【「ネオコンは元第4インター・トロツキスト出自説」の根拠考】
【ネオコン論理に潜むトロツキズムの影】

 更新日/2021(平成31..5.1栄和元年/栄和3).11.18日

【「ネオコンは元第4インター・トロツキスト出自説」の根拠考】
 「ネオコン・ドクトリン」の観点はいわゆる「ユダヤ・ロビー」由来のものであり、人脈的にも裏付けられる。ネオコン・グループにはニューヨーク出身のユダヤ系知識人が多い。ネオコン・イデオローグの双壁にアービング・クリストルともう一人、ユダヤ系知識人の言論誌「コメンタリー」の創刊者、ノーマン・ポドレツが居る。2人ともニューヨークの知的風土から育ったユダヤ人知識人である。

 このネオコンとトロツキズムとの関係が注目されている。実は強く繋がっており、ネオコンの始祖(ゴッドファーザー)にして総帥であるアーヴィング・クリストルは元第四インターナショナルのメンバーであり、転向後ネオコンとして登場してきているという一事をもってしても関係の深さが判明する。クリストル自身が自著「トロツキストの思い出」で、「四〇年に大学を卒業するまで私は青年社会主義者同盟(第四インター)の一員だった。恋愛と同じで相手の女性は変質してもその経験は極めて価値がある」と語っている。

 ネオコンのイデオローグの一人にチャールズ・クラウトハマー (Charles Krauthammer) 氏がいる。【クラウトハマー氏関連サイト】は次の通り。
http://www.sankei.co.jp/news/030105/morning/05int003.htm (産経新聞)
http://www.worldtimes.co.jp/w/usa/news/030107-074132.html (世界日報)
http://www.getsuyou.com/bkno/kokusai/h14/h14_06.html (月曜評論)

 彼らは元第四インター系トロツキストであったり民主党の革新派からの「転向組」である。アービング・クリストルは、1970年代に左派の行き過ぎに嫌気が差して右に方向転換したと述べており、「現実に襲い掛かられた革新派」と自分たちを定義する。「現実を見て甘い社会主義革命の理想など捨てた」という意味であり、第四インター系トロツキズムからの右旋回の経歴を公言している。

 但し、ネオコンの思想家達はトロツキストと呼ばれることを避けている。しかし、米評論家マッカーシー氏は、 「国際主義と民主主義のためにトロツキスト(ロシア革命指導者トロツキーの信奉者)はいまも闘っている。ただ、彼らはネオコンの呼称を選んでいる」と見抜いており、他にも「『世界に米国の価値観を』という主張を見るとトロツキスト的な『世界革命』の夢を捨てていないようだ」(共同通信、京都新聞掲載より)との見方が披瀝されている。

 ネオコン・グループには次のような面々がいる。まず言論界を見てみると、「ネオコンの始祖」とされる評論家アービング・クリストル、その息子で保守系の政治週刊誌『ウィークリー・スタンダード』編集長のウィリアム・クリストル、コラムニストのチャールズ・クラウトハマー、ネオコンの“バイブル”『コメンタリー』誌元編集長・ノーマン・ボドレツ。今日、ネオコンは、ホワイトハウス中枢に進出している。ブッシュ政権のブッシュ大統領を筆頭にチェイニー副大統領、リビー首席補佐官、ローブ上級顧問、エリオット・エイブラハムズ国家安全保障会議中東部長、ジョン・ポルトン国務省副長官、ラムズフェルド国防長官、ポール・ウルフォウィッツ国防副長官、ファイス国防総省次官、ロッドマン国防総省次官補、古参実力者リチャード・パール元国防次官補等々。

 ネオコンの台頭以来、米国政治をかってのように共和党、民主党に色分けして語ることができなくなった。これがアメリカ史の必然的発展形態なのか、特殊一過性の現象なのか判断が難しい。

【「ネオコンは元第4インター・トロツキスト出自説」の根拠考】
 「 阿修羅掲示板 > 戦争60 」「愚民党 日時 2004 年 9 月 24 日」「“トロツキーの幻想”を追い続けるアメリカ・ネオコン[現代中国ライブラリィ]」。
 “トロツキーの幻想”を追い続けるアメリカ・ネオコン

 ネオコンの存在がやっかいなのは、たんなる石油メジャーや軍事産業の利益代弁者ではないことだ。彼らの根底には世界を変革しようという“理想主義”が流れている。そして、アフガン、イラクの“反テロ戦争”の背景には、かつてのトロツキー「永続革命論」の臭いさえもが……。

