フリーメーソンの公式ガイド

 (最新見直し2006.1.4日)

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 フリーメーソン論に分け入る前に「公式ガイドによるフリーメーソン論」を見ておくことにする。何しろ、組織の責任者が公表していることなので、これほど依拠しやすいものはないだろう。これにれんだいこがコメント加えていくことにする。

 2006.6.12日 れんだいこ拝


【フリーメーソンの公式ガイド】
 日本グランド・ロッジ・メイスン教育委員会編(委員長・MWB・フローレン・L・クイック)による「フリーメースンはこう生きる」にフリーメーソンが概括されている。それによれば、序文に次のように記されている。
 フリー・アンド・アクセプテッド・メースンの団体は世界で最も古くから存在する友愛団体であります。その規模も友愛団体として世界一であり、その存在は最も広範囲に知れ渡っています。 フリーメースンリーに関しては豊富な文献があります。しかし、フリーメースンリーとは何かを知る人はいまだに少数の域を脱しません。ここにフリーメースンリーに関し、大方の関心のあるところを汲みながら、その機説を試みるゆえんであります。 
(私論.私見) フリーメーソンの正式名称について
 「フリーメーソン」の正式名称が「フリー・アンド・アクセプテッド・メースン」であると明かされている。それは、概要「世界で最も古くから存在する友愛団体にしてその会員規模も友愛団体として世界一である」としている。それだけ世界各地に組織されているというこことであろう。

 同サイトは、以下逐次フリーメーソン論を書き付けている。ガイドブックとして貴重な内容となっているのでこれをフォローする。
【フリーメースンリーの歴史】

 フリーメースンリーは西暦674年に早くも英国に伝わったと記録されている、建築家達の同業組合に起源を発しています。それはまた、ヨーロッパ中世紀に主として寺院の建築に携わった人々からなる建築家達の組合に直接由来するものと言えます。この建築家達は、その専門的な知識と特別な技術を認められて、国際的に旅行ができる特権を与えられていました。彼らは国から国へと旅行を重ねては、組合の持つ職業上秘密とされていた知識や専門的技術を各地でいかんなく発揮したのであります。これらの技術者達はまた、相互に仲間であることを確認する方法や作品が誰の手になったものかを表すための方法を種々案出しました。

 17世紀から18世紀初頭になりますと、さしも盛大を極めた寺院の建築も下火になってきました。建築家の組合(ギルド)は「ロッジ」と呼ばれていましたが、これらの組合の多くは、やがて、建築技術を職とせず、また彼ら建築家仲間とは直接何のゆかりのない人々であっても、しっかりした立派な人物であれば、これを会員として受け入れるようになってきました。そしてこのような人々を「受け入れられたメイスン」(アクセプテッド・メイスン)または「象徴的メイスン」(スペキュラティヴ・メイスン)と呼んだのであります。このようにして、ロッジは次第にこれら「受け入れられたメイスン」、「象徴的メイスン」がその構成員のほとんど全部を占めるようになってきたのです。今日のフリーメースンリーは、この段階に達したメイスンの団体から始まったと言えるのであります。

(私論.私見) フリーメーソンの由来歴史について
 「フリーメースンリーは西暦674年に早くも英国に伝わったと記録されている」とあるが、どこから伝わったのかが省略されている。こういう風に書くのならば、源流をも明示すべきであろう。中世期の間雌伏し、17世紀から18世紀初頭にかけて会員数を伸ばしてきたことが明かされている。「しっかりした立派な人物であれば、これを会員として受け入れるようになってきました」と云う。この場合、「しっかりした立派な人物」は何を物差しにして判断されたのだろう。

 このガイドで触れられていないことは、この時期主流的思潮であったキリスト教との位置関係である。これにどう絡みあるいは距離を置いていたのか、そこが一番肝心なところのように思われるが触れていない。

【グランド・ロッジ 】

 西暦1717年のこと、英国にあった4つのフリーメースンのロッジが世界最初のフリーメースンのグランド・ロッジを設立しました。このグランド・ロッジはやがて「象徴的ロッジ」(シンボリック・ロッジ)と呼ばれる近代的ロッジや地区グランド・ロッジ(プロヴィンシャル・グランド・ロッジ)の設立を認めていきましたが、このようにして生まれた象徴的ロッジや地区グランド・ロッジは米国、フランス、ドイツ、イタリー、スウェーデン、デンマーク、オランダ、その他多数の国々に及ぶようになりました。今日では世界中の自由諸国にわたって150以上のグランド・ロッジがあり、600万人以上のメイスン会員を擁しています。

 グランド・ロッジというのは、管轄区(ジュリスディクション)と呼ばれる一定の勢力範囲をもち、その区域内でメイスンに関する管理権を有する機構のことであります。日本グランド・ロッジは、日本国内において、メイスンに関する最高の権限を保有しているのであります。

(私論.私見) フリーメーソンのロッジシステムについて

 1717年に「世界最初のフリーメースンのグランド・ロッジが設立された」と云う。この1717年とは、マイヤー・ロスチャイルド(初代)がフランクフルトで「二十五項目の行動計画書」を採択する会議を開いた1773年の56年前、1779年のフランス革命の82年前ということになる。

 フリーメーソンのロッジシステムは、キリスト教の教会システムとの比較で意味があろうが、そこまでは触れていない。それはまぁよいか。

【ロッジ 】

 グランド・ロッジの構成単位をなすものは「ロッジ」(メソニック・ロッジ)であります。このロッジは時に「象徴的ロッジ」、「ブルー・ロッジ」あるいは「同業者仲間のロッジ」(クラフト・ロッジ)とも呼ばれています。入会志望者からの入会申請を受付け、これにメイスンの基本的な階級であるエンタード・アプレンティス、フェロークラフト及びマスター・メイスンの諸階級を授与するのはこの「ロッジ」なのであります。

 現在、日本グランド・ロッジの管轄下にあるこのようなロッジは20を数えます。日本グランド・ロッジ設立の当時、日本国内には他のグランド・ロッジの許可によって設立されたロッジが幾つかありましたが、それらのロッジはその後も引き続きロッジとしてその運営を継続することが認められました。従って、現在日本国内には日本グランド・ロッジに所属する20のロッジの他に、2つのロッジがフィリピン・グランド・ロッジの傘下に活動しており、スコットランド・グランド・ロッジのもとに2つ、イングランド・グランド・ロッジのもとに1つ、更にマサチューセッツ・グランド・ロッジのもとに1つのロッジがそれぞれ活動しているのであります。

(私論.私見) フリーメーソンのロッジについて
 ここで貴重な情報が明かされている。日本のフリーメースン・ロッジの最高峰が日本グランド・ロッジであり、傘下に20を越えるロッジがある。その他に、フィリピン・グランド・ロッジの下に2ロッジ、スコットランド・グランド・ロッジの下2ロッジ、イングランド・グランド・ロッジの下1ロッジ、マサチューセッツ・グランド・ロッジの下に1ロッジあると云う。つまり、歴史的に7系統のロッジが存在すると云う。

【フリーメースンリーと宗教】

 メイスンリーは宗教ではありません。また宗教の代わりの役割を果たすものでもないのです。一部の人々や教会の中には、フリーメースンリーが宗教であって、彼らの信奉する教えと相入れないものがあるのではないかと誤信して、フリーメースンリーに反対する向きもあります。しかしながら、メイスンリーは宗教的教義や僧職組織は持っておらず、また独自の救いの道を説くこともしておりません。またメイスンリーはキリスト教会、ユダヤ教団、その他新旧のいかなる宗教団体から派生したものでもありません。そのどれかを信奉したり、そのために補助的な役割を演じたりするものでもないのです。

 メイスンリーでは何らかの宗教的信仰を持つことが要求されてはおりますが、個々のメイスンは自らの宗教的信条に従い、自らの欲する方法で、自ら信仰する神を崇めることができます。即ち、会員がキリスト教徒たると、仏教たると、またはユダヤ教徒、ヒンズー教徒、イスラム教、プロテスタントあるいはローマ・カソリック教徒たるとを一切問わないのであります。

(私論.私見) フリーメーソンと宗教の関係について

 ここでも貴重な情報が明かされている。フリーメースンは宗教ではないと云う。宗教は個々の会員の自由、自主、自律であると云う。然らば、フリーメースンとは何ものか、ここが明かされていない。恐らく、日常的には生活扶助的講組織であり、ここが肝心だがある一定の政治的理念を持って活動する組織という事になるのではなかろうか。そのことが悪いのではない。共産主義者の組織も本来そのようなものであるから。従って、問題は、如何なる政治理念に則っているのかということになろう。

【メイスンリーは秘密結社か】

 多くの人々がそう思い込んでいるのですが、フリーメースンリーは決して秘密結社ではありません。何故なら、フリーメースンリーは自己の存在とその会員名を隠していないからです。また、フリーメースンリーの目的、目標及び原理もいまだかつて秘密にしようと試みられたことはありません。この団体は「兄弟愛」、「困窮者の救済」及び「真実」という幅広い基盤の上に構築され、存在している団体なのです。

 フリーメースンリーの憲章は一般に公表されており、その規約も閲覧自由であります。日本グランド・ロッジの憲章と規約は日本政府に提出され、一般の閲覧も可能であります。フリーメースンリーに関する書物も多数刊行されており、それらは図書館で読むことができます。

 確かにフリーメースンリーには、会員相互間の特別な認識方法や、独特の儀式など一般の人々には知られていない事柄も存在しています。この点に関して申せば、あらゆる人間の集団または組織には公にすべきでない事柄が必ずあるもので、例えば、どの家庭にも近所の人達にはかかわり合いのない、またはあってはならない話題というものがあります。フリーメースンリーの団体は多くの点で、あたかも固く結び合わされたような家族のようなものであります。

(私論.私見) フリーメーソンと秘密結社の関係について
 ここで、非宗教的フリーメースン組織の生活扶助的講組織ぶりと、「憲章と規約」という政治組織性を公言している。「確かにフリーメースンリーには、会員相互間の特別な認識方法や、独特の儀式など一般の人々には知られていない事柄も存在しています」とも認めている。それがどのようなものであるのかは明かしていない。秘密結社ではないというのなら、その特殊な儀式の概要程度は明らかにしても良いように思われるが。

【メイスンは政治活動に積極的か】

 メイスンはロッジ内においては決して宗教問題や政治問題を論じません。またいかなるロッジも、特定の政治的信条を持つ入会志望者を特に優先的に受け入れるようなことはしないのであります。しかし、個人としてのメイスンは積極的に市民活動に参加するように促されております。

(私論.私見) フリーメーソンと政治の関係について
 ここでおかしなことを述べている。「メイスンはロッジ内においては決して宗教問題や政治問題を論じません」と云う。これはどういう意味か。「ロッジ内においては」とあるからには「ロッジ外においては」論ずるということであろう。それも個々の会員の自由な識見披瀝が許されているということであろうか。ならば、メイスン会員の紐帯はどこで結ばれるのか。こうなると「憲章と規約」を精査せねばなるまい。

【フリーメースンリーとは何か 】

 フリーメースンリーは保険や共済を目的とした団体ではありません。そもそもそれは何らかの利益のために作られたものではないのです。確かにフリーメースンリーは困難に直面している会員にはいろいろな方法で援助を与えており、また会員達に人類への奉仕の大切な事を教えてはおりますが、フリーメースンリーは決して慈善団体でもないのであります。

 メイスンリーは宗教心の尊重を教えます。それはまた、「自ら遇せられんことを欲するが如くに他にも遇せよ」という彼の黄金律を教えます。フリーメースンリーは全人類間の兄弟愛と霊魂不滅の信念とによって、善き人が更に善くなるようにと念願しているのです。

 フリーメースンリーは道徳の諸原則を教えるに当たって、それらの象徴として、建築家が用いた各種の工具を使用します。それは全会員が彼らの日常生活にも応用しなければならない基本美徳、即ち「兄弟愛」、「救済」及び「真実」の3つの徳目をできるだけ強く彼らの心に焼き付かせるためのメイスンリーが用いる手段なのであります。

(私論.私見) フリーメーソンの本音と建前について

 ここでもおかしなことを述べている。概要「メイスンは宗教的結社でも政治的結社でも保険や共済を目的とした団体でもない」と云いながら、人類への奉仕の大切な事を教えていると云う。そして、「メイスンリーは宗教心の尊重を教えます」とも云う。「自ら遇せられんことを欲するが如くに他にも遇せよ」という彼の黄金律を教える」とも云う。「フリーメースンリーは全人類間の兄弟愛と霊魂不滅の信念とによって、善き人が更に善くなるようにと念願している」とも云う。概要「兄弟愛、救済及び真実の3つの徳目を象徴する独特の工具を崇める」とも云う。いう。

 何の事はない、立派な宗教的結社、政治的結社、共済組織ではないか。それを否定して肯定している論法に不自然さを覚えるのはれんだいこだけだろうか。

【高い理想】

 フリーメースンリーはそもそもその発生の当初から、文明というものの持つ真性で最高の理想実現のために戦い続けてきました。メイスンリーの繁栄するところ常に、この理想の完全な実現までいま一歩という域に至り、人類の精神生活は最高の水準に達しました。一方、メイスンリーが追放の非運に見舞われた所では、必ず人々の精神的生活水準は急速に低下し、文明は退廃して、人々は自由を失ったのであります。

(私論.私見) フリーメーソンの目指す理想と闘いについて
 ここで開陳されている歴史観は意味深である。「フリーメースンリーはそもそもその発生の当初から、文明というものの持つ真性で最高の理想実現のために戦い続けてきました」と云う。誰とどの勢力と闘ってきたのか明らかにせよ。「文明というものの持つ真性で最高の理想」とは何か。これも明らかにせよ。

