【厚生省関係】 社会福祉元年、所得倍増政策

 更新日/2016.02.26日

Re::れんだいこのカンテラ時評885 れんだいこ 2011/01/11
 【田中政権の福祉元年政策考】
 
 田中角栄の業績に「福祉元年政策」を入れ忘れていたので、ここに書き加えておくことにする。

 1973年、田中政権は、福祉元年政策に取り組んだ。れんだいこ史観によればハト派政策の真骨頂を見る思いがするが、この功績がさほど注目されていない。それどころか、例によって諸悪の元凶角栄論の立場から、放漫財政の嚆矢とする批判が流行っている。

 正式な番組名は忘れたが、いつぞやのNHKの特集番組「国債累積債務問題」で、角栄の福祉政策が国債累積債務問題の元凶であるかのような扱いを受けていたのを耳にした。歴代の日銀総裁や財務局長のその時々の弁を伝えるなど評価して良い好番組であったが、諸悪の根源角栄論の観点が入れられているところが臭かった。

 報道は自由であるから、そういう観点からの番組が許されない訳ではない。問題は、以下れんだこいが述べるような観点からの番組が許されないことにある。従軍慰安婦問題も然りである。この問題をフレームアップする立場からの番組であれ許容されて良い。問題は、逆の観点からの対抗番組を作って競おうとせず、安倍、故中川らが得意の正義ヅラして報道規制する政治力を発揮するところにある。そうではないのだ。両面からの番組を多重に掘り下げれば良いのだ。この良識がなぜ生まれないのだろう。

 さて本題に入る。田中政権の福祉元年政策は、池田政権以来の高度経済成長の中で、佐藤政権が手をつけなかったものを、角栄政権になって始めて着手した積極的な財政政策であった。それは池田政権下の所得倍増政策に続く、これを補完するハト派的な制度の充実であった。かくて、この時代の人民大衆は善政に恵まれ懐を肥やした。今日、この時に人民大衆の懐に入れた莫大な民間資金の所在が日本経済の強みとなっている。この資金が現在のいわゆる高齢者の高額預金となっており、ハゲタカファンドが執拗に狙っている。

 もとへ。この時代、人民大衆は能く働き、助け合い精神を発揮した。政治が真っ当なら、日本の70-80年代はまがうことなく「ジャパン アズ №1」の道を進み続けただろうと思われる。これに危機感を覚えた国際金融資本がワナを仕掛け、それが見事に奏功することになる。これを請け負ったのが「中曽根-ナベツネ」派であった。

 それはともかく、ケッタイなことに、日本左派運動は、戦後日本の正成長のこの時代に体制批判を強め、安上がりの正義に酔いしれた。そして、反動の中曽根時代、小泉時代になると逆に鳴りを潜めることになった。日本左派運動にはそういう習性がある。この悪癖を突き破った事例として、60年安保闘争を牽引した第一次ブントの岸政権打倒運動がある。日本左派運動はこの時、唯一といって良いタカ派政権打倒の金字塔を打ち立てている。付言すれば、この第一次ブント運動に敵対したのが日共と革共同であった。れんだいこが毛嫌いする理由がここにある。

 田中政権の福祉元年政策とは、1・医療保険の給付率の改善、2・年金水準の引き上げ、3・生活保護基準の引き上げであった。他にも教員人材確保法による教員給与の格上げも含まれる。こうして社会保障分野での制度の充実、給付改善に取り組み、大幅な制度拡充を実施した。具体的には、1・70歳以上の高齢者の自己負担無料化等の老人医療費無料制度の創設、2・健康保険の被扶養者の給付率の引き上げ、3・高額療養費制度の導入、4・年金の給付水準の大幅な引き上げ、5・物価スライド・賃金スライドの導入などの施策が講じられた。これは紛れもなく日本式社会主義政策である。

 但し、直後より日本経済は荒波にもまれ始める。1973年秋、第四次中東戦争に端を発したオイルショックが勃発し、原油価格の高騰が超インフレを招き日本経済を直撃する。結果的に、この国際的な荒波と国内のインフレの進行が相俟って高度経済成長時代の終焉をもたらすことになった。

