ユダヤ問題(近・現代編)その3

 更新日/2023(平成31.5.1栄和/令和5).3.15日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ユダヤ問題(近・現代編)その2」を学ぶ。

 2004.2.12日再編集 れんだいこ拝


ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第12話 ― シオニズムその暗黒の源流
 ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第12話 ― シオニズムその暗黒の源流」。
 これまでシオニズム運動にて建国されたイスラエルの事実、彼の国が差別思想に支配された虚偽隠蔽とテロ暴力に覆われた国家で、いわば光が閉ざされた暗黒国家であることを見てきました。
 シオニズムの底流には悪魔主義フランキズムがあり、それがテロリズムとして具現化されています。つまりフランキズム=シオニズム=テロリズムなのです。
 テロと言えば、2003年に米国が一方的に虚偽の因縁をふっかけ、宣戦布告も無しにミサイルを撃ち込み、開始したイラク戦争がそれを象徴しますが、近頃の戦争は、戦争と言うよりは国家による大規模テロと分類すべきでしょう。こういったエセ戦争のテロも広義にはシオニズムの一端と言えるのです。
 第5話で既に指摘していますが、シオニズムのイスラエルは、世界統一政府実現とその人民統治のための継続中の実験ケースでもあります。シオニズムとは狭義の意味では「パレスチナの地に新国家イスラエルを建国し人民統治」ですが、広義の意味では「世界統一政府建設と世界人民統治」なのです。
 偽ユダヤたちが計画する「新世界」を到来させる運動ニューワールドオーダー(NWO)が、広義のそして真のシオニズムであり、その土台の上に実験としてのパレスチナ・イスラエルのシオニズム運動が展開されてきているのです。暗黒国家イスラエルは計画された「新世界」の「雛形」なのです。このシオニズム、その暗黒の源流を今回は探っていきます。(seiryuu)
 ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第12話 ― シオニズムその暗黒の源流

シオニズム運動の父ウラジミール・ジャボチンスキー


一般的には「近代シオニズムの父」とされているのはテオドール・ヘルツルです。しかしそれはイスラエルを「全てのユダヤ人の避難所、天国を建設」との文脈上でしょう。事実はそれと全く異なっているのです。
(この欄はバルセロナ在住の童子丸開氏の多角度からの深く詳細な見解を基にして記述することにします。)

実際のシオニズム、イスラエルテロ暴力運動の父と言えるのがウラジミール・ジャボチンスキー(1880-1940年)です。


デイル・ヤシン村を襲撃したギャング団「イルグン」ボスのメナヘム・ベギンと「シュテルン」ボスのイツハック・シャミル、共に後の首相となった両者はジャボチンスキーの弟子です。初代イスラエル首相ベングリオンが率いた「ハガナー」そして「イルグン」「シュテルン」、これら後のイスラエル軍となるイスラエルのほぼ全ての暴力組織テロ組織はジャボチンスキーが創設もしくは大きく創設に関わっているのです。

彼は若くからジャーナリストそして迫真の演説家として頭角を現し、第1次世界大戦では英国軍にユダヤ人部隊を立ち上げ率いて、軍人としていくつもの勲章を受けています。

イスラエル初代大統領ハイム・ワイツマンからは「ユダヤ・ファシスト」、ベングリオンからは「ウラジミール・ヒットラー」と称されるようジャボチンスキーは激烈なファシストでした。彼はシオニスト青年団体ベタールを組織し各国に支部を創設していきます。そのポーランド支部にメナヘム・ベギンとイツハック・シャミルが所属していたのです。

ジャボチンスキーはイタリアファシストに接近、彼を気に入ったムッソリーニは喜んでベタールを迎え入れ、海軍基地で彼らに軍事訓練を施させ本格的な戦闘組織として確立させます。ベタールは当然ナチスとの交流もありました。ユダヤ青年ファシスト戦闘団とも称すべきこのベタールが今のリクード党に直に繋がるのです。

つまりベタールがベギン、シャミル、 シャロン、ネタニヤフを輩出し、現在までイスラエル支えてきたわけです。

ジャボチンスキーは「鉄の壁」理論を提唱します。これがシオニズム運動の思想的支柱になっています。

これを要約すれば「ユダヤ国家建設には原住民からの激しいアレルギー反応的抵抗があるのは必然。その原住民を「納得」させるには我々が「鉄の壁」になるしかない。即ち強力な武力で抵抗を徹底的完全に跳ね返すことで原住民はユダヤ国家建設の容認以外の選択肢が無いことを納得する。これが正義であり道徳である。正義は実行に移さねばならない。」

彼は「鉄の壁」の中で米国賛美しています。侵入者が原住民のネイティブアメリカンの各部族を完全駆逐抹殺して、新国家を誕生させているからです。暴力で民衆を抹殺し土地を強奪して新国家を建設するのが、絶対的な正義であり道徳だとしているのです。これは「悪を人為的に頂点に高め新世界を到来させる」ヤコブ・フランクの思想と同質でしょう。

ジャボチンスキーはシオニスト主流派からは「ユダヤ・ファシスト」「修正シオニスト」と揶揄されますが、現実にイスラエルは「鉄の壁」を選択し実行しています。虐殺され土地を強奪されたパレスチナ人は、狭い居住区という名の厚い壁の中、監獄と称すべき地に隔離されています。


暗黒の源流、背信のメシア、サバタイ・ツヴィと後継者


シオニズム運動の始まりその源流はどこか? シオニズムを「パレスチナの地にユダヤ国家建設」と狭義に限定すれば、その源流は外伝1で紹介したあの背信のメシアサバタイ・ツヴィに見いだせるでしょう。

メシアを自称し、(預言者)ナタンに認可を得たサバタイのメシア運動その主張とは、「パレスチナの地に10支族を復元させる。」だったのです。つまりパレスチナの地に失われた血統ユダヤ10支族を呼び戻して「ユダヤ王国を復元」させると宣言したのです。

彼がメシア宣言を行ったのは1666年です。こうして彼がパレスチナにユダヤ王国復興を主張しその運動が一大ムーブメントになったのであり、(パレスチナ)シオニズムの源流はサバタイにあるのです。

そのサバタイが「聖なる行為」としてイスラム教に改宗し、周辺の多くの人間たちがそれに倣っているのです。彼らはイスラム教徒を装いながらユダヤ国家建設を求めているわけです。ここで留意すべきは、サバタイ自身そしてその周辺はスファラディック・ユダヤつまり血統ユダヤ人だったという点です。