 「メイスンリーの繁栄するところ常に、この理想の完全な実現までいま一歩という域に至り、人類の精神生活は最高の水準に達しました。一方、メイスンリーが追放の非運に見舞われた所では、必ず人々の精神的生活水準は急速に低下し、文明は退廃して、人々は自由を失ったのであります」も、語るに落ちる話で、選民思想とゴイム観を吐露しているではないか。

【メイスンとなる資格は?】

 次の条件を備えた成年男子であれば誰でもメイスンになることができます。すなわち、世間での評判がよく、高い道徳的品性の持ち主であり、健全な心に恵まれ、どの宗教でもよいが一つの信仰を持ち、通常の感覚機能を具備し、特に聴覚、視覚及び触覚に甚だしい欠陥がなく、そして読み書きのできる人、という条件であります。

(私論.私見) フリーメーソンの入会資格について
 ここはひとまず拝聴しておこう。しかし、「どの宗教でもよいが一つの信仰を持ち」とあるが、その信仰がフリーメースンリーの思想、歴史観と齟齬したらどうなるのか。ここを明らかにしなければ書いてみただけのことになるだろう。

【メイスンとなる方法は?】

 メイスンリーでは会員の勧誘は一切行いません。誰も入会を求められることはないのです。従って、この団体への入会志望は全く本人からの自由意志のみによるのであって、本人の側から入会の希望を表明しなければならないのです。

 メイスンになりたいと思う人は、まずメイスンであると信ぜられる友人に頼んで、入会申請書の用紙を取ってもらいます。その友人にロッジの会員になりたい旨を告げ、その助言を求めます。そのメイスンである友人は彼が正しい手続きをふむように導いてくれるでしょう。

(私論.私見) フリーメーソンの入会方法について
 ここは非現実的というか子供だましなことを書き付けている。「メイスンリーでは会員の勧誘は一切行いません」だと。それは「一般的な方法では」と但し書きすべきだろう。誰も働き掛けず自然に「メイスンになりたいと思う人」が生まれる訳はなかろうが。これは何もフリーメースンリーの組織に限ってのことではない。

【フリーメースンリーの教理】

 フリーメースンリーの教理は倫理的な諸原則であって、善良な人々なら誰にでも受け入れられる性質のものであります。フリーメースンリーは全人類に対する寛容を教えます。フリーメースンリーは兄弟愛の稱で結ばれた人々の団体であることを誇らかに宣言します。フリーメースンリーは事業を営んだり、政治活動を行ったりすることによって、その会員に便益を与えようとはいたしません。フリーメースンリーは人種、信条、国籍による差別を排し、人類の普遍性を教えます。

 フリーメースンリーは一党一派に偏するような事柄を議するための場ではありません。フリーメースンリーは広く全世界に知れ渡った団体で、その存在を許されない共産圏諸国においてさえよく知られております。

(私論.私見) フリーメーソンの教理について
 それなりに疲れたので、折を見て記す。以下同じ。

【一つの生き方】
 フリーメースンリーは、何よりもまず、一つの生き方であります。家庭内での優しさ、事業において示す誠実さ、社交上の儀礼、仕事の上での公平、不幸な人々への憐れみと心遣い、悪に対しては抵抗し、弱い人々を助け、悔い改めたものを許し、隣人を愛して、宇宙の主宰者たる神を敬う、という生き方なのであります。
(私論.私見) フリーメーソンの生き方について

【メイスンの家族】

 フリーメースンリーは家族の稱を尊重するよう会員に教えます。家族の利害を超えたところにフリーメースンリーがあるのではありません。メイスンリーの親縁団体にイースタン・スターという団体がありますが、これにはメイスンの家族の女性たちが入会できます。また、デモレー少年団やレインボー・ガールズあるいはジョッブズ・ドーターズなど、男女青少年のための団体もあり、これらもまたメイスンの家族の稱を強める一助となっています。

(私論.私見) フリーメーソンの家族について

【メイスンの活動】

 メイスンのロッジは、その会員達にできる範囲内で、何か地域社会に貢献するような有意義な活動を行うよう奨励されています。日本にある2、3のロッジでは前途有望な学生達に奨学金を支給しています。また、孤児院や身障児施設への援助も行っているロッジも幾つかあり、あるロッジでは盲導犬の訓練の事業を後援しております。またここ数年来、日本にある多数のロッジと他のメイスン関係諸団体とが共同して、ジャパン・タイムス社の主催する肢体不自由児歳末援助基金への大口寄付者となっております。一方、日本グランド・ロッジもその独自の事業として、眼の不自由な人達に視力回復の援助を与えております。またメイスンの関係諸団体を通じてですが、肢体不自由児や重度の火傷の負傷者達を援助する事業をメイスンが独自で推進している例もあります。以上、メイスンが従事している活動について若干の事例を挙げてみました。

(私論.私見) フリーメーソンの社会貢献活動について


【元グランド・マスターによるフリーメーソン解説】
 「別冊宝島233 陰謀がいっぱい 世界にはびこる『ここだけ』の正体」( 宝島社、1995年)に「日本ロッジ元グランド・マスター・ロングインタビュー ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち」記事が掲載されている。これを検証する。

 
見出しで次のように述べられている。
 「陰謀の代表にさせられているフリーメーソンの組織は日本にもある。世界にネットワークをもつ、その秘密結社は日本で何をしているのか? 謎につつまれていたその真実を当事者がいま語る!」。

 宝島社が、「日本ロッジ元グランド・マスター」を登場させた背景が次のように語られている。
 さる7月8日、オウムについてのあるシンポジウムにパネラーとして参加したときのこと。思想家・吉本隆明氏の、討議に先立つ特別講演を聴いていて、肩すかしを食わされたような気分を味わった。吉本氏は、かねてよりヨガの行者としての麻原彰晃を高く評価してきた。その「評価」が妥当かどうかは別にして、少なくともそうした、大勢におもねらない特異な視点をもつ氏が、陰謀史観に彩られたオウムの世界観については、ただ「バカらしい、くだらない」とあっさり片づけてしまったからだ。それですむのかなと、つい首をひねりたくなった。「ユダヤ=フリーメーソンが世界の征服を企んでいる」という、ナチスのプロパガンダそのままの陰謀史観は、確かに「バカらしい」。同感である。しかしいま重要なことは、オウムがその「バカらしい」歴史観、世界観に衝き動かされ(あるいは利用して)、サリンをバラまくまでに至った”事実”(吉本氏に言わせれば法的に未確定の容疑)を真正面から受けとめることだろう。

 知識人たちが「バカらしい」と切り捨て、サブカルチャーの薄暗がりへ追いやってきた超能力や終末予言などのオカルト、あるいはユダヤ=フリーメーソン陰謀論などの「トンデモ本」的ジャンク情報が、いつのまにかある臨界点を超えるまでに無批判に積み上げられ、ついに爆発した。その結果がサリン事件ではなかったか。

 「もともとこの世の中を動かしているものは、『石工』と呼ばれるフリーメーソンである」。

 93年3月25日の説法で、麻原彰晃はそう断言している(『ヴァジラヤーナコース数学システム教本』所収)。麻原に言わせると、フリーメーソンは「人間を完全に無智化させ、動物化させ、そして国家そのものが成立しないような状態をあちこちにつくり、それを一部のものがコントロールし、そして、この地上が完全に動物的自由、あるいは動物的な平等というものを与えることを目的として動いている」ということになる。

 さらに、95年1月発行のオウム真理教の機関誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』No.6では、特集「恐怖のマニュアル」の冒頭で、こう宣言している。
 「人類55億人を代表し、ここに正式に宣戦布告する美辞麗句の影に隠れて、人類を大量虐殺し、洗脳支配することを計画している、『闇の世界政府』に対して!」(原文ママ)。

 「闇の世界政府」とは何か? 「自分たちだけが世界に君臨し、全世界を統一し、人々を大量虐殺し、洗脳支配しようとしている奴ら」それが即ち「闇の世界政府」であり、その正体はフリーメーソンであり、ユダヤ系財閥であり、国際連合なのだという。

 作家の高橋克彦氏が、『夕刊フジ』(7月4日発行)紙上で、フリーメーソンの存在は「オカルト雑誌を通じて多くの若者の間に浸透」しており、オウム信者たちは「仮想敵であるフリーメーソン」に「本気で立ち向かっている」。だからこそマスメディアはこの問題に踏み込むべきなのに、避けているのはおかしいと述べている。

 この主張に私は共感をおぼえる。こうしたパラノイアックな妄想じみた言説は、けっして麻原彰晃ひとりの独創ではない。独創はゼロと言ってもいい。だからこそ、「バカらしい」とただ排除するだけでは、もはやすまないはずだ。事実をきちんと検証し、妄想や誇張されたデマからはっきり峻別すべき時が来ている。

 つまり、オーム真理教が頻りに「フリーメーソン闇権力論」を述べていることに対し、他のメディアが及び腰なのに対し、宝島社がその虚構を撃つ為にこの企画を立ち上げた、ということになるようである。

 冒頭、「フリーメーソンは『闇の世界政府」なのか?』」の見出しでで次のような遣り取りが交わされている。

 フリーメーソンとは、一体何者か。
 正式な名称はフリー・アンド・アクセプテッド・メーソン。「メーソン」とは、「集団としてのフリーメーソンリーに属する構成員」を指す。その存在は秘密でも何でもない。日本グランド・ロッジは、東京・港区の東京タワーのすぐ隣にビルを構えており、NTTの電話番号案内に問い合わせれば、ちゃんと電話番号を教えてくれる。今年の4月のある日、私はそうやってフリーメーソンの日本グランド・ロッジの電話番号を調べ、連絡をとってみた。電話はあっさりと通じ、片桐三郎氏という広報責任者の方に、拍子抜けするほど簡単にアポイントがとれた。

 4月14日、第38森ビルに隣接している、日本グランド・ロッジを訪ねた。片桐氏は、今年70歳になるというが、とてもそうは見えない。この世代には珍しい、ダンディーで気さくな人物だった。メーソンについてはさまざまなフォークロアがある。まずはその話から切り出した。

 たとえば、ケンタッキー・フライドチキンの店頭に立っているカーネル・サンダース人形の左胸についているバッジは、メーソンの高位階をあらわすバッジだという「風説」。どうでもよい噂話に思えるのだが、この話が陰謀マニアにかかると、一挙に飛躍して、「ファースト・フードの蔓延は、日本人の食文化を破壊しようとするフリーメーソンの陰謀である」という妄想にまで膨らんでいくのである。

 あるいは、アメリカはフリーメーソン国家であるという「神話」。アメリカの歴代大統領の多くは、メーソンのメンバーだった。また、アメリカの1ドル札にはピラミッドと、その頂上に輝く不気味な一つ目の絵柄が描かれているが、これこそはメーソンのシンボルマークである……。

 そして、日本はメーソンによって支配されているという妄想。マッカーサーはメーソンのメンバーであり、戦後の日本国憲法を起草したGHQのメンバーも多くはメーソンだった。戦後憲法の理念の多くは、メーソンの理念である。戦後、皇族や有力な大物政治家もメーソンのメンバーになった等々……。

 こうした話は、信頼のおけそうな体裁の研究書にも、安っぽくいかがわしい「ユダヤ=フリーメーソン陰謀論」の本のなかにも書かれていて、信じていいのかどうなのか、確認された事実なのかどうなのか、さっぱりわからない。まずはそうしたフォークロアの数々の確認を求めたのだが−−。

 「ああ、カーネル・サンダースさんですか。私、彼が来日したとき、ロッジの集会であったことがありますよ。ええ、彼もメンバーです。彼はメーソンであることを非常に誇りにしていましたね」。片桐氏はあっさりと、「ケンタッキー・フライドチキンの創業者=フリーメーソン説」を肯定したのだった。

 「皇族では戦後の一時期、首相をつとめた東久邇宮さんが会員でしたね。自民党初代総裁の鳩山一郎元首相も会員でした。もう昔の人ですから秘密にすることはないでしょう。ただ、鳩山さんが入ったときは最晩年でしたよ。病気がちで動けないというので、当時のメーソンのグランド・マスターが彼の自宅まで出向いていって入会の儀式を行ったのです。

 1ドル札のマークですか? ああ、あれも確かに『万物を見通す目』というメーソンのマークの一つです。このマークは、アメリカの国璽(こくじ)にも用いられているそうです。

 初代のジョージ・ワシントンをはじめ、米国大統領にはメーソンのメンバーは確かに少なくない。リンカーンもセオドア・ルーズベルトもフランクリン・ルーズベルトもトルーマンも、最近ではフォードもそうでした。確認されているだけで、歴代の米国大統領のうち、15人がメーソンです。アメリカ独立と建国の歴史そのものが、フリーメーソンリーにサポートされているのですから、これは当然でしょう」。

 正直、驚かないわけにはいかなかった。フリーメーソン「伝説」の多くが事実であり、それをフリーメーソンリーの広報責任者が実にあっさりと認めてしまったのだから−−。

 片桐氏に案内されて、地下にある、儀式を執り行なうホールにも足を踏み入れた。円い天井に星があしらわれ、床には市松模様、中央には宣誓のための祭壇、そして正面には<G>という文字が高く掲げられている。確かに壮麗な空間ではある。しかし、そうはいってもやはり、何ということはない、ただのホールにすぎない。とてつもない秘密がこのホール自体に備わっているとはとても思えない。なぜ、ごく最近まで、徹底的に非公開を貫いてきたのか、その理由がかえってわからなくなる。

