「シオンの議定書」本文2

 更新日/2022(平成31.5.1栄和/令和4).8.21日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 二日目の抗議録である。「プロトコール10」から「プロトコール19」がこれに入る。いわば個別概論のような箇所となっている。


【プロトコール10 】
 「プロトコール10」より、「ユダヤ王国再興過程の諸問題」について言及している。論半ばから、「大統領権限を通じての新共和国創出非常事態」の考究に入っている。
 本日は前の話と重複することから始めるが、記憶に留めていただきたいのは、各国政府と人民は政治についても事象のうわべだけしか見ないで満足しているということである。実際のところ、ゴイムは安逸で、彼らの代表者たちが全力を傾けても事の核心を把握することはできない。
(私論.私見) 「ゴイムの無能性」について
 議定書はここで、「ゴイムの無能性」について述べている。当たっているような気がするが、ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●重要な問題は明確に言い切ってはならない●
 我々の政治研究は前に述べた諸件を見逃さず細部まで考慮に入れることが肝要である。そうすることで、権力の分立、言論の自由、出版(新聞)の自由、宗教(信仰)の自由、集会・結社の自由、法律的平等、財産及び住居の不可侵性、徴税問題(脱税の考え方)、法の遡及力等々を熟慮するような諸問題を考究する時、それが役に立つのである。

 これらの問題はすべて、人民の面前で公然とあからさまに論議するのは差し控えるべき性質のものである。どうしても直接触れなければならない際には、明確に言い切ってはならない。現在の法についての我々の原則的な考えを微に入り細に穿って語ることなく、近代法の原則的なさわりを単にさらりと言ってのけるだけに留めなくてはならない。

 なぜ詳論に入ってはいけないかというと、根本原理さえ明かさなければ、我々は行動の自由を確保しておいて、彼らの注意を惹くことなくあれこれとそらせるが、それを逐一明言してしまうと、留保なく全部認めなければならなくなるからである。
(私論.私見) 「選民ユダヤの統治術」について
 議定書はここで、「選民ユダヤの統治術」について述べている。かなり露骨に権謀術数、陰謀的統治術を披瀝している。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 大衆には一種特別な癖があり、政治力のある天才を尊敬し、そのような人物の悪徳行為に対しては賞賛をこめてこう云う。「ずるい! 実にずるい。しかし、頭がいい! ペテンではあるが、なんだな、うまいことやるもんだな、どえらいこと仕出かすもんだ、むしろそれにたまげる。大胆極まりないぜ! 」 。
(私論.私見) 「大衆の英雄崇拝癖」について
 議定書はここで、「大衆の英雄崇拝癖」について述べている。当たっているような気がするが、ここは取りあえず拝聴しておこう。
 こういう大衆及びそういう大衆からなるゴイム国家をどう導くべきか。我々は、すべての国々を新たな重要な機構、我々が練り上げてきた計画に惹きつけることを期待する。これが、何をさておいても、我々が武装し、力を貯え、不退転の意志と絶対的な大胆さを身に付けなければならない理由であり、この計画が我が活動家たちの手で我らの行手を遮るものすべてを粉砕することに役立つのである。
(私論.私見) 「我々の計画への惹きつけ」について
 議定書はここで、「我々の計画への惹きつけ」について述べている。「青写真計画書」の意義について述べている。これは重要な指摘であるように思われる。
 ●われわれはクーデターでこう語る●
 我々のクーデター(暴力政変)が成功した暁には、我々はさまざまの階層の人々にこう言うだろう。「何もかもが恐しく悪くなり、すべてが我慢できない状態に陥ったが、我々は諸君がこうむっている苦痛の原因即ち民族心、国境、身分の違いといったものを根絶しつつある。もちろん、諸君が我々を断罪するのは自由である。だが、我々が提供するものに挑戦もしないうちに断罪するとしたら、それはちょっと大胆過ぎるというものではないか」。すると大衆は、希望と期待にふくれ上がり全員こぞって手を差しのべ、我々を激励し、讃え始める。
(私論.私見) 「我々のクーデター時のプロパガンダ」について
 議定書はここで、「我々のクーデター時のプロパガンダ」について述べている。議定書派は堂々と所信を披瀝し、大衆に向って理論闘争を仕掛ける、と云う。これは重要な指摘であるように思われる。
 人類の一番小さな成員グループにもグループごとに集会を催させ、妥協・合議の習慣を作らしめ、同意を取り付けてきた普通選挙という、我々が揃えてきた道具立てを使って、我々は世界王の座に就く。このような選挙が、我々の目的に役立ち、最終的には我々に有罪宣告を下す前に、全員一致で我々ともっと親しくなりたいと望むようになる。
(私論.私見) 「普通選挙」について
 議定書はここで、「普通選挙」について述べている。何と、概要「普通選挙は、我々が揃えてきた道具立てであり、これを目的の為に駆使する」と云う。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●自分個人が第一という考えを全員に植え込む●
 以上のことを確保するには、絶対的な多数を獲得すべく、階級や資格の別なく万人に投票させなければならない。知識人や有産者階級だけでは絶対多数は獲得できない。 このように、自分個人が第一という考えを全員に植え込むことによって、ゴイムの家族主義や家庭教育尊重心を粉砕し、癖のある考え方の人間は引き離して一掃してしまわねばならない。併せて、ゴイム大衆の中から天才が傑出せぬように未然に防がねばならない。

(私論.私見) 「個人主義の作用」について
 議定書はここで、「個人主義の作用」について述べている。これによれば、概要「個人主義プロパガンダは、ゴイム共同体の紐帯を解体させる役目を持つ」と云う。中々意味深のように思えるが、ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●大集を一大盲目力に仕上げる●
 我々が操る大衆は、彼らを第一線に立たせないし証言の機会すら与えてやらない。大衆は、従順に応待すれば見返りがある我々の話を聞くことだけに慣らされる。このようにして、大衆の指導者として我々が彼らの頭に据えてやった代理人の指導なくしては、どんな方向へも一歩も足が踏み出せないほど総員を一大盲目力に仕上げるのである。人民大衆は新しい指導者たちが自分たちの生計、報酬、あらゆる種類の利益になることを握っていることが判るから、この方式に服従する。
(私論.私見) 「大衆の従順性の利用」について
 議定書はここで、「大衆の従順性の利用」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●討議や投票は邪推と誤解の烙印を押すようなものである●
 政府の計画というものは、一人の頭脳で万端出来上っているべきでありかく施行されねばならない。なぜならば、多数の頭で部分部分をばらばらに作らせると、そのチグハグさ故に実行不能になるであろうから。それゆえ、我々は行動計画を知っているのは良いが、その巧妙さ、各部分の緊密な連関性、各要点の隠れた意味を破壊しない為に、討議してはならない。

 度重なる投票という手段で、この種の労作である政府の計画を数次にわたって討論し修正を加えることは、邪推と誤解の烙印を押すことになり諸計画の進行や連携の結びつきを妨げる。我々は計画が強力に適切に仕組まれることを欲する。故に、我々は我々の首領の指導の賜物を、大衆やあるいは特別な団体にすら毒牙にかけさせてはならない。

 これらの計画は今しばらくは現存する諸団体及び制度を転覆させない。それらの経済を変化させるだけで、それによって進歩の動きを全体的に結び付け、我々の計画に従った道に導くのである。
(私論.私見) 「政府計画の独裁制」について
 議定書はここで、「政府計画の独裁制」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 各国には名前は似たり寄ったりの別名の内実は同じものが存在する。議会、内閣、立法府、評議会(枢密院)、司法府、行政府などである。諸兄が熟知するところのものであるが、こういった機関の機能を説明することに意味はない。その役目にこそ注意を払うべきである。つまり、ここに名を挙げた機関はそれぞれに国家の中である重要な役割を担っており、〝重要な〟という意味は、機関そのもののことを指しているのではなく、その機能・職権のことを言っているのである。これらの機関はいくつもの部分に分れていて、その全体で政府という機能即ち行政、立法、司法を果たしている。
(私論.私見) 「国家諸機関の権力分立」について
 議定書はここで、「国家諸機関の権力分立」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●リベラリズムを注入すれば国家は敗血症に犯される●
 分割された機関は人体の臓器に似た働きをするようになっている。もしも国家機構の一部を損傷すれば、国家は病気にかかり、死ぬこともまた同様である。

 我々は、国家機関にリベラリズムの毒液を注ぎ込んだ故に、政体が複合変化を来たし、今ではどの国家も敗血症的不治の病い(死に至る病)に冒され、あとは悶絶死という終焉を待つばかりとなっている。我々は ただゴイム国家の断末魔(だんまつま)の日が来るのを待てばよい。
(私論.私見) 「ゴイム国家の『死に至る病』」について
 議定書はここで、「ゴイム国家の『死に至る病』」について述べている。ここでは、「リベラリズムの毒液」をその要因に挙げている。取りあえず拝聴しておこう。

 ●憲法は国家の機能を破壊する学校以外の何ものでもない
 リベラリズムは立憲国家を作った。それはゴイムにとっては唯一の安全装置であった専制国家に代るものであった。よく御存知のように、憲法は闘争と対立を駆り立て、混乱、誤解、争論、見解の相違、各党派の実りなき煽動等の一切合切の学校、言い換えれば、これら何もかもが国家の機能を破壊する学校以外の何ものでもない。

 ●大統領はゴイ人民の地下に仕掛けられた地雷である●
 「おしゃべり屋」連中の手助けをする護民官は、ほかならぬ新聞である。議事堂も「おしゃべり屋」連中の手助けをする新聞も、それらが歩調をあわせて、国家権力者に怠慢無能の烙印を押し、国家の行動力を奪い、支配者を無用の長物にする。実にこのために多くの国々で支配者が退位させられたのである。その時であった、共和国時代到来の可能性が見えたのは。その時であった、我々が旧支配者に代えて我々の奴隷の中から拾い上げた大統領に置き換えたのは。これはゴイ人民の地下に仕掛けられた地雷であった。敢えて申し上げるが、「ゴイ人民の地下に」である。

(私論.私見) 「立憲国家」について
 議定書はここで、「立憲国家」について述べている。「立憲国家」とは、その一、概要「専制国家に代って生み出された政体である」。その二、概要「憲法は、国家機能を破壊する学校以外の何ものでもない」と見立てている。

 思うに、「リベラリズム毒液論」然り、議定書史観は、かなり複雑な論旨を展開していることが判明する。つまり、近代以前の中世的王権又は封建国家を、ルネサンス以降の近代民主制社会よりも上等なそれであったと云いなし、その他方で、議定書派が近代民主制社会を創出したと云いなし、今度はそれを「喧騒の学校に過ぎない」と云いなしている。要するに、「ユダヤ王国家による王権社会の憧憬論」を述べている訳であるが、何とも復古的な観点には相違ない。この辺りの復古論法が、偽書説を生み出しているように思える。
 近い将来、我々は大統領を責任のある役職にするであろう。その時までに、我々は表向きの役には就かず、我らの人格なき人形たちに責任を負わせ続けるだろう。権力亡者が段々少なくなったとしても、我々の知ったことではない。大統領のなり手が少なくなり暗礁に乗り上げるとしても、暗礁があろうがあるまいが、いずれにしてもその国家は崩壊に向って行くのである。
(私論.私見) 「立憲国家における大統領制の意味するもの」について
 議定書はここで、「立憲国家における大統領制の意味するもの」について述べている。何と、立憲国家秩序の牽制力として大統領制を生み出し、その大統領を「我らの人格なき人形」として操る、と云う。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●大統領には過去に古傷のある候補者を選ぶ●
 我々の計画が然るべき成果を挙げるためには、大統領選挙に仕掛けをして、パナマ汚職事件その他のような、過去の身上に脛に古傷を持つ候補を選んで選挙に臨む。そして当選させる。すると、そういう連中は旧悪を暴露される怖さと権力を得た者の常で、すなわち、大統領の地位に付きものの特権と名譽を失うまいとして、我々のの計画達成のに都合の良い代理人となるのである。
(私論.私見) 「大統領の好ましい資質」について
 議定書はここで、「大統領の好ましい資質」について述べている。何と、その大統領は、概要「過去の身上に脛に古傷を持つ者」を要件とする。何とならば、そういう大統領は操りやすく、我々の計画の為によく働くことになるから」と云う。

