聖書の創世記

 更新日/2023(平成31.5.1栄和/令和5).3.15日

【カインとアベル兄弟物語その1、兄が弟を殺す】
 エデンの園から追放されたアダムとエバに、カインとアベルという二人の子が生まれた。この二人の不仲と兄の弟殺しが次のように記されている。
 意訳概要「兄カインは土を耕し、弟アベルは羊飼いとなった。兄弟が神に捧げ物をしたとき、兄カインは、神の眼差しが自分にはなく弟のほうに注がれているのに腹を立てていた。或る時、二人は親にご機嫌を取るために色々な貢物を持ってきたが、どちらの受けが良いかで兄弟げんかが起った。兄カインは弟アベルに嫉妬し殺してしまった。全て見通しの神は、兄カインに、『お前は呪われる者となった。お前は地上をさまよい、さすらう者となる』と言い渡した」。
(私論.私見)
 ここで、アダムとエバが共にエデンの園から追放されたことが判明する。やがて二人の間に子供が生まれるが、妊娠、出産、子育ての経緯記述は一切ないまま、兄弟の長じての関係を説いている。兄カインは農耕を、弟アベルは狩猟(羊飼い)を生業としたことが知らされ、その兄弟が、神の恩寵を廻って争い、嫉妬した兄が弟を殺す。ユダヤ聖書では、これが人間最初の兄弟物語となっており、兄弟の宿命を寓意している。東洋でも「兄弟は他人の始まり」との諭しはあるが、「兄弟が殺しの始まり」とは説かない。

 ユダヤ聖書創世記はいきなり、兄弟関係に嫉妬、憎悪、殺人、罪と罰、呪いを持ち込んでいる。肉親兄弟関係の本来の絆である愛情、扶助、協働共生については一言の言及もない。この偏りこそ注目されるべきであり、ユダヤ聖書の邪宗性極まれりではなかろうか。

 もう一つ、ユダヤ人以下の全人類はこの弟殺しの子孫であるという説話になる。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【カインとアベル兄弟物語その2、カインの哀訴と神の計らい】
 カインの哀訴と神の計らいが次のように記されている。
 意訳概要「カインが、『わたしの罪は重すぎて負いきれません。私は出会う者に殺されてしまう』と哀訴した。神は、『カインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受ける』と述べ、カインが打たれないように印をつけた」。
(私論.私見)
 「お前は呪われる者となった。お前は地上をさまよい、さすらう者となる」と言い渡されたカインは、「カインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受ける」との御言葉と印により生き延び、子孫を増やしていくことになる。ここから判明することは、「弱きを助け、強きをくじく」東洋的正義の精神は微塵もないということである。むしろ逆に「神が神と契約したユダヤの民」を第一に保護し、「神が神と契約したユダヤの民」というそれだけの理由で、仮にその者が邪悪な者であれ助けている。こうなると一体どういう教訓が生まれるのだろうか。 かく「邪悪な者の方が生き延びさせ神が恩寵する」ことを教義として掲げる宗教は邪宗とされるべきではなかろうか。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【カインとアベル兄弟物語その3、カインの末裔】
 カインのその後が次のように記されている。
 意訳概要「カインの末裔はエデンの東、ノド(さすらい)の地に住み、妻を娶った。彼女は身ごもってエノクを産み、エノクはイラドを生み、イラドはメフヤエルを、メフヤエルはメトシャエルを、メトシャエルはレメクの父となった。レメクは二人の妻を娶り、妻はアダとツィラを生んだ。アダはヤバルを生み、ヤバルは、家畜を飼い天幕に住む者の先祖となった。ヤバルの弟ユバルは、竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった。ツィラは、トバル・カインを生み、彼は青銅や鉄でさまざまの道具を作る者となった。トバル・カインの妹はナアマといった」。
(私論.私見)
 カインの末裔を「家畜飼い」、「竪琴や笛を奏でる者」、「青銅や鉄でさまざまの道具を作る者」の先祖とするのは神話ゆえに許されるが、選民主義的独善的な臭いを感じ取るのはれんだいこならであろうか。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【カインとアベル兄弟物語その4、カインのための復讐が七倍なら レメクのためには77倍】
 カインの末裔のレメクは、妻に次のように述べている。
 「アダとツィラよ、わが声を聞け。 レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。 わたしは傷の報いに男を殺し 打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が7倍なら レメクのためには77倍」。
(私論.私見)
 何と、神が「カインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受ける」と述べたのを、カインの末裔レメクが勝手に「カインのための復讐が7倍なら レメクのためには77倍」と復讐制裁域を拡大強化している。 聖書に敢えて記すからには定言遵守の意味合いが込められているのだろう。それにしても、聖書には共生観念は微塵もなく、「やるかやられるか、やられたら極限的にやり返す復讐制裁」観念に凝り固まっていることが判明する。この復讐制裁観念がはるけき今日のイスラエルの軍事政治思想の淵源になっているように思われる。まさに邪宗と云うべきであろう。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【旧約聖書「人の一生120年譚」】
 カインとアベルの二人を失ったアダムは、再び妻を知って、アダム130歳の時、エバは男の子セトを産む。アダムは930歳で死んだ。セトは920歳で死んだ。この後、アダムの系図が続き、エノクを経て、やがてノアに至る。アダムの生命は、神の息は5700年以上、肉体から肉体へと受け継がれた。世に人が増え始めた。この頃、神は云った。
 「私の霊は、人の中に永久に止まるべきではない。人は肉に過ぎないのだから」。

