【議会関係】 自由討議

 (最新見直し2008.4.12日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、角栄の自由討議発言と、無役議員時代の発言、委員長時代の答弁を確認しておく。

 2008.4.12日 れんだいこ拝


【「角栄と自由討議」考】

 新憲法が制定された当初、国会法第78条において「各議院は、国政に携わる議員に自由討議の機会を与えるため、少なくとも2週間に1回その議会を開くことを要する」と定められ、「自由討議」(フリートーキング)が開始された。「GHQ民政局国会課長ウィリアムズの肝いりで始められた」とある。

 1947(昭和22).7.10日、第1回国会(衆議院本会議)で「自由討議」が開かれた。「ほとんどの議員は戸惑うばかりであった。1回目の自由討議は、低級で感情的な野次に終始した」と云われている。

 そういう評価はともかく、この時、角栄は、初当選初登院した衆議院本会議で次のように発言している。田中角栄はこの時、民主党議員として衆議議院本会議場に初デビューし、自由討議のあり方についてこう述べている。これが角栄の国会第一声となった。この時、角栄は28歳の青年代議士である。

 「新国会法によりまして、本会議において、議員相互に自由討議の機会を与えられましたことは、形式主義に流されやすい本会議に、清新なる活を入れたものでありまして、新国会運営上、重大視せねばならないと思うのであります」。
 「自由討議の存在理由は、(中略)尽くされぬ論議、隠されたる意見、少数意見を、遺憾なく発揚するにあるのであります。本会議場において活発なる討議の展開ができますことは、明朗なる政治、すなわちガラス箱の中での民主政治の発達助長に資すること大なりと思うものであります」。
 「質問時間を10分間と規定致しましたるに拘りまして、1分前にベルを鳴らしながら、時間です、時間ですと言いまして、あと2、30秒で尽きる議論を、あたら中途半端に終わらせるようなことをせず(中略)」。
 「明治大帝陛下も、『よきをとり悪しきを捨てよ』と仰せられましたごとく、他議員の発表はこれを聴き、しかして、その賛否は自由なのです。おのれのみ正しいとして、他を入れざるは民主政治家にあらず。それをもし一歩譲れば、戦時下における、あの抑圧議会の再現を見るのであります。米国議会においては、他党所属議員の登壇発言に際しましては、挙党拍手をもって送り、拍手をもって迎えるのであります。名論なりと思いながらも、他党なるのゆえをもちまして、拍手もせず、(先般和田長官に対して)、落第坊主と叫び、保守反動、右翼黙れ、何を、というがごとき応酬は聞きにくく、民主議会の発展の上に遺憾に思うものであります。すべからく、わが民主党の議席のごとく、低級なる野次も飛ばさず、名論出でたるときは全員拍手するの、この状況になっていただきたいと思うのであります」
 「議員は一人というものの、この背後には15万5千人の国民大衆があって、議員一人の発言は、まさに国民大衆の血の叫びなのであります。平野(力三)農相(社会党)のごとく、三人、四人一まとめのご答弁は、一山いくら、十把ひとからげのようで、立法府議員に対する行政府責任者といたしまして、少し懇切丁寧を欠くの感なきを得ないのであります。こんな不親切な政府には協力せぬぞ、ともし言われたならば、どういたしましょう。その意味において、お暑い中ご苦労様ではございますが、一段のご考慮を煩わしたいのであります」。

 この発言により、角栄が如何に議会とその議会の討論を重視し、率先したことが分かろう。

 9.25日、角栄は、衆院本会議「自由討議」の場で、「中小企業振興対策」を演説している。
 「多少早口でしべるが、簡明に話すので拍手を願います。わが国の産業の長い歴史は、中小企業をもって母体として築かれて参ったのであります。(中略)昭和初年に於いて、都市集中の大企業に圧迫され、(中略)加えて今次戦争開始により、軍閥官僚の強度の統制による企業合同となり、あるものはやむなく休業もしくは廃業の運命となり、(中略)中小企業の振興は、沈滞せる国民の生産意欲を向上し、(中略)自由貿易を活発ならしめ、(中略)加えて農村工業の発達により、農山漁村生活の合理化となり、中小工業都市の発達は、大都市人口集中の排除ともなり、わが国再建の意気まさにここに生まるると云うのも、過言にあらざる次第であります」。

 こうして、角栄が自由討議を積極的に活用した履歴を遺している。但し、画期的な意義を持つ「自由討議」はその後「3週間に1回」に改められ、
わずか数回行われただけで、8年後の1955(昭和30)年の国会法第5次改正によって実益のない制度として削除された。こうして、国会における自由討議の芽は、育てられることなく、双葉のうちに摘まれてしまった。

【田中角栄の自由討議発言集】
 田中角栄の国会発言を確認する。第1回目の「第1回国会衆議院本会議第15号(1947/07/10、23期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。「田中角栄の自由討議に於ける発言1」である。
 私は、自由討議がいかにあるべきものか、先日第一回に行われました自由討議がどういうふうであつたかということを、申し上げたいと思うのであります。 新國会法によりまして、本会議において、議員相互に自由討議の機会を與えられましたことは、形式主義に流されやすい本会議に、清新なる活を入れたものでありまして、新國会運営上、重大視せねばならぬと思うのであります。自由討議の存在理由は、國会の運営並びに政党的立場において統制を受け、盡されぬ論議、隠されたる意見、少数意見を、遺憾なく発揚するにあるのであります。從來、國政一般の質問は予算総会においてなされたのでございますが、今般自由討議といたしまして、本会議場において活発なる討議の展開ができますることは、明朗なる政治、すなわちガラス箱の中での民主政治の発達助長に資すること大なりと思うものであります。

 議会における自由討議は、議員個人においてなさるべきものでありまして、所属政党の主議政策の線を逸脱するようなことが、もしありましても、あえてこれをとがむべきものではなく、しかも、これに対する答弁も、個人の自由質問に対してなされる答弁でなければならぬと思うものであります。自由討議は、文字通りフリー・トーキングであり、あくまで自由に行われるべきでありまして、時間的制約のあることも、もちろんではありますが、質問時間を十分間と規定いたしましたるにこだわりまして、一分前にベルを鳴らしながら、時間です、時間ですと言いまして、あと二、三十秒で盡きる議論を、あたら中途半端に終らせるようなことをせず、適宜議長において裁量されたいのであります。

 自由討議は、議員相互において自由になされるものと、政府対立法府議員との間においてなされるものとに、大別されるものと思いますが、この後者の形式をとつた去る七日の第一回討議は、各新聞ともに、あまりほめておりません。それは、議員の質問点も多岐にわたり、各党代表質問の延長の観があつたのであります。そのゆえに、壇上の発言議員の声よりも、各議員席相互間におけるやじの応酬が、華々しかつたのであります。低級なるやじは取締らなければなりません。対立的なる感情のみによりまして、正しい言論の発表が封殺されることは、民主主義発達の一大阻害と存じておるのであります。

 明治大帝陛下も、よきをとり惡しきを捨てよ、と仰せられましたごとく、他議員の発表はよくこれを聽き、しかして、それに対する賛否は自由なのであります。おのれのみを正しいとして、他を容れざるは、民主政治家にあらず、それもし一歩を誤まれば、戰時下におけるあの抑圧議会の再現を見るのであります。米國議会においては、他党所属議員の登壇発言に際しましては、挙党拍手をもつて送り、拍手をもつて迎えるのであります。名論なりと思いながらも、他党なるのゆえをもちまして、拍手もせず、先般和田長官に対して、落第坊主と叫び、保守反動、右翼默れ、何を、というがごとき応酬は、聞きにくく、民主議会の発展の上に、遺憾に思うものであります。すべからく、わが民主党の議席のごとく、低級なるやじも飛ばさず、名論出でたるときは、全員拍手するの、この状況になつていただきたいと思うのであります。

 さて、答弁せる政府大臣諸公も、代表質問のむし返しのゆえか、親切を欠いておると思うのであります。まさに、質問と答弁は二本の平行線のごとき観があつたのであります。大臣というも、全知全能の神樣ではありません。それゆえに、答弁に窮することもありましようが、ごまかしの答弁で逃げたり、全然筋の違つた大演説をやりまして、これでよいか、というような大みえをきるがごときは、まつたく古いと思うのであります。

 自由討議は、個人においてなし、個人議員の発言に対し答えらるべきはずでありまするのに、先般安本長官は、官吏の整理を発表しながら、一万の官吏を抱いておるのはどういうわけかとの、自由党の上林山君からの質問に対して、安定本部は吉田内閣でつくつたので、わしは知らぬというがごとき答弁は、和田長官、連日の衆参両議院における答弁で御疲労されておるとはいいながら、当を得ない御答弁であると言わざるを得ないのであります。

 次に、議員は一人というも、これが背後に十五万五千人の國民大衆があつて、この発言は、まさに國民大衆の血の叫びなのであります。平野農相のごとく、三、四人一まとめの御答弁は、一山いくら、十抱一からげのようで、立法府議員に対する行政府責任者といたしまして、少しく懇切丁寧を欠くの感なきを得ないのであります。こんな不親切な政府には協力せぬぞと、もし言われたならば、どういたしましよう。その意味において、お暑い中御苦労様ではございますが、一段の御考慮を煩わしたいのであります。要するに、前回の不評は、自由討議に対する発言者の不慣れと、政府答弁者側の熱意の欠如にありと、断ぜざるを得ないのであります。

