ユダヤ問題(近・現代編)その5

 更新日/2023(平成31.5.1栄和/令和5).3.15日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ユダヤ問題(近・現代編)その2」を学ぶ。

 2004.2.12日再編集 れんだいこ拝


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 ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第15話 ― オスマン帝国滅亡前夜」。
 東日本大震災からやがて丸7年を迎えようとしています。この間、残念なことに随分と日本の破壊が進んでしまいました。民族主義を唱え、愛国だ、右翼だ、と名乗る連中の手によって、です。愛国? 国を愛するとは国民を大切にし、国土の美しい自然環境を大切にすることでしょう。しかしそれと全く真逆のことをする連中が自らを愛国者だというのです。また、右翼? そもそも右翼左翼のカテゴリー分け自体が全くナンセンスです。ユダヤ問題のポイントでこれまで見てきたように、スーパー右翼のはずのナチス・ファシズムとスーパー左翼のはずの革命・共産運動は全くの同根です。本質的には同じ中身に違うレッテルを貼っただけのインチキです。
 私たちはありのままに事実を見る必要があります。端的には「巧妙に騙し支配し食い物にする者」と「事実を見ようとせず、騙され食い物にされる多数者」がいる、それだけなのです。
 そして民族主義? これには排他主義が必然的に含まれますが、この民族主義が幅をきかせ出すと国家存亡の危機です。お決まりのパターンなのです。大体、民族主義を唱える連中は本当にその民族の人間なのでしょうか? 安倍ぴょんが現役総理でありながらも、韓国の文鮮明を教祖とする統一教会の機関誌「世界思想」の表紙を度々飾っていること、また、元々の出身地となる山口県熊毛郡田布施村がどういう性質を持つ村か? これらの事実は調べておくべきでしょう。

 さて、大帝国から弱体化させられたオスマン帝国が、最後の矜持でパレスチナの割譲を拒絶します。すると「青年トルコ人」と呼ばれる組織が出現し、革命を起こしスルタンは追放、最後はオスマン帝国が完全滅亡に追いやられます。「青年トルコ人」と呼ばれる謎の組織、彼らもお決まりのパターンで民族主義を唱える連中で、過激な排他主義で民族迫害を敢行し、オスマン帝国を破壊し外国の食い物にさせたのです。
 こういう一見はかっこいいことを唱えるが、実はその中身正体は不明の者が国家のトップに立つのは非常に危険なのです。(seiryuu)
 ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第15話 ― オスマン帝国滅亡前夜
 オスマン帝国スルタンとテオドール・ヘルツルの交渉
 圧倒的な戦闘力の高さを背景に巨大な帝国を築いていたオスマン帝国。しかしこのイスラム大帝国も欧州側の種々の工作もあったのでしょう、17世紀頃から徐々に衰退し、19世紀終わり頃には莫大な借金が膨らむなど「不治の病人」と揶揄される状態になっていました。

 その当時からロスチャイルド家を筆頭とする偽ユダヤが、世界統一政府樹立のために欠かせないとして狙っていたのがパレスチナにおけるユダヤ国家の建設です。しかしその実現にあたり絶対に必要なのが、当然ながらパレスチナを領地として統治していたオスマン帝国のスルタンの了承です。

 そこで当時のスルタンのアブデュル・ハミド2世を説得する任についたのがテオドール・ヘルツルです。ヘルツルとは、彼の呼びかけで1897年に世界シオニスト会議が開催され、一般的には「近代シオニズムの父」とされている人物です。「ユダヤ国家の建設」を夢見た男です。
19世紀末、ヘルツルがオスマン帝国の重臣を仲介とした形ですが、アブデュル・ハミド2世に打診をします。「多額の借款の棒引きと引き替えとしたパレスチナの地の割譲」を、です。
オスマン帝国に対する莫大な借款を有していたのはやはり当然ながらロスチャイルド家です。ヘルツルはロスチャイルド家の代理人として交渉に当たったわけです。

これに対するアブデュル・ハミド2世の返答は次のようなものでした。「パレスチナの地は私の所有するものではない。血を流した人民が手にしたものであり、彼らが所有する。私は自分が所有していないものをどうして売ることできようか。そしてもしそのようなユダヤ国家ができるとしたならば、それは我々の死体の上に建てられるだろう。我々は生きている体をナイフで割譲することを許さない。」。売国を拒む印象深い返答です。

その後もヘルツルは交渉に当たり、最終的には1901年に謁見を許され、ヘルツルはアブデュル・ハミド2世と直接交渉の機会を得ます。出合ったヘルツルとアブデュル・ハミド2世は互いに好印象を持ったようでした。しかしパレスチナの地の割譲は最初から答えが出ていたとおりでした。パレスチナでのユダヤ国家建設が暗礁に打ち上げられたヘルツルは焦燥にかられます。「ユダヤ国家の建設」を夢見る彼は、世界シオニスト会議でパレスチナ以外の地でのユダヤ国家建設案を出します。ユダヤ国家建設そのものが目的ならばパレスチナ以外でも良いはずなので、彼にすれば当然の提案です。

しかしこれは当然ロスチャイルド家には最初からの目的が異なっているため、シオニストたちから総スカンでした。ヘルツルは疎まれ失意の内に死去します。世界支配を狙うロスチャイルド家など偽ユダヤたちにとって、ユダヤ国家建設はパレスチナ以外認められるはずがなかったのです。

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青年トルコ人革命
一方ヘルツルとの会見でパレスチナ割譲を拒絶したアブデュル・ハミド2世、彼も会見から8年後の1909年にスルタンの座を追われたうえに、何とサロニカ(現在のギリシアのテッサロニキ)にて長期間幽閉生活を送らされることになります。アブデュル・ハミド2世がこのような悲惨な立場に追いやられたのは、その前年の1908年に発生したスルタン専制反対運動の革命、俗に言う「青年トルコ人革命」によってです。
「青年トルコ人運動」とはスルタンの専制に反対し停止された憲法復活を叫ぶ「統一と進歩委員会」を中心とする政治運動です。「統一と進歩委員会」は軍人中心の秘密結社であり、その本拠地はサロニカにあったのです。

1908年に陸軍軍人のエンヴェル=パシャが中心となって革命軍蜂起、この蜂起には後のオスマンの英雄にしてトルコ共和国建国の父であるムスタファ・ケマルも一味として参加していました。彼らは革命を成功させアブデュル・ハミド2世を追放し、オスマン帝国の軍部を掌握し、それを中心にオスマンの実権を握っていきます。またトルコ民族主義を唱える彼らは、過激な排他主義を敢行します。