サバタイはオスマン帝国から最終的には追放され、その地で命を終えますが、彼の(いわばカルトの)メシア運動とその遺伝子は受け継がれます。ヤコブ・フランクのフランキストたちがそうです。


サバタイの生まれ変わりを自称するヤコブ・フランクも当然パレスチナでのユダヤ国家建設を主張します。それも驚くべき見解です。童子丸開氏は指摘しています。

「彼(ヤコブ・フランク)の言動の中で注目すべきことがある。「ユダヤ教カトリックは仲直りのときが来ている」と語り、その一方で自分の支持者に対しては「キリスト教徒を騙してパレスチナの地に反キリストの王国を建設するのだ」と。

パレスチナに「反キリストの王国」、驚愕ですが元々はサバタイの思想かもしれません。反キリストは666です。サバタイのメシア宣言は1666年なのです。

また、フランキスト以外のサバタイ直系の宗派があります。当時のオスマン帝国領ギリシアのテサロニッキを本拠とするドンメ-です。

フランキストはアシュケナジ(白色)で主にキリスト教偽装改宗団ですが、ドンメ-はスファラディ(有色)でイスラム教偽装改宗団となります。サバタイの周辺で彼に倣った最大の宗派です。サバタイ・カルトを源流とする流れは、秘かに見えない形でやがて膨張を重ねこの世界を覆い尽くすのです。

(続きはこちらから)

サバタイから現在に繋がるパレスチナ・イスラエルの最大の問題点


サバタイのパレスチナにユダヤ王国復元宣言、常識的には狂人の宣言ながら、その後数百年かけてかなりの部分を実現させてしまったパレスチナ・イスラエル建国のシオニズム運動。これには実に種々雑多の問題がありますが、雑多な問題はさておき、サバタイという源から現在へと繋がっている大きな問題点が2点あります。

1点目律法無視のサバタイの教義主張は、トーラーを重視する正統ユダヤ教徒には全く容認されません。それどころか正統ユダヤ教ラビは「サバタイがユダヤ教を死滅させてしまう」と、つまりサバタイをユダヤ教最大の敵と見てユダヤ国家建設を止めようとしたのです。

これは現在もそうで正統ユダヤ教徒はシオニズムの反対運動を続けており、イスラエルをユダヤ国家と容認していないのです。

ところがADLやAIPACなどのユダヤロビーは、シオニズムの事実を知らせる存在に「反ユダヤ」のレッテルを貼り、社会的に抹殺しているのです。正統ユダヤ人にシオニズムが反ユダヤ教とされているのに、です。これは明らかで重大な犯罪行為なのです。

そして2点目の最大の問題、それは、サバタイはパレスチナにユダヤ王国を「復元」としていますが、復元どころか元々のユダヤ人王国はパレスチナの地には無かったという点にあります。

パレスチナにユダヤ国家を建設する正当性の根拠は、種々の協定内容そしてパレスチナを「規定」した国際連盟の規約からも皆無です。唯一の根拠としてシオニストが主張するのが旧約聖書の中の「旧約の神がアブラハムの子孫にこの地を与えるとした」との一文の屁理屈のみです。

しかし先ずシオニズム運動の主体は間違いなくアシュケナジ、つまりハザール人で彼らはアブラハムの血統でなく主張の正当性はないのです。そしてたとえスファラディつまり血統ユダヤ人がパレスチナのユダヤ国家の正統を主張しようとも彼らの故郷古代ユダヤ王国がパレスチナの地でないならば彼らの屁理屈の主張根拠さえも壊滅しているのです。

旧約聖書に出てくる地域等を研究した書に「聖書アラビア起源説」があります。地名研究などから古代ユダヤ王国がアラビア半島にあったことを証明する文書です。この説の正当性を確認するため、真実を知るため、映像配信の宗教学147回「旧約・総論」をご視聴下さい。古代ユダヤ王国はアラビア半島のメッカの近くアシール地方にあったことを納得されるでしょう。

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第7話 ― ソビエト連邦 大惨事の社会実験(上)
 日、「ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第7話 ― ソビエト連邦 大惨事の社会実験(上)
 2013年1月、プーチン大統領はモスクワの国立スキニアソン図書館で列席したユダヤの有力者たちを前に次のように語っています。「最初のソ連政府メンバーの80~85%はユダヤ人だった。」「誤ったイデオロギー的考えにとらわれたそれらのユダヤ人たちは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教やその他の宗教の信者たちを逮捕し、抑圧した。」
 100年前の1917年11月「10月革命」が起こりその後の闘争を経て1922年にソビエト連邦が発足します。この一連の動きをロシア大統領自身が「ユダヤ人による革命政府だ」と言外に明らかに示しているのです。いやもっと正確にはその革命を実行したユダヤ人は「既成宗教全て、ユダヤ教をも否定迫害した」と語り、革命ユダヤ人はユダヤ教徒つまりユダヤ人でもないとの認識を示しているのです。
 ロシアの転覆とソ連の樹立とは、世界政府樹立における最大の敵と目された帝政ロシアの打倒転覆、同時に世界統一政府下における人民統制の仕組みの社会実験、それもいわば密室状態にしておいての実験でしょう。「偽ユダヤ」の計画と指示、「ハザールマフィア」の実行によるものです。
 私自身調べてみて驚愕と震撼を受けたのですが、10月革命の1917年からスターリンが死去した1953年の約35年間、旧ソ連の民たち、ロシア人ウクライナ人たち、ハザール人らも恐るべき凄惨な苦痛苦難の歴史をその身奥深くに刻み込むことになるのでした。ソ連発足これは大惨事の社会実験でした。(seiryuu)
 ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第7話 ― ソビエト連邦 大惨事の社会実験(上)
 フランキスト(悪魔主義)が建設、支配したソ連
 1815年のウイーン会議から数えて100年余に渡ったロシア転覆工作、その仕上げ1917年の10月革命は「ユダヤ革命」だと示していましたが、より正確には「フランキスト革命」と呼ぶべきでしょう。

外伝1で紹介したヤコブ・フランクは18世紀に当時ポーランド領で旧ハザール領の隣接地域ガリチアに誕生します。父親はサバタイ主義、これは国家内国家を形成していたポーランドハザールユダヤ人社会の中に既にサバタイ運動の拠点がいくつかあったこと示します。

