角栄好評系総論

 更新日/2020(平成31→5.1栄和元/栄和2).9.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 角栄を評した数々の伝聞を以下に掲げ、論評してみる。云えることは、角栄評価派に案外と高潔人士が多いということか。逆に云うと、角栄批判派には節操の無さが共通して見られる気がする。

 2005.3.30日再編集 れんだいこ拝


【秘書】
 早坂茂三

 角栄の秘書には数々の人士がいるが、マスコミ上がりの早坂氏は外向け秘書として重用されていた。その早坂秘書の角栄評。

 「指導者に求められるのは洞察力、決断力、実行力と情熱。そしてそれを支える人脈や情報力、専門知識、経験、気配りなどの要素だ。角栄さんはそのすべてを備えていた。現実の政治家たちは、まず当選ありき。そして、身の栄達と保身だ。角栄さんは、来るもの拒まず、集まる政治家たちに資金を融通し、信賞必罰で抜てきし、それにこたえた。見返りはただ一つ、総裁選で名前を書くことだけだった。金権腐敗だとしてマスコミは『功3罪7』で彼を評価する。しかし政治はきれい事ではない。力がなければ、やるべきことをやることが出来ない。角栄さんは、戦後日本の復興・成長、雪国新潟からの脱却を、明確な目標に掲げ、やりとげた。それは、人々の願いそのものでもあった。農村的な日本の相互扶助社会が崩壊し、優勝劣敗の合理主義だけがはびこる今の社会に、角栄さんのような政治家が再び現れる土壌はない」。
 「非情な日本のマスメディアは、彼を老残の刑事被告人、陽だまりに憩う市井の病人として、歴史の彼方に追いやろうとしている。田中はかって不世出の天才政治家と評され、多くの人に親しまれ、畏怖された。その田中角栄が、このまま屈辱と汚穢の泥土に塗り込められてしまうのだろうか。私はそうは思わない。田中のオヤジは日本の風土に生きている。転換期を迎えた日本の政治社会の中に生きている。田中角栄は不滅である」(早坂茂三「田中角栄回想録」)。

【近親者】
佐藤昭子 「私の田中角栄日記」
辻和子 「熱情ー田中角栄をとりこにした芸者」

【カメラマン、画家】
 「専属カメラマンの山本氏の角栄論」は次のように記している。
 「それほど被写体としての角さんは魅力的 であった。軍団に激をとばす時の”力”の 風貌はレンズを通して私の背筋を凍らた。一転故郷の実家で近所のおばさん達と大 笑いをするさまはシャッターを押す私の顔 が思わずほころんでしまうほどの親しみを 感じさせる」。

【政治家、自民党】
二階堂進  田中内閣時の官房長官を務めた角栄心酔派の筆頭が二階堂であった。その二階堂の弁。
 「私の趣味は角栄」。
 「田中さんのことをコンピューターつきブルドーザーと最初に言ったのは、官房長官時代の僕だ。記憶力抜群で、十年も二十年も前のことをよく覚えていたね。しかし、『趣味は田中角栄』と言ったことは一度もない。そう書かれだしたのは、やはり官房長官の頃だったような気がする。田中さんは金権の権化のように言われていたが、人間的魅力にあふれていて、宇都宮徳馬さんも、『田中の金なら』と言って受け取ってくれた。参議院議長だった河野謙三さんも、『田中から』と言って国会対策費を持っていくと、『田中が好きだからもらっておく』と言ってくれた。僕が持っていったから、この話は間違いない」。
 「田中さんは地方の政治ボスの名前ょを、北海道から九州までよく知っていた。僕は鹿児島の出身だが、昭和57年の総裁選挙のときなど、僕が知らないような鹿児島の人の名前を挙げて、『これに電話したか』と言ってきた。『まだですが』と答えると、『何をしているのか』と怒られた。とにかく人間関係には詳しかったね」。
河野謙三  河野洋平自民党前総裁の叔父にあたる河野謙三(こうのけんぞう)元参院議長の伝。
 「田中角栄という政治家は百年か二百年に一人出る天才政治家だ。よくも悪しくも」
保利茂  保利耕輔(ほりこうすけ)自民党国対委員長の実父でその気骨を謳われた保利茂(ほりしげる)元自民党幹事長の伝。
 「福田赳夫や大平正芳が束になっても、田中にはとてもかないやしない。指導力、政治力、いろんな意味でね」。
小坂徳三郎

 1980.12.26日、木曜クラブ入会の際の弁。

 「田中先生は魅力のある人だ。もって生まれたものもあるが、非常に努力家だし勉強家だ。現状ではなく数年先のことに終始気を使って、それに対応することをいつも考えている」。
小沢一郎  角栄が次世代の指導者的政治家として高く評価していたのが小沢一郎であった。その小沢の弁。
 概要「私は戦前なら大久保利通(おおくぼとしみち)、戦後政治家では田中さんが傑出していたと思う」。要するに、いかにカリスマ性に富んだ”ケタ違い”の人物であったかということである。
羽田孜  角栄の薫陶を受けた羽田は、角栄を次のように評している。
 「大変な努力家であると同時に政治の天才だったなと。あの人のことを思うと今でも気持ちが躍動するね」。
渡部恒三  
 「角さんは、本当に困った相手には敵味方関係なく助けていたね。時には獣道も教えていたということだ。こうして、敵を味方にすることによって城を増やしていった秀吉に似ていた。あるいは明治大正昭和を通じて国家主義者として大御所的存在だったト頭山満にも似ていたね。頭山はこぶしで牛を殺してしまう腕力があった一方、一匹の蚊に涙する人でもあった。たつぷり自分の血を吸わせ、そっと放してやる優しさがあった。こういうの日本人は好きなんだ」。
 「人が困っているとき、頑張れだけでは足りないことがある。10万円有ったら難局から抜け出せる人が居る。命が助かる人も居る。どっちが有り難いか。拡散は苦労人だけに、その辺を良く分かっていた」。
奥田敬和  竹下派7奉行の一人。
 「オヤジは女以上に優しい。女の優しさのいいところだけを取ってきたような男だ。特に弱い者に優しい」。
中川一郎  反田中派に位置し、角栄批判の急先鋒の一人であった元科学技術庁長官にして総裁の目を狙っていた中川氏の伝。
 「オレは本当は角さんが大好きなんだ。田中さんのようになりたいと思って、オレはここまでやってきた」。
一竜斎貞鳳  元参院議員・今泉正二こと一竜斎貞鳳の伝。
 「田中先生の魅力は何といってもスケールの大きさ。それに人間操縦術」(文芸春秋・58.3月号)。
竹下登  鉄の軍団田中派を解体せしめた獅子身中の虫・竹下登であるが、その竹下にしてこの弁。
 「碁とか将棋とかと同じように政治に天才があるとすれば、政治勘みたいなところでは田中先生は間違いなく天才であった。それは常人ではとても真似のできないことであり、努力して追いつけるようなものではない。ある種の天分みたいなものがあったように思う」。
塩谷一夫
 「三木派に属している私が、こんなことを言い出すのは、おかしいかも知れないが、今でも私は、田中角栄が好きである。せっかく政治家になるのなら、ああなりたい、と思わせる魅力的な男だった」(「オール読物」10月号)。
荒船清十郎  後に衆議院副議長を務めた荒船が、まだ事業家として政界入りする前のこと。青年時代の角栄と出会いが有り、次のように証言している。
 田中が材木の買い付けに来たんだが、エラく算術が速かった記憶がある。買い付けた山のような材木の金額を、パッと暗算で出してしまう。なかなか気風も良さそうな青年だったので、その後牛鍋屋に連れて行ってやった。酒が入ると、何とオラに天下国家論をブチ始めた。このオラを黙らせておいてさんざんブチまくった後、突然膝を正して言うんだ。『大変ごちそうになっちゃった。御礼に浪花節をやらせていただきます』ってね。確か佐渡情話だったと思うが、とにかく普通の二十歳の青年とはどこか違っていた。頭はいいし、愛嬌があった。この雰囲気を持っていれば、将来、政治をやれば総理、金儲けをやらせても三井、三菱、住友くれェの大物に間違いなくなる。そう睨んだが図星だったナ。(小林吉弥「田中角栄処世の奥義」208P)

【政治家、野党】
堀昌雄 社会党

 社会党・衆院議員の伝。

 「役所の考え方ではなく、自分で政策を考えた大蔵大臣は、今までに田中角栄さんしかいなかったナ」。
竹入義勝 公明党

 公明党元委員長の伝。

 「なんと言っても、信義に厚いのは田中だ」。
矢野恂也 公明党  公明党元書記長の伝。
 「私は田中に政治の次元では一切貸借は無い。取引はしなかったし、やらない。しかし、人間的に魅力があることは確かだ」
 「そこには雪で象徴される土着性を背景にした日本という、氏なりの座標軸があり、アジア意識が有った。必ずしも対米一辺倒ではなく、この面でも異端の政治家だったのであろう。氏がアメリカ発のロッキード事件で政治生命にトドメを指されたのも、単なる偶然だったのか、という印象すらある」(2003.12.23日付毎日新聞長官)。
和田耕作 民社党