一方スルタンの座はアブデュル・ハミド2世の弟メフメト5世がつきますが、お飾りで実権はありませんでした。1913年に青年トルコ人政権がオスマン帝国を完全掌握。青年トルコ内の政争に勝ち残った前述のエンヴェル・パシャが陸軍大臣、タラート・パシャが大宰相、そしてジェマル・パシャが海軍大臣として政権運営。1918年まで三頭政治を行います。

彼らはドイツ帝国と同盟を組み第1次世界大戦に突入。しかしトルコ以外の民族迫害を行った結果、反発したアラブ人の蜂起などを受けて敗退します。結果オスマン帝国は完全滅亡へ。サンレモ会議で決められた過酷なセーヴル条約にてオスマン領土は分割解体されます。米国の乗っ取りが果たされた1913年に、オスマン・イスラム帝国もまた実質的には完全に甦生不能の「死に体」になってしまっていたのです。1920年のセーヴル条約にてオスマン帝国はアブデュル・ハミド2世の言葉に従うなら「死体とされ、ナイフで切り刻まれ」ることになったのです。その旧オスマン領の上に偽ユダヤたちの思惑に基づいた人工国家が次々に建てられる事になります。
青年トルコ人の背後にある影
オスマン帝国を滅亡解体に至らせた「青年トルコ人」と呼ばれる組織、彼らは一体何者であったのか? 童子丸開氏がヒントになる興味深い情報を提供されています。それによると、レオン・トロツキーらとともにロシア革命を推進した中心的な人物の一人であるアレクサンダー・パルヴスが、「青年トルコ人革命」の期間に5年間イスタンブールに滞在し「青年トルコ運動」のパトロンだった、とのこと。そして更に次のように記述されています。

「イスタンブールにもう一人の奇妙なユダヤ人の姿を認めることができる。ウラジミール・ジャボチンスキー。・・・ジャボチンスキーは「青年トルコ革命」直後にイスタンブールに到着し、すぐに新聞「青年トルコ」の編集長となった。」と。

あの狭義のシオニズム、即ちパレスチナのシオニスト国家建設運動の実質的な父であり、「鉄の壁」理論のジャボチンスキーが「青年トルコ運動」に参画していたのです。つまりこのオスマン帝国を変質させ、滅亡に至らせた「青年トルコ運動」とロシアの革命共産運動、そしてパレスチナのシオニスト国家建設運動が連動していたことが明瞭に見て取れます。

更に童子丸氏は、ジャボチンスキーが編集長を勤めた青年トルコの機関誌について指摘されています。

「リンドン・ラルーシュとその運動の歴史家によれば、この新聞は当時のトルコ政府の閣僚にいた人物によって所有されていたが、立ち上げたのはロシアのシオニスト団体、そしてブナイ・ブリスによって運営され、その編集はシオニストでオランダ王家の銀行家であるジャコブ・カーンによって監督されていたという。」

どうやら革命前からオスマン帝国の閣僚の中に「青年トルコ運動」に組する「裏切り者」が存在していたようです。そしてロシアのシオニスト団体が立ち上げたのもそうですが、何よりも青年トルコの機関誌がブナイ・ブリスによって運営されていたのは注目に値します。

ブナイ・ブリスとは実質ジェイコブ・シフによって創設されたADLの上部機関です。つまり米国での全てのユダヤ機関、シオニスト団体の総元締めです。そしてブナイ・ブリスの執行機関であるADL、その創設者のジェイコブ・シフは、改革派ユダヤ教のラビ即ち悪魔教フランキズムの聖職者の息子です。シフの親世代の家族はフランクフルトのゲットーで、初代ロスチャイルド家当主マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと一軒の家に同居していた間柄です。

もうお解りでしょう。これらが青年トルコ人組織のバックにいた存在です。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第16話 ― オスマン帝国滅亡!引き起こされた惨劇

 2016年6月3日に世界の各メディアで「ドイツ連邦議会がアルメニア人の大量虐殺を認定」を見出しとするニュースが飛び交いました。ハフポストでは「ドイツ連邦議会は6月2日、1915年に起きたオスマン帝国によるアルメニア人の大量殺人を大虐殺と認定する決議を行った。決議を受けて、トルコは6月2日に同国の在ドイツ大使を召還した。この決議では、第一次世界大戦中にオスマン帝国と同盟関係にあり、当時150万人いたとみられるアルメニア人の大量虐殺を防止できなかったドイツも非難されている。」との切り出しで報じています。
 1908年の青年トルコ人革命でオスマン・イスラム帝国は全く変質しました。変質したオスマン帝国の青年トルコ政権下で民族迫害の極めつけであるアルメニア人大虐殺は敢行されたのです。オスマン帝国が滅亡しトルコ共和国が建国される過程で引き起こされた惨劇です。イスラエル建国の絶対前提となったのが、オスマン帝国滅亡と解体そしてトルコ共和国設立です。この過程の主たる事実を今回は追います
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第16話 ― オスマン帝国滅亡!引き起こされた惨劇

惨劇アルメニア人大虐殺



ハフポストは「「アルメニア人の迫害」とは」(閲覧注意:遺体写真が掲載されています)として次のように説明しています。
アルメニア人の大量迫害は20世紀初め、オスマン帝国が崩壊し、現在のトルコ共和国が成立する時期に起きた。第1次世界大戦中の1915年4月、オスマン帝国の首都だったイスタンブールで、アルメニア人の知識人らが連行された。これを皮切りに「アルメニア人は敵国ロシアに内通している」として、オスマン帝国が強制移住などの措置をとり、大量の犠牲者が相次いだとされる。アルメニア人はキリスト教徒で、当時オスマン帝国内に多数居住していた。アルメニア側は「犠牲者は約150万人」と主張しているが、トルコ側は「30万~50万人程度」で、戦時下の悲劇だとして組織的な虐殺はなかったと主張している。

