パレスチナのガザ難民物語

 更新日/2018(平成30).11.12日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「パレスチナ基礎知識」、「ウィキペディア・ガザ地区」、「ガザ地区に関する資料集」等々を参照する。

 2014.07.25日 れんだいこ拝
 


ガザ地区

 ガザ地区(アラビア語: قطاع غزة‎, Qita' Ghazzah、ヘブライ語: רצועת עזה‎, Retzuat 'Azza。北緯31度25分 東経34度20分 /北緯31.41 7度東経34.333度)は、中東のシナイ半島の北東部、東地中海に面して存在する帯状の地域で、パレスチナ自治政府の行政区画である。中心都市はガザであり、これにより全体がガザと呼ばれている。パレスチナは、東をヨルダンに接するヨルダン川西岸地区と、西を地中海、南をエジプトに接するガザ地区に分かれる。面積はヨルダン川西岸地区が5655km2で三重県と同程度。ガザ地区は東京23区の約半分ぐらいの365km2。人口動態 (2013年現在)による人口は176万3387人。その多くは、1948年のイスラエル建国でパレスチナの居住地を追われ、周辺国に逃れた人とその子孫の難民である。

 検問所はイスラエルとエジプトの管理下にあり、ガザ地区は事実上イスラエルに封鎖されている。ガザ地区の住民は、原則としてこの地区から自由に外に出ることはできない。が、ハーマス等のイスラム過激派による武器密輸が行われ、対イスラエルに対するテロの拠点となっている。それに対応するためにイスラエル軍による空爆、地上侵攻が続いている。地域全体が難民キャンプか、はたまた監獄か  「ガザ」(帰属未定地、パレスチナ暫定自治政府管轄地域)

 1967年にイスラエルに占領された後は、ガザの住民はイスラエルへ出稼ぎに行くようになった。しかしガザ産の農作物はイスラエルでの販売を制限する一方で、イスラエル産の農作物が大量にガザへ流れ込んで来たため、ガザの農民は困窮して土地を手放す者が相次ぎ、30%の土地がユダヤ人の入植地になった。こうしてイスラエル本土への通勤者はますます増え、ガザの労働人口の40%がイスラエルで働くようになって、ガザの経済はすっかりイスラエルに依存するようになった。インティファーダの後、イスラエルは治安対策を理由に、ガザ住民がイスラエル本土へ行く際に労働許可証や入境許可証の取得を課すようになった。その後はイスラエルが通行を制限すれば失業者が増えてガザの経済は低迷し、イスラエルが通行制限を緩和すれば経済が回復するという状況が繰り返されている。

 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の統計によると、同機関に登録されているパレスチナ難民の数は下記の通りです。

UNRWA登録難民総数 約440万人
(地域別難民数) (全登録難民数に占める割合)
シリア
レバノン
ヨルダン
ヨルダン川西岸地区
ガザ地区
約 44万人(10%)
約 40万人( 9%)
約185万人 (42%)
約 72万人(16%)
約101万人(23%)

 2006年現在で約440万人。うちガザ地区に100万人、ヨルダン川西岸に70万人が住む。レバノンには12のキャンプに40万人。帰還権は国連総会決議が認めているがイスラエルは拒否している。
 産業、資源。綿花や天然ガスの掘削。ガザは「ガーゼ」の語源であるという説もある。現在製造業をはじめとする産業は壊滅に近い状況にある。イスラエルによるたびたびの侵攻に加え、イスラエルとエジプトによる封鎖のため、輸出ができなくなっているのもその理由である。1999年11月、パレスチナ自治政府はイギリスのブリティッシュ・ガス社とガス田探索の契約を結び、2000年、ブリティッシュ・ガス社はガザ沖に天然ガスを発見した。契約では、ガス田の権利の6割をブリティッシュ・ガス社が、1割をパレスチナ自治政府が持つ。しかし、イスラエルはガザ地区を実効支配したハマースに資金が流れることが我慢ならず、パレスチナのガス田を自国のガスパイプラインに結ぼうとブリティッシュ・ガスと交渉中である。ガス田利権が、ガザ侵攻の理由の一つという指摘もある。
 

ガザ地区の歴史】
 ガザの古代史から現代史への道程はここでは省く。イスラエル建国に伴う難民史から紐解く。  
 1946年には米英合同委員会が現地を視察し、ナチ・ドイツの迫害を逃れたユダヤ人難民10万の即時受け入れを勧告したが、イギリスのベバン外相は、現地での抵抗は必死として反対した。ベバンは「アメリカはユダヤ人を入国させたくないのでパレスチナへの移住をすすめている」と拒否した。しかし、イスラエルの反英テロとアラブの抵抗運動に直面 し、イギリスは1949年のUnited Nations(連合国)第2回総会でパレスチナ委任統治を表明した。

 1947年の国連の「パレスチナを二分する分割決議」採択のお墨付きを得て、1948年、ユダヤ人はイスラエルを建国した。1948年以前、現在のイスラエル・ヨルダン川西岸・ガザをあわせたところがパレスチナと呼ばれていた。イスラエルが建国されたことによって住んでいる土地を追われ、周辺地域に逃れた人とその子孫のことをパレスチナ難民と云う。当時難民となったのは70万人から100万人といわれているが、レバノンなどには未登録の難民もかなりの数がいる。その後、1967年の第3次中東戦争(この時、西岸とガザがイスラエルによって占領された)でも多数の難民が発生したが、その人々はこの数には含まれていない。現在、全世界には約1000万人のパレスチナ人がいるといわれている。この中には、イスラエルが建国されたときもその地にとどまり、その後イスラエルの国籍を得た約110万人の人々、48年以前からヨルダン川西岸やガザに住んでいて長くイスラエルの占領下に置かれた人々、あるいは欧米に移住した人々も含まれている。国連は、パレスチナ難民に対して元の居住地に帰る帰還権を認め、また帰らない場合でも財産などの保証を認めている、イスラエルはこれを拒否している。
 イスラエル占領下のヨルダン川西岸にあるパレスチナ人の町、ヘブロンやベツレヘムでは、水道の蛇口から水が出るのは2週間に一回、数時間程度しかない 市内全域に供給できる分の水がないため、日によって水を流す地区を順番に変えているためだ。残りの日は給水車を待つか、市内に散在する井戸まで水を汲みに行かなければならない。ところが、パレスチナ人居住地域から少し離れたユダヤ人入植地では、子供たちがプールで水を跳ね上げて遊んでいる。水をやらないと枯れてしまう芝生も青々としており、もちろん蛇口をひねれば、いつでも水が出る。西岸地域に点在する貯水池や水源のほとんどは、イスラエルの管理下にあり、西岸の自治権を与えられつつあるはずのパレスチナ人は、水の管理権をほとんど持っていない。イスラエル当局は、水を優先的にユダヤ人入植地に流しているだけでなく、西岸以外の国内の他地域にも、パイプラインを通して西岸の水を流している。すぐ近くに住んでいて、本来は真っ先に水をもらう権利があるパレスチナ人は、後回しにされているのである。パレスチナ自治政府によると、西岸のパレスチナ人は、イスラエル人(ユダヤ人)の3分の1しか水をもらっていない。こうした不公正に怒るパレスチナ人の中には、イスラエルが作ったパイプラインにこっそり穴を開け、水を盗み出す「水インティファーダ」を展開する人々もいる。

 れんだいこのカンテラ時評№1232  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 8月 4日
 ガザホロコースト考

 2014.7月、もう何度目になるのか数え切れない新たなガザホロコーストが始まり8.4日現在なお続いている。この情報を得たいが世界的に報道管制が敷かれている。日本のみならず世界でも、日本ほど酷くはないがガザホロコーストが極力スルーされている。代わりにマレーシア旅客航空機撃墜事件、ウクライナ軍事危機等々がメイン報道されている。これを伝えるニュースキャスターの表情を窺がうのに真実報道よりもニュースショーを演じている気がしてならない。