 民社党・衆院議員の伝。

 「政治家は倫理よりも政治家として役立つ仕事をする方が重要。この見地からすると、田中は立派な政治家だ」

【官僚】
後藤田正晴  後藤田正晴「政と官」の伝。
 「田中さんはまず、判断が非常に早い人だった。陳情を聞き終わるか終わらないうちに、可能かどうかを判断し、結論を相手に伝える。そして、『分かった』と言って引き受ければ、必ず希望通りに実現してくれていた。ということは、判断が早いだけでなく、実行力もあるということだ。珍しい異能の政治家だ。天才という見方もあるが、天才という形容詞は政治家には向かないので、異能といった方がいいだろう。大変な人だと、私は思う」。
 「出会った当時、田中さんは自民党内での序列はまだ低かったが、先輩の政治家や官僚には気に入られていた。気さく、明るい、飲み込みが早い、一を言えば十を知る人だった。陳情でも納得すれば、すぐ『分かった』と言う。田中さんは『分かった』と言ったことは100%実行してくれたが、他の代議士は『分かった』とは言っても大抵はそのままで何もやらないのが多かった。このあたりが他の代議士とは全く違っていた。その上、後で、『あの件はキミの言う通りになったよ』と、必ず電話をくれる。物事を極めて事務的に処理し、その上で押し付けがましいことは微塵も言わなかったな。この頃、既に多くの官僚は田中さんを信用していた。その後も田中さんとの関係は長かったが、そうした姿勢は、終生、何一つ変わらなかった。僕の長い官僚、政治家生活の中で、実行力、決断力、先見性で、田中さんを超える人は一人としていなかった」(小林吉弥「田中角栄 侠(おとこ)の処世」№30)。
 「田中さんのDNAは生きている。それは田中さんに人を見る目があり、それだけの人を引きつける吸引力があったということ。世間は金だというが、全く間違い。ぼくも資金援助は受けた。しかし(旧田中派は)あれだけの大所帯だから、一人当たりでいえば、もらう金は他の派閥より少ないよ」。
 「実行力のある異能の政治家だったが、一番の印象は、雪国新潟の厳しい風土で育ち、自分で道を切り開いてきた庶民のにおい。国民がどこに住んでいても政治の光を当てたいというのが、あの人の原点だった。それは実現した。ただ(公共事業批判や赤字財政など)今ではマイナスも出てきた。功罪相半ばする巨大な存在だと感じる」

 当時接した大蔵・通産・建設などの高級官僚の述懐。

 「田中さんと議論するのが楽しかった。なかなか云うことを聞いてくれなかったが、負けずに云うことだけは云っておくと、必ず反応があった。それに、我々専門家の頭では、何十年考えても出てきそうにない発想が、ポンポン飛び出すのには驚いた」
長岡実
 「田中角栄さんは蔵相を三年務められた。私は最後の一年間だけ主計官として仕えた。理解力、決断力、実行力-全ての面で機敏で的確な大臣だった。しかもエネルギッシュで何かオーラを発するのを肌で感じた」(2004.4.18日付け日経新聞「私の履歴書」第17回、元東京証券取引所理事長・長岡実「下水道に努める」)。
山下元利
大村襄治
林義郎

【財界人】
土光敏夫  ロッキード事件の起こった後、臨調の会長だった土光敏夫さんと瀬島龍三さんが田中邸を訪ねた。羽田が、堂々と入ってくる姿に「田中邸に来るといろんなことを云われるのに、臨調の会長がいいんですか」と何気なく聞いたところ、次のように答えている。
 「羽田さんね、田中さんは的確に問題を捉えてズバッと云ってくれる人なんだ。『一番のネックはここだぞ。ここを抑えなきゃ駄目だよ』と具体的に云ってくれる。私たちは形だけでやっているんじゃないんだ。行革を本気でやろうとすれば、誰であっても力のある人、知恵のある人のところに頼みに行くんだ」
堀田庄三  日本航空会長の伝。
 「今は田中先生は、ヘンな事件に連座しておられるが一日も早く、この疑いを晴らし、総理の座に再び戻られることを念じているのであります!」。
小佐野賢治
堤義明
 「47年の人生で、会って話し合っていて、これは自分より頭がいいな、この人には叶わないな、と思う人はそうはいませんけど、あの人だけは叶わない。特に、田中さんの発想というのは勉強になります」
森下泰  森下仁丹の会長にして参議院議員だった森下泰氏は、角栄の「側近の集め方」について、次のように語っている。
 概要「一部のマスコミは、田中さんのことを『金権政治家』としか報じない。これはとんでもない話でね、自分の仕事に何よりも大義、使命感というものを重く受け止めていた。根底に人類、天下国家、国民を見据える眼があったし、それに基づいて行動していた。カネ、地位など人生でやることは全てやってきた訳で、あの人にはそんなものはもうこれ以上欲しいものではなかったのだ。だから、『側近』として重要する人物は、よほどの人でなければ認めなかった。まず、この人物は大義、使命感で動いているかどうか、そのあたりで、線を引いていたと思っている。合わせて、あれだけ人の集まった人だったが、決して自分がシャカリキになって集めた人脈じゃなかったということだ。『来い来い』と集めた部下は、イヤになればすぐ離れるが、自分から率先入ってきた部下は決して離れていかない。本当の部下とは、そういう部下を言う。僕は会社をやってきた人間だから、よく分かるんだ。田中派が田中さんの元で圧倒的な一枚岩を誇ってきたのも、そういうところに最大の要因があったということになる」(小林吉弥「田中角栄の人材育成術」)。

【ジャーナリスト】
大宅壮一
 「田中角栄という男は浪花節そのものだ。しかし、浪花節でもオーケストラを操れるところが偉い」。
松本清張  推理作家の伝。ある本の推薦文にこう書いた。
 「田中角栄は現代史まれにみる梟雄(きょうゆう)である。政界にこんな『天才』があらわれるのは五十年に一度あるかなしだろう。『金権政治』という単純なパターンで彼をさばききることはできない」

【番記者-田崎史郎氏の弁】
 時事通信記者にして1982.4月から84年末までの2年9ヶ月間、田中派の番記者であった田崎史郎氏が、2009年になって次のように述べている(「週刊現代2009.8.22-29日号」の田崎史郎の「懐かしい日本人第1回 田中角栄」より)。
 「田中の魅力は尽きない。これほど人を引きつける政治家を、日本社会はもはや生みだせないのではないか。そう考えながら田中を見つめ直すと、田中とは古き良き時代の日本人、つまり『原日本人』ではなかったか、と思えてくる」。

【評価派の見解】
 「田中事件の本質とロッキード事件の真相」は次のように述べている。
 「組織力、行動力、問題処理能力、人心掌握力、資金調達力。戦後日本のエートス。今太閤、コンピューター付きブルドーザー、、利益誘導政治、戦後政治の鬼才」。
 「約束したことは必ず守った」与野党議員の回顧。永田町のもめごとから、日米間の懸案事項の解決まで、田中は処理しえた」。
 「田中の人間洞察力を根底にした指導力については、凄絶と言ってもいいものがあった。田中以降の歴代首相を見ても、それを超える者は一人もいない。と言うより、この点に関しては足元にも及ばない」(小林吉弥「究極の人間洞察力」より)。
 「マスコミや国民一般は、政治の表面に出た一部分、それも都合のよい部分だけを取り出して田中政治を批難する。ニクソンショック、石油ショックに続く狂乱物価の攻勢に耐えた日本経済の秘密は、田中政治が政治の表舞台に出さなかった部分、要するにコンピューター頭脳の緻密さをもって国家百年の大計で考え抜いた、政治的貢献によるものである。われわれは、田中内閣の性格を殉難・殉国の内閣と評価してやまない」。
(私論.私見)評価派の角栄評について

 上述の評価こそ正しい。この観点を堅く保持する必要がある。  


【早坂茂三氏の「田中角栄回顧録」】

 早坂茂三氏は、「田中角栄回顧録」の中で次のように述べている。

 「(岸首相退陣を受け、その後継争いで吉田派の両雄池田・佐藤が先陣争いをし始めた頃、吉田は、ある日角栄を呼んだ。田中が(吉田が名づけた大磯の自邸)七賢堂に駆けつけると、吉田は『二人の喧嘩には困ったものだ。この書を彼等に届けて欲しい』と云って、オヤジに渡した。池田には『呑舟の魚は支流に遊ばず』。舟を呑み込むような大きな魚は、小さな川出は泳がない、と。佐藤には『燕雀は知らず天地の高さ』と書かれてあった。小物には人生の奥深さなど知るべくも無い。池田、佐藤の二人を等分に持ち上げて喧嘩果てての棒ちぎれを戒めた吉田は、田中にも『コウ竜、雲雨を得』。お前さんにも、いずれ時がくるよ、と書いてくれた。彼は池田、佐藤とも親しく、無類の口説き上手、もめごとの仲裁役には慣れていることを吉田は知っていた。こういう場合の役回りには、オヤジがうってつけだったのである。

 田中は書が好きだ。自分でも端正で品格のある字を勢い良く書く。若い人には『末ついに海となるべき山水も暫し木の葉の下くぐるなり』、普通には『微風和暖』、ロッキード事件で十年戦争を始めてからは『不動心』の三文字をよく書いた。その彼が若い頃、大磯の七賢堂で吉田に良寛和尚の逸品を持っていると自慢した。吉田はフンと鼻先で笑い、『そりゃ、きみ、贋物だよ』。オヤジが『いや、本物です』と頑張った。じいさん、答えていわく、『同じ良寛の書でも、僕が持っていれば本物だが、君が持っていると贋物になるんだ』。そういってキャッキャッとと笑った。この話をした田中は『あの時はアタマに来た』と苦笑したものである」。
 「田中は役人、日本官僚、世界に冠たる霞ヶ関のドブねずみ集団の優秀性もよく知っていた。よくこういっていた。『役人は、明治維新の太政官布告以来の日本の国家経営、国家統治のあらゆるノウハウ、情報、数字を年代別、問題別、項目別にキチンと整理して、これを保管し、あるいは脳髄のひだに焼き付けている』と。しかも、彼が言うには、『役人は自分の目線の高さでしか発想できない。鳥瞰的というか、鳥になって空を飛んで、上から下を見る。そういう発想が出来ない。つまり、役人の発想は目の前にある現行の法体系の枠から抜け出ることができない。しかし、現実はたえまなく動いている。変化している。そして、今の法体系が、それにぜんぜん通用しなくなってきている。にもかかわらず、これを状況に合せて、あるいは先取りして改廃する、新規立法する、そういうダイナミックスは、官僚制度の中からは生まれない』と。