 こうして人の一生は、120年となった。

【ノア物語その1、地上に悪がはびこり、神が天地創造を後悔する】
 カインとアベルの二人を失ったアダムとエバは男の子セトを産む。この後、アダムの系図が続き、エノクを経て、やがてノアに至る。この頃、地上に悪がはびこり、神が天地創造を後悔する。次のように記されている。
 「この頃、神は、地上に人の悪が増し、常に悪事ばかりを心に思い計っているのをご覧になって心を痛めた神は、天地創造を後悔した」。
(私論.私見)
 「この頃、地上に人の悪が増し、常に悪事ばかりを心に思い計っていた」と記すのも如何にも聖書的記述である。神が、「心を痛め、天地創造を後悔した」と記すのも如何にも聖書的記述である。神が、成り行きそのような可能性を持つ人間創造したとみなされることになるが、ある種不敬冒涜的な神観ではなかろうか。中山みきの泥海創世譚にはそのような記述は一切なく、深い無限の慈愛ばかりが説かれており鮮やかに対比的である。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【ノア物語その2、神の人類制裁とノア一族の救済】
 「ノア一族救済物語」が次のように記されている。
 意訳概要「神は、地上に人の悪が増し、人が常に悪事ばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し心を痛めた。神は、地上に洪水をもたらし、命の霊を持つ全ての肉なるものを滅ぼすことを決意した。神は、「神に従う無垢な人」として好意を寄せていたノアに、ノアが神との契約を守るなら救済すると約束した。ノアは、遵守を誓い、云われた通りの箱舟を作り始めた。神を信じて、そひたすら箱舟を作り続けるノアの家族を人々は笑った。

 妻子と共に箱舟に入った。他にも、清い動物7つがいずつ、清くない動物1つがいずつ、箱舟に連れて入った。箱舟に乗り込み7日が過ぎた時、地上に洪水が起った。ノアが600歳、第2の月の17日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、点の窓が開かれた。神の言葉通り、雨が40日40夜、降り続けた。箱舟は、大地を離れて水に浮かぶ。水は益々勢いを増し、地上を覆い、山を覆った。箱舟だけが水面にあった。地に居た人々、生き物、空の鳥も息絶えた。水の勢いは150日続いた。箱舟はアララト山の頂上に止まった。