ガリチア地域を始めとしたそれら拠点を中心にヤコブ一派はサバタイ主義を更に凶悪凶暴にしたメシア運動フランキズムを展開したと見て良いでしょう。フランキズムこれはステルスサタニズム運動であって、悪魔主義のフランキストはすでに同じハザール人であっても改宗ユダヤ人とは決して呼称できません。一般ハザールユダヤ人とは区別すべきです。

ロシアは18世紀末のポーランド分割にて単なる改宗ユダヤのハザール人だけでなく悪魔主義に変質した危険なフランキスト・ハザール人らもその領内に取り込んでしまっていたのです。彼らが工作員としてロシア一般社会やハザールユダヤ人の中に潜り込み「皇帝暗殺計画」「ポグロム煽動」「シオニズム」「革命運動」等に従事していたと見るべきでしょう。

その裏で世界政府樹立のためロシア転覆を計画しフランキスト・ハザール人らにその指示と援助をした国際金融銀行家、彼らもフランキストであり悪魔主義者です。従ってロシア転覆は全てがフランキストの計画と実行によるので「10月革命」は「フランキスト革命」とするのが正確だと認識するのです。

ただし同じ悪魔主義の魔でも使役する側と使役される側がいます。魔を使役する側の悪魔の国際金融銀行家を「偽ユダヤ」使役される側の魔のフランキスト・ハザール人たちを「ハザールマフィア」と呼称することにします。歴史の表舞台というか教科書に載っているレーニン、トロッキー、スターリン、そしてヒットラーたちは使役される側で使い魔と見て良いでしょう。偽ユダヤは歴史の表舞台、教科書に載ることはないのです。

ヨシフ・スターリン [Public Domain]


1922年に発足し、ハザールマフィア間の内ゲバで勝利し独裁者となったスターリンが治めたとされるソ連、このソ連を共産主義イデオロギー国家と一般には教えますが本質を外しています。フランキストつまり悪魔主義が建設した国家がソ連です。悪魔主義者の行動原理は怨念憎悪の狂気と恐怖です。

当然ソ連は怨念憎悪が渦巻く恐怖政治となりそこに民は巻き込まれます。新たに収容所が次々と建設され、その所長にはほとんどがユダヤ人(正確にはフランキスト・ハザール人でしょう)が就任し無数の民が続々と収容され強制労働、拷問、虐殺されたのです。人民監視・密告が制度義務化された超警察国家です。その全てがいわば密室内で行われたことです。秘密警察機構その狂気と恐怖こそが初期ソ連を統治したのです。

極言すると共産主義思想とかイデオロギーなどとは実は強欲の権力支配権争いをごまかす、とってつけた上面の飾りに過ぎません。

(続きはこちらから)

イワノフ氏の語る初期ソ連の支配体制



一般にはグルジア出身の独裁者とされたヨシフ・スターリン(1878-1953年)、彼は隠れハザールユダヤ人との説が根強いです。ロスチャイルド家の息子との説もあります。ただし元ソ連外交官イワノフ氏はこの独裁者共産党書記長スターリンを、その側近で1930年代ソ連NO2の地位にあった共産党書記ラーザリ・カガノビッチ(1893 – 1991年)が終始操っていたとします。カガノビッチの妹がスターリンの3番目の妻でもありました。

イワノフ氏によれば怪物カガノビッチはハザール帝国の皇帝であるカガン直系の子孫であり、彼がロシアにハザールの国家内国家を現出させ、そのハザールユダヤ国家を支配したとのこと。ハザールによるロシアの内部乗っ取りです。そしてその方法は共産党を表向きの形式にして実態は裏組織である秘密警察の国家保安省(後の国家保安委員会=KGB)にて統制支配したと語ります。

「国家保安省の幹部のすべてがユダヤ人だった。トップだけではなく、中間層も下層も、ほとんどがユダヤ人で占められていた。」と。

この国家保安省内にあってやがてその全権掌握したのがカガノビッチの従兄弟ラヴレンチー・ベリヤ(1899-1953年)です。ハザールユダヤ人(母親)とのハーフのベリヤは極めて危険な男でした。婦女子に対する性暴力を含め無数の人民が彼の毒牙にかかり収容所送りにされ命を落としています。ベリヤは影の如くスターリンと常に共にあったのですがそうやって忠実な部下を装いながら実はスターリンを監視していたようです。

カガノビッチとベリヤの主従関係は「ハザール王国では宗教的権威をもつカガン(皇帝)実際の政務を行うビャク(執行者)。・・・ハザール王国の再現であった。一般に「スターリンの独裁」とよくいわれるが、事実はハザール人のハザール王国の指導者による独裁だった」。

「カガノビッチは、ベリヤすなわち国家保安省を通して、ロシア=ハザール国家を支配していった。」としています。

初期ソ連の支配者スターリン、カガノビッチ、ベリヤ、いずれにしても彼らの狂気と恐怖に彩られたその行為を見る限り、彼らはフランキスト悪魔主義者と見ざるを得ないのです。地球上世界、広大なソ連に彼らは破壊に次ぐ破壊行為にて地獄を現出させました。


計画飢餓による大虐殺、ホロドモール


初期ソ連の支配者の彼らはロシアの宗教(ロシア正教会)や伝統文化等全て破壊していきます。

とりわけ憎悪の対象とされたのが土地所有の農民です。彼らは勤勉な農民でした。しかし支配者から土地所有の農民は富農であり富農は人民の敵とされたのです。支配者たちはコルホーズ(集団農場)ソホーズ(国営農場)創設の改革政策の名称で、農民から土地を収奪したのです。

先祖伝来の土地を奪われる農民は抗います。その農民1000万人は銃殺もしくはシベリア送りにされたとのこと。伝統農業システムの完全破壊です。農業システムが破壊された旧ロシア領では幾度も飢饉に襲われ多数の人民が餓死に追いやれました。更に悲劇が襲います。

ソ連の構成国となっていた豊かな穀倉地帯であるウクライナ、1932年の冬から1933年の初夏にかけてこのウクライナで莫大な餓死者が出ます。その数少なく見積もって500万人以上、1000万人との説もあります。通りのいたるところに餓死者の死体が放置され歩行者から気にもとめられなくなっていたようです。余りの餓死者の数に感覚が麻痺し正確な数字さえ出せないのです。