 驚くべきは、田中政権時代が内外の変動に対し、見事な手綱さばきで懸案を解決し日本丸を舵取りし続けたことである。田中政権が後数年続いていたなら、日本の国際的地位ははるかに高まっていたと思われる。残念ながら1974年、田中政権は金脈批判を受け退陣を余儀なくされる。その田中角栄は1976年にロッキード事件に見舞われ、引き続き公判闘争に縛られることになり、角栄の頭脳を活用することができなかった。思えば角栄の50代の頃のことである。脂の乗り切った角栄頭脳が無理矢理に押し込められたことになる。

 その後の日本政治は、今日の貧相な日本に至る道への競い合いとなった。政治に於ける有能なる采配が期待される局面となったが、角栄後の日本政治の対応は無能ぶりを晒し続けることになる。これを細かに追跡すれば、歴代政権の政策を概述せねばならないことになるので、ここでは問わない。

 要するに、日本は政治も経済も文化も逆走し始めたと云うことである。景気回復に向けての反転攻勢の局面が何度かあったが、国際金融資本の日本解体政策のアジェンダを請負うことでお墨付きされた歴代政権は、日本の為にならない政治を敢えて押し進めることになる。

 こうして、日本は緩やかな下降曲線を描きながら低成長化に向かうことになった。次第に税収減傾向を強め、他方で社会保障関係費が急増し続けた結果、次第に国家予算を圧迫して行くことになった。景気回復、財政再建、将来の超高齢化へ適合するよう社会保障制度の見直しが急務となっていたが、その後の政治がやったことは増税オンリー路線とも云うべき失政の連続となった。

 中曽根政権下で下地を作ったバブル経済は日本を見せかけの好景気に誘ったが、その反動が大きく低成長ならぬマイナス成長時代へと招き入れることになった。この間の放漫財政が国富を大きく削ぎ、景気は回復せず、財政が悪化し続け、その中にあって軍事防衛費と社会保障費が膨張して行った。

 この間、自民党政権は国民負担の増大に舵を切るも、事態を更に悪化させて行った。並行して国債が乱発され、消費税が導入され、それが再値上げされた。官僚機構の冗費が野放図になり天下りが横行し始めた。公共事業は不要不急のものに特化して行われ、国家百年の計に資する計画は後回しにされた。

 ざっとこういう風に素描できるが、この現状に鑑み、角栄の福祉元年政策をそもそもの間違いとする識者の論が罷り通っている。曰く、福祉元年政策により「弱者の楽園」ができあがり、社会保障崩壊、医療崩壊、雇用崩壊の元凶である云々なる説がまことしやかに流され続けている。

 果たして、この論は本当だろうか。こういう言に、その通りと膝を叩く御仁は論者と同じく粗脳であり、真の賢者は角栄ありせば、こうはならなかったと残念がる。角栄なら、新しい時代の皮袋に応じた知恵を創造するであろう。角栄なき今となっては、我々が工夫せねばならない。諸悪の元凶角栄論を説く連中が編み出すものは如何に巧言しようとも、令色故に仁ならずであることは間違いなかろう。

 明日は民主党の両院議員総会らしい。どういう解を出すだろうか。我々の得心できる技を見せるだろうか。菅派がどう悪あがきするのだろうか。思えば、菅は代表選の時の不正選挙の時点で既にオワっている。以降、徒に自分の首を絞め、政界引退を余儀なくされただけのことである。小沢が引退どころか手前が引退のハメになる。これが、れんだいこの期待する解である。とくと見せて貰おう。