 最後に、今後における自由討議の議題は、政府の当面せる重要緊急問題、たとえば、過日公布されたる飲食店閉鎖のごとき、緊急で、正式に議会にかけるいとまのないようなもの、または議員の自由意志による議題を求めて、適宜議長において採択付議されたいと思うのであります。また自由討議は、議員の選挙演説の余憤でもなく、まして一場の漫談でもありません。自由討議で採択されたものは、これを院議として政府鞭撻の資にされたいのであります。

 なお自由討議は、でき得るだけ、議会に余裕の生じたときに、適宜議長の裁量により行わるべきことが最も適当であり、一昨八日の本会議のごとく、傍聽國民諸君を、暑熱と汗の中に三時間もカン詰にしておきながら、常任委員長並びに常任委員の選挙だけで本会議を閉じてしまうがごときことのないように、そのときこそ、自由討議が活発に展開さるべきものであると思うのであります。爾後の自由討議は、運営上において納得と了解の機会を十分にとらえること、第二に、発言者においては、宣傅演説をして大臣をつり出すの愚を排しまして、熱意と自信をもつこと。かくして、自由討議の運営よろしきを得れば、わが國民主主義の政治は、一段の飛躍をなすこと信ずるものであります。(拍手)

 田中角栄の国会発言を確認する。第2回目の「第1回国会衆議院本会議第36号(1947/09/25、23期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。「田中角栄の自由討議に於ける発言2」である。
 自由党と社会党に比べまして、民主党は十分しかございませんために、多少早口で申し上げますが、簡明に申し上げますから拍手を願います。

 わが國中小企業振興対策について、ニ、三私見を申し述べたいと思います。御承知のごとく、わが国の産業の長い歴史は、中小企業をもつて母体として築かれてまいつたのであります。第一次世界大戰後、世界経済圏に重要なる地位を占める機会を與えられましたころを転機といたしまして、大企業が徐々にわが国産業界の主軸となり、昭和初年において、都市集中の大企業に圧迫され、中小企業は漸時不振と相なり、加えて今次戦争開始により、軍閥官僚の強度の統制による企業合同となり、あるものはやむなく休業もしくは廃業の運命になり、終戰直前においては、中小企業の影をさえ止め得ない状態に立ち至ったのであります。

 中小企業と集中的大企業とを比較いたしますときに、過去の日本の中小企業者がいかに優秀なる成績をあげたかを顧みて、十分その重要性を認識できるのであります。問屋と生産業者、親工場と下請工場というがごとく、資金と技術面に相当なる犠牲を忍んでさえ当時世界市場に送り出され、薄利多売の日本製品として、一部において恐怖さえされた自転車、電球、時計その他ほとんどが、家内工業または手工業ともいうべき分散的小規模企業が最悪條件下において生んだ製品であり、日本中小企業が世界産業界に立てた金字塔であると思うのであります。

 終戦後二箇年、創意と工夫、汗と涙と意欲を基調とした新しい中小企業復興の気運は、日に増し活発と相なってきておるのでありまするが、終戦後のわが国は、衣食住の点におきまして、必然的に都市集中の大企業にはおのずから制限があるのであります。戦後の産業復興は、一にかかつて中小企業の発達に待つの現状を思うとき、中小企業の助長育成こそ焦眉の急なりと思うのであります。政府の中小企業に対する施策は、戦時中祖先伝来ののれんを巻いたこれら業者に対する一片の涙金の交付であつてはならぬのであります。しかも、失業救済的補助金の支出であっては断じてならないと思うのであります。重要基礎産業の国家管理、生活協同組合法、公園法等々、一歩その運用を誤ったならば、わが国中小企業は破滅に瀕するのであります。

 中小企業の振興は、沈滞せる国民の生産意欲を向上し、切瑳琢磨、高度製品の生産は、自由貿易を活溌ならしめ、やがて国際経済圏の一員として復帰する大きな役割をなすのであり、加えて農村工業の発達により、農山漁村生活の合理化となり、中小工業都市の発達は、大都市人口集中の排除ともなり、わが国再建の意氣まさにここに生まるるというのも、過言にあらざる次第であります。

 しかして中小企業の発達助長は、過去におけるまつたく自由な、そうして一面資金・資材面における大量のロスを認める中小企業の再現を意味してはならぬと思うのであります。資金並びに物資需給状況において極度に逼迫せるわが国現状においては、生産の効率性に主眼をおきまして、極限ある資材の高度有効活用が必要であります。中小企業に関して、当然優劣適否の選択が行わるべきだと思うのであります。私的独占禁止、企業集中排除等により、自由公正なる競争経営下において健康なる中小工業の発達を希望し、貿易再開の主役として世界市場の信用をかち得つつ国際経済に伍していくという、平和日本の尖兵としての責任を果すための中小企業の発達育成でなければならぬと思うのであります。(拍手)

 さて、かくのごとき重要なるわが国中小工業界の現状と、政府のこれに対してとりつつある施策はいかがかと申しますると、中小企業においては、資金、資材、技術及び経営の全般において、ほとんどが戦時中における不遇の延長であります。現政府としても、現在までその重要性を認めながらも、中小企業の経済発展の特殊事情の実態把握の困難に突き当り、総合的施策の発表もなし得ず、いたずらに拱手傍観の状態にあるのであります。その例といたしましては、中小企業の指導育成機関の設立、たとえば中央並びに地方の中小企業対策本部のごとく、資金・資材の確保、経営の合理化、技術面の指導、全国的企業の調整、業種・製品の検定等々、緊急になさねばならない幾多の機関の新設も、未だなされておらないのであります。

 しかも、資金・資材の面においては、政府の政策はもつぱら経済安定本部中心の傾斜生産のみに向けられ、ほとんどが大規模産業本位であります。第二・四半期産業資金計画においては、重点産業だけでも数百億円の巨額を計上するも、かんじんの日本産業再建の基盤となる中小企業部門は、わずかに一億五千万円に止まつておる現状であります。これでは、何ほど中小企業が意氣ごんでも、発達しようはずがないと思うのであります。重点主義もよろしいが、かくのごとき予算の組み方では、一部のこれら産業資金がやみ経済促進の根源ともなる可能性があるということを、政府は十分に認識せねばならぬのであります。(拍手)この予算面における殿様格たる資金の一部一割でも、中小企業者のためにもし割いてもらえるとしたならば、最小限度必要といたしましておりますところの十五億円くらいの資金獲得は容易にでき、しかも全国中小企業は活発に回転を開始するのであります。(拍手)

 資金面には特殊な対策が必要である。金融面では商工組合中央金庫がありますが、これはわずかに資本金三千万円であり、しかも債券の発行限度は、十倍の三億円であります。すでに発行限度までは、あと四千万円を残すのみという現状であります。三億円というと、我々貧乏人にとりましては巨大なる額に聞えまするが、和田安定本部長官の言われるマル公65倍といたしますと、ちようど昭和10年度の450万円であります。しかも、やみ値を200倍と押えましても、驚くなかれたった150万円であります。この金額は、現在の内務省、経済安定本部のおられるあの鉄筋コンクリートの庁舎一つをつくるだけの当時の建築資金に該当するのであります。全国中小企業運転の資金としては、雀の涙ほどにもならないのを、はなはだ遺憾とするのであります。

 資金面において、政府は緊急一大対策を立つべきでありますが、中小企業金融難打開の一案として、市街地信用組合、商工協同組合等の貯金を商工組合中央金庫に集中いたしまして、金融配分を円滑にすることも良策だと思うのであります。特に市街地信用組合は、当然企業金融の建前でありますから、商工組合中央金庫と提携すべきでありまして、社会政策的消費金融を行う庶民金庫に所属さるべきではないと思うのであります。なお商工協同組合、市街地信用組合、商工組合中央金庫の拡充強化は緊急の問題であり、なかんずく商工組合中央金庫は、半官半民三千万円の資本金を、五倍ないし十倍に引上げ、これが債券発行高も、資本金の十倍ないし二十倍にせねばならぬと思うのであります。なお、手続煩雜で貸出限度の小さい復興金融公庫の中小事業部も、でき得れば商工組合中央金庫に移管するを妥当と思料されるのであります。中小企業は重点産業に関連性が少いために、融資は常に後回しになるのでありますが、事実かくのごとき偏重主義の強行は、健全なる中小企業の破壊を意味し、社会不安に加え、民生安定の阻害を來すのであります。(拍手)資金配分計画を審議するため、信用委員会をつくり、配分に万全を期せられたいと思います。なおこれが業務は……(副議長(田中萬逸君)の「結論にはいることを望みます」を受けて)

 貯金・貸出のみでなく、債務保証及び損失補償をなすべきであります。経営技術の指導機関については、先日商工大臣の答弁にもある通り、中小企業対策局または廳のごときものを早急に設け、経営・技術・金融等各分野の調整をはかられたいのであります。特に地方商工局の拡充強化、地区別中小企業指導委員会または企業相談所の急設を要求したいと思います。戦後経済の根幹をなす中小企業振興対策のうち、金融関係、特に金融機関拡充につきましては、政府に具体策がありましたならば、商工大臣あるいは大蔵大臣から御答弁を煩わしたいと思うのであります。(拍手)

