イエスの概要履歴その3 | エルサレム神殿乗り込みから拘束されるまで |
(最新見直し2006.11.3日)
これより以前は、「イエスの概要履歴その2、本格的伝道からエルサレム神殿乗り込みまで」
【イスラエルに乗り込み前のイエスの教示】 | |
イエスはいよいよエルサレムへ向う。先頭に立って進んで行かれた。上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。次のように宣べられている。
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【イエスの後継者談議】 | |||||
これを聞いて案じたヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが」。イエスが、「何をしてほしいのか」と尋ねると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、私どもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」。これを解するのに、ヤコブとヨハネが「イエスの後継者的地位を私どもに与えてください」という申し出をしたことになる。 イエスは宣べられた。
彼らが、「できます」と言うと、イエスは宣べられた。
他の十人の者は、ヤコブとヨハネの後継者自薦の動きに反発した。そこで、イエスは一同を呼び寄せて宣べられた。
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![]() イエスは、イエス教義の法灯を継ぐ者に対して、「我々の組織の中で一番権限を持つ者は、皆に最も仕える者になり、最上級の者は皆の下僕にならねばならない」と宣べられている。それは、上席へ行けば行くほど偉くなる世上の組織の権威主義的基準の逆を行くようにとの御教えとなっていた。イエス派はこのことを深く銘しておくべきだろう。同時に、イエス派のみならずに通用する御教えではなかろうか。 ところで、イエスは、末尾の「王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる」という物言いをしただろうか。新約聖書の福音書は各書に於いて記述が違っているが、それは福音者の思想がイエスの言葉を借りて書き付けられている可能性があることを証しているに思われる。この物言いは典型的なそれではなかろうか。 |
【イスラエル乗り込み道中の様子】 |
イエスは、十二人の使徒のほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。イエスは、子ろばの上に自分の服をかけ、それにお乗りになった。多くの従者を引き連れてそのままエルサレムに入られた。街中が騒然とし、「主よ、ダビデの子よ」と叫ぶ者もいた。「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と紹介する人もいた。「大預言者が我々の間に現れた」、「遂に予言が実行される日が来た」、「神はユダヤの民を心にかけてくださったのだ」と云う者も現れた。イエスについてのこれらの話がユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。 |
【イスラエルに乗り込む。神殿乗り込み時のイエス及びイエス派の行動】 | |
遂にイエス派がエルサレムに到着し、神殿に乗り込んだ。境内に入り、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。その者たちにに次のように宣べられた。
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![]() 新約聖書は、イエス派がイスラエル神殿に乗り込んだときの振る舞いはこうであったと伝えている。我々はこれをどう解するべきだろうか。今日的な道徳道理基準で云えば、イエス及びイエス派の行状は激しく弾劾されることになろう。我々はどう観るべきだろうか。れんだいこは、イエスが信仰的原理派であり、それ故にイスラエル神殿内外での商行為を神の神聖を冒涜しているとして、それを許容しているイスラエル神殿本部派の信仰の腐敗まで見通し、「私の父の家を商売の家としてはならない」との御言葉をもって追い出し行為に出たと思料する。 実にイエスの信仰とはかく純潔を尊ぶものであることを逆に知るべきではなかろうか。以下の逸話も同じである。 |
【イエス派の所業に抗議する神殿権力派、これに対するイエスの御言葉】 | ||
神殿を管轄している祭司長たちや、律法学者たちは、イエスの所業とその説法に憤慨した。イエスに、意訳概要「何というひどいことをする。あなたは、こんなことをするからにはその権限を証さねばならない。どんなしるしを私達に見せるつもりか」と迫った。イエスは次のように宣べられた。
司祭達は、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言ってあきれた。 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が神殿が見事な石と奉納物で飾られているのを指さして言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」。イエスは宣べられた。
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【「心よりの献金」について】 | ||
この時のことと思われるが、イエスの次のような教話が刻まれている。イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚を入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて宣べられた。
この問題に関連するイエスの教えに次のようなものもある。イエスは次の例え話をされている。
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【イエスの神殿境内での群集との対話の様子】 | |
イエス派はその後何度も神殿にやって来て、イエスは境内で教えを宣べ始めた。日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。大勢の群集がイエスの話を聞こうとして、イエスのもとに朝早くから集まって来た。群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。 群集達が驚いたのは、イエスの学識の深さであった。「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろうと不思議がった」と記されている。これに対し、イエスは次のように宣べられた。