 「昔は何でもかんでも秘密にしていたものです。ロッジの内部も非メーソンには見せませんでしたし、ジャーナリストの方に、私のような人間がこうして率直にしゃべるということもありえなかった。最近になって少しずつ変わってきているんです」と片桐氏は語る。

 「私に言わせると、メーソンは非常に頑固で保守的なんです。会員も高齢者が多く、40歳以下は25%くらい。みんなひどく頑固です。僕個人は、伝統は守りつつも不必要に世間の誤解を受けるような秘密主義は変えていった方がいいと思っていますが、そういう考え方の持ち主は、まだまだ少数ですね。この流れを変えるには、ひょっとしたら100年かかるかな、とも思います。そのくらいの保守性はメーソンにはありますよ」。

 片桐氏は、「自分の個人の話ならば話しやすいから」と言って、自身の体験を語りはじめた。


 次に、「入会金四万円の『秘密結社』」で次のような遣り取りが交わされている。
 1925年(大正14年)、横浜の貿易商の息子として生まれた片桐氏は、横浜高等商業学校(現・横浜国大経済学部)を卒業後、陸軍に入り、「特攻隊の生き残り」として終戦を迎えた。「しばらく闇市をうろうろとした」後に、外国船の乗組員となり、その後、東京オリンピックの開催された1964年に日本コカコーラに入社、5年後には役員に就任している。

 82年に独立、友人と会社経営を始め、三越がシンガポールに造った「レジャー・パーク」を買い取り、代表取締役社長として現地で約10年間経営にあたった。心臓を患ったためリタイアし、日本に帰国したのは、92年のことである。

 「今から30年以上前のことです。メーソンリーに加入している友人がいて、最初は好奇心から入会を希望したわけです。当時、私は外国船のパーサー(事務長)の仕事をしていましたから、欧米人とのつき合いも多く、欧米の一流のビジネスマンにはメーソン会員が多いということを知っていましたから、興味もありましたし、入会すれば顔も広くなって仕事にも役立つのではないかとも考えました。実際にはそんな思惑ははずれてしまいましたけどね。ロッジのなかでは宗教の話、政治の話、そしてビジネスの話はしてはいけないんです。俗っぽい動機だけでは続きませんよ。なにしろ繁雑な儀式のために、覚えることがすごく多いですから。入会したのはいいけれども、面倒くさくなってやめてしまう人も多いんです。お金も時間もロスしますからね。ビジネス的にはマイナスの方が大きいでしょう」

 片桐氏が入会した当時、入会金は4万円で年会費が4〜5千円。30年以上も前のことだから、けっして安いとはいえない。しかし、この金額は30年間ほぼ据え置かれているという。

 「今では、そのあたりのスポーツクラブに入るより、ずっと安いんじゃないですか。以前はともかく、現在は金持ちのクラブじゃありません。僕らのような役員は、選挙で選ばれて就任するんですが、完全に手弁当で、報酬はありません。書記役だけ例外で実費が支払われますが、でも月に2万円くらいのものですよ。みんな完全に持ち出しです。

 入会に際しては、二人以上の会員の推薦が必要で、条件としては、職種は問われませんが正業に就いている成人男性であること、それからどんな宗教でも構わないが、信仰心を持っていること、この二つです。無神論者はだめなんですよ。したがって共産主義者の入会は認められません。これはイングランド系の伝統的なフリーメーソンリーの入会条件です。入会を希望したら誰でも入れるというわけでもありません。そのロッジのメンバーが投票を行ない、全員が同意した時のみ、認められるのです。

 入会の時には儀式があります。世間から何か怪しげな秘儀をしているではないかという、おどろおどろしいイメージを持たれがちなんですが、どうということはありません。マスターから兄弟愛とか隣人愛とか、ある意味では常識的な道徳観念を諭されるだけのことです。こうした儀式というのは形式的なもので、一種のお芝居のようなものですよ。オカルト的な興味で、入ってくる人も少なくないのですが、そういう人は決まって失望します(苦笑)」

 部外者に理解しがたいのは、なぜ、古めかしい儀式を後生大事に守らなければいけないのか、しかも、それをなぜ秘密にしなくてはいけないのか、という疑問である。私の質問に、「実は私も不思議でした」と片桐氏は笑って答えた。

 「一つには、ある程度秘密を保つことで会員同士の連帯感が生まれるということもあるでしょう。儀式を繰り返すことで、そこに込められた道徳律を染み込ませ、体得していくという建前もあります。しかし、現実的に必要なのは、会員相互の確認です。たとえば私が外国を旅行したとします。見知らぬ土地で、知り合いがいないのは心細いですから、その土地にあるロッジを訪ねるとします。すると、簡単な証明書の提示を求められ、儀式の内容を尋ねられ、メーソン独自の握手の方法などで、訪問者である私が、本当に会員かどうか確認するわけです。会員であるとわかったときから、『ミスター片桐』ではなく『ブラザー片桐』となり、いわば身内の人間として扱ってくれるようになる。原始的といえば原始的な方法ですよね。これだけ通信とコンピュータ・ネットワークの発達した時代に、口伝の儀式とか身振り手振りのサインに頼っているわけですから。これは起源に原因があるんだと思います。

 メーソンの起源については、諸説さまざまあります。人類最初のメーソンはアダムであるとか、ノアの箱船で有名なノアが初代のグランド・マスターであるとか。そうした話は山ほどメーソンのなかに伝わっていますが、でも、あくまで伝説です。伝説はともかくとして、実在するフリーメーソンリーは12世紀頃から記録があるのですが、その頃は世界各地の建築現場を移動しながら仕事をする石工の集団でした。当時は一部の上流階級をのぞき、文盲が普通の時代でしたから、口伝で建築の技術を伝え、仲間同士であることを確認するサインが生まれたわけです。その伝統が、近代に入って、石工の組合から一般の人たちの友愛団体となり、そして現在に至っても続いているわけです。ちなみに、伝統的な石工を実務的(operative)メーソン、石工ではないが哲学的探求を志して入会してきた人を思索的(speculative)メーソンと呼んで区別しています。近代以降のメーソンリーは、完全に後者で占められています。

 現代では正直言って、秘密の儀式とかサインというのは、時代錯誤という感じはしますよ。儀式を全部暗記するのも、大変面倒です。でも、わざわざこういう面倒な手続きをふむのも、長い間続けていると、悪くはないものだなと思えてくるから不思議ですよ。大人のお遊びみたいなところがありますが、やはり、連帯感というものは生まれますからね」

 次に、「まるでロータリークラブ?」で次のような遣り取りが交わされている。

 「秘密の儀式」という「大人のお遊び」を楽しむ「社交クラブ」。片桐氏の話に耳と傾けていると、氏の語り口の穏やかさも手伝ってか、どこへ取材にきたのか、ふとわからなくなってくる。フリーメーソンリーは「秘密結社」のはずである。こんな微温的な組織でいいのだろうか!? これではまるでロータリークラブではないか。

 「ええ、そうです。フリーメーソンリーはロータリークラブの原型なんですよ」と、片桐氏はまた、事もなげに言う。「ロータリークラブの創始者の方は、メーソンだったといわれています。おそらくこの方は、閉鎖性、秘密性をなくす必要を感じて、より開かれた社会団体であるロータリークラブを始められたんでしょう。私は、これはいい考え方だと思います。

 信仰・集会・結社の自由や、人種的・階級的平等のなかった時代にフリーメーソンリーは誕生したわけですから、その当時、秘密の厳守を誓わされ、組織全体としても閉鎖性の強いものにならざるを得なかったのは仕方のないことだろうと思います。しかし、現代では、自由や平等といったフリーメーソンリーの憲章に盛り込まれてきた価値観は、当たり前のことになりました。そういう時代に、昔からの伝統だからという理由だけで閉鎖的な姿勢をとり続けるのはどうか。実際、この20年間に会員数はじりじりと減っているんです。と同時に、会員の老化も進んでいる。ひと頃は全世界で400万人いたといわれていました。このうち半数はアメリカのロッジに所属しているのですが、これが現在、300万人ぐらいにまで減ってきているのです」

 一度、ロッジを訪れて、幹部の一人に話を聞いたぐらいで、フリーメーソンリーの実態がわかった、などと言うつもりはない。だが、それにしても「風説」とあまりにも落差がある。高度情報化社会の現代において、これほど情報落差のある団体は、他にちょっと思いつかない。おそらくその理由の一つは、フリーメーソンリー自らが、自己を語ってこなかったためだろう。

 「フリーメーソンには、中傷に対しては沈黙で応ずるという伝統があるんです。しかし、今後は、あまりにもひどい中傷に対しては法的手段に訴えることも考えようかと内部では話し合ったりしています。オウム真理教のデマ宣伝もひどい。でたらめもいいとこです。そもそも、彼らはフリーメーソンリーについて、何も知らない。一例をあげましょう。オウムの機関心『ヴァジラヤーナ・サッチャ』No.6のなかに、小和田雅子さんや、緒方貞子さんの写真が出ていて、いろいろと中傷されており、その下にメーソンのシンボルマークである『コンパスと直角定規』が記されている。僕らとすれば、これは大笑いです。女性はメーソンにはなれないんですよ。どこかの世界の片田舎にあるロッジが女性をメンバーに加えたとしますと、他のグランド・ロッジはそのロッジとの関係を切ってしまうんです。オウムが、実際にはごく基本的なレベルでも正確な知識を持ち合わせていないことがこれですぐわかる。

 もっともオウムに対しては、具体的な行動を起こすことを僕らも躊躇してしまいます。あれがオウム真理教でなければ、正面切って法的に訴えたいところですけど、正直言って怖いです。オウムに対して反論して、彼らを刺激したくないですよ。メーソンの会員は、みんな普通の市民ですからね。家庭もあり、正業に就いている。一人ひとり、狙われたらひとたまりもありません。しかし中傷をすべて無視しておいていいというものではない。以前、コメ問題で日米関係がギクシャクしたときに、何者かに空気銃でこのビルのガラスを撃たれたことがある。我われはコメ問題とは何の関係もないのに−−。警察に届けましたが、でたらめな陰謀論の本を読んで、そういう暴力的な行動にでてくる人間たちがあらわれると、沈黙してばかりもいられない。

 私が広報委員長に就任したのは今年なんですが、私自身の考えとしては、ある程度、メーソンとは何かという啓蒙活動や、中傷に対する反論に積極的に取り組みたいと思っています。メーソンが陰謀結社だなどと言うと、普通の先進国では笑われますよ。メーソンの実態が、社交のための友愛団体だということは世界の常識なんですから」

 片桐氏と会った後、改めてフリーメーソンリーに関する文献を読みあさってみた。わかったような気になってはいたが、調べてみると驚くような話ばかりである。
 モーツァルトのオペラ「魔笛」は、フリーメーソンリーの参入儀礼にもとづいて生み出された作品である−−。
 ベートーヴェンの「第九」の一節、「喜びの歌」の詩を書いたのはドイツの代表的詩人シラーだが、それはもともとメーソンリーのあるロッジの参加として書かれたものだった−−。
 ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』の主人公は、「塔の結社」の導きによって人間的成長をとげていくが、この結社のモデルはフリーメーソンリーであり、ゲーテ自身もメーソンだった−−。

 18世紀から19世紀にかけての啓蒙主義の時代の知識人で、メーソンでない人間を探す方が難しい。主要な人物では哲学者のカントくらいなものである。そのカントも、非メーソンではあったが、必ずしも反メーソンであったわけではない。また、メーソンの方は、カントを「メーソンリーにとって最も重要な哲学者」として称揚している。(『18世紀ドイツ思想と「秘儀結社」』田村一郎著より)

 なぜ、こうした事実が大学の一般教養課程も含め、学校教育で一切ふれられないのか。なぜ、権威あるアカデミズムやジャーナリズムは、フリーメーソンリーに言及することを避けているのか。謎というほかない。フリーメーソンリーが「世界を支配する秘密結社」であるとは思わないが−−世界の複雑な動態を単一の要因に還元する強引な還元主義的思考法それ自体がおかしい−−しかし単なる社交クラブともやはり言い切れない。明確な像を結ぶことができるまで、取材と検証を重ねるほかはない。

 現役のメーソン会員たちへの取材を重ねる一方、私は再び、片桐氏に連絡をとり、元グランド・マスターのリチャード・クライプ氏と会う約束をとりつけた。7月15日、クライプ氏と片桐氏の待つ日本グランド・ロッジを再訪した−−。


 次に、「陰謀団と言われるのは、先進国では日本だけです」で次のような遣り取りが交わされている。
クライプ  まず最初に、私は世界中のフリーメーソンを代表して何かを言う権限も権威も持ち合わせていません。ですから、私がこれから述べることは、あくまでも私の個人的な意見だと理解してください。

 とかく、フリーメーソンリーとは一つのユニットとか組織みたいなふうに誤解されがちなんですが、そういう中央集権的な組織ではありませんし、組織全体を代表して話すような、スポークスマンみたいなものも実はいないんです。そこのところに注意してください。フリーメーソンリーの組織形態というのは、ピラミッド型の上意下達の組織ではなく、各地のグランド・ロッジが並立していて、それぞれが相互に承認し合っている。国と国との間の外交関係のようなものです。我われの正式な名称に、フリー・アンド・アクセプテッド(承認された)とつくのは、そういう意味もあります。つまり我われのグランド・ロッジは世界各地のグランド・ロッジから承認されていますよ、ということを意味するのです。

 フリーメーソンリーのあるロッジが伝統的なルールを破った場合、行なわれる最大の”制裁”は、他のロッジから承認を取り下げられることです。そうなるとつき合いが断たれ、他のロッジを訪問することができなくなる。世界的なフリーメーソンリーのネットワークの一員として認めてもらえなくなるんです。

 フリーメーソンリーのグランド・ロッジ・マスターに就く人物とは、どんな人物なのか。クライプ氏のバイオグラフィーを訊いた−−。

 1944年、米国インディアナ州の生まれ。「典型的な中流クラスの核家族」出身であるという。62年にハイスクールを卒業したが、経済的な余裕がなく、「奨学金をもらうほどにはスマートではなかった」ので、大学進学を断念し、空軍に入隊。10年間、下士官を務めた後、サクラメント州立大学の電子工学部に入学。卒業後は再び空軍に戻り、将校として10年間、82年に退役するまで在籍した。退役後に来日し、翻訳の会社で文章を校正する仕事に就く。その後、独立してフリーランスの校正者として働くうちに、宇宙開発事業団と仕事をする機会に恵まれ、現在は日本宇宙有人システムのコミュニケーション・エンジニアとして、事業団の人たちがNASAの書類などを理解することができるよう、英語をただしたり、教えたりしているという。


クライプ

 フリーメーソンリーに興味を持ち始めたのは、1972年頃、つまり将校になった頃です。つき合っていた人たちのなかで、素晴らしい人たち、楽しい人たちがフリーメーソンリーのメンバーだったということがわかったんです。それで関心がわき、1973年にフリーメーソンリーに入会しました。

 米国にいる時には、メンバーとしてそれほど積極的ではありませんでした。フリーメーソンとしての活動を積極的にするようになったのは、日本に来てからですね。日本には、グランド・ロッジの傘下に18のロッジがありますが、そのうちの一つのロッジのマスターを6年間務めました。その後、だんだん役職があがっていって、1992年にグランド・ロッジのグランド・マスターに選出されました。

 −−選挙で選ばれるんですか?

