れんだいこの日本列島改造論考その2 |
更新日/2017(平成29).5.29日
(れんだいこのショートメッセージ) | |
角栄の日本列島改造案は、日本のみならず世界に通用する国家百年の国土開発体系の指針書である。しかし、この体系は挫折させられてしまった。いずれ近い将来、必ず見直されねばならない教本であることには変わりない。「俺は新しい国家改造論を作りたい」。角栄のこの心情の吐露に麓邦明が共鳴した。これが「日本列島改造論」の発端であった。「日本列島改造論」は、いわば「角栄型改造式日本革命論」とでも云える内容になっている。こう捉える者が居ないが、れんだいこにはそのように拝することができる。日本左派運動は反体制運動を対置することで革命気どりしてきたが、角栄は「云うだけ」式革命論を弄ばず、あらゆる手練手管を弄して権力を掴まんとし、その前に「我、何を為すか」を明示する政策論として日本列島改造論を世に呈示した。ここに角栄が真の革命家系譜の者にして理想的な革命家でありえたことを見て取ることができよう。 岩崎定夢氏は、「角さんの功績、真の実力この魅力」の中で次のように述べている。
れんだいこも同感である。問題は、角栄式日本列島改造案を排斥した連中によりネオシオニズム式日本列島解体案が押し進められつつあるのが昨今の情勢である。これを如何せんか。 2005.5.25日再編集、2010.10.20日再編集 れんだいこ拝 |
【角栄の日本列島改造論を廻るれんだいこの遣り取り】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
角栄の日本列島改造案の評価を廻り、れんだいこの主宰する「左往来人生学院」掲示板で、「疲労蓄積研究者」との間で次のような遣り取りが為された。これを記録しておく。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
これに対し、れんだいこが次のようなレスをつけた。
これに対し、疲労蓄積研究者氏が次のようなレスをつけた。
これに対し、れんだいこが次のようなレスをつけた。
これに対し、疲労蓄積研究者氏が次のようなレスをつけた。
これに対し、れんだいこが次のようなレスをつけた。
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【れんだいこの「『角栄の日本列島改造論』は史上初の成功裡に進んだ社会主義政策であった」論】 |
れんだいこは、数々の考究を経て「角栄の『日本列島改造論』は、史上初の権力側からする成功裡に進んだ社会主義政策の提起であった」ことに気づいた。今のところこの観点から言を為す者が見当たらないが、追って論議を呼ぶであろう。 かく論を立てないから、日共宮顕ー不破流のヌエ論法が罷り通っている。れんだいこの研究によれば、日共宮顕ー不破系統は党中央を簒奪した当局派であり、角栄の方は逆に元々は左派にして体制内に食い込み実力者として登竜した稀有な人士であった。これはDNA的イデオロギー的にそうであるという意味である。口上言説から見れば、日共宮顕ー不破は左派風である。角栄は体制風である。しかし、すかし彫り手法で見れば逆なものが見えてくる。今のところこの観点から言を為す者が見当たらないが、追って論議を呼ぶであろう。 かく論を立てないから、小泉流構造改革を進歩的とみなしたり、小泉を歴代随一の名宰相とみなすヌエ論法が罷り通っている。れんだいこの研究によれば、小泉は、ネオシオニズムに虜にされたサイコパス質の売国奴である。小泉の靖国神社詣では、その売国奴ぶりを隠すイチジクの葉に過ぎない。小泉家四代はかなり早期からのネオシオニズム被れであり、それは戦前に於いては敵方スパイであったことを示している。4代目小泉純一郎はその低脳ぶりが買われ、ネオシオニズムのエージェントとして反国益事業に専念している。すかし彫り手法で見れば、こう見えてくる。今のところこの観点から言を為す者が見当たらないが、追って論議を呼ぶであろう。 れんだいこのこの見解は、れんだいこが格別のすぐれものと見立てた「日本列島改造案」に対する日共の悪罵、公共事業抑制論、小泉の日本列島改造諸事業解体路線に対する違和感から導き出されている。一体、日共不破と云い小泉と云い連中は何ゆえ「角栄の日本列島改造論」を目の仇にするのか、病的なまでに食いつくのか、ここを問わねばならない。これをすかし彫り手法で見れば、ネオシオニストの狙いが見えてくる。 |