 2004年現在の日本政治史における小泉首相を髣髴とさせるではないか。
 ●大統領はわれわれが選んで与える●
 フランス議会の下院を例にとる。下院議会は本来、大統領を選出し、援護し、監視保護する機関として位置づけられているが、我々は、新法案を提案したり、これを修正する権限を奪ってしまう。というのは、我々は、この権限を我らの手中にある傀儡たる大統領に与えることにする。

 そうすれば事の成行きとして、大統領の権威は四方八方から攻撃の的となる。だが、我々は自己防衛の手段として、人民に呼びかける権限、代議員たちの頭越しに直接人民大衆に呼びかけて決定させる。大統領は盲目の奴隷たる大衆の大多数と同じ盲目に陥り、その上で戒厳令を敷く権限を彼に確保してやる。

 我々は大統領に宣戦布告の権限を与えてやる。それには、国軍の長であり新共和国憲法の責任ある代表者たる大統領は、新共和国憲法防衛の際に備え、軍を自由に動かせなければならないと、説明しておく。

 容易に理解されるように、この状況下にあって祭壇の鍵を手中にしているのは我々であり、我々以外の何者にも断じて立法権を行使させない。
(私論.私見) 「議会権限の剥奪、大統領権限の強化による新憲法制定」について
 議定書はここで、「議会権限の剥奪、大統領権限の強化による新憲法制定」について述べている。ここから急遽、「ユダヤ王国創出過程論」に入っている。

 議定書派は、どうやら議会が権限を持つことがお気に召さないらしい。大統領権限を強化させ、ことごとく骨抜きにする。いずれ、政治的対立が沸点化するが、その際は大統領に戒厳令を敷かせる。更に事態が悪化すれば、警察及び軍隊を指揮して内戦に突入する。議定書派がこれを裏から指揮する、と云う。
 その他に、新共和国憲法を成立させたら、政治的機密保持という名目で政府の処置に対する議会の質問を一切封じる。その上、新憲法によって議員の数を最少限に抑え、それに比例させ政治的煽動と政治熱を減らす。だが、滅多に起こることではないとは思うが、それにも拘らずもしも縮小された議会が反抗の火の手を挙げるならば、我々は即刻全人民という絶対大多数に直接檄を発して議会を潰してしまうであろう。
(私論.私見) 「新共和国憲法制定発布、議会権限の縮小、威嚇」について
 議定書はここで、「新共和国憲法制定発布、議会権限の縮小、威嚇」について述べている。何と、傀儡大統領を通じて新共和国憲法を制定発布し、議会が抵抗するなら、国民世論を盛り上げ挟み撃ちにする、と云う。
 大統領は、上下両院の議長・副議長の任命が杖となる。通常の議会の会期とは異なって、会期を一年のうち数ヵ月に縮める。その上、行政の長である大統領に、議会召集解散の権限を持たせる。特に、解散した場合は、新議員任命を延期できるものとする。

 ●大統領の責任を回避させる手を打つ●
 しかし、我々の計画がまだ熟成していなくて、実際には非合法の状態でこれら一連のことを全部実行した責任を大統領に全責任を負わせないために、大統領周辺の大臣や高官を説き伏せて、彼らが自分たちの裁量でやったことであり、彼らを身代りにして責任を取らせることで、大統領の責任を回避させる。この件に関しては、我々は極力上院、最高行政裁判所、閣僚会議というような機関にやらせて特定の個人に責任を被せないようにする。
(私論.私見) 「新共和国憲法における大統領権限、その政治手法」について
 議定書はここで、「新共和国憲法における大統領権限、その政治手法」について述べている。取りあえず拝聴しておこう。
 ●大統領には憲法を逸脱した新しい法案を提案する権限をもたせる●
 大統領は、幾通りにも解釈できる法律の意味を、我々の意図する通りに解釈するであろう。大統領はさらに進んで、我々が廃止の必要を指示すれば、法律を廃止することもやるだろう。その他に、大統領は新たなる臨時法を提案する権限を持つようにさせる。また、国利国益のためにはこれが必要だと言いつくろって、憲法の枠から逸脱した新しい法案すら提案する権限を持つようにさせる。

 かような手を打っておくと、かって我々の意思に反してやむを得ず国法の中に入れてしまったさまざまのものを、少しづつ一歩一歩と破壊してゆけるのである。我らの独裁政権があらゆる政体の政府を束ねる日を到来させた際には一切の憲法を廃止する。それまでの過渡的方法として一歩一歩進める。
(私論.私見) 「新共和国憲法における大統領の超法規的権限」について
 議定書はここで、「新共和国憲法における大統領の超法規的権限」について述べている。取りあえず拝聴しておこう。

 ●人民はわれらの独裁者に向ってこう叫ぶだろう●
 憲法廃止以前に我らの独裁が認められるかも知れぬが、その秋(とき)が来ればそれまでの支配者たちの無能無策に、それも元はといえば我々仕組んだことであるのだが、業を煮やした人民大衆は大声で叫ぶだろう。「奴らを追放しろ、世界を治めるのは一人でいい。俺達をまとめて争いの種をなくしてくれ。永遠の争いの因である国境、民族、宗教、国債、そんなものはもう御免だ。平和と秩序をくれ、今までの支配者や議員が決してくれなかった平和と秩序を!」

 ●悪の予防接種を施せばゴイムはわれわれの支配下に入る●
 すべての国々でこのような叫びを挙げさせるには、諸君もご存知のように長い年月の工作が必要である。諸氏は完璧に理解されていると思う、このような叫びを挙げさせるには、すべての国々で人間性が疲労困憊の極に達するまで、人民と政府との関係を悪化させることが絶対不可欠である。紛争、憎悪、闘争、羨望、さらに拷問、さらに飢餓、伝染病の蔓延によって大衆を困り果てさせ、結局ゴイムは金銭その他すべてのことにわたって我々の支配下に入る他に手段をなくする。

 ただし、もしも世界の国民にホッと一息でも入れさせるならば、我々に都合の良い時機は九分九厘到来しないことになろう。

(私論.私見) 「暗愚人民大衆の政治的利用」について
 議定書はここで、「暗愚人民大衆の政治的利用」について述べている。取りあえず拝聴しておこう。

【プロトコール11 】
 「プロトコール11」は、「プロトコール10」の「ユダヤ王国再興過程の諸問題」を受け、「ユダヤ王国創出過渡期の新共和国憲法下議会」、クーデターから論を起し、ユダヤ王国建国下の政治要諦について言及している。
 国家評議会(国政会議、衆議院)は、いわば、政府権力につけた光背であり、立法府の〝見世物〟の役割を持つ。それは一見立法機関の観もあるが、実は政府が出す法令案を編集する委員会と云ってもよい。
(私論.私見) 「ユダヤ王国創出過渡期の新共和国憲法下の議会」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国創出過渡期の新共和国憲法下の議会」について述べている。何と、立法機関機能を縮小し、政府の下請け機関化させる、と云う。
  時に、我々が用意している新憲法発布に至るまでの要項は次の如きものである。我々は、法、権利、正義を確立する。第一期段階は、立法府に働き掛ける。第二段階は、一般法令と見せかけた大統領令、上院の命令、ならびに内閣の命令であるかの如く装おった国家評議会の決議で処理する。第三段階は、格好の時到らば暴力政変(クーデター、革命)という形に訴える。

 クーデターのときこそ、我々の望む憲法を一挙に成立させる唯一の機会である。我々はクーデターで民衆が胆をつぶし、頭が混乱しているうちに統一性のある新憲法を彼らに強制しなければならない。
(私論.私見) 「クーデター政変」について
 議定書はここで、「クーデター政変」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●われわれの憲法発布の翌日からは永久に抹消されねばならないことがある●
 我々の行動計画の大綱は確立したから、国家機関をすでに述べた方針に従わせ、革命の完遂を促すべきあれこれの組合せの細目に入ろう。その手段とは次の如くである。新憲法発布の翌日からは、言論・新聞報道の自由、集会・結社の権利、信教の自由、選挙権その他あまたの事柄は、人間の記憶から永久に抹消されなければならないか、急激な変更により取り替えられねばならない。その際に初めて我々の勅令を公布する。まさにその瞬間のみである。それ以後では、顕著な改革案はことごとく危険である。

 その理由は次の通り。もしもその改革が峻厳さを増したものであり、幾分でも厳格かつ極限まで行ったものならば、この先どこまで厳しい改革がなされるのかという恐怖で絶望感に囚われてしまうかも知れない。その逆に、最初よりも緩和した改革案を出すと、我々が悪いことをしたのに気付いたかのように取られるし、そうなると、我々の権威不可謬性の威信が失墜するか、我々が恐れを抱いて譲歩措置をとらざるをえなかったと云われるだろう。強制的という印象はぬぐえないから、そのために我々が感謝されることはない。
(私論.私見) 「ユダヤ王国憲法発布の要諦」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国憲法発布の要諦」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●いかなる場合でも我々は人民と権力を分け合うことはありえない●
 右のような二つとも新憲法の威信を傷つける。我々が人民に叩き込まなければならないのは次のことである。憲法発布のその瞬間、世界の人民は革命が成し遂げた厳然たる事実に呆然とし、まだ恐怖心と半信半疑の気持に捕われている時から、我々がすこぶる強力、難攻不落、かつ、十二分過ぎるくらい力に溢れていて、いかなる場合であっても、彼らに一顧も与えず、彼らの意見や意志には一瞥も加えず、下手に反抗でもしようものならすぐさま弾圧されてしまう、と印象付けることである。我々には、いかなるささやかな反抗の表明も示威も、時と所を問わず、一つ残らず粉砕する用意があり、弾圧が可能である。

 我々は取るべきものはすべて取り、いかなる事情にせよ、我々は彼らと権力を分け合うことはありえない。我々が全権力を掌握した時から如何なる理由でも絶対に彼らに権力のお裾分けをしない、と思い知らせなければならない。そうすれば、彼らは恐怖のあまり身震いして何事にも眼を閉じて、事態の成行きを最後まで見守るほかはないであろう。
(私論.私見) 「ユダヤ王国政体の強権政治」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国政体の強権政治」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ゴイムは羊の群であり、我々は狼である。狼が羊の群に入ったらどういうことが起こるか、御存知であろう。羊はただ目を閉じてしまう。大衆も同然である。我々の羊が目を閉じるのは、別の理由もある。我々が平和の敵を打ち破り、あらゆる反対党派を黙らせたならば直ちにあらゆる自由を返してやると約束するからである。