当時キリスト教徒アルメニア人は、オスマン帝国内では隣国ロシアとの戦闘地域となったアナトリア東部に多く居住していました。近くには世界最古の大油田バクー油田があります。複数の情報から1915年から1916年にかけてオスマン軍はアルメニア人から水や食料等を取り上げ、着の身着のままでシリアの砂漠の町デリゾールへの死の行進を強制したとされます。赤ん坊から妊婦や老人まで老若男女を問わず、アルメニア人という理由だけで死の行進を強制された陰惨な凶行です。犠牲者と生き残った家族の証言もありますが、レイプとリンチは当然ながら日常だったでしょう。

エンヴェル・パシャ [Public Domain]


タラート・パシャ [Public Domain]


このアルメニア人大虐殺はエンヴェル・パシャが提案しタラート・パシャが指令した模様です。犠牲者の数はアルメニア側とトルコ側で大きく差がありますが、徒歩で寒冷地の乾燥した山地を越えてシリアの砂漠へと向かうのです。飢餓と寒さで多数のアルメニア人が命を落としたことは間違いなく、トルコ共和国もそれは否定していません。この常軌を逸した国家を挙げた凶行がなぜ実行されたのか?「敵国ロシアと内通していた」という理由では説明がつきません。何しろ犠牲者はアルメニア側の主張では150万人、トルコ側の主張でさえも30万~50万人です。この大集団をオスマン軍が監視しながら移動させているのです。当時戦争中です。それにも関わらず貴重な軍の兵力を割いての凶行です。余りにも常軌を逸しているので常識的物理的な説明がつかないのです。

この狂気の陰惨な凶行はオカルト的な意味があったのでは?と考えてしまいます。また、やや常識的な説として「バクー油田の権益を守るため」があります。この説に触れる余裕はありませんが、理由としてこれはあるかもしれません。ともあれ青年トルコ政権とは狂気に満ちた政権であり、このような政権では戦争に敗退していくのも当然のことであったように思えます。

(続きはこちらから)

英雄ムスタファ・ケマル



異様な状況下で敗退していくオスマン軍。その中で一人気を吐いた人物がいます。青年トルコ組織の一員であるムスタファ・ケマル(1881~1938)です。「ガリポリの戦い」と呼ばれる戦闘、オスマンの首都イスタンブール占領を目指し、ガリポリ半島への上陸を計画し進軍してきた英国、フランス、オーストラリアなどの連合軍、この連合軍をオスマン軍は徹底抗戦で撃退します。オスマン軍を指揮したのが当時のムスタファ・ケマル大佐です。指揮官としてこの戦闘で勝利したケマルは一躍オスマン軍の英雄となります。

しかしその一方、オスマン軍は1918年にオスマン最大の軍事基地シリアのダマスカスを落とされオスマン帝国は敗戦降伏に至ります。最後まで降伏に抵抗したのがケマルの軍隊でした。終戦後の1920年サンレモ会議が開かれます。オスマン帝国の戦後処理の会議です。会議はオスマン帝国には過酷な内容となるのですが、サイクス・ピコ協定に基づく領地分割に加え、非常に重要な議題がありました。バルフォア宣言に基づくパレスチナのユダヤ国家建設についてです。この会議には実は連合国側として日本も参加していました。そして日本はユダヤ国家建設に対する賛成の票を投じています。このサンレモ会議でイスラエル建国の道が開いたのです。従ってそれには賛成した日本の責任もあるのです。

サンレモ会議に沿ってセーヴル条約が締結されます。スルタンの地位保全がその条件となっていましたが、これはオスマン帝国には事実上の国家解体、主権の喪失を含む屈辱的な不平等条約でした。オスマン帝国はイスタンブールとアンカラ周辺のみを残しそれ以外の領地を割譲することになります。また拡大された治外法権に加え国家財政は英国、フランス、イタリアの監視下に置かれることになったのです。これはトルコの民にとってはとても容認することのできない条約内容でした。このような事態にアンカラで英雄ムスタファ・ケマルが立ち上がります。ここにセーヴル条約の批准に反対を叫ぶ国民が終結しアンカラ政府が設立されます。折しも元オスマン領であったギリシアがギリシア人の多く住む海洋都市イズミル(スミルナ)併合を目差しオスマン領に侵攻していました。これに対しスルタン政府はなすすべもなく沿岸各都市が落とされる状態となっていました。

トルコ共和国の設立



アンカラ政府のケマルを総司令官として、トルコ人にとっての祖国の領地防衛と国家独立のための戦争、ギリシア=トルコ戦争が1919年から始まっていました。オスマンは敗戦国であってギリシア軍に兵力で著しく劣っていたため、ケマルは当初ゲリラ作戦を展開していました。しかし残っていたケマルの軍隊はオスマン軍の中でも最精鋭部隊でもありました。そこに国民軍がまとまり、ギリシア軍に対してやがて反転攻勢に転じます。1922年9月トルコ国民軍はイズミルを奪還しギリシア軍を撃退させるに至りました(この時3万人ものギリシア人の住民がトルコ軍によって惨殺されたとのこと。)。同年11月トルコ大国民議会はスルタン制度廃止を決定し、最後のスルタンとなったメフメト6世はマルタ島へ亡命。ここにかつてのイスラム大帝国だったオスマン帝国は正式に完全滅亡となりました。


1923年7月ケマルは屈辱的なセーヴル条約を破棄し、新たな講和条約ローザンヌ条約を締結させます。これにてアナトリアの領土を回復し、トルコの独立と主権回復を認めさせました。現在のトルコの地図です。同年10月アンカラでトルコ共和国樹立が宣言され、初代大統領にムスタファ・ケマルが選出されます。ケマルにはアタチュルク(トルコの父)との称号が贈られました。ケマルはイスラムとの政教分離を進め、トルコを世俗国家としていきます。オスマン帝国と新生トルコ共和国はトルコ人主体の国家という点は同様ですが、中身は全く別物の国家となっているのです。

トルコ共和国設立の経緯において特筆すべきはローザンヌ条約です。セーヴル条約を破棄し領土や主権の回復も驚きではあるのですが、それ以上の驚愕の内容が含まれていました。何と!この条約でオスマン帝国の戦争賠償金が棒引き、実質として賠償金無し!!とされているのです。あの強欲の塊である銀行家が何の引き替えや条件も無しに借金を0にするという異常事態が起きていたのです。およそ考えられません。ドイツ帝国の賠償金は確かモルガン商会に支払われ、この莫大な賠償金が原因でドイツはハイパーインフレに陥り、リュック一杯に背負ったマルク札でもパン一個が買えなかったとの話さえもあるのです。国家に借金をさせ、それを国民に支払いさせるのが銀行家の業務です。そのために戦争を引き起こすのです。オスマン帝国が滅亡しようとも、その領地と住人を引き継いだトルコ共和国とその国民にオスマン帝国の借金を背負わせるのは銀行家にとって「当たり前」と言うより「義務」、いや「掟」です。しかしあえて掟破りの特例を施した。これは銀行家ロスチャイルド家にとってオスマンの滅亡解体とトルコ共和国の設立が絶対必要だったこと、そしてケマルが特殊な人物であったことを示しているでしょう。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第17話 ― サバタイ・ツヴィの遺伝子