 「ガザホロコースト」とは、パレスチナのガザ区に於ける、イスラエル軍によるワンサイドゲーム的な空爆及び地上戦闘によるガザ難民虐殺を云う。「ガザホロコースト」には殺し方に特徴が認められる。即ち、無慈悲に殺さねば殺したことにならないとばかりな冷酷無残な殺傷に終始していることである。もうひとつは、国際法的な安全地帯である学校、病院、教会、国連施設にわざわざの砲撃を加え非戦闘員である子供、婦女子、老人に巻き添え死を強制している。こたびの2014ガザホロコーストでは特にこれが目につく。れんだいこには、「ガザホロコースト」の一連の過程が、あたかも惨劇の祭りをしているように見えて仕方ない。そのサマは許し難いの度を超していよう。

 この「惨劇の祭り」の背景にあるものを愚考してみたい。「惨劇の祭り」は彼らの歴史的伝統からもたらされているのではなかろうか。れんだいこは、「ガザホロコースト」の一部始終にイスラエル及びイスラエルを支配する国際ユダ屋に特有な「歴史的癖」を認めている。ここで云う「歴史的癖」とは「悪魔教的信念に基づく意図的故意の狂態」を云う。かれらの目線にあるのは「同胞ユダヤか敵方ゴイムか」の判別しかない。「同胞ユダヤ」となれば等級をつけ序列化して囲い込む。「敵方ゴイム」となると何の遠慮も要らない虫けら、畜生類扱いして、煮て食おうが焼いて食おうが我らの権利であるとして気ままなな意思による処断に任せ、残虐であればあるほど正義だとしている。こういう論法、行為が許されること自体信じられないが現に通用している。

 こういう見立てをする国際ユダ屋が歴史の表舞台に登場する比重が強まるにつれ、人類史上に惨劇が常態化するところとなったのではないのか。それが証拠に、国際ユダ屋が歴史の表舞台に登場してきた近代以前に於いては、世界史を見渡してみても、これほど執拗な惨劇の常態化は見当たらない。同様の事例があるとすれば裏で国際ユダ屋が糸をひいているケースが多い。近代から現代までの人類史上の惨劇の主流は、彼らのドグマ的な教条に基づく非和解的絶対戦争によるものではなかろうか。

 その昔、ローマ帝国がこの「国際ユダ屋の歴史的癖」に手を焼き、この連中の扱いに苦慮し、とにかく国家を持たせぬのが賢明として所払いさせた。これにより連中は長らく国家を持たぬ放浪の民となった。各国の申し合わせにより、連中の行く先々で公民権が剥奪された。何とならば、この連中に権力を持たせると人類史に災禍が及ぶことを見抜いていたからである。今にして思えば、ローマ帝国の対国際ユダ屋対策としての「国家を持たせない、所払い、公民権剥奪」は国際ユダ屋の習性を見抜いた英明な政策であったことになるのではなかろうか。

 その放浪の民が国家を持とうとする悲願の末に漸くにして第二次世界大戦後に建国したのがイスラエルである。この経緯の考察は本稿では割愛する。これにより、数千年来パレスチナの地に住み続けていたアラブ人が俄かに土地を追われ難民と化した。その一部がガザに住みつきガザ難民となって今日に至っている。

 興味深いことは、イスラエルの建国過程とパレスチナ難民の発生過程である。さる昔のローマ帝国の危惧した通りの「国際ユダ屋の歴史的癖」を満展開させつつ今日に至っている。国際ユダ屋が絶対権力を振るうところ決まって「残酷非道なゴイム掃討戦」が見舞われているが、これまでもそうでありこの先もそうであろう。この過程で全てが逆さまに評される。即ち正義が不正義にされ不正義が正義になる。有徳が背徳にされ背徳が有徳にされる。

 こたびの「イスラエル軍によるザホロコースト」がいつ収まるのか分からない。イスラエル軍の絶対的優位が続いているように見えるが、この優勢が永遠に続くことは有り得ない。パレスチナ人の恨みが物質化される日がそう遠くない将来やって来る。この時、「国際ユダ屋の歴史的癖」とは一味違うパレスチナ人の英知による平和創出を見てみたいと思う。付言しておけば国際ユダ屋主導の平和なぞ有り得ない。彼らを憲兵にさせるのは、泥棒に権限を与えて夜回りさせる愚に似ている。強姦魔に婦女子を自宅に送らせる愚に似ている。これだけは有り得ないしあってはならない。こう例えれば分かって貰えるだろうか。歴史を紐解けば、そういうことが見えてくる。

 れんだいこのカンテラ時評№1233  投稿者:れんだいこ  投稿日:2014年 8月22日
 ホロコーストの原義考

 ここで「ホロコースト(holocaust)の原義考」をしておく。「ホロコースト」は現在、「ナチスによるユダヤ人迫害」を指して使われている。ホロコーストの史実性詮議はさておき、ここでは何故に「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストなる概念が被せられているのか、その不自然さに対する解を求めたい。

 その為にまず「ホロコーストの原義」を確認しておく。どうやら旧約聖書の創世記の章での「ユダヤ民族の直接の父祖・アブラハムとエホバ神の問答」に端を発している。それによれば、アブラハムは晩年にようやくにして初めての子としてイサクを授かっていたが、或る日、「イサクを山上の聖壇で焼き殺せ」との神示を受けた。この場合の「焼き殺せ」をホロコーストと云う。

 アブラハムが逡巡したのかしなかったのかは分からないが、神の命令を絶対として指示通りにイサクを祭壇の上でホロコーストしようとした。その刹那、「待て待て、もう良い。お前の信仰の深さはよくわかった。神の命令とあらば、ようやくにして授かった一人息子さえ犠牲にするその覚悟を見届けた。もうイサクをホロコーストするには及ばない」との天の声があって、めでたしめでたしとなった云々。この神話は、神の意思が絶対であること、神の意思を第一とするのが信仰であること、この信仰者に対して神の恩寵がもたらされるとする三段論法説話になっている。

 この「アブラハムとエホバ神との問答」からホロコーストが始まっている。元々は「全燔祭」と訳されている。「日の出とエルサレム神殿と燔祭(ホロコースト)」(ピーター・コノリー・パトリック・レステリーニ著「イエス・キリストの時代」(東京書籍、1989年)参照)が次のように解説している。

 概要「エルサレム神殿では、日の出の時、祭儀として犠牲の燔祭が東に向けて捧げられた。聖所が東向きに建てられており、一対の幕が下がり、白い大理石の床にT字帯(月経帯)型の溝が掘られている。ちょうど聖所が太陽を出産しているようなかっこうとなっている。ユダヤ教の律法の書に従って、日の出の時、T字帯の床に犠牲の血が注がれる。血を抜いた犠牲の内臓とその脂肪を聖所の前で焼き、その煙を天に届ける。この祭儀を燔祭(ホロコースト)と云う。その祭儀は、西暦70年、神殿の聖所が焼き討ちに遭い、立て篭もっていたユダヤ人が焼き殺されるまで毎朝続けられた」。

 これが「ホロコーストの原義」である。それは、「信仰の真性を証す為に人身御供(生け贄)を聖壇で焼き尽す」儀式であり、その儀式を通して共同体の意思と結束を固め、「災厄の除去、贖罪、隆盛を祈願する」祭りとなっている。特に新年祭で盛大に行われ、様々な生け贄が供犠所に捧げられる。その最大の生け贄が人間で、その究極が新婚夫婦の「初子のお供え」であったと云う。この祭り全体を総称してホロコーストと呼ぶ。