 彼らの手に自由が戻るまでどのくらいの時間を待ち続けなければならないか、お話しする必要はあるまい。では、何故に我々はこのような政策そのものを立案し、事の真相を看破する時を与えずゴイの心に吹きつけるのか? 実際のところ、回り道をしなかったとしたら、四散した我らの種族が直接目的を達成する方法には何があったのか? 
(私論.私見) 「ゴイム大衆に対する欺瞞政治」について
 議定書はここで、「ゴイム大衆に対する欺瞞政治」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 基本的には、我々が作った秘密結社のフリーメーソン、かの家畜畜生ゴイムが存在を知らず、知ってもその目的を考えてもみなかったフリーメーソンを作ったことが役立った。ゴイム御一同様の目を晦ませるべく、我々がフリーメーソン・ロッジ(結社の集会所・支部のこと。〝小屋〟の意味もある)の〝見世物〟一座に彼らを惹きつけておいたのである。
(私論.私見) 「秘密結社のフリーメーソンの役割」について
 議定書はここで、「秘密結社のフリーメーソンの役割」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●我らの強さは離散より生れ来った●
 神は与え給うた。我ら神の選民に、離散という贈り物をして下さった。それは万人の目からは我らの弱さと映るが、我らの強さは離散より生れ来たったのである。それが今や全世界支配という戸口に到達している。今や我々が据えた基礎の上に築くべきことは、余すこと僅かとなっている。

(私論.私見) 「選民としてのユダヤの史上の離散の意味」について
 議定書はここで、「選民としてのユダヤの史上の離散の意味」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

【プロトコール12 】
 「プロトコール12」は、「プロトコール11」の「ユダヤ王国建国下の政治要諦」を受け、「ユダヤ王国の安泰策としてのジャーナリズム対策」について論及している。
 ●〝自由〟とは法律で許されたことをする権利である●
 自由〟という言葉には、いろいろの解釈があるが、我々は次のように定義する。自由とは、「法律で許されたことを為し得る権利」である。この定義は通常は我々だけに役立つ定義である。なぜならば、法律というものが前に述べた計画に従って、我々が思いのままに作ったり廃止したりできるものであるから、およそ自由と名の付くものはすべて我々の手中にある。
(私論.私見) 「自由の定義」について
 議定書はここで、「自由の定義」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 新聞については次のように扱う。今日の新聞の役割とは何か? それは我々の目的に有利なように大衆の欲情を催させ、又は激情を爆発させ燃え上らせることに役立つ。さもなければ、諸党派のエゴイズム、党派間の対立助長に役立つ。

 新聞は多くは浅薄、不当、虚つきである。大多数の人々は、新聞が本来何の役に立っておりどんな役目を演じているのかについて考えようともしない。が、我々は新聞に鞍を乗せ、馬勒を付け、しっかりと轡をはませ、丈夫な手綱で操っているのである。
(私論.私見) 「新聞の役割」について
 議定書はここで、「新聞の役割」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●われわれの国家では検閲を財源に変えてしまう●
 勿論、新聞以外の他の印刷物についても同様である。我々が新聞の攻撃から免れても、小冊子や書籍で攻撃されては何にもならぬからである。出版物の刊行は、今日ではそれを検閲するとなると大変金のかかることであるが、我々は我々の政府にとって有用な財源に変えてしまう。

 新聞等の発行団体や印刷所に許可を出す前に、特別印紙税と[損害に備えての]保証金(保険金)を納めさせるのである。これをやっておくと、言論機関からのいかなる攻撃からも政府を守ることができる。我々に対する新聞等の攻撃などがあろうものなら、我々は仮借なく罰金を科して対応する。保証の形をとるこのような印紙税、保証金、罰金といった方法は、政府の重要な財源となるであろう。

 政党の機関紙は多額の罰金を取られても平気であろうが、重ねて我々を攻撃し続ける場合は断乎発行禁止処分に付する。 我らが政府の不可謬性の後光たる権威に指一本でも触れようものなら、何びとも無事ですむことはありえない。発行を禁止するには次の口実を用いる。発行禁止にされた印刷物は、何らの理由も根拠もなく、いたずらに世論を煽動したという申立て理由を使う。

 ●我々を攻撃するものの中には我々が設立した機関も含まれる●
 御注意申し上げたいのは、我々を攻撃するものの中には、我々が設立した機関も含まれるということである。だが、彼らは、我々が予め改正しようと決めた部分のみを攻撃するのである。
(私論.私見) 「新聞、雑誌機関の罰則統制」について
 議定書はここで、「新聞、雑誌機関の統制」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●一片の記事といえども我々の検閲抜きには公表されることはない●
 一片の記事といえども我々の検閲抜きには公表されることはない。現在ですらすでにこのことは達成されていて、すべてのニュースは少数の通信社に世界中から集められそこから各新聞社、諸官庁に配信されるようになっている。現在ある程度まではそうなっているが、通信社は追って完全に我々の傘下に入り、我々が許可したものだけが供給され一般に公表されるようになるだろう。
(私論.私見) 「新聞、雑誌機関の検閲」について
 議定書はここで、「新聞、雑誌機関の検閲」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

  今日すでに我々ゴイム社会の思想界を牛耳っており、人心をうまく掌握しているので、彼ら全員は世界の出来事を、我々が眼の先にかけてやった色眼鏡で眺めるようになっている。また、我々には、ゴイの阿呆どもが〝国家の機密〟と呼んでいるものは今でもすべて筒抜けである。我々がそれらに立ち入るのに障碍のある国家なぞ一つも存在しない。今でさえこうなのだから、我々が全世界王という最高の統治者として認められた暁には、更に我々の意のままになることは明らかであろう。

(私論.私見) 「思想統制」について
 議定書はここで、「思想統制」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 話を新聞の将来に戻そう。何人も新聞、雑誌、書籍といったいわゆるジャーナリズムはすべて許可制にし、出版社、書店、司書、印刷業を営もうとする者は、その資格免許証を取得せねばならないことを義務づける。その免許証は何か過失があれば即刻取り消しとなるようにする。こうしておくと、ジャーナリズムがいろんな思想を発表したとしても、我らの政府の意向に添ったものとならざるを得ず、そういう意味で政府による教育手段の一種となるのである。よって、人民が埒もない進歩の白昼夢に憧れることもなくなるだろう。
(私論.私見) 「ジャーナリズムへの免許統制」について
 議定書はここで、「ジャーナリズムへの免許統制」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 この教育手段を講じておけば、国民大衆は思い思いの脇道に迷い込み、人道的進歩の有難みなどといったことを夢見ることが出来なくなる。我々の中には、ありもしないその手の有難みは、人民と政府との間に無政府状態を生じさせる妄想に直通する道であることを知らない者がいるだろうか。

 ●進歩思想は限度というものを弁えなかった● 
 如何となれば、進歩、否、正確に云えば進歩思想は、あらゆる種類の解放運動を激励してきたが、限度ということを弁えなかったのである。……いわゆる自由主義者は、実践はともかくとしても少なくともその精神においては根本的に無政府主義者である。自由主義者のどの一人も自由のお化けを追い求め、まっしぐらに放縦に、即ち反対のための反対という無政府主義に陥っている。
(私論.私見) 「無政府主義排撃」について
 議定書はここで、「無政府主義排撃」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 定期刊行物の問題に移ろう。我々は、新聞を始めすべての印刷物という印刷物に、一頁につきいくらという印紙税と保証金を課す。3百頁(30枚、60頁)以下の書籍はその額を2倍の税を課すことにする。はやりのパンフレットはその部類に入れる。一方で、印刷物の中では最低の有害雑誌の数を減らす。他方、著作人たちは、分厚く値段もはりほとんど誰も読まないような本を書かざるをえないように仕向ける。他方、我々の利益に適うように世論を導く我々の側の出版物は廉価にするので、為に貪(むさぼ)るように読まれる。
(私論.私見) 「定期刊行物への課税圧力」について
 議定書はここで、「定期刊行物への課税圧力への課税圧力」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 課税圧力で思想的作家は尻込みし始め、処罰が恐くて文筆家は我々の軍門に降る。それにも拘らず我々に文筆で抵抗する者が現われたとしても、著作物の印刷を引き受け手がいない。出版社が印刷してくれる前に、出版業者や印刷業者が官憲の許可を得なければならない為である。これによって、我々は我々に対して向けられた奸計をすべて事前に知ることができるので、それが世に現われないうちに先手を売って反駁する。出版阻止することもできる。
(私論.私見) 「ジャーナリストへの出版圧力」について
 議定書はここで、「ジャーナリストへの出版圧力」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 出版(文学)と新聞(ジャーナリズム)は、最も重要な教育手段のうちの双璧である。それゆえに、我が政府はこれらほとんどの定期刊行物の所有権を獲得する(経営者となる)。このことは、独立系新聞の有害な影響を緩和し、大衆の精神に甚大な影響をもたらすだろう。……仮に十の新聞に発行許可を与えたとすると、我々は三十に及ぶ新聞社を設立する。独立系新聞と我々の息のかかった新聞との比率を1対3にする。

 ●われらの敵対者をこうして罠にはめる

 しかしながら、大衆はそんな事情はゆめ知らず考えてみようともしない。我々が発行する新聞はすべて、見た目には反対の傾向や意見をもち、それ故にに我々に対する信頼を集め、我々にとっては全き疑うことなき反対者を呼び寄せる。このようにして、我らの敵対者は罠にはまり、牙を抜かれるのである。

(私論.私見) 「大衆マインドコントロール、教育手段としての言論機関の利用」について
 議定書はここで、「大衆マインドコントロール、教育手段としての言論機関の利用」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 最前列に位置するのは、政府機関紙の性格をもった新聞であろう。この種の新聞は、常に我々の利益を擁護するが、それゆえに比較的影響は弱い。第二列に位置するのは、半官半民の刊行物で、その役割はなまぬるい無関心層及び中立の者を我々の方へ惹き寄せることにある。

 第三列に位置するのは、見た目には全く我々の反対者として設立されたもので、少なくともその紙上では、まさに我々とは逆の立場に立つように見える論説を掲載するであろう。そこで我々の本当の敵対者は、この疑似反対論を真説と思い込み、自分の手の内のカードを見せてしまう。

 我々の新聞は全て様々な違った主張を持っている。もちろん、憲法が存続する間での話だが、ある新聞は貴族政治的であり、他のものは共和主義的又は革命的、さらには無政府主義擁護的なものまでも持っている。インドのヴィシュヌ神の像のように、これら諸新聞は百本の手を持っていて、その一本一本の手が世論の各層に影響を与える。

 然るべき扇動期に入り脈拍が早くなると、これらの手は我々の目的に沿って世論を導くことになる。熱に浮かされた患者は理性の判断力を失い、暗示にかかり易くなる。自分たちの陣營の新聞の意見を述べていると思い込んでいる阿呆どもは、誰ぞ知らん、我々の意見や我々が望んでいる見解をオウム返しに唱えているだけなのである。自分の党派の意見に従っていると虚しくも信じつつ、実際には我々が彼らに広げている旗に従っているだけのことなのである。

(私論.私見) 「御用機関紙、半官半民の刊行物、疑似反対論論説紙の三段構えによるプロパガンダの効用」について
 議定書はここで、「御用機関紙、半官半民の刊行物、疑似反対論論説紙の三段構えによるプロパガンダの効用」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 以上の意味で、我らが新聞軍団の指導にあたっては、格別細心の注意を払ってこの問題を組織しなければならない。中央新聞局という名称のもとに、我々は文筆者の会合を設け、そこに我々の覆面の代理人を送り込み、指令と当日の標語を示す。問題の核心を避けて常に表面だけにとどめた議論討論をして、見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない。