【角栄の無役議員時代の発言、委員長時代の答弁】
 田中角栄の国会発言を確認する。第3回目の「第3回国会衆議院本会議第20号(1948/11/25、23期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 (松岡駒吉議長の「田中角榮君から、一身上の弁明のために発言を求められております。これを許します。田中角榮君」を受けて)

 池谷信一君の御質問に対して、私から一身上の弁明をさせていただきたいと思います。私は、一昨日突然、飯田町の事務所と牛込の自宅の家宅捜索を受けました。私はただちに高等検察庁に佐藤検事長をたずねて、その事情を伺うつもりでおりましたが、あいにく不在でございまして、野村次席檢事にお会いいたしまして、その間の事情をお聞きしたのであります。私は、突然の家宅捜索でありまして、私としてはまったく意外でありました。それは、私は少くとも家宅捜索を受けるような破廉恥の行為をやつておりません。(拍手)〔「検察庁へ行つて言え」、「総裁の言葉と違う」と呼び、その他発言する者多し〕 しかも、野村次席檢事のお話によりますと、私の経営いたしておりますところの土建会社の九州出張所が、石炭国管の容疑線上にあるいろいろの石炭業者と事業上の関係があるのであります。しかも、当然金銭の授受はあります。その授受された金銭が、出張所を通じ本社に流れ、それが政治資金に流れておるかおらないかということを、会社の帳簿を押収して調査しなければならない、そのために行つたのである、こういうお話を承りました。

 私は、ここで申し上げたいのは、石炭国管運動に反対いたしまして民主党を離党いたしました。しかし私は、石炭国管運動だけに反対して民主党を離党したのではありません。私は三党連立に反対し、しかも公園法に反対し、農業生産調整法に反対して離党したのでありまして、しかも石炭国管法の審議において、特定の業者と金銭の收受の事実は断じてありません。(拍手)のみならず私は、特定の業者と一遍も宴席にはべつたり、飲んだりしてはおりません。これは、当然司直の手において、私は、可及的すみやかに、最も短い時間に、皆様の前に明るくされると思うのであります。

 ただ私は、ここで自分が事件に関係があるとかないとかいうことを申し上げるために、一身上の弁明に立つたのではありません。私は、先ほど池谷君が言われた通り、吉田内閣が綱紀粛正の看板を揚げながら、しかも若い政務次官を人選したことに対して、まことに私が若い人の最も悪い代表であるというようなことを言われたように承りましたので、私は、若いがゆえに、土建業者なるがゆえにそのような侮辱に対して、一言弁明をしたかつたのであります。私の黒白は、当然司直がこれを裁くでありましよう。私は、その意味において、とにかく潔白であることを信じていただきたいと思うのであります。ただ最後に、国会議員の一員といたしまして特に家宅捜索を受けるという状況にまで至りましたことを、皆様におわびいたすのであります。以上をもつて私の弁明にかえます。(拍手)

  田中角栄の国会発言を確認する。第4回目の「第7回国会衆議院本会議第35号(1950/04/08、24期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題と相なりました建築士法案につきまして、建設委員会における審議の経過並びに結果について御報告を申し上げます。まず本法案の趣旨を簡單に御説明申し上げます。建築物の災害等に対する安全性を確保し、質の向上をはかることは、個人の生命財産の保護と、社会公共の福祉の増進に重大なる関係を有するものであります。そのためには、專門の知識、技能を有する技術者がその設計及び工事監理を行うことが必要であります。本法案は、その趣旨にのつとり、建築物の設計及び工事監理をつかさどる技術者の資格を定めて、試験制度により建築士の免許登録をすることにより一定の技術水準を確保するとともに、その業務に対する責任制度を確立しようとするものであります。過去数十年来、建築士法制定の必要性は、職者の唱導して来たところでありまして、欧米においては、つとに建築士制度を法制化しているのであります。

 次に本法案の内容に関し、特徴とする点を二、三点御説明申し上げます。第一に、試験による免許登録制度であります。第二に、建築の設計は建築士に、工事の実施は建築業者にと、おのおの責任の所在を明確にすることによりまして、相互に不正、過失の防止をはかることができる点であります。第三に、経過的措置におきましては、附則において、現在の有資格者に対しては、暫定的に試験を用いず、選考によつて免許を與える道を開いているのであります。

 本法案は、四月五日建設委員会に付託せられ、ただちに提案理由の説明を聽取、同日質疑に入りました。次に質疑応答のおもなる点について二、三申し上げます。第一は、一級建築士及び二級建築士でなければ設計または工事監理のできない建築物の種類と範囲いかんという点であります。これに対しましては、特殊な用途、構造または大規模なる建築物に限り建築士の設計または工事監理を必要とするが、そのうち特に高級大規模なものは一級建築士によることにいたしましたが、その詳細の規定は、目下政府において立案中の建築基準法によることが適当と思うとの答弁であります。

 第二に、建築士と建設業者との責任の区分を明確にしてはいかんという点であります。これに対しては、建設業者の責任は建設業法により、建築士は本法によりその責任の区分が明示せられているとの答弁でありました。

 第三は、受験資格に建築と土木の学歴のみを考慮し、衛生、工学、機械、電気等を除外した理由いかんという点に対しまして、我が国の学校においては、基礎学科である構造力学は、建築においても土木においても共通に修得せられ、また実務経験者においても、この両者は相互に交流する場合が多く、爾余の学科では建築物の質を確保するという学科に対し必ずしも十分でないから、受験資格より除外した旨の答弁があつたのであります。

 次いで討論に入り、共産党を代表し砂間一良君より、本案は設計者と施工者との区分が明確でない、かつ建築士の資格等についても学歴偏重の点が多いからとの理由により反対討論がありました。次に共産党を除いた各党を代表して自由党の瀬戸山三男君より賛成の討論があり、採決の結果、多数をもつて本法案は原案の通り可決いたしたのであります。詳細は速記録によつて御了承願いたいと存じます。以上、簡單ながら御報告を終ります。(拍手)

  田中角栄の国会発言を確認する。第5回目の「第9回国会衆議院本会議第7号(1950/12/02、24期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題となりました、山本利壽君外百七名提出の松江国際文化観光都市建設法案につきまして、建設委員会における審査の経過並びに結果を御報告申し上げます。最初に本法案の提案の理由及び法案の要旨について申し上げます。松江市は日本文化発祥の地として広く知られ、古典的日本美を残存し、その明媚なる風光と、さらにわが国の歴史文化等を理解する上に欠くことのできない多くの文化財を有する都市であります。またラフカデイオ・ハーンの文筆を通じて世界的に著名であり、一名ハーンの町として世界に広く喧伝せられ、国際的観光都市としての名声がほうはいとして高まりつつあるのであります。以上の理由によりまして、松江市を国際文化観光都市として建設いたすことは、世界恒久平和の理想達成に資し、わが国の経済復興に寄與するゆえるであるとして本法案が提出せられたのであります。

 本法案の要旨は、松江国際文化観光都市を建設することを目的とし、これが事業の促進と完成に対しましては、国及び関係諸機関が国有財産の讓與その他により援助いたし、助成すべしとするものであります。しかして、本建設事業は松江市長が執行いたし、計画及び事業に関しましては都市計画法を適用するものであります。なお本法案は憲法第九十五條による特別法であるとしてあるのであります。

 本委員会におきましては、十一月三十日、提案者より提案理由の説明を求め、引続き二回にわたつて質疑を行つたのであります。次に質疑応答のおもなるものについて申し上げます。第一に、本法案は第八国会において成立いたしました京都、奈良の特別法と同種のものであり、これらと同様に文化観光資源及び施設維持のため文化観光保存地区の規定を設けてはいかんという質問に対しましては、文化観光保存地区の規定を設けることは望ましいが、住民投票の際反対運動の理由にされる懸念もあり、都市計画法、建築基準法、市の條例等でその面を補足して行きたいとのことでございました。

 第二に、附則におきまして、この法律は憲法第九十五條の規定により松江市の住民の投票に付するものとすると規定してあるが、これは單に宣言的なものであり、法律が制定せられて初めて効果を発揮する他の條文とは切り離して、別個の法律または決議として提出されるべきじやないかという質問に対しましては、この條文は法律ができる以前の経過を書いたものであり、憲法第九十五條の特別法であるかどうかという問題の余地をなくするために、明確にその旨を示したものであるとのことでありました。

 第三に、かかる種の特別法がすでに十一件成立いたしておるのであるが、これらを行政上いかに取扱うかとの質問に対しましては、建設省当局より、都市計画事業は戰災復興に重点を置き、国際観光都市に対する助成は、法の精神に従い、国家財政のわく内で許す限り努力いたしたいとの答弁でありました。