この莫大な餓死は人為的計画的なもので明らかな大量人民虐殺です。ホロドモールと呼ばれます。いい加減なホロコーストなどとは規模内容において比較にもなりません。

豊かな穀倉地帯ウクライナで生産される小麦は外貨獲得のための貴重な資源とされ輸出に回されたのです。ソ連では小麦を主にフランスへ輸出し外貨で鉄鋼産業を育てる政策がとられたのです。生産者の農民たちが飢餓に陥ってもお構いなしです。飢えた農民が政府や集団農場に無断で自分が生産した小麦を手にすると「人民の財を奪った」とされ、軍隊によって処罰されたのです。妊婦でも子供でも。農民たちはなすすべも無く枯れ木が倒れるが如くに餓死していったのです。奪いに奪って破壊する文字通りの地獄です。

誰がこの地獄を現出させたのか? ウクライナに出向いてこの政策、計画飢餓殺人を直接指導したのがカガノビッチ、その人です。カガノビッチは穀物貿易の主任者でもありました。現在のウクライナとロシアの関係を見る上でこのホロドモールのことは無視できないでしょう。ウクライナ人民にとりホロドモールの歴史経験はウクライナの民族としての身体の奥深くに、民族としての遺伝子に刻み込まれていると思われるからです。

【 】
 

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第13話 ― ナチスとシオニズム、コインの裏表 ―アイヒマンの処刑―

 ご覧のように奇妙なコインがあります。表がナチスのハーケンクロイツの紋章、裏が六芒星シオニスト・イスラエルの紋章が刻印されています。幾つかの情報では、ナチス宣伝大臣ゲッペルズによって作られたメダルもしくは発行されたコインです。
 1933年1月末にヒットラーが政権を握って早々に、ドイツシオニスト協会のリーダーがナチ親衛隊員、後のSSユダヤ局の主となるミルデンシュタインに接触して、共に半年間パレスチナに滞在します。ミルデンシュタインは、ナチスの機関誌にその体験記親シオニズムの記事を連載、その記念として、宣伝大臣のゲッペルズが表示のコインを作らせたのです。
 ヒットラーが政権を握るやいなや、シオニストたちはその勢力をたちまち拡大させました。そして世界シオニスト機構はナチ政権誕生同年の1933年に、ナチスとの秘密協定を早くも締結させています。ドイツとパレスチナ間のユダヤ人と物資の移送に関する協定で、「ハーヴァラ協定」(シオニスト=ナチ通商協定)と称されます。ナチス政権発足からたちまちの出来事です。事前の計画と準備なしにはあり得ません。「偽ユダヤ」によって計画と準備は施されていたのです。ヒットラーのナチス政権自身が「偽ユダヤ」の計画のもとで発足に至っているのです。
 前回見たように、シオニストによって建てられたイスラエルは事実として「鉄の壁」のファシスト国家です。優生学の差別思想、他民族排他主義、武力暴力手段行使による統治のナチス・ファシズムと全く同質です。表と裏、相手によって見せる顔は異なりますが本質としては文字通りナチスとシオニズムはコインの裏表でした。表裏は一体だったのです。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第13話 ― ナチスとシオニズム、コインの裏表 ―アイヒマンの処刑―


知りすぎた男アドルフ・アイヒマン


アドルフ・アイヒマン
1961年のエルサレムでの裁判にて [Public Domain]


1962年5月末イスラエルでアドルフ・アイヒマンが処刑されました。1961年4月にエルサレム地裁で始まった裁判と死刑判決によるものです。敗戦後アルゼンチンに潜んでいたアイヒマンは、モサドによる超合法的手段(つまり犯罪)でイスラエルに拉致され裁判にかけられたのです。死刑判決の主たる罪状は「人道に対する罪」なる不明な名目によってです。

人道に対する罪? 誰が定義できるのでしょう? 確たる罪状名目が立てられなかったのです。「人道に対する罪」が公平に全ての人間に問われ、アイヒマンの行為が死刑に値するならば、過去から現在に至る米英やイスラエルなどの支配層で、死刑を免れる者はほぼ皆無でしょう。アイヒマン処刑は“見せしめ”でした。

拉致される前にアイヒマンは自らの果たした役割についてのインタビューに答えていました。そのナチスとシオニストの関係が暴露されたインタビュー記事がイスラエル当局の手に渡りその内容の正確さに慌てた当局が、モサドに拉致を命じたのです。(アイヒマンの足跡を執拗に追いかけモサドに通報した「ナチ・ハンター」が、ガリチア出身のサイモン・ヴィーゼンタールで、これらの功績で1977年米国に「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」が創設。SWCが「ホロコースト博物館」を運営しています。)

アイヒマンはSSユダヤ局の主であったミルデンシュタインから、後継としてその座を受け継ぎ任務に当たりました。1937年彼は「(初代首相となる)ベングリオンとベルリンで会談。この時に2人は合意に達し、アイヒマンは書面で「ドイツのユダヤ人を代表する組織は、ドイツを去るユダヤ人がパレスチナにのみ移住するように圧力をかけるものとする」と約束していたのである。

また同年、アイヒマンはパレスチナに招待されており、彼の帰途の報告によると、「シオニスト・ユダヤ人たちは、ドイツのユダヤ政策に非常に喜んでいる。その理由は、それによってパレスチナのユダヤ人口を数倍に増大させたから」であった。ゲシュタポとパレスチナのユダヤ人(シオニスト)の協力関係は、アイヒマンの努力によって緊密になったのである。」(「ヘブライの館2」)。

アイヒマンはその任務上、ユダヤ人移送に関する全ての情報を把握していました。欧州のユダヤ人取り扱いに関するナチス首脳と米国や英国高官らとの会議の書記、パレスチナのシオニスト指導者たちとの折衝、全てアイヒマンが担い、各国の高官やシオニストの代表者たちが「いつ、どこで、どのような」発言をしたか克明に記録していたのです。

これらが表に出ることをイスラエルは(英・米国も)絶対に容認するわけにはいかなかったのです。アイヒマンは事実を明かしかけたため、見せしめとして公開処刑されたわけです。


ホロコーストの実際


少し脱線しますが、ナチスとシオニストの関係の言及上は避けて通れないのでホロコーストについて。

前述のSWCが主体となって「ナチに『ガス室』は無かった」との記事を掲載した日本の雑誌を攻撃し廃刊に追い込んでいます。SWCらが提唱するホロコーストの要点は次のようです。