 ネオコンの源流はトロツキズム

 ネオコン(ネオ・コンサバティブ=新保守主義派)がこれまでのアメリカの政治集団の中でも特異なのは、利害調整型の政治を超越したそのイデオロギー性と戦略性にあるとされる。これまでのアメリカは民主党であれ共和党であれ、多様な利益集団の利害を調整することで、国家の戦略や政策が決まっていた。ところが、ネオコンはそうした利害調整型の政治とは異なり、独自の政治集団、思想集団として、自らの目的を貫徹しようとすることに特徴がある。ネオコンは今は共和党と協力しているが、民主党に近かった時代もあった。ネオコンにとっては、自らの目的を達成できるなら、共和党であれ民主党であれかわまない。米国の民主主義は歴史的世界的な使命を担っており、世界に関与すべきだ、というのがネオコンの考え方である。代表的人物は、ウルフォウィッツ国防副長官、ファイス国防次官、ボルトン国務次官、リビー副大統領首席補佐官、エイブラムス国家安全保障会議(NSC)中東担当、パール前国防政策委員長、ウルジー元中央情報局(CIA)長官、クリストル「ウィークリー・スタンダード」誌編集長らである。チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官らはネオコンではない。彼らは軍需産業や石油資本と結びついた単なるタカ派政治家である。ネオコンにとっては、チェイニーやラムズフェルドは都合のよいスポンサーなのである。

 ネオコンの出自がトロツキストであることが最近よく議論されている。「ブッシュを戦争に駆り立てているネオコンの思想的背景には、トロツキズムの世界同時革命論がある」と姜尚中・東大教授は述べている。キャスターの鳥越俊太郎も似たような発言を行っている。ネオコン=トロツキスト論の象徴とされているのが、ウィリアム・クリストルである。クリストルはネオコンのシンクタンクPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)の議長をつとめ、ネオコンの中でも核心的なイデオローグの一人である。彼は学生時代に、第四インターナショナル系のトロツキスト組織SWP(社会主義労働者党)の青年組織であるYSA(青年社会主義者同盟)のメンバーだったと、自ら『トロツキストの思い出』という著書の中で語っている。もっとも、学生時代に彼がトロツキスト党に所属していたことがあったとしても、ネオコン=トロツキストとするにはいささか無理がある。姜尚中教授のように、ネオコン=トロツキズム=世界同時革命と断ずるのは極端すぎるだろう。ちなみに第四インターは世界同時革命を唱えたことはない。世界同時革命を主張したのは日本の旧ブント、赤軍派である。政治学者は言葉を厳密に使わなければならない。ブント、赤軍派も源流を辿ればトロツキストだったと言えなくもないが、やはり無理がある。左翼活動家が思想転向し、右翼の闘士になった例は古今東西、山ほど見受けられる。ムッソリーニはイタリア社会党の活動家であった。日本でも戦前・戦後を通じて、同様の例は数え切れない。田中清玄しかり、清水幾太郎しかり、現在では西部邁しかりだ。今の改憲派自民党政治家の中にも学生時代に左翼運動をしていた者もいるだろう。ネオコン=トロツキストなどと言われれば、第四インターの活動家にとっては噴飯ものに違いない。

 ボリシェビズムがアメリカで復活

 それでも人間の思考や発想というものはなかなか変えられないのも事実である。クリストルも「恋愛と同じで相手の女性は変質しても、その経験は極めて価値がある」と語っている。左から右に転向したからといって、すべてが変わるわけではない。

 トロツキーといえば、「永続革命論」が代表的である。簡単に言えば、ソビエト革命は一国では成就しない。ヨーロッパの革命が成功してこそ、遅れた資本主義で起こったロシアの革命はブルジョア民主主義革命を超えて社会主義革命へと連続的に発展するという考え方だ。しかし、ヨーロッパ革命は敗北し、トロツキーは「一国社会主義」を唱えるスターリンに追放される。そして、追放されたトロツキーを中心にトロツキズム運動が世界に広がっていった。トロツキーが掲げたスローガンは「ソ連労働者国家擁護」だった。スターリンのソ連は確かに誤ってはいるが、それでも帝国主義から守る価値のある労働者国家だというものだった。アメリカのネオコンが誕生したのは、第二次大戦終了の前後だといわれる。元々はトロツキストだった彼らの中には、スターリンのソ連が1939年にナチス・ドイツと独ソ不可侵条約を締結したとき、ナチスと手を結ぶようなソ連を労働者国家として擁護することはできないとして、本家のトロツキーを批判し、「反スターリン主義」(スターリン主義打倒)を掲げた者たちがいた。こうした「反スタ」の流れの中からネオコンが生まれてきた(これは特殊アメリカ的な現象と思われる)。その後は50年代初頭の朝鮮戦争を契機とした冷戦の始まりで、米ソの対立が激化すると、悪いのはアメリカではなく、スターリンのソ連の方だ、スターリン主義打倒だとなっていった。