 彼らは、政府機関紙とも公然と華々しい論戦をしたりするが、我々が見せかけの一斉射撃を浴びせることで、政府政策のプロパガンダを補足する材料を提供するようになり、政府機関紙が第一報で意を尽くせなかったことを、詳しく補足して報道することになる。
(私論.私見) 「見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない」について
 議定書はここで、「見せ掛けの政府政策批判や反対論を唱えさせ、決して核心に迫らせない」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●新聞の見せかけの一斉射撃には意味がある●
 しかし、これらの方法は必要な場合以外には用いない。新聞の我々に対する攻撃は、新聞がまだ言論の自由を失っていないという印象を大衆に与えるのに役立つ。それは又我らが代理人が、反対者たちは意味のない反対論をぶっている、実のある反対意見をこれっぱかりも示していない、政府政策を批判する本当の根拠が示されていないではないか、我々に反対する機関はみな空騒ぎしているだけではないか、と説きまわる機会を与える。


 このトリック方法は、大衆の目に感知されないようにして大衆の政府信頼を増させるのに最高の方法である。この方法のおかげで、我々は大衆がどう受け取るかによって、必要に応じて時折、政治問題に対する感情を刺激したり鎮静したり、説得したり混乱させたりすることが可能になる。

 我々は、ある時は真実、ある時は虚偽を振りまき、ある時は事実に即して立論し、ある時はの反論を掲げたりする。それは大衆にどんな印象を与えようとするのかによって異なり、その為に常に我々が足を踏み出す前に地面の様子を細心の注意をもって調べねばならない。

(私論.私見) 「新聞の見せかけの一斉射撃」について
 議定書はここで、「新聞の見せかけの一斉射撃」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 我々は常に理屈では敵に勝つ。それは、我々の敵対者は、前記の方法で新聞を操作することができず、十分かつ決定的な意見を開陳する新聞という最終的な手だてを欠いているからである。我々の勝利は確実この上もない。よほどのことでもなければ、我々が新聞界に押し付けた制度のお陰で、反論の必要もないくらいである。

 我々が新聞の第三列に放つ試射は、必要があれば半官半民の紙上を通じて精力的に駁論する。 我々が反対新聞に掲げさせた世論の観測気球的記事をも必要なときに強く否定することができる。

(私論.私見) 「言論戦勝利の方程式」について
 議定書はここで、「言論戦勝利の方程式」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●新聞界メーソンの結束は固い● 
 フランス新聞界のみではあるが、今日でもすでにフリーメーソンの連帯行動が成立しており、合言葉標語ももっている。すべての新聞機関は、結束して職業上の秘密で結ばれている。 古代の卜占官さながらに、その成員は、過去に解決ずみの問題でない限り、情報源を漏らしたりはしない。ジャーナリストならただの一人もこの秘密を暴露するような愚挙を犯しはしない。

 というのは、どの一人をとってみても、かねて過去に不行跡な事などをしない限りは、文筆仲間に入れて貰えないからである。……秘密を漏らしたりしようものなら、直ちに過去の不行跡が暴露される仕掛けになっている。秘密が少数の間でだけ知られている限りは、ジャーナリストの権威は大多数の人々に行きわたり、群集は熱狂的に彼に従う。彼は名声を博す。

(私論.私見) 「言論機関のフリーメーソン的紐帯」について
 議定書はここで、「言論機関のフリーメーソン的紐帯」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 我々の計画は特に地方に及ぶ。いかなる瞬間にも首府にいる者に対する野心と反対気分を醸成せねばならぬ。我々は政府に向って、これが地方独自の主張であり要望であると焚き付ける。当然のことであるが、地方世論の情報源というのは、我々が鼓吹し指示しているものである。

 必要なことは、我々が十二分に支配力を得るまでは、我々の代理人団が組織した多数者、すなわち地方の意見で首府を窒息させておくべきである。必要なことは、決定的瞬間には首府は既成事実をとやかく言える立場にはない、争うことは出来ないようにしておく。それは単純な理由であって、各地方の大多数の世論が受け入れ承認しているからである。
(私論.私見) 「新体制下での言論統制」について
 議定書はここで、「新体制下での言論統制」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●新体制下ではどの種類の新聞にも社会腐敗を暴露する記事は載せさせない●
 新体制とは我々が完全な主権を手中にするまでの過渡期のことであるが、我々が新体制の時期まで進んだ時には、もはやどの種類の新聞にも社会腐敗を暴露する記事は載せさせない。新体制下では万人が完全に満足しているから犯罪を犯す者はいないと信じさせることが必要である。……犯行の真相解明は、被害者とたまたま目撃した者だけに留めておくべきであって、それ以外に知らせる必要がない。

(私論.私見) 「新体制下での言論抑圧」について
 議定書はここで、「新体制下での言論抑圧」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●平等思想が一番下の思想であることは動かない●
 平等思想は自然法則にもとるものであって、平等思想が一段下の思想であることは動かないところなのである。

【プロトコール13 】
 「プロトコール13」は、「プロトコール12」の「ユダヤ王国の安泰策としてのジャーナリズム対策」を受け、「ユダヤ王国の安泰策として大衆的馴致政策」、「進歩概念の分析」について論及している。

 日々のパンの手当ての必要から、ゴイムは余儀なく沈黙を続け、我々の従順な召使になっている。我々の新聞がゴイムの中から選んだ代理人に、公文書であからさまに触れるのは都合の悪い問題を議論するようにさせる。その間、我々は論議の渦の真中で静かに聞いていて、我々に必要な部分を取り込み、それから公衆に既定事実として提示するのである。いっそう改善したものを説明するのだから、何びとも一度定めたことを撤回せよとは言わない。

 そして間髪を入れず新聞は世論を新しい問題の方に向けさせる(我々は人民を何か新しいものを求めるようにずっと馴らして来たではないか)。頭が足りない〝運命の小売屋〟たちは自分の議論する問題が髪の毛一筋も解っていないということさえも理解できずに、新問題に飛びついてしまう。

 もう一度繰り返すが、政治の諸問題は、これを考案した大先達、過去幾世紀にもわたって先導してきた人々でなければ誰も理解できないのである。

 ●大衆の意見を先導するには我々の仕組の働きを良くするだけで事足りる●
 以上のことからお解りのように、大衆の意見を先導するには、我々の仕組の働きを良くするだけで事足りるのであり、我々が彼らに賛同を求めるのは、あれこれの問題についての我々の行動ではなく言説であることに気付かれるであろう。 我々は常に、希望に導かれ確信に基いてすべての事業にあたり、公共の福利に奉仕しているのであると公言している。

(私論.私見) 「言論機関よる意見の先導」について
 議定書はここで、「言論機関よる意見の先導」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●政治活動はゴイ政府と一戦交えさせるためにわれわれが施した訓練であった●
 政治活動は、ゴイム政府と一戦交えさせるために、我々が彼らに施した訓練であった。が今日においては逆のことをしなければならない。厄介になるかも知れない連中に政治の諸問題に首を突っ込ませないようにするのに、我々は政治に代わるものを熱心に勧めている。即ち商工業の問題である。この分野でなら、彼らがどれほど騒いでもよろしい!

 政事に代わって何か没頭できるものがあれば、大衆は政治活動の類いから手を放して一服することに異存はない。商工業問題においては、われわれは政治そっくりの事をやっているかのように思うように処方してある。

 ●さらに政治から遠ざけるために娯楽、芸術、スボーツをあてがう●
 大衆を政治問題から離れさせるには他の楽しみを与えなければならない。政治に代わって何か没頭できるものがあれば、大衆は政治活動の類いから手を放して一服することに異存はない。

 商工業問題においては、我々は政治そっくりの事をやっているかのように思うように処方してある。彼らがかかずらわっていることを解き当てさせないように、我々は娯楽、競技、ゲーム、色事、遊び場をあてがって、更に政治から遠ざける。そのうち、我々は新聞を使って芸術、スポーツなどありとあらゆる種類の競争を始める。こういうことに関心が向けられれば、我々が彼らと争わなければならない諸問題から、彼らを完全に遠ざけるだろう。

 こうしてゴイムは次第に自律的に思索する能力を失う。ますます彼ら自身の意見を反映したり形にしたりすることが難しくなるに従って、人民大衆は我々と同じ口調で語るようになる。なぜならば、我々だけが彼らの考え方に新しい方向付けを示しているからである。……もちろん、我々とは表面的には無関係の人々を通じてであるが。
(私論.私見) 「ゴイム大衆の政治からの遠ざけ方法」について
 議定書はここで、「ゴイム大衆の政治からの遠ざけ方法」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●我々の政府が承認されると自由主義者や空想論者の役割は終る●
 我々の政府が承認されると、自由主義者、空想論者の役割は最終的に終る。その時まで、彼らはたっぷりと我々に奉仕し続けてくれる。そのために、我々は彼らの頭をあらゆる種類の空疎な内容の空想的理論、今では進歩的と呼ばれる理論の方に引っ張り続けてきた。つまり、我々は〈進歩〉という言葉を用い、お粗末な非ユダヤ人の頭脳を狂わせ、ゴイムを空っぽ頭に転回させることに成功したのである。
(私論.私見) 「進歩概念の空疎性の利用」について
 議定書はここで、「進歩概念の空疎性の利用」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●真理は一つでありそこには〝進歩〟が入り込む余地はない●
 我々はゴイムの空っぽ頭を進歩転換させることに成功したことはなかった。ゴイムの中には、物質的発明の問題ではない所で進歩を追い求めたところで真理からは遠ざかるばかりだということが判る人間はいないのである。なぜなら、真理は一つであり、神の選民である我々にしか認めないものである。そこには進歩が入り込む余地はないのである。進歩、それは誤った推論に基く思想のようなものであり、神の選民であり、真理の保管人である我々の外には何びとも知らない真理を覆い隠すのに役立っている。

 我々の王国が実現した暁には、我々の弁士たちは、人類をすったもんださせてきたこの大問題を解義して、我々の慈悲深い支配の下で結着を付けさせるだろう。 その時になって、これらの人々は一人残らず、幾世紀にもわたり何びとも推測もしなかった政治計画に従って、我々に踊らされていたのだということを、いったい誰が疑うだろうか。
(私論.私見) 「進歩概念の真相」について
 議定書はここで、「進歩概念の真相」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

【プロトコール14 】
 「プロトコール14」は、「プロトコール13」の「ユダヤ王国の安泰策として大衆的馴致政策」、「進歩概念の分析」を受け、「ユダヤ王国政治下の宗教問題、人民教化策」について論及している。
 ●我々の王国ではわれらの宗教以外いかなる宗教の存在も許さない●
 我々が支配者となり王国を築く時は、我らの唯一神宗教(ユダヤ教)以外いかなる宗教の存在も許さない。我々は神に選ばれた者であり、我々は選民としての地位により唯一神と結びつき、その我々の運命は神を通じて世界の運命と結び付いている。ゆえに、我々は、我々以外のあらゆる形態の宗教を一掃する。
(私論.私見) 「他宗教の排斥」について
 議定書はここで、「他宗教の排斥」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 その結果、今日見られるような意味での無宗教時代が出現するとしても、それは過渡期の現象であって、我々の目的の妨げにはならない。むしろ我々が説くモーゼの教えに耳を傾ける世代の前兆として有用に役立つであろう。モーゼの教えは牢固として完璧入念なる教義であり、それなるがゆえに世界の全人民を我々に従わせてきた。そこに、モーゼの教えの隠された神秘の力があることを力説しよう。