「ユダヤ人廃絶の絶滅収容所があった。(アイヒマンらによって)絶滅収容所に送り込まれた600万人のユダヤ人は主にガス室で毒殺された。その遺体は焼却炉で焼かれた」。

この定説ですが、①数年で600万人を主にガス室で毒ガスにて殺害②その600万の死体を焼却、全くありえません。

まず毒ガスとガス室ですが、毒ガス兵器を最初に開発使用したのはドイツです。第1次世界大戦で使用の毒ガスは臭いが似ていたのでマスタードガスと呼ばれます。大変な威力の細胞毒でした。

この毒ガス兵器は“薬”に転用されています。「抗がん剤」です。現在でも多くの抗がん剤に入っています。抗がん剤は殺人兵器の毒ガスを薄めた薬剤と解釈しても間違いではないのです。当然医療関係者は吸入や皮膚付着の“被曝”を避けるため細心注意を払います。注意書きには「皮膚に微量でも付着すれば、ただちに大量の水で洗い流すように」とあります。

このような代物を患者に薬物療法と称し体内に注入する狂気の沙汰はさておき、毒ガスの取り扱い非常な危険困難と大変な手間がつきまといます。絶滅収容所のガス室で使用されたとされる青酸ガスも同様です。専用の密閉された堅牢なガス室以外で毒ガス使用すると使用する側が“殺られ”ます。本来の目的が異なる収容所はそのような設計では建設されていません。専用ガス室に転用するのは無理です。

しかし定説ではアウシュビッツでは毎日6000人が毒ガス処理されたとのこと。あり得ませんが、譲って仮に本当だとするとこの全身致死量の毒ガスまみれの6000もの死体どうするのでしょうか?


死体に下手に近づくと毒ガスを吸い込み“殺られ”ます。もちろん触れません。また毎日6000の死体を焼却できる焼却炉?? 無いです!! 焼く大量のガソリンは? ドイツは石油を産出しません。当時戦争中です。石油がなければナチス自慢の飛行機も戦車も潜水艦も「張りぼてのトラ」巨大なガラクタです。定説の大虐殺、あり得ないのです。詳細は映像配信の宗教学259回(神智学「エスタンジア」)をご視聴ください。

(続きはこちらから)
それにしても奇妙な話ではあるのです。ホロコーストとはギリシア語の「火刑」が語源の、ユダヤ教の「神に捧げる丸焼きの犠牲生け贄」の意味です。

確かに強制収容所で多数のユダヤ人が絶命してはいます。ただしそれは伝染病やドイツを覆った飢餓による餓死によってでしょう。伝染病や餓死はもちろん、彼らの定説に従った「毒ガスによる大量虐殺」これでも「火刑」「丸焼き」ではありません。ホロコーストの語には該当しないのです。

しかし彼らは盛んにホロコーストの語を喧伝します。なぜか? どういう意味での喧伝か? それはユダヤ人の犠牲によってイスラエルの建国が成立したとの意味があるでしょう。

神に捧げる犠牲、犠牲とは本来非常に血生臭い文字です。牛偏で成り立っているよう、生きた羊や牛を定め通りきれいに解体して捧げる姿を文字にしているのです。そして最上の生け贄はもちろん人間です。悪魔的ですが彼らは「ユダヤ人の生け贄犠牲が神への最上の捧げ物で最大の効果を得た。」と言外に喧伝しているように見受けられます。

そして更に喧伝の意味は秘められた目的がありそうです。それは、ホロコーストとは単に過去の出来事では無く、未来に起きる事実だとの世界の人々の潜在意識下へのすり込みです。この点についてはいずれ詳しく・・・。


ナチスのユダヤ人の選別


強制収容所で万人単位でのユダヤ人が命を落とした大きな悲劇があったのは確かでしょう。問題はユダヤ人の中でパレスチナに移送された一群強制収容所に移送された一群に分かれていることです。この選別はどのようになされたのか?

ナチスによるユダヤ人のパレスチナへの移送、これは強制的にされた、とのイメージがあるでしょうが事実は違います。秘密協定により、ナチス政権発足年1933年から多数のユダヤ人のパレスチナ移送が始まっています。これはそのユダヤ人が全財産を保持し、さらにナチス政権からの「餞別金」も受け取った「祝福された移住」だったのです。

この祝福された移住は少なくとも1933年から1938年まではそうだったのです。パレスチナのシオニスト支配層は、国家建設のため欧州のユダヤ人のパレスチナへの移住を求めており、その欲求にナチスは応えていたのです。しかもシオニスト指導層は単にユダヤ人なら誰でもいいのではなく自分たちの眼鏡にかなった都合の良いユダヤ人の移送を求めていたのです。この我が儘ともいえる欲求にもナチスは誠実そして繊細に応えたのです。ドイツシオニスト協会と協力してユダヤ人の選別を行ったのです。


簡単に記すとSS高官たちは、ユダヤ人をシオニストタイプと非シオニストタイプに分けたのです。そしてシオニストタイプを優遇し、非シオニストタイプを迫害したのです。

強制収容所に移送されたのは、無論非シオニストタイプのユダヤ人たちです。このタイプは「同化ユダヤ人」と呼ばれますが、その代表はシオニズムに反対する正統ユダヤ教徒でしょう。このナチスの選別と移送方策はシオニスト支配層には「願ったり叶ったり」です。仲間同朋となるシオニストタイプはパレスチナに移住、敵である正統ユダヤ教徒たちシオニズム反対派は強制収容所行きですから。

この選別移送の責任者がアイヒマンだったのです。ナチスとシオニストは一体となってパレスチナでのユダヤ国家建設の道を切り開いていったのです。

裁判でアイヒマンは「私はナチスの構成員に過ぎず、我々の働き無しにはイスラエル建国は無かった」と語ったようですが、その通りです。人道上はともかく、アイヒマンはナチスの一員としてシオニストの欲求に誠実に応えたのです。その欲求した主体が欲求に応えた功労者を見せしめ処刑した。「用済みで危険となった存在は消せ。たとえそれが功労者でも。」です。それも自らの罪を全て負わせて。それがアイヒマンの処刑だったのです。

【 】
 日、「」。

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第14話 ― ナチスとシオニズム、コインの裏表 ―消えたナチスの行方-