 本文冒頭の動画、7分程度なので是非ご視聴下さい。時間が無い方は最初の5分過ぎまででも結構です。この動画は歴史家クリストファー・ジョン・ビャークネス氏の「アルメニア人大虐殺」を主題とするインタビュー記事で、その6分割した最初部分です。
 ここには短い動画であるにも関わらず、極めて重要、そして驚愕の情報が語られています。語られている内容が真実であることはビャークネス氏の持つ資料もありますが、それよりビャークネス氏の物腰態度から見ても明瞭だと感じます。落ち着いた静かな口調の中にも確固たる揺るぎない自信そして確信が伝わってきます。語る内容があやふやであったり、ましてや虚偽を語るとき、あのような態度にはならないものです。 ビャークネス氏はこの動画で、「アルメニア人大虐殺」はロンドンタイムズ紙特派員のレポートから、1911年時点から既に始まっており、しかもその実行者がトルコ人では無かったこと、また「青年トルコ人革命」もトルコ人による革命では無かった事実が、オスマン帝国の英国大使館から英国外務省に伝えられていたことを指摘し、その犯人は誰かを明かしています。
 そしてもう一点。これこそが驚愕の情報となるのですが、世界史の意味においても極めて重要といえる人物、その人物の出自が明かされています。

追記: 貴重な動画の削除、残念でした。ビャークネス氏の分割された動画全てが削除されています。シャンティー・フーラでの公開するやいなやの早さでした。
 ただ、予想もしていました。この動画を発見した当初から、私は動画の削除を懸念していたのです。それだけ支配層には知られては大変まずい、そして私たちにとっては重要で貴重な内容だった、ということでしょう。そして慌てて削除したことから、動画の内容の信憑性が高まったように思います。
 即ちオスマン帝国を破壊し、アルメニア人大虐殺を敢行したのが、イスラムの仮面を被った正統ユダヤ教を捨てた血統ユダヤ人集団、ドンメーであることは当然として、英雄にしてトルコの父であるムスタファ・ケマル・アタチュルクがサバタイの子孫であることを、です。
 幸い動画の文字起こしを一言一句まで正確に編集者さんがされておられますので、是非ご一読を。

編集より再追記: 13:45現在、再生可能にしております。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第17話 ― サバタイ・ツヴィの遺伝子

隠れユダヤ人がパレスチナを奪うためにオスマン帝国を打倒した?1/6 Crypto Jews, Donmeh
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ドンメ-、クリプト・ユダヤ人の本拠サロニカ



ご視聴頂いたとおり、分割されたこの動画の第1のポイントは、続きの動画の中で詳しく語られていますが、「青年トルコ人」組織の正体はユダヤ人というかドンメーだったということです。ドンメーとは外伝1で紹介したサバタイ・ツヴィ直系の弟子団であり、その中で最凶最大の偽装イスラム改宗団です。スファラディつまり有色の血統ユダヤ人集団です。彼らの本拠がサロニカにあり、そこに追放されたスルタンのアブデュル・ハミド2世は幽閉されたのです。

サロニカについて少し説明が必要でしょう。血統ユダヤ人がなぜスファラディック・ユダヤ、つまりスペインのユダヤ人と呼ばれるようになったのか? 祖国を失った血統ユダヤ人の多くがスペインに流れてきたのです。スペインの地はイスラムが統治しており、最高宗教指導者カリフがいました。イスラムは特にユダヤ教徒キリスト教徒に寛容だったのです。

イスラムが統治したスペインは、その頃文化水準で欧州トップでした。しかしやがてキリスト教勢力がスペインを奪還し、スペインで15世紀末から宗教審判が開始されます。ユダヤ人の大受難です。そこでユダヤ人たちは難を逃れるため、イスラムのオスマン帝国内各地に逃れてきていたのです。オスマン帝国の中でも最もユダヤ人が多く住居する都市がサロニカでした。ユダヤ人街となっていたのです。隠れユダヤ、秘密のユダヤとも呼ばれるドンメーの本拠もここサロニカにあったのです。

ドンメ-はクリプト・ユダヤ人とも呼ばれます。これは意味としてピッタリです。クリプトとは地下聖堂との意味があり、ここから聖堂の地下に潜り込んだユダヤ人を表します。人目につかない聖堂の地下で何が行われるか? 乱交、飲血、儀式殺人などの悪魔儀式と相場は決まっています。アブデュル・ハミド2世がヘルツルとの交渉を蹴ってパレスチナの割譲を拒絶して以来、このサロニカでドンメー集団によってオスマン帝国の破壊計画が本格的に練られていきます。そして遂に1908年にドンメー集団によって「青年トルコ人革命」が引き起こされ、引き続き彼らの手によって1911年から始まった「アルメニア人大虐殺」は1915年に本格化し、陰惨な大惨事となります。

青年トルコ、つまりドンメーの機関誌がフランキズムの総本山ブナイ・ブリスによって運営されていることなどから明らかなように、サバタイ直系の偽装イスラム改宗団ドンメーと偽装ユダヤ教・キリスト教のフランキストは既に一体です。文字通りのサバタイ-フランキストです。従って青年トルコの革命はサバタイ-フランキスト革命です。「アルメニア人大虐殺」の犯人ももちろんドンメーでありサバタイ-フランキストです。

この構図はその後ロシアで展開された破壊劇と全く同様です。1917年引き起こされた11月革命とそれに続き1933年に起こされたホロドモールの惨劇です。オスマンのドンメーがプロトタイプになっているともいえそうです。全てサバタイ-フランキストによって起こされたものです。サバタイ-フランキストの手による破壊工作は米国、ロシア、オスマン帝国で同時進行にて進められていたわけです。

(続きはこちらから)

