とモノと金の流れを、地方へ逆流させようじゃないか』、『同じ日本人なんだから、どこに住んでいても一定以上の生活ができる体制にしようじゃないか』。独特のダミ声。時に言葉を止め、抑揚をつける調子に、思わず聴き入る。『君ら、酔って丸の内にひっくり返っても、すぐ救急車で運んでもらって、一晩休めば命には別状ない。同じことを北海道でやったらどうなるか。そういう格差をなくそうじゃないか』」。(朝日新聞2012.4.30日付け)

 同書は、「20年先回りして、効率よく、国土を総合的に改造しよう」という田中構想に基づき、資源に乏しいわが国の、狭い国土をフル活用し、国土に活力を持たせて、外圧に耐えうる強靭な日本列島を創造せんとした、いずれの日にか当面する国家的な課題に対する適切な処方箋「国歌百年の大計」となった。明治以来の門閥と閨閥の土台の上にあぐらをかいていた政治的反対派は、この壮大な構想を前にして、理解するだけの能力が無く、田中への畏敬と恐怖を内向させていった。

 日本列島改造論の三大骨子は次の通りである。
【均衡の取れた国土開発】  太平洋ベルト地帯に集中しすぎた工業の地方分散による工業の再配置計画。
【過密と過疎の同時解決】  都市改造と新地方都市(25万都市)の整備。
【新産業基盤の整備】  これらを結ぶ全国的な総合交通のネット・ワーク整備。

 日本列島改造論は、この「三大骨子」をベースにして、1・総合基本政策を「平和と福祉」とし、2・対外政策についてはその基本を、「戦後25年間、一貫してきた平和国家の生き方を堅持し、国際社会との協調、融和の中で発展の道を辿ることである」、3・「国内政策のそれを、「これまでの生産第一主義、輸出至上主義の経済政策を改め、社会資本ストックの充実と先進国並みの社会保障水準のへ向上を目的とした内需拡大策を打ち出す必要性がある」としていた。


 日本列島改造論は、狭義の都市政策ではなく、日本全体を一つの都市圏と考える「国土総合改造大綱」として俯瞰されていた。「5つの重点項目」が唱えられ、次のように観点されている。
【国土開発ビジョン】  新しい国土計画の樹立とその法体系の刷新整備、複雑な現行法体系の改廃、新開発行政体制の改革、国土総合開発研究所の設置。
【都市問題解決策】  大都市の住宅難、交通戦争、公害対策。その為の都市の再開発、受益者負担・原因者負担の原則の確立、責任者制度の確立。
【地方問題解決策】  広域ブロック拠点都市の育成、大工業基地の建設を中心とする新拠点開発による地方開発。産業基盤、生活基盤の整備、産業の適正配置、集約的自給型農業の振興。
【土地問題解決策】  公益優先の基本理念のもとに、無秩序開発を規制しつつ新土地利用計画と手法の確立。土地問題総合対策委員会の設置。
【資金問題解決策】  民間資金の導入による官民共和式資金確保と活用。税制の弾力的措置化。

 「全国一日通勤圏、経済圏構想」が奏でられ、「先行投資」による地方都市整備、その要としての交通・通信ネットワーク網整備、その要として土地政策は次のように具体的に提言されていた。
【土地の有効活用策】  私権の多少の制限は致し方ない。公共の福祉のため、空中と地下を含め、土地を収用する。
【区画整理の推進策】  土地所有者の強力を求め、区画整理を進める。
【土地高踏還元策】  土地値上がりの一部を社会に還元する。
【土地の公的地価評価策】  土地の基準価格を設定し、公的な地価評価の基準とする。
【税制策】  土地の有効利用のため税制を活用する。
【公害防止、環境基準策】  公害の発生源には防除の責任を負わせる。環境基準を明確にする。
【民間活用策策】  民間のエネルギーを活用する。政府・自治体・企業・個人が一体となって、都市国家を作り上げる。

【「日本列島改造論の眼目」について】
 日本列島改造論の眼目が次のように語られている。
 概要「戦後日本は、敗戦直後のその日暮らし的な復興経済(量的拡大、食の時代)から高度成長経済(質の時代、衣の時代)へ、更に国際経済(国際的質の時代、住の時代)へと三段跳びの飛躍をなし遂げ、今日の繁栄を築き上げた。しかし、明治百年を一つの境として繁栄の中の矛盾も急速に表面化してきた。そこで、これまでの考え方を180度転換して、新しい視野と角度と立場から問題を解決する方向を見出していきたい」

 つまり、「国際経済時代の舵取りを如何に為すべきか」との視座から論が為されていることが分かる。


 「都市政策」の眼目について、角栄自身が日本列島改造論の「序にかえて」で次のように語っている。
 概要「明治維新から百年余りの間、我が国は工業化と都市化の高まりに比例して力強く発展した。が、明治百年を一つの節目にして、都市集中のメリットは、今明らかにデメリットへ変わった。今後為すべき事は、都市集中の奔流を大胆に転換して、民族の活力と日本経済の逞しい余力を日本列島の全域に向けて展開することである。工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテコにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差を無くすことである」。
 「今後の開かれた国際経済社会の中で、日本が平和に生き、国際協調の道を歩き続けられるかどうかは、国内の産業構造と地域構造の積極的な改革にかかっている。その意味で、日本列島の改造こそは今後の内政の一番重要な課題と云えよう」。

 こういう語りも遺している(早坂茂三「田中角栄回想録」(小学館、1987年初版)参照)。
 「新しい国土利用というものが何から始まるかといえば、それは交通網の整備と公共投資だ。そこのところを政策として体系的に述べているのが、昭和43年5月に発表された「都市政策大綱」だ。これは私が自民党の都市政策調査会長として1年2ヶ月かけてまとめたものでね、私の「日本列島改造論」の原点であると同時に、その後の歴代政権にとって国土政策の基本憲章となったものだ。

 私はこの「都市政策大綱」のなかで、新しい国土利用のカギは交通網の整備、公共投資、とりわけ先行投資であると指摘した。その後の発展はどうかといえば、37万8000平方キロの日本列島は今や新幹線と高速自動車道路網の整備で、時間距離が革命的に短縮されているじゃないか。こういった交通網の整備が、通信網の整備と合わせて日本経済に活力を与え、国民生活を格段に便利にしてきたということは、まさに事実が示しているんだ。だからわたしは、新幹線網をさらに全国に繰り広げ、高速道路のネットワークをさらに細かくすべきだと、そう確信している」
 「昔はね、田んぼは一反(300坪)150円から300円だった。小学校を出て、炭鉱や工場で30年も働けば、3000円の退職金が貰えた。1500円で、田んぼが一町歩は買える。家を改築して、墓と仏壇を買って750円。まだ、750円は残る。これが昔の農村の、まァ、中級の生活だった。30年まじめに働けば、それだけの財産が得られたんだ。

 じゃぁ今はどうか? 大学を出て、30年働いて、退職金は3000万円くらい。実際は1700万円から2500万円の手取りだが、年金もあるから4、500万円のかさ上げになる。これでどれほどのものが買えるか。高いところでは6000万円も退職金を出すところもある。要するに、全国的に見て、今は富の平準化が行われているということだ。日本ほど完全に富が平準化している国は他に無い。

 だから本来から云えば、3000万円の退職金を貰ったら、1町歩3000坪の土地は買えなくても、せめて100坪の宅地が買えなくてはならない。そして家を建てる。土地は30坪では狭過ぎる。だから100坪。誰でも働いてきた者は100坪の宅地が買えて、持ち家が建つとなれば、団地やマンションに住んで、イライラしている国民の気持ちもガラリと変わるよ、これは。

 それは夢でも何でもない。実現できることなんだ。どうするか? それが難しいというのは、東京を中心に考えているからだ。それじゃあどうするか。全国に10の基幹都市をつくる。それを要にして、100の人口25万都市を造れば良い。その25万都市には大学をおき、基幹産業を一つ立地すればいい。それも重工業ではなく付加価値の高い知識集約産業をね。

 給料も今では全国的に平準化しているんだから、企業としても安定的な労働力が得られれば、地方に立地したほうが得策だよ。知識集約型産業は部品工業になっているから、組立てだけやればいい。今は自動車産業だってそうだし、すべての輸出産業もそうなっている。そうした産業があれば、25万都市はじゅうぶんに生きていけるよ。

 全国に衆議院の選挙区が130ある。この選挙区ごとに、25万都市を一つずつ作れば、全て車で30分以内に通える。仕事が終わったら、豊かな水と緑のある家にさっさと帰って、浴衣に着替えて、冷や奴で一杯やり、女房や子供を連れて、盆踊りに出かける。私の都市政策の目標は、年よりも孫も一緒に、楽しく暮らせる快適な環境をつくることなんだ」。

 佐藤昭子氏の「田中角栄ー私が最後に伝えたいこと」は次のように解説している。
 概要「全国に10の基幹都市をつくる。それを要にして、100の人口25万都市をつくる。25万都市には、大学を置き、基幹産業を一つ立地する。付加価値の高い知識集約産業がいい。仮に全国にある衆議院の選挙区130を基準にして、この選挙区ごとに25万都市を一つずつつくれば、すべて車で30分以内に通えるようになる」。
 「(更に私には噛み砕いてこう話してくれた)仕事が終わったら、豊かな水と緑のある家にさっさと帰って、浴衣に着替えて、冷や飯で一杯やり、女房や子供を連れて、盆踊りに出かける。私の都市政策の目標は、年寄りも孫も一緒に、楽しく暮らせる快適な環境をつくることなんだ」。

 アメリカの未来学者・ハーマン・カーン氏が官邸を訪れ、次のように激賞している。
 「大変立派な計画だ。日本が軍事大国とならずに、平和大国となるための壮大なビジョンである」。