 主は、ノアと、彼と共に居た全ての獣や家畜を御心に留め、天の窓を閉じられた。雨は降り止んだ。ノアはカラスを放した。飛び立ったカラスはすぐに戻ってきた。次にノアは鳩を放った。地の面から水がひいたかどうか確かめるためだ。鳩は止まるところが見つからず帰って来た。7日待って、再び鳩を箱舟から放した。夕方になって帰って来た。くちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは地上から水がひいたことを知った。更に7日たって鳩を放した。鳩は帰ってこなかった。巣を作る場所を見つけたからだ。ノア達は箱舟から出て大地を踏んだ」。
(私論.私見)
 ここで、神が、人類制裁とノアの救済を同時的に行うことを決意したことが告げられている。この時、ノアは、神と人類最初の契約を為すことでノア一族が救済される。ここでの問題は、「ノアが神との契約を守るなら救済すると約束した」とあるばかりで、神とノアの契約内容が明かされず、ノア一族救済の方法のみが語られているところに有る。前後の文言で、地上悪が増し、悪事が流行っていることに神が怒り、滅ぼすことを決意したとあるので、神とノアの契約はそれを質すための条文誓約であったと推定されるが、肝腎なその内容が記されていない。「ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」とあるばかりである。この種の契約が手本にされるなら、盲目的危険なイエスマン契約に堕する恐れがあろう。神と人との契約に於いて白紙委任状的契約を推奨する聖書はまさに邪宗と云うべきであろう。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【ノア物語その3、再び「産めよ、増えよ 地に満ちよ」の命。歯向かうものには賠償させよう】
 主は、ノアと彼の息子たちを祝福して次のように仰せになった。
 「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。私はこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。ただし、肉は命である。血を含んだまま食べてはならない」。
 「また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する」。
(私論.私見)
 旧生物が一掃され、ノア一族の地上生活が始まったが、この時の神の命が再び、「産めよ、増えよ 地に満ちよ」であった。戒律として、1・動いている命あるものを食糧とせよ、2・肉は命である血を含んだまま食べてはならないが垂示された。他にも、ノア一族に手向かう者には相応しい制裁賠償をさせるとも垂示している。問題はここでも、奇妙なことに手向かう者の動機、原因、事由は何ら問われていない。神の保護下のノア一族に手向かうこと自体が責められる仕掛けになっている。余りにもエゴイズムというべきではないか。こういう神とノア一族との特殊関係を宣言する聖書はまさに邪宗と云うべきであろう。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【ノア物語その4、ノアのホロコースト祭儀】
 地上に降りたノアが最初に為した事が次のように記されている。
 概要「ノアは、主の為に祭壇を築いた。そして清い家畜と清い鳥を焼き尽くす捧げ物として祭壇の上にささげた」。
(私論.私見)
 地上に降りたノアが最初に為した事は、清い家畜と清い鳥を焼き尽くす捧げ物を祭壇に捧げる祭儀であった。これが、「ホロコースト」の原義であり、「ホロコースト祭儀」が如何に重要な行事であるかが知れよう。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【ノア物語その5、神のノア一族に対する契約】
 ノアのこの敬虔な行為は神の怒りを和らげた。主は空に虹を掛け、宥めの香りを愛でてノア一族に次のような契約をしている。
 「私は、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは生まれ性なのだから。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続く限り、種まきも刈り入れも暑さ寒さも夏も冬も昼も夜も止むことはない」。
 「産めよ、増やせよ、私は全ての生るものとの契約を結ぶ。その印として、大空に虹を架けよう。見よ、契りの印である。私があなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。雲の中に虹が現われたなら、私はそれを見て、神と地上の全ての生き物、全ての肉なるものとの間に立って、永遠の契約をしたことに心を留める。主は、ノアに云われた。これが、私と全ての肉なるものとの間に立てた契約の印である」。
(私論.私見)
 何と、この章で、神が人間に謝罪している。神を絶対全能主にしてみたり謝罪させてみたり様々に登場させていることになる。しかし、ありていに言えばむしろ不敬涜神ではなかろうか。神をかように不完全な者として描く聖書を持つユダヤ教とは何たる邪宗であろうか。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【ノア物語その6、ノアの3人の息子】
 ノアの息子について次のように記されている。
 「箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトであった。ハムはカナンの父である。この三人がノアの息子で、全世界の人々は彼らから出て広がることになる」。
(私論.私見)
 これによると、人類の祖は、「セム、ハム、ヤフェトの三系」という事になる。それにしても息子ばかりであるが、どうやって子孫を殖やしていくことになるのだろうか。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【ノア物語その7、ノアのハムーカナンに対する呪い】
 ノアのハムー息子カナンに対する呪いが次のように記されている。
 意訳概要「ノアはその後農夫となり、ぶどう畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になって寝ていた。ノアの末子にしてカナンの父ハムは、父の裸の寝姿を見て、外にいた二人の兄弟、兄のセムとヤペテに告げ嘲笑した。セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔いからさめると、末の息子に嘲笑されたことを知り、こう言った。『ハムは、息子カナンともども呪われよ。兄セムとヤペテの奴隷として仕えよ』、『セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。神がヤフェトの土地を広げ(ヤフェト) セムの天幕に住まわせ、カナンはその奴隷となれ』」。
(私論.私見)
 何と、ノアの息子のセム、ハム、ヤフェトも又兄弟関係が悪くされている。父ノアの裸を見た程度の問題で、息子たちの対応に難癖つけて、ハムの息子のカナンを父の過ちの償いとして叔父の奴隷になり仕えることが命ぜられる。こうしてカナンは呪われることになった。しかし、無茶な話である。兄弟関係をかくも不仲に描き、支配被支配の関係まで持ち込み、何の咎もないカナンを奴隷の境遇に甘んじるよう命ずるような「人類の祖」を描く聖書を持つユダヤ教とは何たる邪宗であろうか。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