サバタイの子孫



この動画の最大のポイントにして驚愕の情報、それはムスタファ・ケマルがドンメーの一員であっただけではなく、なんとあのサバタイ・ツヴィの直系子孫だった!!という情報です。

あのオスマン帝国の英雄にしてギリシア=トルコ戦争で侵略してきたギリシアを撃退し、トルコ共和国を設立させた建国の父、現在でもトルコ人たちから大いに崇拝され、中東の地図を書き換えた男ムスタファ・ケマル・アタチュルク。その人物がサバタイ・ツヴィの直系子孫だというのです。事実であるならこれは驚天動地といっても過言ではないでしょう。

サロニカ生まれのムスタファ・ケマルがドンメーであることは、いくつもの情報源から報告されてはいます。その上に、ビャークネス氏はジューウィッシュ・フォワード紙の特派員が、ケマル本人がサバタイの子孫だと言明したとの情報を明かし、ケマルが確かにその血統を受け継いでいるとしています。

この動画以外でケマルがサバタイの子孫であるとの情報を私は見つけていません。その意味で、この動画だけではケマルがサバタイの子孫だと判定するには情報としては弱いです。しかしビャークネス氏があやふやなこと、ましてや虚偽を語っているとはとても思えません。そしてムスタファ・ケマルが大変特殊な人間であったことは確かです。

ケマルはトルコ民族にとって屈辱的な不平等条約セーヴル条約を破棄し、新たなローザンヌ条約を締結させています。前回見たようにこのローザンヌ条約では、オスマン帝国の賠償金が棒引きされて実質0となっているのです。新設されるトルコ共和国の父ムスタファ・ケマルに対するこのありえない優遇、これは通常であれば全く異様で考えられない事態です。借金の取り消しなど銀行家にとっては自殺行為で掟破りの敢行だからです。

しかしロスチャイルド家があえてこの掟破りを敢行した意味、その理由が、ケマルがサバタイの直系子孫であったのならば頷けもします。ロスチャイルド家にしても血統を重んじます。何しろパレスチナのユダヤ国家建設運動の源流は、メシアとしてパレスチナにユダヤ国家の復元を宣言したサバタイなのです。そしてそれに必要なのがオスマンの破壊とトルコ共和国の設立であり、これに欠かせない人物がムスタファ・ケマルだったのです。事実としてケマルの元にトルコは国家としてまとまり、ケマルの遺伝子は現在もトルコに強く働いています。


予言の成就


仮にムスタファ・ケマルがサバタイの子孫で無かったとしても、トルコ共和国は、ドンメーつまりサバタイ-フランキストによって建設された国家である事実に変化はありません。

ここに戦慄の事実が浮かび上がっています。サバタイのイスラムへの改宗、この裏切りを、預言者ナタンは信者に「強大な悪魔を撃ち倒すために、メシアが犠牲となって悪魔の懐深くに飛びこんだのだ。」とし、サバタイは敵側への「成りすまし」と内部からの「乗っ取り」を説いたのです。気づいてみると恐るべき事に、このナタンとサバタイの予言が成就していたのです。サバタイの遺伝子がそれを成就させていたのです。

ケマルがサバタイの子孫ならばなおさらですが、ドンメーもいわばサバタイの遺伝子で出来上がった集団です。イスラムに「成りすました」ドンメーは、かつて強大だったオスマン=イスラム帝国をその内部から腐敗させ、完全破壊し「乗っ取り」、新たにサバタイ-フランキスト国家トルコ共和国を建設したのです。オスマン帝国とトルコ共和国は、トルコ人中心で領土は重なりますが、両者は全く異質な国家なのです。オスマンの英雄でトルコの父であるムスタファ・ケマル・アタチュルクが初代大統領として独裁したトルコ、トルコはケマルの死後も軍部を中心に、ケマルの遺伝子即ち宗教カルト団ドンメーが支配してきたのです。(2016年のトルコでのクーデター未遂で現在の状況は変化しているかもしれませんが)。

ケマルの独裁国家トルコ、これも後の独裁国家のソ連やナチスドイツなどのプロトタイプともいえそうです。そして更にトルコ共和国とイスラエルは、共にサバタイ-フランキストによって新たに建設された国家なのであり、その意味で両国は双生児の関係にあります。そしてトルコはイスラエル建国に先立つプロトタイプだとも言えるのです。

カルトの支配する両国の建国の目的は、偽ユダヤが統一世界政府にて地上世界を完全支配、そのためのハルマゲドン即ち第3次世界大戦を勃発させるためなのです。中東の地でユダヤ教国家の筈のイスラエルと、世俗国家に変貌させたとはいえ元はイスラム色の強いトルコ、一見水と油の関係のはずが、本来的に同盟関係にあったのは当然であったのです。

さて、こうなると中東でユダヤ国家とイスラム国家を名乗り、敵対関係にあるはずなのにイスラエルと同盟を結んでいるサウジアラビアが気になりますが、さて・・・。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第18話 ― サウード・ワハビ家


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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第19話 ― 2002年イラク諜報機関レポート

 今から15年前、2003年3月20日、米国がイラクのバグダットにいきなり一方的にミサイルをぶち込み空爆し、衆人注視のもと「イラク戦争」という名前の「イラク人大虐殺」と大略奪を敢行しました。この国家大犯罪は現在も終了していません。イラクの無数の人々が殺害され、癒えない傷を負わされ、町を破壊され生活権を奪われています。イラクの極悪独裁者サダム・フセインが「大量破壊兵器」を所持しているとの虚偽でっち上げの言いがかりによる凶行です。それまでイラクが国連の査察に応じルールを遵守していたにもかかわらず、です。
 侵略者がバグダットを陥落させ最初に行ったこと、それはバグダット宮殿占拠とイラク国立博物館を押さえることでした。彼ら侵略者は、イラク国立博物館を破壊し、納めてあった貴重な歴史文化財を盗み出します。なぜ侵略者が何を差し置いてでも博物館を押さえたのか? 竹下さんは映像配信のどこかで「このイラク侵攻が始まる前にサダム・フセインが「これで、奴等も終わりだ。」と語っており、その意味はイスラエルの元々あった場所はパレスチナではなく、アラビアのアシール地方であったこと、その事実をフセインが掴んでおり、その証拠がイラク国立博物館に残されていたのではないか」とされていました。つまり証拠隠滅のため博物館を破壊し、文化財を運び出したという見立てです。
 これは事実でしょう。サダム・フセインのいう「奴等」とは誰か? 当時イスラムーアラブ世界の一員として、イラクが闘っていたのはイスラエルです。サダム・フセインの指す「奴等」とはイスラエルであり、同時に中東でイスラエルと同盟を組むサウジアラビアとトルコのはずです。そしてその後ろ盾となっている米英です。一口で言えばシオニストです。
 シオニストの主張するイスラエルが、パレスチナを占拠できうる根拠は、旧約聖書の中に出てくる「神がアブラハムを祝福しその子孫にこの地を与えることにした」との一節のみです。常識的には、こんな屁理屈が根拠になり得ないのは明白ではあります。しかしそのシオニストの主張である「約束の地」がパレスチナではなくアシール地方であるなら、シオニストの主張するパレスチナ占拠の根拠さえもが完全に崩壊です。証拠隠滅をシオニストが図るわけです。
 そして実はそれ以外にも、シオニストがその隠蔽を絶対に何としても実行せねばならない事実が、もう一つあると私は見ています。それはイスラエルと中東の地にて同盟を組むサウジアラビアとトルコの正体、とりわけサウジの王族サウード・ワハビ家の正体です。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第19話 ― 2002年イラク諜報機関レポート