【「道路網の位置付け」について】
 角栄は、「道路網の位置付け」について次のように述べている。
 「新幹線鉄道が線にそって日本列島の開発を誘導するものだとすれば、道路は面としての地域開発を可能にする。人と貨物の大半を鉄道輸送に依存していた時代は、自動車の登場により基本構造が変わった。自動車と道路の発達は、人や物を駅から戸口へ、戸口から戸口へと運び、広い地域にわたる産業分散を容易にする」。
 「高速道路が工業の地方分散に果たす役割は大きい。高速道路ができればできるほど市場が広がる半面、産地同士の競争も激しくなる。それは貿易の自由化と同じ事で、日本経済全体から見れば、適地適産が進み、価格が平準化し、生産は合理化する」。
 「大量の交通を高速で処理できる高速道路、通過交通を処理する幹線道路、住宅地の中の生活道路という具合に、それぞれの道路の機能をはっきりさせる。新しい道路規格では、片側一車線プラス歩道というように、順次十車線まで十規格をつくる。幹線自動車道路では、最低で片側三車線、普通は片側車線として、重量車両専門車線及び追越用道路を仕切りするなど交通の安全と効率化を図るべきである」。

 こういう語りも遺している(早坂茂三「田中角栄回想録」参照)。

 「日本人は、都市づくりというと、まず家をつくる。外国人はそうじゃない。はじめに道路をつくり、鉄道を敷き、駅をつくり、スーパーと学校を建てるんだ。だから、アッという間に人間が集まってくる。日本人はまず団地をつくる。これは陸の孤島だ。そして200戸も入居したら、医者がいく。300戸になったらパーマネント屋が腰を上げる。500戸になるとバスが入ってくる。それまではどろんこ道か砂利道を、徒歩か自転車かマイカーで遠い駅まで往復するんだね。

 これじゃあダメだ。道路の建設が先決なんだよ。世間はこのごろ、ようやく私を都市計画の専門家と認めるようになったけど、今まで私のいうことを聞かなかったから、ものごとが万事さかさまになっているんだ。これまでのそういう後追い投資をやめて、国民が新天地へいっても生活に不便を感じないところまで、先行投資をすることだ。

 日本人には道路、学校などは全部、公費でやれ、お上がやるべきだというような気持ちが強い。そうだろう。しかし、自分たちに必要なものは地方自治体と一緒になって自分で設計図を書いてみるべきなんだ。民間デベロッパーには、土地をただで提供するから、まずそこに学校をつくってくれ。1000戸以上の住民が住むのだから、この土地の半分はお医者さんに渡す。だからきてくれ。スーパーも真っ先に建てる。こんな具合に、新しい都市づくりを進めたらどうかね。こうしなければ、団地をつくっても誰もいかないんじゃないか。こういった手順、方法に従って、わたしも面白いからひとつ、地域開発を手がけてみたいと思っているんだ。


【「農業政策」について】
 角栄は、「農業政策」について次のように述べている(早坂茂三「田中角栄回想録」参照)。

 「今の農村に二次産業を持ち込んで、それで家計収入を拡大するようにする。今の農業理論というのは、農家だけの収入で二次産業や三次産業の平均収入まで平準化させようとしているわけだろう。しかし、それを実現するのはなかなか難しいことだ。だから、たとえば漁村で魚を水揚げして消費地に送るだけでなく、現地に缶詰工場をつくって、取れた魚を缶詰にして売り出せばいい。それなら働き場所が増えるし、漁村全体の収入も増えるわけだ。漁村全体が裕福になれば三次産業も入ってくるよ。それで万事うまくいく。農村地帯にしてもだよ、二割減反をさせておいて、減反地には雑穀だけをつくれ、農産物以外のものをつくってはならんと、そんなふうに縛るのはおかしいんだ。農業に関するものというなら、肥料工場や農機具工場をつくる手だってあるじゃないの。これは二次産業の導入になり、農家の人たちは居ながらにして働き場所を得られるんだ。全体の家計収入も増える。要するに、農業政策というのは、純農政という狭い視野に立つのではなく、広範な総合農政を採用して展開することである。これはもう明らかなことなんだよ」。


 田中角栄の農村政策、農業政策が、日本列島改造論の一村一工場都市計画構想と密接に連動しているのが分かる。都市と農村を結びつける秀逸な発想ではなかったか。

 「日本列島改造案」では次のように述べている。
 「機械工業、エレクトロニクスの大部分、それに医療機器、住宅機器などのシステム産業の多くは内陸型工業である。臨海型の装置工業にくらべると、労働集約的であって用水量はすくなく、付加価値生産性が高い。輸送も鉄道、自動車ですみ大規模な港湾はいらない。その生産物をあげると、カラーテレビ、テープレコーダー、ステレオ、通信機、コンピューター、電卓、事務機、交通信号保安装置、公害防止装置、自動車、オートバイ、耕うん機、田植機、コンバイン、乾燥機、エレベーター、エスカレーター、クレーン、コンベア、工作機械、プラスティック加工機械、食品加工機械、木工機械、建築用金属製品、暖房装置、工業計器、精密測定器、時計、カメラ、レンズ、おもちゃ、運動具など広い範囲にわたっている」。
 「農村工業化は具体的には二つのタイプですすむことになるだろう。その一つは広い地域につながる拠点開発である。これは、ある程度の都市機能の集積を持つ工業団地を作り、まとめた形で工場を配置するいき方である。もう一つは、個々の工場が農村に立地するタイプで、いわば一村一工場といったすすみ方である。過渡的には一村一工場方式も現実的であるが、長期的な地域開発の発展を考えると拠点開発方式を中心にしなければならない。その場合、高速自動車道のインターチェンジ周辺に一定の経済圏、通勤圏をもつ地方都市を整備し、その一角に内陸型工業団地を建設することが考えられる。こうしてつくる地方都市の規模は、人口25万人程度が適度であろう。……しかし、この構想を現実に進める場合、これら地方都市の伝統や社会的、地理的な条件に応じて適当な業種を選択し、地場産業との調和をはかる必要があることはいうまでもない」。

【「国鉄の赤字問題」について】
 「日本国有鉄道の再建と赤字線の撤去問題」について次のように述べている。
 概要「国鉄の累積赤字は47.3月末で8100億円に達し、採算悪化の一因である地方の赤字線を撤去せよという議論が益々強まっている。しかし、単位会計で見て国鉄が赤字であったとしても、国鉄は採算とは別に大きな使命を持っている。明治4年に僅か9万人に過ぎなかった北海道の人口が現在、520万人と60倍近くに増えたのは、鉄道のお陰である。全ての鉄道が完全に儲かるのならば、民間企業に任せればよい。私企業と同じ物差しで国鉄の赤字を論じ、再建を語るべきではない。

 都市集中を認めてきた時代においては、赤字の地方線を撤去せよという議論は、一応、説得力があった。しかし工業再配置を通じて全国総合開発を行う時代の地方鉄道については、新しい角度から改めて評価し直すべきである。北海道開拓の歴史が示したように鉄道が地域開発に果たす先導的な役割はきわめて大きい。赤字線の撤去によって地域の産業が衰え、人口が都市に流失すれば過密、過疎は一段と激しくなり、その鉄道の赤字額をはるかに越える国家的な損失を招く恐れがある。国民経済学的にどちらの負担が大きいか、私たちはよく考えなくてはならない」。

 早坂茂三「田中角栄回想録」では次のように述べている。

 「北海道の国鉄や全国に散在する赤字線を止めろという意見が、マスコミで繰り返し主張されているがね、しかし、鉄道というものは赤字線からどんどんお客が集まって、最後は東海道新幹線に乗り込むから、新幹線が儲かることになっているんだよ。山のなかの小さな流れがいつのまにか、たくさん合流して、筑後川や富士川、支那に側、利根川ができるのとおんなじだ。利根川はいっぺんにできるわけじゃない。鉄道もしかりである。地方選というのはすべて、艦船の培養線なんだ。地方の赤字線をみんな廃止しちゃったら、東海道新幹線に今のような大勢の客が乗りますか? 乗るはずがないだろう」。

 「国鉄職員の月給は民間よりも安い。にもかかわらず、国鉄は赤字だ。民間鉄道は一割配当しているけれども、国鉄は無配だよ。理由は色々あるが、まず、人間が多すぎるということだな。しかも、労働組合は公労法で手厚く保護され、親方日の丸で、赤字に関係なく、わがままのし放題だ。民鉄のほうは一銭でも黒字を出そうとやっているのに、国鉄はそういう創意、工夫をしない。…

 国鉄の最大の問題は何か。それは兼業を許していないことだ。民鉄はたとえば沿線の宅地開発をしたり、ホテルを経営したりして、鉄道本体の経営を助けているが、国鉄にはこれが許されていない。そういうふうに多角経営を禁じておきながら、国鉄に「赤字を出すな」といったって、たくさんの人間を抱えた国鉄に、それができるわけがない。そうだろう。だから、民営にすべきである」。