【ノア物語その8、ノア一族のその後】
 ハム系の子孫は、エジプトやアッシリヤ、カナン、シドン、アモリ人など、イスラエル周辺の重要な敵対国になる。もう一人の兄弟ヤフェトの子孫は、ゴメルとかマゴクとか遠くの北方民族の国となる。ノアは、洪水後350年生き、950歳になって死んだ。

【バベルの塔物語】
 「バベルの塔物語」が次のように記されている。
 意訳概要「当時、世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。 彼らは、れんがを作り、それをよく焼こうと話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしようと言った。

 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、 言われた。『彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう』。 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである」。
(私論.私見)
 「バベルの塔物語」も又まさに邪宗性を物語っている。「当時、世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」こと自体が批判されている。「石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた」こと自体が批判されている。「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」とすること自体が批判されている。その上で、「これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない」という理由付けで、「彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」とする。何たる悪巧みであろう。神をして悪巧み主として登場させる聖書を持つユダヤ教とは何たる邪宗であろうか。

 2006.10.10日 れんだいこ拝

 「バベルの塔物語」で、創世記の前半の全人類的な「原初の神話的物語」が終わり、「全地に散らされた」全民族の中からイスラエル民族が選ばれ、バビロンからカナンの地への移住と召命をテーマとする「族長物語」が12章から始まる。
【アブラハム物語その1、神のお告げによりカナンの地イスラエルに向う】
 ノアの息子セムの末裔アブラム、後のアブラハムがイスラエルの祖になり民族の祖先になった。次のように記されている。
 意訳概要「アモリ族は、チグリス・ユーフラテスの肥沃な三日月地帯に、後にハムラビ法典で知られるバビロニア王国を築いた。彼らは、いわゆる星辰信仰をしており、ウルには月神の壮麗な神殿が建てられていた。アブラハム一族はウルで羊の群を引き連れて遊牧民的生計をしていた。ウルからマリを経てユーフラテス川の上流にある町ハランに着いた時、神のお告げがあった。『さあ国を出でよ。父の家を離れて、私が示す地へ行け。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、名を高めよう』。アブラハムは75歳という高齢にも拘わらず、神の導きに従ってカナンの地イスラエルに向った。シケムの地に来ると、聖なる場所(モレ)の樫の木のところに神が現われ、次のように告げた。『この地をお前とその子孫に与えよう。私はお前を祝する者を祝し、お前を呪う者を呪う。他の全ての民は、お前によって祝される』。アブラハムは、その場に祭壇を築き、そこで新たな生活を始めた。これがイスラエルの起源となる。しかし、カナンの地は暮らし易い場所ではなかった。飢饉が起り、一時エジプトに逃れたが、再びこの地に戻ってきた」。
(私論.私見)
 これによれば、カナンの地イスラエルは、神の導きによって向った先であり、原住地という訳ではないことが分かる。その地に先住民がいたかどうかの記述はない。肝腎なところであるが、肝腎な記述が抜けている。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【アブラハム物語その2、神のアブラハムに対する約束】
 「神のアブラハム」が次のように記されている。
 「あなたは多くの国民の父となる。私は、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。私は、あなたが滞在しているこのカナンの全ての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。私は、彼らの神となる」(創世記17.4ー8)。
(私論.私見)
 ここでも先住民の記述がないままに「カナンの全ての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える」と記述する。カナンの地に先住民が居たとするなら、アブラム一族は強盗であり、無頼の闖入者ということになろう。こういうところは肝腎なところであるが、肝腎な記述が抜けている。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【アブラハム物語その3、アブラハムと甥ロトの諍(いさか)い】