 後にも述べるように、モーゼの教えの感化力は、すべてその神秘の力に立脚しているのである。次いで、あらゆる機会をとらえて、我々の慈悲深い支配と過去のそれとを比較する論説を公表する。数世紀にもわたる動乱のの果てにようやく訪れた安穏静謐の有り難味で、我々ユダヤの支配の恩寵がいかに大きいものかが分かろうというものである。さらなる安堵へと高まるのである。
(私論.私見) 「ユダヤ教の感化力」について
 議定書はここで、「ユダヤ教の感化力」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●自由の権利は人間性に拷問をかける●
 我々は最もはっきりとした口調で、ゴイム政府が犯した過ちを描いてみせるであろう。我々が彼らに対する嫌悪の情をそそるので、人民大衆は、かの自由を振り回す権利などよりも、農奴制のような状態でよいから安穏の方を好むようになる。

 自由の権利なるものは、人間性に拷問をかけ、まさに人間存在の根源を疲弊させ、人民大衆は自分が何をしているのか解っていない一群のこすからい山師たちの餌食となったのである。

 我々がゴイム政権を覆すにあたっては、ゴイムを煽動し幾たびか無益な政変を起こさせた。人民は疲れ切ってしまい、またまた新たな騒動や苦難をかぶるよりも、少々の辛抱をしても我々の言うことを聞いている方がましだと考えるだろう。さもなけれは又新たな騒動に巻き込まれねばならぬのである。闘争や暴動の残虐さだけは真っ平と考えることになろう。
(私論.私見) 「人民大衆の安堵」について
 議定書はここで、「人民大衆の安堵」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 同時に我々は、ゴイム政府の誤ちの歴史を看過容認はしないだろう。ゴイム政府は何世紀にもわたって、人類の真実の善性を構成する要素を何一つ理解せず、錯覚した社会改善を追い求め、その改善の結果さらに悪くなり、人間生活の基盤である一般関係が決して改善されないことに全く気付いたことがなかった。

 我々の原理と方法の総体は、我々が彼らに提示し解義したように、死に絶え腐敗した古い秩序の社会生活とはまばゆい対照をなす事実の中に横たわっている。

 我々の哲学者たちは、ゴイムの種々雑多な信仰の欠陥を洗いざらい論じるが、真実の視点から我々の信仰に口をはさむことは誰もやらないだろう。なぜなら、我々ユダヤ人以外の誰もこの宗教のことは知らないし、我々はその秘密を明かすような裏切りはやらないからである。

(私論.私見) 「ゴイム政府の無能、ユダヤ政府の有能の差」について
 議定書はここで、「ゴイム政府の無能、ユダヤ政府の有能の差」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 いわゆる先進文明国の中に、我々は愚劣極まる、卑猥不潔な、嫌悪感を催おす文学芸術を創らせた。我々が権力の入口に立ってしばらくの間は、我々の演説、集会プログラムと対比させつつ、その種の文学を奨励するつもりである。こうすると、我々の高尚な一画とはあまりにも違うことが歴然とするだろう。つまり、コントラストを際立たせるために利用すれば良い。

 ゴイムの指導者になるべく訓練された我らの賢人は、講演演説、事業研究計画、回想録、論説著作活動に携わるだろう。我々はそれらの作品を用いて、ゴイムの人心を感化し、我々が定めてやった知識を摂取する方向に導くのである。

(私論.私見) 「ゴイム人心の感化、教導」について
 議定書はここで、「ゴイム人心の感化、教導」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

【プロトコール15 】
 「プロトコール15」は、「プロトコール14」の「ユダヤ王国政治下の宗教問題、人民教化策」に続いて、「ユダヤ王国支配下の政体の特徴」について縷々論及している。
 ●世界同時クーデターの暁には……●
 世界各地に同時にクーデターを勃発させ、遂に決定的に我らが王国に突入し、現存する政府という政府が誰の目にも没落したことが明らかになった時から我々の時代が始まる。だが、これにはまだ相当の歳月、恐らくまるまる一世紀を要するだろう。
(私論.私見) 「ユダヤ王国到来時期の見通し」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国到来時期の見通し」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●我らの王国樹立の際には現存秘密結社はすべて解散させる●
 しかし、我々の権力が確立した暁には、如何なる陰謀の類も我々に対して企てられないように、これを監視し、我々の王国到来に反対しいやしくも武器を執る(手にする)者は一人たりとも容赦なく殺戮する。新しく秘密結社を設ける者も同様に死をもって処する。

 我々が認めている現存秘密結社は、役立つものも役立ったことのあるものも、全て一律に解散させ、その会員は欧州から遥か離れた大陸へ追放する。あまりにも事情をよく知り過ぎたゴイムのフリーメーソン員にも同断の処置を執る。何らかの理由でこの処置を執らなかった者に対しても、追放の恐怖で脅迫しておく。我々の支配の中心地である欧州からは、全ての秘密結社及びその構成員を追放に処する法律を作成し公布する。

 ヨーロッパを我々の政治の中心にする。我々の政府の発布した法令は絶対的で、これの変更はできず、これに対する控訴も嘆願も許さない。
(私論.私見) 「陰謀結社根絶、フリーメーソン弾圧」について
 議定書はここで、「陰謀結社根絶、フリーメーソン弾圧」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●我らの王国ではゴイムには未来の幸福のために苦しみを引き受けさせる●
 ゴイの社会には、根深く対立抗争の種を植え込んでおいたので、秩序を回復するには強権的に容赦ない手段を執るよりほかはない。将来の至福の為に、どれだけ多数の犠牲者を出そうとも苦しむ者に一顧だに与えてはならない。未来の幸福のために苦しみを引き受けさせるのである。

 真に己の政府の存続を忠実に考え、特権維持ではなく職責完遂を顧慮する政府ならば、いかなる犠牲を払ってでも例え虐殺に手を染めても、断じて遂行しなければならない義務というものがある。

 我々の政府の支配を揺ぎないものとする原則は、権力の威光を輝かせることにある。つまり官僚権力の権威を高めることである。且つこれを揺るぎなきものにしなければならぬ。
(私論.私見) 「絶対王政、強権支配」について
 議定書はここで、「絶対王政、強権支配」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 その後光というのは、その表に神秘的なもの、例えば、神に選ばれた者達のみが示すことができる不可侵性を顕現する紋章をのような、不退転の威厳に満ちた力を発揮していることが要諦である。近年までは世界中では、ローマ教皇(法王庁)を数に入れなければ、帝政ロシアが我々の唯一の強敵であった。

 諸君、記憶に留めていただきたいのは、イタリアである。古代ローマの独裁官シーラを思い出してみたまえ。彼は、イタリアを血の海と化したが、イタリア人は流血させたシーラの髪の毛一筋にも手を触れることができなかったのである。それは彼が無類に完璧な権力を確立したからである。彼は人民を虐げていたにもかかわらず、大胆不敵にイタリア帰還をやってのけ、不可侵性の網に囲まれ、人民大衆の目には神と崇められたのである。人民大衆は大胆勇敢な者には催眠術をかけられ魅了されてしまい、誰も反抗などできはしないのある。
(私論.私見) 「史上の絶対王権とそれに対する尊崇」について
 議定書はここで、「史上の絶対王権とそれに対する尊崇」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●王国実現まではフリーメーソン支部を世界各国に増設する●
 前述のように秘密結社はいずれ潰されるのであるが、我々の王国を実現するまでの期間は、我々は正反対のことを行う。フリーメーソン支部を世界各国にどしどし増設し、そこへ名士になりそうな人物、現に名士である人物を引き入れる。それというのも、それら支部は重要な情報収集機関であり、情報を流す出口でもあるからである。

 フリーメーソンの全支部は、我々だけが承知していて他には絶対に誰も知らない中央管理機構の下に置く。その機構を構成するのは、我らの学織あるユダヤ長老たちである。支部には代表者がいるが、彼らは上記のメーソンの真の管理機構を覆い隠すために置かれるものであり、標語や計画は蔭の管理機構から発せられるのである。

 これらの支部に、革命的分子やリベラル分子をすべて集めてしっかり結び合わせる。この中には社会の全階層が含まれるのである。極秘の政治計画なるものも我々は熟知しているし、計画が立てられたその日のうちに我らの指導部の手に入手される。国際警察や各国警察の代理人はほとんどこれら支部に参加しているが、彼らは不法な者に対して特殊な措置を講じるのみならず、我々の活動を隠蔽し、しかも不平不満を起こさせる口実を提供してくれるので、我々にとってはかけがえのない存在である。

 ●秘密結社に喜んで入ってくるのは一般人の中では軽薄に属する人間が多い●
 秘密結社に喜んで入ってくるのは、世渡りがうまく出世第一主義で、一般人の中では軽薄に属する人物が多いので、彼らを御して我々が仕組んだことを片付けさせるのは、さして苦労のいることではない。その世界で何かゴタゴタめいた事が起こったとすれば、あまりにも強固になった団結を破るべく我々が少々撹乱しなければならなかった場合である。
 
 だが、計画遂行の中心には、これ以上信頼できる人物はいないという我らの下僕が先頭に立っている。我々だけがフリーメーソンの活動を指導し、他の誰にも当らせないのは、極めて当然のことである。ゴイムに至っては無知蒙昧であって、どこへ行くべきか、活動の一つ一つの最終目的は何であるかを知っているのは、我々だけだからである。

 ●ゴイムはやたらと自説に固執し自説の一時的満足にしか頭が回らない●
 ゴイムは、通常、彼らの考えを実行する際に、やたらと自分の説に固執し、自説の一時的満足にしか頭が回らない。しかも、その自説たるや、我々が彼らに吹き込んだものであって、本当に自分が考え出したものではないことに気が付きもしない。
(私論.私見) 「フリーメーソン論」について
 議定書はここで、「フリーメーソン論」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●ゴイムは成功さえできれば計画はどうなっても構わないと考えている●
 ゴイムは、物好きからか、あるいは、大きなパイに一口あずかる手段としてフリーメーソンに入ってくる。中には、実現不可能な根も葉もない夢想を実現させるために、耳よりな情報を仕入れようとして入ってくる者もいる。彼らは成功と拍手喝采に飢えているが、をの成功や拍手喝采こそは、我々が気前よく振る舞ってやっているのである。

 ●われわれの大盤振舞いはゴイムの鼻持ちならぬ自惚れを利用するためである●
 我々がそういう大盤振舞いをするのは、彼らが持っている鼻持ちならぬ自惚れを利用するためである。その自惚れというのは何が原因かというと、自身が口に出している思想は絶対的に自分のものてあり、借り物などということはありえないと自信満々で、我々が示唆したことを丸呑みにする傾向に起因する。諸氏の想像を越えることであるが、ゴイムの最も賢い者を無邪気に自惚れさせたり、ちょっとした不首尾で意気消沈させたりするのは、いともたやすいことである。同時に、拍手が止まったに違ぎないといった些細な不成功であっても彼らは簡単に落ち込みもするし、次の機会には成功させてやると言えば、すぐ奴隷のように卑屈になってくる。