 ナチス組織は歴史の表面上ドイツの敗戦によって消滅します。しかしそのナチスのファシズムは、下劣に、より凶暴に、そして巨大に、変化して現在に至っています。ナチス・ファシズムはどこに行ったか?
 それはイスラエルを支配してきたリクードへ。リクードと同調しながら米国支配してきたネオコンへと姿を変えて流入しています。
 元々ナチス自体が、「偽ユダヤ」シオニストの計画と育成によってドイツで政権を握ったのであり、ナチスの背後にはブッシュ家、ロックフェラー家、ウオバーグ家、ロスチャイルド家等が動いていたのです。新世界の到来、統一世界政府設立を目差すNWOが悪魔主義フランキズムであり、それが広義の真のシオニズムです。(NWOがなぜ広義の真のシオニズムか? NWOの新世界とは「新たなエルサレム」を現出させる運動だからです。これはいずれ取り上げます。)広義のシオニズムの底流の上に狭義のシオニズム、革命共産運動、そしてナチス・ファシズムが形成されているのです。
 この意味でナチスは広義のシオニズムの一端であり、広義のシオニズムの一部に、ナチスとの名称のマスクを被せたものだといえるのです。しかし、ナチスはその名称での活動が用済みになった時、「人道に対する罪」全てを背負う形で歴史の表舞台から消されました。ユダヤ人に対する加害、ナチス党員は実行犯として責はありますが、真犯人は「偽ユダヤ」らシオニストです。
 ところが、彼らはユダヤ人の代表、被害者に「成りすまし」て「反ユダヤ」を叫ぶのです。シオニストは自らが犯した行状その罪全てをナチスに負わせたのです。 
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第14話 ― ナチスとシオニズム、コインの裏表 ―消えたナチスの行方-

ハーヴァラ協定下のナチスとシオニストの蜜月



ナチスが支配するドイツに、白地に青の線で描かれた六芒星の旗がひらめく場所がありました。ユダヤ人がパレスチナに移住し、キブツ(共産村、開拓共同農園)で生活していくための40もの開拓訓練キャンプ場がそうです。それはナチスの全面協力の下、1930年代を通してシオニスト団体によってドイツ国内に設立されたのです。

ナチスとシオニストの移送に関する秘密協定ハーヴァラ協定の下、ドイツからはパレスチナに向けてシオニストタイプのユダヤ人たちとドイツ製品が盛んに送り込まれました。1935年ドイツの港からパレスチナ移住者を輸送する「テル・アビブ号」は、シオニストがドイツ客船を購入した船で船長はナチス党員、船尾にはヘブライ語で船名が書かれ、マストにはナチスの鈎十字の旗がひらめく代物でした。このナチスによるユダヤ人の移送に関しては驚愕します。

『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』では、次のような驚くべき事実が紹介されている。「1944年(ドイツ敗戦前年)という遅い時期に至ってさえ、ドイツ海軍の援護の下に数隻の船がルーマニアから黒海をぬけて、ユダヤ人移住者を運んでいた。」(「ヘブライの館2」)。


いかにナチスがハーヴァラ協定を重視していたかが窺えます。物品面ではパレスチナにはドイツ製品があふれ、シオニストはその製品を他国に転売するというような状態となっていました。ハーヴァラ協定下のナチスとシオニストの関係は蜜月関係以上ともいえます。このナチスの協力がイスラエル建国のための決定的要素でした。

1922年では、委任統治を開始した英国の調査によると、パレスチナ人67万人、ベドウィン7万人に対してユダヤ人は6万人であった。そしてヒトラー政権の誕生以降に移民のラッシュが始まる。1933年に3万人、34年に4万2千人、35年には6万1千人の入植者が新たにやって来たのである。そして第2次世界大戦が開始する1939年にはパレスチナのユダヤ人人口は44万5千に膨らんだ。イスラエル建国の1948年のユダヤ人人口がほぼ65万人であるので、この時期の移民がいかに重要なものだったのか容易に察しがつく。(童子丸開氏)。

ナチス無しにイスラエルの建国は無かったのです。これは二重の意味があります。この欄で見たように蜜月関係でのナチスの協力。そしてもう一つはホロコーストです。

シオニストはナチスによるユダヤ人大虐殺ホロコーストを叫び、被害者に成りすまし、ナチスに極悪非道のレッテルを貼り利用することでイスラエル建国につなげたのです。ユダヤ人被害とナチスの悪名、これは現在まで最大限利用しています。

(続きはこちらから)

ナチスからネオコンへ



米ソ冷戦終了後、米国をリードしてきたのがレーガン政権以降台頭してきたネオコンです。彼らは1992年に作成された「米国の世界一極支配、ライバルの台頭は未然にたたきつぶす」を提唱する「ウオルフォウイッツ・ドクトリン」を基軸に行動を展開してきました。ネオコンのバックにはロックフェラー家があり、ブッシュ家がその組織を担ってきたといえるでしょう。

子ブッシュ・チェイニーのネオコン政権下での2001年の9.11テロ、アフガン侵攻、2003年イラク大規模侵略テロ戦争、オバマ政権下のリビア侵略テロクーデター、シリア侵略テロ戦争、そしてウクライナのテロクーデター、これら全てが「ウオルフォウイッツ・ドクトリン」から展開されたものです。

ロックフェラーを筆頭とする米国の「偽ユダヤ」たち、とりわけネオコンを担うブッシュ家は、大戦終了(実は戦後から今日まで)までナチスと密接な関係にあり、ナチスをサポートしてきました。ナチス・ファシズムがネオコンに姿を変えたとも言えるのです。

ネオコンの中心メンバーのポール・ウオルフォウイッツやリチャード・パールの師匠が、ドイツ生まれのユダヤ人哲学者シカゴ大学のレオ・シュトラウスです。童子丸開氏提供の情報によると、レオ・シュトラウスはあのユダヤ・ファシストジャボチンスキーが創設したベタールのドイツ支部に所属していた模様。

武装ファシスト団ベタールのドイツ支部は当然ナチスとの交流があり、レオ・シュトラウスはナチズムに深い共感を覚えており、ナチの法哲学者でヒトラー政権を支え続けたカール・シュミットとは彼が死亡するまで深い交際を続けた。とのことです。