クライプ

 はい、選挙です。しかし、大事なことなんですが、政治の選挙のようなことはありません。選挙運動をやってはいけないというルールがあるんです。「私に投票してください」とは言えないんです(笑)。


 次に、「フリーメーソンリーは宗教ではない」で次のような遣り取りが交わされている。

 −−あなたの宗教は?

クライプ

 メソディストだった父親はとても信仰心が強くて、子どもの頃、よく教会に連れていかれました。しかし、私は大人になってからほとんど教会に行っていない。そのことに少し罪悪感を感じています。

 −−あなたは現在、自分をクリスチャンだとお考えですか? それともフリーメーソンの信徒なのでしょうか? あるいは、フリーメーソンリーはただの友愛団体であって、あなたの信仰はキリスト教なんでしょうか?

クライプ

 これはとてもデリケートな問題なので、丁寧に答える必要があります。私にとっては、宗教というものは魂の救済と関わるものです。それは、神と個々人の魂の関係なんですね。そういう意味ではフリーメーソンリーは宗教ではない。フリーメーソンリーでは、魂の救済に積極的に関心があるわけではないんです。それよりも、個々の人間同士の関係が重要であると教えられる。人間同士が、お互いにどんなふうにしたら仲良く、友愛をもってつき合っていけるか。そうした人間関係を通じていい社会を築いていくこと、そこがメーソンリーの教えのメインになる。

片桐  クライプさんの今のお話は非常に大事なポイントです。僕は難しいことが苦手なので、ごくくだいた言い方で補足します。近代フリーメーソンリーの歴史は、1717年にロンドンで4つのロッジが集まって、最初のグランド・ロッジを作ったときから始まるといわれています。18世紀の前半のことですから、宗教界が英国のなかでもゴチャゴチャに混乱していた時期なのです。まず、カソリックとプロテスタントの対立がありました。プロテスタントのなかでも英国国教会派と非国教会派とがいます。そして国教会派のなかでも長老はとそれに反対する勢力という具合に、細かく枝分かれして対抗していたわけです。人びとは互いに相争い、非常に疑心暗鬼になっていた。そうした時代を背景として、「宗教的寛容」を説く、フリーメーソンリーが登場したわけです。時代が、フリーメーソンリーのような団体を求めていた、ともいえるでしょう。その結果、宗教対立にうんざりしていたさまざまな宗派の人たちがフリーメーソンリーに入ってきたのです。

 フリーメーソンリーでは、抽象的な概念としての「至高の存在」(Suprem Being)に対して尊崇をあらわす。これは儀式や集会のなかで必ずやります。しかし、この場合の「至高の存在」とは、キリストでもないし、お釈迦様でもないし、マホメットやアラーの神でもないんですよ。僕は一応、仏教徒ですから、心のなかで仏様に向かって祈るわけです。クライプさんはキリスト教徒だからキリスト教との神に祈ってる。それでいいんです。「至高の存在」とは、いろいろな宗教の最大公約数的な概念なのです。
クライプ

 フリーメーソンリーに対するいちばん主要な批判というのは、あらゆる宗教からあまりにも無節操に多くの人を受け入れすぎるという批判です。たとえば、バプティスト教会。この宗派はいちばん保守的な教会で、「あなたがバプティストでなければ、あなたは悪魔だ」とまで言い切ります。

 フリーメーソンリーは、そういう人たちにとってはまさしく悪魔そのものなんです。フリーメーソンリーでは、自分とは違う宗派の人びとに対して寛容であれ、友愛の精神を持てと説くのですから、自分の宗派以外の人間は救われないとする人びとからは、「悪魔」呼ばわりされるわけです。

 −− キリスト教のなかでも、とりわけカソリックはメーソンを認めないという点では強硬ですね。1738年に教皇クレメンス12世が、フリーメーソンに対して最初の破門令を発表してから、現教皇のヨハネ・パウロ二世まで17回以上も破門の回勅が出されたそうですが、カソリック教会のこうした姿勢を、どうお考えですか?

クライプ

 教会の公式見解はともかくとして、信徒個人のレベルでは、実は、カソリック教徒でメーソンの会員という人もとても多いのです。たとえば、フィリピンはご存知のとおり、非常にカソリック教徒が多い国ですが、メーソンも非常に多い。カソリック教会のなかのビショップ=司教がメンバーだったりすることも珍しくありません。

 私個人としては、人を見る場合、その人個人の資質を見ますから、その人がどういう宗教の人かということは重視しません。ただし、カソリックの信徒で、メーソンになりたいと希望する人に対しては、カソリック教会はフリーメーソンリーを否定していますが、いいのですか、と一応確認します。どうしてかというと、本人はいいとしても、家族のなかにカソリック信徒がいる場合、問題が生じる可能性がある。そんな事態になってしまうのは、私としてはやはり心が痛むからです。


 思索的メーソンを中核とする近代フリーメーソンリーは、明らかにその出発点から、「脱カソリック」というオブセッションを内包していたといえるだろう。言い換えるならば、それだけカソリックの教権支配が、近世までヨーロッパでは強く、そうであるからこそ、その支配から逃れようとする衝迫も強かったに違いない。

 『フリーメイソン』(講談社現代新書)という著書もある名古屋大学教授の吉村正和氏は、「フリーメーソンリーには独自の思想というものがあるわけではない。それはさまざまな思想を受け入れる中空の受け皿であり、実際に盛り込まれたのは18世紀ヨーロッパの時代精神でした」と言う。

 「18世紀の時代精神」とは何か。啓蒙主義であり、理神論であり、「自由・平等・友愛」の精神であり、エキュメニズム(宗教的寛容と統合の思想)であり、またときに無神論でもある。イングランド系の「正統」フリーメーソンでは、<G>という一文字であらわされる「至高存在」への崇拝を求められるが、大陸で独自の発展をとげた分派には、この「至高存在」を認めない無神論的セクトもある。この点が、実は英米系のメーソンリーと大陸系のメーソンリーを分かつ決定的なポイントとなるのだが、それは後でふれる。


 次に、「至高の存在<G>の秘密」で次のような遣り取りが交わされている。

 −−フリーメーソンリーでは「至高存在」を<G>という一文字であらわしますよね。フリーメーソンリーに入ると、最初に<G>について、ゴッドあるいはグレーと・オブ・ザ・ユニバース(宇宙の創造者)と説明される。ところが、そのうちにこれはジオメトリー(幾何学)だと教えられるという話を聞いたことがあります。これは何を意味しているのですか。人間の理性や知性への信仰ですか。

クライプ

 最初に<G>はゴッドで、そのあとでジオメトリーだと明かされるということではありません。最初のレクチャーの二、三分の間に、<G>は神を意味すると同時にジオメトリーであるということを明かされるわけです。それは基本的には、教育を受けるとか、何かを学ぶということに関係があるんです。特に、幾何学がなかったら何も作れない。これは、フリーメーソンリーが、もともとは建築家の集団であったことに由来しますが、それだけではなく、今まで無知だった人間に知識が与えられる。そういう「啓蒙」の意味がこめられているんです。

片桐  幾何学がなぜ、フリーメーソンリーのなかで重視されるのか、これはイギリスの建築史を知る必要があります。12世紀から16世紀ぐらいの間にイギリスではゴシック建築が隆盛をきわめました。この400年間に1万2千の建物ができたという記録が残っているんです。ゴシック建築にはいくつかの特徴がある。一つはとんがった尖塔を造る。あれは、神様が上にいるから、なるべく近いところに行きたいという発想ですね。それから2番目の特徴は、丸いドーム型の天井です。複雑な力学的計算ができないと、これは造れない。

 こうしたデザインの建築物を造るには、当時としては、非常に高度な幾何学=ジオメトリーの知識を必要としたわけです。それを、12世紀から16世紀の間、メーソンたちはギルドを作って、自分たちで囲い込んで、絶対に外に出さなかった。出せば、自分たちの利益を損ないますからね。

 しかも、その頃に字を読める人ってほとんどいないわけです。だから、彼らは口から口へと口伝で秘密の技術を伝えた。その前に、「お前、秘密を漏らしたら首を切るぞ」というような脅かしをして、絶対の宣誓をさせて、それで教育していったわけです。それが、実務的メーソンの時代で、400年も続いていったわけです。

 今のは技術面のことですが、もう一つ、若手の人格教育の側面があります。ギルドの中に若者が入ってくると、技術教育だけではすまなくなってきて、人格教育も必要になる。ところが、教える方も教わる方も字が読めない。それで彼らがやった方法は、工具だとか石とか自分の身のまわりのもので、寓意的、寓話的にわかりやすく教えたわけです。たとえばどこのロッジにも、石切場から切り出してきたばかりの原石と、きれいに正方形に磨きあげた石とがおいてある。「お前は、今箱の原石と同じなんだ。原石は、親方メーソンが描く設計図にしたがって、切って磨きあげないと使いものにならない。石も人間も同じ。磨いてはじめて一人前になれるんだよ」と−−。こうした象徴的な教え方によって、人格教育をしようとした。それが今でもメーソンのなかに儀礼として残っているわけです。

 次に、「石工の集団になぜ貴族が?」で次のような遣り取りが交わされている。

 −−伝統的な実務的メーソンが、集団を維持し、自分たちの利益を守るために閉鎖的な共同体を作る必要があった。これはわかるのですが、ではなぜ、上の階級に属する知識人や貴族やブルジョアなどが、この集団に入ってきたのか。どうも、その動機がよくわからない。当時のヨーロッパは強固な階級社会でしょう。上流階級の人間が、身分が高いとはいえない石工の集団に、なぜ自ら入っていったのでしょうか。

クライプ

 私は歴史家ではないので、正しいことは言えないんですが、「フリー」という言葉が示すように、フリーメーソンはいろんな国へ移動して仕事をする事由が特別に認められていた。当時のヨーロッパは、現代のように交通も通信網も発達していないし、もちろんマスコミもない。移動の自由も制約されている。そんな時代にいろいろな場所を旅行する人というのは珍しい。フリーメーソンといわれる人たちは、いろんな場所に行って、そこにある程度住み着き、また戻ってくる。そうすると、普通の人が絶対に持ち得ないような知識や情報や見聞を持ち帰ってこれる。そうしたフリーメーソンだけが持ち得る貴重な情報や見聞に、知識階級や貴族は非常に強い関心と好奇心を抱いたのではないでしょうか。

片桐  実務的メーソンたちの結社に、石工ではない人間が入ってきたのは、最初は1600年といわれています。スコットランドのエジンバラ・ロッジです。オーチェンレックという土地のジョン・ボズウェルという小領主が入会したという記録が残っているのです。これが思索的メーソンの始まりとなるわけですが、その1600年から最初のグランド・ロッジの発足まで117年あるわけです。

 その頃の英国史を見ますと、カソリックと英国国教会とピューリタン(清教徒)などが入り乱れて、非常に激しい宗教対立に見舞われた時期だったことがわかる。1640年に始まったピューリタン革命では、国王のチャールズ一世が処刑されている。1649年のことです。その後、ずっとそういう血なまぐさい事件が5、60年の間連続しています。

 すると、これはまったくの想像ですけれども、前後の事情から判断して、貴族だろうが、領主だろうが、我が身かわいさから、宗教的に寛容なフリーメーソンリーに、ある種の連帯感や信頼感を求めて入っていったとしても無理はないなという感じがします。要するに、文化的な好奇心だけじゃなくて、身の安全を図るという功利心があったとしてもけっして不思議じゃなかった、そういう時代だったと思います。

 いずれにしても、フリーメーソンリーは、最初のグランド・ロッジが結成され、「憲章」が発表されて以後、まるで火がついたように大流行となりました。1717年にたった四つしかなかったロッジが、12年後には50になり、30年後には世界中に広がってしまったんですからね。