 際立って我々は計画を実行さえできれば成功不成功を問わないのに、際立ってゴイは成功さえすれば計画はどうなっても構わない。このような彼らの心理のおかげで、我々は大いにやすやすと思うがままに彼らを操れる。彼らは見た目には虎だが中味は羊であって、風が通り抜けて行く頭の持主なのである。我々は彼らに〝集産主義〟という一種の思想のおもちゃをあてがって、個性の違いをそのおもちゃに吸収同化させてやった。
彼らは、このおもちゃが最も重要な自然の法則を真向うから冒涜するものであることを、一度も考えたことがなかったし、これから先も考えようともしないだろう。 天地創造の初めから、自然は明白な個性の違いを弁えさせるべく、あれとこれとを違うように作ったのである。
(私論.私見) 「フリーメーソン入会者の資質論」について
 議定書はここで、「フリーメーソン入会者の資質論」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●ゴイムが明きめくらだからわれわれの成果が約束されている●
 こんなにも我々が彼らを明きめくらにさせられるというのは、ゴイムの頭が我々と比較してお粗末である証拠、それも明々白々の証拠ではないだろうか。我々の成果が約束されているのは、主にこのためである。

(私論.私見) 「ゴイム頭脳とユダヤ頭脳の差」について
 議定書はここで、「ゴイム頭脳とユダヤ頭脳の差」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 それにつけても、なんと我らの古代の賢者長老たちには先見の明があったことか。長老がたは言われた、大事に達せんとせば手段を選ぶなかれ、犠牲を厭うなかれ、と。我々はゴイムという家畜の群にいかほど犠牲が出ようともさらさら厭うものではない。さりながら、わが民の犠牲も数多くに上ったが、今日我々はこの地上で夢見ることのできなかったような位置を獲得した。我々全体の数から言えば、我々の犠牲者の数は比較的少ないが、彼らのおかげで民族の破滅は免れたのである。

(私論.私見) 「対ゴイム戦における同志の犠牲」について
 議定書はここで、「対ゴイム戦における同志の犠牲」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●我々は本人も分らないようにメーソン員を処刑する
 何びとも避けられない終局は死である。どうせ避けられないものならば、新秩序の建設者である我々よりも、建設の邪魔をする人間に早く回してやった方がよろしい。我々は、同胞のほかには誰も気付かないように、本人自身でさえも死刑宣告されたことが判らないように巧みにフリーメーソンを処刑する。必要とあれば全員あたかも自然死のごとく息を引き取るのである。

 我々の同胞は、そのことが解っていても、あえて抗議はしない。かような方法を用いて、我々はフリーメーソンの中から作戦計画に敵対する者を根こぎにしてきたのである。我々はゴイムにはリベラリズムを説くけれども、同時に一方では、我が民や我らの代理人たちにはひたすら鉄の規律でもって恭順に服させる。
(私論.私見) 「議定書派のポア理論、鉄の規律論」について
 議定書はここで、「議定書派のポア理論、鉄の規律論」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 我々の力が及ぶところでは、ゴイムの法律は最小限度にしか適用しないようにしてきた。法の尊厳威信なるものは、その分野に流し込んだリベラルな解釈を駆使して存分に失墜させてきた。最重要かつ根本的な事項や問題は、我々の口をはさんだとおりに裁判官が決定し、我々がゴイムの政府機関に示したことに従って事を裁定する。

 この目的はごく簡単に達せられた。もちろん、我々が直接彼らと接触するのではなく、我々の道具である人士の仲介により、あるいは新聞などを利用した。上院議員(貴族院議員)や内閣、高級官僚の中にも我々の助言を一も二もなく聞く者がいる。ゴイムの空っぽ頭には、事象を分析したり考察したりする能力、ましてや事態がどういう結果になるかを予測する能力はさらさらな い。
(私論.私見) 「ゴイム治世下での法運用の実態」について
 議定書はここで、「ゴイム治世下での法運用の実態」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●自然は我々が世界を導き支配するように創造した●
 ゴイムと我々の間のこの能力の差違こそが、ゴイムの空っぽ頭と対比して、我々が神の選民として、また、高い人間性をもつ運命が定められているゆえんが明白に証明される。ゴイムの目は開いていても何も見ていないし、何も創造しない(恐らく物質的なもの以外は)。このことをもってしても、自然は我々が世界を導き支配するように創造したことが明白である。
(私論.私見) 「ゴイムとユダヤの能力差、ユダヤの選民的運命」について
 議定書はここで、「ゴイムとユダヤの能力差、ユダヤの選民的運命」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
  ●我々の法律の原則は官憲に対する服従である●
 我々が公然と世界の支配権を確立したときには、その成果を踏まえ、我々の恩恵を示すためにも、一切の法律を革変するだろう。我々の法律はすべていかなるよけいな解釈をする余地もなく、簡潔明瞭、それに確定的であり、あれこれ解釈に迷うこともない。いかなるよけいな解釈をする余地もなく、何びとにも完璧に解る、簡潔、明白、確固としたものであるだろう。

 そこに貫徹させておくべき原則は、官権当局に対する絶対服従である。この原則によって荘重高潔なものとなる。こうして最高権力者に属する権威の前には最下層の者に至るまで責任を負う結果、権力の乱用は行われなくなる。

 次席以下の権力乱用もまたなくなる。一人の例外もなくとうてい再犯ができないほど容赦なく峻厳に処罰を受けるであろう。我々は国家機構の円滑な運営をはかるために、官憲に対しても事細かに点検するであろう。一部分の腐敗はあらゆる所での腐敗を惹起する。一片の不法行為、一片の権力乱用といえども処罰の見せしめを免れさせはしない。

 犯罪の隠蔽、行政の怠慢等この種の悪事はすべて、最初に峻厳な処罰を科せば以後は影を潜めるであろう。我々の政権の後光は適切な罰則すなわち、至高の威信に対しての侵害は軽微なものであっても、とりわけ私利私欲と結びついた場合は、厳罰を科さなければならない。厳罰を蒙る者は、たとい過失の度合いに比べて罰が重過ぎるとしても、主権、政綱ならびに法を擁護する行政の戦場で倒れる兵士と見做して然るべきであり、公共乗合馬車の手綱を執る人間が、公道を外れて私用に馬を走らせたら、どんな人間であろうとも許されないのである。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下での法の厳格主義、絶対服従制、厳罰主義」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下での法の厳格主義、絶対服従制、厳罰主義」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●法は逸脱堕落に罰を課し見せしめにするたけに作られる●
 例えば、裁判官たちは寛容なところを見せたくなるが、それは法の正義を破ることになるということを弁えなければならない。法は逸脱堕落に罰を科して見せしめにするために作られたのであって、裁判官の徳性を引けびらかすためのものではない。……そんなに徳性を引けらかしたければ私生活でやればいいのであって、人間生活教育の公共の場を使うべきではない。公的生活の場ではそのような徳性は尊重されない。

 我々の法曹人は55歳に達すれば現職を退く。その第一の理由は、老人は年をとるほど先入観に囚われ易くなり、新しい方向にはなかなか向かなくなること。 そして第二には、人事刷新によって弾力性を確保するのに役立つこと、それによって我々の強制力が更に容易に働くようになるからである。自分の椅子に留まりたい者は、留まるに値するように盲目的に服従しなければならないだろう。

 概して言えは、我々は次のような人々の中からのみ裁判官を選ぶ。即ち自分の役割は法を執行し違反する者を処罰することであって、当今のゴイムが空想するように、国家の教化的な仕組を犠牲にしてリベラリズムの夢のまにまにさまようことではないということを完全に理解している人間からである。この人事刷新の方法は、同じ業務に携わる人間の妙な結束心を噴き飛ばし、人民の運命がかかっている政府の全問題にかれ らの関心を結び付ける。若い世代の裁判官には、人民の間に確立した我々の秩序を乱す畏れのあることは、どんなものでも見逃さないように訓練する必要がある。

 当今ゴイムの裁判官は、自分の職責に対する正しい認識が欠如しているので、如何なる犯罪に対しても情状酌量する。今日の支配者が裁判官を任命する際に、義務の観念と裁判官に要求される職責に対する自覚を叩き込まないから、こういうことになるのである。野獣が子供に餌を無条件に与えるのと同様に、ゴイムは職務の性質や目的を説明もせずに高い地位に就けてしまう。それで彼らの政府は、自分の行政を通じて自分自身の力のせいで、滅亡の道を歩んでいるのである。

 彼らがやっていることの結果を、我らの政府の教訓としようではないか。

(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下での司法制度、裁判官資質論」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下での司法制度、裁判官資質論」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 我々の国家体制のためには、服従する訓練が必要な政府機関の重要位置からは皆、リベラリズムを一掃する。かかる位置にはもっぱら行政支配のために我々が訓練してきた人間のみを据える。

(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下でのリベラリズムの一掃」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下でのリベラリズムの一掃」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 古い官吏を解雇したら大蔵省の負担増加になるのではないかと案ずる向きがあろうかと思うが、その問題に対してはこうお答えしよう。第一に、解雇した職員には職を失った代わりにいくつかの民間企業に回してやる。第二に、世界中の金は我々の手中に集中したのであるから、経費が嵩(かさ)むのを虞(おそ)れる必要はないのである。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下での天下り制度の活用」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下での天下り制度の活用」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●我々の絶対主義は万事にわたって論理が貫徹している●
 我々の絶対主義は万事にわたって論理が貫徹しているので、どの判決一つをとってみても、我々の最高意志は尊重され一点の疑念もなく遂行される。あらゆる種類の不平苦情を無視し、あらゆる種類の示威抗議には制裁を加えて見せしめにする。

 我々は控訴権のような、決定を覆す権利を廃棄する。そういうことはもっぱら我々の一存即ち支配する者の判断に預けられる。我々が任命した裁判官が誤った判決を下すことがある、というような考えを人民に与えることは断じて許してはならない。しかしながら、万一裁判に過失が有ったことが判明し、判決に変更を加える必要が生じた場合は、我々自身が決定を廃棄する。

 その際には直ちに裁判官に二度と同種の過誤を犯さない旨の約束をさせ、自己の義務過怠に懲罰を課して見せしめにする。重ねて申し上げるが、我々の行政においては一段階ごとに、一応は我々を満足させてくれている人民に密着してよく監視する必要があり、善良なる政治は善良なる官吏を要求する権利があるということを銘記していただきたいのである。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下での控訴権の廃止」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下での控訴権の廃止」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●人民は我らが王を神と崇めて帰依献身しその専制に従うであろう●
 我々の政府は、支配する側からいえば族長父権的保護者という外観を呈するだろう。我々民族と我らの国民は、王という人物に、王との関係はもとより、国民が望むこと、国民がやっていること、国民間のいろいろな関係などの何もかもを気使う父の姿を見るだろう。

 安穏無事に生きたいと切に願うならば、国民は完全にこの考えにとらわれ、この方の保護と指導なしには何もやって行けなくなり、とりわけ、我々が任命した者たちが私利私欲のためにではなく、ひたすら誠実に命令を実行しているだけであることを知ったときには、我らが王を神と崇めて帰依献身し、その専制に従うであろう。彼らは、わが子に義務と服従を植え付けるべく訓育した賢明な両親がなすように、我々が彼らの生活万般を取り締まることに欣喜雀躍するであろう。我々の秘策という視点から眺めると、世界の人民たちはまだまだ成年にも達しない子供の類いであり、各国政府もまたまさにその段階である。
(私論.私見) 「ユダヤ王国治世下での家父長制」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国治世下での家父長制」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●人類を服従に立脚させることは強者の権利である●
 先刻御承知のように、私は権利と義務に対する絶対支配についてお話し申し上げた。我々の専制は権利と義務に立脚している。義務を実行させる権利は、臣民に対する父たる政府の第一の責務である。人類を天然が定めた秩序すなわち服従に立脚させることは、強者の権利である。