 田中がロッキードでやられた後も、役人達は注意深くマスコミの目を避けながら、風呂敷包みに書類を山ほど入れて、目白や平河町の田中事務所に来ましたよ。彼の知恵と力を借りるためにね。田中派役人の話を聞き、自分は鳥の目になって上から全てを見た。そして、入口はここだ、出口はあそこだとアイデアを出し、知恵を提供した。それで厄介な問題が片付いた。それを役人は多としたからこそ、あの危ない橋を渡って、『田中詣で』を続けたんだ。田中派役人の内部規約、外に出せないルール、属性を、あるがままにリアルに理解していた。並みの政治家とひと味違ったところだった」(早坂茂三「宝石・平成元年12月号」)。
 「角栄は、叩き上げ創業者オーナーです。天才的なアイデアの持ち主でもあった。これは秀才官僚の発想からは出てきません。田中のアイデア、着眼点は役人にとって大変、貴重で便利なものであったということでしょう。欲人たちが、『田中もうで』をした理由が他にもある。それは彼が役人の属性を鋭く把握していたからだ。役人が政治家に求めるのは方向を示し、物事を決定してくれることです。役人が一番嫌がるのは物事を自分の責任で決めることだ。うまくいけばいいけど、失敗すれば泥をかぶる。自分の経歴にかすかな傷がつくことを役人は極端に嫌う。ところが角栄は方向を示して決定も自分が下すという形をつくってくれる。従って彼等は泥をかぶることが無かった。それから役人の人事に角栄は手を突っ込まなかった。---」。

【新野哲也氏の角栄評について】
 新野哲也氏は、次のように角栄を評している。
 ”角栄殺し”とは、いったい何だったのか。そしてそれは、現在の日本に何をもたらしたのかーー”指導民主主義”の具現者・田中角栄の人と政治を浮き彫りにする話題作!」(新野哲也著「政治家・田中角栄の研究 だれが角栄をころしたのか?」)
 「マックス・ウェーバーの唱える「理想政治」を実現しようとし、敢然としてエリート官僚たちと戦った豪腕の大衆政治家、その功罪を解析する問題作。「男性原理」に立ち、世俗性と超人性を兼ねそなえ、現実機能を持った希有の政治家田中角栄と日本の政治構造の徹底研究」(新野哲也著「政治家・田中角栄の研究 だれが角栄をころしたのか?」)。
 「大衆のヒーローが大衆にうちのめされた悲劇なぜ角栄は戦後最大の政治家といわれるのかエリート官僚主義とたたかった真の民主主義宰相。暖かい政治よりも”冷血政治”を選んだ日本人田中角栄がめざした「血のかよった社会」の建設 角栄的なるものを失った日本が落ち込んだ冷血社会。日本を滅ぼしかけている<官僚化>政治の恐怖 「角栄的なもの」を抹殺したインテリと官僚の傲慢」(新野哲也著「政治家・田中角栄の研究 だれが角栄をころしたのか?」)。
(私論.私見) 新野哲也氏の角栄評について
 良いものを良いと云い、おかしいものをおかしいと云える認識こそ本来の意味での知識であろう。新野氏はこれを持ち合わせられている方であり、そこが素晴らしい。

【私の見た田中角栄(鉄槌よ!語れより)】
 「私の見た田中角栄(鉄槌よ!語れより)」は、次のように角栄を評している。
 最近、雑誌で田中角栄論をよく見かけるので、今日はひとつ、私も自分の目で見た彼のすがたをここに記してみたい。
 学生のころ、先輩の紹介でH会という自民党の政策集団の事務所に出入りしていたことがある。四ツ谷の文芸春秋のすぐ隣のビルにあり、Fさんというコワモテの親分がいた。この人は東大を出て共同通信の記者となり、田中角栄の政策秘書をしていたという経歴の持ち主で、早坂茂三氏の先輩にあたる。「日本列島改造論」の原形をつくった人ということだったが、意見の相違で田中事務所を出て他の派閥に移っていた。

 私は政治的関心などまったくなく、実のところ、そこの美人秘書めあてに通っていたのだが、どういう訳かFさんは私をかわいがってくれて、仕事の合間に人生論から英会話まで、さまざまな教育をしてくださった。そのなかでよく角栄さんの話が出た。田中角栄ほど頭のいい男に出合ったことはない、というのがFさんの口癖だった。直観的に物事を把握する能力、記憶力、とっさの判断力、いずれも比類のないレベルであり、ニクソンや周恩来と対等にわたりあえた。その意味で、世界でも有数の政治家だということだった。東大出の官僚たちもみな、その能力にたいして畏敬の念をいだいているという。

 当時は中曽根首相の時代で、田中角栄は闇将軍といわれキングメーカーとして君臨していた。そのぶんマスコミのバッシングも激しく、私も金権政治の親分くらいに考えていた。しかしFさんの話を聞いているうちに、田中角栄という人物に興味がわいてきた。ちょうどその時、ある代議士のパーティーで、なまの角さんを体験することができた。そこで私の評価はがらりと変わった。

 何人もの大物政治家のスピーチのなかで、田中角栄の弁舌の巧みさ、発散するエネルギーは群をぬいていた。しかし私がおどろいたのはそんな事ではない、その慈愛にみちた内容である。自分の派閥の議員にたいする、父親にも負けぬくらい愛情にあふれたスピーチだった。「角さんは札びらで地位を築いたのではないよ」というFさんの話を、私も実感した。

 彼は新米の秘書にはかならず、「料理屋などに行っても、でかい態度で仲居さんや下足番のお爺さんを怒鳴りつけたりするようなことは、俺が絶対に許さん」と厳しく訓示したという。下積みの苦労を人一倍経験しても、いったん成り上がれば、そういう人々を踏みつけにするのが人間のつねであるが、角栄さんはそうではなかった。だから病に倒れたときも、全国のさまざまな無名の人から、毎日毎日、病気に効くという漢方薬や食品が届いたそうだ。

 私はいまも田中角栄は温かい人だったと信じている。それを人気取りの擬態だとは考えない。異才のある人物であり、金権政治家であり、心の温かい人だった。田中角栄とはそういう複雑な存在だったのである
 (私論.私見) 「私の見た田中角栄(鉄槌よ!語れより)」の角栄評について
 この証言も当人の実録であるだけに貴重である。「田中角栄ほど頭のいい男に出合ったことはない、というのがFさんの口癖だった。直観的に物事を把握する能力、記憶力、とっさの判断力、いずれも比類のないレベルであり、ニクソンや周恩来と対等にわたりあえた。その意味で、世界でも有数の政治家だということだった。東大出の官僚たちもみな、その能力にたいして畏敬の念をいだいているという」は、立花派の金権篭絡説を挫いていよう。

角栄殺し=CIA&日本人官僚・マスコミ!?
 どなたの文章か分からないが、「角栄殺し=CIA&日本人官僚・マスコミ!?」がサイトアップされている。なかなかのご指摘であり掲載しておく。
【角栄殺し=CIA&日本人官僚・マスコミ!?  結論を先にいおう 田中角栄元総理大臣閣下は、「完全無罪」「無実」】
 「・・・・・いっぱしの知識人面をしたインテリらがじぶんたちに都合のよい社会を作るために行ったキャンペーンこそが<角栄殺し>だったわけだが、その結果、日本が失ったものは、はかりしれなかった。
 
 日本が失ったものーーーーそれを仮に<角栄的なもの>と呼ぶと、それはおそらく昔ながらの庶民の現実感覚ではなかったろうか。知識と権限でじぶんたちの桃源郷をつくろうとする官僚(注 特に東京地検特捜部(法務省刑事局の一部の人間にに引き吊りまわされた?)や、当時の一部最高裁判事など)やインテリはいざ知らず、庶民の現場感覚は、伝統や経験をささえにする。
 
 人生や仕事に対する真剣さ、世間の常識やよき習慣、義理や人情、腕や人格を磨こうという健気さ、機会があれば大勝負にでる度胸といった庶民的感覚は、目に見えない社会規範を作り出し、あるいは人間形成の鏡となる。それが、伝統や経験に根ざした社会である。権限も高度な専門知識もなく、懸命に努力しなければ世間からはじき出される庶民は、伝統や経験をささえにしなければ、とても生きてはゆけようにない。彼らには官僚やインテリの権力主義や傲慢さ、計算高さや卑怯、他者への侮りなど、薬にしたくともありはしない。
 
 その逆をいえば、官僚やインテリは、伝統や経験からもっとも縁遠い人種だったことになる。彼らは「よき心」などなくとも、権限と専門知識だけで特権的に生きてゆけるからだ。・・・」(前書き10ページより抜粋)
 