 最後に付言して申し上げたいことはこの種の特別法で成立したものはすでに十一に及び、今後においてさらに同種の法案が提出せられる傾向にあるのでありまするが、予算的には特別の考慮はできない現状であります。いずれにしろこの種の法案の濫立は、立法上にも行政上にも好ましくなく、むしろ国際観光都市建設に関する一般法を立案し、審議会等を設置いたしまして、十分に現地等調査の上、重要なるものより逐次着手すべきであるということが、本委員会全体の意見でありました。

 かくして、本日質疑を終了し討論に入りましたところ、共産党を代表して砂間一良君より、立案の趣旨には同情するが、国庫財政窮迫の今日、観光施設に努力するのは時期尚早であるとして反対の旨を、自由党を代表して瀬月山三男君、国民民主党を代表して村湘宣親君、社会党を代表して佐々木更三君よりそれぞれ、平和文化国家として進むべきわが国の施策としてきわめて妥当であるとして賛成の旨の討論がありました。次いで採決に入りましたところ、多数をもつて原案通り可決いたした次第であります。以上、簡単に御報告を申し上げます。(拍手)

  田中角栄の国会発言を確認する。第6回目の「第9回国会衆議院本会議第8号(1950/12/04、24期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題となりました、川端佳夫君外百二十名提出の松山国際観光温泉文化都市建設法案並びに原健三郎君外四名提出の芦屋国際文化住宅都市建設法案につきまして、建設委員会における審査の経過並びに結果につき御報告を申し上げます。両法案は、その内容において類似のものでありますので、本委員会におきましては一括して審議を行つた次第であります。最初に松山国際観光温泉文化都市建設法案について申し上げます。本法案の要旨は、松山国際観光温泉文化都市を建設することを目的とし、これが事業の促進と完成に対して、国及び関係諸機関が国有財産の讓與その他により援助し助成すべしとするものであります。しかして、本建設事業は松山市長が執行し、計画及び事業に関しては、都市計画法を適用するものであります。なお本決案は憲法第九十五條による特別法であるとしてあるのであります。

 次に芦屋国際文化住宅都市建設法案について申し上げます。本決案は、芦屋市が国際住宅都市としてすぐれに立地條件を有していることにかんがみて同市を国際文化住宅都市として建設するというものでありまして、その要旨は松山国際観光温泉文化都市建設法案と同様でありますので省略させていただきます。本委員会におきましては、十二月四日、両法案について提案者よりそれぞれ提案理由の説明を求め、引続き質疑を行つたのであります。質疑応答の詳細に関しましては速記録に譲ることといたしまして、主要なる二、三の点について申し上げます。まず両法案共通の質疑について申し上げますと、現在まで十四の特別法が出たが、これら特別法を一つの一般法にまとめる意思がないかという質問に対しましては、建設省当局より、これらの特別法は宣言的、精神的規定であり、国有財産の讓與の規定以外は、実体的効果を伴わないものであるから、一般法にまとめることは困難である旨答弁があつたのであります。

 次に特に芦屋国際文化住宅整市建設法案に対しましては、第一に、市内に特定の外人惠用の租借地のごときものができるおそれはないかという質問があり、これに対しましては、文化的住宅都市の建設に邁進する考えである旨答弁があつたのであります。第二に、住宅都市なる名称よりも、その内容に観光都市と関連する点が多いから、むしろ従来の特別法と同様に、観光文化都市としてはいかんという質問に対しましては、国際観光都市ではあるが、国際文化住宅を主要素としているのでこのような名称を用いた旨の答弁があつたのであります。

 かくて本日質疑を終了し、両法案について一括討論に入りましたところ、共産党を代表いたし池田峯雄君より、特定の外人のための租界をつくることであるとして反対の旨を、自由党を代表し逢澤寛君、国民民主党を代表して村瀬宣親君、日本社会党を代表して前田榮之助君よりそれぞれ養成の旨の討論があつたのであります。次いで両法案につき一括採決いたしましたところ、多数をもつて原案の通り可決いたした次第であります。以上御報告申し上げます。(拍手)

  田中角栄の国会発言を確認する。第7回目の「第10回国会衆議院本会議第27号(1951/03/29、24期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題となりました公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法案につきまして、建設委員会における審議の経過並びにその結果について御報告を申し上げます。まず、本法案を政府が提出するに至りましたおもなる理由を申し上げます。昭和二十五年度は、一昨年シヤウプ氏の勧告の次第もありまして、公共土木施設の災害復旧事業は、合理的なる恒久的負担制度を確立するまでの暫定措置といたしまして、とりあえず全額国庫負担の特例を設け、実施して参つたのであります。その間、地方行政調査委員会議において、シヤウプ勧告を基礎として恒久的制度を調査審議の結果、昨年十月、国会及び政府に対して、これに関する勧告が提出せられたのであります。政府はこの勧告を尊重いたし、地方の財政能力に即して災害のすみやかなる復旧をはかり得る復旧費の、国家財政の実情を勘案しつつ、国と地方との間における負担関係を合理的に調整したのが本法案であります。

 次に本法案の大要について申し上げますと、第一に、災害復旧は施設の原形に復することを原則とし、それが不可能な場合においては、当該施設の従前の効用を発揮するための施設をすることと、かつ原形に復旧することが著しく困難または不適当な場合には、これにかわるべき必要な施設をすること、すなわち、いわゆる超過事業をあわせ行うことができるものといたしたのであります。また一箇所の工事費は、二十五年度の特例通り十五万円以上としております。

  第二に、国庫の負担率は、各地方公共団体の一箇年の災害復旧事業費の総額を当該年度のその団体の普通税の標準税收入見込額と比べて、その二分の一までは三分の二、その二分の一を越え二倍までは四分の三、それ以上は全額をそれぞれ国庫が負担するというスライド方法により、個々の地方公共団体の財政力に適応して算定することとしております。なお昭和二十五年以前の災害、すなわち過年度災害による復旧事業で、主務大臣が決定した国庫負担金の未交付分については、昭和二十五年度の標準税収入を基礎として、各年の災害復旧事業費の総額ごとに負担率を決定し、残事業費の負担をせんとするものであります。

 次に本委員会におけるおもなる質疑応答を申し上げますと、第一に、本法案第二條に規定する原形復旧に関する解釈の問題であります。これについては、原形復旧を原則とするが、次のような場合も原形と考え、これを復旧することも考慮に入れる旨の当局よりの答弁がありました。すなわち一、原形の判定が不可能な場合、すなわち水制の形状、橋梁、護岸等の基礎根入れの深さ等が流失によつて判定ができない場合には、その施設の従前の効用を発揮するまでの施設を原形とみなす。二、原形の判定はできるが、原形のみの復旧ではその効用を発揮し得ないものは、その効用を発揮するまでの施設を原形とみなす。三、文字通りの原形に復旧することが技術的に不可能な場合、すなわち基礎地盤の変化により根入れが変化してしまつたような場合、あるいはのり面崩壊の場合の、のり勾配の緩和等の場合、従前の効用を発揮する施設を原形とみなす等の、きわめて注目すべき答弁がありました。

 第二に、昭和二十六年度成立予算においては、災害復旧費の国庫負担率は三分の二として計上してあるが、本法案は、三分の二から全額の間を、その地方の税収と関連してスライドさせるようにしたため国庫の負担額は増大する結果となるが、その超過分について予算的措置を考えているかとの質問に対しまして、建設大臣は、極力事業量の減少しないように考慮するとともに、財政関係者に大臣として予算的措置をするよう要望しているとの答弁があつたのであります。

 第三は、内地は国庫の負担率は三分の二から逓増しているのに、北海道のみ五分の四から逓増しているのは不都合ではないか。すなわち全国一律であるべきではないかとの質問に対して昭和二十四年以前まで適用されていた府県土木費国庫負担に関する法律においては、内地は三分の二、北海道は五分の四の国庫負担になつておつたので、本法案においても、それぞれ従前の三分の二、五分の四からスライドするとの答弁があつたのであります。

 次いで討論に入り、自由党を代表して淺利三朗君より、災害頻発に対処し、地方の標準税収入額に応じたスライド制を設けた本法案は妥当である、但し、附則第三項における北海道に対する「当分の間」の特別措置は、できるだけすみやかな機会に全国一律の補助ですることができるよう善処してほしいとの希望意見を付し、賛成の討論があつたのであります。国民民主党を代表して村瀬宣親君、日本社会党を代表して佐々木更三君、日本共産党を代表して池田峯雄君、農民協同党を代表して寺崎覺君よりそれぞれ、地方財政の現状にかんがみ、全額国庫負担法撤廃は時期尚早である旨の反対討論がありました。次いで採決の結果、多数をもつて可決されたのであります。以上、簡単に御報告申し上げます。(拍手)

 田中角栄の国会発言を確認する。第8回目の「第13回国会衆議院本会議第39号(1952/05/08、24期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題となりました道路法案及び道路法施行法案につきまして、建設委員会における審査の経過並びに結果を簡單に御報告申し上げます。両法案提案の理由並びにその要旨をまず申し上げますと、現行道路法は大正八年に制定されたまま、現在に至る約三十年間、ほとんど改正らしき改正を加えられることなく、わが国の道路管理の基本法として存続して参つたのでありますが、新憲法下、近代的な法律形態として不適当な幾多の点が明らかになりましたので、今回その全面的改正の要に追られた次第であります。その要点は次の通りであります。すなわち第一には、現行法を改正し、国道を一級国道及び二級国道にわけ、幹線の基準を明確ならしめたこと。