そのことはひとまず措いて、「角栄の日本列島改造論」は史上初の成功裡に進んだ社会主義政策であった」ことについて言及しておく。かってマルクスーエンゲルスの協働は、「共産主義者の宣言」を世に問うた。マルクスーエンゲルスの指針は、世界各国の人民大衆の闘う武器となり、レーニンらの指導するロシア革命に於いて初の社会主義国樹立にまで漕ぎ着けた。しかし、その後の歴史は知られるところであり、その時樹立されたソ連邦は敢えなく解体の憂き目に遭っている。他にもいわゆる社会主義圏が存在するが、中国の例に象徴されるように大きく蛇行している。 そういう事情から、マルクス主義のイズム的価値が大きく減じている。これをどう理解すべきか。れんだいこは、おおかたのポスト・マルクス主義志向とは別の考えを持っている。マルクス主義に限らずあらゆる理論が史的限界があるのは当たり前であるからして、そこは割り引いて理解する。そうやってエッセンスのみを取り出せば、マルクス主義の価値を減じたのは、マルクス主義の限界よりもマルクス主義の曲解に因があるのではなかろうか、と考えている。ソ連邦解体、中国蛇行、北朝鮮の停滞等々は、マルクス主義の理解と適用誤りに因があるのではなかろうか、と考えている。 なぜそう云えるのか。れんだいこは、マルクス主義を正しく適用した時の人民と国家の隆盛史を知っているからである。歴史上稀有な成功例を我が日本の戦後史に見て取るからである。そのハイライトを、非武装中立論で軍事費用の圧縮、国際協調外交による諸国家友好政策、経済通商交易国家としての自律自存、所得倍増政策、日本列島改造論、人民的諸権利保証による社会的ルネサンスの謳歌、官と民の協働による護送船団方式に見て取ることができる。これらの政策が後押しして、戦後日本は1970年までは奇跡の復興と経済的文化的発展を獲得することに成功した。1980年代はその惰力で何とか成長を確保することができた。この史実を知るからである。 戦後日本こそはまさにマルクスーエンゲルスが指針せしめた「共産主義者の宣言」の理想的適用であった。それは、マルクスーエンゲルスが意図した社会システムを機能せしめればかくも人民及び国家が隆盛するという証でもある。それほどに「指針」は重要である。このことに深く思いを致さねばならない。 その「指針」をズタズタに引き裂いてきた歴史が1980年の中曽根政権以来の歴史である。その前にも萌芽は発生していたが、中曽根政権以来急速に病魔を成長させてしまった。小泉政権登場によりこの病魔がモンスター化しつつある。それを改革と囃したてる阿諛追従が流行っている。この時代であるからこそ「角栄の日本列島改造論」の見直しに向うべきだろう。 これについては、今後検証していく。 2005.10.15日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評844 | れんだいこ | 2010/11/01 |
【角栄の文明論、石原の文明論の相似と差異考】 2010.11.1日、面白い記事に出会った。経費節減の折から間もなく購読を止めようとしている産経新聞の1面に、東京都知事・石原慎太郎の「日本よ」、「アジア製の新旅客機」見出しの寄稿文が掲載されている。面白いのでコメントしておく。こうなると止めるのは毎日の方にしようか。最近の記事は全くパッとしない。阿呆ばかりが上にいるから、こうなるのだろう。長らく付き合ってきたが来月で打ち切りにする。 石原論文のキモは、「ものごとに関わる時間の短縮が反比例して多くの利益をもたらしたというのは文明原理の証左」としているところにあるように思われる。実に卓見ではなかろうか。この文明論が気に行ったので採り上げている。 但し、この発想は石原氏のオリジナルではない。既に、田中角栄が日本列島改造論の中で次のように述べている。「人間の一日の行動半径の拡大に比例して国民総生産と国民所得は増大する。地球上の人類の総生産の拡大や所得の拡大は、自らの一日の行動半径に比例する。国民総生産と国民所得の増大は、一次産業人口比率の低下と二、三次産業人口比率の増大及び都市化に比例する」。 石原氏の場合には、この観点から航空機の性能論議に向かっている。飛行機こそ時間短縮の極致であり、その開発競争に後れをとるなと云うが如くの論陣を張っている。田中角栄の論は幅が広い。この観点から人や物資全般の流通速度論に向かうのではなかろうか。同じような発想から、石原は軍事パラノイア化しタカ派にシフトする。角栄は社会基盤整備の必要論へと向かいハト派にシフトする。違いが面白かろう。 石原論文はもう一つ、注目すべきことを書き付けている。アメリカが航空支配権のヘゲモニーを取る為に、日本やインドネシアの航空機産業を抑圧したことに触れている。為に日本は国産化の道を閉ざされ、米国産のパーツメーカーとして隷属するようになった云々。アメリカは最近になって日本の軍用機生産の国産化を認めつつあるが、最先端軍事科学を駆使した「優秀な戦闘機に関しては認めはしまい」としている。れんだいこは、この後の記述にアンテナが作動した。