「地下軍事組織ハガナーが設立された一九二〇年から、パレスチナを根城にして、世界を股にかけるロスチャイルドの軍事組織が動き出した。ロスチャイルドはパレスチナに資金を送り、今日のイスラエル一のヘブライ大学の母体となる学校を一九二五年に創設し、もうひとつの手で、ペルシャにパーレヴィを送り込んで独裁王国を誕生させてしまった。これはチャーチルが投資した「アングロ・ペルシャ石油」の利権を自由に支配するための実質的なイギリス植民地政府であった。その正体は、十年後に国名をペルシャからイランに変えると共に社名も「アングロ・イラニアン石油」と変え、さらに一九五三年にCIAを利用したクーデターで二代目パーレヴィを王位に就かせると、「ブリティッシュ・ペトロリアム」、その名も英国石油となって自ら覆面を脱ぎすてたのである」。 |
「一九二九年に二大機関が誕生した。それがひとつはパレスチナに、もうひとつは南アに創設された組織であった。ロンドンの「レウミ銀行」と連動して、ユダヤ人のパレスチナ入植を進めるため、現地での警備から世界的な農業輸出、ニューヨークでの資金調達までおこなう「ユダヤ機関」という強力な組織がつくられ、これが臨時政府として最大の役割を担うことになった。今日ではこれがイスラエル国内の企業まで所有し、十年ほど前(一九七九年)の資料では四十億イスラエル・ポンドの株を保有していたという記録がある。しかも問題の企業部の部長をレウミ銀行の総裁が兼務していた。それが支配のメカニズムであった」。 |
「皮肉にもヒットラーが、一九三三年に首相となって実行に移したユダヤ人追放政策が、イスラエルのダイヤ産業の礎石を築くことになった。オランダのアムステルダムとベルギーのアントワープを中心に生きていたユダヤ人のダイヤ職人は、行き場を失い、三年後にナチスの戦争準備四ヵ年計画が発表されると、ユダヤ難民はパレスチナにどっと流れ込んだ。翌一九三七年、彼らは中東に工房を移して、牛舎のなかでダイヤ加工をスタートしたのである。当時、軍需品の生産現場では、ダイヤが欠乏すればそれで機械の加工が不可能になってしまい、この重要な工業用ダイヤのため、オッペンハイマーは全世界の軍需工場の生命を握っていた。後年、第二次世界大戦が勃発したとき、イギリス・フランスに続いて急いでドイツに宣戦布告したのが南アであったのは、このためだったのである。パレスチナに入植したユダヤ人が必要としたダイヤの原石は南アから買い付けられ、ここに今日のイスラエルと南アの悪しき同盟がはじまった。ユダヤ人が生きるために黒人が奴隷化され、アパルトヘイトを加速していった。一方は売り手で、一方が買い手」。 |
「南アのダイヤは、かなりのものがベルギーのアントワープに流れて加工されるが、最高級品の大粒ダイヤはニューヨークで加工され、小粒ダイヤはインドに送られる。イスラエルは主に半カラット以下の“メレ”と呼ばれる中級ダイヤを加工してきたが、最近は高級品にも手を出しはじめた。イスラエル国内でこのダイヤ産業に出資し、多額の利益を得てきたのが、「イスラエル・ユニオン銀行」である。このダイヤ元締め銀行で、副会長の座にあって最大の実力者バーナード・ウェイレー=コーエンは、六代前の祖先マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの血を引く直系子孫であった。その大株主は、同行の資料によればすでに一九五四年時点で、「レウミ銀行」が株五〇パーセントを取得した、と書かれている」。 |
「わが国に流入しているダイヤは、ほぼ全量が南アで採掘されたもので、このうちまた大部分がイスラエルで加工され、「デビアス」の販売網がこれを扱っている。あるものはピエール・カルダンがそれにデザインをほどこし、あるものはダリの作品として展示されるが、デビアスが生産し、デビアスが動かし、デビアスが収益を帳簿に記し、デビアスが肥える。この原則だけは不文律である」。 |