【大蔵省関係】 | 予算復活折衝での手際 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和元/栄和3).7.21日
【予算復活折衝での手際】 |
角栄の大蔵大臣時の予算の復活折衝の場面は、それまでの大蔵大臣の手際とは違った。もともと各省庁の要求をブッタ切り財布の紐を締めるのが大蔵大臣の役割でもあるが、大所高所からの判断を誤らなかった。 その典型が、1963(昭和38)年度予算の河野一郎建設大臣との復活折衝の際に見られた。強面(こわもて)で鳴らした河野大臣は、道路110億円、治山治水45億円、下水道10億円の復活を狙ってスゴ味を利かせていた。折衝の場で、河野を前にしてジッと腕組みして30秒、角栄は応えた。「エーと締めて165億円。エエですよ、付けようじゃねェですか」。翌日の新聞は、「1秒あたり5億5000万円の復活折衝」と報じて話題となった。田中に付き添う大蔵省主計局次長は何とも渋い顔をしていたとも伝えられている。田中は、池田政権下の五輪予算をさらに積極財政の展開につなげ、五輪成功に導くチャンスと捉えていた。角栄の見識の織り成した政治ドラマのひとコマであった。 |
満額回答を得た河野の得意顔は当然であるが、その後側近にこうつぶやいたと伝えられている。「なるほど、アイツは若い党人政治家ながら相当のヤリ手だ」。 |
【角栄の予算編成関与能力考】 |
角栄は、政調会長、大蔵大臣、幹事長、通産大臣、首相と役職をこなす過程で、そのキャリアのほとんどを党三役と経済閣僚、その集大成としての首相として過ごしてきた。この間、戦後の我が国の予算編成のほとんど全部に関わってきた。ここに角栄の凄さがある。この凄さの前には口先の徒は鉄砲届きもしない。 |
(私論.私見)