 ネオコンの特徴は、自分たちは絶対的な正義だと信じていること、絶対的正義である米国民主主義を世界に広めなければならないと考えていることである。右と左の違いはあっても、多様な世界を単一的に捉えようとしたかつての共産主義運動、トロツキーの永続革命論、遡ればレーニン主義、ボリシェビズムと極めて似通っている。ソ連は70年をかけてボリシェビズムの間違い、つまりボリシェビズムでは国家を合理的機能的に運営できないことに気づいた。中国も1949年の革命から改革開放まで30年を費やした。その間には、国際共産主義運動はコミンテルン(国際共産党)を解散もしている。世界の多様性の前に単一のイデオロギーは機能しなくなったからだ。

 いま、アメリカはソ連の失敗の二の舞を演じようとしているのではないか。ネオコンは“逆コミンテルン”の本部をアメリカに置いたかのようだ。それは「共産主義」が「民主主義」に衣替えしただけだ。いまのネオコンに影響されたホワイトハウスや国防総省は、中国共産党よりもよっぽどイデオロギー的なのである。国内政治も、国際関係も、そして社会や人間集団も、結局のところは現実の利害関係を軸に動いていくものである。現実を無視したところに理想主義は成立しない。人民の「能動的主観性」に過剰に依拠した毛沢東の失敗を見れば明らかである。理想主義は世界を変えうる力を持っていると信じるが、それは一歩間違えれば独善主義に陥る。もっとも、ネオコンが大きく注目されたのは、9・11以後の米国の特殊な精神状況下においてである。アメリカが世界の現状と自らの国家利益を冷厳に見つめたときに、ネオコンはアメリカ帝国にとっても厄介で危険な存在になるだろう。(『政策フロンティア』2003年10月号)
 http://www.panda.hello-net.info/colum/neocon.htm
 中国現代ライブラリー
 http://www.panda.hello-net.info/index.html

【ネオコン論理に潜むトロツキズムの影】

 「“トロツキーの幻想”を追い続けるアメリカ・ネオコン[現代中国ライブラリィ]」等を参照し、れんだいこ風に纏める。

 現代米国小ブッシュ政権の中枢に位置しているネオコンには高イデオロギー性が認められ、それは永続革命論を展開したトロツキーの諸言説に基づいている。ネオコン初期の理論家がこぞってアメリカ在住の元トロツキストであったことは偶然ではない。れんだいこ史観に拠れば、「ネオコンとは、トロツキズムがシオンの議定書派のシオニズムと結合したものであり、そのコスモポリタン的世界革命主義が現代極右理論として生み出されているところに特質がある」ことになる。

 ネオコンは、その世界観、社会観、歴史観の中にトロツキズム的マルクス主義即ち第四インター系マルクス主義理論をそれなりに取り込んでおり、その論理構成の洗練とリアリズム的認識論を媒介させているが故に余計に厄介な主義として立ち現われている。現代マルクス主義は、この「事実」を理論的に対自化せねばならない。然るにそれが為されていない。つまり、あまりにも無能を呈しているように見える。

 さて、トロツキズムの世界同時革命的観点が何故「米・英―イスラエル連合による世界革命」なるものに転換出来たのか。ここには、世界の左派運動が主体的に問い返さねばならない思想的課題が突きつけられているように思われる。れんだいこ見解の披瀝は今は控える。

 今の時点で云える事は、1・ワンワールド的国際主義、国際グローバルスタンダードの創出、。2・表面的反戦平和主義、3・反ナチス主義、反日帝天皇制主義、4、西のホロコースト論、東の南京大虐殺事件、5・反政府、親ユダヤ主義等々は、トロツキズムーシオニズムーネオコンに共通する観点である、ということである。

 ネオコンイズムの画期性は次のことに認められる。政治をしてそれまでのように経済的利益の代弁者、力による政治支配に止まることなく、積極的に「理想」を掲げ、その「理想」に基づく世界変革に向うべしとするイデオロギーの意義を高く称揚している。ネオコンイズムにはそういう思想性が流れている。具体的には、シオンの議定書派の原理主義的シオニズムが指し示す青写真をを「理想」とし、その「理想」実現に向うための戦略戦術として「トロツキズム的永続革命論」を採用しようとしている。ネオコンイズムにはそういうイデオロギー性と戦略性に特質が認められる。

 ネオコンイズムは、米国政治史上の二大基軸即ち共和党政治と民主党政治の拮抗調整レベルを超えて、新たな世界的国際戦略に乗り出している。ネオコンイズムの国家戦略とは、アメリカをして国内政治に埋没させること無く、「米国民主主義」をお題目にしつつ世界整序再編の旗手たる地位と使命を覚醒、これに対する積極的関与を鼓吹するところにある。代表的人物は、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウルフォウィッツ国防副長官、ファイス国防次官、ボルトン国務次官、リビー副大統領首席補佐官、エイブラムス国家安全保障会議(NSC)中東担当、パール前国防政策委員長、ウルジー元中央情報局(CIA)長官、クリストル「ウィークリー・スタンダード」誌編集長らである。