ナチス・ファシズムに傾倒したレオ・シュトラウスの愛弟子ポール・ウオルフォウイッツがネオコンの行動基軸「ウオルフォウイッツ・ドクトリン」を作成しているのです。

また童子丸開氏は指摘します。「9.11事件後の軍事政策を担い、米国をイラクに引きずり出した主役の一人に、当時の国防次官ダグラス・ファイスがいる。・・・サダム・フセインを取り除きイラクをコントロールしようとする彼らの異常なまでの執念が、米国・共和党ではなく、イスラエル・リクード党に対する忠誠心によることは今さら疑念の余地も無い。1997年に彼は父親のダルック・ファイスと共に、米国シオニスト機構(ZOA)から年次昼食会招待の栄誉を受けた。・・・ダグラスのリクード党に対する忠誠心は当然といえる。彼の父ダルックはベタール の「戦士」だったのである。」。

ナチス・ファシスト、ユダヤ・ファシスト、ネオコン・シオニストは渾然一体となっており、切り離せないのです。


ナチスと現代米国、その歴史のからみ



「ヘブライの館2」に驚くべき情報が開示されています。
ヒトラー政権が誕生する26日前の1933年1月4日、シュローダー男爵はケルンにある自分の豪華な大邸宅にヒトラーとパーペン元首相を招いて、重要な秘密会議を開いていた。主要出席者は、ヒトラーとパーペン元首相以外に、・・・ジョン・フォスター・ダレスとアレン・ダレスのダレス兄弟で、彼らは「シュローダー銀行」を代表していた。この日、ダレス兄弟がヒトラーと会談した目的は、ヒトラーをドイツ首相に就任させるために必要な資金を確実に提供する確約を与えるためだった。・・・ダレス兄弟は、ヒトラーが第二次世界大戦を起こすまで、ナチス・ドイツとアメリカを結ぶ資金ルートに深く関与していたのである。

この秘密会議の主、名門銀行家シュローダー男爵は、ナチス党員ゲシュタポの高級将校ともなっており、財政面でヒトラーとナチスの全面バックアップを行います。また1936年には、共同経営者としてロックフェラー財閥と投資銀行「シュローダー・ロックフェラー商会」を設立。これによって、ナチス・ドイツ政府とロックフェラー財閥の絆は強くなった。と記されています。

一方「シュローダー銀行」を代表し、ヒトラーに政権奪取の資金提供を確約し、ナチスと米国の資金ルートに深く関与していたとされるダレス兄弟。彼らは米国「偽ユダヤ」のフロントとして暗躍、各国の政治介入、クーデター、傀儡政権成立に従事しています。

兄ジョン・フォスター・ダレスは国務長官、弟アレン・ダレスはCIA長官に就任していますが、彼らが他国介入と情報操作を繰り返す今日の米国のいわば原型米国の歴史を型どりしたのです。

そのダレス兄弟がナチス政権誕生に深く関わっているのです。ナチスと米国の歴史は分かちがたく、米国の深奥にナチスはからみこんでいるのです。なぜか?

ナチス諜報機関がCIAを生みだしたのです。アレン・ダレスが長官を務め設立したともいえるCIA。この誕生にはナチスの対ソ連諜報責任者ラインハルト・ゲーレンの存在が不可欠だったのです。

その関係CIA工作員には元SSが入り込んでいます。そして元CIA長官アレン・ダレスとその部下だった父ブッシュが「ケネディ大統領暗殺」の実行犯だとの指摘が各方面から出されています。

ケネディ大統領暗殺によって米国はその歴史を大きく転換させられることになったのです。ネオナチ支配の米国は、このケネディ大統領暗殺から生まれた、ともいえるでしょう。

【】

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝2 ― 胎動を始めた世界支配計画

 外伝1の「サバタイ-フランキストの支援者ロスチャイルド家」欄で、ロスチャイルド家初代マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドとサタニック・メシアのヤコブ・フランクは親交があり、両者は「ある組織設立に共同出資したとの話もありますが・・・」と触れていました。この組織とは1776年アダム・ヴァイスハウプトが結成したバーバリアンイルミナティ(以下Bイルミナティと表示)です。
 ヤコブ・フランクがBイルミナティ設立に出資したかは判然としませんが、深く関わっているのは間違いなく、そしてアムシェル・ロスチャイルドが財政援助したというかアダム・ヴァイスハウプトを雇い入れたのは、様々な資料やその後の出来事を総合判断すれば確実です。
 アムシェル・ロスチャイルドは息子たちに「自分たちの計画の実行には必ず代理人を立てるように」と遺訓しているよう、自らの計画の実行代理人としてヴァイスハウプトにBイルミナティを設立させているのです。その際その組織の綱領は指示していたでしょう。
 さて、こうやって結成されたBイルミナティは、後にある出来事でバイエルン政府に実態を知られます。そこで姿を隠すためフリーメイソンの中に潜り込みます。そしてフリーメイソンと一緒になって「フランス革命」を引き起こし、その後の世界史を変えていきます。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝2 ― 胎動を始めた世界支配計画

二つのイルミナティ組織



早熟の天才、インゴルシュタット大学実践哲学教授アダム・ヴァイスハウプト(1748-1830年)と、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(1744-1812年)は同世代のドイツのユダヤ人です。情報網が密なユダヤ社会です。当然互いによく知っていたでしょう。

そしてこの時代のドイツのユダヤ人でもう一人重要な人物がいます。「結婚行進曲」で知られるF・メンデルスゾーンの祖父ユダヤ人哲学者・啓蒙思想家モーゼス・メンデルスゾーン(1729-1786年)です。彼は劇作家レッシングから「賢者ナータン」のモデルとして描かれ、カント哲学を論難する人物として知られています。しかし彼にはこれら聖者賢者の顔とは全く違った顔がありました。


天野統康氏のブログでユダヤ教ラビのM・Sアンテルマンの情報として、モーゼス・メンデルスゾーンはサバタイ派7代目首長であり彼がヤコブ・フランクアムシェル・ロスチャイルドを結び付けた。」と紹介しています。

一般にモーゼス・メンデルスゾーンは、ユダヤ人社会に啓蒙思想とキリスト教文化への「同化主義」を進めたとされます。しかしこの同化とはキリスト教偽装改宗だと見れば辻褄が合います。彼がサバタイ派首長だったのは事実でしょう。ここに「偽ユダヤ」の首魁となるロスチャイルド家とサバタイ-フランキストが合流一体化したことになります。

モーゼス・メンデルスゾーンとヤコブ・フランクとアムシェル・ロスチャイルドの三者はそれぞれの役割分担があったでしょう。不明ながら預言者がモーゼス・メンデルスゾーン、祭司のメシアがヤコブ・フランク、王のメシアがマイヤー・アムシェル・ロスチャイルド、とも見えます。