 この世の万物は、他人の力か、環境か、そのもの自身の本性か、いずれにしても自己の力以上の力に服従させられている。であるからこそ、善を実現するためには、我々はさらに強い者になろうではないか。

 ●悪に懲罰を加えることは一大教育課題である●
 我々は確立した秩序に違反する者は何びとでも、躊躇なく犠牲にせざるをえない。見せしめに悪に懲罰を加えることは、一大教育課題である。

 イスラエル王がヨーロッパの捧げた王冠を神聖な頭に戴くときは、世界の族長となる。そこに達するまでに王が供する犠牲は、ゴイム政府が何世紀かにわたって強者を競った狂人じみた張合いが供した犠牲の数に比べれば物の数にも入らない。

 我らの王は絶えず人民と接し、特使を通じて演説させ、その名声は全く同時間に全世界に報道されるだろう。

(私論.私見) 「ユダヤ王国の族長的世界支配」について
 議定書はここで、「ユダヤ王国の族長的世界支配」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●ゴイムの底無しの無気力さが我々の今日をあらしめた●
 今日我々は多国家にまたがる勢力として無敵である……ゴイム人民の底無しの無気力さ、権力の前には腹這いになって這いつくばるが弱者には無慈悲、他人の過失には厳しく罪悪には寛容、自由社会制度の矛盾は認めようとしないが思い切った専制者の強圧に対しては殉教者のように耐える・・我々の今日をあらしめたのは、[ゴイムの]それらの特徴に助けられたところが多い。

【プロトコール16 】
 「プロトコール16」は、「プロトコール15」の「ユダヤ王国支配下の政体の特徴」に続いて、「ユダヤ王国支配下の教育統制」について縷々論及している。
 大学は我々のもの以外のなべての結束力を根絶するのを目的として機能しており、集産主義の第一段階であるが、これを新しい方向で再教育して去勢する。その学長や教授連、職員を精密な秘密教育計画に従って再訓練するが、断じてその一部分たりとも免除することはない。彼らの任命には特別の注意を払い、一人の例外もなく政府が掌握して配置する。
(私論.私見) 「高等教育機関の人事統制」について
 議定書はここで、「高等教育機関の人事統制」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●全教育課程から政治と法律を排除する●
 全教育課程から、政府問題に関わる政治や国家問題に関わる法律を排除する。高等な政治や法律に関しては、予め許された者の中からさらに卓越した人物を選び、数十人という少数の人物にのみ教える。大学はもはや、喜劇や悲劇を書くようなつもりで法案や計画をこね上げたり、父親たちでさえも理解できなかった政策問題にくちばしを入れるような青二才を世の中に送り出してはならない。愚かな大衆が政治問題に関する頓珍漢な知識を持つことで、ユートピアを夢見る人間や不良市民を作るのである。

 ●我々が行う教育の原理は従順である●
 もっとも、過去においては、諸氏は一般義務教育がゴイムをこの方向に導いてきた実例をよく御存知であろう。我々は彼らのゴイム教育の中に、彼らの社会秩序を見事なまでに弱体化させる原理を持ち込まなければならなかった。しかしながら、我々が権力を掌握した時には、秩序破壊の種になるような教科科目はことごとく教育課程から駆逐し、青年を官権当局に対し従順な子供に育て、支配者を敬愛させ、統治者を平和安寧の支柱であり頼みとするように育成する。
(私論.私見) 「高等教育からの実践的政治科目の排除」について
 議定書はここで、「高等教育からの実践的政治科目の排除」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●我々の歴史研究はゴイム政府が犯した誤ちをことごとく叙述する●
 我々は、古典と歴史の研究を廃し、未来社会の研究に眼を開かせる。どんな形の歴史研究も皆そうであるが、範を過去に求める古典主義で行くと良い例よりも悪い例の方が多い。我々はそれに代えるに未来研究をもってする。我々は、我々にとって都合の悪い過去何世紀かの人類の記憶を一切消去し、ゴイム政府が犯した誤ちをのみ叙述する。
(私論.私見) 「古典と歴史研究の排除、未来実用学の奨励」について
 議定書はここで、「古典と歴史研究の排除、未来実用学の奨励」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●我々の教育政策●
 実際生活、秩序に対する義務、人民相互間の関係、悪を伝染する利己的な実例、その他教育の本質に関わる類似の問題の研究、これらが教育計画の最前線に置かれるだろう。その実施にあたっては職業ごと、あるいは生活状態によって別々にし、教育は決して画一的に行ってはならない。この処置は、極めて重要である。

 社会各層の教育は、それぞれの階層の本質と実際の仕事に応じて厳格に制限を加えなければならない。稀に天才的人物が出てうまくやって行くことがあったし、上の階層に滑り込むことが常であるが、このような極めて稀にしか出ない天才のために、生れや職業に特有であるべき階層に、その価値もない人間を入れてやるなどということは、愚行もはなはだしい。こんな目に余ることを許したゴイム社会がどうなったか、諸氏はよく御存知のはずである。

 人民の精神や心の中に決定的に君主を受け入れさせる為には、学校においても公開の場においても君主の行動の重要性とその企てることが善事であることを知らしめねばならぬ。
(私論.私見) 「実務教育、忠誠教育の階級別統制的教育指導」について
 議定書はここで、「実務教育、忠誠教育の階級別統制的教育指導」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●われわれは私学という私学をことごく廃止する●
 我々は全ての私立学校を廃止する。教育施設の中では、あたかもクラブのように、親たちとの集まりを持つことは許す。休日には、そういう集まりに教師が参加して、人間関係、見せしめの罰則、神の選民ではない者のいろいろな制約等々の問題、とどめには、まだ世界で明らかにされていない新たな哲学原理について、課外講義で読んで聞かせるだろう。その原理は、最終的に我々の信仰に従わせるための移行期の教理として、我々が提起するのである。
(私論.私見) 「私立学校の廃止」について
 議定書はここで、「私立学校の廃止」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 現在ならびに将来の行動計画を説明し終えたら、私は諸氏にその学説の原理をお話しする。一言にして言えば、何世紀にもわたる経験に鑑みて、人間は思想に生き思想に導かれるものであり、思想というのは人間成長の各段階にふさわしい教育を初め、さまざまな手段によって人間に浸透するものであるから、思想の支配を受けない最後の火花 を、我々が押収し呑込み、自分自身のものとして利用するであろう。
(私論.私見) 「思想の重要性」について
 議定書はここで、「思想の重要性」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●思考力を人間から切り離すことは極めて有益な手段である●
 この、思考力を人間から切り離すということは、過去長い時間をかけて、我々が導入してきた極めて有益な手段である。思考力を抑制する手段はすでに、いわゆる視覚反応教育という方法で実行されている(いわゆる実物教育[百貨店は万国博におけるデモンストレーションを指す]という方法で実行されている)。この方法によりゴイムは、脳を働かせることなく目に見えるものだけを頼りにして理解し、絵を見なければ何も理解できない物を考えない従順な動物にさせられている……フランスでは、われわれの最良の代理人である市民階級(ブルジョアジー)諸氏が、すでに実物教育の新しい計画を実地に移している。

(私論.私見) 「実物視覚教育の奨励」について
 議定書はここで、「実物視覚教育の奨励」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

【プロトコール17 】
 「プロトコール17」は、「プロトコール16」の「ユダヤ王国支配下の教育統制」に続いて、「ユダヤ王国支配下の弁護士、僧侶、キリスト教法王庁活動の規制、新聞、警察、スパイの活用」等々について縷々論及している。

 弁護士活動は人間を冷酷、非情、頑固、破廉恥にする。弁護士はどんな場合にも、人間ではなくひたすら法律の観点からのみ問題を論じる。彼らはどんなことを取り上げるにしても、弁護する価値があるかどうかと考えるのが習慣になっていて、弁護した結果、公共の福利がどうなるかは考えない。なんでもかんでも弁護を引き受けて断わることをしないというのが普通であり、無罪を目ざして極力奮闘し、法律上の細かい所にこだわって片端から難癖をつけ、挙句のはてに正義を地に落とす。

 であるから、我々は他の行政公務員と同様にこの職業の範囲を狭く絞り込んでおこうと思う。裁判官と同じく、弁護士が訴訟当事者と直接接触する権利を剥奪する。彼らは法廷からのみ仕事を受け、訴訟書類や報告を調査し、法廷で被告が尋問を受け事実が明らかになった後に被告を弁護する。どんな弁護をしたかという内容に関わりなく報酬を受け取る。

 このことは弁護人は、告訴のための審理記録lである代訴人に対して平衡を保つための、正義のための法務の単なる記録人に過ぎなくさせる。こうすれは、個人的な興味関心からではなく確信に基づいた、偽りのない公平な弁護活動が可能となるのである。また、この方式にすれば、現今横行しているような、金をよけい出さなけれは裁判には勝てないという弁護士の腐敗堕落を除去することにもある。

(私論.私見) 「弁護士活動の規制」について
 議定書はここで、「弁護士活動の規制」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 我々は過去長い時間をかけて、ゴイム僧侶の信用を落とし、それによって、放っておいたら我々の大きな脅威となったやも知れぬ地上における彼らの伝道を凋落させるようにして来た。今や日一日と、世界の人民に対するかれらの影響力は低下しつつある。

 ●キリスト教が完全に破壊されるのはここ数年のうちに過ぎなくなった●
 今や日一日と、世界の人民に対するかれら[ゴイム僧侶]の影響力は低下しつつある。現今では信教の自由ということが至る所で喧伝されたので、今やキリスト教が完全に破壊されるのはここ数年のうちに過ぎなくなった。ほかの宗教に至っては、骨抜きにするのは更に容易であるが、今この問題を論ずるのは時期尚早であると思う。 我々は聖職者重視の教権主義や聖職者たちの力を、以前かれらが華やかなりし頃に持っていたのとは比べものにならないほど狭い枠に押し込めるであろう。
(私論.私見) 「僧侶活動の規制」について
 議定書はここで、「僧侶活動の規制」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●われわれは法王庁の擁護者を装って進み出る●
 決定的に法王庁を破壊する時が来れは、見えざる手の指が各国民に法王庁を指さすであろう。しかしながら、国民がそれに襲いかかろうとしたら、あたかも過度の流血を防がんとするかのように、我々は法王庁の擁護者を装って進み出る。この転換によって、我々は彼らの深奥にまで足を踏み入れ、間違いなくかの最強部を腐食し切るまでは二度と出て来ないであろう。