「それらの際に暗躍したのが後に日本でのロッキード事件に深く関与したコーチャン、クラッタ―といった人物だったそうな」。 ちょっと待て。石原は何気なく書いたのか何か意図があるのか分からないが、これは相当に意味深い記述である。コーチャン、クラッタ―と云えば、ロッキード事件の際の角栄起訴に繋がる重要証言者である。その証言は、日本の刑事訴訟法にない免責特権付きで為されたものであった。かの時、コーチャン、クラッタ―は、日本の最高検のお墨付きだけでは不十分としてわざわざ最高裁の不起訴宣明まで求め、何を陳述証言しようと未来永劫お咎めなしの保証を得たうえで、5億円贈収賄の行く先として角栄を臭わす証言をしたとされている。問題は次のことにある。免責特権により真実が証言されたのならまだしも意図的故意に偽証していたとしたらどうなるかである。免責証言の悪用例である。 石原論文の「コーチャン、クラッタ―人物論」は、彼らがが単にロッキード社の重責役職者であったのみならず、かなり政治的に立ち回るイカガワシイ人物であることを間接的に明らかにしている。恐らくCIA絡み、ないしはCIAとも別系の国際金融資本帝国主義の世界支配アジェンダの棒担ぎエージェント要員としての素性を憶測させる。 ロッキード事件は、そういうイカガワシイ人物の証言を決定打としていた。前首相たる田中角栄を死文法化していた外為法違反と云う、しかも別件容疑で逮捕し、あの手この手で容疑を固め起訴し、角栄を死の公判闘争に磔にした。角栄は、「コーチャン、クラッタ―証言」に対し、見たことも会ったこともない人物の証言により落とし込められ、反論も許されないままに証拠採用されている検察のヤラセに猛抗議している。当然であろう。 目下、厚労省官僚不当逮捕事件で「検察ストーリー問題」が浮上し、前田、佐賀、大坪検事が逆逮捕されると云う前代未聞事件が発生しているが、その露骨な嚆矢はロッキード事件に始まっている。丸紅系の大久保、伊藤、桧山、全日空の若狭被告の供述調書は悉く「検察ストーリー」で作成されている。お笑いは伊藤調書である。贈収賄されたと云う5億円が、児玉ルートは先払いなのに対して8ヶ月遅れ払い、しかも4回分割払いにされている。1回目は英国大使館裏の路上で、2回目は伊藤の自宅に近い公衆電話ボックスの近くで、3回目はホテルオークラの駐車場で、4回目は伊藤の自宅でと云う風にワザワザ人目につきやすいところで隠れて札束入り段ボール箱を受け渡したとしている。これを受け取ったのが榎本秘書で、目白の田中邸の奥座敷に運び込んだと云う。目白邸の仕組みを知る者は有り得ないと述べて否定している。 ところが、「検察ストーリー」、「コーチャン、クラッタ―証言」こそ真実として田中角栄の政治訴追、議員辞職弾劾運動を組織したのが与野党一致の反角栄派でありマスコミメディアであった。今もこの「検察ストーリー」に浸っている者が多いが、事件から30余年後、厚生省官僚の村木局長が「検察ストーリー」のダタラメぶりを発見し、無罪放免を勝ち取った。この村木裁判は小沢キード事件のさなかで発生しており、証拠物改竄と云う失態を暴露された前田検事が両事件に被っている。 とすれば、普通なら小沢キード事件のイカガワシサにも関心が向かうべきであろう。ところが、又もや与野党一致、マスコミメディアの小沢政治訴追、議員辞職運動が組織されている。こうなると連中にとって真実なぞどうでも良くて、カネと地位で釣られて「請負お仕事」で口を回しているとしか考えられない。その連中が利権批判に首ったけになり、我こそはキレイ清潔潔癖然としてもの云うのでお笑いを通り過ぎて空いた口がふさがらない。朝日の例の口空き士とれんたいこの口と、どちらが大きく空いているのか比べて見たいのこころふふふ。 2010.11.1日 れんだいこ拝 |
【公害防止、環境基準策について】 | ||||
ここで、「角栄の公害対策施策論」、「原発政策施策」を確認しておく。本格的に論じたいが今はスケッチしておく。「田中角栄元首相執筆の『日本列島改造論』(1972年)における原発問題ー東日本大震災の歴史的位置」を参照する。
日本列島改造論では、公害対策、環境基準策、原発問題についても先進的な言及をしている。これを確認する。次のように述べている。
公害対策の必要を論じ、集塵装置・脱硫装置の開発・利用や冷却水規制など、具体的にあげ、「ここで、まず、第一に考えたいのは、公害の徹底的な除去と安全の確保である」(同上p102)としている。原発推進の立場ながら、放射能問題については、「海外の実例や安全審査委員会の審査結果にもとづいて危険がないことを住民に理解し、なっとくしてもらう努力をしなくてはならない」(p102)として、原発の安全性向上を指摘している。 さらに次のように主張している。
この認識に基づく政策を実際に施策している。 |
(私論.私見)