 「アブラハムと甥ロトの諍(いさか)い」が次のように記されている。
 意訳概要「或る時、アブラハムと甥のロトの牧舎の間で争いが起きた。アブラハムは次のように述べた。『身内同士なのに、喧嘩をするのは耐えられない。ここで別れよう。お前が好きな土地を取るがいい』。ロトは、ヨルダン川流域の肥沃な低地へと移り、ソドムという大きな町に定住した。アブラハムは、西の山地に留まった」。
(私論.私見)
 ここでも、「アブラハムと甥の諍(いさか)い」が記されている。要するに、ユダヤ聖書創世記では身内の対立のオンパレードとなっている。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【アブラハム物語その4、アブラハムのロト救出】
 「アブラハムのロト救出」が次のように記されている。
 意訳概要「東方の王達の戦争でロトの住むソドムが襲撃され、ロト一族が捕虜となった。これを知ったアブラハムは380人の兵で救出に向かい、無事にロトを救出した。ソドムの王は、町の救世主となったアブラハムに報酬を申し出たが、アブラハムは辞退した」。
(私論.私見)
 ここで、ロト一族が捕虜となった経緯は記されないまま救出劇のみが語られている。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【アブラハム物語その5、ソドムの町壊滅物語】
 「ソドムの町物語」が次のように記されている。
 意訳概要「アブラハムの甥ロトが住んでいたソドムの町は、悪徳がはびこり腐敗堕落していた。神は怒り、アブラハムにソドムを滅亡させる計画を打ち明けた。アブラハムは尋ねた。『神は、正しい裁きをなさる方ではないですか。もし、ソドムの町に、正しい者が50人居たとしても、その50人の為に、町を赦さずに滅ぼされるのですか』。神は、述べた。『正しい者50人の為に、私は町を滅ぼさない』。しかし、この町には、正しい者は50人などころか10人も居なかった。神は、ソドムの町を滅ぼすために使者を遣わした。二人の旅人がロトの家に招き入れられた。それを聞きつけた住民押し寄せてきて、引き渡すよう要求し始めた。ロトは次のように述べ懇願した。『まだ生娘の私の娘二人を差し出すから、旅人には手を出さないで欲しい』。ならず者達は云った。『よそ者の癖に生意気な口をきくんじゃない』。その時、旅人が言った。『この町の不義の為神はお怒りになり、罪の町を滅ぼす為に、私たちをここに遣わした。身内がこの町に居るなら、直ぐに連れ出し、急いで山に逃げなさい。その際、決して後ろを振り返ってはならない』。旅人は、ならず者達の目を潰し、ロトの家族に逃げるよう言い渡した。ロトと妻、二人の娘が町の外に出たとき、火山の爆発のような天災が起り、町の住民、草木全てが滅ぼされた。ロトの妻は、後ろを振り返ったために、途端にその場で塩の柱になってしまった。悪を憎む神の怒りは凄まじいものだった」。
(私論.私見)
 ここで、ソドムの町壊滅物語が語られる。腐敗するソドムの町に対する神の裁きは、あたかも原爆投下的皆殺しであった。唯一、神の命令に従った者のみが救出されると云う得手勝手を記している。いずれにせよ、神をして原爆投下的御技を行わせる聖書を持つユダヤ教とは何たる邪宗であろうか。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【アブラハム物語その6、アブラハムの子供授かり願掛け】
 アブラハムの「子供授かり願掛け」が次のように記されている。
 意訳概要「アブラハムが神に感謝の祈りを捧げていた時、神のお告げがあった。『私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい』。アブラハムは、子供がいないことを告げると、神はアブラハムを戸外に連れ出し、次のようにお告げした。『天を仰いで星の数を数えてみるが良い。あなたの子孫はこの星のようになるだろう』」。
(私論.私見)
 ここで、アブラハムに子供が居ないこと、神の指示により夜空の天上の星への願掛けをしたことが知らされる。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【アブラハム物語その7、アブラハムの子供授かり】
 「アブラハムの子供授かり」が次のように記されている。
 意訳概要「アブラハムは子供が授からず跡継ぎがいなかった。神の約束は果たされなかった。ところが、妻のサラが90歳の時、待望の男の子を授かった。アブラハムは晩年にようやくにして初めての子としてイサクを授かった。夫婦の喜びは大きく、笑う者という意味のイサクと名付けた。 
(私論.私見)
 ここで、アブラハムに待望の男子イサクを授かったことが知らされる。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【アブラハム物語その8、アブラハムとエホバ神のイサクお供え問答】
 「アブラハムとエホバ神のイサクお供え問答」が次のように記されている。
 意訳概要「一家が楽しく過ごしていた或る日、神は、アブラハムに次のように命じた。『あなたの愛するイサクを連れて山へ行き、山上の聖壇で焼いて捧げ物としなさい』と神示した。アブラハムに最愛の息子を神に捧げよとの残酷な命令が下された。(この場合の「焼き殺せ」を原義的にホロコーストと云う)  

