【「旧約聖書の呪い」のれんだいこ解析】 |
「★阿修羅♪ > 議論31 」のお天道様はお見通し氏の2019 年 1 月 16 日付投稿「旧約聖書の呪い」参照。
概要「中東を中東として定めるのは、メソポタミア文明であり、旧約聖書である。これが登場したのは、創世記によればBC3800年頃で、有名なアブラハム=エイブラム=イブラヒムがセム族の末裔として最初の主役になっている。アブラハムか一子イサクを神に捧げ、殺そうとしたとき、神は、アブラハムの忠誠を認めて、イサク以下、子孫の繁栄を約束した。このときの契約こそが、旧い契約→旧約聖書の本当の意味である。旧訳と呼ぶのは大間違いで、キリスト教の教典には、この間違いが通っているが、ユダヤ教では通らない。
このとき、契約した神が何者か? が、現代に至って大問題になっている。実は、ユダヤ教では、どうも、このときの神をルシファー=サタンであると考えているフシがある。ルシファーは、堕天使と呼ばれ、あらゆる悪魔の大御所なのだが、ユダヤ教は、彼と契約したといわれ、ユダヤ教徒による巨大カルトであるフリーメーソンも、ご神体としてルシファー=サタンを奉っているのは、ドル札や円札、世界のフリーメーソン国家に「ルシファーの眼」が君臨していることからも窺える。それがルシファーであった証拠は、旧約聖書の核心部にあるトーラー五書に明らかだ。そのなかのレビ記には、これでもかと、悪魔らしい恐ろしい殺人教唆が目白押しに書かれていて、旧約聖書の信者である、ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒(例えばカトリックや福音派)などは、レビ記を忠実に実行しようとしてきた結果、世界最大級の死刑国家になっている。
これを読んで、背筋が寒くならない人がいるとすれば、それは真のサイコパスだけだろう。
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98+
20&version=JLB
レビ記は、「やられたら、やり返せ」と復讐の思想も教えている。有名なハムラビ法典もまた、同時期ではあるが、旧約聖書の報復思想から導き出された理屈と思われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%
93%E6%B3%95%E5%85%B8
こうした報復の連鎖を強要するような旧約聖書の教えは、まさに人類にかけられた呪いであるというしかない。旧約聖書は、たった今でも、イサクの子孫であるユダヤ教徒とキリスト教徒、そしてイシュマエルの子孫であるイスラム教徒の心に覆い被さっていて、それは、人類の30億人に、人の愛や喜びを語るのではなく、報復制裁ばかりを語り、どうやって処刑するかというサイコパス的な恐ろしい価値観をもたらしている。これが旧約聖書の呪いでなくて何だというのだ?」。 |
(私論.私見)
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ここの下りは良い。 |
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「日本人は、旧約聖書の呪いから解放されているのだろうか? 違う!実は、日本の神道もまた、旧約聖書の呪いのなかにある。神道がもたらされたのは、もちろん秦氏(弓月氏)からであり、中東からシルクロードを経て伝えられた聖書の影響を強く受けている。それは、ネストリウス派といわれる新約聖書が合体した思想教義もあったが、それよりは、旧約聖書がモロに入ってきている証拠が、諏訪神社にあるし、秦氏は、福岡、出雲、福井など数カ所に上陸しているが、それらの神社の多くがユダヤ神社と呼ばれている。諏訪神社の祭祀は、旧約聖書の忠実なコピーであり、ユダヤ教そのものと思うしかない。また八坂神社も豊受神社も、ユダヤ神社といわれ、太秦も祇園も、ヘブライ語で解釈した方が意味が正確である。八百万の神などと、一神教ではなく自然信仰であると説明されることが多い神道ではあるが、それは、仏教と習合することで、意味が薄められていったのであって、本当は、実はユダヤ教であると考えた方が合理的なのだ。そこには、レビ記に描かれた恐ろしい報復制裁思想が息づいていて云々」。 |
(私論.私見) |
ここの下りが誤誘導である。「実は、日本の神道もまた、旧約聖書の呪いのなかにある。神道がもたらされたのは、もちろん秦氏(弓月氏)からであり、中東からシルクロードを経て伝えられた聖書の影響を強く受けている」のは云い得云い勝ちの論理であり、私などは日本神道固有自生論の立場にあり相容れない見解である。「八百万の神などと、一神教ではなく自然信仰であると説明されることが多い神道ではあるが、それは、仏教と習合することで、意味が薄められていったのであって、本当は、実はユダヤ教であると考えた方が合理的なのだ」も然りで、デタラメである。日本神道とユダヤ教を同視させようとするのは悪意のある詐術である。日本神道はユダヤ教と真逆な教理であるところに真価がある。 |
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「そもそも、旧約聖書の根源的な間違い=制裁報復という間違いを克服するためにイエスキリストが登場したのだ」。 |
(私論.私見) |
この観点は良い。 |
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「旧約信奉勢力は、たちまちイエスの思想を骨抜きにして、愛を捨てて報復だけを前面に出したカトリックやプロテスタントの「キリスト教」をでっちあげた。ドイツのカトリック教会では、戦後1980年代まで、異教徒を餓死させて、そのまま教会の門前に鉄籠に入れてさらし者にしていたのだ。こんな愚劣な発想では、ドイツがT4作戦に走るわけだ。
http://storiastoria.com/wunderkammer/w-7.html
アメリカのプロテスタント、共和党の支持母体であるキリスト教福音派は、戦争愛好家が集まっていることでも知られる。朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、福音派は、積極的に戦争を支援し、北爆の皆殺し作戦に歓声をあげた。キリスト教徒というのは、人殺し大好き集団なのかと思うほどだ。日本のプロテスタントも、敗戦後、福音派が作ったものが多く、キリスト者が死刑制度に賛成しているのは、大半が、この人たちである。これじゃキリストも浮かばれないだろう……。右の手で、愛を語りながら、左の手で銃をぶっ放すのが旧約聖書を信奉するキリスト教とである」。
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(私論.私見) |
言い過ぎのところもあるが、教えられるところが多い。 |
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「同じ意味で、イスラム教徒も、ジハードの義務から、際限のないテロに走るようでは、まるで未来に対する救いがないではないか? 自分たちが間違っていると批判する人は殺してしまえ、というのがイスラム教徒であり、一切、聞く耳を持たない。だから、イスラムについて論評すれば命の危険が及ぶので、誰も指摘しようとしない。これでは、彼らの本質的な心の間違いは、永久に正されることがない」。
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(私論.私見) |
ここでイスラム教徒のジハードを持ち出しているところが臭い。本来なら、ユダヤ教徒とイスラム教徒のジハードの歴史的背景の考察に向かうべきところ、喧嘩両成敗式にして事たれりとしている。 |
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帚木氏の著作『聖灰の暗号』にはキリスト教の異端とされているカタリ派をバチカンがどのように虐待し抹殺したのかが小説のかたちで記されていますが、カトリックが何を行ってきたか考えさせられ、カトリックという集団が政治勢力の一派でありそれ以外の何物でもなかったことがよくわかります。
歴代の「法王」以下カトリック組織が裏で子供を売買していた事が現在暴露され、小児虐待で全世界から批判されている最中だ。キリスト教集団が何を行ってきたか今日では知らない者はいない。 |
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