 第二には、国と地方公共団体の責任分野を明らかにするために、現行法の基礎をなしている道路は国の営造物という観念を改め、一級国道及び二級国道は国の営造物、その他の道路は地方公共団体の営造物という観念に改めたこと。

 第三には、前述の考え方に基き、現行法において各地方公共団体の長を道路管理者としているのを改め、一級国道及び二級国道については都道府県知事を管理者とし、都道府県道は都道府県、市町村道については市町村を管理者としたこと。

 第四には、近代交通の要請に応じ、道路の機能を十二分に発揮させるために、道路を占用しようとする者または道路上に車両を運行させる者に対する規定を整備いたしまして、道路とこれらの者との利益の調整についての現行法の不備を改正したことであります。

 第五には、現行法に道路の新設または改築に関する損失補償の制度がなく、一般民衆はもとより、管理者側におきましても不都合を生じて来たため、土地收用法で認める程度の損失補償を行い得る制度を規定したことであります。

 第六には、道路行政の完璧を期するために、新たに建設大臣の諮問機関として道路審議会を設けたこと。

 以上が道路濃案の改正の要点でありますが、道路法案を施行するための経過措置並びに関係法令の一部改正を道路法施行法案として規定いたしたわけであります。両法案は、四月十四日、本委員会に付託せられ、運輸委員会との連合審査一回を含め、前後五回にわたり愼重に審査いたしたのでありますが、その詳細は速記録に譲ることといたします。

 次いで、自由党淺利三朗君より修正意見が提出されました。すなわち、第一に、道路法案第六十二條における特別負担金の規定は、現段階においては時期尚早であり、受益者負掛金の制度と同時に考慮すべき性質のものであるから、第六十一條中「(修繕に関する工事を除く。)」を削り、あわせて第六十二條を削除すること、第二に、道路法案第八十九條における道の特例に関する規定は、北海道の道路に関する特例が資源の開発等のために認められる以上、それと同じ條件を有すると認められた内地の道路についても当然北海道と同様の特例を認めるべきであり、同條第一項の後段として「地勢、気象等の自然的條件が極めて惡く、且つ、資源の開発が充分に行われていない地域内の道路で政令で指定するものについても、同様とする。」を加えること、第三には、道路法案中には、道路の修繕に関する補助としては、第五十六條において、一級国道及び二級国道について認めているのみであるにもかかわらず、道路法施行法案第一條中において、道路の修繕に関する法律を廃止しているが、わが国道路の現況にかんがみ、国道以外の道路の修繕に対しても、当分の間国庫補助を継続せしめる必要があるから、道路法施行法案において、道路の修繕に関する法律の廃止をやめること等の修正案でありました。

 次に、討論を省略し、ただちに修正案について採決の結果、多数をもつて可決し、引続き修正部分を除く原案について採決の結果、多数をもつて可決し、本法案は修正議決すべきものと決した次第であります。以上、簡單に御報告申し上げます。(拍手)

 田中角栄の国会発言を確認する。第9回目の「第15回国会衆議院本会議第21号(1952/12/25、25期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題となりました、田中角榮君外二十五名提出の道路整備費の財源等に関する臨時措置法案につきまして、建設委員会における審査の経過並びに結果を簡単に御報告申し上げます。まず、本法案の提案の理由並びに内容について申し上げます。

 現下わが国における道路の状況は、国鉄、府県道を合せまして延長約十三万五千四百キロに達しておるのであります。このうち、一応改良せられたものは、その約二二彩にすぎないのでありまして、残る八七%、すなわち延長にいたしまして十一万七千四百キロは未改良の状況にあります。しかも、そのうち約一万六千キロの自動車交通不能の区間を含んでおる現状であります。しかるに、戦後日ざましく発達した自動車は、現在ついに戦前最高の約三倍に達し、六十五万台を数えるに至つたのであります。のみならず、これらの車両は大型化し、重量化し、高速度化されているのでありまして、現状のごとき道路状況では、とうていこれに殖えることはでき得ざる状態であります。

 しかるに、わが国道路整備の進捗状況を見まするに、昨今のごとき道路予算をもつてしては、その整備にはなお数十年の年月を要することになりまして、これが緊急整備と、これに要する財源の確保は、現下の急務であります。諸外国の例を見まするに、米国においてはガソリン税を道路の目的税となし、道路は画期的に改善されております。また目的税制度をとらない国でありましても、わが国のごとく、道路費がガソリン税収入を下まわるというような国はちよつと見当らないのであります。わが国におきましても、昭和二十四年度以来、揮発油税法によつてガソリン税を徴収しておりまして、しかもその約九〇%以上は道路関係より徴収せられておるのであります。しかるにもかかわらず、わが国の道路予算は年々ガソリン税の半ばにも達しておらぬのが現況であります。ガソリン税収入を道路の目的税とするか、あるいは少くともガソリン税収入に見合える金額は当然に道路財源に繰入れらるベしとの世論は、道路利用者を初め、国民の声として、ほうはいとして起つて参つたわけであります。従いまして、わが国の道路の現況にかんがみ、緊急にこれを整備すべく、本法案を提案いたした次第であります。

 次に、本法案の内容といたしましては、第一に、道路整備五箇年計画を確立いたし、揮発油税収入額に相当する額をこの道路整備計画の実施に要する資金の財源に充てること。第二には、地方公共団体に対する負担金の割合または補助率につきましては、道路法及び道路の修繕に関する法律の施行に関する政令にかかわらず、政令によつて特別の定めをすることができること等が、そのおもなるものであります。

 本法案は、十二月二十三日、本委員会に付託され、提案者より提案理由の説明を聴取いたし、続いて質疑に入つたのでありますが、その詳細は速記録に譲ることといたします。かくて、質疑を終了し、討論に入りましたところ、自由党を代表し西村英一君、改進党を代表し武部英治君、社会党を代表し前田榮之助君より、それぞれ、道路整備の急はもはや論議の余地なく、前国会において抜本的に道路法を改正し、あわせて道路整備特別措置法の成立公布を見、道路整備ようやく緒につかんとするとき、多年懸案であつた本法の制定を見ることは、日本経済再建に一大拍車をかけるものとし、賛成の意見が述べられ、採決の結果、全会一致をもつて原案通り可決いたした次第であります。以上、簡単に御報告いたします。(拍手)

 田中角栄の国会発言を確認する。第10回目の「第22回国会衆議院本会議第19号(1955/05/26、27期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題となりました自転車競技法等の臨時特例に関する法律の一部を改正する法律案外二件につき、商工委員会における審議の経過並びに結果を概略御報告申し上げます。
 自転車競技法等の実施の実情につき種々検討を加えて参った結果、現行法に基き通商産業大臣の諮問機関として設置されておる競輪運営審議会におきまして、競輪に関する基本問題、すなわち将来における競輪のあり方等のごときことを調査審議できる機能を付与しますとともに、その結論が得られますまでは、自転車振興会連合会等の業務及び会計に関する規定を整備いたしまして、この法律は当分の間存続せしめることとなしたのであります。

 次に、改正の主要点を申し上げます。第一に、自転車振興会連合会等は、この法律によります納入金を財源として、主務大臣が定める計画及び指示に基き関係の業務を行うことになっておるのでありますが、法律の制度として機械工業振興協議会を設けまして、主務大臣はこの協議会に諮問しなければならないものとすることとなし、主務大臣の定める計画を調査審議し、その妥当性を確保することといたしたのであります。第二は、商工組合中央金庫が自転車振興会連合会等から委託された業務に関する会計の運営を誤まりなからしめるため、予算に準じて必ず会計検査院の検査を受けさせることといたしたのであります。以上が本法案の提案理由の趣旨及び改正点であります。

 本改正案は、去る五月十一日当委員会に付託せられ、同日政府委員より提案理由を聴取し、五月十八日質疑に入り、十八、十九、二十日の三日間にわたり政府委員と当委員の閻に質疑応答が行われました。その内容は会議録を御参照願うことといたします。 越えて二十四日、質疑を終了後、社会党田中武夫君外十二名より本法施行を二カ年とする修正案が提出せられました。よって、本法律案並びに修正案につき、討論を省略し、修正案及び修正部分を除く原案に対し採決いたしましたところ、全会一致をもって修正議決いたしたのであります。

 次に、計量法等の一部を改正する法律案について申し上げます。本法律案のおもなる改正点の第一は、計量法を改正して、従来国が全額収納しておりました手数料のうち、地方公共団体が行なっている事業の許可、検定等の手数料を当該地方公共団体の収入とすることであり、第二は、計量法施行法を改正して、本年九月より検定を実施することになっている十一種の計量器について、さらに三カ年間検定等を延期することといたしましたこと等であります。本法律案は、四月二十五日商工委員会に付託されましたので、五月九日政府委員より提案理由を聴取いたしました。本法律案の審議は五月十八日より四回にわたり行われ、五月二十四日には参考人より意見を聴取いたしました。それらの詳細は会議録を御参照願います。五月二十五日、質疑が終了しましたので、直ちに討論を省略して採決いたしましたところ、本法律案は全会一致をもって可決すべきものと議決をいたした次第であります。

