パレスチナ問題各派の主張
イスラエル国家の存続に反対する27のイスラム国家の中で、西側の外交努力により、わずか2国だけがイスラエルと和平関係にある。エジプトは、イスラム狂信派によって暗殺された前大統領、アンワール・サダトの時代に中東和平条約を締結した。ヨルダンはフセイン前国王によってイスラエルと和平条約を結んだ。
<イスラエル派>
ユダヤ人のイスラエル建国については色々な意見がありますが、わたしたちユダヤ民族の過去について考えてみて下さい。私たちは4000年以上も前からパレスチナの地に独立国として暮らしていたのですが、2000年前のローマ帝国の時代、属国にされローマの重税などに苦しまされてきました。あまりの圧政に耐えかねて、私たちは反乱を起こしましたが、結局ローマ軍に滅亡させられてしまいました。その結果、祖国を追われた私たちは世界中に散るはめになってしまいました。パレスチナに残ることができたユダヤ人はごく少数で、土地を追われたユダヤ人は農民としていきることができず、金貸し商人としていきるしかありませんでした。金融業というのは経済の発展には必要不可欠なものです。ヨーロッパの経済が発展したのも、私たちユダヤ人によるところが大きいのです。
現にわたしたちを追放したスペイン、ポルトガル、ナチスドイツは大国としての地位をみるみるうちに失い、私たちが移り住んだアメリカは急速な発展を遂げたではないですか。それなのにスペインやポルトガルによって追放されたり、世界各地で色々な差別をされなければならないのはなぜでしょうか。人間としての最低の権利も認められていない私たちにとって、エルサレムの地にイスラエルを建国することはたいへん重要なことなのです。また、パレスチナの皆さんは、私たちが勝手に進入してきたかのようにいいますが、私たちはちゃんとパレスチナの住民からお金で土地を買って移り住んだのです。なぜ侵入者扱いを受けなければならないのでしょうか。土地を売ったのだから、入ってきた私たちに対して文句をいわないでほしいと思います。各種権利が認められなかったユダヤ人が、イスラエルを建国するのは当然なのです。
聖書の中に「その日、主はアブラムと契約を結んで言われた、『わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで』」(聖書、創世記第15章)とあるようにパレスチナの土地は神から与えられた土地である。したがって、「イスラエルの土地に対するアラブの領有権の主張は、盗難車の場合と同じだ。何百年使っていようが、いくら修理に金をかけようが、正当な所有権は初めに持っていた者に属するのが当然だ。ユダヤ人から最初に土地を盗んだのはローマ人だが、その後アラブが手に入れたからといってアラブに所有権はない。」(『エルサレムは誰のものか』 平山健太郎 NHK出版)
<パレスチナ派>
ユダヤ人はよく、「自分たちの住んでいた土地を横取りし、追い出しもした。」ということを私たちに言います。しかし、これは今から2000年前、私たちの祖先が大移動を起こした時のことをいっているのです。ゲルマン民族の大移動と同じようなことです。このような民族の大移動を理由にするなんておかしいとは思いませんか。他の地域でこんなことで争っているところなんてあるでしょうか。そんな何もなかった頃住んでいた彼らとは異なり、私たちは文明を2000年間ここで築き上げてきたのです。
しかも彼らは追い出したと騒ぐだけでなく、個人の信仰である宗教や各地で迫害を受けてきたことを持ち出して、ここだけが守られる土地だとして運動を起こしてこの地に戻ろうとしています。 宗教の意味は分かるし、迫害に同情はするけれど、個人の心の問題とこの地とは何の関係もありません。
このように、ユダヤ人は自分勝手な理由ばかりで、この地を、私たちの故郷を、軍事力や経済力を武器に奪い取ろうと攻撃してきます。たとえば、彼らは金持ちなのをいいことに、私たちには考えられないような高額で共同農地を買い占めたり、英・仏のヨーロッパ勢力を味方につけて、大国が後ろ盾だということを武器にするのです。そんな理由で私たちは土地を譲ることはできません。
しかも、私たちが難民とよばれるようになったのも、イスラエルやアラブ諸国が自分の利益を求めようとするあまり、戦火を逃れて他国にいた私たちの土地までを奪ってしまったからなのです。そのため私たちの帰るところがなくなり、国籍も居場所もないなんて思いを、子供や孫や、さらにその先の者にまでさせなくてはならなくなってしまったのです。こんなことをした彼らを、私たちは許すわけにはいきません。パレスチナは当然私たちの者であるはずなのです。
聖書になんて書いてあろうと、そんなことはわれわれには関係がない。はっきりしていることは、われわれの土地に突然ユダヤ人がやってきて、イスラエルという国を建国したという事実だけだ。ユダヤ人はパレスチナの土地を盗んだ泥棒だ。そのため600万人のパレスチナ住民のうち300万人近くが難民となり、200万人がいまもガザとヨルダン川西岸に不自由な生活を送っている。彼らを地中海にたたき込むまでは戦争をやめない。百歩譲ってイスラエルという国を認めるとしても、少なくとも1967年の第3次中東戦争で占領したガザとヨルダン川西岸は返還すべきだ。
<イギリス派>
私たちは第1次大戦でドイツに負けるわけにはいきませんでした。ところが、協商国であるロシア帝国は内部から崩壊しはじめ、東部戦線の事態は極度に悪化してきたのです。内外のユダヤ人の支持を得ることは必要でした。またトルコに勝つためには現在のイスタンブールを攻めることが重要です。そしてイスタンブールを攻めるにはドイツを通るわけにはいきませんからエジプトからパレスチナを通っていくしかありません。つまりパレスチナに親英的な国家を私たちは作っておきたかったのです。特にユダヤ人を支持したわけでもパレスチナ人を支持したわけでもありません。しかし、この地域は第2次大戦中も対立した要求を出してきたり面倒が見切れなくなりました。そして第2次対戦後、私たちは国連にすべてを預けることにしたのです。
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