天野統康氏は「この3人が中心となって作られた組織が、ヴァイスハウプトが創設したフリーメーソン・イルミナティーと結びついた時に西欧の秘密結社によって操作される自由民主制のモデルの起源が出来上がったと推測する。」としています。

確かにこの3人は同じ組織に所属し、自分たちの計画の代行者としてアダム・ヴァイスハウプトにBイルミナティを設立させたのでしょう。彼らが指示したであろうBイルミナティの行動綱領は以下の通りとされます。(これは後の革命・共産主義の原型でしょう。)

 1. すべての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界単一政府の樹立
 2. 私有財産と遺産相続の撤廃
 3. 愛国心と民族意識の根絶。
 4. 家族制度と結婚制度の撤廃と、子供のコミューン教育の実現。
 5. すべての宗教の撤廃

Bイルミナティはこの行為綱領に沿って「フランス革命」を引き起こします。そしてその後、世界で起こされた種々の革命や戦争などに深く関わっていきます。しかし、その背後にはロスチャイルド、サバタイ-フランキストたちがいたのです。

Bイルミナティと、その設立を命じたロスチャイルドたち、これは実は別組織です。時事ブログ映像配信で詳説されているように、Bイルミナティは「表のイルミナティ」、ロスチャイルド(ヤコブ・フランクとモーゼス・メンデルスゾーンもそうでしょう)「裏のイルミナティ」となります。

(続きはこちらから)

フランス革命とイルミナティ



この図はフランス革命、人権宣言の図です。ご覧の通り人権宣言碑文の上に座す天使?の指す先には、フリーメイソンとBイルミナティのシンボル「プロビデンスの目」が光っています。米国1ドル札のピラミッドの目と同じものです。フランス革命はBイルミナティとフリーメイソンが主体になって実行されたのです。

しかしそのより背後の上位には「裏のイルミナティ」の存在があったのです。人権宣言の上位にある「プロビデンスの目」の意味、フランス革命の真の計画と指導監督者は「裏のイルミナティ」だと示しているのでしょう。

フランキストの宗教組織は「改革派ユダヤ教」そして「全能の目カルト」なのです。また、フランス革命は表向き「自由、平等、友愛」の人権宣言の啓蒙思想が思想的原動力とされます。これを裏で指導したのがモーゼス・メンデルスゾーンに思えるのです。「フランス革命」も「サバタイ-フランキスト革命」が実態です。

一方、実行役のヴァイスハウプト設立のBイルミナティは、その計画がバイエルン政府に発覚。バイエルン政府はBイルミナティを禁止し、ヴァイスハウプトが新たに組織した大東社ロッジを閉鎖します。そこでヴァイスハウプトは他国フリーメイソン組織に潜入、最高位階に上り詰め、その中で結社内結社を興すことになります。

1784年✡ アダム・ヴァイスハウプトは、フランス革命を起こせという命令を一冊の書物に仕立てて、マクシミリアン・ロベスピエール(ジャコバン党党首、フランス革命で恐怖政治に送った。この書物はヴァイスハウプトの仲間であったザヴィエル・ツヴァックが書いたもので、特使を使ってフランクフルトからパリに送られた。

だが、特使がその途上で雷に打たれたため、計画を詳しく記した書物は警察官に発見され、バイエルン当局の手に渡った。結果として、バイエルン政府は警察に、ヴァイスハウプトが組織した大東社(グラントリアン)のフリーメイソンのロッジと仲間の有力者たちの自宅を家宅捜査するよう命じた。

1785年✡ バイエルン政府は「イルミナティ」を不法であるとし、大東社ロッジはすべて閉鎖された。

1786年✡ バイエルン政府は、「イルミナティ」の計画の詳細を『イルミナティ組織による原文書』という文書にして一般公開した。次に、この文書をヨーロッパ中の教会や国家の指導者全員に送ったが、遺憾ながら、この警告は無視された。
(『ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表』)

結果、1789年にフランス革命は幕を開け、ジャコバン党党首のマクシミリアン・ロベスピエールは恐怖政治を断行、直ちに二千数百人のキリスト教徒を殺害します。


イルミナティの「未来戦争計画書」


(左)ジュゼッペ・マッツィーニ [Public Domain]
(右)アルバート・パイク [Public Domain]


Bイルミナティの創設者ヴァイスハウプトを継ぐ二代目首長は、青年イタリアを組織しイタリア統一運動の指導者、革命家、急進主義者として知られるジュゼッペ・マッチーニ(1805-1872) 。三代目首長は南北戦争南部連合の将軍、「黒い教皇」と呼ばれるアルバート・パイク(1809-1891年)といわれています。

アルバート・パイクが1871年8月15日付けでジュゼッペ・マッチーニに送ったとされる書簡は、陰謀論に興味を持つ人々のあいだでは有名で「未来戦争計画書」と呼ばれています。「ヘブライの館2」等によると内容は以下の通りです。

第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう。

第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』(パレスチナ地方にユダヤ人国家を建設しようとする人々)の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである。

第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……

キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる……

書簡そのものを否定する論も多数在ります。真偽は検討を要するでしょう。しかし、実際過去の二度の世界大戦はこの書簡内容に沿っているのは確かです。そしてこのような計画は確実に存在していたでしょう。

この計画の発信源はロスチャイルド家でしょう。第1次世界大戦の目的が帝政ロシアの転覆第2次世界大戦がナチスを利用したパレスチナのイスラエル建国。これらは元々からロスチャイルド家の計画です。

問題は第3次世界大戦です。「シオニストとアラブ人とのあいだに」とあります。このためにパレスチナの地にイスラエルが建国されたのです。ここがハルマゲドンの予定地だったのです。

(追記)
 記事では、初代ロスチャイルド、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドたちを「裏のイルミナティ」としています。最近までロスチャイルド家当主だったジェイコブ・ロスチャイルドなどが「裏のイルミナティ」に属していたので、ロスチャイルド家は最初から「裏のイルミナティ」かと思っていたのです。
 しかしこれは誤りで、初代ロスチャイルドたちはブラック・ロッジに所属し、その支援を受けていたので「表のイルミナティ」に分類されます。当時の私の認識理解が浅かったのです。誤りをお詫びし訂正します。(2020/5/28)







(私論.私見)