 「おやじ(田中角栄)の考えでは、国鉄改革と列島改造は表裏一体なのである。国鉄の分割・民営化は既に関係法規も制定され、62年(1987年)4月には分割・民営の会社が発車することになった。田中は早くから、国鉄の細分化と赤字路線切捨てによる民営化には異論をもっていた。彼は国鉄改革論者であり、民営化論者ではあるけれども、地方住民の夢と期待を考えに入れない国鉄改革には、あくまでも批判の姿勢を崩さない」。
 「今後の激しい国際競争のなかで日本が生きていくためには、貿易立国の政策とともに、内需拡大が必要である。これは当然のことだ。しかし、そのためには均衡のとれた国土の発展を実現し、北海道や東北などの内にフロンティアを求め、確立していかなきゃならない。…
 国鉄は途方もない広さの敷地を活用することだ。今は海底に高圧線が通っている時代だろう。鉄道の敷地は全部、パイプラインになる。ガスも石油も通信線も、いろんなパイプラインはすべて鉄道の敷地を使って建設すればいいんだ。…とにかく、日本国中どこを探しても、今の鉄道と同じ広さの用地面積がまとまって確保されているところはないんだから。
 国鉄が民営になれば、経営者は必ず用地の多角利用をやるだろうな。わたしならすぐ始めるよ。そして6、7年で黒字にしてみせる。そのためには、地方開発とタイアップすることが必要だ。つまり、列島改造が一緒になって動き出すことだ。…とにかく、国鉄を国土全体の新しい発展策の中にきちんと位置づける。そして総合的、根本的な改造を工夫することだ。
(中略)
 国鉄再建の至上命令は人減らしである。これがなんとかならない限り、債権の目途はたたんわけだ。…だからやっぱり、国鉄を会社にして兼業も増やし、採算の取れる商売を興して、そこに人を早く出すことだ。人減らしは、これしかない」。

【「本四架橋論」について】
 角栄は、本四架橋について次のように述べている。
 概要「本州四国連絡三橋は四国の390万人の住民に対してだけ架けるのではない。新幹線鉄道や高速道路とつなぎ、日本列島の三分の一を占める近畿、中国、四国及び九州の経済圏を有機的に結合して、広域経済圏に育て上げるために架橋するのである。『四国は日本の表玄関になりうる』という私の主張は決して誇張では無い。昭和30年から15年間に35万人も減った四国の人口は現在390万人であるが、これらの架橋によって、やがて600万人に増え、800万人に増加しよう。本四連絡橋を三橋とも架けるからといって、過大投資というのは当らない」。

【「角栄の卓越した文明観」について】
 角栄は、「日本列島改造論」の中で、ユニークな史観を披瀝している。次に記しておく。
 「国民総生産と国民所得の増大は、一次産業人口比率の低下と二、三次産業人口比率の増大及び都市化に比例する」。
 「人間の一日の行動半径の拡大に比例して国民総生産と国民所得は増大する。地球上の人類の総生産の拡大や所得の拡大は、自らの一日の行動半径に比例する」。

 他方、環境問題にも逸早い取組みを指示していた。次のように述べている。
 概要「これまで人類は、自然から資源を得て、これを生産・消費し、廃棄物を自然へ排出するという自然の循環メカニズムの中で生きてきたし、その自浄作用を通じて自然が維持されてきた。ところが、30年代に始まった経済の高度成長の過程で人口、産業の都市集中が進み、自然の浄化作用を越えた環境汚染の問題が発生してきた。大気汚染、水質汚濁対策は喫急の課題となっている」。

【「日本列島改造論の史的評価」について。ありし日の朝日新聞の称賛記事】

 朝日新聞が珍しく次のように誉めている。

 「産業の構造変化が弊害を引き起こしている。都市の過密と地方の過疎だ。今まではバラバラな対症療法しかなかった。初めて20年後の都市化の姿を描き、問題の解決をただの理論ではなくて政策にまとめた点で、この大綱は高く評価されていい」。
 「アメリカの未来学者であるハーマン・カーンが官邸を訪れ、『これは、大変立派な計画だ。日本が軍事大国にならずに、むしろ平和大国となるための壮大なビジョンである』と激賞している。もし時代状況がよければ、道路網なり、新幹線網なりの整備が急速に進み、間違いなく地方が活性化されただろう」。

【「日本列島改造論の思わぬ余波」について】

 しかし、この「日本列島改造論」は思わぬ鬼ッ子を生み出していった。「日本列島改造論」関係法案の「工場移転促進地域」と「工場誘導地域」の指定を廻って企業の誘致合戦が発生し、改造論で具体的に名をあげられた開発拠点の候補地周辺の土地買占めが起こり、将来の開発・発展を期待して周辺の地価を急激に上昇させた。三木は「環境破壊」だといい、福田は「インフレを爆発させ、財政上も困難がある」として批判を強めた。

 政治評論家・藤原弘達氏の著書「角栄、もういいかげんにせんかい」には次のように書かれている。

 「その後、『日本列島改造案』は、私が予想した通り、『地価倍増論』以外の何ものでもない空論であることが証明された。田中角栄は、日本の未来よりも、己の権力欲の為に、数々のダミー会社を設立し、土地転がしによる金脈作りに奔走した。その意味では、『日本列島改造論』は田中の金脈作りのバイブルであり、日本国民にとってはまさに『史上空前の悪書』であった」

 2005.5.28日付け日経新聞「私の履歴書」の「加藤寛№27」は次のように記している。
 昭和元禄の延長上に有る田中角栄内閣の日本列島改造論の失敗は、経済成長の一時期にしか通用しない経済学を信奉し続けた成れの果てだ。当時「土地政策を持っていない」との表現で私が改造論に反対したのは、過去の成功体験にしがみつく発想の貧困を背後に感じたからである。
(私論.私見) 「加藤寛の日本列島改造案批判について
 「加藤寛の日本列島改造案批判」は、結局のところ批判の為の批判しか展開していない。「過去の成功体験にしがみつく発想の貧困を背後に感じた」と批判しつつ加藤寛らが進めた諸政策は、我が国の経済を根本的に失速せしめるのに寄与したのではないのか。何時の日にかこの検証をせねばならないと思う。

 2005.6.2日 れんだいこ拝

「日本列島改造問題懇談会」の設置
 1972.7.7日、角栄は第一次田中内閣をスタートさせた。就任後すぐさま首相の私的諮問機関として「日本列島改造問題懇談会」を設置し、8.7日、第一回目の会合が開かれた。委員の数は当初75名であったが、その後90名に増員された。しかし、順調な滑り出しを見せたこの懇談会は思いがけずも座礁することになった。

 1973.4.2日付けの官報は、地価公示価格を発表し、過去1年間に全国平均30.9%、首都圏で平均35.9%の暴騰を明らかにしていた。高騰したのは地価だけでなく、一般物価も凄まじく値上がさせていた。日銀発表によると、1973年卸売物価指数は、1970年を100として1月に前月比1.5%、2月に1.6%、3月に1.9%上昇させていた。消費者物価指数も、1970年を100として1973.4月には120.7%を示し急上昇させていた。

 4.13日、田中内閣は物価対策閣僚協議会を招集して、当面の物価安定7項目を打ち出した。公共事業予算の8%繰り延べも決定した。その他日銀も4月初めから8月末に掛けて公定歩合を4回も引き上げ、金融面から引き締めを図った。しかし、物価、地価の上昇は止まなかった。

 第71回国会で、「日本列島改造論」関係法案のほとんどが継続審議になった直後の10.6日、第4次中東戦争が勃発した。アラブ産油国が石油戦略を打ち出し、石油の供給削減に動いたため原油価格は1バーレル当たり2ドル40セントから一挙に4倍まで急騰した。日本は深刻な石油危機と、折から進展していたインフレが相乗して未曾有の経済危機に突入した。一種のパニック心理まで生み出された。

【愛知蔵相の急死、福田蔵相の登場による総需要抑制政策への転換始まる】
 政府が石油需給適正化法案と国民生活安定緊急措置法案を準備して、対策に追われていた最中の11.23日、角栄が右腕と頼んでいた愛知蔵相が急死した。後任の人事として行政管理庁長官に就任していた福田赳夫を登場せしめるところとなった。福田氏は、列島改造論の対極論者であり、安定成長路線の信奉者であった。就任に当たり、総需要抑制策が全ての政策に優先させることを条件にしていた。田中首相がこけを受け入れたため、福田の蔵相就任をもって「日本列島改造論」は失速せしめられることとなった。

【「官僚機構の牙城大蔵省主計局との闘い」】
 新野哲也氏は、著書「誰が角栄を殺したか」188Pで、次のように述べている。

 「決定的だったのは総理府の外局・国土庁の新設だった。国土庁は事実上、角栄がつくった新庁で、列島改造論の実行部隊になる予定であった。角栄は、庁を新しくつくるという大胆な発想で大蔵省の予算編成権を侵食した。当時は税収が順調に伸びており、国土庁の新設で他各省の予算が大幅に削られることはなかったものの、角栄のこの強引なやり方に大蔵省は戦慄した。官界に角栄恐るべしの声が広がったのは、実にこの時だった。既に角栄は、与野党最大派閥をひっさげ、官を圧する大勢力になっている。その角栄が大蔵省主計局という官の牙城を切り崩しにきた-危機感が霞ヶ関全体に広がっていた。

 大蔵省主計局といえば、エリート中のエリートである。主計局長だった福田赳夫をはじめ、池田隼人、大平正芳、宮沢喜一らはここから続々と政界入りを果たし、その多くは総理大臣にまでなっている。梶山静官房長官が行政改革の一環として大蔵省に集中する予算編成権を内閣へ移行させる構想を明らかにしたが、これは、角栄の遺言だったといってよい。官導政治の元凶は官による国家予算の独占的な掌握だったのであり、角栄は、この権限を官から奪回することによって戦前から戦後に亘って長く日本を支配してきた旧体制を打破しようとしたのである。これはほとんど革命といってよいほどの大きなシステム変更である」

 「もしそれが成功していれば、日本の社会には、現在とは比較にならないほど自由主義的な気分と政治のエネルギーに溢れていたろう」。


【角栄の日本列島改造論を廻るれんだいこの遣り取り】
 角栄の日本列島改造案の評価を廻り、れんだいこの主宰する「左往来人生学院」掲示板で、「疲労蓄積研究者」との間で次のような遣り取りが為された。これを記録しておく。
田中角栄 疲労蓄積研究者 2003/11/21
 田中角栄の日本列島改造論は、自動車業界と道路族の利益に奉仕したものではなかったでしょうか。本州四国架橋など無駄な事業が多かったのでは。あまり肯定的に評価できないと思いますが。
 