 前出の吉村正和氏は、「フリーメーソンリーは、一面ではイギリスの社交クラブ文化の産物」であると言う。フランスにおいて社交サロンの文化的伝統が息づいているように、イギリスにも、パブ(居酒屋)を舞台とした社交クラブの文化的伝統が根を張っている。最初にグランド・ロッジを形成した四つのロッジも集会所はパブであり、各々のロッジの名称もパブの店名をつけていた。 「集まって何をするかといえば、要するに宴会を開き、酒を飲むのです。つまりはフリーメーソンリーといえども、幾多ある社交クラブの一つにすぎなかったわけです」

 考えてみれば不思議な話である。フリーメーソンリーがその出発点において、どこにでもある、パブの常連客の親睦会にすぎないような社交クラブの一つだとするならば、なぜそのなかでフリーメーソンリーだけが、「火がついたように大流行」したのだろうか。現代のカルトのように、フリーメーソンリー自身が、積極的に宣伝や勧誘を行なって、会員を増やしていったというならばまだわかる。しかし、事実はまったくその逆なのである。

 宣伝も行なわない。入会に制限を設ける。そんな団体が、なぜ最初のグランド・ロッジの誕生から30年ほどの間に、カソリック教会に匹敵するほどの世界的なネットワークを形成しえたのだろうか。『フリーメーソンリー』(中公新書)を著した京都府立医大教授の湯浅慎一氏は、「いくら研究してみても、メーソンの拡大の真の理由はよくわからない」と率直に述べる。

 「教会の世俗化という時代の流れのなかで、ゴシック建築が衰退してきた17世紀後半、石工たち、すなわち実務的メーソンは失業の危機に瀕していた。そのため、自分たちのギルドの保護者を建築社集団の外に求める必要があり、積極的にブルジョア貴族を勧誘しようとした。実務的メーソンの側にはそういう動機はあると思うのです。しかし、貴族やブルジョアや知識人たちが石工のギルドに喜んで入ろうとする積極的な動機を説明するのは難しい。あえていえば、メーソンリーの内部に、あたかもそこに古代からの伝統的な神秘思想や叡智がひそかに温存されており、入会したものだけにその秘儀が明かされるという、好奇心をかきたてられるもったいぶった誘惑があっただろうとは思います」


 次に、「『オカルト』を期待すると失望する」で次のような遣り取りが交わされている。

 −−近代フリーメーソンリーのなかには、成立当時の18世紀の最先端の思想だった啓蒙主義などが取り込まれている。と同時に、キリスト教会から異端として排除されてきたグノーシス主義や、ユダヤ教神秘主義のカバラ思想、錬金術などのオカルティックな思想やシンボルも盛り込まれている。合理的な啓蒙主義と非合理的な神秘主義という、一見、相矛盾する思想が共存しているのは、なぜなのでしょうか。

クライプ

 これも、私の個人的な意見なんですが、神というのは無限の存在です。そして人間には限界があります。有限な存在が、無限の神について判断することはできません。ですから、無限な存在である、あの神、その神、この神のどれが正しいということを、有限な存在である「私」が判断しようとすることは傲慢であり、実際、不可能なんですね。

 フリーメーソンリーのロッジのなかでは、宗教とか政治の話をすることは一切禁止されており、常に周囲との調和を大事にするように求められます。その一方で、ありとあらゆる宗教の信者、そして、いろいろな政治的理念を受け入れてきたのです。さまざまな思想やシンボルがフリーメーソンリーのなかに保存されているのは、そうした寛容の精神がもたらしたものではないでしょうか。

片桐  フリーメーソンリーは、オカルト結社である、とたびたび批判されています。33もの階級に分かれていて、階級を登るたびに秘密の教えを順番に説かれていくともいわれている。しかし、こういう話は、半分は本当ですが、半分は誤解です。まず、フリーメーソンリーには徒弟・職人・親方という三つの階級しかありません。しかしこのメーソンリーの付属団体として、スコティッシュ・ライト、ヨーク・ライトという二つの団体があり、こちらには一応、高位階が用意されています。とはいえ、メーソンリーの上部団体ではありえません。この二つはメーソンリーの哲学を詳しく勉強したい人のための団体なのですが、その教えをひとことで言えば、個人の尊厳が大事だということを説いているだけのことです。オカルト的・秘教的な教えを期待した人は、必ず失望します。

 スコティッシュ・ライトの33番目の階級というのは、これは名誉階級で、儀式の世話役などを長く務めてきた功労者に与えられるものです。実質的には32階級で、私もその32番目の階級に属するんですが、これは丸二日、講義を受講さえすればもらえちゃうんです。外から見ると、何かすごいことのように思えるのでしょうが、大したことないんです。この階級の名前の一つに「薔薇十字」という名前の階級があります。有名なオカルト結社の名前から借りてきちゃったわけです。そういうことがあるために、オカルト結社だと言われてしまうんでしょうけど。

 メーソンのなかで教えられることは、神秘主義的な教えではなく、もっと世俗的な道徳ですよ。ただ、生と死については、真面目に考えられています。人間は死後に、シュープリーム・ビーイング(至高存在)によって審判が下される。そのとき後悔することのないように、まじめに生きろと諭されるわけです。当たり前の道徳という以上のことはないですよ。

 次に、「ユダヤ人とフリーメーソンリー」で次のような遣り取りが交わされている。

 
前出の湯浅氏は、フリーメーソンリーが爆発的な発展をとげたもう一つの理由として、大英帝国の帝国主義的拡張期に重なり合ったため、という説をあげる。「英国の権力者が、国際的なネットワークをすでに確立していたフリーメーソンリーを、大陸政策のために利用した、ということは充分考えられます。フリーメーソンリーの拡大の歴史は大英帝国の帝国主義的な膨張の歴史とぴたりと重なりますし、そう考えれば、貴族や王侯がこぞって参入した理由も説明がつく。メーソンリーを情報ネットワークとして利用できますから。

 ローマ・カソリックの教権支配からの解放という過程も、純粋に思想史上の問題としてみるのではなく、イギリスの地政学的利害がそこにからんでいたと考えた方が、歴史の実相により近いと思います。批判を加えるためにも頭から無視してはいけない。もっとも、ユダヤ人陰謀論は問題外ですけれども」。


片桐  フリーメーソンリーのなかに、ユダヤ人が多いのは事実です。特に米国のニューヨークのロッジとか、ユダヤ人の居住人口が多い地域には多い。それでも、全米国のメーソン会員のなかに占めるユダヤ人の割合は一割に満たないはずです。一般の人口比から考えれば多いと思いますけれど、それはユダヤ人が一般社会のなかで差別されてきた、それに対し、メーソンは差別をしなかった、そういう歴史的理由によるものです。ユダヤ人あるいはユダヤ教徒は、キリスト教社会のなかで徹底的に差別されていましたから、彼らにとって、宗教によって差別をしないメーソンリーはオアシスのようなものだったでしょう。ロッジの外ではまともに相手にしてもらえないキリスト教との市民たちと、同党に友愛を結ぶということが可能となったわけですから。彼らが「こんなにありがたいものはない」とこぞって入会したのは当然だと思いますよ。宗教によって差別をしないということは、先ほども言いましたが、もともとはキリスト教内部の問題だったのです。18世紀に入るまでに旧教と信教の対立があり、そのために戦争まで起きていた。そういう悲劇を繰り返さないためにも、宗派を超えて友愛の関係を結ぼうという考え方が生まれ、それを実践に移そうとしたのがメーソンだったわけです。後にこうした宗教的寛容の精神が拡大され、ユダヤ教徒や仏教徒やイスラム教徒にも適用され、今日のような世界的な広がりをもつに至ったわけです。もちろん、ユダヤ人がフリーメーソンリーをコントロールしているとか、フリーメーソンリーはユダヤ人の秘密結社であるとかいった噂は、根拠のない中傷にすぎません。そもそもフリーメーソンリーには、組織全体をコントロールする中央指令部のようなものは存在しません。

 今は、米国でもユダヤ系のメンバーが減りつつあるそうです。100年前ならば、ユダヤ人は対等の立場での人間関係を強く求めていました。しかし、現在では、ロッジの外の一般社会のなかでちゃんとした社会的地位を持っています。メンバーが減りつつある理由はそういうことでしょう。 
クライプ  フリーメーソンリーがユダヤ人と君で世界を支配しようとしているなどというのは、まったく無責任なデマです。そもそもフリーメーソンリーが政治的に動いて政府を倒すとか、団体として政府に反対することは不可能なんです。

 ある人がマスターになる前には、次のようなことを誓わなければいけないんです。
(1)あなたは、良識ある人間、真実の人間になることに同意し、そして以下に述べるモラルとルールに従うことを厳しく誓います。
(2)あなたは、平和的な市民になり、そしてあなたが住んでいる国の法律に快く同意することを誓います。
(3)あなたは、政府に対して陰謀を企てたりすることなどなく、忍耐強く(日本の)国法に従うことを誓います。
(4)あなたは、法的秩序と司法・治安機関に尊敬の念をもち、勤勉に働き、すべての他者に尊敬されるような行動をすることを誓います。

 マスターは、こういうことを必ず遵守するということを誓わなければいけません。ロッジのマスターがこういうことを誓うということは、ロッジの全員もこれに従わなければいけないわけです。つまり、平和な市民として、国の法律に従うわけですから、国家に対して陰謀を企てたりすることは許されないんです。
片桐

 フリーメーソンリーは決して、反社会的行為を認めない。入会の儀礼のときにも、自分が住んでいる国の法律を厳守することを誓約するのです。たとえば、私は十年あまりシンガポールに住み、ロッジにも入会していましたが、そこではシンガポールの法律を守らなくてはいけないと約束させられました。このルールを破った者がいたら、我われはきちんと処分します。その場合の処分は、三段階に分かれます。まずは警告。次に資格停止。最後には追放です。追放処分となると、他のロッジに入ることも二度とできません。

 以前、イタリアで、グランド・ロッジの傘下にあったP2というロッジが、組織ぐるみで大規模な政府転覆の謀議に関わっていたという事件がありました。この事件のためにP2は解散させられ、関係者はすべて追放させられました。P2を傘下におさめていたイタリアのグランド・ロッジは、承認こそ取り消されませんでしたけど、監督不行き届きということで各国のメーソンリーから非難を浴びて、大恥をかきましたよ。

 −−大変うがった見方かもしれませんが、こういう規則はフランス革命と米国の独立戦争のあとから作ったんじゃないですか? それともその前からあったんでしょうか? フランス革命に関わった有名なオルレアン公やロベスピエール、ミラボーなどはみんなメーソンでしたね。彼らは革命を扇動する演説をしたり、革命的な行動をとったということで、フリーメーソンリーから除名されたんでしょうか? 私が調べた限りでは、そうした事実は認められないのですが。

クライプ  いま言われた、フランス革命などについては、私に歴史的な知識がないのでなんとも答えられません。私が述べた規則は、マスターの人が自分のロッジを支え、まとめてやっていくための規則なんです。ですから、マスターは、ロッジのなかではそういうことはやらないけれども、ロッジから一歩でも出たら、政府に反対の意見を持っていて、政治的な行動を起こすかもしれない。でも、その個人的な意見を、ロッジをまとめる上で持ち込んではいけないということなんです。ロッジの規則と個人とは別なのです。
クライプ  現在ある憲章のすべてが、ずっと昔から成文化されていたとは確かに言えないでしょう。あらゆる人間の集団のルールがそうであるように、試行錯誤を重ねてできあがったものだと思います。「居住する国の法を守れ」という規則が生まれたのは、やはり苦い経験を積んだからでしょう。フリーメーソンリーは世界各地にありますが、現地の法律を守らないと、やはりその国の政府ににらまれますから。「違法行為」の最たるものは、やはり国家権力の転覆をはかる革命の謀議でしょう。

 フランス革命に数多くのメーソン会員が関わった。これは歴史的な事実だろうと思います。その史実が、「政治的陰謀を企む秘密結社」という風評のもとになっているのかもしれませんが、逆を言えば、だからこそ現在のイギリス系メーソンリーでは組織としての政治活動を禁じる厳しい憲章が確立されたのかもしれません。これはあくまで私の推測ですが−−。

 次に、「イルミナティとグラントリアン」で次のような遣り取りが交わされている。

 先にふれたように、フリーメーソンリーは大別して、英米系と大陸系に二分される。ドイツでは、インゴルシュタット大学の教員アダム・ヴァイスハウプトによって1776年にイルミナティという秘密結社(「啓明結社」とも「光明回」とも訳される。渋澤龍彦は著書『秘密結社の手帳』のなかで「バヴァリア幻想教団」と呼んでいる)が創設された。この結社はイギリス系のフリーメーソンリーとは違って、超越的存在(神)を認めず、君主制を妥当し、急進的に共和制の政権を樹立しようとする純然たる政治的秘密結社であった。このイルミナティをフリーメーソンリーの一つとみなす論者は少なくないが、メンバーが重複していただけで、別の結社であると考えるのが適切なようである。

 「バヴァリア幻想教団とフリーメーソンとを混同する歴史家もいるが、両者はまったく別のものである。ただ、フリーメーソンの非政治主義にあきたらず、メーソンのなかから幻想球団へ加入した者も、大勢いたらしい」と、渋澤龍彦も前掲書のなかで述べている。結局、このイルミナティは1785年に、バヴァリア選挙候カール・テオドールによって禁止令が出され、90年にはほぼ消滅したといわれている。

 今日においてなお歴史的評価が難しいのは、イギリスの次にグランド・ロッジが成立したフランスのメーソンリーであろう。世界史の展開に深く、しかも劇的に関わったという点では、フランスのメーソンたちは、本家イギリスのメーソンをしのぐ。オルレアン公フィリップ、ヴォルテール、ミラボー、ロベスピエール、ラファイエット、モンテスキュー、ディドロ等々、フランス革命の名だたる立役者がフリーメーソンであったことはまぎれもない史実である。

 ここで注意を要するのは、1771年(73年という説もある)にフランス・グランド・ロッジから独立する形で創設されたグラントリアン(大東社)である。日本において公刊されているフリーメーソンリーの研究書は、ほとんどがこのグラントリアンと、イギリスに誕生した「正統」フリーメーソンリーとを並列するか、あるいは曖昧に混同して記述している。しかし、イギリス系はすでに述べてきたように、教会と王権の支配を相対化したものの、「至高存在」と王政を否定しはしなかった。それに対し、グラントリアンは実際、急進的な啓蒙主義の影響を受けて、「至高存在」に対する尊崇を排し、無神論的な政治結社になっていく。明らかに両者は、ある時期から別種の思想を報じる別種の団体となっていったのである。もっとも、英米系と大陸系メーソンリーが混同されがちなのは、仕方がないところもある。本家のイギリス系メーソンリーが、グラントリアンに対する承認を取り消し、絶縁を宣告したのは、フランス革命勃発から約80年後の1868年のことである。言い換えるならば、イギリス系の「正統」フリーメーソンリーは、一世紀近くもの間、グラントリアンを「承認」し続けてきたわけである(その後、フランス・グランド・ロッジとグラントリアンが再統合して1914年にグランド・ロッジ・ナツィオナルが創設され、イギリス系メーソンリーとの間に承認関係が復活した)。一時絶縁したとはいえ、歴史的にこの無神論的政治結社と「まったく無関係」とは言い切れないだろう。


 次に、「マッカーサーとトルーマン」で次のような遣り取りが交わされている。

 −−ドイツのイルミナティやフランスのグランドトリアンについては、本当にまったくご存じないのですか?