 なお、本法律案の議決後、首藤新八君より、計量行政の円滑なる運営を期するために、これに要する経費を全額国庫負担とすべき趣旨の付帯決議案が提出されましたので、本決議案を議題として採決いたしましたところ、全会一致で本法律案の付帯決議と議決いたしました次第であります。

 次に、ニッケル製錬事業助成臨時措置法を廃止する法律案について申し上げます。ニッケル製錬事業助成臨時措置法は、昭和二十六年朝鮮動乱の勃発による世界的ニッケルの不足に対処して、国の強力なる助成によって国内ニッケルの増産をはかる目的のもとに制定されたのであります。本法の施行によって、わが国におけるニッケルの生産は年を追って順調な伸張を示し、今日において同法の目的は完全に達成せられましたので、同法を廃止しようというのが、本法律案の趣旨であります。本法律案は、四月二十五日予備審査のため商工委員会に付託せられたので、五月二十五日政府委員より提案理由を聴取いたしましたが、本法律案の趣旨には別に異論もありませんので、直ちに討論を省略して採決いたしましたところ、全会一致をもって可決すべきものと議決をした次第であります。以上をもって報告を終ります。(拍手)

 田中角栄の国会発言を確認する。第11回目の「第22回国会衆議院本会議第27号(1955/06/11、27期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題と相なりました中小企業金融公庫淡の一部を改正する法律案外二件につき、商工委員会における審議の経過並びに結果を概略御報告申し上げます。まず、中小企業金融公庫法の一部を改正する法律案ついて申し上げます。

 中小企業金融公庫は、中小企業者の行う事業の振興に必要な長期資金を供給するために昭和二十八年八月に設立せられたものでありますが、近来とみに窮迫を告げつつある中小企業の金融難を打開し、その近代化を促進し、積極的にその振興をはかるために、資本金を百七十億円に増資、元利金回収とあわせてその運用資金量を増大確保せんとしたものであります。さらに、日本開発銀行からの承継債権で借入金となっておりました金額のうち、約七十億円を産業投資特別会計から公庫への出資金に振りかえることといたしたのであります。

 以上が本法律案の要旨並びに目的であります。本法律案は、五月六日当委員会に付託せられ、同月九日政府委員より提案理由の説明を聴取し、同じく二十日質疑に入り、六月一日、二日、三日と熱心な質疑応答が政府委員と当委員との間に行われました。その内容は会議録を御参照願うことといたします。

 六月十日質疑を終り、民主党、自由党を代表し内田常雄君より、先日本院を通過いたしました三十年度予算案の修正による政府機関への出資の減額に伴い、公庫資金を百六十億円にするとの趣旨の修正案が提出せられました。引き偉き討論に付し、日本社会党田中武夫君、日本社会党松平忠久君よりそれぞれ反対の意見が開陳せられ、討論を終り、修正部分及び修正部分を除く原案につき採決をいたしましたところ、多数をもって修正議決をいたしました。

 次に商工組合中央金庫法の一部を改正する法律案について申し上げます。最近の金融事情の逼迫にかんがみ、商工組合中央金庫に対し政府より十億円を出資してその機能の強化をはかり、もって中小企業金融の円滑化に資せんとするものでありまして、これにより同金庫に対する政府出資額が、既往の分二百十万円と合して十億二百十万円、優先出資三億七千二百万円、組合出資十三億、合計二十六億七千四百十万円の資本金となるわけであります。従いまして、十億円の新規増資のほかに金融債発行限度を高め、いよいよその資金源は豊富となるわけであります。以上が提案の趣旨であります。

 本法律案は、五月六日当委員会に付託せられ、同月九日政府委員より提案理由の説明を聴取し、同じく二十日、六月一日、二日、三日にわたり政府委員と当委員との間に質疑応答が行われました。その詳細は会議録を御参照願うことといたします。越えて六月十日、各派を代表し、自由党内田常雄君より本法律案につき修正案が提出せられ、その趣旨弁明が行われました。なお、衆議規則第四十七条の規定に基き、本修正の結果剰余金配当の政府減収については、さしあたり本年度予算に影響がないが、昭和三十一年以降において平均約五千万円程度見込まれる旨の文書が提出せられ、これに対し政府より所見の開陳がなされたのであります。引き続き、討論を省略し、修正部分及び修正部分を除く原案について採決をいたしましたところ、全会一致をもって修正議決いたしました。なお、本法律案の議決後、日本社会党八木昇君より、商工組合中央金庫金融債に対する引き受け利子の引き下げ、同金庫への直接貸付と金融債消化に極力協力する措置を講ずべしとの趣旨の付帯決議案が提案されましたので、本決議案を議題として採決いたしましたところ、全会一致で本法律案の付帯決議として議決した次第であります。

 次に、中小企業信用保険法の一部を改正する法律案について申し上げます。最近の財政及び金融情勢のもとにおいて、中小企業の金融は依然として深刻なものがありますので、本制度をよりよく改善し、機能の強化拡充を行い、中小企業金融の緩和に資せんとするのであります。すなわち、第一は、中小企業者の範囲に新たに酒類組合等を加え、保険最終受益者の範囲の拡張をはかったことであります。第二に、融資保険を短期の貸付にも適用し得ることといたしたのであります。第三に、融資保険について、新たに会社更生法の規定による更生手続開始の決定、または商法の規定による会社の整場理開始の命令もしくは特別清算開始の命令があったときにおける貸付金の回収未済を保険事故に加えたことであります。第四に、信用保証協会の保証機能を広げるとともに、同協会を相手とする普通保証保険及び金融機関を相手方とする保証保険について、保険の愼補率を現行の六〇%から七〇%に引き上げたことであります。以上が提案の要旨であります。本法律案は、五月十九日付託せられ、同日政府委員より提案理由の説明を聴取いたしました。本法律案については、その趣旨に異論もなく、大月十日討論を省略し採決いたしましたところ、全会一致をもって可決すべきものと議決をした次第であります。以上をもって報告を終ります。(拍手)

 田中角栄の国会発言を確認する。第12回目の「第22回国会衆議院本会議第30号(1955/06/17、27期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題となりましたアルコール専売法の一部を改正する法律案及び中小企業等協同組合法の一部を改正する法律案の、商工委員会における審議の経過並びに結果を御報告いたします。まず第一に、アルコール専売法の一部を改正する法律案について申し上げます。

 アルコール専売法が実施せられましたのは昭和十二年であります。従いまして、当時制定された現行法の罰則規定は、その後における物価の著しい騰貴のため、現在ではほとんど有名無実となり、アルコール専売に関する違反取締りに多大の支障を生じておるのでありまして、このような状態に対処して、取締りの徹底を期するために罰則関係の諸規定を強化整備しようというのが、本法律案の要旨であります。すなわち、その内容を簡単に申し上げますと、現行法の罰則の最高五千円を最高三年の懲役または三十万円の罰金に改め、場合によっては懲役と罰金を併課し、さらに不定量刑をも課し得ることにしたこと等であります。本法律案は、去る五月三十一日商工委員会に付託されましたので、六月三日政府委員より提案理由を聴取いたしました。本法律案の審議は六月十六日に行われましたが、その詳細は会議録を御参照願います。六月十六日に本法律案に関する質疑も終了しましたので、同日審議を打ち切り、討論を省略して採決いたしましたところ、全会一致をもって本法律案を可決すべきものと議決した次第であります。

 次に、中小企業等協同組合法の一部を改正する法律案につき申し上げます。本改正案は、中小企業等協同組合法の施行の経緯、経験にかんがみ、組合の組織と運営の合理化並びにその健全な発達をはかろうとするものであります。その改正の要点は次の通りであります。第一に、組合の設立について、従来の定款の認証制度を認可制度にいたしました。また、定期的に組合業務の決算関係書類を提出させることといたしまして、行政庁の組合に対する監督権を若干強化し、組合の質的向上、信用の培養に努め、いわゆる睡眠組合等の是正をはかり、適正な指導監督を講じ、行政庁と組合との関係を緊密化いたしますとともに、組合の実態を把握することにねらいを置いたのであります。第二に、役員の選挙方法について、定款の定めるところに従って指名推選の方法もとることができることにいたし、その方法の簡素化をはかり、組合の運営を円滑化ならしめようといたしたのであります。第三は、組合の指導連絡団体として、全国中央会、都道府県中央会を設け、共同経営体としての組合の運営の合理化及び健全化の指導に当らせることとしたのであります。以上が提案の趣旨であります。

 本法律案は、六月三日当委員会に付託せられ、同月六日提案の理由を政府より聴取いたしました。越えて、九日、十六日の二日間にわたり質疑を行なったのであります。十六日質疑を終了し、十七日討論を省略しましたところ、日本社会党田中武夫君外十二名より本案に対し修正案が提出せられ、その提案趣旨の説明がありました。引き続き、修正案につき採決いたしましたところ、少数にて否決されました。次に、原案について採決しましたところ、多数をもって可決すべきものと議決した次第であります。なお、本法律案の議決後、日本社会党佐々木良作君外三十九名より附帯決議案が提出され、その趣旨弁明がなされましたので、本決議案を議題として採決いたしましたところ、全会一致で本法律案の附帯決議として議決しました。以上の内容は会議録を御参照願います。

