(出典元が分からなくなったが、転載しておく。一部書き換えた)
ローマ教皇庁の所在するイタリアのローマ市郊外にある人口千人ばかりの小さな国バチカン。カトリックの総本山として、その信者九億六百万人を擁する、世界最大の宗教教団である。バチカンは、宗教センターであるばかりではない。莫大な数の信者から集める寄付金をバチカン銀行にプールし、その財力を資金に企業や国家に貸し付けている。その巨大な資金は「世界経済の眼」とも呼ばれ、信者の数とともに世界情勢に及ぼす影響は極めて大きい。
また、バチカンは「反共陣営の大本山」(故・大宅壮一氏)とも呼ばれ、はっきりと反共主義を打ち出している政治的国家でもある。その政治力は、全世界を網羅する情報収集機関(教会)によって裏打ちされており、「世界最大の情報国家」(小松左京氏)との呼び名さえある。
この強大な力を利用して、バチカンは全世界に多大な影響力をもっている。いやそれだけではない。バチカンは謀略をめぐらし、自らの手で、“世界帝国”の建設を目論んでいるとも考えられる(拙著『バチカンの秘密』三一書房、『バチカンの黙示録犯罪』廣済堂)。その意味で、バチカンはフリーメーソンリーに対抗しうる世界規模の「陰謀結社」でもある。
では、そのバチカンが目指す世界帝国とは、どのようなものであろうか。むろん、それはカトリックの神学に基づいている。神の存在、キリストの復活、終末思想などをベースにしたキリスト教観による世界国家がそれだ。
1982年、フリーメーソンP2事件が発覚し、バチカン内の実力者の多くがメーソン員であることが判明して世間を驚かせた。バチカンとフリーメーソンリーは長い間、犬猿の仲だったはずであるが、バチカン内部がフリーメーソンの巣窟になっていたことになり、その衝撃は大きい。
「P2事件とは何か(EJ第2257号)」を参照する。
1976年、イタリアの有力な銀行家シンドーナが、金融破綻を起こして米国に逃亡し、4年後の1980年にニューヨークで逮捕された。シンドーナはフリーメイソンのロッジ「P2」のメンバーであり、マフィアの金を扱っていた。アンブロジアーノ銀行の頭取であるロベルト・カルヴィとつながっており、そのカルヴィもP2のメンバーだった。
アンブロジアーノ銀行というのは、ヴァチカンが援助して設立させたヴァチカン銀行(正式名称は「宗教活動協会」IOR)の資金管理を行う銀行である。
1979年、ヴァチカン銀行とアンブロシアーノ銀行の関係と、その投資内容を調査していたイタリア警察の金融犯罪担当調査官のジョルジョ・アンブロゾーリが自宅前で銃撃され暗殺された。
1981年、シンドーナが逮捕されたことによって、シンドーナとマフィア、それに、ヴァチカン銀行とのつながりが明らかにされることを恐れたP2のロッジマスターであるリチア・ジェッリは、白昼のマンハッタンでシンドーナを奪還した。この奪還劇の黒幕がジェッリであることがFBIの知るところとなり、直ちに國際警察を通じてイタリア警察はジェッリ逮捕のための緊急配備を敷いた。
ジェッリは間一髪で海外に逃亡した。1981.2.17日、捜査陣がジェッリの家の内部を捜索したところ、フリーメイソン「P2」の全メンバー・リストが見つかった。そこには、イタリアの法務大臣を含む3閣僚、そして数人の首相経験者、50人以上の高級官僚、200人以上に上る軍部将校、金融界の大物、20人近くの司法関係者と一流紙のジャーナリスト、さらに各政党の指導者、大学教授、諜報機関の幹部が名を列ねていた。イタリアのまさに権力、財力知力を凝縮したような人物が962人、リストは内閣を凌駕するパワーを秘めていた。
この一大スキャンダルによってフォルラニ内閣は総辞職に追い込まれ、シンドーナは逮捕された。これを契機に、イタリアの政財界、ヴァチカンに根を張ったP2の人脈と不正行為が次々と暴かれるはずだったが、なぜか、捜査の手はピタリと止まってしまった。
アンブロジアーノ銀行頭取のカルヴィにも銀行の資金を不法に輸出したとして逮捕状が出されたが、なぜかそれは後で撤回されてしまう。カルヴィはシンドーナが逮捕されたことを受けて、P2のトップに立った。
ヨハネ・パウロ1世は、ヴァチカンにP2が根を張っていることを早くから察知して、一大改革に乗り出そうとした。が突如急逝する。暗殺されたと伝えられている。
カルヴィは、ヨハネ・パウロ1世の後を継いだポーランド出身のヨハネ・パウロ2世の意向により、アンブロジアーノ銀行からワレサ率いる自主管理労働組合「連帯」に米CIAと連携して、10億ドル以上の資金を提供していた。ヴァチカンは、アンブロジアーノ銀行の庇護の下に、全世界の反共産主義の活動組織に対して資金を提供していたことが判明する。
これに危機感を強めたのは当時のソ連です。ヨハネ・パウロ2世の行動を「教皇の東方戦略」と呼び、それを一大脅威として警戒した。1981.5.13日、ヨハネ・パウロ2世はサンピエトロ広場で、イスラム教徒のトルコ人マフィアに銃撃されたが、未遂に終わる。犯人は逮捕されたが、事件はKGBが計画したものであるとの報道が行われ、2005年になって教皇自身も共産党員によるものと自著で発表している。しかし、真偽については現在も判明していない。