サダム・フセインの諜報機関


米国に騙され、クエートに侵攻し、湾岸戦争で大ダメージを負わされたサダム・フセインのイラク。イラクは湾岸戦争後も次々と経済制裁等を負わされ、国家は疲弊衰退します。一方、建国以来中東戦争に次々と勝利したイスラエルは、中東で我が物顔に振る舞い、中東での同盟国のサウジアラビアとトルコも繁栄。


こういった状況の国家存亡の危機に、サダム・フセインは起死回生の一手を模索、特に米国に騙された苦い経験から、麾下の諜報機関に敵側の弱点発見を厳命したであろうことは想像に難くありません。そしてそれは見つかったようです。サダム・フセインから「これで奴等も終わりだ。」と言葉が漏れた報告が。サウジアラビアとトルコの正体を明かす報告です。

2002年サダム・フセイン政権下でイラク諜報機関がレポートを作成、それを米・国防省が公表したとの情報があります。情報の発信は2011年8月2日に独立史家デイビッド・リビングストン氏によりなされ、その要点の短縮和訳文が同年の8月4日「阿修羅掲示板」に投稿者ABCD氏にて以下のように投稿されています。
サウジ・アラビア王室を中心にしたワハビ派(サラフィス)は反・イスラム勢力である、という。

ワハビ派はイスラム教のサブ・グループとされるが、元は18世紀、英国のエージェントであったアブドル・ワハビが始めたカルトであった。オットーマン帝国時代(19世紀)は弾圧されたが、英国のアシストもあり、1932年、サウジを建国。それ以来、親米であり、イスラム原理主義過激派をそだててきた。アメリカの代理として、ソ連とアフガン戦争をした。

アブドル・ワハビとそのスポンサーであったイブン・サウッドが(隠れ)ユダヤ人であった可能性が出てきた。

トルコのドンメ―・ユダヤの出。ドンメ―・ユダヤは悪名高い偽メシヤ、シャベッタイ・ゼビの信者・その末裔
だ。ゼビは1666年、ユダヤからイスラムに回心(隠れユダヤ)している。

ヨーロッパでは、一世紀後、ゼビの生まれ変わりとされたヤコブ・フランクが主導者となり、このシャベッタィアンの中にロスチャイルドもいた。

ドンメ―はサロニカ市で活発で、これはフリーメーソンのホット・ベットと重なる。後のヤング・トルコ運動。

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サウード・ワハビ家の正体



「2002年イラク諜報機関レポート」を明かしたデイビッド・リビングストン氏の元記事には創始者アブドル・ワッハーブがトルコのドンメーユダヤ族出身であったこと、その同盟者サウード家もドンメーでありイラクのバスラ地域出身のユダヤ族であったこと、またトルコのムスタファ・ケマルがドンメーであったことが記されています。

このことから、サダム・フセインはイスラエルの同盟国であるサウジアラビアとトルコの両国が、イスラムどころか、偽メシアであるサバタイの末裔のドンメーが支配する国家である事実を掴んでいたこと、そしてサウード家が、イラクの油田地帯バスラ出身のユダヤ族であった証拠を保持していたことが窺えます。

ムスタファ・ケマルがドンメーであったことに関しては複数の情報源があります。しかしサウード・ワハビ家の正体に関しては、その事実と証拠を握っていたであろうサダム・フセインが、歴史の表舞台から暴力で強引に引きずり下ろされた関係で、その情報は当然ながら極めて少ないです。支配層にとり、ムスタファ・ケマル以上にサウード・ワハビ家がドンメーであることは絶対に知られてはまずいのです。

しかし、私の感覚ではサウード・ワハビ家の正体は間違いなくドンメーです。これは前回指摘しましたように、サウジの国教で絶対服従を強いるワッハーブ派、これはスンニ派とするには重大な疑義があり、事実としてワッハーブ派が誕生・台頭するに対し、それを当時のスンニ派の最高宗教指導者カリフによってカルト指定され排除されていること。またイスラムを名乗りながらも、ワッハービズムはイスラム世界に猛烈な害毒を与えてきていること。更にワッハービズムから誕生させたイスラムを名乗るアルカイダやダーイッシュなどのテロ組織が、イスラム世界にダメージを与えながら、シオニストと言おうかサバタイ-フランキストの構想と利益のために活動してきたこと。これらの明白な事実が、サウード・ワハビ家の正体がドンメー、つまりサバタイ-フランキストであることを傍証しています。

逆にもしサウード・ワハビ家がドンメーで無いならば、イスラムを騙り、イスラムに害毒を与える理由が無いのです。

またサバタイ-フランキスト、彼らの詐術のやり口はお決まりのパターンがあります。どうも詐欺師は「一度騙せた相手は二度騙せる。二度騙せたら三度騙せる。うまく騙せたやり口は踏襲せねばならない」と決めているようで、ワッハーブビズムの方法、宗教を通し「厳格に創始者の行動とその時代に戻せ」とするパターン、この原理主義は民衆を騙すお決まりのパターンなのです。少なくとも客観的に見てワッハービズムは詐術を用いているのでありイスラムの筈がないのです。


シオニスト支配の破滅


pixabay [CC0] 1 & 2 & 3 & Author:Iqbal Osman [CC BY]