 これに対し、れんだいこが次のようなレスをつけた。
Re:田中角栄 れんだいこ 2003/11/22
 疲労蓄積研究者さん皆さんちわぁ。只今無事旅を終え帰って参りました。旅は命の洗濯と申しますが、ホント良いものですね。

> 田中角栄の日本列島改造論は、自動車業界と道路族の利益に奉仕したものではなかったでしょうか。

 「田中角栄の日本列島改造論」は、今日版マニュフェストの走りであり、その意味でも高く評価されるものです。次に中味ですが、疲労蓄積研究者さんは日本列島改造論をお読みですか。そこが心配です。あれは文明論的になかなか鋭い観点を披瀝しており味わいのあるマニュフェストとなっております。惜しむらくは、そこのところが強く打ち出されていないので、さほど論議されておりませんが。

> 本州四国架橋など無駄な事業が多かったのでは。

 これも俗説です。本州四国架橋は三本とも必要です。事情が許せば4本でも良い。なぜなら、経済圏がそれぞれ違うからです。単に本州と四国を結ぶ線がどこぞに有れば良いなどというのは、凡俗評論家の東京から見た机上地図学でせう。

 現に利用されていないのは料金が高すぎるからです。「現行料金3分の1、通行量5倍化」運動起せば、この病は治るのです。肝心のこれを為さずして民営化論に走るのは、すり替え又は捻じ曲げでせうねきっと。

> あまり肯定的に評価できないと思いますが。

 角栄は明治維新以来の逸材でせう。真紀子も遠く及ばない。しかし、他の者はもっと遠く及ばない。れんだいこはそういう風に見ております。

 件のロッキード5億円請託事件についてですが、角栄擁護派の殆どは、仮に5億円貰っていてもその程度のものが何だ、角栄の業績・能力を思えばたいしたことではないとの観点から評価すべきだ論にとどまっておりますが、れんだいこは同じ擁護派でもそれとは違う見解を持っております。角栄は、本当に貰っていないのではないのか、だとしたら冤罪極まれりではないのか、とかように確信しております。

 となると、「角栄の政界放逐事件」は、近現代史上「大正天皇の押し込め」に続く一大政変事件だったのではないのか、とかように捉えております。異論ございましたら議論させてください。

 これに対し、疲労蓄積研究者氏が次のようなレスをつけた。
Re:田中角栄 疲労蓄積研究者 2003/11/23
> > 田中角栄の日本列島改造論は、自動車業界と道路族の利益に奉仕したものではなかったでしょうか。

>  「田中角栄の日本列島改造論」は、今日版マニュフェストの走りであり、その意味でも高く評価されるものです。次に中味ですが、疲労蓄積研究者は日本列島改造論をお読みですか。そこが心配です。あれは文明論的になかなか鋭い観点を披瀝しており味わいのあるマニュフェストとなっております。惜しむらくは、そこのところが強く打ち出されていないので、さほど論議されておりませんが。

 読んでいません。今度図書館で見てみます。れんだいこさんは、「文明論的になかなか鋭い観点」の部分と「具体的な政策」の部分の両方を評価されているのですか。それとも前者は評価するが後者はそうでもないということですか。

> > 本州四国架橋など無駄な事業が多かったのでは。

>  これも俗説です。本州四国架橋は三本とも必要です。事情が許せば4本でも良い。なぜなら、経済圏がそれぞれ違うからです。単に本州と四国を結ぶ線がどこぞに有れば良いなどというのは、凡俗評論家の東京から見た机上地図学でせう。

 私の意見はこの点おおきく違います。瀬戸内海に面する四国3県(徳島県・香川県・愛媛県)の経済圏がそれぞれ違うのは事実です。徳島県は兵庫県・大阪府、香川県は岡山県、愛媛県は広島県との関係が強い。しかし、四国内部の交通の便が悪いためにそうなっているのではないですか。本州と四国の間に3本橋を架ける予算で、四国内の鉄道を充実させていれば「四国経済圏」ができたのでは。高松を中心都市とする四国経済圏を作るという選択肢は無かったのでしょうか。

 これに対し、れんだいこが次のようなレスをつけた。
Re:田中角栄 れんだいこ 2003/11/23
 疲労蓄積研究者さんちわぁ。

> 読んでいません。今度図書館で見てみます。

 実はれんだいこも、最近読んでみたのです。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/giyoseki_nihonreetokaizo.htm
 ここにスケッチしております。

> れんだいこさんは、「文明論的になかなか鋭い観点」の部分と「具体的な政策」の部分の両方を評価されているのですか。それとも前者は評価するが後者はそうでもないということですか。

 「具体的な政策」の中味は飛ばし読みしてしまいました。従って、「文明論的になかなか鋭い観点」の方を高く評価しております。

 論じ合いたいのですが、その①、「国民総生産と国民所得の増大は、一次産業人口比率の低下と二、三次産業人口比率の増大及び都市化に比例する」。その②・「人間の一日の行動半径の拡大に比例して国民総生産と国民所得は増大する。地球上の人類の総生産の拡大や所得の拡大は、自らの一日の行動半径に比例する」という観点は凄いと思っております。

> 高松を中心都市とする四国経済圏を作るという選択肢は無かったのでしょうか。

 四国だけではどうにもならないのではないでせうか。四国玄関と高知の足摺岬、それを中国地方と山陰を貫く高速道路を作ることに由り、物流速度が増す。その「行動半径の拡大」が経済発展の所与的基盤となる、というのが角栄的観点ということになると思います。

 これに対し、疲労蓄積研究者氏が次のようなレスをつけた。
Re:田中角栄 疲労蓄積研究者 2003/11/24
>  実はれんだいこも、最近読んでみたのです。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/giyoseki_nihonreetokaizo.htm
>  ここにスケッチしております。

> > れんだいこさんは、「文明論的になかなか鋭い観点」の部分と「具体的な政策」の部分の両方を評価されているのですか。それとも前者は評価するが後者はそうでもないということですか。

>  「具体的な政策」の中味は飛ばし読みしてしまいました。従って、、「文明論的になかなか鋭い観点」の方を高く評価しております。

>  論じ合いたいのですが、その①、「国民総生産と国民所得の増大は、一次産業人口比率の低下と二、三次産業人口比率の増大及び都市化に比例する」。その②・「人間の一日の行動半径の拡大に比例して国民総生産と国民所得は増大する。地球上の人類の総生産の拡大や所得の拡大は、自らの一日の行動半径に比例する」という観点は凄いと思っております。

 最初の主張は正しいですが、だから何なのという感じです。所得が高くなればエンゲル係数が下がるというのとおなじでしょう。エンゲル係数を下げれば所得が高くなるわけではないですね。二番目も正しいと思いますが、一番目と同じ事です。人類の総生産が拡大すれば、交通手段も発達して、一日の行動半径も増えるでしょう。だからといって一日の行動半径を増やすのが総生産拡大の道であるということにはならないのでは。

 結局、道路族を生み出した責任は角栄にあるのでは?

 これに対し、れんだいこが次のようなレスをつけた。
Re:田中角栄論 れんだいこ 2003/11/26
 疲労蓄積研究者さん皆さんちわぁ。
>最初の主張は正しいですが、だから何なのという感じです。 所得が高くなればエンゲル係数が下がるというのとおなじでしょう。エンゲル係数を下げれば所得が高くなるわけではないですね。二番目も正しいと思いますが、一番目と同じ事です。人類の総生産が拡大すれば、交通手段も発達して、一日の行動半径も増えるでしょう。だからといって一日の行動半径を増やすのが総生産拡大の道であるということにはならないのでは。

 「だから何なのという感じ」は、云われてみたらその方がもっともなのかな。しかし、れんだいこはここでハタとひざを打ったのです。これぞ内治系ハト派の面目露わな真骨頂な理論よと思った次第です。

 だって、その①の産業構造論、その②の流通速度論こそは、その国の国力を測るバロメーターとして有効なものではないでせうか。別の言葉で言えば、社会基盤整備論ということになるのでせうが、特に流通速度論は目新しく値打ちもののような気がしました。世の発展は、人又は物の流通速度で測られるという史観は非常にユニークなものではないでせうか。マルクス主義の階級的唯物史観以来の新観点かも知れない、とまで考えました。

 「人又物の流通速度」には、道路、鉄道、港湾、空港、情報機器、付属して下水道、浄化施設、環境衛生等々が関連してくると思われます。従って、これらの整備充実に力点が置かれることになります。政治の目標は、こういう具体的物質的な(もっと云えば、箱もの的な)インフラ整備を時代水準に合わせて行うことにある。欲を云えば、その先進国を目指すことにある。これらを計画的に整備していくのが政治の眼目だ。なぜなら、後の諸々のものはこれに規定されているから、ということになると思います。

> 結局、道路族を生み出した責任は角栄にあるのでは?