1982.5月、アンブロジアーノ銀行は10億ドルから15億ドルの使途不明金を抱えて倒産した。それと同時にロベルト・カルヴィは国外に逃亡した。しかし、その直後にカルヴィは英国の首都ロンドンのテムズ川にかかるブラックフライアーズ橋の下で首吊り死体の姿で発見された。当初は自殺と判断されたが、2003.7月、カルヴィの遺族からの依頼で遺体を堀り起こして再鑑定をした結果、改めて他殺されたものと判断された。
カルヴィが殺された同月、アンブロシアーノ銀行頭取の秘書を勤めていたグラツィエラ・コケルも投身自殺しているなど、不可解な死が続いている。 |
1981.3.2日、教皇ヨハネ・パウロ二世が、「フリーメーソンおよび類似の秘密結社に入会した者は教会法により破門になる」として、新たな声明を発表した。
「私の子供たちよ。私は再びサタンの秘密結社に加わらないように、あなたたちに警告します。それはほんとうにサタンの会堂なのです。これらの秘密結社は、兄弟愛、博愛、人類同胞主義などのラベルを身につけています。しかし、私の子供たちよ。どんなことをいっても、あなたがたの信仰をくつがえそうとしているのです」。 |
しかし、現在すでにバチカン内部におけるメーソンの勢力は、計り知れないものがある。ざっとそのメンバーをあげてみよう。
前国務長官(バチカンのナンバー・ツー、総理大臣に当たる)のアントニオ・カザロリ枢機卿(一九五七年九月二十八日入会)、セバスチアポ・バッキオ枢機卿(一九五七年八月十四日入会)、世界的にカリスマ制新運動を推進しているレオン・ジョセフ・スーネンス枢機卿(一九六七年六月十五日入会)、次の教皇候補といわれるバリス・ルトジンガール枢機卿、「すべての宗教の世界教会」運動を進めているピクメドオリ枢機卿、コエニング枢機卿などがいる。なお、元国務長官のジャン・ヴィロ枢機卿、バチカン銀行の総裁ポール・マチンクス大司教などもそうである。
ほかに教会幹部聖職者の名前だけでも列挙すると、フィオレンゾ・アンジェリネ(一九五七年十月十四日入会)、パスクァレ・マッキ(一九五八年四月二十三日入会)、ヴィルジリオ・レヴィ(一九五八年七月四日入会)、アレッサンドロ・ゴッタルディ(一九五九年六月十三日入会)、フランコ・ビッフィ(一九五九年八月十五日入会)、ミッシェレ・ペリグリノ(一九六〇年五月二日入会)、フランシスコ・マルキサノ(一九六一年三月四日入会)、ヴィルジリオノエ(一九六一年四月三日入会)、アルバーアレ・ブーニーニ(一九六三年四月二十三日入会)、マリオ・ブリーニ(一九六九年入会)、マリオリッチィ(一九六九年三月十六日入会)、ピォ・ヴィトピント(一九七〇年四月二日入会)、アキレ・リーナルト、ジョゼ・グリヒ・リベラ、ミキュエル・ダリオ・ミランダ、セルギオ・メンデス・マトケオ、そしてフランシスコ修道会のフェリペ・クエト……などである。
以上数えあげればきりがないが、バチカン内部にじつに百二十一名のメーソンがいるのである。『法王暗殺』(D・ヤロップ著)という本によると、前教皇ヨハネ・パウロ一世は、バチカン内部のメーソンを一掃する人事に手を染め、それで暗殺されたのだという。
また『誰が頭取を殺したか』(ラリー・ガーヴィン著)によると、P2事件と教皇庁とは複雑なからみがあり、それでP2の中心人物、アンブロシーノ銀行頭取のロベルト・カルビが、一九八二年六月十日、ロンドンで“自殺”したことが記されている。また、一時期バチカン銀行と手を組み、金融帝国を目指したミケーレ・シンドーナの奇怪な死(獄中“自殺”)もある。
バチカンは長い間、フリーメーソンリーを敵視してきた。現在もヨハネ・パウロ二世が前述のごとく排斥しているが、バチカン内部に及んだメーソンの勢力はすでに根強く、除去できないと思われる。バチカンでさえもそうなのだから、世界中にあるカトリック教団内部にも、メーソンが侵入していると思ってよいだろう。
バチカンは一九六四年、「世紀の大改革」ともいうべき第二バチカン公会議を開き、これまでの独善的な姿勢を百八十度変えて、大方針を打ち出した。そこで注目すべきことは、エキュメニカル(教会一致)戦略とともに、ヒンズー教、仏教、イスラム教など他宗教にも「神の光」があるとする、宗教対話の精神を打ち出したことである。
まず東方教会とプロテスタントは、今日、世界教会協議会(WCC)をもっており、すでにエキュメニカルを始めている。ここで重要なのは、プロテスタントの指導者の多くがメーソンであることだ。WCCの参加教団は約二百教団、約六億人の信者を有している。筆者が日本グランド・ロッジを取材したとき、元グランド・マスターの一人は、「パウロ六世教皇もメーソンでした」という衝撃的な話をしてくれた。
また英国のメーソンの一人は、「英国では、プロテスタントの指導者の二五パーセントがメーソンだ」と言っていたのである。
今日、フリーメーソンのバチカン支配が口にされているが、プロテスタントはすでにフリーメーソンに支配されているのだ。フリーメーソンリーの理想がエキュメニカルという方向で動いており、この大戦略を始めたのもプロテスタントのWCCである。
エキュメニカル、宗教対話のバチカン戦略も、そもそもバチカン内部のメーソンがつくりだしたものかもしれない。こうした“神々の同盟”は一面、反共戦略を意味しており、フリーメーソンも反共であることには変わりがない。
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