 田中角栄の国会発言を確認する。第13回目の「第22回国会衆議院本会議第42号(1955/07/15、27期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題となりました輸出入取引法の一部を改正する法律案外二件につきまして、商工委員会における審議の経過並びに結果を概略御報告申し上げます。まず、輸出入取引法の一部を改正する法律案について申し上げます。

 最近のわが国輸出貿易の現状は、輸出商社等においてお互いに無用の競争を行ういわゆる過度競争の結果、必要以上の安値輸出を行う傾向がますます強くなり、一面において、わが国輸出品の声価を失墜させると同時に、相手方の関係業界に不測の損害を与えることともなり、他面、わが国としては得ぺかりし外貨の喪失という二重の国家的損失をこ与むつているわけであります。しかるに、最近、国際貿易の潮流に顧み、わが国の輸出貿易の現象が現在のまま続く限りにおいては、貿易の今後の伸展にきわめて困難の度を加えることは必至でありまして、貿易を中心とするわが国経済自立計画に重大なる支障を与えるものと深く憂慮せられるのであります。従いまして、この際わが国の貿易の健全な発展をはかるのみでなく、国際貿易に大いに寄与するためにも、今日のごときいたずらな無用の競争は極力避け、合理的なお互いの自主的協調によって輸出秩序の確立をはかることは焦眉の急務であるのであります。以上が本法律案の趣旨であります。

 次に、本案の要点を申し上げます。第一に、不公正な輸出取引をした輪島業者に対し、その行為がわが国の輸出業者の国際的信用を著しく害すると認められるときは、通商産業大臣は直ちに貨物の輸出の停止を命じ得ることといたしました。第二に、輸出業者の協定に対する制限を大幅に緩和し、その効果の急速なる実現を期することとしたのであります。第三に、輸出業者の協定の締結が困難であり、その協定をもってしても、なおかつ輸出取引の秩序の確立が困難なる場合には、必要な最小限度におきまして、生産業者または販売業者が輸出すべき貨物の国内取引に関する事項について協定を締結する道を講じました。第四に、特定の地域との輸出入の円滑な調整をはかるため、特に必要があると認められる地域には、その地域との輸出入の調整を主たる目的とする輸出入組合の設立を認めることとしたのであります。第五に、輸出入に関するアウトサイダー規制命令につきましては、規制の範囲を若干拡大することとしたのであります。以上が本法案の骨子であります。

 本法律案は、六月十五日当委員会に付託せられ、翌十六日、政府委員より提案の趣旨説明を聴取したのであります。越えて六月二十二日質疑に入り、二十九日、七月六日、七月十三日と熱心な質疑応答が当委員と政府委員との間に行われたのであります。なお、七月八日には参考人を招致し、本案に対し意見の開陳を求め、六月二十二日には貿易特別委員会との連合審査を行なったのであります。質疑の内容の詳細は会議録を御参照願うことといたします。十三日質疑を終了し、十四日、民主党山手滿男君、社会党を代表し帆足計君より、それぞれ修正案が提案せられました。よって、修正案につき質疑に入り、提案者と委員との質疑が行われたのであります。

 修正案につき質疑終了後、討論に付しましたところ、社会党片島港君より、山手滿男君の提出修正案に反対、その修正部分を除く原案にも反対する。帆足計君提出修正案には賛意を表するとの意見の開陳があり、民主党首藤新八君より、社会党提出修正案に反対、山手滿男君提出修正案に賛成、並びに修正部分を除く原案に賛成の意を表されたのであります。
 引き続き採決いたしましたところ、社会党帆足計君提出修正案は否決せられ、民主党山手滿男君提出修正案並びに修正部分を除く原案は多数をもって可決、よって本法律案は修正議決いたされました。

 なお、本法律案の議決後、民主党小笠公韶君より、本法律案の施行に当っては、公正取引委員会の意見を尊重するとともに、独禁法の精神をそこなわざるようにとの趣旨の附帯決議案が提案されましたので、本決議案を議題として採決いたしましたところ、多数をもって本法律案の附帯決議と議決した次第であります。

 次に、中小企業安定法の一部を改正する法律案について申し上げます。中小企業安定法は昭和二十七年制定せられ、その施行後の経験と最近における日本経済がいわゆる正常化の方向に進むにつれて、中小企業のいわば慢性的不況の状態は放置することを許さなくなってきておりますのみならず、過度の競争の結果、輪出産業の、面においても国家的に多大の損失を見ているような状態でありますので、この法律の適用の要件につき、いわゆる不況要件を緩和するほか、輸出貿易の振興のためにも適用し得るようにして、機宜に応じ、かつ弾力的に運用し得るようにしたのであります。

 その主要な改正点は次の通りであります。第一は、第一条の目的及び第二条の業種指定の要件について、その法律適用の範囲を従来の国内不況の場合に加えて輸出貿易の阻害せられる場合を加え、さらにこれらの場合について適用要件の緩和をはかったのであります。第二は、第二十九条のいわゆるアウトサイダー規制命令につきまして発動要件の緩和をはかりましたことと、第二十九条二項に基く命令の期間に関する規定は、第一項に基く命令と同様の取扱いによることといたしました。第三は、調整組合及び同連合会の事業範囲を拡張しまして、調整活動の強化をはかったのであります。以上が提案の趣旨並びに要点であります。

 本法律案は、民主党小笠公韶君より提出せられ、六月二十一日当委員会に付託になり、六月二十八口品、提出者小笠公韶君より提案の趣旨説明を聴取したのであります。本法案は七月十一日質疑を終了いたしたのでありますが、七月七日には、中小企業に関する小委員会において、本法律案に関し参考人を招き、意見の聴取を行いました。内容については会議録に譲ります。

 引き続き、七月十四日自由党南好雄君より修正案が提出せられ、その提案趣旨を聴取いたし、続いて討論に付し、社会党田中武夫君より賛成意見の開陳が行われました。
 次に、採決に入りましたところ、南好雄君提出修正案並びに修正部分を除く原案は全会一致をもって可決され、よって本法律案は修正議決いたされました。
 なお、本法律案議決後、民主党首藤新八君より附帯決議案が提出せられ、その趣旨弁明が行われました。本決議案を議題として採決いたしましたところ、全会一致をもって本法律案の附帯決議と議決した次第であります。

 次は、繊維製品品質表示法案について申し上げます。化学繊維の増産によりまして、繊維全体の中において化学繊維の占める比重が増加して参っておる実情でありますことと、また新しい合成繊維等が続々と生まれてきていることは、最近の世界の繊維事情の著しい特徴をなしておるのであります。わが国におきまいしても、特に天然繊維に恵まれない事情もあり、最近の世界的傾向と軌を一にして、化学繊維の増産は著しいものがあるのであります。このような実情のもとにおいて、繊維の種類が増加いたしますとともに、各種の繊維の混紡あるいは交織製品が生まれ、繊維製品の種類は複雑となり、その識別がはなはだ困難になってきております。その上、各種の繊維はおのおのの特色を持ち、そのすぐれた特質を生かすことは、繊維製品の消費者にとって最も大切なことでありますが、このためには、消費者が容易に繊維製品の内容を知り得ることが必要であります。以上のように、繊維製品の識別が困難な実情にありますので、繊維製品の内容を適当な方法によって表示することが消費者の利益を保護するゆえんであります。

 次に、本法律案の骨子を申し上げます。第一に、重要な繊維製品について、その品質を示す名前と、その名前の示す繊維製品の内容を明らかにしております。第二に、繊維製品の製造業者、販売業者等が、きめられた名前を使用して繊維製品を表わす場合には、必ずきめられた内容のものでなければならないことにし、正しくない表示をすことを禁止しております。第三に、繊維製品の表示につきましては、業界の自主的な措置のみによっては表示が励行されず、あるいは正しくない表示が横行する等、表示の秩序が混乱して消費者に不測の損害を与えるというような場合には、表示を強制し、あるいは表示者を限定する等の措置を講じたのであります。以上が本法律案の趣旨孟びに要点であります。

 本法律案は、六月三十日当委員会に付託せられ、翌七月一日、政府委員より提案の理由を聴取いたしました。七月十一日質疑に入り、十二日、十三日と三日間にわたり質疑応答があり、十三日質疑は終了いたしました。内容の詳細は会議録に譲りますので、御参照願います。越えて十五日、各党を代表し社会党加藤清二君より修正案が提出せられ、その趣旨説明を聴取し、討論を省略し、修正案及び修正部分を除く原案について採決いたしましたところ、全会一致をもって可決され、よって本法律案は修正議決いたされました。本法律案議決後、自由党江崎真澄君より附帯決議案が提案せられましたので、本決議案を議題として採決いたしましたところ、全会一致をもって本法律案の附帯決議と議決した次第であります。

