フリーメーソン米国史

 (最新見直し2008.4.3日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「フリーメーソン米国史」を確認する。「阿修羅」のSP' 氏の1999.7.11日付投稿「アメリカ建国およびバチカンとの関係(赤間剛氏による)」、 「アメリカのユダヤ人」その他を参照する。


 43人いる歴代アメリカ大統領のうち、少なくとも14人はフリーメイソンだったとされている(その他、別の秘密結社に属する大統領も少なくない)。初代大統領のジョージ・ワシントンをはじめ初期の頃に多かった。二度に渡る世界大戦の前後にも多くフリーメイソンの大統領が選出されている。マッキンリー、セオドア・ルーズヴェルト、ウィリアム・タフト、ウォレン・ハーディング、フランクリン・ルーズヴェルト、ハリー・トルーマンがそうである。  

 フリーメイソンメンバーだったアメリカ大統領
【初 代】 ジョージ・ワシントン
【第3代】 トーマス・ジェファーソン
【第4代】 ジェームス・マディソン
【第5 代】 ジェームス・モンロー
【第7 代】 アンドリュー・ジャクソン
【第11代】 ジェームス・K・ポーク
【第12代】 ザチリー・テーラー
【第13代】 ミラード・フィルモア
【第15代】 ジェームス・ブキャナン
【第17代】 アンドリュー・ジョンソン
【第20代】 ジェームス・A・ガーフィールド
【第25代】 ウィリアム・マッキンリー
【第26代】 セオドア・ルーズベルト
【第27代】 ウィリアム・H・タフト
【第29代】 ウォーレン・G・ハーディング
【第32代】 フランクリン・D・ルーズベルト
【第33代】 ハリー・S・トルーマン
【第36代】 リンドン・B・ジョンソン
【第38代】 ジェラルド・R・フォード

 分かっているだけでも19人であり、フリーメイソンとアメリカという国が密接な関係にあるということがよく分かる。

 特にトルーマンは実に精力的なフリーメイソン(グランドマスターという位を取得)で大統領在任中、原爆投下の決断をし、戦後はCIA、NSA、国防総省の創設にも関わつている。アメリカが世界を守る、という趣旨の「トルーマン・ドクトリン」を実践、アメリカを朝鮮戦争に参戦させた。

 アメリカの副大統領に至っては歴代46人中18人がフリーメイソン。1980年代以降の大統領、副大統領にはフリーメイソンはいないとされている(ジェラルド・フォードが最後)。議会にも多くのフリーメイソンがいた。

 1933年から1944年、アメリカ国務長官だったコーデル・ハルもメイソン。ハルは「国際連合の父」と呼ばれ、国際連合設立(1945年)における功績により1945年ノーベル平和賞受賞を受賞している。国連にもフリーメイソンの影響力は多大。

 100ドル紙幣の肖像で知られているベンジャミン・フランクリンは大統領ではないが、アメリカ建国に大きな貢献をしている。ボストン生まれのユダヤ系アメリカ人。彼は大使として1770〜80年代にフランスやスウェーデンに赴任し、その前から何度もイギリスで渡りフリーメイソンリーの会議に参加している。またアメリカの武器をイギリスに売る武器商人でもあった。パリではイギリスからの独立を勝ち取るためにフランスのフリーメイソンと接触している。

 アメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスから贈られた自由の女神像は、フリーメイソンが製造し贈ったもの。その右手に掲げられるトーチはイルミナティに関係している。イルミナティとは、イルミネーションと語源を共にする光を灯す人たちという意味。自由の女神と呼ばれているが、イルミナティの存在を誇示する像でもある。

【アメリカ移民の始まり】
 1620.2.21日、メイフラワー号の巡礼父祖(ピルグリム・ファーザーズ)102名が上陸して、ピューリタンの信仰と自由と独立を求めた。これがアメリカの“建国神話”である。実際には、分離派教徒は35名、あとはヴァージニア植民地でひと旗揚げようとした国教会の信徒だった。