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【イエスの神殿境内での神殿本部派との問答と教話】 | ||||||||
祭司長、長老、律法学者達がやってきて問答が始まった。「あなたは何の権威でこのようなことをしているのか。誰がそうする権威を与えたのか」と詰問した。イエスは次のように宣べられた。
彼らは論じ合った。意訳概要「『天からのものだ』と答えれば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々を責めるだろう。『人からのものだ』と答えれば、ヨハネを預言者として信奉しているヨハネ派の反発が必死だ。それは拙い」。そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスも宣べられた。
イエスは更に宣べられた。(イエスは例え話をしているが、却って分かりにくいので、れんだいこがその真意を次のように意訳する)
尋ねられた祭司長や長老が訝りながらも、「御教えを守る者の方が神の国に入る」と応えると、イエスは宣べられた。
更に、イエスは宣べられた。
更に、イエスは宣べられた。
イエスは次の言葉も刻まれている。
祭司長、長老、パリサイ派の人々は、イエスのこれらの話を聞いて烈火のごとく怒りイエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスの言に信を置いたからである。それで、イエスをその場に残して立ち去った。 |
【イエスとパリサイ派とのもう一つの問答、婦人の姦通、離縁問答】 | |||
イエスは朝早く、再び神殿の境内に入られた。民衆がやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやパリサイ派の面々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」。明らかにイエスを試そうとしていた。イエスを訴える口実を得ようとして、このように問うた。 イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。律法学者たちやパリサイ派の面々がしつこく問い続けた。イエスは身を起こして宣べられた。
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、最後にイエスひとりと、真ん中にいた女が残った。 イエスは、身を起こして宣べられた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」。女が、「主よ、誰も」と言うと、イエスは宣べられた。
いつの頃の遣り取りか不明であるが、婦人の離縁問題に対して次のような遣り取りをしている。パリサイ派が、「夫は妻を出しても差し支えないでせうか」と尋ねた。イエスは、次のように宣べられている。
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【パリサイ派の謀議、教義問答】 | |||
パリサイ派は、イエスの言葉じりをとらえて罠にかけようとして謀議し始めた。パリサイ派は、ヘロデ王派の者を巻き込み、イエス派を騙ってイエスのところに向かわせ、ヘロデ王の怒りを買いそうな問題を質問させた。「先生、私達は、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、誰をもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです」と褒め称えた後、「ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」。 イエスは、その質問の裏にある悪意を見抜き、次のように宣べられた。「偽善者たち、なぜ、私を試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい」。彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、誰の肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは宣べられた。
彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。 ならばと、パリサイ派の律法学者の権威が、イエスを信仰論議で試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」。イエスは宣べられた。
律法学者のうちの或る者は、イエスに抗すべくも無く次のように返答させられるはめになった。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」。イエスは、或る者が律法学者の権威が邪心を捨て、教義に誠実な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と宣べられた。 |
【イエスの逆攻勢教義問答】 | ||||
イエスの方からパリサイ派の集いに出向き、逆に質問し試されている。
彼らが、「ダビデ王の子です」と言うと、イエスは宣べられた。
「大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。これには誰一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった」と記されている。 |
【サドカイ派との教義問答】 | |
イエスを批判する者は、司祭者、律法学者、パリサイ派だけではなかった。パリサイ派と対立していたるサドカイ派も又イエスを試そうとして教義問答を仕掛けた。或る時、復活はないと言っているサドカイ派の人々がやって来て、イエスに尋ねた。「先生、モーセは言っています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。さて、私達のところに、七人の兄弟がいました。長男は妻を迎えましたが死に、跡継ぎがなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男も、ついに七人とも同じようになりました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです」。 イエスはお答えになった。
群衆はこれを聞いて、イエスの教えと遣り取りの見事さに驚き感嘆した。 |