 しかしながら、どう見てもこのような教義、儀式、祭りは一般的なものではない。恐らく世界中捜しても例がない。例えば日本神道と比較してみよう。日本神道では神と人とは和楽的且つ談じ合い的であり、間違っても「アブラハムとエホバ神との問答」的な厳罰的なものはない。神は人の親であって、慈悲は掛けても、親が子に過酷な命令をすることはない。これを人から見れば、神は人にとっての理想であり、人が好んでその能力にあやかりたいと思うのが神であり、その神が人に対して酷い命令をすることはない。要するに、ユダヤ教と日本神道では神と人との関係が全く逆なものになっている。

 よって、日本神道の教理にはホロコースト的教義は全く見出せない。そういう意味でホロコーストはユダヤ教独特の教義であり、ユダヤ教義の異質性を象徴している。日本神道から見れば、ユダヤ教の狂気性を物語る教義が多々認められるが、ホロコースト譚もその典型的な一つであり、それでしかない。

 もとへ。以上で「ホロコーストの原義」を確認できたとして、「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストの名を被せるのにはどういう理由があってのことだろうか。見てきたように普通には繋がらない。それを敢えてホロコーストと命名しているからには、然るべき理由があってのことではなかろうか。

 但し、ここが曲者なのだけれども、彼らは特有の二重基準で「内向けのホロコースト」、「外向けのホロコースト」の両刀使いをしており、「内向けのホロコースト」の意味を明かさない。「内向けのホロコースト」の意味は隠したままで、「外向けのホロコースト」即ちナチス糾弾論を流布させている。そういう訳で、「内向けのホロコースト」の意味を詮索せねばならない。彼らが、「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストなる命名を宛がった理由と真意を探らねばならない。思うに、「ホロコースト」には自律的積極的肯定的宗教的な「生贄の犠牲思想」が媒介している。であるとするならば、「ナチスによるユダヤ人迫害」にどのような犠牲思想性が認められるのだろうか。こう問う人は滅法少ないであろうが重要な問いである。

 参考までに確認すると、「三省堂大辞林のホロコースト」は次のように記している。「大虐殺。特にナチスによるユダヤ人の大量殺戮(さつりく)をいう」。「小学館大辞泉のホロコースト」は次のように記している。「大虐殺。とくに、ナチスによるユダヤ人の大虐殺」。他も似たり寄ったりで、原義の「ユダヤ教に基づく燔祭的意味」をすっかり外していることが分かる。これでは「ナチスによるユダヤ人迫害」にホロコーストなる命名を宛がった理由が解けない。

 「ホロコースト」はユダヤ教独特の用語であり、「祭儀の際の人身御供生け贄」を指している。「ナチスホロコースト」命名者は当然その語義に基づき命名している。となると、解し方は、「ナチスホロコーストの犠牲者」を「ホロコースト的生け贄」と受け取るしかない。あるいは「ナチスホロコーストの実行者」を「報復的生け贄」にするとの意思を込めたものと受け取るしかない。これ以外の理解の仕方は難しい。

 こうなると、「シオン長老の議定書」に濃厚に表れている近代シオニズムのユダヤ王国再建思想を媒介せずには解けないのではなかろうか。即ち、「ナチスホロコースト」を、彼らの世界支配計画に政治的に供えられた生贄と位置づけ、彼らのイスラエル建国運動に資せる形で利用して行くものとする。これが「ナチスホロコースト」が歴史的に持つ使命であり地位ではないのか。

 こう考えると、「ナチスホロコースト」は徹頭徹尾宗教性のものであり政治主義的なものであることが分かる。然しながら、ホロコースト命名者たちは、そのシオニズム的意味を隠して単に戦後反戦平和運動の誓いの起点としてプロパガンダさせていった。これにより「ホロコーストの教訓」が戦後反戦平和運動のリトマス試験紙の役割を担うことになった。お調子乗りが、ホロコーストに纏いつく宗教的政治的意味を理解せぬまま追随し今日に至っている。南京大虐殺事件には疑義を挟むがホロコーストは絶対の真なりとして講釈する自称インテリが身近にいるが、そういうユダ屋ナイズインテリばかりが登用されている。

 ここまではまだ良い。問題は、「ナチスホロコースト」が偽史であった場合にどうなるか。これにつき西岡医師が精力的に論証しているのは周知の通りである。仮に「西岡医師のホロコースト虚構説」が真ということになると、一体どういうことになるのか。話がこういう風に続いていくことになる。この辺りでいったん筆を置くことにする。


 「★阿修羅♪ > 戦争b13 」の赤かぶ 氏の 2014 年 8 月 06 日 日付投稿「イスラエル首相、ガザでの敗北を認める(IRIBラジオ日本語)」。
 イスラエル首相、ガザでの敗北を認める
 http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/47374-イスラエル首相
 2014/08/05(火曜) 21:39  IRIBラジオ日本語 イランラジオ

 シオニスト政権イスラエルのネタニヤフ首相が、公式に、ガザ地区への攻撃における同政権軍の敗北を認めました。パレスチナの通信社のインターネットサイトによりますと、ネタニヤフ首相は、5日火曜、声明の中で、「イスラエル軍はガザ地区への攻撃において最大限の努力を注いだが、この戦闘での成功の100%の保証は存在しない」と語りました。ネタニヤフ首相は声明の中で、ガザ地区での衝突は複雑化しているとしました。シオニスト政権の環境、住宅、観光大臣もガザ攻撃における同政権軍の敗北を認めています。シオニスト政権の議員も、イスラエルはガザ戦争から1ヶ月たって、大きな成果を得ておらず、この戦争で敗北するだろう、としています。シオニスト政権軍は5日火曜、ガザ地区から撤退しました。シオニスト政権とパレスチナの代表は、5日朝から72時間のガザでの停戦に同意しました。シオニスト政権はこの29日間、国連安保理の攻撃と殺害の停止の要請にもかかわらず、ガザ地区への攻撃を続けています。この攻撃により、これまでパレスチナ人1800人以上が殉教、少なくとも9635人が負傷しています。シオニスト政権はガザでの抵抗勢力との衝突にどうすることもできなくなっています。このため、ガザ地区の住宅や病院、モスク、さらには国連運営の学校を無差別に砲撃し、それにより数千人のパレスチナ人が殉教、または負傷しました。

コメント
02. 2014年8月06日 20:11:07 : YxpFguEt7k
世界最高の防空システム「アイアンドーム」を破った主犯は…暗躍する中国軍のハッキング部隊
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/140802/wir14080217110001-n1.htm

パレスチナの市民の生命を救ったのは中国かもしれませんな。

06. 2014年8月06日 21:35:55 : jyxNNfhDu6
イスラエルの敗北とユダヤの政治の未来について(アツモン)
http://songcatcher.blog.fc2.com/blog-entry-348.html
08. 2014年8月06日 22:48:34 : KKaVXoqwyw
ガザ停戦2日目、カイロで本格交渉 双方が「勝利宣言」
2014年8月6日22時33分