 道路族、郵政族その他諸々の族が悪いというのは児戯的見解です。エキスパートしての族は何時の時代でも有益なのです。問題は、それら族議員が公益優先・私益自重の精神で行政していくのかどうかにあります。角栄の時代は案外公益派が指導権を握っていたように思います。だから、かの時代奇跡的な復興発展を遂げた。それは日本式土着派的左派運動であったかも知れない、とまで考えています。

 思えば、日中国交回復交渉の際に、毛沢東・周恩来と角栄・大平・二階堂は極力余人を混じえず秘密会談しております。この時の会談内容と緊張の中にも「遠方より朋来たる」的くつろいだ雰囲気は、歴史的邂逅であったような気が致します。本来、もっと注目されても良い史実だと思います。

 70年代から80年代にかけてこの両勢力が成敗され、今日の如くなワシントン一極集中局面を迎え、今やイスラムの反イスラエル勢力の征討に入っているのが歴史の流れでせう。今後どうなるのかまでは分かりませんが。

 もとえ。池田―田中―大平へと繋がれるハト派全盛時代が終わり、中曽根―竹下連合派が台頭してくるに従い、公益名目・私益優先の精神で行政されてしまうようになったのではないでせうか。特に、軍事防衛族の進出と腐敗には目に余るものがあると思います。この時期、戦後日本社会の歴史的転換が為されたという認識が必要ではないかと思っております。

 昨今は、内治系ハト派がほぼ窒息させられ、外治系タカ派の全盛時代と申せます。この連中は、角栄的流通速度論の視点は微塵も無く、気まぐれ的に起業奨励、企業廻り、構造改革を唱えるだけで、本筋は米奴化させられた上での傭兵政策、自衛隊出兵、防衛治安対策、利権型予算配分にうつつを抜かしております。一口で言えば、売国奴路線でせう。それはあまりに醜いから、安心立命的にいろんな正義論を編み出し鼓吹しようとしております。靖国神社詣ではその類のものでせう。

 社会とは要するに、どういう人間が組織の上に立っているのか、人材登用に公平さがあるのかどうか、次世代の教育が適正に行われているのかどうかにあるのではないでせうか。今の時代はこの肝心なところが貧相になっており、そのしわ寄せのツケが間もなくやってくるように思います。

 意を尽せませんが、角栄を元凶のように説くイデオロギーの汚染から一刻も早く抜け出すこと、特に自称インテリ系の逆立ちがひどく、有害無益なおしゃべりが多いと思います。この点では、ウヨサヨ同じ枕のように思えます。

 こういう仲良しクラブ時代は社会が淀み活性化しません。喧喧諤諤、社会闘争は有益なものです。それが仕事のエネルギーに転化するということも大いにある話なのです。そういう意味で、「引きこもり」、凶悪犯罪の増加は、今時の世相を反映しているように思います。

 結局は、一人一人が自前の史観を持ち磨きあうことが望まれているように思います。案外、悪人とされてきた人が実は善人で、逆の人が逆ということはよくある話です。時代を覆う洗脳、マインドコントロールから抜け出すことが必要と思います。

【れんだいこの「『角栄の日本列島改造論』は史上初の成功裡に進んだ社会主義政策であった」論】
 れんだいこは、数々の考究を経て「角栄の『日本列島改造論』は、史上初の権力側からする成功裡に進んだ社会主義政策の提起であった」ことに気づいた。今のところこの観点から言を為す者が見当たらないが、追って論議を呼ぶであろう。

 かく論を立てないから、日共宮顕ー不破流のヌエ論法が罷り通っている。れんだいこの研究によれば、日共宮顕ー不破系統は党中央を簒奪した当局派であり、角栄の方は逆に元々は左派にして体制内に食い込み実力者として登竜した稀有な人士であった。これはDNA的イデオロギー的にそうであるという意味である。口上言説から見れば、日共宮顕ー不破は左派風である。角栄は体制風である。しかし、すかし彫り手法で見れば逆なものが見えてくる。今のところこの観点から言を為す者が見当たらないが、追って論議を呼ぶであろう。

 かく論を立てないから、小泉流構造改革を進歩的とみなしたり、小泉を歴代随一の名宰相とみなすヌエ論法が罷り通っている。れんだいこの研究によれば、小泉は、ネオシオニズムに虜にされたサイコパス質の売国奴である。小泉の靖国神社詣では、その売国奴ぶりを隠すイチジクの葉に過ぎない。小泉家四代はかなり早期からのネオシオニズム被れであり、それは戦前に於いては敵方スパイであったことを示している。4代目小泉純一郎はその低脳ぶりが買われ、ネオシオニズムのエージェントとして反国益事業に専念している。すかし彫り手法で見れば、こう見えてくる。今のところこの観点から言を為す者が見当たらないが、追って論議を呼ぶであろう。

 れんだいこのこの見解は、れんだいこが格別のすぐれものと見立てた「日本列島改造案」に対する日共の悪罵、公共事業抑制論、小泉の日本列島改造諸事業解体路線に対する違和感から導き出されている。一体、日共不破と云い小泉と云い連中は何ゆえ「角栄の日本列島改造論」を目の仇にするのか、病的なまでに食いつくのか、ここを問わねばならない。これをすかし彫り手法で見れば、ネオシオニストの狙いが見えてくる。
 そのことはひとまず措いて、「角栄の日本列島改造論」は史上初の成功裡に進んだ社会主義政策であった」ことについて言及しておく。かってマルクスーエンゲルスの協働は、「共産主義者の宣言」を世に問うた。マルクスーエンゲルスの指針は、世界各国の人民大衆の闘う武器となり、レーニンらの指導するロシア革命に於いて初の社会主義国樹立にまで漕ぎ着けた。しかし、その後の歴史は知られるところであり、その時樹立されたソ連邦は敢えなく解体の憂き目に遭っている。他にもいわゆる社会主義圏が存在するが、中国の例に象徴されるように大きく蛇行している。

 そういう事情から、マルクス主義のイズム的価値が大きく減じている。これをどう理解すべきか。れんだいこは、おおかたのポスト・マルクス主義志向とは別の考えを持っている。マルクス主義に限らずあらゆる理論が史的限界があるのは当たり前であるからして、そこは割り引いて理解する。そうやってエッセンスのみを取り出せば、マルクス主義の価値を減じたのは、マルクス主義の限界よりもマルクス主義の曲解に因があるのではなかろうか、と考えている。ソ連邦解体、中国蛇行、北朝鮮の停滞等々は、マルクス主義の理解と適用誤りに因があるのではなかろうか、と考えている。

 なぜそう云えるのか。れんだいこは、マルクス主義を正しく適用した時の人民と国家の隆盛史を知っているからである。歴史上稀有な成功例を我が日本の戦後史に見て取るからである。そのハイライトを、非武装中立論で軍事費用の圧縮、国際協調外交による諸国家友好政策、経済通商交易国家としての自律自存、所得倍増政策、日本列島改造論、人民的諸権利保証による社会的ルネサンスの謳歌、官と民の協働による護送船団方式に見て取ることができる。これらの政策が後押しして、戦後日本は1970年までは奇跡の復興と経済的文化的発展を獲得することに成功した。1980年代はその惰力で何とか成長を確保することができた。この史実を知るからである。

 戦後日本こそはまさにマルクスーエンゲルスが指針せしめた「共産主義者の宣言」の理想的適用であった。それは、マルクスーエンゲルスが意図した社会システムを機能せしめればかくも人民及び国家が隆盛するという証でもある。それほどに「指針」は重要である。このことに深く思いを致さねばならない。

 その「指針」をズタズタに引き裂いてきた歴史が1980年の中曽根政権以来の歴史である。その前にも萌芽は発生していたが、中曽根政権以来急速に病魔を成長させてしまった。小泉政権登場によりこの病魔がモンスター化しつつある。それを改革と囃したてる阿諛追従が流行っている。この時代であるからこそ「角栄の日本列島改造論」の見直しに向うべきだろう。

 これについては、今後検証していく。

 2005.10.15日 れんだいこ拝

Re::れんだいこのカンテラ時評844 れんだいこ 2010/11/01
 【角栄の文明論、石原の文明論の相似と差異考】

 2010.11.1日、面白い記事に出会った。経費節減の折から間もなく購読を止めようとしている産経新聞の1面に、東京都知事・石原慎太郎の「日本よ」、「アジア製の新旅客機」見出しの寄稿文が掲載されている。面白いのでコメントしておく。こうなると止めるのは毎日の方にしようか。最近の記事は全くパッとしない。阿呆ばかりが上にいるから、こうなるのだろう。長らく付き合ってきたが来月で打ち切りにする。

 石原論文のキモは、「ものごとに関わる時間の短縮が反比例して多くの利益をもたらしたというのは文明原理の証左」としているところにあるように思われる。実に卓見ではなかろうか。この文明論が気に行ったので採り上げている。

 但し、この発想は石原氏のオリジナルではない。既に、田中角栄が日本列島改造論の中で次のように述べている。「人間の一日の行動半径の拡大に比例して国民総生産と国民所得は増大する。地球上の人類の総生産の拡大や所得の拡大は、自らの一日の行動半径に比例する。国民総生産と国民所得の増大は、一次産業人口比率の低下と二、三次産業人口比率の増大及び都市化に比例する」。

 石原氏の場合には、この観点から航空機の性能論議に向かっている。飛行機こそ時間短縮の極致であり、その開発競争に後れをとるなと云うが如くの論陣を張っている。田中角栄の論は幅が広い。この観点から人や物資全般の流通速度論に向かうのではなかろうか。同じような発想から、石原は軍事パラノイア化しタカ派にシフトする。角栄は社会基盤整備の必要論へと向かいハト派にシフトする。違いが面白かろう。

 石原論文はもう一つ、注目すべきことを書き付けている。アメリカが航空支配権のヘゲモニーを取る為に、日本やインドネシアの航空機産業を抑圧したことに触れている。為に日本は国産化の道を閉ざされ、米国産のパーツメーカーとして隷属するようになった云々。アメリカは最近になって日本の軍用機生産の国産化を認めつつあるが、最先端軍事科学を駆使した「優秀な戦闘機に関しては認めはしまい」としている。れんだいこは、この後の記述にアンテナが作動した。「それらの際に暗躍したのが後に日本でのロッキード事件に深く関与したコーチャン、クラッタ―といった人物だったそうな」。