【イスラエルでのイエスの公開教話、激烈な律法学者、パリサイ派批判】 | ||||||||||||
こういう遣り取りを終えた後、イエスは、群衆と弟子たちを前にして、次のように律法学者たちやパリサイ派批判を宣べられた。
それはあまりにも痛烈で激烈なものであった。この時、「山上の垂訓」以来のイエス教義の体系的開陳が為されている。
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![]() イエスの口から迸り出たこの珠玉の教説を見よ聞け。信仰的には、これぞまさしく神の御言葉であった。そう拝するべきだろう。 |
【オリーブ山での「滅びの日の予言」】 | ||||||||||||||
イエス派は、「オリーブ畑」と呼ばれる山に篭っていた。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にあった。 イエスはオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられた。弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。滅びの日はいつやって来るのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか」。 イエスは、「滅びの日」の兆候を次のように語って聞かせた。
イエスは、次のようなたとえ話しもされた。
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【イエスの天国論、救済論】 | |||
イエスは、次のような「天国論、救済論」を宣べられている。
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【イエスの十字架刑予言】 | ||
イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると、弟子たちに宣べられた。
そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。しかし彼らは、「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。 この頃、イエスはベタニアでらい病の人シモンの家に居た。この時、一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壷を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄使いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」。 イエスは、次のように宣べている。
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![]() イエスのこの予言能力はそれとして窺うべきだろうか。れんだいこは定見を持たない。いずれにせよ、イエスはここで、みき教義で云うところの「後々の話の台になるほどに」と宣べていることになる。そう解すべきだろう。 |
【ユダの裏切り】 |
そのとき、十二人の一人であったイスカリオテのユダが、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。 |
![]() 福音書はかく記しているが、ユダがなぜイエスを裏切ったのか、それにはどういう事情があったのか、本当のところは未だ明らかにされていない。いずれにせよ、ユダの末路は哀れであった。「後悔して祭司長の元へ賄賂を返し、出て行って首を吊って死んだ」とも「或る土地を手に入れたが、まっ逆さまに落ちて、腹が真ん中から引き裂け、はらわたが皆流れ出てしまった」と記されている。要するに、碌な目に遭わなかったということであろう。 |
【最後の晩餐】 | |||||||
除酵祭の第一日目の夕方、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから宣べられた。
イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えながら宣べられた。
イエスは、イエスが飲み干した盃を廻しながら宣べられた。
一同が飲み干したのを見届け、杯を取り、感謝の祈りを唱えた後、次のように宣べられた。
イエスは更に宣べられた。
弟子たちは心を痛めて、「誰がそんなことをしようとしているのだ。まさか私のことをそのように云われているのだろうか」と代わる代わる言い始めた。 イエスはお答えになった。
イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは宣べられた。
経緯は分からないが、この時、弟子たちが護身用の二振りの剣をイエスに差し出したとも伝えられている。してみれば、最後の晩餐の真相は未だ藪の中と云えそうである。 |
【イエスの最後の予言】 | |||||||
一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。 そのとき、イエスは弟子たちに宣べられた。
するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、私は決してつまずきません」と言った。イエスは宣べられた。
ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。 一同がゲツセマネの園という所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と宣べられた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに宣べられた。
少し進んで行って地面にひれ伏し、「できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るように」と祈り、こう宣べられた。
それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに宣べられた。
更に、向こうへ行って、祈られた。
再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。イエスは彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。戻って来て宣べられた。
ゲツセマネの園が、イエス逮捕直前の最後の苦悩の夜となった。 |
これより以降は、「イエスの概要履歴その4、拘束から処刑されるまで」
(私論.私見)