 パレスチナ自治区ガザは6日、イスラエル軍とイスラム組織ハマスの3日間停戦の2日目に入った。同日午後1時(日本時間午後7時)現在、戦闘は再燃していない。本格的な停戦に向けた交渉もエジプトの首都カイロで始まった。ガザの境界封鎖の解除で合意できるかが鍵となる。 ハマス幹部のハニヤ氏は5日、停戦発効を受けて、「敵はガザから撤退を余儀なくされた」との声明を発表。イスラエルのネタニヤフ首相も「ハマスに打撃を与えた」と述べ、双方が「勝利宣言」した。 6日、ガザ側の死者は1875人、負傷者は9567人に達した。地元紙によるとイスラエル軍は同日、招集していた予備役約8万人のうち約3万人の任務を解除した。 カイロでは5日、ハマスを含むパレスチナ代表団とイスラエルの本格的な停戦交渉が始まった。パレスチナ側は、ガザの封鎖解除、ガザ空港と港の再開など10項目の要求を掲げているが、エジプト政府系紙アハラム(電子版)によると、イスラエルは、空港と港の再開など3項目をすでに拒否したという。

http://www.asahi.com/articles/ASG86421RG86UHBI00F.html?iref=comtop_6_01

21. 母系社会 2014年8月08日 05:04:13 : Xfgr7Fh//h.LU : zjCMHDqoDw
あの「ワルシャワ・ゲットー」の被害者が、パレスチナでは加害者になるとは、想像を絶する事態である。この問題は、イスラエル=シオニストがパレスチナ人の土地を奪ったという<土地問題>=であり、宗教対立は二次的対立でしかないので、イスラエルが奪った土地をパレスチナ人に返せば、イスラエル建国以前のユダヤとイスラムが共存する元の社会に戻れて解決可能である。しかし、この両者の交渉を仲介できるのは、アジアの勢力しかないのであり、アジアの勢力が仲介役になるには、G2=米国と中国が主導する体制を経て、中国を核心とする「東アジア共同体」のG1体制を実現するしかないだろう。ユダヤ人嫌いのロシアも、国内のユダヤ人を追い出すために、イスラエル建国を密かに助けたので、ロシアでも仲介は不可能。本当は、日本にも仲介できる力があるのだが。現代の「ワルシャワ・ゲットー」を見逃している我々現代人は、全員、地獄行かもしれない。

ワルシャワ・ゲットー(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%
BB%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC#.E3.82.B2.E3.83.83.E3.83.88.E3.83.BC.
E3.81.AE.E6.83.A8.E7.8A.B6

 「Songcatcher blog」の2014/07/15(Tue)16:58「イスラエルの敗北とユダヤの政治の未来について(アツモン)」。
 On Israeli Defeat And The Future of Jewish Politics
 イスラエルの敗北とユダヤの政治の未来について(アツモン)
 http://www.gilad.co.uk/writings/on-israeli-defeat-and-the-future-of-jewish-politics.html


 アリムディン・ウスマニがギラード・アツモンにインタヴューする

 U:2009年の「キャスト・リード」と2012年の「ピラー・オブ・ディフェンス」の後、イスラエル陸軍は、ガザに対して2014年の7月に、「プロテクティヴ・エッジ」作戦を始めました。これらの繰り返される大規模な軍事作戦の目的は何ですか?

 A:認識する事が重要なのは、イスラエルは、1973年以来、一度も軍事的な戦いにおいて勝利していないと言う事です。数多くのアラブ人達を殺したのは事実ですが、その軍事的な目的の何れも達成出来ていません。

 イスラエルの軍事的な圧倒性は、抑止の力で保たれています。その戦法は、何もかもを失う事が出来るとアラブ人達を脅す事によって、アラブ人達が紛争を避ける事を強要する事です。今週はこのトリックがもう働かない事を証明しました。パレスチナの抵抗勢力は生命(存在)へと復活しました。イスラエルはその問題を軍事的な方法で解決する事は出来ません。その状況はイスラエルにとって絶望的です。彼等は、政治的、思想的、そして文化的な行き詰まりにはまっていると気付き始めました。イスラエルは解決にイメージを呼び起こす事が出来ません。ユダヤの国家のための未来の展望はありません。

 更に加えて、「占領が問題である」とするイスラエルの左派のあからさまな嘘は、今週、イスラエルのアラブ人市民が、ユダヤの集団によって追い回されるのを、私達が目撃したので、暴露されました。私達が知る様に、イスラエルのテリトリーから、全てのアラブ人を大量追放する事への、右翼の呼びかけは、イスラエル内で人気を増しています。この残酷な「解決策」は、ユダヤの民族優越主義の文化と思想に、完全に一貫的です。結局の処、ユダヤ人達は、シオニストと反シオニストの両方を含めて、ユダヤ人だけの環境の中で活動する事を好むからです。ですがイスラエルはそれ自体からパレスチナ人達を追い出す事が出来るでしょうか?これが正に、連立政権の右翼党が行うと公約している事です。

 貴方の問いに戻ると;軍はその答えを供給出来ず、そして政治家達が解決のイメージを産出出来ないので、軍が火消しとして使われています。それは短期的にだけ存在する勝利を供給します。IDF(イスラエル自衛軍)は時間を買っているだけで、それが勝利を達成出来ないのは、何故なら、軍事的な目的が具体化される事さえ出来ないからです。IDFはガザをミサイルで攻撃し、それが危険と疑う何であれ(多くの子供、年寄り、そして女性達)殺します。ですが時が過ぎる毎に、その軍事的な選択肢は縮小し、そしてある意味、もう実行可能ではありません。

 ドイツの軍事的な論説家、カール・ヴォン・クローズヴィッツは19世紀に、「戦争はその他の方法による政治の継続である」と提案しました。イスラエルの件に関して私達は、代わりにクローズヴィッツのアイデアの真逆を見ています:イスラエルの政治は紛争のためのユダヤの必要性の継続です。

 U:ハーレツ紙の記者、ギデオン・レヴィ―は、イスラエルは平和を欲しておらず、そして「拒否主義はイスラエルの最も根本的な進行に埋め込まれています。その最も深遠なレベルにあるのが、この土地がユダヤだけのために運命づけられていると言う概念です」と書きました。これについての貴方の意見は何ですか?

 http://www.haaretz.com/news/diplomacy-defense/israel-peace-conference/1.601112

 A:私の最大の論敵も含めて、より多くの人達が、ユダヤの文化とID政治には、何かとても深くトラブル的なものがあると、私に同意し始めているのを、私は喜ばしく思います。ハーレツ紙は数日前、「イスラエルは文化的な革命を経験しなければならない」と明言する社説を書きました。(http://www.haaretz.com/opinion/.premium-1.603451)私の最大のパレスチナ人の論敵で、つい最近にユダヤ文化に集中したために私を批判した、アリ・アブニマーも、私の哲学を応用したようです。彼は今、ユダヤ文化と政治に潜在的な病的な人種差別主義を指摘します。

 そして今、私自身と私の「預言者的な質」を讃えた後、私にその問いを答えさせて下さい。ヘブライ語において「シャローム」と言う言葉は、平和、調和、または和解を意味しません。それが意味するのは「ユダヤ人達のための安全」です。言葉を変えると、イスラエルは、平和または和解のための、正しい言葉を有しません。よって、イスラエルが平和におけるパートナーでないのは驚きではありません。それはその概念を考える事さえも出来ないのです。

 私達が生きる、ポスト政治的な状態に、私達が気付き始める際に、哲学と本質主義の考え方は、私達の周りの人間的風景を理解する、重要な分析的な道具です。そして今、学術界と政治の中で本質主義的、そして哲学的な考え方の、最大の敵が誰であったかを、貴方自身に尋ねてみて下さい。それは明らかに、分類的な定義において、ユダヤ性について考える事から、私達を妨げる事にとても一生懸命な、ユダヤ左派です。

 U:7月2日にネーションに投稿された記事の中で、ノーム・チョムスキーは、パレスチナ人達に、「幻想と神話を避け、彼等が選択する戦法と、彼等が続く目的を慎重に考える」様に助言しました。

 チョムスキーが推薦する戦略とは何ですか?

 http://www.thenation.com/article/180492/israel-palestine-and-bds?page=0,0

 A:私の最近の講義の中で、「インテリ(知性派)」と「コミッサー(役員)」の違いを明確にさせました。インテリは、その他の人達に独立的そして正真正銘的に考える事を薦め鼓舞する人です。コミッサーは、対照的に、その他の人達に適切な答えを供給します。人を「どう考えるか」に導く代わりに、コミッサーは「何を考えるか」を貴方に伝えます。コミッサーの「教育学上」のモードは、ユダヤのインテリジェンシアと呼ばれるものと、左派の、相応しい描写です。想像的な異議の亡霊的な儀式の中の正しさの境界線を与えるのは其処です(i.e.箱に閉じ込める/箱の外を見えなくする)。ノーム・チョムスキーは、考える事のその様なぶざまな非知性的な形状の現在のエンブレム(代表格)です。