「これで奴等も終わりだ。」このサダム・フセインのつぶやきは頷けます。イスラエルとサウジアラビアとトルコは、サバタイ-フランキストが建設し支配する双生児の国家だったのです。サウジとトルコがイスラムで無く、ドンメーが支配する国家である事実を証拠付きで公表し、それをイスラム世界、そして地上世界の一般人が認識したならば・・・。余りのことに世界はしばし沈黙、その後は文字通り驚天動地の騒ぎでしょう。世界のシオニスト支配は破滅です。

サバタイ-フランキストが支配する国家と言っても、それは支配層なのであって一般国民はそうではないのです。先ずトルコもそうですが、とりわけサウジアラビアでは天地がひっくり返るに違いありません。何しろ政教一致国のサウジは、イスラムスンニ派の代表国とされ、従ってそのサウジの王族であるサウード・ワハビ家は、イスラムーアラブ世界にてイスラムの一大権威としてアラブの盟主を名乗ってきたのです。

しかし、そのイスラムの一大権威の筈が、イスラムどころか偽装イスラムのドンメー、つまりクリプト・ユダヤ人だったのです。サウード・ワハビ家は潤沢なオイルマネーを背景にしながらイスラムの権威者であると騙り、長年にわたり、詐術によってアラブ民衆に個人崇拝の絶対服従を強要してきたのです。服従を強要されてきたアラブ民集が、騙されてきたその事実を認識したならば、その反動が甚大であろうことと、苛烈であろうことは容易に想像できます。最低限サウード・ワハビ家は、キングの座から民集によって引きずり下ろされ、地を這う事態になるでしょう。無論その動きはサウジでとどまるはずも無く、全世界に波及していくでしょう。

従ってサバタイ-フランキストは、自分の正体が知られるのを極端に恐れるのです。彼らは徹底的に事実隠蔽と証拠隠滅に走ろうとするでしょう。

しかし・・・もう・・・彼らは止めること不能の破滅の坂を既に転がりつつあるように見えます。Pars todayでは繰り返し「ワッハービズムがイスラム世界に害毒を与えている。ワッハービズムからテロ組織が出てきてサウジが支援している。サウジがイスラムの統一と連携を阻んでいる。」この事実を報道しています。

「サウード・ワハビ家がドンメーである。」とまでは示していなくても、「サウード・ワハビ家がイスラムで無い。」このことはその報道内容で認識できます。私がその報道を読んでいるのです。基本的に世界の誰でもこの報道を知ることができるのです。いつまでも決まり切ったパターンの騙しは通用しないのです。世界の目覚めは進みつつあるのです。


【】
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第20話 ― お伽の世界

 トランプ大統領が遂に「シリアからの米軍の退去」を言明しました。幸いにもシオニストたちによるシリアの侵略戦争が失敗、ようやく終結の時を迎えられそうです。
 2000年時点で、中東にて同じアラブの同朋として大量難民のパレスチナの支援を実行していた国家はイラン、シリア、イラクとなっていました。他の中東国家はシオニスト側に寝返ってしまっていたのです。
 更に15年前、イラクの破壊によってシオニストに同調しない国家はイランとシリアのみとなり、両国はシオニストから常に攻撃の対象とされてきました。「悪の独裁者アサドへの民主化を求めるシリア国内の内戦」との欧米日マスコミのプロパガンダが喧伝され、激しい侵略戦争の攻撃をシリアが受け始めたのが2011年からでした。もしこの侵略戦争でシリアが倒されていたら・・・。
 1991年の湾岸戦争時、私はサダム・フセインが極悪だと思い込んでいました。油まみれの真っ黒になった水鳥の映像が強烈だったのです。映像による印象操作です。
 私たちは気づかないうちに常時洗脳攻撃を受けています。多くの人はテレビであからさまな「侵略攻撃」を「内戦」と常に報道されていたら「内戦」だと「思い込み」、それに従った思考と行動を無自覚にとってしまいます。実際は自分の「思い込み」でなく支配層にテレビを使い「思い込まされている」のに関わらず、その考えが自分の考えだと思ってしまっているのです。
 このように、支配層はマスコミや教育等を通して事実を改竄やねつ造して、自分に都合の良い「仮想現実」を大衆に押しつけて「現実」と思い込ませます。いわば大衆をお伽の世界をさまよう夢遊病者へと仕立てているのです。
 私たちは夢から覚め自立した判断と行動をとる必要があります。そのために「この自分の考えとしている想念は本当に自分のものか? 外から植え付けられたもでないのか?」のチェックはすべきでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第20話 ― お伽の世界


消えたスファラディ血統ユダヤ人の行方


pixabay [CC0]


1666年にメシアを名乗り非常に多数のユダヤ人信者を獲得したサバタイ・ツヴィはユダヤの父祖アブラハムの血統です。サバタイはイスラムに改宗しますが本来なら大変なこの裏切りをサバタイとナタンは改宗が「偽装」であり、それは「イスラム帝国という巨大な悪魔・敵を打ち倒すため、イスラムに成りすましその内部から破壊するためだ。」としたのでした。

そのサバタイ直系の有色血統ユダヤの弟子団がドンメーです。ドンメーの行動原理はサバタイに倣いイスラムへの「成りすまし」でイスラム世界を内部から破壊し「内部乗っ取り」することです。この行動原理に従いドンメーのムスタファ・ケマルたちは、オスマンーイスラム帝国を内部から破壊し「乗っ取り」トルコ共和国を設立したのです。また、イスラムの権威に「成りすまし」、長年にわたりイスラム世界を攻撃破壊しながらサウジアラビアを建国した有色アラブ人のサウード・ワハビ家、この正体も前回見てきたようにどう見てもドンメーなのです。

サウード・ワハビ家がドンメーということはアブラハムの血統となります。旧約の「約束の地」、もともとのユダヤ国家があった場所は、明らかにアシール地方でサウジアラビアの領土です。となると「アブラハムの子孫にこの地を与える」との旧約の一節はすでに幾度も果たされていたことになります。最終的には1925年にサウード・ワハビ家がハーシム家のヒジャーズ王国を滅亡させアラビア半島で覇権を確立した時点において、です。トルコを支配していたのも血統ユダヤ人ですから、中東の大国を血統ユダヤ人が既に支配していたわけです。