 ちょっと待て。石原は何気なく書いたのか何か意図が有るのか分からないが、これは相当に意味深い記述である。コーチャン、クラッタ―と云えば、ロッキード事件の際の角栄起訴に繋がる重要証言者である。その証言は、日本の刑事訴訟法にない免責特権付きで為されたものであった。かの時、コーチャン、クラッタ―は、日本の最高検のお墨付きだけでは不十分としてわざわざ最高裁の不起訴宣明まで求め、何を陳述証言しようと未来永劫お咎めなしの保証を得たうえで、5億円贈収賄の行く先として角栄を臭わす証言をしたとされている。問題は次のことにある。免責特権により真実が証言されたのならまだしも意図的故意に偽証していたとしたらどうなるかである。免責証言の悪用例である。

 石原論文の「コーチャン、クラッタ―人物論」は、彼らがが単にロッキード社の重責役職者であったのみならず、かなり政治的に立ち回るイカガワシイ人物であることを間接的に明らかにしている。恐らくCIA絡み、ないしはCIAとも別系の国際金融資本帝国主義の世界支配アジェンダの棒担ぎエージェント要員としての素性を憶測させる。

 ロッキード事件は、そういうイカガワシイ人物の証言を決定打としていた。前首相たる田中角栄を死文法化していた外為法違反と云う、しかも別件容疑で逮捕し、あの手この手で容疑を固め起訴し、角栄を死の公判闘争に磔にした。角栄は、「コーチャン、クラッタ―証言」に対し、見たことも会ったこともない人物の証言により落とし込められ、反論も許されないままに証拠採用されている検察のヤラセに猛抗議している。当然であろう。

 目下、厚労省官僚不当逮捕事件で「検察ストーリー問題」が浮上し、前田、佐賀、大坪検事が逆逮捕されると云う前代未聞事件が発生しているが、その露骨な嚆矢はロッキード事件に始まっている。丸紅系の大久保、伊藤、桧山、全日空の若狭被告の供述調書は悉く「検察ストーリー」で作成されている。お笑いは伊藤調書である。贈収賄されたと云う5億円が、児玉ルートは先払いなのに対して8ヶ月遅れ払い、しかも4回分割払いにされている。1回目は英国大使館裏の路上で、2回目は伊藤の自宅に近い公衆電話ボックスの近くで、3回目はホテルオークラの駐車場で、4回目は伊藤の自宅でと云う風にワザワザ人目につきやすいところで隠れて札束入り段ボール箱を受け渡したとしている。これを受け取ったのが榎本秘書で、目白の田中邸の奥座敷に運び込んだと云う。目白邸の仕組みを知る者は有り得ないと述べて否定している。

 ところが、「検察ストーリー」、「コーチャン、クラッタ―証言」こそ真実として田中角栄の政治訴追、議員辞職弾劾運動を組織したのが与野党一致の反角栄派でありマスコミメディアであった。今もこの「検察ストーリー」に浸っている者が多いが、事件から30余年後、厚生省官僚の村木局長が「検察ストーリー」のダタラメぶりを発見し、無罪放免を勝ち取った。この村木裁判は小沢キード事件のさなかで発生しており、証拠物改竄と云う失態を暴露された前田検事が両事件に被っている。

 とすれば、普通なら小沢キード事件のイカガワシサにも関心が向かうべきであろう。ところが、又もや与野党一致、マスコミメディアの小沢政治訴追、議員辞職運動が組織されている。こうなると連中にとって真実なぞどうでも良くて、カネと地位で釣られて「請負お仕事」で口を回しているとしか考えられない。その連中が利権批判に首ったけになり、我こそはキレイ清潔潔癖然としてもの云うのでお笑いを通り過ぎて空いた口がふさがらない。朝日の例の口空き士とれんたいこの口と、どちらが大きく空いているのか比べて見たいのこころふふふ。

 2010.11.1日 れんだいこ拝






(私論.私見)

日本列島改造論
〜田中角栄の時代〜


 

 まず、上の2枚の写真を見てください。
 左が東京駅前の丸ビル、右が昭和通りで、ともに戦前のものです。一見して思うのが、「なんてがらんどうなんだ!」ってことでしょう? そう、昭和30年代以降にモータリゼーションの波が押し寄せる前は、日本に車なんてほとんどなかったんです。 今ではまったく信じられませんね。

 昭和27年(1952年)、田中角栄が「道路法」を議員立法します。その第1条には

《この法律は、道路網の整備を図るため、道路に関して、路線の指定及び認定、管理、構造、保全、費用の負担区分等に関する事項を定め、もつ交通の発達に寄与し、公共の福祉を増進する ことを目的とする》

  とあります。当時、年間の道路整備費は約200億円、それが昭和47年(1972年)ごろでは約2兆円。単純計算でいえば、20年間で100倍になったわけです。
 それから30年後の2002年、ようやく日本道路公団の民営化が論議されましたが、なんの歯止めもないまま無駄な道路を造り続けた道路行政の原点はどこにあるのか? 答えはこれです。


 
 田中角栄は著書『日本列島改造論』(1972年)のなかで、高速道路の効果に関して、いくつもの具体例を挙げています。

 ●かつて工場ひとつない寒村だった滋賀県の栗東町は、名神高速道路ができたおかげで200以上の工場が進出し、新興工業地区へと一変した。
 ●それまでは農業中心の都市で、工業といえば食品、衣服、繊維関係の工場しかなかった愛知県小牧市は、名神、東名両高速道路のおかげで工業都市、流通基地としてにわかに脚光を浴びるようになった。
 ●東名高速道路ができてから東京に入ってくる九州産の豚の量が2〜3倍に増えた。輸送時間が約4分の1となったおかげで子豚の輸送疲れが少なくなり、トラック1台あたり20万円は余計に儲かるようになった。
 ●大阪の青物市場では季節になると東名、名神を突走って福島県岩瀬村のきゅうり、茨城県のピーマン、埼玉県の長十郎梨などさまざまな商品が出回るようになった。

 そして、こう続けます。
  《高速道路ができればできるほど市場が広がる半面、産地どうしの競争も激しくなる。それは貿易の自由化と同じことで、日本経済全体からみれば、適地適産がすすみ、価格が平準化し、生産は合理化する》

 昭和50年までに、アメリカの高速道路の総延長は65970キロ、西ドイツは7000キロ、イタリアは6528キロに達する予定だが、
《その時点までに完成する日本の高速道路は1900キロメートルにすぎない。欧米なみの生活水準をめざすという観点からみても、日本の高速道路建設を急がなければならないのは明らかである》

 まさに、角栄の『日本列島改造論』こそが、道路行政の始まりでした。



 道路同様、問題が多い新幹線についても触れておきましょう。

 昭和55年ごろには第2東海道新幹線を建設するのを筆頭に、

 ・奥羽北陸新幹線(青森〜秋田〜新潟〜富山〜大阪)
 ・中国四国新幹線(松江〜岡山〜高松〜高知)
 ・九州四国新幹線(大阪〜四国〜大分〜熊本)
 ・山陰新幹線(大阪〜鳥取〜松江〜山口)
 ・北海道縦貰新幹線(札幌〜旭川〜推内、旭川〜網走)
 ・北海道横断新幹線(札幌〜釧路)

 など必要な路線が目白押しで、
《こうして9000キロメートル以上にわたる全国新幹線鉄道網が実現すれば、日本列島の拠点都市はそれぞれが1〜3時間の圏内にはいり、拠点都市どうしが事実上、一体化する。新潟市内は東京都内と同じになり、富山市内と同様になる。松江市内は高知や岡山などの市内と同様になり大阪市内と同じになる》

 今読むと、ホント強烈なインパクトがありますね。

 ちなみに角栄が新幹線の線路を地図上に引いたときの状況はこんな感じ。

《東京から新潟へ。まっ先に、赤い線が走った。次は東北に抜けて札幌まで一本。北陸へ、四国へ、赤エンピツは、地図の上を駆けた》(朝日新聞1982年10月28日) 線が九州まで来ると、二階堂進(旧鹿児島3区)のために鹿児島に線を引き、橋本登美三郎(旧茨城1区)のために水戸に線を引いたそうです。
 そして、実際に着工が始まったのは東北、上越、成田新幹線が最初でした。盛岡は当時自民党総務会長だった鈴木善幸、成田は政調会長の水田三喜男、そしてもちろん新潟は幹事長だった角栄のお膝元でした。自民党三役の地元から工事がスタートするという、素晴らしき政治力を発揮しています。 




計画された新幹線網

 それにしても、この発想の原点は何なのか。角栄は「むすび」にこう書いています。

《人口と産業の大都市集中は、繁栄する今日の日本をつくりあげる原動力であった。しかし、この巨大な流れは、同時に、大都会の2間のアパートだけを郷里とする人びとを輩出させ、地方から若者の姿を消し、いなかに年寄りと重労働に苦しむ主婦を取り残す結果となった。このような社会から民族の100年を切りひらくエネルギーは生まれない。かくて私は、工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる“地方分散”を推進することにした》

 それが実現すれば、《失なわれ、破壊され、衰退しつつある日本人の“郷里”を全国的に再建し、私たちの社会に落着きとうるおいを取戻》せる——。

 角栄の理想は、石油ショックのせいで停滞を余儀なくされ、結局のところほとんど実現することなく、日本は別な形の土建王国として、悲惨な21世紀を迎えるのでした。

制作:2002年12月8日

<付録> 
 参考資料として、『日本列島改造論』より<戦後国土開発計画の歩み>を転載しておきましょう。現在までの国土開発の、すべてがここにある!