 本の紹介です。田中角栄元総理大臣閣下は、小規模のCIA謀略工作チームと日本のインテリ(官僚、マスコミ人)に息の根を止められた。ことを論証するものです。
 
 私と司法書士の戦いの原点もここにある。以前と以後。日本はどう変わったか。(1)マスコミ権力の誕生と戦役的報道の開始(2)官僚の権限増大と政治力の衰退、(3)インテリ層の社会支配力の増大」(前書き8ページ)があるという。(2)の事項が特に甚だしい事態に立ち至っている。それは検察(東京地検特捜部)が、(1)のマスコミと手を組んで政治に介入している、したことである。
 
 この二つが手を組めば、何でも出来る。そこに、検察に民意は働かない。GHQの亡霊は、CIAと名を代え、今も検察に取り憑いている。刑罰権を国民の手に戻すときである。それには選挙しかない。
 
 再々主張、述べていることだが、検事を公選すべきである。国民のレベル以上の政治家はでてこない。選ばれない。とはよく言われていることだが、だれからもコントロールされない検察。目は日本国民を見ていない。外国の利益になることをやって平気でいる。中には、それを自慢して本まで出版している者もいる。
 
 国民のレベルにあった血の通った、日本人のための検察行政を推進する者を検察官検事に据えなければならない。と多数の日本国民は思い始めている。いや思っている。「正義感を喪失」したと、角川書店刊「検察の疲労」に書かれていたが、正義感のない検察、恐ろしくて口に出さないだけである。
 
 話変わって、そもそもグローバルスタンダードとは何なのか。つまるところ、海賊資本主義、冒険商業主義・商人。日本から略奪をで行うための隠れ蓑ではないのか。日本がツンボ桟敷に置かれたままで決められたBIS(国際決済銀行)規制。そこからバブル崩壊の序曲は始まった(田中閣下的なものが葬り去られた、一つの結果である)。
 
 その大本(おおもと)は、ものの本によれば、「イギリス女王」である。海賊のキャプテンクックを、外国の商戦から積み荷を奪い、イギリスに富をもたらした。と、貴族に列した国なのである。その下に「300人委員会」(注 この名の翻訳著作あり。再再版。初版は別の出版社で出されたが、なぜか発禁になった。
 
 イギリスのインド植民地支配は、会社組織、株式会社が行っていた?!というようなことが書かれている。その黒幕、大株主、社長はイギリス女王。又、明治維新に大きな影響を与えた、清とイギリスが戦った阿片戦争の内幕も。最近は堂々と出版されている。日本に何も怖いものがなくなって、暴露されても何の影響もないからなのか。私は2度目に出版されたものを所持。)
 
 そして、その手足となるのがユダヤ金融家など。決してユダヤ人は悪くない。そのご主人様が欲の皮が突っ張っているのである。出資金、株式に対するに対する、高額の配当を要求しているのだろうか。
 
 ところで、 日本とイギリス。同じ資本主義国でもその根っこが違う。根本的に思想がことなる。日本の資本主義は、封建時代の江戸時代にすでに誕生している。封建制度そのものが、必然的に資本主義を形成した。士農工商の身分差に基づく契約概念がその基本になっている。
 
 その根本理念は「正直、勤勉、倹約」で、宗教、仏教を主とし、神道・儒教の影響もある思想をもとにしている。約束を守らなかったら武士は切腹。その他の階級は打ち首獄門。おまけにお家取りつぶし。が究極の制裁。
 
 イギリス国教、分派 キリスト教でも、その萌芽は見られた。プロテスタンティズムだかカソリズムといわれるもので、やはり宗教から派生したものであった。理念は日本とほぼ同じ。(貴族と一般庶民の階級差が、契約遵守の精神を醸成したのである。
 
 イギリスの刑罰は過酷なものであった。産業革命で毛織物が貿易の主たるものになると、その原料の羊毛を取るため、小麦を作っていた農地は羊の放牧場にされた。領主の小作人となってそれら農作物の生産にたずさわっていた者は、農村から追い出さされた。それが都市部に流入。浮浪者となった。住まいも持てず、路頭で暮らした。イギリスは、それを取り締まる法律を制定。住所不定者無職者は逮捕連行。右手首を切断した。一般庶民(特に小作農民)にあっては、産業革命は暗黒の時代、日々であった。
 
 今の外圧によって生じている日本国民の就職難、リストラ解雇、中高年者の交通事故死者の3倍を超える自殺者の発生という災難。イギリス革命の裏にあった農地囲い込み、農民追い出し、俗にいうインクルーディング。その状況はオーバーラップしてしまう。)
 
 ところが、今のイギリス資本主義はその片鱗もない。アメリカに輸出され、そのキリスト教的資本主義は、マンデビルのいうところの似非自由資本主義。「個人の悪徳は公共の利益なり」に取って代わられ、自分、自社の利益最優先。共存共栄はない。簡単にいうと、やるかやられるか。仁義なき戦い。日本のやくざのような緊張の日々をビジネスの日常で送っている。外では競業他社。内では、上司、同僚、部下がライバル。ライバルは、優し過ぎる。端的に言えば仇同士。それを中心とするビジネススタイルが、国際標準の名の下、日本に怒濤のごとく押し寄せている。
 
 その砦、防壁だったのが、田中角栄元総理大臣閣下。エネルギー政策、高速交通網整備、教員優遇政策、国防政策等々。今に引き継がれている政策・方針は数多くある。経営学の神髄「組織は愛。市場は冷酷」を理解し、「国という組織は愛」を日本で実践、政治に適用。すばらしい方だった。
 
 その反対、外国勢力と手を組んで、日本を刑罰市場にしようとしているのが、司法官僚ではないだろうか。今の司法官僚、政治、政治家に牙を剥きすぎる。国民から選挙で選ばれたという「正統性」を否定している。「民主主義」否定し、資格試験合格者優先主義を台頭させ、跋扈している。司法試験と国家公務員上級試験。その間にも格差があるようになった。資格試験合格者は政治、主権者たる国民の僕であるべきではないだろうか。
 
 というようなわけで、20世紀最後の年に当たって、田中閣下の輝かしい業績と、降って湧いた謀略による思わぬ悲運を振り返る好著がこれ。ただ、田中閣下はその本当の下手人を勘違いして最後まで知らなかったようだ。表題と全く異なるが、それは「イギリス女王」だということを。
 
 ユダヤ人のイスラエル入植は、イギリスの後押しがあったからこそ出来たこと。そこに思いを致せば自ずと解答はでてくる。因みに大阪証券取引所の取引に端を発する、日本の株価大暴落はユダヤ系証券会社が引き金を引いた。といわれている。その後、イスラエルに対する米国の援助は減らされた。
 
 本当は、まだまだもっともっと株価を上げ、そして完膚無きまでに暴落させ、日本経済強いては日本を壊滅させるという計画があったといわれる。それを知ったユダヤ人、早めに引き金を引いた。そして、弾は急所を外れた。ある面でユダヤ人は日本人を救ったのである。
 
 その制裁がアメリカのイスラエルに対する、援助額の減額だった。日本人のために働かない官僚。外国勢力と手を結ぶ官僚。刑罰権の発動を促すという、ある意味で総理大臣以上の権力を握る検察。その組織の構成員、検察官は公選すべきである。法の恣意的解釈・そして運用、民意が働かない閉鎖社会、組織なので、その弊害が甚だしい。また独任官庁なのだから個々に、選挙の洗礼を受けさせても問題は生じない。
 
 癒着や派閥、外国勢力の浸透を防ぐ意味で、任期は当然次の選挙までということでなければならない。立候補者は、学歴、資格問わず。年齢は30歳以上。当然日本人のみ。ということで、国会議員は立法に当たって欲しい。そして当たり前といえば当たり前だが。公職選挙法が適用される。
 
 前置きはこれくらいにして、以下本題の本の紹介。新野哲也著。「-政治家・田中角栄の研究 だれが角栄をころしたのか?」発行所 株式会社 光人社 東京都千代田区九段北1-9-11 電話03(3265)1864 定価(本体1700円+税) 
 
 その本の帯・裏表紙には、次のように書かれている。「21世紀の日本を考える一冊!”角栄殺し”とは、いったい何だったのか。そしてそれは、現在の日本に何をもたらしたのかーー”指導民主主義”の具現者・田中角栄の人と政治を浮き彫りにする話題作!」(表表紙部帯) 「マックス・ウェーバーの唱える「理想政治」を実現しようとし、敢然としてエリート官僚たちと戦った豪腕の大衆政治家、その功罪を解析する問題作。
 
 「男性原理」に立ち、世俗性と超人性を兼ねそなえ、現実機能を持った希有の政治家田中角栄と日本の政治構造の徹底研究。」(裏表紙部帯)、「大衆のヒーローが大衆にうちのめされた悲劇なぜ角栄は戦後最大の政治家といわれるのか。エリート官僚主義とたたかった真の民主主義宰相、暖かい政治よりも”冷血政治”を選んだ日本人。田中角栄がめざした「血のかよった社会」の建設。角栄的なるものを失った日本が落ち込んだ冷血社会。日本を滅ぼしかけている<官僚化>政治の恐怖。「角栄的なもの」を抹殺したインテリと官僚の傲慢」(裏表紙) 

【脳科学者・茂木健一郎氏の角栄見直し論】
 「阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK93 」のびぼ氏の2010.9.4付け投稿「田中角栄氏に関しての連続ツイート by 脳科学者・茂木健一郎」を転載する。
 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/09/post-5b07.html