【アメリカに於けるフリーメーソン史その1、最初期】
 18世紀にイギリスに誕生し、ヨーロッパ大陸に進出していったフリーメーソンリーの理想が、真の意味で現実化したのはアメリカにおいてであった。1720年後半、植民地アメリカにフリーメーソンリーが入っていった。

 近代化されたフリーメーソンの米国への伝播は1730年代に始まる。古代派、近代派、スコットランド派、アイルランド派が入り乱れていた。米国は、植民地時代、大英帝国の厳しい税制や法律にがんじがらめにされ、まともに海外交易をやっていては倒産するので、密輸が当たり前になっていた。フリーメーソンは世界各地にロッジを擁しているので、交易ルートにかかるロッジを通して密輸取り引きがおこなわれ、新大陸で富と権力を蓄えていく。

 1731年、ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin、1706.1.17日〜)がメーソンとなる。フランクリンは、稲妻と電気の関係を証明したことをはじめ、自然科学の分野で業績をあげ、イギリスのロイヤル・ソサエティと、フランスの科学アカデミーの会員にもなっている。

 1733年、ボストンに、「ファースト・ロッジ」が開かれ、ヘンリー・プライスがイギリス本国のグランド・ロッジの承認を得て、グランド・マスターになる。その後、またたく間にアメリカの13植民地にフリーメーソンリーのロッジが広がった。1734年、28歳のベンジャミン・フランクリンがペンシルバニア州のグランド・ロッジのマスターに推挙された。当時、メーン州からジャージー州に至る植民地全体に約6千名のメーソンが居たと見られている。

 1752年、アメリカ建国の父、ジョージ・ワシントンがメーソンとなっている。彼の属するロッジは、ヴァージニアの上層階級のクラブであった。ワシントンのまわりには、独立戦争で有名なメーソンが集まった。ワシントンは、26歳の時、ペンシルバニア州のグランド・ロッジのマスターに推挙された。

 ボストンティーパーティー事件に関与したのが「スコティッシュ・ライト・ロッジ」からお墨付きをもらったボストンの「聖アンドリュー・ロッジ」であり、反英闘争の英雄ジョン・ハンコックも「聖アンドリュー・ロッジ」に所属するメースンで、レキシントン・コンコードの戦い前夜、イギリス軍の襲来を独立軍に伝えたポール・リヴィアもメースンであった。

 独立戦争が開始されると、ほとんど全部のメーソンを参集させ、戦場ロッジの儀式を行いながら戦った。こうして「軍事ロッジ」が次から次へと創設された。ワシントンは、この移動する軍事ロッジの先頭に立ち、メーソンの正装をし行進した。フリーメーソンには軍隊内にも会員を増やす戦略があり、これは「ミリタリーロッジ」と呼ばれている。この「ミリタリーロッジ」から英領北アメリカ総督となるジェフリー・アマーストやベネディクト・アーノルド、イーサン・アレンといった優秀なメースン指揮者が生まれ、独立戦争で活躍する。

 1776年、ベンジャミン・フランクリンが、アメリカ新共和国の外交代表としてフランスを訪れ、パリの「九人姉妹」ロッジの第二代大統領としてアメリカ独立戦争への理解を求め、支援を取り付けることに成功する。

 1776.7.4日、アメリカ合衆国の「独立宣言」が採択される。起草の中心人物はトマス・ジェファーソンであり、ジョン・アダムスとフランクリンがそれに協力した。宣言は、人間は生まれながらにして「平等」であり、「生命」「自由」「幸福」追求の権利をもち、その権利を否定する政府・国家を否定する権利を有するとする。その主張は、ジョン・ロックの政治思想に源流を求めることができる。

 「独立宣言」は18世紀ヨーロッパの一つの集結点であった。と同時に、それはまた近代の幕明けであった」(グルード「フリーメイソンの歴史」)。この独立宣言に署名した56人のうち、3名を除きそのすべてがメーソンだったという。1776.7.4日、独立宣言に署名した60名のうち41名がフリーメーソンであったと云われている。