さてここである事実が・・・。現在ユダヤ人全体の9割がアシュケナジつまりハザール由来、残りの約1割がスファラディで血統ユダヤ人とされます。血統ユダヤ人の割合が余りに少ないので彼らはどこに消えたのか?が、このシリーズを始めた頃の私の疑問でした。血統12氏族のうち10氏族は消えているから血統ユダヤ人の割合が少ないのも分かりますが、それでも少なすぎると感じていたのです。

pixabay [CC0] 1 & 2 & Author:William Henry Irvine Shakespear [Public Domain]


今、歴史の中に見えなくなった血統ユダヤ人、その彼らの中でのかなりの勢力が、サバタイに倣いイスラムに偽装し中東の地に潜っている事実が浮かび上がっています。その彼らの現地での活動とは? ダーイッシュとアルカイダは本質同一のテロ集団で、櫻井ジャーナルではアルカイダとはベース(基地)との意味だが、実は「CIAやモサドと協力できる現地工作員のデータベースである」と繰り返し指摘しています。

となるとそのデータベースの元になる資料もあるはずです。それは? ふと「ドンメーの名簿では?」との想念がよぎり少し戦慄しました。単なる思いつきですが可能性はあります。テロ集団はドンメーが王のサウジから出てきているのですから。正統ユダヤ教つまりユダヤ人であることを捨て、中東の地に潜った血統ユダヤ人たち、その中の少数者は王族そして支配層となりますが、他のまとまった人数はテロ集団の一員になっている可能性は確かにあるのです。これがある一定勢力の血統ユダヤ人の長い長い放浪の末路だとすると・・・。

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カルトが支配してきた地上世界



誰かがこの地上世界「カルトが支配するお伽の世界」だと表現していました。これは事実です。サバタイ・ツヴィという一人の血統ユダヤ人がメシアを名乗ったことから始まったカルト、その人間を操る闇、それが膨張して地上世界全てを覆い、全世界を動かしてきたのです。

改めて特筆すべきはサバタイ派7代目首長モーゼス・メンデルゾーンサバタイの生まれ変わりを自称するサタニック・メシアのヤコブ・フランクそして初代ロスチャイルドのマイヤー・アムシェル・ロスチャイルド、この三者が合流することで世界支配計画即ち広義のそして真のシオニズム運動、悪魔主義ニューワールドオーダーが始動したことです。

フランス革命を皮切りに世界各地で革命が引き起こされます。広義のそして真のシオニズム運動から共産・革命運動、ナチス・ファシズム、そして狭義のシオニズム運動(パレスチナのイスラエル建国)も展開されます。これらの運動によってサバタイ-フランキストは秘かに欧州を支配し、秘密裡に米国を乗っ取り、一定期間ロシアをも乗っ取り、オスマン帝国を破壊し中東を支配したのです。

この広義の真のシオニズム運動に絶大な実効性をもたらしたのが銀行制度による「信用創造」のマジック、それとマスコミ支配による情報操作、また隠れ蓑としての財団と宗教法人の利用です。信用創造権、マスコミ、財団(宗教法人)、これらを行使して彼らは巨大イリュージョンの世界を地上に現出させたのです。まさにお伽の世界ですが、一般民衆には悪夢のお伽世界です。自らの正体を隠した「成りすまし」と「乗っ取り」による世界支配劇です。

サバタイから始まったカルトに、ロスチャイルド家とフランキストが合流合体することで始動した広義のそして真のシオニズム、これこそが近・現代ユダヤ問題のポイントの中核だったのです。ユダヤ問題とされる世界の諸問題はほぼ全てここから発生しているのです。従ってここを押さえることで、世界を覆っていたベールが剥がれ、問題の真相が露わになるのです。


英国とそのスパイの影


pixabay [CC0] 1 & 2 & 3 & illustAC


近現代におけるユダヤ問題の源流はサバタイに遡るのですが、ユダヤ問題の裏には更に言えば一貫してある影の存在が垣間見えます。英国の影であり英国スパイの働きです。

中東イスラム世界を破壊しサウジを建国させたワッハーブ主義、この創始者アブドル・ワッハーブは英国のエージェントであったと、前回のデイビッド・リビングストン氏の記事には記されています。

18世紀半ばにサウード家と結びついたワッハーブ主義が中東で急速に勢力を伸張したこの動き、これは18世紀の終わり頃にロスチャイルド家とサバタイ-フランキストが合体し運動を展開した動きと重なるのですが、ワッハーブ主義の動きの方が先行してもいます。

なぜワッハーブ主義があれほど急速に勢力を伸ばせたのか? その裏に英国の支援と関与があったと見た方が自然だと感じます。サウジがその建国以来、ロックフェラーそして米国とがっちり手を組んだこと、これは事実です。しかしこれは複雑すぎるのでこれまで言及していませんでしたが、実はサウード・ワハビ家はずっと英国の支援をも受けていたのです。

第1次世界大戦の前、英国外務省カイロ支局は最終的に戦略パートナーとしてハーシム家を推し、英外務省は全体としてはそれに乗ったのでした。しかし同じ外務省でもインド支局はサウード・ワハビ家を推していたのです。そして現にカイロ支局にロレンスと共に所属していたハリー・シンジョン・フィルビーは、サウード・ワハビ家を推し、サウジを最後まで支援し続けたのです。英国の双頭作戦ともいえますし、サウード・ワハビ家はロックフェラー、米国のみと手を組んでいたわけでは無いのでした。このことはサウジの昨年からの騒動分裂劇にも表れています。

また近現代のユダヤ問題の源流であるサバタイ、その父親は裕福な貿易商でしたが、実はサバタイの父親も英国のエージェントであったとの情報があります。なぜサバタイのメシア運動があれほど急速に信者を獲得し、一大ムーブメントとなったのか? これもその背後に英国の関与があったと見た方が自然だと感じます。既に欧州の錬金術研究から、英国でもカバラ研究が盛んとなっていました。その流れからサバタイが出現したと見えるのです。

英国の関与といえば「東インド株式会社」、更にその前は黒い貴族」たちなどまで遡りそうです。これらも重要なポイントですが、本編の流れからは取り扱いが難しいので、別枠で見ていきたいと思います。全ては古代から続く悪魔崇拝の流れからの派生でしょう。「近・現代編」ユダヤ問題の本編での残るポイントは一つとなりました。そのラストポイントは「ハルマゲドン計画」です。





(私論.私見)