 田中角栄氏に関しての連続ツイート

 昨日深夜の田中角栄氏についての連続ツイートを、ここにまとめて掲載します。

 茂木健一郎

 金曜またぎの深夜でもあるし、帰って来ながらいろいろ考えたので、いつもは朝やる連続ツイートを、もう少ししたらやりたいと思います。

 角栄(1)あれは数年前だったか、学生たちとカラオケをしている時に、「まあ、その〜国民のみなさまにはですね、まあ、その〜」と田中角栄のものまねをしたら、誰もわからなかった。昭和を象徴するあの人のダミ声を知らない世代が生まれてきているのだと知り、ショックだった。

 角栄(2)その頃から、なぜか、田中角栄さんのことが気になった。最近になって、いろいろな意味で田中さんと比較される小沢一郎さんについての、マスコミの報道ぶりを見ていて、なぜ角栄さんのことが気になっていたのか、わかった気がする。角栄さんは、私たち日本人にとって、一つの「宿題」なのだ。

 角栄(3)田中角栄さんは、高等小学校と中央工学校を卒業という決してエリートとは言えない出自の中、持ち前の強靱な知性と驚くべきバイタリティで、ついには総理大臣まで上り詰めた。支持率も高く、マスコミは「今太閤」と褒め称えた。

 角栄(4)「コンピュータ付きブルドーザー」と評された頭の回転の速さと、エネルギー。人心を掌握する術にもたけていた田中角栄さんが、卓越した人物であったことを疑う人はいないだろう

 角栄(5)田中角栄さんの最大の功績は、日中国交正常化を成し遂げたことだった。ニクソンの電撃的訪中によって、日本が「ジャパン・ナッシング」になる危険を察知した角栄さんは、総理大臣として驚くべきスピードで調整し、いろいろと障害のあった日中の国交正常化を成し遂げた。

 角栄(6)その驚異的な頭の回転は、幾つもの伝説を読んでいる。大蔵大臣に就任した時、大臣室に来た官僚たち一人ひとりの名前を、フルネームで呼んで、居並ぶひとたちを感激させたという。

 角栄(7)政治家にとって、他人の名前を覚えるのは大事な能力うっかり誰かの名前を忘れてしまうと、角栄さんは、握手をしながら、「君の名前はなんだっけ?」と聞き、「鈴木です」と答えると、「名字はわかっているよ。下の名前はなんだっけ?」と相手を傷つけずに聞き出したのだという。

 角栄(8)「日本列島改造論」などで、狂乱物価を引き起こしたと批判された田中角栄さんだが、その旺盛な活動の背後には、故郷の新潟の貧しさに対する深い思いがあった。何とか、冬は豪雪に覆われる地域の人々の生活を向上させたいと願ったのである。

 角栄(9)「今太閤」とたたえられた田中角栄さんの運命が暗転したのは、マスコミが「田中金脈」批判のキャンペーンを張ったことだった。集中豪雨的な批判記事の圧力の下、角栄さんは総理大臣を辞した。

 角栄(10)辞任の翌年、米国の上院における証言から、「ロッキード事件」が発覚する。「総理の犯罪」を追求するマスコミの嵐のような記事。角栄さんは、逮捕され、一審で実刑判決を受ける。

 角栄(11)逮捕、起訴後も、角栄さんは自民党内で力を持ち続けた。そんな角栄さんに、マスコミは「闇将軍」というレッテルを張った。やがて、角栄さんは病に倒れ、その影響力は次第に低下していく。

 角栄(12)最高裁に上告中、角栄さんは帰らぬ人となる。その刑事責任は、結局確定しないまま、公訴は消滅することとなった。

 角栄(13)田中金脈追及からロッキード事件発覚にかけて、私は小学生から中学生だった。当時の私は、マスコミの記事、報道をそのまま信じて、田中角栄という人は悪いひとだ、「よっしゃ、よっしゃ」といって賄賂を受け取った、その後も「闇将軍」として居残り続けていると思っていた。

 角栄(14)その一方で、人間としての田中角栄という人を、どうしても憎む気にはなれなかった。その頃、『わたくしの少年時代』という自伝を読んだことがある。そこから伝わってくるのは、あくまでも真っ直ぐな、情熱に満ちた人柄だった。

 角栄(15)それでも、長い間、「総理の犯罪」「田中金脈」「闇将軍」というレッテルから、私の思考は自由にならなかった。田中角栄さんのことが気になり始めたのは、今年になって、日本の良識ある人々の中で、検察や、マスコミの「正義」に対する不信感が本格的に頭をもたげてからのことである。

 角栄(16)マスコミは「政治とカネ」と一つ覚えのように言う。統計的に考えて、その悪弊はさまざまな政党のさまざまな人たちにポアソン分布で生じるだろう。それなのに、なぜ、政権交代を果たしたばかりの政党の代表と幹事長だけが狙い撃ちされるのか、まずここでおかしいと思った。

 角栄(17)マスコミや検察の「正義」が絶対的なものではないということは、成熟した民主主義の下では当たり前のことだろう。ところが、「有罪率が100%近い」という近代国家ではあり得ない事態の下、日本人は、長らく、マスコミと検察は絶対正義であるという「幻想」の魔法の下にあった。

 角栄(18)魔法がとけて見ると、田中角栄さんのことが気になり始めた。あの一連の出来事は、一体何だったのだろう? あの一切の異論、反論を許さないような報道の嵐の中で、本当に「正義」はなされたのか? 田中角栄さんは、マスコミが描こうとしたような、極悪人だったのか?

 角栄(19)田中角栄さんの問題は、日本人が未解決のまま抱えている宿題だと思う。あれほど功績のあった人、卓越した人を、マスコミがヒステリーじみたキャンペーンで、葬りさった。その狂乱の本質は何だったのか、私たちは振り返り、整理すべき時期が来ている。

 角栄(20)中国の人たちは、日本のマスコミのキャンペーンに踊らされなかった。日中関係の井戸を掘った偉人として、首脳が日本を訪れる度に、田中角栄氏を訪問した、今考えると、角栄という人物の本質を見ていたのは、マスコミだったのか、それとも中国の人たちだったのか?

 角栄(21)自分たちに絶対的な正義があると思っている人たちは、うさんくさい。「闇将軍」などと揶揄する記事を匿名で書き飛ばしていた新聞記者たちと、田中角栄さんと、どちらが人間として興味深く、また誠実に生きていたのか、今となっては答えは明かであるように私には思える。

 角栄(22)ニーチェは、人間の最悪の罪の一つとして「ルサンチマン」を挙げた。田中角栄氏をめぐる一方的な報道ぶりを振り返ると、そこには、新聞記者たちの、角栄さんに対するルサンチマンがあったと思えてならない。

 角栄(23)そもそも、権力者を次々と犯罪者に仕立てるのは、未成熟な国の特徴である。すばらしい点の多々あるお隣の国、韓国はまた、元大統領が次々と刑事被告人に貶められる国でもある。一方、成熟した民主主義の国では、そのような極端な変動は、絶えて久しい。

 角栄(24)成熟した英国流のカモン・センスから言えば、田中角栄氏の「犯罪」は、果たして、あれほどのヒステリックな断罪が行われるべきことだったのか、大いにあやしい。少なくとも、その功績とのバランスにおいて総合的に判断する、そのような知的態度は有り得たはずである。

 角栄(25)私は、過去に遡って、田中角栄氏にあやまりたい。小学校から中学校という、世間知らずの年代だったとは言え、自らの正義を信じて疑わないマスコミのヒステリックな報道によって、「闇将軍」であり、「悪人」であるとたとえ一時期でも思ってしまったことに対して、心から謝罪したい。

 角栄(26)今、こうやって振り返って思い出すのは、ロッキード事件の渦中にあった頃の田中角栄氏が時折見せていた、孤独でさびしそうな横顔である。あそこには、人間の真実があった。一方、居丈高に正義を振りかざしていたマスコミの様子を思い出すと、浅薄さといやしさの印象だけが強まってくる。

 角栄(27)ロッキード事件が明るみに出たあとも、田中角栄氏は、新潟でトップ当選し続けた。マスコミは、新潟の選挙民の意識が低いなどと揶揄し続けた。今考えれば、人間としてまともだったのは、一体どちらだったのだろう。

 角栄(28)人間は、過去を振り返り、反省することで、未来への指針を得ることができる。日本の国の将来を、小学生の学級会のような幼稚な「正義」で危うくしてはならない。今こそ、田中角栄さんをめぐる一連の事態は一体何だったのか、真剣に検討すべき時期が来ているのではないか。