 「桃太郎の鬼退治」と見まがうようなネオコンイズムのこの論法は、トロツキズム式国際主義的革命論を踏襲している感が有る。ネオコン=トロツキスト論の象徴とされているのが、ウィリアム・クリストルである。クリストルは、次のように評されている。
 ネオコンのシンクタンクPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)の議長をつとめ、ネオコンの中でも核心的なイデオローグの一人である。彼は学生時代に、第四インターナショナル系のトロツキスト組織SWP(社会主義労働者党)の青年組織であるYSA(青年社会主義者同盟)のメンバーだったと、自ら『トロツキストの思い出』という著書の中で語っている。

 トロツキーの「永続革命論」とは何か。簡単に言えば、ソビエト革命の勝利は、引き続くヨーロッパ革命、世界革命と連動させることにより勝利するという観点に立ち、永続革命を指針させる論である。しかし、ヨーロッパ革命は敗北し、レーニン没後のスターリン派との抗争で、トロツキーは「一国社会主義」を唱えるスターリンに追放される。ソ連を追放されたトロツキーは、第4インターを結成し、レーニン派の跡目を相続したスターリン派の第3インターに対峙する。これは別名トロツキズムとも云われる。

 アメリカのネオコンが誕生したのは、第二次大戦終了の前後だといわれる。第4インターの中から、スターリン率いるソ連批判が生まれた。トロツキーは、腐っても鯛で「労働者国家擁護」を標榜していたが、ソ連が1939年にナチス・ドイツと独ソ不可侵条約を締結したのを機に、ナチスと手を結ぶようなソ連を労働者国家として擁護することはできないとして、正統トロツキズムから分離した。

 彼らは、トロツキーを批判し、「反スターリン主義」(スターリン主義打倒)を掲げ始めた。この「反スタ」の流れの中からネオコンが生まれる。彼らは、50年代初頭の朝鮮戦争を契機とした冷戦の始まりで米ソの対立が激化すると、米帝批判よりも「反スタ」に傾斜し始め、スターリン主義打倒を呼号し始める。

 この系譜からネオコンが生まれる。その特徴は、トロツキズム式世界革命論に立脚しつつシオンの議定書派のシオニズムの青写真を遂行せんとするところにある。彼らは、自分たちは絶対的な正義だと信じており、その絶対的正義である「自由民主主義」を世界に広めなければならないと考えている。それは、かっての共産主義運動、レーニン主義、ボリシェビズム、トロツキー永続革命論、毛沢東主義のイデオロギーと似通っている。ネオコンに影響されたホワイトハウスや国防総省は、米国史上稀なるイデオロギーに染まっていると云える。

 2005.6.16日再編集 れんだいこ拝


【ネオコン論理に垣間見える露骨なユダヤ原理主義の影】
 ネオコンにはもう一つの特質がある。「トロツキズムとユダヤ・シオニズムとの政治的結合」に加えて「キリスト教右派とユダヤ教の奇妙なイデオロギー的接合」を獲得しており、これがネオコンのもう一つの特殊性であるように見える。それが実践的に企図するものは、「米国・英国―イスラエル連合による世界平定を通じてのワン・ワールド化、それに基づくグローバル・スタンダードの創出」であるように見える。

 この流れには歴史的必然性がある。ソ連邦解体により「冷戦構造」が崩壊したが、この新事態を受けて創出されたのが「ネオコン・ドクトリン」であるように思われる。「ネオコン・ドクトリン」とは、冷戦時代の敵対巨頭ソ連と中国を封じ込め、次の強敵としてイスラム圏を標的と定め、その征討=「民主化」に乗り出すことを課題としている。その為に生み出されたのが「ネオコン・ドクトリン」であるように思われる。

 興味深いことに、「ネオコン・ドクトリン」は、第二次世界大戦による日帝解体それに続く「民主化」を理想教材として「中近東の民主化」を目論んでいる節がある。してみれば、戦後日本の再建史は世界史的意義をもっていることになる。この先例が「中近東の民主化」に適合するのかどうかは保証の限りに有らずではあるが。

 今やネオコンの野望は、アメ帝の覇権を後ろ盾にして「中東侵略戦争」に勝利し、イスラエル建国の一層の成功裡な推進、これを通じての「米・英―イスラエル連合による世界革命」の達成にある、ように思われる。

 2005.6.16日再編集 れんだいこ拝




(私論.私見)