クライプ

 聞いたことはありますけど、歴史的なことはよくわかりません。とにかくまず強調したいのは、各国のグランド・ロッジは独立しているということです。もともとはイギリスから始まりましたから、ドイツやフランスに入った当初は、とてもイギリス的でした。しかし、それぞれの国や地域のグランド・ロッジは独立していき、なかにはイギリスのフリーメーソンリーとは違う思想を持った組織をつくり出す場合もある。ここで重要なことは、相互承認の原則なんです。相互承認が成り立てば、双方のグランド・ロッジの間に友好関係が生まれるわけですが、原則が一致しない場合は、互いに承認しません。

 問題は、世界中の正統なフリーメーソンリーのグランド・ロッジが承認していないにも関わらず、勝手に「私たちは、フリーメーソンリーのグランド・ロッジなんだ」と名乗っている団体がいるわけです。私たちはこういう団体に対して、「承認しない」という以上の「制裁」を加えることができません。そうした団体がフリーメーソンリーと名乗るのをやめさせる強制力は、私たちにはないのです。でも、外部の人から見たら、どの団体もすべてフリーメーソンリーと見えるでしょう。ここが頭の痛い点です。

片桐  繰り返しになりますが、団体としてのフリーメーソンリーと、個人としてのフリーメーソンは別だということを忘れないでください。フランス革命に数多くのメーソンが関係したとしても、革命期には多くの市民が、それぞれの立場で革命に参加したでしょうから、その中にメーソン会員がいても不思議ではない。個人として、自分の政治的な信条に従って行動することはひとつも悪くありません。組織としてのフリーメーソンリーはそのことに全然介入しません。個人の自由意思を尊重しますから。

 同じことは、米国初大統領のジョージ・ワシントンにもいえることです。ワシントンがフリーメーソンだということはよく知られていますし、彼の部下も多くはフリーメーソンでした。彼らが独立戦争を戦ったのは、まぎれもない史実です。しかし、革命の敵軍である英国軍にも、フリーメーソンのメンバーが大勢いたのです。そういう記録がちゃんと残っています。英国軍側のフリーメーソンは祖国に対する忠誠から戦い、米国側のフリーメーソンは、独立を求めるのは正しいと信じて戦ったんでしょう。それでいいんです。そこにはぜんぜん矛盾がない。
クライプ  メーソンの間ですごく人気のあるエピソードがあります。第二次世界大戦中、メーソンのメンバーは三つめのボタンに赤いリボンをつけて戦場へ赴いた。ナチスの兵隊と米国の兵隊が、互いに撃とうとして照準を定めた時、そのリボンが見えた場合、引き金を引くのをやめるということがあったそうです。また、米国の南北戦争のさ中に、昼間は敵味方に分かれて戦争をしていて、夜になると同じロッジで出会ったりしたという話もあります。昼は戦争していても、夜は「ブラザー」としてつき合うわけです。そういう逸話が数多く残っています。自分の帰属する国家に忠誠を誓い、自分の政治信条に従って行動している時も、心のどこかで友愛の精神を忘れずにいる、それがメーソンなんです。
片桐  マッカーサーもメーソンでしたが、彼にも面白いエピソードが残されています。

 −−マッカーサーはグランド・マスターだったのですか?

片桐  いやいや、そんなに偉くない。ぺーぺーです(笑)。だけどまあ、オナラブル・メンバーです。横浜に、スコットランド系の「東方の星」というロッジがあるんですが、そこの名誉会員に叙されていました。

 マッカーサーは、朝鮮戦争中に旧・満州地方を原爆攻撃しようとしたんです。中国軍の人海戦術におされ、米軍はひどく苦戦していました。挽回するには、後方基地である中国の東北地方に原爆を落とすしかないと考え、ワシントンに上申したのですが、トルーマン大統領は大反対した。結局二人は、太平洋上のウエーキ島で会談したのです。しかし大統領がいくら説得しても、マッカーサーが折れないので、とうとう最後には大統領は「サノバビッチ!(クソったれ!)」と言い放ったそうですよ(笑)。

 それでマッカーサーを解雇しちゃったんです。ところが、このトルーマンも有名なメーソンです。もし仮に二人が激論を交わしたその日、近くにロッジがあって、二人がここでも会っていたとしたら、会見の席では「プレジデント」「ジェネラル」とお互いを呼んでいた二人が、今度は「ブラザー」と呼び合うことになったでしょう。

 だから、メーソンであるということと、ビジネス上の利害や職務や政治的立場はまったく別問題なんです。関係ないんです。
マッカーサーもメーソンでしたが、彼にも面白いエピソードが残されています。

 次に、「マッカーサーとトルーマン」で次のような遣り取りが交わされている。

 −−わかりました。話をオウムのことに戻しましょう。クライプさんは、オウム真理教の事件についてはご存じですよね。

クライプ  もちろん。ニュースで聞いて知っています。

 −−彼らは、妄想であるにせよ、何者かと戦っているつもりなのです。問題は、彼らが戦っている相手なのですが、それは、ときに日本の政府だったり、ライバルの宗教団体であったりもするのですが、それ以上に「ユダヤ=フリーメーソンに支配されている世界」そのものなのです。自動小銃を大量に密造したり、サリンを製造したりしたのは信じがたいことですが、どうやら本気で世界を相手に戦争を仕掛けるつもりだったらしい。彼らのこうした世界観や行動を知って、メーソンリーの一員であるあなたは、どうお考えですか?

クライプ  今までの歴史において、たびたびメーソンリーは攻撃を受けています。そういう時には、私は弱気になって、自分がメンバーであることにがっかりしたり、後悔を覚えたりします。確かに今までフリーメーソンリーは歴史において、誤解されるような行動をとったこともあったでしょう。しかし、総じていえば、プラスになることをしただろうと思っています。

 今回のオウムの事件についていえば、思想以前の問題として、地下鉄でサリンをバラまき、無差別に人を殺すなんてことが許されてよいわけがない。ほとんどの日本人がこのテロ行為を許さないでしょう。オウム真理教は、とんでもない悪事をしでかした。ということは、そういうテロ集団であるオウム真理教が攻撃を加えているフリーメーソンリーは、逆に日本の多くの人に肯定的に理解される可能性が出てきたんじゃないでしょうか。

 −−今、オウムが悪くて、フリーメーソンリーが正しいと、善悪の対比でおっしゃいましたが、こういう考え方をする人もいます。「オウムは弱かったが、フリーメーソンリーは強かった」(爆笑)。

クライプ  (笑いながら)おっしゃるとおり、そう考える人もいるかもしれません。しかし私には、それはあまり重要ではありません。私がいちばん大事だと思うのは、人びとが考えることであり、そのきっかけができたことだと思います。フリーメーソンリーに対する偏見という点では、オウムだけが特別な考え方の持ち主だとは、私は思いません。彼らは偏見を前面に押し出しましたが、そこまでしなくても多くの日本人がオウムとの同様の、間違った情報にもとづく偏見を抱いています。
 具体的な例を幾つかあげましょう。

 私がある日、銀座でタクシーを拾ったときのこと。ドライバーに、飯倉にあるフリーメーソンリーのグランド・ロッジまで行ってくださいと言ったら、「あそこはユダヤ人ばかりが行くところでしょう?」んと、怪訝そうな表情で言われました。日本では、メーソンとユダヤ人が共謀関係にあるというデマが、ごく大衆的なレベルでも浸透している。これは少々、ショックでした。

 また、別の日のこと。主婦が作っている英会話クラブに呼ばれて、何か話をしてくれと頼まれた時に、コンパスの絵を描いてフリーメーソンのことを話そうとしたら、「あなた、そんなこと話して大丈夫なんですか?」と驚かれた。危険な秘密を突然、打ち明けられたと思ったらしい(苦笑)。さらには、メーソンだと自分で名乗るなんて恥ずかしくないのかとなじられたりもしました。たぶん、その人は、メーソンリーを犯罪組織か何かと思い込んでいたんでしょう。

 一般の人だけではなく、知識があるはずのジャーナリストも偏見を抱いています。TBSのリポーターの方がインタビューにいらした時、私は浜松町の日本宇宙有人システムで働いていますから、私のオフィスでお話ししましょうと言ったんです。そうしたら彼はびっくりして、「いいんですか? あなたがメーソンだということが、皆にわかっちゃいますよ」って(笑)。私がメーソンであることは秘密でも何でもないのに。私の同僚は皆、知っているし、理解してくれていますよ。

 こうした珍妙な現象は、米国とかフィリピンではまず、みられません。韓国や台湾、香港やシンガポールでも、こんな偏見はありません。フリーメーソンリーが、陰謀団とか、オカルト団体であるとかという悪口を言われるのは、先進国では日本だけです。

 次に、「天皇陛下を名誉グランド・マスターに」で次のような遣り取りが交わされている。

 −−日本において、フリーメーソンリーに対する偏見が根強いのは、なぜだと思われますか?

クライプ  いろいろな原因が考えられるでしょうが、私の考えではやはり、ナチスの影響がいちばん大きいと思います。第二次世界大戦中、ナチスはさまざまなデマ宣伝を行ないました。フリーメーソンリーに対する悪意ある中傷もその一つです。人種差別政策をとっていたナチスは、ユダヤ人を抑圧してましたから、ユダヤ人とフリーメーソンを重ね合わせて、間違った考えを輸出したわけです。当時は、日本とドイツは同盟関係にありましたから、ナチスから送られたデマ情報の影響を強く受けてしまった。ナチスの影響を、戦後50年経った今も、日本は完全に払拭できていない。それが偏見の最大の原因であると思います。

 つけ加えて言いますと、フリーメーソンリーを敵対視したのはファシズム勢力だけではない。共産主義勢力もそうでした。現在でも中国や北朝鮮では、活動を禁じられています。逆に、旧ソ連や東欧諸国では、民主化されてから以後、かつて存在したロッジが復活し始めました。ポーランドやチェコでも活動が再開されましたし、モスクワにも今は二つのロッジがオープンしています。要するにフリーメーソンリーの活動を禁じる国というのは、イデオロギーの左右を問わず、全体主義国家ばかりのなのです。
片桐

 日本でフリーメーソンリーに対する偏見が残っているのは、何といってもフリーメーソンリーが社会に根づいていないからでしょうね。日本人の会員はわずか300人しかいませんから。なぜ根づかなかったのか。それには歴史的理由が三つあります。

 まず第一の理由は、フリーメーソンリーが世界中に勢力を拡大し始めた17世紀に、日本が鎖国してしまったことです。徳川政府は数次にわたって鎖国令を発布していますが、最後の鎖国令は1639年。いよいよ思索的メーソンが本格的に胎動を始めたのが、同じ17世紀半ばです。ですから、ほぼ同時期に、片方は世界史の舞台の上に上り、片方は舞台を降りてしまった。これが第一の原因です。

 第二の原因は、明治維新のあと、1887年(明治20年)に出された保安条例です。この条例のために、警官の立会いがないと集会が開けないことになってしまった。これは明治新政府が主として、板垣退助などによる自由民権運動の広がりを怖れ、阻止するためにとった措置だったのですが、メーソンのロッジ内での集会も、保安条例にひっかかってしまう。

 ちなみに、日本で最初のロッジである「横浜ロッジ」が開設されたのは、幕末の再末期の1866年(慶応2年)です。明治維新の翌年の69年には2番目の「オテントサマ・ロッジ」が開設されました。すでにメーソンは日本国内で活動をスタートしていたわけです。このままでは困るので、88年(明治21年)の2月に外務大臣に就任した大隈重信に、ストーンさんという地区グランド・マスターが会いに行きました。話を聞いた大隈重信は、「わかった。フリーメーソンリーはこの保安条例の対象にしない。ただし、日本人を入れては困る」と条件つきで許可を与えました。この「紳士協定」のために、とりあえず第二次世界大戦が勃発するまでは、駐留外国人のための団体としてロッジを存続することができましたが、日本人にとっては無縁の存在になってしまいました。