 以上、田中角栄氏に関しての連続ツイートでした。深夜、大変お騒がせしました。おやすみなさい。  

コメント
02. 2010年9月04日
 米国の国益に反し、(米国の軍隊なき占領下)日本国首相として日本の国益を求めたことが、アメリカの金融・産軍複合体(D・ロックフェラー氏)の逆鱗に触れたんでしょうね。今に思えば、立花隆氏・マスゴミが果した役割りは(真の国民政治家=田中角栄氏を失脚させることで、)ただただアメリカの国益を擁護した…と。
03. 2010年9月04日
 同感である。ロッキード事件で有罪となったのは田中角栄氏だけであり、アメリカの協力者と言われていたコーチャンなどは、司法取引で全員無罪となった。「田中金脈」で一躍有名になった立花隆氏は、なぜ、田中氏の金脈情報を入手できたのか不思議である。そこには、アメリカから「自主独立」を唱える田中角栄氏を貶めるために、CIAの〝ワナが仕掛けられていた〟と考えられる。今、小沢氏に嫌疑をかける〝仕掛け〟「政治資金問題」も、その遺伝子は同様である。日本のジャーナリズム精神は絶えて久しいが、小粒で小賢しい記者連中の悪辣さはさらに増している。この国のメディアは既に崩壊したと言える。
04. 2010年9月04日
 茂木先生、ありがとうございます。まるで、私の心の投影が、ツイートされています。私は、あの時、文芸春秋を買って読んだ茂木先生の一年代上の人間として、より一層、深く謝りたい。角栄さんが心にずっと残っていたことで、去年3月に、これは、ヘンだと思うことができた。活字中毒だったこともあり、ネットの情報に触れたのは、今年に入ってからと言う、情けなさ。情報を消化するにも時間がかかりました。ですから同じく鈴木宗男さん他にも謝りたい。放送倫理委員会に各局の偏向報道に対する投稿をしようとしましたが、委員の中にあの立花隆氏がいて、愕然としました。有名無実な組織だと言うことも理解しました。それでなければ、野放しにしているはずがない。総てを、紐解かなければならない時期がやってきたのだと思います。
05. 2010年9月04日
 本当にそうですね。私も長い間、田中氏を拝金主義の権力者などと、よく知りもしないで思っていました。この数年小沢氏バッシングにマスコミが常軌を逸していると感じてから、ネットや本に情報を求め、いかに自分がほんの一部の情報しか得ていなかったかということがわかりました。新聞、テレビは事実を知らせることよりも自論、憶測を好きなだけ垂れ流しています。社説って妄想作文なのかと思う程です。止めたらすっきりするのに家人が嫌だと言うので仕方なく続けていますが、司法とともにマスコミの改革をしないと民主主義が壊されます。
06. 2010年9月04日
 茂木先生 ありがとうございます。小沢氏が貶められてから 田中事件の認識が変わってきていたところです。立花 隆氏は田中批判で名を上げたけど 当時から アメリカにとって邪魔な政治家は貶められるのだと。あの時 中曽根氏はうまく逃げたけど、その後の中曽根氏の対米従属をみれば 何が起きていたのか察しがつく。
07. 2010年9月04日
 茂木さん、この前のつぶやきといい、今回のこと。ほんと、ほとんど同じ思いです。ぼくも、1月の検察とマスコミの異常な小沢バッシングまでマスコミに植え付けられたイメージでみていました。

いろいろ調べて、書籍など読んで、小沢さんのことが解ってきました。権力がなぜあれだけ攻撃するかもわかりました。そして立花隆というやからが、小沢攻撃をするのにつけ、彼が、角栄を落とし込めたある意味張本人であり、いろんなネタを裏の世界から手にしていたと感じます。いまだからこそ、小沢さんを角栄の二の舞にしてまならない、守らなければならないと思います。

09. 2010年9月04日
 「ルサンチマン」・怨恨、遺恨。特に、ニーチェの用語で、弱者の強者に対する憎悪を満たそうする復讐心が、内攻的に鬱積した心理をいう。キリスト教の道徳・社会主義運動のなかにあるとされている。以上・小学館・カタカナ語辞典・・ヨリ!。田中先生は、実学であったと思います。これを読んで、やはり、日本の、坊主・僧侶です。学んでもらいたい。坊さん・ドットコム・・とて、葬式仏教には、変わりのないところ・・です。
10. 2010年9月04日
 一言一句全てに共鳴を覚えます。国民を不幸にする政治家を持ち上げて褒めそやし、本物の政治家を袋叩きにして葬り去ろうとする日本のマスコミ。我々国民も、見る目を養って、日本を成熟した民主国家にしていかなければならないことを、改めて痛感しました。

【番記者-増山榮太郎氏の弁】
Re:れんだいこのカンテラ時評その119 れんだいこ 2005/10/25
 【増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を評す】

 小泉政治の狂態をみせつけられるほどに角栄が懐かしい。こういう折柄、増山榮太郎氏が「角栄伝説ー番記者が見た光と影」(出窓社、2005.10.20日初版)を出版した。これを仮に「増山本」と云う。

 角栄についてはこれまであまたの著作が為されている。角栄ほどその見解が批判と擁護に分かれる人物は珍しい。れんだいこはおおかたの角栄本に目を通しているが、読めば観点が余計に歪んでくる本と為になる本がある。「増山本」は当然後者の有益本である。これがれんだいこの総評となる。

 増山氏は、早大文学部卒の時事通信社の政治記者である。運命の僥倖であろう増山氏は、要職時代の角栄が首相になるまでの期間の番記者を勤めた。増山氏は添え書きで、「本書は、戦後政治の結晶として『総中流社会』をもたらし、巨悪論によって追われた田中政治を再検討・再評価するものです」、「私自身、長年の政治記者生活の総決算のつもりです」と記している。

 増山氏は、角栄政治と余りにも対極的な小泉政治下の現下の時局を憂い、角栄政治を懐旧し、ありし日の角栄の実録証言を世に明らかにすることを使命と思い立った。その内容は、既成の角栄本と重複しないよう随所に有益な新証言、逸話を持ち込んでおり、角栄研究本の新ページを開いている。

 文章は新聞記者だけあっててだれており、非常に読みやすい。れんだいこは一気に読み上げさせてもらった。「れんだいこの角栄論」に取り込むべき多くの逸話を聞かせて頂いた。ここに感謝し、併せてこの場で了承を得たいと思う。

 あとがきで、「おそらく田中氏のような天才政治家はこれまではもちろんのこと、これから二度と現われることはあるまいというのが、本書を書き終わっての私の結論である」と記している。

 思えば、角栄と身近に接してその息遣いさえ知っている者ほど好意的且つ信奉的であり、角栄の人となりが偲ばれる。佐藤昭子女史の「私の田中角栄日記」、辻和子女史の「熱情ー田中角栄をとりこにした芸者」は、角栄の裏表のない生き様をいずれも称えている。秘書早坂茂三は、角栄政治の何たるかを縷々語り続け、噛めばかむほど味があった好人物ぶりと政治能力の高さを評している。

 「増山本」は、角栄出自の新潟の原風景、幼少時の角栄、上京後の角栄、実業家時代、政治家駆け出し時代の記述が目新しい。願うらくは、「世界で最も成功した社会主義国ニッポン」を底上げした要職時代の角栄の逸話をもう少し詳しく聞かせて欲しい。思うに、増山氏の情報力を以てすれば、恐らく全三冊ぐらいにはなりそうである。そういう意味で続刊を期待したい。

 角栄は不幸なことにロッキード事件で虎バサミされ、以降その政治能力が羽交い絞め封殺された。右派と左派が奇しくも連衡し、日本政界から実に惜しい人物を訴追していった。今なおしたり顔して角栄批判に興じている手合いを見るが、食傷である。

 不破の角栄イジメは病的であり、新著「私の戦後60年」では何と、それまでの金権の元凶批判から転じて「角栄は僅か5億円の調達に困って外国の金に手を出した」云々なる誹謗を浴びせている。あまりにも酷いと云うべきではなかろうか。ニセの友は老いても悔いることがないようである。

 その点、増山氏の角栄を見る眼は温かい。というか、その温かさは角栄自身が増山氏に注いでいたものであり、増山氏は今その温かさを思い出しながら懐古しているのではなかろうか。小泉名宰相論に興じるメディアの嬌態下の今、「増山本」の素顔の角栄論は貴重である。他の角栄番記者よ、今からでも遅くないそれぞれの実録角栄像を語り伝えて欲しい。「角栄は日本政治史上孤高の座を占めている」と判ずるれんだいこは、このことを強く願う。

 れんだいこ的には、「増山本」が角栄政治の左派性に光を当てているところが特に良かった。「角栄政治の本質左派性即ち土着左派性の解明」はこれからもっとも急がれるところであり、ひょっとしてロッキード事件勃発の最深部の真相かも知れない。「増山本」は、ゴルバチョフ談話「世界で最も成功した社会主義国ニッポン」を紹介しながら、この方面への関心を誘っているところに良質さを見せている。この観点は、増山氏が実際に接していた当時には見えずして、今になって遠望して気づかされた角栄観なのではあるまいか。

 角栄はこれまで余りにも、立花史観と不破史観により栄誉と実像を著しく傷つけられてきた。この両者はネオ・シオニズムと親和して、この観点から角栄批判に興じているところで共通している。猪瀬直樹の論もこの類のもので、許し難い逆さま観点からの角栄批判を開陳している。田原総一朗、岩見隆夫らの論は上げたり下げたりで常に日和見なそれである。小林吉弥、北門政士、久保紘之、水木楊らの論はややましな中間派のものである。

 他方、小室直樹、青木直人、三浦康之らの好意派のものがある。古井喜實、井上正治、石島泰、渡部昇一、秦野章、後藤田正晴、木村喜助、小山健一らは、ロッキード事件に対する疑義を表明することで間接的に角栄を擁護している。政治評論家では早くより馬弓良彦、砂辺功、戸川猪佐武、岩崎定夢、新野哲也、渡辺正次郎が角栄政治を高く評価している。戸川氏は不審に急逝してしまったが実に惜しまれる死であった。「増山本」には、戸川氏が生きておれば一献傾け合うであろうシンパシーがある。

 惜しむらくはと記しておこう。増山氏はよほど穏和な性質の御方なのだろう、ロッキード献金5億円授受説に対して、これを冤罪とする立場からは論じていない。最近の徳本栄一郎氏の「角栄失脚歪められた真実」、これをヨイショする五十嵐仁氏の「転成仁語」の最終的に否定されたロッキード事件アメリカ謀略説らの観点に対して宥和的である。この点に関しては、れんだいこ的には角栄冤罪説に立って欲しかったと思う。