 田中角栄の国会発言を確認する。第14回目の「第22回国会衆議院本会議第45号(1955/07/22、27期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題となりました石炭鉱業合理化臨時措置法案外二案の、商工委員会における審議の経過並びに結果につき報告いたします。まず、石炭鉱業合理化臨時措置法案につき申し上げます。 一昨年来、わが国石炭鉱業は深刻な不況に悩まされており、しかも、この不況はとどまるところを知らざるありさまであります。元来、わが国の石炭は賦存状況や品質等において諸外国に比し不利な条件にありますが、さらに、戦時、戦後の経済条件を無視した強行出炭等によりまして、炭価は一そうの高騰を招来したのであります。しこうして、このような高炭価は、昭和二十七年末の炭鉱の長期ストライキを契機として、必然的に割安な外油及び外国炭の進出を許す結果となったのであります。従って、わが国の石炭は、これらの輸入エネルギー源と競争するために、企業採算を無視した価格で対抗せざるを得なくなったのであります。加えて、一昨年下期以来のわが国経済界の不景気は、一そう石炭の需要減に拍車をかけ、ために、生産に弾力性のないわが国石炭鉱業の困難はいよいよ深刻となったのであります。石炭鉱業の全面的な崩壊は、すなわち輸入エネルギーの大量進出であり、この傾向は直ちに莫大な外貨の流出を拓き、このことは国民経済の基盤を根本よりゆすぶる結果となることは必至であり、このような状態を打開するために立案されたのが本法案であります。本法案の目的は、一定の計画に基いて縦坑開さく等の合理化工事を実施するとともに、坑口の開設を制限し、非能率炭鉱を整理いたす等の方法により、石炭鉱業の合理化をはかろうとするものであります。

 次に、本法案の要旨を簡単に申し上げますと、第一は、通商産業大臣は、本法案の目的達成のために、石炭鉱業審議会の意見を聞いて合理化基本計画を定めるとともに、毎年合理化基本計画の実施をはかるための実施計画を定あねばならないことであります。第二は、石炭鉱業の合理化のため、その整備に関する業務を行うことを目的とする石炭鉱業整備事業団を設立し、所要の業務を行わせることであります。第三には、石炭鉱業を合理化するために、当分の間坑口の開設を許可制にすることであり、第四は、合理化の効果を炭価に反映せしめるために、通商産業大臣は、標準炭価を決定するとともに、石炭の販売価格がこの標準炭価を著しく越える場合には引き下げの勧告をすることができることとし、さらに、炭価が標準炭価を著しく下り、合理化計画の達成に重大な支障を生するような事態に対しては、通商産業大臣の指示により生産数量及び販売価格の制限に関する共同行為を実施し得るよう、独占禁止法の例外措置を認めること等であります。なお、本法案の有効期間は五年以内であります。

 本法案は、六月四日商工委員会に付託されましたので、六月八日通商産業大臣より提案理由を聴取いたしました。本法案に対する審議は、六月二十三日以来、前後数回にわたり、きわめて熱心に行われました。なお、この間、北海道、九州へ委員を派遣して、審議の万全を期しました。その詳細ね会議録を御参照願います。

 次に、両派社会党案である臨時石炭鉱業安定法案につき申し上げます。本法案は、政府提出の石炭鉱業合理化臨時措置法案では真にわが国石炭鉱業の安定は期待できないのみならず、現在の炭鉱地帯の不安を一掃できないとの考えのもとに立案されたのでありまして、その要旨とするところは、石炭鉱業の合理化をはかり、生産費の引き下げを行うとともに、他面、需要の増大をはかり、生産量の指定等を行い、さらに、近代化の効果がそのまま炭価に反映するよう、政府において販売価格を決定し、石炭販売公団をじて販売を行わしめ、流通部門における無用の混乱を避けようということ等であります。

 本法案は、七月十四日商工委員会に付託せられ、七月十九日、提案者を代表して多賀谷真稔君より提案理由を聴取いたしました。七月二十二日をもって両法案の審議も終りましたので、同日質疑を打ち切り、両法案を一括議題として討論に入りました。日本民主党及び自由党は、内閣提出法案に賛成して、両派社会党提出法案に反対されましたが、日本社、会党は、ともに、内閣提出法案に反対され、両派社会党提出の法案に賛成されました。討論終了後、両法案の採決を行いました。まず、臨時石炭鉱業安定法案を採決いたしましたところ、賛成少数をもって否決されましたが、石炭鉱業合理化臨時措置法案は多数をもって可決すべきものど議決した次第であります。両法案採決後、神田博君外二十六名より石炭鉱業合理化臨時措置法案に関する附帯決議案が提出されましたので、採決いたしましたところ、右附帯決議案は多数をもって採択すべきものと決しました。

 次に、小平久雄君外五名提出にかかる株式会社科学研究所法案につき申し上げます。狭降な国土に八千万を算する膨大な人口を擁し、しかも天然資源に乏しいわが国が、苛烈な国際競争に伍して経済自立を達成するためには、科学技術を振興して、わが国産業の技術的基盤を強化することが必須不可欠の要件であります。わが国産業の技術的基盤を強化するためには研究活動の一そうの推進が必要でありますが、最近の研究は研究分野が著しく専門化していく傾向が顕著でありますので、今後の研究の方向は、これら分化発達した各分野の研究の総合化を必要としている段階にあるのであります。現在、わが国におきまして、かかる総合研究を行う研究機関としては株式会社科学研究所がありますが、同研究所は、わが国唯一の総合研究所として、歴史的伝統と優秀な研究員を擁し、財団法人理化学研究所として創立して以来三十年、わが国科学技術の発展に幾多の貢献をしてきたのでありますが、昭和二十二年財団法人より株式会社に改組され、民間法人たる株式会社科学研究所として再発足したのでありますが、資金的基礎が脆弱なため極度の財政的不振に陥り、このまま放置すれば、ついには閉鎖の悲運に陥る懸念なしとしない状況にあります。

 元来、基礎研究を含む総合研究機関は、最初からコマーシャル・ベースにおいて経営することはきわめて困難で、国家からの援助がぜひとも必要なのであります。これは、旧理化学研究所の改組に当り、衆参両院が、財団法人理化学研究所に関する措置に関する法律(昭和二十二年法律第一三一号)の附帯決議として、同研究所に対し財政並びにその他の援助をなすべきことを決議している事情に照らしても明らかなことであります。 本法律案は、右の趣旨により、科学技術に関する総合研究を急速かつ計画的に行う実施主体として、広く産業界の資金の参加を得て、半官半民の特殊会社として株式会社科学研究所を設立し、所要の助成措置を講ずるとともに、他方では研究所に対し必要な監督を行おうとするものであります。

 本法案は、七月二十一日商工委員会に付託されましだので、同日提案者代表より提案理由を聴取いたしました。本法案に対しましては各党とも別に異論もないようでありましたので、七月二十一百討論を打ち切り採決いたしましたところ、全会一致をもって原案の通り可決すべきものと議決した次第であります。以上をもって報告を終ります。(拍手)

 田中角栄の国会発言を確認する。第15回目の「第22回国会衆議院本会議第48号(1955/07/27、27期)に於ける田中角榮発言」は次の通り。
 ただいま議題となりました重油ボイラーの設置の制限等に関する臨時措置に関する法律案の、商工委員会における審議の経過並びに結果について御報告を申し上げます。わが国のエネルギー資源の賦存状況は、石炭及び水力がその大部分を占めておるのでありますが、ここ数年来、石油需要の急激な増大に伴い、わが国におけるエネルギー構成は著しく変化し、石油、特に重油消費の占める割合が年を迫って大きくなってきたのであります。しかし、このような傾向は、石油の自給度のきわめて小さいわが国におきましては、必然的に国際収支上の負担を増大いたしまするとともに、一方において、国内エネルギー資源、特に石炭その他の燃料資源の合理的使用を促進する上からも考慮を要するものがある結果となっております。

 本法案は、右のごとき現下の燃料事情にかんがみ、さきに政府が立案したエネルギー総合対策の方針に基き、重油の消費分野を明確化し、特にボイラー部門における重油の使用を相当強力に抑制するとともに、他面、農林、水産、運輸等、重油の使用を不可欠とする部門にその供給を確保すること等に関連して相当強力な行政権限を規定したものであります。本法律案は、五月三十一日商工委員会に付託されましたので、六月八日政府委員より提案理由を聴取いたしました。本法律案の審議は、六月二十四日以来数回にわたり、きわめて熱心に行われましたが、その詳細につきましては会議録を御参照願います。七月二十七日、南好雄君外二十六名より本法律案に対する修正案が提出されましたので、同日修正案に対する審議を行いました。七月二十七日をもって本法律案に関する一切の審議が終了いたしましたので)質疑、討論を打ち切り、採決いたしましたところ、本法律案は多数をもって修正すべきものと議決した次第であります。

 なお、南好雄君外二十六名提出にかかる修正案の趣旨は、本法律案の有効期間を五年以内に改めるとともに、原案第四条の規定に基き通商産業大臣が既設の重油ボイラーの改造、重油の使用制限などにつき指示を行う場合には、当該企業の合理化や操業度の維持向上、輸出の振興などに悪影響を与うることのないよう、一定の基準に従って慎重に行うように改めたことであり、また、いわゆる官僚統制を強化するおそれのある原案第六条の規定を、緊急な用途に対する重油の確保のため必要とする行政措置に関する規定に改めたこと等であります。以上をもって報告を終ります。(拍手)





(私論.私見)