聖書の天地創造譚

 (最新見直し2006.11.17日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「聖書の天地創造譚」を検証解析する。れんだいこ史観によれば、ユダヤ教の悪徳性はここより端を発している。これが、歴史的な意味でのユダヤの民の精神の原基を形成していると読み取ることが肝腎ではなかろうか。「聖書の天地創造譚」の特徴は、「セム系一神教(ユダヤ、キリスト、イスラーム)の天地創造説との比較」で考察する。(「旧約聖書」参照)

 2006.11.17日 れんだいこ拝


【旧約聖書「創世神話」】
 旧約聖書創世記の世界創造譚は以下の通り。

 神は、六日間(七日目は休日)で世界を創造された。
 一日目
1、「天地創造」 
 「初めに、神は天と地を創造された」。
2、「混沌、闇、神の霊」
 「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」。
3、「光の創造」
  「神は言われた。『光よあれ』。 こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた」。
4、「闇の創造、昼と夜の創造」
 「神は光と闇を分け、光を昼とし、闇を夜とした」。
 そのようにして夕べがあり、朝があった。最初の一日が終わった。

 二日目
5、「空の創造」
 「『大空よあれ』のみ言葉で、大空ができた」。
6、「空の下の水と上の水の分岐」
 「神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった」。
7、「天の命名」
 「神は大空を天と呼ばれた」。
 そのようにして夕べがあり、朝があった。第二日目が終わった。

 三日目
8、「陸と海の分岐」
 「『天の下の水は集まれ。乾いた所が現れよ』のみ言葉で、地と海ができた」。
9、「植物の創造」
 「『地には種を持つ草と実をつける果樹を芽生えさせよ』のみ言葉
で、草木ができた」。
 そのようにして夕べがあり、朝があった。第三日目が終わった。

 四日目
10、「月日の創造」
 「『大空に光る物があって、地を照らせ。季節のしるし、日や年のしるしとなれ』のみ言葉で、月と日が出来た。他にも無数の星ができた」。
11、「昼と夜、光と闇の分岐」
 「神は、二つの大きな光る物の大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた」。
 そのようにして夕べがあり、朝があった。第四日目が終わった。

 五日目
12、「水中の生き物と空飛ぶ生き物の創造」
 「神は、水に群がるものとして魚類を作り、空には飛ぶ鳥をお作りになった」。
13、「産めよ、増えよ、海の水に満ちよの指令」
 「神はそれらのものを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ』」。
 そのようにして夕べがあり、朝があった。第五日目が終わった。

 六日目
14、「陸上動物の創造」
 「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、土を這う物、地の獣を作られた」。
15、「人間の創造」
 「そして、終わりに神は御自分にかたどって人を創造された」。
16、「生めよ、増えよ、地に満ちよ、生き物をすべて支配せよの指令」
 「 『生めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」。
17、「食べ物の確保」
 「『見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる』」。
18、「創造の完了」
 「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。天地万物は完成された」。
 そのようにして夕べがあり、朝があった。第六日目が終わった。

 七日目
19、「安息日の指令」
 「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」。
 「これが天と地が創造されたときの経緯である」。

【旧約聖書「エデンの園譚」】
 旧約聖書創世記のエデンの園譚は以下の通り。
1、水の働き
 「主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て霧が地から立ち上り、土の面をすべて潤していた」。
2、エデンの地理
 「エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった」。
3、エデンの園
 「主なる神は、その土地に、見るからに好ましく食べるのに良いあらゆる木を生えさせられた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせられた」。
4、人がエデン入園
 「土(アダマ)の塵で人(アダム)を形造り、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった。主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置き、耕させまた守らせた」。
5、主の戒め
 「神である主は、人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死んでしまう。それ以外の木からなら自由に取って食べるが良い』」。
6、生き物の命名
 「主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった」。
7、女の創造
 「人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に相応しい助ける者を造ろう』。主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。人は、男と女に創造された」。  
8、夫婦の契り
 「主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。『ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう まさに、男(イシュ)から取られたものだから』。こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人はやがて一体となる定めとなった。人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがらなかった」。
9、女と蛇の遣り取り
 「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も悪賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。『園の木のうち食べても良い木といけない木があるなどと神は言われたのか』。女は蛇に答えた。『園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました』。蛇は女に言った。『決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなり、人が神のようになることを恐れているだけさ』」。
10、女と男が神の戒めを破る
 「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」。
11、神の尋問
 「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。『どこにいるのか』。彼は答えた。『あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから』。神は言われた。『お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか』。アダムは答えた。『あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので食べました』。主なる神は女に向かって言われた。『何ということをしたのか』。女は答えた。『蛇がだましたので、食べてしまいました』」。
12、神の裁き
 「主なる神は、蛇に向かって言われた。『このようなことをしたお前は あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は生涯這いまわり、塵を食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に私は敵意を置く。彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く』。 神は女に向かって言われた。『お前の腹みの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する』。神はアダムに向かって言われた。『お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して土には茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る』」。
13、エデン追放
 「アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。主なる神は言われた。『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある』。主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、輪を描いて回るきらめく剣の炎を置かれた」。