 歴史のトップ・シークレットは嗅ぎ分けることでしか判断できない。れんだいこは、ロッキード社5億円献金捏造説、ロッキード事件国策捜査説、角栄政治土着系左派説、角栄外交日中同盟説に立っている。この観点からの角栄論はまだ曙光でしかない。「増山本」は角栄政治土着系左派説に道を開いており、番記者の証言であるだけに値打ちがある。

 「角栄ー大平同盟の絆の裏話」の下りも良かった。補足すれば、れんだいこが最近聞いた話はこうである。大平急死を聞きつけた角栄は善通寺での通夜に駆けつけ、大平の死装束を前にして十数分余嗚咽男泣きしていたという逸話である。今、政界で、こういう掛け値無しの絆を持つ者がいるだろうか。角栄ー大平同盟が夢見た真実一路の政治は戦後ルネサンスに咲いた日輪であった。今は跡形も無く土足で踏みにじられている。残念無念至極というほかない。

 いずれにせよ、「増山本」は新たな角栄観に向けて一石を投じたことになる。その波紋や如何に。

 2005.10.25日 れんだいこ拝

【番記者/馬弓良彦氏の弁】
Re::れんだいこのカンテラ時評910 れんだいこ 2011/03/03
 【馬弓良彦氏の「戦場の田中角栄」を評す】

 元田中角栄番記者の馬弓良彦氏が、「戦場の田中角栄」(毎日ワンズ、2011.1.14日初版)を著わした。先の同じく角栄番記者であった増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」(出窓社、2005.10.20日初版)に遅れて5年半後に続いたことになる。本書を仮に「馬弓本」と命名したい。当時の角栄番記者の回想録をもっともっと著わして欲しいと思う。既に相当数鬼籍の者も居るだろう。健在の人士は、在りし日の角栄を歴史に遺しておくべきである。どこで役立つやら分からない。

 今や虚像を膨らました上での角栄批判の時代が終わり、在りし日の真実の角栄像を確認し、角栄を再評価すべきである。せっかくの政権交代したものの相変わらずの政治のテイタラクを見せつけられている今、それ故に余計に角栄が懐かしい。

 角栄の時代の日本政治には躍動感があった。対米従属ながら次第に自律せしめんとする「あすの日本」への胎動があった。その趨勢の総帥であった角栄が金脈批判、それに続くロッキード事件で政治活動を掣肘されるや、反作用として対米盲従派が政界を牛耳ることになり今日に至っている。この政治事象をそろそろ客観化すべきではなかろうか。

 「増山本」の評の時にも述べたが、角栄についてはこれまであまたの著作が為されている。角栄ほどその見解が批判と擁護に分かれる人物は珍しい。れんだいこはおおかたの角栄本に目を通しているが、読めば観点が余計に歪んでくる本と為になる本がある。「増山本」は当然後者の有益本である。「馬弓本」も然りである。これがれんだいこの総評となる。

 馬弓氏は、増山氏と同じく早大文学部卒である。増山氏が時事通信社の政治記者であったのに比して、馬弓氏は毎日新聞社の政治記者である。表紙カバーのプロフィールに「60年から政治部に所属し、自民党各政権を現場で取材。田中内閣発足時から番記者を担当し、その間『人間田中角栄』を著す。その後、編集局編集委員などを経て、取締役に就く」とある。

 これによると増山氏の後輩のようである。れんだいこは更に一回り後輩の法学部卒である。早稲田には何でこう角栄シンパが生まれるのだろう。思うに、在野精神の為せる技ではなかろうか。権力におもねずの精神と頭脳が、角栄をそれとして評価し得るのではなかろうか。

 増山氏は、添え書きで、「本書は、戦後政治の結晶として『総中流社会』をもたらし、巨悪論によって追われた田中政治を再検討・再評価するものです」、「私自身、長年の政治記者生活の総決算のつもりです」と記している。馬弓氏は、プロローグで次のように語っている。「戦後政界の風雲児である田中角栄元首相の生涯を描き、その政治家としての再評価を試みたいと思っている。(中略)テレビをはじめとするメディアには番組作りや企画に、政治家に対する相当な先入観が存在していて、むしろ虚実の距離は膨らむきらいがある。なかでも挙悪と決めつけられた田中角栄の実像と虚像のギャップは、とくに大きい。その乖離は、わが国政党政治の裏地の、見逃せない綻(ほころ)びである。政治家田中角栄を是とするか否とするかとは別の次元で、誰かがそれを繕うべきであろう。かって私が公にした『人間田中角栄』に、知り得て語らなかった真相のすべてを追加する必要があると思う」。

 「増山本」は既成の角栄本と重複しないよう随所に有益な新証言、逸話を持ち込み、角栄研究本の新ページを切り開いたが、「馬弓本」これまた同様の知見を披露している。特に、幼年期、青年期、兵役期の角栄に他本に見られない光を当てており、流布されている証言、逸話に対しても真意を窺い、政治能力の検証に於いても吟味を深くしている。

 著名は「戦場の田中角栄」とあるが、れんだいこなら「角栄ラブソディー」とでも命名したい。このネーミングの方が相応しい角栄愛歌論を開陳している。(ラブソディーのブはプのようである。どちらでも良いが、こういう言葉があるのかどうか知らないがラブと表記したい)

 増山氏は、あとがきで、「おそらく田中氏のような天才政治家はこれまではもちろんのこと、これから二度と現われることはあるまいというのが、本書を書き終わっての私の結論である」と記している。「馬弓本」は次のように結んでいる。「私が見た田中角栄は、断固とした、そしていささか不逞の表情を見せる、得がたい闘士であった」。

 見事なメッセージである。「増山本」の評の際に記したが繰り返しておく。「思えば、角栄と身近に接してその息遣いさえ知っている者ほど好意的且つ信奉的であり、角栄の人となりが偲ばれる。佐藤昭子女史の『私の田中角栄日記』、辻和子女史の『熱情ー田中角栄をとりこにした芸者』は、角栄の裏表のない生き様をいずれも称えている。秘書早坂茂三は、角栄政治の何たるかを縷々語り続け、噛めばかむほど味があった好人物ぶりと政治能力の高さを評している」。

 ところで、「増山本」の時にも指摘したが、願うらくは、「世界で最も成功した社会主義国ニッポン」を底上げした要職時代の角栄の逸話をもう少し詳しく聞かせて欲しかった。今や、この水準での角栄論を為さねば新たなページは開けないのではなかろうか。「馬弓本」は、それ以前の角栄論として一つのピリオッドを打ったのではなかろうか。そういう気がする。

 「馬弓本」の「増山本」に対する前進として、「増山本」がロッキード事件に拘わらず角栄の政治能力を称揚するスタンスであったのに比して、「馬弓本」はロッキード事件の冤罪性を確固とさせているところにある。これをどうしても主張したかったようで最後にわざわざエビローグの章を設け、首相権限論を法理解剖しながら「田中角栄無罪論、常識外れのロッキード裁判、ロッキード事件の謎、闇将軍の逆襲、架空疑獄の真相」と題して検察の訴追理論の空疎性を難詰している。今後は、この「馬弓本」の観点が下敷きにされるべきであろう。

 欲を言えば、角栄は単に冤罪であったのではなく、児玉-中曽根系の収賄を角栄に濡れ衣させられた節がある。今後は更にここを突いて行くべきではなかろうか。児玉-中曽根系のうち児玉は始末された。ならば無傷で守られた中曽根とは何者ぞと云うことになろう。この中曽根は後のグラマン事件、リクルート事件でも逃げ延び、大将軍の名声を博して今日に至っている。誰がこれを奇異に思わないだろうか。ロッキード事件の闇の本筋はここにある。分かり易く云えば、悪玉が守られ善玉が成敗されるこの不正を許せようかと云うことになる。

 れんだいこは、「増山本」の評の際に次のように記した。「角栄は不幸なことにロッキード事件で虎バサミされ、以降その政治能力が羽交い絞め封殺された。右派と左派が奇しくも連衡し、日本政界から実に惜しい人物を訴追していった。今なおしたり顔して角栄批判に興じている手合いを見るが、食傷である」、「小泉名宰相論に興じるメディアの嬌態下の今、『増山本』の素顔の角栄論は貴重である。他の角栄番記者よ、今からでも遅くないそれぞれの実録角栄像を語り伝えて欲しい。『角栄は日本政治史上孤高の座を占めている』と判ずるれんだいこは、このことを強く願う」。この言は、今なお通用する。

 「馬弓本」の「増山本」に対する後退局面も指摘しておきたい。「増山本」は角栄政治の左派性に光を当てていた。れんだいこは次のように評している。「『角栄政治の本質左派性即ち土着左派性の解明』はこれからもっとも急がれるところであり、ひょっとしてロッキード事件勃発の最深部の真相かも知れない。『増山本』は、ゴルバチョフ談話『世界で最も成功した社会主義国ニッポン』を紹介しながら、この方面への関心を誘っているところに良質さを見せている。この観点は、増山氏が実際に接していた当時には見えずして、今になって遠望して気づかされた角栄観なのではあるまいか」。この方面での「馬弓本」の記述は弱い。これは、馬弓氏の政治スタンスから来る限界であろう。

 実は、れんだいこの角栄評は、これからの角栄論の課題である「角栄政治の本質左派性即ち土着左派性の解明」に於いて、「角栄政治の本質左派性」解析を既にスルーしている。スルーの意味は、「角栄政治の本質左派性」解析不要と云うのではない。「角栄政治の本質左派性」解析を経て、更に次の「角栄政治の土着左派性の解明」に向かっていると云うことである。従って、「角栄政治の本質左派性即ち土着左派性の解明」を正確に云いなおせば、「角栄政治の土着左派性の解明を経ての角栄政治の本質左派性の解明」と云うことになる。こういう段階に来ている。