 ●ユダヤ王は真の世界の法王,世界にまたがる教会の総大司教となる●
 ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。
(私論.私見) 「キリスト教法王庁の規制」について
 議定書はここで、「キリスト教法王庁の規制」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 だが、一方で、我々が青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、後には我々の宗教で再教育する間、我々は明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども、教会内部の軋轢を醸成させ、これに批判を加えて宗教人と闘う。
(私論.私見) 「過渡期段階でのキリスト教教会内部の軋轢醸成政策」について
 議定書はここで、「過渡期段階でのキリスト教教会内部の軋轢醸成政策」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 その場合、一般的には、我々の現代の新聞はゴイムの国家問題、宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、常に、我が民天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使して彼らの威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する。
(私論.私見) 「新聞を使っての中傷政策」について
 議定書はここで、「新聞を使っての中傷政策」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 我らが王国はインドのヴィシュヌ神になぞらえ擬人化すると、我らが百本の手の一本一本は、社会という機械のバネを握っている。警察というのは、我々がゴイムのために入念に作り上げ、しかも政府は覗けない望遠鏡であるが、その警察の力を借りずとも我々は何もかもが解るのである。
(私論.私見) 「警察を使っての監視政策」について
 議定書はここで、「警察を使っての監視政策」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●我々の臣民の三人に一人が他の二人を監視するようにする●
 我々の計画では、我々の臣民の三人に一人が、国家への無料奉仕義務として他の二人を監視する。かってのようにスパイは恥ずべきことではなく、評価すべきことなのである。しかしながら、根拠のないことを密告した者は厳罰に処し、密告権の乱用を慎ませる。

 この我々の代理人は、社会の上層からも下層からも、さらに暇な時間を娯楽に費す管理層、編集者、印刷業者や出版人、書店業、店員、販売業者、労働者、馬車の御者、従僕等々からも採用する。

 この組織は職権を持たず、目撃したことについてなんらかの行動を起こすことは許されず、なんら権限のない警察であって、唯一観察し証言するのみである。供述を確かめたり逮捕を決定したりするのは、警察の責任ある取締官の仕事であり、実際の逮捕には憲兵隊や都市警察があたる。警察担当の事件で、見聞したことを報告しない者は、隠匿罪で告発されその責を負い、それが証明されれは有罪となる。

 ●我らの兄弟たちには反対行動をとった結社員を告発する義務がある●
 我々同胞は現在も、ユダヤ信仰の背教者や、道徳の掟に背いた者、結社に反対する行動をとった結社員を告発し、長老会議に申告する義務をもっているが、未来の我々の世界王国でも、これと同じように、臣民全員に犯人告発の名誉ある義務、国家に対する奉仕義務を負わせるのだ。
(私論.私見) 「スパイを使っての情報収集、告発政策」について
 議定書はここで、「スパイを使っての情報収集、告発政策」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 このような組織こそが、職権乱用や贈収賄や、我々の機密計画を使い、人間についての超人類的な理論を駆使し、我々がゴイムに植え付けた悪習のすべてを根絶させるであろう。そんな弊害を自ら普及しておきながらというかも知れないが、彼らの政治の中に混乱を植え付け増大させるのに、果たして他に有効方法があっただろうか?
(私論.私見) 「スパイ政策の有効性」について
 議定書はここで、「スパイ政策の有効性」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 あまたあるこれらの混乱助長の方策の中でも、最も重要なるものの一つは、秩序維持を果さなければならない高級官僚たちの篭絡であった。かれらの悪の偏執性、どうしようもない自惚れ、権力の無責任な乱用、そして、何よりもかによりも賄賂を拡張発達させたことである。高級官僚は、ゴイム政府を破滅させるのに都合のいい位置にいる秩序回復の代理人である。

(私論.私見) 「高級官僚篭絡政策」について
 議定書はここで、「高級官僚篭絡政策」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

【プロトコール18 】
 「プロトコール18」は、「プロトコール17」の「ユダヤ王国支配下の弁護士、僧侶、キリスト教法王庁活動の規制、新聞、警察、スパイの活用」に続いて、「ユダヤ王国支配下の弁舌家士、陰謀家、ユダヤ王の威厳、警護の要領、政治犯の処罰」等々について縷々論及している。
 我々が秘密の護衛措置の強化を講ずる必要が生じた際には、我々は人工的に見せかけの秩序混乱を引き起こし、腕利きの弁舌家に協力させて不平不満を騒擾させる。こういう弁舌家の回りにはその発言に共鳴する輩が皆集まってくる。それがあまたのゴイムの中から選んだ我々側の人員によって家宅捜査させ、それが新たなる取締法を創設していく口実となる。こうして警察権を強化していく。
(私論.私見) 「弁舌家の利用」について
 議定書はここで、「弁舌家の利用」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 大多数の陰謀家というのは勝負事好きでおしゃべり屋であるから、そこで、かれらが明白な行動を起こすまでは、我々は指一本触れずに、ただ彼らの中に監視員を入れるだけにとどめておく。銘記しておくべきことは、陰謀摘発が度重なると当局の威信が落ち、弱みがあるからやっているんだろうとか、もっと悪いことには不正不法であるとか、余計な憶測邪推を生じさせるということである。

 御存知のように、我々は代理人を通じてゴイの王たちの生命を脅かして権威を失墜させたのであるが、この代理人たちは我々が飼っている群の中の盲目の羊であって、少々政治色をつけた自由主義的な言辞を弄して犯罪を攻撃すると、たやすく乗せられてしまう連中である。我々は秘密防衛措置を公然と暴いてやって、支配者たちにかれらの弱点を思い知らせてやってきた。これによって、権力を打倒する保証を手中にしたのである。
(私論.私見) 「陰謀家の利用」について
 議定書はここで、「陰謀家の利用」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●我々の支配者は目に見えない護衛だけに守られる●
 我がユダヤの王は、目に見えない護衛だけに守られる。それは、反政府暴動があるやも知れず、王にはそれを抑える力がない故に逃げ隠れているという印象を与えては断じてならない。ゴイムがやったように、また、現在もやっているように、そんな考えをはびこらせたら、王又はその後裔に対し、とにかくその王朝に対して近い将来の死刑宣告に署名しているようなものである。

 我々の王は威厳のある風貌の力を国民の福利増進のためにのみ用いるのであり、間違っても自分自身や一族の利益のために用いることはない。それゆえに、この威信が保たれることで、王の権威が尊敬され国民そのものに守られ、市民全員の福利と固く結びついて神のように崇められるのである。まさに王の威信によってこそ、多数の通常生活における秩序すべてが保たれるのである。
(私論.私見) 「ユダヤ王の威厳の利用」について
 議定書はここで、「ユダヤ王の威厳の利用」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●公然と護衛することは強そうに見える王者の弱さをさらすことになる●
 王を公然と外面的な警備で防衛するのは、強そうに見えるもののその実その権力の弱さを露呈していることになる。我々の王が人民の中を巡察するときには常に、見た目には全く偶然そこに居合せた物見高い男女の群集に取り囲まれたかのように見せる。それらの男女は王に近い前の方の数列を占め、後の列を制止し、いわゆる大衆にはあまり接近させないようにする。こうした模範を示すと人民大衆もやがて静かに慎み深い態度をとるようになる。他の者から見れば、尊敬の念からよく秩序が保たれているように見える。これは他の場合でもそうすることに慣れるように種を蒔くことになるのである。

 もし大衆の中から請願人が現われて、王に請願書を手渡そうとし列を分けて進んできたら、最前列の者が請願書を受け取って請願人の目の前で王に取り次がなければならない。そうすれば誰の目にも直接請願書が王の手に届き、王自身が国政を監督していることが知れ渡る。人民が「王様がこの事を御存知だったらなあ」とか「王様が聞いて下さった!」と言えることが、権力の後光となるのである。

 公然たる護衛警察は王者の神秘的権威を失わせる。少々大胆さを持ち合わせていれば、誰でも自分は護衛を自由に操れると思い込み、暗殺者は自分の力に自信を抱き、時至れば官憲に一撃を加える瞬間をうかがう。……ゴイムには、我々は正反対のことを教えてきたが、目立つ護衛策がどんな結果をもたらしたかを、事実そのものによってとくと見ることができた。

(私論.私見) 「ユダヤ王の護衛の要領」について
 議定書はここで、「ユダヤ王の護衛の要領」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。
 ●我々は犯罪者は何をさておいても逮捕する●
 我々は、犯罪者とあれば根拠が十分であろうと不十分であろうと、まず逮捕する。万一間違えるといけないということで、政治的堕落や犯罪を犯した疑わしき者に逃亡の機会を与えるとは、とんでもないことである。政治犯の場合は、文字通り峻厳でなければならない。単純犯罪で動機の再審議を許可し、特別扱いをすることが可能な場合でも、職権を持った者の他には何びとといえども事件に介入する口実は存在しない。すべての政府が真実の政治を理解するものではないのである。
(私論.私見) 「政治犯の厳罰」について
 議定書はここで、「政治犯の厳罰」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

【プロトコール19 】
 「プロトコール19」は、「プロトコール18」の「ユダヤ王国支配下の弁舌家士、陰謀家、ユダヤ王の威厳、警護の要領、政治犯の処罰」に続いて、「ユダヤ王国支配下の提案制度の活用、反政府運動家の弾圧と処遇の要諦」について縷々論及している。
 我々は個人が政治に口出しすることは全く許さないけれども、政府が人民の状態を改善すべく仔細に検討するに値する提案、報告、請願は奨励する。このような提案は、我々の臣民が何を空想しているかを我々に明らさまに教えてくれるからであり、それらに対しては実現できるものはその旨を付し、そうでないものは起案者の誤りを指摘し反論して応える。
(私論.私見) 「提案制度の活用」について
 議定書はここで、「提案制度の活」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●反政府活動屋は象に対して吠え立てる小犬以外の何ものでもない
 反政府活動屋は象に対してキャンキャン吠え立てる小犬以外の何ものでもない。組織的に活動している政府にとっては、警察の見地からではなく公共の立場から見ても、小犬が象に吠え立てるのは、象の強さや力を全く知らないからであると見做す。これには両者の力関係を一度だけ見せてやる以外は何もする必要はない。そうすれば小犬は吠え立てるのを止め、次からは象を見ると尻尾を巻いて逃げ出すであろう。

(私論.私見) 「反政府運動家の弾圧」について
 議定書はここで、「反政府運動家の弾圧」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。

 ●政治犯罪者が主義に殉ずるものとして尊ばれることをなくす●
 政治犯罪者が主義に殉ずるものとして尊ばれ英雄視されることをなくすためには、裁判の際には、彼らを強盗、殺人犯、その他言語同断破廉恥極まる犯罪者と同じ席に坐らせ扱う。 そうすると世間は、政治犯をその種の犯罪と同種の不道徳な犯罪と見做し、軽蔑の眼差しで見下げるようになる。

 ゴイムが反政府活動を圧殺するのに同じ手段を用いないよう、我々は極力努力してきたし、今後もその努力は継続したいと思う。新聞や演説講演、間接的には巧みに編集した歴史教科書を通じて、我々は反政府屋を公共の福利のために殉じた殉難者として宣伝してきたのは、以上の理由からである。この宣伝がふくれ上って、リベラルたちが増加し、何千というゴイムをわれわれの家畜群に引き込んだのである。

(私論.私見) 「政治犯罪者処遇の要諦」について
 議定書はここで、「政治犯罪者処遇の要諦」について述べている。ここは取りあえず拝聴しておこう。




(私論.私見)

 ●メーソン員はわれわれの前に立てられた屏風である
 あれこれの秘密組織の手による専制、その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で働くだけに、手きびしいことでも平気でやる。それら代理人たちは交代するので、不当に襲われないばかりか、秘密の勢力を効果的に助けている。しばしば交代するおかげで、長期活動の報酬が節減できるのである。見えない勢力というものを転覆する位置にあるのはいったい誰か? ここにこそ我々の特徴がある。非ユダヤ人を入れてあるメーソン員は、我々と我々の目標の前に立てられた屏風として隠密裡に活動するが、我が勢力の活動計画は、その所在すら人民には全く謎に包まれたままにされる。