 そして第三番目の原因が、クライプさんの言われたナチスの影響です。ナチスの思想は「ゲルマン人でなければ人に非ず」ですから、宗教、人種を問わず、平等を唱えるフリーメーソンリーとは絶対に相入れないのです。同盟国のナチス・ドイツの影響によって、戦中は、日本政府はフリーメーソンリーを弾圧し、ロッジは閉鎖に追い込まれました。戦後になってロッジが再開され、日本人の入会もようやく自由になったのです。

クライプ  日本の方々にぜひ知っていただきたいことは、メーソンであるということは、米国などでは社会的なステータスが非常に高いと評価されることです。そのために、大勢の有識者、有力者が入ってくる。

 一例をあげましょう。今から十年ほど前、米国のある雑誌が、全米のトップビジネスマン1万5千人を対象にして、アンケートをとったのです。その結果、有効回答のうちの大半、約1万人がメーソン会員であると判明しました。この話をすると、反メーソン論者にまたもや、「ほら、やっぱりメーソンはビジネス界を支配している」と言われてしまうかもしれないので、気をつけないといけないのですけど−−。

 米国だけじゃなく、ヨーロッパでも、メーソンのステータスは高い。英国ではロイヤル・ファミリーが入会するのは伝統となっています。エリザベス女王は女性ですから駄目なんですが、そのかわり、ケント公が現在の英国グランド・マスターに就任されている。スウェーデンなんかは、皇太子が入っています。ベルギーもそう。日本でも天皇陛下がメンバーだったら、偏見がなくなり、もっともっと簡単にメンバーを集めることができるでしょう。もし、天皇陛下に入っていただければ、私は名誉グランド・マスターにしてさしあげたい(笑)。

 次に、「日本国憲法はメーソンがつくった?」で次のような遣り取りが交わされている。

 −−なぜヨーロッパ各国の王族がフリーメーソンリーに入会するのか、私にはやはり不思議でならない。33ある階級を上っていって、上の方へいくと初めてフリーメーソンリーの思想がわかる儀式があるという話を、あるメーソン会員の方から聞いたことがあります。その儀式とは、バチカンの法王の帽子とヨーロッパの王様の王冠を模した帽子を踏みつぶすことだという。これは事実でしょうか。また、この儀式の意味はどのように解釈しているのですか。

クライプ

 それは、儀式内の問題になっちゃうんで、困るんですけどね。儀式内のことはちょっと申し上げられない。ちょっと、これは公開の席では、我われは申し上げられない。

 −−これは現役の複数のメーソン会員の方から聞いた話なので、たぶん間違いないと思います。この儀式は、非常に抑圧的だった教皇や王の権威を認めないということを意味するのだと思うのですが。

片桐  確かに、おっしゃるような儀式が、あることはあります。しかしそれは、王様の権威を軽んじるという意味では決してない。そうではなくて、個人の尊厳、個人の自由、これが何ものにもまして重要なんだということを言いたいわけです。決して王様を……、ひどい独裁者ならばともかく、普通の場合は決してそんなことはないんです。
クライプ  私たちは、独裁ということに対しては反対しているわけです。個人の言論の自由とか、思想の自由、そういうものを奪うものには反対するわけです。
片桐  そうですね。フリーダムですね。決して、王様の権威を否定しているわけじゃないですよ。だって、僕ら、パーティやる時に、いつでも天皇陛下に乾杯してる。今は時代錯誤みたいな感じもありますけどね。

 −−実際に乾杯するんですか?

クライプ

 やりますよ。パーティーの時には、いつでも誰かが音頭をとります。日本にいる時には、日本の習慣、文化を尊敬する意味で、日本の伝統的な権威の象徴である天皇陛下に乾杯を捧げるんです。

片桐  ただし、これはルールじゃないんですよ、カスタムです。
クライプ  先ほど、、儀式は秘密だと私は言いましたが、これはあくまで原則です。実際には脱会したメーソンの元メンバーが、儀式の内容をすべて暴露した本を出版している。ですから米国やイギリスではもう秘密ではない。ただ、それでも私たちはこの伝統を大事にしたい。新しく入会する人が、儀式に臨む際に新鮮な驚きを受ける、そういう伝統を大事にしたいのです。

 −−今年は戦後50周年ということもあり、戦後体制と、その基礎となる憲法を見直そうという議論が、活発になると予想されています。マッカーサーがメーソンであり、憲法草案を起草したGHQのメンバーにも、メーソンが数多く含まれていたとなると、戦後憲法の理念にメーソンリーの思想が入り込んでいる可能性が高くなり、議論を呼ぶと思われます。非常にデリケートな問題ですが、クライプさんは、メーソンとして、そして一人の米国人として、この問題をどうお考えですか。

クライプ  メーソンリーには、さまざまな文化、多様な教えが取り込まれています。メーソンリーの思想は、四角四面の窮屈な教義ではない。もっと豊かで多様なものを包摂しています。それはどんな文化にも好影響を与えることが可能だと思います。日本文化は調和を重んじる傾向がある。これは異質な文化や思想を受け入れながら、そこにハーモニーを見出そうとするメーソンリーの考え方と相通ずるものがあると思うのです。今や地球はとても狭くなった。いつまでもささいなことで争っていてはいけない。ワン・ワールドを真剣に目指すべきです。宇宙空間に飛び立って、地球を見おろした経験のある宇宙飛行士のなかには、霊感を受けて意識の変容を体験した人が多い。アポロ11号に乗船したオルドリン飛行士などがその代表ですが、彼もメーソンです。彼以外にも、メーソンの宇宙飛行士はたくさんいます。彼らはみんな同じことを言っている。地球はひとつ、だと−−。

 次に、「厄介な半分事実の言説」で次のような遣り取りが交わされている。

 政治的意図があってのことか、単なる無知か。それとも、おどろおどろしいオカルトや陰謀の物語を織り混ぜて、興味本位の娯楽読物に仕立て上げた方がより売れるという売文家根性のなせる業か(これが最も主要なファクターであろう)。いずれにせよ、事実と虚構を巧みにミックスした、ハーフ・トゥルースの言説ほど、厄介なものはない。「ユダヤ=フリーメーソン陰謀論」本はその典型である。内容のすべてが嘘やデタラメならば、扱いはかえって容易になるのだが、一部に事実が混じっているから始末が悪い。

 どうでもよいテーマであれば、捨ておいても構わないかもしれない。しかし、フリーメーソンリーは日本の近・現代史と決して無関係ではないのだ。

 記録に残っている限りでは、日本人として最初にフリーメーソンリーに入会した人物は、幕末にオランダに渡り、帰国後、東大の前身の開成所助教授となった西周(にし・あまね)。「哲学」「理性」「抽象」「主観」「客観」など数多くの学術用語を生み出した「文明開化」の功労者である。彼はオランダ留学中に指導教授の導きで、メーソンリーに入会したのだった。

 また、英国公使(のちに大使)として1900年(明治23年)に渡英した林董(はやし・ただす)は、日英同盟の締結に大きな働きをなした人物だが、彼もまたイギリスでメーソンとなり、そのロッジで築いた人脈をフルに活用したといわれている。

 戦後の再出発に際して、メーソンリーを無視しえないことは言うまでもない。戦後憲法の生みの親であるマッカーサーがメーソンであったことは、すでに述べたとおりである。

 私たちは今まで、あまりにフリーメーソンリーについて知らなさすぎたのだ。今回の私のリポートも、メーソンリー理解のためのほんの第一歩にすぎない。長らく視野の外に置き去りにされてきた「フリーメーソンリーの果たした歴史的役割」という要素を、プラス面もマイナス面も含め、過小評価せず、逆にことさら過大視することもないように注意を払いながら、近・現代史を見直し、検証する作業が今ほど求められている時はない。戦後50年という節目の年であればこそ、なおさらである。

(本稿は『宝島30』95年9月号に発表したものに一部加筆したものです)


 上記の理解は当団体のガイドブックであるからして公式的なものとみなされる。他にフリーメーソン論を為すとすれば、シオンの議定書文中のフリーメイソン」に関する記述一覧、ケビン・コリンズ著「フリーメーソンの真実」(角間隆・訳、ごま書房、1995.6.30日初版)が参考になろう。

 「日本フリーメーソンの内幕2」、「日本フリーメーソンの内幕3」を転載しておく。
 「日本フリーメーソンの内幕2

 
Q.フリーメーソンの内部はどうなっていますか?

 A.基本的には1〜3の位階を通過すれば、一人前のメーソンです。4〜33位階を総称してスコティシュ・ライト(スコットランド・儀礼)といいます。この位階は上下の階級的関係でなく、いわばマスターする“学位”のようなものです。1〜3が一般メーソンでブルー・ロッジ。4〜14を十全会。15〜18をバラ十字会。19〜29を神聖会。30〜32を宗門会議。33を最高会議といい、それぞれブルー・ロッジを通過したメーソンが位階に応じてグループを作っています。

 一人前のメーソン(三位階)になるとスコティシュ・ライトの各グループがそれぞれの会にメンバーをスカウトできます。4位階以上からは縦の階級でなく、横一列の関係で、内部の勉強会と思って下さい。1〜3のプロセスがメーソンの基本型で4〜33はその枝葉です。しかも、いわゆる階級ではなくメーソンとしては3位階以上はみんな平等です。儀式と秘密はこの位階の昇進時に行なわれ、また年に何度かの聖書(旧約)にのっとって決められた日に行ないます。

 秘密はそれぞれの位階に応じてあり、メーソンの仲間うちでも自分が何位階か教えてはいけません。儀式はそれを通じての兄弟愛と真実をきわめるために行なうもので、一言でいうと人間修養のためのものです。

 勉学内容は、象徴や儀式であらわされ、時には芝居みたいな演技をします。ふつうおよそ6ヵ月で一人前のメーソンになりますね。この修養の内容を言うわけにはいきません。それが一番の秘密なのですからね。

 フリーメーソンは各ロッジで月に4回、集会を持ち、それぞれのグループで月例会、ミーティング、勉強会の日を決めます。集会日はふつう夕方の6時ぐらいから夜10時ぐらいまで、夕食会を催しますが、ロッジ内での飲酒は厳禁、集会中は政治や宗教、ビジネスの話は禁じられています。もちろん、メーソンは個人主義ですから、ロッジ外では全くフリーですし、兄弟愛を通じ、メーソン同士が仕事の助け合いや政治的理想を語るなども自由です。(片桐三郎氏)

 Q.外郭団体や人脈的に近い団体を教えて下さい。

 A.スコティシュ・ライトでは、メーソンだけの慈善団体*1をもち、これをシュラインと呼びます。シュラインは回教儀式のテンプル(寺院)を集会所とし、主に身体障害者相手の病院を経営しています。アメリカではこのシュラインが盛んで、このメンバーになるのは非常に名誉なこととされていますが、日本では資金的な余裕も、メンバーも少なく盛んではありません。外郭団体としてメーソンの子弟たちのために『オーダー・オブ・デ・モレー』というボーイスカウトがあります。ふつう『デ・モレー団』と呼びますが、デ・モレーの名は十字軍時代の有名な聖堂騎士団の最後の総長、デ・モレーから由来するもので、第一次大戦後、アメリカのメーソンが青少年運動のために興しました。世界の本部はアメリカのミズリー州のカンサス市にあり、現在世界中に数十万の団員を持っています。日本では支部が東京、福生、沖縄の三カ所にあります。このガールスカウト版が『オーダー・オブ・レインボー・ガール』です。そしてメーソン家庭の夫人連の団体が『オーダー・オブ・イースタン・スター』(東方の星結社)です。(述事務局長)

 Q.日本グランド・ロッジと諸外国との関係を具体的に説明すると?

