フリーメーソン・イタリー史

 (最新見直し2006.1.3日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 
 2005.4.2日、2006.1.3日再編集 れんだいこ拝


 ガリバルディは、1844年、モンテビデオでフランスのメーソン結社『祖国の友』に入り、1864年にイタリアのグランド・マスターに任命されている。マッテーニは、既に1834年からメーソンの中枢機関『イルミナティ』の”権力政治部門”の指揮者となっていた。カレルギーは、この二人の思想行動を研究し、特にマッチーニが、1831年、マルセイユに『青年イタリア党』という秘密結社を作り、後に『人民のイタリア』という雑誌を発行し、メーソン思想を広く展開したのを肖り、自らも刊行物を発行することにした。雑誌『パン・ヨーロッパ』の刊行である。つまり、ヨーロッパ合衆国連邦という名前を主張すると、中央集権的な不利な想像と成る為、『パン・ヨーロッパ』と命名したのだ。この出版物は、マックス・ワールブルグから当時のお金で6万マルクという巨額の援助を受けた事によって軌道に乗り、「欧州は一つ」という思想を着実に定着させていった。マックス・ワールブルグとは、ロックフェラー、モルガン、シッフ、ハリマン、ファンダーソン等共に、後に述べるロシア革命に資金援助したフリーメーソンであり、ドイツのイルミナティの中心人物である。

 1872年、イタリアを統一したガリバルディは、次のように述べている。

 「我々の最終目的は、カトリック信仰の絶滅だ。ユダヤ人がメシアを待望するように、この最終目的に同意する一人の法王を待ち望むのだ。老人や成人はさておき、若者や幼児の元に出かけていき、フリーメーソン思想を浸透させよ。特に大学生や聖職志望者たちの注意をひきつけるようにせよ。それらの若き聖職者達は、数年の内に教会のあらゆる重要な地位を手に入れよう。彼らは君臨し、統治し、裁きを実施するだろう」。




(私論.私見)

 

ウィーンストン・チャーチル(1874〜1965年)である。
 チャーチルは、1901年5月24日、英国メーソン『連合スチュドホルメ・ロッジNo1591』に入り、後には『ローズマリー・ロッジNo2851』にも参加している。