【文部省関係】 大学管理立法「大学臨時措置法」の強行採決

 (最新見直し2008.4.12日)

【「大学運営臨時措置法案」提出され、大学治安立法粉砕闘争始まる】

 1969.6.24日、大学運営臨時措置法案が、衆議院本会議で文相の坂田道太により趣旨説明と質疑が行われた。「@・国・公立大学では、学長が紛争収拾のために、6ヶ月以内の期間を限度として、学部・研究所を閉鎖することができる。A・文部大臣は紛争が9ヶ月以上経過した場合、教育、研究の停止(閉校措置)ができる。B・閉校後3ヶ月を経過しても収拾が困難な場合は、廃校措置をとる。C・臨時大学問題審議会を設ける。D・休校中の職員給与は70%以内とする」などが文案となっていた。

 野党、マスコミはこぞって、「大学攻撃に名を借りた治安立法だ」、「大学の自治を侵す」、「大学紛争をますます困難なものにする」と反対の姿勢を示した。田中幹事長が精力的に動き、公明党・矢野じゅん也書記長、民社党・佐々木良作書記長、社会党・江田三郎書記長らと個別会談するも物別れに終わる。

 6.27日、大学治安立法粉砕闘争。各派1万5000名が国会デモ。
6.28日、新宿西口広場でフォークソング集会。機動隊導入され64名逮捕。6.30日、京大教養部民青同系代議員大会粉砕。3000名結集し、機動隊と民青同を制圧、時計台前で大学治安立法粉砕集会。 7.10 日、大学立法粉砕闘争。早大に8000名結集して国会へデモ。早大で革マル派を除く諸派が早大全共闘結成、全学バリスト突入。7.14日、大学治安立法粉砕闘争。

 7.24日、衆議院文教委員会で大学運営臨時措置法案を自民党が強行採決。
7.25日、入管法粉砕闘争。反戦・学生7000名が集会と国会デモ。


【「大学の運営に関する臨時措置法案」強行採決】

 7.29日、大学運営臨時措置法案を衆議院本会議で可決し、参議院に送った。田中幹事長が園田直国対委員長を説得し、強行採決に踏み切っている。 

 8.2日、参議院文教委員会で大学運営臨時措置法案を強行採決した。翌8.3日午後6時頃、この時、田中幹事長が、重宗議長に「早くベルを鳴らせ、やらなきゃこのオレが許さんぞ」と詰め寄り、次のように怒鳴りつけ、嫌がる重宗議長にベルボタンを押させた、と伝えられている。

 重宗「角さん、あんた、オヤジ(佐藤首相)を無視してやることはないというハラだったのじゃないのか。あんた、オヤジにちゃんと打ち合わせてやっているのか」。
 角栄「何云ってんだ、ジイさん。あんたたちはもう子供が全部でき上がっているから、そんな極楽トンボでいられるんだ。学生を子に持つ日本中の親たちは一体どうするんだ。自分たちの食う物も削って、倅や娘に仕送りしているんだ。ところが、学校はゲバ棒で埋まっている。先生は教壇に立てない。勉強のする気の学生は試験も受けられん。こんなことで卒業できるのか。就職できるのか。みんな真っ青になっているんだ。こんな状態が続けば日本の教育は崩壊する。だから、いいからジイさん、早くベルを鳴らせ。年寄り(当時重宗議長は75歳)だからといって無責任は許さん。やらなきゃ、このオレが許さんぞ」。

 午後8時、重宗議長職権で参議院本会議が開会され、議長の抜き打ち提案で強行採決し、同8時8分、可決、成立した。8.3日現在、新聞報道では全国の大学110校が紛争中だった。

 法案成立の1週間後、8.10日付け毎日新聞が法案に対する角栄の政治信条を掲載している。

 「議会制民主主義は、多数決原理の承認と、少数意見の尊重を二つの柱としているが、社会党ははことイデオロギー問題をみる場合、多数決原理の承認を拒み、少数意見の貫徹に固執する。もし、自民党が、社会党の抵抗に屈し多数決原理の適用にためらえば、政権を担当する我々が国民に公約した政策の実行は困難となり、政治は停滞、国会はただ制度として砂の上でだけ存在するに過ぎなくなる。その結果、国権の最高機関たる立法府に対する国民の信頼感は、著しく低下することが避けられなくなる。議会政治は元々、国会制度だけでなく、国民の直接選挙による政党批判と一体のものとして成立しているものだ。衆院4年間の任期中に、与野党が多数決原理の承認と少数意見尊重を前提とし、多数党の責任で政治を行うのは当然である。その政治が、国民多数にとって現実的な不利益を招いたとすれば、次の総選挙において国民は必ず公正な審判を下し、必要とあれば、政権担当者の交代を求めるであろう。私は、議会制民主主義の生命線がここにあると信じている」。

 8.17日、「大学の運営に関する臨時措置法案」が成立施行された。各大学当局が、積極的に警察力によって事態を収拾しようとする姿勢に転じた。広大に封鎖解除のため機動隊導入。広大全共闘抵抗する(広島闘争)。京大・九大で連帯集会。 





(私論.私見)