 2011.1.11日 れんだいこ拝

【田中政権の人材確保法考】
 「田中政権の福祉元年政策考」で田中政権時代の社会福祉の充実に言及したが、もう一つ所得倍増政策をも確認しておく。

 所得倍増政策は池田政権時代に高度経済成長政策とコンビで打ち出されているが、田中政権もこれを踏襲した。田中政権時代、処物価騰貴インフレに悩まされたが、それだけ経済成長し続けており、その結果としてインフレを余儀なくされていたと考えるべきだろう。この時代、インフレに対抗せんが為に追って所得も急伸していたことが知られねばなるまい。これを証左する資料が欲しいがあいにく持ち合わせていない。一つの例証が1974.2.22日成立の「学校教育の水準の維持向上のための義務教 育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別 措置法」(人材確保法)である。

 この法律の第1条は教員の処遇改善として給与の優遇措置を講じ、有能な教育職員を教育界に確保し、学校教育の水準の維持向上を図ることを目的としている。今日教職にあるものが他の職業に比べて相対的に恵まれた処遇にあるのはすべてこの法律を根拠としている。これにより一般の公務員に対する教員給与は20%高く設定されることになり、教員の給与が基本給で12%、諸手当を含めれば一気に約25%引き上げられた。これにより優秀な人材が教育界に参入するようになった経緯がある。その後日本経済が衰退過程に入っても維持された為、相対的割高感が出て評判がよろしくないが、善政施策の一つであろう。


 ちなみに、日教組側は、1・給与は労使交渉で決めるべきで上から一方的に決めるのはおかしい、2・3段階の給与を5段階に細分化するのは教職員の分裂を企図するもの等々という理由で反発したが、待遇改善の魅力は大きく最終的に妥協したと云う経緯がある。角栄のこの政策を日教組懐柔策と評している者もいるが単に勘ぐりだろう。衆知のロッキード事件で、承知の1970年代から80年代にハト派政権からタカ派政権への転換があって以来、その後の自民党の文教政策は教員管理政策を強め、現在では教育の荒廃が進んでいる。
 学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法
 (昭和四十九年二月二十五日法律第二号)

 最終改正:平成一八年六月二一日法律第八〇号
 (最終改正までの未施行法令)
 平成十八年六月二十一日法律第八十号 (未施行)

 
第一条(目的)  この法律は、学校教育が次代をになう青少年の人間形成の基本をなすものであることにかんがみ、義務教育諸学校の教育職員の給与について特別の措置を定めることにより、すぐれた人材を確保し、もつて学校教育の水準の維持向上に資することを目的とする。
 
 第二条(定義)  この法律において「義務教育諸学校」とは、学校教育法 (昭和二十二年法律第二十六号)に規定する小学校、中学校、中等教育学校の前期課程又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部若しくは中学部をいう。2  この法律において「教育職員」とは、校長、教頭及び教育職員免許法 (昭和二十四年法律第百四十七号)第二条第一項 に規定する教員をいう。

 
 第三条(優遇措置)  義務教育諸学校の教育職員の給与については、一般の公務員の給与水準に比較して必要な優遇措置が講じられなければならない。

  附 則
1  この法律は、公布の日から施行する。
2  国は、第三条に定める教育職員の給与の優遇措置について、財政上、計画的にその実現に努めるものとする。

   附 則 (昭和四九年六月一日法律第七〇号) 抄
 (施行期日)
 第一条  この法律は、公布の日から起算して三月を経過した日から施行する。

   附 則 (平成一〇年六月一二日法律第一〇一号) 抄
 (施行期日)
 第一条  この法律は、平成十一年四月一日から施行する。

   附 則 (平成一五年七月一六日法律第一一七号) 抄
 (施行期日)
 第一条  この法律は、平成十六年四月一日から施行する。
 (罰則に関する経過措置)
 第七条  この法律の施行前にした行為及びこの附則の規定によりなお従前の例によることとされる場合におけるこの法律の施行後にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。
(その他の経過措置の政令への委任)
 第八条  附則第二条から前条までに定めるもののほか、この法律の施行に関し必要な経過措置は、政令で定める。

 附 則 (平成一八年六月二一日法律第八〇号) 抄
 (施行期日)
 第一条  この法律は、平成十九年四月一日から施行する。






(私論.私見)