 それ自体が人類に対する犯罪である、ユニークに長ったらしく退屈である事に加えてチョムスキーは、彼の一番好みのナレート、論説、または意見に当てはまる様に、事実を限定的に選ぶ傾向がある間、意識的に最も関係のある事実を削除します。その様な長い間、チョムスキーが逃れられた事は、恥ずかしい事以外の何ものでも無いですが、彼が主張する「正しい」論説の病状でもあります。

 彼の有名な1843年の小論、「ユダヤの問いについて」の中で、カール・マルクスは、世界が解放されるためには、ユダヤ、またはユダヤ主義(i.e.商業/資本主義)から解放されなければならないと提案しました。類似した行を応用して、西洋のために、そして異議が解放されるために、「正しさ」の圧政であるコミッサー文化から解放されなければならないと、私は強く信じます。「私達が言う前に考える」代わりに、私達は「私達が考える事を言う」私達の能力を回復させなければなりません。

 私は、この世のチョムスキーの様な人に、パレスチナ人であれ、その他の人達であれ、「慎重に考えろ」等と言って欲しくありません。そして私はチョムスキー自身が「慎重に」考える代わりに、彼のタルムード的な法律尊重主義のアプローチでは無く、人道的な考え方を応用する事を学ぶ事を望みます。私達、その他の人類は、真の抵抗のスピリットを、自己犠牲も含めて、育みにもたらす事を学ばなければなりません。これは正にユダヤの左派が長きに隠蔽する事が出来たものです。実際の変化を創造する代わりに、ウオール街や、ジョージ・ソロスの様な人達と、彼のオープン・ソサエティー・インスティチューとの、腐食的な影響の対象に成る想像的な運動の論説に私達は、私達自身を拘わらせてきました。(i.e.左派/中流階級と、右派/労働階級を衝突させる、上流階級による「分断統治」)

 U:ドミニク・ヴィダルと言うフランスのジャーナリストが、2012年に「ギラード・アツモンのプロトコル」と言う奇妙な題名の記事を書きました。恐らく「シオンの長老のプロトコル」に言及していたのでしょう。その記事の内容の殆どは、貴方の本「放浪している誰?」からの引用でした。ドミニク・ヴィダルは、貴方のアイデアを論議する事を拒否する事を認識しています。それが何故なら、彼は単純にそれらを位置付ける事が出来ないからですか?

 http://blogs.mediapart.fr/blog/dominique-vidal/110412/les-protocoles-de-gilad-atzmon

 A:そうなのでしょう。私は未だに舞台の上で面と向かって私に反論するに十分に勇敢な、ユダヤの左派の一人も出会った事がありません。私が思い出せる限りでは、ノートン・メズヴィンスキー教授が、私と共に舞台に上がった唯一のユダヤのインテリです。そしてそれは大変に参考に成る経験でした。

 ユダヤの左派の中の多くがユダヤの代表的な神学者達の内の一人と考えるマーク・エリス教授が、彼の最新の著書の最後の章の殆どを、私の研究に割き、私を現代のユダヤの聖書的な預言者と結論したのには、私は驚かされました。勿論、私は預言者でもないし、ユダヤ人でもその他でもありませんが、私は単純にイスラエルとユダヤの問題について私の考えを語っているだけですが、ユダヤのディアスポラには親しみが無い事のようです。その事実だけでも、私が「正しさ」に否定的であると言うアイデアは、私をユダヤの左派にとってとても危険にします。

 マーク・エリスの接近は、心変わりと、ユダヤの進歩的なミニチュアの重要で無い宇宙の自己反映かも知れませんが、ドミニク・ヴィダルはユダヤの左派の中で腐っている全ての病状で;民族的な排他主義、議論と意見効果への非積極性、ゼロ自己反映、そして完全でそしてユニークな知性的な誠実さの欠如です。

 U:タルムードへの批評は、特にインターネット上で、広まっています。2003年の反誹謗中傷リーグ(ADL)は、タルムードの批評は、その意味を歪めるために、誤って翻訳された、または誤って引用されたものと説明する報告を公表しました。

 http://archive.adl.org/presrele/asus_12/the_talmud.pdf

 ADLの論法は一般的なユダヤの戦法で-ユダヤ文化、ユダヤ国家、そしてタルムードに内在的な問題から注目を反らすために、誤訳してコンテキストの外で引用するのは、ドミニク・ヴィダルの様なユダヤとイスラエル人達です。ADLの記事はこの手法の代表例です。論議を位置付ける代わりに、それは単純に、タルムードはまた、人道的な教えも幾つか含んでいる事を見せているだけです。

 しかしながら、私はタルムードが中心的な問題であると、私は考えていない事を加えなければなりません。私のユダヤの歴史の研究は、民族虐殺的な犯罪を拘わったのは、ラビ的なユダヤでもタルムードに続くユダヤでも無いと明かしました。ユリ・セルツキンの素晴らし本「ユダヤの1世紀」が描写した様に、喜んでスターリンの死刑執行者に成ったのはボリシェヴィク(共産主義過激派)のユダヤ人達でした。「世界無産階級」の名の下に、キリスト教徒達を殺して焼いたのは革命的なユダヤ人達で、その間、イディシュ語を話し(1936年にスペインの市民戦争で)「国際ブリゲード」の中で戦っていました。今現在、ナクバスとして知られるものにおいて、1948年にパレスチナ人達を追放したのは左派のシオニスト達です。ユダヤ的な見解からの以前の世紀(20世紀)は「ナクバスの1世紀」と提案するに十分な証拠があると私は考えます。これらの「進歩的な」ユダヤ人達は、彼等自身を反宗教で、無神論者で、そして「労働階級」と考えました。ある人が私に最近言ったのですが、何らかの理由で、これ等のユダヤ人の革命家達は、教会は常に燃やしますが、シナゴーグ(ユダヤ寺院)は燃やしません。これは偶然でしょうか?

 U:数年前に私はイスラエルのパレスチナ人で、映画製作者であり、俳優で、政治的な活動家でもあった、ジュリアノ・マー・カミスに出会いましたが、彼は2011年に殺害されました。彼は私に、彼が深遠に人道的な人であると言う印象を与えました。貴方は彼の活動、特に彼が確立した自由劇場をどう評価しますか?

 A:彼は英雄でした。ジュリアノ・マー・カミスは常に彼の考えを語り、その究極の代償を払いました。私は残りの人生において、彼の思い出を大切にします。

【イスラエルという国の正体】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK254 」の赤かぶ 氏の 2018 年 12 月 05 日付投稿「これがイスラエルという国の正体だ  天木直人」。
 これがイスラエルという国の正体だ
 http://kenpo9.com/archives/4520
 2018-12-05 天木直人のブログ

 
イスラエルのネタニヤフ首相が窮地に追い込まれているという。さては、パレスチナ自治区のガザを攻撃し、イスラエルを国際批判の的にしたからか。そう思ってその報道を詳しく見ると、その反対だという。つまりハマスとの停戦協定を結んだネタニヤフ首相は弱腰だと批判されているというのだ。これがイスラエルの正体なのだ。憲法9条の精神からもっとも遠い国である。そのイスラエルとの関係を、米国のどの大統領よりも重視するのがトランプ大統領だ。トランプ大統領もまた憲法9条の精神に反する大統領だ。そして安倍首相は、これまでの首相の中でも、イスラエルとの関係を一番重視し、トランプ大統領との関係を世界で一番重視する首相だ。安倍首相は戦後の日本の首相の中で、誰よりも憲法9条改憲に熱心なわけである(了)
 コメント
2. 中川隆[-13712] koaQ7Jey 2018年12月05日 12:44:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw
 馬渕睦夫さんが明らかにしているけど左翼=リベラル=グローバリスト=ユダヤ人だからね