 1777年、ラファイエットが、アメリカの独立戦争支援のため、自費で軍隊を率いて行き、ジョージ・ワシントンの軍事ロッジに加入して戦った。

 連戦連敗していたジョージ・ワシントンの大陸会議軍が勝利したのは、ベンジャミン・フランクリンがヨーロッパでフリーメーソンのコネを活用したことによる。パリの最も有力なメーソン組織「九人姉妹ロッジ」と親しかったフランクリンは、ヴォルテールやラ・ロシュフコーを通じてルイ16世を動かし、フランスを加勢させることに成功した。1778年、独立戦争においてフランスをアメリカと同盟、参戦させた。フランスが参戦すると、イギリスの劣勢が明らかになり、独立戦争は、サラトガの戦いでアメリカ側が勝利を収めたのを機に、戦況はしだいにアメリカ側に有利になっていく。1781年に戦争は事実上の終結をみた。

 1787年、アメリカ合衆国憲法が制定される。憲法議会の55名の代表中、9名の署名者と5名の非署名者がメーソン員で、他の13名もメーソンだったと云われている。フランスの人権宣言に大きな影響を与える。
 アメリカ憲法修正第一条は、国家宗教の樹立を禁止している。建国の父祖たちは理性の時代に生きていた。1796年、ワシントン大統領はトリポリ条約で、「いかなる意味においても、アメリカ合衆国はキリスト教国家ではない」と宣言している。アメリカ合衆国が「キリスト教国家」になるのは、20世紀に入ってからである。

 1789年、ワシントンが初代大統領に就任する。このときワシントンは、ニューヨーク・グランド・ロッジのグランド・マスターであった。ワシントンは、大統領になるやいなや、連邦議会の行政機関として、国務、財務、陸軍、司法の四省を設け、最初の米国政府の重要機構を確立したが、国務長官・トーマス・ジェファーソン、財務長官・アレクサンダー・ハミルトン、陸軍長官・ヘンリー・ノックス、司法長官・エドモンド・ランドル、副大統領・ジョン・アダムスが任命されたが、その全員がフリーメーソンだった。第2代大統領ジョン・アダムスも然り。

 1792年、ワシントンD・Cにメーソン設計による連邦議会の議事堂が「ホワイト・ハウス」が着工された。1793年、アメリカ政治の象徴となる議事堂の礎石を置く儀式が行なわれる。その儀式はフリーメーソンリーのロッジと提携して行なわれ、ワシントンは、メーソンの儀礼用礼服を着用してエプロンと記章をつけて儀式に臨んでいる。

 アメリカ建国がフリーメーソンの精神であることは、アメリカ合衆国の国璽にもその象徴が表われていることからも明らかだ。とくにはっきり表れているのは裏側であり、未完成のピラミッドが描かれ、冠石の位置に「万物を見る眼」(フリーメーソンの象徴)が描かれている。この絵は一ドル紙幣の裏側にも描かれている。

 有名なワシントン記念塔も、メーソンの力で生まれたものだ。このオベリスクは一本石からは造られておらず、多くの石を組み合わせてできており、アメリカ合衆国の標語「多から一」を象徴的に示す建築物である。

 鷲のくちばしのリボンにはラテン語で"E Pluribus Unum "(多数からできた一つ)と書かれ、これは13の植民地の合衆国への合体を指すと同時に「多数の神を統べる唯一神」というメースンの教義でもあると云われている。

 頭頂部を切り取ったピラミッドは、中世の教会支配によって智慧を切り取られた人類の不幸を表すとされている。切り取られた頭頂部の位置には、「すべてを見通す目」が描かれ、これは古代エジプトの神秘の女神イシスの目で、頭頂部を切り取られたピラミッドを補完する頭脳としての意味があり、それこそがメーソンの目的であるとされている。また、ピラミッドの頂点には、ラテン語で"Annuit Coeptis"と書かれており、これは「神はわれわれの約束に恵みを与える」と言う意味である。ピラミッドの底部には"Novus Ordo Seclorum"つまり「新世界秩序」と書かれている。


 1886年、フランス政府はアメリカ独立百周年を記念して「自由の女神」像を贈るが、その制作者フレデリック・バルトルディもメーソンである。そこに掲げてある銘板にはフリーメーソンのマークと共に「フランスのフリーメーソンが、アメリカのフリーメーソンに送った」と記載されている。




(私論.私見)