【ユダヤ聖書創世記の邪宗性その1、「7日間創造説」について】
 ユダヤ聖書の天地創造譚では次のように記されている。
 「神は、六日間(七日目は休日)で世界を創造された」。
(私論.私見)
 これを仮に「7日間創造説」とする。この説の問題性はどこにあるかというと、天地創造、森羅万象をロゴス化して定式絶対命題化しているところにある。天地創造、森羅万象をロゴス化せんとする試みはまだ良い。それを定式絶対命題化するのは僭越ではなかろうか。思えば、西欧的知性はここで躓いている。一見精緻に見えるが、精緻である事が真に正しく対象に迫っているかどうかは定かではない。ある種の弁えが要るところを粗雑無謀に定式絶対命題化し過ぎているのではなかろうか。れんだいこは大いに疑問を持つ。ユダヤ聖書の天地創造譚の原罪は「7日間創造説」という定式化から始まっていると思っている。「7日間創造譚」は、ユダヤ聖書の天地創造譚の原罪その1であり、れんだいこはかく受け止めている。 

 2006.10.9日 れんだいこ拝

【ユダヤ聖書創世記の邪宗性その2、「月日の創造と天動説」について】
 ユダヤ聖書の天地創造譚では、神の4日目の御業(わざ)として次のように記されている。
 概要「月日の創造が為され、それにより地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた」。
(私論.私見)
 これは明らかに地球を中心に月日と昼夜、光闇を記述している。ユダヤ聖書の天地創造譚は、天動説的立場を表明していないが、地動説的立場で受け取るには余りにも天動説的である。これを定式絶対命題化したことにより、後に天動説と地動説の対立を発生させることになった。その天動説的受け取りが、異端尋問による圧政を招いたことは承知の通りである。れんだいこは、天地創造譚が異端尋問を招くのは、天地創造譚が不十分であることに原因が有ると見立てている。「天動説的月日の創造譚」は、ユダヤ聖書の天地創造譚の原罪その2であり、れんだいこはかく受け止めている。 
 2006.10.9日 れんだいこ拝

【ユダヤ聖書創世記の邪宗性その3、「神の似姿としての人間創造」について】
 ユダヤ聖書の天地創造譚では、「7日間創造」によって天地を開闢させるが、人間は6日目に創造されている。次のように記されている。
 概要「(神は)御自分にかたどって人を創造された」。
(私論.私見)
 人間創造に当り、「御自分にかたどって人を創造された」は人間賛美のように受け取られがちであるが、実は逆である。この記述が、神にかたどられることなく創造された他の生物に対する差別及び蔑視の意識を醸成する。この差別及び蔑視感覚が次に、神と契約する民と神の恩寵に与らない民との差別及び蔑視を生む。「神の似姿人間譚」は、ユダヤ聖書の天地創造譚の原罪その3であり、れんだいこはかく受け止めている。 

 2006.10.9日 れんだいこ拝

【ユダヤ聖書創世記の邪宗性その4、「生めよ、増えよ、生き物をすべて支配せよ」について】
 ユダヤ聖書の天地創造譚では、6日目の人間創造後、創造主は次のような御言葉を与えている。
 「生めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」。
(私論.私見)
 ユダヤ聖書の天地創造譚の原罪はまさににここに極まれりであろう。弁証宗教祖れんだいこが論難しておく。創造主をして「人間よ、お前たちは他の生物を支配する義務と権利がある」などと命ぜられたとする「邪な創造主の創造」は許されない。それは創造主に対する限りない冒涜である。そのような創造主に服従を誓えば誓うほど信仰的従順などと説く宗教は邪宗である。「地を従わせ、生き物を支配せよ譚」は、ユダヤ聖書の天地創造譚の原罪その4であり、れんだいこはかく受け止めている。 