 アブラハムが逡巡したのかしなかったのかは分からないが、アブラハムは、翌日、幼いイサクを伴って山へ登った。
(私論.私見)
 神は何と、そのイサクを山へ連れて行き焼いて捧げ物とするよう命じる。何と云う非情の神であろうか。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【アブラハム物語その9、アブラハムとエホバ神のイサクお供え問答】
 「イサクのお供え問答」が次のように記されている。
 意訳概要「アブラハムが、神の命令を絶対として指示通りに祭壇を築いた後、イサクを縛って薪の上に乗せ、イサクを祭壇の上でホロコーストせんとして、喉元に刀を当てしようとしたその刹那、天使が現われ、その手を止め次のように述べた。『待て待てその子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが今分かった。あなたは、自分の一人子である息子でさえ私に捧げることを惜しまなかった』(創世記22.12)。その時、一匹の雄羊が現われたため、アブラハムはそれを神に捧げた。『お前の信仰の深さはよくわかった。神の命令とあらば、ようやくにして授かった一人息子さえ犠牲にするその覚悟を見届けた。もうイサクをホロコーストするには及ばない』との天の声があって、めでたしめでたしとなった」。

 この神話は、神の意思が絶対であること、神の意思を第一とするのが信仰であること、この信仰者に対して神の恩寵がもたらされるとする三段論法説話になっている。
(私論.私見)
 実際には、アブラハムの信仰試しであったので、アブラハムがイサクを縛って薪の上に乗せ、喉元に刀を当てた直後に天使が現われイサクは無事となった。しかし、このような非情な試しをする神を記す聖書を持つユダヤ教とは何たる邪宗であろうか。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【ヤコブの長子権詐取物語】
 イサクは成長し、りべカと結婚し、双子の兄弟を授かった。兄がエサウ、弟をヤコブと名付けた。母リべカは兄よりも弟を偏愛し、跡継ぎにしたがった。ヤコブがエサウに長子の権利を譲るよう交渉したところいとも簡単に承諾した。問題は父の承諾であった。その顛末が次のように記されている。
 意訳概要「イサクは年老いて目が見えなくなっていた。りべカは一計を案じ、エサウが狩に出かけている間に、ヤコブをエサウに変装させ、兄の権利を奪い取ることに成功した」。
(私論.私見)
 イサクの双子の子供の又しても殺し合いが記されている。母の偏愛が語られ、長子権相続が語られ、偽計による詐取が語られる。どういう意味と目的を持って創世記に記しているのか訝らざるを得ない。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【ヤコブのべテル(神の家)取得夢物語】
 エサウの復讐と、ヤコブの逃亡が次のように記されている。
 意訳概要「エサウはその事を知り、復讐を誓った。ヤコブは、りべカの兄ラバンのいるハランへ逃げた。ヤコブは、逃亡の途中、不思議な夢を見た。天に届くほど高い階段が有り、天使が上り下りしていた。神が現われ次のように言った。『あなたが横たわっているこの土地を、あなたとその子孫に与え、あなたを守ろう』。ヤコブは、その地をべテル(神の家)と名付けた」。
(私論.私見)
 ここでも、善良なエサウが語られるのではなく、非道人のイサクのその後が語られている。そして、神が、イサクに逃亡した先の土地を与えることが記されている。余りにも虫の良いと云うか非常識極まる話ではなかろうか。凡そ一片の正義の見識をも記さぬままに、夢物語とはいえ非道人の方にただただ土地を与える物語を説く神を記す聖書を持つユダヤ教とは何たる邪宗であろうか。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【ヤコブのイスラエル名称授与物語】