昭和20年 国土計画基本方針
21 復興国土計画要綱
22 国土計画審議会
24 総合国土開発審議会
25 国土総合開発法
  国土総合開発審議会
  港湾法
  北海道開発法
  首都建設法
26 経済自立三カ年計画案発表、自立経済審議会発足
  旧河川法改正
  公営住宅法
27 企業合理化促進法
  国土総合開発法一部改正
  道路法
  道路整備費の財源等に関する臨時措置法
  農地法
  電源開発促進法(電源開発(株)発足)
28 港湾整備促進法
  離島振興法
29 土地区画整理法
30 経済自立五カ年計画
  愛知用水公団
  日本住宅公団
31 道路整備特別措置法
  日本道路公団
  首都圏整備法
  工業用水法
  空港整備法
32 新長期経済計画
  国土開発縦貫自動事道建設法
  高速自動車国道法
  東北開発促進法
  東北開発株式会社
  特定多目的ダム法
33 工業用水道事業法
  道路整備緊急措置法
  首都圏市街地開発区域整備法
  公共用水域の水質の保全に関する法律
  工場排水等の規制に関する法律
34 首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律
  特定港湾施設整備特別措置法
  九州地方開発促進法
  首都高速道路公団
35 国民所得倍増計画
  治山治水緊急措置法
  四国地方開発促進法
  北陸地方開発促進法
  中国地方開発促進法
  東海道幹線自動車道建設法
36 港湾整備緊急措置法
  後進地域の開発に関する公共事業等に係る国の負担割合の特別に関する法律
  低開発地域工業開発促進法
  産炭地域振興臨時措置法
  水資源開発促進法
37 新産業都市建設促進法
  水資源開発公団
  全国総合開発計画
  豪雪地帯対策特別措置法
38 近畿圏整備法
39 工業整備特別地域整備促進法
  河川法
  日本鉄道建設公団
40 中期経済計画
  山村振興法
41 中部圏開発整備法
  国土開発幹線自動車道建設法
  新東京国際空港公団
42 経済社会発展計画
  公害対策基本法
  外貿埠頭公団
43 都市計画法
  自民党都市政策大綱
44 新全国総合開発計画
  都市再開発法
45 過疎地域対策緊急措置法
  新経済社会発展計画
  本州四国連絡橋公団
  全国新幹線鉄道整備法
46 農村地域工業導入促進法
47 工業再配置促進法

日本列島改造論 にほんれっとうかいぞうろん (一般

日本列島改造論
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田中角栄(当時第三次佐藤栄作内閣の通産相)が自民党総裁選を翌月に控えた1972年6月11日に発表したマニフェスト。その4年前に田中が自民党都市政策調査会長としてまとめた「都市政策大綱」を土台に作成されたもので、同月20日には日刊工業新聞社より刊行され、翌月の田中の総理総裁就任にともない88万部の売り上げを記録するベストセラーとなった。

その主旨は、高度成長期に発生した都市部の人口過密・公害物価上昇や農村の過疎化といった問題を解消するため、工業地帯の再配置や交通・情報通信網の整備をテコに、人やモノの流れを大都市から地方に逆流させ「地方分散」を推進するというもの。田中は首相に就任するとすぐ首相の私的諮問機関として「日本列島改造問題調査委員会」を発足させ、具体的な計画の実現に乗り出す。この計画に触発されて、開発をあてこんだ土建業者や不動産業者などが土地投機に走り全国的に地価が高騰、それに対する批判や公害の拡大などを懸念する声も上がった。しかし急激なインフレの進行に加えて、1973年10月に起きた第1次オイルショック?にとどめを刺され、計画自体は失速していく。

とはいえ、政治家による選挙区への利益誘導型の公共事業(道路や公共施設の建設など)はこれ以後定着し、過剰な投機による地価の暴騰も80年代後半のバブル期に再現される。これらの出来事は日本列島の風景を大きく変え、『日本列島改造論』はその計画の失速以後も様々な形で影響を残したといっていいだろう。

なお、実際にこのマニフェストの執筆にあたったのは田中ではなく彼の秘書や官僚たちであり、田中と同じく新潟県出身北一輝の著書『国家改造案原理大綱』を連想させるそのタイトルも、田中自身というより秘書の早坂茂三のアイデアによるものだといわれる。


日本列島改造論 †

日本の産業構造と地域構造を積極的に改革して,過密と過疎の弊害を同時に解消し,産業と文化と自然とが融和した地域社会を全国土に広めることを目的としたもので,1972年田中内閣によって打出された構想。その骨子は,(1)太平洋ベルト地帯に集中しすぎた工業の地方分散,(2)都市改造と新地方都市の整備,(3)これらを結ぶ全国的な総合ネットワークの整備の3点である。当時は一方では雄大な構想として評価されたが,他方で公害を全国に拡散するものであるなどという激しい批判も浴びた。地価対策を講じる前に列島改造計画を打出したことは土地の投機を招き,おりからの過剰流動性と相まって狂乱的な地価の暴騰を引起すことになった。

1972年6月に*田中角栄が自民党総裁選への立候補にあたって政策論を明らかにした著書。自民党の68年<都市政策大綱>を下敷きにし,田中内閣誕生によって90万部に迫る大ベストセラーとなった。再配置による工業の地方分散,25万人規模の新地方都市づくりと地方の生活環境整備,新幹線と高速道路による全国的な高速交通ネットワークの整備(全国1日通勤圏構想)などによって過密・過疎の同時解消をめざした。しかし開発地域の名指しや,資金の過剰流動性を背景に,土地投機と地価の暴騰を招く結果となった。

[列島改造論から低成長へ] 1960年代の日本経済の成長は,アメリカへの輸出に支えられた面が多い。とくに65年からアメリカのベトナムへの軍事介入が本格化すると,ベトナム特需への依存が大きな要因となっていた。そしてベトナム戦争による膨大な戦費とドルの流出は,アメリカに財政破綻(はたん)の危機をもたらした。ベトナム戦争のいっそうの激化によってドル危機はますます深刻となり,前述のように71年8月アメリカのニクソン大統領はドル防衛策として新経済政策を発表した。これはアメリカの世界経済への支配の終りを象徴するものだが,アメリカ依存型の日本経済にも大きな打撃を与えるものであった。佐藤内閣は円の変動相場制への移行を決定しこれに対応したが,高度成長を支える最大の基盤がなくなったのである。72年7月,佐藤内閣にかわって田中角栄内閣が成立したが,田中首相はこうした国際条件の変化にもかかわらず,〈日本列島改造論〉をかかげて,いぜんとして大型公共投資を中心とする経済成長政策を追い求めようとした。この結果土地投機ブームが起こり,それとともに物価上昇のテンポが速まったが,そこを73年10月,第4次中東戦争にさいしてのアラブ産油国の石油戦略によるオイル・ショック(石油危機)が直撃した。そのため同年11月,12月にかけては,敗戦直後と同じようなインフレ状態となり〈狂乱物価〉があらわれた。田中内閣は73年11月末の改造で福田赳夫を蔵相に入れて引締め政策に移り,石油需給適正化法,国民生活安定緊急措置法を公布してインフレ抑制に努めたが,74年にはいっても消費者物価の暴騰が続き,不景気のなかの物価高であるスタグフレーション現象がおさまらなかった。74年度のGNP は実質で対前年比0.2%減で,戦後はじめてのマイナス成長となった。74年12月,田中内閣にかわって三木武夫内閣が成立すると,総需要を抑制し,経済成長政策から安定成長政策への転換を政府としても図ることにした。高度成長は1960年代の終りからかげりをみせはじめ,ドル・ショックとオイル・ショックによってとどめをさされた形となり,ここで政府としても低成長政策へ転換することとなったのである。
 60年代を中心とする日本の高度経済成長は,世界に類をみない速度で進み,短期間に日本を世界屈指の工業国に発展させた。これが日本社会に与えた影響も甚大で,農山漁村の崩壊,都市の肥大化が進行し,第1次産業人口が減少して,第3次産業人口が急増した。この結果,社会構造や国民の生活様式および意識のうえにも大きな変化があらわれ,70年代以降は政治のうえにもそれが影響して,企業意識が定着し,現状維持的傾向が強まっている。


日本列島改造論(田中角栄著)

日本列島改造論 (1972年) 日本列島改造論 (1972年)
(1972)
田中 角栄

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十数年前に古本屋で手に入れた本です。出版されたのは、昭和47年(今から40年前)です。家の本棚の奥にしまってあったのを取り出して読んでみたら、なかなか面白いのです。

田中角栄という人物を批判的な目で見る人が多くいますが、この本を読んでの印象は、日本の高度成長時代末期に、出るべくして出た人物であると感じました。

その当時の田中角栄に罪はなく、田中角栄的なるものをずっと引きずってきた後輩の政治家や官僚たちに罪があるように思いました。

日本列島改造論には、田中角栄の理想と夢と予測が、数多く描かれています。40年経って、その理想と夢が実現されて、その予測が当たったのかどうか、「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・都市と農村の人たちがともに住みよく、生きがいのある生活環境の下で、豊かな暮しができる日本社会の建設こそ、一貫して追求してきたテーマ

・土地、人口、水などを総合的に組み合わせた地域別の発展目標を設ける

・明治から一貫してとり続けてきた財政中心主義(財政資金による資源配分で国を運営)は、明らかに改める時期にさしかかっている。これまでの制度は発展途上国の制度

・電力料金は、過密地域と過疎地域との間で料金差を設ける。工業用水道も同じような政策的配慮を加える。住民税も過疎地域のほうが相対的に安くなるような配慮をする

・行政の広域化を促進すべく、市町村の第二次合併を積極的にすすめ、適正規模とすることによって、その行政力、財政力を強化する。周辺市との再編をすすめることによって、大都市行政の一元化と広域化をはかることが必要

・新しい広域地方団体を設置できれば、府県事務の3分の2を占めている国の機関委任事務や国の地方出先機関の大半は、この中に吸収、一元化され、激変している経済社会の体制に対応できる

・国際農業に対抗し、食糧の安定した自給度を確保するためには、高能率、高収益の日本農業をつくることが絶対に必要。そのためには、農業の大型機械化、装置化、組織化が大胆にはかられなければならない