 2006.10.9日 れんだいこ拝

【ユダヤ聖書創世記の邪宗性その5、「人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。人は、男と女に創造された」について】
 ユダヤ聖書の天地創造譚では、次のように記されている。
 概要「始めに男性が創られ、次にその男性を助ける女性を創られた。神は、男性のあばら骨の一部を抜き取り、それを元に女性を創られた」。
(私論.私見)
 男女のこの創造の仕方こそ男女差別の原罪ではなかろうか。仮に、創造主が居たとして、その創造主が男女を創造するに当って、「まず男を造り、次に男のあばら骨から女を造った」とする必然性は無い。中山みき教義では、男女は同時に別々の理合いで創造されている(「お筆先の元の理」参照の事)。ユダヤ聖書天地創造譚は、かように男女創造を説く事で男女差別を定式化させている。ここにもユダヤ聖書天地創造譚の邪宗性が認められる。「男性本意式男女創造譚」は、ユダヤ聖書の天地創造譚の原罪その5であり、れんだいこはかく受け止めている。 

 2006.10.9日 れんだいこ拝

【ユダヤ聖書創世記の邪宗性その6、「エデンの園問答」について】
 ユダヤ聖書の天地創造譚では、次のような「エデンの園問答」を説いている。
 意訳概要「男女は対のままエデンの園で暮らし始めた。悪賢い蛇が、神から禁止されている知恵の実を食べるよう女を誘惑し、まず女が食べ次に男が食べた。すると、二人は自分たちが裸であることを知り、いちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。神は二人が禁断の木の実を食べた事を知り、二人を質した。罰として、ヘビに対し、生涯這いまわり、塵を食らう。頭を砕かれるか、かかとを砕くかの関係になる罰を与えた。女イブに対し、産みの苦しみと男に支配される罰を与えた。男アダムに対し、生涯食べ物を得ようと苦しみ、顔に汗を流してパンを得る罰を与えた」。
(私論.私見)
 ここにも邪宗性が認められる。ユダヤ聖書の天地創造譚では、人間が人間としての存在根拠ともなる知恵について端から背徳性をもたせている。智恵が悪賢いヘビの誘惑からもたらされているという理由付けは、智恵にそもそもの邪悪誘引性をもたらしており、いわゆる悪智恵の起源となっている。ここにもユダヤ聖書天地創造譚の邪宗性が認められる。「悪智恵譚」は、ユダヤ聖書の天地創造譚の原罪その6であり、れんだいこはかく受け止めている。 

 2006.10.9日 れんだいこ拝

【ユダヤ聖書創世記の邪宗性その7、「アダムのエデンの園からの追放」について】
 ユダヤ聖書の天地創造譚では、創造主は、主の戒めを破った罪により、アダムをエデンの園から追放した。その際、次のように措置された。
 「命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、輪を描いて回るきらめく剣の炎を置かれた」。
(私論.私見)
 イブの追放について記されていないが解せない事である。なお、「命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、輪を描いて回るきらめく剣の炎を置かれた」も意味深と云うべきか解せない。「二度と立ち入り禁止」と解すべきであろうが、創造主をしてかように峻厳罰神として描くのも邪宗であろう。創造主が峻厳罰神であらねばならない必然性は無い。「峻厳罰神譚」は、ユダヤ聖書の天地創造譚の原罪その7であり、れんだいこはかく受け止めている。 

 2006.10.9日 れんだいこ拝

【「キリスト教の原罪救済論」】

 キリスト教は、全てかどうかは分からないが、旧約聖書の「失楽園譚」を次のように教義化している。即ち、禁断の木の実を食べたアダムとエバはこの時原罪を背負うことになったが、キリストの贖いによりこの罪は償われ人類の救済は成就した云々。

(私論.私見)
 イエスの御教えとは何ら関係ない独特の教義を構築している。イエスが云いもせぬ教義をどんどん作っていくのが、イエス教からキリスト教への変質以降の際立つ特徴であろう。我々は、この違いを分別しておかねばならない。恐らく、改宗ユダヤ人によるユダヤ教的知性によるイエス教のキリスト教的改竄の代表例であろう。れんだいこはそう受け止めている。

 2006.10.9日 れんだいこ拝

 この後は、「聖書の創世記」に続く。





(私論.私見)