 【秋の特別対談】馬渕睦夫氏と語る - YouTube 動画
 https://www.youtube.com/watch?v=BU4nkKMmVfo&app=desktop

 2018/10/06 に公開

 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)

 ▲△▽▼

 馬渕睦夫×水島総 「世界を統治する者との最終戦争が始まる!」 - YouTube 動画
 https://www.youtube.com/watch?v=L06Zs03T2D0

 2018/11/29 に公開

 既成概念にとらわれない大きな視座で国際情勢を俯瞰し、ぶれることのない日本の軸を示し続けている馬渕睦夫氏。閉ざす門を一度解き放つことによって見えてくるものがあるように、物事の本質を見極める言葉と思考を、対談を通じて伺います。

 出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)

 ▲△▽▼

 馬渕睦夫『グローバリストが恐れる日本の底力』
 ◉講演「新嘗のこころ」第2部(グローバリズムとは共産主義である) - YouTube 動画
 https://www.youtube.com/watch?v=YoH3GG3WiAc&index=2&list=PL7MaEu9i584cGqau
RwWXCapXVTxom8dDT

 ▲△▽▼

 「古事記に学ぶ日本のこころ」 馬渕睦夫 〜天と地を結ぶ日本人の力〜 - YouTube動画
 https://www.youtube.com/watch?v=xcQ1sp6fV2g

 2018/12/01 に公開

 いつもの馬渕大使とは一味違う、ライブ感あふれるメッセージ! 物質欲、金銭欲で支配されるグローバリズム的な生き方を、私たちは祓い除け、伝統的な日本人の生き方を取り戻す必要があるのではないでしょうか。世界の人々もそこに注目しています! そして、グローバリズムとナショナリズムを共存させる知恵とは何か?日本人の力が問われています。

 10. 中川隆[-13719] koaQ7Jey 2018年12月05日 15:06:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21700] 報告
 ここにもアホ陰謀論を信じてる知恵遅れがいるから解説しておくけど:アシュケナージ系ユダヤ人はハザール人ではなく、古代ユダヤ人の子孫とヨーロッパ女性の混血だった

 「ハザール=東欧ユダヤ人」説を否定する  三鷹板吉

 ユダヤ人の本来の言語はヘブライ語です。彼らがディアスポラで諸国に離散した後、それぞれの地元の言葉に聖書やタルムードの言葉を混用し、表記するのにヘブライ文字を使いました。これが一般に「ユダヤ語」と言われる諸言語で、ドイツ語をベースとしたイディッシュもその一つです。 一方、ハザール人の言葉はトルコ語系の言語でした。彼らの支配階級は、政治的理由からユダヤ教を受け入れましたが、当然のことながら言語までは変わりませんでした。変える理由も必要も無かったのです。たとえば日本の戦国時代、いわゆるキリシタン大名はキリスト教を受容しました。でも、彼らがスペイン語を話すようになったワケじゃありませんし、まして領民に日本語を禁じスペイン語使用を強制するなど、やろうと思っても不可能だったでしょう。それと同じことです。スペイン人による征服の結果、キリスト教を押し付けられたフィリピンでさえ、タガログ語は滅びなかったのですよ。ですから、もしも東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツがハザール人ならば、アシュケナージの言語に、彼らの本来の言葉であったトルコ語系言語が残っているはずなのです。しかし、痕跡さえも残っていない。ゆえに、アシュケナージはハザール人ではない。以上、証明終わり(笑) 簡単な話です。ハザール人はあくまでハザール人であり、 東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツなどではありません。

 「ハザール=東欧ユダヤ人」という俗説を近年広めたのは、自身ハンガリー出身のユダヤ人作家であるアーサー・ケストラーですが、彼自身のルーツに関わるロマンチックなファンタジー程度に読んでおくのが適当なようです。まして、西岡さんや宇野正美のように、イスラエル国家の正統性批判にコジツケるのは、歴史学に似て非なる俗流「歴史談義」の政治的利用と言えるでしょう。それ以前に、ユダヤ人という存在を「血統」で説明しようとするのが間違いなんですがね。ナチスの疑似科学による人種論と同レベルです。
http://ime.nu/www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/reizoko/reizoko20010929.htm

PATERNITY AND DANGER: A CASE OF BEHAVIORS FOR GENES
James Boster
Society for Psychological Anthropology Meetings
October 1997, San Diego, CA

http://ime.nu/www.anth.uconn.edu/faculty/boster/cohen/

 アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。 これを見た限り、「アシュケナージユダヤ人のハザラ起源説が、学問的にも裏付けられた」とは言いがたい。 「アシケナジー=カザール説」は、60年代の学説であり、もしこの説が “現在の学界で”メジャーになってないとすれば、通常の感覚では 「かなり古ぼけた説」といわざるをえませんね。 実際、アカデミシャン(プロの学者及びとの周辺)の人は、頭から否定しないまでもかなり冷淡な態度です。この事実と対極的に、トンデモ業界では たいへん評価が高い。 そのへんから空気を察したまでのことです。ついでにいうと、岡田英弘氏も「アシケナジー=カザール説」を一言で斬り捨てています。
http://ime.nu/snsi-j.jp/boards/sample2/1.html

 アシュケナジーユダヤ人が、カザール人のユダヤ教改宗者ではないという根拠は、いくつもある。その一つは、上にリンク先を引用したしたデイブ・ハント(Dave Hunt)氏の回答にもあるが、遺伝学的にアシュケナジー・ユダヤ人は、イスラエル12部族の直系であることが証明されている。かつてユダヤ人の学者がカザール説を提唱したが、これはDNA鑑定が行なわれる以前のことであり、科学的根拠に限界があった。
http://ime.nu/www.forward.com/issues/2001/01.08.17/genetic2.html


 そして歴史的根拠がある。上のミルトスのホームページからの引用でも触れられているが、ローマ帝国拡大時に、すでに紀元前1世紀に、ユダヤ人がドイツや東欧に住んでいたという歴史的事実がある。紀元8世紀以降のカザール帝国のはるか前に、アシュケナジー・ユダヤ人は存在していたのである。
http://ime.nu/www.myrtos.co.jp/topics/juda/juda01.html#Q5

 そして、文化的根拠からの反証もある。アシュケナジー・ユダヤ人の共同体の中には、カザール人から受け継がれた習慣がほとんどないことがある。離散の地における文化や習慣を、ディアスポラのユダヤ人は身に付けているが、例えば、中国系ユダヤ人であれば中国の習慣を、ブラジル系ユダヤ人であればブラジルやポルトガルの習慣を持っており、世界中から移住したユダヤ人の集まりであるイスラエル国は、さまざまな国際文化や習慣も垣間見ることができる。しかし、カザール系の名残がアシュケナジー・ユダヤ人の中に、 ほとんど見ることができない。
http://ime.nu/www.faqs.org/faqs/judaism/FAQ/07-Jews-As-Nation/section-5.html


 参照ページにも書かれていることだが、歴史的事実はこうである。
「西、中央ヨーロッパにてすでに、アシュケナジー・ユダヤ人共同体は存在しており、カザール帝国のユダヤ教改宗があったことは事実だが、その共同体に影響を与えることは少なかった。カザール帝国自体が、王や役人におけるユダヤ教改宗はあったが、一般民は主にイスラム教徒やキリスト教徒であった。 東欧に移住したカザール人は、すでに移住していたアシュケナジー・ユダヤ人と結婚したことはあろうが、後者が前者を吸収し、その逆ではなかった。したがって、今日のアシュケナジー・ユダヤ人と呼ばれている人々は、聖書 のイスラエル人子孫であると言うことができる。

http://ime.nu/72.14.203.104/search?q=cache:QtTAgKUXDw8J:www.logos-ministries.org
/kiyotae/kiyo2/02_0116.html+%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB+%E3%83%88%
E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2&hl=ja&ct=clnk&cd=24

 現在世界各地に広がっているユダヤ人はすべて古代ユダヤ人の子孫だった.