・人間は自然と切離しては生きていけない。世界に例をみない超過密社会、巨大な管理社会の中で、心身をすり減らして働く国民のバイタリティーを取り戻すためには、きれいな水と空気、緑あふれる美しい自然にいつでもふれられるように配慮することが緊急に必要

・わが国が今後とるべき対外経済政策の重点は、「1.貿易取引のルール(国際分業)」「2.国際投資のルール(国際企業活動)」「3.援助と受け入れのルール(南北間)」「4.国際通貨体制のルール(国際収支の不均衡調整、通貨準備の量的不足、信用喪失)」

・これまでの生産第一主義、輸出一本ヤリの政策を改め、国民のための福祉を中心にすえて、社会資本ストックの建設、先進国並みの社会保障基水準の向上など、バランスのとれた国民経済の成長をはかること

・「人間の一日の行動半径の拡大に比例して、国民総生産と国民所得は増大する」原則からして、「地球上の人類の総生産の拡大や所得の拡大は、自らの一日の行動半径に比例する」という見方もできる

・今後の産業構造は、経済成長の視点に加えて、わが国を住みよく働きがいのある国にするという視点が必要。つまり、今後の日本経済をリードする産業は、従来の重化学工業ではなく、環境負荷基準と労働環境基準という尺度から選び出すことが必要

・将来の産業構造の重心は、人間の知恵や知識をより使う産業=知識集約型産業に移動させなくてはならない。知恵や知識を多用する産業は、生産量に比べて、資源エネルギーの消費が低いので、環境を破壊することも少ないし、知的満足できる職場を提供できる

・知識集約型産業こそ、産業と環境の共存に役立ち、豊かな人間性を回復させるカギを持つ。「知識、技術、アイデアを多用する研究開発集約産業」「高度組立産業」「ファッション産業」「知識、情報を生産し提供する知識産業」などを発展させること

・「都合の悪いものは隣村へ持っていく」ことでは、問題の本質的解決にはならない。住民の生活環境や自然を守りながら開発をすすめることが必要

・これからの内陸型工業団地は、本格的インダストリアルパークにしたい。緑の並木道、噴水のある芝生の広場、整然とした工場の建物、色も明るく落ち着いて、工場団地全体が公園を思わせる外観にし、工業を地域社会に組み込んでいくことも可能

・明治以来、わが国の交通政策は鉄道中心におかれてきた。これは、点と線の交通政策であり、大都市拠点主義はここから出発した。これから必要なのは、点と面の交通政策であり、その新拠点は、道路と鉄道、海運、航空の結節点である

・高速道路ができればできるほど、市場が広がる反面、産地同士の競争も激しくなる。それは、貿易の自由化と同じことで、日本経済全体からみれば、適地適産がすすみ、価格が平準化し、生産は合理化する

・産業道路と切り離して、休日に都市を離れる人々が自然に溶け込むレクリエーション道路の建設を急がねばならない。サイクリング道路や森や神社、史跡を巡る緑の散歩道を大量につくることが必要

・道路政策について当面、重要なことは、通過道路と生活道路を切り離すこと。今は、通過道路をはみだした車が生活道路にまで入り込んで、わがもの顔に走っている。これでは、自分の家のまわりもおちおち歩いていられない

・隅田川、淀川の河口で魚釣りを楽しむところまで河川をきれいにしなければ、日本列島の改造が本当にできたとは言えない

・地方都市の多くは、工場や商店があっても、中枢管理機構や文化、学問の場が乏しい。いわば、胴体や手足は一応揃っているものの、神経中枢が十分でないようなもの。そうした状態では、経済活動の完結性が低くなるから、資金が大都市に吸い上げられてしまう

・行政上の許認可権限は、できるだけ地方自治体におろし、地方自治体が中央と同じ量の情報を駆使する企画を自由に行えるようにすべき、広域ブロック都市には、シンクタンク、コンサルタント、調査研究機関などの情報産業が必要

・当面、東京にある大学を地方に分散することが、都市への人口の過度集中を緩和する一方法である。それと同時に、地方にある大学を、特定の学問分野で世界をリードする特色のある大学に改めていきたい

・限られた土地条件を前提にして、農業で高い生産性と高い所得を確保するためには、少数精鋭による経営の大規模化、機械化が必要。その過程で、農業人口の大幅な減少は避けられない

・都市の立体化は建物の高層化それ自体が目的ではない。高層化によって生じる空間を公共の福祉のために活用するところに最大の目的がある。貴重な都市の空間は、空中も地下もフルに利用しなければならない

・汗と力と知恵と技術を結集すれば、大都市や産業が主人公の社会ではなく、人間が主人公となる時代を迎えることができる。自由で、社会的偏見がなく、創意と努力さえあれば、誰でもひとかどの人物になれる日本は、国際社会でも誠実で尊敬できる友人になれる



この「日本列島改造論」で、田中角栄が打ち出している政策や戦略(環境政策、格差是正対策、地方分権政策、農業成長戦略、大都市成長戦略、知識集約型産業移行政策、エネルギー政策など)は、今でも新鮮に感じられます。

とても、40年前に書かれたものとは思えません。ということは、田中角栄が進んでいたというより、この40年間、日本社会が、ほとんど進歩していないということではないでしょうか。

現実面だけに合わせ、お金に執着させる政策を行ってきたツケが今の日本のあわれな姿でないかと思います。

田中角栄のような、理想を語り、目標を掲げ、それを強引に推し進めるリーダーシップある人物の登場が、今の日本には必要なのかもしれません。



田中角榮の『日本列島改造論』を読む [書評] [編集]

 田中角榮のベストセラー『日本列島改造論』を読む。日本の道路政策が暴走するようになった張本人として批判されている田中角榮の考えを知りたかったからであり、大学の図書館から借りて読んだ。極端な土木行政を提唱しているのかと思って読んだのだが、その先入観に反して、バランスのとれた日本の行く末をしっかりと考えた青写真が描かれており、田中角榮の政治家としての力量がよく理解できる立派な本であるとの感想を持った。
 土木行政のフレームワークをつくりあげた張本人というよりか、むしろ、ここで書かれていたような農業政策、土地利用政策、鉄道政策をしっかりと実施していたら、遙かに豊かな日本という国がつくりあげられたのではないかと思われる。
 幾つか、以下、引用しつつ、思ったところを徒然に書き記してみたい。
 社会資本整備が必要だと声高に主張している点は確かに多い。
「戦後日本は、敗戦直後のその日暮らしから高度成長経済へ、さらに国際経済へと三段跳びの飛躍をなしとげ、今日の反映を築きあげた。それは民間設備投資をテコとした成長追求型の経営運営と、人口・産業の大都市集中という全国的な都市化が進行するなかで達成された。しかし、明治百年をひとつの境にして、繁栄のなかの矛盾が急速に表面化してきたこともまた事実である。インフレ、公害、都市の過密と農村の過疎、農村のゆきづまり、教育の混迷、世代間の断絶などである。こうした先進国に共通する難問のなかで、とくに国民経済の伸長や国民生活の向上にとってブレーキとなっている社会資本ストックの不足は急速に埋められなければならない」。
「民間設備投資や輸出の伸びが大きく期待できないとしても、こんごの我が国経済の成長を支えうる要因はまだ十分に存在している。
 その一は、社会資本投資の拡大である。四十五年の国民一人あたりの社会資本ストックは、四十五万円であった。これはアメリカの三分の一、イギリスの八分の五、西ドイツの三分の二にすぎない。過密と環境の悪化を防ぎつつ、より高い水準の生活と大きな産業活動を実現し、美しい日本を築くためには、なによりも社会資本の全国的な充実が必要である。アメリカとの格差をなくすためには、70年代をつうじて270兆円程度の社会資本投資が必要であると計算されている。公園、運動場、下水道、ゴミ処理場、医療施設、港湾などを緊急度の高いものから建設し、整備し、拡充していくことが、国民から強く求められている。」

 しかし、何でも造ればいいという考えを持っている訳では決してない。例えば、バイパス道路の整備によって、農地が大規模ショッピングセンターに転用してしまっていることが多くの地方都市の中心市街地の衰退をもたらしているが、そのような事態を予め防ぐような提案もなされている。
「優良農地を保全し、財政の援助によって改良された農地を農地以外に転用することを規制するため、新しい観点から必要な立法を行ない、農地法の廃止にともなう弊害を取り除くことが必要である」
 また、コンパクト・シティをもその必要性を既に指摘している。
東京、大阪の道路率をニューヨークなみにしようとすれば、すべての道路幅を三倍にしなければならない。公園は十倍以上に広げなければ追いつかない。そして業務能率を高め、経済的、社会的コストを安くするためには、都市はコンパクトでなければならない。こうした要請を同時に満たすには、平面都市を立体都市に改造するほかはないのである」
 スプロールを防ぐ、という観点からは斬新な提案がされている。非常に賢い政治家であるということが分かる。
「土地の所有者が土地を宅地として譲渡し、利用する場合には区画整理を義務づけ、開発業者には開発許可制を適用する。造反建築にたいしては電気、ガス、水道、電話など新規の敷設を禁止する。」

 確かに道路三法を制定するなど、田中角榮が現在の道路族の権力を肥大化し、その暴走を許す基盤をつくったことは間違いない。しかし、角榮は日本の繁栄、日本の国力の向上のための社会基盤の一つとして道路整備の重要性を謳っており、同じように社会資本としての鉄道の整備などの重要性も主張している。あくまでも日本の国力を向上するための道路整備であり、現在のように、道路のための道路整備といった発想、既得権を守るための道路整備といった考えはほとんど持っていない、しごく真っ当で正当な政治家であるということが、少なくとも本書を通しては伺い知ることができた。彼が諸悪の根源であるという見方は少なくとも正しくないことは本書を読み、理解した。