【越後交通関係】 角栄の越後交通名経営考

 更新日/2017(平成29).5.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「角栄の越後交通名経営考」をものしておく。

 2011.8.31日 れんだいこ拝


越後交通史
 1915(大正4)年、長岡鉄道開業。新潟県長岡市の来迎寺から寺泊まで39キロの路線を有していた。日本初のディーゼルカー導入などで注目を集めたが赤字経営が続いていた。

 1950(昭和25)年、田中角栄が長岡鉄道の社長に就任。角栄は更に電化に取り組み、国鉄で「電化の神様」と言われた西村栄一、更には運輸省次官を務め、後に総理大臣になった佐藤栄作を顧問に迎えている。

【角栄の越後交通名経営考
 越後交通ホームページの「田中角栄 大先生の功績」を参照(ほぼ転載)しておく。
 1960年(昭和35年)以降、各事業部門を分社化し、現在に至っている。 昭和35年10月19日、合併記念祝賀会(長岡厚生会館)。三社合併後の1960年代は、交通機関にとって試練の時期でありました。『昭和36豪雪』をはじめ、『昭和38豪雪』に襲われ、鉄道もバスも多大な被害を受けました。また、1964年(昭和39年)6月16日には新潟地震が発生し、やはりかなりの被害がでました。しかしながら、それらの困難を乗り越え、1965年(昭和40年)4月16日にワンマンバス運行開始となり、輸送需要に適切に対応し経営基盤が安定してきました。
昭和41年6月1日 社訓及び社標決定
社訓 『和して流れず』
社標 『ほめられる会社、愛される社員』

 昭和61年6月、長岡市蓮潟町に本社移転。昭和62年7月、関越自動車道 越後川口SA開業。1980年代後半になると、乗客の減少が深刻化し、根本的な改善策が必要となってきた。改善策としてコストダウンと子会社を設立し、路線を移管することとしました。 1985年(昭和60年)10月16日に越後北観光バス、1987年(昭和62年)12月4日には南越後観光バスを設立。平成5年4月、高速バスカード発売開始。平成9年9月、長岡市内循環バスの低床福祉バス運行開始(くるりん)。1998年(平成10年)1月29日に越後交通県央観光を設立し、経営改善に取り組んできました。平成13年7月、柏崎市内循環ワンコインバス運行開始(かざぐるま)。 また、不動産事業、事業部の強化や、長岡市内・柏崎市内循環バス運行等、地域社会のニーズに合わせた改善を進めてきました。平成10年3月、賃貸マンショングレイス中島完成。






(私論.私見)