 この段階の角栄論は未だないので、れんだいこの独壇場になろう。「増山本」、「馬弓本」、「れんだいこ本」の三冊が揃って角栄復権三部作が完結するのではなかろうか。れんだいこは、そういう使命感を深くした。そういう意味で、「馬弓本」に御礼申し上げておく。以上、簡単ながら頼まれもせぬ「馬弓本」批評を献じさせていただく。今日は日がらが良いので、書きあげた今このままブログ投稿しておく。

 2011.3.3日 れんだいこ拝

【塚本三郎「田中角栄に聞け」の弁】
Re::れんだいこのカンテラ時評851 れんだいこ 2010/11/09
 【塚本三郎「田中角栄に聞け」を評す】

 宇沢弘文、内橋克人「始まっている未来」の書評を書こうとしていたら、元民社党委員長の塚本三郎氏の「田中角栄に聞け」の書評を未発表にしていることに気づいた。これを先に投稿しておく。

 元民社党委員長の塚本三郎氏が、「田中角栄に聞け」(PHP、2010.5.10日初版)を出版した。
 (ttp://www.amazon.co.jp/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84%E3%81%AB%E8%
 81%9E%E3%81%91-%E5%A1%9A%E6%9C%AC-%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4569775241)

 塚本氏は、野党の民社党衆院議員として在りし日の角栄と直々の政治的交流を持った貴重な角栄証人の一人である。本書の文意は、塚本氏の性格なのだろう、角栄を褒めたり貶したり、持ち上げたり引き降ろしたり忙しく書いている。サワリを述べて容易に尻尾を掴まさない。但し、全体の論調として、「七分の理と三分の理」の例えで表象されるように角栄政治是認論にシフトしている。恐らく、角栄政治訴追後の日本政治の質の堕落を見るにつけ、政界置き土産として角栄懐旧譚を遺しておきたくなったのではなかろうか。これが本書の執筆理由であると思われる。

 その内容を見るのに、塚本氏自身の政治活動歴と並走させて角栄を語っているところに特徴が認められる。部分的に取り込みたいところがあり、これにより、れんだいこの角栄研究はより値打ちを増すだろう。初見として、全日空が当初時点で購入見込みしていたDC10が後日、パリ郊外で離陸に失敗し、乗員乗客全員が死亡したこと、その中に社員研修で団体旅行していた東海銀行の社員が居たことを記している。角栄が首相になってニクソンとの初会談をハワイで行った時、中曽根通産大臣を連れて、アメリカの対潜哨戒機P3Cを大量に買い付けた云々も初見である。これらを取り込ませて貰おうと思う。

 本書に特別の敬意を表しておかねばならないことがある。それは、塚本氏が、本文中に、れんだいこの角栄論から2ケ所引用して下さっていることである。巻末の参考文献の末尾でも「れんだいこ、議会政治家の申し子としての田中角栄」と記して頂いている。恐らくこれが、書物上最初のれんだいこ紹介になるのではなかろうか。ネット上では既に多くの方から引用転載したりされたりし合っているのだけれども。塚本氏より何がしかの評価を頂いていることが分かり、うれしいと思う。

 こう書くと、以下の筆述が衰えるのだけれども一言しておく。塚本三郎氏の角栄伝は角栄論の空漠を埋め合わせる意味で何がしか貢献している。塚本三郎氏の角栄を視る目線は温かく、好感が持てる。但し、肝心なことは次のことにある。既に増山栄太郎氏が「角栄伝説ー番記者が見た光と影」で幾分か光を当て、れんだいこが強く放射しているところの「角栄政治の社会主義性」に対するコメントが皆無である。この辺りが角栄論としては既に遅れている。そういう意味で、この観点からの次作を期待したい。

 なぜかと云うと民社党政治論と絡むと思うからである。思えば、若かりし頃のれんだいこは、民社党を一番嫌っていた。民社党は労働者階級の側から労資協調路線を生み、それを是する政治論を党是としていた。れんだいこは、これをヌエ的と評していたからである。あの頃、左派系議会主義政党としては民社党を最右翼、社会党を中間派、共産党を最左派と思いこみ、共産党的立ち位置こそ是としていた。田舎からポット出したばかりのれんだいこの20歳の政治論であった。しかしながら、あれから40年。れんだいこは今、そういう評価を全く無意味としている。社共的口先批判政治運動、その実裏協定路線こそヌエ的と評しているからである。

 実際の民社党の政治的役割は評するに値しない。なぜなら、常に体制的であり、資本の側に立って労働者階級の利益を後回しにして来たからである。或いは排外主義的民族主義の見本みたいな愛国主義運動を展開してきたからである。ところが、現在のれんだいこの民社党を見る眼は温かい。なぜなら、戦後憲法体制=プレ社会主義論を生みだしているからである。

 民社党政治に幾分かの正義性があったとしたなら、民社党こそ逸早く戦後憲法下政治のプレ社会主義性を見抜き、戦後体制下の日本は捨てたものではないとして体制容認し、その立場から高度経済成長しつつある在りし日の日本を客観化させ、それを是とする立場から労使協調路線を生み出し、徒な批判よりも実践力のある体制改良運動に乗り出していたと思われる節があるからである。イデオロギーに流れず、いわば本能的に戦後日本の社会体制を「よりまし」としていた分別が評されるに値すると思われるからである。

 この観点は、民社党内に於いては佐々木良作に強く、春日一幸に弱く、塚本三郎は両者の中間的立場であった。佐々木良作よりは春日一幸に近かった塚本三郎は、そういう意味では凡庸過ぎる政治家でしかなかった。そういう塚本氏に「角栄政治の社会主義性」を再評価せよと願うのは、できない相談かも知れない。しかし、その塚本氏が今現に「田中角栄に聞け」を著し、「七分の理と三分の理」の例えで角栄政治を再評価せんとしている。歴史は面白いと思う。

 変な話になるが、塚本氏は、れんだいこ史観による民社党政治の良質性に気づき始めたのではなかろうか。自身が何故に社会党ではなく共産党ではなく民社党に立ち位置したのか、それを自問自答し始めたのではなかろうか。戦後憲法下政治のプレ社会主義性と云う観点から体制護持に向かった民社党の見直しを引き受け、それは同時にそういう戦後体制の牽引者であった池田―角栄政治の良質性を説くことなしにはできない。そういう意味で、「敵ではなく味方に近かった角栄政治」との交流史に光を当てた党史をものしておく必要があることに気づいたのではなかろうか。

 既に民社党は解党している。今となっては現実的意味は薄い。だがしかし、社会党が解党し社民党となり、共産党と揃ってかっての民社党よりもより右派的立場で議会主義政党として純化し、責任政治を引き受ける意思も能力もない万年野党の弱小政党に甘んじ、特段の苦痛を覚えていないマンネリ政治に没していることを思えば、かっての民社党の立ち位置を明らかにしておく意味がないわけではなかろう。旧社共が、戦後憲法下政治のプレ社会主義性論を獲得せぬままに、理論的に戦後体制否認のままに体制修繕運動に乗り出している腐敗を衝く意味からも、或いは又何の理論的獲得もなしにひたすらに改良運動に転じている自己批判抜きの実践的腐敗を衝く意味からも。

 それはともかく、恐らくそういう感慨なぞ微塵もないままながら、2010年現在の立場から、矢も盾もたまらず角栄見直しの声を上げた塚本三郎氏の本能的政治感覚を称賛したい。その態度は、角栄生存中は諸悪の元凶金満論で落し込め、生没後は「外国からの5億円のハシタガネに手を出した論」なる困窮角栄論で二重三重に顔に泥を塗って恥じない日共不破の角栄論との鮮やかな対比を示している意味で値打ちがあろう。この言をもって締め括りとしたい。

 2010.05.05日 2010.11.09日再編集 れんだいこ拝

【池見猛・編著「国益上、田中元首相の無罪を望む」の弁】
 「池見猛・編著「国益上、田中元首相の無罪を望む」(池見学園)が1987.8.25日に刊行されている。これを見れば、当時の学識者の相当数の者がロッキード事件を批判していたことが分かる。これを思えば、こうした学識者の真っ当な見解が抑圧されたまま立花隆を神輿に乗せたプロパガンダが進行したことを改めて知らされる。ごく少数のお調子乗り系扇動者とこれを補佐するマスコミが世論をリードしたことが分かる。お調子乗り系扇動者については「諸氏百家の角栄評考その12、悪評系、俗流角栄論の系譜考」で確認する。ここでは、真っ当な見識を示した学者を確認する。

 池見猛(池見札幌学園理事長、医学博士、法学博士)、清水*(せい)八郎(千葉大学名誉教授、リ学博士)、大石義雄(京都大学名誉教授、法学博士)、田上穣治(一橋大学名誉教授、法学博士)、小森義峯(国士舘大学教授、法学博士)、小山威倫(広島経済大学教授、商学博士)、山上賢一(高知医科大学教授、法学博士)、青谷和夫(元鹿児島大学教授、法学博士)、小林節(慶応大学助教授)、築山治三郎(京都府立大学名誉教授、文学博士)、川村幹(国士舘大学教授、文学博士)、渡部昇一(上智大学教授)、佐藤正典(千葉大学名誉教授、工学博士)、梅原一雄(元東京新聞論説委員長)、曽根原正己(長野県郷友会副理事長)。




(私論.私見)