 ユダヤとアラブは血縁 染色体分析で確認

 【ワシントン8日共同】ユダヤ人と、パレスチナ人などアラブ人が共通の祖先を持つことがDNA分析で確認された、と米ニューヨーク大のハリー・オストラー博士らが9日付の米科学アカデミー紀要に発表した。

 ユダヤ人とアラブ人に血縁関係があることは旧約聖書など宗教、歴史文書の記述から当然とみられていたが、遺伝分析ではっきり確認できたのは初めてという。同博士らは中東地域をはじめ、北米、アフリカ、欧州各国など世界29地域の1371人の男性のY染色体のDNAを調べた。同染色体は父親から男の子に伝わり、 遺伝的に近い人は共通の特徴を持つ。その結果、イスラエルや北米、欧州、アフリカ北部に住むユダヤ人のY染色体に共通点が多いことが判明。ユダヤ人は紀元前にパレスチナから世界各地に離散した後も他民族とあまり混血せず、遺伝的な同一性を保ってきたと分かった。またパレスチナ人、シリア人はユダヤ人とY染色体の特徴を共有しており、旧約聖書などが示すように遺伝的なルーツは同じと分かった。(共同通信 2000/05/09)
http://ime.nu/homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/bcg_weapons1.html

11. 2018年12月05日 15:17:21 : a7CnCUZ6eI : @m2M8lU0TSc[8] 報告

 ケリーはよく耐えた。そして後に、ISILが西側のヤラセだったことを公言したわけだ。そして独立国家としてのシリアをロシアが支援し、トランプがオバマやヒラリーの罪を暴きつつある。もちろん安倍政権はヤラセの側であり、トヨタは米英を通じてISILに新車を提供していたのさ。
ヒトデナシのトヨタは、人殺し部隊に新車を売っていたんだから、罪に問われて当然だよね!社長は記者会見し、謝罪し、割腹自殺でもしたらどうかね。

><ネタニヤフがケリーを殴打しました。> オバマの懐刀のケリーさんは イスラエルのネタニヤフ首相に 犬のように殴打されるhttp://sharetube.jp/article/2280/
「ドアが閉まると同時に、豚がうめくような声と家具が投げつけられているような音が聞こえました。 すると、ケリー長官はネタニヤフに向かって、ノー、ノー、ベンジャミン(ネタニヤフの名)、神に誓って言うよ、あれは私じゃない。あれはバカなロシア人がやったのだ、とネタニヤフに訴えていたのです。その直後にケリー長官が殴打されたような音が聞こえました。
その時、ケリー長官は苦痛や怒りの叫びをあげましたが、再度、ケリー長官が叩かれるか、殴られたような音が聞こえたのです。次に、ネタニヤフは、ケリーに向かって、お前にお金を払っているのは何のためだと思ってんだ、と金切り声でののしっていました。その直後に、2人のイスラエル人の警備員が私をドアから引き離したのです。 ____

>「イスラム国を作ったクリントンとオバマ!」トランプ次期大統領
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/a6c13c0400dab84d67f6313f4a3daf21
〇『アメリカ国務長官、「ISISの結成目的はシリア政権の打倒」』2017年01月08日Pars Today
アメリカのケリー国務長官が、「アメリカは、シリアのアサド政権を打倒するためにテロ組織ISISを結成した」との異例の発言を行いました。英語のインターネットサイト、オフ・ガーディアンによりますと、ケリー長官は、シリアにおけるアメリカの主要な目的がアサド政権の打倒であるとし、「アメリカ政府は、この目的を果たすためにISISの結成を許可した」と語りました。
また、「アメリカは、ISISの結成やこの組織の権力増大により、シリアのアサド大統領にアメリカの望む外交的な解決手段を見出させ、退陣に追い込むことを希望していた」とし、「アメリカは、この2つの目的達成のために、ISISの一部のメンバーを武装化した」と述べています。さらに、「アメリカ政府は、ISISがいつでもより強大化することを視野に入れていた」とし、「アメリカは、シリア政府がロシアに軍事支援を依頼するとは予想していなかった」としました。

この報告によりますと、シリアの反体制派グループの代表者との会談における、ケリー長官のこの談話の音声ファイルは、これ以前にCNNやアメリカの新聞ニューヨーク・タイムズに公開されていましたが、アメリカのISIS支援に関するおよそ35分間の部分は、アメリカのメディアにより検閲、削除されていました。なお、内部告発サイト・ウィキりークスは、オバマ政権にISISが結成されたことに関する、アメリカの次期大統領トランプ氏の発言を認証し、昨年9月22日に行われたケリー長官のこの表明の音声ファイルを公開しています。

〇『ISIS結成へのアメリカの関与』2016年11月30日ParsToday
 アメリカの外交文書の公開から6年目に際し、機密情報公開サイト・ウィキリークスの創設者、アサンジ氏が、「アメリカのCIAがテロ組織ISISを生み出した」と述べています。
(解説員)アサンジ氏は、「ISISの起源は1979年に遡る」、「アメリカの諜報機関CIAとサウジアラビがソ連と戦うために、アフガニスタンのムジャヒディンを武装させる決定を下したことは、パキスタン、その後アフガニスタンへのオサマビンラディンの派遣を考慮すると、アルカイダの創設につながった」。最終的に2001年の9・11になる。アメリカは9・11を口実にアフガニスタン、イラクに侵攻し、その結果ISISが形成される。ISISは2011年のアラブの春の後にテログループとして、シリア情勢の不安定化目的で結成された。
アメリカは、ヨーロッパの同盟国と共に、シリア危機で、テログループを良いものと悪いものに分け、良いテログループとしてISISに大規模な支援を行った。目的はシリアのアサド政権転覆であり、その目的のためにテログループを利用したが、ISISは西側のレッドラインを越え現在欧米での脅威に変わっている。これまでアメリカは、ロシアがシリアで行っているような、大規模な空爆やミサイル攻撃といった真剣な軍事攻撃を行っていません。

〇アメリカのトランプ次期大統領は、オバマ大統領やクリントン前国務長官がISISの結成に直接かかわったと表明。トランプ氏の表明は実際、何度となく、プーチン大統領など、世界の一部の国の首脳が述べてきた疑いを認めるものでした。実際アメリカは、中東で目的を実現するためにISISの形成や強化に大きな役割を果たした一方で、アメリカは対ISIS連合を主導したが本物かどうかは疑わしい。2015年にはイラクの領空を介して、アメリカがISISに後方支援を送っていたことが明らかになっており、アメリカの一部パイロットも、「ISISの関連の標的を攻撃することができたにもかかわらず、上官は攻撃の許可を出さなかった」と証言しています。ISISがシリアの合法政府を転覆させるためアメリカや同盟国のサウジアラビアが生み出したもので、なぜアメリカはISISとの戦いを主張。彼らはISISを殲滅しようとしているのか、それともISISの力を制限し、目的に向け維持しようとしているのか。(抜粋)11月30日ParsToday

●トヨタの車内報*************************************************************
*「トヨタ車は、性能が良くて、故障もなく、大人気! 人殺しに大活躍です!」 ってか!
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>「イスラム国」、ランクルなどトヨタ車を多数使用? 米財務省、トヨタに情報提供要請 丈夫で長持ちと人気https://www.sankei.com/world/news/151008/wor1510080020-n1.html
【ワシントン=小雲規生】イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」がトヨタ自動車製の車両を多数使用しているとみられるとして、米財務省がトヨタに情報提供を求めたことが7日、分かった。米メディアが報じた。米財務省はイスラム国の資金源や物品調達の経路を絶つための調査の一環として、トヨタに協力を求めているもようだ。