 ヤコブは、りべカの兄ラバンのいるハランの地で羊飼いとして働くうちに、ラバンの娘ラケルと恋仲になった。7年間ただ働きを誓約し、7年過ぎたが、ラバンに騙されラケルの姉レアとも結婚させられ、更に留まることになる。都合20年間働き、故郷カナンに帰ることになった。そのある夜の出来事が次のように記されている。
 意訳概要「ある夜、砂漠で野営していると、闇の中、誰かが物凄い力でヤコブに掴みかかり、取っ組み合いの喧嘩となった。腿の関節がはずれるほどの格闘になったが、『祝福してくださるまでは離しません』とヤコブは闘いを止めなかった。すると、神が現われて、『以後、イスラエル(神と闘う人)と名乗るが良い。お前は神や人々闘って勝ったのだから』といい、彼を祝福した。このことから、彼とその子孫達はイスラエル人と呼ばれるようになった」。
(私論.私見)
 これがイスラエルという名称の発祥である。こうして「神と闘うイスラエルの民」が誇示されている。ここではこのことを確認すれば良い。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【ヨセフの立身出世物語】
 ヤコブとラケルは12人の子供を授かった。ヨセフは父から溺愛されたが、兄弟から反目され、たまたま通りかかった隊商に売り渡された。ヤコブにはヨセフは死んだと偽報告された。ヨセフはエジプトに連れて行かれ、ファラオ(王)の宮廷役人に売られた。その後の顛末が次のように記されている。
 意訳概要「ヨセフは主人に気に入られ、家の管理を任されるまでになった。ところが、主人の妻の誘惑を拒んだため、監獄に収監された。この苦境を救ったのは、ヨセフの夢解きの才能であった。エジプト王は、7頭の痩せた牛が7頭の太った牛を飲み込む夢を見たが、誰も解けなかった。ヨセフは、これから7年間大豊作、続く7年間は国が滅ぶほどの大飢饉の知らせであり、今から対策を講ずる必要があると解き、エジプト宰相に抜擢された。夢の通りになったが、ヨセフの備え政策により国は救われた」。
(私論.私見)
 ここで、またまた兄弟の不仲が記されている。次に、エジプトへ売られたヨセフの幸運が語られ、智恵の才覚により登用され遂にエジプト宰相に抜擢されたことが語られる。ヨセフは、未知の土地で、智恵と才覚で出世を遂げた事例であるが、奇妙なことに、世話になったファラオ(王)の宮廷役人への一宿一飯の仁義が語られることが無い。このようにしか説けない聖書を持つユダヤ教とは何たる邪宗であろうか。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

【ヨセフのヤコブ一族迎え入れ物語】
 その後の顛末が次のように記されている。
 意訳概要「飢饉は世界中に広がり、穀物を求めて多くの人々がエジプトにやってきた。その中に、ヨセフを売ったヤコブの兄弟たちが居た。彼らを恨んでいたヨセフは名乗らなかったが、再訪した時に正体を明かした。憎しみの心は失せ、父ヤコブも迎えて、一族はエジプトに定住することになった。」。
(私論.私見)
 ヨセフが水先案内人的立場で、エジプトへの一族の招きいれたことを語っている。この物語が、ユダヤの民の移動と定住の要領を一般的に指針していることになる。ここではこのことを確認すれば良い。

 2006.10.22日 れんだいこ拝

 この後は、「聖書のモーゼ譚」に続く。





(私論.私見)