 A.日本グランド・ロッジはブルー・ロッジの管轄権を持っています。フィリピンから独立したとき、“既得権”としてすでに存在した英国やフランスのロッジは管轄外として認めましたが、今後は日本グランド・ロッジが日本のフリーメーソンの最高機関として、進出を許可します。

 交友関係にある外国グランド・ロッジは現在、100以上あり、国としては43ヵ国です。この相互友好条約が結ばれますと、互にメンバー同士を紹介したりします。諸外国のグランド・ロッジが集まって一般的問題を討議する場をグランド・マスターズ協議会(各州、各国のグランド・マスターが参加)といい、日本はワシントンでの会議に参加します。また、スコティシュ・ライトでは同じく世界最高評議会があります。

 日本のグランド・マスターはブルー・ロッジ(3位階まで)の最高指揮権をもち、スコティシュ・ライトとは上下の関係でなく、併行した二重の組織です。東京メソニック協会(財)はスコティシュ・ライトの組織です。日本グランド・ロッジは私的団体ですので、東京メソニック協会からビルを借り、家賃を払う形です。日本グランド・ロッジも慈善事業をしておりますが、厚生省の役人に似た二つの法人はいらないとされ、日本グランド・ロッジとフリーメーソンは私的団体とされたのです。(同)

 Q.メーソンになったらどんなメリットがあるのでしょうか?*2

 A.世俗の物質的な利益はありません。フリーメーソンはそれを考えない団体なのです。ロッジはいわばメジテーション(冥想)の場で、精神的な向上だけを目指します。ただ、あらゆる階級、国籍、人種が異なるとしてもメーソンは皆兄弟ですから、非常に暖かい団体だといえますね。(安藤一夫氏)

 取材中、「フリーメーソンの正体は何だろうか」との問いが頭を悩ませた。この問題を、イタリア、イランの事例をひき、尋ねてみると、「イランは情報がなく判りません。イタリアの例でもフリーメーソン自体は陰謀結社とされていません」との答えだった。また、「メーソンの仲間にも個人的にはいろいろいるでしょう。なかにはCIA的な人間もいるでしょうが、フリーメーソンを陰謀結社として利用はできない。フリーメーソンの陰謀説はナチスやローマ・カトリック側から昔はいろいろやられましたが、みんな嘘ですよ。最近でも、M資金の関係とか、我々の本部は“表メーソン”で
実は“裏メーソンがある”とかいう人もいます。以前も、“裏メーソン”から聞いてきたという二人連れがやってきて、奇怪な話をするので『そんなことはない』と否定すると、“裏メーソン”を名のる人から、その否定が合図なのだ、と説明されたそうです。結局、どう答えても信じてもらえなくて困ります。

 最近、日本にカリフォルニアに本部をもつ『バラ十字会』と名のるメーソンの類似団体が進出してきて、我々と友好関係があるかのように訪問してきましたが、オカルチックな団体で本物のフリーメーソンではありませんので断わりました。フリーメーソンを真似た類似団体はアメリカやヨーロッパには多く、間違われるので困ります」(述事務局長)という。「何のメリットがあるか?」とさらに問うと、「結果論として」の前提で、「たとえば外人と一緒にゴルフをしており、偶然互いがメーソンとわかったときには、ガラリと態度が変り、親密になります。何となくメーソンらしいと察したときには、“合図”や“サイン”がありますからテストできます。メーソンの兄弟と知ったときの親密感は同郷の出身者などの感情をさらに強くした感じでしょうね。相互扶助の義務がありますから、そういうことでビジネスにプラスになることも結果的にあるでしょう。しかし、相互扶助だけが目的でフリーメーソンに入会するのじゃあない。私も困ったメーソンの何人かに職を紹介しました。メーソンは個人主義的ですので、困った仲間のメーソンが自力でダメなら助けてやるという順序になります」(片桐三郎氏)

 「日本人として初めてピューリッツアー賞を受けたカメラマンの沢田教一氏がメーソンでしたが、彼はいつもメーソンの指輪をしていましてベトナム戦でもそれを見た米軍人メーソンがヘリコプターに乗せてくれたりいろいろ助けてくれたし、メーソンの仲間が世界中にいることがありがたい、と言ってました。いいメーソンでしたが亡くなりましたけどね」(安藤一夫氏)という。

 *1:フリーメーソンは慈善団体ではないが、日本ではグランド・ロッジや有志のロッジが寄金で作った「東京メソニック協会」を通じていろいろな慈善行為をしている。昭和53年度の同協会事業概況をみると、@各種養護施設への寄附として次の施設があげられている。二葉保育園、なおみ会、白峰会、エリザベス・サンダース・ホーム、日本肢体不自由児協会、ベセスダ・ホーム、清明福祉協会、神戸少年の家、青少年福祉センターなど。A各種団体、機関を通ずる慈善寄附。日雇労務者たすけあい会、眼球銀行設立委員会、孤児救済合同委員会、村山学生サナトリウム、軽井沢診療所、国立第一病院、ジャパンタイムズ社、アサヒイヴニングニュース社、東京衛生病院他六団体。B災害被災者救援寄附。ニッポンタイムズ社、日本赤十字社、日本放送協会、ペルー大使館、フィリピン大使館他二社。Cその他の公益に資する寄附。日本点字図書館、清里農村センター、東京都知事、日本YMCA、デ・モレー少年団。D直接の慈善活動がその他ある。フリーメーソンは原則として慈善活動を隠れて行う。だから余り宣伝しないが、日本以外の資金的余裕のあるアメリカ、イギリスなどでは、メーソンの社会への寄金は、そうとうな額に
及んでいるという。なお、フリーメーソンの財政は、ふつうは各ロッジごとの会計で、グランド・ロッジへの寄金行為はあるが、それほど多くはない。裕福なロッジでは、余裕の資金を株や証券にして増収を図っている。

 *2:メーソン同士の兄弟愛と相互扶助は、さまざまな形である。たとえば、代議士の植竹春彦氏は「国際会議などでメーソンだとわかると急に親切にしてくれ、交渉がうまくいった」という。また、外国での話だが、戦場で敵味方となり、銃殺寸前のときメーソンとわかって助かった例などがあるそうだ。小さな話では、羽田税関にメーソンがいて、「メーソン同士だと楽に通してくれる」(日本のメーソン)といい、匿名となるともっとさまざまな便利さもあるらしい。

 「日本フリーメーソンの内幕3

 入会者の話

 フリーメーソンが「秘密結社ではない」*1の証拠として、私は日本グランド・ロッジの殿堂に案内され、儀式の会場見学を許された。カトリック教会の厳粛さとまた全然違うエキゾチックな雰囲気だ。三人のメーソンが議長の席、会員の着席順、位置他を説明してくれる。儀式のときは、入口に門番の衣裳で槍を持った男が、謎の問いを発し、正しく答えないと入室できない、という。許しをえて、メーソンのエプロン、帽子ほか衣裳を身につけてみる。何となくテレ臭いが何となく愉快でもある。それで、「勲章とかエプロンとかにテレる人はいませんか?」と聞く。「いません」と心外そうだった。儀式のときは、真中の台座上にそのメーソンが信仰する“聖書”を開き、右手をおきメーソンの誓いを口にし、ひざまずく。日本人ならこの“聖書”は仏典でもよいが、ふつうは旧約聖書(ユダヤ教)だ。というのは、メーソンの行事は独自のメーソン暦からなるユダヤ教から由来しているからである。儀式の用語は今では日本語でよいが、儀式の行事などはあくまで古来からのフリーメーソン様式を踏まえるという。

 会場の模様は四方に黒い幕がおろされ、外光から遮断されている。中央に祭壇。三隅に奇妙な形のランプ、スイッチを入れると赤紫色の神秘的な光を発する。席は正確に東西南北に配置されており、東側に祭司長の席。その上には木槌がある。机の前に垂らした幕には、海に昇る太陽とメーソンとは切り離せない直角定規の刺繍がしてある。祭壇をはさんで西側の祭司補席には、山あいに沈む太陽と水準器。椅子の背もたれには、フリーメーソンの象徴である直角定規とコンパスの組み合わせた飾り、述事務局長らメーソンの説明によると、この道具立てのひとつひとつに意味があるのだと説明をしてくれる。たとえば、祭司長席後方の垂れ幕にある「G」の文字はジオメトリー(幾何)のG、ゴッド(神)のG、というようにだ。さらに直角定規とコンパスを組み合わせたマークのある帽子、位階を示す模様のついたカラー、直角定規と神の「眼」が描かれた羊皮製エプロンからなるフリーメーソン独特の服装など、ムード的にいうといかにも秘密結社的である。

 日本グランド・ロッジの殿堂内を訪問した外部のジャーナリストは、「あなたが初めて」といわれる。これはジャーナリストが知らないの意ではない。朝日、毎日、ジャパンタイムズなどかなりのジャーナリストが日本人メーソンだからだ。

 フリーメーソンは独自の図書館を持っている。それを「フリーメーソン・ライブラリー」といい、全世界のフリーメーソン関係の書物がある。「フリーメーソンだけの印刷される書を総合すると聖書の発行部数を軽く越えるといわれます」(安藤一夫氏)。この図書館を利用できるのはメーソンの会員のみだが、私は特別に資料を見せてもらった。メーソンの機関紙には『マソニック新聞』があり、各国ロッジの活動などが記載されている。図書館の書物はほとんどが英文で、機関紙も英語と日本文の半々だ。

 全国の会員名簿はなく、「各ロッジがそれぞれ持っている」が本部のグランド・ロッジ内にある「名前・生年月日・入会年月日・ロッジナンバー・死亡・退会年月日」という断片的なカードを閲覧する許可を与えられた。このデーターから著名なメーソンを割り出し、入会の動機やフリーメーソンについて取材してみた。

 大日本製糖会長の藤山勝彦氏はいう。

 「入会は17年前。メーソンでした田中元彦(勝彦氏の実弟。NCRの元社長)に、国際的組織ですし、いろんな有名人が入っているからと勧められました。昇進試験が難しくて私はいまだにメーソンの一番下です。メーソンは社会奉仕をやり、メンバーが兄弟的な団結をもつ立派な団体です。いわゆる社交的なクラブと違い、一つの使命をもって固く結ばれています。しかし、メンバーを拘束することはありません。

 国際的な奉仕活動をやっており、ベトナム難民救済とか身体障害者のいろんな問題を取りあげ慈善活動もします。ロータリー・クラブは職業を通じての社会奉仕だが、ロータリー・クラブなど
とは違います。メーソンは日本人になかなか理解しにくい規定があり、ポピュラーになりづらい面があります。メーソンは古い歴史を持ち、兄弟の団結で困難に立ち向かい、理想を追求して
います。

 世俗の面でも助け合いますが、この兄弟愛はふつうの友情以上に深いものでメーソン流の摂理を通して結ばれています。だから、手紙なんかでも必ず『ブラザー』をつけます。社会的にどんなに偉い人でもメーソンなら平等な兄弟です。戦後の加入者の多くは進駐軍の方でした。メンバーを公開しないので、何か大秘密結社のように思われていますが、そんなことはありません。私は一兵卒で、怠け者なので進級もしてないし、最近は忙しくて出席もしないが、メーソンはもっと一般に理解されてよい団体ですね」(勝彦氏の実兄が元外務大臣の藤山愛一郎氏であり、“藤山財閥”の一員である)

 また、TAC建築設計事務所の高橋真一郎氏は、次のように話す。

 「およそ3年前(昭和51年)、日本のグランド・マスターの住宅を建築したのがきっかけで入会しました。その人は退役軍人でして横田基地の人で、私も米軍人の知り合いが多くいました。フリーメーソンは勧誘するものではなく、私に対しても軽い“どうだい”ぐらいの調子でした。私の入会推薦人は、同じくグランド・マスターだった山田精夫さんでした。入会動機はその退役軍人が仕事に関しても、また人格的にも立派な人で、信じられたからです。レオパー・ベッチオさんといいますが、すでにニューヨークで亡くなられました。本人の希望で横浜の墓地に眠っています。そこはメーソンの墓地で、墓まで面倒をみるのかと驚きましたね。

 入会する前の私の印象は、社交団体であり、いろんな職業の人が集まる団体の中で、互いに兄弟という程度のものでした。会員になる前、他の外人から横浜のメソニック・テンプルの設計を依頼されていましたが、設計前におよその知識を持つ必要があり、百科事典などで調べましたが、フリーメーソンは秘密結社の項にありました。ベッチオさんを信じて入会した のですが、秘密といわれるものがなかなかわからない。私が読んだフリーメーソンの案内書にも書いてないし、入会後一人前になってやっと解明しました。

 秘密といわれるものは、ひとつの権威づけなんです。しかし、それを明かしてしまうと何もなくなってしまうそういう祭祀で、それがすべてですね。私がグランド・マスターならそれを明かしても何ともない、と思うね。フリーメーソンの秘密とはそういうものです。

 今は月一回、東京友愛ロッジに出席します。平日で夕方7時から夜10時ぐらいまでです。このロッジでは日本語でミーティングをやっています。フリーメーソンは長い歴史がある。次にメンバー間に深い信頼関係があります。名士、大学教授、経済界の人、政治家と各層のトップが割と多いよ。話してみてもふつうの会話でなく、フリーメーソンの用語や教義を話します。この内容はいえませんが、たとえば悪いことはしてはいけないとかの道徳とか宗教の規律などです。

 これが秘密といっても、子どもがガラクタを集めて“いっちゃいけないよ”という他愛もないことかも知れません。しかし、それを守ることが人と人とのつながりを深めるのではないでしょうか。メーソンの人は指輪、ネクタイピンとかメーソン独自のものを身につけています。米軍では陸、海、空軍にいろんなメーソンがいて、こちらがメーソンだとわかると初対面でも急に親密な連帯感を示してくれます」。

 高橋真一郎氏は、米陸軍技術本部日本司令部特殊顧問をへてDMJM設計事務所勤務、TAC建築設計事務所長。韓国大使館、韓国国連ビル、インドネシア、サウジアラビア、アブダビ石油プラントなどを設計しているキャリアの持ち主だ。

 私は数十人の現存する日本人メーソンに連絡、取材を申し込んだが、多くの人々が、「入会しているが、話せない」(保険会社代表取締役、匿名希望)とか、「名を伏せてほしい。現在の日本では、誤解を与える可能性があるので困る」(元経済企画庁、アジア経済研究所理事)とか“逃げ腰”であった。メーソン歴が長い前出の安藤一夫氏は、「それがメーソンの知恵なのです。ハイソサエティのエリートで占められている英国でさえ、チャーチル首相がメーソンであったと発表されたのは死後でした」という。もちろん、現存する日本人メーソンの人々も誤解を恐れず取材に応じてくれた。それらは追って記していきたい。現在、日本グランド・ロッジに所属するメーソンは4000人で日本人は250人と少数である。「外人メーソンの多くはアメリカの軍人であとは在日実業家、ほかはヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、韓国、台湾と世界中の人がいます」(述事務局長)。日本人メーソンはそれこそ職業の全分野にわたっているが、在日米軍の軍属二世が比較的多いのが特徴だろう。






(私論.私見)