>米政治学者「IS戦闘員に大量のトヨタ車を供与したのは米国務省と英国政府」2015年10月13日(火)
https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12083598923.html
米国にあるロン・ポール平和・繁栄研究所の政治学者らは「なぜ『IS(イスラム国)』の戦闘員らが、自分達の部隊でトヨタのピックアップやオフロードカーを大量に使っているのか」という問いに対し一つの答えを出した。それによれば「米国務省と英国政府自身が、それらを『IS』に供与した」のだという。原因は、2013年から2014年にかけて米英当局が、トヨタ製ジープなどを、アサド政権に反対して戦っている「自由シリア軍」に供与していた事にあった。先に米国政府は、トヨタに対し「なぜあれだけの数のトヨタ車を『IS』は手に入れる事が出来たのか」について説明するよう、公式の質問書を送ったが、トヨタ側は「わからない」と回答している。


 「★阿修羅♪ > 国際30」の「HIMAZIN 日時 2021 年 6 月 02 日」投稿「ホロコーストを体験したユダヤ人がなぜパレスチナ人を迫害するのか(読む・考える・書く)」。
 https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/05/27/124138
 2021-05-27、ホロコーストを体験したユダヤ人がなぜパレスチナ人を迫害するのか

 この疑問は、いわゆる「パレスチナ問題」(むしろ「イスラエル問題」と呼ぶべきではないかと思うのだが)に関心を持つ大抵の人が抱いているのではないだろうか。敬虔なユダヤ教徒でもあるホロコースト生存者の子としてアメリカで育ったサラ・ロイさん(ハーバード大学中東研究所上級研究員)は、初めてガザを訪れたときの経験を次のように語っている。

 1985年に現地調査のためガザに初めて入った。そこでパレスチナ人の老人がイスラエル兵によって、泣きじゃくる孫の前でロバの尻にキスするのを強要されるのを見た。人間性を剥奪するその行為に、ロイさんは両親から聞いた、ユダヤ人が収容所に入れられる前の扱われ方を思い出した。また彼女は、多くの親族が住むイスラエルを何度も訪問しており、そこでイスラエルに住むユダヤ人の多くが『あの時代のユダヤ人は「脆弱」で「劣っていて」「蔑まれて当然」だったが、「我々は二度と虐殺されない」』と言っていることを知ったという。これは要するに、自分たちは弱かったからやられた、だから二度とやられないよう強くならなければならない、ということだろう。実際、普通に考えれば意外なことに、イスラエルでは、ホロコーストを体験しこれを生き延びた生存者たちは、社会の中で尊重されていない。

 イスラエル人たちは、自らの社会の内部にホロコーストの真の生存者がいることに気づきました。生き残った人びとです。ここでみなさんは、この生存者こそホロコーストの犠牲者の主要な代表者だろうと思われるでしょう。しかし、彼らはイスラエルのナショナル・ナラティヴ(注:国民的物語)に合致しなかったのです。イスラエル人たちにとってのナショナル・ナラティヴにおいては、「ホロコーストの生き残りたちは、十分にナショナリストではない、彼らは闘っていなかった」、ということになります。彼らはホロコーストを生き延びたことについて重んじられませんでした。ですから今日に至るまで、補償されていないのです。

 イスラエルでは、ホロコーストという民族的苦難の経験が、このような悲劇を二度と起こしてはならない、という普遍的信念にはなっていないのだ。これでは確かに、「二度と虐殺されない」ためなら他者をどんな目に遭わせても構わないことになってしまうだろう。

 さらには、教育の問題もある。IWPS (International Women’s Pease Service)のボランティアとして2003年にパレスチナを訪れた川島めぐみさんは、そこで検問所(パレスチナ人の移動を妨害して嫌がらせをするための施設)のイスラエル兵士と会話(口論)した経験をこう書いている。

 (略)兵士は開口一番、検問所は効果的だと思うか、と聞いてきた。(略)イスラエルに忍び込むテロリストによる「イスラエルの子ども達や無辜の人々」の殺害を防止するのに検問は重要だと彼はいう。何がパレスチナ人を「自爆テロ」に駆り立てるのか、この兵士は考えたことがあるのだろうか? 「奴らは俺達の土地が欲しいんだよ。欲張りなんだ。土地を盗もうとしているんだ」。同意しない。「盗む」ために人は自爆なんかしないと思う。「奴らはイスラエルの人間を殺しているんだ。二年前にパレスチナ人は二人の兵士をラマラで拷問している。その写真を見れば誰だってパレスチナ人を憎悪するに決まっている」。兵士は続ける。「罪もない人々が殺されることを僕は容認しない」。そうよ。私も容認しない。それでは三日前にイスラエル兵が「間違えて」殺した九五歳のおばあさんと四一歳の母親についてはどうなの? 子どもも重傷を負ったわ。「そんなことは起こらない。起こるわけがない」。何で? 事実よ。「そんなことが起こるわけはないんだ。パレスチナ人は平和なんか求めていない。欲しいのは俺達の土地だけさ」。(略)「パレスチナ人には行くところがあるじゃないか。他のアラブ諸国に行けばいいんだ。ここにいる必要はない。ここは神によって俺達に与えられた土地なんだから」。本気でそんなことを信じているの? まあいいわ。それにしても他人が何世代も住み着いて、耕して、住んできた土地に突然やってきて、「俺達の」土地だと言って没収するなんて許されないわ。パレスチナ人は人間以下だと彼は言う。だから人間以下に扱って当然なのだ、と。それでも兵士自身、矛盾を感じているのではないかと感じることもある。

 誰が誰の土地を盗んできたのかは、下の地図を見れば明らかだろう。(ちなみに、ユダヤ人入植地に蚕食されてぼろぼろになりながら右側に残っているのがヨルダン川西岸地区、左端の小さな緑色がガザ。)しかしこの兵士にはこれが真逆に見えている。そう教えられてきたからだろう。しんぶん赤旗(2007/7/27)によると、建国から60年近くを経て初めて、イスラエルの教科書にパレスチナ人への迫害が記載されたという。(現在もこの教科書が使われているかどうかは不明。)

 【カイロ=松本眞志】イスラエルでは二十三日、タミール教育相がパレスチナ人の惨状の記述を掲載した教科書の採用を認めた問題で、リクードや国家宗教党など右派勢力は同相の辞任を要求しました。イスラエル紙ハーレツ同日付(電子版)が報じたものです。問題となったのは「イスラエルでともに生きる」と題する地理の教科書。アラブ系イスラエル人の学校で使われるものです。一九四八年の第一次中東戦争で、イスラエル国内のアラブ系住民が住んでいた村を破壊されて、家を追放されて難民になったとし、イスラエルの建国が、アラブ人にとっては“ナクバ”(「破局」「災難」を意味するアラビア語)だったと述べています。この報道内容のポイントは、この教科書が使われるのが「アラブ系イスラエル人の学校」というところだ。「ユダヤ系イスラエル人」には、この重大な歴史的事実が教えられることはない。これはまぎれもない歴史修正主義だ。

 欧米(一部日本でも)の反ユダヤ主義者たちは、「ガス室はなかった」といった虚偽の主張によりホロコーストを矮小化し、ナチスの蛮行による被害者を攻撃している。人種差別的反ユダヤ主義との闘いは、歴史修正主義との闘いと言ってもいい。しかし、当のユダヤ人国家イスラエルがこんな歴史修正主義教育を行っているようでは、反ユダヤ主義に対して彼らが何を言っても説得力を持ち得ないだろう。

(私論.私見)
 かなりひねくれた正義論であるが、参考になるところもあるので転載しておく。




(私論.私見)